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ヨーロッパ視察旅行・・・1988(昭和63)年8月20日~9月4日

イギリス(ロンドン)・西ドイツ(フランクフルト)・フランス(パリ)・オランダ(アムステルダム)・スイスの都市計画などを視察しました。

韓国・ソウル旅行・・1995(平成7)年9月15日(金)~2000(平成12)年10月1日(日)

韓国・ソウル旅行・・・1995(平成7)年9月15日(金)~17日(日)    
                        ・・・1996(平成8)年5月1日(水)~4日(土)
                        ・・・1996(平成8)年6月28日(金)~30日(日)
                        ・・・1997(平成9)年10月10日(金)~12日(日)
                        ・・・2000(平成12)年9月29日(金)~10月1日(日)

香港旅行・・・1997(平成9)年6月13日~16日

中国(大連・旅順・瀋陽)旅行記・・・2000(平成12)年8月10日~14日

大連(ターリィエン、だいれん)・旅順(リューシュン、りょじゅん)・瀋陽(シェンヤン、しんよう)の旅行は、2000(平成12)年の8月、今から1年前のことですが、
はじめての中国への旅でした。大いに感激しましたが、1年後の今、旅行記を書くについては、今年の西安・敦煌旅行記のようにダイナミックな動きを追ったものとはせず、
私なりの都市の印象や歴史の考え方を示すにとどめました。
「歴史観」でいえば、特に大連・旅順については、当然いろいろな意見があると思います。

〔旅行の動機〕
大連は、かつて、日本とロシアが覇権を競い合った地であり、私の愛読書である、司馬遼太郎の「坂の上の雲」の舞台の1つです。また大連市内から西に約60kmの所にある「旅順」は、
旅順港閉塞作戦で有名な軍港ですし、また、二〇三高地をめぐる日本軍(乃木希典大将)とロシア軍(ステッセル将軍)との死斗は有名です。

  ① 「旅順(りょじゅん)開城(かいじょう) 約成(やくな)りて 

     敵の将軍 ステッセル

     乃木大将と会見の

     所はいずこ 水師営(すいしえい)

  ② 庭に1本(ひともと) 棗(なつめ)の木

     弾丸あとも いちじるく

     くずれ残れる 民屋(みんおく)に

     今ぞ相(あい)見る 二将軍

  ③ 乃木大将は おごそかに

     御(み)めぐみ深き 大君(おおぎみ)の

     大(おお)みことのり 伝(つと)うれば

     彼(かれ)かしこみて 謝しまつる

  ④ 昨日(きのう)の敵は 今日の友・・・」

と延々と続く『水師営の会見』(曲名)は、私が小学生の時、何回も何回も父が歌うのを聴いて覚えた歌です。鉄道唱歌などとともに、今でも歌詞がスラスラと出てきます。
また大連から北東へ約350km離れた瀋陽は、昔、日本名で「奉天」と呼ばれたところ。かの昔、日露戦争において「奉天大会戦」が行われたところです。
大連も旅順も奉天も、松山市出身で有名な「秋山兄弟」の兄、秋山好古(よしふる)が率いた日本騎兵の活躍や、弟、秋山実之(さねゆき)の日本海海戦における天才ぶりなど、
「坂の上の雲」で ワクワクしながら何回も読んだ場面が頭に浮かんでくる、親しみをもった土地です。
こういう背景があった時、ヒョンなきっかけで、中国の大連からの留学生から、「夏休みに中国に帰るので、その機会に、大連に来ませんか」「家族みんなで案内します」と誘われ、
その気になったのです。
短い期間でしたが、旅行中は本当にその家族や友人みんなに親切にしていただきました。中国式の夕食の歓迎、車での各地への案内、友人によるガイド、などなど、それは熱狂的な歓迎でした。

〔大連のまち〕
大連(の市内)は、本当に美しいまちです。中山広場や、友好広場、勝利広場など、市内の繁華街は美しく、夜ともなればネオンがきらめく、すばらしいまちです。
また半島の南の海沿いを車で走れば、美しい星海公園や老虎灘(ろうこたん)などがあり、すばらしい景色です。
ゴルフには行きませんでしたが、私の大学時代の同級生で、よく大連に出かけて仕事をしている友達の話によると、大連のゴルフ場はすばらしいとのことです。半島の南を回っていると軍港があり、
中国の軍艦が停泊しているのが見えます。すると、「ああ、これが現実なんだ!」と思い知らされるはずです。さらに大連市内の大連駅から北東へ約20分位歩けば、大連の海港があります。
いまも大連への、あるいは大連からの海の旅行の港として利用されているもので、デッカイ港です。

〔旅順のまち〕
私ははじめて知りましたが、旅順は、反日感情がきわめて強く残っているまち、だという事でした。
なぜかというと、旅順には、日中戦争の時代、「旅順監獄」があり、多くの中国人がここで、拷問をうけたり、死刑執行をされたりしたためです。ほとんどの日本人は、旅順といえば、
日露戦争における二〇三高地の激戦ばかりが印象にあり、日中戦争時代における、中国人迫害の事実は全く知りません。ガイド本によると、二〇三高地や水師営の見学をメインとした
「旅順ツア-」は、日本人旅行者のリクエストが多かったため、外貨獲得を目指す中国側の方針でやっと1996年から実施されたとのことです。しかし この日本人向けツア-では、
日中戦争の跡が生々しく残る「旅順監獄」はもちろん、各種記念物を展示している「旅順博物館」も、見学は「不可」とされています。
中国の人、旅順の人は今でも「旅順監獄」で、当時そのままの囚人服や拷問の道具、死刑執行場などを現実に見ているわけですから、反日感情が強く残っているのはあたり前だ、と強く感じました。
今年の夏(2001(平成13)年8月)、大きな問題となった、小泉総理大臣の靖国参拝問題における中国の強硬な姿勢は、この経験からよく理解できました。

〔瀋陽のまち〕
瀋陽は、大連から車で高速道路を約4時間北東へ走ったところにあります。ここは大連に比べればまだまだ「いなかのまち」です。

1 「9・18事変陳列館」
ここで驚いたのは、何といっても「9・18事変陳列館」です。
1931(昭和6)年9月18日、瀋陽(奉天)で発生した、日本でいう「柳条湖事件」は、関東軍が満州を日本の支配下におくため、柳条湖付近で自ら鉄道を爆破したうえ、
これを中国軍の行為によるものであったとして、これを口実に中国の東北地方への軍事行動を開始した事件として有名です。
この「9・18事変陳列館」は、広大な敷地内の巨大な建物内で、日本帝国主義が中国への侵略を開始してから、日本敗北に至るまでの資料を、ろう人形などによってわかりやすく、
展示している記念館です。「百聞は一見に如かず」。とにかくこれを見れば、日本人の歴史からみた「日中戦争」、と中国人の目でみる「中日戦争」の違いを明確に認識せざるを得ません
(どちらが正しいかは別問題として)。

2 「ヌルハチの故宮」
瀋陽でのもう一つの見どころは、「ヌルハチの故宮」。ヌルハチは1625年に中国の後金(後の清王朝)を建国した初代皇帝(治祖)として有名です。そのヌルハチの遷都によって、
瀋陽が後金の都となり、故宮が建設されたのです。その故宮は、中国何千年の歴史を感じさせる、そりゃ立派なものでした。

3 「張学良旧居陳列館」
それからもう一つ。瀋陽には「張学良旧居陳列館」があります。
関東軍の「柳条湖事件」(奉天事件)によって殺された「張作霖」、の息子の「張学良」は、中国東北地方の軍閥のボスとして、激動の時代を生きた人物です。
張学良は、張作霖の後を継いで、中国東北地方の実権を握った軍閥です。父親を日本軍に殺された張学良は、当然、抗日派でしたから、蒋介石の国民党による中国統一を支援して、
日本軍と戦いました。
しかし、蒋介石の共産党嫌いは強く、共産党との内戦を日本軍との戦いよりも優先しました。蒋介石の命令に従って、共産党討伐に従事していた張学良でしたが、日々、日本軍に中国本土が
侵略される中、抗日統一戦線の結成を呼びかける共産党の主張に次第に共鳴し、ついに、1936年、西安事件をおこします。
張学良は、共産軍討伐の督促のために西安に入った蒋介石を、西安の地に軟禁し、共産党との内戦の中止、抗日統一戦線の結成を迫ったのです。
この事件が契機となり、第二次国共合作が成立し、抗日統一戦線の下に、中国は日本軍と戦います。
1945年、日本の敗戦。そして、1949年、中華人民共和国の成立。しかし、これにより、国民党は台湾へ渡り、蒋介石は台湾の総裁となります。張学良は、西安事件の後、
蒋介石に捕らえられ、そして、戦後も台湾で1989年末まで軟禁されます。
しかし、新たに建国された共産国家の中国では、西安事件を起こして、国民党と共産党の抗日統一戦線を実現させた張学良を「愛国将軍」と呼び、高く評価します。
そして、中国の共産党政権は張学良に対して中国への里帰りを呼びかけましたが、張学良は自分の立場が政治的に利用されるのを嫌って、1994年以降、ハワイで過ごします。
張学良は、2000年6月、数え年で100歳を迎えました。
このような資料がいっぱい詰まっている「張学良旧居陳列館」を見る中で、私はあらためて日中戦争の時代の中国史の勉強をすることができました。

大連 半島南の海沿い 老虎灘

瀋陽 9.18事変陳列館

瀋陽 9.18事変陳列館入口

瀋陽 ヌルハチ故宮入口

中国(西安・敦煌)旅行記・・・2001(平成13)年8月9日~14日 

西安(シーアン、せいあん)は、本当に、中国何千年の歴史を実感できる素晴らしい都市です。そして敦煌(トゥンホアン、とんこう)はワクワクする歴史とともに、夢やロマンを
感じさせる都市です。
歴史や仏教の勉強も不可欠ですが、自分で見聞しながらのこれらの勉強は非常に楽しいものです。2001(平成13)年の夏は、最高に幸せな、また興奮した夏でした。

〔旅行の動機〕

吉川英治や北方謙三の『三国志』、柴田錬三郎の『英雄生きるべきか死すべきか』、司馬遼太郎の『項羽と劉邦』などの愛読書の面白さとは別に、昔読んだ、井上靖の小説『敦煌』や『蒼き狼』では
中国やモンゴルへのロマンをかきたてられた覚えがあります。

『敦煌』は、見たことのない夢のような都市だったのです。
また、1988(昭和63)年に上映された佐藤浩市、西田敏行、渡瀬恒彦、中川安奈(新人)らが出演した映画『敦煌』もすぐに観に行き、感動しました。
これらが伏線として自分の頭の中にあったところ、2001(平成13)年に知り合った、中国西安からの留学生の友人から、「夏休み西安に帰るので、よかったら西安旅行に来ませんか」
と誘われました。

西安とは、玄宗皇帝と楊貴妃が暮らした、中国が、隋・唐の時代の長安の都です。つまり西安は最も華やかなりし時代の中国の都であり、秦の始皇帝の陵や兵馬俑のある歴史都市です。
そして、西安から更に西北へ飛行機で2時間半飛んだところにある敦煌は、中国の最も西端に位置し、シルクロードの拠点として長い長い歴史の移り変わりを見てきた都市です。
小説の『敦煌』や映画の『敦煌』で描かれた莫高窟の中の一つの窟(16・17窟)に密かに隠されていた膨大な仏教の経典は1000年近く、そこに眠っていたもので、その発見は
20世紀最大の発見といわれ、当然、世界遺産に指定されたものです。
また、鳴沙山をはじめ、一面に広がる砂漠とそこを行くラクダの隊商は、本当に歴史のロマンを感じさせるすばらしい風景で、日本では絶対見ることができないものです。
最初は「行きたいな」と思いつつ、「西安・敦煌のような遠いところまでは大変だ」、また「食事も恐いし、暑いし、電話も通じないし....」と考えていましたが、ガイド本を読み、
いろいろ資料を見ているうちに、「思い切ってこの際、西安まで行こう。また、どうせ行くのなら敦煌まで....」と決断。お盆休みを利用して行くことを決心しました。

西安へは、最近JASで大阪からの直行便がありますが、週2便ずつの出発便と帰国便しかありません。そこで8月9日~8月14日と決定。友人は8月6日に中国に帰り、
8月24日に日本に帰ることになったため、結局私は一人で行き、一人で帰ることになりました。
中国旅行は、昨年の大連(旅順を含む)・瀋陽への旅行に続いて2度目。何とかなるワ!」と覚悟を決めて出発。一眼レフのカメラに36枚撮りフィルム30本をもって、
とにかく何でも見てやろう、の精神で旅立ちました。

1日目

西安(シーアン、せいあん)というまち

関西国際空港から西安へはJASの直行便で約4時間。
西安という名前で呼ばれるようになったのは、明の時代の始めから、とのことです。1997年作の香港・日本合作の超大作で、
数々の賞を受けた映画『宋家の三姉妹』でも描かれている、有名な「西安事件(1936年)」以降、西安という名前が日本でも
有名となりました。

1912年に清王朝が滅び、中華民国の臨時大統領となった「孫文」は一時失脚し、日本に亡命しますが、1919年国民党を結成し、
再び活動を開始します。しかし、1925年、孫文は死亡し、その後国民党の実権を握ったのは、日本留学の経験もあり、
親日派の「蒋介石」です。
一方、中国共産党は、1921年に結成されますが、共産党と国民党は、いったん(1924年)、「第一次国共合作」を成立させたものの、
仲が悪いのです。1931年、「柳条湖事件(奉天事件)」発生。
以降、満州事変が始まり、日本の軍隊が、中国本土に次々と侵入していきますが、蒋介石は日本軍と戦うよりも、共産党との内戦を優先しました。
そこで、自分の父、「張作霖」を柳条湖事件によって、関東軍に殺され、抗日戦に燃える中国東北地方の軍閥のボス「張学良」は、
国民党と共産党の内戦を中止させて、一致団結して抗日戦を戦うよう、蒋介石に要求します。そして、共産軍討伐の督促のために、
西安に来た蒋介石を軟禁して、抗日統一戦を迫ります。
蒋介石は迷いますが、命を賭けて自分を救いにきた妻、美齢(宋家の三女)の説得もあり、ついに、「第二次国共合作」が成り、
抗日統一戦線がつくられるのです。このように、西安事件は、長い間対立していた、国民党と共産党の手を結ばせ、共通の敵である、
日本帝国主義に目を向けさせることになった、中国の歴史上大きな意義をもつ事件なのです。

私流の「近代中国史の講義」、はさておき、西安は実は、隋、唐の時代、「長安」の都といわれていた、最も華やかな都です。
現在の西安旧市街地は、東西3.8km、南北2.8kmの城壁で囲まれていますが、昔の長安の都は、この約10倍の面積の広大な都だった
とのことです。奈良(平城京)や京都(平安京)は、この長安の都をまねて、碁盤の目のようにつくられたのです。
城壁の中、旧市街地の中心は「鐘桜(しょうろう)」。城門を開ける合図として、毎朝鳴らされた鐘がある、西安のシンボルです。
逆に、夕方に鳴らされる鐘の終了と同時に、城門を閉じるシステムのものが「鼓桜」で、西門にあります。
四方にめぐらされた城壁は、約20mの幅のものですが、中国に現存する古代城壁の中で、西安の城壁は最も保存状態が良いといわれています。
夜は、鐘桜や城壁はもとより、旧市街地内の大きな建物はライトアップされますので、鐘桜や城壁から見える旧市街地の景色は
「美しい」の一言です。

西安 陜西(りょうせい)歴史博物館前にて

西安 大雁塔(だいがんとう)前の広場にて

2日目

西安

1、朝食・・・午前8時~9時
朝、7時半に友人がお迎えにきて、ホテル近くに新しくできた、評判のいい「永和豆漿」というレストランへ。
ブランコみたいに綱でつられたベンチで、向かい合わせに座っての食事。野菜モノとメン類とギョーザなどを2人で食べて25元(450円位)。
明るい店でおいしかった。

2、兵馬俑(へいばよう)・・・午前10時~午後1時
旅行2日目の8月10日。安くておいしい朝食を終えて、午前9時から車で行ったのが、兵馬俑です。兵馬俑は、西安市内から北東へ、
車で1時間弱のところにあり、「世界の第8番目の奇跡」といわれ、日本人にも大変有名です。ここは、西安を訪れる日本人の観光客は
必ず訪れるところで、「秦の兵馬俑を観光しなければ、中国へ行ったことがないのと同然である」といわれているほどです。
まずは、広大な1号坑にある約6000体の兵馬俑。これには一目見て、圧倒させられます。現在も発掘中の2号坑は、坑の中は、
1号坑に比べれば、たいしたことはないものの、ガラスケースにきれいに陳列された将軍俑や跪射武士俑などは、絵ハガキでよく見るもので、
その美しさに感嘆させられます。
そして、司令部の坑である3号坑は、小型ですが、秦の時代の軍隊のシステムがよく理解できます。
そして銅車馬館と呼ばれる博物館が1号坑の隣にあります。
この兵馬俑の全体の解説は、あらゆる本でされているため、このページではこれ以上述べません。ただ、日本人向けのガイドにも、上手い人、
下手な人がありますので、ツアー客は、その「当たり」、「外れ」によって、楽しさと理解度が大きく異なることだけ
指摘しておきたいと思います。
私は、中国人の友人と一緒だったため、あちこちの日本人ガイドについて回ってその解説を聞いたり、あるいは中国人ガイドの解説を
さらに通訳してもらったり、という形で、楽しみながら、この広大な兵馬俑を見て回りました。そのためガイドの解説の「聞き比べ」を
たくさんすることができました。

3、始皇帝陵(しこうていりょう)
始皇帝陵とは、要するに、秦の始皇帝のお墓です。兵馬俑から西に1.5kmのところにあります。これは時間の関係で、
兵馬俑の帰り道に車の中から見るだけとなりました。
秦の始皇帝(B.C259~B.C210年)は、13歳で即位してから次々と韓、趙、燕、魏、楚、斎の国を滅ぼして、はじめて中国を統一し、
秦王朝をつくりました。39歳ではじめての統一中国の皇帝(始皇帝)となり、10年後の巡行中に死亡しました。
その始皇帝が即位してまもまくつくり始めたのが、自分の陵墓で、37年間かけて、延べ70万人を動員した、といわれています。
始皇帝陵は、山を背にして、水が流れているところ。そうすれば、山水に囲まれて、霊気が湧き、盛んになる、ということで、
「風水学」からみて理想的な地形になっているとのことです。
兵馬俑は東にある6国との戦いに備え、またこの始皇帝陵を守るために陵の東 に設けられています。

4、華清池(かせいち)・・・午後1時~3時
兵馬俑の帰り途にあるのが華清池です。華清池見学は、8月10日の午後1時~3時頃でした。
ここは、中国の歴代皇帝が愛した「避暑地」兼「温泉地」。今でいう一大リゾート地です。とくに玄宗皇帝と楊貴妃が、毎年10月から春までを
ここで過ごしたことで有名です。楊貴妃は、もともと自分の息子の妻だった女性。あまりに美しく魅力的だった楊貴妃を、どうしても
我がものにしたい玄宗皇帝は、息子夫婦を離婚させて、自分の妻としたのです。そして毎年、華清池で、2人で、この世の春を謳歌しました。
しかし・・・。そういつまでもいいことは続かず、2人の春は「ジ・エンド」となります。
玄宗皇帝が入った風呂は、中で水泳ができるように、そしてまた多くの美女と一緒に入れるようにするため、デッカイもの(湯船)と
なっています。これが「九龍湯(蓮華湯)」です。そして、楊貴妃が入ったのは、シンプルサイズの「芙蓉湯(海棠湯)」です。
今から見れば、湯船自体は大理石でもなく、特別豪華なものではありませんが、当時は、温泉につかってのんびりと・・・というのは、
皇帝しかできない楽しみだったのです。温泉の裏山は五間庁という山で、別のページで解説する「西安事件」の際、蒋介石が張学良に
監禁されたところ。「兵諫亭」と呼ばれているとのことです。
実は、私もこんなお話は知りませんでした。
今も湧いている温泉があり、1元(15円)出すと、中に入って顔や手を洗うことができます。中には、上半身裸となって身体を拭いている
オッチャンもいましたが・・・。
温泉の周りには、九龍湖と呼ばれる、大きな美しい湖があり、そこには楊貴妃の大きな像が立っています。唐の時代は、全体的にふっくらとして、
顔もふくよかな女性が美人とされていましたので、楊貴妃もかなりのポッチャリ型です。
男の人を狂わせるほどの美人だったかどうかは、人それぞれの主観の問題でしょうが・・・。

5、半坡遺跡(はんひいせき)・・・午後3時30分~6時
華清池の帰り途にあるのが、半坡遺跡で、8月10日の午後3時30分から午後6時頃まで見学しました。これは、1953(昭和28)年に
発見された、6000年前の「新石器時代」の遺跡です。西安市内から東へ約5kmのところに、こんな、6000年も以前からの歴史的な遺跡が
現存していることには、本当に驚きました。
この遺跡では、新石器時代の生産用具や生活用具など1万点が発見されたとのことで、これらが広大な博物館の中に展示されています。
これも興味深かったけれど、それ以上に面白かったのは、3000㎡の遺跡ホール。ここには、新石器時代を再現した家屋や集落、
そして昔の道や釣りをする池や広場などがあります。製陶や紡績を女性がしていたので、遺跡ホールの中の至るところで、
実際に陶器をつくっており、これをおみやげとして販売しています。
遺跡ホールでずっと流れていたバックミュージックは、この陶器でつくった「オカリナ」のような楽器で吹いている音楽です。
1つおみやげで買って吹いてみましたが、なかなか鳴りません。しかし、少し意地になって、コツを教えてもらいながら10分位練習すると、
「ドレミファソラシド」位はちょっと吹けるようになりました。
また、この遺跡ホールの中の1つは、古代舞踊の小屋。何かと思って、のぞいてみると、15~16歳くらいの可愛い女の子が舞台衣裳を着て、
音楽に合わせて練習中。一番可愛い女の子に「何をやっているのか?」と聞くと、「お客が2人以上集まれば、原始踊りのショーをやる。
料金は、30元(約450円)」とのこと。「ものは試し・・・」、と早速、注文し、友人と2人でこれを見ました。
原始時代をイメージさせる音楽が鳴って、1回5分位で、4ステージほど、可愛い女の子が5、6人で踊ってくれます。
私たち2人だけの観客は、「ワイングラスを傾けながら」ではなく、「ペットボトルの水をチビチビやりながら」、これを楽しみました。
途中で間違えたり、目で隣の子の動きを追って真似をしながらやっていたりするのもご愛嬌で、まぁ「学芸会」に毛の生えた程度のものでしたが、
私にとっては、何とも楽しい初めての経験でした。

6.イスラム街見学~イスラム寺院 清真寺(せいしんじ) ・・・午後6時~7時30分
西安のガイド本には、イスラム街とイスラム料理のコーナーがよく載っています。「回民飲食街」と言って、西安の市街地の西の部分がこれです。
日本の縁日のようなもので、烤羊肉串(シシケバブ/羊の肉を細かく切って串にさして焼いたもの))、
柿子餅(シジモチ/柿を小麦粉とあんなどで焼いた饅頭)などのイスラム料理がならんでいます。
私が、このイスラム街へ行ったのは、西安旅行の2日目、8月10日の午後6時頃、半坡遺跡からの帰りです。
そのイスラム街にあるイスラム寺院で最も大きいものが、清真寺。
奥が長く、行けども行けどもたどり着かないという感じの大きいお寺です。1000人が入れるという礼拝殿の中には入らせてもらえませんが、
数人がイスラム流の礼拝をしている姿を見ることができました。また、イスラム寺院は門を入ってすぐの所に沐浴場があります。ここでまず、
身体を清めてから礼拝するのです。
昔、映画で観た『マルコムX』でのイスラム教の教えやイスラム文化を思い出しました。
その見物の後、中国の友人3人と一緒に、一軒の店に入りました。そして私も、羊肉串を10本位食べましたが、これはおいしかった!
しかし柿子餅は、固くて味がなくて、全然おいしいものではありません。いわば、携行食・非常食のようなもので、日本のお好み焼きや
韓国のチジミの方がよほどおいしい。しかし、値段はとにかく安く、1人200円もあれば十分です。

7、鐘桜(しょうろう)~城壁見学・・・午後7時30分~9時30分
イスラム料理を少し食べた後、「閉館とならないうちに!」、ということで:ライトアップされた鐘桜に友人と2人でのぼり、鐘をつきました。
そしてさらに城壁をブラブラと散歩して、ライトアップされた西安の旧市街地の美しさを堪能しました。もちろん写真もいっぱい撮りました。

8、待望のギョーザの夕食・・・午後9時30分~10時30分
旧市街地内には、有名なレストランがいっぱい並んでいます。その中の1つ、「徳発長(トォファーチャン)」という、
何10種類のギョーザを出すことで有名な店は、どのガイド本にも載っている超有名な店です。友人の家族の話しでは、
「たいしたことはない」とのことでしたが、「やはり一度は食べておかないと!」と主張して、入りました。
お客さんはほとんど西欧人などの外国人ばかりです。正直なところ味は今ひとつ、値段も割り高だと思いました。
同じガイド本に載っている店でも、旅行最終日の8月14日の朝食べた「五一飯店(ウォイーファンティエン)」という、
中国人もよく利用している店はおいしかった。要するに、地元の人がよく行くレストランの方が、
安くて(1人500円もあれば十分)おいしいということです。

9、ホテルへ~就寝
午後11時すぎ、ホテルに帰り、風呂に入ってベットへ。
明日は崋山(かざん)への登山。朝6時のお迎えです。

西安 華清池(かせいち)にて

西安 楊貴妃のお風呂(海棠湯)

西安 華清池(かせいち)の楊貴妃像前にて

西安 半披(はんひ)博物館にて

西安 清真寺(せいしんじ)にて

西安 鐘楼(しょうろう)のほり鐘を打つ

西安 中心市街地の夜景

西安 徳発長の入口 何10種類もの餃子

3日目

1、崋山(かざん)への登山
「中国に五岳(ござん)あり」といわれています。つまり、古代、帝王たちが天地を祭った有名な山が五つあるのです。その一つが崋山です。
ここは、西安の東方約120kmの地にあり、東峯、南峯、西峯、北峯、中峯という五つの峯からできています。
2160mの南峯が1番高い山です。
西安旅行は3日目。朝5時起床で、中国の友人3人と一緒にこの山に登ることになりました。
6時に車でお迎えが到着し、市内の小さい食堂でおかゆと揚げパンだけの軽い朝食をすませ、昼食用の軽い携行食と、りんご・桃を友人が持ち、
私は一眼レフのカメラと三脚だけを大事に持って出発しました。車で約2時間。ウトウトしていると、突然「うわーすごい!」という隣りの声で
目が覚めました。切り取られたような断崖絶壁だらけの山が目の前に広がっていました。
五岳の中でも、崋山は最も険しい山で、「天下第一剣山」といわれているだけのことがあります。日本では、到底お目にかかれない山の風景です。
まずは、ロープウェイに乗り、北峯の麓まで約15分。すごく急なロープウェイですが、ここまでは、「きれいだなあ!」「すごいなあ!」
と言ってるだけですみました。このロープウェイは、中国の改革開放政策が進み、旅行シーズンには観光客が1日5~6万人も
来るようになったので、数年前に完成したとのこと。友人が数年前に登った時は、狭い狭い一本の険しい道を、下からずっと歩き、
山頂で一泊したとのことでした。
ロープウェイを下りたのが午前10時すぎ。そして北峯の頂上(海抜1614m)までは約40分。すばらしい景色を見ながら、
いっぱい写真を撮りました。
そして、それから・・・。これからが大変です。南峯や東峯まで歩くとのこと。フィットネスで鍛えた足には自信があったので、
「ああ、OKよ!」と簡単に言いましたが、それからは、要所要所で写真を撮る以外は歩きずくめ。それも、せいぜい2人しか通れない
険しい道で、鉄の鎖や手すりがなければ本当に危険な石段ばかり。汗だくになりながら、とにかく一歩一歩、歩くのみです。途中で1回だけ
休憩をとり、スイカを食べましたが、そのおいしかったこと!山の上だから値段はちょっと高かった(それでも200円くらい)けど、
その甘さと水分たっぷりのありがたさは忘れられません。
そして・・・。やっと・・・。午後1時半頃、崋山南峯の頂上2160mに到着しました。さすがに写真に写った顔はすごく疲れているようです。
そして、下山。帰りは、登る時に比べれば楽なもの。途中、約30分ほど持参の携行食を食べて休憩。そして、ロープウェイで下山。
下山したのが大体、午後4時頃です。そして崋山から西安への帰り道に、空海のお寺の青龍寺へ寄ったのです
(だから、青龍寺境内をブラブラ見物していると、6時ギリギリとなり、空海記念館は見れませんでした)。
さらに、その青龍寺見学後、唐華賓館の見物をしてから、西安市内のレストランで夕食をとり、その後、唐楽宮で観劇をしたのです。
毎日毎日いかにハードなスケジュールで動いていたか、十分おわかりいただけると思います。

2、青龍寺(チンルォスー、せいりゅうじ)・・・午後5時~6時
日本で有名な弘法大師、空海。この空海が、中国で教えを受けたお寺で、廃寺、となっていましたが、1984(昭和59)年に、
日本の真言宗徒の力によって再建されたのが青龍寺です。
西安旅行3日目の8月11日、華山への登山が終わり、西安市内への帰り途、このお寺に立ち寄りました。
このお寺は、西安市内から西へ、車で約20分位の住宅街の中にあり、桜のきれいな所だということです。境内には、真新しい空海記念碑が
建っています。境内の池のつくり方や石の配置の仕方などは、日本風です。境内をブラブラ回っていて、隣にある空海記念堂に入ろうとした時は、
既に夕方の6時。記念堂の門が閉まったところでした。門をドンドン叩くと、人が出てきたので、「ちょっとでいいから開けてくれ。
中を見せてくれ。写真を撮るだけでいいから」とお願い(もちろん友人が中国語で)しましたが、けんもほろろに断られました。
そこでやむなく門の外から写真を撮って退散しました。

3、唐華賓館(タンホアピンクァン、とうかひんかん) 
大雁塔のすぐ近くに「唐華賓館」があります。日本人客がよく泊まるホテルです。この、旧市街地からちょっと離れた、
落ち着いたたたづまいのホテルに、私の中国の友人が昔勤めていたのです。そのため、私たちは旅行中、ここには2回、顔を出しました。
1回目は、旅行3日目の今日、青龍寺からの帰りで唐楽宮へ行く前。そして2回目は、敦煌から帰った旅行5日目の8月13日の夕方です。
この1回目の時は、時間が少ししかなかったので、友人が昔のホテルの仲間たちとおしゃべりをしただけ。もっともそのおかげで、
私がここで買ったおみやげは、かなりまけてくれました。

4、夕食~唐楽宮(タンロォクオン、とうがくぐう)
西安旅行で事前に日程に入れていたのが、唐楽宮でのショーの観劇です。
この唐楽宮のショーは、事前の予定では、旅行3日目、8月11日の西安見学の終わった後の晩、と決めていましたが、現実には、
華山への登山と青龍寺見学の後となりました。
ここでは、(A)観劇だけの1時間余のコースと、(B)ディナー付のコースの2通りがあります。外国人は大体(B)コースを選びますが、
私たちは、当然(A)コースを選定。なぜなら、日本のホテルでのディナーショーと同じで、食事付きと言っても、値段が高くて、
あまりおいしいものは期待できないからです。
そこで、食事は、中国の友人おすすめのレストラン「老雪花家」に行き、おいしいものをたらふく食べました。
もっとも時間は1時間足らずしかなかったため、ビールとともに、かなりつめこみましたが・・・。そして、ショー見学となりました。
これは、いわば「中国版宝塚」で、楽団はもちろんナマです。中国の京劇も入りますが、テーマとなるショーは大体、唐代の華やかなりし時代を
懐かしむものが多いようです。
しかし1時間ドラマ、2時間ドラマではなく、短い物語をもったショーが次々と続くものです。
私はもともとストーリー性のある劇の方が好きなので、その意味では物足りなさを感じましたが、華やかさという意味では十分堪能できました。
しかし、総合的には、日本の宝塚大劇場での宝塚歌劇の観劇の方が価値あり、また、スーパー歌舞伎『新・三国志』などの方が断然勝ちだ、
と思います。

西安の東方120㎞にある華山(かざん)

西安 華山(かざん)北峯(海抜1614.7m)にて

西安 華山(かざん)の南峯頂上2160mにて

西安のレストラン老雪花家にて

中国(西安・敦煌)旅行記・・・2001(平成13)年8月9日~14日 

〔旅行の動機〕

1.中国の歴史上の興味
北京旅行の動機の第一は、やはり、北京というまちへの歴史上の興味。中学・高校時代の、中国史に重点を置いた世界史の勉強を基礎として、中国という国に私は昔から興味を持っていた。
また、大きな幸運に恵まれて、1回目は大連へ、そして2回目は西安へ中国の留学生の案内で旅行することができたが、北京は絶対に見ておかなければ・・・と思っていたまち。

2.SARS騒動沈静化
2003年2月に突然起こったSARS騒動は大事件となった。これによって中国へのツアー旅行はほぼ全滅。北京や上海そして香港などへの日本人の観光客はほとんどいなくなった。
しかし2003年6月24日にSARSの終焉宣言が出され、7月24日からはツアー旅行が再開された。失った観光客を呼び戻すため次々と格安ツアーが企画販売され、
「中国3日間39,800円」などという破格のツアーも企画された。考えてみれば、ホテルに一泊するのにも1万円かかるのだから、往復の飛行機代、3日間のホテル代、朝昼晩の食事代、
移動の交通費等をどうやってまかなっているのか不思議なほどの「バカ安」料金だ。

3.映画からみる北京への興味
(1)香港を舞台とした映画ではウィリアム・ホールデンとキャサリン・ヘップバーンが共演した『慕情』(55)が有名だが、中国を舞台とした映画で有名なものは何といってもイタリアと中国の
合作映画『ラストエンペラー』(87)。またもっと昔には、チャールトン・ヘストン主演の『北京の55日』(63)やスティーブ・マックィーン主演の『砲艦サンパブロ』(66)等
さまざまな名作があった。映画好きの私は、これらの映画を通じての中国や北京への興味も強かった。
(2)私は最近、中国映画にハマっている。これは2002年の正月休み中に、「中国映画の全貌2002-3」を観て以来のことで、最近その興味が更にどんどん強くなっている。
その結果、2003年8月に出版した私の映画評論本『社会派熱血弁護士 映画を語る SHOW-HEYシネマルームⅡ』では中国映画特集を組み、『さらば、わが愛/覇王別姫』(93)、
『活きる』(94)、『鬼が来た!(鬼子來了)』(00)、『小さな中国のお針子』(02)を取りあげた。最近観た中国映画ですごかったのは、秦の始皇帝暗殺未遂事件を描いた
『HERO(英雄)』(03)。また『春の惑い(小城之春)』(03)もよかった。北京に行って必ず見ておきたかったのは北京駅。それは『北京ヴァイオリン』(03)の冒頭シーンと
ラストシーンに大感激したことによるものだ。またこの北京旅行に行く直前に鞏俐(コン・リー)主演の『たまゆらの女(ひと)』(03)を観て、
産経新聞大阪府下版の「That´sなにわのエンタメ」に掲載する記事を書いた。この映画は昆明と重慶を結ぶ遠距離恋愛を描いたものだが、その意味を理解するためにも、
北京は絶対見学しておかなければならない大都市なのだ。

〔ツアー旅行の功罪〕

1.私の1回目(大連)、2回目(西安)の中国旅行は中国人の友人(留学生)に案内してもらった1人で行くプライベート旅行。これは気ままではあるが、朝早く起き夜遅くまで
ガイド本とカメラを片手にして動き回るハードな見学旅行であり、勉強のための旅行。それに比べるとツアー旅行は、団体で軽く見てまわるだけのもので、あまり勉強にならないものと思っていた。

2.もっとも、1997年の香港旅行は10名弱のツアーで行ったもの。団体でバスに乗り、ガイドの案内を聞きながら見物してまわる気楽なものだった。あまり勉強にはならないものの、
それなりに楽しい旅行だった。
今回は3泊4日、1人49,800円という格安ツアーだったが(もっとも1人1部屋のオプションによる割増料金あり)、さてその結果は・・・?

3.ツアー旅行の良いところは次のとおり。

①何といっても安いこと
前述のように3泊4日で5、6万円はバカ安。
②移動が楽なこと
特に北京は広大なまち。そのうえ万里の長城等の郊外の見学が不可欠な場合、プライベート旅行では移動のための交通手段が大変。その点、ツアーでの移動は極めて楽!
③食事も用意されているから、何をどの店で食べるかについて自分で悩まずに済むこと
中国旅行のポイントの1つはおいしい食事。しかし自分で調べて予約して注文して、では時間がかかる。その点ツアー旅行は楽。もっとも満足できるかどうかはバクチだが・・・。

4.他方、ツアー旅行の心配なところあるいは欠点は次のとおり。

①提携した土産店へ入る日程が組まれていること
これはツアー旅行だから仕方ないかもしれないが・・・。押しつけ、無理矢理とまではいかないものの、当然ながら商品を必死で売ろうとしてくる。もっとも私は買い物も結構好き。
その値切り交渉も面白い。しかし見学・勉強重視の観点からいうと、時間の無駄になってしまう。
②ガイドの案内内容や人柄の良し悪しによって、旅行そのものが良くなったり、逆に悪くなったりすること
③日程以外の動きが制約されること

5.総評
以上のような問題があるが、今回の旅行ではツアー旅行特有の問題点は全くなく、十二分に満足できるものだった。もっとも我々4人のグループのうち、私と相棒の中国人の2人は
公式日程が終わった後もプライベートで日付が変わる直前まで見学し続けた。中国人が一緒だったからそれが可能だったが、日本人2人だけではそれは難しいだろう。
またその場合、朝6時から夜中12時まで目一杯動き回る体力が必要だ。

1日目

1.出発準備
12:40集合、2:40出発の予定だったので、12:30にカウンター前に集合。ところが北京が霧のため、北京から日本へくる飛行機が
まだ到着しておらず、3時間ほど遅れるとのこと。したがって出発は5:40の予定。何ということだ。それでは今日は北京に着いても
何も見学できないではないか!そのために北京で知り合いの中国人に会うつもりをしていたのに、その時間の予定がたたないことに
なってしまった・・・。そこで仕方なく1:00から2:00頃まで軽く食事。2:00過ぎに搭乗手続をとり、荷物を預け、
後は出発を待つだけとなった。


2.やっと出発
5:20に北京からの飛行機が到着し、やっと機内に乗り込むことができた。6:00過ぎに出発。搭乗時間は約2時間30分。
機内食のサンドイッチ、寿司を食べて、北京時間で8:15に北京空港へ到着。入国手続を終えて、ガイドさんのお迎えを受けて
やっとバスに乗り込んだのが9:00前。バスはホテル近くのレストランに寄り、9:00から9:40までそこで軽食。
軽食といっても炒飯なども出てボリュームは十分。軽食終了後バスに乗り、3日間宿泊する華潤飯店
(CHINA RESOURCES HOTEL)に到着した時には10:00になっていた。


3.自由行動
ホテルのチェックインを済ませ10:30頃部屋に入った後、近くをブラブラするつもりですぐに外に出た。しかし結局はタクシーに乗り、
三里屯へ(写真①)。ここはライブハウスなどがある、面白いところというのがガイド本の案内。たしかに外国人がいっぱい集まって
夜中まで歌や踊りを楽しむ店が集まっているが、予想したほど大きくはなく、ちょっとがっかり・・・。ブラブラと(足早に)ライブハウスの並ぶ
賑やかなまちを約1時間歩き回った後、これで三里屯の見学終了と判断して再びタクシーに乗り、0:30ホテル着。シャワーを浴びて就寝。

ホテルに着くやいなや夜の10時から三里屯へ

2日目

1、スタート準備
6:00 起床、朝食
7:30 フロント集合
7:45 バス出発(合計38名)

2、天安門&天安門広場見学
北京旅行のメインの第1は、何といっても天安門と天安門広場の見学。
1949年10月1日、毛沢東が中華人民共和国の成立を宣言したのが、この天安門の壇上だ。あの毛沢東主席の写真が掲げられた赤い門は誰もが知っているはず。
デッカイ「毛沢東主席」の写真と並んで立てば、私も相当な「権力者」・・・?そこに掲げられているスローガンは「中華人民共和国万歳!」と「世界人民大団結万歳」の2つ。
この天安門の南側の広大な広場が天安門広場。何と40万㎡という大広場で、50万人を収容できる大きさだ。とにかくバカデカイ。
天安門広場の周りには、「人民大会堂」、「毛主席記念堂」、「中国革命博物館・中国歴史博物館」、「人民英雄記念碑」など国家の中枢施設がびっしり。その広大さと権力の象徴を
十分に堪能できる。
ちなみに、1989年6月4日の「天安門事件」はこの広場で起こったもの。民主化を要求して、天安門広場に集まった学生、市民のデモ隊に対し、人民解放軍が発砲し、
大弾圧を加えた血なまぐさい大事件だ。それから既に14年。その天安門広場に立てば、中国は大きく変わったことが実感できる。

3、故宮(紫禁城)見学
(1)故宮 総論
天安門広場の北側にあるのが故宮(紫禁城)で、明の時代の1420年に完成したもの。以来、明、清朝の歴代24人の皇帝の居城となり、宮廷が置かれてきた。
そして、ここで清朝最後の皇帝となったのがラスト・エンペラーの溥儀だ。
インターネットで調べたところによれば、故宮を紫禁城を呼ぶのは次の理由によるとのこと。すなわち、「中国古代の星象学では、紫微垣(北極星)は天の中心であり、天帝の居住するところである。
天人対応の思想によれば、人間の皇帝が居住する皇宮は天上の紫微宮に相当する。そのため皇帝の皇宮を紫禁城と称するのである」。
故宮は、大きくは南側が外朝、北側が内廷に分かれている。外朝は皇帝が公式行事を行う場で、オフィシャルな空間。外朝には、南から順に①午門、②太和殿、③中和殿、④保和殿がある。
これに対して内廷は、皇帝のプライベートルーム。これらを一つ一つ見学して回るだけでも大変な時間がかかる。以下、日本人にも著名な「写真映え」のするものだけ、いくつか説明しよう。
(2)雲竜大石彫
保和殿の裏にあるのが雲竜大石彫。この大石は、長さ16.57メートル、幅3.07メートル、暑さ1.7メートル、重さ250トンの一枚の青石。この一枚の青石に九匹の竜が雲の中を行く姿が
彫刻されている。この一枚の青石をここに運んでくるについては、冬の氷の上を滑らせたとのこと。中国人は昔から偉かった・・・。
(3)九竜壁
これは皇極門の前にある石塀。その石塀に描かれているのは、九匹の竜が変化に富む波濤の中で戯れている様子を描いた、美しいもの。青を基調とした色彩が見事だ。
(4)垂簾聴政
内廷で見学したのは、あの悪名高き西太后(1835~1908年)が同治帝(1856~1875年)と光緒帝(1871~1908年)の二人の幼帝を後ろから操ったとされている養心殿。
ここ養心殿の東側の東暖閣にある玉座(皇帝が座るイス)の後ろには、カーテンを隔ててもう一つの玉座があり、ここに西太后が座って、前に座った幼帝に対して命令を出していたというもの。
これが「垂簾聴政」(簾を垂れて政事を聞く)だ。

4、10:35~12:00 愛新覚羅・壽古の書画見学
故宮全体が広大な博物館となっており、72万㎡、約9000の部屋の中には90万点以上の収蔵品があるとのこと。それらをじっくりと見物すれば大いに勉強になること間違いなし。
しかし残念ながら今回のツアー旅行では、それらを見学する時間はほとんどなかった。休憩を兼ねて案内してくれたのは、清朝最後の皇帝溥儀の子孫である愛新覚羅・壽古の書画実演だ。
愛新覚羅・壽古は、1930年生まれで、「国際書画学会」の学術委員、「中国王羲之藝術研究会」の研究員、「世界藝術家聯合会」の理事、「東方詩、書、画、印函研学会」の理事、
「当代肖形印社」の理事、「中華湖社画会」の篆刻家などの役職にある著名な書道家だ。
ここでは、半分「商売」だろうが、愛新覚羅・壽古は、ツアー客の目の前で書を書き、販売している。調子に乗った私は大枚1万円を払って「和」の字を書いてもらい、一緒に写真をパチリ。
更に万里の長城を描いた水墨画も1枚購入。こちらは値切って3万円だが、本当に値打ちがあるのかな・・・?
<バス移動>

5、12:30~1:30 昼食も豪華な四川料理!
急須(茶壺チャアーフウ)を購入。
今日の昼食は豪華な四川料理。その店も、どのガイド本にも載っている有名な「四川飯店」。周恩来首相(当時)じきじきの提案で設立された伝統ある四川料理店とのことで、
たしかに周恩来の写真がたくさん飾ってあった。また日本の橋本龍太郎首相(当時)の写真もあった。四川料理は辛いのが特徴だが、本当に辛かった。特にマーボー豆腐はそのままでは辛すぎるので、
ご飯にかけて食べるとのこと。これはすごく美味しかった。
びっくりしたのは、この昼食の店でもツアー客に対して強引にお土産販売を勧めてくること。ここでは数々の食器や急須などを販売している。結構高い値段を言ってくるが、それを値切るのが面白い。
相手も値切られるのは計算の上。先程の書画の店で経験を積んだ私は、注ぎ口に龍の模様のついた急須(茶壺チャアーフウ)を購入。しかし日本に持って帰って本当に使うのかな・・・?
<バス移動>

6、2:00~3:00 天壇公園(祈年殿)見学
天安門広場の南東にある北京外城部の崇文区にある283万㎡の広大な公園が天壇公園。明代の永楽帝が五穀豊穣を天に祈るため、1420年に建設したもので、
天壇公園は現存する中国最大の祭祀建築物だ。
この公園のメインは祈年殿という円形の木造建築物。皇帝が毎年、正月ここへ足を運んで、豊作を祈ったとのこと。大理石の上に立つ3層の円形建築物は、高さ38m、直径32.7mという
デッカイもの。内部の4本の柱は四季を表しており、その周りの12本の柱は1年12ヶ月を表している。またこの4本の木造の柱は、1本の原木からつくったとのことだ。
そしてこの祈年殿の中には明・清歴代皇帝の柩がおさめられている。
<バス移動>

7、お土産は中国茶(中国茶の実演販売)
休憩を兼ねて、ツアー客への中国茶の実演販売のため、北京朝陽区の工人体育場内にある「聚來軒茶荘」という中国茶の土産店に立ち寄った。ここでは、私たち38名のツアー客を前に、
チーフとおぼしき女店員が流暢な日本語で、①苦甘露茶、②普(三耳)王茶、③蘭貴人(ウ-ロン茶)、④ジャスミンキング(ジャスミン茶)、⑤(三真)紅(紅茶)という5種類のお茶の説明と
その注ぎ方について熱弁をふるい、1種類ずつそれを飲ませてくれるというサービス(?)だ。1番奥の席に陣どった私は、左と右の両方から回ってきた小さな湯飲みが重複したため、
ちゃかりとすべて2杯ずつ賞味。何とも厚かましくも要領のいいことだ・・・。
説明は聞いてもあまりよく分からないが、その香りと味はたしかにグッド。しかし入れ方は結構、難しそう。いつも思うのだが、いくらおいしいお茶を買っても、またもらっても、
家庭や事務所ではそれをゆっくりと味わう暇がないため、いいお茶の値打ちがないことが多い。しかしこういう場所でお茶を味わうためだけの時間をセットして、おいしく入れてもらえば、
そりゃおいしいのも当然。約30分かけて5種類のお茶を味わった後は、いよいよ販売合戦。ここでも私は値切りに値切って、大筒1本3,000円と言われていたものを、
大筒4本に小筒2本をサ-ビスでつけさせて1万円で購入。これはお土産として喜ばれるはずだが、果たして私自身はおいしく飲ませてもらえるのかな・・・?
<バス移動>

8、4:30~5:30 頤和園見学
(1)頤和園とは
北京市内の西北約15㎞にある頤和園は、1998年に世界文化遺産に登録された皇室庭園で、昆明湖と万寿山がメイン。昆明湖は頤和園の4分の3を占めている。
19世紀末のアヘン戦争の時、英仏連合軍によって蹂躙された頤和園は、1888年西太后が莫大な軍費を流用して大改修を行い、自らの隠居所としたものだ。
この頤和園も、どのガイド本にも詳しく紹介されているので説明は省略
(2)美しい昆明湖
私達のバスが到着し、チケットを買って入園したのは4:30頃。人混みの中をぞろぞろと歩き回りながら写真を撮り、十数個並ぶ窓のところにきた。この窓は一つ一つの形がそれぞれ異なるうえ、
そのそれぞれの窓から昆明湖を眺めると、それぞれ異なる景色が美しいということだ。なるほどこれはいい。そして小型デジカメはこういう時に便利。何枚でもパシャパシャと撮れるから、
一つ一つの窓から、昆明湖を眺めながら、一枚ずつデジカメ撮影だ。
(3)ハグレ事件の勃発
ところが、さあえらいことだ!わがツアーに合流しようと思って急いで前に進んだが、相棒もいないし、顔なじみとなったツアー客も誰一人いない。さあ大変だと思って、
さらに勢いよく走っていったが、知り合いは誰もいない。いくら早く歩いても、あの一行がこんなところまで来ているはずはない。はぐれてしまったと悟らざるをえなかった。
そこで仕方なく、急いで、(と思いつつ、どうせ、はぐれたのだから同じことだと思って、湖の向こう側に見える美しい万寿山を撮影しながら)窓のところに戻ったが、ここにも誰もいない。
そこで仕方なく別のルートがあるに違いないと考えて、別のツアーの流れに紛れこんで歩いていくと、何と、すぐに頤和園の外に出てしまった。この間約20分。
(4)異国の地でただ一人・・・
こんな短いルートだったら既にみんなバスに乗っているかもしれない。しかし本当にこんな短い見学ルートなのか・・・?と思っても所詮そんなことはわからない。
「ただここで待つしかない」と腹を決め、一人立って待っていた。じっと立っていると、側にきて声をかけてくるのは北京特有の「売り子」ばかり。それを振り切って場所を移動しながら、
バスを捜し、顔なじみを捜すものの、誰も発見できない。困ったことにバスの駐車場もわからない。そして、今日の夕食の場所は?一人で行けるか?と考えたが、あいにく肌身離さず持っている
バックの中に予定表も入っていない。5時になるとだんだん暗くなり、門も閉まりはじめた。この時間からここを訪ねるツアー客もないため、旗をもった中国人ガイドもいないし、
観光客も次第に減っていくばかり。たまたまアメリカ人のガイドがいたので、「団体用のバスが駐車しているのはどこか?」と聞くが、適切な回答はなし。
逆に、「ホテルのキーは持っているか?」と聞かれ、それを示すと「それを持っていればホテルに帰れるから大丈夫」というだけのつれない返事。「そんなことは俺でもわかってるわ!」
(5)一転して、地獄から天国へ
時間はどんどん経っていく。「さあホンマにえらいこっちゃ!今晩は夕食にありつけないのかな」と思っていると、旗を持った中国人のガイドを一人発見したのでそこに行き、
「携帯でうちのツアーのガイドに連絡をとってくれ」と言って(身振り手振りで)かけてもらっているところに、神様が現われた。顔見知りのうちのバスの運転手の登場だ。
そして後ろには私の相棒も・・・。そしてやっとバスに乗り込んだが、他の客はいない。私はてっきり、バスは夕食の場所へ客を送った後、私を迎えるために戻ってきてくれたものと思った。
しかしその直後にみんなが次々とバスに乗り込んできた。
話を聞くと、何のことはない。私は湖を左回りに回るツアー客の流れについて行ったが、わがツアーは右回りに回ったとのこと。これではいくら捜しても見つかりっこないわけだ。
ここに至ってやっと私は仲間3人以外には誰にも迷惑をかけていないことがわかりひと安心。バスに乗って夕食に向かうことができたし、たっぷりと食欲を満たすこともできた。
以上、「頤和園ハグレ事件」でした。
<バス移動>

9、6:00~6:45 北京〔火考〕鴨(北京ダック)を堪能
今日の夕食は、北京ダックの老鋪の「天聚徳〔火考〕鴨店」。ここはアヒルの丸焼きを最初に始めた店で、北京ダックの代名詞にもなっている店とのこと。
ツアー客の目の前で北京ダックを割いてくれる。もっとも私たちは、目の前に出てくる料理を次々と食べるのに忙しく、実演をゆっくり見物する暇はなし。
ここでもツアー客への美人の店員による販売攻勢。ここで販売するのは1個の石をくり抜いて作ったと言われる重量のある湯のみとおチョコ。価格も日本円価格で、湯のみ2個で3,000円、
おチョコは2個で1,000円というもの。私は即座に「そんなもの、高い!」と鶴(?)の一声。そして「おチョコを2個つけて、2,000円なら買う!」と言ったが、
相手はそれはダメとのこと。もちろん私はそれも計算のうち。すると「敵」もさるもの。別の客に狙いを定めて、少しずつ値引きをしながら商談成立の様子。
私はそれを、「どこ吹く風」と眺めていると、いよいよ帰る間際になって、「敵」が折れてきた。私の条件で全面降伏だ。「してやったり!」と満足。
しかしこの湯のみも日本へ持って帰って本当に使うのかな・・・?
<バス移動>

10、7:30~8:30 オプションは雑技団公演見物
夕食後のツアーに組み込まれているオプションは、「京劇鑑賞」もしくは、「雑技団鑑賞」のどちらか。時間は7:30~8:30で、どちらも1人3,000円だ。
北京電影学院と北京駅を見学したかった私は迷ったが、8:30までなら時間的に十分と判断し、雑技団鑑賞を選んだ。
京劇は大阪のNHKホールで、『白蛇伝』を観ている。また中国映画の『さらば、わが愛/覇王別姫』(93年)、『活きる』(03年)等で、京劇とはどういうものかということは分かっている。
他方、雑技団はテレビで観たことがあり、そのアクロバット的なもの凄さにびっくりしたことがあり、是非1度、生で実物を観てみたかった。開始時間直前に劇場に入ったが、約7割の入り。
私たちはどんどん前の席に歩いて行き、厚かましくも前から2番目の中央付近の席に陣どり、望遠レンズとストロボを使っての写真撮影。絶好の撮影位置だから、シャッターチャンスを逃すことなく、
出しモノの決め手、決め手でバッチリ。50枚以上の見事な写真が撮れ、大満足の1時間だった。もちろんその演技にも大拍手!

11、8:30~12:00 プライベート自由行動
<自由行動その1>
北京の北方の門=徳勝門見学

雑技団鑑賞は8:30きっかりに終了。一緒に観たツアー客はみんなお迎えのバスに乗ったが、私と相棒はここでバイバイし、別ルートで①北京電影学院と②北京駅の見学に向かうべくタクシーに。
しかし乗り込んだタクシーの運転手と相棒が中国語でしゃべった結果、地理的に先に北京の北方の門である徳勝門の見学がベター。そして北京電影学院はその後で見学し、ラストが北京駅、
そしてホテルへ帰るコースがベストとのこと。
そこで率直に運転手のアドバイスに従って、最初は徳勝門の見学。ここは、現在残っている最も古い北京の北方の門とのこと。しかし既に灯が消えていたためあまりよく分からず、
またうまく写真が撮れなかったのは残念・・・。

<自由行動その2>
北京映画製作所&北京電影学院

(1)北京電影学院は北京のいわば映画学校(大学)。1950年に設立され、1学科の定員は約160名で監督学科、演技学科、撮影学科、美術学科、録音学科等に分かれている。
中国では1949年10月1日の新中国建国後も、さまざまな混乱があり、1966年から1976年の10年間にわたって吹き荒れた毛沢東の指導による「文化大革命」の真っ最中は、
この「北京電影学院」も「閉鎖」という「冬の時代」を余儀なくされた。
2003年8月に日本で公開され大人気となった『HERO(英雄)』の監督は張藝謀(チャン・イーモウ)。そして同じ始皇帝暗殺未遂事件を扱った1998年の『始皇帝暗殺』の監督は
陳凱歌(チェン・カイコー)。私の好きな『北京ヴァイオリン』(03)の監督も陳凱歌だ。また『春の惑い(小城之春)』(02)は田荘荘(ティエン・チュアン・チュアン)監督だ。
第五世代監督と呼ばれる彼らは、文化大革命がおさまり、1978年に再開されたこの北京電影学院を1982年に卒業した第一期生だ。
これらの中国映画と第五世代監督との関わり、さらに北京電影学院のお話は、私の映画評論本『社会派熱血弁護士 映画を語る SHOW-HEYシネマルームⅡ』を参照。
また石子順著『中国映画の明星』(2003年、平凡社)と『中国映画の明星 女優篇』(2003、平凡社)が詳しいし、非常に興味深い。
(2)「中国映画祭’88」には「北京映画MAP」という地図があり、そこには北京の映画に関するあらゆる施設が記載されていた。どうしても北京電影学院を見学したいと思っていた私は、
このMAPをコピーして持参していたため、これをタクシーの運転手に示して北京電影学院に行ってくれるよう指示した。そこで到着したのが北京映画製作所。
私はここがてっきり北京電影学院だと思った。そこには看守がおり、門は半分閉じられていたが、写真撮影はOK!とのこと。そこでお言葉に甘えて数枚の写真をパチリ。
(3)その後またタクシーに乗り込んで、映画MAPを示し、他にも見るところはないかと運転手に質問。すると運転手は角を曲がってすぐのところに案内してくれた。
すると何とそこが本物の、私が目指していた北京電影学院だった。
ここにも看守がおり、門は半分閉じられていたが、写真撮影はOK!中にはいくつかの建物があり、電気もたくさんついている。聞くところによれば、ここには学生の寮もあり、
ここで生活している学生もたくさんいるとのこと。入口で何枚かの写真を撮った後、中に入って写真を撮ってもいいかどうかを看守に確認するとOK!そこで勇んで中に入り、
「教学楼」(校舎)などで写真を撮った。さらに北京電影学院の学生とおぼしき女子学生がいたので、ちゃっかりと一緒に並んで教学楼を前に写真撮影だ。
彼女が大スターに成長したら、この写真の価値も一躍・・・。
(4)このような形で今回の北京旅行の1つのこだわりであった北京電影学院の見学ができて大満足。さて次の目標は?それは、あの陳凱歌(チェン・カイコー)監督の映画
『北京ヴァイオリン』の舞台となった北京駅だ。

<自由行動その3>
北京(西)駅

(1)北京には北京駅、北京北駅、北京南駅、そして北京西駅がある。私は地図上で北京駅は何回も確認していた。そして最近完成したのが北京西駅とのこと。
これは天安門広場から約3km南西に位置しており、天守閣のような建物を上部にいただいた広大で立派なもの。また夜も明々とライトアップされて、美しい。
(2)そして私が、『北京ヴァイオリン』の舞台となった北京駅だと思ってタクシーが行ってくれたのが、実は北京西駅だった。
だから私はこの北京西駅をてっきりあの『北京ヴァイオリン』の舞台となった北京駅だと勘違いしたまま、ここを見て回ったことになる。
『北京ヴァイオリン』の冒頭のストーリーでスクリーンに登場する駅構内のエスカレーター、そしてそのエスカレーターでの、天才少年ヴァイオリンニストのチュンと金持ちのパパに
お金を貢がせる若い女性リリー(陳凱歌の夫人の陳紅(チェン・ホン))との出会いは印象的だった。そして、またラストシーンとなった駅前でチュンが父親を想って
「チャイ・コン(チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲)」を弾く場面は、涙なしでは見られない感動的なものだった。
以下、北京駅と北京西駅とを勘違いしていたことを前提とした上で、私の感動を伝えたい。
(3)まずは、北京西駅の北入口から入り、あの印象に残っているエスカレーターの前で写真撮影。しかしいざそこに立って見ると、何の変哲もない、ただのエスカレーター。
あたり前といえばあたり前だが、多少がっかり・・・。次に構内の売店でビールを買って飲みながら、いったん外へ出て、待っていてくれたタクシーに乗り、今度は反対の南入口の方へ。
ここが大きな広場となっており、あの感動的なラストシーンが撮影されたのがこの広場だ。ライトアップされた建物をバックに写真を撮って、大満足。

<ホテルへご帰還>
以上のとおり自由行動が終わり、タクシーに乗ってホテルへご帰還。ホテル到着はちょうど0:00になっていた。そしてホテルの前で、雑技団鑑賞の終了した8:30からホテル着の0:00まで
お世話になったタクシーの運転手と握手しているところを写真に撮って、バイバイ。本当にお世話になりました。ちなみに約3時間半のタクシー代は、240元(約3,200円)でした。

3日目

1、スタート準備
6:00 起床、朝食
7:30 フロント集合
7:45 バス出発(合計34名、4名キャンセル)

2、8:30~9:30 七宝焼見物
3日目の朝一番の目的地は、七宝焼を製造販売している店の見学。これはもちろん、旅行社のJTBとタイアップしてのツアー客への販売戦略だ。七宝焼は美しい焼き物で、あざやかな色が特徴。
そしてすごく重い。説明を聞き実演を見て驚いたのは、本当に細かい作業を一つ一つ手作業でやっていること。こんな事をやっていたのでは、一枚の絵をつくったり、
1つの壺をつくるのに1ケ月ほどかかるのでは・・・?と思ったら、本当にそれ位かかるらしい。こりゃ大変だ。
広い店内には大きな壺から、小さな飾りモノまでたくさん展示されているが、私が興味をもったのは、ここでも七宝焼の絵。中国特有の馬の絵や、美人画も多いが、私には万里の長城の絵が
目についた。標準的なサイズのもので800元(約11,000円)とのこと。この店は「国営の店だから値段交渉は一切できない」とあらかじめガイドから聞かされていたのでムリかと思いつつ、
交渉してみたがやっぱりダメ。それじゃやめた・・・と思って、店内をグルグル見ていると、万里の長城を描いた更に大判の絵を見つけてしまった。こちらの方が当然豪華だし色づかいもキレイ。
そしてこれは2,000元(28,000円)だ。これは結構気に入ったものの、重いので日本まで持って帰るのは大変。しかし迷ったあげく、結局購入。日本に帰り、事務所に飾ってみると、
結構立派なもので、よい買い物をしたと大満足。
<バス移動>

3、10:00~11:30 明の十三陵見学
(1)十三陵
万里の長城へ行く前に見学するのは、明の十三陵。ここは北京の西北郊外、約50km離れた昌平県天寿山麓にある明代皇帝の陵墓群で、第3代成祖永楽帝はじめ13人の皇帝と23人の皇后などの
お墓が集まっている。世界的に最も有名な皇帝のお墓は西安郊外にある秦の始皇帝陵だが、明代の皇帝も自分のお墓をつくっていたわけだ。しかしなぜ明代の皇帝のお墓だけは
ここ1カ所に集まっているのだろうか?
十三陵のすぐ近くには、果樹園と北京では珍しいゴルフ場もある。十三陵の広さは40k㎡で、その中のあちこちに歴代皇帝のお墓があるわけだ。最も有名でツアー客が見学に訪れるのは
そのうちの定陵。私たちツアー客が見学するのもここだけだ。
(2)定陵の地下宮殿
定陵は明の第13代皇帝、神宗万暦帝の陵墓。十三陵の中で最初に発掘された(1956年)陵で、地下宮殿が有名であり、定陵博物館として一般公開されている。
深さ27m、建築面積1195㎡の石造の地下室で、玄宮とも呼ばれ、前殿、中殿、後殿と、中殿の左右の横殿の5殿からなっている。この定陵地下宮殿は秦の始皇帝の兵馬俑と同じように、
全く偶然に発見されたもの。この中には万暦帝と2人の皇后用の棺があり、また3人の玉座がある。玉座の前の大きなツボは、永久に灯を消さないために、油を入れていたものだが、
油が切れる前に酸素が切れてしまったため、灯は消え油だけ残った、というお話は何となくもの悲しい限り。また、外部から侵入者が入るのを防ぐため、
代理石の扉を内部から封鎖するための手段として「自来石」なるものがある。
さて、その封鎖のテクニックとは?よ~く考えてみよう。
この十三陵は写真撮影禁止であるうえ、内部を見学についてのチェックが厳しく、空港のゲートをくぐるのと同じような手荷物検査がある。
それは、ここが2002年に世界文化遺産に指定されたためだが、ちょっとうっとおしい感じ。
<バス移動>

4、12:00~12:40 万里の長城(八達嶺)前のレストランにて昼食
バスの中でひと眠りして着いたところは八達嶺の前。目の前に突然現れた万里の長城に感激。これからそこに登るわけだが、その前に向かいのお土産屋を兼ねた大きなレストランで、お昼の弁当。
弁当といっても、幕の内弁当のような小ぎれいなものではなく、大きなお盆に結構たくさんの料理が盛られており、お腹いっぱいになるほどのボリューム。
また最初に大皿いっぱいの生野菜が出てきたのにはびっくり。ビールはやめようかなと思ったがやはり1本飲んでしまった。

5、1:00~2:15 万里の長城見学(自由行動)
(1)八達嶺の威容
北京旅行の第2のメインは万里の長城の見学。もっとも、万里の長城といっても、ツアー旅行で訪れる一般的パターンは八達嶺だけ。その内容についてはどのガイド本にも詳しく書かれているので
ここでは省略。幸いなことに今日は上々の天気。晴天の青空の中に浮かび上がる八達嶺の長城は本当に美しく威容を誇っている。
帰国して新聞を読んだところ、11月3日は大阪御堂筋では雨の中で阪神タイガースの優勝パレードが挙行されたとのこと。その同じ日に万里の長城の見学にきた私達に晴天を恵んでくれた神様に
何よりも感謝。
(2)体力には自信あり!
ツアー旅行の欠点は、時間的に制約されること。前後の日程の都合のため、長城見学の自由時間は1:00から2:15までの1時間15分だけ。この間に長城の上まで登り降りしなければならない。
もっともロープウェイもあるが、そんなものに乗る気はさらさらなし。また、私達は写真をたくさん撮らなければならない。さあ大変だが、体力と脚力には自信あり。勇んで登頂開始だ。
なお、八達嶺には男坂と女坂の2つがあるが、人気は女坂。ほとんど全員が女坂に登っている。ガイド本では、女坂の昇り降りには3時間、男坂は1時間30分とある。
もちろん私達ツアー客はみんな女坂に挑戦だが、お年寄り夫婦などはロープウェイを利用。
(3)気温の読みは大間違い!
「北京は寒い」、ましてや「郊外にあり、高地にある万里の長城は風が強くて寒い」と聞かされていた私は、セーターを着て、冬のコートを着て出発。もっとも今日は上天気なので、
さすがにマフラーはやめたが、コートまで着たことをたちまち後悔。階段やスロープを勢いよく10分も歩くとたちまち汗ばんできた。途中写真を撮る時だけ立ち止まり、
後はほとんど駆け足状態で駆け登っていったが、帰り時間に20~30分かかることを考えると最高峯まではとても無理。次峯までであきらめざるをえなかった。帰路は写真撮影も含め、
ほとんど駆け足状態。集合時間の2:15に3分遅れで走り込んだ。晴天と美しい景色と雄大な長城を満喫できたことに大満足!
<バス移動>

6、3:30~4:00 お土産店ー翡翠の店
バスが立ち寄るお土産店は、今度は翡翠を販売している店。
えらく元気のいい店長さんが声を張りあげて、安物から高級品まで品揃えしていることを説明し、「売らんかな!」の姿勢。しかし残念ながら、私は宝石類には全然興味なし。店内をざっと見回り、
お茶を飲んでトイレに行くと、相棒から、「裏にグッチの店があるよ」言われ、そちらの方が面白そうなので、覗きに入った。ここはいわば、グッチその他のブランド品のバッグやサイフ、
時計等の「ニセモノの高級品」売り場。ここで面白半分に値段交渉をした結果、バッグとサイフを購入する羽目になってしまった。

7、4:40~5:50 王府井散策
(1)高級デパートにて
バスは中心部に入り、故宮のすぐ東にある北京随一の繁華街、王府井の散策となった。
ここでの自由時間は4:40から5:50まで。王府井最大のデパートは「新東方市場」だったが、最近は新しく新世紀デパートができている。
まずは、お土産として買ってきてくれと頼まれていた高級品を買うために「新東方市場」に入って、目的達成。
(2)誘惑される屋台の香り
また、ここ王府井には多くの屋台が並び、その前を歩くと美味しそうな匂いがプンプン。食べ物の主なものは、「〔火考〕羊肉串」(羊の串焼き)や「イカ・エビなどの串焼」だが、
その他にもいろいろある。たとえば「ちまき」や「何種類かの果物を固めたもの」(日本の夜店のリンゴ飴のようなもの)、「アイスクリームを揚げたもの」など。そして珍しいのは、
ヘビ、カエル、スズメの串焼きなどだ。実にさまざまなものがあり、どれも1本5元(70円)程度。食べたいのは山々だが、夕食前に食べるわけにはいかず、ここはぐっと我慢。
(3)安物店めぐり
高級デパートはさておき、安物店めぐりが楽しい。解散地点のすぐ角にあった、小さなカバン屋に入り、キャリーバッグを見ると、結構大きくてしっかりしたもので、
一番安いものが80元(約1,000円)。お土産を入れて持って帰るのに最適と判断して、1コ購入。これを転がしてバスに乗り込むとガイドが驚いていた。
1時間余りの散策はあっという間に終わり、いよいよ夕食に向けて出発だ。
<バス移動>

8、6:30~7:30 宮廷料理堪能
北京旅行最後の夕食は何と宮廷料理。しかもそれを味わう店は北海公園内にある有名な「〔イ方〕膳飯荘」。北海公園は故宮のすぐ西北にある公園で、遼、金、元、明、清の歴代の皇帝の
御苑だったところ。公園の半分以上は北海と呼ばれる美しい池だが、残念ながら夜のため、あまりよく見えない。夏はこの池にボートが浮かぶらしい。美しい公園だから、
ライトアップすればアベックの絶好のたまり場所になるのでは・・・と思うが、全体的に暗くて、歩くにも不便なほどだ。
「〔イ方〕膳飯荘」では清朝の宮廷衣装を着た女性たちが迎えてくれ、料理を運んでくれる。前髪には大きな花を飾り、履いている靴は一本歯の高下駄のような布鞋。これはいわば京都の舞妓さんが
履く「ぽっくり」と同じようなものか・・・?厚かましい私は、この美しい女性と二人並んで写真撮影もバッチリだ。この店の宮廷料理は、質、量ともに十分満足できる内容。
ビールも15元(約200円)と安い。もっとも、このコース料理の正規料金そのものは、100~500元(約1,500~7,000円)だから結構高価なもの。
3泊4日、49,800円のツアーで、こんなにおいしい宮廷料理を食べさせてもらって大満足だ。

9、プライベートの自由行動
夕食を終えてツアー客はみんなバスに乗り込んだが、私と相棒はタクシーでまた王府井へ。「新東方市場」の地下に入り、お土産になりそうなソーセージや中国のお菓子類をしこたま買い込んだ。
そしてまたさっきのカバン屋に寄って、もう1つキャリーバッグを買い、さらに高級そうな安モノネクタイも購入。そして安モノの店を2、3軒はしごしたり、写真を撮ったり。
またここで袋に入ったお土産用の北京ダックも購入した(デパートでは38元、店では30元)。
するとそこに寄ってきたのは北京名物の三輪自転車(人力車)、これは王府井周辺の散策にちょうどいい。2人でこれに乗って約30分周辺を走り回った。
途中、CDの海賊版を売っている店に立ち寄り、今人気の「12Girls Band 女子十二楽坊」や「張国栄(レスリー・チャン)の一切随風」等のCDを約15元(250円)で購入。
バカみたいに安い値段にびっくり。
三輪自転車(人力車)で店じまいをしかけている屋台の前を通ると、屋台のオジさんが果物を固めた串をくれたので、食べようと思ったが、腹はいっぱいだし、硬くて甘くて食べられず、
結局捨ててしまった。三輪自転車のドライバー(?)も親切、ガイド付きで50元とは安いものだ。
11:30頃散策終了。タクシーに乗ってホテルへ。今日はホテルでマッサージをして就寝だ。マッサージ代は45分で2500円。日本の約半値といったところか。おやすみなさい・・・。

4日目

1、スタート
5:30 起床、朝食
7:00 フロント集合
7:15 空港へ向けてバス出発

2、さあ、帰国
今日は飛行機に乗って帰るだけ。10:20出発の飛行機だから、7:00フロント集合とのこと。5:30に起きて、朝食を済ませ、荷物の整理と料金の精算だ。
全員を乗せたバスは7:00過ぎにホテルを出発。幸い道路は渋滞しておらず、8:00前に空港に到着。38名分の搭乗手続きや荷物のチェックに結構手間取り、ガイドと別れたのは9:00過ぎ。
免税店を少しブラブラ歩いていよいよ帰りの飛行機に乗り込んだ。
そして、順調に日本時間で12:30に関西国際空港に到着した。さあ、これから事務所に戻らなければならない。仕事が溜まってるぞ・・・。

〔総評〕
3泊4日の北京旅行だが、実質観光できるのは2日目と3日目の2日間だけ。しかしツアーの日程だけでもかなり充実した見学内容になっていたし、食事も十分堪能できる内容だった。
またホテルの部屋も十分だし、朝食のバイキングもオーケー。何とも充実したツアー内容だった。
そのうえ、私たち2人はプライベート行動として、夕食終了後の見学もいっぱいの内容。余分に数時間分の見学を楽しむことができた。これは到着した1日目も同様だから、
結局3日間とも夜の0:00までフルに見学に動いたことになる。
またガイドや同行のツアー客たちにも恵まれ、十二分に満足できるツアー旅行を楽しむことができた。また何よりもありがたかったのは、晴天に恵まれたこと。とくに日本で雨が降った11月3日、
万里の長城が快晴に恵まれたことに感謝。これからもまた何度も行きたいものだ。

再見(ツァイ・ツェン)。謝謝(シェー・シェー)。

杭州、紹興、烏鎮旅行記・・・2004(平成16)年3月31日~4月3日

〔旅行の動機〕

1 ツアー旅行の楽しみを実感

 昨年(2003年)11月1~4日の北京へのツアー旅行を契機として、私はツアー旅行の良さを十分体験することができた。その良さの第1は、何しろ値段が安いこと。
そして第2は、移動や食事について時間のロスが少ないことだ。2泊3日、3泊4日の旅行なら、土日祝を含めて簡単に行けるなと思っていたところ、3月末日にANA、JALが共に杭州直行便を
就航させたことに伴う記念ツアーを販売していることを新聞広告で見たため、即決したもの。私にとっては、3月31日(水)~4月3日(土)という平日の旅行は、事務所の仕事の関係で
多少心配もあったが、昨年10月入所した吉岡寛子弁護士がいれば大丈夫、と割り切って出かけて行った。

2 はじめての父娘旅行

 今回の同伴者は、私の長女の坂和奈央子(19歳)。現在、大阪大学法学部1回生で、ちょうど春休み中だから時間的には旅行可能。
昨年は妻と2人で上海へ2泊3日の旅行に出かけたことがあるものの、年頃の娘が父親と2人だけの海外旅行をオーケーと言うかどうか、半信半疑のまま、「行くか?」と聞くと、
「うん、行く」と言ったのでひと安心。たまには(というより、はじめての)、父娘の2人旅行もいいものだと思って楽しみにしながら、ガイド本を買い、
あらかじめ旅行記の枠組みや筋書きも用意しながら、出発日を待った。

3 勉強半分と写真撮影半分の取材旅行

 私の杭州や紹興や烏鎮についてのガイド本等による事前の勉強はかなりのもの。西湖十景から、紹興における魯迅や周恩来の知識まで、一応の情報は頭に入れたつもり。
また娘も写真を撮るのは好きだから、カメラとデジカメによる写真撮影はかなりの量になる見込み。一眼レフのカメラ1台と一眼レフのデジカメ1台、そして小型のデジカメをそれぞれ1台ずつ、
という装備で、SDカードの準備(ボリューム)も万全。もちろん毎日のバッテリーの充電対策も十分だ。事前の父娘の入念な打ち合わせは、まず第1に写真撮影のやり方。そして第2は、
父娘のわがままが出て、旅の途中で父娘ゲンカにならないようにするための注意事項の確認。これで準備は万全のはずだったが・・・?

1日目

1 日本航空 杭州線直行便 就航記念ツアーセレモニー(9:40~10:00)

 私たちの杭州(こうしゅう)3泊4日ツアーは、日本航空 杭州線直行便就航の第1便。10:25出発のため、搭乗ロ前に9:40頃到着すると、ちょうどセレモニーの真っ最中で、
お歴々によるあいさつ中。杭州は中国名では「Hangzhou(ハンジョウ)」と呼ばれているため、日本航空のお偉さんのあいさつは、「多くの人々に関空から杭州へ出かけてもらい、
『商売ハンジョウ』となりたいものです。」とつまらないシャレを交えたもの・・・。そして、このようなセレモニーではお決まりのテープカット。そこでパチパチと何枚か写真を撮り、
しばらく待った後、いよいよ搭乗手続開始。
出発前の退屈しのぎになったセレモニーだが、それ以上に嬉しかったのは、本日限りのプレゼント。直行便就航記念のためにもらうことができた記念品は、JALの旅行タッグと
1000円分の電話のプリペイドカード。もっとも、このプリペイドカードは国際用のためなかなかその使い方がわからず、ちょっとした騒動となったが・・・。
<飛行機搭乗 10:25~1:20(中国時間0:20)>

2 杭州というまち

 杭州市は、上海の東西に位置する浙江省(せっこうしょう)の省都で、美しい西湖で有名。13世紀に杭州を訪れたマルコポーロは、杭州を「世界で最も美しく華やかな街」と絶賛している。
また、「生まれるなら蘇州、住むなら杭州、食べるなら広州、死ぬなら柳州」と言われるほど住みやすいまち。これは水と気候と美しい景色に恵まれているためだ。西湖の東側に中心市街地があり、
南から東へ銭塘江(せんとうこう)が悠々と流れ、杭州湾に注いでいる。しかし、この銭塘江は、陰暦の8月18日に海水が銭塘江を逆流して高波が押し寄せるという現象が名物で、
これを「銭江観潮」という。これを見るために多くの見物客が訪れるが、一歩間違えば危険。また銭塘江には、西湖のまっすぐ南にある六和塔のあるところにかけられた銭塘江大橋のほか、
東に向けて四橋、三橋、ニ橋、一橋がある。そしてニ橋は、2階には鉄道が走り、1階は上海に向かう高速道路となっている。

3 杭州到着、バス乗り込み

(1)予定どおり10:25に出発したがフライトは少し遅れて、日本時間1:20(中国時間で0:20)杭州蕭山国際空港に到着。出国手続を済ませた後、出口で、JTBのガイド(女性)を
見つけて、ツアー総勢26名の集合となった。ガイドさんの名前は張紅英。なかなかの頑張り屋さんで勉強家。そしてよくしゃべるし、しゃべりはさすがにうまいもの。
そして、ガイドが持つ旗を先頭にバスへの乗り込みだが、最初からバスの1番前の座席に座ろうと狙っている私は、さりげなくガイドの後ろについて、話しかけながら全体の様子をうかがっていた。
そしてバスの腹へ積み込むトランクを置くと、タイミングよく1番にバスの中へ乗り込み、思惑どおり、運転席(左ハンドル)うしろの1番前の座席へ。すぐ右隣はガイドの席だ。

(2)このツアーには、写真班として若いカメラマンの女性が1人付いていた。空港からバスへ向かう途中にも、前に立ってパチパチと撮影していたので一瞬サービスかと思ったが、
そんなはずはない。私たちのツアー旅行にずっと同行して写真撮影をし、最後にこれを1人ずつ立派なアルバムにまとめて売り込もうという算段。

 このカメラマンの女性は、事実上、ガイドの助手の役割を果たしてくれるので、私のように、真面目に旗の後ろにゾロゾロと付いて歩かず、ややもすれば少し離れて単独行動
(主に写真撮影だが)をする人間にとっては、はぐれる危険を少しでも防止することができて大助かり。写真を買うか買わないかは、最後の最後に決めればいいわけだから、
カメラマンも旅の途中は当然親切で愛想がいい。

(3)杭州蕭山国際空港は、杭州市内の東方にあり、2004年1月に開港した新しい空港で、それまでは小さな空港しかなかったとのこと。この新空港から市内に入るまでの高速道路の両側には、
美しい田園風景が広がっているが、市内近くになると目立つのは、4階建ての瀟洒なアパート群。中には古いものもあるが、ほぼ90%は真新しいものばかり。
なぜこんな立派なアパート群が続いているのかについて、ガイドの説明によると、「市内から移転した農家が、豊かないい土地をもらったから」ということらしい。彼らはここで野菜や果物を
栽培しているが、それがすべてではなく、今では家を貸したりして不動産収入を得て、かなりリッチな生活をしているらしい。ガイドの説明にも、一瞬、羨望の目がかすかに見えたものだ。

<バス移動(1:00~1:30)>

4 霊隠寺(れいいんじ)見学(1:00~1:30)

 ガイド本によれば、霊隠寺は杭州で1番有名な禅宗のお寺で、西湖から西へ2キロメートルの山中にある。326年にインドの僧慧理が建立した。中国禅宗十大古刹(寺院)の1つ。
確かに広いお寺の中には、石仏がいっぱい。五代から元代にかけて彫られた合計338体の石仏があるとのこと。 その中でも青林洞の西岩壁上の、951年に造られた座像は、
大変貴重で、どのガイド本にも載っているもの。

<バス移動(3:00~3:15)>

5 茶屋 龍井茶試飲(3:15~3:30)

 中国ツアー旅行につきものの、お茶の実演と販売が、ちょうどメイン見物の合間にタイミングよく入っていた。杭州のお茶は龍井茶で有名。私たちが行ったのは「楼寒村」という一面お茶畑の村。
ここでは、茶もみの実演を見せてくれるほか、試飲させながら言葉巧みにお茶の販売攻勢。今はちょうど4月で、新茶を採っているところだが、新茶は高い。私たちが透明のグラスで飲んだお茶も
昨年のものとのこと。値段のランクもいろいろあり、結局私が買ったのは・・・。「○本買えば△をサービス」という中国流のやり方はいつものことだが・・・。
そして、最後のギリギリの値段交渉の成果は・・・?

<バス移動(4:15~4:30)>

6 六和塔(りくわとう)見学(4:30~5:00)

 この頃、私の旅行では珍しい(?)ことに、少しだが雨が降り始めた。しかし見学に大きく支障になるようなものではなかったのは幸い。六和塔は、ガイド本では1番有名な、
銭塘江(せんとうこう)の北岸にある月輪山に立つ塔。呉越王の銭弘俶が、銭塘江の高波を鎮めるために970年に建立したもので、この塔の最上階からは、銭塘江と江南の風景を
眺めることができる、とあった。しかし結局私たちは時間不足のため、塔の上には登らず、周辺を見学し、写真撮影だけで終了。

<バス移動(5:00~5:30)>

7 ホテル「杭州黄龍飯店」へチェックイン(5:30~6:00)

 「杭州黄龍飯店」(ドラゴンホテル)は、1号館から3号館の3棟からなる4つ星ホテルで、名前からわかるとおり香港系のホテル。屋外プールやたっぷりと広い庭園を備えた立派なホテル。
多分杭州で1番立派なのは「香格里拉飯店(シャングリラホテル)」だろうが、ガイド本によると「ショッピングセンターやレストランなどの設備は杭州一で、ビジネスマンがよく利用している」
と書かれている。玄関から中に入ると、その説明に偽りなし。明るくて広く、本当に立派なホテル。私たち父娘が入った部屋は1号館の530号室。もっとも部屋はそれほど広くはなく、
日本のホテルと同じような、ごくふつうのツインルームという感じ。大連で泊まった「香格里拉飯店(シャングリラホテル)」はすごく豪華だったし、北京で泊まった「華潤飯店」の部屋も
もっと広かったから、それと比べるとごく普通の部屋。しかし私たちにはこれで十分だ。

<バス移動(6:00~6:30)>

8 夕食 杭州市主催歓迎パーティー(6:30~8:00)レストラン「紅泥花園大酒店」

(1)1日目の夕食の特徴は何といっても、JAL直行便就航記念のため、「杭州市主催歓迎パーティー」とされていること。大きなホテルの会場で、この日に日本から杭州へ入った
すべてのツアー客が一同に介して立食パーティーでもやるのかなと思っていたらそうではなく、我々26名のツアーだけの夕食会に、わざわざ杭州市長とJTBの中国支店長が出席してあいさつし、
一緒に食事するというスタイルだった。3月31日のJAL10:25発の直行便第1便を利用したJTBツアーの客のみにセットされた特別の夕食というわけだ。 

(2)まず市長(女性)のあいさつ。杭州の歴史を述べ、その良さを語り、直行便の就航によって、より日本の旅行客と親しくなれることを率直に喜んでいることがよくわかる実にうまいスピーチ。
当然とはいいながら、やはりしゃべりはうまいものだと感心。食事中、私の名刺を渡したので、今後、何かの仕事上のお付き合いができるかも・・・。

 それに比べると、JTBの中国支店長の話は合格点スレスレ・・・?。自分がはじめて杭州を訪れた時の体験を踏まえながら、「1日目では杭州の良さはなかなかわからないでしょうが・・・」
から入ってきた。私は「お前はバカか」、「そんなことはないよ」と内心思いながら、自分の体験を押し付けるあいさつはダメと採点。もっとも、支店長も、今日の直行便就航記念パーティーは、
JAL・杭州市その他の協力を得て十分満足できるお値打ちのツアーができたと思う、と自信満々。「十分に満足して下さい」と結んだのは当然だが・・・。

(3)中国ツアーでの夕食は質量共に十分満足できるものが多い。ここでも十分満足。そのうえ、直行便記念ツアーのため、ありがたいことに、この夕食会ではビール・紹興酒はサービスで、
飲み放題。普通はそういうことはなく、ビールなどの酒類は別料金。ビール1本は安いところで10元、高いところで20元というのが相場。そのためケチの私は、
夕食ではビールを1本か2本ほどほどに飲み、後はコンビニで缶ビールを買ってホテルで・・・というパターンが多いのだが、ここでは後のことを気にせず、たっぷりと飲みまくった。

 もっとも、それは、この後の動きが予定されておらず、オプションとして、60分間の足ツボマッサージに娘と一緒に行くだけと決まっていたから、気分的に楽なこともあったのだが・・・。

 それにしてもタダ酒はうまかった。

<バスでホテルへ。オプション組はそのままバスでマッサージへ>

9 オプション(1)ー足ツボマッサージ(8:30~9:30)

(1)今晩のオプションは足ツボマッサージ。薬草を入れた熱いお湯に10分間ほど両足を浸し、その間肩や腕をマッサージしてもらい、後はゆったりとソファーに横たわって足ツボのマッサージ。
男性客には女性が、女性客には男性がつくが、マッサージするのは皆若い人ばかり。入口にはホテルやレストラン並みに5つ星、4つ星、3つ星の顔写真が・・・。

(2)私は1997年に香港旅行した時に1度やったことがあるが、中国本土でははじめての体験。もっとも2001年に敦煌に行った時にやろうとしたことがあるが、
値段交渉がうまくいかなかったため、挫折してしまった。

 日本では、梅田にあるサウナの「新東洋」でやっている足ツボマッサージが、本場中国式と同じもの。もっとも時間は20分で2000円だから、中国に比べると非常に高い。
中国では70分で約70元(1000円)。もっとも今回はガイドの案内料なども含め、ガイドさんには200元を支払ったから、日本の約半額程度か・・・。

 興味半分で同行した娘も、やはり足は疲れていたのか、「疲れがとれて最高!」と絶賛。大いに気に入った様子。1時間ほど女王様になって足ツボをマッサージしてもらうのは極楽の極みだろう。
健康にいいことは間違いなく、サウナやマッサージが大好きな私としては、毎晩寝る前にやってもらいたいと思うほどだ。

10 ホテルへ戻り、就寝

 後はホテルへ戻り、風呂に入って就寝するだけだが、カメラのフィルムの整理と、デジカメの充電がひと仕事。特にデジカメは一眼レフ1台と小型機2台の合計3台の充電だから大変。
そのうえ、今回は3月31日(水)の出発だから、仕事上の連絡に不可欠と考え、携帯電話のワールドウォーカーもレンタルで持参しているため、この充電も・・・。

 もっとも、この仕事は娘の役目。テレビを見る時間もなく、部屋の中でバタバタと作業して、ベッドに入ったのはやっと0時頃。明日は6時に起きて6時半から朝食に行かなければ・・・。

杭州にて、バスへ1番乗り!

一面の龍井茶の茶畑をバックに。

杭州市主催の歓迎パーティーの様子。

杭州市長を真ん中に私と娘の2人。

2日目

1 起床、朝食(6:30~7:30)

(1)6:00に起きるため、娘が携帯電話の目覚ましにセットした時刻は午前6:00だったが、外を見るとまだ真っ暗。おかしいなと思っていると、娘が
「お父さんごめん。携帯電話の時間を1時間ずらすのを忘れていた。」とのこと。だから5時に目覚ましが鳴ったわけだ。

 私はベッドの中でのストレッチ運動などで時間をつぶしたが、娘は今更寝ても仕方ないと思ったのか、充電したデジカメのセットなどで既に臨戦(?)体制。
「疲れたからもう少し寝ておく。朝食はいらない」などと言えば、たちまち父娘ケンカがスタートするところだが、無事起きてくれたため、まずは一安心。

(2)6:30の朝食にも1番乗り。最近はどこへ行ってもバイキング形式。これが何といっても一番便利で楽だが、困るのはいつも食べすぎること。
メインのテーブルに並べられている各種の「おかず」から1品ずつ皿に取ることはもとより、焼きそば、おかゆ、パンから、別コーナーでやっている玉子焼きまで、すべて食べようとするから、
とにかく「お腹いっぱい」に。その他にも、フルーツとコーヒーまであるから大変。お腹いっぱいになって部屋に戻り、出発の準備。今日の午前中は、本来の予定は西湖遊覧だったが、
雨がしとしと降っているため予定を変更し、本日の午前中を紹興見学にあて、西湖は明日の午後の予定に組み替えることになった。

<バス出発 紹興へ(8:30~10:40)>

2 紹興(しょうこう)着 紹興というまち

 紹興は、浙江省の中部、杭州の東約60キロメートルに位置する比較的小さな都市。紹興の歴史は古く、石器時代にはこのあたりで人類が生活していた跡が残されているとのこと。
春秋戦国時代には越の都で、越王勾践が呉との戦いに破れて『臥薪嘗胆』し、復讐をとげたことはよく知られている話。

 また紹興は、文豪魯迅(ろじん)、中華人民共和国総理周恩来(しゅうおんらい)、清代の女性革命家・秋瑾(しゅうきん)の故郷としても有名だ。名産は、日本でも有名な紹興酒。

3 蘭亭(らんてい)見学(10:40~11:30)

 蘭亭は、紹興市の西南約12キロメートル、蘭渚山(らんしょざん)の麓に位置する風光明媚な庭園。きれいな竹林がいっぱいあるが、入り口の駐車場は工事中とのことで、
たまたま雨が降っていたこともあり、地面はドロドロ。

 ここは書家として有名な王義之(おおぎし)が353年(東晋の時代の永和9年)に著名な『蘭亭序』を書いた場所として有名。入ってすぐにある『鵝池』の碑は、『鵝』を王義之が、
『池』を息子の王献之が書いたとのこと。また「曲水の庭」は、水の流れに乗って杯が流れてくるたびに、この詩会に参加した詩人たちが詩をつくらなければならず、それができない時は、
罰として、この杯で紹興酒を飲まなければならないというルールで遊んだ庭。

 何とも風流なことだ。立派な詩ができた方がいいのか、それともできないで酒を飲んだ方がいいのか・・・?罰もオツなものだが・・・?杭州から紹興へ行く約2時間のバスの移動中は、
ずっと雨が降っており、この蘭亭でもほんの少しだけ雨が降っていた。「晴れ男」を自負する私としては珍しいことだ。しかし庭を歩き、蘭亭の中の流觴亭、御碑亭などを見て歩くには、
これくらいのしっとりした天気の方がかえってよかったかも・・・。

<バス移動(11:30~11:45)>

4 魯迅(ろじん)記念館(11:45~12:45)

(1)紹興見学のもう1つのメインは、魯迅記念館。これは①魯迅故居(魯迅の自宅)、②三味書屋(魯迅が学んだ塾)、③陳列館(魯迅の作品の陳列)3つから構成されている。

 魯迅(1881~1936年)は、中国近代文学の創始者として有名で、日本にも留学経験があり、『阿Q正伝』、『狂人日記』などが特に有名。
しかし、まともにこの作品を読んだことがある人は少ないだろう。私も少しかじったが、全然面白くなく途中で投げ出してしまった経験がある。

(2)魯迅は、誕生した1881年から1898年の間、そして1910年から1912年までの間、この紹興に住んだとのこと。魯迅故居の門を入ると、まず中庭(これは採光を兼ねたもの)
があり、最初の部屋は客間。この隣には大きな家系図が掲げられている。魯迅は代々続いてきた周一家(周恩来とは無関係)で、地元ではかなりの有力者だ。魯迅の弟は、今も中国共産党の幹部
とのことだが、何せ魯迅がちょっと変わった人物だったので、あまり出世できていない様子。その自宅は、京都の町家でよくいう「鰻の寝床」風の奥に細長い敷地だが、
その規模はすごくデッカイもの。もちろん床は畳などなく、石畳そのままだから、かなり寒そう。03年8月1日に観た中国映画『春の惑い(小城之春)』の主人公である地主のお屋敷みたいなもの。
魯迅故居の奥にあるのが百草園で、魯迅が幼少の頃従兄弟たちと遊んだ場所とのこと。

(3)ここで面白い話を1つ。百草園に掲げられている掲示板の説明文をガイドさんが読みながら「雨の日は・・・、晴れの日は・・・、○○の草は・・・」などと説明していた時、
「ゴキブリが鳴くのを聴きながら・・・」と説明。私も、ゴキブリが鳴くのかなと不思議に思いながら聞いていると、ツアー客の中に、中国語をかなり勉強している人がおり、
「○○はゴキブリではなくコオロギです。ゴキブリは△△です。」と指摘したため、ツアー1行は大爆笑。いくら昔の人が風流で、庭の草木の中で、さまざまな生き物と一緒に遊び楽しんだとしても、
ゴキブリとは楽しんでいなかったことだろう・・・?

(4)次の三味茶屋は魯迅が12才から17才まで学んだ塾。魯迅が使っていた机が今も存在しており、その机には魯迅が塾に遅刻した時に反省して自分が彫った「早」の文字が刻まれている。

<バス移動(12:45~1:00)>

5 昼食「王朝大飯店」(1:00~2:00)

 紹興での昼食は明るくて広い中華レストラン。ここではビール一杯と紹興酒1杯がサービスとして出され、あとは各自の負担で注文。新鮮な魚が「売り」で料理はおいしくて安い。
食事中には店員による梅干しの販売と紹興酒を温める酒器の販売。例によって、まとめて買うと安くなるため、いろいろと値段交渉の末、梅干し10個と酒器を購入。
この梅干しが事務所の杭州旅行のおみやげとなった。

<バス移動(2:00~2:20)>

6 紹興酒製造工場見学と試飲(2:20~3:00)

(1)紹興といえば、何といっても有名なのが紹興酒。もっとも、昔から日本で中華料理の時に飲んでいる紹興酒は、本場紹興のものではなく、台湾製のものとのこと。
日本ではよく紹興酒を温めたうえで砂糖を入れて飲んでいるが、これは本場の人に言わせると、邪道。そういう飲み方になるのは、紹興の水ではなく、水の悪い台湾製のものだから、とのこと。

 また、紹興酒の原材料はお米だが、その製造方法は「門外不出」で、絶対のマル秘事項としてずっと守られており、そのためホンモノの紹興酒は、この紹興でしかつくることができないとのことだ。これは日本酒づくりも同じで、当然のことだろう。もっとも日本では、日本酒づくりをする杜氏の数が次第に減っているのが気がかりだが・・・。

(2)ムッと酒の匂いのする貯蔵庫の中を見せてもらったが、山のように積みあげられた紹興酒の甕(かめ)には圧倒されるばかり。商品としては、25年モノが1番古くて貴重。
これは○○のため(理由を聞いたが、ちゃんと覚えていない)に、容器も黒くなっている。通常の10年モノの容器はだいぶ白いので、容器の色だけですぐにわかる、とのこと。

(3)貯蔵庫見学の後は、明るくて広い試飲室(?)兼販売室へ。真ん中のテーブルには、5年(80元)、8年(100元)、10年(150元)、20年(500元)、25年(750元)モノの
紹興酒が並べられており、それぞれの味の特徴と値段の説明があるが、試飲させてくれるのは10年モノだけ。まったりとしたちょっと甘い紹興酒特有の味で、おいしくお馴染みのもの。
もっとも何年モノの味比べなど所詮できないと割り切っている私は、お土産のため4本購入したが、さてここでも、その値段交渉は・・・?ツアー客御一行様が順次購入していくのを横目に見ながら、
私は独自交渉をやったうえ、最後の最後にお札を出して・・・?要するに、こういうツアー客相手の値段は、あってないようなものなのだ・・・。

7 ハプニングその1 交通事故に直面(3:00~3:15)

(1)紹興酒の製造工場を出て、杭州へのUターンの道でとんだハプニングが発生した。約10分ほどバスが走り、鉄道の踏み切りの手前で停まったが、そこでバスがプッツリと動かなくなった。
そして周辺では人の声が・・・。

 何事かと思って、運転手の肩ごしに前を見てみると、何と私たちのバスのすぐ前で、タクシーの右後部角に乗用車の左前角が接触事故だ。そこで両運転手が車から降りて口論(激論)中。
乗用車が車をバックさせたところ、確かにタクシーの右後部のバンパーには傷がついていることは間違いない。日本なら、ここで保険会社や警察に連絡し、とりあえず交通の邪魔になるのを防ぐため、
両者の車を道端に寄せるところだが、中国流はそうではない!特にタクシーの運転手は、「現場の車を動かしたら絶対ダメ」と思っているらしく、いくら私たちのバスや後方の車が警笛を鳴らしても、
口論(?)をやめない。

 踏み切りの向こう側にいた警察官(公安)らしき人物もやってきて、話し合いに入っている様子だが、一向にらちがあかない。人だかりが少しずつ増え、車の渋滞もどんどんひどくなり、
警笛の音もしだいに大きくなっていく。バスの運転手も降りていき、何やらわめいているし、ガイドさんもキーキー声でがなりたてているが、一向に進展なし・・・。さてどうなることやら・・・?
と思っていると、そこで私が目撃したのは・・・?

(2)その場で乗用車の運転手が、何枚かのお札を、タクシーの運転手に手渡したのだ。一緒にこのシーンを見ていた娘の観察によると、赤いお札(つまり100元札)が2、3枚と
あとは違う色のお札だったというから、その「目撃」が正しければ、タクシーの運転手はその場で約300元以上の賠償金を勝ち取ったことになる。ガイドの話によると、タクシーの運転手は
すべて個人営業なので、この賠償金は運転手の個人収入となる。もちろん領収書などは何もなし。現場でのキャッシュのやりとりで一切解決だ。それぞれ車に戻った当事者の2人は車をスタートさせ、
面白い体験をさせてもらった私たちも続いて出発となったが、中国流の軽微な物損交通事故処理の現場をナマで見学させてもらったことは、私にとっては、いい話のネタになった。ありがたいことだ。

<バス移動(3:00~4:00)>

8 清河坊歴史街区見学(4:00~5:00)

(1)ここは、杭州における昔の街並み保存区のようなもの。両側には昔からの商店街が建ち並び、道路中央部分には露店がズラリ。その1つ1つの店が、昔の杭州の雰囲気をそのまま受け継ぎ、
残しているという情緒豊かなもの。1時間弱の散策だったが、こういうまちづくりを見ると大いに参考になるし、うれしくなってくる。集合時間に少し余裕があったため、
近くの店に入って見学しつつ、買ったものは、1つは湯呑みセット。このセットは急須と数個の湯呑みがセットになったものだが、これは、ピンからキリまである。
150元のものを90元と書いてあるので、それを「70元にまけろ」と言ったら(正確には電卓に表示したら)、「75元」と表示し直してきたので、手を振って「それならもういらん」
と言う(?)と、すぐに「70元」でオーケーときた。「しまった!これは50元でも十分だった」と反省・・・?

(2)買ったもののもう1つは、おもちゃの刀。これも当然ながらピンキリで、大小もいろいろ。ちょっとしたおみやげ用と思って、中国風の剣の小さいやつが60元となっていたので、
まず刃がついていて切れるものかどうかを確認すると、予想どおり切れないおもちゃ。そこで電卓に「30元」と表示すると、ここでも「35元」と表示し直してきたが、「NO」と手を振ると、
たちまち「30元」でオーケー。

(3)昨年11月の北京旅行の経験を含めて判断すると、大体こういう店では表示額の半分が妥当な値段か・・・?もっとも経験豊かな(?)ツアー客のオジさんの食事時の雑談によると、
上海にある「ドロボウ市場」のガラクタ類の販売では、いきなり10分の1の値段に値切っても、最終的にはオーケーとなり、それでも売主は利益を得ているというから、世間は広いもの。
また中国は奥が深い・・・?

<バス移動(5:00~5:15)>

9 西冷印社(せいれいいんしゃ)見学(5:15~5:45)

 これはガイド本には載っているものの、あまり意識に残っていなかったもの。ガイド本には「金石篆刻の研究施設。敷地内にいくつかの楼閣があり、江南様式の庭園となっている」と
書かれているとおり、夕方この庭園内を歩き、西湖を見下ろすと気分爽快。そして私たちが入ったのは、書画と印鑑などを販売する大きな部屋。昨年11月に行った北京の故宮(紫禁城)にあった
愛新覚羅・壽古による書画の実演販売と同じようなもので、壁には立派(そう)な書画が所狭しと掲げられ、ショーケースには印鑑づくりのための様々な石が並べられている。北京では、
大枚1万円を払って愛新覚羅・壽古に「和」の字を書いてもらい、また万里の長城を描いた水墨画を3万円で購入し、これは現在事務所で、大好評だが、さすがに今回は時間不足もあって
書画の購入は見合わせた。

 ここでも、平成8年に日本の島村文部大臣から○○の認定を受けた○○先生の△△の書画などが多数、絶対にホンマものの書画として販売されていたが、わがツアーでは時間不足もあって
購入者はいなかった。しかし、その場にいた別の日本人ツアー客の話を聞いていると、3、4本包装してもらった筒を抱えているオッサンが、「まけてもらって得したな」と言いつつ帰っていた。
何とアホなヤツ!!!

10 夕食(6:00~6:50)  

 3日目の夕食もおいしくてボリュームたっぷりの杭州料理だったが、時間が少ないため、一気に食べて、次のレビュー観劇へ。そのため、レストランの名前も控えておらず、写真を撮る時間もなし。
よってこの夕食だけは説明を省略。

11 オプションその1ー宋城でのレビュー『宋城千古情』観劇(7:15~8:50)

(1)杭州は南宋時代(1127~1280年)の都で、この時代以降急速に発展し、13世紀末には90万人もの人口を抱える大都市となった。そして杭州を訪れたマルコポーロから、
「世界で最も美しく華やかな街」と絶賛されたほどのまち。しかし、その南宋もチンギス・ハーンの元の国の脅威にさらされ、遂に滅亡することになったが、南宋の都だった華やかなりし時代を
懐かしみ、これを再現したのが宋城。ここは南宋時代の街並みを再現したテーマパークで、定期的に南宋時代の軍隊の行進もあるとのこと。また、この宋城には大きな劇場があり、
杭州市の多くの美男・美女がこの劇団を目指して特訓に励んでいるとのこと。言ってみればこの宋城は、日本の宝塚ファミリーランドと宝塚大劇場そのものだ。

(2)今回の7:30からの出し物は「宋城千古情 」。難しいストーリーがあるものではなく、1話1話ごとに簡単なストーリー性をもたせたレビューだから、言葉はわからなくても
十分にその楽しさを堪能することができる。親切なのは、中央舞台の左右に大きなスクリーンがあり、そこに英語やハングル語で説明文が表示されたり、その場面を彷彿させるさまざまなシーンが
表示されること。また驚いたのは、途中で前の客席が左右に分かれ、その中央部分が舞台となることだ。

 舞台で演じられるレビューは、宝塚歌劇と同じようなもので私の大好きなものだが、それ以上に驚いたのは、中国の「雑技団」と同じような2人の少女による演技。
客席を左右に分けた舞台の中央で2人が演ずる神業的なアクロバット演技にはただただ驚嘆。もっとも、ここで2人がくるくる回っている姿に感心するのはいいものの、
もし万一失敗して手が離れたら・・・と思うと、ゾッとする。これはレビューの演技でも同じで、サーカスや新体操もどきの大アクロバットがある。その演技には感心するものの、
もし万一・・・と思うと、その大惨劇の予想にはゾッとする。もっとも、これは日本人だけの感覚で、中国人はそんなことを全然考えないで楽しんでいるのだろうが・・・

(3)面白いお話その1

 「せっかく観劇するのだからいい席を!」と思って少し早めに入ったつもりだが、既に15分前だったから、当然中央部、前の席から順番に埋まっている。そこでとりあえず、右側前方に
私と娘の2人の席をキープしたが、すぐに私はトイレに立ちつつ、全体の状況を視察。そして少し後ろだが、1人で電話している中国人男性の右の席が2つ、左の席が1つ空いていたので、
「右側の2つの席が空いているのか?」と聞くとオーケーとなったため、すぐに娘を呼び寄せて、この中央の席に入れ替わった。ところがああ、良かったなと思ってそこに座っていると、
隣に座っていたその男性は、何も言わず、また何も残さないままスッと立って出て行ってしまった。はて、彼は戻ってくるのか、来ないのかと思って気にしていると、
私たちと同じように「いい席」を探していたらしい若い男女2人が、「ここ空いているか?」と聞いてきたので、私はハタと困ってしまった。空いていると言って座ってもらった後で
さっき親切にしてくれた中国人男性が席に帰ってくると困るし、そうかといって、空いてないとウソをつくのもイヤらしいしと思って、身振り手振りと英語を交えてその状況を
私は一生懸命に説明しようとした。すると、何とその女性から、「日本人ですか?」と日本語で聞かれた。何だ、この女性は日本人だ、とわかり、その状況を説明すると、
「なら、大丈夫です」と勝手に決めつけて、後ろからシートごしに飛び越えてアベックで着席。そして彼女は私に対し、「ツアーで来たんですか?」「この劇わかりますか?」
「夕方の出しモノの方が面白かったですよ」「いつ帰るんですか?」等々の矢継ぎ早質問。その質問に私が逐一丁寧に答えたのは、何といっても、その彼女が美人でハキハキしていたから。
そして逆に私が「なぜ杭州に住んでいるの?」「隣の彼は中国人?」などなどの質問を投げかけると、彼女はそれぞれに的確な回答。これは面白い女性だ、ぜひお友達になろうと思って、
名刺を交換し、「もし、何かあった時はお互いに・・・」となった。

 人の出会いとは不思議なもので、こういう出会いから何か生まれるかも・・・?もっともその延長としての面白い話がもう1つ。隣に座った彼女の彼は上映中、何度も携帯電話で話していたが、
何と劇の途中で、また2人してシートの背中を飛び越えて席を離れ、今度は前部の中央席の方に移動。ああ、これは、携帯電話で、「いい席はないのか」と友人と連絡をとっていたところ、
「ここが空いたので移ってこい」という話になったのだなと納得。いろいろと面白いことがあるものだ。

(4)面白いお話その2

 座席前部の中央部のベストの席にはバーがあり、一般客は入れない構造になっている。そして1番最初私が劇場に入った時、そこには数人の軍服姿の男性が・・・。そして上演寸前には、
そのベストの席は軍人(公安)関係者でいっぱい。ああ、やっぱりここは中国だったんだと実感・・・。

(5)面白いお話その3

 十分堪能できた1時間が終わり、さあ帰ろうと思っていたら、さっき隣の席にいた、名刺を交換した女性が何と舞台の中に入り、女優さんと一緒に写真撮影をしている。
ああ、やっぱり彼女も特権階級の1人なんだなと思いながら、前の方の通路を通って帰ろうとすると、何のことはない、一般客も舞台の方に行って女優さんたちと一緒に
写真を撮ることができる様子(?)。そこで、私はちゃっかりと、何枚も美人女優の隣に並んでハイポーズ!ツアー客26名の中でも、こんないい目(?)をしたのは多分私だけだろう。
「何でもチャレンジしてみるものだ」と実感。

12 オプションその2ー再び足ツボマッサージ(9:30~10:40)

 宋城での観劇が終わり、いったんバスでホテルへ帰った後、今度は私を含めた3人(1人ははじめて足ツボマッサージを体験する女性客)の希望者だけが、ガイドさんのマイカーに乗せてもらって、
再び足ツボマッサージへ。昨日とは違う店で、料金は1時間60~70元のところだが、ガイドさんも時間外勤務のうえマイカーで客の送り迎えをするのだから、
料金をいくら請求するのかなと注目していたが、料金は明日でいいとのこと。

 昨日とはちょっとスタイルが違っていたが、やり方の基本は同じで、私にとっては天国。これが60元で毎日60分できるのなら、ホントに毎日でも行くところだが・・・。
翌日ガイドさんに払った料金はやっぱり昨日と200元でした。まあ仕方ないか・・・?

<足ツボマッサージからホテルへ(10:45~11:00)>

13 ホテル到着、就寝(11:00~)

 娘は観劇終了後、先にホテルの部屋に戻り、風呂も終わり、デジカメの充電も完了し、いつでも眠れる体制。そこで私も早々に風呂に入り、カメラのフィルムの整理をして、
ほぼ昨日と同じような状況で眠れる体制に。風呂上がりは昨日の夕食の前に購入した1缶3.8元の缶ビールが役立ったが、寝る直前にたくさん飲んだため、途中で再三トイレに行く羽目に・・・。

蘭亭にて。

これが有名な「曲水の庭」。意外と小さいものです・・・。

これも魯迅故居の写真です。

清河坊の歴史街区の雰囲気を味わって下さい。

これが清河坊歴史街区の出口。

90元を70元にまけさせて買った湯呑みセット

売らんかな!とかけられた書画類だが・・・。

テーマパーク「宋城」における「宋城千古情」。

3日目

1 起床、朝食(6:30~7:30)

 昨日と同じ失敗はせず、6:00の目覚ましで起きて、段取りよく、6:30にバイキングの朝食へ。本日天気は快晴。「やはり、俺は晴れ男。旅行の時はいつも最適の天候状況!」
と自己満足・・。

 今朝もお腹いっぱい食べて部屋に戻ったが、本日は多少時間的にも、気分的にも余裕があるため、まずバイキングの部屋の様子を写真撮影。そして朝食後はドラゴンホテルの玄関前や
広い中庭に出て、美しい庭園を写真撮影。

<バス出発、烏鎮(ウーチン)へ(8:30~10:30)>

2 烏鎮到着ー烏鎮というまち

 烏鎮というまちは、私が見た数冊のガイド本には載っていなかった。新聞のツアー旅行の宣伝では、上海ー蘇州ー烏鎮ー杭州というツアーがある程度で、日本ではあまりその名前は売れていない。
烏鎮は浙江省の桐多市にある古いまちで、水郷のまち。

3 烏鎮の景區游覽綫(テーマパーク)見学(10:30~12:00)

(1)烏鎮のまちの見学とは、イコール烏鎮景區游覽綫の見学のこと。到着した烏鎮景區游覽綫には、大きなバスの駐車場がある。入場料を払って会場内へ入ると、いきなり水郷があり、
赤い服と青い服の昔の服装で統一した人たちが、二隻の船に乗り、銅鑼や太鼓の音を高らかに響かせながら、水郷の終点に進んできた。そしてこの場所ではじめて、
ツアー御一行様の団体写真を撮ることに。そこで私も1枚。

(2)その後は、烏鎮の昔の街並みを再現した通りを歩きながら、昔の人たちの営みを見学。 

(3)一番奥まで行くと、帰りは一隻8人乗りの船に乗っての、水郷めぐりによる帰路に。船頭さんに後ろで櫓をこいでもらいながら、ゆったりと水郷を進んでいくのは情緒がある。
そして何よりも快晴に恵まれて、水郷のほとりの柳や木々の緑が美しいのが最高。雨が降る中で、こんなところに来たのでは、大変なだけで、ゆったりと情緒を味わうことなどできなかっただろう。

 烏鎮景區游覽綫の見学は、1時間30分だったが、あっという間の充実した見学だった。

4 昼食「悦来酒店」(0:00~1:00)

(1)今日の昼食は、テーマパークのすぐ前にあるレストランにて、烏鎮の農家料理を味わうことに。烏鎮へ来る途中のバスの中でのガイドさんの話によると、
烏鎮はアヒルの養殖が盛んということで、市内に入るとすぐに、たくさんの養殖アヒルの姿を見ることができた。鳥インフルエンザが猛威をふるった今年だったが、
SARSの教訓に学んだ中国政府は、今回は迅速に適切な対処をしたため、何も心配することはないとの説明だったが・・・。また、今日の昼食は羊の肉とのこと。西安や新京、
ウイグルという中国西部の方では、イスラム教信者は牛や豚を食べることを禁じられているので、もっぱら羊を食べているが、そちらの羊は固いのに対し、烏鎮の羊は柔らかいとのこと。
私は2000年の大連旅行の際、瀋陽で羊の鍋料理(しゃぶしゃぶ)を食べたことがあるが、まっ白の脂身の羊肉をしゃぶしゃぶで食べるのは、さすがに抵抗があった。
また西安で食べた羊の串料理「火考羊肉串(シシケバブ)」は、衛生面をあまり気にしなければ、結構おいしいものだった。さてここ烏鎮では・・・?

(2)一番最初に出されてきた料理が羊料理。どんなものかと思って食べてみると、これが柔らかくて結構おいしいもの。骨のついたところは少し固いが、脂身のところは本当に柔らかくおいしい。
その他の家庭料理も十分堪能できるおいしいものだった。

<バス移動、烏鎮出発、杭州へUターン(1:10~2:10)>

5 シルク製造・直販工場の見学(1:10~3:10)

(1)杭州は、昔は紡績のまちで、至るところにシルクの工場があったが、工業化の波の中、次々とシルク工場はつぶれていったとのこと。そんな中、私たちツアー御一行が案内されたのは、
中国人も買いに来ているというふれ込みのシルクの製造・直販の工場で、特に掛け布団を販売したいらしい。ガイドさんが事前に羽毛布団とシルクの布団との優劣を熱弁。そして工場に入ると、
蚕からサナギになり、糸を吐き出し、これを製品化していく過程を現実にお客に見せたうえで、製品に触らせてくれる。そのうえ、ホンモノとニセモノとの区別をする方法を教えてくれた。

 その第1は、触ってみる感触。だがこれは、誰にでもわかる方法ではない。そこで第2は、その糸を火で燃やしてみること。ニセモノは生き物ではないから臭くはないが、ホンモノは生き物で
タンパク質が含まれているから臭いというわけだ。そこでホントに布団から糸を抜き取って、これにライターで火をつけて臭いを嗅がせてくれた。その臭いを嗅ぐと、たしかにムッと臭い。
その瞬間、「ああなるほど、これがホンモノか」と納得するが、果たして製品として包装されて販売されているヤツがこれと同じ商品かどうかまで疑うとホントはどうかわからない・・・。
しかし工場に入る途中、中国人が何人も包装された布団を手にもって帰っていたから、中国人も買いに来ているというのは嘘ではないのだろう。

(2)布団の価格は結構高い。2kg入りでシングル、ダブルとも各490元(6000円)。これはまずまずだが、布団カバーが、シルク900元(12000円)、
ダブル1000元(13000円)とかなり高い。布団さえあれば、カバーは別に何でもいいとも思うのだが、「どうせ買うのなら一緒に」とつい思ってしまうのが人情。
結局、26名のツアー客のうち、私を含め7、8名が購入。もっとも私は製造・直販店だから値段はまけることができないと言っていたのを、まけさせたから買ったようなものだが・・・。
また、この部屋を一歩出て、次の大きな部屋に入ると中国人向けの布団や布団カバーがたくさん展示されており、ここには結構安い商品もあったから、
やっぱりあの部屋は日本人ツアー用の「秘密の部屋(?)」なのかも・・・?

(3)別の一室では、シルクの美しい服を着た女性たちのファッションショー。何でも興味をもつ私は、これをしばらく見た後、きっと写真撮影禁止だろうと思いつつ、デジカメで一枚撮影。
一瞬フラッシュが光ったため、観客が後ろを振り向いたが、それを後に私はすぐにこの部屋を退散・・・。

(4)一般のシルク商品もたくさんあり、ここでは中国人も日本人も同様のお買い物を楽しんでいた。100%ホンモノのシルク商品ということで、
チャイナ・ドレスやパジャマ等の女性用の服は結構高価。私が目をつけたネクタイは、1本125元で結構珍しい柄だったので、2本購入。やはり見ているとついいろいろと買ってしまうものだが、
それも楽しみの1つだから仕方ないだろう。

6 西湖とは(一般的説明)

(1)西湖遊覧の説明をするためには、西湖全体のイメージをつかんでもらう必要があるため、以下、地図やガイド本を参考にしながら、一般的な西湖の説明をしておきたい。

(2)杭州市の中心市街地の西側にある、東西3.3キロメートル、南北2.8キロメートル、周囲15キロメートルの湖が西湖。
春秋時代に活躍した越王・勾践が、呉王・夫差に送った絶世の美女・西施にちなんで名付けられた。この西湖の名所は西湖十景に代表され、それぞれの景色にも名が付けられている。

 また、西湖の西側に南北に築かれているのが蘇堤で、これは西湖十景のひとつ。北宋の詩人蘇東坡が杭州の知事の頃に20万人の人を使って築かせた堤。
2.8キロメートルあり、6つの橋が架かっている。四季それぞれ趣があり美しく、特に霞がかかった春の早朝は最も美しい。

 また今の春の季節は土、日ともなるとウエディングの記念撮影のために新郎新婦が大挙におしよせ、写真撮影ラッシュになるという。私たちも何十組のカップルを目撃した。

(3)西湖十景とは次の箇所をいう。すなわち、

①断橋残雪、②平湖秋月、③曲院風荷、④蘇堤春暁、⑤花港観魚、⑥南屏晩鍾、⑦雷峰夕照、⑧柳浪聞鶯、⑨三潭印月、⑩双峰挿雲。

 以下ガイド本を引用しながら、それぞれの説明をしておこう。

①断橋残雪(だんきょうざんせつ)

 中国の北の端に架かる橋。中国で有名な話『白蛇伝』の白素貞と許仙はこの橋で知り合う。

②平湖秋月(へいこしゅうすい)

 白堤の西端にある庭園。満月の夜に月が湖面に浮かび、それが西湖の風景のなかに溶け込む光景が非常に有名。

③曲院風荷(きょくいんふうか)

 蓮の清楚な香りが漂うことからこの名が付いた。夏になると蓮の花が咲き、人々の歩みを止めさせる。

④蘇堤春暁(そていしゅんぎょう)

⑤花港観魚(かこうかんぎょ)

 蘇堤の南端近くにある公園。園内には、楼閣・亭・回廊があり、500種の牡丹園と多くの鯉が回遊している紅魚池が有名。

⑥南屏晩鍾(なんへいばんしょう)

 西湖の南にある南屏山の麓の浄慈寺の南側に丘があり、この丘から見る夕日と鐘の音が見事に溶け込むことからこの名が付いた。

⑦雷峰夕照(らいほうゆうしょう)

 雷峰山の頂上に建つ雷峰塔と夕日が重なる光景が素晴らしく、この名が付いた。現在雷峰塔はないが、山からは他とは違う西湖の様子が見られる。

⑧柳浪聞鶯

 西湖の東岸にある公園。かすかに波打つ岸辺に沿って柳が植えられている。また、園内に聞鴬館(ぶんおうかん)という茶館があり、ウグイスの声を聞きながら
杭州名産の龍井茶(ろんじんちゃ)を飲むことができる。

⑨三潭印月(さんたんいんげつ)

 湖底の泥を積み上げて造られた島。島の中にたくさんの池があり、それを九曲橋が結んでいる。島の木々と池が西湖と複雑に組み合わさって独特の景色を創り出している。

⑩双峰挿雲

 西湖の西に双峰と呼ばれる南高峰(256メートル)と北高峰(300メートル)という2つの山を霊院路沿いに架かる洪春橋から眺めた景色を双峰挿雲という。

7 西湖遊覧船(4:00~4:30)

 シルク工場での買い物が終わり、いよいよ杭州見学のメインである西湖遊覧船への乗船。客室は1階と2階に分かれており、100人以上乗れる船だが、今日は私たちのツアー26名のみの
貸し切りとなった。4月2日という春の最高の季節のうえ、美しい夕陽の中を、シャングリラホテル前の西湖の北端からゆっくりと西湖の南まで遊覧船で進んでいくのは最高の贅沢。
「これぞ観光旅行!」と絶賛したくなるほどだ。写真を撮りまくったことは言うまでもない。

8 「蘇堤(そてい)」散策(4:10~5:00)

 遊覧船を降りたのは蘇堤のかなり南の方の地点。ここで船を降り、美しい景色や花々を観察しながら、私たちのツアーは蘇堤を南へ向かって歩き、雷峰搭近くの駐車場でバスに乗った。

<バス移動(5:00~5:15)>

9 「新天地」散策(5:15~6:15)

 次はどこへ行くのかなと思っていると、ガイドさんは「新天地」という、おしゃれなコーヒーショップが並んだ名所に案内するとのこと。もっとも、ここでコーヒーを飲んで休憩したのは
2人の男性客だけで、あとのツアー御一行は、美しい庭園をゆっくりと散策しながら西湖の写真撮影。当然私たち父娘も夕陽が沈む直前の美しい西湖の景色と美しい庭園の様子を
それぞれタップリと写真撮影した。

10 真珠・シルクなどの雑貨店買い物(6:15~6:50)

 バスに乗ると、最後の買い物として今度は真珠の店に。「杭州の淡水真珠は・・・」というガイドさんの説明はあるものの、私は真珠には全く興味がないため、文字どおり「馬の耳に念仏」。
したがってその店には全く興味がなかったが、店内は別に真珠ばかりではなく、シルクを中心としたさまざまな商品が・・・。

 店内をブラブラ歩きながら、買う気もなく品定めをしている中で見つけたのがマフラー。内蒙古製とかシルク100%とかカシミア100%とかいろいろあったが、
ちょっと変わった内蒙古製のマフラーを250元(約3000円)から2000円までまけさせたうえで、娘に「これはどうか?」と聞くと、気に入った、とのこと。
今までの店で「これはどうだ?」と聞いても、「あれもいらん」、「これもいらん」とばかり言っていた娘が、気に入ってくれたことに気を良くした私は即座にこれを購入した。

11 夕食 「湖畔居」(6:50~8:00)

(1)今日の夕食は、高級レストラン「湖畔居」で西湖を眺めながらの飲茶とのこと(写真3-21)。座って一杯のお茶を飲むだけで100元をとるという超高級レストランらしく、
ガイドさんが旅行社にその採用を勧めたとのこと。店内に入ると、大阪のロイヤルホテルのロビーとその中の喫茶店を思わせるような高級なフロアー。1番奥のベストの席からは、
窓ガラス一面に西湖の美しい景色が広がっている。ここでの夕食は最高だろうと期待した。が、しかし・・・?

(2)中国での食事は中華料理と決まっており、また中華料理にはまん中にターンテーブルがあるものと決まっている。しかしここにはそのターンテーブルがない。しかもテーブルはかなり小さい。
そして雰囲気はいいものの、ムード満点の雰囲気とするためか、明かりはかなり暗く、テーブルの上にはローソク2本の明かりだけ。

 そこで最初にでてきたのはグラスに入ったお茶。これは1日目の茶屋で出された龍井茶とまったく同じもの。しかし、これが今年採れた新茶なのかそれとも昨年のものなのかまでは
わかるはずがない。そして私が座った席のすぐ隣には、火鉢が置かれ、その上にはお湯を入れたやかんが。つまりお茶へのつぎ湯というわけだ。

(3)出される料理も変わっていた。最初にピーナッツ、スルメなど4~5種類のおつまみ類が、日本風に小量ずつ。次には小さいお菓子に、小さい小龍包。これらが1品ずつ、
日本の会席料理のように運ばれてくる。そしてメインディッシュは茶碗蒸しのようなもの。その間さらにもう1種類のお茶が。そしてこれが、女性用と男性用に分かれており、
女性用はお肌がツルツルになるという○○茶、男性用は高血圧などに効くという薬煎茶(結構苦かった)。このお茶を飲んでグラスが空になると、ウエイトレス(?)が来て、
熱いお湯をつぎ足してくれるから、お腹の中はジャボジャボ。

(4)丸1日歩き回って観光したものだから、私を含めて数名の人たちは早くビールを飲みたいと思っている。しかし、ビールは今日の夕食のセットメニューには入っていないので、
別料金で注文しなければならない。そして、ここは高級レストランらしく、1本20元と高い。それでもみんな飲みたい人はビールを頼んで飲んでいるから、その上に、
お茶を何杯も何杯も飲めといわれても所詮無理な話。それでも、例によって私は、割り勘負けしないほど十分にお茶を飲んだが、多くの男性客は「お茶はもういいよ」と思っていた様子。
そして何よりも食べ物が不足。もっとも娘などは、この旅行中、朝、昼、晩とずっと腹一杯食べてきたので、「たまにはこの程度でいいよ」とちょうど満足の様子だったが、
私を含めた男性客は少し不満な様子。そのため、今晩は後記のとおり、1人歩きの冒険となった。

12 1人歩きの冒険(8:30~9:40)

(1)夕食が終わり、今日は特別のオプションもなく、バスがホテルに到着したのは8:00過ぎ。さてこれからどうするか?娘は、「疲れているのでゆっくり風呂に入って休む」というので、
「ああそうか」と言ったものの、私は時間がもったいないという思いでいっぱい。タクシーに乗って中心市街地まで出かけていく勇気はないので、地図とガイドさんに聞いた周辺の道を頼りに、
1人でブラブラと散策の冒険に・・・。もっとも最低限やろうとしたことは、コンビニへ行って、ビールを買うこと。

(2)ドラゴンホテルを出て、左手が市内へ向かう大きな道。ここを1人でブラブラ(といってもちゃんと用心をしながら、かなりの早足で)と歩いていくと、
ガイドさんが言っていたコンビニがあったが、それを無視してさらに先へ。すると大きなコンビニがあったため、ここに入り、とりあえず缶ビール1本を買い(2.8元)、おつまみがわりに、
日本のコンビニでも売っている豚まんを1個買い、これを食べ、ビールを飲みながらの早足での1人歩きを続けた。

(3)途中、豪華なレストランを見つけたが、そこに入るつもりはない。さらにドンドン歩いていくと、一軒のガラスばりの明るい庶民的な雰囲気の食堂「四海豆菜」があった。

 店の中を覗き、料理のメニューを見ると、5元、10元程度のメニューばかり。要するにラーメンや焼き飯など一品モノの店。食べている客の料理を覗いてみても、ラーメン類が多いうえ、
お客が次々とタッパーを持ってラーメンを買いに来ている。これを見ると、近所で評判のおいしい店だろうと推測された。さらに厨房では麺の手打ちをしている様子。このような状況判断のうえに、
きっとこの店は安くておいしいだろうと考え、食べてみようと思ったものの、はて、何をどう注文したらいいのかがわからない。何しろ頼りは身振りと手振りだけなのだから。

 そこで私は、先客の食べていた器とメニューの両方を指さして、「このラーメンは、メニューのどれか?」と聞くと、そこは店員もわかるもの。「それはこれだ」と指さしてくれたのは、
○○肉○○麺で7元のもの。そこで7元を払い、椅子に座って待っていると、ほどなく器いっぱいのラーメンが。

 食べてみると麺はシコシコとしてすごくおいしい。また肉を中心としていろいろと入っている具もおいしいもの。しかし、スープはすごく熱いし、これがなかなか冷めない。
スプーンでこのスープをすくってみると、ラー油のような油が浮いているから、やはりかなり大量の油を使っているのだろうと思い、さすがにダシは飲まなかったからまだよかったが。
後日談のとおり、どうもこのラーメンは日本人の私の腹にはちょっとキツかったようだ。

(4)ラーメンを食べ終わると、時刻は既に9:20頃。ビールも飲んだし、お腹もいっぱいになったので、帰り支度のことを考えれば、ホテルへ帰り、風呂に入り、
一杯飲んで寝た方がいいだろうと理性的(?)に考えた私は、一転してスタスタと帰路についた。

13 ホテルへ、就寝(10:00)

 ホテルに着いたのは10時前。風呂に入り、おみやげ類をトランクに詰めて明日の帰国の準備。もちろん私は写真のフィルムの整理、そして娘はデジカメの充電など手慣れた必要作業は本日も万全。
これで酒を飲んでぐっすり眠ろうと思ったが、今日は興奮しているためか、さっき食べたラーメンのためか、それとも本日4月2日の巨人・阪神の開幕戦で、阪神タイガースが巨人に逆転、
圧勝したというNHKテレビのニュースを見たためか、なかなか寝つくことができなかった・・・。

ドラゴンホテル入口 こんなに立派なホテルです。

銅鑼と太鼓をたたきながら水郷を下ってきた青衣装の男たち

烏鎮の古いまち並みがよくわかる。

シルク製造工場で繭をとりわける作業中。

シルク製品のファッションショー

遊覧船の上から美しい景色を堪能。

美しい西湖と、しだれ柳の絶妙なバランスをご覧あれ!

超高級飲茶レストラン。

4日目

1 起床、朝食(6:30~7:20)

 いつもの通り、6:00の起床。そして6:30からのバイキング朝食も、3日目ともなると手慣れたもの。

2 娘を連れてブラブラ散歩(7:20~7:50)

 今朝はちょっとした腹ごなしを兼ねて、昨日歩いた道をイメージしながら、娘に少し外へ歩いてみようと提案。娘もオーケーしたので昨日の道を歩いた。
昨日は夜だったため怖くて脇道へ入れなかったが、今日は明るいので途中から脇道へ入り、中国人の住んでいるアパート群を観察した。一棟4階建てのアパートで、もちろんエレベータはなし。
また日本のような解放ベランダではなく、ベランダはガラスで囲われているのが特徴。ホテルのすぐ近くのアパートだが、もうかなり古く、老朽化している様子。その周辺を歩いていると、
当然ながら洗濯している人や洗濯物を干している人などのナマの生活の姿を見ることができる。こういう庶民の住んでいるアパートやその生活の一端を覗き見ることは、
娘にとっても1つの勉強になるだろうと思いつつ、約30分の散策を終了した。

3 オプションー雷峰塔見学(8:00~9:15)

(1)4日目午前中のオプションは、昨日決めた雷峰塔の見学。これは西湖の南の中央部にある雷峰山にある塔。『地球の歩き方’03~’04 中国』(03年3月改定第17刷)における
杭州のガイドによると、「雷峰塔は現在はなく、その景色は想像するしかない」と書かれている(303頁)。しかし、雷峰塔は立派に存在していた。
もっとも、階段にはエスカレーターがついてあり、ガラス張りのきれいなエレベーターもついていたから、この塔はきっと最近つくられたものだろう。もっとも、雷峰塔の見学時間は
1時間弱しかないので、1つ1つ詳しく説明を聞いている暇はなく、よくわからないが・・・。私と娘の2人はまず最上階へ上り、カメラとデジカメで360度に広がる美しいパノラマ風景を
何枚も記念撮影。そして各階ごとに下り、いろいろと見学しながら、写真撮影。

(2)それだけでもう時間いっぱいかと思い、もうバスに帰らなければと思ったが、その時、ガイトさん以下仲間のツアー客は誰もいない。これは北京の頤和園での「ハグレ事件」の再発か?
と思ったが、バスの位置はわかっているので、別に心配はない。しかし私たち父娘だけ帰りが遅れて迷惑をかけるといけないと思い、売店で絵はがきを買った後、急いで出口へ出て、
バスのところへ戻ろうとしたが、困ったのは出口がなかなかわからず、また出口からバスへの道がすぐにわかりにくかったこと。それでも、もともと方向感覚のしっかりした(?)私のこと。
しっかりと走りながらバスへたどりついたら、何のことはない、まだ誰も帰っていなかった・・・。そこでバスから山の上を見上げると、ちょうどガイドさん以下が旗を先頭に降りてきているところ。
彼らに手を振ると、向うも気がついた様子で手を振り返してきたので一安心。今度は私たちが御一行を迎えに行って合流。無事バスに集合し、ホテルへ戻ることになった。

4 チェックアウト、空港へ出発(10:00)

 部屋をチェックアウトして、ロビーに集合。出発は10:00。定められた時刻に無事全員集合。いよいよホテルを後にし、空港に向けてバスが出発した。今日は4月4日の土曜日。
昼からは杭州市内は、観光客でいっぱいになるだろうが、逆に空港へ行く道はそんなに混んでいないはず。予想通り、バスはスイスイと進み、ガイドさんは「お世話になりました。
またお会いできることを楽しみにしています」とあいさつして、みんなからの拍手を受け、あと数分で空港へ。

 ところがこの時起ったのが、何と私もはじめて体験する、高速道路上でのバスのトラブル。次に項を改めて説明しよう。

5 空港直前2キロメートルで、高速道路上でのハプニング!

(1)運転席後の1番前の席に座り、周りの景色を見ていた私の耳に、突然変なアラーム音が聞こえてきた。「何だこれは!」と思っていると、どうもこのアラーム音は運転席から鳴っている様子。
「アレ!」と思ってみていると、運転手はスピードをゆるめ、バスを追い越し車線から走行車線へ、そして路肩の方へ寄せていき、停止した。ガイドさんから特別のアナウンスはないものの、
後に座っていたツアー客も、バスの調子が悪く、停まったことはわかった様子。運転手もガイドさんも携帯電話であっちこっち電話をかけ、また運転手は再三エンジンキーを回すものの、
ガーっと鳴ってもすぐにプチっと切れてしまうありさま。完全なエンジントラブルで、とにかくこれではバスが動かないこと確実。はて、どうなるのだろうか?

(2)ここでやっと、ガイドさんが説明。「空港はすぐ目の前1~2キロメートルにあるが、バスのトラブルで動かない。しかし空港に電話して迎えのバスが来るから安心して。
時間もタップリあるから何も心配することはない」とのこと。1番前に座っていた私には、運転手やガイドさんの緊急時の対応ぶりがよくわかる。携帯電話で何回コールしても空港の相手が
出てこないので、ガイドさんがイライラしているのもよくわかったが、状況を説明する時には、にこやかに落ち着いているのはさすが!

(3)約30分後に空港からお迎えのバスが到着。さあ、荷物と共にツアー客は高速道路の路肩上での「民族大移動」だ。日本の高速道路の路肩より、中国の高速道路の路肩の方が広いことと、
交通量が少ないため、それほど危険は感じなかったが、これが日本の阪神高速道路上なら大変。路肩は狭いし、交通量がものすごいから、30名近くの人間の大移動や、トランクをバスの腹から
迎えのバスの腹へ移しかえる作業は、危険この上ない作業になるはず。しかし、この杭州蕭山国際空港への高速道路上でのこの作業は、むしろみんな楽しみながらやっていた様子。

 こんな時に発揮されるのが、日本人の「団体性」と「協調性」の良さだ。しかしとにかく、とんだハプニングに出くわしたもの。こんな体験は1度だけでいいと実感。
しかし、約30~40分遅れただけで無事に空港に到着できたことを感謝しよう。

6 搭乗手続、ガイドさんとお別れ

 中国流のツアー旅行の帰国手続は、ガイドさんにパスポートを預け、ガイドさんが荷物預けから座席取りまですべてやるもの(北京旅行の時もそうだった)。しかし今回、JALでは、
座席取りは1人1人パスポートとチケットを持ってやってくれ、とのことだった。ガイドさんはかなり強烈に口論していたが、結局「JAL方式」に従うことになった。そうすると、
あとは自分の仕事がなくなったため、ガイドさんは、ここでみんなと握手してお別れ。本当にお世話になりました。名刺も交換したので、是非次に杭州に行く時にはまた案内してもらいたいものだ。

7 いざ帰国(1:00出発)

 機内へ乗り込むまでの時間待ちは、普通免税店でのショッピングだが、買うものは何もない。しかし、本が置いてあったのでそれを見ていると、中国語のガイド本が数冊。
その中に『中国 古鎮游』という本があった。これは中国の古い街を紹介したガイド本で面白そうだったし、ぶ厚いのに1冊38元と安いので、購入。何かの参考になるだろう。

 1:00出発の帰路の便は満席。1番後ろの席があたったが、機内ではビール、ワインを飲んで機内食を食べて、寝るだけ。と思っていたら、帰りのフライトは2時間ちょっとと短かったため、
ほとんど寝る時間もないまま関空へ到着。

 今回の中国旅行も、坂和流に時間を目いっぱい活用し、お腹いっぱいに食事をとり、写せるだけ写真を写した、楽しく充実した旅行でした。

雷峰塔の入り口にて。

雷峰塔の頂上から見下ろす西湖の絶景!

西湖の姿も多種多様!

杭州、紹興、烏鎮旅行記・・・2004(平成16)年3月31日~4月3日

〔旅行の動機〕

1 2004年6月時点の私の(中国に関する)知識では、多分桂林は昆明と並んで中国で1番美しい景勝地だと思っている。特に、中国の20元札のお札の絵として使われている漓江下りにおける
水墨画のような奇峰の連なりは、ガイド本で見るだけでも絶景また絶景のすばらしさ。「いつかは1度!」と思っていたものだ。

2 他方、プライベートな人間関係にもとづく1回目の大連旅行(00年8月)、2回目の西安・敦煌旅行(01年8月)の後は、北京旅行(03年11月)、杭州旅行(04年3月)と
3泊4日のツアー旅行が続いた。そして結局、ツアー旅行の方が安上がりで効率的、そして少しでも余った時間を目いっぱい使ったプラスアルファの観光も可能だとわかったため、
最近の私の目はいつも新聞の旅行案内に・・・。

3 そんな時見つけたのが、近畿日本ツーリスト主催の3泊4日の「山紫水明・漓江下りと桂林・深せん・広州4日間」のツアー。朝1番で出発し、夜遅く帰ってくるハードなスケジュールだが、
その方が私には向いている。そして6月10日出発は59800円という格安さ!そこで即座にこのツアーへの参加を決定したという次第。今回の相棒は、中国からの留学生。日本人同士よりは、
中国人同行の方が何かと便利なことは当然。予定外の桂林でのナイトクルーズや、夜のまちの散策が楽しみだ。

4 桂林の観光地や漓江下りのすばらしさを紹介したガイド本は山ほどある。また深せんは中国民俗文化村だけ、広州は西漢南越王墓だけの見学だが、深せん、広州にもその他数多くの
観光名所がある。これらを事前にガイド本でたっぷりと勉強し、予備知識を吸収したうえでの出発だ。用意したカメラのフィルムは36枚撮りで20本。そして一眼レフデジカメ1台、
小型デジカメ2台というラインナップも杭州旅行と同じ。さあ、写真(デジカメ)を撮りまくらなければ・・・。

1日目

1 関空出発まで(8:30~10:35)

 これまでに行った北京と杭州のツアー旅行は、「JTB旅物語」だったが、今回は、はじめての近畿日本ツーリスト(クラブツーリズム)のツアー。中央カウンターで申し込みを確認して、
チケットを受領した後、搭乗手続、出国手続だが、既に何回も経験しているので、手慣れたもの。予定どおりの出発だ。今回の「山紫水明・漓江下りと桂林・深せん・広州4日間」ツアー参加者は
計19名と、ちょうどいい規模。

2 ガラガラの飛行機で出発(10:35~)

 6月という季節で、木曜日出発、日曜日帰国という設定のツアーだから、それほど混んでいないだろうと思っていたら、案の定、飛行機の中はガラガラ。席に座るやビールを注文し、
機内食を食べる間もビールとワインを飲み放題。ほどよく酔ったところで、中央部の3人掛けシートの肘掛けをはずして、完全に横になってのひと眠り。うまく酔いがさめて、目が覚めたところで、
まもなく広州空港着、すべてが順調だ。

3 広州空港入国手続後、バスへ乗り込み(中国時間13:30)

 予定どおり3時間半程度のフライトで広州空港へ到着。入国手続を終えて外へ出ると、添乗員の旗を目指して一直線。今回の添乗員は、男性のAさん。そして例によって、
バスへは1番の乗り込みとなり、1番前の座席へ。大型バスへ19名の乗り込みだから、ゆったりとしたもの。Aさんは、4日間を通じお世話になるの添乗員だが、
今日と明日の広州・深せんだけを案内するガイドは、康さんという女性。そして、それとは別に、張さんというカメラマンも同行。

4 カメラマン同行による写真撮影について

(1)前回の杭州旅行で私にもはっきりとそのシステムがわかったが、カメラマンがツアー客と一緒にバスに乗り込み、数枚の集合写真の他、個々のお客さんの写真を撮って
これをキャビネ版にしたうえ、地元の景色と一緒にちょっとした1冊のアルバムにまとめ、(気に入ったものだけを)買ってもらうというやり方が、中国のツアー旅行では定着している。

(2)そのシステムはわかるが、その値段は1枚1000円。しかし、これはあまりにも高すぎる。ずっとツアー客に同行しての写真撮影だし、売れないものは捨てるしかないのだから、
販売できる写真に価格が転嫁されるのはやむをえないが、価格を高くすればするほど売れる枚数は少なくなるはず。したがって、たとえば1枚だけなら1000円だが、5枚なら3000円、
10枚なら5000円というように、枚数が増えれば1枚あたりの単価を下げるような商売のやり方にしなければ・・・と思った次第。

(3)ちなみに、今回のツアー旅行でも、3日目の漓江下りでは、売れたのは1枚だけという惨憺たる有り様だった。もちろんこれには、カメラマンの売り込み方の上手、
下手が大きく影響するのは当然。前回の杭州へのツアー旅行では、4日間ずっと一緒のカメラマンの売り込み方がうまかったので、結構な枚数が売れていたはずだが・・・。

5 広州から深せんへ(14:00~16:30)

(1)広州空港に着いたものの、今日は広州は素通りで、バスはそのまま深せんへ。広州から深せんまでは高速道路で約2時間の道のり。深せんは中国のほぼ最南端で、深せん河を隔てて
香港のすぐ北側にあり、海が近い。そのため、高温多湿となり、バナナなど南方の植物が多い。高速道路を走るバスの心地よい揺れの中で、うつらうつらしたくなるのを我慢しながら見渡す
周囲の景色は、当初は工場団地とそれの従業員用と思われる住宅、そして、バナナの畑がいっぱい。また、レイチの木もいっぱい。しかし、深せん市内が近づくにつれてその景色は一変し、
高層ビルが林立するまち並みに・・・。

(2)深せんの経済特区に入るには、中国人であっても「関所」がある。といっても、高速道路の料金所と同じように、単に特区内に入るのを確認するだけのものが一般的。
しかし、ガイドの説明によると、最近は、バスの中に検査官が入ってきて乗客をチェックしたり、場合によれば、乗客に降りてもらって、隣りの建物に入らせたうえで、チェックするケースもある
とのこと。そして、最近はその確率が増えてきているらしい。何となくイヤーな予感がしていたところ、私たちのバスの中に検査官が入り込んできた。そして、ガイドと一言二言・・・。

(3)すると何と、男は60歳以上、女は55歳以上の乗客はいいが、それ以下の乗客はみんなバスを降りてチェックを受けてくれと言われたとのこと。「これも経験!」と思ってバスを降りて、
隣りの建物内へ。入出国の際のパスポート検査のようなものを受けるのかと思ったら、何のことはない、結局、1人1人のチェックはなく、全体の雰囲気だけを見て全員オーケーとのこと。

 ガイドの捨てゼリフ(?)によると、「どうせ、何もしないくせに!」ということだが、こういうチェックがあるというだけで、経済特区内に入り込んで悪いことをしようとする奴のチェックは
できるのだろう。そう思ったものの、実際にそれを体験してみると、いささかびっくり。1国2制度をとっている中国において、深せんから香港へ行く(入出国)するについて、
それなりの手続が必要なことはわかるが、同じ中国内で経済特区に出入りするのに、こんなチェックがあることに驚くとともに、いい経験となった。

6 深せんというまち

(1)中国の改革開放政策は、1978年12月の中国共産党11期3中全会(第11回党大会で選出された中央委員による第3回全体会議)から始まった。
つまり、この3中全会が本格的な鄧小平時代の幕開けとなったわけだ。「改革」政策は農村部から始まったが、他方、「開放」政策は1980年5月に、広東省の深せん、珠海、汕頭、福建省の
厦門(アモイ)の4都市が経済特別区とされたところから始まった。つまり、深せんの経済特区は、鄧小平が、「この土地は香港に近いので、経済特区をやろう」と提案したことによって、
始まったものなのだ。鄧小平の命令によって、3万人の中国人民族解放軍が深せんの基本建設のために派遣され、重機などの設備が不十分な中、「人海戦術」によって、深せんのまちの建設が
進められたということだ。そのため、深せんの人たちは鄧小平を尊敬しており(?)、まちの中心部には大きな鄧小平の肖像が飾られている。
もっともそれが、深せん市民の本心かどうかは?だが・・・。

(2)深せん市は、全体がほぼ東京都と同じ広さで、2000K㎡。その中の経済特区は、ほぼ名古屋市と同じ約680K㎡。そして、経済特区内は何と、全長132Kmの鉄条網で囲われている
とのこと。バスから時々見えるこの鉄条網をみると、あらためてたしかにここだけは特別区という感じがするから不思議なものだ。

(3)ガイドの説明によると、深せんの「せん」という字は、中国語にもない漢字だそうだ。土へんに川という字を組みあわせた字からわかるとおり、これは畑の側の流れ水という意味。
つまりこの土地は、昔は川が流れる畑だけのいなかまちだったということだ。

(4)深せん市は、改革開放政策が始まる今から24年前は、人口3万人の田舎まち。ところが、それが今は、人口700万人となり、経済特区の中だけでも400万人が生活しているとのこと。
もっとも、戸籍を持っている人は、その約3分の1で、約200万人だけとのこと。また、深せん市内の人口の平均年齢は何と28歳。これは、働くために深せんに集まってくる若い人が多いためだ。
つまり、18歳から深せんに来て、25歳ぐらいまで働いてお金を貯めて出て行くパターンが多いということ。だから毎年毎年、新しく18歳の若い人が工場に働きに来るということだ。

(5)また、深せんの基本語は広東語。しかし、深せん市は「移民都市」であるため、多くの言葉が入り混じっているとのこと。そして、一般的に深せんの人々の声はデカい。この話を聞いて私は、
『ギャング・オブ・ニューヨーク』(02年)の映画を思い出し、19世紀の新興国アメリカ、特にニューヨークが移民によって形成されたまちであることとよく似ていると思ったが、
さて、どうだろうか・・・?

(6)私がガイドに質問したのは、深せん市内のマンションはいくら位するのかということ。その答えは、深せん市内では、㎡あたり約10万円。つまり、70㎡のマンションで約700万円
ということだから、大阪市内の値段の約3分の1といったところか。そして、これは香港の約10分の1の値段とのこと。すなわち、面積が極端に狭く超過密都市である香港では、
100㎡のマンションで1億円というのがザラにあるということだ。また、物価も深せんは香港の約2分の1~3分の1ということ。したがって、最近は深せん河だけで隔てられている
香港の人たちが、深せん市内のマンションを購入して、香港と深せんとの間を通勤している人が増えているとのこと。また、香港の人たちがいわゆるセカンドハウスとして深せん市内にもつ
マンションは規模の小さいものが多いが、深せん市内で家族をもって働いている深せんの人たちは、100㎡以上のいわばファミリー用マンションに居住しているとのこと。
どこの観光旅行に行っても、このように都市問題についていろいろと勉強しなくちゃ・・・。

(7)2004年7月23日の日経新聞夕刊で、上記(6)で述べた私の問題意識と共通する記事を見つけたので、是非それを紹介しておきたい。
それは、「大中国 都市変幻 第2部・返還7年の香港」というタイトルで、7月20日から夕刊の一面に連載されてきたものの第4回目。さすがに、日経新聞の香港支局のスタッフが
担当しているだけに、その取材の視点とデータの豊富さは本格的。そして、そこに写る深せん駅前は、私が撮影した写真と共通するもの。

 この記事によれば、深せん市の香港港に接する羅湖地区から、中国と香港の境界を越え、2、3分歩くと香港側の羅湖駅。ここから電車で香港に通勤する人を「深せん在住香港人」と呼ぶとのこと。
したがって、その記事に登場する香港人のウォンさんが語る「香港と深せんは今では一つの街と同じ。不便はあまり感じないよ」という話は、現在の香港人の共通の認識のはず。
こんな中、今、深せんは高層マンションの建設ラッシュで、今年の上半期に深せんで売り出された住宅の45%が羅湖地区の物件とのこと。さらに、そのお客さんの約8割は香港人とのこと。
まさに「香港の中国返還から7年、香港と中国の境界が消えていく」ことを、マンション事情から実感することができるいい記事だ。

7 深せん博物館(16:30~17:05)

(1)バスが最初に向かったのは、深せん博物館。ここは、24年前は人口3万人の鄙びた漁村から、今や人口700万人という大都会に発展した深せんの様子を、模型や写真を駆使して展示した
博物館。そのメインは、大きな模型。これをみると、香港、マカオ、深せん等の位置関係がよくわかる。この模型を見ながら、1997年7月1日の香港返還の直前に香港旅行をした時の印象と
あわせて考えてみると、一層興味深いものに・・・。

 香港と深せんとの物理的な距離は昔も今も当然同じだが、今は入出国手続の簡素化により、どんどんその交流の密度は濃くなり、またスピードは速くなっている。また、ガイドの話によると、
近いうちに深せん河によって隔てられた香港と深せんを結ぶ橋が完成するとのこと。そして、これが完成すれば、中国の物流の70%が深せんに集約されるとのこと。

(2)1国2制度をとっている香港では、私が新聞で勉強している情報によっても、最近、普通選挙の実施をめぐって、中国本土(?)とかなり「やりあっている」。中国本土の全人代常務委員会は
2004年4月、香港の行政長官と立法会選挙について、「民主派」が求めている「直接選挙」を認めない旨の明確な決定を下した。つまり、選挙制度改正についての最終判断権は、
香港の市民にあるのではなく、全人代にあるというわけだ。このため、2007年の香港行政長官の選出については直接選挙を実施せず、また、2008年の立法会選挙についても
直接選挙で選ばれる議席数を拡大しないことになったが、さて今後どうなることやら・・・?

(3)1997年の香港の中国への返還以来、香港では中国本土と深まってきた交流がさらに加速されることは確実だ。しかし、その結果は・・・?ひょっとして、香港が中国本土に
「飲みこまれる」ことになるのでは・・・?こう考えるのは、果たして私だけの杞憂だろうか・・・?

8 深せん錦繍中華中国民俗文化村観光その1(17:05~18:00)

(1)次は深せん観光のメインである、中国民俗文化村の見学。中国民俗文化村は、60万㎡の広さ(東京ディズニーランドの約2倍)があり、大きくは、錦繍中華ミニチャイナと中国民俗村に
分かれている。もともと2つに分かれていたテーマパークを、2003年元旦に合併したものだ。ミニチャイナは、北京、西安など、中国各地の名所を10分の1のミニチュア版で再現し、
これを見て回れば、簡単に中国各地の名所を「見学」できるというもの。

 他方、民俗村は、漢民族を除く55の少数民族にスポットライトをあて、その文化や生活ぶりを紹介するという面白いもの。この2つをゆっくり見て回れば、それだけで丸1日かかるため、
私たちのツアーは長いカートに乗って全体を見て回ることに。これは別料金だが、誰1人、「私はブラブラ歩いて見て回ります」という人はおらず、全員カートに乗り込んで、見学することに。

(2)まずは、ミニチャイナの見学。10分の1といっても、想像以上にデカいもので、万里の長城だけでもかなり巨大なもの。また、西安にある秦の始皇帝兵馬俑や大雁塔敦煌で見た莫高窟、
北京で見た故宮(紫禁城)や万里の長城、そして杭州で見た西湖などの10分の1のミニチュアに大感激。これらの有名な観光地(?)では、カートを下りて見学し、写真撮影をして回るだけでも
結構忙しい。これらの名所を見ていると、その懐かしさに大感激。単純なものだ・・・。

(3)次は少数民族の民俗村見学。ガイド本でみた、チャン族、ミオ族、ヨー族などの生活ぶり(?)をカートに乗ってざっと見学。これをみると、いかに中国が広いかをあらためて考えさせられる。
そして、漢民族VS少数民族という中国がもつ根深い問題点を、あらためて考えさせられるいいきっかけとなった。

(4)中国民俗文化村に入ったのが夕方5時すぎだったから、この見学の所要時間はちょうど1時間。そしてここでいったん、夕食タイムに入ることに。
夕食が終わると再度、中国民俗文化村に入り、今度は野外劇場での少数民族のショーの観賞(ナイトパレード)だ。

9 夕食(18:00~19:00)

 夕食は、中国民俗文化村のすぐ近くにある「海上興海鮮酒楼」という立派なレストラン。ここでの食事はまずまずだったが、気に入らないのは、何とビールが1本40元もしたこと。
北京や杭州では10~15元だったから、40元とはベラボウ。ちなみに、漓江下りの専用船の中は当然高いはずだが、それでも1本20元。中国民俗文化村のすぐ近くのレストランというだけで、
この40元という値段はぼったくりという他ない。近畿日本ツーリストの主催者はこのレストランにきちんと文句を言って、ビールの価格を改めさせなければ・・・。

10 中国民俗文化村見学その2(19:00~20:30)

(1)急いで食事をすませて再度民俗文化村へ。19時30分からは中国民俗文化村の「鳳凰広場」という野外劇場で開催される、少数民族のショーの見学。いい席がとれたとガイドが言っていたが、
そのとおり、私たちツアー客の席は1番前のベストポジション。この野外劇場はチャチなものではなく、つい最近1億円をかけてつくられたと言われている豪華で巨大なもの。とくに、
そのステージは巨大で、日本の普通の劇場に比べると優に5倍はあるだろうという感じ。また、観客席には屋根があるが、観客席とステージを隔てる通路には屋根はなし。
多少の雨ならショーは挙行されるが、大雨や嵐の時は中止せざるをえない。

(2)今日のショーは、『花風舞中』(『竜と鳳凰の踊り』)というちょっとしたストーリーをつけての中国民族5000年の歴史や、少数民族の風習を歌と躍りで表現した1時間余りのものだが、
その豪華さと出演者、とくに女性陣の美しさにびっくり。途中驚いたのは、そのストーリー構成の中で、観客席とステージの間の通路を馬に乗った兵士たちが、次々と疾走していったこと。
野外劇場ならではのホンモノの馬の「出演」で、その迫力にびっくり。もっとも、いいことばかりではなく、その幕が終わった後、急いで掃除をしていたものの、馬のフンの臭さにはびっくり。

11 ホテルへ(21:00)

 以上で今日のツアー旅行の1日目の見学メニューはすべて終了し、バスに乗ってホテルへ。私たちが泊まる深せんの「新都酒店」は、1988年に開業されたもので、深せんの高級ホテルでは
最も歴史の古いホテルとのこと。しかし・・・。ガイドがバスの中で言った無料のペットボトルのサービスがついていない。文句を言っても通じず、保証金が必要と切り返される始末・・・?
もっとも、翌日ガイドの交渉によって、1本ずつ水のペットボトルが配られることになったが・・・。そして後述のとおり、翌日の朝食に大問題が・・・?

12 深せん駅周辺のまち散策(21:30~24:00)

 シャワーをあびた後、私たち2人が出かけていったのは、深せん駅周辺の夜のまち。深せん駅のすぐ前にある最も豪華なホテルがシャングリラホテル(香格里拉大酒店)だが、ガイド本には、
「深せん駅周辺は治安が悪いので用心せよ」と書いてあるし、ガイドも駅周辺の散策はやめた方がいいと言っていた。しかし私たちは、「鬼が出てくるはずはない!」と腹を据えて、缶ビール片手に
ブラブラと。途中、スーパーに入っておみやげのお菓子を買ったり、多くの店の前で売っているレイチを買ったり・・・。写真を撮りつつ、ブラブラと歩いていると、もう既に23時。
翌朝が早いことを考えてホテルの近くまで戻ったが、その裏側を歩いてみると、おいしそうなレストラン(ラーメン屋)があり、翌日の朝食や朝5時の起床を考え、迷いながらも、
結局はその店に入ることに。2人でワンタンメンを半分ずつ食べたが、すごくおいしいもので、入ってよかった!ちなみに、その料金は13元。

 お腹いっぱいとなり、幸せな気持で眠ることができました・・・。

威容を誇る経済特区深せんの模型。

民俗衣裳を着た若い男女と共に。

ミニチャイナー兵馬俑にある跪射武士俑らと共に

ミニチャイナー万里の長城

夕食後再び民俗村へ。

野外大劇場での大規模で華やかな『花風舞中』のショー。

深せんから香港へはひとっ飛び!

13元で食べたおいしいワンタンメンは感動モノ!

2日目

1 5時起床!ひどい弁当!

 今日は国内線で深せんから桂林へ行く予定。8時10分発、9時30分着の予定だから、7時には深せん空港に入る必要があるため、逆算すれば、何と今日は5時起床!

 そこで、ホテル内で朝食をとる時間がないので、朝食は弁当にしてもらい、バスの中でこれを食べることになっていた。6時にフロントに集合し、出発したバスの中で配られた弁当を開けてみると、
これが何と小さい発泡スチロールのパックに入れられた玉子をからませたチャーハンだけ。温かいからまだ食べられるものの、冷めたらとても食べられるしろものではない。ひどいものだ。
昨夜の水のペットボトルのサービスのないことや国際電話をするには先に300元の保証金を積まなければならないなど、今どき、時代遅れもいいところ。「歴史ある高級ホテル」と謳われた
「新都酒店」のサービスや朝食としては、あまりにもお粗末という他ない。もちろんガイドも、この弁当のひどさには文句をつけており、私たちツアー客に謝っていたが、
近畿日本ツーリストとしても、来週からのこのツアー客に対しては直ちに改善しなければ・・・。

2 国内線で深せんから桂林の空港へ(8:10~9:30)

(1)チャーハン弁当の朝食に不満を抱きながら、空港へはバスで約40分。その後、市内から西北へ約32キロのところにある深せん空港へ到着し、時間待ちの間、しばらく売店で、
レイチを含む珍しい果物を見物しながら、チャッカリと売り子さんと記念撮影。乗り込んだ国内線の飛行機の中では、ツアー客はみんなウトウトひと眠り。そして9時30分に着いたのは、
1996年に新しく完成したという広くてきれいな桂林の両江国際空港。

(2)今日の市内観光と明日の漓江下りが今回のツアーのメイン観光だ。この桂林でも、バスへの一番乗りは、もちろん私たち。もっともここでは、広州からずっと一緒の男性添乗員のAさんの他、
新たに桂林の女性ガイドの張さんとカメラマンBさんの3人が一番前の席に座るため、私たちは2番目の席におさまり、市内観光へスタート。

3 桂林というまち

(1)桂林は広東省の西隣の広西チワン族自治区にある都市。広西チワン族自治区の西隣りは雲南省だし、西南はベトナムに接している。桂林はこの広西チワン族自治区の東北部に位置しており、
四方を山で囲まれ、中心部を漓江が流れている中国でも有数の観光地。漓江沿いに広がるカルスト地形の絶景は天下有数のもの。

 紀元前2世紀に秦の始皇帝が桂林郡を設置して以降、桂林は嶺南地方(広東と広西をあわせた地区)の政治・経済・文化の中心地として栄えてきた。

(2)以上は、ガイド本からの知識だが、空港から市内までの約40分のバスの中で、ガイドの説明から勉強した知識は次のとおり。

 ①桂林への旅行客は日本人が一番多いが、日本から桂林への国際線の直行便が福岡だけ週3便あるため、桂林への日本人旅行客の中では、九州の人が多いとのこと。
また2003年のSARS騒動のため、その時期は観光客が途絶え、ガイドも仕事が休みとなったが、今年のゴールデンウィークは、20万人が桂林を訪れ、漓江下りには3万人が訪れたとのこと。

 ②桂林の市の木は金木犀。そして、桂林の「桂」は「かつら」ではなく、金木犀を指すとのこと。桂林は秦の始皇帝がこの地に、桂林郡を設置してから2000年の歴史を持つ土地だが、
始皇帝の時代からこの土地には金木犀の木が多かったので、「金木犀の林」すなわち「桂林」と名付けられたとのこと。そして金木犀の咲く10月が、桂林観光のベストシーズン。
また、この金木犀は、お茶やお酒にも使われているとのことだ。

 ③桂林は暖かいので、お米は二毛作で作られているが、実はあまりおいしくないらしい。そして中国でお米がおいしいのは、やはり北の地方とのこと。

 また桂林の名物料理は、お米から作るビーフン料理とのこと。桂林のビーフンには、太い普通のめんと名古屋のきしめんのような平べったいものの2種類があるとのこと。桂林の人たちの朝食は、
いつもこのビーフンとのこと。そして、今夜の夕食は、この名物ビーフン料理を楽しめるとのことだ。さらに、桂林市内から漓江下りの船着場までには蓮の花がたくさんあり、
レンコンがたくさん採れるとのこと。また、果物は豊富で、ライチ、マンゴー、スイカ、バナナなどが1年中食べることができるとのことだ。

 さらに驚いたのは、山が多い桂林にはヘビが多く、そのためヘビ料理もさかんで、これがおいしいとのこと。そして何と、犬料理も名物で、犬の肉料理の味は抜群とのこと。そのため桂林では、
食べるために飼っている犬はいるものの、外を歩いている(?)犬は一匹もいないとのことだが、ホントにそのとおり、犬の姿は1度も見ることはなかった。

 ④桂林が水墨画のような奇岩で有名なカルスト地形となったのは、この地が昔、海だった時代に石灰岩が多かったためとのこと。とがった形の桂林特有の山があちこちにできたのは、
それなりの理由があるというわけだが、その詳しい根拠は実は私にもよくわからないまま・・・。

 ⑤次に都市問題について。桂林は観光都市。漓江下りの観光だけで市民が飯を食っていると言っても過言ではないほど、観光におんぶに抱っこの観光都市だ。
最近、市内から漓江下りの船着場まで走る高速道路ができたが、これも観光によってガッポリと儲けたお金によるものとのこと。したがって、桂林市内では「都市の景観」には、
とりわけ気をつかっており、市内では日本の京都市並みに建物の高さ制限があり、すべての建物が10階に高さ制限されているとのことだ。そのため桂林市内では、5つ星のホテルでさえ
10階までの高さ。唯一の例外は「香江飯店」で、それが市内で一番高い建物だが、それでも19階建てとのこと。また市内は狭いので、最近は郊外にマンションを買う人が増えているとのこと。
私たちのツアーが宿泊するホテルである桂林航空大酒店は郊外にあり、市内から車で約20分。空港と市内のほぼ真ん中あたりだ。空港から市内へ向かうバスの中で、
郊外にある別荘風のマンションが新しく建てられているのを見たが、これが今、売りに出されている郊外型マンションとのことだ。

(3)以上のように、女性ガイドの張さんは、知識をいっぱい提供してくれた。もっともメモを取りながら、この話を一生懸命聞いているのは私たちだけだったが・・・。

4 畳彩山(じょうさいざん)見学(10:30~11:30)

(1)桂林市の北部、漓江のほとりにそびえる高さ223mの奇峰が畳彩山。岩肌の地層が何重にも折り重なったように見えるところから、畳彩山と呼ばれるようになった、とのこと。

(2)ガイド本からの事前情報はさておき、桂林市内見学の最初は、この畳彩山見学。というよりも畳彩山「登り」。ツアー御一行様には年配の人が多いので、ガイドはさかんに、
この山の階段上りはきつい、しんどいと説明。「どうしても途中でギブアップしたいという人がいれば、必ずそこでストップして休んでいて下さい。下り道で合流して一緒に下りますので」
とまで言って、さかんに予防線を張っていたが、たしかに山の頂上まで登るのはかなりの肉体労働。もっとも、日頃フィットネスクラブで足腰を鍛えている私は、全く平気。
北京旅行で万里の長城の階段や坂を上り下りした時の運動量に比べれば、約4分の1程度か・・・?それでも、頂上まで階段を歩いた約20分間で、汗がどっと吹き出てきたのは当然。

(3)畳彩山の頂上からは、桂林市内の四方に広がる景色が一望できるが、とりわけ北から南に流れる漓江を山の上から見おろす景色は何とも絶景。15分ほど頂上で写真を撮りながら、
この景色を楽しんだ後、下山。そしてちょうどお腹のすいたところで昼食だ。

5 昼食(11:30~13:00)

 今日の昼食は、桂林大酒店というホテルの中にある「東居」という立派なレストラン。吹き抜けのロビーには、大きな池があり、その中にはミニ桂林ともいえる奇岩が・・・。
ここでの昼食も広東料理のコースで、結構おいしいもの。ビールの値段は正確には覚えていないが、15元だったか・・・?

6 七星(しちせい)公園(13:00~14:00)

(1)七星公園は漓江の東に広がる桂林最大の公園。ガイド本によると、4つの峰がそびえる普陀山と3つの峰がそびえる月牙山、合わせて7つの峰を持ち、その並び方が、北斗七星に
似ているところから、七星公園と名付けられた、とのこと。

(2)七星公園の中には、桂林動物園がある。その中のメインは、桂林に一匹だけいるという、パンダのビビーちゃん。といっても、既にかなりの老齢とのことで、動物園内のハウスの中で
じっと寝ている(?)パンダを外からひと目ながめて、写真を撮っただけのこと。なおこの動物園では、本物の虎の上にまたがって乗り、写真を撮るという面白い体験を20元の料金でしたが、
もし、あの時あの虎が途中で暴れ出したら・・・と思うと・・・?

(3)七星公園の最大の見モノは、駱駝山(駱駝岩)。これが七星公園のシンボルで、頭の形や背中のコブの形までホントに駱駝そっくり。見事なものだ。

7 おみやげ屋へ(14:00~14:20)

(1)ここで、ツアー旅行恒例のおみやげ屋へ行くことに。七星公園の近くの「桂林天然竒石館」という、おみやげ屋での売りモノは、その店名からわかるとおり漓江の流れの中で自然に模様が
刻まれたという、岩(石)がメイン。私も、1万円と言われた、春夏秋冬と名付けられた、縦5センチ、横10センチほどの4枚の石を5000円なら買うと言って買ったが、
これは結構キレイなもの。

(2)面白かったのは、20キロにも及ぶ、46万円と提示された縦30センチ、横60センチ、幅7センチ位の模様のついた大きい石。ほとんど冷やかし感覚で、1割の5万円なら買う
と言ったところ、途中から店長のお出ましとなり、真剣な値段交渉に。送料が実費で約2万円かかるとの説明には納得したが、それなら現物3万円プラス送料2万円の計5万円で譲らないまま、
交渉決裂か、という状況に・・・。すると、何と店長は私を店の端っこに連れて行き、ヒソヒソ話で、10万円まで値下げしてきた。弁護士生活30年の私としては、これは7万円出したら、
買えるだろうという感触だったが、私の方からその価格の提示をしなかったため、結局、話はもの別れとなって、次の見学へ・・・。日本に帰ってから考えてみると、
あれを7万円で買っていたら結構、話のネタとなって面白かったかも・・・。

8 今度はお茶の実演へ(14:20~15:00)

 これも、中国旅行恒例のお茶の実演。杭州では、龍井茶についてかなり詳しく説明を聞き、販売攻勢の中、値切りに値切って購入したが、ここ「聚茗苑」というお店では2班に分かれて、
①桂花王茶、②茉莉花茶、③烏龍茶、④一葉茶についての実演と説明だ。しかし北京や杭州での実演販売に比べると、ここは販売努力が不十分。「5個買えば1個おまけ!」という、
いつもの話もあまり積極的でなかったためか、売れ行きはもうひとつだった様子。

9 象鼻山(ぞうびさん)見学(15:15~16:15)

 象鼻山は、漓江と桃花江の合流地点にある小さな山。象が漓江に長い鼻を伸ばして水を飲んでいるように見えるところから、こう呼ばれるようになったもの。また象の鼻と足にあたる岩の間にある、
アーチ状の大きな穴のすぐ脇にある水月洞と呼ばれる小さな穴は、観月の名所としても知られている、とのこと。当たり前だが、どのガイド本にも載っているとおりの実物を目の前に見ると、
その美しさにうっとり。天気も最高だったから、写真写りも上々!

10 ホテルへ入り、ひと休み(16:50~17:50)

 以上で市内観光の3か所が終了。本当はもっといろいろと見学したい名所はあるものの、とりあえずこの3か所を見るだけで目いっぱい。それでもいい天気のもと、たっぷりと桂林市内の
有名なところを見学できて大満足。今日と明日、連泊するホテルは桂林の郊外にある「桂林航空大酒店」。ドアを開けて入ると、正面に大きな象鼻山の絵(?)が掲げられていたが、
これは実は絵ではなく、石細工による立派なもの。ホテルの部屋に入って畳彩山でかいた汗をフロで流し、ナイトクルーズで夜遅くなることも計算して髪も洗い、スッキリしてから夕食へ。
朝、ガイドから聞いた名物のビーフン料理が楽しみだ。

11 夕食(18:00~19:00)

 桂林での1回目の夕食は「西苑叙福楼」にてビーフン料理。と言っても、普通の広東料理に汁ビーフンと焼きビーフンがプラスされたもの。期待して食べたが、正直言って味は
あまりたいしたことなし。ちょっと残念。

12 全員で桂林市内散策(19:30~20:30)

 夕食の後はツアー客全員で、桂林市内の夜の街「正陽街」を散策。周辺に店が立ち並ぶ人がいっぱいの夜の街を約30分かけてブラブラ歩き、解散。

13 2人での桂林市内散策(20:30~21:30)

 桂林には漓江下りとは別に、桂林市内にある2つの川と4つの湖を船に乗ってめぐるナイトクルーズの観光がある。今回のツアー旅行にこれが入っていないのは、料金と時間の両方から
少し無理があるためらしい。しかし私たち2人は、昼間からこれをオプションとしてガイドに注文。そして21時30分から約1時間半のナイトクルーズ予約がとれていたため、
ひき続き市内の夜の街をブラブラ歩きながら、安物の店を散策したり、クルーズの船内で飲む缶ビールを仕入れたり・・・。 

14 ナイトクルーズへ(21:30~23:00)

(1)ガイドに頼んで1人180元で特別注文した、ナイトクルーズの出発は、解放橋の近くの船乗り場から。ここを出発して漓江を北へ進み、左回りで順次①木竜湖(もくりゅうこ)、
②桂湖(けいこ)、③榕湖(ようこ)、④杉湖(きんこ)という4つの湖と桃花江(とうかこう)という江を回り、最後は象鼻山近くの船着場に到着する約1時間半のコースだ。
橋全体が明るくライトアップされ、そりゃ見事なもの。市内にある、ライトアップされた金塔、銀塔、そしてイスラム寺院を、ゆっくりと進む船の中からながめる趣きは格別。

 ツアー客19名のうち、私たち2人以外の17名はこのナイトクルーズを体験していないことになるが、それでは桂林の魅力の半分しか感じとることはできていないのでは・・・?

(2)ナイトクルーズで面白いのは、水位調整のための水門が2か所あり、ここでは船を一時停止して、水位の調整をした後、再度出発する体験をしたこと。
水門による高さ調整は話としては聞いていても、体験したことはなかっただけに、なるほどと納得。しかし本当に人に説明できるほどわかっているのかどうかは・・・? 

15 タクシーでホテルへ、就寝

 ナイトクルーズが終わった後は、その美しさの余韻にひたりながら、タクシーに乗ってホテルへ。今日は12時前に寝て、明日の漓江下りに備えなければ・・・。

男性添乗員のAさんと桂林のガイドの張さん

畳彩山の頂上にて。美しい景色と共に。

ホテルの1階の吹き抜けロビー

動物園の中、虎にまたがった勇気ある坂和弁護士

私と並ぶと、駱駝山(駱駝岩)の大きさのイメージが

これが象鼻山の水月洞

ナイトクルーズで見た、美しくライトアップされた金塔

美しくライトアップされた解放橋

3日目

1 ホテルにて朝食(6:30~7:30)

 ホテルでの朝食はバイキングと相場が決まっているが、今回もそのとおり。内容はまずまず。家ではほんの少ししか食べない朝食も、中国旅行となると、珍しいものをいろいろ食べてみたい
という気持と、料金負けはしないようにという気持で、とにかくお腹いっぱいになるまで食べるから不思議なもの。これで準備万端オーケーだ。

2 漓江(りこう)下りのため船乗り場に向けて出発(8:00~9:00)

(1)8時にバスに乗り込み、竹江にある船乗り場まで、きれいに整備された道路で約30~40分。

(2)漓江下りは桂林観光のハイライト。これは桂林市から陽朔(ようさく)へ南北に流れる漓江を、遊覧船に乗って北から南へ下っていくもの。
「奇岩奇峰の間を流れる漓江に沿って広がる、水墨画のようなカルスト地形の美しさは天下絶品」と、どのガイド本にも書かれている。現地でもらった『漓江游』のパンフレットによると、
桂林市の、①象鼻山から最終の陽朔まで、83キロの流れがあるが、漓江下りは、そのうち②塔山③磨盤山を省略して、④竹江からスタートする。
そして、⑤蝙蝠山⑥望夫石⑦冠岩幽洞⑧楊堤秋色⑨浪石煙雨⑩九馬画山⑪黄布倒影⑫興坪⑬五指山を通り、最後の陽朔までの43キロを、途中下船しなければ、約3時間で下っていくもの。
さあ、楽しみだ。

3 近畿日本ツーリストのチャーター船に乗り込み(19名+2名)(9:00~)

(1)事前にガイド本を読んでも、日本人ツアーはどんな船に乗って行くのかよくわからなかったが、近ツリ御一行様には、冷房が完備された、漓江下りの近ツリ専用船があるとのことでひと安心。
さらに、この専用船は途中、⑦冠岩幽洞で下船して、1時間余りの鍾乳洞の見学があるうえ、昼食も団体客向けのバイキングを準備してくれるとのこと。しかし、船の中だからビールは高く、
1本20元するとのこと。そこでは、早めに缶ビールを仕入れておかなければと思ったが、船つき場では既に缶ビールが10元と高くなっていた・・・。

(2)座席指定となっているため、当初は各自自分の指定席に座ったものの、今日はこの専用船の中は私たち19名のツアー客にプラス2名だけということだったので、広い船内のどこでも
自由に座れるという大幸運。おまけに、バイキング料理を食べる2階の席にも自由に座れるため、私たちはすぐに2階に上り、1番前のベストポジションをキープ。ここを根拠にして、
2階の前後のデッキに出たり、3階のデッキに出たりしながら、漓江下りをたっぷりと楽しむことができた。

(3)ちなみに、漓江下りの船はたくさんあったが、その多くは満員の乗客。だから、その船にはデッキにいっぱいの人が群がり、写真撮影も自由にできないのではないか、という感じ。
それに比べれば、私たちの21名乗り込みの冷房完備、バイキング料理付きの専用船は、天国みたいなもの。なお、ガイド本によると、この漓江下りの料金は昼食、
送迎代を含め400~600元と書かれているから、これを含めたツアー料金総額59800円は安いものだ。

4 乗船から冠岩幽洞まで(9:00~9:40)

 乗船してから、鍾乳洞見学のために一時下船する⑦冠岩幽洞まで、約40分。この間に見える両岸の景色もすばらしいものだが、ハイライトは⑦冠岩幽洞の後から登場してくるとのこと。
したがって、この40分間に写真を撮りまくっていると後悔することが多いというガイドのアドバイスを頭におきながらも、写真撮影に没頭。なお⑥望夫石は、
「若い母親が子供を背負って夫の帰りを待ち望んでいる姿に見えるのでこの名がついた」とのことだが、これは意外とチャチ(?)なもの・・・。しかし、こんなすばらしい天気の中、
こんなにゆったりと漓江下りを体験することができて、ホントに最高と自分で納得だ。

5 冠岩幽洞で下船し、鍾乳洞の見学(9:40~11:30)

(1)ガイド本には、この鍾乳洞は、「岸壁に洞窟があり、その中は鍾乳洞になっている。ここを通り抜けると、桃源郷(「桃花源跡)」に辿り着くという伝説もある。
ちなみに冠岩幽洞の少し下流にある町の名は桃源村」と簡単に書かれているだけ。しかし、1990年代に発見されたこの鍾乳洞は、その後きれいに整備されたとみえて、
私たちが見学した鍾乳洞の中はものすごい規模で、すばらしいもの。

(2)まず、鍾乳洞の中がベラボウに広い。階段を上り下りしながら歩き回り、いろいろな珍しい形をした岩石を紹介してもらい、そのたびに感嘆の声をあげる私たちツアー客!
そして要所、要所はかなり明るくライトアップされているので、写真も十分きれいに撮れる。

(3)さらに驚いたのは、鍾乳洞の中を走る長いトロッコ列車。こんなものに乗って移動するのだから、鍾乳洞の中がいかに広いものであるかがわかる。鍾乳洞の中のハイライトの場所には
写真撮影用に、少数民族の衣裳を着たモデルがたくさんいる。しかし、これは1度写真撮影する毎に5元が必要なので、ほとんどのツアー客は利用していない様子。

(4)本当にビックリしたのは、鍾乳洞の1番地下を流れている川を、10人単位の小船に乗って進んだこと。この幻想的な雰囲気の中、小船に乗って川を進んでいくというイメージは、まるであの、
『オペラ座の怪人』の地下シーンそのもの。ホントにいい体験をさせてもらったと感謝!鍾乳洞の「探検」が終わると暑い日射しの中、桂林冠岩と名づけられた美しい景色の下で写真をパチリ。

6 バイキングを楽しみながら、漓江下りのハイライトへ(11:30~12:30)

(1)冠岩幽洞での鍾乳洞見学が終わって再び涼しい船内に乗り込むと、ほどなくバイキングタイム。私たちツアー客はそれぞれ2階のテーブル席に陣どり、バイキングに舌つづみ。
昨日の畳彩山登りの後の昼食といい、今日の鍾乳洞見学後の昼食といい、ちょうど運動してお腹が空いたところでの昼食は、グッドタイミング。持ち込みの缶ビールを飲み、
おいしいバイキングを食べながら、要所、要所ではデッキに出て写真を撮るという楽しい時間だ。

(2)漓江下りのうち、④竹江⑤蝙蝠山⑥望夫石⑦冠岩幽洞の間が、約40分。そして、それに続く昼食を食べながらの⑧楊堤秋色⑨浪石煙雨⑩九馬画山⑪黄布倒影⑫興坪の間の約1時間が、
漓江下りのハイライト。つまり、この間にある両岸の奇岩奇峰が最も有名というわけだ。中でも、⑩九馬画山は、「前方の山の岸壁に斑紋のような色の濃淡ができてそれが一幅の巨大な馬の壁画
のように見える」ため名付けられたものだし、⑫興坪は、「古い町で景色が素晴らし過ぎてまるで桃花源仙境のようである」と言われているところ。

 そして、中国人民元の20元札の裏面に印刷された水の流れとその両岸の美しい景色は、この漓江下りの⑫興坪の景色を印刷したものだ。印刷されたものと全く同じ写真は撮れなかったものの、
テレビでも見た景色を自分の目で確認できて大感激! 

7 ハイライトの後は昼寝組続出(12:30~14:30)

 食事をしながら美しい景色を楽しんだ後は、私も含めてみんな眠くなってきた様子。⑫興坪の後の景色も美しいものだが、ここから陽朔までの両岸には桂林特有のとがった山が少なく、
一般的な美しさの風景が続いていく。そんな中、あちこちのテーブルでは、ツアー客は、うつらうつらとお昼寝タイムに。そりゃ、鍾乳洞見学では歩き回って、ほどよく疲れたうえ、
食事をしてお酒を飲んでお腹がいっぱいになれば、人間誰でも眠気の欲求に襲われるのは当たり前。至福の昼寝タイム(?)にも大満足!

8 下船は陽朔(ようさく)(14:30)

 下船するのは陽朔。ここ陽朔県は、桂林市にある11の県の中の1つであるうえ、桂林市の直轄下にある人口28万人の小さな県だ。ガイド本によると、
「漢の時代に治安県が設置されたことにまちの歴史が始まり、現在の名前は590年(隋の開皇10年)に陽朔県とされたことに起源をもつ」とのこと。この陽朔は、
「桂林以上に山水画の風景が美しく、奇岩、奇峰が幾重にもまちを取り囲んでいて、そのすばらしさは桂林の比ではない」と書かれている。

9 西街散策(14:40~15:00)

(1)陽朔で下船し、散策したのは「西街」という小さな街並み。道の両側ではいろいろな物を売っており、中国旅行特有の「1000円!1000円!」という売り子も多いが、
それもまた結構面白いもの。私の目についたのは、レストランで食事をしたり、カフェ(?)でくつろいでいる外国人が多いこと。バスに乗ってから聞いたガイドの説明によると、
ここ陽朔には、その美しさに魅かれてやってくるヨーロッパからのツアー客が多く、最近はここに別荘を買うヨーロッパの人もいるほど、有名になっているとのこと。

 この旅行から帰って、あらためてガイド本を読んでみると、ここ陽朔の西街は、地元の人には「洋人街」と呼ばれている有名なまちということだ。

10 帰路、高田郷で写真撮影(15:00~15:20)

 西街を約20分ほど散策しながら通り抜けると、今度は9人乗りのカートに分乗して、私たちを待っているバスの駐車場へ。そして、桂林への約2時間の帰り道に立ち寄るところは
高田郷という美しいまち。ここは県城、興坪郷と並んで、陽朔で最も美しい景色といわれている田舎まちだ。

 バスが到着したのは、川をまたぐ橋を越えたところ。この橋から見下ろす川と西岸の景色は何とも絶景で、ここが記念撮影をする場所に「指定」されているわけだ。橋の上を車が行き交う中で、
写真を撮るのは大変だが、そのすばらしい景色には思わず息をのんだ。これですべてが終了。再度バスに乗り込んだ後は、約2時間、桂林への帰り道。バスに揺られながらの、
睡眠タイムもいいものだ。

11 みやげ店(掛軸屋)へ(17:00~17:35)

(1)さあここで、ツアー恒例のおみやげ屋訪問だが、今回は掛軸屋。私は掛軸には別段興味はないので、買うつもりは全くなく、お茶を飲んだ後、時間つぶしと勉強のためと思って、
1つ1つゆっくりと見て回っていたところ・・・。

(2)店内はかなり広い。そして掛けられている掛軸はかなり多い。しかしその値段を見ると1本2万、3万、4万円から10万円というものが多い。こりゃ高い!かなりふっかけているな
と思いながら見ていると、店員がすり寄ってきて3割引きにするとのこと。そんなことは言われなくてもわかっている!もともとの値段の表示が高すぎることは承知の上だから、実際の売値として
いくら位を想定しているのか、いろいろ考えながら、ここでも「1割なら買う!」というところからスタート。さすがに1割でオーケーとはならないものの、半額は当然というところ。

(3)ぐるぐる回って見ていると、目についたのが少し小ぶりの8000円(600元)という表示の掛軸が20本位並んでいるところ。「高いヤツと比べて、これはなぜ安いのか」と質問すると、「作者が有名ではないからだ」という答え。私にはどうせ作者などわからない。しかし書いてある絵のレベルは、私が見る限りそんなに変わるとは思えないので、
これを2000円位に値切って買えればいいだろうと思い、値段交渉に・・・。

(4)2000円はオーケーしなかったものの、遂に200元(約2600円)ならオーケーというところに到達し、商談成立。そこで、1番ポピュラーと思われる象鼻山を描いた1本の掛軸を購入。
さらに出発するまでブラブラ見ていると、「もう1本どうですか」と言ってきたので、「同じクラスのものを150元にするならもう1本買う。まとめて買えば安くなるのは当然だ」と交渉すると、
みんなが店を出ようとするギリギリの時間になって180元でオーケーとなったので、もう1本、今度は畳彩山を描いた掛軸を購入。こうなると、買い物も知的ゲーム、
駆け引きゲームとして楽しいものだ・・・?

12 今日の夕食はホテル内(18:30~19:30)

 今日の夕食は私たちが宿泊している「桂林航空大酒店」内の2階にあるレストラン。こりゃ楽だが、味はどうかなと心配しつつ、部屋でシャワーをして汗を流し、
髪も洗ってスッキリした状態でレストランへ。びっくりしたのは、ここではビール1本が9元と安いこと。そして食事もおいしく十分満足!

13 少数民族のショーへ(オプション)(20:00~21:10)

(1)次はオプションとして参加する少数民族のショー。これは「漓江刷院(LIJIANG THEATRE)」で行われているもの。事前にガイドさんに「いい座席をとってね」
と頼んでいたことが効いたのか、私たち10数名の席は、何と1番前の真ん中のテーブル席2つ。この一等席で飲み物を飲みながら、少数民族のショーの鑑賞だ。

(2)バスでの移動中、ガイドからの説明で、

 ①中国には漢民族の他、55の少数民族があること。

 ②広西チワン省の人口の4分の1が少数民族だが、中でもチワン族が1番多く約400万人いること。

 ③桂林には13種類の少数民族がいること。

 ④もっとも、少数民族の多くは山間部に住んでいるため、桂林市内に住んでいるのは5%だけであることなどを教えてもらっていた。

 また、⑤チワン族の女性は、髪の毛を8歳の時に1度切るだけで、後は死ぬまで1度も切らず、髪の毛の長さが女性の美しさの象徴とされているとのこと。

 さらに、⑥ミオ族の女性は首が長いのが美人とされているため、首にネックレスをつけて毎年少しずつ首を伸ばしているとのこと。

 そして、⑦少数民族の中では、ミオ族の女性の顔が1番美しいが、ミオ族はいつも頭の上に重い飾りモノをのせているため、身長が低いとのこと。これらの他、結婚やお祝ごとの風習など、
ガイドから聞いた少数民族のさまざまな習慣や生活ぶりの話もいい勉強になるものだった。

(3)こんな予備知識のもとで観た少数民族のショーは美しくて楽しいもの。もっともこれは、1日目の深せんの民俗博物館の野外劇場で観た『竜と鳳凰の踊り』ほど大規模ではなく、
ふつうの劇場でのショー。しかし、何よりも出演する女性陣の美しさにうっとり。写真撮影自由だから、フラッシュを光らせて撮った写真、デジカメも、そのほとんどが美しい女性に集中。
やはりスケベ心はいつでもどこでも変わらないものだ・・・?

 中でもびっくりしたのは、ミオ族の女性数名が登場した、足まである美しい髪を洗う風習をテーマとした踊り。その艶かしいこと・・・。
スケベおやじのあなたも(?)これは是非1度観なければ・・・。

(4)ショーの終了後は、出演者数名が玄関に立ち、観客との記念撮影に協力してくれるという前回の杭州旅行ではじめて体験したサービスが・・・。
並んだ4人の女優さんと何枚か記念写真を撮ったが、少し残念だったのは劇中で1番キレイだった女優さんがここに並んでいなかったこと・・・。まあそれでも十分楽しめたことはまちがいなし。

14 中山路の夜のまちを散策(21:30~23:20)

(1)ツアーのお客さんはショーの観劇後、バスに乗ってホテルへ帰るわけだが、私たち2人はここから別行動。タクシーで桂林市内へ行き、夜のまちの散策だ。私たちが着いたのは中山路という
桂林のメイン道路。ここでは夜の7時20分以降、道路を半分ふさいで屋台がズラッと並んでいる。最初に目についたのはお茶の販売の屋台。昨日の夜の散策で買ったものと同じお茶が
かなり安い値段で売っていた。そこで、さらに値段交渉をして3本100元で購入。

(2)さらにブラブラ歩いていると、タペストリーを販売する屋台があった。1枚30元と言われた少数民族の絵柄のものが珍しいので、「2枚で30元にしろ!」と交渉しながら、
いろいろ見ていき、結局は3枚で50元ということに・・・。日本へのいいおみやげになるだろう・・・。

(3)珍しい体験をしたのは、似顔絵を描く屋台。3人の若い男性アーティスト(?)が座って似顔絵を鉛筆で描いている。その背後には有名な男優、女優そしてフセインやビン・ラディンの似顔絵
などがいっぱい掛けられている。「これは面白そう」と思って、値段を聞くと、似顔絵は10元、Tシャツは30元とのこと。もっとも、描くのに15分ほどかかるというので
ちょっとしんどいなと思いつつ注文すると・・・。

(4)たまたま2人の絵描きの手があいていたので、2人が同時に私の似顔絵を描くとのこと。そして気に入った方を買ってくれたらいいという大サービス。できあがったA、B2つの作品をみると、
明らかにAの方がベターだった、私としてはもともと両方とも買うつもり。また、Aの作品が気に入ったので、それをTシャツにプリントしてもらおうと思ったら、そうではなく、Tシャツには
再度絵筆で描くとのこと。それをするとさらに15分ほどかかるので、しんどいなと思いつつ注文したが、完成品を見ると実によくできている。これはいいおみやげができたと大満足!
2人の若いアーティストと共に記念撮影もバッチリだ。

 こんな風に楽しんでいると時刻は既に23時。ホテルに帰って寝るのが妥当だが、せっかくここまで来ているのだからと、さらに足つぼマッサージに行くことに・・・。

15 足つぼマッサージ(23:30~0:30)

 桂林で足つぼマッサージ店を経営しているのは台湾の人が多いとのこと。私たちが入った店もビルの6階にあるかなり高級な店。超豪華なソファーに座り、足を薬草入りの熱いお湯につけている間、
肩や腕のマッサージをしてくれるのは、短い白いスカートと赤いシャツを着た可愛い女の子。そして一瞬胸元もチラリ・・・。もっともそれは準備作業中の一瞬だけで、足つぼマッサージに入ると、
半分ウトウトしてそれどころではない。「これぞ至福の時!」という60分の足つぼマッサージは68元也!

16 ホテルへ帰りやっと就寝

 足つぼマッサージが終わったのは、日付が変わった0時30分。タクシーでホテルへ帰り、早く寝なければ・・・。明日は朝から広州へ戻るので、5時15分起床だ!

五星紅旗と漓江の風景。

美しく広がる漓江両岸の風景。

冠岩の名物、大規模な鍾乳洞。

漓江下りのハイライトへ。

船の前部デッキにて。

この人がこの劇団の主役スター・・・?

出演の女優と並んでバッチリと記念写真。

3枚50元にまけてもらって買った、タペストリー。

4日目

1 5:15の起床

 楽しかったツアー旅行もいよいよ最終日。今日は6時からバイキングの朝食を食べて6時半にバスに乗り込み、7時から広州行き国内線への搭乗手続だ。そのため、5時半に大きな荷物を
部屋の外に出さなければならず、5時15分にモーニングコールの予定。

 昨日寝たのは、1時過ぎだから、かなりの睡眠不足は当然。しかし頑張って早起きだ!

2 桂林から広州へ(8:00発、9:00着)

 帰りついた広州空港(白雲空港と呼ばれている) は、1日目に入った空港だが、1日目のそれは国際線。しかし今日着いたのは、広州空港の国内線。それはともかく、今日の広州見学のガイドは、
1日目からずっと付き添ってくれている男性のAさんのみ。今日の見学用バスへの乗り込みも、もちろん私たちが1番乗りとなり、ガイド用に1番前の席を空けて2番目の席に陣取った。

3 広州空港の解説

(1)バスの中でのガイドの説明によると、私たちが今日利用した広州空港は、広州市内の西方約6キロのところにあるもの。しかし広州市の西方約30キロのところに建設されていた新空港が
6月末には開港されるとのこと。またそのために建設されていた、新空港に向けたもう1本の高速道路も今年の夏には開通するとのこと。要するに、中国では、あらゆる都市で郊外型の新空港と
それに直結する高速道路が次々と建設されているわけだ。とにかくそのスピードの速さにはびっくり。

(2)1974年の弁護士登録後、直ちに大阪国際空港公害訴訟の弁護団に入って活動した私には、伊丹空港の欠陥ぶり、つまり住宅密集地の上をジェット機が騒音をまき散らしながら
飛んで行く姿に、異様さを覚えたものだが、今日、この広州空港に降り立つ時に窓から見た景色が、これとよく似ていたのでびっくりしたもの。中国では、いくら騒音がひどくても、
これに文句をつけることなど考えることもできないのかもしれないが、今の広州空港では住宅密集地の上を飛行機が飛び回っていることは明らか。その意味からも新空港の建設は妥当だ。
またガイドの説明によると、現空港は住宅密集地の中にあるため、住宅も高いものを建てることができず、一定の高さに制限されているとのこと。ここにもさまざまな都市問題があることがわかる。
いろいろと勉強すれば面白いものだ。

4 西漢南越王墓見学(9:15~10:45)

(1)私の事前のガイド本による勉強によると、西漢南越王の墓についての情報は次のとおり。すなわち、嶺南地方(現在の広東省と広西チワン族自治区一体)は、秦の始皇帝が
紀元前214年に占領して統治をした。秦の崩壊後、秦の将軍であった趙佗が自ら王を名乗り、ここに南越国を建国し、現在の広州を都とした。この西漢南越王墓は、1983年、
偶然、前漢時代の南越国第二代王文帝の石室墓が発見された。この墓は2200年前のもので、中から1000点以上もの埋葬品が出土した、というものだ。

(2)この事前情報によって、私はてっきりこの西漢南越王の墓は、秦の始皇帝陵と同じように小高い山の中にあるものだと勝手にイメージをふくらませていた。
そのため、今日の暑い広州での日差しの中、汗をかきかき歩き回るものだと思い、日傘まで用意していたが、実はそうではなかった。つまり、西漢南越王の遺体が納められているのは、
西漢南越王博物館という立派な建物の中なのだ。

 この西漢南越王博物館は、西漢南越王の墓から出土したさまざまな貴重品を陳列するため、1988年に建設されたもの。もちろん内部は冷房が効いており、
館内を案内するガイドの日本語も達者なものだ。

(3)西漢南越王博物館は、主に①古墳保護区、②出土文物の陳列、③陶磁器枕の陳列という3つの空間に分けられているが、メインは西漢南越王の糸縷玉衣。この赤いシルクの糸と
1191枚の玉片で覆われた糸縷玉衣は撮影禁止のものだったが・・・?今から2000年前の南越王の時代の王さまの生活ぶりが、文帝行璽金印や屏風の力士型銅製台座、
角玉杯等に見事に残されていることがよくわかる。

(4)館内を案内するガイドの説明や資料によって、私にはっきりわかったことは、

 ①初代の南越王となった武王(BC.203~137)は、始皇帝の部下であり、始皇帝の命令でこの南越地方を治めていたが、秦国が滅亡したため、自分が王となって治めることになったこと

 ②南越王は初代が武王、2代目が文王、3代目が明王と続いていたが、1983年に偶然発見されたのは、この2代目文王のお墓であること

 ③南越の首都は桂林ではなく、万遇(まんぐう)というところにあったこと

など。

 何でもきちんと勉強しなければ・・・。

5 最後のおみやげ店へ(11:00~11:30)

 西漢南越王博物館の見学後、ガイドはさかんに恐縮しながら、最後のおみやげ店へと案内。ガイドの説明によると、
「ツアー旅行は、どうしても1日に1回はおみやげ店に立ち寄らなければならない義務がある。買わなくてもいいので、お茶を飲んで休憩して下さい」と正直な告白(?)。

 立ち寄ったのは、国際会議場の中にある大きなおみやげ店だが、既にどこでも見て、見飽きている商品ばかり。そこで私たち2人は、店内を一目ざっと見渡した後、
30分の時間を利用して近くを散策することに。暑い日射しの中、ブラブラ歩いたのは広州市のバスターミナル周辺の三元里。缶ビールを買って飲みながら、CD店の中でCDやDVDを物色したり、
アヒルの丸焼きを見学したりと、結構有意義な時間を過ごして、バスの中へ。

6 昼食(12:00~13:00)

 今日の広州での昼食は、広東飲茶。ガイドも「おいしい」とさかんにアピールしていたから楽しみ。そのレストランは、空港のすぐ近くにある広くてキレイなお店。店内にはパイロット姿の男性も
多い。飲茶として出てくるものは、1コずつ取るものが多いので、これは平等だが、それ以外にも野菜モノやマーボー豆腐、そしてビーフンやスイカ等が大皿で出てくるので、
それは適当に取り分けることになる。ツアー旅行での食事はだいたい1時間以内の忙しいものが多いが、今日の昼食は13時35分に空港に入ればいいので、1時間半とゆっくり。
そこで私たちは、「ゆっくり、ゆっくり」と言い聞かせながら、お腹いっぱいになるまで、広東飲茶を堪能した。その後は、このビルの中をブラブラするだけ。残念だったのは、食後、
2階に足ツボマッサージの店があることがわかったので、これをのぞいてみたが、30分だけのコースがなかったこと。30分だけでもやってもらったら、気持ちがいいのに・・・。

7 いよいよ帰国、搭乗手続(13:30~15:30)

 予定より少し早くバスに乗って空港に入ったが、まだ荷物が到着していないので、空港内でまた20分ほどブラブラ。おみやげ店に入り、前回の杭州旅行で飲んだ龍井茶を見ていると、
例によって店員が販売攻勢。ここではお茶を試飲させてくれるので、その龍井茶を一服。ちゃっかりと、飲むだけ飲んで店を後にし、いよいよ搭乗手続へ。

8 帰りもガラガラの飛行機内(15:30~19:30)

 来る時も飛行機はガラガラだったのだから、帰りもそうだろうと思っていると、案の定ガラガラ。4日間の「空白」を少しでも補うべく、朝日・毎日・読売・産経・日経の5紙の他、
スポーツ新聞を取って、指定の席に座った。このように日本の新聞・雑誌があるのが中国南方航空ではなく、日本航空のいいところ。しかし離陸するや否や、1番後ろの3列席へ移動。
そこで「阪神快勝!」のニュースはもちろん、昨日の日本の動きをじっくりと新聞で確認しながら、次々と缶ビールとワインを。機内食が出ると、更にそのペースは早くなり、2時間もすると、
いい気分となって眠気が襲ってきた。そこですかさず横になり、アイマスクをして1時間ほどぐっすりと睡眠。

9 真っ赤な日の入りと、飛行機からみる四国、淡路島(19:30~20:00)

 ほどなく目が覚めて、窓から下を見渡すと既に日本列島の上空。「果たして、ここはどの地点か」と思いながら、右側の窓から下を眺めていると、左側の窓から下を見ていた相棒が手招き。
その隣に座って左方向を見おろすと、西の空に真っ赤な太陽が沈んでいく美しい景色がバッチリ。2001年の敦煌旅行の際、敦煌の広い荒野の中で沈む夕陽を見て感動したが、
その時以来の美しい景色。さらに左の窓から下を見ていると、本四架橋が見え、淡路島が見えてきたため、自分の位置をはっきりと把握することができた。何回、飛行機に乗っても、大体寝ているか、
窓から下を見ても1か所からだけなので、なかなか自分の位置はわからないものだが、こんなに位置関係がわかったのははじめてのこと。これは、飛行機がガラガラにすいていたことと、
ちょうど日本時間で19時40分到着という時間帯がよかったことによるもの。最後まで幸運に恵まれたいい旅行だった。

10 無事到着(20:00)

 20時頃、無事飛行機は到着。入国手続もスムーズなら、あらかじめ時刻表を調べていた帰りの南海電車への乗り込みもスムーズ。そしてさらに、地下鉄の連絡やエレベーターのタイミングまで
すべてバッチリ。おかげで23時30分には無事、自宅に到着。

 さあ、明日からは仕事の他、写真の整理や旅行記の執筆をやらなきゃ。今回の楽しい桂林旅行に味をしめて、次は今年の秋に重慶・成都方面へ行かなければ・・・。そして、その次は、昆明だ!

西漢南越王墓をおさめた博物館。

発掘された南越王のお墓。

ブラブラ歩きでみた、広州の三元里村。

「雲南省大周遊8日間」旅行記・・・2004(平成16)年11月28日~12月5日

〔旅行の動機〕

1 一大決心の7泊8日

(1)2004年12月に出版した『坂和的中国電影大観』で私は、「次回の中国旅行のターゲットとして考えているのは、第1に重慶と成都、そして昆明を訪ねる旅」と書いた(25頁)。
しかし重慶と成都をセットにしたツアーはあるものの、雲南省にある昆明は西双版納(シーサンパンナ)・麗江・大理をめぐるツアーに組み込まれている。
したがって、どちらかの選択を余儀なくされるわけだ。

(2)そこで私は西双版納・昆明・麗江・大理7泊8日の雲南省周遊ツアーを選択し、恐る恐る事務局長にその旨を伝えると、いとも簡単に「お好きなだけどうぞ!」とやさしい(?)返事が
戻ってきた。さすが強力な事務局スタッフ!と信用し、「1週間ぐらい弁護士が事務所にいなくとも事務処理には支障はきたさない」と腹を決め、申込みをすることに。もちろん平日の1週間、
事務所を留守にするわけだから、レンタルのワールドホンは必需品。これも昔は1日1000円もかかったが、今はインターネットで申し込めば1日315円だから8日間で約2500円と安いもの。
電話さえあれば仕事はオーケーと割り切り、私としては一大決心の7泊8日の雲南省への旅に出かけることになった。

2 雲南省は『三国志』の諸葛孔明の世界

(1)雲南省が少数民族の国であることはよく知られている。そして雲南省には25の少数民族が生活しているとのこと。私の大好きな『三国志』では、前半は魏・呉・蜀の三国の争いが中心だが、
後半は劉備玄徳亡き後、ちょっとデキの悪い(?)2世皇帝・劉禅を奉じて、国力の弱い蜀の国を何とか維持し、魏の圧力に対抗していこうとする諸葛孔明の姿が中心に描かれる。

(2)そこで孔明が考えたことは雲南省への勢力拡大であり、「異民族」である「南蛮」の懐柔策だ。孔明と南蛮の王である孟獲との戦いは七度とも孔明が勝利したが、孔明はその度に捕えた孟獲を
放したという。これが有名な「七縱七禽」であり、7度目に放された時ついに孟獲は孔明に心服し、蜀ヘの帰順を誓うことになった。これが蜀の諸葛孔明による雲南省の異民族である「南蛮」懐柔策の
理想的な姿だ。三国志の中では孟獲率いる南蛮軍は異様な姿で象に乗って蜀軍に対抗したと書かれているから、かなりの蛮族だったはず。そんな雲南省に出かけて行ってホントに大丈夫・・・?

3 雲南省は漢方薬の宝庫

 昔から高血圧気味の私は、かつて友人から「これは絶対効く!」とのふれこみで、「田七」粉なる顆粒状の薬を購入したことがある。結構高い値段だったが、まとめて大量に買い込んで
一定期間飲み続けたが、いつの間にか放置してしまった。そして気がつけば既に賞味期限切れとなっていたため、泣く泣く処分した経験がある。この「田七」の出所が雲南省だ。
その他、雲南省に行けばさまざまな漢方薬があるはず。果たしてどんなものがあるのか、興味をもって調べるのも今回の旅行の動機の1つだ。

4 昆明は『たまゆらの女』の舞台 

 私の大好きな中国の美人女優鞏俐(コン・リー)が、珍しくも官能ラブロマンスもの(?)に登場したのが『たまゆらの女』(03年)。これは雲南省の昆明と四川省の重慶を結ぶ片道10時間の
「火車」による長距離恋愛をテーマとしたもの。この映画では「三明」とされているが、これは昆明のことと推測され、白磁器の染付け絵師のコン・リーがここに住み、恋人の詩人が住む重陽
(これも架空の名前で実際は重慶と推測)まで通っていくという設定だ。この詩人が贈った詩は『我的仙湖』というもので、三明にある美しい湖をうたったもの。現実に昆明には昆明湖という
中国で9番目に大きい湖があるが、果たしてこれがその湖なのか?旅行に行く前から興味津々だ。こんな風に映画から自分なりの想像力を膨らませて旅行をすれば、
見聞も一層広がろうというものだ・・・。

5 全く知らなかった西双版納(シーサンパンナ)

 中国のガイド本を見てもなかなかシーサンパンナという頁が見つからなかったが、何回か調べるうちに、西双版納=シーサンパンナであること、そしてまたその中心地が景洪だということが
わかった。雲南省の南西部にあるこの景洪市は、シーサンパンナタイ族自治州にあり、その南西はミャンマー、南東はラオスとの国境に近いところ。事前によくガイド本を見て勉強しなければと痛感。
その他の昆明、麗江、大理についても、その名前は知っていても、具体的にどこにあり、どんな少数民族が生活しており、どんな特徴があるのかはほとんど知らなかっため、
事前勉強はしっかりと・・・。そのためガイド本による知識と情報はバッチリ。これらの位置関係については読者の皆様も多分ご存知ないと思うので、以下の旅行記を理解するために、
雲南省全体の略図を下記に掲げておこう。

〔今回のツアーの特徴〕

1 日程の変更

 私が今までに体験した①北京、②杭州、③桂林の3回の中国ツアー旅行は、こちらが日程を決めて申し込めば、
即オーケーとなっていた。しかし今回は当初11月19日出発で申し込んだが、これは募集人員が
集まらなかったため、一週間後の11月26日出発のものに切りかえざるをえなかった。
なぜそうなったのかはよく考えてみると、これぐらいの長期ツアーの参加者は、時間的余裕のある人が
多いところ、11月23日の祝日を含む11月19日出発ツアーの方が多少値段が高かったためと推測される。
さらに旅行社である「クラブツーリズム」の都合によって、26日出発が28日出発に変更されたが、
これは飛行機の便の関係とのことだからやむをえないもの。もっともそのおかげで、多少私の予定にも
変更せざるをえないものが出てきたが・・・。

2 添乗員の同行

 出発の数日前、クラブツーリズムの浮津さんと名乗る女性から電話があった。それは彼女が添乗員として
同行しますというお知らせと旅行の服装についてのアドバイスだった。すなわち1日目に行く西双版納はかなり
南の方にあるため日中は20度を超す気温だが、麗江最大の観光地である玉龍雪山は標高5596メートルの
高地にあるため、かなり気温が低く防寒服が必要とのことだった。その内容はガイド本から得ていた私の知識と
同じだったものの、あらためて直前に具体的に聞かされると、「いよいよか」という実感が強くなってきた。

3 参加者の数とグループ数は?

 私が気になっていたのは参加者の数とグループ数のこと。浮津さんにそれを聞くと、私たち2人を含めて
総計16名のツアーとのこと。また二人連れがほとんどだが、一人参加者も数名いるとのこと。それによって、
大勢のグループはいないと一安心するとともに、思ったより総人数が少ないことに満足。
これなら十分親睦を深めながらの団体行動が可能だろうと思ったが・・・?

4 ツアーのメンバーたち

 夕方4時出発のため2時に関空に集合し、参加者16名全員が浮津さんの「点呼」を受けた。
そこではじめて参加メンバーの顔ぶれを見ると、予想どおり年配の夫婦連れが主だったが、
一人参加者が6名もいることにビックリ。

1日目

1 自宅から関空出発(16:00)まで

 今回のツアーは関空を夕方の4時に出発だから2時に集合すればいい。平成14年夏に大阪市内のマンションに引っ越し、平成15年10月にそれまでの愛車「セルシオ」を放出した後は、
もっぱら自転車中心主義に移った私は、最近は地下鉄に乗ることも多い。昔は大型トランクを引っ張っての海外旅行ともなれば、タクシー利用が当然という感覚だったが、最近の地下鉄には
エレベーターがかなり整備されているため、電車・地下鉄の乗り継ぎで関空へ行くことが十分可能。前々回の杭州旅行、前回の桂林旅行でそれを既に体験した私は、①自宅マンションから北浜駅まで
徒歩でトランクをゴロゴロと引っ張り、②地下鉄堺筋線で北浜駅から天下茶屋駅まで行き、③南海電車の空港急行で天下茶屋駅から関空まで行った。その所要時間は約1時間30分、
料金は地下鉄230円、南海電車890円と安いもの。俺もケチになったものだと思いつつ、何とも便利な時代になっていることを痛感。こんな私のように、みんなが車の利用を控えれば、
日本はもっともっといい社会になるのでは・・・?

2 関空出発(4:00~)、上海着(経由)(5:05)・入国手続、

                  上海発(6:25~)、昆明空港到着(9:45)

(1)さあいよいよ出発だが、ちょっと納得できないのは、なぜ当初予定の関空から昆明への直行便ではなく、上海経由になったのかということ。聞くところによれば、直行便がなくなった
とのことだがホントかな・・・?もっとも、上海でのトランジット中に入国審査をしてしまうということだし、上海には一度も行ったことがない私にとっては、上海の浦東国際空港を見学できるので
かえってその方がよかったが・・・。浦東国際空港に飛行機が着陸し、空港敷地内をバスで移動している時に思ったことは、バスの中に乗っている時間の長いこと。これはつまり、それだけ空港敷地が
デカイということだ。しかもバスの窓からあちこちを見ていると、工事中のところがたくさんある。これはさらに空港を拡張しているのだろうか?空港建物の中に入ると、シンプルながらも
その大きさにビックリ。10年前に関空を初めて見た時その大きさに驚いたが、さすが上海の浦東国際空港はそれ以上の規模。これでは日本は中国に追い越されていくはずだと実感・・・!

(2)飛行機はMU-752便という中国東方航空と日本航空の共同運行便。上海までの間は軽食が、そして上海からは夕食が出されたが、意外だったのは前々回の杭州旅行や前回の桂林旅行の時は
ビール、ワインは飲み放題だったのに対して、今回は意外にケチ(?)だったこと!乗客の注文をいちいち聞くのはいいのだが、ビールと聞くと、わざわざ缶ビールの蓋を開けてグラスに入れ、
缶ビールと共に客に渡していく。また、ワインと聞くと、フルボトルからグラスにワインを注ぎ、そのグラスを客に渡していく。こんなことをしているから1人1人の対応にやたら時間がかかり、
全員に配るのに長時間かかってしまう。そしてワゴンが通っているときは狭い通路を人が通れないから、トイレに行くにも不便。なぜこんな無駄なサービスをやっているのかと考えると、
それは「持ち出し」を防ぐためらしい。つまり缶ビールや小ワインをそのままポンと渡すと、乗客がこれを飲まないで持っていくことを心配しているわけだ。しかしそんなつまらないことを
心配するよりも、もっと作業効率を上げることに精力を注ぐべきでは・・・?持ち出し防止のためなら、せいぜい缶ビールは蓋を開けて手渡し、ワインは小さいボトルとしてその栓を開けて
手渡せばよいもので、いちいちグラスに注ぐ必要はないはずだ。

(3)昆明の土の色

 中国映画を一躍有名にしたのは陳凱歌(チェン・カイコー)監督の『黄色い大地』(1984年)だが、この『黄色い大地』とは文字通り、中国の山西省や陜西省など黄河流域の「黄色」の土を
表している。これに対して、かつて日本が満州国を建国した中国東北地方の土地は、「黒い土」といわれる豊かな土地。そして、「春城」と呼ばれ年中春の気候を維持している雲南省の高地にある
昆明は花のまちでもあり、その土の色は「赤い」といわれている。今日到着したのは夜の10時だからよくわからないものの、さて明日の朝見る昆明の土の色はどうだろうか?

3 バス乗り込み・夕食(10:30~11:30)

(1)昆明空港に到着した私たちを迎えてくれたのは、現地ガイドの呉(ご)さん。彼は全コースを私たちと同行してくれるというかなりベテランの男性ガイドだから心強い限り。バスの中では
ガイドの自己紹介と明日の予定が説明された後、例によってガイドが両替の準備をしてくれていた。今回は、現在の円高のおかげで1万円=795元とのこと。当面必要なのは1万円か2万円だが、
とりあえず私は6万円を両替。明日はもっと上がっているかな・・・?

(2)ホテルに入る前に夕食ということでレストランに入り、かなり豪華な中華料理のコースを食べたが、日本と中国は時差が1時間あるから今は日本時間では夜の11時。
そんな時間にこんなにお腹いっぱい食べて大丈夫かな?と思いつつ、つい食べてしまった。味は上々・・・。

4 錦江大酒店(旧錦華大酒店)にチェック・イン、宿泊(11:40~)

 約1時間の食事を終えて約10分間バスに乗り、11時40分ホテルに到着(部屋は1011号室)。今日はここで寝るだけで、明日は①7時、起床 ②9時20分、バス出発 
③国内線で昆明から西双版納行きだ。

2日目

1 起床・朝食・出発

(1)7:00 起床  7:30 荷物出し  7:30~8:20 朝食(ホテルでのバイキング) 

(2)8:40~9:20 ホテルの近くをブラブラと散策

(3)9:20 バス出発  9:30 昆明空港着

2 昆明というまち

(1)バスの中での呉さんの説明によると、昆明では1999年に花博が開かれたとのこと。そして昆明は「春城」と呼ばれるように年中春のまちで、平均気温は15度、暑くても27度という
過ごしやすいまちとのこと。さらに台風も地震もない平穏なまちということだ。また雲南省の総面積は39.4万平方キロメートルで、約37万平方キロメートルの日本とほぼ同じだが、
標高は1900メートルと非常に高いとのこと。

(2)また昆明空港にバスがつく直前に言われたことが、この昆明にも新空港ができることになっているため、現空港は国内線だけになるということ。前回の桂林旅行の際でも、広州空港が
近々新空港になるといわれており、今はすでに新空港にかわっている。これと同じように昆明でも2年後に昆明新空港が完成するとのこと。1つの空港をつくるのに20年も30年もかかる日本とは
エライちがい!いかに中国の発展のスピードがすごいものかが、この1つをみてもわかろうというものだ。

3 国内線で昆明から西双版納へ(10:50~11:30)

 10時50分に昆明空港を離陸し、西双版納空港に着いたのは11時30分。そしてここで迎えにきてくれていたのは、西双版納(だけ)の現地ガイドの陳さん。さっそくバスに乗り、
まずは昼食のためレストランへ向かったが、バスの中での陳さんの説明によると西双版納のまちは次のとおりだ。

4 陳さんの説明による西双版納というまちの概要

(1)ここ景洪市はシーサンパンナタイ族自治州にあり、ラオスとミャンマーに国境を接している。自治州の人口は約80万人。タイ族が30万人と約3分の1を占めており、
その次はハニ族の20万人。そして漢民族の他10以上の少数民族が生活をしている。熱帯雨林気候で暖かいので、米は年3回もとれるとのこと。なお景洪市の人口は約7万人とのこと。

(2)旅行前に、「西双版納は夏だよ」と聞かされていたが、それほど暑くはない。しかしたしかに湿気が多い。バスの窓も何となく湿けているような感じ。
ここのビールは瀾滄江(らんそうこう)ビールと呼ばれるそうだが、メコン川の支流である瀾滄江は「南方の象の川」という意味とのこと。メコン川と聞けば、なるほどここはラオスと
ミャンマーとの国境だという実感がわいてくる。私たちが西双版納で観光をするのは、①熱帯植物園、②ハニ族部落、③タイ族部落など。さてどんな少数民族の実態なのか興味津々だ。

5 昼食(12:00~12:50)

 レストランにて食事

6 西双版納(景洪)市内観光

         -その1 シーサンパンナ熱帯植物園(2:30~3:30)

 景洪最大の見どころは、シーサンパンナ熱帯植物園(西双版納熱帯花卉園)。もともとは研究のための施設だったそうだが、この敷地は約300平方キロメートルとベラボウに広く、
ここだけで自然公園のようになっている。したがって、歩いて回ることは到底不可能なので、2台のカートに分乗して園内を回ることに。ところが運悪く、私の旅行にしては珍しいことに、
ここで雨が降ってきた。西双版納は雨が多いと聞いていたので、一応傘は持ってきたが、バスを降りる時、傘はバスの中に残したまま。屋根つきのカートに乗っているので大丈夫と思っていたが、
次第に本降りに・・・。天気予報では今日は「晴れ」と出ていたそうなのに、西双版納の天気予報はあてにならないなと思いつつ、雨にぬれた植物園もオツなものと考えて見学・・・。

≪バス移動 3:30~3:50≫

7 西双版納(景洪)市内観光-その2 ハニ族部落見学(3:50~4:20)

 約1時間の植物園の見学が終わると、バスに乗って今度はハニ族の部落見学へ。ここでもかなりの雨が・・・。家の中に入って説明を聞いたり、その内部を見学するのはいいものの、
外に出て歩く時は足元は滑るし、写真は撮りにくいし、不便なことこのうえなし。「晴れ男」のこのオレがこんなはずでは・・・と思いつつ見学していたが・・・。

≪バス移動 4:20~5:10≫

8 西双版納(景洪)市内観光-その3 タイ族部落見学(5:10~6:15)

 ハニ族の次は、西双版納最大の少数民族であるタイ族の部落の見学。タイ族は最も豊かな民族で大きな家に住んでいる。このタイ族の部落に入って説明を聞く頃にはすっかり雨もあがり、絶好調!
ちなみにタイ族と西双版納のすぐ近くにあるタイ国(タイランド)とは、人種的にはまったく無関係。しかしタイ族はタイ国(タイランド)式の建築様式の影響を強く受けているとのことで、
このタイ族の部落で見た立派な寺院は、タイ国(タイランド)で見た金ピカでとがった屋根の寺院と全く同じイメージ。

9 バス移動中のガイドによる面白いお話

 バス移動中に聞いた、ハニ族とタイ族についての興味深いガイドの説明を少し紹介しよう。

(1)まずはハニ族から

 ハニ族は1980年代までは極端な男尊女卑社会で、その居住する家には階段が二つあり、男が使う階段と女が使う階段とは完全に区別されていたとのこと。ちなみに、ここ熱帯雨林気候の
西双版納の建物はすべて高床式で、生活はすべて2階でやっている。しかし今は完全にこれが逆転(?)し、田んぼの仕事は70%は女性がやっており、男はほとんど働いていないとのこと。

(2)次にタイ族 

 西双版納に住む他の少数民族は文字をもっていないが、タイ族は文字をもっている。またタイ族は盆地に住んでおり、そこではお米がとれるのでタイ族は豊かな生活を享受しているとのこと。
また、タイ族の女性の姓は全員が「玉(ぎょく)」さん。なかでも玉薫(ぎょく かおり)という名前が一番人気とのこと。他方、男の姓は2つで、普通の人は「岩(がん)」さん。
そして王さまの系列の人は「刀(とう)」さんという姓をもっているとのこと。また、タイ族は今でも母系社会であり、通い婚が残っている社会とのこと。この「通い婚」の風習は、
少数民族の踊りでも、わかりやすくかつ面白く紹介されている。(もっとも、その後の私の勉強では、通い婚が残っているのは、タイ族ではなく、ナシ族ではないかと思うのだが、
たしかにこの時ガイドからはこのように聞いたとメモしているので・・・)

 また、仏教には大乗仏教、小乗仏教、チベット仏教(ラマ教)があるが、他の少数民族はすべて自然教であるのに対し、タイ族だけは仏教を信じているとのこと。したがって、
仏教を信じるタイ族は火葬を行なうが、他の少数民族は火葬ではなく、土葬・水葬であり、かつてはメコン川には水葬による死体がプカプカ浮かんでいたとのこと。

10 タイ族の民族舞踊を観賞しながら夕食(7:30~8:10)

 今日の夕食はタイ族の郷土料理とのこと。しかもタイ族の民族舞踊を観賞しながらの夕食だと聞き、大きな期待をもっていた。しかし実際は?まず第1に、この郷土料理は全然おいしくなかった。
第2に、正面の席が空いているのに、私たちの席はかなり斜めに離れた席であるうえ、柱が邪魔するため舞台がロクに見えない。第3に、舞台も何時に始まり、今何をやっているのか
サッパリわからないうえ、いつのまにか電気が消えて終わってしまった。一体こりゃ何だ!ここでの夕食とタイ族の民族舞踊は全然ダメでした。

11 タイ園大酒店にチェック・イン(8:10)

 西双版納での宿泊は、民族風情園の南側に位置する高級ホテルのタイ園大酒店。8時10分頃にその高層階にチェック・インし、あとは自由行動!

12 自由行動で足ツボマッサージへ(8:20~10:00)

 ホテル入口でタクシーをひろい、まずは繁華街へ行こうと思ったが、途中68元と書いてある立派そうな足ツボマッサージの店が目に入ったので、そこでまずマッサージをしてもらうことに。
若い女の子が私たちの足ツボをマッサージしてくれたが、2人とも相棒と話が合うらしく、マッサージをしている間、3人でほとんどずっとしゃべり放し。
この2人の女の子たちは漢民族で年は18歳。半分遊び気分で景洪に来ているらしいが、大丈夫かいナ?60分のはずだが、足をお湯に浸している時間は算入しないようで、
店に入ってから出るまではゆうに90分以上かかっている。その旺盛なサービス精神に謝謝!

13 繁華街へ(10:10~11:30)

(1)足ツボマッサージで気持ちよくなった私たちは再びタクシーをひろい、今度は繁華街へ。屋台がズラリと並び、串に刺した大小さまざまな「焼きモノ」を売っている。
食べてみたい気はするもののすでにお腹はいっぱいだし、「ヘンなもの」を食べても、とちょっと尻ごみ。しかしこの雰囲気の中ではビールを飲まなければやってられないので、
缶ビールを買おうと思ったが、缶ビールはなくビンビールしかない。そこで「ビンは後で返すから」と言ってビンビールをラッパ飲みしながら、料理見物をしつつ、屋台の中をブラブラと・・・。

 帰り道、やはり相棒が「ちょっと食べてみたい」と言うので、それならと思い、①牛肉の串1本、②カエルの串1本(本物のカエルを丸焼きにしたもので、1本に10匹分位ある)、
そして③何やら得体のしれない串1本を注文し、ビールもさらにもう1本。

(2)これをチビリチビリ食べながら周りの雰囲気を楽しんでいると、私たちの側に近づいてきたのは少し小型のギターを抱えた年の頃12、3歳の「流し」の女の子。そういえば、周りには
流しのギター弾き(?)がたくさんおり、あちこちで美声を聴かせていた。この女の子もいっぱしに「お客さんどうですか?」と言っているらしい。値段は5元。そこでモノは試しと1曲注文。
全然知らない歌を歌ってもらってもつまらないので、私がよく知っており、ほぼ90%は歌詞を見なくても中国語で歌えるテレサ・テンの『月亮代表我的心』をリクエスト。するとこの女の子、
あまり自信がなさそうだったが、オーケーとうなづいて弾き語りを始めたが・・・。

 これが何ともいえずヘタクソ。素人もいいところ。ギターの音も時々おかしくなるし、歌もヘタ。そこで、私が大きな声でこの名曲をギターの伴奏に合わせて歌ってやることに・・・。
これではオレのサービス料をこの女の子からもらわなければ・・・と思いつつ。

14 タイ園大酒店にて宿泊(11:30)

 11時30分頃タクシーでホテルへ戻り、就寝。今日はいい夢を見ることができるだろう・・・。

西双版納空港に到着!

タイ族の高床式住居の中で子供たちと

タイ族部落の中にある立派な金ピカの寺院にて

「流し」のギター弾き(?)の少女と

3日目

1 起床・朝食・出発

(1)6:00 起床   6:40~7:10 朝食(ホテルでのバイキング)   

   7:30 荷物出し

(2)8:00 集合 バスにて西双版納の市内観光に出発

2 景洪市内観光(8:00~11:15)

(1)景洪市内観光

 今日の午前中は景洪市内の見どころを観光。その予定は①孔雀公園、②民族風情園、③自由市場見学、そして④おみやげ店とのこと。事前のガイド本での学習によると、景洪には市内、西線、北線、東線、南線の5つのエリアがあり、それぞれに寺院、公園、博物館などたくさんの見どころがあるが、時間の関係で市内の2カ所だけしか観光できないのは少し残念。

(2)曼聴公園(8:05~9:05)

 西双版納ではタイ族が約3分の1を占めるが、そのタイ族の舞踊はクジャクダンス(孔雀舞)としてよく知られている。そのタイ族の名物(?)ともいえるクジャクが1000羽以上飼われている
孔雀公園があるのが曼聴公園。5元を払って洗面器の中にエサを入れ、それを持ってクジャクの群れの中に入っていくと、クジャクが集まり、ものすごい勢いで洗面器の中をつついてくる。
それをちょっと恐がりながら撮影したのが。

 クジャクがたくさんいるので何とか羽根を開かせて一緒に写真をとろうとしたものの、クジャクは人間を恐がって逃げるため結局それはムリ。

(3)民族風情園(9:10~10:10)

 次に見た民族風情園は、いわば西双版納の少数民族のテーマ館で広い敷地の中にはさまざまな見どころが。その入口には、西双版納の解放碑が建てられているが、詳しいことはよく覚えていない。

(4)自由市場見学(10:10~10:40)

 クジャクを中心とする景洪市の特徴を感じとった後は、さまざまな食料品を販売している自由市場の見学。約30分間ブラブラ歩き回っただけだが、肉、魚、野菜、果物等何でもあり、
そりゃものすごい熱気。トリの丸焼きを売っているすぐ隣には、かごの中に入っている生きたトリもたくさん。丸焼きが売れるにつれてこれらのトリが殺されていくのかと思うと何となく・・・。
また、野菜やとうがらしの種類も多く、日本では見たことのないようなものもいっぱい・・・。私はニンニクととうがらしを購入したが、果たして日本で使いこなせるだろうか・・・?そして、
ガイドの呉さんがここで買ったとうもろこしを食べており、「これはすごくおいしいよ」と言われたので、それにつられて買って食べてみたが、これは今まで食べたことのないほどおいしいもので、
ビックリ!

(5)おみやげ店(翡翠の店にて)(10:40~11:15)

 一通りの観光の後は、ツアーにつきもののおみやげ店へ。西双版納の「売り物」の1つは翡翠。中国人は翡翠の腕輪が大好きらしい。もちろんその値段はピンからキリまであるが、その価値は
色と透明度で決まるとのこと。腕輪も600元から1500元程度が標準的な感じだったから、日本人的感覚でいうと1~2万円というところか・・・?一生モノだと考えれば特に高いものでもない。

 ビックリしたのはその手首への入れ方。腕輪そのものは取り外しができないため、親指を手の平の中に丸めたうえ、滑りやすくするために手にせっけんを塗ったりビニール袋を通したりして、
ムリヤリ手首へ入れていくというやり方。もちろん手首の方が親指のつけ根の部分よりも細いから、腕輪が入ってしまうとそれでも余裕があるのだが、
「太ってきて抜けなくなったらどうなるのだろう」といらざる心配も・・・?

3 昼食(11:10~12:10)

 その後、今日はちょっと早い昼食で、金版納酒店というレストランにて。朝、お腹いっぱいレストランのバイキングを食べたはずだが、動き回ったせいか食欲は旺盛。今日も元気だ!

≪バス移動 12:10~12:30≫

4 国内線で西双版納から麗江へ(1:00~2:00)

 景洪市の見学は午前中で終了し、次はメインの麗江へ。西双版納空港から1時の飛行機に乗ると麗江空港へ着くのは2時。

5 空港からホテルへのバス中でのガイドの説明(2:00~3:00)

(1)麗江の空港で出迎えてくれたのは、麗江の現地ガイドの趙(ちょう)さん(写真3-⑦)。以下、空港から市内に向かう約40分間のバスの中での趙さんの話を少し紹介しよう。

(2)ここ雲南省の旅行では、「標高○○メートル」という話が非常に多い。つまりそれが、西双版納や昆明、そして麗江等雲南省のまちの最大の特徴だ。麗江もその市内は標高2400メートルの
高地にある。そしてここは納西族(ナシ族)が多い。麗江古城が1997年に世界文化遺産に指定され世界有数の観光地になったことによって、ナシ族は急速に豊かになってきたとのこと。
ナシ族の特徴は、背中に肩かけをしていること。これは表裏が皮と毛皮でできており、暑い時、寒い時によって使い分けていること。またこれには7つの穴があり、
それは北斗七星を表しているとのこと。またナシ族は女性が働き者で、農耕仕事はもっぱら女性の仕事。男は何をしているのかというと、もっぱら遊びとトンパ文化の勉強をしているらしいとのこと。

(3)ちなみに、麗江散策においては、トンパ文字がキーワードで、おみやげの民芸品やTシャツ等の模様の多くはトンパ文字。また、現在市内にある木造2階建ての古い建物は昔のままだが、
新築ビルは1997年の大地震の後に建て替えられたものとのこと。市内には高層建築はなく、3~4階の低層におさえられている。なお麗江は5~10月が雨期となるため、この時期は
玉龍雪山はほとんど見えないとのこと。ナシ語で「おはよう」は、「アララリ」。これだけ覚えておけば、とりあえずオーケー・・・?

6 格蘭大酒店にチェック・イン、休憩(3:00~3:30)

 麗江で3連泊するのは格蘭大酒店。麗江古城の入口のすぐ近くにあるホテルで観光に便利と聞いていたが、着いてビックリした。まさに世界文化遺産、麗江古城の入り口にある立派な門から道路を
隔てたすぐ真ん前にある。古城の中は厳しく交通を規制している様子で、ツアーバスのように許可を得ている車以外は完全にシャットアウト。そして建物の高さ規制がされているため、このホテルも
5階建てと低層で私たちの部屋も3階にある。三ツ星ホテルながらこれはベストポジションで人気が高いことがよくわかる。

7 麗江古城のまちをツアー御一行で散策(3:30~5:30)

(1)部屋への荷物入れが終わり、3時30分にロビーに集合した後は、ガイドの持つ旗のもとにツアー御一行での麗江の古城(老街)見学へ出発だ。その入り口には、「世界文化遺産 江沢民」と
書かれた立派な門があり、また麗江古城の紹介が石に刻まれている。そして後にわかったことだが、ここだけは夜中でもあかあかとライトアップされていた。

(2)麗江古城の内部は迷路のようになっているので、「はぐれたら二度と会えなくなる・・・」という脅し(?)をよく胸にきざんで、写真を撮ったりおみやげ店を見ながらも、ガイドから
はぐれないように細心の注意を払いながら行進(?)。ガイドの旗はドンドンと小高い山の上に上がっていった。結構長い距離を歩き、さらに急な石段を登っていったから、年配者の人たちには
かなりきつかったはず。

(3)小高い山の上に登ると、そこは麗江の市内が一望できる絶好の位置。そしてその山の上にあるお寺が「萬古楼」。さらに急な石の階段を上り、建物の中に入る。そして5層(?)となっている
建物の階段をさらに最上階まで上ると、そこがここ麗江で1番高いところ(?)。ここから遠く北方に見える、雪を頂いた玉龍雪山と目の前に広がる麗江の老街と新大街のまちなみはまさに絶景。
ちなみにの萬古楼の下に写っている5文字(?)がトンパ文字での「萬古楼」。

(4)3時30分に出発した私たちだったが、ここまで上り、写真を撮ったり自由に見学したりしているうち、もう既に1時間以上経っていたため、団体での古城見学はここで切りあげ、
ホテルへ引きあげることに。途中立ち寄った面白い壁には、一面にトンパ文字が・・・。ホテルに戻ってひと休みした後は、夕食だ。

8 夕食(6:10~7:10)

 今日の夕食は森龍大飯店。ここはホテルから歩いてすぐに行ける古城の老街の中にある2階建てのレストランとのことで、全員そろって古城の中を歩いてレストランへ。
味はたいしたことはなかったが、雰囲気はバッチリ。もっとも、トイレは汚なかった・・・?

≪徒歩でレストランから劇場へ移動 7:10~7:30≫

9 ナシ族の東巴(トンパ)古代民族舞踊観賞(8:00~9:10)

(1)夕食の後は、全員そろってのナシ族の古代舞踊の見学とのことで、再び全員そろってぞろぞろと。劇場といっても入り口は狭く、普通の民家のようなもの。その入り口には「木戸銭」をとる
オッチャンか、客引きのオッチャンのようなイメージのナシ族のおじいさんが迎えてくれていたので、厚かましくここでも一緒に記念撮影。ところが何と、彼がここの劇団のボスで、後に説明する
12人のトンパ先生のうちの1人とのこと。舞台でも味のある芸や何ともいえない笑顔を見せて熱演(?)してくれていたが・・・?

(2)この劇場は、劇場というよりも芝居小屋と呼ぶ方がピッタリ。そして暖房が効いていないので、何しろ寒い。そのうえ日本語の説明がなく、字幕スーパーもついていない。したがって最初から
民族衣装を着てステージのバックに座り、演奏をしている年配者の人たちによる音楽もどんな意味かサッパリわからない。そうこうしているうちに、中国服(?)を着た年配の司会者が出てきて、
あいさつをしては次のショーが始まるわけだが、字幕スーパーがないのでとにかくよくわからない。特別難しいストーリーのあるドラマではなく、単純な民族の踊りや笛を吹くおばさんの個人芸や
トンパ先生によるトンパ文字の書き方を見せていくものだが、やはり解説はあった方がベター。何のことかわからないようなショーをずっと見ているのが、後半は次第に苦痛になってきた。
このナシ族のショーは無料での観賞だったが、あまり値打ちなし!

≪公式行事終了≫

10 自由行動で再び古城散策(9:10~10:30)

(1)ナシ族のショー観賞後は、再び私たちは自由行動にて古城のまちの散策へ。とにかくどの通りにも店がズラリと立ち並び、いろいろなみやげ品を売っているから大変。私はあまり荷物に
ならないようなコースターや手袋などを買ったが、トンパ文字をプリントしたTシャツやトレーナー、そして麗江のまちを彫刻した木製品や染め物、絵画など目につくものばかり。
ついつい、あれもこれも買いたくなってしまう気持を押さえるのに一苦労・・・?

(2)さらに、夕方の団体行動の際はまだ静かだったが、小川沿いのレストランは、夜10時ともなれば多くの客でいっぱい!特に中国人の団体は元気で、あちこちのグループが快気炎をあげている。
これにナシ族の民族衣装を着た店員たちも乗って協力し、はやし立てているからそりゃ賑やかなもの。川を隔てた男女間で、大声で「愛の交換(?)」をやっているところもある。
みんなが心の底から、この麗江古城の雰囲気の中で、飲んで食べて楽しんでいることがよくわかる。京都や奈良では、こんなに夜遅くまで騒ぎながら楽しんでいるところはないだろうと考えると、
ホントにビックリ!私たちもレストランに入り、料理を食べビールを飲みながらその雰囲気を楽しみたかったが、お腹は既に満杯でとてもそれはムリ。雰囲気だけをタップリと味わって、
麗江のまちを十分堪能し、ホテルへ。今日もぐっすりと眠れるだろう。

11 格蘭大酒店にて宿泊(11:00)

 11時すぎにホテルへ戻り、就寝。

曼聴公園入口にて

自由市場の中で売られているトリの丸焼き

麗江空港に到着!

麗江古城の小高い山の上にある「萬古楼」

山の上から撮った麗江古城のまちなみ

ナシ族の民族舞踏場の入口にて、トンパ先生とともに

トンパ先生の迫真の演技

ブラブラ歩きを楽しみながら、お店の美人と

4日目

1 起床・朝食・出発

(1)6:30 起床   7:00~8:00 食事(ホテルでのバイキング)

(2)8:30 バスにて麗江観光へ出発

(3)出発前にホテルの屋上にのぼり、撮影したのが玉龍雪山と古城市街地。

≪バス移動 8:30~8:45≫

2 白沙村のナシ族の民家見学(8:45~9:00)

 玉龍雪山の観光に行く途中、ちょっと立ち寄ったのが白沙村にあるナシ族の民家。牛を飼い、とうもろこしを干して生活している素朴なナシ族の姿を実感。

≪バス移動 9:00~9:40≫

3 玉龍雪山(雲杉坪)観光(9:40~)

(1)玉龍雪山(雲杉坪)観光のため麓の駐車場に到着(9:40)

 今日は麗江郊外観光のメインの1つである玉龍雪山(雲杉坪)の観光。麗江市内から玉龍雪山まではバスで約1時間の距離。バスの中から見える雪を頂いた玉龍雪山を何枚もデジカメで
撮影していたが、バスが着いた麓の大きな駐車場からは、快晴の下に見事な玉龍雪山がそびえていた。したがって、バスの窓ごしの玉龍雪山の撮影はほとんどムダ・・・。

 バスの中でのガイドの説明によると、1997年に世界文化遺産に指定されたこの麗江古城の観光においては玉龍雪山の観光は不可欠で、今では平均1日1万人が訪れるとのこと。
麓から雲杉坪までは2人乗りのリフトで登っていくが、多くの観光客が押し寄せるとこのリフト待ちに数時間かかるとのこと。今日もそれを考えて早めに出発したとのことだが、
すでに長い列ができている。ガイドによると、これでは「約2時間待ち」だろうとのこと。エエー、ホンマかいな・・・?

(2)リフト待ちに1時間以上(9:40~10:50)

 仕方なく列に並んだものの、別に全員そこの並ぶ必要はないので、順次トイレに行ったり、買い物をしたりしながら・・・。私達は駐車場で玉龍雪山をバックに写真を撮ろうと思ったが、
たくさんのバスが邪魔でいい写真が撮れない。そこでどうせ1時間は並ぶんだと考え、思い切って道を下りながらいい撮影場所を探しつつ写真撮影。ホントは駐車場の少し手前にあった
ぼう牛坪風景区がバスの窓から見えていたのでそこまで走って下ろうとしていたのだが、写真撮影に結構時間がかかったため、さすがにそれは中止。バスの窓から見たぼう牛坪風景区は
大きなダムとなっており、その上流には、ぼう牛=「毛の深い牛」=ヤクが放牧されている美しい観光地。そして、駐車場まで戻り、トイレから出てくると何とリフトの乗り場の窓から、
「坂和さん!」と呼ばれ、「もうすぐだよ!」と声をかけられた。私たちが下に降りて写真を撮っている間にリフトに乗る列は順次前に進み、リフトのチケットも切り終わり、もう少しで搭乗
というところまできていたわけだ。慌てて列の中に入った私たちはその後約20分待ってリフトに。待ち時間は有効に使えたものの、滑り込みセーフだったと冷や汗をかきながら痛感。

(3)約10分間のリフトは素晴らしい景色!(10:50~11:00)

 駐車場のある玉龍雪山の麓からリフトで結ばれている雲杉坪は標高3200メートル。富士山(3776メートル)より少し低いくらいだから高山病が心配されるほど。現に小型の酸素ボンベも
売られている。雲杉坪に着いた後は往復約1時間歩くとのことなので、残念ながら1組の夫婦はリタイヤしていたがちょっともったいない。10分間のリフトから見える景色はそりゃ美しいもので
絶景だが、私には高所恐怖症という弱点が・・・。遠くを眺めているときは関係ないものの、谷間が目に入るとついクラクラと・・・。この2人乗りリフトも味があっていいものだが、
これだけ観光客が押し寄せると、これではさばけなくなること必至。数年後は大型のロープウェイになっていることだろう。

(4)商魂のたくましさ!

 リフトを降りる所ではデジカメを構えたお兄さんが待っていた。さて誰を撮っているのだろうと思うと、これはどうも全員を撮影し、直ちにパソコンの画面にこれを写し出して1枚10元で
売っているわけだ。私たちの姿が写っているパソコンの画面を見て、私がそれを自分のデジカメで撮影しようとすると、お兄さんは怒りの表情を顔に浮かべてすぐに画面を消してしまった。
気持はわかるけどそんなに怒らんでも・・・?

(5)中心地までは徒歩(11:00~11:25)

 リフトを降りると一行は標高3200メートルの雲杉坪を歩いて中心地へ向かった。途中、板を敷いたような階段状の山道は雪や氷で濡れているため、すべりやすく、細心の注意が必要。
したがって、途中で写真と撮るため、立ち止まってはまた走るという私たちの行動スタイルはかなり危険なもの。私も2回程あやうく滑りかけたが何とかセーフ。しかし、帰り道、遂に私の相棒に
ハプニングが・・・。もっともそれは本人の名誉のため公表は差し控えておこう。

(6)ナシ族の民族衣装を着て(11:25~11:45)

 中心地に着くと、そこには民族衣装を着たナシ族でいっぱい。おみやげの販売と民族衣装をレンタルしての写真撮影がメインだ。11時45分の集合までわずか20分ほどの間、
玉龍雪山をバックに撮影できるベストポジションまで行き、民族衣装をレンタルして写真撮影。快晴で玉龍雪山はきれいに撮れるのだが、人物を写すには完全に逆光となるため、写真撮影には一苦労。①時間をかけて衣装合わせをしていないこと、②4日間、朝昼晩とお腹いっぱい食べているため、ふっくらしている(豚になっている)こと、③さらには、相棒が撮ったカメラワークがヘタクソ
なこと、のため、私は全然気に入らない写真だが仕方なし・・・。

(7)下りのリフトの景色も絶景!(11:45~12:30)

 中心地から同じ道を歩いて戻り、今度は下りのリフトに。上りのリフトから撮る写真はケーブルが邪魔なっていいものが撮れなかったが、下りのリフトでは外側に座った私の位置から右側に広がる
玉龍雪山の美しい姿を撮り放題。これだけで何十枚も撮影したが、は何とも見事なものでしょう・・・!

≪バス移動 12:40~1:15≫

4 昼食(1:15~2:15)

 今日の郊外観光のメインである玉泉公園観光を控え、市内へ戻り、麗江観光飯店にて昼食。今日は夕食は郷土料理のため、昼食は四川料理。これは豪華でおいしかった。
さあ、これからは市内観光だ。

≪バス移動 2:15~2:20≫

5 玉泉公園見学(2:20~3:45)

(1)得月楼・玉帯拱橋

 ここは麗江中心地から約1㎞北にある美しい公園。この公園内の池にはたくさんの黒い鯉がいるが、ここでは鯉と呼ばずに黒龍と呼ばれている。そのためこの公園は別名「黒龍潭」とも
いわれている。また「珍珠泉」と名づけられたその池の一角は、とくに水が美しく、この水は飲み水に使用されているとのこと。

 玉泉公園見学のメインは第1に弓形をした玉泉という池の中に建設されている得月楼と大理石で造られた玉帯拱橋。

(2)トンパ博物館

 メインの第2は、私達には非常に珍しいトンパ博物館。ここではトンパ文字に関する資料がたくさん展示されているうえ、「トンパ先生」による作品の販売も。

(3)五鳳楼

 メインの第3は、1601年に建設されたという五鳳楼。この五鳳楼は、上部がチベット族、中間がペー族、そして下部がナシ族の建築様式によって建てられているとのこと。
ここには麗江の風景をさまざまな視点から美しく撮影した写真が展示されていたが、どれもこれも見事なもの。さすがプロの写真だと感心!これだけの写真を撮るには、よほど有利な撮影場所と
天候・時刻その他の条件を整えなければとてもムリ。私はこれと同じような芸術写真を目指すつもりは毛頭ないが、やはりこういういいものを見ると自分の目が肥えてくるということがよくわかる。
何事も、勉強、勉強!

6 トンパ文化・トンパ文字・トンパ博士について

 麗江で一番多い少数民族であるナシ族は、ナシ語を話し、またトンパ文字というものがある。これはエジプト文字と同じような象形文字で、すごく面白い(?)もの。また当然ながらトンパ文字の
辞書もあるとのこと。またトンパ先生が12人おり、その中の最年長は85歳で、トンパ博物館でサインしてくれた先生がその最長老とのこと。このようにナシ族のトンパ文化やトンパ文字は、
全体としてかなりレベルが高いものらしい。

7 おみやげ店(3:45~4:20)

 本日の一通りの見学終了後、麗江ショッピングセンターという大きくてきれいなおみやげ店へのご案内。ここにも翡翠や掛け軸、藍染製品などがたくさんの商品が展示されているが、値段が高い。
さかんに話しかけてきて、「これは○○元、△△元に安くするヨ」と言うが、「半額でも高い!」と思ってしまうと買う気がなくなってしまう。こんなきれいな店であまり高い値段設定をしていては、客離れをおこすのでは・・・?

≪バス移動 4:20~4:30≫    

8 格蘭大酒店でひと休み

 朝早くからの玉龍雪山の観光が終わり、ホテルへ戻ってひと休みだが、ここでこのホテルで発生した2つのトラブルを紹介しておこう。

(1)その第1は、なぜか暖房が夜8時から12時の間しかつかなかったということ。そんなにケチっても仕方ないと思うのだが現実は現実。標高2300メートルにあり、平均気温は年間を通じて
6~18度とはいっても、12月の今、朝早くや夜遅くになると0度近くになるため暖房は不可欠なのに・・・。このホテルの鍵はカード式で部屋に入るとカードを差し込めば電源が入るというもの。だから外出のときは、このカードを抜かなければならない。私達のような観光客は外に出ていると8時から12時の間に部屋を暖めておこうと思ってもそれができないことになる。こりゃ困った。
1泊した翌日早速苦情が・・・。しかし「3人寄れば文殊の知恵」とはよくいったもの。ある人からあれはルームキーを入れなくてもテレフォンカードを代わりに差し込めばいいんだとの
アドバイスが。つまり電源を入れるためには何らかのカードを差し込んで接触させればいいというわけだ。なるほどと納得してやってみるとそれでOK。これで1つ利口になったというものだ。

(2)もう1つのトラブルは風呂の浴槽のお湯がなかなか抜けなかったということ。つまり栓の開きが弱いため、少しずつしか流れないということ。これに対してもある人からグッドアイデアが。
それはつまり、栓を手で引き抜いたらいいという乱暴なもの。なるほどとそう言われればそうだとこれも納得し翌日から実行。これでトラブル解決だ。

9 ナシ族東巴古代民族舞踏ショー(オプション参加)(7:30~9:00)

(1)麗江には、有名なナシ族の少数民族のショーをやっている劇場があり、そこが大人気になっているため、前日から予約しておかないといい席が取れないとガイドの呉さんから案内されたのは
麗江一日目の昨日のこと。昨日の古城のまちなみの中にある芝居小屋のような劇場で見たショーは、字幕スーパーもなくあまりたいしたことがなかったため、本格的なものを見なければと思い、
私たちは即座に申込みをした。

 料金は日本円で3000円とちょっと高い(直接チケットを買えばせいぜい100元位と推測)が、まあそれはやむをえない。このオプションへの参加者は6名とのことで、食事終了後、
歩いて劇場へ。

(2)ホテルのすぐ右斜め前、麗江古城の玄関のすぐ左手にも大きな看板が掲げられた劇場が2つあったので、ここかなと思っていたら大違い。ホテルから歩いて約10分弱のところにある、
本当に大きくて立派な大劇場が目的地だった。

 座席は予約してあるとのことで、入ったのはギリギリだったが、ホントはもう少し早く入って劇場の中をブラブラと歩き回り、そこに掲示された各種資料によって、どんなショーなのかを
事前に見ておけばよかったと後悔。

(3)この劇場には、英語と日本語の字幕スーパーがあった。そして舞台も大きく演出も派手で豪華なもの。ガイドが言っていたように、人気のほどもわかろうというもの。観客席はほぼ100%の
入り。中国人の観客は反応も派手で、ハイライトの場面になるとかけ声をかけたり口笛を吹いたり、そりゃ賑やか。

 ストーリー自体は昨日のショーと共通したものもあるようだったが、こちらは出演者も美形が多く、演出も華やかで盛り上がりも大きく、レベルの違いは歴然としたもの。
大いに楽しむことができた。

(4)とりわけ興味深かったのは、ナシ族では結婚相手は両親が認めた人でなければならないのため、恋に落ちた男女が親に認められず引き裂かれ、自殺した後、別の世界で結ばれるという、
中国の「少数民族版ロミオとジュリエット」のようなストーリーのもの。古今東西を問わず、どこにでもこのような悲恋物語は存在するものだと痛感。

(5)さらに、ナシ族特有の「通い婚」の風習をコメディタッチで描いたショーも面白かった。通い婚といえば男にとって都合のいい理想的なスタイルと思われがちだが、実はそうでもない。
なぜならそれは母系社会特有の制度であり、女性が夫となる男の選択権を一手に握っているというのが本質のようだ。つまり、男はなんらの主体性も主導権ももっておらず、単なる「鉄砲の玉?」で、どの男が私にふさわしいかという選択権は、100%女性が握っており、その選択のための手段が一夜のセックスだということ。そう考えると、男なんて母系社会では「屁」みたいなもの・・・?

(6)このショーでは、最後に主な出演者が一列に並び、劇団長(?)らしき女性が一人(一組)ずつ出身民族を紹介していた。そのすべてを覚えているわけではないが、ナシ族、タイ族、ペー族、
ハニ族、チベット族など、有名(?)な少数民族のスターが総出演していた様子。これ以上詳しいことはわからないが、十分満足できたことはたしか。
宝塚大劇場には及ばないものの、それに近いレベルだと実感。

10 自由行動にて古城散策(9:00~11:00)

(1)昆明にはたくさんの薬屋が

 ショーが9時に終了した後は、本来はホテルに帰って寝るだけだが、私たちは例によってさらに欲深く、自由行動にて古城の見学へ。もっとも、この劇場は古城とは全く別の方向にあったので、
この帰り道、繁華街の雰囲気を楽しみながら古城に戻ってくると、大きな薬屋があったのでそこに立ち寄った。

 ここは、それまでの郊外観光で見た、漢方薬の葉っぱや根っこをそのまま売っているような店ではなく、明るくきれいで大きな薬局で、整然と分類された店内には実にさまざまな薬が
販売されていた。私はよくわからないので、相棒がよく飲んでいるという風邪の薬、喉の薬等を買ったが、これが実に安い。そこで思わず、例によって大量買いに・・・。

(2)ちゃっかりと個人の家にも

 薬を購入した後は、再び夜の古城へ。昨日の夜とは違う道をあえて選んで歩いていった。横道に入ると、そこにもいろいろな店がある。さらに個人の家かレストランか一見してわからないような
ところにも入っていき、写真撮影していると、「入れ、入れ!」と手招きしてくれるので、厚かましくも中に入っていった。そこは日本の庵部屋のような感じで、これからパーティーが始まる様子。
そこでちゃっかり写真撮影だけして、「再見!」と挨拶して退散。だって、あまり邪魔すると迷惑だろうから。

(3)おみやげに大量のコースターを

 昨日、4枚10元のコースターをいろいろと値段交渉して、結局11枚10元で購入した店に再度寄ってみた。それは、このおみやげは軽くていいと判断したから。昨日、この店のママさんは、
トランプの勝負に熱中していたため全然商売気を示さず、席を立たないまま私たちと値段交渉をしていたが、二日続けて店に入って話をすると、よく覚えていてくれた様子。

 そして「昨日も来たのだから」と言いながらさらに値段交渉をして、今日もかなり大量のコースターを購入。そのうえ目についたあれもこれも・・・。
この店にとっては、かなりの売り上げになったはずで、お互いに「謝謝!」。

(4)各種彫刻製品もおみやげに最適

 さらに、ここ麗江古城のおみやげとして多いのが、麗江古城の有名な風景をベニヤ板や木版に美しく彫刻したもの。色を塗ったものも美しいが、ベニヤ板に彫刻しただけのものも
シンプルでいいもの。ある店で値段交渉してそれを買おうと思ったが、相棒の目はいつも厳しく、ベニヤ板に少しキズがついていると指摘。そりゃ、そう言われれば確かにそうだ。
そこで、私たちはどうせ明日の晩もここへ来るので、明日までにもう1枚作っておくという話になった。私には、そんな細かいことは・・・と思うし、本当に明日、たくさんある店の中で
この店に来れるのかなと思うのだが、とにかく結論はそうなった。果たして明日の晩は・・・?

(5)レストランの賑やかさは今日も

 昨晩訪れた小川沿いのレストランの賑やかさは今日も全く同じ。あちこちのグループが大声で歌っているし、小川を隔てての「愛の交換?」も相変わらずやっている。
しかし私たちは今日もレストランには入らず、雰囲気だけを楽しみ帰路へ。

11 格蘭大酒店にて宿泊(11:00)

 今日も11時過ぎにホテルの部屋に戻り、就寝。今日もよく遊んだものだ・・・。

ホテルの屋上から玉龍雪山を撮影

雲杉坪の麓のリフト乗場から玉龍雪山をバックに

リフトに乗る前にいい撮影場所を求めて。

左が得月楼、真ん中が五鳳楼、そして右手が玉帯拱橋

最長老のトンパ先生にトンパ文字で坂和章平とサインを!

宝塚大劇場ばりの立派な劇場の入口にて

勢ぞろいのナシ族やペー族などのスターたち。

麗江古城のまちの散策では、こんなコースターをたくさん

5日目

1 起床・朝食・出発

(1)6:30 起床  7:00~7:30 食事(ホテルでのバイキング)

(2)8:30 集合 バスにて虎跳峡観光へ出発。

 今日の午前中は、麗江の郊外観光のもう1つのメインである虎跳峡の観光。時間的には2時間から2時間30分かかるとのことだが、さあ楽しみだ。

≪バス移動8:30~10:30≫

2 トイレ休憩の際、漢方薬を購入(10:10~10:20)

 トイレ休憩に寄ったところでは露天で漢方薬を売っていた。それも葉っぱや根そのままのものが多い。興味をもってそれを見ていると、私でもわかるのは田七(三七)と麗芝。そこで結局
①箱入りの田七(20元)、②根(茎)そのものの麗芝(20元)(これを適当に折ってお湯にひたして飲む)、③小豆ほどの大きさの粒状の喉の薬(15元)を購入。
日本に帰ったらさっそく試してみなければ・・・。

3 虎跳峡観光(10:30~12:40)

(1)虎跳峡とは?

 虎跳峡とは日本人にもそのイメージがよくわかる名前。つまり虎がこの峡谷を飛び越えたというのがその名前の由来だ。揚子江(長江)は、その上流を金沙江と呼ばれている。
虎跳峡は麗江の玉龍雪山と香格裏拉(シャングリラ)の哈巴雪山の間を流れる金沙江沿いに延びる全長15キロメートル、高低差3000メートルの大峡谷だが、この虎跳峡は川の幅が最も狭く
30メートルしかないため川の流れが早く、ゴーッという水の流れの音が絶え間なく聞こえてくる観光の名所だ。

(2)片道30分の道のり

 駐車場でバスを降りて、金沙江に沿って片道約30分の道を歩くと到着するのが上虎跳峡。途中美しい金沙江の流れと遠くに見える玉龍雪山をバックに何枚も写真撮影。

(3)ベストポジションでの撮影場所

 上虎跳峡に着くと、そこだけは階段がつくられており、川の流れのすぐ近くまで降りて行くことができるようになっている。かなり急な階段を下ってみんなが目指すのは、
子供の身長ほどの大きさの石に赤いペンキで虎跳峡と書かれたベストポジションの撮影場所。約20分間の自由行動の中、それぞれ思い思いに移動しながら写真撮影。

(4)帰り道で発見したトラの姿をした石

 バスでの集合時間を12時40分と定めたため、帰り道は自由行動。三々五々、帰り道を歩きながら写真を撮っていると、一人参加で唯一人の若者のA君と出会った。
彼と一緒に写真を撮っていると、彼が「あそこにトラがいるのに気が付きましたか?」と言うので、一体何を言っているだろうと思って振り返ると、上虎跳峡の手前に石で彫った虎の姿が。
あまり大きいものではないため目立たなかったものの、たしかにこれは虎跳峡を意識して後から作ったものだ。しかしそれにしては中途半端。これも数年後には大きなトラに成長していることだろう。今年、岡田監督のもとでリーグ2連覇を逃した阪神タイガースも、この中国雲南省の虎跳峡参りをして、金沙江を飛ぶという強力なトラのエネルギーをもらったら、来年はまた優勝できるかも・・・?

4 途中、長江第一湾にて写真撮影(1:25~2:00)

 虎跳峡観光を終え、麗江中心部へ帰る途中、写真撮影のためだけに立ち寄ったのが長江第一湾(長江第一番)。ここは金沙江の流れを急角度で変えるところ。
そのためV字に湾曲したこの場所は長江第一湾として有名。

≪バスにて麗江市内に戻る 2:10~5:10≫

5 帰り道での束河村見学(3:20~4:40)

(1)ガイドの呉さんの説明で聞き慣れない言葉が出てきて戸惑ったのが、ここ束河村。この地名はクラブツーリズムの「旅のしおり」には書かれているものの、私が事前勉強したガイド本には
一切触れられていない。果たして、この束河村とは一体何なのか?

(2)バスを降りて歩きながらの呉さんの説明によると、ここは古い村の建物を取り壊して次々と新しい建物を建てて、ナシ族を中心としたテーマパーク的なニュータウンを建設しているとのこと。
まず最初に驚いたのが、束河村の入口にある有料トイレ。えらく立派な建物で「お一人様0.5元」と書いてある。自分の財布からお金を払ってまでは入ろうと思わなかったが、
ガイドがまとめて払ってくれたので入ってみると、それまでのトイレとは大きく異なり、「自動洗浄」の立派なもの。こりゃ一体何だ・・・?

(3)呉さんからいろいろと説明を聞きながら歩いていると、ますます驚いた。この村全体が今までの建物をほとんどすべて取り壊し、新しい建物を建てている。そしてその新しい建物は
すべてオシャレなおみやげ店やレストランになっているというわけだ。つまりこの束河村という村は、○○委員会(?)がそれまでこの村にいた農民たちに金を払って一括して土地の使用権の譲渡を
受け、その上に建物を建ててそれを各テナントに賃貸することによって観光客目当ての一大テーマパークにして、利益を上げようとしているわけだ
(中国では土地の所有権は民間にはなく利用権のみだが、建物の所有権は認められている)。そう考えながら歩いていくと、この村には小学校もあるし、中心部にはすでに観光客のための
馬や馬車もたくさん用意されているうえ、すでに営業しているオシャレな民宿のようなホテルもある。

 この束河村に日本人ツアーを案内するようになったのはごく最近とのことだが、あと1~2年も経てば、ここは私が杭州旅行で見た、あたかも水郷のまち烏鎮(ウーチン)のテーマパークのような
立派な観光名所になっているだろう。

(4)都市問題を研究しているため、大きな興味をもってこの束河村を見学し、ここまで状況を理解した私としては、帰り道なお一層気になったのが、あの入口にあった有料トイレ。
これはきちんと写真撮影しておかなければと思って、トイレの前で記念撮影したのが。添乗員の浮津さんの言によると、このトイレの前で記念撮影するのを見たのは私たちがはじめてだとのこと。
そりゃそうだろうが、これはきっと貴重な写真になるはず・・・。

(5)2008年の北京オリンピックに向けて、今北京では「トイレ革命」がおきていることが新聞でも報道されている。また、中国のトイレ事情をテーマとした演劇もヒットしている。
中国古来からの、いわゆる「ニーハオトイレ」はまだまだ田舎に行けば多いらしいが、オリンピックを開催する大都市北京にそんなものが残っていたのでは、中華民族の恥!
今では「テレビ付きのトイレ」までできているとか・・・?「ニュータウンや新たな観光名所はトイレから」というキャッチフレーズが中国にあるのかどうか知らないが、
まさにこの束河村の入口にある有料トイレは、そういう価値観の表れ!こんな風にきちんと分析をしてこの有料トイレを見学すれば、いかに有意義なことか・・・?

≪ホテルの部屋で休憩 5:10~6:00≫ 

6 夕食(6:10~7:10)

(1)今日の夕食は麗江の郷土料理。いつものとおり2つのテーブルに分かれ、各テーブルにはビールが2本ずつサービス。後は欲しい人が勝手にビールを注文(1本10元)するということだが、
一人参加でデジカメを撮りまくっているKさんは、いつも紹興酒を頼み、誰かと2人で半分ずつ飲んでいたところ、今日はその相手がいないとのこと。「それなら私が・・・」と手を挙げて、
この旅ではじめてビール以外のものを飲むことに。また、この夕食は雰囲気が盛り上がり、ナシ族の美しいお嬢さんと記念撮影も。さらにここでは、ずっとお世話になった呉さんと趙さん、
そしてその真ん中に浮津さんを並べて記念撮影も。

(2)今日は5日目。考えてみれば、1日目の晩からずっと朝・昼・晩と中華料理ばかり腹いっぱい食べている。動き回っているからエネルギーは消費しているだろうと思っても、やはり食べる方が
圧倒的に多いから、自分でもハラがポッテリしてきていることや顔がフックラしてきていることがよくわかる。しかし自慢じゃないが、私の胃腸は丈夫だと思っており、
過去の北京、杭州、桂林旅行でも十分中華料理攻勢に耐えてきたし、その味を楽しむことができていた。さらに、アルコールは控えようと思って食事の時のビールは1本だけにしていたから、
調子は決して悪くはなかった!

(3)しかし後から考えると、この日が私の胃腸の限界点だったらしい・・・。しかしこの時はそれに気付かず、紹興酒をボトル半分飲んだものだからちょっと酔いが回ってきたなという程度の
感覚だった。本日の公式行事はこの食事ですべて終了したため、あとは自由行動。そこで麗江最後の夜を楽しもうと、三度目の古城のまちへ勇んで出かけたが・・・。

7 自由行動にて古城のまちを散策(7:30~9:00)

(1)麗江の古城のまちは広い。美しい小川が流れ、その川沿いにはしゃれたレストランが並び大変な賑やかさだが、その道はすでに何回も歩いたもの。その前は前後左右から四方街
(センターの広場)に向かっていくつもの通りがあり、そのすべてにおみやげ店が並んでいる。いくら歩いても歩ききれないし、ちょっと珍しそうだと思って店に入っていくとついつい値段交渉を
して買ってしまう。今日は昨日、一昨日には見ていない「木府」まで行ってみようということになり、四方街から更に遠くの方へ歩き、到着した。ここは日本のガイド本には載っておらず、
中国語のガイド本に載っていたところ。しかし残念ながら8時で閉まったとのことなので、入口で写真だけ撮って退散。

(2)そしてまた、帰りながらブラブラといろいろな店を見ているうちに少しずつ気分が悪くなってきた。そして相棒がペットボトルの水を買うために店に入っている時、
思わず世界文化遺産の麗江のメインストリートに胃腸の中のものをドッと吐き出してしまった。それも2度、3度と・・・。飲み過ぎでゲロを吐くことは滅多にないが、
それでも1年に1回位の経験はある。したがって、大体飲んだ時の自分の身の処し方(?)はわかっているつもり。吐いてしまえば割と楽になり、後は眠れば翌日は何とか治るというのが
私の体質のはず・・・。そこでとりあえず散策を中止し、足つぼマッサージへ行くことに。

8 足ツボマッサージ(9:00~10:00)

 全身マッサージや足ツボマッサージの店は、古城入口のすぐ近くにあり、50元と書いてあったのでいつか時間があるときにしておこうと思っていたもの。そして今日はちょうどいいタイミング。
11月29日に西双版納の景洪で入った店ほど高級な雰囲気ではなかったが、マッサージの腕前は同じようなもの。そこで気持ちよく足ツボマッサージを受け、さて元気になったと思ったが・・・。

9 格蘭大酒店にて宿泊(10:30)

 前々日、前日に引き続き3泊目も格蘭大酒店に宿泊。部屋は3階の同じ部屋。足ツボマッサージを終えて今日は早目に寝ようと思い、10時30分にホテルに戻り就寝したが・・・。
さて、どうもひと眠りしたらしいが、その後やはり寝ていても気分が悪い。そして再び・・・。あぁこれはやはり酒の酔いではなく、中華料理の食べ過ぎによる胃腸ダウンだったんだと、
この時はじめて気付いたものだ。

虎跳峡入口にて 玉龍雪山をバックに

長江一番の雄大で美しい風景にうっとり・・・。

中国の国旗と玉龍雪山のバックの調和の妙を・・・。

束河村の中には観光客用の馬や馬車がたくさん。

これが束河村の入口の立派な門

はじめて紹興酒をKさんとともに。

左が趙さん、右が呉さん、そして真ん中が浮津さん

麗江古城にはこんなおみやげ物もいっぱい!

6日目

1 起床・朝食(抜き)・出発

(1)7:00 起床  食事は抜き  8:00 荷物出し

(2)8:30 集合  8:45 バスにて大理へ出発

(3)麗江での3連泊が終わり、今日は大理へ出発する日。11月29日、30日、12月1日、2日の4日間ずっとホテルでバイキング形式の朝食を腹いっぱい食べてきたが、昨日の胃腸のダウン
のため、さすがに今日は全く食欲なし。レストランに行く気力さえ湧いてこない。下手に食べてバスの中でトラブルになると困るという思いと、とにかく食べないのがベストという自分流の
体調管理の価値判断により、水を一杯飲んだだけで今朝は朝食抜きで行動開始!

2 大理とは

 〔旅行の動機〕で掲げておいた頁の地図からわかるように、麗江から大理へは約200キロメートル、バスで約3時間の距離。そして大理市は大理ペー族自治州の州都。大理市には、
大理古城(旧市街地)と下関(新市街地)というふたつの中心がある。大理のペー族の祭りである三月街は有名で、3月15日~20日に行われる。このお祭りの時期には多くの観光客が訪れ、
ホテルが予約でいっぱいになるとのこと。また、大理全体では、海と蒼山が有名だし、市内には崇聖寺三塔をはじめとするたくさんの観光地がある。これ以上大理について詳しく知りたい人は、
あとはガイド本を参照・・・。

3 バスで麗江から大理へ(8:45~12:40)

(1)いざ出発!

 私たちは8時45分にバスで出発し、次のように途中いくつかの地点で立ち寄りながら大理に向かった。

(2)新華村見学(9:10~9:30)

 最初に立ち寄ったのは新華村(石塞子)というぺー族(白族)の村。ガイド本によると素朴なペー族の村と書いているが、現実は立派なおみやげ店付きの観光名所となっている。
ペー族の民族衣装を着たたくさんの美しい女性が観光客を迎え、大きなショッピングセンターに案内し、あれこれと販売攻勢をかけてくる。大理はその名のとおり、第1に大理石が有名。
そして第2に手作りの銀製品が名物とのこと。ショッピングセンターの中をうろうろしていると、例によってついいろいろな品物を品定めしてしまい、ここでは大理石のつまようじ入れ(36元)と
手でころがす玉2個(30元×2)そして合格祈願と書かれた風鈴(28元)を購入してしまった。

(3)トイレ休憩にて(11:10~11:30)

 新華村の見学の後、バスはひたすら大理に向かったが、途中トイレ休憩があった。するとそこにも田舎風のショッピングセンターのようなものがあり、たくさんの漢方薬を売っていた。
ここではお茶とリンゴのサービスがあったため、おいしいリンゴをかじりながら、これらの漢方薬を興味深く見ているとついつい目につくのが高血圧の薬である田七粉(三七粉)。
小さい箱入りのものもあったが、大きい袋入りの方が格安。そしてガイドの呉さんも、「これは自分も使っている」と言ったため、これを信用し、400元と言われた500g入りの田七粉を
300元に値切って購入した。毎日少しずつ飲んでも1年以上あるほどの量だから、湿らせないように、また賞味期限切れとならないようにせっせと飲まなければ・・・。

(4)海(湖)の写真撮影(12:25~12:30)

 大理の町が近づいてくる中でバスの窓から見えるのは、遠くに連なる蒼山(そうざん)の山並み。これは海に沿って南北に連なる全長42キロメートルの山脈。そして次に見えてきたのが
美しい海という湖。これらはどのガイド本にも解説されているが、海は雲南省で2番目、中国では7番目に大きい湖とのこと。この海の美しい景色を写真撮影するためバスはいったん停まり、
車が行き交う中で写真撮影。

4 大理到着ー昼食(12:40~1:20)

 大理では昼食をするレストランで現地ガイドと合流することになっていた。そこで迎えてくれたのが現地ガイドの陶さん。大理での昼食は家庭料理。これを食べて大理の市内観光に出発
ということだが、ここでも私はほんの少し箸をつけただけ。とにかく今日は胃腸が全く中華料理を受けつけなくなっていた。

5 大理市内観光ーその1 藍染工房見学(1:30~1:45)

 市内観光の第1は、周城にある藍染工房の見学。ここ周城にある池の水は美しく、各家庭は湧き水を飲み水として使用しているとのことだったが、果たして衛生的にどうなのか・・・?
また大理は藍染で有名らしく、手作業で染めている姿を見せて解説しながら、藍染製品の販売攻勢。「ここは高いから、買うのはやめた方がいい」というアドバイス(?)を受けていたものの、
見て回っているとついつい値段交渉の面白さに負けて買ってしまうのが大阪人!大判のテーブルクロスを「120元、安いヨ」と言ってきたから、即座に「高い、60元だ!」と切りかえすと、
すぐに「100元」、「90元」となってくる。60元にこだわってもよかったが、ここらが落ちつきどころかと考えて「80元」と言うと、売り子は上司らしき人物に相談のうえ、
オーケーとの返事。「しまった、やはり60元にこだわればよかった」と思いつつ、どうせ1000円程度だからと思って購入。この、「どうせ日本円で○○円だから」というのが曲者で、
そう考えると中国ではどんな商品も安いと思ってしまい、つい何でも買ってしまうことになるわけだ。

≪バス移動 1:45~2:00≫

6 大理市内観光ーその2 三方一照壁の建物の見学(2:00~2:30)

(1)私たちが次に見学したのは、ペー族の古いまちなみを今日まで伝えている喜洲というペー族の村。ここにはぺー族独自の住居(建築物)が昔の姿のまま残っているとのこと。
その特徴はまず「三方一照壁」。これは、入口の北側に大きな白壁を建て、中庭をはさんだ三方に2階建ての住居を配したペー族独自の建築様式。この白壁は外部からの目隠しになるとともに、
太陽の光を反射させる明かり取りにもなるとのこと。また母屋の両側には副屋を建てており、私たちが見学した建物では、この副屋にペー族の若いお嬢さんたちが並び、さまざまなおみやげ品を
販売していた。

(2)私たちがガイド本のコピーを片手に写真を撮りながら建物の内部を見て回り、おみやげ品の品定めをし、さらにペー族のお嬢さんたちと一緒に写真を撮っていると、突然、この女の子たちが
私の持っているコピーを指さして嬉しそうな声をあげてきた。何だろうと思って聞いてみると、要するに私が持っていた本のコピーの写真にこの建物が載っているとのことだ。
なるほど、そう言われて持っているコピーを見ると、今私が写真撮影をした写真そのもの。なるほどこんなこともあるものか、とあらためて親近感が湧いてくるとともに、
このペー族のお嬢さんたちと一緒に写した写真の笑顔は最高のものになっているはず・・・!

7 大理市内観光ーその3 ショーを見ながらの三道茶の試飲(2:00~3:00)

(1)市内観光の第2は、ぺー族が客人のもてなしに使うという三道茶の試飲。三道茶については、大理について解説しているどのガイド本にも詳しく書かれているのでここでは書かないが、
1杯目は〔火考〕茶、2杯目は甜茶、そして最後の3杯目は回味茶で、三道茶の様式は「一苦、ニ甜、三回味」という言葉に集約されるとのこと。

(2)北京でも杭州でも桂林でも、中国ツアーには必ずお茶の試飲というコースがついている。しかし多分ここだけだろうと思って感心したのは、ここではぺー族の民俗舞踊を観賞しながらの試飲
だということ。11月30日の麗江でのナシ族のショーは字幕スーパーがなかったためサッパリわからず面白くなかったが、ここには100人ほどの観客が入る結構立派な劇場があり、
私たちだけのグループがそこに座ってぺー族の舞踊を観賞しながら、お茶を飲むことができるうえ、ちゃんと字幕スーパーもついている。これをみると、ナシ族よりもぺー族の方が
サービス精神旺盛なのかな、とつい思ってしまったが・・・?

(3)ショーは男女合計20名弱が繰り広げるもので、それほど格式高いものではない。したがって字幕スーパーを見ていれば十分理解でき、楽しいもの。そして、いつものクセ(?)で、
1番美人の女優は、とみていると「いたいた!」結構私好みのかわいい女の子が・・・。

(4)「おまけ」は、ショーの最後に、お客さんに舞台にあがってきて一緒に踊れという催促。言葉は伝わらなくても、身ぶり手ぶりでそれはわかるし、私の相棒は中国人だから言っていることが
すべてわかる。だから、さかんに私の腕をつついて「早く舞台に上がれ、写真を撮るから」と催促してくる。そこで、どうせ観客は私たちのグループだけだからまぁいいかと思って、
思い切って舞台の上へ・・・。輪になってステップをふんでいるところを観客席から見て、そのステップを大体覚えたと思って上がったら、その輪は解けて今度は肩に手をおき、
行進しながらのステップに変わっていた。そこで舞台に上がったためそれに合わせるのは難しかったが、どうせ時間にすれば1分程度のもの。観客席からは相棒のデジカメと
一人参加で写真マニアのKさんのデジカメのフラッシュが。冷や汗をかきながらそのデジカメの画面を見るとまずまずか・・・?

≪バス移動 3:00~3:15≫

8 三塔寺(崇聖寺三塔)見学(3:15~4:10)

 大理のシンボルがこれで、崇聖寺三塔は大理古城の西北に位置する三基の仏塔。もともと崇聖寺という大きな仏教寺院内にあったが、お寺は戦争や地震ですべてなくなり、
今は三基の仏塔が残るのみ。崇聖寺三塔の南側には三塔倒影公園があり、そこには大きな池がある。この池に映った三塔の美しさがここの売り!したがって、これをいかにうまく写真撮影するかが
ポイントだが、私たちは超ラッキー!快晴の空、絶好の時間帯に恵まれて見事な写真をバッチリと!写真家デビューもできそうなほどの美しい写真をとくとごらんあれ!

≪バス移動 4:10~4:20≫

9 大理古城見学(4:20~5:00)

(1)大理市内の観光地の見学終了後は、いよいよ大理古城の見学。大理古城は四方の入口に門があり、四方を高さ約3メートルの城壁で囲まれているが、昔からあるのは南城楼だけで、
これ以外の門や城壁は後からつくられたもの。その南城楼の前では多くの観光客が写真撮影をしているが、ここでは民族衣装を着たペー族の女性たちと一緒に写真を撮るのは有料。
また城壁内の馬車や各ポイントでの民族衣装のペー族の女性との写真もすべて有料・・・。ペー族は意外に商売上手でしっかりものの民族・・・?

(2)ペー族中心の大理古城は、迷路のように入り組んだナシ族の麗江古城とは大きく異なり、南北の復興路や東西の人民路・玉路などのメインストリートによって整然と区画されている。
そしてここにも両側には大小さまざまな店がズラリと並んでいる。ペー族は意外に都市計画のセンスも豊か・・・?

(3)ここでも私たちツアー御一行は、ガイドの旗を先頭に南北のメインストリートを散策。もっとも入口に駐車したバスへの集合時間を5時と定めたため、旗について行ったのはほんの少しだけで、後は自由に古城内のまちを散策。そのため、私たちは帰りはほとんど全力疾走状態にて時刻通りバスに到着。

≪バスにてホテルへ出発 5:00~≫

10 亜星大飯店にチェック・イン(5:10)

 大理古城から約10分で亜星大飯店に入りチェック・イン。ここはロビーが5階まで吹き抜けとなっている高級ホテルで、私たちの部屋は3階。荷物を整理して夕食へ。

11 ホテル内のレストランで夕食(6:30~7:30)

 今日はホテル内の2階にある豪華なレストランで夕食。ここではバンドによる生演奏付き。途中私は女子十二楽坊の曲をリクエストしたが、おじさんバンド(?)のためか(?)弾けないとのこと。なお、ここでは総評に書いたとおり、最長老のKさんが堂々と『北国の春』を・・・。料理は、魚や野菜、キノコなどを鍋でグツグツと煮た滋味溢れる素朴な名物料理である「沙鍋魚」。
しかし昨日の晩からの「胃腸疲れ」のためこれもほとんど食べられず、ほんの少し箸をつけただけで終了。食欲はないものの、身体や足腰はいたって元気。そこで続いて自由行動による
大理古城の見学へ再度出発だ。

≪公式行事終了≫

12 自由行動にての古城見学(7:30~10:30)

(1)バイクツアーとの出会い

 古城見学のため、ホテルからはバスが30分おきに出ているとのこと。タクシーでもいいのだが、バスが停まっていたのでそれに乗ると、麗江のホテルで一緒だったバイクツアーの御一行が
次々と乗り込んできて、たちまちバスはいっぱいに。そのため出発時刻を待たずバスは出発。このバイクツアーは、マレーシア、シンガポール等からの約30名の団体だが、年配の人たちも多い。
バスの中では、座れず立っている人たちもいる満員状態。その中で飛び交う言葉は、同じ中国語でも北京語、広東語等さまざまらしい。相棒がさかんに話をしている中に私も割り込んでいくと、
英語がかなり通じたのでいろいろと話をすることができた。それによると、バイクツアーの愛好者は世界中にたくさんおり、全世界から集まって定期的にこういうツアーをやっているとのこと。
今回の参加者たちも、医者や弁護士そしてビジネスマンなど上流社会(?)の人たちが多いとのこと・・・。古城到着後の2時間近くの散策中にも何回か、このバイクツアーの人たちと出会い、
声をかけあった。こんな旅行中の偶然の出会いはホントに楽しいものだ。

(2)銀製品を購入

 大理は、大理石と銀製品が名物。大理石は重いのでおみやげには不向きだが、銀製品特に銀の装飾品はおみやげに最適。しかしその価値は・・・?私はネックレスや指輪その他の装飾品には
全く興味がないのでわからないが、試しで入った店を見てみると、なんと銀の耳掻きが1本5元で売っており、これはすごくキレイで可愛いので、思わず購入してしまった。そのため、続いて
銀のネックレスを見ることに。これも私の目にもすごくキレイだし、値段も安い。60元~100元で立派なものがある。これならちょうどいいと思い、まずは妻のもの、そして娘のものを購入。
さらに、そのネックレスのペンダントには中国人の大好きな十二支から妻と娘の干支の物を選んだので、今度は息子用と私用としてペンダントだけの十二支の干支の物を。
これにて一家4人の干支を揃えた銀のネックレスとペンダントが完備したことに。これくらい家族のことに気を使えば、来年もきっと「家族安泰」のことだろう!ところがこうやって買っていくと、
それならあれもこれも、となってしまったが・・・。

(3)またまた薬を購入

 大理古城のまちなみは通路が大きく、また大きなお店も多い。銀製品の店は小規模のものが多いが、薬屋はおおむね大型店舗で品ぞろえも豊富。ここでも田七をはじめとする数多くの漢方薬を
売っているうえ、かぜ薬なども豊富。店に入ってみるとどうしても買いたくなり、またまたかぜ薬などをたくさん購入。こんなに買ってどうしようかナ・・・?

(4)「洋街」見学

 日本のガイド本には載ってないが、中国のガイド本には最近できている洋街、すなわちヨーロッパ人向けのオシャレなレストランやバーを中心とする歓楽街(?)のことがよく載っている。
私たちも中国のガイド本と地元の人への聞き込み(?)をもとにその洋街に向かった。そこはそんなに大きくはないものの、結構たくさんのオシャレな店が・・・。

(5)日本食の店を発見!

 この洋街を歩いている時に発見したのが、「日本食」と書いてあるオシャレなレストラン(バー?カフェ?)。店は開放的で中は広く、たくさんのお客が座って、しゃべったり中国将棋を
したりしている。私たちはお腹がいっぱいだったので、「味噌汁だけでもいいか?」と聞くと、オーケーとのことなので、味噌汁1杯だけ注文したが、これは何と5元。そしてすごくおいしかった。
この店の壁には中日友好○○の写真が掛けられており、そこにはさまざまな人の寄せ書きが書き込まれていたので、「ああここはかなり有名な店だったんだ」と再認識。
そこで更に今度は玉子巻き(手巻き)を1本注文。これは10元で、日本風に切って綺麗に盛りつけられた玉子巻きが出てきた。大理古城のこんなオシャレな店で、
15元で味噌汁とお寿司を食べることができたことに大感激!

13 亜星大飯店にて宿泊(11:00)

 待機しているバスが見つからず帰りはタクシーでホテルへ。胃腸ダウンでほとんど食べないで1日歩き回ったため、逆に身体はスッキリ。腹もへこんできたし、顔つきも精悍になってきた・・・?
よしよしこれでオーケー。明日も食事は控え目にして動き回ろう・・・。

バスを降りて海を撮影

藍染工房にて 手作業の女性たちとともに

「三方一照壁」の建物が残る喜州というペー族の村の入口

舞台に上がり、一緒にステップを踏む坂和弁護士

大理古城の中には美しい小川も・・・

これが銀製品のペンダントトップ 十二支の干支のもの

高血圧の薬、三七(田七)粉をたくさん購入

中日友好をテーマに数多くの寄せ書きが・・・。

7日目

1 起床・朝食・出発

(1)5:40 起床   6:30 荷物出し

(2)7:00 食事(ホテルのバイキングだが、今朝もほとんど食欲がなく、1個のサンドイッチとヨーグルト、リンゴのみ)

(3)7:20 バスにて大理空港へ出発

2 国内線にて再び昆明へ(8:00~10:00)

(1)大理市内から大理空港へ、途中、下関のまちを見学しながらバスは進んだが、バスの中ではほとんど居眠りばかり・・・。

(2)8時に大理空港に到着し、搭乗手続。

(3)9時発の予定が約10分遅れ、9時10分に大理空港を出発し、10時に昆明空港に無事到着。西双版納・麗江・大理を回っているときには、昆明のことは完全に忘れてしまっていたが、
昆明空港に着くと、「ああここが最初に着いた空港だ」と再度実感!考えてみれば明日もここから帰国の途につくわけだ。

≪バス移動 ここから石林風景区へ 10:15~11:20≫

3 石林観光(石林風景区)(11:20~12:30)

(1)今日のメインは石林の奇峰の見学。石林風景区は、昆明から南東へ100キロメートルほど行った石林イ族自治県にある一大景勝地。ガイド本の写真で見たあの素晴らしい景色を
早くこの目で見たいものだ。

(2)見学に入る前に、まずは腹ごしらえの昼食。今日は石林名物のアヒルの丸焼き料理とのこと。しかし私は、昨日、今日とずっと食欲がないうえ、今日は朝から何も運動せず、
飛行機とバスで移動しただけだから腹が減っているはずがない。そこで私たちは、ガイドに集合時間を駐車場のバスで12時30分と確認したうえで、食事を完全に放棄して、
すぐに石林の見学に向かうことに・・・。

 石林風景区には大石林、小石林があり、その中には剣峰池、望峰亭、獅子亭などたくさんの見どころがある。呉さんから大体の周遊コースだけを聞き、
あとはガイド本とたくさんのツアー客を率いているガイドの後につけば大丈夫と割り切り、1時間あまりの(?)の冒険の旅に・・・。

(3)そうと決まれば駆け足でスタートだ。まずは石屏巍峨を通って剣峰池へ。とにかく人が多いから広いところはいいが、狭い通路や石の階段を通るのは大変。周囲の状況を見ながら象の岩、
亀の岩などでは人のいないところを見はからって写真を撮り、移動はほとんど駆け足で次々と・・・。剣峰池は予想していたイメージよりもかなり小さく、少しがっかり・・・。

(4)呉さんから聞いた望峰亭へは観光客がみんな登るものだが、結構階段はきつく、かなり大変。これではここだけでみんなダウンするのは当然。この望峰亭の上から見る景色はさすがに絶景!
ここで何枚も写真を撮り、下山(?)。

(5)下山し、スタート地点に戻っていく帰り道も写真を撮りながらだったので結構時間がかかり、スタート地点に戻ったのは12時10分頃。そろそろ早い目にバスに戻ってもいいのだが、
そこは欲の深い(?)私たちのこと。今度は獅子亭まで行ってみようということになり、さらに駆け足で、途中「水牛の池(?)」で写真を撮りながら、遂に獅子亭の上まで登った。
ガイド本にも「石林全体を見渡すなら、石林避暑園賓館の裏にある獅子亭に登ろう。ここから大石林、小石林、石林湖が見渡せる」と書いてあったとおり、ここからの景色も絶景で、
その美しさにビックリしながら写真を何枚も。立派な写真を完成させたが、読者にはなかなかわかりにくいかも・・・。

(6)時刻はすでに12時25分。私たちだけが勝手な行動をとっているのだから、約束の時間に遅れることは絶対にダメ。そう思った私たちは、ほとんど走りながら駐車場のバスへ。
2、3分でたどり着き、滑り込みセーフ。添乗員の浮島さんはバスの外で待ち受けていたが、彼女の話によると、他のお客さんはもう10分前にバスの中に座っているとのこと。
ああ、遅れなくて本当によかったと痛感・・・。

≪バスにて昆明市内へ戻る  1:30~3:00≫

4 昆明市内の雲南民族茶道館にてお茶の試飲(3:00~3:45)

 石林観光の疲れを癒すにはちょうどいいタイミングでのお茶の試飲したのは雲南省でも有名なお店らしい。ここでは雲南省の数あるお茶の中で①紅茶、②普茶(プーアール茶)、
③烏龍茶などの4種類のお茶を試飲。中国ツアー恒例のお茶のサービス(販売攻勢)だが、何回も見ていると飽きてくるし、こういうところで購入するお茶は値段が高く、スーパーで売っている
お茶の方が圧倒的に安いことがよくわかっているので、今回は全然買う気なし。お茶を飲んだ後、ブラブラと店内を見学してここは終了。次は昆明で唯一の見学ともいうべき、
西山森林公園の観光へ出発だ。

5 昆明のまちにおける興味深いまちづくり

 このお茶屋さんに入る手前には、7~8階建ての新興住宅街(マンション)が建設されていた。そして大きな看板には、「新昆明城建設十佳住宅小区」と書かれていた。
呉さんに聞くと、最近建てられているこのようなマンションの値段は1平方メートル単価2400元(約3万円)で、部屋の広さは標準タイプで70~80平方メートルとのことだから、
1室約200万円ということになる。北京や上海でのマンションブームほどではないにせよ、雲南省の昆明でもマンション群が次々と建設されていることに驚くとともに、
一層中国の土地問題、住宅問題、そして都市問題に興味をもって勉強しなければと痛感!

≪バス移動  3:45~4:00≫

6 西山森林公園での龍門石窟の見学(4:10~5:30)

(1)西山森林公園は昆明市の西の郊外約15キロメートルの地点にある森林公園。昆明湖に沿うように華亭山、太華山、羅漢山などの山々が南北40キロメートルにわたって連なっており、
全体が森林公園となっているとのこと。もちろんこれを全部観光することはできず、私たちがリフトに乗って行くのは太華山の龍門石窟だけ。
ここは道教の石窟で、昆明に来てここを訪れない者はいないというほど有名なところ。

(2)龍門は20年以上の歳月をかけて完成させた石窟で、龍門石窟の中で最も美しいところ。2人乗りのリフトを下りた後の山道を歩くのは結構厳しいうえ、道は狭く、
ところどころの観光名所は観光客であふれかえっている状態。したがって、そこで石窟の写真を撮影したり、下に広がる昆明湖の美しい景色を写真撮影するのは結構大変な作業。
石窟を下りてバスが待っているところまではカートで下ったからよかったものの、これを全部歩いていたのでは多くの人がダウンしていたことだろう。

(3)この山の上から見渡す昆明湖の景色は美しいが、これは映画『たまゆらの女』で見た仙湖とはイメージが全然ちがうもの。つまり、仙湖は本当に山の中にある自然なままの湖であるのに対し、
この眼下に広がる昆明湖は美しいものの、その周囲には当然市街地が広がっているから。やはりあの映画での「仙湖」は架空のものだったのだと自分なりに納得・・・。果して真相は・・・?

(4)龍門石窟では、忙しく歩き回ったため、1つ1つの仏像の名前までは全然覚えていない。ガイド本に載ってあるような華亭寺にある大雄宝殿の三尊金身仏像、五百羅漢像、
天王殿の四大天王像、金身弥勒菩薩像などは見ていないと思うのだが・・・?

≪バス移動  5:30~5:40≫

7 太華寺見学(5:40~6:30)

(1)ここ太華寺(だと思うがひょっとしてまちがっているかも・・・)は太華山の山中にある有名な寺院。しかし現在このお寺は全面改装中。お寺の周りを見学した後、その中に入ると、
なぜかそこには数多くの掛け軸や絵が展示されており、それぞれに値段がついている。ああここでも中国ツアーでよく見る、掛け軸や絵画の販売攻勢かと思って見ていると、お茶のサービスがあり、
お寺の事務局長(?)らしき人から、かなりの早口かつ商売ペースでとくとくと、「現在このお寺は改装中。その改装費用を捻出するため、貴重な掛け軸や絵画を格安で販売している」
という詳細な説明が・・・。

(2)さらに珍しいことに、この人の口からは、このお寺のえらいお坊さん直筆の書をサービスするので、一人4~6字の好きな言葉をメモ用紙に書いてくれとのこと。
もちろん、これは高額な商品を販売するための出血大サービスであることは明らかだが、まず無料サービスから始めるというやり方は、中国では珍しいもの。
そしてたしかにこのお寺のえらいお坊さんが、私たちの目の前で16名分について1人1人から注文の四文字(六文字)熟語を筆で書いていたから、その労力は結構大変なもの。
これが無料サービスと考えると、少し気の毒にもなるが。

 私は娘が司法試験の受験勉強中ということもあり。ありきたりの四文字熟語では面白くないので、「試験一発合格」というケッタイな「六文字熟語」を注文し、これを受け取った。
私の娘にも、中国雲南省のえらいお坊さんに直筆で書いてもらったこれを見て、発奮して勉強してもらいたいものだ。 

(3)しかしこれほど露骨に販売攻勢をかけられると、私が人一倍もっている、買おうかなという気持も逆に萎えてしまうもの。私は、三国志で有名な諸葛孔明が書いたとされる「出師の表」の
掛け軸を発見し、3万円と言っているものを1万円なら買えそうというところまで商談を成立させかけていたが、相棒の「やめろ、やめろ」と言う声によって、結局は中止。
特別価値があるものではないにしても、私としては珍しいもので話のネタになるものだから、別に1万円がもったいないわけではない。旅行後になってやはり買っておけばよかったと後悔しているが、
そうなったのはお寺にあるまじきあまりにも強い「売らんかな」の販売姿勢に原因がある。もう少し冷静で知的な(?)販売をしてほしいものだ。

≪バス移動  6:30~7:00≫

8 夕食(7:00~8:00)

 今日は朝早くから午前中は石林を歩き回り、夕方は龍門石窟を歩き回るというかなりのハードスケジュール。そのためツアー御一行はかなりグッタリと疲れた様子。時間も差し迫っているため、
ホテルに寄る余裕もなく、レストランに入って夕食。今日の夕食は雲南名産のきのこや過橋麺(ビーフン)など雲南名物郷土料理とのことだが、相変わらず私の胃腸はこれを受け付けず、
ほとんど食べれない状態。

≪公式行事終了≫

9 錦江大酒店(旧錦華大酒店)に到着(8:10)

 夕食を終えてやっとホテルに。ああ、ここが最初の日に入ったホテルだったと再認識しながら部屋へ。もちろん疲れてはいるもののこのまま眠るわけではない。最後の日となる昆明の夜のまちを
楽しまなければ・・・。

10 自由行動にて昆明の夜のまちを散策(8:10~10:00)

(1)まだ今は8時だから時間はたっぷりある。昆明のまちの中心地がどこにあるかはわからないものの、とりあえずホテルを出て道に沿ってブラブラ歩いていくと、いろいろと面白い店が
いっぱいある。ここで目につくのはお茶を売る店と、昨日大理古城で見た薬屋の2種類。昼間にお茶のサービスを受けた「雲南民族茶道館」はミエミエの日本人ツアー向け価格であったため
買わなかったお茶を、今度は中国人向けの市価で買うべく、あちこちの店に立ち寄って品定め。ここでは約10分の1の値段で買うことができるから、ホントに昼間の値段はバカげたもの。
私たちはさらにケチになり、お茶筒に入ったものは荷物にもなるし割高となるため、これをやめて単なる袋入りのお茶を各種たくさん仕入れることに。こんなやり方を覚えると、
日本人のツアー客向けの店でベラボウなお金を出して買うことはホントにバカバカしくなり、ODA精神(?)を貫かない限りはそれはムリ。また、雲南省特有の漢方薬を売る店も少し見たが、
これはもうすでに十分見て買ってきたものとほぼ同じなのでパス。

(2)昆明の夜のまちの散策ではじめて体験したのが中国の映画館。今回の旅行の直前に私の映画評論本のパート5になる『坂和的中国電影大観』を完成させた私としては、
中国の映画館は是非実際に見聞しておきたいもの。そんな私が最後の日の夜の散策で通りかかったのは、『アイ,ロボット』などを上映していた2、3の映画館。
チケットを買って中には入ることはしなかったが、入口までいろいろと見て回ると、ジュリア・ロバーツなどのハリウッド女優の大きな看板がズラリとあるし、
これから上映予定の映画の宣伝用の看板もいっぱい。ちなみに料金は、封切上映となる人気映画の『アイ,ロボット』で15元、その隣の私の知らない映画で10元。
つまり200円から150円ということだから、これも日本の約10分の1。なお、映画館の前でしきりにカメラのフラッシュを光らせていた私たちの姿を、行き交う中国人たちが
不思議そうに見ていたことを付言しておこう。

(3)さらにメイン通りとクロスする細い道には、その入口に屋台があり、その奥にはズラリとカバンや靴の店が並んでいた。ものは試しと少し通ってみたが、ものの見事にカバン類と
靴製品ばかりを販売している。買う気はないので、もういいかと思ってまたメイン通りを戻っていて気がついたのは、お茶の店や薬の店の他、ここにはカバンの店が多いこと。
なぜかは全くわからないが、当然それなりの理由はあるはずだ。2時間弱のまちの散策も飽きてきたので、さて次は恒例(?)の足ツボマッサージへ・・・。

11 最後の夜も足ツボマッサージ(10:00~11:20)

 ここ昆明のホテル錦江大酒店のすぐ隣や道路を隔てた向いには、足ツボマッサージ30元の看板があり、初日から一度そこに入ってみようと思っていたもの。
しかし今夜、昆明のまちを散策していると、20元という店や28元という店もある。20元の店に入ってみようと思っていたが、つい成り行きで、多分中国人向けのホテルと一緒になっている
28元の足ツボマッサージ店へ。これは大阪で言えば、簡単に安く泊まれるカプセルホテルとサウナが併用されているニュージャパンや大東洋のような感じの店。
しかしそれにしても1時間足ツボマッサージをやってもらって28元=約400円とは実に安い!これが大阪にあれば、毎日でもやってもらいたいものだが・・・。

12 錦江大酒店にて宿泊

 足ツボマッサージを終えて気持ちよくホテルへ。今日1日の疲れを考え、明日の朝早くの起床を考えれば、今日はさぞグッスリ眠れることだろう・・・。

「石林」の奇峰をみて大感激!

これが象の岩だが、果たしてそう見えるかナ・・・?

これが望峰亭。観光客は必ずここに!

これが水牛の池。水牛の形をした岩は数個あるが・・・。

昆明市内の雲南民族茶道館にて4種類のお茶を試飲

これが有名な龍門石窟

太華山の山頂から 昆明湖と市街地を一望!

映画の料金は10元と15元。こりゃ安い!

8日目

1 起床・朝食・出発

(1)5:30 起床

(2)6:00 荷物出し  6:00~6:30 食事

(3)6:30 バスにて昆明空港へ出発

(4)今日はいよいよ7泊8日の旅行の最終日で、朝から日本へ帰るだけの日。添乗員やガイドの努力によって、6時から朝食を食べることができることになったが、
当然ながら(?)食欲はほとんどなく、今朝もヨーグルトを飲み果物を少し食べただけで出発。もっとも、空港で食べようと思い、ヨーグルトを1つ持ち出したが・・・。

2 帰国の途へ

(1)7時に空港に着き、搭乗手続もスムーズに終わり、8時に昆明空港発のMU-751に乗り込むことに。ここで見えたのが美しい日の出。バスに乗り込んでいる2~3分の間に
みるみる間に太陽が昇ってきた。あまりキレイに撮れていないが、その1枚が写真8-①の写真。その後、昆明空港を飛び立った飛行機は、10時50分に上海空港に到着。 

(2)帰りも上海でのトランジット中に出国手続を済ませ、上海空港で乗り継ぎをすれば、あとは12時15分上海空港発MU-751にて一路関空へ。そして3時に関空到着。
荷物を受け取り、ここで流れ解散だ。添乗員の浮津さんや何人かのツアー同行者と別れのあいさつを交わして、今回の中国雲南省の旅行も終了。この後は、早く家に帰ってサウナに入りたい・・・。

[雲南省7泊8日旅行についての坂和的総評]

1 食事について

(1)私の中国旅行の楽しみの1つは、各地でおいしい中華料理を食べること。私は自分の胃腸は丈夫だと信じており、今までの3泊4日の中国旅行ではすべて大丈夫だったし、
そのたびにたらふく豪華な中華料理を楽しんできたから、今回の7泊8日の旅行にも自信をもって臨んだ。ところが現実は、5日目の晩から散々な目にあってしまった。
これも私にとってはいい教訓。あまり自分の胃腸を過信しないようにしなければ・・・。

(2)今回の旅行で用意された食事についての文句は私にはほとんどないが、それでもなおクラブツーリズムに対しては2つの注文をしておきたい。
その第1は、さすがに多くの参加者が後半は食欲を失っていた様子。したがって、やはりフルコースの中華料理のオンパレードではなく、途中で何か変わった食事を用意してほしいということ。
第2は、見学が全くなく移動だけの場合の食事の連続はできるだけ避けてほしいということ。

(3)なお、食事のたびにつけられた、各テーブルへのビール2本のサービスは適度なもので、これは今後も続けてもらいたいものだ。

2 日程、観光地選び、時間割について

(1)今回の雲南省周遊ツアー最大の特徴は、麗江での3連泊。これほど充実した麗江観光はめったにないだろう。その反面、とくに昆明の観光が不十分になったのは、当然とはいえやはり残念。
考えてみれば、昆明はホテルも夜遅く入って朝早く出ていっただけだし、観光したのもほんのわずか。石林見学と昆明の市内観光で1日、西山森林公園観光で1日とればいいと思うのだが、
それはぜいたくというものか・・・?そんなことを言い出せば、「西双版納に行ったのだから、ついでにシャングリラまで」などという話になりそうでコワイ・・・。
7泊8日の日程としてはこれ以上にないものと評価すべきだろう。

(2)観光地選びは難しいところだが、これも十分満足できるもの。ただ、今回多少トラブルになりかけたことも含めて、時間割について1つの指摘しておきたい。
それは、観光地ごとに、「何時集合、それまではオーケー」という形にした方がベターでは、ということ。今回のツアー参加者の最長老で、食事のたびに話題提供者となっており、
大理のホテルでの夕食では、果敢にも舞台に出て、生演奏で『北国の春』を歌ったTさんは、やはり日本人的感覚が強い。したがって中国式(?)の「ツアー客が見物している状況をみながら、
適当に集合していく」というやり方は気に入らない様子で、途中かなり厳しくこれを指摘していた。私もこれに賛成。私たちは、ガイドの動きをみながら可能な限り自分たち独自の行動をと考え、
かなり自由な行動をとっていたが、それができたのはひとえに中国人の相棒がいたから。自分一人の参加ではとてもそうはいかず、ガイドのもつ旗をひたすら注目しながら動く、
真面目なツアー客になっていたはず。そんな目でみると、たとえば「自分勝手に動くオバちゃん(!)」が1人参加者にまじっていると、きっと腹が立つことだろうナと思う。

(3)今回は、添乗員の浮津さんもそういう認識になったようで、ガイドの呉さんに意見交換をした結果、後半は「○○時集合、それまでは自由行動」というパターンが増えてきた。
そのためには、時間厳守とか行方不明にならないこと等のルールを参加者がきちんと守らなければならないが、その方が効率性と自由性をうまく両立できるものと私は思っている。

3 ツアー客16名のパーソナリティについて

 今回のツアー参加者は、ペア参加者5組10名と一人参加者6名の合計16名。4名~6名の団体参加が混じるとそのグループばかりが賑やかという弊害も考えられるが、
この程度はちょうどいい規模。ただ、一人参加者は当然ながら個性の強い人が多い。今回もそうだった。前述の最長老のTさん、デジカメマニアのKさん、中国旅行の経験豊富で夫婦連れに対して、
さかんにアドバイスをしてくれていたAさん、唯一の若者であるBさんと私たちは仲良くツアー旅行を楽しむことができた。しかしあとのCさん、Dさんはちょっと・・・。
とりわけ一人参加でおしゃべり、そして誰にでも、何にでも割り込んで話しかけてくる、「大阪の(?)オバちゃん」は、私にとって大の苦手。さらに・・・。これ以上書くのはやめておこう。
これはあくまで私の主観にすぎないのだから。しかしツアー旅行においては参加者のパーソナリティの果たすウエイトが大きいので、くれぐれも皆様その点にご留意のほどを!

4 添乗員とガイドについて 

 添乗員付きの中国ツアーは、私は今回がはじめて。出発の数日前に気温と服装について電話してきた浮津さんの話ぶりから、「この人は大丈夫だな」と思っていたとおり、浮津さんとは、
実に気持ちよくツアーを楽しむことができた。そしてまた他方では、7泊8日の16名のツアー客とずっと一緒に回る添乗員の仕事上の苦労と人間関係維持の苦労の両方が、実によくわかり
勉強になったものだ。またガイドについても、昆明到着から昆明出発までずっと付き添ってくれた呉さんは、東京近郊に10年近く生活をしていたというベテランガイドで、知識も豊富なうえ
サービス精神も旺盛。彼の話がどれほど私たちの勉強になったことか、大いに感謝している。他方、西双版納、大理、昆明だけの現地ガイドは、時間的にあまりにも短すぎることもあり
十分な接触ができなかったのが残念。しかし、いずれにしても呉さんほどの「一流ガイド」ではないだろう・・・。結論として、大きなウエイトをもつ浮津さんと呉さんという、
いい添乗員とガイドに恵まれたことは、今回の雲南省周遊旅行最大の幸運だったのかもしれない。ここに、私の心をこめて、「謝謝」と述べておきたい。

[麗江余話]

(1)この旅行記の最後に、2004年11月末に「SHOW-HEYシネマルーム5」にあたる『坂和的中国電影大観』を出版した私の、映画に関する麗江余話を一席。

(2)麗江観光中、ガイドの呉さんからは、高倉健が麗江で張藝謀(チャン・イーモウ)監督の映画に出演しており、現在麗江で撮影中との話を聞かされていた。その話によると、
麗江の少数民族(ナシ族)出身の娘が日本に留学するという物語で、高倉健が主役級で出演しているとのことだったが詳しいことは不明。これが上映されたら、私が今観ている麗江の空港や
古城の街並みがきっと登場するだろうと思うと大いに親しみを持つことができ、楽しみに思っていたもの。

(3)そんな中、2004年12月14日の読売新聞の夕刊は女優寺島しのぶを取りあげていたが、その中で、張藝謀監督が高倉健を主役に撮る新作『千里走単騎(原題)』
(『単騎千里を走る(邦題)』)に寺島しのぶが出演すると書いてあった。それによると、この映画は親子愛を描くヒューマンドラマで、寺島しのぶは中井貴一と共に健さんの息子夫婦を
演じるとのこと。張藝謀監督がハリウッドに進出して撮った、「武侠映画」である『HERO』(02年)『LOVERS』(04年)は大ヒットしたものの、私は張藝謀監督にはやはり、
『あの子を探して』(99年)、『初恋のきた道』(00年)、『至福の時』(02年)のような心温まる素朴な映画を撮ってもらいたいと考えていたので、この新作『千里走単騎(原題)』
への期待は高まるばかり。近い将来、私が見た麗江古城のまちなみや麗江でふれ合ったナシ族やペー族たちの少数民族、そしてあの壮大な玉龍雪山などを思い出しながら、
しんみりとこの映画を楽しみたいものだ。                       

                                                 〈 完 〉

中国(上海・杭州・烏鎮・無錫・鎮江・揚州・蘇州・周庄旅行中国5日間」)旅行記・・・(2006(平成18)年3月16日~3月20日

[はじめに]

<上海・杭州・烏鎮・無錫・鎮江・揚州・蘇州・周庄旅行の決定>

(1)前回2005年10月20日~10月24日の山東省クルーズ(曲阜・泰山・済南・青島)終了後、「次回はどこに?」と考えた時、思い浮かんだのは厦門(アモイ)へのツアー。
2月の寒い頃でも厦門なら暖かいし、空いているだろうと思って申し込みをしたが、残念ながら参加人数がそろわず不成立となってしまった。

(2)そんな中、突然目につきはじめたのが杭州ー上海を結ぶ4泊5日のツアー。これにも上海中心にじっくりと観光する「のんびりコース」や、今回のように
上海・杭州・烏鎮・無錫・鎮江・揚州・蘇州・周庄と忙しく各地を駆けめぐる「欲ばりコース」がある。料金も、3月中旬までの出発では39800円という価格設定が多く、
3月末からは49800円、59800円などいろいろ。そこで検討の結果、3月16日~3月20日の「欲ばりコース」を選択し、価格は39800円。

<人気は上々、参加者の数は?>
このコースは連日新聞で宣伝されていたため、人気上々だろうと推測していると、案の定、結果的に参加者は57名という多数。こりゃ大変そうだと最初から思ったが・・・。


                                               以上

                                 2006(平成18)年4月7日

1日目

1 関空(10:35発)から杭州舟山空港(12:25着)へ

     ANA(NH951便)

(1)台湾を含む中国旅行9回目、ツアーによる中国旅行7回目ともなると、出国手続などは手慣れたもの。しかし今回は、ツアー参加者が57名と多いうえ、平日の木曜日にもかかわらず
出国ゲートはズラリと100人以上の列。パスポートを用意して並んでいる私の前に、「10時の飛行機なので先に行かせて下さい」と頼んでくる人まで・・・。

(2)飛行機の座席を1番後ろに定めた私たちは、機内食の配布が1番だと思っていたら、逆にビリ。それでも最初にビールを1本もらい、後はワインもタップリと飲み、
トイレにも2、3回行きながら、機内でひと眠りするとたちまち杭州へ到着。

2 杭州到着、入国手続、バス乗り込み(12:30~1:30)

飛行機から降りるのはビリになったが、トランクを引き取り、入国手続を済ませ、空港の外に出ると、そこには私たちのツアーを出迎えるガイドが、A班とB班に分かれて待ち受けていた。
私たちはB班27名に属することになり、バスの中に。

大型バスとはいえ27名も乗れば、ほぼ満席状態。そんな中、まずはガイドの自己紹介。我々B班のガイドは袁さんで、50歳前後のベテラン男性ガイド。そしてカメラマンは朱さん、
ドライバーは馬さんということになった。

バス移動(空港から西湖へ)(1:30~2:00)

3 杭州観光その1ー西湖遊覧(2:00~3:20)

(1)杭州観光の第1は西湖遊覧だが、ここは2004年6月の杭州旅行の際、じっくりと観光したところ。そして空港から西湖に向かう高速道路の窓から見える景色も、見覚えのある
懐かしいものだった。もっとも、前回はガイドの張紅英さんがかなり詳しく説明してくれたため、窓からの景色とその説明をよく覚えていたが、
今回の袁さんはそういう点の説明が少ないのが残念・・・。

(2)「中国一美しい湖」といわれる西湖観光は、まずは蘇堤を少し歩き、遊覧船に乗ることに・・・。前回は「西湖十景」をすべて頭の中でイメージしながら遊覧船に乗り、
シャングリラホテル前の西湖の北端から西湖の南まで進んだが、今回は時間の関係もあり、約30分程度の遊覧で終わったのも少し残念・・・。そして下船後は、また美しい景色を見ながら
バスの中へ。

バス移動(3:20~3:40)

4 杭州観光その2ー霊穏寺見学(3:40~4:40)

 前回は六和塔と霊穏寺を2つ見学したが、今回は霊穏寺のみの観光。西湖から西へ2kmの山中にある、杭州で1番有名な禅宗のお寺である霊穏寺を、約1時間かけて散策。
寺院内にいっぱい並んでいる合計338体の石仏を見学しながら、写真もいっぱい・・・。

バス移動(夕食のレストランへ)(4:40~4:50)

5 夕食(4:50~6:00)

(1)食事内容は?

 私が「中国旅行大好き人間」になったのは、中国の歴史をはじめとして大いに勉強できることが第1だが、食事が私の口に合うことも大きな要因。ホテルでのバイキング形式による朝食は
野菜を中心にタップリと食べることができるし、昼食・夕食は各地のレストランで名物料理をタップリと味わうのが何よりの楽しみ。ところが、楽しみにしていた今日の夕食は、かなりお粗末・・・。そのうえ量も不十分・・・。ツアー旅行であっても、中国ツアーの食事は食べきれず、料理が残るのがふつうだが、今回は1つのテーブルに10名も詰め込んでいることもあり、
質・量ともにもうひとつ・・・。

(2)ビール1本20元は?

 山東省クルーズでは、食事ごとに飲み物が各自のグラスに1杯だけサービスされ、追加は各自の費用で、というパターンが多かったが、その場合もビールは大ビン1本10元だった。
私が経験したこれまでの中国ツアーでも、ほとんどが1本10元で、例外的に高級レストランやホテルの中で15元というケースがあったが、20元というのはあまり記憶がない。ところが今回は、
最初から20元と言われて高いと思ったが、何とツアー全体を通じてすべて20元。別に目くじらを立てるほどのことではないが、こんなところで高い料金をとって旅行社の評判を落とすこと
を考えると、ビール1本20元という設定はよくないのでは・・・?

(3)ちょっと甘かった養命酒の値段交渉

 食事終了間際になって、なぜか養命酒のサービスが・・・。これは何かあるぞと思っていると、案の定、養命酒の販売攻勢が開始された。日本の養命酒は甘くて、まろやかで飲みやすくされている。それに比べると、ここで飲んだ養命酒はアルコール度数が28%と高いうえにおいも結構きつく、薬膳酒という感じが強いもの。販売は1本1500円、2本3000円のところを、
2本2500円ということだったので、調子に乗って「2本で2000円」と交渉したところ、即座にオーケーとなってしまった。「しまった、これはちょっと甘かった」と思いつつ、
言ってしまった以上仕方なく2000円を払うと、別のテーブルでも「1本1000円、安いよ、安いよ」と販売攻勢。何人かの客が購入していたが、どうも私が高値の相場を形成してしまったようだと反省・・・。

バス移動(ホテルへ)(6:00~6:30)

6 皇冠大酒店ホテルチェックイン(6:50)

バス移動(ホテルから宋城へ 約20分)(7:00~7:20)

7 オプションのショー観賞(7:30~8:30)

 今回のオプションは、宋城でのレビュー観賞で、料金は1人3500円。実はこれも前回の杭州旅行で観賞し、その劇場の大きさやレビューの豪華さに感激したもの。
どんな出し物かを聞くこともなく即座に申し込みをしたが、今回も前回と同じ「宋城千古情」。言葉はわからなくとも、字幕の説明もあるし、そのストーリーも単純なものだから、
概要は十分理解できるものだ。それにしても、杭州の宋城で2度も同じレビューを観た日本人観光客は少ないのでは・・・?

バス移動(宋城からホテルへ)(9:00~9:20)

8 買い物と足ツボマッサージ(10:00~11:00)

(1)レビュー観賞が終わりバスがホテルに着くと、次はいよいよ中国旅行の夜の楽しみである足ツボマッサージへ。ラッキーなことに、ホテルのすぐ近くに足ツボマッサージの店があったので、
そこに入ることにしたが、その前に隣の小さな薬局に寄って、カゼ薬や目薬などを購入(ちなみに飲むタイプのカゼ薬は1箱13元、目薬は1個9元)。

(2)今回のツアーのオプションとして設定されているのは、①1日目の宋城でのレビュー観賞1人3500円、②2日目の足ツボマッサージ1人3000円、
③4日目の上海雑技団のショー観賞1人3000円の3つ。足ツボマッサージ3000円はチト高いが、2004年3月に娘と2人で来た杭州ツアーでも200元(3000円弱)だったから、
まあやむをえない料金設定・・・。

 現実には私が今日行った足ツボマッサージは、60分で1人48元(約750円)。大型のサウナではなく、ふつうの足ツボマッサージ店のやり方は、まず薬草の入った熱いお湯に
足を約10分浸した後、クリームを塗りながらマッサージしてくれるもの。これで700円、800円なら、日本でも毎日やってもらいたいと思うほど快適。片方の足が終わるとそちらの足だけが
急に軽くなったように思えるくらいだから、両足のマッサージを終えた60分後の爽快感は何とも言えないもの。

9 就寝(12:00)

2日目

1 ホテル(杭州、皇冠大酒店) 起床 朝食

(1)6:00起床  6:40~朝食

(2)7:30バス出発

(3)トラブル発生!

 順次バスに乗り込み、いざ出発という段階になって、突然袁さんがバスに現れ、「Tさん、お金を持ってフロントに来て下さい」とアピール。どうもホテルから、部屋に置かれていた有料の品物を
使ったのに料金を支払っていないと指摘されたらしい。そこでTさん夫婦は怪訝そうな顔をしながらバスを降りていったが、約10分ほどして袁さんと一緒に戻ってくるなり、
「部屋番号をまちがえられた」と憤慨しきり。つまり、13○○号の部屋を15○○号の部屋にまちがえられて、「料金未精算」のレッテルを貼られたらしい・・・。

 フロントで料金未精算と指摘されたTさんは、「そんなはずはない」「それでは部屋に行こう」という話を袁さんを通じてやっているうちに、部屋番号をまちがえていたことが判明したとのことだ。そこでTさんが憤慨するのは、ガイドの袁さんがホテル側の言い分をTさんに伝えるだけで、Tさんの説明(弁明)をホテル側に十分に伝えようとしなかったこと。バスに戻ってきた袁さんは、
「これこれしかじかのまちがいでした。私もホテル側に怒りました」と説明していたが、どうもその説明自体がTさんの怒りのポイントとズレている感じ・・・。Tさんは料金未精算と指摘され、
お金を持ってフロントに行き、弁明することを余儀なくされたうえ、その間みんなをバスに待たせた結果となったことについて気にしているのだが、袁さんはそういうTさんの気持を
全然理解できていない様子。

 Tさんはその後、2日目、3日目もバスの中でさかんにその不満を奥さんに語っていたので、その声が私にもよく聞こえてきていた。そりゃTさんの怒りはごもっとも・・・。
そしてこれが4日目の上海での大ゲンカの引き金になることに・・・。

バス移動(杭州から烏鎮へ、約1時間30分、7:30~9:00)

2 烏鎮観光(9:00~10:00)

その1ー船による水郷めぐり

(1)私は烏鎮見学は2度目だが、今回はまず8人乗りの船に乗っての水郷めぐりから。烏鎮観光はいっぱいになるから早い目に出発し、9時には入場したのだが、B班27名が分乗する船は
4隻分必要であるにもかかわらず、船が1隻足りないとのこと。2隻は先に出発し、私たちが乗った3隻目は、4隻目の船が来るのを待つことに・・・。まあ、その間ゆっくり写真を撮れたから、
結果的にはそれでよかったが・・・。

(2)船でゆっくりと進んでいくと、運河で洗濯をしているおじいさん、おばあさんがチラホラ見え、生活臭がただよってくるが、実際にこんな生活をするとなると大変。袁さんの話によると、
電気・水道はあるものの、水洗トイレもない状態だから、この烏鎮のテーマパーク内に現実に住んでいるのは老人ばかりで、若者はすべて外に出て行くとのこと。
しかしお金のことに関する説明が得意な袁さんによると、入場料の5%が何もしないでもこのテーマパーク内に居住しているだけで支払われるとのこと。烏鎮の観光人気は上々だから、
写真に写っているおじいさん、おばあさんたちは意外にリッチ・・・?

その2ーテーマパーク内散策

(1)船を降りた後はテーマパーク内の古いまちなみの散策だが、時間不足のためか散策というよりかけ足に近い状態・・・。それでも前回見学した藍染工房では、
たくさんかけられた染物とともにハイポーズ・・・。

(2)さらに機織工房では、おばあちゃんが繭から糸をとり、機を織っているナマの姿を見学。ちなみに袁さんも昔、これをやったことがあるとして、飛び入りで実演し、自慢していたが・・・。

(3)そんなかけ足状態の烏鎮見学だったが、それでもちょうど1時間はかかったため、私たちのツアーが帰ろうとした10時頃には、これから見学に入ろうとする団体客がいっぱい。
早めに来たため、混雑しないで見学できたことを感謝しつつ、バスの駐車場で最後の写真を・・・。

 バス移動(烏鎮から蘇州へ、10:00~11:45)

 (無錫へ行く途中に蘇州で食事)

3 なぜ蘇州で昼食を・・・?

(1)前回は烏鎮のテーマパークのすぐ前にあるレストランでおいしい烏鎮の農家料理を味わったのだが、今回は無錫へ行く途中、蘇州に寄り、蘇州で昼食を食べるとのこと。
しかし蘇州の留園と寒山寺の見学は4日目に予定されているのだから、昼食を食べるためだけに蘇州に立ち寄るというのも変な話だナと思いつつ、バスの中に。
このように、今回のツアーで私が納得できないことが多いのは、正確な全体の位置関係が理解できないことと、袁さんがそれを適切に説明してくれないこと。

(2)烏鎮から次の見学地である無錫へバスでまっすぐ走ればどれくらいの時間がかかるのかわからないが、結果的に私たちのバスが①烏鎮から蘇州で1時間45分、
②蘇州から無錫で1時間40分かかっていることに比べれば、多分もっと短いのでは・・・。したがって、後でよく考えてみると、蘇州での昼食をセットしたのは、
後述のシルク工場見学とショッピングにツアー客を導くため・・・?

4 レストランで昼食(11:45~12:20)

 ここは10人掛けのテーブルが100卓ほどある大きなレストラン。料理が出され食事が始まると、二胡の演奏に合わせて『蘇州夜曲』を歌う美しい女性の声が・・・。
これは何だと思ってそちらのテーブルを見ると、男女2人のペアが客のリクエストに応じて歌っていた。いわば中国流の「流し」の登場だ。私たちのテーブルには女性1人だけが
中国式の琵琶を抱えて注文を取りに来た(?)。リクエストオーケーの曲が10曲ほどあるので、その中から好きな曲を選択してくれとのこと。
1曲30元はチト高いと思ったが、記念に『夜来香』を注文。歌う彼女と並んで、ハイポーズ・・・。

5 蘇州のシルク工場見学(12:20~1:00)

 シルク布団工場見学は2004年3月の杭州ツアーでも1度経験したが、今回もほぼそれと同じようなものだった。シルクと化繊(ポリエステル)との違いを客に実感してもらうため、
前回はライターの火で燃やし、シルクはポリエステルと比べて燃えにくいという様子をアピールしていたが、今回は両者のスカーフを手で触らせて、どちらがホンモノで、どちらがニセモノかを
客に答えてもらうというやり方。そりゃ俺にだって、触って比べてみれば、その違いははっきりわかるサ・・・。もっとも繭から糸をとる作業は、何度説明されてもよくわからないが・・・。

6 ショッピング(1:00~1:40)

 掛け布団はシングルもセミダブルもシルクの量は同じで、伸ばし方が違うだけ。550元、500元、450元と値段が異なるのは、シルクの量の多さによるもの。
お薦めは500元のものということだったのでこれを購入。前回の杭州ツアーの際に購入し、私も妻も快適に使用しているのだが、この際息子や娘その他にもと考えて数枚購入。

 シルク工場の見学が終わると、次はシルク商品のショッピングセンターへ案内され、「さあ買って下さい」とばかりの販売攻勢。別に買うつもりはないのだが、じっと座っていても仕方ないので、
シルクのパジャマなどを見て回っていると、ついつい買ってしまうことに。ここでのお買い物は、龍の模様のネクタイ70元、半袖シャツ360元、マフラー120元、130元也・・・。

バス移動(蘇州から無錫へ、1時間40分、1:40~3:20)

7 無錫というまちは?

(1)北京、上海などはすべての日本人がよく知っている中国の都市の名前だが、西安や成都そして重慶や延安になると知らない人が多いはず。しかし韓国の釜山、中国の蘇州、そして無錫のまちが
日本人にポピュラーなのは、何といっても大ヒットした歌のおかげ。すなわち『釜山港へ帰れ』『蘇州夜曲』と同じように、尾形大作が歌って大ヒットした『無錫旅情』のおかげで、
一躍「無錫」の地名が日本でも有名に。この歌のヒットがなければ、多分無錫程度の小さな都市が日本人に認知されることはなかったはず・・・。

(2)次に無錫というまちが面白いのは、錫という字。これは「スズ」という貴重な鉱物を表す漢字だが、その漢字のとおり、このまちは3000年以上昔からスズの生産地として知られていたまち。ところが豊富にあったスズも、漢の時代(有名な項羽と劉邦が前漢を打ち立てたのがBC206年、そして以降前漢ー後漢と続き、後漢が滅んだのが220年)には掘り尽くされてしまった。
そこでこのまちは以降無錫と呼ばれるようになった、というウソみたいな話がガイド本にも書かれていたし、袁さんの説明も全く同じ。
したがってこの無錫という名の由来は、冗談や笑い話ではなく、ホントの話・・・。

8 無錫観光その1ー錫景公園見学(3:20~4:00)

(1)錫景(しゃっけい)公園は無錫の市街地のすぐ西にある錫山と恵山という2つの山で構成される公園。入口の古華山門を入ると、寄暢園がある。ガイド本によれば、これは明の正徳年間に
秦金という人物がつくった名園で、池、橋、回廊が見事に調和している。そして康煕帝と乾隆帝はそれぞれ6度南巡しているが、そのたびに寄暢園に立ち寄ったとのこと。

(2)寄暢園から恵山寺へ進むと、御碑亭に出る。中に建っているのは乾隆帝の筆跡になる記念碑。その後ろのイチョウの木は、樹齢が600年にもなるとのこと。

(3)錫景公園の最大の見どころは「天下第二泉」。これは唐代の茶神と呼ばれた陸羽がほめ称えた名泉で、鎮江市にある「天下第一泉」に次ぐ、「天下第二泉」の称号をおし頂いている。
ちなみに泉のすぐ上に彫り込まれた「天下第二泉」の文字は、元代の書家・趙孟頫の書とのこと。

9 おみやげ店へー急須と人形(4:00~4:40) 

(1)錫景公園見学が終わるとおみやげ店へ案内され、お茶を飲みながら急須の販売攻勢を受けることに(写真2-⑰)。それまで私は全く知らなかったが、無錫のおみやげの名物は、
急須と恵山泥人形の2つとのこと。無錫の急須は、素材となる土がいいことと高温による焼き方がいいため(その具体的内容はきちんとメモしておらず、あまりよく覚えていない)、
お茶を一週間入れていても臭くならないとのこと。ホントかなあ・・・?

 さらに指で弾いてみると「ピーン」と非常に澄んだいい音がするとのことなので、こちらは試してみるとたしかにそのとおり・・・。だがA級、B級、C級とある商品をいくら眺めても、
私にはどの商品ならいくらが妥当なのかが全くわからなかったことと、持って帰るのが重いため、散々迷った挙げ句、結局は買わずじまいに・・・。帰国後は少し残念で、
やはり購入しておけばよかったと後悔しきり・・・。

(2)他方、無錫名物の恵山泥人形は、恵山の山麓からとれる良質の粘土を使った無錫ならではの人形で、色彩泥人形とも呼ばれているとのこと。400年もの歴史を誇る
伝統工芸品として有名なもので、ガイド本にもちゃんと紹介されている。たしかにたくさん並んでいる人形を見るとキレイだが、どうも私はこの手の人形には全く興味なし・・・。

バス移動(おみやげ店から夕食のレストランへ)(4:40~5:00)

10 レストラン夕食(無錫リブ、無錫料理)(5:00~6:00)

 今回の旅行ガイドでは、2日目の無錫での夕食は、無錫の名物料理である無錫リブと書かれていたが、どうも私はそれをイメージすることができなかった。そして今日の夕食に出された料理には
たしかにそれが含まれていたが、それはブタの角煮のようなもので、脂身がタップリ。したがって、私には全然おいしいと感じなかったが・・・。

11 レストランから郊外のホテルまでバス移動(6:00~7:00)

(1)オプション組とお別れ

 今回のガイドの袁さんは、なかなかこちらが聞きたいと思う情報を提供してくれない。夕食が終わりホテルへ向かったが、袁さんの説明によると、その途中で足ツボマッサージのオプションを
希望した人たちをバスから降ろして残った人をホテルへ送り、再度、足ツボマッサージの店にバスで迎えに戻るとのこと。そこで足ツボマッサージのオプションに参加しない私たちが知りたいことは、ホテルは夕食をしたレストランや市内中心部から近いのかどうかということ。つまり近いのなら先にホテルに入り、チェックインを済ませてから、また市内へくり出すことでいいのだが、
郊外にあるホテルだとそれがやりにくいので、場合によれば足ツボマッサージの店の前で降ろしてもらうという選択も・・・。

(2)約40分のロス

 そこで「ホテルは中心部に近いのかどうか」と質問したのだが、その答えは「ちょっと郊外」というだけで、実はサッパリわからない答え。そのため決断できないままバスに乗ったのだが、
オプション組を降ろした後、バスは高速道路状の道をひた走りに走り、それを下りてからもなかなか到着せず、その間既に30分以上。しかも途中で道をまちがえたらしく、
結局40分以上かかってやっとホテルに到着。「それならそうと早く言ってくれれば・・・」と恨めしく思ったが、後の祭・・・。

12 ホテルチェックイン(無錫、錫州花園酒店)(7:00)

13 スーパーで買い物(8:00~9:30)

 ホテルのフロントで聞くと、無錫には大きなショッピングセンターがあるとのこと。そこで、まずはタクシーでそこへ行き、買い物をしてから足ツボマッサージに行くことに決定。
ホテルの外へ出ると少し雨模様だったため、フロントで傘を1本借りてタクシーの中へ。到着したショッピングセンター(タクシー代13元)は、ドイツ系の会社が経営する「METRO」
という名前の巨大な店。大型の電化製品から日用雑貨、食料品まで、ワンフロアだけの店舗にズラリと商品が並んでいる。買い物用カートも、日本のスーパーで見慣れているものの
3倍はある巨大なもの。こんな巨大なスーパーが日本に次々と進出してくれば、日本のスーパー業界が押されていくのは当然と実感。スーパーに来た第1の目的は、お土産用のお菓子類などを
購入することだったが、それがどんどん膨れ上がり、掛け布団のカバーなどの大物も含めて、有料のポリ袋3個分にも膨れ上がってしまった。ちなみに、無錫の名物料理である無錫リブも
1パック購入したが、さて自宅で食べる時のその味は・・・?この重たい荷物を持って、また降ってきた雨の中、タクシーを拾って足ツボマッサージへ(タクシー代8元)。

14 足ツボマッサージ(10:00~11:00)

(1)タクシーが着いたのは、道路沿いにある大きな建物のサウナ。大きな買い物袋3個をフロントに預けて案内されたのは、ソファー兼ベッドがズラリと並んでいる薄暗い休憩室。
最初そこでやろうとしたが、個室の方がいいというので個室に移ってやってもらったが、これが大正解。後でわかったことだが、ここにはいろいろなコースがあり、結局私は
①足ツボマッサージ30分、②足の爪切り10分、③ひざ下マッサージ30分のコースをしたことに。これだけやって70分で60元はホントに安いもの。しかもマッサージをしてくれた女性が
美人だったからなお一層グッド・・・。

(2)気持ちよく足ツボマッサージを終えたものの、雨が少し降っている中、重い荷物を持ってタクシーを拾うのは大変だと思っていると、近づいてきたのは3輪バイクのタクシー。
メーターがついている一般のタクシーではないので少し心配だったが、料金交渉をした結果無錫花園酒店ホテルまで6元とのこと。音がかなりやかましいうえ2人しか乗れないが、
移動するだけならこれで上等。はじめての3輪バイクタクシー乗車の体験となった。

15 就寝(12:00)

3日目

1 ホテル(無錫、錫州花園酒店) 起床 朝食

(1)6:00起床  6:30~朝食

(2)7:30集合、7:40バス出発

バス移動(ホテルから太湖へ)(7:40~8:10)

2 無錫観光その2ー太湖遊覧(8:20~9:00)

(1)『無錫旅情』の歌詞に歌われている太湖は、無錫の南西部にあり、中国五大湖の1つに数えられ、中国で4番目に大きい淡水湖。その総面積は約2200k㎡で、琵琶湖の3.3倍の広さ
とのこと。

(3)琵琶湖の3.3倍もの広さの太湖をどうやって見学するのかというと、3本マストの大きな帆船(?)に乗っての約30分の湖の遊覧がメイン。といっても、帆を張って走るわけではないから、海賊船ばりの舵輪が面白い写真スポット。部屋の中で概要の説明を聞いた後、甲板に出て強い日射しを浴びながらみんなで順次写真撮影をしていると、たちまち帰路につく時間に。
私たちを乗せた船が桟橋に着いた9時頃には、既にそこはこれから出発する観光客でいっぱい。袁さんが早い目に出発しなければダメだと言っていたことをあらためて再確認・・・。

3 観光できなかった無錫の「三国城」と「唐城」

(1)無錫観光は昨日の錫景公園と今日の太湖遊覧の2カ所で終了だが、太湖遊覧で購入した地図と事前に勉強したガイド本によれば、太湖の周辺には「三国城」と「唐城」がある。
ガイド本によれば、三国城は中国で大ヒットしたテレビドラマ『三国演義』のロケ用に作られたセットで、ドラマ収録の後に一般公開されるようになったもの。そして唐城は三国城同様、
北京中央テレビがドラマのロケ用に作ったセットで、映画『ラストエンペラー』のロケにも使われたと書かれており、私的には是非見学したい施設(テーマパーク)だ。

(2)2001年8月の敦煌旅行で見学した映画『敦煌』のセットとして建てられた敦煌古城は観光ツアーには組まれていないものだが、私たちは2時間以上かけてじっくりと見学したこの施設に
大いに感激したもの。

 三国城は35万㎡もの広大な敷地に三国時代の建物が再現されたもの、そして唐城は15万㎡もの敷地に唐代の建物がびっしり建てられ、長安のまちなみを再現した「唐街」を歩けば、
遣唐使の気分になれると解説されているが、このような本を読むだけでも興奮してくる。次回はツアー旅行ではなく、プライベートで丸1日かけて太湖周辺を見学したいものだ。

バス移動(太湖からショッピングへ)(9:00~9:10)

4 真珠店での買い物(9:10~10:10)

(1)太湖遊覧が終わると、無錫は淡水真珠の名産地であるだけに、真珠のショッピングへ。これも2004年3月の杭州ツアーで体験したが、私にとって真珠店は全く興味のない、
無意味なショッピング。まずは日本語の達者な案内人が真珠貝をナイフで切り取るパフォーマンスを見せ、「この貝の中に真珠が何個入っているかを当てて下さい」という質問によって
客の興味を引くことからスタート。しかし私はこの「戦術」も既に体験済み。前回は、「当たった人にその貝をすべて差し上げます。そのかわり是非台をつくって購入して下さい」
というやり方だったが、さて今回は・・・?

(2)ところが、今回は私の弁護士としての交渉術が大いに役立つことに・・・。その第1は真珠クリームの販売において。販売員が最高級の真珠クリームを少しずつ客の手に乗せ、
その良さを実感させた後、さて販売。この最高級品は6個1万円だが1個サービス、そして普及品は10個1万円だが1個サービスというのが、向こうの売り方。これに対して、
昨日の養命酒購入ではちょっと甘かったと反省している私が、購入希望の「おばさま方」の応援を得て、まとめ買いの交渉窓口になることに。そこで私は半額が基本とばかりに、
普及品について20個で1万円と注文したうえ、さらにバックからの応援も加わって、2個をサービスして1万円だと交渉し、遂にオーケーを勝ち取った。私が1万円札を渡して、
おばさま代表のA子さんが22個を受け取り、適宜分けていくとのこと。

(3)ああ、いい仕事ができた(?)、面白かったと思っていると、今度は「先生、値段交渉して」と別のおばさまからの依頼が・・・。腕を引かれながら売り場に行くと、
「このネックレスが気に入り、買いたい」とのこと。店員の説明を聞くと、1万2千円を1万1千円に負けてくれるとのこと。そこで、もっと負けてもらえないかという交渉の「依頼」だ。
そこで私は「そりゃ高いわ。8000円いや6000円でいい」と主張。そして話しながら状況把握につとめていると、もう1人の奥さんも同じものを買うつもりのようだったので、
「2個買うのだから、1個6000円でオーケー」と私の方から一方的に宣言して、私の財布から6000円を取り出してカウンターの上へ。店員は2、3回は渋り、8000円に固執していたが、「それなら、もういらんわ」と言いながら立ち去る雰囲気をみせると、「わかった」と店員は降参・・・。
これによって、買い物の値段交渉は先生に頼むに限るという「信頼」を勝ち取ることに・・・。

バス移動(無錫から鎮江へ、1時間30分、10:10~12:20)

5 鎮江の金山寺前レストラン(荷香村酒楼)で昼食(12:20~1:00)

(1)蘇州の寒山寺は、『蘇州夜曲』の歌詞で歌われているため日本人にもよく知られているが、鎮江の金山寺は日本人にはなじみの薄いもので、私も全然知らなかったもの。
無錫での太湖見学を終え、バスの中でウトウトした後、到着したのが金山寺のすぐ前、というより入口にあるレストラン。ここで困ったことを1つ紹介しよう
。約1時間半のバス移動を終えたツアー客がまず目指すのはトイレ。昼食のレストランに入れば、最近の中国のトイレ事情は大きく改善されているから、
それなりにキレイな設備が完備されているはずだが、ここだけは別だった!

(2)昼食会場は2階だったが、まず1階のトイレに入ろうとすると鍵がかかっていて開かないので、2階にもあるだろうと思って2階に上ると、2階にはトイレはないとのこと。
そこで仕方なく1階に下りると、そこには既に女性陣が10人以上並んでいるうえ、男の方も5、6人並んでいる状態。そして男トイレは、小便用2つと大便用1つがあったが、
大便用も何の仕切りもなく丸見えのものだし、小便用も使用するのがはばかられるような汚さ。しかしまあ男は仕方ないかということで、生理上の処理は完了したが、女性陣は大変。
「こんなんかなわんなア」と言いながら済ませる人もいれば、「しばらく我慢するワ」という人も・・・。

 日本人ツアー客を観光に誘致しようとすれば、観光地の価値はともかく、まずはトイレを完備しなければ・・・。ちなみに2008年の北京オリンピックを控え、
中国共産党は北京の公衆トイレの設置と美化キャンペーンを大展開しているが、そりゃ他の何ゴトよりも優先して実施すべき当然の政策だ。

(3)さらにここでの昼食は最悪!料理の内容が悪いのは多少我慢するとしても、まずはお茶を飲むための湯飲みがなくプラスチックコップのみであるうえ、これが薄くて頼りないから、
熱いお茶を入れるととても手に持って飲めたものではない。そこで湯飲みを注文すると持ってきたのが紙コップだが、これがまたひどいにおいのするかなり古くさいもの。
私はそれを使ってビール1本を飲んだが、多くのツアー客からは次々と苦情の声が・・・。この金山寺見学での昼食は改善しなければ、多くの日本人が2度と来たくないと思うのは当然・・・。

6 鎮江観光その1ー金山寺見学(1:00~1:45)

(1)金山寺は東晋の時代(317~420年)に創建されたとのこと。山門を入るとまずあるのが大雄宝殿。殿内に安置された大仏像とすき間なく装飾が施された壁に特徴があるとのこと。
大雄宝殿の裏から左へ行くと、七峰亭と白龍洞がある。大雄宝殿の裏の階段を上がると蔵経楼がある。

(2)金山寺を後にして花と芝生の道を進むと塔影湖がある。対岸には東晋時代に創建された芙蓉楼があり、その後ろに「天下第一泉」がある。
この泉は唐代に茶の専門家として名を馳せた陸羽と劉伯芻により天下で第一の水として認められたとのこと。

 なお以上の説明は、私のメモと写真とガイド本をつき合わせながら書いたもので、ここでも袁さんの説明不足を痛感。

(3)金山寺見学終了後のトイレ事情もひとくさり紹介しておこう。昼食時のトイレを我慢していた女性陣や、昼食時にビールを飲んだ私を含む男性陣も、これからまたバスに乗って次の観光地に
向かう前に済ませておきたいのがトイレ。集団によるバスツアー旅行では、食事以上にトイレが生命線であることは明らか・・・?そこでトイレに入ろうとしたのだが、この金山寺内にあるトイレは
何と有料トイレ。有料といっても、いくらかと言えば1人3角だったが、そもそも1角や5角のコインを持っている人など誰もおらず、10元紙幣しか持っていない人が多いのは当然。
しかもコトは急を要するから、金を払う前にまずはトイレに入りたいというのが多くの人の心境。私も財布の中には、何千元の他、何枚かのコインや1元紙幣も入っているはずだが、
バックから財布を出してこれを支払う前にトイレしたいのが生理的状況・・・。そこで現れた救世主(?)がツアー仲間で、「私が払っておきますからお先にどうぞ」と言ってくれた。
1元を出せば3人分オーケーとなるわけだ。B班27名のうちトイレに入る人のトイレ代くらい、ガイドの袁さんが代表して支払ってくれてもいいのでは・・・?

 もっとも、金山寺見学前のトイレ騒動と見学後のトイレ騒動がツアー仲間たちのいい話のネタとなったことはたしかで、これで「お互い、臭い仲になれましたね」という会話があちこちで・・・。

バス移動(1:45~2:00)

7 鎮江観光その2ー北固山・甘露寺見学(2:00~2:35)

(1)北固山は高さ53mの小山で、山全体が公園となっているとのこと。ここは劉備玄徳と孫権が曹操を倒す計画を練ったという『三国志』の舞台になった場所として有名で、
入場するとすぐ右に試験石が置かれている。三国時代、劉備と孫権が剣でそれぞれこの石を切り、どちらが天下を取れるのか占ったという。

(2)頂上までは石の階段を歩いて約10分ほどなので、足の悪い人はどうしようかと迷ったようだが、結局1人を除いて全員歩くことに。階段の途中にある鉄塔は、
1078年に唐代の石塔の型をとって建てられたとのこと。その後ろの碑は、阿倍仲麻呂の詩碑。その横に「天下第一江山」の石刻があり、ここを左に曲がるとすぐ甘露寺がある。
甘露寺は、呉の孫皓(在位264~265年)が創建した仏教寺院とのこと。

(3)唐代に創建された多景楼は、眺めがすばらしいことで知られているとのことだったが、今日は少し霞んでいたこともあって、それほどでも・・・。

バス移動(鎮江から揚州へ、約1時間、2:40~3:30)

<揚州は鑑真と江沢民の生まれ故郷>

 揚州も日本人にはなじみの薄い地名だが、ここは鑑真と江沢民の生まれ故郷として中国では有名。揚州は空港も鉄道の駅もない小さなまちだが、それでも人口は約1000万人。
南に長江が流れ、南北に京杭運河が走っている美しい水郷のまちだ。

8 揚州観光その1ー大明寺見学(3:30~4:20)

(1)大明寺は、揚州市の北側に位置する仏教寺院で、鑑真(688~763年)ゆかりの寺として有名なもの。また現在の建築物は、清の同治年間に再建されたものとのこと。

(2)鑑真記念堂は、1973年に建てられた比較的新しい建物で、堂内の『唐鑑真大和尚紀念碑』の文字は郭沫若(かくまつじゃく)が書いたとのこと。また日本に渡ろうとして何度も失敗し、
やっと6度目に成功した鑑真が乗っていた船の模型がある。

(3)鑑真の資料室にはたくさんの資料が展示されており、ここで少し勉強した後、9層の美しい高層寺院をバックにハイポーズ・・・。

バス移動(4:20~4:30)

9 揚州観光その2ー痩西湖見学(4:30~5:10)

(1)痩西湖とは細い西湖という意味で、杭州の西湖に似ており、形が細いことから付いたとのこと。そして痩西湖は、北方の力強さと南方の秀麗さの2つの美を備えていて、
四季折々のすばらしい景色を見せてくれるとのこと。

(3)しかし、私たちが渡った狭い痩西湖にかかっている橋の名前は蓮花橋。この橋の真ん中には金色に輝く5つほどの屋根があるので、ひょっとしてこれが五亭橋かと思ったが、
ここにもやはり蓮花橋の名前が・・・?

(4)今回のツアー旅行には珍しく、ここで約25分間の自由散策の時間をとってくれたので、ツアー客は思い思いに美しい湖の周りを散策。ゆっくり時間をとることができた私たちは
美しい写真を数枚撮ることに成功し、さらに白塔の写真も・・・。

10 レストランで夕食(5:10~6:20)

 今回のツアー旅行は概ね夕食の時間が早い。しかも2日目、4日目はオプションが組まれているが、今日はオプションもなしとのこと。それならもう少し昼間の観光時間を延ばして、
夕食は7時からにすればいいのに、とつい思ってしまったが・・・。

バス移動(レストランからホテルへ)(6:20~6:40)

11 ホテル(揚州、西園大酒店)チェックイン(6:40)

 昨日の過ちをくり返さないため、今日のホテルは市内のすごく便利なところに位置していることを地図で確認済み。部屋に荷物を置いた後、すぐに出かけようと計画していたが・・・。

12 夜のまち散策ツアー(文昌閣見学、コンビニで買い物)(7:00~8:50)

(1)ホテルでのチェックインは6時40分だったから、その最中に、既にかなり仲良くなっていた人たちから私たちに要請されたのは、
「今日はオプションが何もないので、揚州の夜のまちの散策を案内してほしい」ということ。私たち2人は既にそのつもりで、部屋割りが終わればすぐに外出する準備を整えていたが、
本気でそのように要請されると「男意気に感ず!」とばかり、それに応えなければと思うのは当然。といっても頼りは私ではなく、同行している留学生の方なのだが、その橋渡しをするのは
あくまで私の役目。そこで揚州の夜のまちの散策希望の方は?と挙手を求めると、7、8名の人たちがそれに応じたため、フロントでの集合時刻を7時と定めて、次の行動の準備を・・・。

(2)準備するのは地図とカメラだが、それ以上に必要だと感じたのは引率用の旗。つまりガイドの袁さんが常に持ち歩いている「クラブツーリズム」と書かれたわが「ツアー旗」だ。
袁さんに状況を説明してそのツアー旗の一時借用契約が成立するとその後は、私たちが責任を持って、10名による揚州の「夜のまち散策私的ツアー」を楽しくかつ安全に
遂行しなければならないことに・・・。その義務感とかなりの緊張感を持って、いざ出発・・・。

(3)ホテルを出るとすぐ前は運河で、その運河にはイルミネーションがいっぱい。これだけカネをかけたら美しい水郷のまちの演出は十分だ。揚州は気候が温暖なためか
ノンビリした人が多いらしく、晩になれば運河の美しさを楽しみながら(夏になれば、運河の上を船が行き交うとのこと)、ゆっくりとお茶を楽しむという習慣があり、そのためお茶を飲む店が多い。私がツアー旗を掲げながら歩いた通りにも、そんな店がズラリと並んでいた。

(4)運河にかかる橋を渡ると、そこからは揚州1番の繁華街だったが、これが車道片側3車線の他、自転車道と広い歩道がある立派なもの。歩いている途中、小さなスーパーマーケットがあったので
そこに入り、おみやげ用のお菓子や酒類などを紹介すると、みんな「これは安い、これはいい」と大人気で、次々と購入。おみやげ店で買わなくても、こんなスーパーにいくらでも売っている
ということを皆さんに十分納得してもらうことに・・・。

 もっとも、ここで350ccの缶ビールを5元で購入し、男性陣の多くが飲みながらの散策となったため、ほどなくしてトイレ休憩が必要となり、立派なデパートの中へ。
するとここでもいろいろと安いものを売っていたため、トイレが終わるとおばちゃんたちはたちまち買い物ツアーに早変わり・・・。

(5)そんな楽しい経験をしながらメインストリートを歩き、明々とライトアップされている文昌閣をバックに写真撮影したり、江沢民自筆の石碑の前で写真を撮ったりと
楽しい時間を過ごしているうちに、皆さん方はボチボチ帰路にということに・・・。私たちはまだ水ぎょうざを食べるとか、足ツボマッサージに行く予定だったが、
8名の皆さんから「ここからはホテルまでまっすぐ歩いて帰ることができる」と言われたため、ここでお別れ。皆さん、揚州のメインストリートのプライベート散策はいかがでしたか・・・?

13 夜のまち散策の続きと水ぎょうざ(8:50~9:30)

(1)8名と別れた後、水ぎょうざのおいしそうな店があったのでそこに入り、2種類を注文。それぞれ6個入りで5元と4.5元だから、とにかく安いし、味はベリーグッド・・・。
ちなみにマクドナルドのハンバーガーは「10元から」だから、相対的にバカ高・・・?

(2)帰路ビックリしたのは、こちらサイドは一部車道を削って歩行者用に通路状の公園を設けていること。御堂筋の半分を自転車道と歩道にし、
そこに淀屋橋から本町まで立派な公園が設けられていると考えればいいわけだが、そりゃすごいこと。都市計画を勉強している私としては、「恐れ入りました」と脱帽する他なし・・・。

14 足ツボマッサージ(9:30~10:25)

 やっと念願の足ツボマッサージの店に入ったところ、何とそこは閉店していたため、他にないかと尋ねると教えてくれた。そこで再びフラフラとメインストリートを散策しながら、
教えられた道を曲がると、そこは一帯工事中だったが、足ツボマッサージの店がズラリ。今日入った店もいろいろメニューがあったが、あまり時間がないため、私は足ツボマッサージ30分、
ひざ下マッサージ25分のコースを選択し、これで50元。すっきりして運河の上の橋を渡ると、一斉にまち全体のライトアップが消されることに。時ちょうど10時30分。
ちょうどいい時間まで散策したことになったと大満足でホテルの中へ・・・。

15 就寝時の大トラブル・・・(12:00~1:00)

(1)今回のツアーはいろいろとハプニングが多いのが特徴で、ツアー終了後に聞いたところでは、2日目朝の料金未精算事件の他、部屋の鍵が開かず、結局別の部屋に移ったなどのトラブルも
発生していたらしい。しかして、実は私にも大ハプニングが・・・。

 それは1724号でシャワーを終え、眠ろうとしていたところ、ポトポトと変な音がし始めたこと。最初は廊下で誰かが何かの音を出しているのだろうと思っていたが、風呂場を覗くと、
何と天井から水がポトポトと滴り落ちており、トイレの便座は既に水でいっぱい。こりゃ、上の部屋が風呂の水を止めるのを忘れていることが原因に違いないため大ゴトだと、
さっそくフロントに連絡し、係員が駆けつけてきたが・・・。

(2)係員は何やら無線機でどなり合いながら対策をとっており、その結果(?)ほどなく水の落下は止まったが、「今日は満室なので部屋替えは勘弁してくれ。この部屋で我慢してくれ」とのこと。こちらも今更部屋を替わるのは面倒なのでオーケーしたが、何とそんな話をしているうちに、再度大きな音が始まり、前以上のスピードで天井から水がポトポトと・・・。
既に天井板の一部ははげて、その破片が落ちてくるという状況に・・・。

(3)これではかなわんと思っていると、「申し訳ありません。部屋を替わって下さい」とのこと。さっきは満室だと言っていたのにと思い、
部屋替えするのであればきっとスイートルームだと思っていると案の定・・・。こんなハプニングのおかげではじめてスイートルームに泊まることになったのだが・・・。

4日目

1 ホテル(揚州、西園大酒店) 起床 朝食

(1)6:00起床  6:30~朝食

(2)7:35バス出発

バス移動(揚州から蘇州へ)(約3時間、7:35~10:30)

 9:05 トイレ休憩

2 蘇州観光その1ー留園見学(10:40~11:40)

(1)中国の四大名園と蘇州の四大名園

 中国の四大名園は、①北京の頤和園、②承徳の避暑山荘、③拙政園、④留園の4つ。また蘇州の四大名園は、①獅子林、②拙政園、③滄浪亭、④留園の4つ。
したがって留園は、この両者にランクインされている名園。留園が造営されたのは明代だが、清代に改築されたため、清代の様式になっているとのこと。

(2)留園は誰の別荘?

 また留園は皇帝や国王がつくったものではなく、高級官僚個人の別荘とのことだが、その詳しい説明は聞いていないのでよくわからない。そう言われて思うのは、
やはり北京の頤和園と比べると規模が全然違うということか・・・?

 なおガイド本によれば、拙政園を造営したのも同じく明代の高級官僚だった王献臣で、俗説では皇帝からのほうびと地方の官吏からの賄賂によって造ったので、
拙政園と呼ばれたともいわれるとのこと。多分留園も同じようなものなのだろう。

(3)思わず思い出した「頤和園事件」

 2003年11月の北京ツアーで見学した頤和園と同じように、留園でも花窓と呼ばれる透かし窓を通して美しい庭園が見えるように、楼閣や回廊を巧みに配している。
またこの花窓の形がすべて異なるため、どこから見てもさまざまに移り変わる景色を見ることができるというのが最大の特徴。この花窓を通して庭を見学しながら写真を撮っていると、
北京で1人ツアーからはぐれてしまった「事件」を思い出してしまう。今回も人がいっぱいいる狭い建物の中をぐるぐる回っていると、よほど用心しなければ、はぐれてしまいそうに・・・。

(4)蘇州特産の石は?

 この留園の庭にたくさん置かれている奇妙な形をしたさまざま飾り石は、蘇州特産のものらしい。軽石のような感じだが、そうではないとのこと。しかし私にはそれ以上の説明はムリ・・・。

(5)足裏健康法・・・

 明代の高級官僚も健康には留意していたとみえ、庭の一部に敷きつめているのは、いわば足裏を刺激して健康を維持するための石。どこかの庭園にも、このもっと立派なものがあったなと思いつつ、とりあえず写真だけ・・・。

バス移動(11:40~11:50)

3 蘇州観光その2ー寒山寺見学(11:50~12:40)

(1)運河、橋

 蘇州も水郷のまち。したがって、バスを停めた駐車場から寒山寺までしばらく歩いていくことになるが、その途中には美しい運河や橋が・・・。

(2)なぜ寒山寺・・・?

 寒山寺は、唐代の詩人張継が詠った「楓橋夜泊」で有名な、6世紀初頭に創建された臨済宗のお寺で、唐代の高僧・「寒山」にちなんで寒山寺と呼ばれるようになったとのこと。

 詩に登場する鐘は、日本へ布教の旅に出た無二の親友「拾得」(じっとく)の身を案じてつくられたもので、今あるものは、清代に復元されたものとのこと。

 まずはツアー客が集合写真を撮る寒山寺の入口でハイポーズ・・・。

(3)拾得とは?

 写真4-⑬の金像は遠くから見ると、まるでマイクを持ってカラオケを楽しんでいるような姿。左側が寒山さんで、右側が拾得さんとのこと。私は拾得さんの名前は今回はじめて知ったが、
もっと勉強しなければ・・・。

(4)普明寳塔

 寒山寺には見学すべきものが多いが、とりあえず普明寳塔の写真を・・・。

(5)有名な詩

 この写真の詩が張継が詠った「楓橋夜泊」の詩。念のために、その詩を以下記しておこう。

 月落ち烏啼いて霜天に満つ

 江楓漁火愁眠に対す

 姑蘇城外寒山寺

 夜半の鐘声客船に到る

(6)有名な鐘

 有名な寒山寺の鐘は、1回(5元)つくと、10年長生きすると言われているが、実際についている人はなぜかいなかった・・・?大晦日には、この寒山寺での除夜の鐘を聴くために
多くの日本人が観光に訪れるらしい。袁さんの話によると、寒山寺の住職は時計を全く見ないまま、住職が鐘をつき、108回の鐘をつき終わるとちょうど元旦の0時を迎えることになるとのこと。
これぞ神ワザ・・・?

バス移動(レストランへ)(12:40~12:55)

4 レストランで昼食(1:00~1:40)

バス移動(蘇州から周庄へ、約1時間、1:40~2:35)

5 水郷のまち周庄見学(2:40~3:25)

(1)烏鎮は聞いたことがあっても、周庄という名前は私は1度も聞いたことがなかったもの。ここは直轄地である上海市と江蘇省の境にある900年の歴史を誇る水郷のまちで、
まちの一部が有料のテーマパークとされているもの。まち全体は烏鎮より大きいが、水郷観光のエリアは烏鎮より少し小さい感じ。周庄は地主の別荘地として明・清の時代に発展したが、
それは気候が温暖な水郷地帯であったため。

(2)運河には小型の美しいアーチ状の石橋が架けられており、中でも富安橋と雙橋は美古橋としてよく知られており、そこが写真撮影の名所とのこと。かけ足状態で移動しているため、
どれが、何という橋なのかじっくり味わうこともできないまま、とにかく美しいところで次々と写真撮影を・・・。

(3)京劇芝居

 定められたコースからは見えなかったが、少し脇道にそれるとちょっとした舞台があり、そこで京劇のようなものを上演していたため、1分ほどそれを覗いて写真だけを。

バス移動(周庄から上海へ、約1時間30分、3:30~5:00)

<離団届けの提出・・・>

(1)上海の見学は今日の夕食後しか日程がないから、2日目の夜のように、郊外のホテルに入ってしまうと再度市内の中心部へ出かけてくるのに大きなロスが生じることになる。そこでバスの中で
私が袁さんに確認したのは、①ホテル、②上海雑技団のショー、③夕食、④外灘(バンド)、の位置関係。今夜宿泊する上海逸和龍柏飯店ホテルは国内線専用の旧虹橋空港の近くだから上海の西端に
位置している。これに対して外灘(バンド)は当然東端。そしてショーをやる劇場は市内の繁華街にあり、夕食は外灘(バンド)の近くにある有名な庭園である豫園の近くとのこと。

(2)そこで、上海雑技団のショー見学をしない私たちは、夕食後2人だけで別行動をとるので、バスの中のトランクをホテルのフロントに預けて、部屋のチェックインをしておいてもらえないかと
袁さんに申し出たところ、それは「離団届け」を出してくれればオーケーとのこと。私もはじめての経験だったが、「離団届け」とは離団後の行動の責任をすべて自分でとるのが前提だが、
それにも①○時から○時まで団体から離れる、②何時以降帰国まですべて団体から離れるという2つのパターンがあるとのこと。それを聞いて私はなるほどそういう便利な制度があるのかと感心。
こんな制度があるのなら、参加する時からここまでは参加し、ここからは離団して自由行動をとるということも認めてくれるのかも・・・?もっとも、ツアー参加の段階から
そんな注文をつけることができるのかどうかは、もっと詳しく確認しなければわからないが・・・。

(3)そこで私たちは夕食終了後、11時まで離団し別行動をとること、そしてその間の責任は自分たちがとることの書類にサインをし、いざ離団の準備を・・・。

6 お茶の試飲(5:00~5:40)

(1)本日4日目のオプションは、7時30分から始まる上海雑技団のショー観賞。私は2003年11月の北京ツアーの時に既にこれを観ているし、上海のまちの見学は今日の夕食後しか
時間がないので、雑技団のショー見学はノーサンキュー。それでも午前中のバス移動の中の袁さんの勧誘よろしきもあって、27名中15名がオプション参加を表明していた。
しかしバスが上海市内へ入ったのは、既に5時になろうとする時間。これではオプション参加者の外灘(バンド)の見学は一体どうなるのだろうかと心配するとともに、
7時30分からのショー見学のために外灘(バンド)見学は短時間で終わってしまうのではと不安になっていた。そんな状況下で袁さんから上海へのバス移動中にアナウンスされたのは、
上海市内に到着すればまずお茶を飲みに行くとのこと。6時から夕食なのにその直前にお茶はないだろう、そんなものはやめにして上海のまちの見学をさせてくれと思い、
「外灘(バンド)の見学はちゃんとできるのか?」と質問すると、「大丈夫です」との答え。しかし、さて・・・?

(2)バスの中から高層ビルが林立する上海のまちなみを見学し、降りたところからは、徒歩でお茶の店へ行くとのこと。バスを降りてゾロゾロと袁さんの後について歩いていくのだが、
その場所は豫園の近くにあるらしい。既にお互い仲良くなっているツアー参加者からは、「お茶なんかいらないのに・・・」「どこまで歩いていくの・・・」という不満の声が・・・。
これに対して袁さんは、早く客をお茶の店に案内しなければと焦っていることがミエミエで、有名な観光名所である豫園の門の前を通っても何の説明もなく、先を急いで歩くだけ。
私たちを含む何人かは豫園の前で写真を撮ったりしていたが、こんな袁さんの案内に私の不満も爆発寸前に・・・。

(3)お茶の実演はウーロン茶、ジャスミン茶、龍井(ロンジン)茶など4種類。説明してくれるお嬢さんもかわいいし、お茶もおいしいのだが、時間を気にしながらのお茶は全然楽しくないもの。
したがって、その後のお茶の販売についても全然買う気にならず、1時間弱のお茶の時間が終わり、また歩いてバスまで・・・。ところがここで、駐車場の門が既に閉まっていたらしく、
何と袁さんは塀を乗り越えていき、私たちも同じように塀を乗り越えるようにと指示。私はいいが、年配のおじさん、おばさんたちも1人ずつ塀を乗り越える羽目に。そりゃないだろう・・・。

7 バス移動(夕食のレストランへ)(5:50~6:00)

<トラブル発生>

 バスに乗り、夕食のレストランへ向かったが、バスの中で私は、①オプション不参加者の夕食後の外灘(バンド)見学はどうなるのか、②7時30分からのオプション参加者の外灘(バンド)見学
はどうなるのかを質問したが、袁さんは「大丈夫」と言うばかり。お茶を飲んでいる時のみんなの不平・不満は、①時間がないのだからお茶なんか行かないで、上海のまちを見学したい、
②7時30分からの雑技団はあくまでオプションだから、そのオプションに参加するため外灘(バンド)見学ができないのなら、オプション参加はやめてもいい、というもの。
そういう大勢の声を前提として、私も少し大きな声で、7時30分からのオプションを優先させるのはおかしいと真正面から苦情を述べたが・・・。

8 レストランで夕食(上海料理)(6:05~6:50)

 今回のツアーの昼食、夕食は全体的にあまりいいものではなかったが、さすがに上海のレストランの夕食はおいしいもの。袁さんに対する不満がいっぱい溜まっていたが、
夕食は和気あいあいの雰囲気で大満足。

バス移動(レストランから雑技団会場へ)(7:00~7:20)

<大トラブル発生!>

(1)おいしい夕食をかき込むようにして食べた後、再びバスに乗ったのが6時50分。私たちはここで別れて2人で別行動をとってもいいのだが、雑技団のショー不参加者は
これから外灘(バンド)見学に行くということなので、そこまではみんなと一緒にと思ってバスに乗った・・・。

(2)この時私が聞いていたのは雑技団ショー参加者と非参加者を2台のバスに分けて、1台は雑技団ショーへ、1台は外灘(バンド)見学へ行くということだったが、実際はそうではなかった。
私たちB班の車はB班全員を乗せてそのまま雑技団ショーの会場近くに行き、7時20分にそこで停車し、雑技団ショー見学者は降りてショー見学へ、そして当然袁さんはその引率のために
バスを出て行った。あれ、これではショーの座席の案内が終わるまで私たちはバスの中で無駄な時間を10分、15分と過ごすだけだと気がついたが。さらに雑技団ショー参加者をバスで会場まで
送り届け、またバスで外灘に行くまでの時間約30分を無駄にしただけだと気づいたが、もう後の祭・・・。袁さんがバスに戻ってきたら文句を言おうと思っていたら、
それより先にT氏が大爆発・・・。

(3)袁さんが息せき切って帰ってきたのは7時35分。その袁さんの顔を見るなり大声で怒鳴りつけたのはT氏。その論旨は、①何にも説明しないまま我々をバスの中に放り出すとは何ゴトか
ということと、②2日目のホテルでの料金未精算問題で一言も謝らないのは何ゴトかということの2点。言い方は激しいが、その主張している内容はごく当然のことばかり。
特に①については、まず私が文句を言おうと思っていたことだった。ここまで怒鳴られれば袁さんも反論することができず、とにかくバスを出発させることに・・・。

バス移動(雑技団会場から外灘見学へ)(7:35~7:45)

 約5分間の大トラブル終了後、バスが外灘(バンド)に着いたのは7時40分。バスを降りて写真撮影の後、袁さんは現地まで私たちを案内し、何時まで見学しますかという質問。
黄浦江から吹いてくる風がかなり強く、少し寒くなってきたこともあり、参加者は15分くらいでということになったため、8時5分まで一緒に行動して写真撮影などを・・・。

9 外灘、上海夜景見学(7:45~8:05)

(1)写真が美しいうえ、コンパクトな説明がうまくされている小学館の『週刊 中国悠遊紀行』全50冊は、私にとってすごく重要な情報源。そのNO4が上海だが、その18頁には
「個性豊かな繁華街 名街」の紹介があったため、私はそのコピーを持参していた。

(2)上海の租界が始まったのは、阿片戦争に破れた清国が1843年に南京条約を締結させられ、上海など5港の開港を迫られたためだ。イギリスによる上海租界が始まったのは1845年だが、
続いて1848年にはアメリカが、1849年にはフランスが租界を設けることに。そして1863年には英米租界が合併して共同租界となり、一部には通称「日本租界」も設けられた。
ちなみに、長州藩の勤王の志士である高杉晋作が上海を訪れたのは1862年で、ペリーが日本へ来航した9年後のことだ。

(3)このため大きく蛇行する黄浦江を挟んだ東側の新開発地域である浦東(プートン)地区には、高さ463mの東方明珠電視塔をはじめとして上海国際会議場、金茂大廈などの超近代的な
高層ビルが立ち並んでいる。

 他方、西側には、上海摩天楼と呼ばれたイギリス領事館、匯豊銀行、東方匯理銀行などのおなじみの高層ビルが立ち並んでいる。これぞ上海の夜景として世界中に知れ渡っている
実にすばらしい景色が目の前いっぱいに広がっていた。

10 12名と別れて自由行動(8:05~10:15)

(1)南京東路を散策

 外灘の見学を終えた後、その反対側にある市役所などを見学し、その後は南京東路の歩行街をブラブラと歩きながら、その巨大さを満喫。この歩行街はもともと車の通る道路を1999年に
歩行街に改めたとのこと。大阪の道頓堀通りを約5倍ほどに広げ、その中を小型の電気バスが走っているという雰囲気で、河南中路駅から人民公園駅まで1駅をブラブラと歩いて約15分
というところ。外灘見学で風の冷たさを感じた私は、途中たくさんの店でバーゲンセールをやっていたため、1軒の店に立ち寄り、59元(約1200円)でちょっとカッコいい防寒コートを購入。
なお、人民公園駅の公園はどんな大きさなのかと思って進んでいくと、これは意外に小さいものだったのでビックリ。それとは逆に、新しくできたデパートの巨大さは、
とても日本では想像もできないほどのもの。

(2)地下鉄 人民公園駅にて次の方針決定

 人民公園駅までたどり着いたところで、これからどこへ行こうかと迷ったが、一度上海の地下鉄に乗ってみたいと考えて、人民公園駅で地下鉄乗り場へ。地下鉄料金は3元。売店でビールを買い、
地下鉄1号線に乗って南へ1駅黄陂南路駅へ。切符は日本と違ってすごく立派なものだったが、出口で回収されるのは日本と同じ。また夜の9時過ぎだが、階段を上り下りする乗客の足の速さも
大阪と同じ・・・。私がここへ向かったのは、2001年にオープンした上海新天地の中にある中国共産党の「一大会址」を見てみようと思ったため。

(3)共産党趾の見学

 黄陂南路駅に到着すると「一大会址」は2号出口と書いてあった。しかし、そこを出たものの、それらしきものは全く見えず、「一大会址」にたどり着くまでにかなりの苦労を。
だって私の相棒の中国人留学生自身が、1921年に中国共産党の第1回党大会が開かれた会場がここにあるということ自体を知らないのだから、それもやむをえないもの。
ところどころに立っている「公安」に聞きながら、約10分歩いてやっとたどり着いたのが一大会址。ここは2006年2月27日から3月24日まで工事中のため立入禁止となっていたのは残念。
しかしあと数日すればその工事が完了し、中国共産党の第1回大会の記念の資料が大々的に公開されるのでは・・・?

(4)足ツボマッサージは中止

 共産党趾の近くには立派なレストランがたくさんあり、足ツボマッサージの店もあったので入ろうとしたが、料金は200元。日本の感覚で考えれば高いわけではないが、
50元、60元で慣れた感覚ではべらぼうに高いため、ホテルにもあるだろうと考えて中止。

11 タクシーでホテルへ(上海逸和龍柏飯店)(10:15~10:30)

(1)ホテルへの帰路はタクシーだが、高速道路を走って約15分。日本なら1万円近くかかりそうだが、中国では基本料金が10元だから、かなりアップしても結果的には43元(約650円)と
バカ安・・・。

(2)このホテルには立派なフィットネス施設があることが、タクシーの窓からわかった。そこで足ツボマッサージを楽しみに、このホテルで足ツボマッサージの値段を聞くと、
何とここは280元とのこと。それを聞いてえらくケチになっている私はもういいワと中止。やはり上海の物価は異常であることをこんなところで実感!

(3)「離団届け」を提出したため、袁さんにトランクをフロントに預けておいてくれるよう頼んでいたところ、そのトランクは無事に保管されていた。ところが、同時に依頼していたバスの中に
手荷物として持ち込んでいたリュックがない。「こりゃまた何かの手違いだ、すぐに連絡しなければ・・・」と思っていると、ちょうどいいタイミングで袁さんと出会うことに。
彼の説明は「・・・」だったが・・・。

12 就寝(11:30)

5日目

1 ホテル(上海逸和龍柏飯店) 起床 朝食

(1)6:00起床  6:30~朝食

(2)7:50バス出発

 今朝は8時までにバスに乗り込めばいいので、朝は少し時間的に余裕がある。そこでチェックアウトを済まし、トランクをバスへ運んだ後、ホテル内の美しい庭園を散歩しつつ、写真を撮ろうと
思って庭園への入口のドアを開けようとすると、何とこれが閉まっている。そこでフロントの係員に「開けてくれ」と頼むと、鍵を持っている者に連絡するので、「しばらくお待ち下さい」とのこと。
しかし今回の中国ツアーでは、袁さんの対応をはじめ中国式のやり方に対する不平不満が溜まっていたため、「しばらくとは1、2分か、5分か、それとも15分か」と
つい考えてしまうことに・・・。そしてその間玄関を出て写真を撮ったり、玄関入口に飾っている埴輪の像をバックに写真を撮ったりして、また庭園への入口に戻ってきたが、フロントの係員からは
うんともすんとも返事がないまま。そうこうしているうちに出発の時間となり、とうとう庭園散策はできないことに・・・。できないのならできないでいいのだが、「しばらくお待ち下さい」と
ワケのわからないことを言うだけで、その後のフォローを全くしない中国式のサービスに、今回は正直かなりムカついた次第・・・。

バス移動(7:50~8:30)

2 博物院、ショッピング(8:30~9:30)

(1)上海西端の上海逸和龍柏飯店ホテルから、東端から南へ下る浦東国際空港まで、朝のラッシュ時間帯にバスを走らせるのだから、2時間程見込んでいるのかなと思っていると、そうではなく、
袁さんの説明によると、これから宝石、骨董品のショッピングとのこと。「またショッピングか」といい加減うんざりしながらバスを降りると、そこはメノウやヒスイ、水晶などでつくられた
高級骨董品の展示と販売で、1個100万円近くするものも展示している上海錦兆藝術博物院。私はもともと骨董品には興味がないが、説明を聞きながら見ていると、それなりに面白いもの。

(2)ところが、ここでまた大きな商売を・・・。1つの大きな棚の中に展示してある商品9点を全部まとめて80万円ときた。さらに、その隣の棚に入っている商品は、棚代3万円とともに
日本へ責任を持って送り届けて83万円とのこと。骨董品の好きな人なら結構値打ちがあるのだろうが、私には残念ながら全然興味のないものばかり。こんな売り方は、どこかのツアーでもあったな
と思いつつ、上海の最後の見学がこれではこのツアーはダメだと痛感・・・。

バス移動(上海浦東空港へ)(9:30~10:30)

<カメラマンの写真販売>

(1)最後のバス移動の中で販売するのは、随行していた女性カメラマンの朱さんが撮影していた写真。何回もツアー旅行をしていると毎度おなじみの風景だが、これは集合写真を含め、
旅行中にカメラマンが撮影した写真をグループごとにセットし、その中から欲しいと思うものだけを1枚1000円で購入するもの。物価が日本の5分の1から10分の1の中国で、
写真1枚1000円というのは異常な高値だが、それは、不要なものをすべて破棄してしまうことを前提としているため。

(2)私たちは集合写真を含めて2枚を購入し、8枚ほどは捨てることになったが、以前から私はこの方式は不合理だと考えている。私なりに合理的だと考える方法は、1枚なら1000円だが、
3枚買ってくれれば単価を800円、5枚買ってくれれば単価を600円、8枚買ってくれれば単価を500円、10枚買ってくれれば単価を400円などと設定すること
(もっと細かく分けてもオーケー)。そうすれば、多少は写真の写りが悪くても、記念に買っておこうという気になるはずだが、何枚買っても1枚1000円では、
ベストの写真を1、2枚だけとなってしまうのが当然では・・・?

(3)なお、ここでも袁さんの人間性がチラリと・・・。それはオプションやショッピングでは成績をあげるとガイドの収入に跳ね返るため、一生懸命売り込みをするのだが、カメラマンの朱さんの
写真販売については、自分の収入に直結しないためか、1度簡単な説明をしただけの冷たいもの。さらにその販売が終了した後、袁さんが持ち出してきたのは寒山寺での集合写真。
これはカメラマンの販売ではなく、旅行社が販売するものらしいが、集合写真1枚をアルバム風にセットしたもので、結構値打ちのあるもの。したがって、追加として出されてきても多くの人が
これを購入していたが、これも商売上手・・・。もっともカメラマンの写真と一緒に販売しなかった分だけ、袁さんとしては、カメラマンに気を遣っていたということかも・・・?

3 上海空港(12:30発)から関空(15:25着)へ

    ANA(NH156便)

 出国手続は順調に進み、広い広い上海浦東空港の中で、30分ほど売店見学をしながら時間つぶしをして機内へ。なおここで、40元余っているので何を買おうかと迷っていた仲間がいたため、
太っ腹な私(?)は600円で両替をしてあげたが、ひょっとして、これって銀行法違反・・・?

4 関空到着(15:25)

  例によって機内ではタップリとビールとワインを飲んで眠ろうとしたが、「行き」よりも「帰り」の方が乗っている時間が短いため、ホントにアッという間に関空へ到着。
即座に旅行気分からビジネスモデルに頭を切り替え、これから事務所に戻り9時くらいまで、いっぱい溜まっている書類の処理をしなければ・・・。

 2日目の夜だけ少し雨に降られたものの、例によってそれ以外はすべていい天候に恵まれたツアー旅行でした。

[総評]

第1 今回のガイドは最悪・・・?

1 最初の印象は?

 私はこれまでのツアー旅行のガイドに不満を持ったことは1度もない。逆にホントにいいガイドにめぐり会って幸せだったと思う人がほとんどだった。唯一の例外は、2001年8月の敦煌の
莫高窟見学の際の女性ガイド。彼女はまるで中国共産党の幹部のように(?)偉そうで、機械がそのまましゃべっているようなガイドだったので腹が立ったが、幸か不幸か途中でこのガイドと
はぐれてしまった。そこで仕方なく、別の男性ガイドにくっついて行くと、これがすごく良かったため、かえってラッキーだった。

 今回のガイドの袁さんは、話はうまいし、知識・経験も豊富なベテランガイドだと最初は思ったのだが、次第にその化けの皮がはがれることになり、さまざまなトラブルが・・・。

2 本来のガイドの役割である観光案内、歴史案内が不十分・・・

 ガイドの役割の基本は、観光客に対してきちんと観光案内、歴史案内をすること。ところが、袁さんは後述の「呉越同舟」と「四大美人」の話、そしておカネの話や教育論になると延々と
しゃべるのだが、肝心の観光案内や歴史案内はきわめて不十分。こちらが聞きたいと思っている各都市の特徴や歴史、特産物、おいしいものなどをほとんど話してくれない。そのうえ彼の話を
ずっと聞いていると、同じ話のくり返しが何度も・・・。

 私は中国旅行ではいつもメモ帳を持って、ガイドの説明でこれはメモしておかなければと思うことは必死でメモをとっているのだが、今回は「呉越同舟」と「四大美人」の話以外は
あまりメモできていない。それは決して私がサボっているためではなく、袁さんが私が聞きたいと思う観光ガイドをしてくれなかったから・・・。

3 自慢話の多さに辟易・・・

 袁さんはベテランガイドだから、日本も何回か訪れたらしい。しかし、その話を聞いていると、政府や地方の要人の通訳として東京や京都を訪れ、高級料亭での接待も再三体験したらしい・・・。
別にそれはそれでいいのだが、何回もその話を聞いていると、どうもそれが自慢話に聞こえてくる。それは、中国人特有の日本語の使い方である、「ねえ、そうでしょう!」という
1回ごとの念押しの強さにもあるが、やはりにじみ出る人柄のせい・・・?

 したがって、袁さんと大ゲンカしたTさんの言い分は、「お前は日本に何回も来たと自慢しているが、日本人の心が何もわかってない!」ということ。考えてみれば、これは現在の
靖国参拝問題をめぐる日中のケンカとよく似たもの。そして、やはりここまでこじれると、その関係を修復していくのは難しいもの。現に最終日の朝バスの中で、袁さんは会社にも連絡をとった
として、「お詫びの気持として」と言いながら、あるおみやげを渡そうとしたが、Tさんは断固としてその受け取りを拒否・・・。結局、「日中対立」は解消できないままに・・・。

4 ショッピング優先、オプション優先は本末転倒・・・

(1)今回は多くの観光地をめぐるツアーであるうえ料金が39800円と格安だから、ツアー恒例(?)のショッピングがたくさん組み込まれることは仕方ないもの。お茶の試飲などは息抜き、
休憩になるから、適度に配置してもらっている限り、別に不満はない。しかし、今回はあまりにもそれが多すぎる感じ・・・。

(2)特に2日目、わざわざ蘇州まで行って昼食を食べたのは、結局シルク工場とシルク製品のショッピングのためとしか考えられないやり方・・・?また4日目の夕方5時頃、上海に着いた途端に、6時からの夕食が予定されているにもかかわらず何の観光もせず、とにかくお茶の試飲に案内するというのは実にナンセンス・・・。

(3)さらに今回、袁さんのガイドで目立つのは、オプション勧誘のしつこさと、おみやげの車内販売のしつこさ。とりわけトラブルになったのが、4日目の上海での7時30分からの雑技団観賞の
オプション。つまり、このオプションを優先させているため上海のまちの見学がおろそかになっていることは明らかなのだ。

 ちなみに、オプション参加者はA班に比べてB班の方が圧倒的に多かったようだが、これはひとえに袁さんの営業努力の結果・・・。しかし、あまりにも営業目的が強く出てくると
いい加減うんざり。こりゃ本末転倒では・・・?

第2 今回のツアーで目についたことー改善の提案

1 行動予定を明確に・・・

 今回のツアーは観光場所が多く、移動時間が長いため、何時にどこに着き、その後どう移動するのか、それが私にとっては重大な関心事。もちろん多少の時間のズレがあるのは仕方ないが、
①ツアー全体の大まかな予定、②今日1日の動きの予定、そして③明日の予定、をいつも確認しておきたいもの。さらに、①今バスに乗っているのは、どこからどこへ向かっているのか、
②何時頃に到着するのか、③到着したらどんな時間配分で、どこを観光するのか、④その見どころは何なのか、ということも、いつもガイドから説明してもらいたいもの。これまでのツアーにおいて、この手の不満を持ったことは1度もない私だったが、今回はこれがなかなか説明されないため、いつも不満状態。行動予定をその都度明確にすることは、ガイドに徹底してもらいたいものだ。

2 地図の提示、配布などコースの明示に工夫を

(1)大阪・京都・神戸の観光地めぐりなら、その位置関係や距離関係はすべて頭に入っている。また、前回の2005年10月20日~10月24日の山東省クルーズにおいては、
青島・済南・泰安・曲阜の位置関係、距離関係はわかりやすいため、自分の現在の位置をいつも客観的に確認することができた。ところが今回は、杭州と上海の位置関係、距離関係はわかるし、
杭州ー烏鎮とか、上海ー蘇州の位置関係はある程度わかるものの、無錫・鎮江・揚州・周庄になると、それが全然わからない。また杭州は浙江省だが、その他の都市は江蘇省に属しているため、
余計わかりにくいことに・・・。

(2)そこで私が是非お願いしたいことは、ツアー客向けにできれば正確な地図を配布してもらうこと。それができないのなら略図でもいいので、全体の位置関係を明確に示した地図を作成して、
配布してもらいたい。観光予定地を文章だけではなく地図で示すことは、中国のまちを理解するうえで不可欠のことだし、それをネタにしてガイドさんが観光案内をしてくれることが、
バスの中の時間の過ごし方としてベストだと思うのだが・・・。

第3 今回学んだ2つの知識

1 「呉越同舟」と「臥薪嘗胆」

(1)前回(05年10月20日~24日)の山東省クルーズでは、孔子の故郷、曲阜を訪れたが、孔子は春秋時代(BC770~403年)に魯の国に生まれ、BC5世紀に活躍した人物。
戦国時代(BC403~221年)の「戦国七雄」(韓・魏・趙・斉・燕・楚・秦)の時代に対して、それに先立つ春秋時代は「春秋五覇」(斉・晋・楚・呉・越・宋)の時代と言われている。
『中国の歴史』全12巻の第2巻にあたる『都市国家から中華へー殷周 春秋戦国』(2005年・講談社)によれば、「呉と越は長江下流域に本拠をおく大国である。より詳細にいえば、
呉は江蘇を本拠とし、越は浙江を本拠とする。いずれも北進して中原諸国を威嚇し、楚と同じく王を称した」と書かれている(241頁参照)。そして春秋時代の末期には、「呉」と「越」の2国が
強くなり、盟主を競い合う時期に入ることになった。今回旅行した蘇州はこの「春秋五覇」のうち「呉」の国があったところ(江蘇省)であり、浙江省の杭州は「越」の国があったところ。

(2)「呉越同舟」という有名な言葉は、呉の国の人と越の国の人が1つの船に乗り合わせるという意味。これは、呉の国と越の国が他の国の脅威にさらされていた時期に、運命を共有し、
お互い仲良くしようとした時に生まれた言葉。

(3)これに対して「臥薪嘗胆」は、もっと恐ろしい権力闘争から生まれた言葉。BC494年、越の国の国王、勾践は、呉の国の2代目の国王、夫差に敗れて、捕虜になり牢屋に入れられて
しまった。勾践は、それを恥として復讐を誓い、「臥薪嘗胆」を掲げて力を蓄えて、BC473年に再び呉国と戦い、呉国を滅ぼした。したがって「臥薪嘗胆」とは、越の国王、勾践の辛抱強さを
表現した言葉。ちなみにこれについても、前記『都市国家から中華へー殷周 春秋戦国』(256・257頁)を参照してもらいたい。

 なお「臥薪嘗胆」は、日清戦争(1894~95年)で勝利したにもかかわらず、ロシア、ドイツ、フランスによる三国干渉の圧力を受けたため、日本が日露戦争に備えて国力を蓄えた時の
合い言葉としても有名な言葉。

2 中国の四大美人

(1)世界の三大美人は、楊貴妃、クレオパトラ、小野小町だが、中国の四大美人は、楊貴妃、西施、王昭君、貂蝉。王昭君は前漢時代に匈奴に嫁がされた美女で、貂蝉は三国時代に後漢の実権を
握る薫卓と呂布の仲を割いた16歳の美女。そして西施が、今回の杭州・蘇州旅行で注目すべき美女。

(2)すなわち、西施は、春秋時代に越王、勾践の復讐の手段に利用された傾国の美女だ。BC494年に越王、勾践が呉王、夫差に敗れたことは前述のとおりだが、負けた勾践は、
表向きは夫差に臣従しながら、裏では夫差を骨抜きにする計略で、美女西施を夫差に献上した。その計略がまんまと当たって、夫差は西施の色香に溺れて国政をおろそかにしたため、
20年後勾践の反撃にあって敗れ、自殺することに。まさに「傾国の美女」とはよく言ったもの・・・。

(3)ちなみにこの西施については、「呉越抗争に翻弄された美才」と題して、『週刊 中国悠遊紀行』NO10の29頁に詳しく紹介されている。それによると、西施の出身地は、
「紹興から東南へ50kmばかりのところに諸曁(しょき)がある。古代には苧羅(ちょら)と呼ばれた。ここが注目を浴びるのは、呉越の攻防戦に翻弄された絶世の美女、
西施の出身地とされているからだ」とされているので、これも是非参照してもらいたいものだ。

                                               以上

                                 2006(平成18)年4月7日


中国(北京)旅行記・・・(2007(平成19)年10月7日~10月11日)

[はじめに]

<今回の北京旅行の目的は?>

 今回の北京旅行の目的は、北京電影学院で学生たちに特別講義をすること。事前の古澤さんとの打合せでは、私の講義は10月9日の予定とされていたが、直前になって中国では10月1~7日まで国慶節のためお休みなので、北京電影学院側と十分な連絡がとれず、とりあえず10月9日の午前10時に北京電影学院正門前で待ち合わせることに。私としては事前に配布用の中国語のレジメ
(A4で3枚)を用意したばかりか、話すネタとして膨大な資料を準備し、かつ映画のパンフレットなども大量に持参するつもりだから、北京電影学院の見学だけで終わったのではあまりにも
もったいない。しかし、そこは日本流にあるいは坂和流に事前にゴリゴリと予定を煮詰めるわけにもいかず、あくまで中国流そして古澤流に委ねることに・・・。

<北京の4泊5日ツアーを選択したのは?>

 北京電影学院での特別講義は1日だけ。したがって、3泊4日ないし4泊5日の同一ホテル宿泊の北京ツアーで行き、1日だけ自由行動をとればそれが最も便利で安上がり。そう判断した私は、
10月7日~11日までの4泊5日のツアー旅行とすることに決定した。

 今回のツアー参加者は総勢で10名とのこと。北京旅行のベストシーズンであるにもかかわらずこれぐらいの参加者しかいないのは、やはり中国の食品不安などの悪影響が出ているため・・・?

                                               以上

                                 2007(平成19)年10月26日記

1日目

1 関西国際空港(14:00発CA928便)から

                    北京首都国際空港(17:00着)へ

 今年の日本は異常な暑さが続き、10月になってもまだまだ暑い。それに対して、北京は今だいたい摂氏8~18度くらいだから、ちょうどいい気温。しかし、公害(大気汚染)が深刻化する
中国では、北京の空も曇っており、青空は少ないと聞いていたが、さて・・・?

 例によって、飛行機の中ではタップリとビールとワインを飲み、まだ酔いが十分醒めない中、北京首都国際空港に着き、入国手続を終えた後、男性ガイドの厳安(げんあん)さんと合流。
小型バスに乗ってそのまま四川料理のレストランへ。

 途中、約40分の移動中、ガイドさんの案内どおり、北京オリンピックに向けてマンション建設が進む北京のまちをタップリと車窓見学しつつ写真撮影を。新築マンションの建設ラッシュの他、
中古マンションの化粧直しも盛んとのこと。大阪市内でも超高層マンションの建設ラッシュが続いているが、とてもその比ではないことを目の当たりにして、あらためてビックリ。

2 東安門の夜市を散策

 バスを降り、レストランへの道を散策しながら、夜市を見学。夜市では例によってたくさんの食べ物が売られているが、衛生上問題ありという情報が広がっているため誰も手を出す人はいない。
またガイドさんの説明でも、ハッキリと夜市の食べ物は食べない方がいいとクギをさしていたほど。

3 夕食(6:00~7:00)

 私は日本の中華料理は大好きだし、中国での料理もよほど脂っぽいものやよほど辛いもの以外はだいたい好き。刺激が強く脂分の多い肉系をたくさん食べるとダメだが、野菜類であれば
炒めものでも大丈夫だし、おいしい。四川料理は辛さが売りだが、日本のツアー客向けの四川料理はそれほどでもない。また、何回か中国旅行をしてわかったことは、やはり地元の人と一緒に行く
おいしい料理とツアー客向けの料理は全然違うということ。もっとも、そうだからと言ってツアー客向けの料理が食べられないということではなく、私は結構満足して食べている。

 今回驚いたのは、ビール(大ビン)1本がそれまで10元という感覚だったのに、15元、20元に値上がりしていたこと。タクシーの初乗り10元は数年間ずっと変わっていないのに、
ビールが一挙に1.5倍、2倍に値上げされているのは日本人ツアーだけ・・・?

4 ホテル(華潤飯店)チェックイン(7:30)

 ツアーの食事は1時間以内が原則。慌ただしく四川料理を食べ終えた私たちは、そのままバスに乗ってホテルへ。ガイドの説明によると、駐車の関係で夜の繁華街への車の乗り入れは
難しくなっているらしい。したがって、私たちの食事中、バスは一カ所に駐車することはできず、いろいろなところで停車をくり返していたようだ。

5 秀水街での買い物(8:00~9:00)

 ホテルでのチェックインが済むと7時30分だったので、北京の偽物市場と言われている秀水街へ買い物に行くことに。ホテルからタクシーで約10分、そして料金は20元だから安いもの。
昔は露店がズラリと並んでいたらしいが、今は大きな近代的なビルに一変。その中にはたくさんの店があり、どの店も商品でいっぱい。

 本日のお買い物は、おみやげ用に婦人用高級マフラー4本450元、ネックレス3個100元、そして私用に偽のブルガリの時計90元。秀水街は午後10時に閉店となったので、
その後足ツボマッサージをしようかどうか迷ったが、今日は早めに切り上げて帰ることに。

6 就寝(11:00)

2日目

1 起床(6:30)、朝食(7:00~7:30)ホテルでバイキング

2 本日の予定と3日間の予定を決定

 今日(10月8日)は、ツアーの予定では万里の長城と明の十三陵の見学だったが、既にこれは見学しているためそれをキャンセルして、琉璃廠(リュリーチャン)や前門(チェンメン)、
大柵欄(ダーヂャーラン)と什刹海(シェンチャーハイ)公園をメインとして見学することに。そして、3日目(10月9日)は1日北京電影学院での講義にあて、さらに4日目(10月10日)は
チベット仏教寺院の雍和宮の見学と孔廟(首都博物館)や宋慶齢故宮などの「博物館」を見学する予定とすることに。

 幸いなことに今日は、北京でこんなきれいな青空を見るのはめったにないのではないかと思うようなすばらしい快晴。そして、寒くもなく暑くもない最適の気温。明日以降も晴天が続くとのことで、「晴れ男」に生まれたことを感謝しつつ、勇んで地図とカメラを手に見学の途に・・・。

3 ホテル出発(7:45)、前門駅着(8:30)

 四恵東駅→(1号線)→建国門駅で乗り換え→(2号線)→前門駅

 ホテルから地下鉄の四惠東駅までは徒歩3分。そこから目的地の天安門の少し南にある前門駅までは地下鉄の駅で8つ、時間的に約30分で到着するはず。北京の早朝の道路は慢性的に渋滞
しているうえ、今日10月8日(月)は1週間の長期休暇明けだから混んでいるはず(日本では祝日の振替休日だが、中国では関係なし)。また、1度は地下鉄に乗ってみなければと思っていたため、今日は地下鉄に乗ることに。ちなみに、地下鉄の料金は1律2元。車から地下鉄への切り替えを促すため、北京オリンピックまでは3元から2元に値下げしたとのことだから、メチャ安。
天安門を中心として東西に走る1号線は、大阪の御堂筋のようなメイン路線だが、中国で最初にできた路線だけに老朽化が顕著。そのうえ、1人2元ずつお金を出して切符を買うシステムだから、
ロスが多いことおびだたしい。

 東京並みの通勤地獄を体験しながら、やっと前門駅に着き、地上に上がると、なぜかそこには警察官がいっぱい。これは一体ナニ、と思ったら、10月15日から始まる中国共産党の
第17回全国代表大会に向けた警備態勢の強化のため。といっても、カバンの中身を少し見せればそれでオーケー。いよいよ見学のスタートだ。

4 天安門の南側前門駅周辺を散策

 まず最初に北に天安門を臨みながら、目の前に見える毛首席紀念堂と正陽門などの周りを歩きながらパチリ、パチリと写真撮影。また、地図上で最高人民法院、中国歴史博物館、人民大会堂、
人民英雄紀念碑を確認しながら、今自分が立っている位置をしっかり確認するとともに、10月15日の共産党全国代表大会に思いを・・・。

5 前門大街と大柵欄街を散策(8:30~11:00)

(1)前門大街を南下、まずは珍しい品を

 ここまでは、天安門を見学しながら少し足を伸ばせば北京ツアーとしてお馴染みのコースだが、そこからさらに少し南すなわち前門大街になると、かなり北京馴れした人でないと
なかなか歩けないところ・・・?旧外城の最も北部にあたる、かつての繁華街である前門大街と大柵欄は、「北京の浅草」ともいえる庶民的な下町の雰囲気溢れる地域らしい。
もっとも、前門大街も再開発中らしく、解体されている店も多い。1、2年先に一体どんなまちに生まれ変わるのか、楽しみと不安がいっぱい。

 それでも、前門大街を歩き始めるとホントに昔の北京(清代の北京?)を歩いているような感じだったが、そう認識したのが、最初に立ち寄ったおみやげ店。ここには、昔の写真や絵を印刷した
珍しいポスターを売る店があり、私は中国の王朝の歴史をまとめた図や昔の故宮の絵などの値段交渉し、6枚まとめて200元で購入。

(2)大柵欄街散策(10:30)

 大柵欄街には、昔から有名な薬屋やお茶屋そして靴屋があるとのこと。そこで、前門大街の南下を中止して、大柵欄街を西方面に進むことに。

 ①薬屋(北京同仁堂)

 ある事情によって、この薬屋で大量の胃薬(漢方薬)を購入。ここで私がはじめて見た風景は、薬屋の中に男女ペアの医師らしき人(?)が客の脈をとったり問診をしながら、
どんな薬がベストかのアドバイス(指示)をしていること。そんな指示を受けて購入した箱入りの漢方薬はスーパーの袋の中いっぱいに。まさかこれを手に提げて、今日1日観光するのかと思って
ゾッとしたが、たまたま散策中に見つけた鞄屋でサムソナイト製の(?)カバン型キャリーバッグを見つけたため、これも大激論の値段交渉の末、130元で購入し、
薬類をその中に入れて歩くことに。

②お茶屋(張一元茶屋)

 ジャスミン茶と緑茶を購入

「張一元」というお茶屋は、北京で有名な老舗の店とのこと。両側のカウンターには10人くらいの売り子がおり、好きなお茶を好きな量だけ計量して販売してくれる。中国のおみやげとしては
お茶が一番多いが、おみやげ店で買うよりはよほど新鮮かつ安いようだ。ちなみに、私はジャスミン茶(100g、60元)と緑茶(100g、90元)を購入(計337元)。

③靴屋

「内聯昇鞋店」という靴屋も北京で有名な店で、ここで販売する靴はすべて手づくり。ちなみに、毛沢東も周恩来も自分の靴はすべてこの店でつくったとのこと。

私は、靴の中敷(18元)と、今司法試験の受験勉強をしている娘のために上履き(35元)を購入

(3)さらに、大柵欄街を西に歩いていると「中国電影誕生地(大視桜電影院)」を発見。ここで、中国電影の父、任  泰と一緒に写真撮影。

6 タクシーで西単(シータン)の中国銀行本店へ(両替)

                       (11:00~11:30)

 今回は両替のために銀行に行く必要があったため、若者たちで賑わう西単(シータン)にある中国銀行本店へ。タクシーを下りると、まずはその外観のデカさにビックリしたが、
入ってみてなお一層驚いた。何十メートルという高さの吹き抜けのロビーはバカ広く、超一流ホテルのロビーをはるかに超える豪華さ。ちなみに、写真を撮っているとダメ、ダメと制されたが、
それは何のため。それはきっと、銀行強盗に入るために写真が活用されるのを防止するため・・・?だって、理由はそれしか考えられないもの・・・。

 奥に入っていくと、太陽光を浴びた大きく明るいフロアの中で業務を取り扱っていたが、順番待ちでもらった札が28番。こりゃ1時間近くかかるのではないか、本店はデカすぎるから
混んでいるのだろう、それなら王府井の中国銀行へ行った方がベターではないか、ということになり、再度タクシーに乗って王府井の中国銀行へ。

7 タクシーで西単から王府井(ワンフーチン)の中国銀行へ

                           (11:30~12:00)

 タクシーを下りるところをまちがえたためか、約10分歩いて、でっかいビル「東方新天地」の1階にある中国銀行の中に入ったが、ここも20人ほどの順番待ち。

8 昼食(12:30~1:30)

 それではその間に昼食を、と考えて行ったのが、「東方新天地」の中にある四川料理の店「東方広場分店」。ここで食べたのは高湯娃娃菜、少蟢魚湯圓、小湯色などで合計154元だったが、
この店の味は昨日のツアー客向けの四川料理とは大違い・・・。

9 王府井見学(1:30~1:50)

(1)おいしい昼食を終えて銀行に戻ると、とっくに待ちの順番は過ぎており、再度待たなければならないとのこと。そこで、私は30分以内という約束で1人王府井の繁華街の散策へ。

 2004年11月の北京ツアーの時には、夜ここを歩いたことを思い出しながら、ブラブラと歩いたが、驚くのはとにかく道路が広く、ビルがデカイこと。さすが北京最大の繁華街
と言ってしまえばそれまでだが、これと比べた大阪のまちの貧相さが否応なくくっきりと・・・。

(2)まだ両替は終わっていないだろうと思いつつ銀行に戻ると、すべて完了したとのこと。さて、その方法は・・・?

 それは、日本では到底考えられないもので、ヤミの両替商のおばちゃんによる両替。つまり中国では、日々変わる元の相場をにらみながら、両替商(銀行業?)の許可のないまま、
ヤミで両替を商売にしているおばちゃんがいるらしい。しかも、そのおばちゃんが堂々と銀行の中をめぐり歩きながら、両替を求めるお客さんを探しているわけだ。ちなみに、
このおばちゃんに両替してもらった方が銀行の窓口での両替より交換の率がいいのは当然。そうでなければ誰もこのおばちゃんに両替は頼まない。おばちゃんは日々変化する元のレートを
計算しながら、安い時にたくさん両替して、その差額を稼いでいるわけだ。こんなところで、こんなすごい中国経済の(?)実態を見たのは、ホントに大きな収穫。ちなみに、この日の両替は
銀行だと1万円が610元のところ、おばちゃんだと630元だったから、結構価値のあるもの・・・。

10 タクシーで鼓楼・鐘楼へ(2:10)

(1)鼓楼見学(2:15~2:40)

 銀行めぐりに手間取り、時間が大きく食い込んでしまったが、いよいよこれから鼓楼・鐘楼へ行くことに。ガイド本にも「胡同(フートン)巡り」として特集されている、前海、後海、西海周辺、
さらに鼓楼・鐘楼から恭王府付近に残っている北京の古き良き時代を思い出させる街並みめぐりの始まりだ。都市問題をライフワークとして研究している私としても、やはり書物からの知識
だけではなく、ホンモノを自分の目でしっかりと見て実況見分しておかなければ・・・。

(2)胡同とは?四合院とは?

 ネット情報によれば、「胡同」とは主に中国の首都北京市の旧城内を中心に点在する細い路地のこと。また、伝統的家屋建築である四合院が多くこの胡同に面し、古き良き面影をしのばせる
とのこと。その正確な内容については1人1人調べてもらいたいが、いくつかの四合院を見学して、私なりに理解できたことを整理すれば次のとおり。

 第1に、四合院は中庭をもった、東西南北に配置された4つの建物からなっていること。第2に、四合院の入口(大門)は南側にあるが、それが中央部ではなく必ず南東角(八卦でいう巽の方角)
にあること。第3は、大門を入ると影壁(第二門)があり、その北側がメインの中庭(院子)で、その南側が結婚前の女性がここまで出ることができるサブの中庭であること
(つまり、結婚前の女性は第二門を出ることは許されるが、大門の外に自由に出ることはできないということ)。

 第4に、東西南北に配置されている建物は、

 ①北側がメインで、その中央には居間兼応接間となる「正房」が、そしてその左右に家長の寝室となる「耳房」があり、

 ②東西には家長を除いた家族の寝室、書斎、食堂となる「廂房」があり、そして、

 ③南側に、使用人の部屋となる「倒座」がある。

つまり、家長の部屋を中心とするメインの部屋は、南の庭に面したベストポジションに配置されているというわけだ。また、地方によって、財力によってその規模はさまざまだが、
近代的建築ではなく昔風の四合院を好む中国の大金持ちたちは、今でも巨大な四合院を購入したり、建てたりしているとのこと。これは日本でも、一部の大金持ちが純日本式の和風建築に
こだわるのと同じようなもの・・・。

(3)鼓楼の前でタクシーを下り、20元の見学料を払って鼓楼の入口に立つと、そこでビックリ。そこには何十メートルもある急勾配の階段があったから。これを上らないことには、周辺を
見下ろすことができる鼓楼の上に立つことができないわけだ。日頃1週間に1回の20km走で足腰を鍛えている私には、この程度の階段は屁でもないが、普通の人はこれを上るのは大変だろう。
しかし、これを上り、太鼓の音を聞きながら四方を見渡せば、その周辺は美しい昔の街並みと再開発の姿がくっきりと・・・。もちろん、目の前には同じ高さの鐘楼の姿も。

11 胡同(フートン)東側めぐり(2:45~3:45)(人力車)

(1)鼓楼を下りた後、私はまずその西側にある前海、後海周辺の宋慶齢故居に行こうと思ったのだが、結果的には胡同めぐりの人力車に乗ることに。声をかけてきた人力車のおじさんの話によると、料金は約1時間の胡同めぐりで1人180元とのこと。しかし、そりゃ高すぎると値段交渉の結果、2人で100元ということに・・・。

(2)人力車の上で私はさかんに地図を調べたが、胡同の中は迷路のようになっているので、自分が一体どの位置にいるのか、どこを回っているのか、その時にはサッパリわからなかった。
これが胡同の東側めぐりだったことがわかったのは、2度目の人力車に乗った時、回っている途中、ここには有名な茅盾故居があると教えてもらい、写真を。

(3)また、有名な四合院の1つとして楊昌済故居の前での写真を。さらに、観光客に開放している四合院があり、そこでは中に入って説明を聞きながら写真撮影。

12 胡同(フートン)西側めぐり(4:00~5:00)(人力車)、

             什刹海(シェンチャーハイ)公園めぐり(5:00~6:00)

(1)人力車を下りると既に時間は4時。夜になると前海・後海の周りは一面バーの灯りがつき、若者や外国人たちでいっぱいになるらしい。そこでまずは、そんな開店前のお店で写真を1枚。

(2)続いて、夕方の美しい前海の前で写真を撮っていると、新たな人力車のおじさんからまた誘いの声が。「もう乗ったよ」と答えていると、
「それは東側めぐりで、それとは別に西側めぐりがある」とのこと。西側めぐりは前海・後海の周辺で、四合院や恭王府や梅蘭芳紀念館などをめぐるとのこと。既に4時になっているし、
歩いて回るのは時間的にしんどいと考えたため、これに同意。東側と同じく2人で100元という条件で、再び人力車による西側めぐり観光に。

(3)最初は、超有名な焼肉屋「焼肉季」の前にて写真撮影を。

(4)続いて「福福」、「雲起」で写真撮影。

(5)望海楼で写真撮影

(6)観光客に開放された四合院を見学

 ベッドの中で

 書斎のデスクの前で

 庭で

 応接間で

 ここらあたりで既に1時間を超えたが、6時にすぐ近くの有名なレストランで友人が食事をごちそうしてくれることになったため、6時にそのレストランの前まで人力車で行ってもらうことにして、時間を6時まで延長。したがって、西側めぐりの人力車料金は2時間で200元に。

(7)千竿五号前にて写真撮影

(8)恭王府前にて写真撮影

(9)北京師範大学前にて写真撮影

(10)梅蘭芳紀念館(四合院)前にて写真撮影

13 夕食(九門小吃)(6:00~9:00)

 今日の夕食は、いろいろな料理を自分で選び、好きなものを好きなだけ食べるという珍しい方式の「九門小吃」というレストラン。中国で律師試験(司法試験)を受験している2人の友人と
合流して、楽しく話し合いながら食事を。

14 徒歩にて、夜の什刹海(シェンチャーハイ)公園を散策(9:00~10:00)

 途中、何回もトイレに行きながらビールをたんまりと飲み、約3時間をかけた楽しい夕食を終えた後は、タクシーに乗るため、前海の入口のところまで約1時間かけてブラブラと散策。
右手には美しい後海・前海の夜景が、また左手には賑やかなバーの赤い灯、青い灯がいっぱい・・・。2004年11月に雲南省の麗江の夜のまちを散策した時に味わった楽しさとはまた異なる、
何ともいえない不思議な雰囲気をタップリと楽しみながらゆっくり散策を。やはり、こうして歩いていると、ああ、ここがさっき人力車に乗って通った道だとか、ここが写真を撮った場所だ
ということが再確認できるもの。途中、小さい花売りの少女から花を買ってやったりしながら、やっと帰路につくべくタクシーに。

15 タクシーでホテル(華潤飯店)へ(10:00~10:30)

 約1時間の散策によって多少お腹はほぐれたものの、ビールの酔いも回り、気分は最高。タクシーの中でウトウトしつつ、約20分でホテルの前に。
ちなみに、前海からホテルまでの料金は35元だから、日本に比べるとメチャ安。しかも、この時間になるとさすがに道路は空いているからかなりの高速で飛ばすので、北京市街地の西北にある
前海・後海から東端の朝陽区にある華潤飯店までは約20分。

16 就寝(11:30)

地下鉄前門駅前にて

毛首席紀念堂前にて

正陽門前にて

中国の古いポスターを売るおみやげ店にて

お茶屋「張一元茶屋」前にて

毛沢東、周恩来がつくったという靴屋にて

西単(シータン)にある巨大な中国銀行本店前にて

王府井のメインストリート

鼓楼の上から 再開発中のまちを撮影

夕方の美しい前海の風景を写真家坂和章平が・・・

律師試験の受験生と

什刹海公園内 前海・後海の美しい夜景をバックに

3日目

1 起床(6:30)、朝食(7:00~7:30)ホテルのバイキング

2 タクシーでホテル(華潤飯店)から北京電影学院へ(8:30~9:10)

 今日はいよいよ、今回の北京旅行最大の目的である北京電影学院での特別講義の日(になるはず・・・)。大きな旅行カバンの中に入れて持ってきた『SHOW-HEYシネマルーム』1~14
各1冊と『シネマルーム5』すなわち『坂和的中国電影大観』5冊をはじめ、坂和用の資料や中国映画のパンフレットなどを、昨日購入したばかりのキャリーバッグと日本から手荷物として持参した
キャリー製のリュックに入れてホテルを出発。

 もちろん、この他にカメラなどの必需品があるため、昨日のようなすし詰め状態の地下鉄で行くことは到底ムリ。そのうえ、地下鉄1号線には、乗り換えのために歩くについて、エスカレーターや
エレベーターがほとんどないから、重い荷物を持って歩くのはとてもムリ・・・。それに対して、北京のタクシー代はメチャ安だから、日本では到底考えられないホテルから北京電影学院前まで
タクシーに乗っていくという選択は容易。ただ、交通渋滞で時間がどれくらいかかるのか不安なため、かなりの余裕をもってホテルを8時半に出発した。途中、道路の結節点では
かなり混んでいたものの、それを過ぎるとわりと車は流れており、正味約40分で9時10分頃北京電影学院正門前に到着。料金は55元(約880円)。

3 北京電影学院正門前で古澤先生と待ち合わせ(10:00)

 2003年11月の北京ツアーの際に訪れ、女子学生と並んで正門前で写真を撮った、懐かしい北京電影学院にやっと到着した。古澤先生と約束していた10時までの時間待ちのため、
「喫茶室はどこにあるか?」と聞いて入ると、そこは上空からの明かりをとり入れたすごく大きな喫茶室。ここでトイレに行ったり、資料を広げたりした後、再度正面玄関で写真を撮っていると、
すぐ横に古澤先生が現れた。

 2007年5月27日に大阪の天三(天神橋3丁目)にある「甚六」という店でおいしいお好焼きを食べながら語り合った時以来の再会だ。喫茶室へ戻り、いくつかの情報交換をした後、
とにかく美術学部の王鴻海(ワン・ホンハイ)教授の部屋に行こうということになり、私はかなりの緊張感をもちながら、古澤先生と一緒に9階の王教授の部屋に。

4 王鴻海(ワン・ホンハイ)教授の部屋で劉旭光教授を含めて打合せ

                           (10:30~12:00)

(1)王教授の部屋に入ると、古澤先生と懐かしそうに再会を祝していたが、その後すぐ劉旭光教授も姿を現し、王教授と同じように古澤先生との再会を祝し、その後具体的に私との打合せに入った。ここで驚いたのは、劉教授は日本語が達者なこと。聞くところによれば、先生は神奈川県に数年間住んでいたとのこと・・・。

 まず、私が中国語版のA43枚のレジメを約5分間で説明したところ、王教授からビックリするような質問を受けた。それは「文化大革命をどう考えていますか?」というシビアなもの。
それに対して、私は「基本的に文化大革命は問題ありと考えている。そして、それが中国映画に大きな影響を与えていることはまちがいない」と答えたところ、それに対して王教授からは
さまざまな指摘が。

 それをここでいちいち紹介することは避けるが、このような質疑をはじめとして、王教授と劉教授そして私と古澤先生の間の、通訳を介した話は、次第に熱を帯びることに。そこで時計を見ると、
既に正午前。あらかじめ食事の予定をしてくれていたらしく、「それでは食事に行きましょう」となり、私たちは9階から1階に下り、食堂に行くことに。

(2)校舎を出て外を歩いていると、そこで出会ったのが、何と北京電影学院の学長である張会軍(シャン・ホンジー)教授とのこと。そこで私も名刺交換をし、一緒に記念撮影を。
多少ミーハー的かもしれないが、私はもともとミーハー族と自認しているから、これもよしとしておこう・・・?

5 昼食(12:00~1:30)

 「留学生餐庁」の1階は大衆食堂風だが、2階は個室。案内されたとおりの部屋に入ると、そこには大きな丸テーブルを前に既に4人の先生方が座っていた。その前に通訳を含めた私たち5人が
座ると、まずは王教授が私たちを歓迎するために持参してきた日本酒の醸造酒で乾杯をした後、豪華で楽しくかつ有意義な昼食会が始まった。そこに出席してくれていたのは、馬(マー)教授、
李教授ら4名の先生方。

 当初の話題は自己紹介や北京電影学院での活動状況などのお固いものが中心だったが、何度か乾杯を重ねていくうちに、お酒談義や失敗談義さらに悪者談義(?)になってきた。
そして、それとともに昼食の場は次第に大きな笑い声に包まれた和気あいあいとした雰囲気に。こんな雰囲気の食事は私も大好き。しかも、ほとんど飲めない古澤先生のお酒を
代わりに飲んであげたりしているうちに、私も大声で笑いながら打ち解けていくことに・・・。

6 王鴻海教授の部屋で打合せ(1:30~2:00)

 1時間半をかけた長く楽しい昼食会が終わり、再び、王教授の部屋に戻ると、午前中に段取りの指示を受けていたらしい事務担当の人から報告があり、私の特別講義は明日10月10日の2~4時
に決まったとのこと。昼食を食べながらも、どこか心の片隅にひょっとして今回の北京ツアーでの特別講義はお流れかも、と心配していたが、この決定を聞いてひとまず安堵。
明日は雍和園を中心とした観光をする予定だったが、それはいつでもできること。講義が明日の2~4時と決まった以上、それに向けて全力を傾けなければ・・・。そのうえ、今日はこれから
北京電影学院全体を見学させてもらえるらしい。こんな機会を与えてもらった古澤先生と王、劉両教授に謝謝!講義用の資料などはキャリーバッグの中に入れたまま王教授の部屋に
置いてもらうこととし、これからまずはアニメ学科の見学へ。

7 アニメ学科案内(2:00~4:00)

 日本のアニメ技術の優秀さは世界的によく知られているが、最近は中国でもアニメに力を入れてきたとのこと。そこで今日は、新しくつくられた(?)アニメ学科の入っている棟をタップリと
見学させてもらうことに。これについては、最近3D(立体画像)の研究に興味をもっている古澤先生がかなり興味があるらしく、いろいろと突っ込んだ質問を。私は専門的なことは全くわからない
ものの、各部屋で勉強している学生や先生たちの熱心さをひしひしと感じることができた。この案内は、私が張藝謀(チャン・イーモウ)監督によく似ていると表現した馬教授の案内によるもの。
本当にありがとうございました。

8 撮影学部案内(4:00~5:00)

 次は、俳優棟を見学。入口には世界的な賞を受賞した先輩俳優たちの名前がズラリと並び圧巻。私がすぐに気づいたのは王志文(ワン・チーウェン)や趙薇(ヴィッキー・チャオ)の名前。
また、各期ごとの集合写真や各期ごとの舞台風景などの写真が並べられており、そこにはすぐにわかる徐静蕾(シュー・ジンレイ)や周迅(ジョウ・シュン)の顔なども。

 具体的にどんな授業をしているのかの見学はできなかったが、雰囲気を味わうことは十分に。また、学院の中をあちこち歩いていると、たくさんの学生たちと出会う中、美男・美女、
そしてスタイル抜群の学生が多いように思えたが、それは将来のスターの卵がたくさん集まっているのだから、当たり前のこと・・・?

9 古澤先生の案内でオープンスタジオ見学(5:30~6:00)

(1)以上で学院内の見学をすべて終え、今日1日いろいろとお世話していただいたことを感謝して、お別れすることに。学院を出た後、古澤先生の案内によってすぐ近くにある、
清の時代の建物がたくさんあるオープンスタジオの見学に行ったが、ここは現在は使用されていないようで、ほとんど放置状態・・・?しかも、少しずつ暗くなってきたため、約30分の見学で終了。

(2)なお、帰国後ガイド本を見たところ、学院のすぐ近くに北京電影游城という「映画村」があり、ここには、いろいろな施設があるそうだ。つまり、①電影大観園(『紅楼夢』の屋内セット)、
②影視拍撮外景地(映画村)、③激光槍戦場(軍事娯楽施設)、④影視奥秘館(ホラー劇)など。次回は、是非ここにも行ってみなければ・・・。

(3)ここで、明日午前11時に再び喫茶室で待ち合わせる約束をして古澤先生と別れたが、古澤先生は明日は12時から天津へ行く予定になっているため、私の講義を聴くことはできない
とのことで少し残念。まあ、講義は録音するし、ビデオ撮影もするから、後日講義録を送って読んでもらうことにしよう。

10 西単(シータン)の本屋へ

 ここでまた1つヤボ用が・・・。それは、友人のために法律専門書を扱っている西単の本屋まで買いに行かなければならないこと。そこで、すぐにタクシーに乗ったが、これが大失敗。
夕方の大渋滞で、西単まで何分かかるかわからないとのこと。車の中から、電話で7時半に秀水街での買い物を約束していたので急がなければならないのだが、これでは本屋に寄って本を買い、
地下鉄で秀水街に向かってもかなり遅れそう。

 そこで、思い切ってタクシーの行き先を近くの地下鉄の駅に変更してもらい、地下鉄で西単へ行き、目的の本屋へ。ここでも本を選ぶのに時間がかかったので、急いでまた地下鉄に乗って秀水街へ。遅刻すること約30分で、8時にやっと秀水街に到着。

11 秀水街で買い物(8:00~9:00)

(1)秀水街での買い物は、閉店時間の9時までちょうど1時間。さあ、どんな値切り交渉で、何を買ったのか、その実況中継をすればかなり面白いが、ここではそのホンの一部だけを。

(2)まず、購入した品物とその金額は次のとおり。

 ①袋もの(カバン)6個220元、②キャリー式リュック2個200元、③袋もの(小)15個150元、④ベルト1本50元など。

(3)各店の売り子たちの商品販売意欲は相当なもので、腕を引っ張って店の中に引き入れようとするほど。そして、こちらが少しでも興味を示すと、たちまち「これいいヨ」と薦め、
「いくら?」と聞くと「○○元」と即座に答える。私の経験では、この言い値の半額ではまだ高く、半値の半値くらいがホントの相場・・・?もちろん、品物によってその違いはあるが・・・。

 キャリーバッグは既に昨日購入していたので、それ以上購入しても手荷物として持って帰れないうえ、キャリー式のリュックを2つ購入したからもう限界。ところが、1つ目についた立派な
書類カバンタイプのキャリーバッグがあったので見ていると、たちまち店員に囲まれ、値段は「1980元」とのこと。「そりゃ高いワ」と言って電卓に「200元」と表示すると、1200元、
800元、500元と次第に値下げしてきた。私はこれ以上買う気はなかったので、「もういらない」と言ってその店を離れようとしたが、腕を握って放してくれないまま電卓を示し、
遂に200元まで値下げ。本気で買う気なら、こちらの言い値になったのだから買うべきところだが、所詮持って帰れないからと断り、やっとその店を離れることができた。
しかし、これほど簡単に10分の1の値段になるとは・・・?

(4)まとめ買いをすれば安くなるのは当然だが、それ以上に大切な買い物のコツは、こちらの言い値まで近づきながら最後の折り合いがつかない場合、「それじゃ、いらないヨ」と言って
店を離れる勇気を持つこと。これはポーズだけではダメで、本当にそういう気持を持つことが大切。そうすれば、90%以上の確率で店員が追いかけてくるはず・・・。
もっとも、10%はホントに交渉が決裂し、せっかく欲しかったあの品物が買えない危険も・・・。まあしかし、異国での買い物は楽しみだと割り切り、固執しないことが一番・・・。

12 夕食(9:00~10:00)

(1)買い物が終わると夕食だが、道路を隔てたすぐ前に、豆腐料理店の大きな看板が目に入ったためそこに入ると、そこは韓国料理店。

 1つは刺激の少ない韓国風の温かいメンを注文したが、それにはキムチやナムルそして韓国風お好み焼などがついて30元。もう1つは、韓国風のうなぎどんぶりを注文すると、
豆腐チゲがついて48元。ビール1本15元を含めて合計93元(約1500円)。

 こんな安くておいしい韓国料理に舌つづみを打ちながら、足ツボマッサージの店が近くにないかと店員に尋ねると、何とそのビルの地下にあるとのこと。
こりゃ、今日はついてるナと思ったが・・・?

(2)ゆっくり食事をした後、地下に下りていくと、今混んでいて1人だけしかできないとのこと。そこでいろいろ交渉したところ、20元プラスになるが11時ならホテルまで出張してくれる
とのこと。「それならちょうどいいいワ」とその約束をして、タクシーに乗りホテルに戻ったが、何とその約束は無惨な結末に・・・。まあ、その詳細はここでは伏せておこう・・・。

13 ホテル(華潤飯店)着(10:15)

 足ツボマッサージをしないまま就寝

王教授の部屋にて 王教授と古澤先生と一緒に

北京電影学院の学長、張会軍教授と一緒に

学長の他、古澤先生、王教授、劉教授たちと記念撮影を

北京電影学院の教授たちと昼食風景

馬教授と古澤先生と一緒に

周迅(ジョウ・シュン)らの写真

オープンスタジオ内にて

韓国料理店「北昌豆腐」前にて

4日目

1 起床(4:30)、勉強(4:30~6:30)

 重要な考え事があると、私の頭は夜眠っている時もいろいろと活動しているのではと思うことがよくある。それは、夜中にふと目が覚めて、今考えていたこと(?)をメモしたりすることが
よくあるから・・・。昨夜は結局足ツボマッサージをしないまま眠ったのだが、眠っている間も今回の講義のことを考えていたらしく、パッと目が覚めると午前4時半。
そこで、今考えていることを整理し、今日の講義内容のメモをつくろうと決意した。

 講義時間は2時間だが、通訳が入るので実質1時間。学生たちに配布する中国語のA43枚のレジメを順を追って説明するだけでも2時間はすぐに過ぎてしまうから、よほどポイントを
絞る必要がある。また、学生たちに興味深く聴いてもらうためには、やはり論点の提示と問題提起を中心にやる必要がある。そう考えた私は、私用に準備していた資料をいったん白紙に戻し、
3枚のレジメのポイントを抜き出し、それをつなぎ合わせることによって、今日の講義をやろうと考え、そのメモをつくっていった。日本でもそれなりの準備をしていたが、
講義時間も確定していないうえ、ひょっとして今回の講義はお流れになるのではないかという心配もあったため、今ひとつ最後のツメができていなかったのはまちがいないところ。

 そんな私の心の中の負い目を、この早朝2時間の勉強によって吹っ飛ばすことができたのは幸いだった。この手の作業は、日常の弁護士業務や講義・講演活動の際いつもやっていることなので、
お手のもの。そして、約2時間かけて講義メモをつくったことにより、今日の講義内容のイメージはバッチリと固まり、自信満々状態に。

2 朝食(7:00~7:45)

 ちょうど講義メモが完成し、イメージが確立できた時点で夜が明け、お腹も空いてきたので、軽く朝食を食べて、今日もタクシーで出発することに。

3 タクシーで北京電影学院へ(8:50~9:30)、表紙用写真撮影

 今日は11時に北京電影学院内の喫茶室で古澤先生と待ち合わせ。車の渋滞時間を外して遅い目に出かけてもいいのいだが、頭の中は今日の講義をいかに立派にやり遂げるかでいっぱい。
したがって、早く北京電影学院に着き、何度でも予習しておきたいため、8時50分にタクシーに乗ることに。タクシーの中で目を閉じて少しウトウトしていると、9時半に到着。
聞くところによると、渋滞している幹線道路を避けて裏道を通ったりしたらしい。そのため、所要時間は45分で、料金は62元。

4 北京電影学院前で『坂和的中国電影大観』パート2の表紙写真の撮影

 早速喫茶室に入ると、まずはその入口においてある機材をバックに写真撮影。次にテーブルに着いて荷物を置き、資料を広げた時に思いついたのは、今回の講義を中心とした
『坂和的中国電影大観』パート2を出版するには、北京電影学院の看板の前で写真を撮るのが一番いいのではないかということ。最近私は、表紙の写真撮りにも馴れ、その撮影のテクニックや
コツもわかってきた。そこで、北京電影学院の正門前にある看板の前に何度も位置や構図を変えながら立ち、表紙用の写真撮影を。

 帰国後プリントアウトしてみると、これがキレイに撮れており、これなら十分表紙の写真として使用可能。日本語での『シネマルーム』特集としてのみならず、中国語での出版にも
いよいよ本格的に乗り出さなければ・・・。

5 喫茶店で通訳と打合せ(10:00~11:00)

(1)講義・講演はこれまで何度もやってきたし、しゃべるのは得意な方だと自負しているが、通訳を介して講義するのは今回がはじめての体験。特に今回の講義で難しいのは、次の2点。
すなわち、①映画のタイトルが原題と邦題で全く異なるため、邦題を言っても通訳には全然理解できないこと。それなら、私が原題を言えればいいのだが、残念ながらごく一部を除いて
私にはその能力はなし。②監督や俳優の名前についても、漢字はわかっていても私が中国語での発音ができないため、誰のことを言いたいのかが通訳に伝わらないこと。

 そのため、私は事前に作品については原題と邦題を併記し、公開日、監督名、出演者名などを一覧表にするとともに、監督と俳優の名前についても、中国流の呼び方と日本流の呼び方を
一覧表にしておいたのだが、それをすべて私と通訳との間で一致させるのは大変な作業。

(2)そこで、10~11時まで1時間をかけて、通訳との間で十分な打合せをすることに。それは、早朝に私が書いたメモにしたがって、私のしゃべる内容を説明し、そこで通訳しづらい点を
つき合わせる作業。その中で感じた第3の難しい点は、例えば「団塊世代」「土地バブル」「日活ロマンポルノ」などという一定の概念が確立している日本語を、
どのように中国語に翻訳したらいいのか全くわからないこと。そこで、そのような通訳しづらい言葉は極力避けて、できるだけシンプルな講義をやろうと決意することができた。
この1時間の通訳との打合せが、本番に向けて大きく役に立ったことはまちがいなし。

6 古澤先生と打合せ(11:00)

 午前11時きっかりに古澤先生が喫茶室に現れたため、まず今日の講義の準備状況を説明した。続いて、レジメの配布準備や教室などを聞いたが、それは古澤先生もわかっておらず、
これから確認していくとのこと。ただ、掲示板に今日の特別講義を案内するポスターを貼ってくれたから、20~30名はきっと参加するだろうとのこと。

 もっとも、そう言われても私は心配。だって、昨日やっと講義の日時が決まり、掲示板にポスターを貼ったくらいで、ホントに20~30名の学生が集まるのだろうか、と不安になるのは当然。
ひょっとして2、3人しか来なければイヤだなと思いつつ、美術学部棟の王鴻海教授の部屋に行こうとすると、そこで私たちが目にしたのは、何と1人の女子学生との話が終わり、
立ちあがろうとしていた田壮壮(ティエン・チュアンチュアン)監督だった・・・。

7 田壮壮監督と記念写真撮影

 もちろん、古澤先生も田壮壮監督と面識があるわけではないから、そう簡単に古澤先生を通して紹介してもらうというわけにはいかない。しかし、そこは何事も積極的な古澤先生。
つかつかと監督の元に歩み寄り、自分は現在学院内でこんな立場の人間であること、そして今日は弁護士坂和章平の特別講義のためにここに来ていることを要領よく説明した。

 私は9月25日に田壮壮監督の『呉清源 極みの棋譜』(06年)を観て、その評論を書いているし、『坂和的中国電影大観』(『シネマルーム5』)でも、田壮壮監督の『青い凧』(93年)
については彼の経歴などにも触れながらかなり詳しく評論している。そこで、『呉清源 極みの棋譜』のことを話しながら握手をし、古澤先生と共に記念撮影を申し出ると、快く承諾してくれた。
そこで、2ショットでの写真撮影を。こりゃ、私にとって大きな記念になるはず・・・。

8 掲示板のポスターの前で記念撮影

 私としては、今日の講義を知らせるポスターがどんな風に掲示されているのか気になるところ。そこで、喫茶室に入る時やトイレに行った時にそれらしきものを探したのだが、
見つけることができなかった。ところが、掲示板のありかを知っている古澤先生は目が早く、喫茶室を出た直後、「あそこにポスターが貼ってあるよ」と教えてくれた。
見ると、そこには『坂和的中国電影大観』(『シネマルーム5』)の表紙に写っている顔写真を利用したうえ、「日本著名電影評論家坂和章平談 中国電影在日本」と書いたポスターが。
そして、そこには今日の講義をする教室は美術学部棟の902号教室とあった。

 そこで、早速その前で写真撮影を。さらに、昨日のレストランとは違う学生用の食堂「園中苑」に入ろうとすると、その近くの掲示板にも同じポスターが。そこで、ここでも記念撮影を。
さて、このポスターを見て、何人の学生が私の特別講義を聴きにきてくれるのだろうか・・・?

9 園中苑で昼食(11:30~12:15)

 古澤先生は12時には北京電影学院を出なければならないとのことだし、私も講義前にお腹いっぱいになるのはまずいので、野菜料理だけを少し注文。その途中、講義用レジメを事務の人が
とりに来てくれたので、ひと安心。軽い食事を終えたが、劉教授の部屋に行くのは1時がいいだろうと考え、昨日も見た俳優棟に入り、俳優棟の中を見学。そうこうしているうちに
1時が近づいたので、劉教授の部屋に。

10 講義準備(1:15~2:00)

(1)劉教授の部屋に入り、あいさつをした後お茶をごちそうになったが、私の頭の中は既に講義の準備のことでいっぱい。そこでお茶もそこそこに、キャリーバッグとリュックを引きながら
902号教室に入っていくと、時間が1時15分であるにもかかわらず、既に10人ほどの学生が最前列に座っていた。私は一瞬部屋をまちがったのかと思い、聞いてみると、
彼らは2時からの講義を聴くために今から前の席をキープして座っているとのこと。これには驚き!日本の甘っちょろい学生とは大違いだ。

(2)私が準備すべきことはたくさんあった。それは第1に、レジメを配布する他、持参してきた『シネマルーム』1~14の本と中国映画のパンフレットを講義の前に参考資料として配布し、
適当に見てもらうこと。第2に、ビデオ撮影のためビデオカメラを三脚にセットし録画できるようにすること。これについては、馴れない作業にひと苦労。第3に、ICレコーダーの準備と
私がしゃべるメモや資料を机の前に広げること。

(3)途中トイレに行ったりしながらそんな準備をしていると、学生の数が次々と増えてきたからうれしい悲鳴に。講義開始の2時少し前には、既に教室の中がいっぱいになり、
私と通訳が使うイスも提供したがそれでも足りず、向かいの教室からも持ってくるほど。そして、2時少し前に王鴻海教授が教室に入り、私の紹介と今回の特別講義をもった趣旨を
説明していただいた後、いよいよ私の特別講義を開始することに。

11 講義(2:00~4:15)

(1)本日の参加者は約50名。そして、前列から席が埋まっていったように、学生たちは聴く気で参加しているから、居眠りする者は誰もいない。他方、2時ギリギリに参加してきた人たちや
少し遅れて参加してきた人たちが教室に入れず、諦めて帰った人がいたようなのでその点は少し残念・・・。

 通訳を介した私の特別講義は立ったままでやることになったが、それには十分馴れているから疲れることなくスムーズに講義は進んだ。ラスト近くになって時計が資料の中に埋もれてしまったため、15分時間を延長することを学生たちに図ったところ、学生たちはすぐにオーケーしてくれたので、これ幸いと15分間延長してしまった。講義の内容については、A43枚のレジメと
テープ起こしした講義録を貼付しておくので、興味のある人は是非それを読んでもらいたい。

(2)ビックリしたのは、講義終了後の風景。大きな拍手を受けたのはうれしかったが、終了後学生たちは次々と私の前に立ち、いろいろと質問をぶつけてくることに。それは、
①岩井俊二監督をどう思うか、黒澤明監督をどう思うか?②韓国のキム・ギドク監督作品のどんなところが好きか、などの意見を求めるものから、③『シネマルーム』を買いたい、
④『シネマルーム』の中国語の本はないのか?などのうれしい注文までさまざま・・・。

(3)講義中最前列の中央に座っていた1人の女子学生は日本人のA子さん。30歳代の彼女は、中国映画に魅せられたため仕事を辞めて、現在研究生として北京電影学院に来ているとのこと。
中国映画を勉強して日本に紹介する仕事に従事したいとのことで、学生たちの質問が終わった後、10分ほどいろいろと話をしたが、話は尽きそうになかった。そこで名刺交換をしたうえ、
再会を約束して、この場は別れることに。

 ちなみに、日本に帰国するとすぐに彼女からのメールが到着していたため、私の講義録をすぐに彼女にメールし、読んでもらうことに。また、私の『シネマルーム』を欲しがっていた学生たち
に対して、当日持参していた本はタダで差し上げたが、きっと他にも欲しい人がいるだろうと考え、帰国後『シネマルーム』1~14と『坂和的中国電影大観』(『シネマルーム5』)を
劉教授宛てに送り、A子さんを通じて欲しい人に適当に配ってもらうことに。こんな形で次々と新しい友人ができてくることに感謝!

12 劉先生、李教授と話(4:30~5:30)

 講義終了後、劉教授や李教授から熱いお茶を振る舞っていただきながら、今日の特別講義が実現できたことを感謝し、またの機会を楽しみにしつつ、お別れすることに。

13 北京電影学院出発、足ツボマッサージ(5:30~7:30)

 これで本日の大切なお仕事が終了。ホントはその後宋慶齢故居などを見学したかったのだが、博物館はだいたい5時には閉まっているため、その見学は到底ムリ。そこで今日は観光を諦め、
先にゆっくりと足ツボマッサージをやり、その後食事で終える予定に。

 そうなれば、とりあえず北京電影学院近くでやろうということになり、タクシーに乗って早速マッサージ店へ。途中、中国電影游城の看板を見ながら、到着したのは「良子健身」という店名の
大きなマッサージ店。ここで90分の足ツボマッサージをしてもらったのだが、今回の北京旅行での足ツボマッサージには何かとトラブルがつきまとうことに。

 その内容は伏せておくが、2004年11月の雲南省旅行の際、麗江で何回かやった足ツボマッサージは安くてすごく上手だった。特に目の不自由な人たちだけでやっていたマッサージ店の
マッサージは最高で、ビックリしたもの。それに比べれば、北京という大都会のマッサージ店はお店はキレイで豪華だが、肝心のマッサージ技術は今ひとつ・・・?
それでも長めの足ツボマッサージによって心地よくなった後、マッサージ店のすぐ隣りの店でゆっくり夕食を食べることに。

14 夕食(7:40~10:00)

 ここは湖南省料理の店とのこと。湖南省料理(湘菜(じゅんさい))は、四川省料理(川菜)と並んで中国では安くておいしいため、庶民が気楽に食べに行く料理の双肩とのこと。

 この店で食べたのは、①いんげん豆となすびの炒めもの(18元)、②黒鳥のガラスープ(20元)、③蛙(カエル)料理(48元)、④白ごはん(1元)だったが、ガラスープは
特においしかった。また、大きな仕事をやり終えた後の解放感もあり、ここで飲んだビールは大ビン3本。そして食事代はビール代(12元×3=36元)を含めて、
合計137元(約2000円)という安さ。

15 タクシーでホテル(華潤飯店)へ(10:00~10:30)

 おいしい料理と今日の北京電影学院での特別講義でお世話になったすべての人々に感謝しつつ、ホロ酔い気分のままタクシーに乗り、一路ホテルへ。さあ、明日の朝は6時半ホテル出発だから
早寝早起きをし、帰国後夕方から待ち受けている仕事に備えなくっちゃ・・・。

北京電影学院喫茶室の風景

田壮壮(ティエン・チュアンチュアン)監督と

食堂近くの掲示板のポスター前にて

講義前のビデオカメラのセット作業

王教授による坂和の紹介と特別講義の要旨の説明

特別講義風景

特別講義終了後の風景 学生から大きな拍手が・・・

大役を終えた後の夕食 湖南省料理の店の前にて

5日目

1 起床(5:00)、朝食(6:00)

 6時20分集合、6時半ホテル出発とされているが、レストランは6時から開くとのこと。そこでトランクへの荷物詰めなどを終え、出発の準備をすべて整えたうえで、軽く朝食を食べて、
フロントに集合。

2 集合(6:20)、ホテル出発(6:30)、空港へ(6:30~7:00)

 朝6時半に出発したが、道路はいつものように渋滞中。しかし、空港へ行く高速道路は市内中心部に向かう道のようには混んでおらず、比較的スムーズに7時すぎには空港へ到着。

3 北京首都国際空港(8:50)~関西国際空港(13:30着)

 CA927

(1)ガイドさんと別れた後は、比較的旅馴れしている私たちが総勢10名のツアーの先導役を。誰かが遅れないように、迷子にならないように、団体で行動することを心がけながら、
全員無事機中の人に。

(2)管制塔からの出発オーケーの指示がなかなか出ず、1時間近く遅れたものの、離陸後は比較的空いている後部の座席にゆっくり座り、ビールとワインを飲みながら軽食を食べてひと眠り。

(3)日本時間で1時半に関西国際空港に到着。さあ、これから事務所に戻りひと仕事して、7時から予定されているパーティーにも出席しなくっちゃ。また、講義のテープ起こしや旅行記の作成、
そして『坂和的中国電影大観』パート2の出版企画など、やるべきことがいっぱい。

 4泊5日の北京ツアーが快晴の下に無事行われ、北京電影学院の見学と約50名の学生たちへの特別講義が実現できたことに感謝!そして来る日の再会を楽しみに、
今日からまた頑張らなければ・・・。

[旅行記余話]

1 中国語による『坂和的中国電影論』の出版企画が現実に・・・

 今回の北京電影学院での特別講義を含む『坂和的中国電影大観』パートⅡを『SHOW-HEYシネマルーム』パート○○として出版する企画を練っていると、ある日とんでもない話が
舞い込んできた。それは、通訳の知り合いで、メディア論の研究をするためK大学に来ているS先生が中国の出版社と知り合いがあるうえ、自分もその出版社で出版しているので、
私が中国語による『坂和的中国電影論』を出版するのであれば協力するというお話。早速その話に飛びついた私は、10月21日(日)おいしい「てっちり」をごちそうしながらじっくりと
時間をかけてその打合せを。そして、現在その打合せに沿った出版企画書を提出するとともに、全体の枠組みづくりの作業中。これが実現できればすごいこと。何とか頑張らなければ・・・。

2 90元のブルガリの時計は・・・?

 1日目の夜、秀水街で購入した90元のブルガリの時計は、北京滞在中ずっと袋の中に入れたまま放置していたが、帰国後すぐ袋から取り出して机の上に。これは電池式ではなく自動巻きだから、
腕につけておくのが一番いいのだが、時計を2個も3個もつけることはできないから、時々振ってやらなければならないのが面倒なところ。

 数日後、いつものように時計を振り、時間合わせのためにヒューズを巻いていると、あれ!秒針が飛んでしまった!「えー、ウソ」と思ったが、もう後の祭。まさか、自分の手でガラスを開けて
秒針をセットし直すことなど、とてもできないのは当然・・・。そこで、本体はダメでもバンドだけは生かすことができるはずと考え、私が昔天神橋筋商店街で3000円くらいで購入した
ブルガリ(偽物)の時計でバンドの穴が切れて使えなくなっていたものに、それを活用しようとして探したが、引出しの中をいくら探しても見当たらない。結局、使いものにならないと思って
捨ててしまったのかと思いつつ、翌日事務員に聞くと、その時計を預かっているとのこと。

 そこで、日中2つの偽物のブルガリの時計を時計屋に持っていくと、私の目論見どおり、バンドの交換と電池の交換をしてもらい、代金800円也で何とか日中合作の1つのブルガリの時計が
活用できることに・・・。それにしても、いくら偽物とはいえ、ヒューズを巻いたら秒針が飛んでしまうブルガリとは・・・?秀水街での買い物については、時々こういう失敗例があることを
頭に入れておかなければ・・・。

                                               以上

                                 2007(平成19)年10月26日

中国(上海)旅行記・・・(2008(平成20)年8月22日~8月24日)

1 目的は出版の打合せ

(1)今回の上海への2泊3日旅行の目的は、日本在住のバイリンガル作家である毛丹青先生のプロデュースによって中国語による『坂和的中国旅紀行・電影紀行』の出版を具体化するため、
出版社の編集者と打合せをすること。

(2)出版社は「上海文芸出版社」。ここは08年4月2日の「中国の人気作家蘇童が行く関西の旅 歓迎座談会」の際、社長の王鋼氏や同社が出版している『旅遊天地』の編集長の夏青根氏と
名刺交換をした出版社で、毛丹青先生の旅をテーマとした出版をたくさん手がけているところ。

 夏青根さんと毛先生は現在「中国の人気作家蘇童が行く関西の旅」をまとめる作業をしており、秋にはその本が出版される予定となっている。その夏青根さんは日本語はしゃべれないが、
日本での座談会の際に毛先生を通じて顔見知りになっていることが大きな強み。

(3)翻訳・通訳は東京から駆けつけてくれた王淑敏先生。私の書いた中国電影の評論をそのまま翻訳するだけでも大変だが、やはりそれでは中国で売れる本にすることは土台ムリ。
あくまで中国人読者向けのアレンジが必要だから、翻訳はやはりプロでなければ。

 そんな思いの中で毛先生が推薦してくれたのが、東京で司法通訳の仕事もしているという王淑敏先生。会うのは今回上海での合流がはじめてだが、十分意思疎通を図り、
今後頻繁に打合せができるよう人間関係を構築しなければ。

2 出版企画の内容は?

(1)中国語による『坂和的中国電影論』の出版企画は、2007年10月10日に行った北京電影学院での特別講義の前後から『坂和的中国電影論』を何らかの形で中国の人たちに
中国語で出版したいと言い始めたところから具体的に始まった。したがって、それは2002年6月から続いている『SHOW-HEYシネマルーム』1~19を原型とし、
『シネマルーム5』(『坂和的中国電影大観1』)で載せたような①「坂和的中国映画のバイブル」、②「坂和的中国旅行体験と中国映画」、③「坂和的地図からみる中国映画」、
④「坂和的中国映画監督列伝」等をミックスさせたようなイメージ。

(2)そんな発想の下で、07年10月中旬から留学生のYが紹介してくれたS先生との打合せが進んでいたが、計画は大幅に変更され、S先生の構想が全面に出ることに。
ところが、残念ながらその後YもS先生も忙しく、なかなか時間がとれないため事実上中断・頓挫。

(3)中国語での出版が再浮上してきたのは、「中国の人気作家蘇童が行く関西の旅 歓迎座談会」で毛先生と知り合ったことを契機としたもの。「中国の人気作家蘇童が行く関西の旅 歓迎座談会」で作家の蘇童氏や女優の田原(ティエン・ユエン)さんはもちろん、日本の名だたる中国文学研究者の先生たちと知り合いになれたのは大きな成果。
他方、毛先生も中国映画に詳しい大阪のオモロイ弁護士という私のキャラに興味を持ってくれたようで、以降何度も食事をしながら出版の構想を練りあげていくことに。

(4)出版企画の内容が、坂和による中国の旅をメインとし、それに中国映画を付け加えるという方向に大きく転換したのは、08年8月13日の打合せによって。
私もちょうど『シネマ5』で書いた「坂和的中国旅行体験と中国映画」を膨らませようとしていたところだったため、ここで2人のベクトルが完全に一致した。

 そこで私は、第1編として2000年8月から始まった①大連・旅順・瀋陽旅行(2000年8月10日~14日)、②西安・敦煌旅行(2001年8月9日~14日)、
③北京旅行(2003年11月1日~4日)、④杭州・紹興・烏鎮旅行(2004年3月31日~4月3日)、⑤桂林・深圳・広州旅行(2004年6月10日~13日)、
⑥西双版納・昆明・麗江・大理旅行(2004年11月28日~12月5日)、⑦曲阜・泰山・済南・青島旅行(2005年10月20日~24日)、
⑧上海・杭州・烏鎮・無錫・鎮江・揚州・蘇州・周庄旅行(2006年3月16日~20日)、⑨北京旅行(2007年10月7日~11日)の中国旅行の旅行記をメインとし、
その旅行先に関する中国映画をピックアップすることに。そうすると、第1編としてまとめた「坂和的中国旅紀行」だけでも相当なボリュームになった。
また、それ以外に第2編「シネマからみる中国王朝紀行」、第3編「中国地図からみる、坂和的中国シネマ紀行」を設定し、そこには第1編に入りきらない『シネマ5』『シネマ17』で評論した
中国映画を入れ込んだから、総ページ数は膨大な量に。

 8月22日の出版社との打合せに向けて、8月14日から集中してやったこの作業が役に立ったことは言うまでもない。ただ、これはあくまで素材。出版社はこんな企画に興味を示してくれるか、
またこれをどうアレンジし、どう料理していくか、そのための打合せに勇んで上海へ旅立つことに。


                                               以上

                                 2008(平成20)年8月27日記

1日目

1 関西国際空港(10:30発)から上海浦東国際空港(12:15着)へ

(1)入国手続後、タクシーに乗ってホテルへ。1時間くらいはかかるだろうと言われていたが、意外に道が空いていたため所要時間は約50分。そして料金は163元(約2500円)だから、
日本の感覚ではベラボウに安い。

2 ホテル(〔氵又〕庭酒店)着(1:20)

(1)今回泊まる「〔氵又〕庭酒店」は中国でチェーン店展開するビジネスホテルで、毛先生がよく利用しているホテルとのこと。その所在地は、地下鉄1号線が東西に走っている淮海路の
淮海中路にあり、最寄り駅は陜西南路駅。今回なぜ私たちと一緒にこのホテルに決めたかというと、それは上海文芸出版社がすぐ近くにあるうえ、周りには雰囲気のいいお店や
おしゃれな人気スポット「田子坊」が近いから。

(2)宿泊代は1泊約350元(約5500円)だが、ダブルベッドで机もあり、日本のビジネスホテルの2倍以上の広さがある。王淑敏先生と名刺交換をし、あいさつを交わした後、
部屋に入り荷物を置いてひと休み後、すぐに上海文芸出版社へ向かうことに。

3 上海文芸出版社へ(2:00~2:10)

 ホテル前の陜西南路を少し南に歩き、最初の交差点を東に曲がればその道が紹興路。上海文芸出版社はこの道沿いにある。紹興路の車道の両側には街路樹がキレイに植えられており、
静かで落ち着いた雰囲気の道路。ホテルから徒歩約5分で、迎えに来てくれた編集長の夏青根さんと出会い、上海文芸出版社の中へ。

4 地図で位置関係をバッチリ確認!

(1)「〔氵又〕庭酒店」へは空港から直接タクシーで乗りつけたため、その位置関係は全然わからなかった。しかし、帰国後地図と写真と記憶を頼りにホテルの位置や出版社、
レストランそして田子坊の位置等を確認したところ、バッチリわかったので、略図を示しておきたい。


(2)「〔氵又〕庭酒店」は、地下鉄陜西南路駅南口から陜西南路をまっすぐ南へ約10分歩き、永嘉路との交差点を過ぎた
すぐ南の左手にある。

(3)次に、上海文芸出版社はホテルを出て陜西南路を南に歩き、最初の三叉路である紹興路を左折して、3~4分歩くと
右手にある。

(4)また、1日目の夕食をしたレストランも、2日目の昼食をした「老洋房」もこの紹興路にある。

(5)田子坊は、紹興路を東に進んで、最初の大きな交差点である瑞金二路を右折してしばらく歩くと、北の建国中路からも、
南の泰康路からも入ることができる。ここ田子坊は上海文芸出版社から徒歩約10分くらいのところにある。

(6)ちなみに、夜行った足ツボマッサージのお店「肖代」は、ホテルを出て陜西南路を南に歩き、紹興路を過ぎて、
次の建国西路との交差点を過ぎた南の左手にある。

5 出版の打合せ(2:10~3:00)

 (毛丹青、王淑敏、夏青根、陸震偉、坂和、細谷)

(1)テーブルを挟んで夏さんと毛先生が見せてくれたのが、いろいろなパターンの旅に関する本。夏さんが編集長をしている
『旅遊天地』は旅をテーマとした月刊誌だから、その中には当然キレイな写真が満載。今回私が出版する本も、旅をテーマとし
それに映画を付加するものだから、当然写真が多くなるはず。すると、それに反比例して字数は少なくなる。

 さあそこで、写真と文字のバランスは?本の大きさ、装丁は?総ページ数は?等々、打合せることは多いが、私としては
基本的にそれは毛先生のアレンジまかせ。そこで、いろいろ例示される本を手にして意見や好みを述べたが、
話は自然に1つの方向にまとまっていくことに。

(2)今、私の手元に『翔』がある。これは2カ月に1度、JALの飛行機の座席に配布されるキレイな冊子で、その見開き2頁分に毛先生の頁がある。
私が貰った8・9月号には蘇童(スー・トン)氏の「京都有〔辶文〕〔木羊〕一条河」という一文が。

 これを書いたのが毛先生で、写真が翟〔ナホ〕〔几乂〕。毛先生の計画では、私の出版売り出し戦略は旅をテーマとし、キーワードは遊。その中に「坂和的中国電影論」を適度に入れ込んでいく
というものだ。

 つまり、そこで毛先生が強調したのは、その本には私がホームページに載せている旅行記の記念写真ではなく、私がダイナミックに動いている遊の写真が必要だということ。
「遊」のイメージを出すために、私が動いている写真がほしいということだ。

 そんな話し合いの中、打合せの途中から参加してもらったプロカメラマンの陸震偉さんと共に早速写真撮影に出かけることに。つまり、私がモデルとして陸さんの指示どおりに動いているところを
撮影してもらい、その中の何枚かをプロモート用に使おうというわけだ。売れる本にするためには事前のプロモートが必要。今日の写真を使って毛先生がどこかの雑誌に紹介記事を
書いてくれることになりそうだ。

6 田子坊(ティェンヅファン)で写真撮影(3:00~4:30)

(1)そんなわけで、今回実現したのが、上海で有名な田子坊を舞台とし、遊をテーマとした私の写真撮影会。プロのカメラマンである陸震偉氏は今日の打合せに自分のカメラを
持参していなかったが、幸い私が愛用しているソニーのα100は、レンズこそプロ仕様ではないものの、結構高級機種。私が田子坊で遊ぶ姿を撮影するには、太陽光線の関係で午後3時は
ちょうどいい時間帯。そこで、記念写真ではないからカメラ目線はダメ、できるだけ自然に動いているところを撮るから、という陸さんの注文に応じて私は田子坊を見学しながら
馴れないモデル稼業を懸命に。

 『SHOW-HEYシネマルーム』の表紙の写真撮影に毎回苦労してきた経験が大いに役立ったが、こんな仕事をやっていると次第にそこにハマリそう・・・。
少なくとも、弁護士稼業よりはよほど面白い・・・?

(2)田子坊はアーティストやおしゃれなお店がいっぱい集まったニューヨークの「SOHO」のような場所だが、同時に狭い路地の両側で生活している人々の生活臭もいっぱい。
田子坊は中国の古い画家の名前で、自身も画家である黄永玉によって命名されたとのこと。その「ごった煮」の面白さは、是非自分自身で体験してもらいたいものだ。

(3)田子坊の中の路地を探索しながらたくさん写真を撮ったが、アトリエの中に入ってじっくり見学したのは、①画家、陶芸家、アートディレクターとして知られる故・陳逸飛氏と
②フォトグラファーの爾冬強氏。日本人には馴染みの薄い名前だが、話を聞けば聞くほどすごいアーティストらしいから、じっくり勉強しなければ。

(4)通りにもドラえもんなどの人形を売っている面白いお店があったので、その前でパチリ。さらに、日本では珍しいものになってしまった公衆電話の前でもパチリ。

7 上海文芸出版社で打合せ(4:30~5:00)

 田子坊をタップリ見学し、写真もたくさん撮った後出版社に戻り、毛先生と夏さんと再度打合せ。今日の写真を早速活用して、毛先生がどんな文章を書いて私のことを紹介してくれるのか楽しみだ。

8 ホテルで休憩(5:10~6:00)

 暑い中を歩き回ったため、たくさん汗をかいていたので夕食前にシャワー。下着もすべて着替えサッパリしたところで、夕食に向かうことに。

9 夕食(6:10~9:00)

 (毛丹青、王淑敏、夏青根(編集長)、陸震偉(カメラマン)、蘇靖(編集者)、坂和、細谷)

(1)今日の夕食は紹興路にあるレストラン。

(2)ここではじめてお目にかかったのは、華東理工大学出版社の蘇靖さんという女性。この出版社は、毛先生が旅の他にもう1つの柱として力を入れている日本語教育の教材を出版しているところ。

10 足ツボマッサージ(9:15~10:20)

 2006年3月19日の上海探索では、ホテルでの足ツボマッサージが280元もしたため、バカバカしくなってやめたが、夕食の時の夏さんの話では、ホテルのすぐ近くに40元くらいで
キレイなお店があるとのこと。そこで夕食後早速案内してもらうと、60分40元とのこと。毛先生と王先生は喫茶店で話しながら待っていてくれるとのことなので、
そのお言葉に甘えて足ツボマッサージをすることに。60分間、至福の時を過ごし大満足。

11 喫茶店で打合せ(10:35~11:00)

 足ツボマッサージをすると、いつもその直後に靴下を履くのがイヤになるのだが、それを我慢して待ち合わせの喫茶店へ。ここではごく簡単な打合せだけで終了。
いろいろと充実した上海での1日に感謝。

12 就寝

 今日8月22日は、日本の野球ファンの期待を一身に受け、かつ自分自身でも「金色のメダルしかいらない」と公言してきた星野仙一監督率いる星野JAPANが韓国と準決勝を戦う日。
8月20日夜の、予選リーグにおけるアメリカとの勝負で0対0のままタイブレークに入り、結局4対2で敗れた星野JAPANについて、私は翌日事務所で星野采配を大いに批判するとともに、
『ハンコック』(08年)の映画評論では、その不安の一端を披露した。

 「〔氵又〕庭酒店」の宿泊における唯一の不満は、NHKの衛星放送が観れないこと。毛先生のように、どこでもパソコンからインターネットで情報を集めかつ発信できる人はいいが、
私の情報源はテレビ、新聞など古いタイプのものばかり。したがって、今日から3日間は日本で毎日5紙から得ている情報から隔絶されることを覚悟していたが、
星野JAPANの対韓国戦の結果はどうしても気になるため、自宅への「安心コール」を兼ねて電話して聞くと、「負けたらしいよ」とのこと。ああ、やっぱり・・・。

 これで明日はきっと、キューバに負けたアメリカと3位決定戦を戦うことになるわけだが、その試合についても私は不安がいっぱい。そんな無用な心配をしつつ、
酒の酔いと足ツボマッサージの気持ち良さの中、私は次第に心地よい眠りに・・・。

〔氵又〕庭酒店の前にて

上海文芸出版社で打合せ 陸さん、夏さん、毛先生、坂和

田子坊、こんな路地がいっぱい

田子坊、陳逸飛氏のアトリエ内

田子坊、陳逸飛氏のアトリエ内

公衆電話前にて

夕食 王さん、坂和、毛さん、夏さん、陸さん

夕食 毛さんと上海文芸出版社編集長の夏さん

2日目

1 起床、朝食(7:30~8:15)

 もともとレストランはB1階にあったらしいが、12階に変更されたとのこと。ここでの朝食は1人20元を払って食べるバイキングで、特別豪華ではないが実質的にはこれで十分。ちなみに、
食事しながら窓の外の景色を見たり、部屋の中を観察していると、あることに気づいた。それは、この12階のレストランはもともと屋上だったところに簡易な部屋を増築しているらしいこと。
エレベーターで11階までしか上がれず、12階へは階段を使わなければならないことをはじめ、この部屋の状況をよく観察すればそれは明らかだが、私が興味を持ったのはこの増築は
適法なのかどうかということ。もちろん、そんな問題意識を直接突っ込んで聞くことはできなかったが、これは多分・・・?

2 ホテル出発、タクシーで本屋さんへ(9:05)

(1)朝食中はえらく曇っているなという感じだったが、いざ出発という段階になってかなりの雨が降ってきた。「晴れ男」の私にとって旅行中雨に降られるのは珍しいが、
昨日の太陽の光線がベストの時間帯にプロカメラマンの陸震偉さんによる写真撮影は完了しているため、今日の雨は差し支えなし。

(2)そこで、午前中の豫園見学の予定を変更して、旅をテーマとした本と映画をテーマとした本の扱い方についてのリサーチのためタクシーで本屋さんに行くことに。
今回の出版のために打合せするのは上海文芸出版社だが、毛先生が旅の他にもう1つ力を入れている分野が日本語教育。昨日一緒に夕食をした蘇靖さんは華東理工大学出版社の人で、
ここは日本語教育の教材をつくっている出版社。毛先生の『感悟日本』は、日本語と中国語の両方で教科書的に使われるように出版されており、私もなるほどと感心させられたものだ。
さあ、上海のデッカイ本屋さんの売れ筋は・・・?

3 本屋「上海書城」探索(9:20~10:30)

(毛丹青、王淑敏、坂和、細谷)

(1)ここ「上海書城」は上海で最大の本屋さんで、7階まである。そして1階には、旅をテーマとした本がたくさんのコーナーに山ほど平積みされている姿を目撃。これに対して、
7階にある映画をテーマとしたコーナーでは、平積みされている本もあるが、基本的に端っこの書棚に並べられているだけ。これを見ただけで、旅をテーマとした本のニーズ・売れ行きと
映画をテーマとした本のニーズ・売れ行きが、10対1、100対1ほど違うことを実感。

 ちなみに、これは、私がジュンク堂で映画の本探索をした時に感じたことと全く同じだ。

(2)「上海書城」の7階で私は自分の勉強のために、王先生は邦題と原題のチェックを含む中国映画全体の復習のために、『中国影視游』を購入(38元)。
また時節がら(?)、6階では北京オリンピック開会式のDVDを購入(50元)したが、ここで閉会式のDVDが25元で予約販売されていることを知りビックリ。

4 タクシーでホテルへ(10:30~10:50)

 11時半からホテル近くのレストランで昼食の予定となっているため、とりあえずタクシーでホテルへ戻り、ひと休み後、11時半にフロントで待ち合わせることに。
ちなみに、ホテルから上海書城までのタクシー代は、行きも帰りも16元。

5 昼食(老洋房)(11:30~2:00)

 (毛丹青、王淑敏、森岡正樹、坂和、細谷)

(1)「老洋房」は上海文芸出版社のすぐ近くにあるレストラン。ここは、かつて上海暗黒街の帝王といわれた杜月笙の邸宅をレストランとして改装し、2004年にオープンしたとのこと。
また、この店の名物料理は小籠蝦餃とのことなので、メイン料理が終わった後、ご飯の代わりにこれを食べることに。

 ちなみに、五木寛之が上海で対談した時の会場として使われたのがこことのこと。

(2)仕事が忙しかったため、昨日の夕食のメンバーとして1人欠けていたのが、日本の小学館から上海駐在員として上海に来ているという森岡正樹氏。今年4月から上海に赴任した彼は
大学時代にしばらく中国に留学していたこともあり、今年4月からの特訓で今や中国語はペラペラ・・・?

 私たちが席に着いてお茶を飲みながら待っていると、ほどなく森岡氏が到着。小学館がつい先日出した、創刊号となる女性向け月刊誌『美的』を見せてもらいながら、上海の出版事情を拝聴。
さらに、彼は事前に毛先生から私の情報を聞いていたらしく、日本人ではじめて北京電影学院の本科を卒業し、『北京の恋ー四郎探母ー』(04年)で主演した女優前田知恵の『北京ナビ手帳』を
私へのプレゼントとして持参してくれていた。

(3)おいしい料理を食べながらの話題の中で、さかんに登場していた人物の1人が泉京鹿さん。彼女は私が2005年5月から愛読している『人民中国』の翻訳家の1人だ。
そして、もう1人は産経新聞の中国総局の福島香織さん。毛先生も森岡氏も彼女たちと日常的に親しく接触しているらしいから、また機会があれば紹介してもらい、意見交換をしなければ・・・。

6 ホテルのロビーに集合(3:00)

 昼食後ホテルへ戻り、3時までひと休みした後、上海老街・豫園商場の見学に出かけることに。毛先生はひと休みし、王先生と坂和(私)と細谷の3人でタクシーに乗って
上海老街と豫園商場見学へ。タクシー料金は16元。

7 上海老街および豫園商場見学(3:15~5:30)

 (王淑敏、坂和、細谷)

(1)昼食中に雨は完全にあがり快晴となったため、3時から王さんと共に私たちが訪れたのは、上海老街と豫園商場。『週刊 中国悠悠紀行』NO19によると、
「南京路を新宿、淮海路を銀座とするなら、豫園商場は下町情緒たっぷりの浅草といった雰囲気の場所」と書かれていたが、まさにピッタリの表現。

(2)2006年3月の上海・杭州・烏鎮・無錫・鎮江・揚州・蘇州・周庄のツアー旅行では、最後の日にわずかに豫園商場の見学をしただけだったが、
今日はたっぷりと上海老街と豫園商場の見学を。心ゆくまでその雰囲気を楽しんでいる様子はいっぱい撮影した写真を見れば明らか。

 上海老街には、王先生が子供の頃に読んでいたマンガを売っているお店や、中国らしく『毛沢東語録』を売っているお店も。

(3)中国の買い物で面白いのは、何といっても値切り交渉。ここで購入したのは、五香豆(36元)、キャスター付リュック(150元)、小銭入れ(35元)、ネクタイ(15元)、
くし(20元)等々。

 今回の値切り交渉の圧巻は、450元という値札のついたキャスター付リュック。いくら何でも、450元のものを最初から150元というのは無茶かもしれないが、売り子は300元、
250元と下げてきて、最後は遂に200元まで。しかし、私はあくまで150元でなければいらないと主張し、何度も帰りかけた。そして本気で帰りかけたところ、
5mほど追いかけてきて「オーケー、オーケー」となったわけだ。

 やはり、中国での買い物はあくまで買い手主導かつ毅然としたスタンスでいかなくっちゃ・・・。

(4)さらに屋台では、かわいいお嬢ちゃんの説明に惹かれて指人形を操ったり、8月10日の毛先生のお茶会の時に詳しく説明してもらった瓢箪笛を吹いたり、
牛皮製の影絵人形にチャレンジしたりと大活躍・・・?また、お茶屋では例によって(?)かわいいお嬢さんと2ショット写真も。

(5)ビックリしたのは、絵をいっぱい並べている店の中で、『胡同のひまわり』(05年)で描かれていた画家張暁剛(ジャ・シャオガン)の絵を発見したこと。
私が指差している絵がそれだから、しっかりお勉強を。

 また、私が無邪気に顔にあてて喜んでいるのは、チベット族がつくっているさまざまなお面。北京五輪の閉幕後、チベット問題がいかなる展開になるかを心配しつつ、
今日はしっかりはしゃぐことに・・・。

(6)こんな風に歴史的建物を見学し、まちの雰囲気を味わい、そしてみやげ物店で値切りを楽しんだ時間は、タップリ1時間30分間。足も疲れ、のども渇いた状態で、
ビールを楽しみに今日の夕食に合流することに・・・。

8 上海老街からタクシーでレストランへ(5:40~6:00)

 夕方になると、豫園商場ではタクシーを拾うのに少し手間どったが、うまくゲット。タクシー料金は17元。

9 レストラン「山間堂」で夕食(6:00~8:00)

 (毛丹青、王淑敏、夏青根、坂和、細谷)

(1)土曜日なのに、今日の夕食にも上海文芸出版社の編集長の夏青根さんが来てくれるとのこと。タクシーに乗って指定された「山間堂」といういかにも高級そうなレストランに着くと、
毛先生は先に到着しており、ほどなくすると夏さんも到着。後で地図を調べたところ、このレストランの所在地は上海市徐匯区淮海中路1008号2階(襄陽路付近)だから、
ホテルから歩いて15~20分くらいのところ。

 昨日の夕食も今日の昼食も豪華だったが、今日の夕食はさらに豪華。まずは青島ビールで乾杯した後、高級中華料理が次々と。

(2)今日も話題は、出版の話の他はオリンピックネタが多い。夏さんと毛先生の人脈の広さと情報の多さには驚くばかり。開会式での少女の口パク事件や56の少数民族の子供たちの多くが
漢民族だったという問題、そして110メートル障害の劉翔選手が試合直前に棄権したことに対する中国人のブーイングなど、私も入っていける話題については私の意見も述べたが、
それ以外に私が全然知らない情報がドッサリ。毛先生と王先生の通訳を介しながら、タップリと夏さんの意見を拝聴することに。

10 待ち合わせのホテル(錦江飯店)へ(8:20)

(1)「山間堂」での夕食で、今回の上海旅行における「打合せ」および「人的交流」は終了・・・。そう思っていたら、そうではなく、毛先生は上海のナイトクラブ(カラオケ?)でもう1人、
上海電視台のルー〔罒夕〕さんとの出会いをセットしてくれていた。

(2)行くのは、私が2005年10月の曲阜・泰山・済南・青島旅行の最後の日、青島ではじめて行った日本人がよく利用するカラオケ店らしいが、
そこへ行くためルーさんの車と待ち合わせたのが「錦江飯店」。ここはガイド本にも出ている上海で1番古いホテルらしい。

11 クラブ「愛ゆらり」で熱唱(8:30~11;30)

 (毛丹青、ルー、坂和、細谷)

(1)「錦江飯店」での待ち合わせに成功し、ルーさんの車に乗り込むと、ほどなく到着したのがクラブ(カラオケ?)「愛ゆらり」。さあ、上海のラストナイトをルーさんと話ながら
タップリ歌わなければ・・・。

(2)ルーさんが全然歌わなかったのは残念だったが、毛先生は持ち歌の『青葉城恋唄』を。そして私は、松田聖子の『あなたに逢いたくて~Missing You~』に始まり、
興が乗ってくると、また勧められる(?)ままに、中国語の『月亮代表我的心』を含めて、ZARD、BoA、プリプリから谷村新司、冠二郎まで、さらに7月25日の天神祭パーティーで
みんなで合唱した『蘇州夜曲』まで10数曲を熱唱。青島の時と同様、上海の夜はナイトクラブの中で、美女と共に次第に更けていくことに・・・。

12 ホテル着、就寝(11:50)

 今晩の予定としては、昨夜の足ツボマッサージにもう1度行くつもりだったが、既に12時近くになっているため断念。シャワーをして早めに寝ることに。

上海最大の本屋「上海書城」

「老洋房」のメニューと共に

「老洋房」の入口にて 王さん、坂和、毛さん。森岡さん

豫園商場にて

王さんが子供の頃に読んでいたマンガ

指人形にチャレンジ

「山間堂」で夕食 夏さん、毛さん、坂和

クラブ「愛ゆらり」で熱唱 毛さん、ルーさん、坂和

3日目

1 起床、朝食(7:30~8:20)

(1)日本と同じように7時頃に起き、1人で先にほとんど食事を済ませた頃に、12階のレストランに現れたのが毛先生。続いて王先生。ここで、私がコーヒーを飲みながら毛先生から聞いた
最新のオリンピック情報は、第1に最終日の今日行われる男子マラソンで日本人選手が1人突然棄権したとのこと。女子マラソンの野口みずき選手に次ぐ不祥事に、陸連の運営・管理のマズさが
モロに露呈したことは明らかだ。

 そして第2は、シンクロナイズドスイミングの女子団体戦で、1人の日本人選手が呼吸困難になったというニュース。救助員が急遽プールの中に飛び込んだらしいが、意識朦朧となった
日本人選手は、その後さてどんな気持で、どんな行動を・・・?2007年1月、日本人の井村雅代コーチが中国のシンクロチームのコーチに就任したことは日本と中国に大きな反響を呼んだが、
井村コーチの「日本流スパルタ訓練」をしっかり受け入れて上達したのが中国チーム。かつての女子バレー王国日本が低迷しているように、日本女子シンクロもこれからは下り坂・・・?

(2)出版の打合せも終わり、また毛先生が私に会わせたいとい考えていた人たちとの「人的交流」も十分実現できたため、3日目の今日は飛行機に乗って帰るだけ。
ちなみに、今日は北京オリンピック閉会の日だから、北京のみならず上海でもセキュリティーチェックが厳しいらしく、早めに空港に着いてくれとアナウンスされていた。

 ホテルから浦東国際空港まではタクシーでもいいのだが、せっかくだからリニアモーターカーに乗っていこうという話になった。リニアモーターカーの始発駅は龍陽路駅。
ホテルがあるのが陜西南路駅だから、ここから地下鉄1号線で人民広場駅まで行き、さらに地下鉄2号線で龍陽路駅まで行き、そこでリニアモーターカーに乗り換えればいいわけだ。
しかし、荷物があるのでさすがに地下鉄では行けないし、駅まではタクシーで20分くらいとのことだから、龍陽路駅まではタクシーで行くことに。
毛先生との打合せで9時半にチェックアウトをして王先生が一緒にタクシーで龍陽路駅まで行ってくれることに。

2 ホテル付近を散策(8:35~9:05)

(1)中途半端に時間が空いたため、ホテル近くを散策しようとしたが、紹興路方面は何度も歩いたため、ホテル北側の永嘉路の西の方を散策。紹興路と異なり、この永嘉路では
日曜日の朝の庶民の姿がよく観察できた。また、道路上は古くさい自転車や三輪車がよく走っており、まだまだこれが庶民の足だということを痛感。

 少し驚いたのは、バス停に大きな液晶テレビが備えつけられていたこと。今ちょうど男子マラソンをやっているところなので、それを観るべく10人くらいの人が集まっていた。

(2)周辺をぐるりと回ってホテルに戻ろうと思ったが、もし道がわからなくなったらまずいと思い同じ道を引き上げてきたが、こうやって何の目的意識もなくブラブラと散策するのもいいものだ。

3 ホテル出発(9:40)

 毛先生と別れ、王先生と一緒にタクシーに。目的地はリニアモーターカーの駅龍陽路。

4 龍陽路着(9:55)

 リニアモーターカーに乗って浦東国際空港へ行くと決めたところで、気になるのがその料金。列車の料金は乗っている時間が短ければ短いほど高くなるのが特徴だが、
上海市内と浦東国際空港を結ぶ上海リニアモーターカーは乗車時間が約7分。さて、その料金はHow much・・・?タクシーの中で王先生が運転手に質問すると、
飛行機のチケットを持っている人は1人40元とのこと。わずか7分で40元だから、1分あたり〇〇元・・・?

 そんなバカな計算はともかく、龍陽路駅から浦東国際空港までタクシーに4人乗って走ってもせいぜい合計100元くらいだから、リニアモーターカーの1人40元がベラボウに高いことは明らか。原油高が進む中、上海でも車社会が見直されて公共交通機関中心になれば、料金も値下がりし、利用客も増えるのだろうが、
今は物珍しさで1度乗ってみようという人たちばかりが利用しているのでは・・・?

5 リニアモーターカー乗車(10:10~10:20)

(1)エスカレーターに乗って2階に上がると20~30人くらいの人が並んでいたが、これは手荷物検査を受けるため。持参していたペットボトルを飲めと言われたので、
一生懸命飲んで空っぽにしようとしていると、「もういい」と制止された。なるほど、これはホントの水かどうかをチェックしているだけで、持ち込み禁止ではないわけだ。

(2)切符を買って、王先生と別れ入場すると、3階が乗り場。エスカレーターに乗って上がると既にリニアモーターカーが停車していたため、写真撮影後直ちに乗り込んだが、
座席は意外とチャチ。また、座席は1つの方向に固定されており、方向転換できないから不便。車両を軽くするため設備はできるだけチャチにしているのかもしれないが、こりゃ意外だった。
そして、ホントに約7分で浦東国際空港に到着。こんなに早く着くのなら、出発をもう少し遅くしてもよかったと思ったが、もはや仕方なし。

(3)時間がタップリあるので、リニアモーターカーの先頭車両をバックに数枚写真撮影を。1度は上海のリニアモーターカーに乗ってみたかったが、こりゃ1度乗れば十分。
次回からはきっと数人一緒でトランクに荷物を載せてもらったタクシーで、市内の目的地に向かうことだろう。

6 浦東国際空港着(10:20)

(1)浦東国際空港はバカ広い。空港でのセキュリティーチェックのために時間がかかることを心配し私たちはかなり早めに到着したが、なぜか今日8月24日の午前中はガラガラ。
考えてみれば今日は北京オリンピックの閉会式だが、私たちが上海から飛び立つ飛行機は、日曜日の午後1時25分発だから、その時間帯は空いていて当たり前・・・?

 ちなみに、私たちが乗った日本航空のカウンターはアルファベットのM、つまり日本の男子マラソンの佐藤敦之選手が完走選手中76位のビリで鳥の巣へ入ったのと同じように、
参加した航空会社の中のビリ。天下の日本航空も、上海における航空会社のランクづけではAから始まったMランクでビリというわけだ。

 日本航空のカウンターで搭乗券を受け取り、荷物を預ければ、後は出発時間まで待つだけ。そこでそのMの出国手続をする前に、1本8元のチューハイを買って飲みながら、
散々粘ったのが1軒の小さい本屋。ここで上海の新旧を紹介する写真集や中国の古代王朝から今日までを紹介する写真集、そしてまた、万里の長城あれこれを見ながら、
あらためて中国旅紀行と中国電影紀行に私なりの思いを馳せることに・・・。

 1時間以上にのぼるそんな勉強の終了後、とりあえず出国手続をして出発ゲートまで行こうとしたが、そこで面白かったのが延々と並ぶお店。

(2)関空は出国手続が終わればモノレールに乗って出発ゲートまで最速で運んでくれるが、浦東国際空港にはモノレールはないため、「動く歩道」を利用しつつ、ただ直線を黙々と歩くだけ。
したがって、その道の真ん中にはおみやげ店や高級ブランド店そしてレストランがいっぱい。ここでも空港の1番端っこにある26番ゲートまでゆっくりとさまざまなお店の見学をしながら
歩いていると、1時間や2時間はアッという間に。

 あるデューテーフリーの店で、バック、小物入れ、財布がセットになったフェラガモのブランド品が3割引きになっており、日本円で2万円少しとのこと。そこでそれを買おうとしたところ、
何とそれは財布だけ1点の値段というお粗末・・・。また、時間待ちを兼ねてうどんやカレーを食べている客がいるので、そのレストランのリサーチしてみると、カレーが50元、
肉入りうどんが60元、そしてビールやコーヒーは約30元。よくもみんなこんな高い店に平気で入れるものだと感心しながら、私はおみやげ店にあった1缶10元の青島ビールを買って飲みながら、これらを見学して社会勉強を。

 関空でも、モノレールを使わず、これだけの距離を乗客に歩かせてその間に店を並べて客を呼べば儲けは全然違うはず。さて、橋下徹大阪府知事の考え方は・・・?

7 浦東国際空港(1:25発)から関西国際空港(4:30着)へ

(1)飛行機の中では、機内食を食べ、ビールとワインをタップリ飲んで眠るだけだが、同時に3日間の情報収集をしっかりとしなければ。そこで機内に入るとすぐに朝日、日経、産経、読売の
各紙を取り、じっくりそれを読み込んだ。

(2)私の関心のポイントは星野JAPANの敗因について各紙がどのように書いているかだが、朝日新聞のスポーツ記者で編集委員である西村欣也氏の解説には唖然。
「大学同期仲良し3人組」への批判など書いていることはごもっともだが、それならそうと、なぜもっと早く書かないの?日本国中が星野JAPANによる金メダルへの期待に湧いている時にこそ、
水をさすようだがハッキリと問題点を指摘し、「仲良し3人組」の指導では金メダルはおぼつかないと書かなければ意味がないのでは・・・?

 これでは、戦勝中は戦争を賛美し、敗戦後手のひらを返したようになった某新聞社と同じでは・・・?

(3)ビール3缶とワイン1本を飲み、さあ眠ろうとすると、あと40分くらいで関空到着とのこと。「おっと、しまった」と思ったが、仕方なく眠るのは諦めることに。

永嘉路散策、果物屋さん

永嘉路散策、三輪車や自転車

浦東国際空港駅、リニアモーターカーの先頭車両をバックに

浦東国際空港内にて 日本航空は1番端っこのM

[上海旅行余話]

(1)今回の上海旅行は、①2000年8月10日~14日の大連・旅順・瀋陽旅行、②2001年8月9日~14日の西安・敦煌旅行に次ぐ、3回目のプライベート旅行。ツアー旅行では絶対
「割り勘損」しないように毎回食事はしっかりと食べているが、今回は1日目の夕食、2日目の昼食、夕食と贅沢三昧で、「これぞ中華料理!」という美味ばかり。そこで心配なのが体重増。

 そんなおいしい食事に対して、身体を動かしたのは1日目の田子坊における3時から4時半までの写真撮影と、2日目の上海老街と豫園商場における3時から5時半までの見学だったが、
さて私の体重は・・・?

(2)幸い、今回の関空到着は日本時間で3時半の予定が、少し早まり3時15分。これなら南海電車で難波まで行き、スイスホテルでフィットネスをすることができると考えたが、
浦東国際空港での時間待ちの間チューハイ1本と青島ビールを1本飲み、飛行機の中で出された食事中、缶ビール3本とワインを少し飲んだ私は、かなりいい気分。
これでは毎週日曜の朝やっている20km走は到底ムリだとしても、サウナだけは・・・。

 そう思って、来た時と同じように天下茶屋駅で降りて地下鉄堺筋線で北浜まで行き、そこから徒歩でわが家もしくは事務所へ直行という道を選ばず、難波で降りてスイスホテルへ向かったのは
大正解。そして根が真面目な私のこと。飛行機の中と南海電車の中でむさぼるように読んだ朝日、毎日、読売、産経、日経新聞の他、スポーツ新聞2紙の情報を元に、午後6時から放映された
テレビでの北京オリンピック特集を観ながら、約90分間10km走(歩き)で汗を流すことに。

(3)この結果、運動が終了し、サウナから上がった後に計った体重はバッチリ64kgを切っていたからひと安心。今日はこれから家に帰り、さらに事務所に寄って山ほど溜まっている
残務処理をしながら、2日間遠ざかっていたわが家の野菜をタップリと食べ、今日は久しぶりにそうめんでも・・・。それくらいのささやかな夢を実現させてくれた、体重の変化の無さに謝謝!


                                               以上

                                 2008(平成20)年8月27日記

北京・上海旅行記・・・(2009(平成21)年3月24日~3月27日)

[今回の北京・上海旅行の動機]

 今回の北京・上海旅行の目的の第1は、毛丹青さんプロデュースによる中国語の坂和的旅行記・映画評論本の打合せを上海の上海文芸出版社でやること。第2は、その本に載せる写真を撮るため、
北京の北京新超越広告有限公司のスタジオで毛さんとの対談風景を撮り、続いて北京の胡同(フートン)で「旅」をテーマとした写真を撮ること。もちろん、その撮影はプロのカメラマン。
数時間を費やす撮影会のモデルを私が務めるわけだ。

 毛さんは先に北京に入っていろいろ仕事をこなしているため、私は1人で北京に行き、毛さんと合流。北京での作業終了後一緒に上海へ行き、出版社との打合せを一気に行い、
一緒に帰国という段取りだ。ツアー旅行ではないから、3泊4日の旅で3~4万円というわけにはいかず、飛行機代だけでも結構かかるが、それは中国語での旅行記・映画評論本出版という
夢の実現のための必要経費。さあ、今回はどんな充実した旅行になるだろうか?

                                               以上

                                 2009(平成21)年7月8日記

1日目

1 関西国際空港(10:25発JAL785便)から

                    北京首都国際空港(12:50着)へ

(1)1人で関空から北京へ(出国、入国手続)

 何度も中国旅行をしていると、1人で出国・入国手続をするのも手馴れたもの。

(2)毛丹青さんが空港出口でお迎え(13:20)

 北京首都国際空港は北京中心部から東北25kmにある。1999年の大改造で3倍の広さになり、この時第2ターミナルも建設された。その後、2004年9月に第1ターミナルを
改装オープンし、2008年8月の北京オリンピックに向けて第3滑走路や第3ターミナルが完成したから、その広さはものすごい。ちなみに、第3ターミナルの総面積は98万平方メートルで、
2008年現在、世界最大の空港ターミナルビルとのことだ。

 そんなに広い北京首都国際空港だから、中国への入国手続に手間取って出口を出る時刻が遅くなると、ひょっとして迎えにきてくれるはずの毛さんと会えないのでは?
そんな不安も少しはあったが、何のトラブルもなく毛さんのお迎えを受けてひと安心。

2 タクシーで北京のホテル長富宮飯店

(ホテルニューオータニ)へ(14:20着)

 道路は結構混んでいたため、1時間弱かかって長富宮飯店(ホテルニューオータニ)へ。

3 長富宮飯店1階にある北京日本人会(図書館)へ(14:30~14:50)

 長富宮飯店の1階には「北京日本人会図書室」があり、そこの事務局長の任正平さんは毛さんのお友だち。そこで毛さんから任さんを紹介してもらうとともに、その図書室に置くため
私の『シネマ5』と『シネマ17』をプレゼント。いろいろと話が弾むうち、シネマ1~21全巻を1つのコーナーに置くこともオーケーとなったため、帰国後1セットを送ることを約束。
この図書館にシネマ1~21が並び、中国に住む日本人がここを訪れて私の『シネマルーム』を読んでくれれば、うれしい限り。

4 長富宮飯店のロビーでカメラウーマンの佐渡多真子さんと待ち合わせ(15:00)

 次は北京での撮影会のため、毛さんが紹介してくれたプロのカメラマンの佐渡多真子さんと初のご対面。待ち合わせ時間の少し前に顔合わせを済ませ、毛さん、佐渡さん、私の3人でタクシーに
乗り、陳小東の事務所へ。それにしても、プロのカメラマンの機材の多さと重さにビックリ。いつもこれだけの機材を持ち歩かなければならないのだから、プロのカメラマンは重労働。

5 タクシーで陳小東さんの事務所(北京新超越広告有限公司)へ到着(15:20着)、北京新超越広告有限公司で写真撮影(15:20~16:40)

(1)北京新超越広告有限公司はかつて倉庫だったというビルの一室だから天井が高い。事務所の中に入ってまず驚いたのは、壁一面に貼ってある『活きる』『項羽と劉邦ーその愛と興亡 完全版』
『王妃の紋章』『単騎、千里を走る。』などの張藝謀(チャン・イーモウ)監督作品のポスターの数々。そう、ここは張藝謀監督作品の知恵袋となっている事務所なのだ。
中でもとりわけ大きくて目立つのが、印象強い赤をバックに多くの兵士たちが弓を構えて今にも射ようとしている『HERO(英雄)』のポスター。佐渡さんの判断でこれをバックに毛さんと私の
対談風景を撮ることに決定。場所決め、ライトの当て方などが決まり、さあ撮影開始。実際に使うのは1枚だけだが、そこで撮った写真は約40枚。さあ、仕上がりが楽しみだ。

(2)せっかく張藝謀作品の知恵袋となっている北京新超越広告有限公司へ来たのだから、その社長さんたちといろいろと話をし、人脈形成をしておかなくっちゃ。そんな思いで名刺交換をし、
話をしたのが社長の陳小東さん。そして次にエイベックス中国の副社長の馬驊さん。エイベックスは呉宇森(ジョン・ウー)監督の『レッドクリフPart1』『レッドクリフPart2』が
見事に当たり大ヒットしているから鼻高々。馬驊さんはきっとその中核?

6 佐渡さんと別れ、タクシーで長富宮飯店へ(17:00着)

 今日のメインだった北京新超越広告有限公司での毛さんと私の対談風景の撮影が終わると、明日の胡同での撮影の段取りを打ち合わせて、佐渡さんとはこれでお別れ。
彼女は夜の会食にはどうしても参加できないとのことで残念だが、それはまたの機会に。とりあえず、タクシーで長富宮飯店に戻ることに。

7 長富宮飯店1階喫茶室で毛さんと打合せ(17:00~17:40)

 夜の会食は6時からなので、長富宮飯店の1階の喫茶店で毛さんと休憩しながらいろいろと打合せ。今夜の会食には『人民中国』の編集長や日本人俳優も来るらしい。
さあ、どんな楽しい夕食になるだろう?

8 夕食(大宅門)(18:00~23:30)

 今夜の会食の場所は、長富宮飯店から徒歩3分のところにある「大宅門」。参加予定者は、『人民中国』編集長の王衆一さんと『人民中国』編集者の泉京鹿さん、そして毛さんと私の4人。
また、遅れて中国のテレビや映画で活躍している日本人俳優の〇〇さんも出席予定らしい。泉京鹿さんは毛さんのお弟子さんで、私がかつて読んだ衛慧(ウェイフェイ)著『衛慧みたいにクレイジー』を翻訳した人。泉京鹿という名前は『人民中国』の編集者として前から目立っていたし、毛さんから再三彼女の話を聞いていたが、会うのは今日がはじめて。
泉京鹿さんから彼女が翻訳した新刊書である余華の『兄弟』上下をプレゼントされて感激。これは現在日本でも大きな話題を呼んでいる本だが、上下約900頁の大著だから、その翻訳は大変。
また、編集長の王衆一さんは日本語がペラペラなうえ、日本のさまざまな情勢にも詳しく、その博識ぶりにビックリ。また映画の話題も豊富で、話していると次第にエンドレスに。

 他方、今日はたまたま国際的な映画人の集まりがすぐ近くの会場であるとのことで、毛さんにお呼びがかかり、途中で2時間ほど中座。帰ってきた毛さんからその映画人の集まりの話を聞くと、
ビッグネームばかりで驚くことばかり。やはり北京の夜の話題は、デッカくて面白い。

9 就寝(24:00)

2日目

1 起床(7:00)、朝食(8:00~8:30)

 朝食はバイキング方式が多いが、今朝はホテルニューオータニらしく、和食の朝食を。バイキングだとついつい食べすぎてしまう私だが、一人前と決まった和食の定食だとお腹にやさしい・・・?

2 毛さん、佐渡さんとホテルのフロントで待ち合わせ(9:00)、

 タクシーで撮影現場へ

 今日のメインは午前中の胡同(フートン)での撮影。昨日は毛さんとの対談風景の撮影だったから、黒のタートルネックのセーターにチェックのジャケットというちょっと知的な(?)雰囲気に
したが、今日は「遊」をテーマとした撮影なので、服装も一新。日本で妻と打合せして決めた、チェックのシャツにベスト、その上に少しダボッとした紺色のブルゾンを着て、
首にはベージュのマフラーをさりげなく。髪の白いのと顔のシミはどうしようもないが、こんな服装でカメラマンの指示どおり微笑むことができれば、モデルとしても立派なもの。

3 北京の胡同、東四条で撮影(9:30~10:40)

(1)毛さんと佐渡さんとの昨日の打合せの結果、今なお胡同がたくさん残っている東四条で撮影することに決定。天気だけが心配だったが、晴れ男の私らしく今日も快晴。
太陽の日射しがまぶしいが、そこは撮影技術でやわらかい雰囲気に。まずは路地裏の三叉路に立ち、シャッター音のたびに微笑みながらいろいろなポーズをとり、完全なモデル気分。
そのうえ、ブルゾンの下のベストをのぞかせたり、ポケットに右手を突っ込んだりと、佐渡さんの注文も次第に多くなってきた。こうなると、モデル稼業も大変だナと思いながら、
一生懸命それに応えるべく努力を。この場所で約60~70枚を撮影。

(2)続いて、歩く姿を撮るとのことで右手をポケットに入れ視線をどこそこに、との注文に応じて、商店が並ぶ大通りをゆっくり歩くことに。もちろん、微笑みは絶やさないまま。
途中右手で指差してくれ、視線を遠くに向けてくれ、止まってくれ、など注文は次第に変化球に。この間の撮影が約60枚。

(3)続いて、今度は活気ある商店の前、あるいは両側に商店が並ぶ路地の真ん中に立って全体の活気を感じさせる写真の撮影を。この写真が約70枚。

(4)以上、合計約200枚の写真を1時間ちょっとの間で撮り、本日の撮影はジ・エンド。毛さんも佐渡さんも十分満足できる写真が撮れたはずだ。
この間、毛さんは私のソニーの一眼レフをつかって、2人の撮影風景をさらに撮ってくれていたから、これらすべての写真の完成が楽しみだ。

4 ホテルへ戻り、チェックアウト、長富宮飯店1階のレストラン(中華料理)で昼食(12:00~13:30)

 以上で本日午前のお仕事を終了したため、ホテルへ戻りチェックアウト。そして、毛さんと2人で長富宮飯店の1階レストランで昼食。軽く食べるつもりだったが、おいしい中華料理だったため、
昼間からビールもついついすすみ、結構いい気分に・・・。

5 タクシーで北京首都国際空港へ(13:30~14:00)、

  北京首都国際空港(15:00発MU5116便、国内線)から上海虹橋空港

 (17:20着)へ、

  上海文芸出版社の夏青根さんが車でお迎え(17:20)

 北京首都国際空港へのタクシーは意外にスムーズに進み、国内線に乗って上海虹橋空港へ。上海虹橋空港は1999年に上海浦東国際空港が開港してからは国内線専用空港になっており、
北京との間にシャトル便が運行されている。昨年8月22日~24日の上海旅行で詳しい打合せをした上海文芸出版社の夏青根さんが、そこに自分の車でお迎えに。

6 夏さんの車でホテル(上海千禧海鴎大酒店)へ 

 上海千禧海鴎大酒店でチェックインすると、こりゃぶったまげるほど豪華なホテル。2006年に開業されたというこのホテルは、上海中心部から西へ約10kmの古北新区にあり、
近くにはたくさんの日本料理店を含む飲食店がある。部屋の中には大きなダブルベッドが2つ。机も大きく、ガラス張り(もちろん、ブラインドはできる)のバスルームも超豪華。
こんな部屋に1人だけで寝るのは何となくもったいない・・・?

7 夏さんの車でレストラン清清清へ(18:30~19:00)、

 清清清にて夕食(19:00~21:00)

 北京でさっき昼食を食べたばかりなのに、上海ではまた7時から豪華な夕食。といっても、ここは昨日の「大宅門」のような個室ではない。おいしくて安いという庶民的なお店らしいから、
個室ではなく、店内は満席状態。また家族連れが多く周りは結構騒がしいが、夏さんも毛さんもそれに負けず大きい声だから、3人の会話は十分大丈夫。

8 タクシーでホテルへ(21:00~21:30)

 上海千禧海鴎ホテルには無料で使えるサウナがあるため、今日は早めにホテルに戻りサウナに入ることに。

9 サウナ・シャワー(21:30~22:20)

 フィットネスクラブとプール、そしてサウナが自由に使えるのはうれしい限り。さすがにプールで泳いだり自転車こぎまでやる元気はないが、サウナに入って一日の疲れがスッキリ。
これがまた明日の活力に!

10 就寝(23:00)

3日目

1 起床(7:00)、朝食(バイキング)(7:30~8:00)

 昨日は和食の定食だったからお腹が楽だったが、お馴染みのバイキングだとついつい朝食からたらふく食べてしまうことに。

2 タクシーで上海文芸出版社へ(9:15~9:30)

 朝食後直ちにタクシーで上海文芸出版社へ。

3 上海文芸出版社で打合せ(9:30~11:30)

 上海文芸出版社は昨年8月22日~24日に訪れたお馴染みの出版社。夏さんに昨日の食事のお礼を述べた後、紹介されたのがデザイナーの王偉さん。全体のレイアウトはもちろん、
主として観光地の写真と映画の写真をどのように入れるかを担当してくれるとのことで、現時点での一部の試案を提示してくれた。もちろん、私としては全く異論なし。
きれいな写真が次々出てくるので大いに楽しみだ。

 少し遅れて入ってきたのが、潤色(つまり、私の長い長い文章をいかにコンパクトに、かつ面白く表現するかという作業)の尹寧さん。若くきれいなお嬢さんで、まだ日本に行ったことが
ないらしいが、日本語がベラボウにうまい。写真をたくさん入れつつ、文字数を減らすことが私の原稿に対する最大のテーマだから、彼女の独断と偏見でビシバシとやってもらわなければ。

4 昼食(老洋房)(11:30~13:00)

 上海文芸出版社での打合せは約2時間。それによって現時点での大枠が決まったため、昨年と同じ、近くにある「老洋房」へ行き、5人でおいしい昼食を。

5 尹寧さんの案内で上海博物館見学(13:00~16:40)

(1)昼食後、毛さんは別の用事をするとのことで、私は尹寧さんの案内で上海見物に出かけることに。その目的地は上海博物館に決定。

(2)まず腹ごなしを兼ねて、徒歩と地下鉄で上海博物館へ行くことに。上海文芸出版社から地下鉄陜西南路駅まで徒歩約10分。
そして、地下鉄1号線に乗って陜西南路駅から人民広場駅へ行き下車。13時40分頃地上に出ると、すぐそこに上海博物館が。

(3)上海博物館の入口の前に数十人が並んでいたからビックリ。平日の昼間なのになぜ?と思って尹寧さんに聞くと、「入場料がタダだから」とのこと。
2008年3月4日、上海市内の「中共一大会址記念館」「上海博物館」「上海魯迅記念館」「陳雲故居と青浦革命歴史記念館」の4カ所の博物館と記念館が恒久的に無料開放されることが発表され、
3月10日から実施されたとのことだ。ここでも、運の良さに感謝。

6 尹寧さんの案内で田子坊見学(17:10~17:40)

(1)6時から予定されている今日の夕食会は毛さんの主催で、たくさんの人が集まるらしい。上海博物館の見学が終わった後まだ少し時間があったので、尹寧さんとタクシーに乗り
昨年8月に見学した田子坊を再度見学することに。

 ちなみに、昨年の田子坊の見学以降、私は日本経済新聞に連載中の髙樹のぶ子作の『甘苦上海』を毎日楽しみに読んでいる。それは、昨年8月の田子坊見学以降何かと田子坊に親しみを感じるため。

(2)とはいっても時間が少ししかないから、いろいろな小物を売っている店に入り、ちょっと面白そうな、いい音の鳴る風鈴を購入(88元)。
時間が迫ってきたので、タクシーで夕食会へ(17:40~18:00)

7 夕食(18:00集合、18:30~22:00)

(1)私が北京で毛さんのパソコンで見せてもらったのは、月曜日から金曜日まで毎日、夜10時から上海電視台の女性キャスター李蕾さんが司会をしている30分の対談番組に
毛さんが出演しているもの。毛さんとゲストとの対談を北京でやるため、上海のスタジオと同じものを北京につくって収録したそうだ。今日はその李蕾さんをはじめとするそのスタッフや、
毎日新聞上海支局記者の鈴木玲子さんも来るらしい。そして、毛さんの友人である上海電視台の羅偉建さんも。もちろん、今日朝から一緒に仕事や観光をした夏さんと尹寧さんも参加。
これだけの大人数だが、日本語を話せるのは毛さんと鈴木さんと尹寧さん、そして羅偉建さんが少しだけ。毛さんは全体のメインだから、私にかまっている時間はあまりないはず。
そうすると、通訳してもらうためには、鈴木さんか尹寧さんの隣に座らなければ・・・。

(2)李蕾さんらの一行は少し遅れるとのことで、毛さん、羅さん、夏さん、鈴木さん、私で先に食事を開始。その後尹寧さんや李蕾さん、上海電視台のディレクター韓芸さんや
上海電視台のディレクター助手の許思窃さんらの一行が合流し、話は次第に盛りあがっていったが、スピード感ある中国語の会話は私にはチンプンカンプン。時々鈴木さんに通訳してもらえたので、
かろうじて話の筋だけは理解できたが、話題は時代の最先端をいくものばかり。こりゃ、私も少しは中国語の勉強をしなければ。

(3)強く印象に残った話題は、毛さんがゲストとして招きたい日本人がいろいろいるから、対談番組に同時通訳を入れてほしいと交渉していること。今日の話では技術的にかなり難しそうだが、
もしそれが実現したら、ひょっとして私も日本人ゲストの1人として呼んでもらえるかも?

(4)日本の宴会は2~3時間が通常だが、中国人の会食は次々と話題が出るから3~4時間はザラ。たんまりアルコールを飲んでいる私は途中何度もトイレに立ったが、
さまざまな話題が盛り上がり、大きな笑い声が続く中、会食は10時過ぎまで続くことに。

8 羅偉建、毛、坂和の3人でカラオケへ(22:30~1:30)

(1)再会を約束してお別れした後は、上海最後の夜だからということで、毛さんの提案により、羅さん、毛さん、私の3人でカラオケに行くことに。そこで昨年8月に一緒に行ったクラブ
「愛ゆらり」に行ったが、何とそこは店じまいしていたらしい。

(2)そこで、羅さんの案内で上海国際ホテル内のカラオケへ。ここは歌い放題、飲み放題で〇〇元と書いてあったが、広い店内はガラガラで、客は私たち3人だけ。ホステスの指名料、
ホステスの飲み物や食べ物の注文などで結局結構な料金になったが、羅さんと毛さんが仕事の話をしているのを尻目に、私は1人でホステスと一緒に何曲も絶唱。そして約1時間後、羅さんと毛さんもカラオケに合流し、終了は結局午前0時を回ることに。今日は寝るだけ、明日は帰るだけだから、まあいいか。しかし、今日はさすがにサウナには入らない方が・・・。

9 タクシーでホテルへ、就寝(2:00)

4日目

1 起床(7:00)、サウナ・シャワー(7:20~7:50)、

  朝食(バイキング)(8:00~8:40)

 シャワーだけして眠ったのは午前2時頃だったが、外国旅行ではどこか興奮しているのか、やはり朝は目が覚めるもの。そこで、どうせならサウナを5分だけでもと思い、
サウナに行った後、昨日と同じようにバイキングの朝食を。

2 フロント集合、チェックアウト(10:00)

 集合時間は10時だから、まだ時間があったので、ホテルの周りを約20分ほど散策し、集合。そしてチェックアウト。

3 小雨の中、タクシーで上海浦東国際空港へ(10:10~11:30)

 北京・上海旅行の最終日で、帰るだけの今朝は散策時に小雨がパラパラ。いつものことだが、何ともラッキー。帰国は昨日到着した上海虹橋空港からではなく、上海中心部の東方約30kmにある
上海浦東国際空港からの飛行だから、ホテルから上海浦東国際空港まではかなり離れている。しかも、金曜日の朝10時過ぎにタクシーで中心部を抜けるのだから、かなり混みそう。
そこで毛さんが運転手と話し合った結果、かなり大回りになるが渋滞を避けるため北へ大きく迂回することに。タクシーは時速100kmを超える猛スピードで車線変更をくり返しながら、
一路上海浦東国際空港へ。これで所要時間は約1時間30分。ちなみに、この1時間30分のタクシー代は133元(約3300円)だから、日本に比べるとバカ安。

4 ゲート近くのレストランで、毛さんと総括(12:00~1:00)

 予定より早く着いたため、ゲート近くのレストランで、ビールを飲みながら約1時間今回の北京・上海旅行の総括と今後の方針の打合せ(?)を。

5 上海浦東国際空港(13:35発JAL794便)から

                          関西国際空港(16:15着)へ

 帰国の飛行時間は実質2時間半くらいだから、あっという間。もちろん、機内でビールとワインをタップリ飲んでいるから、いい気分で関空に到着。

6 電車(急行)で事務所へ(4:54~6:00)

 関空で毛さんと別れ、私は電車で事務所へ。さあ、今日は事務所でたまった仕事を片づけなければ・・・。

上海旅行記・・・(2009(平成21)年8月17日~8月20日)

[今回の上海旅行の目的]

1 今回の上海旅行のメインの目的は、09年8月13日から19日まで上海の上海展覧中心で開催されるブックフェア(2009上海書展)への参加。つまり、上海文芸出版社が出品する
4000冊以上の出版物の1つとして、私の中国語での出版デビュー作となった『取景中国 跟着電影去旅行(Shots of China)』が出品されたわけだ。後述のように、
この「2009上海書展」は非常に大規模なもので、『取景中国』のブースには私の等身大のポスターが立てられ、ちょっとした説明会やサイン会もやるらしい。そんなブックフェアの中で
私の本はどのように扱われるのだろうか?そしてそこで、私はどんな話をすることになるのだろうか?

2 今回の上海旅行は、同行する毛丹青にとっても大きな意味があった。それは、中国中央電視台が日中で活躍するバイリンガル作家毛丹青を密着取材することになったためだ。毛丹青が上海電視台で月~金に放映されている、李蕾キャスターによる30分のトーク番組に準レギュラーとして出演していることは知っていたが、今回の中国中央電視台による密着取材は日本の『情熱大陸』のような
番組を目指したもの。番組自体は30分程度だが、長期・大量取材はまさに密着。そして、毛丹青が日本人弁護士坂和章平の『取景中国』の出版をプロデュースしたのはなぜ?それも密着取材の
テーマの1つだから、ブックフェアには当然中国中央電視台のディレクターとカメラマンも同行するらしい。さあ、毛丹青の密着取材はいかに展開?そして、その一部に私はいかに関与?

[『取景中国』完成までの道のり]

 『取景中国』の出版は09年8月13日~19日の上海書展への出品にターゲットを定めて完成することができた。そこであらためて『取景中国』完成までの道のりを振り返り、整理しておきたい。

1 毛丹青との出会い

 私と毛丹青の出会いをセットしてくれたのは、日本への留学生だった郭小莉。大学を卒業し、近畿日本ツーリストに就職した後、関西国際観光推進センターに転職していた小莉から
「日中バイリンガル作家の毛丹青を紹介したい」「坂和が中国映画について中国語の本を出版したいという希望を持っているなら、きっと力になってくれるはずだ」という話を聞き、
はじめて毛丹青と小莉が私の事務所にやって来たのは08年3月19日の午後7時だった。折しもこの日は大雨。事務所での簡単な自己紹介の後、予約していた「神鷹」というちゃんこ料理店へ
移動することになった。毛丹青と小莉は徒歩での移動だが、私は例によって自転車。神鷹での話も弾んだが、毛丹青にはスーツ姿で自転車に乗っている私の姿がよほど印象に残ったらしく、
それがその後再三話題にのぼっている。

2 「中国の人気作家蘇童が行く関西の旅 歓迎座談会」への出席

 この出会いにおける中心のテーマは、互いの人物紹介と中国映画についての私の熱い思いだった。その時に話題に出たのが、08年4月2日午後3時~5時にドーンセンターで開催が予定されている「中国の人気作家蘇童が行く関西の旅 歓迎座談会」とその後の「懇親会」に出席してはどうかということ。座談会に出席するのは大学で中国文学を研究している学者ばかりだと聞いて
一瞬ためらったが、蘇童(スー・トン)は張藝謀(チャン・イーモウ)監督の名作『紅夢』の原作者として有名だから是非出席したいと思ったうえ、『シネマルーム5(坂和的中国電影大観)』を
皆さんにプレゼントするいい機会だと考えて出席を決意。当日は通訳係となる留学生と共に参加し、たった一人だけ中国語をしゃべれない私が堂々と「質問」にも立ち上がることに。
この時に名刺交換をし、知り合った先生方の何人かはその後も親しくおつき合いさせていただいているうえ、このとき中国から出席していた上海文芸出版社の夏青根さんが今回の『取景中国』の
責任者としてすべてを仕切ってくれたのだから、出会いとは不思議なものだ。

3 毛丹青および王淑敏(翻訳)との打合せと原稿のやりとり

 3月19日のはじめての出会いと、4月2日の「中国の人気作家蘇童が行く関西の旅 歓迎座談会」での交流によって、毛丹青は私の中国語での出版を本気でプロデュースする気に
なってくれたようだ。当初日本人弁護士兼映画評論家坂和章平による中国映画論のようなイメージで出発したが、中国旅行をメインとしたものに大きく方向転換したのは、
08年8月13日の打合せの結果。

 他方、中国映画と中国旅行記の翻訳者として毛丹青が推薦してくれたのが、東京に住む王淑敏。資料はメールで大量に送ることができるから、場所が離れていることは全然苦にならないうえ、
月に一度役員会出席のため東京出張が予定されている私には、その東京行きをより充実したものにするチャンスにもなった。

4 08年8月22日~24日の出版打合せのための上海旅行

 ここでの成果は、①本屋さんの見学によって、旅行本は売れやすいが、映画本は売れにくいと確認できたため、今回の出版は旅行をメイン、映画をサブにすることの確認、
②出版物に掲載するため、田子坊でのプロのカメラマン陸震偉による写真撮影(その写真が今回カバーと1頁目に掲載)
(詳細は、第12 上海旅行記(2008(平成20)年8月22日~8月24日参照)。

5 09年3月24日~27日北京・上海旅行

(1)この北京・上海旅行の目的は2つ。1つは出版物に掲載するインパクトのある写真の撮影、もう1つは出版に向けての詳細詰めと特約潤色の尹寧、デザイナーの王偉との顔合わせと打合せだ。

(2)北京での撮影は女性のプロカメラマン佐渡多真子によるもの。1日目は北京新超越広告有限公司(陳小東さんの事務所)で、毛丹青との対談風景を、そして2日目は胡同(フートン)で
遊ぶというテーマで東四条で撮影を実施。そして、1日目の対談の写真が、今回の本の2~3頁目に見開きでドーンと飾ることに。

(3)上海文芸出版社での打合せは、8月に開催されるブックフェアへの出品を目指して完成させるという確認となった
(詳細は 第13 北京・上海旅行記(2009(平成21)年3月24日~27日参照)。

                                 2009(平成21)年8月25日記

1日目

1 関西国際空港(10:25発JAL793便)から

           上海浦東国際空港(12:55着)(中国時間11:40着)へ

 大阪の関西国際空港から飛行機が離陸すれば、上海の浦東国際空港まで所要時間は約2時間だから、ベラボウに近い。機内で軽食を食べ、ビールとワインを飲みながら、
馮小剛(フォン・シャオガン)監督の『誠実なおつき合いができる方のみ』をDVDで観ていたが、「飛行機は間もなく着陸態勢に入ります」とのアナウンスのため鑑賞を中止。日本語訳はなく、
中国語のセリフだが、テロップが流れているので私レベルの中国語でもごく一部は理解できる言葉もあった。途中までだったが、評判どおり面白そう。こりゃ、近いうちにきっちり鑑賞しなければ。

2 タクシーでIVY春藤宮ホテル

       (上海静安區膠州路709號200040)へ(12:05~13:00)

 入国手続を終え、空港の外に一歩出るとムチャ暑い(很熱!)。しかも湿気が多いから、ジトーと一気に汗が噴き出てくる感じ。タクシーに乗り込み、毛丹青が上海文芸出版社の夏青根さんに
連絡してみると、上海中心部は今すごい雨が降っているとのこと。タクシーの道は降ってないのにとビックリだが、今回のホテルIVY春藤宮ホテルに着くと道が濡れていたから、
通り雨としてはかなりすごかった様子。

3 夏青根さんがIVYホテルへ本(10冊)を持参

 チェックインして部屋に入り、しばらく待っていると、夏さんができたてホヤホヤの『取景中国』を10冊持参してくれた。ゲラで見ていた時とは全く違う紙質とボリューム感に大満足。
また、美しい写真のレイアウトも最高。「ホントに間に合うんかいナ」と何度も心配したが、はじめて手にとり、自分の目で見る本の完成度の高さに大感激だ。

4 花園ホテル(ホテルオークラ)喫茶室でさまざまな打合せ(15:00~)

 毛丹青にとって今回の上海旅行は、ブックフェアへの参加の他にもいろいろな目的がある。夕食までの間の打合せ場所として毛丹青が選んだのが、花園ホテル(ホテルオークラ)のロビーだが、
そこにまず最初午後4時半頃に登場したのが、日本国家旅游局(JNTO)上海事務所の鈴木克明氏。これは、9月19日に上海久光百貨有限公司で実施される講演会の打合せのため。
これは日本観光庁と日本国家旅游局(JNTO)の主催、上海久光百貨有限公司の協力で、YOKOSO JAPAN大使の毛丹青を招き「日本国家旅游局セミナー『個人間考慮公時代を迎えて』」
と題して行う講演会。ひと言で言えば、観光庁が久光百貨店(そごう百貨店)の協力を得て、中国の富裕層をターゲットとして日本への旅行に興味をもってもらうため、
毛丹青に「日本と私」「私がお薦めしたい日本」「私の見た日本」などのテーマを語ってもらおうというものだ。

 2番目に午後5時頃に登場したのが、上海での毛丹青を密着取材するため北京からやって来た中国中央電視台のディレクターの女性、管海鷹。えらく背の高い美人ディレクターだ。

 続いて3番目午後5時15分頃に登場したのが、08年8月22日~24日の上海旅行でお会いした上海電視台の美人キャスター李蕾。彼女はブックフェア終了後の8月22日、23日の
トーク番組収録の打合せのためにやってきたらしい。

5 TENで夕食(18:30~21:30)

 花園ホテルの喫茶室での顔合わせと打合せが終わると、中国旅行では恒例の(?)夕食会。今日は上海料理のおいしい店「TEN」だが、店内はまるで劇場のような雰囲気で、料理も最高。
参加者は先ほどまで一緒にいた毛丹青、夏青根、管海鷹、李蕾、鈴木克明の他、少し遅れてJR西日本の森原大造が参加。話題はブックフェアの件と毛丹青の密着取材その他いろいろ。
話が盛りあがる中でおいしい料理をたらふく食って大満足。

6 胡蝶蘭でカラオケ(22:00~23:30)

 毛丹青との上海旅行では最終日のカラオケ行きが通例となっていた(?)が、今回は1日目にそれが実現。それは、夕食に合流した森原氏の中国語がかなりのレベルであるうえ、
中国語バージョンのカラオケ大好き人間であるためらしい。毛丹青としても森原氏とゆっくり話ができるのは今晩しかないと考えているうえ、私がカラオケ大好き人間であることは先刻ご承知だから、李蕾や管海鷹たち女性陣と別れた後、私と森原氏、鈴木氏の日本人3人と毛丹青で「軽くカラオケへ」となってしまった。

 着いたのは、上海市長寧路にある「くらぶ NEW 胡蝶蘭」というカラオケ店。ゆったりした贅沢なつくりの個室に案内されるやいなや、早速森原氏の中国語バージョンが炸裂。
もちろん、私も唯一の中国語の持ち歌『月亮代表我的心』から始まる数々の日本の名曲で対抗したから、場が一気に盛りあがったのは言うまでもない。さらにその場では『取景中国』と『シネマ22』が大好評(?)で、サインをねだる女の子たちを前に、鼻の下を長くしながら私もちょっとした有名人気分?もっとも、1日目からハチャメチャ騒ぎとなってしまい、メインのブックフェアの時には
二日酔いという体たらくではサマにならないから、良識ある私たちがこんな楽しいカラオケ大会を早め(?)に切り上げたのは当然。かわいい女の子たちから電話番号の入った名刺を
たくさんもらったが、さて次に連絡できるのはいつのことやら?

7 タクシーでIVYホテルへ

 カラオケ店を出て、森原氏、鈴木氏と別れると、毛丹青と2人でタクシーに乗り真っ直ぐIVYホテルへご帰還。明日に備えてぐっすり眠らなければ。

8 就寝(0:00)

2日目

1 起床(7:00)、朝食(7:30~8:00)

 朝食はIVYホテル内のレストラン「黒鬆餐廳」で。中国風朝食のみで値段は60元。まず最初に出てきたのは、お茶と牛乳そしておかゆと饅頭2個。「えっ、たったこれだけ?」と
思いながらおかゆを食べると、これがメチャうまい。そして約半分食べ終わった頃ラーメンが出てきた。「朝からラーメン?」と思いながら食べてみると、これも美味。
汗を出しながらスープもほとんど飲んでしまうことに。量も十分で、これなら十分満足。

2 毛丹青の部屋で打合せ(9:00~9:50)

 部屋でシャワーをした後、毛丹青の部屋で、彼の著書『にっぽん虫の眼紀行』を使い、パソコンを活用して行っている日本語教育のあり方のシステムについての説明を聞くことに。
ブログへのアクセス数が何百万という人気作家なればこそできるシステムだが、いろいろと工夫を凝らしていることに感心。毛丹青は今年4月から神戸国際大学の教授に就任し、神戸市外国語大学の
客員教授もしているが、こんな教育のやり方をみれば学生の人気が高いことも十分うなずける。それにしても、中国人の日本語学習の意欲がこんなに高いとは?それをあらためて実感。

3 上海展覧中心でのブックフェア(10:20~11:30)へ参加

(1)私は今回のブックフェアについてよく知らなかったが、帰国後見つけたネット情報を適当に引用すると、次のようなものだ。

 世界各国の書籍を集めた「2009上海書展」が8月13日~19日まで上海展覧中心で開催された。今回のブックフェアは、2010年に開催される上海国際博覧会のプレイベントとして
企画されたもので、出展された書籍は10万種類以上、新刊は6万種類。各種イベントは300を超え、過去最高。ブックフェアのメイン会場は「西一館」「東一館」「中央ホール」の3つ。

 「東一館」では上海世紀出版グループの書籍が展示されている。このグループは地元上海のブランドで、上海万博と建国60周年というテーマの本を並べており、鮮やかな赤色を基調にしていて、
一番目を引く。

 「西一館」では7000平方メートルの広いスペースで、「大学出版館」ゾーンと「文芸出版館」ゾーンに分かれている。中でも「大学出版館」ゾーンでは華東師範大学出版社が出色で、
書籍をほぼ半額で購入できるため、大勢の人が詰めかけていた。地元上海のブランドである上海文芸出版社は「文芸出版館」ゾーンのメインで、出版界では大手ブランドであり、
中国人読書家での知名度はかなり高い。今回上海文芸出版社は4000冊以上の書籍を並べている。

 「中央ホール」のメインは、上海ブックフェアの「主賓省」になった江蘇展団で、今回は4000冊あまりの書籍を用意。ベストセラーになったものも多い。

(2)上海展覧中心は、地下鉄二号線「静安駅」から歩いて10分、市中心部を東西に貫く「延安路」沿いにある。10時前に毛丹青と2人でタクシーに乗って会場に到着したが、
関係者以外は入れないため、夏さんが入口まで迎えにきてくれることに。ところが、何せ会場がバカ広いから建物の中に入るまでが大変。「西一館」の中に入りしばらく進むと、
1つのコーナーに私の本のポスターがあり、『取景中国』が平積みになっていたから、まずこれに感激。

 続いて会場を進んでいくと、「等身大」以上の立て看板が立てられているうえ、「《取景中国》簽售曁講座」という看板で私の本の説明会の会場が設営されていたからビックリ。
観客用のイスの数は約40席。ボチボチと人が集まってくる中、夏さんのあいさつの後、毛丹青の通訳によって私の説明会が開始された。

(3)私の説明は、①本書をプロデュースしてくれた毛丹青と精力的な出版活動とすばらしい写真を提供してくれた夏さんへの感謝、②本書誕生までのいきさつ、
③旅行記と映画をミックスさせた本書の狙い、④本書が日中交流と友好に役立つことへの期待などだ。

 この「《取景中国》簽售曁講座」には、毛丹青を密着取材している中国中央電視台のディレクターの管さんも、カメラマンの徐朋さんも同席していたから、その様子はしっかりカメラに
捉えられている。また私が持参したビデオカメラを管さんに任せていたところ、実に見事に撮影してくれていた。ひょっとして、この説明会のシーンも毛丹青の活動紹介の一コマとして
中国中央電視台のテレビで放映されるかも。

(4)説明会が終わると、次はサイン会。講演後のサイン会の風景は何度が見たことがあるが、私自身がこんな大勢の中でサインに応じるのはもちろんはじめての経験。実際にサインしたのは
10名弱だが、これからこんな現場が増えるとなると、しっかりサインの練習もしなければ。ちなみに、「エクスプロア上海」のブログによると、
「16日午後3時から日本の作家渡辺淳一のサイン会、18日午前10時から坂和章平の『中国の情景』サイン会と特別講座がある。中国では有名な作家はスターであり、サイン会は
異常に盛り上がるが、知識や知識人に対する尊敬の念を抱くのは悪くない、これもまた劇的な変化をしている中国のひとつの側面だろう」と書かれていたから、これにもビックリ。

(5)私のブースが終わると、次は華東師範大学出版社の大学出版館ゾーンへ移動。そこには毛丹青の『感悟日本』が展示されており、その前で中国中央電視台の管さんが毛丹青にインタビュー。

4 昼食(11:40~13:40)

 以上でブックフェアの行事が終わると、夏さんの案内で早目の昼食へ。ここではタツノオトシゴやカエルの料理などにはじめてチャレンジ。あっさりとし、適度な歯ごたえのあるカエル料理は
意外に美味で、別の料理法による追加を注文したほど。

 参加者は、私と毛丹青、夏さん、管さん、中国中央電視台のカメラマンの徐朋さん、華東理工大学出版社の蘇靖さんだが、来月9月19日(土)の毛丹青の講演の前日の9月18日(金)に
蘇靖さんの尽力で華東理工大学で『取景中国』を使った講演ができないかを打診。蘇靖さんがそれを検討してくれることになったから、来月の上海旅行も充実したものになりそうだ。

5 タクシーでIVY春藤宮ホテルへ、休憩(14:00~15:00)、

  タクシーで上海文芸出版社へ(15:00~)

 いったんホテルへ戻り、シャワーをしてしばらく休憩。そして上海文芸出版社へ。

6 上海文芸出版社で文芸社グループのトップと会見(15:35~16:20)

 郟宗培さんの肩書は上海文芸出版社総編集、中国微型小説学会会長、世界華文微型小説研究会会長というもの。文芸社グループのトップで、毛丹青とは昵懇の間柄。そんな郟宗培さんに
毛丹青が会いに行ったのは、明日上海文芸出版社のロビーで対談風景を撮影することの許可を求めるため。もちろんそれはすぐにオーケーとなったが、そこでの毛丹青と郟宗培さんとの話の様子も、
管さんのカメラはバッチリ撮影。明日のインタビューは私も受けるらしいが、さてどうなることやら。

7 出版社近くの喫茶店で打合せ(16:20~17:30)

 夕食までしばらく時間があるため、上海文芸出版社のすぐ近くの喫茶店へ入り、私と毛丹青、管さん、徐明さんの4人で話し合い。といっても、私が入り込める場面はいつも少ししかないが、
ここでは管さんからちょっと真面目な質問がなされ、毛丹青の通訳によって私もそれに真剣に答えたから、「やはりこの人は真面目な弁護士なんだ」ということが管さんにもわかってもらえたよう。
なぜ中国旅行に行くのか?なぜ中国映画を観るのか?なぜこんな本をつくろうと考えたのか?等々私の熱い思いを語っていくことに。すると、それをそのまま明日のインタビューでやってくれれば
オーケーとのこと。たまには大人数の会食ではなく、少人数でじっくり話し込むことも大切だと実感。

8 老洋房で夕食(18:30~21:00)

 今日の夕食は、既に何度も来たことのある上海文芸出版社の近くにある「老洋房」。私と毛丹青、管さん、徐朋さんの4人に夏さん、そして少し遅れて小学館の森岡正樹さん(とその彼女)が
合流し、例によって楽しい会食に。それにしても、お昼にあれほどビールを飲みながらたらふくおいしい上海料理を食べたのに、夕食もまたこんな豪勢な料理を腹いっぱい食べられるから
不思議なものだ。

9 夏さんの車でホテルへ

 夏さんの車のトランクには見本用で私に渡す『取景中国』が40冊入っている。それを受け取るため夏さんの車でホテルへ。上海滞在中に何冊かは手渡しすることになるが、
20冊程度は日本に持って帰らなければ。

10 ホテルから徒歩で上島コーヒーへ(22:00~0:00)

 場所をかえて飲みながら話そうということになり、毛丹青が呼び出したのが上海博報堂広告有限公司の松浦良高氏。外へ出てブラブラ歩いていて見つけたのが上島コーヒーだが、入ってみて
ビックリ。中国はカラオケの規模も大きいが、喫茶店の規模も大きい。4~5人でゆっくり話したいと言うと、立派な個室に案内してくれたうえ、そこにはワインのボトルが。そこで毛丹青が
頼んだのは、ウイスキーのボトル。「喫茶店でウイスキーとはこれいかに?」と言いながら、結局私と毛丹青、松浦氏、森岡氏による2時間弱の話し合いの中で1本空けてしまうことに。

 松浦氏は『新・中国若者マーケット ターゲットは80后(バーリンホウ)』を08年12月に出版したが、毛丹青のプロデュースでその中国語版の出版を狙っているらしい。
「80后(バーリンホウ)」という言葉はすっかり定着しているが、さて博報堂の広告マンの目で見た「バーリンホウ」の中国語版の成否は?

11 ホテルへ、就寝(0:30)

 4人でボトルを1本空けてしまったから、さすがに少し酔っぱらい気味。明日の午前中は少しゆっくりして酔いをさまさなければ。

3日目

1 起床(8:30)

 普段は7時頃の起床だが、昨日の酒が残っているうえ、午前中の予定がないので、8時半頃起床。

2 ホテルの近くを散歩(約30分)

(1)二日酔い気味であるうえ、今日も昼食・夕食とごちそうが待ち受けているから、朝食を抜こうと決心。ホントは足ツボマッサージを受けたいところだが、朝から営業しているところはないし、
フィットネスクラブもないから、それに代わるものとして散歩に出ようと決心。外は湿気を含むすごい暑さ。それを覚悟でカメラを持って上海の朝のまちへゴー。

(2)ホテル周辺は朝から人通りが多い。その特徴は移動する人たちだけでなく、生活している人が多いこと。揚げパンや饅頭などの朝食を買うため並ぶ人や、市場の中で買い物をする人たちで
いっぱい。広い大きな歩道をパンツ1枚の姿で歩いているおじさんもいる。中国語会話で果物類は1斤いくらで買うことを習ったが、果物の値段表示を見てなるほどと納得。
市場では珍しい魚や野菜もいっぱいで、活力に満ち溢れている。

 ホテルでの朝食を抜いたから、揚げパンの1つでも買って食べようかナと思ったが、衛生面を考えて断念。約30分早足で歩いたが、それだけでどっと汗が出てきた。早く部屋でシャワーをし、
同時に酒を抜いてしまおう。

3 ホテルでシャワー、メモの整理(10:00~11:00)

 部屋に戻りシャワーをして、やっとスッキリ状態に。そして、頭の冴えた状態で、1日目、2日目の行動についてのメモを整理。

4 タクシーで老洋房へ(11:10~)

 今日は毛丹青の友人である上海総領事館の人と会い、昼食を共にする予定。早く着いたため、とりあえずお茶を注文。午後2時からは毛丹青が上海文芸出版社内で管さんのインタビューを
受ける予定なので、昼食はアルコール抜き。お茶を飲みながら20分ほど待っていると、上海総領事館領事の山本隆裕氏と上海総領事館副領事の大塚恵氏が到着。大塚氏は09年8月末で
北京大使館へ転勤するとのことだ。

5 昼食(11:30~13:50)

 数年前に行われた南京での講演会に毛丹青と大塚氏が一緒に行った時の話などで盛りあがるとともに、それ以降南京で始まったジャパンウィークで毛丹青の日本語教育についての講演を
新たに企画するなどが話し合われた。

 ちなみに、2人とも『取景中国』に興味を示されたので、私の『シネマルーム』1~22寄贈の話を切り出すと、総領事館(の資料室?)に1冊ずつ置いてくれるとのこと。
日本に帰れば早速送らなければ。

6 上海文芸出版社でインタビュー(14:00~17:00)

 今日は午後2時から上海文芸出版社で2台のカメラを入れて、中国中央電視台の管さんと毛丹青とのインタビュー風景を撮る予定。2時前に到着すると既にカメラのセットがほぼ終わっていたが、
毛丹青の前にまず私を少しインタビューすることに。そのため持参した私のビデオカメラもセットして管さんのインタビューを受けたが、その話題は毛丹青と『取景中国』出版との関係。
毛丹青の通訳を入れてのインタビューは約5分。多分実際には編集段階でカットされるだろうが、ひょっとしてほんの1シーンだけでも中国中央電視台のテレビに私の姿が映るかも。

 続いて本番の毛丹青のインタビューとなったが、これが予想以上に長く、2時間以上に及んだ。奥さんが毛丹青を支えて頑張ってくれた時代の思い出話になると、つい熱くなり感傷的に語ったと
あとで毛丹青は言っていたが、中国語の会話だからそのほとんどは私には理解不能。しかし、これだけ長時間インタビューをするというのはよほど力を入れている証拠だから、その放映が楽しみだ。

7 毛さんのいとこの家で取材(18:00着)、撮影(18:00~18:30)

(1)今回の上海旅行では、毛丹青の親族関係について詳しい話を聞いた。毛丹青の両親の話は以前に聞いていたが、毛丹青の母親の兄弟や母親の父親の兄弟、そしてその子供や孫たちの話を、
今回は私が家系図をメモしながら聞くことに。そんな彼の一族は上海に40人以上住んでおり、とりわけ20歳代の若者が10人くらいいるとのこと。彼らはすべて一人っ子だが、大学を卒業し
各国への留学を希望しているらしい。彼らにしてみれば、毛丹青はいわば一族の出世頭で、憧れの存在ということになる。そして、今回そのうちの1人がオーストラリアへの留学が決まったため、
一族が集まって送別会をやるとのこと。

(2)そんな話を、毛丹青の密着取材をしているディレクターの管さんが見逃すはずがない。そこで急遽企画されたのが、一族が集まるマンションでの毛丹青を中心とした送別会風景の撮影だ。
急に夕立ちが降り始めたのでタクシーが拾えず、夏さんの車で送ってもらって到着したのは、立派な高層マンションの14階の部屋。靴のまま入ったのには驚いたが、部屋の中には約40人が集まり、
口々に毛丹青を歓迎。そして、テーブルに座って乾杯する姿を徐朋さんのカメラはしっかりと撮影。私はこのままこの部屋で食事会をするものと思っていたがそうではなく、
食事会は別のレストランでやるらしい。管さんと徐朋さんはここで別れ、私だけ大家族の食事会に参加することに。

8 家族での食事会へ(19:00~20:30)、

  坂和途中退座、若者の車でホテルへ(20:30~)

(1)送別会のための一家水入らずの食事会だから、私はあまり長居するつもりはなかったが、毛丹青のテーブルに集まった若者たちに名刺を配り、『取景中国』を見せると、若者たちは興味津々。
中でも日本語の勉強をしているという1人の女の子はかなり話が通じたので、私の片コトの中国語も交えながら、束の間の日中交流を楽しんだ。

(2)約1時間一緒に食べた後、私はお暇することになったが、ホテルまで送ってくれたのは、話が弾んでいた3人の若者たち。別れる前にエレベーター前で写真を撮り、車の中でも片コトの日本語と中国語でいろいろと話し合った。レストランへ案内してくれる時に、車の中でかけていたCDは日本のアニメソングだったから、中国の若者が日本に興味を持っていることはまちがいなし。

 それにしても、すべて一人っ子という20歳代の若者が1人ひとりしっかりした目標を持って留学を決め、毛丹青や私の話に目を輝かせて聞いている姿を見ると、
彼らの前途は洋々たるものだと確信。

9 ホテル着(21:00)

10 足ツボマッサージ(22:00~23:00)

(1)昨日ホテルから上島コーヒーまで歩いていく途中、足ツボマッサージの店がいくつもあったので、今日は絶対行くつもり。しかし、ホテルのフロントでいい店を聞いた方がベターだと思って
尋ねると、その方向とは違う店を教えてくれたので散歩を兼ねて歩いて行ったが、10分近く歩いても見当たらない。そこでフロントの人が書いてくれたメモを渡して尋ねると、何と方向が反対
らしい。仕方なくバックして、また10分以上歩いたがその店は見つからず、再度尋ねると、また方向が全然違うらしい。こりゃ一体どうなっているの?これ以上歩いていると遅くなってしまうので、仕方なく昨日当たりをつけておいた店に行き、料金表を見ると足ツボマッサージ60分40元と表示されているから、こりゃ安心。さっそくお願いし、部屋に案内されたが・・・。

(2)靴と靴下を脱ぎ、薬湯の入った桶で足を洗い、肩をマッサージしてもらうのはいつものとおりだったが、その後なかなかマッサージ嬢が登場しない。そのかわりに(?)店のママが登場し
何やら話しかけてくるが、残念ながら全然通じない。ただ、「しばらくテレビを観ていろ」と言っているらしいことはわかったので、テレビを観ながら待っていたが、いたずらに時間が経つばかり。
そこでフロントまで行って「どうしたのか?」と聞くと、さっきと同じ答え。結局、マッサージ嬢の数が足りなかったらしく、足ツボマッサージが始まったのは10時近くになってから。
しかも、彼女の指の力が弱いからあまり効き目なし。

 このように今日の足ツボマッサージはイマイチだったが、それでも40元でこれだけ元気が回復すれば安いもの。あとはホテル近くのコンビニでお茶と缶ビールを購入し、
シャワーした後缶ビールを飲んでぐっすり眠ろう。

11 就寝(0:30)

4日目

1 起床(7:00)、朝食(7:30~8:00)

 昨日の足ツボマッサージのおかげか、ぐっすりと眠り朝7時に起床。1日目と同じ、おかゆ、饅頭、ラーメンのおいしい朝食を食べていると毛丹青が合流し、昨日の家族の集まりの様子を聞く。
私と話した若者たちはその後大変興奮しながら、私との会話を毛丹青に報告したとのことだ。

2 シャワー、メモづくり

 部屋に戻り、シャワーをし、荷物を整理し、メモづくりをしているとすぐにチェックアウトの時間が近づいてきた。毛丹青がこれから上海・北京で関係者に渡す『取景中国』を10冊渡し、
20冊を私のトランクに入れたが、ズッシリと重い。等身大のパネルはうまくパッケージされているから手提げで持って帰れるが、これを坂和事務所の応接室に置いたらかなりデカイはず。
依頼者はみんなビックリするのでは?

3 チェックアウト(9:50)

 今回のホテルは映画館だった建物を改装したという3階建ての建物で、前回泊まった超豪華な上海千禧海鴎大酒店とは全然雰囲気が違ったが、部屋は立派なもの。ただ、てっきりタダだと思って
3日目に飲んだミネラルウォーターが1本30元と書いてあったのにはビックリ。料金は夏さんの計らいで1人分はフリーにしてもらえると聞いていたが、今回は何とすべてフリー。
夏さんありがとう。

4 夏さんの車で上海浦東国際空港へ(10:00~11:30)

 平日の10時、車での出発なので混み具合を心配していたが、案の定市内は結構混んでいる。また高速に入ってからもところどころで渋滞があり時間的に心配したが、
11時半にはきっちり上海浦東国際空港に到着。

 驚いたのは、空港近くで大規模な道路工事をやっていたこと。これは2010年の上海万博に向けた工事らしいが、こんな突貫工事で完成させるわけだ。
さらに空港のターミナルも拡張しているらしいから、上海の拡大ぶりにあらためてビックリ。空港に着き、トランクから荷物を降ろしたところで、毛丹青と夏さんの2人にお別れ。
あとは、しっかり1人で搭乗手続と出国手続をやらなければ。

5 上海浦東国際空港(13:25発JAL794便)から

              関西国際空港(15:35着)(日本時間16:45)へ

(1)上海浦東国際空港では日本航空は一番端っこの場所に位置しているが、それは何を象徴?それはともかく、勝手知ったる上海浦東国際空港だから、搭乗手続、出国手続はお手のもので、
早々に搭乗ゲートに到着。


(2)搭乗までの待ちの間にするべきことは、缶ビールを飲みながら『取景中国』をじっくり読み込むこと。レストランに入ると缶ビールが18元、売店などで買うと10元だが、
今回はじめて発見したのは自動販売機なら7元だということ。

 そこではじめて自動販売機で青島啤酒を7元で買おうと思ったが、あいにく1元コインを7枚も持っていない。きっと紙幣も使えるだろうと思って調べてみると、10元と5元紙幣はオーケー
と書いてある。そこで10元紙幣を入れてスイッチを押すと、見事に青島啤酒と3元のおつりが出てきたから大感激。日本人の俺だって中国の自動販売機を使って7元の青島啤酒を購入できたことの
記念を残すため、自動販売機を写真撮影。そんなビールを飲みながらの約1時間に及ぶ『取景中国』の読み込み作業が、充実した時間となったことは言うまでもない。

6 むさぼるように新聞とビール・ワインを

 搭乗手続は時間どおりだったので、座席に着くやいなや日経、朝日、産経とスポーツ新聞をもらってむさぼるように読んでいたが、出発が混んでいるらしく飛行機はなかなか離陸しない。
予定どおりであれば離陸後約2時間で関西国際空港に到着するわけだが、その間の最大の楽しみは食事を食べ、ビール・ワインをたらふく飲むこと。昔はこんなに飲んでいなかったと思うのだが、
最近は飛行機の中ではとにかくたらふく飲むことが最大の楽しみとなっている。結局この日は缶ビール3本とワイン2本を、途中1回のトイレを含んで飲んだが、着陸態勢に入ったとのアナウンスを
聞いて目をつぶっていると、ほどなく到着。

 今回も充実した上海旅行ができたことに感謝し、電車の中で酔いをさまし、事務所に戻ったらひと頑張りしなければ。

 上海旅行記・・・(2009(平成21)年9月17日~9月20日)

[今回の上海旅行の動機]

 2009年8月17日~20日の毛丹青と2人での上海旅行の主目的は、上海展覧中心で開催されているブックフェアに、8月18日の午前中に参加すること。つまり、中国語で出版された私の
『取景中国』の説明会とサイン会に出席することだった。これに対し、その1カ月後の9月17日~20日に実施した、私と家内そして女性事務員と友人男性計4人による、往復の飛行機と
ホテルのみがセットされた42800円のツアーによる今回の上海旅行の目的は、第1に9月19日(土)に静安区にある久光百貨店で開催される毛丹青の講演会に出席すること。
第2に9月18日(金)午前中にセットされた華東理工大学外国語学院の授業での毛丹青と私の対談に出席し、学生たちに『取景中国』出版の意義を講義すること。さらに第3の目的は、
08年8月22日~24日の上海旅行で毛丹青と視察に行った上海書城で、『取景中国』がいかに販売されているかを自分の目で確かめること。
まさか1階の最も目立つ場所に平積みにされていることはないだろうが、どこで、どのような形で置かれているのか、興味津々だ。

 おっと、もう1つ第4の目的があった。それは4人のツアー旅行にしたことと密接な関係があるが、『取景中国』をトランクに詰めて計100冊を日本へ持ち帰ること。郵送すれば費用が
かかるから、そんなセコいことも4つ目の目的としたわけだ。予定された毛さんとのイベントとそれに関連する昼食会や夕食会が優先だが、毛さんが別行動の時は私たち4人が独自に企画した
上海観光にも出かけなければ。その予定は、①豫園、②上海のメイン道路である南京東路の散策、③魯迅記念館や魯迅公園の見学など。さて、今回の3泊4日の旅はいかなる珍道中に?

                                               以上

                                 2009(平成21)年9月24日記

1日目

1 関西国際空港(10:00発ANA0155便)から

           上海浦東国際空港(12:15着)(中国時間11:15着)へ

2 ホリデーインダウンタウン上海(上海広場長城假日酒店)へ(11:30~14:00)

 お迎えのJTBの若い男性ガイドと合流し、JTBのバスに乗って上海浦東国際空港からホテルへ。ツアー参加者は私たち4人の他、2人+3人の計3組。ガイドの案内を聞きながらバスの中で
ひと眠りしていると先にインターコンチネンタルホテルに到着。そこで3人の客が降りたが、そこでしばらく車が動けず立ち往生となった後、ガイドとバスの中でいろいろと話が弾んだ。
そのきっかけは、果敢な私の中国語会話へのチャレンジとガイドの出身が南京だったこと。そのため、南京出身の作家蘇童(スー・トン)の話題で盛り上がり、毛丹青の話や私の『シネマルーム』
の話、そして『取景中国』の話がひととおり展開されることになったわけだ。そこで、14時にホリデーインダウンタウン上海(上海広場長城假日酒店)に到着するや否や、
トランクの中から『シネマ5』と『シネマ17』そして最新の『シネマ22』を1冊ずつ取り出して彼に贈呈。これによって、彼の口から少しでも『シネマ5』や『シネマ17』の話や
『取景中国』の話題が旅行者に広がればラッキー。

3 地下鉄1号線で上海火車駅から人民広場駅へ(14:20~)

 日本はさわやかな秋の到来を思わせる快晴だったのに、ホテルのチェックインを済ませ、上海観光に出かけようとした途端、あいにく雨が。こりゃ晴れ男である私の旅行では珍しい現象だが、
どうせたいした雨ではないだろうと、傘を持って上海博物館へ出かけることに。

 タクシーで行ってもいいのだが、ダウンタウンホテルは地下鉄1号線上海火車駅のすぐ前にあるから、地下鉄で行ってみようと考え、4人で地下鉄乗り場へ。運賃は1人3元。最初は5元札、
10元札を入れて切符を買おうとしたが、なかなか自動販売機が作動してくれない。そこで1元コインを3枚入れてみると大成功。やはり、紙幣は折れ曲がったりしていて反応が鈍いことが
あるらしい。また上海の地下鉄の切符は日本のような使い捨てのチャチなものではなく、1枚のカードになっている。3元でこれを購入して入場し、出場する時に回収されるわけだが、
1枚のカードが何十回も何百回も使われるから、中には磁気の調子が悪いものが出てきても不思議ではない。そのため、人民広場駅で出る時、約1名が少し機械とのトラブルに巻き込まれることに。

4 地下鉄から地上に出て、上海博物館に入るまで

 上海博物館は、09年3月24日~27日の北京・上海旅行で『取景中国』を潤色してくれたかわいい女の子の尹寧さんと2人で見学したところ。しかし、あの時は地下鉄1号線の陜西南路駅から
黄陂南路駅を経て人民広場駅まで行ったものの、チケットの購入から道案内まですべて尹寧さんにしてもらったから、自力で動くのは今回がはじめて。まずは地図を見て、どの出口から地上に出て、
どう歩くかが問題だが、これはバッチリ大成功。と思ったが、残念ながら私が3人を導いたのは、上海博物館の入口ではなく出口側だった。そこからは入らせてもらえないため、
大きな博物館の周りを雨の中半周歩いてやっと入口へ。ところがここでまたトラブルに。

 上海博物館は2008年3月10日から無料にされたため入場者が多くなり、入口で並ぶことも多いらしい。前回もそうだったが、今回の入口には少し行列が。入口は左右に1つずつあるが、
並んでいない右側からは職員らしき人が入っていった。そこで私たちは真面目に左側の入口で並んでいると、なぜか右側にも多くの人が並び始めた。そんな中で聞こえてきたのは、左側の入口は
どうも団体用らしいが、ガイドがついてないないと入場できないらしいということ。私たちはその場で知り合った若い男女ペアと計6人のツアーだと説明し、JTBの案内状を見せたが、
無情にも私たちの目の前でロープが張られてシャットアウト。何を言ってもダメで、反対側へ回れの一辺倒だ。そこで仕方なく再度右側の列の最後尾に並んでやっと入れたが、
その間約15分のロスとなった。さらに、やっと入れた後は手荷物検査と煩わしい。このように30分間のドタバタ劇の末、やっと15時過ぎから見学できることに。
入場は16時まで、閉館は17時だから、約2時間しっかり見学しなければ。

5 上海博物館から上海書城まで

 約2時間かけてタップリと上海博物館を見学した後、次の目的地は上海書城。地図によれば徒歩10分程度だから周りを見学しながらブラブラ歩けばいいのだが、雨が降っているのがうっとうしい。そのため、傘の下で身をすぼめながら、ひたすら目的地に向けてスタスタ歩いていくことに。ちなみに、博物館を出て地下鉄人民広場駅まで戻り、人民広場の東側を南北に走る西蔵中路を
地下道で渡る時、ひと休みを兼ねて入ったのが老淑冷面来富士店。お菓子やラーメン、串などいろいろな料理がオープン形式で並んでいたため、おいしそうな串を6本購入しイスに座って食べたが、
味はまずまず。約15分間の休憩を経て、東側の地上に出れば後は最短距離で約5分歩けば、目的の上海書城へ。

6 上海書城で『取景中国』をリサーチ(17:40~18:10)

 上海書城に到着し、まずは1階の旅行本の周りをあれこれと探したが、『取景中国』の平積みはなし。そこで店員に『取景中国』とその著者の名前、すなわち坂和章平と書いて
「この本はどこに置いてあるか?」と中国語で質問すると、「しばらく待て」と言ってパソコンで調べてくれた。そして出された回答は「7階にある」とのこと。こりゃひょっとして、
前回毛さんと一緒に行った映画関係のコーナーに置かれているのでは?もしそうだとすると、映画本ではあまりに趣味的になり狭いコーナーに置かれてしまう、その点旅行本にすれば
もっといい売り場に置いてもらえるはずだ、との読みが狂ったことに。そう心配しながらエスカレーターで7階まで上り、映画関連本のコーナーをざっと探したが見つからないため、
ここでも店員に『取景中国』の本はどこにあるかと聞いていると、「あった、あった」の声が、あの映画関連本のコーナーから。なるほど、そこにはたしかに『取景中国』の本が1冊だけ
並べられていた。これでは1階の目立つコーナーに平積み状態という期待とは大違い。そう思いつつ、私の友人がお土産として3冊購入したいと申し出ると、在庫を確認に行った店員が
4冊手に持ってきてくれたからひと安心。『取景中国』を手にとり、自分がこの本の著者だと説明し、写真撮影をしながら、今後はもっと目立つ場所に置いてくれるよう要望。
そんな要望を聞いてくれるのかどうかはわからないが、同じ本が3冊も売れたのだから、以降ひょっとして上海書城も『取景中国』の販売に熱心になるのでは?

7 南京東路の散策と外灘の散策(?)

 上海書城のある福州路のすぐ北側を走っているのが人民広場と外灘を結ぶメインストリートである南京東路。道頓堀通りの5倍はあろうかという、まるで御堂筋のような幅広い道路はすべて
人間の歩行路だ。そしてその両側には、きらびやかな超高層ビルが立ち並んでいる。さらに、歩行路にはトロリーバスのような乗り物も。私はここを何回か歩いたが家内ははじめてだし、
友人の男性もはじめてとのこと。この南京東路を真っ直ぐ東に抜けると、あの夜景が美しい上海一の観光地、外灘。ところが、どこか様子がおかしい。最初のツアーでの上海見学の際は、観光バスで
外灘見学をした後、そのままネオンきらめく南京東路の見学に入ったはずだが、今日は外灘に近づいてもあのきらびやかなネオンがない。それどころか、南京東路から外灘に行くまでの道は
工事中ばかりだ。やっと黄浦江の西側に着いたが、いつも観光客であふれかえっているはずの中山東一路は全体が工事中のため、一切観光できないことがやっと判明。ちなみに、黄浦江の地下を
西側から東側に渡るバンド観光隧道(トンネル)の前まで行ったが、これを渡っても帰りがまたどうなるかわからないため、それも断念。

 時間も既に19時を過ぎているからタクシーでいったんホテルへ戻り、ホテルの近くで夕食にしようということになったが、ここで上海というまちはそれほど甘くない現実を思い知らされることに。それは、上海では雨の中、夕刻ともなればタクシーはちょっとやそっとのことでは拾えないという現実だ。約10分ほどあちこちでタクシーを拾おうと努力したが、結局無駄なことを悟った私たちは、また南京東路を西へ歩き、結局南京東路駅から地下鉄に乗って、上海火車駅まで戻ることに。

8 太平洋百貨店3階のレストランで夕食(20:20~21:00)

 地下鉄に乗ればこんなに速く楽にホテルへ帰れるのなら、最初から雨の中でタクシーをあてにしなければよかったと思いつつ、心は既に夕食の楽しみに。上海では豪華な会食に馴れているうえ、
明日も明後日もきっとそうなりそう。そこで今日はグループ4人だけということもあり、近くの安くておいしい店で軽く済まそうということになった。そこで、ホテルの入口でたまたま出会った
中国人のガイドに尋ねると、このホテル2階の中華料理がいいとのこと。そりゃそうかもしれないが、それでは全然冒険にならず面白くないため、さらに「安くておいしい店は近くにないか?」
と聞くと、歩道橋の向こう側にネオンが見える太平洋百貨店の中華料理がいいとのこと。

 そこで部屋に入らず、そのまますぐに出かけて行ったのだが、そこはいわゆる百貨店内にあるファミリーレストラン風の店。イタリアンの店が2階にあり、中華風、日本風、西欧風と
何でもありの店が3階に。ウインドー内のサンプルを見るとどの品も値段が30元~40元だから、高級レストランでないことは明らか。そこでどうしようかと迷っていると、
店員がメニューを持って親切に案内してくれたから、それにつられて店内に入ることに。私たち4人が注文したのが、ピザ、野菜サラダ、温野菜と海鮮入りスープ、パスタ、オレンジジュースなどで、勘定すると合計150元。つまり約2250円だから、バカ安。酒の入っていない約40分間の豪華なディナー(?)が終わると、途中にあったコンビニでビール
(サントリービールを1缶3.5元で)や烏龍茶を購入し、ホテルへ。本来ならここから足ツボマッサージへ出かけるところだが、どうも上海火車駅近くには歩いて行ける範囲内にその手の店は
ないらしい。そこで今日はそれを諦め、シャワーをして、ビールを飲んでベッドに入ることに。

 明日は毛さんと9時にホテルのロビーで待ち合わせて、一緒に華東理工大学へ行く予定。特に何も予習していないが、毛さんとの対談はきっとアドリブで大丈夫。
上海到着後ずっと歩きづめだったから、今夜はぐっすり眠れることだろう。

9 シャワー・就寝(23:30)

2日目

1 起床(6:30)、朝食(7:00~7:40)

2 毛丹青と合流、タクシーで華東理工大学へ(9:00~9:30)

 最初の予定では、毛さんも9月17日は私たちと同じホテルに泊まり、朝一緒に華東理工大学へ行く予定だったが、毛さんに直前に急遽杭州での講演会が入ったため、予定を変更。
つまり毛さんは上海への帰りが夜遅くなるため、私たちと同じホテルになるかどうかもわからず、とにかく9月18日の朝9時にホテルのフロントに迎えに来ることに変更された。
そこで私は早い目の8時45分頃フロントに降りていこうとすると、毛さんからケータイに電話があり、今1階の喫茶室でコーヒーを飲んでいるとのこと。

 そこで無事落ち合い、一緒にタクシーで行くこととになったのだが、我々4人+毛さんで計5人になるため、タクシーは2台必要。そこで毛さんがホテルにワゴン車を出してくれと交渉したが、
ダメだったらしい。タクシー待ちの客が多いうえ、時間が迫っているため、とりあえず1台目のタクシーに私と毛さんそしてビデオ要員・カメラ要員の妻と女性事務員の4人が乗り込み、
男性の友人は後から1人でタクシーで行くことに。ホテルから華東理工大学までは約30分で、タクシー代は57元。何とか予定どおり9時30分に大学前に到着し、今回の対談をセットしてくれた
華東理工大学の蘇靖さんのお迎えを受けて外国語学院の棟に入り、先生たちと名刺交換。そこで約10分ほど話しながら休憩した後、いよいよ毛さん、蘇靖さんらとともに302号教室へ。
広い階段教室の中には約90名の学生が前の列から順番に座っていた。ビデオのセットもオーケー。学生たちには『取景中国』が1冊ずつ配られ、いよいよ講義開始。
まずは毛さんからの全般的な紹介だが、さて90分の対談はどんな要領で?

3 華東理工大学外国語学院で毛丹青と対談(10:00~11:30)

 まずは日本人の私がなぜ中国旅行の魅力と中国映画の魅力にハマり、それを中国語で伝えたいと思ったのか、そしてその思いが『取景中国』出版のキッカケとなったことを学生諸君に説明。
その後は、毛さんからの話題提供を受けて、それに私が答える形で対談が進行した。

 第1の話題提供のテーマは変わり者。つまり、毛さんも自分が変わり者だと自覚していることを告白(?)した後、私と意気が合ったのは私も変わり者だと思ったからというもの。それに対して
私は、時代を切りひらき、状況を変えていくのは変わり者だということを、日本最大の変わり者織田信長と中国人の多くが嫌っているであろう変わり者小泉純一郎元総理の例を挙げて回答した。

 第2の話題提供は、中国でバスの美人車掌がインターネット上で大きな話題となり、そのバスに多くの客が押しかけてきたため、その車掌さんは病気で欠勤することになってしまったという最近の
ニュースに関するもの。つまり、そんな風潮をどう思うかというものだ。それに対して私は、まずその問題のポイントは自分の判断力を持たないままマスコミ報道に乗ってしまう現代人の危うさであると指摘した。そのうえで、日本では近時競争を避け弱者や敗者に対してあまりにも優しい姿勢が問題だと指摘した。たとえば、小学校の運動会における駆けっこでは1等賞、2等賞、3等賞、4等賞と順位をつけることは差別に通じるため、それを避けてみんな仲良く手をつないでゴールインとされていることを話すと、学生たちは一斉に怪訝な顔を。さあ、学生たちは話に乗ってきた、
そう直感した私の口はその後ますます舌好調に。

4 対談終了後のサイン会(11:30~12:00)

 そんな少し型破りな対談が90分で終わると、あとはサイン会。8月18日の上海ブックフェアでは10名弱の人にサインをしたが、今回は学生たちに『取景中国』をプレゼントしたこともあり、
半分以上の学生がサインを求めて並んできたから大変。最初はいつも通り「弁護士坂和章平 2009.9.18」と書いていたが、それではとても捌けないため途中から「弁護士坂和章平」だけに
省略。それでも約50名にサインすると、さすがにグッタリ。これから更にサインを求められるようになるのなら、少しマシな字で少しマシなサインができるように工夫しなければ。

5 「金沙漁港」で昼食(12:50~13:50)

 対談終了後、華東理工大学を出て蘇靖さんの案内で5分ほど歩き、レストラン「金沙漁港」へ。華東理工大学の周りには中学校や高校が多いようで、昼食時だったこともあり、
通り道に並ぶ食堂には中・高校生たちがいっぱい。何とも活気ある雰囲気にビックリしながら、「金沙漁港」では個室に入ってゆっくりと。

 この店は1階にさまざまなメニューが並べられており、客が自分の好みでそれを選ぶと個室まで運んでくれるという珍しいシステムらしい。メニューの選択は女性陣にまかせ、私と毛さんは
もっぱらビールの飲み役と食べ役そしてしゃべり役に徹することに。ちなみに、この場で話題となったのは、蘇靖さんが10月に新婚旅行で日本を訪れるということ。
日本への個人旅行が解禁になったが、招聘状のサインが必要とのことで私に依頼された。それにはもちろんオーケーと答えたが、大阪も訪れるそうなので、蘇靖さんの好物のいなり寿司、のりまき、
刺身、天ぷらのおいしい店を確認しておかなければ。

6 タクシーでホテルへ(タクシー代64元)(14:00~14:30)

 これにて今日のメインの仕事は終わり。あとは明日の毛さんの講演会の会場となっている久光百貨店内のレストランでの夜の会食に出席するだけ。そう思っていると、
毛さんから重大な仕事を仰せつかることに。それは、とりあえず10冊の『取景中国』に私のサインを宛名入りで書いてくれということだが、さてその宛名とは?

 こりゃ気持ちを集中してやる必要あり、ということになったため、ひとまずホテルに戻ってその作業をすることに。ちなみに久光百貨店からホテルまでのタクシー代は64元。

7 ホテル内でサインした10名とは?(14:30~15:30)

 『取景中国』の2~3頁には、私と毛丹青の対談風景の写真が見開きで掲載されているが、『取景中国』を手にとってパラパラとめくってみれば、まずこれが目に入るはずだ。
これを撮影したのは、張藝謀(チャン・イーモウ)監督作品の知恵袋となっている陳小東さんの事務所である北京新超越広告有限公司。つまり、張藝謀監督と縁の深いスタジオだ。

 そこで毛さんがたてた戦略の1つが、『取景中国』に私のサインをして、毛さんあるいは陳小東さんを通じて、張藝謀監督ら『取景中国』で取り上げた映画監督や俳優らに直接手渡すこと。
そこで、毛さんが当面の10冊としてリストアップしたのが次の10名。その名前を見ただけで私がこりゃ大変な仕事と思ったのは当然だ。この10名はいずれ劣らぬ中国を代表する監督や俳優だが、念のため少し彼らの作品を紹介しておこう。

張藝謀(チャン・イーモウ)監督

 1950年西安生まれ。北京電影学院撮影学科卒業。

 『紅いコーリャン』(87年)、『紅夢』(91年)、『あの子を探して』(99年)、『初恋のきた道』(00年)、『至福のとき』(02年)(しあわせ3部作)、
『HERO(英雄)』(02年)、『LOVERS(十面埋伏)』(04年)など。2008年8月8日北京オリンピックの開会式を演出。

田壮壮(ティエン・チュアンチュアン)監督

 1952年北京生まれ。北京電影学院監督科卒業。

 『青い凧』(93年)、『春の惑い』(02年)、『呉清源 極みの棋譜』(06年)など。

霍建起(フォ・ジェンチイ)監督

 1958年北京生まれ。北京電影学院美術学部卒業。

 『山の郵便配達』(99年)、『ションヤンの酒家』(02年)『故郷の香り』(03年)、『初恋の想い出』(05年)など。

何平(フー・ピン)監督

 1957年山西省生まれ。

 『哀憐花火』(93年)、『ヘブン・アンド・アース』(03年)など。

顧長衛(クー・チャンウェイ)監督

 1957年陝西省西安生まれ。北京電影学院撮影学科卒業。

 『紅いコーリャン』(87年)、『さらば、わが愛/覇王別姫』(93年)撮影監督作品

 『孔雀 我が家の風景』(05年)で監督デビュー。

姜文(チアン・ウェン)

 1963年河北省唐山生まれ。俳優。

 『紅いコーリャン』(87年)、『宋家の三姉妹』(97年)、『ミッシング・ガン』(01年)、『ヘブン・アンド・アース』(03年)、『ジャスミンの花開く』(04年)など。
『ヘブン・アンド・アース』では中井貴一と共演。

章子怡(チャン・ツィイー)

 1979年北京生まれ。女優。

 『初恋のきた道』(00年)でデビュー。『グリーン・デスティニー』(00年)、『ジャスミンの花開く』(04年)、『女帝 エンペラー』(06年)、『花の生涯~梅蘭芳』(08年)など。アジエンスのCMなどでアジアンビューティーの代表となる。

寧静(ニン・チン)

 1972年貴州省貴陽生まれ。女優。

 『哀憐花火』(93年)、『ミッシング・ガン』(01年)など。

徐静蕾(シュー・ジンレイ)

 1974年北京生まれ。北京電影学院卒業。女優、女性監督。

 『最後の恋、初めての恋』(03年)、『我愛你(ウォ・アイ・ニー)』(03年)、『傷だらけの男たち』(06年)、『ウォーロード 男たちの戦い/投名状』(07年)、
『新宿インシデント』(09年)など。『見知らぬ女からの手紙』(04年)では監督・脚本・主演。

趙非(チャオ・フェイ)

 『紅夢』(91年)、『始皇帝暗殺』(98年)、『ヘブン・アンド・アース』(03年)の撮影担当など。

8 地下鉄で静安寺駅の久光百貨店8階へ(15:30~16:00)

 明日の講演会の打合せを兼ねて開かれる今日の夕食会場は久光百貨店8階のレストランで、午後6時集合と決められていた。ホテルでのサインが終わると、静安寺やその周辺の見学のため
早めに出かけようと考え、いったんはタクシーに乗りかけた。距離は近いからタクシーでも安いはず。しかし、タクシーに乗ったのでは地理がわからないと思い直し、地下鉄で行こうと決め、
4人で昨日と同じ地下鉄1号線の上海火車駅へ。今日は、そこで切符を買うのもスムーズなら、人民広場駅で1号線から2号線に乗り換えて、静安寺駅で降りるのもスムーズ。所要時間は約15分だ。

 静安寺駅で地上に上がり、地図を頼りに久光百貨店を探すと、それはすぐ目の前に。とりあえず、8階に上がりレストラン街を確認すれば、その後することは静安寺周辺の散策のみ。
ところが、私と家内を除く2人はここでダウン。18時までゆっくり座って待っていると弱音を吐いたため、そんな2人を放置して、私たち夫婦は静安寺周辺の散策へ出かけることに。

9 静安寺駅周辺散策

 静安寺駅周辺の散策と言っても、私のホントの目的は足ツボマッサージ店を探すこと。もし見つかればラッキーと思いながら歩いたが、それらしきものを見つけられないまま、
周辺を約1時間散策することに。百貨店を出るとすぐ前の広場で中日城市友好交流のイベントが行われており、パナソニックをはじめ、アサヒビール、キッコーマン、味覚糖などが出店していた。
そこを出てしばらく歩いていると発見したのが胡同(フートン)を再開発している姿。駅のすぐ北側は高層ビルが林立していたが、そこから少し北に歩くと昔ながらの胡同があったが、
その一角は解体中。なるほど、ここも1~2年すれば高層アパート群になっているわけだ。

 さらに周辺を一周しながら久光百貨店に戻る途中で発見したのが、ガイド本でも有名な静安寺。ガイド本では静安寺は、「悠久の歴史を持つ著名な仏教寺院である。三国時代、呉の孫権によって
建立され、唐代に『永泰禅寺』と改称され、北宋時代に『静安寺』と名付けられた」と書かれているが、ガイドがいなければサッパリわからない。また、静安寺周辺の再開発とともに
静安寺そのものもかなり大規模な改修工事中。ガイド本には拝観料金5元と書いていたが、料金所らしきものは見当たらず、また見学する時間もないから今日は素通り。
さらに、毛さんが久光百貨店の近くだという理由で宿泊しているスイスホテルも発見。また、お土産用に1個ずつラップに包み、1個2~3元で売っている握り寿司店も発見。
食べてみたいと思ったが、夕食会の前だけにここはさすがに我慢。

10 久光百貨店8階レストラン「金桂皇朝」で夕食(18:00~21:00)

 今日は久光百貨店8階のレストラン「金桂皇朝」で私たち4人と毛さん、そして明日の講演会を主催する日本国家旅游局(JNTO)上海事務所の鈴木克明さんの6名で豪華な会食。
会食の趣旨は「明日の講演会の打合せ」だが、それは実は名目だけ(?)で、自由かつ闊達なおしゃべりがメイン。といっても、おばさんの集まりのような(?)うわさ話や自慢話がメインではなく、ちゃんといくつかのテーマや話題に沿った格調高いおしゃべりになるところがミソ?おいしい料理といくらでも飲めるビールや紹興酒があれば、時間もどんどん経っていこうというものだ。
日本では金曜日の宴会タイムや食べ放題になると2時間制限というバカバカしいシステムがあるが、万事鷹揚な中国ではそんなセコい発想はなく、食べ放題、飲み放題、おしゃべり放題で
時間無制限が原則?そんなわけで、約3時間たらふく飲み食べ語り合った後、今日はお開きに。

11 「山城保健」で足ツボマッサージ(21:30~22:30)

 こんな時間帯になると私がどうしてもこだわるのが足ツボマッサージ。「近くに店はないか」と鈴木さんに尋ねたところ、タウン情報誌『SHANGHAI Whenever』を出版し、
鈴木さんの下で明日の会場設営の準備をしている服藤聡さんが、「歩いて10分くらいのところにいい店がありますよ」と紹介してくれた。そのうえ地図や口頭の説明ではわからないとみると、
わざわざ店に電話をしてくれたうえ、一緒に店まで案内してくれたから大感激。1時間の足ツボマッサージで足も気持もスッキリ。値段もリーズナブルで、1人58元。

12 ホテルへ戻り、フロントで『取景中国』100冊受け取る

 半分ウトウトした状態でタクシーに乗りホテルへ(タクシー代21元)。フロントに届いていた『取景中国』100冊を帰国時に持ち帰るべく受け取り部屋の中へ。

13 シャワー、就寝(24:00)

3日目

1 起床(6:30)、朝食(7:00~7:40)

2 タクシーで豫園へ(タクシー代19元)(8:45~9:00)、

  豫園見学(9:00~13:00)

(1)豫園商城

 豫園は08年8月22日~24日の上海旅行の際、8月23日に王淑敏さんの案内で約2時間見学をしたことがある。しかし、地図を見ながら自分たちだけで回るのは今回がはじめてだ。
タクシーを降りたが、そこが豫園のどの位置なのかがわからず戸惑ったが、何はともあれ歩き出すのが先。歩いていれば自分の位置がどこか、すぐにわかるはずだ。

 最初に歩いたのは豫園商城だったらしい。小さなお店がズラリと並んでいるので興味ある店を片っ端からのぞきながら歩いたが、ある鞄屋でレスポートサックもどきのリュックとショルダーバッグを計60元で購入。最初はリュックだけで60元と言っていたが、「そりゃ高い、30元だ」と値切り、さらにショルダーバッグを入れて両方で60元と交渉。「そりゃ無理」と言ってきたため、
「それなら、もういらない」とやり返し、外に出てしまうと、予想どおり後を追っかけてきてオーケーとのこと。百戦錬磨の値切りの達人の私(?)には、これくらいの推移はすべてお見通し?
さらに女性陣はちゃっかりと、2個で10元と言っていた小物入れまでサービスとして(?)貰ったから、戦果は上々。

(2)上海城隍廟

 昨年王さんに案内してもらった時は夕方だったので、上海城隍廟は閉まっており、入ることができなかった。そこで今回は一人10元を払って中へ入ることに。ここはガイドがいなかったので
何を祀っているのかよくわからなかったが、大勢の入場者がみんな両手を合わせながらたくさんの仏さん(?)を拝んでいたのが印象的。

(3)豫園(10:00~11:00)

 豫園の本体がここ。豫園では水の上に浮かぶ九曲橋が有名だし、私には豫園商城の方が馴染みがあるが、本来の豫園は入場料40元を払って入るこの庭園。庭園内には三穂(さんすい)堂、仰山堂、天春堂、万花楼、点春堂、和煦(わく)堂、会景楼、九獅(きゅうし)軒、玉華堂、快楼、得月楼などの楼閣があるが、ガイドなしでこれらを見て回ってもサッパリわからないため、
私たちはちゃっかり日本語をマイクで喋っている中国人ガイドの後ろにくっついて見学を。もっとも、このガイドの他2人のガイドの解説も時々聞いたが、その内容はかなり違いがある。
とは言っても何もわからないまま回るよりはよほどマシなことは明らかだ。まずは、中に入るとすぐに目につく「海上名園」の石碑が江沢民の筆であることを理解。

 驚いたのは、「上海で1番高い山はどこにあるかご存じですか?」との質問。このガイドによるとその山は豫園内にあるというのだが、それはある庭に築かれた十数メートルの山。
つまり、昔は田んぼだった上海には高い山はどこにもないというのがオチ?また龍壁のいわれなどを聞きながら回っていると結構興味深く、この見学だけでちょうど1時間かかったが、
40元の入場料とタダのガイドは十分値打ちあり。

(4)上海五香豆商店などのお店周辺を見学

 豫園のまわりには商店がいっぱい集まっているから、一軒一軒見学していくだけでも楽しい。商店の狙いはもちろんお茶やお菓子、そして多種多様な土産物の販売だが、私たちはハナから
荷物になるお土産を買う気はなし。そこで目についたのが怪しげなサングラスをしたおじさんが笛、太鼓を鳴らしながらセリフをしゃべって子供たちにみせている西洋鏡(からくり絵)で、
料金は3分間5元だ。話のタネに一度見てみようと思ったが、還暦の白髪おやじが一人で見るには何となく気が引けたため、前回に続いて今回も遠慮。しかし帰国後写真を見ていると、
やはり見ておけば良かったと後悔。

 9月中旬に入り大阪は涼しくなりかけていたのに、今日9月19日の上海は快晴で太陽の日差しも強い。これでは日傘が必要なくらいだがそういうわけにもいかず、ずっと歩き回ったが
ここらで一休み。となれば普通の旅行ならおしゃれな喫茶店に入って一休みとなるところだが、貧乏旅行に慣れている私たちは持参のパンとお茶で軽く昼食。どうせ今日の夜はおいしい会食に
なるのだから、昼はできるだけ軽く済ませた方が、肉体的にも経済的にも時間的にも有益というわけだ。道端に腰かけてのそんな貧乏な昼食風景。

(5)上海老街の見学

 一休みした後、昨年見たことのある老街の門を確認しなければと思い、地図を見ながらさらに老街の見学へ。あっちこっちと迷いながら歩いてみるといろいろと思い出すもので、
昨年入った店がここにあった、あそこにあったと確認することができる。昔懐かしい毛沢東語録の小冊子を売っている店や1930年代の上海を描いた絵を売っている店などを見学。
さらに、老街のほとんどすべてを見学した後、今日は旗を持ったガイドが団体客を引き連れて歩いている姿を見たため、その後ろをついて歩いていくと、これも老街らしく安モノ売りの店が西側に
いっぱい。例によって(?)カバン屋に入り、これはと思うキャリーバッグを値段交渉したが全然ダメ。こんな珍道中をくり広げながら老街の門とは反対側に抜けると、さすがにくたびれたことも
あり、豫園の見学はこれで終了。あっさりつかまえられたタクシーに乗って、2時半から始まる毛先生の講演会場である久光百貨店まで。ちなみに、このタクシー代は20元。

3 地下鉄2号線静安寺駅の久光百貨店にタクシーで向かう

                              (13:00~13:15)

 今日のメインは、「YOKOSO JAPAN大使」の肩書きを持つ毛丹青が、久光(そごう)百貨店で行う日本観光庁と日本国家旅游局(JNTO)主催の講演会への参加。そのタイトルは
「日本旅游検討会『个人観光旅行的魅力』」。久光百貨店は地下鉄2号線静安寺駅のすぐ前にある。事前にそれを確認したうえそこでゆっくりしようということになり、豫園見学後は、タクシーで
久光百貨店へ。昨日地下鉄で静安寺駅まで行ったうえ、私と家内はその周辺を1時間以上散策していたので、今日はタクシーから静安寺が見えると久光百貨店へ入る前に静安寺見学をするべく
そこで下車。すると、20~30人くらいの人が列をなしていたので、そこがチケット売り場であると思って急いで駆けつけてみると、それは月餅を売っている店。中国では中秋節では
月餅を食べる習慣があるが、静安寺の月餅は有名らしい。

 昨日静安寺周辺を歩いた時は既に暗くなりかけていたが、今日は快晴で太陽の光も強い。そんな中、お寺の境内中央では護摩をたいているのでさらに暑い。長い階段を上がって本堂に入ると
そこも改修中らしく、真ん中の仏様(?)はどこかに移動中。そんな風に約1時間静安寺を見学していると14時になったので会場に戻ると、既に毛さんはじめ関係者が集まっていたから、
あいさつをして会場内へ。

4 日本国家旅游局セミナー(14:30~16:30)

                 久光百貨店8階レストラン「金津咖〔口厘〕」

 14時半ちょうどに講演会が始まったが、これは久光百貨店のお得意様をターゲットとして日本への旅行に勧誘するためのイベントだから、まず最初に担当の女性が日本の見どころをパソコンで
操作しながらスクリーン上で説明。それが意外と長く約40分続いた後、いよいよ毛さんの講演が始まった。どうせ中国語オンリーの話はわからないから、最後列に座ってスクリーンに映る写真だけ
見ておこうと思っていたところ、突如中国読みで私の名前が呼ばれたからビックリ。毛さんのプロデュースで『取景中国』を出版したこと、その執筆者である日本の弁護士の坂和章平が今日の講演会を聴きに来てくれていると紹介してくれたわけだ。つたない中国語会話の能力でそれを瞬時に理解した私は、そこでタイミングよく立ちあがり、一斉に後を振り向く観客に対して両手を挙げて
ごあいさつ。以降、約1時間にわたる毛さんの手振り身振りを交えた講演が続いたが、正直その内容はほとんどわからないまま・・・。

5 アフタヌーンティーまで休憩(16:30~16:45)

 講演会が終了すると、アフタヌーンティーの会場に整え直されるまで全員外に出されて、しばらく休憩時間に。その間に始まったのが、毛さんのサイン会。サインペンを忘れてきたため
ボールペンで書いていたが、そのサインの速さにビックリ。

 その間私は、8月17日~20日の上海旅行で知り合いとなったJR西日本の森脇大造さんや08年8月22日~24日の上海旅行で知り合った小学館の森岡正樹さん、
そして今回新たに紹介していただいた奥野竜太郎夫妻と立ち話を。会場に入ってくるなり、えらく背が高くアカ抜けした中国人女性は一体何者だろうとずっと気になっていたが、
何とその女性が奥野さんの奥さんと聞いて
ビックリ。

6 アフタヌーンティー(16:45~17:30)での抽選会

 16時45分から始まったアフタヌーンティーでは、豪華賞品のくじ引き抽選会が始まり、会場内は大きく盛りあがった。とりわけ、ラストは豪華クルーズとのことで、ビックリ。
さすが上海の富裕層をターゲットにした旅行の勧誘は規模がデカイと感心。

7 「山城保健」で連日の足ツボマッサージ(17:30~)

 久光百貨店では中日城市友好交流のイベントを9月10日から20日までやっていたが、今日は19時から玄関前の広場でイベントがあるらしい。そこでは上海総領事のあいさつが予定されており、毛さんも今日のメインゲストとしてあいさつしなければならないとのことだ。そこで19時まで時間が空いた私と家内は、ちょうどいいタイミングとばかりに足ツボマッサージの店「山城保健」へ。
昨日歩いて行ったから、道はバッチリ。店がすいていたこともあり、マッサージしてくれる女性も昨日と同じ。疲れた足も60分マッサージすると、たちまち回復。
これで今日の夕食もさらにおいしく食べられるはずだ。

8 2009上海 東瀛風情節 走近世博 中日城市友好交流のイベントへ

 マッサージが終わったのが19時少し前だったから、私たち夫婦が駆け足状態でイベント会場へ戻ると、ちょうどこれから式典が始まるところ。驚いたのは設けられたステージに向けて
黒山の人だかりとなっていたこと。この人気ぶりを見ると、中日城市友好交流のイベントはかなり大規模なものだったことがよくわかる。

 総領事のあいさつに続いて毛さんが登場したが、そこで第1に驚いたのは毛さんが両手を前に組み、終始ほぼ直立不動に近い姿勢であいさつしたこと。私は身振り手振りを含めた
パフォーマンス豊かなあいさつを予想していたのだが、さてそれはナゼ?第2に驚いたのは、毛さん1人で中国語と日本語両方のあいさつをしたこと。こりゃ実に珍しい風景で、まさに
日中バイリンガル作家の面目躍如といったところ。昨日と同じアサヒビールの出店で缶ビールを買ってきてもらい、それを飲みながら中日城市友好交流のイベントを堪能。

9 久光百貨店8階レストラン「潮桜」で夕食(20:00~22:20)

 「2009上海 東瀛風情節 走近世博 中日城市友好交流」が終了したが、今日はどこで夕食をするのか、また総領事なども一緒になるのかも確認できていない。また、毛さんを舞台裏で
探したが見つからず、講演会場の8階に上がっても見つからない。そんな状況下でやっと電話が通じたが、総領事はその後の予定もあるため出席できないが、夏青根さんが遅れて出席するとのこと。
またいったんスイスホテルに戻った毛さんも、すぐに講演会場の8階に出かけてくるとのこと。

 鈴木さんと一緒に現れた毛さんと合流して入ったのが、久光百貨店8階のレストラン「潮桜」。昨日の「金桂皇朝」もいっぱいお客さんが入っていたが、今日も8階のレストラン街はどの店も
いっぱい。そんな中、「潮桜」は一室だけ個室が空いていたが、料理を注文している時に聞いて驚いたのは、個室に入るとその個室の客全員で1500元は払わなければならないということ。
なるほど、こりゃ合理的な料金システムだ。そこで、料金とにらめっこしながら私もはじめて料理選びに参加したが、結局おいしいものをいっぱい注文し、ビールも紹興酒もタップリ飲みながら、
個室使用の最低料金は大きくオーバーしたのでは?途中で夏さんも合流したため、本のお礼を述べながら、いつものように楽しい時間を。毛さんはまた明日も仕事だが、私は明日は上海虹口地区の
観光だけ。そう思うとますます紹興酒のペースが早まることに。

10 ホテルへ戻り、シャワー・就寝(24:00)

 今日も一日楽しくかつ有意義に過ごした後、タクシーでホテルへ。ちなみに、タクシー代は15元。

4日目

1 起床(6:30)、朝食(7:00~7:40)

2 チェックアウト、沈亜明さんがお迎え(8:45~9:15)

 今日は虹口地区を観光する予定だが、上海で海運会社を営んでいる友人の沈亜明さんが午前9時に迎えに来てくれることになっている。チェックアウトを済ませ、トランクをホテルに預け、
少し早い目にロビーで待っていると、ドライバーと共に7人乗りのオデッセイで沈さんが到着。私たちはカメラなど手荷物だけ持って車内へ。今日も昨日に続いて快晴。快晴すぎて暑いくらいだが、
今日は地図とガイド本だけを頼りに、魯迅公園周辺をしっかり見学しなければ。

3 虹口区観光(9:15~11:45)

(1)魯迅公園

 虹口区は上海の北東、虹口足球場駅の周辺で、ここは魯迅公園が有名。魯迅公園は上海市内最大の公園だ。ここが魯迅に縁のある地であるため、かつての虹口公園から魯迅公園に名前が変わった
らしい。私たちは魯迅公園の南側の入口から入ったが、公園内ではダンスや太極拳を楽しむ市民たちでいっぱい。また設置された大舞台では市民合唱団(?)が大きな声で練習しており、その観客も
いっぱいだ。そんな様子を見ればここが多くの上海市民の憩いの場となっていることがよくわかる。

(2)上海魯迅記念館

 虹口区には上海魯迅記念館があるため、ここは絶対見学しなければと計画していたが、公園内にある目の前に見る上海魯迅記念館はかなり立派なもの。上海魯迅記念館は1951年に開館し、
1956年に現在の魯迅公園内に移設されたうえ、1999年に改築されて現在の2階建ての建物になったらしいが、入場料はタダ。もっとも、免費と書かれているチケットをもらって入ったから、
もともとは入場料をとっていたのだろう。そう思って、帰国後ネットを調べてみるとそこでは入場料は大人8元と書かれていた。

 それはともかく、1階ロビーの階段を上がると、2階の展覧ホールには「魯迅の一生の事跡」を示す6枚のパネルが展示されており、中国人ガイドが日本語で団体客に対して説明をしていた。
しめしめ、昨日の豫園見学と同じく、このガイドについていけば魯迅記念館の説明はバッチリ。そう決め込んで、このガイドから着かず離れずの状態で約1時間しっかり魯迅の足跡を勉強することに。

 魯迅(1881~1936年)が日本へ留学したのは1902年。もともと医学を志していた彼が、その後文学に転じたのは一体ナゼ?それが魯迅を語るうえでの最大のポイントだ。
1909年に帰国した魯迅は日本人の内山完造との親交を深めながら、『阿Q正伝』をはじめとするさまざまな執筆活動を行いつつ、革命家としての危険な道も歩み始めた。
私は魯迅の文学者としての側面しか知らなかったが、革命家としても多くの足跡を残してきたことがこの魯迅記念館を見てよくわかったのは大収穫。また魯迅が着ていた外套が展示されていたが、
それを見ると魯迅がいかに小柄だったかがよくわかる。あの外套なら身長150cm程度の私の妻にピッタリ?

(3)魯迅の墓

 次の目的は魯迅のお墓の見学。魯迅公園内を北に約5分歩くと、それがあった。お墓の前には座っている魯迅の銅像が置かれていたが、それをバックに写真を撮ればそれでおしまい。
ちなみに、帰国後ネットを調べたところ、墓碑の揮毫は毛沢東によるものとのことだ。

(4)魯迅故居

 魯迅故居は、魯迅公園南口を出てしばらく歩いたところにある。とはいっても、地図だけではなかなかわからなかったが、沈さんが道を尋ねてくれたため、スムーズに目的地に到着。魯迅故居は、
山陰路を右に入った3階建てのアパート郡の一番奥にあった。魯迅故居という看板は出ているが、沈さんが確認したところ、何人か集まる団体ごとに見物客を入れ説明をしてくれるらしい。

 建物がつくられたのは1931年、魯迅がここで過ごしたのは1933年から死亡する36年までの3年間とのことだ。レンガづくり3階建てのアパートの外観はとても立派だし、部屋の中に
入ると天井も高い。当時としてはかなり立派な建物だったらしい。1階は手前が客間で、応接セット等が置かれている。その奥が食堂でさらにその奥が台所らしいが、これは公開されていない。
階段を上ると中2階があり、バスタブや洗面台が完備された洋風の浴室がある。2階に上がってすぐの小さな部屋は物置とのこと。2階の奥が魯迅の書斎兼寝室で、机、本棚、小テーブル、
ベッドが置かれている。3階は手前が客用の寝室で、ベッド、机、書棚が置かれ、書棚にはたくさんの本が。奥の広い部屋は子供部屋で、妻は子供と共にここで寝ていたとのことだ。

 約15分間の見学だったが、魯迅の当時の生活を知ることができ、収穫は十分。

(5)多倫路文化名人街

 魯迅故居を出て四川北路という大通りを沈さんの案内で南へ歩いていくと、右側に多倫路文化名人街という大きな門が見えた。ここから先が1998年に再開発されて多くの文化人たちの活動の
記録が集約された多倫路文化名人街だ。もっとも、事前にきちんと資料で勉強していなかったため、「ここは昔の上海がいっぱい残っている」と聞かされていただけで、一体何があるのか
よくわからないまま歩くことに。

 門を入るとすぐ左手に上海多倫現代美術館があったが、現代アートはあまりわからないうえ時間的に余裕がないので前を素通り。タイル敷きの道は綺麗だし、左右に並んでいるたくさんの店も
骨董品を売る店や古い喫茶店など珍しいものばかり。目についたのは、あちこちで俳優たちを集めて撮影していること。これから豪華な車に乗って新婚旅行に出かけようとしているシーンの撮影や、
着飾った美人モデルがじっとポーズをとっている撮影風景など、まさにタイムスリップ感覚だ。一軒だけ骨董品の店に入ったが、そこには昔の時計やそろばんなどホントにいろいろな品物が
いっぱい置かれていた。

 途中右にカーブしているノスタルジーあふれる散歩道を歩き切るのに約20分。ちょうど昼食時となったので車で軽い昼食と、次の目的地である浦東(プートン)の名物、
上海環球金融中心の見学に。

3 「喜扇」で昼食(12:20~13:15)

 「軽く昼食を」と沈さんに言うと、沈さんが予約してくれたのが上海環球金融中心近くにある立派な建物の2階の日本料理店「喜扇」。虹口区からここまで車で約40分だが、
途中抜けたトンネルは黄浦江の下を通っているトンネル。喜扇では軽く済ませるつもりだったが、軽くビールを飲みうどんと握りのセット(68元)、サーモンといくら丼セット(50元)、
サーモンロールセット(45元)を注文し、美味しく食べていると、既に13時を過ぎていた。15時にはホテルに集合しなければならないので、上海環球金融中心の見学は約50分。
上海環球金融中心の最上階まで登ると一人150元かかることもあり、どうしても行きたいというのは私と家内の2人だけ。そこで沈さんたちは近くの喫茶店で一休みすることとし、
私たち2人だけ150元払って駆け足で上海環球金融中心の見学へ。

4 上海環球金融中心(上海ヒルズ)展望台へ(13:20~14:00)

 下から見上げると、上部に小さな空洞を持った独特のフォルムをした上海環球金融中心は実に美しい。1階の入り口を入ると、展望台へのエントランスはB1階にあるらしい。
エスカレーターで下っていくと、薄暗い雰囲気で構成されたそこはまるで異次元空間。チケットを購入し列に従って歩いていくと、入ったのが真ん中に大きなモニターのある小さな部屋。
まさかこれがそのままエレベーターではないだろうと近くの人と話しながら待っていると、まずは3分間ほどモニターで上海環球金融中心の解説が。時間が気になる私たちは少しイライラしながら
これを見ていたが、解説が終わるといよいよエレベーターに分乗して上層階へ。その所要時間は約1分ほどだから、東京タワーのエレベーターと比べてそのスピードにビックリ。

 スカイウォーク94、スカイウォーク97、スカイウォーク100と、展望台は3フロアに分かれており、474mのスカイウォーク100がもっとも値段の高い150元。まずは97階で
降りてその展望台からの眺めに一驚きした後、スカイウォーク100までエスカレーターで昇ったが、時間を気にしている私たちはこのエスカレーターも小走りで。長方形の広々とした
スカイウォーク100からの眺望は、まさに別世界。浦東地区にある何本もの超高層ビルが一望の下に見渡せるうえ、東方明珠電視塔さえ目の下に。車で走っている時ずっと見えていた赤い屋根の
マンション群はホントにマッチ箱のよう。大きな驚きと感動の中で写真を撮りまくっていると既に帰りの時間が迫ってきたから急いでエレベーターに乗り込み、待ち合わせの14時に滑り込みセーフ。

5 上海環球金融中心からホテルへ(14:10~14:50)

 上海環球金融中心の展望台からの見学が終わると、以上で午前9時から始まった今日の充実した観光はすべて終わり。あとは車に乗ってホテルへ帰るだけだ。お腹もいっぱいだし、
朝から歩きづめの身体は疲れている。おまけに、当然ながらトンネルの中は渋滞気味。そのため運転手以外は全員うつらうつら状態だったから、約50分の車の中は疲労回復にピッタリ。
ホテルの前でお世話になった沈さんと運転手にお礼を言って別れると、あとは預けていたトランクを受け取って空港へ送り届けてくれるJTBのバスを待つだけだ。

6 上海浦東国際空港へ(15:20~16:15)

 ホテルから上海浦東国際空港へはバスで約1時間の予定。先月8月17日から20日に来た時、夏さんの車で毛さんも一緒に送ってもらった時と同じ風景が左右に広がっていたが、
バスの上からだと少し視点が高いのでもっとわかりやすい。黄浦江にかかる橋を渡ると、左側にほぼ完成した2010年上海万博用の会場が姿をみせ、右側には工事に取りかかったばかりの
もう1つの会場があった。これらが来年4月にはすべて完成しているわけだ。また、途中新たに大規模な道路工事をしている所があったのは8月と同じだったが、
これも来年4月には完成しているはず。そんなことを考えながら風景をみていると、バスは予定どおり約1時間で上海浦東国際空港に到着。

7 上海浦東国際空港(18:20発ANA0154便)から

             関西国際空港(20:20着)(日本時間21:20着)へ

 帰りの荷物は重い。トランクの重量制限は20kgと聞いていたが、ガイドの話によると団体の総枠で制限がかかるらしい。帰りはツアー客としては私たち一行を含めて6人だったので、
6人合計で120kg。『取景中国』20冊とカメラ、ビデオの機材などが入った私のトランクが1番重く30kgを少し超えていたが、そんなわけで何とかセーフ。
搭乗手続も出国手続もスイスイと進んだから、あとは搭乗口で待つだけだ。

 そこでの待ち時間を有効活用できたのが、テレビでくり返しやっていた中国語学習のためのビデオ。これはインフルエンザの防止をテーマとした曲を練習させることによって中国語を
覚えさせようとするものだが、初心者の私にはまるで早口言葉のよう。それでも少しずつわかる単語があるから、くり返し聞いているとリズム感は体得できるようになってくる。靴を脱ぎ、
靴下を脱ぎ、ストレッチ体操をしながらこれをくり返し見て発音練習をしていると大いに勉強になる。もっとも広いスペースで周りも空いているからいいようなものの、あまり目立つと
「変なおっさんが・・・」と白い目で見られること間違いなし。

 こんな形で時間待ちをしていると、あっという間に搭乗の時刻に。飛行機に乗って席に座れば、新聞各紙を読みビールとワインをたらふく飲み食事をすれば、2時間半で関西国際空港だ。

8 南海電車で自宅へ(23:00着)

 中国から関西国際空港へ帰ってくるといつも思うのは、関西国際空港の小ささ。はじめて関西国際空港から韓国旅行に行った1998年には、何とでかい空港だろうとビックリしたが、
北京首都国際空港や上海虹橋国際空港、上海浦東国際空港の広さに慣れてくると、その違いが歴然としてくる。ここまで国力の相違が顕著になっているのだから、いくら政権交代が実現しても
彼我の力関係が大きく変わらないのは当たり前。そうは思いつつ、今回の上海旅行の間に鳩山民主党新政権がどんな動きをしたのかについて、今日(20日)の新聞だけではなくこの3日間の
新聞5紙に目を通してきちんと分析しなければ。

 明日21日から23日まではシルバーウィークと称する大型連休の後半だが、私にはそんなものは無縁。新聞5紙の整理、『カムイ外伝』などの鑑賞、旅行記の執筆、そして4日間できなかった
中国語のラジオ講座の勉強など、お仕事(?)は山積みだ。23日は連休中にもかかわらず事務員が一人出勤予定。21、22日の間に彼女に打たせる原稿をしっかり完成させておかなければ。

 関空からの南海電車は要特急券の特急ラピートが先発だったため、清水の舞台から飛び下りる決心(?)でそれに乗車。電車の中でうとうとしながらそんなことを考えていると、いつの間にか
頭の中は上海バージョンから坂和弁護士の日常バージョンへと転換。とりあえず今日は自宅でシャワーをして眠ることになるが、さて体重は何kg増えているだろう。

[後記]ー中国中央電視台(CCTV)の番組に登場!

(1)09年8月17日~20日の毛丹青さんとの2人での上海旅行は、私にとっては上海展覧中心で8月18日に開催された「2009上海書展」に参加すること。つまり、8月18日に
上海展覧中心で『取景中国』をプレゼンし、サイン会を実施することだった。他方、この時の毛さんの目的は毎日放送の『情熱大陸』のような番組製作を目指している、
中国中央電視台(CCTV)の密着取材を受けること。

(2)したがって、上海滞在中は私の行動も毛さんを取材する女性ディレクター管海鷹さんとカメラマンの徐朋さんとほぼ一緒。滞在3日目に上海文芸出版社で実施された3時間近くに及ぶ
毛さんへのインタビューにも私はずっとつき合ったし、その前には私自身も約5分間の管さんのインタビューを受け、徐朋さんはこれをすべてカメラに収めていた。私へのインタビューはもちろん
毛さんの通訳を通じてだったが、上海ではじめて出会ったディレクターからこんな風に腹を割ったインタビューを受けることができたのは、前日に喫茶店で約1時間いろいろな話をしたおかげ。
つまり、毛さんと知り合ったきっかけや私の中国旅行の動機そして私がなぜ中国映画が大好きになったのか、そして今やいかに中国映画に詳しくなり、弁護士業以外に映画評論家としていかに
好き勝手な活動をしているかを語り、それを彼女が理解してくれたおかげだ。この弁護士は毛さんと同じように面白そう。そして少し変わった奴?彼女がそんな予備知識を持ってくれたことが、
彼女のインタビューの質問ネタとなっていたわけだ。

(3)上海での毛さんへの密着取材は、①8月18日のブックフェアの様子の他、②上海文芸出版社での対談、③上海文芸出版社社長郟宗培さんを含めた対談、④上海在住の毛さんの大家族の風景など多岐に及んでいたうえ、私が帰国した後は上海電視台への出演風景なども取材したはず。さらに、その後管さんたちは毛さんと一緒に北京に飛び、北京での毛さんの活動もたくさん取材したはず。
したがって、毛さんの密着取材のフィルムはベラボウに長いはずだから、①ブックフェアと②上海文芸出版社での私へのインタビューは編集段階ですべてカット?まあ、お義理程度に一瞬『取景中国』のプレゼン風景を映してくれるか、最悪一瞬名前が呼ばれる程度?そう思っていたが・・・。

(4)上海ブックフェアへの参加を目的とした8月17日~20日の旅が終わり、華東理工大学外国語学院での講演を主たる目的とした9月17日~20日のツアー旅行も終わり、
本業にいそしんでいた10月13日、毛さんからついに番組が完成し放映されたことが報告され、その内容が私のパソコンに送られてきた。

 毛さんをターゲットにした『華人世界』という30分番組のタイトルは、『從魚販到雙語作家』。これはつまり、魚屋さんからバイリンガル作家に華麗なる変身を遂げた毛さんの劇的な人生を
象徴したもの。来日して魚屋さんとして活躍する20年前の毛さんと、こんな作家活動を展開している20年後の現在の毛さんを比較対照するという構成だ。まず彼の『にっぽん虫の眼紀行』が
紹介され、それに続くのが上海ブックフェア、そしてそこに登場したのが何と私の『取景中国』であり、ブックフェアでのプレゼンの様子。さらに続くのは、きっとカットされるだろうと思っていた
管さんの私に対するインタビュー風景だ。私の語りが中国語でナレーションされるとともに、中国語のテロップも流れたから、中国13億のうちその何%かの人たちが私の顔を見、
しゃべりを聞いたことになる。私が登場する時間は約1分間。こりゃすごい!

 この番組は近いうちにDVDとして販売されるらしいから、大いに楽しみだ。是非多くの日本人と中国人がこの毛さんの番組(DVD)を観て彼の活動を知るとともに、
その一コマとしての私の活動も知ってもらいたいものだ。

                                               以上

                                 2009(平成21)年10月23日記

 厦門旅行記・・・(2009(平成21)年11月6日~11月9日)

[今回の厦門旅行の目的]

(1)09年8月、9月は3泊4日の上海旅行が続いたが、今回の厦門旅行は観光だけではなく厦門城市職業学院で民訴・刑訴を教えている林東雲先生を接点とした厦門大学の先生方との交流と、
厦門城市職業学院の法学部の学生への景観法の特別講義が主たる目的。

(2)そんな接点ができたのは、西安出身の日本への留学生で中国の律師試験に挑戦している私の友人が、今年の律師試験に向けた上海での勉強中、林先生と親しくなったため。
林先生から厦門観光と大学での特別講義を友人を通じて勧められた私は、即座にオーケー。厦門へのツアー旅行は観光付きと観光なしの2種類があるため、3泊4日の観光なしのツアーを選択。
そして、11月6日~9日の日程を決定し、大学での講義は11月9日の午前中と決めた。

(3)講義のテーマは、私の得意分野の1つである景観法。04年6月に制定され、05年6月から施行された景観法の意義、背景、実施状況、問題点を話すとともに、09年10月1日に広島地裁で言い渡された鞆の浦の埋め立て免許差止め判決と画期的意義を持つ京都市の眺望景観創生条例についても話すつもり。通訳付きであるうえ、中国と日本の制度は全然違うからそんな難しいテーマを
十分理解してもらうのは難しいかもしれないが、何とか興味を持ってもらいたいし、講義を聴いて面白かった、役に立ったと言ってもらいたいものだ。

(4)1980年に経済特区に指定された福建省の厦門は、その西南にある小島コロンス島とともに是非一度行ってみたいと思っていたところ。厦門港は阿片戦争の結果締結された1842年の
南京条約によって開港されたという歴史を持っている。また、17世紀の英雄鄭成功は台湾でも有名だが、厦門でも有名。コロンス島にはでっかい鄭成功の像が立っているらしいから楽しみだ。
11月7日と8日は夕方までタップリとこれらを観光するつもり。そして晩は林先生やその関係者たちとの楽しい会食が待っているはず。講義と観光と人脈形成、そんな三位一体の満足を目指した
厦門旅行は、さていかに?

                                 2009(平成21)年11月13日記

1日目

1 関西国際空港(10:05発ANANH957便)から

厦門国際空港(14:05着)(中国時間13:05着)へ

(1)厦門への飛行時間は約4時間。最近上海への旅が続き、2時間半から3時間の飛行に馴れている私には、4時間が長く感じられるから不思議なもの。とはいっても、いつものことながら機内で
食べる昼食は飲み放題のビールとワイン付きだから、いつもつい飲み過ぎ。乗車率は約3分の1で座席が後から2番目だったため、トイレがすぐ近くだったのはかえってラッキーだった。
フライトの後半からは何度もトイレへ通いながら酔いを覚ましていくことに。ウトウトしていると、遂に厦門国際空港へ到着。

(2)飛行機のドアが開き一歩外に出ると、暑い。長袖のワイシャツに夏用のジャケットを着ていたが、ムッとする暑さにすぐにジャケットを脱いだ。やっぱり事前に聞いていたとおり、
厦門の温度は確実に25度はあるようだ。

2 厦門国際空港から厦門海景千禧大酒店

  (ミレニアムハーバービューホテルシャーメン)へ(10:05~12:55)

 入国手続を終えて外に出ると、ガイドの黄国強さんが出迎えに。今回のツアーは5人申込みがあったが、3人キャンセルのため私たち2人だけになったらしい。マイクロバスに乗り込み、
私の片言の中国語を交えながら少しおしゃべり。厦門国際空港は厦門島の北東端にあるが、宿泊する厦門海景千禧大酒店や厦門島の市街地は南西部にあるから正反対。しかし厦門は東西13km、
南北14km、面積1569k㎡、人口約160万人の島だから、端から端まで車で走ってもそれほど時間はかからないはず。そう思っていると、案の定マイクロバスは途中トンネルを通って
ホテルまで約20分。トンネル内の道路はきれいに整備されているうえ、空港からトンネルに入るまでの道路も街路樹付きの立派な道路。そして何の渋滞もなくスイスイ走るから気持がいい。

3 厦門海景千禧大酒店到着、チェックイン(14:00)

(1)ホテルに到着してはじめて気づいたのは、今回宿泊する厦門海景千禧大酒店は09年3月24日~27日の北京・上海旅行で泊まった上海千禧海鴎大酒店と同じグループのホテルだということ。しかし、このホテルは私の持っているガイド本や今回の旅行にあたって貸してもらった厦門の地図には載っていない。ところが、ホテルに着いてすぐにもらった厦門島の地図で新旧対比してみると、
ここはクラウンプラザハーバービューホテルアモイ(厦門海景皇冠假日酒店)だったことが判明。

(2)今回の厦門城市職業学院での講義の世話をしてくれるのは、厦門城市職業学院で民訴・刑訴を教えており、厦門の裁判所で仲裁員などもしている林東雲という女性の先生。今日はその打合せと
厦門城市職業学院へ下見に出かける予定だが、林先生がホテルに迎えに来てくれるのが15時半となったため、まずは部屋でシャワー。

(3)厦門の市街地を何度か歩いた結果わかったことだが、ここ厦門海景千禧大酒店は、思明南路と鎮海路が交差する一角にあり、歩行者天国となっている賑わいの道中山路へは歩いて5分くらいの
ところ。この中山路を西に約5分ほど歩けば、コロンス島への渡し場がある輪渡碼頭だ。

(4)部屋から交差点を見下ろすと中国銀行があったため、両替しようと思い出かけたが、改装工事中のためお休み。そこで隣りの電気屋をブラブラと見学していると、待ち合わせ場所が林先生の
自宅の近くに変更になったため、タクシーでそこへ。厦門のタクシーの基本料金は8元。そして着いたのは基本料金の範囲内の8元。そこで8元を払おうとすると、9元だと言われたからビックリ。
それはなぜかというと、厦門では乗車料金の他にガソリン代として1元プラスしなければならないらしい。なるほど、それもわからないことはないが、何となく変なシステム?

4 林先生と合流、厦門城市職業学院へ、教室を視察(15:30~16:30)

(1)タクシーを降りて待っていると、そこに林先生が登場。あいさつを交わし、「これから4日間よろしくお願いします」と伝えた後、直ちに3人でタクシーに乗り込み、厦門城市職業学院へ。

(2)厦門城市職業学院の入口でタクシーを降りると、校内はかなり広い。したがって、講義する教室までの距離はかなりあったし、5階の教室までエレベーターがついていないから、
こりゃ元気でなければ先生たちも大変だ。教室に入り、持参したiPodからの映像の取り出しやCCTVで放映された『華人世界』の映像取り出しのチェックをしたが、これはかなり難しそう。
それは専門家に任せることとして、教室の視察をひとまず終了。

(3)と思ったら、面白い風景を発見。厦門城市職業学院の5階の教室からはいい景色が広がっているが、教室のすぐ裏手にある山には高層マンションが3棟建設中。
何もこんな斜面に建てなくてもいいのにと思うほど異様な風景だが、これに対して厦門城市職業学院の人たちは何も文句を言わないの?林先生に尋ねると「多分誰もそんな感覚がないのでは?」
ということらしい。こりゃちょうど講義のネタに使えるはずと考え、頭の片隅にしまっておくことに。

5 厦門国際会議展覧中心と公園を散策(16:30~17:30)

 林先生が用事を済ませている間しばらく校内を散策した後、厦門城市職業学院のすぐ近くにある厦門国際会議展覧中心とその前の海岸沿いに広がる公園に行くことに。
公園は厦門島の東海岸にあるが、厦門城市職業学院からここまでタクシーですぐだったから、厦門城市職業学院は公園のすぐ西にあるわけだ。

 美しい公園内を散策し、海岸沿いの美しい風景をたくさん撮影。地図をみると、ちょうどここは厦門島の下半分の東海岸にある。私たちのホテル厦門海景千禧大酒店は同じ下半分の反対側の
西海岸にあり、是非見学したいと思っていた胡里山砲台は島の南端にあるわけだ。少し暗くなってきたため今日は砲台の見学は諦め、南海岸どおりの景色を眺めながら、タクシーで環島南路を
ひた走ってホテルへ。途中タクシーの中から海岸沿いに広がる南国情緒いっぱいの美しい景色をカメラで撮影。

6 ホテル内の中華料理店「龍苑」で夕食(17:50~18:50)

 今日はおみやげ類を買うため、林先生と一緒に19時からスーパーに行くらしい。夕食を近くで済ませたいので「どこがいいか」と尋ねると、厦門海景千禧大酒店内の中華料理が林先生のお薦め。
そこで私たちは2人で厦門海景千禧大酒店内の中華レストラン「龍苑」へ入り、①ラーメン、②春雨と肉の炒めもの、③緑野菜を煮たものを注文。なかなかの味で、料金は216元。
そして、再び19時に林先生とホテルの入口で合流。

7 林先生と共にタクシーで天虹百貨店へ(19:00~20:00)

 そのまま林先生のタクシーに乗り込んでしばらく走り、思北路の天虹百貨店前で下車。ここのスーパーで買い物をするらしい。海に面した厦門の特産品は海産品だが、肉やラーメン、
野菜なども豊富。私にはほとんどわからなかったが、これが名物、あれが珍しいと言われるままあれこれと購入したが、ホントに味がわかっているのは干肉くらい?それはともかく、
帰国してからそれらのおみやげを写真撮影すると、その種類の豊富さにビックリ。

8 いったんホテルへ、そして夜のまちを散策(20:00~23:00)

(1)スーパーで総額約560元の買い物はかなりのボリュームになる。これを持ったまま夜のまちを散策するわけにはいかないので、いったんホテルへ戻ることに。

(2)部屋に荷物を置き、バックとカメラだけを持ってホテル入口を出ると、林先生がタクシーに乗らず歩き始めたからビックリ。賑やかな通りを北へ約5分歩き、中山中路を東へ曲がると、
そこは歩行者天国の広い道路。両側の商店の他、道路には至るところに屋台が並び、人もいっぱい。そこをブラブラ歩きながら見学していると、途中で「私は家の近くで別れるから、
帰りは歩いて2人で帰りなさい」と林先生から言われてビックリ。こりゃ、しっかり道を覚えながら歩かなければ。

(3)3人で屋台に寄って買ったのが、イカの燻製など。味見をして袋に入れてもらい3元、5元だから安いものだ。そこで私は、そんな気のいい屋台のおばちゃんとハイポーズ。

(4)林先生と別れた後は同じ道を帰ることになったが、店は両側にあるから帰り道は当然来た時の反対側を歩くことに。そこで目につくのは、やはり海産品。といっても私にわかるのは干肉や
スルメ程度だが、珍しいのはさとうきびジュース。

(5)さらに「これはうまい!」と舌鼓を打ったのは「美珍香」という店の牛肉。新鮮な牛肉を焼いただけのものだが、100g18元だから結構高い。しかし、これがベラボウにうまい。
そうなると、当然ビールが欲しくなり、ビールとともに一枚また一枚と食べながら歩いていると、こりゃ至福の時間。もっとも、そんな買い物三昧をしながら歩いていたため、中山中路を
左に曲がるところをそのまま行きすぎてしまい、コロンス島が見える海の前まで行ってしまったのはご愛嬌。まあ、これくらい自分の足で歩くと道や店をよく覚えるからいいが、
これも普段から足腰を鍛えているからこそできることだ。

(6)さらに、道を行き過ぎたおかげで、バーゲンセールをやっていたクロコダイルの店で半袖のポロシャツを20元で購入。ホントに半袖が必要だとは思ってなかったので
持参してなかったためだが、念のために購入。そしてこれが翌日役立つとは・・・。てなわけで、結局ホテルへ着いたのは既に23時前。約3時間夜のまちを散策したわけだ。

9 シャワー、就寝(23:00)

 タップリとかいた汗をシャワーで流し、就寝。

2日目

1 起床(6:00)、朝食(6:30~7:00)

 今日は厦門島の観光だが、林先生の運転手が車で案内してくれる。また、厦門大学の学生で日本語のわかる女性高嵐嵐さんがガイド役をしてくれる。そこで今日は6:00に起床。
バイキングの朝食をたっぷり食べて今日の行動に備えることに。

2 シャワー、メモづくり(7:10~8:00)

 出発は8時半だから、それまでにシャワーをするとともに、昨日と今日のメモを作成。旅行記をきっちり書けるよう、準備しておかなければ。

3 船着場の視察へ(8:00~8:30)

 今日案内してくれる高嵐嵐さんとのフロントでの待ち合わせは8時半なので、その前に明日乗るコロンス島への船着場の視察に出かけることに。幸か不幸か、昨夜の散策で行き過ぎたところが
中山中路の西端だったから、船着場はすぐその先。船着場に行っていろいろ聞くと、すぐ目の前に見えるコロンス島に渡るには、大きな船と高速艇の2種類がある。また、台湾の金門島まで行って
記念撮影した後、コロンス島に行く船もあるらしい。せっかくだから金門島まで行ってみようと思ったが、金門島まで行って帰るだけで3時間~4時間もかかるのではバカバカしい。そこらあたりの
良し悪しを、今日はいろいろと情報を集めて確認しなければ。

4 ホテル入口で待ち合わせ(8:30)

 ガイドの高嵐嵐さんとホテルのフロントで会って挨拶。到着した車に乗り込んだが、今日もかなり暑い。今日の私の服装は上着なしの長袖シャツだが、ひょっとして半袖の方がいいのかも?

5 胡里山炮台(9:10~9:40)

 厦門島の最初の観光地は南海岸にある胡里山炮台。この砲台からは金門島も見ることができるらしい。またこの砲台は、1891年から建設が始まり、5年後に完成した。現在でも多くの大砲が
残っているが、これらがホントに活躍した時代があったわけだ。ちなみに、ここからは海水浴場もよく見える。それにしても11月に海水浴とは、さすが中国は広い。

6 海水浴場で写真撮影(9:50~10:00)

 胡里山炮台の見学が終わると東海岸を走って次の目的地へ進みはじめたが、美しい海水浴場で途中下車し、写真撮影。

7 集美大橋を渡って、厦門島から集美区へ(10:00~10:30)

 私は福建省の厦門市は厦門島だけだと思っていたが、それは大まちがい。厦門市は厦門島内の湖里区、思明区と、大陸内の集美区、海滄区、同安区、翔安区という6つの区から成り立っている。
また、厦門島と大陸を結ぶ厦門大橋は1991年に完成したただ1本の大橋だったが、その後海滄大橋(99年)、集美大橋(08年7月)、杏林大橋(08年9月)が開通し、現在は計4本の大橋がある他、廈門翔安海底トンネルという海底トンネルも開通している。ちなみに集美大橋のサインは、現在の胡錦濤国家主席ではなく、前国家主席の江沢民が書いたものだが、それはなぜ?
2009年10月1日には中国建国60周年を迎えて大パレードが行われたが、そこには江沢民の姿もあったことが報道されている。こりゃつまり、2008年3月の第11回全国人民代表者大会で
国家副主席に選出された習近平が2009年9月の中国共産党中央委員会総会での軍事委員会副主席への就任が先送りされたことと関係のある権力争いの勃発?
そんな興味を持ちながら集美大橋を車で渡ったが、その立派なことにビックリ。

8 陳嘉庚紀念勝地(10:30~12:00)

(1)集美学村(集美中学と龍舟池)(10:30~11:00)

 今回の厦門旅行は全体的にガイド能力が不足がちだったが、私たちがこれから厦門観光に行くのは厦門島ではなく、大陸にある陳嘉庚紀念勝地。車の中で高さんから「陳嘉庚さんを知ってるか?」
と聞かれたが、もちろんそんな人を私は全然知らない。しかし持参したガイド本を見ると、たしかにシンガポールでゴム王と呼ばれるほどの富を築いた陳嘉庚の寄付により1913年につくられた
集美学村などの紹介がある。日本人はあまり知らないが、中国人は誰でも陳嘉庚を知っているうえ、華僑の人たちにとってはこの陳嘉庚は神様のような存在らしい。

 陳嘉庚紀念勝地に入ると、なるほど、そういうことかとすぐに感心。海外に出て蓄えた富で故郷に幼稚園から大学まで一貫した教育を受けられる一大学園都市を創るというのはすごい発想だ。
有名なのは龍舟池と閩南様式と呼ばれる巨大な建物群。集美中学は特に有名らしい。その巨大な建物の前に立つと、私など極めてちっぽけな存在だ。

 珍しいお土産は、小さな貝を貼って作った干支などの動物たち。ちなみに麒麟は架空の動物だが、こんな形をしているのだろうと思って1つ購入。

(2)鰲園(嘉庚公園)(11:00~11:10)

 集美区の陳嘉庚紀念勝地は海沿いにあるが、集美学村からさらに海の方に向かって進むと、陳嘉庚の陵墓である鰲園がある。

(3)解放紀念碑(11:10~11:20)

 さらにその先に解放記念碑があるが、私が興味深かったのは入り口部分の門廊に作られた中国解放の歴史や、その中で陳嘉庚が果たした役割などを石に刻んだ像の数々。
三国志などの物語なども含めて1つ1つ丹念に読めばきっと面白いはずだ。

 暑い日射しの中、汗をぬぐいながら更に進むと、毛沢東が書いたというすごい高さの解放紀念碑がある。

(4)陳嘉庚墓(11:20~11:30)

 さらにその先には亀の形をした陳嘉庚の墓があり、その周りは石を刻んで彫った膨大な量のレリーフがある。

(5)鼇亭散策(11:30~12:00)

 お墓の見学を終えると鼇亭を散策しながら巨大な陳嘉庚紀念勝地の出口へ。

9 「味友」で昼食(12:00~13:00) 

 昼食時になったので食事しようということになり、運転手さんが案内してくれたのが「味友」というお店。チャイナドレス姿の女性がお迎えしてくれたので高いのではと一瞬考えたが、
安くておいしいことで有名な店らしい。大きな店内は既にいっぱいで、大きな声が飛び交っている。注文はすべてお任せしたが、最初に出てきたのが鴨。これをラーメンに入れて食べるわけだが、
これが美味。次に冬瓜とカニのスープだが、これもおいしかった。これだけで既にお腹がいっぱいになってしまったが、さらにカキとネギの揚げ物が出てきたため、
多少無理してお腹に詰め込むことに。ビールを含めて以上4人分で165元だから、安いものだ。

10 集美大橋を渡って厦門島へ

11 華僑博物館(13:20~14:00)

(1)私は05年10月20日~24日の曲阜・泰山・済南・青島旅行がきっかけで華僑の人たちと親しくなり、大阪華僑総会などに招かれるようになった。そんなわけで、多少華僑とは何か?
ということを知ってるつもりだったが、そんな私でも陳嘉庚紀念勝地をつくった陳嘉庚という人は全然知らなかった。やはり中国は広い。そして、著名人も多い。次に行く華僑博物館ではしっかり、
華僑のことを勉強しなければ。

(2)この華僑博物館は、1959年華僑の陳嘉庚によって創建された博物館。中国からアメリカをはじめとする世界に飛び立った多くの華僑は奴隷のような生活をしながら忍耐強く働き
力を蓄えていたわけだが、その華僑の歴史がここの資料を見ればよくわかる。ホントは日本語で詳しいガイドをしてくれる人がいればいいのだが、厦門大学の学生の高さんではそれはムリ。
しかし、海外華僑社会の歴史と現在の姿はここに展示されている豊富な資料を見れば概ね理解できる。それにしても、ユダヤ人と並んで華僑の力はすごいものだと実感。

12 南普陀寺(14:05~14:30)

 唐代に建設された仏教寺院。私はお寺の見学にあまり興味はないが、どのガイド本にも乗っているものだから見ておかなければと思って見学に。このお寺の初名は普照寺だが、
これは浙江省にある普陀山の南に位置することから名付けられたとのこと。総地面積は3万㎡以上あり、天王殿、天雄宝殿、大悲殿などが並んでいる。このお寺では精進料理が有名らしいが、
昼食後ということもあり、とりあえずノーサンキュー。

13 厦門大学へ、大学校内の見学(14:30~17:00)

(1)厦門島内の観光名所は胡里山炮台や陳嘉庚紀念勝地の他、厦門園林植物園などもあるが、今日の夕食会は林先生をはじめとする厦門大学の先生たちとの会食になるらしい。
したがって、その前に広大な厦門大学の中を見学しなければと考え、厦門園林植物園見学を省略して、厦門大学の中へ入ることに。普段は誰でも入れるらしいが、今はインフルエンザ対策として
校内への立ち入りを制限しており、私たちもきっちりと体温検査を受けて校内へ。

(2)現在は1ドル90円を切っている状態で、円高が心配されている。他方、昨今の世界的な流れは弱いドルに対し、中国人民元の一人勝ちの様相を呈している。
一般に円高は悪いように言われているが、本来それはおかしな議論。また円高の時期こそ円を人民元に両替しておけば有利なことは当たり前。2004年11月28日~12月5日の雲南省旅行の時は1万円=740元くらいだったが、その後は円高を続け、1万円で700元を切った状態となっていたが、円高の今は?旅行前からのそんな計算があったため、大学内の中国建設銀行で両替の金額を
聞くと、今日は1万円=732元とのこと。こりゃ両替しておかなければと考え、大枚〇万円を両替することに。これでしばらく中国旅行には不自由しないはずだ。

(3)厦門大学は広い。そして美しい。私の母校である大阪大学にも大学の入口に池と散歩道があったが、厦門大学内にある池は広く、その周りは美しい公園そのもの。校舎の数も数えきれないほど
多いが、他方で職員用の住宅や学生用の寮もたくさんあるから、生活感の漂う建物もある。さらに、大学の中には大きな陸上競技場を兼ねたサッカー場があり、一歩校外に出ると、そこは海水浴場。
今は大学の中にトンネルまで造成中だ。

(4)高さんが校内に魯迅紀念館があるというので行ってみたが、そこは改修中だった。陳嘉庚紀念勝地をつくった陳嘉庚は厦門大学の創設者でもあるため、その紀念館があるとのことで
そこを訪れたが、これも全面改装中。この巨大な紀念館はもともと老朽化していたところ、09年春の大雨によって崩壊したため、一部その外観を残しながら全面建替えをしているらしい。
1874年から1861年まで生きた陳嘉庚の、左手に持つ帽子を胸に、右手でステッキを持って立つ銅像はさすが立派なものだ。そこで、その近くにある厦門大学人類博物館へ。
厦門大学は中国の人類学の礎を築いたといわれる先生がいるとのことで、この博物館には類人猿から始まる多くの資料が展示してあった。

(5)高さんと一緒に大学の校内をブラブラと1時間ほど歩き回ったが、待ち合わせ場所の喫茶店に着く前に先ほど訪れた池と公園を訪れると美しい夕日が注いでいたので、その風景をパチリ。

14 喫茶室で待ち合わせ(17:00~18:00)

 以上で今日の観光を終わり、コーヒーを飲みながらしばらく雑談。そして、余った時間で9日の講義の打合せを。

15 林先生と合流、大学内のレストランで会食(18:30~20:30)

 今日の夕食には、厦門大学の先生や弁護士など林先生の友人がたくさん出席してくれるらしい。集まってくれたのは、①林東雲先生の他、②厦門大学法学院兼職服教授の陳澤榮先生、
③統戰部副部長の黄宝秋先生、④共青團厦門大学委員会書記の高忠華先生、⑤福建厦門天翼律師事務所律師、副主任の劉鷺華さん、⑥裁判官の計6名。この先生方に私たち2人を含めた
計8人の会食は、景観法の話などを含めて約2時間楽しく続いた。

16 林先生の研究室で資料等の打合せ(20:40~21:30)

 9日の講義には中国中央電視台(CCTV)で放映された毛丹青の『華人世界』の一部、つまり私が紹介されている約1分間の映像を使用しようと考えていたが、それをパソコンに取り込み
スクリーンに映し出すのは技術的に大変らしい。また、私が学生に配布する中国語のレジメはA3で3枚だが、それ以外に鞆の浦判決を紹介する新聞記事などの資料がある。
それを約70部ほどコピーしなければならないため、そういう事務作業を依頼した。

 それらの作業に私は直接関係しないため、私は一人だけ先にホテルへ帰ることに。

17 一人で先にホテルへ帰る(21:30~21:45)

 厦門大学からホテルまでは距離的にすぐ。そんな私のカンどおり、タクシーは8元の基本料金でホテルに到着。そして、プラス1元にも納得して料金を支払った。

18 足ツボマッサージ(22:00~23:30)

 中国旅行では私はいつもホテル近くの足ツボマッサージの店を探しているが、どうもこのホテルの周辺では見つからない感じ。そこでホテル1階にあるマッサージルームで聞くと、
90分で98元とホテルにしてはリーズナブルな価格。そこで22時から90分間ゆっくりと足ツボマッサージをしてもらい、天国気分に。

19 シャワー、就寝(24:00)

 マッサージの店では「ある勧誘」を受けたが、それを振り切って部屋に戻り、シャワーをして就寝。

3日目

1 起床(6:00)、朝食(6:30~7:00)、メモづくり

 今日は高嵐嵐さんをガイドに、朝から夕方までコロンス島の観光。晩は林東雲さんの家族との会食だ。今日もきっちり6時に起床し、しっかりとバイキングを食べ、昨日と同じく部屋の中で
メモづくりを。

2 ホテル出発(8:40)、船着場へ(9:00)

 ホテルから中山中路を通って船着場へ行く道は、1日目の夜と昨日の朝で確認済み。友人は途中中国人民銀行に寄る用事があるとのことで、私はしばらく歩行者天国の様子を撮影したりしながら
一人で船着場へ。9時過ぎに高さんと合流。3人で渡し船に乗り込んだが、この船はまず鼓浪嶼(コロンス島)の周りを一周した後コロンス島の船着場に着くらしい。その料金は1人15元。

3 島を一周後、コロンス島へ(9:20~10:00)

(1)この船から台湾の金門島が見えるらしいが、今日は少し曇っているからちょっとムリ?それでもみんな先を争って双眼鏡で金門島を探していたが、目下白内障で視力が悪くなっている私には
余計ムリ?

(2)島を一周する中で私にはっきりわかったのは、一番高いところにそびえている日光岩と鄭成功の巨大な石像。もっとも、鄭成功はオランダを駆逐したのだから、コロンス島の東から厦門島に
向かって立つのではなく、コロンス島の南から外洋に向かって立った方がカッコいい、と私は思ったが、さて?コロンス島へ降り立ってみると、厦門島はすぐ目の前だから泳いで渡れる距離?

4 コロンス島見学(10:30~16:30)

(1)コロンス島に到着、バッテリーカーで菽荘花園へ(10:45~11:00)

 事前のガイド本で知ったのは、コロンス島内での移動手段はもっぱら有料のバッテリーカーか2本の足だけだということ。専用のバッテリーカーは運転手以外に3人×3列の9人乗りで、
クラクションがわりにかわいらしい音楽が鳴るのが特徴?船着場に到着後、高さんがいろいろと交渉しているのだが、その内容が私にはイマイチ。結局最初の観光目的地まで送り届ける料金が
1人40元だということが後でわかったから、中国における契約内容の確認がいかに難しいかをこんな場面でも実感。1人40元のところ3人で100元にまけてくれたり、
コロンス島の牛皮の地図12元のところを10元にまけてくれたりしたのはうれしかったが、船着場から最初の観光目的地である菽荘花園まで1人40元というのはいかにも高いのでは?

(2)菽荘花園見学(11:00~11:30)

 最初の観光地菽荘花園は、林叔蔵が1913年につくった美しい庭。もともと福建省の龍海角美に住んでいた林家は、父の林維源の代に台湾の淡水に移り住み、板橋別墅という別荘を
所有したらしい。そして1895年の日清戦争の勃発で一家は台湾を追われ、厦門のコロンス島に定住したが、郷愁の念が強くなり板橋別墅に似せた庭園をつくったとのことだ。
菽荘花園の名前は林叔蔵の文字の発音をまねたもので、1955年に公園として寄贈されたとのことだ。

(3)ピアノ博物館見学(11:30~12:00)

 コロンス島は鼓浪嶼と書くように、浪の音が美しい小島?コロンス島には、文化大革命時代につくられたピアノ協奏曲『黄河』が代表作とされる殷承宗さんをはじめ有名なピアニストが
多数生まれているらしい。それがなぜかはわからないが、コロンス島の浪の音がいい影響を与えていたのかも?それはともかく、陳嘉庚紀念勝地をつくった華僑の陳嘉庚もすごいが、
世界中からピアノを集めてピアノ博物館をつくり寄付をしたという華僑の胡友義もすごい。もっとも、ピアノ博物館を見学して回ってもいろいろなピアノを置いているだけだから、
よほどピアノという楽器に興味を持っている人でなければ、あまり面白いものではないかも?

(4)日光岩見学(12:00~12:30)

 ピアノ博物館の中は冷房が効いていたから涼しかったが、外に出ると非常に暑い。そのうえ日光岩はコロンス島の最高峰92.68mにあるから、頂上まで登るのはかなり大変。
しかし、リュックを背負い、カメラを持って一歩一歩歩いていくしかない。日光岩のふもとには日光岩寺がある。また、頂上までにはさまざまな刻石があり、中でも「鷺江第一」と彫られた文字は
有名らしい。そして、いよいよ頂上にある直径40m以上の巨石の頂上に狭い急な階段を上って挑戦。頂上に立った時には汗びっしょりとなったが、ここから見下ろす全景はさすがに絶景だ。
「日光岩に登らず、厦門をいうべからず」の格言に反しない行動をとれたことに大満足。

(5)ロープウェイで百鳥園へ(12:30~12:50)

 次はロープウェイに乗って百鳥園へ。私は高所恐怖症。そのうえ、このロープウェイは2人乗りの小さいもので何となく頼りないから、少し恐い。しかし、そうも言っていられないから、
私が一人で1つのカゴに乗り、次のカゴに乗った2人から写真撮影してもらうことに。

(6)まずシネマ館へ(13:00~13:15)

 対岸に到着して百鳥園へ入ろうとすると、向かいに「电 影院 CINEMA」と書かれたおしゃれな映画館があった。ここではコロンス島の見どころをまとめた15分ほどの映画を上映している
らしい。上映時間は13時からなのであと10分ほど。300席くらいあるかなり大きな劇場だが、入っているのはほんの数人だけ。汗びっしょりになっている私たちは休憩と涼みを兼ねて
これを観ることに。

 そこで役立ったのが、昨日中山中路の店で買い、アンダーシャツと共にリュックに入れていたクロコダイルの半袖シャツ。つまり、急遽トイレに入り、汗をタップリと吸った長袖のポロシャツから
持参の半袖シャツに着替えたわけだ。例によって一番前の席に一人で座った私は、お行儀が悪いと知りつつ、ズボンのベルトを緩めて汗で濡れたパンツを少しでも乾燥。
映画は結構うまく編集されていたが、その15分の上映時間中も大いに時間を有効に活用したわけだ。

(7)百鳥園見学(13:15~13:30)

 百鳥園に入るとまず目の前に赤い色、青い色、白い色のオウムが並んで止まっているのにビックリ。手を出したら触れることができるが、噛まれるかもしれないのでさすがに手は出せない。
また、「你好(ニーハオ)」と呼びかけても全然答えてくれないから、このオウムはかなり横着者?

 百鳥園は全体がゴルフ場の打ちっぱなしのように金網で覆われているから人間と鳥の距離感は近いが、オウム以外にはあまり見どころなし?

(8)風琴博物館見学(14:00~14:15)

 私たちが購入した80元の観光チケットでは、菽荘花園、日光岩、百鳥園、風琴博物館、皓月園の5カ所を見ることができる。そこで、次は風琴博物館へ行くことに。風琴とはアコーディオンの
ことかと思ったが、そうではなくこれはオルガンのこと。道々に残る美しい洋風館を楽しみながら、約20分歩いていくと風琴博物館があった。ここには巨大なパイプオルガンをはじめ、
多数のオルガンが展示されていたが、これもピアノ博物館と同様、単に並んでいるだけだからあまり面白みはない。そのためか、ここを訪れている観光客は少なかった。

(9)鄭成功の石像と皓月園見学(14:30~15:10)

 今日は9時頃の船に乗ってコロンス島に渡り、最初こそバッテリーカーに乗ったが、その後は昼食も食べないまま歩きずめ。とりわけ日光岩への登山(?)は厳しかった。
そのため私はまだまだ元気だが、あとの2人はくたびれ気味で、鄭成功の像がある皓月園へ行くのはノーサンキューとのこと。時刻は14時30分頃。巨大な鄭成功像をバックにする花婿・花嫁衣装
を着た数組の新婚カップルの撮影会が実施されていたから、私もそこに割り込んで鄭成功像をバックに撮影。そして、そこで休憩しながら待っているという2人を残して私一人で巨大な鄭成功像と
皓月園へ。そこで頼んだのは、私が巨大な鄭成功像の前でタオルを振って立つのでそれを撮影してくれということ。かなりバカげた挑戦だが、結果は見事に大成功。しかし、さてそれがわかるかな?

 海に向かって立つ鄭成功の石像は高さが15.7mもあるから、真下から見るとその巨大さにビックリ。しかし、新婚カップルが写真をとっていた場所からは意外に近く、歩いて5分ほどだ。
その下でタオルを振っている姿を写真を撮ってもらった後(といっても、ホントにシャッターを押してくれているかどうかはまったく見えない)、小さな資料館に入って絵はがきを購入。そして、
階段を下に降りて皓月園に入ると、そこには鄭成功と騎馬隊をモチーフにした巨大なブロンズ像があった。私は鄭成功のことを呉子牛(ウー・ヅーニウ)監督の『国姓爺合戦』(01年)
(『シネマルーム5』155頁参照)で学んだが、そのカッコいい生き方が大好き。そのため、巨大な石像や今にも動き出しそうなブロンズ像を見学できたことに感激。

 もっとも、帰国後資料を整理していると、この皓月園とは別に日光岩のふもとに鄭成功紀念館があり、ここには鄭成功にまつわる文物を展示しているらしいから、これを見逃したのは非常に残念。

(10)「張三瘋欧式嬭茶舗」にて紅茶を

 以上で一応コロンス島での観光をすべて終え、船着場の奥にある商店街でひと休みしつつ、おみやげなどを買うことに。そこで入ったのが、「張三瘋欧式嬭茶舗」という紅茶屋。
これは最近ネット上で有名になったおしゃれな洋風の紅茶屋らしい。紅茶一杯15元は結構高いが、それでも小さな店内は女性客やアベックでいっぱい。

(11)「黄金香」にて牛肉干、猪肉干を購入

 次に商店街をブラブラしていて目についたのが、「黄金香」という小さな店。店の前に人だかりができているのは、試食品として牛肉干と猪肉干を気前よく次々と提供しているから。
昨日、中山中路を散策中に食べた「美珍香」の焼肉もおいしかったが、ここで試食した牛肉干と猪肉干もメチャうまい。牛肉干2個と猪肉干2個がセットで赤い袋に入ったものが50元だが、
それが飛ぶように売れている。たくさん試食したこともあり、こりゃ買わなければと思って買ったが、こうなるとどうしても欲しくなるのがビール。そこで近くの店で瓶ビールを10元で買い、
牛肉干と猪肉干を食べながら歩くと、気分は最高。

5 コロンス島からアモイ島へ(16:40~16:50)

 名残惜しいが、そろそろコロンス島ともお別れの時が近づいてきた。船着場に行くと(写真3-25)、ちょうど船が出る直前だったので乗り込もうとしたが、危ないので中止。
約10分後の次の船に乗り込んだが、来る時はゆっくり座れても、帰りはラッシュ並みの混雑。帰りは真っ直ぐ厦門の船着場に進むから渡航時間は5~10分だ。船着場に到着後、
今日一日つき合ってもらった高さんとお別れ。本当に今日は一日おつかれさまでした。

6 ホテル到着、シャワー(17:10)

 船着場からは、慣れた道を歩いてホテルへ。この後おいしい夕食を食べるためには、汗を流すことが不可欠。18時にタクシーに乗って林先生たちとの夕食会に行く予定だから、
その前に手早くシャワーを。

7 タクシーで夕食会へ(18:10~)、夕食(18:20~21:00)

(1)今日の夕食は林先生とそのご主人の謝松さん、12歳の娘さん、運転手さん、そして私たち2人の計6人。海沿いの大きなレストランだが、ここは海鮮料理が売りらしい。

(2)最初に出たのは日本風の刺身ではなく煮魚だったが、新鮮なだけに身がプリプリしていて本当においしい。次に出てきたシャコは日本で見るものの3倍くらいあったが、決して大味ではなく、
身が引き締まり美味。その他、どれもこれもおいしいものばかり。

(3)厦門市で政府の仕事をしているご主人は気さくな人で、日中の食比較の他、例えばシャコという単語や1、2、3、4の数字の数え方など、厦門の言葉が日本語とよく似ていることなど話題が
豊富。したがって、私の片言の中国語も交えながらいろいろな話題で盛りあがった。また、日本のアニメが大好きな娘さんは、日本語を学ぶためにも同世代の日本の男の子と文通したいとのこと。
そんな日本人の男の子を紹介してくれと頼まれた私は、娘さんに対して「我想努力!」(努力したいと思います)と答えたから、そんな年頃のしっかりした息子さんを持った人がいれば、
是非私に連絡を。

(4)ビールをタップリ飲みながらの楽しい会食が終わると、記念撮影。再度厦門に来た時も、よろしくお願いします。

8 ホテル到着(21:30)、シャワー、就寝

 シャワーをして荷物を整理し、明日の特別講義のための勉強をして就寝。

4日目

1 起床(6:00)、朝食(6:30~7:00)、

  チェックアウト(7:30)、ホテル出発(7:40)

 (1)4日目の今日は、今回の厦門旅行最大の目的である厦門城市職業学院での景観法の特別講義の日。授業は午前8時半から12時までだが、私は午前4時頃からホテルの部屋の中で机に向かって
猛勉強。鞆の浦判決も京都市の眺望景観創生条例も現在執筆中の『景観・眺望をめぐる法と政策-市民と自治体が共に進めるまちづくり』(民事法研究会)のネタとして使っているものだから
十分頭に入っているつもりだが、問題はそれをどう中国人の法学部の学生諸君に伝えるかということ。理念だけを話したのではあまりにも大雑把すぎるが、そうかといって難しい概念を
ダラダラ説明したのではきっとみんなイヤになってくるはず。

 (2)私が説明したいのは

<鞆の浦判決について>

①行政事件訴訟法の改正によって創設された差止訴訟の意義

②景観利益が法的保護に値する利益か否かという争点についての判断

③原告適格をどこまで認めるかどうかという争点についての判断

④国立マンション訴訟では都市景観が法的保護に値する利益と認められたが差止めは棄却されたのに対し、歴史的景観をテーマとした鞆の浦ではなぜ差止めが認められたのか

<景観法について>

①景観地区と景観計画区域の異同

②景観行政団体の意義

③強い規制(許可)と緩い規制(届出、勧告)の違いとその活用法

<眺望景観創生条例>

①法律と条例の関係

②景観法がたくさんの領域を条例へ委任したため条例制定がポイントになること

③視点場、視対象などの新しい概念の意義

④高さ規制などの厳しさが生む賛否両論の価値観の衝突

などだが、それをどう説明するかが難しい。

 (3)レジメはA4で2枚。画期的な鞆の浦判決を伝える新聞記事は日本語だが、鞆の浦の位置関係や埋立てと橋建設の地理的概要を理解してもらうため、あえてこれを資料として配布した。
講義時間は約3時間だが、通訳付きだから実質はその半分。さて鞆の浦判決や景観法そして京都市条例の意義について、どこまで私の思いを学生諸君に伝えることができるだろうか?

2 厦門城市職業学院の5階の教室に到着(8:15)

 今日は授業が終われば厦門城市職業学院から厦門国際空港へ直行して14:45発の飛行機に乗る予定だから、ホテルをチェックアウトした後は大きなトランクも一緒に大学に持って
行かなければならない。そこで、今日も林東雲先生の運転手が車でお迎え、お見送りしてくれることに。トランクと一緒に車に乗り込み、車の中でも資料に目を通して勉強しながら約30分もすると、厦門城市職業学院へ到着。早速5階の教室に入ると、何とそこには既に約70名の学生が着席して私たちを拍手で迎えてくれたからビックリ。日本の大学では到底考えられない風景だ。
中国中央電視台(CCTV)で放映された毛丹青さんの『華人世界』に少しだけ登場した私の映像をスクリーンに流すためのセットやビデオのセット、ICレコーダーの準備などを経て、
8時半からいよいよ授業開始。まずは林先生による私の紹介があり、続いて学部長の挨拶も。それが終わると、いよいよ私の講義の開始だ。

3 講義(8:30~11:30)と質疑応答(11:30~12:00)

 (1)8:30に始まった講義は、途中休憩15分を含めて11時半に終了。私が喋りたいと考えていた内容を、ほぼすべて喋ることができた。その内容は添付のレジメを参照してもらいたい。
また、この講義録はテープおこしをしたうえ別途ホームページに載せるから、興味のある人は是非それを参照してもらいたい。

 (2)ビックリしたのは、講義終了後の質問の多さ。日本では「質問をどうぞ」と水を向けても、それに応じるのはゼロかほんの1人、2人だが、中国流はそこが全然違い、次から次へと質問が。
帰りの飛行機の時間を気にして講義は11時半までとしていたのだが、結局12時ちょうどまで質問が続くことに。そして、最後には割れるような拍手の中で、本日の講義を終えることができた。

 (3)最後の質問者は学生ではなく民訴の先生だったこともあり、講義終了後はその先生や林先生たちと記念撮影。

4 厦門国際空港へ(12:20~13:00)

 あたふたと林先生の運転手の車に乗り込むと、後は一路厦門国際空港へ走るだけ。相変わらず快適な道路状況の中スイスイと車は進み、約20分で空港へ到着。ここで林先生と再会を約束しながら
別れを告げて、出国手続きへ。

5 厦門国際空港(14:45発ANANH958便)から

              関西国際空港(17:40着)(日本時間18:40)へ

 飛行機に乗り込むと、いつものように機内食とビール、ワインを楽しみにしながら目を閉じていると、ほどなくそれが運ばれてくることに。一時気流の問題でかなり揺れたが、タップリとビールと
ワインを飲みいい気分になったところで、関西国際空港へ到着。

 日本に到着すると気持はたちまち弁護士モードに。さあこれから事務所に戻り、荷物の整理と残務処理をしなければ。充実した今回の厦門旅行に感謝!

大連・威海・青島旅行記・・・2010(平成22)年3月13日~3月18日

[今回の大連・威海・青島旅行の動機]

1.今回の大連・威海・青島旅行の目的は3つある。第1は大連理工大学における毛丹青氏との合同講演会の実施、第2は威海にある定遠艦景区の見学、第3は青島の観光。
そのメインは第2の定遠艦景区の見学だ。

2.今回の合同講演会の計画が持ち上がったのは、昨年2009年12月28日の忘年会における毛さんの提案から。その提案は、毛さんが3月中旬を軸としてハルピン、大連、天津などで
講演旅行を行うため、大連か天津で、2009年9月18日に上海華東理工大学外国語学院で実施したような坂和との合同講演会を実施しようというものだった。もちろん私はそれに同意し、
計画が具体化するのを待った。この時の構想では大連と天津の2カ所で合同講演会を実施しようというものだったが、最終的には威海での定遠艦景区の見学が加わったため、
今回の合同講演会は大連理工大学一カ所だけに。

3.今回の目的の1つとして威海にある定遠艦景区の見学が大きく浮上したのは、昨年の忘年会の席で毛さんと薩蘇さんから聞いた、福岡の太宰府天満宮にある定遠記念館見学の話の延長線として。
09年11月に毛さんと共に福岡太宰府天満宮を見学した新華僑新聞の薩さんが、威海北洋水師旅遊発展有限公司の社長、姜培旗さんに対して手紙を書いたところ、是非毛さんや坂和と共に
威海にある定遠艦景区の見学に来てもらいたいという回答が来たわけだ。

 中国の威海には2004年に5000万元(約70億円)をかけて建造された定遠号があり、年間60万人の観光客が訪れている定遠艦景区は一大テーマパークになっている。そんな定遠艦景区の
現地のキーマンたちが案内してくれるのだから、こりゃじっくり時間をかけて見学しなければ。そこで今回は、合同講演会は大連のみとし、威海の定遠艦景区見学をメインの目的とすることに。

 そして、定遠艦景区見学後毛さんは北京に帰るが、私たちの帰路は威海に近い青島からとし、しかも青島で1泊ではもったいないので、青島で2泊することに。以上によって、
結局3月13日~18日の大連・威海・青島旅行の全体像が決定した。

4.日本は3月上旬寒い日が続いたが、中国の大連・威海・青島の気候、気温は?北京では大雪が降ったという報告もあったため、かなり寒いことを覚悟してコート代わりのジャンパーを
持っていったが、さてそれで大丈夫?

                                               以上

                                 2010(平成22)年4月14日記

1日目

1 関西国際空港(10:05発NH945便)から

        大連周水子国際空港へ(13:00着)(中国時間12:00着)

2 毛丹青氏と劉宇光さんがお迎え

  大連理工大学内のホテル(国際会議中心)へ(12:00~12:30) 

 入国手続を終えて空港の外に出ると、毛丹青氏と大連理工大学出版社の劉宇光さんがお迎えに来てくれており、劉宇光さんの運転でホテルへ。大連理工大学の施設であり、大学のすぐ隣りにある
ホテルである国際会議中心までは車で約30分。これからの予定をいろいろと話しながら乗っていると、あっという間に到着した。

3 国際会議中心2階レストランで昼食(12:40~13:10)

 まずはホテル2階のレストランで軽く昼食。豆腐と野菜を中心とした4品にしたが、味は極めて美味。

4 毛丹青氏は大連外国語大学の講演へ

  坂和と余静はタクシーで旅順観光へ(13:10~)

 私と余静は今日の毛丹青氏の講演に参加しないため、念願の旅順観光に行くことにしたが、「それでは」と劉宇光さんが貸し切りのタクシーを用意してくれた。夕方6時の夕食までに帰ってくる
予定だから、昼から半日貸し切りで料金は500元。

5 旅順見学(13:10~17:00)

(1)はじめに

 私の1番最初の中国旅行である2000年8月10日~14日の大連・旅順・瀋陽旅行では旅順の観光は許可されておらず、旅順監獄の見学がメインだったが、今回は待望の東鶏冠山や
203高地の見学へ行くことができるから大いに楽しみ。遼東半島の最南端に位置し、海を隔てて山東半島と向かい合っている旅順が、戦略的に重要な位置を占めていることは明らか。そのため、
旅順は漢の時代からさまざまな名前で呼ばれていたらしいが、私たち日本人がその名前を知ったのは、もちろん日清戦争(1894~95年)と日露戦争(1904~05年)の時。とりわけ、
乃木大将と旅順は、司馬遼太郎の『坂の上の雲』などで日本人にはお馴染みだ。

 その旅順は今も中国海軍の重要な戦略的基地として使われているため長い間日本人観光客は立ち入れなかったが、近時多くの部分が開放されたのはうれしい限り。
「旅順開城 約成(やくな)りて 敵の将軍 ステッセル・・・」と歌われ、乃木大将とステッセル将軍が会見した水師営もすぐ近くにあるが、どうもそこまで行く時間はなさそうだ。しかし、
日本軍がロシア軍と激戦をくり広げた東鶏冠山や203高地を見学すれば、『坂の上の雲』などを読みながら想像した日露戦争における旅順攻防戦のイメージが頭の中いっぱいに広がるはずだ。

(2)東鶏冠山景区

 乃木大将率いる第三軍がロシア軍と最初に激戦をくり広げたのが松樹山、二龍山、東鶏冠山だが、ロシア軍の抵抗はすさまじく、土塁で固め強固な要塞と化した東鶏冠山への正面からの突撃を
くり返した日本軍は失敗をくり返した。本日の旅順観光の第一弾は、そんな激戦地東鶏冠山景区だ。ここの入場料は1人20元だが、タクシーの運転手も半額の10元を負担しなければならないから
計50元。

1)旅順日俄戦争陳列館

 そんな日露両軍の激戦の様子は、旅順日俄戦争陳列館内に入り、そこに展示された資料を見れば一目瞭然。建物内には大砲の弾とともに機銃が展示されていたが、高い位置からこんな機銃を
ぶっ放されれば、いくら日本軍が突撃をくり返しても機銃の餌食になるだけであることは明らかだ。

2)北堡塁

 陳列館からいろいろな知識を得て外に出ると、そこには土塁で固められた堡塁があった。つまり、東鶏冠山の要塞はこれらの堡塁で守られ、堡塁と堡塁は坑道で結ばれ、さらに要所要所から機銃に
よる一掃射撃ができるように設計されていたわけだ。それに対抗する日本軍の攻めは正面突撃の他は、穴を掘り進む「坑道作戦」だが、現地を見ながらそんな姿を想像すると、日本軍のしんどさが
よくわかる。写真の堡塁は日本軍がやっとの思いで突破した堡塁(トーチカ)。「北堡塁」と刻されている堡塁の固さと高さを見れば、それがいかに大変だったか容易に想像がつく。

(3)望台砲台

 東鶏冠山景区から次の目的地に向かう途中、運転手が車を停めて教えてくれたのが、旅順口日俄戦争遺址。もっとも、停車したところには「旅順口日俄戦争遺址」と刻んだ石碑があるだけで、
上を見上げても砲台らしいものは何も見えない。運転手の話によるとかなり長い石の階段を上らなければならないそうだが、私たちは果敢にチャレンジ。この望台砲台は海抜185mあり、
ロシア軍が重要な戦略拠