海外旅行記ページ

   第1 はじめての海外旅行(ヨーロッパ、韓国、香港)
 1) ヨーロッパ視察旅行  1988.8/20~9/4 
 2) 韓国・ソウル旅行  1995.9/15~2000.10/1
 3) 香港旅行  1997.6/13~6/16
   第2 中国旅行
 1) 中国(大連・旅順・瀋陽)旅行記  2000.8/10~8/14
 2) 中国(西安・敦煌)旅行記  2001.8/10~8/14
 3)中国(北京)旅行記  2003.11/1~11/4
 4) 杭州、紹興、烏鎮旅行記  2004.3/31~4/3
 5) 桂林、深せん、広州旅行記  2004.6/10~6/13
 6)「雲南省大周遊8日間」旅行記  2004.11/28~12/5
 7) 台湾旅行記  2004.11/28~12/5
 8) 中国(曲阜・泰山・済南・青島旅行「中国5日間」)旅行記  2004.11/28~12/5
 9) 中国(上海・杭州・烏鎮・無錫・鎮江・揚州・蘇州・周庄旅行中国5日間」)旅行記  
   2006.3/16~3/20
 10) 中国(北京)旅行記  2007.10/7~10/11
 11) 中国(上海)旅行記  2008.8/22~8/24
 12) 北京・上海旅行記  2009.3/24~3/27
 13) 上海旅行記  2009.8/17~8/20
 14) 上海旅行記  2009.9.17~9/20
 15) 厦門旅行記  2009.9/17~9/20
 16) 大連・威海・青島旅行記  2010.3/13~3/18
 17) 上海旅行記  2011.11/3~11/6
 18) 上海・合肥・南京・上海旅行記  2012.8/16~8/24
 19) 台湾旅行記 2014.8/17~8/21
 20) 北京旅行記 2015.6/28~6/30
  第3 〔海外旅行記〕-その他の国編 

第1-1)ヨーロッパ視察旅行・・・1988(昭和63)年8月20日~9月4日

イギリス(ロンドン)・西ドイツ(フランクフルト)・フランス(パリ)・オランダ(アムステルダム)・スイスの都市計画などを視察しました。

第1-2)韓国・ソウル旅行・・1995(平成7)年9月15日(金)~2000(平成12)年10月1日(日)

韓国・ソウル旅行・・・1995(平成7)年9月15日(金)~17日(日)    
                        ・・・1996(平成8)年5月1日(水)~4日(土)
                        ・・・1996(平成8)年6月28日(金)~30日(日)
                        ・・・1997(平成9)年10月10日(金)~12日(日)
                        ・・・2000(平成12)年9月29日(金)~10月1日(日)

第1-3)香港旅行・・・1997(平成9)年6月13日~16日

第2-1)中国(大連・旅順・瀋陽)旅行記・・・2000(平成12)年8月10日~14日

大連(ターリィエン、だいれん)・旅順(リューシュン、りょじゅん)・瀋陽(シェンヤン、しんよう)の旅行は、2000(平成12)年の8月、今から1年前のことですが、
はじめての中国への旅でした。大いに感激しましたが、1年後の今、旅行記を書くについては、今年の西安・敦煌旅行記のようにダイナミックな動きを追ったものとはせず、
私なりの都市の印象や歴史の考え方を示すにとどめました。
「歴史観」でいえば、特に大連・旅順については、当然いろいろな意見があると思います。

〔旅行の動機〕
大連は、かつて、日本とロシアが覇権を競い合った地であり、私の愛読書である、司馬遼太郎の「坂の上の雲」の舞台の1つです。また大連市内から西に約60kmの所にある「旅順」は、
旅順港閉塞作戦で有名な軍港ですし、また、二〇三高地をめぐる日本軍(乃木希典大将)とロシア軍(ステッセル将軍)との死斗は有名です。

  ① 「旅順(りょじゅん)開城(かいじょう) 約成(やくな)りて 

     敵の将軍 ステッセル

     乃木大将と会見の

     所はいずこ 水師営(すいしえい)

  ② 庭に1本(ひともと) 棗(なつめ)の木

     弾丸あとも いちじるく

     くずれ残れる 民屋(みんおく)に

     今ぞ相(あい)見る 二将軍

  ③ 乃木大将は おごそかに

     御(み)めぐみ深き 大君(おおぎみ)の

     大(おお)みことのり 伝(つと)うれば

     彼(かれ)かしこみて 謝しまつる

  ④ 昨日(きのう)の敵は 今日の友・・・」

と延々と続く『水師営の会見』(曲名)は、私が小学生の時、何回も何回も父が歌うのを聴いて覚えた歌です。鉄道唱歌などとともに、今でも歌詞がスラスラと出てきます。
また大連から北東へ約350km離れた瀋陽は、昔、日本名で「奉天」と呼ばれたところ。かの昔、日露戦争において「奉天大会戦」が行われたところです。
大連も旅順も奉天も、松山市出身で有名な「秋山兄弟」の兄、秋山好古(よしふる)が率いた日本騎兵の活躍や、弟、秋山実之(さねゆき)の日本海海戦における天才ぶりなど、
「坂の上の雲」で ワクワクしながら何回も読んだ場面が頭に浮かんでくる、親しみをもった土地です。
こういう背景があった時、ヒョンなきっかけで、中国の大連からの留学生から、「夏休みに中国に帰るので、その機会に、大連に来ませんか」「家族みんなで案内します」と誘われ、
その気になったのです。
短い期間でしたが、旅行中は本当にその家族や友人みんなに親切にしていただきました。中国式の夕食の歓迎、車での各地への案内、友人によるガイド、などなど、それは熱狂的な歓迎でした。

〔大連のまち〕
大連(の市内)は、本当に美しいまちです。中山広場や、友好広場、勝利広場など、市内の繁華街は美しく、夜ともなればネオンがきらめく、すばらしいまちです。
また半島の南の海沿いを車で走れば、美しい星海公園や老虎灘(ろうこたん)などがあり、すばらしい景色です。
ゴルフには行きませんでしたが、私の大学時代の同級生で、よく大連に出かけて仕事をしている友達の話によると、大連のゴルフ場はすばらしいとのことです。半島の南を回っていると軍港があり、
中国の軍艦が停泊しているのが見えます。すると、「ああ、これが現実なんだ!」と思い知らされるはずです。さらに大連市内の大連駅から北東へ約20分位歩けば、大連の海港があります。
いまも大連への、あるいは大連からの海の旅行の港として利用されているもので、デッカイ港です。

〔旅順のまち〕
私ははじめて知りましたが、旅順は、反日感情がきわめて強く残っているまち、だという事でした。
なぜかというと、旅順には、日中戦争の時代、「旅順監獄」があり、多くの中国人がここで、拷問をうけたり、死刑執行をされたりしたためです。ほとんどの日本人は、旅順といえば、
日露戦争における二〇三高地の激戦ばかりが印象にあり、日中戦争時代における、中国人迫害の事実は全く知りません。ガイド本によると、二〇三高地や水師営の見学をメインとした
「旅順ツア-」は、日本人旅行者のリクエストが多かったため、外貨獲得を目指す中国側の方針でやっと1996年から実施されたとのことです。しかし この日本人向けツア-では、
日中戦争の跡が生々しく残る「旅順監獄」はもちろん、各種記念物を展示している「旅順博物館」も、見学は「不可」とされています。
中国の人、旅順の人は今でも「旅順監獄」で、当時そのままの囚人服や拷問の道具、死刑執行場などを現実に見ているわけですから、反日感情が強く残っているのはあたり前だ、と強く感じました。
今年の夏(2001(平成13)年8月)、大きな問題となった、小泉総理大臣の靖国参拝問題における中国の強硬な姿勢は、この経験からよく理解できました。

〔瀋陽のまち〕
瀋陽は、大連から車で高速道路を約4時間北東へ走ったところにあります。ここは大連に比べればまだまだ「いなかのまち」です。

1 「9・18事変陳列館」
ここで驚いたのは、何といっても「9・18事変陳列館」です。
1931(昭和6)年9月18日、瀋陽(奉天)で発生した、日本でいう「柳条湖事件」は、関東軍が満州を日本の支配下におくため、柳条湖付近で自ら鉄道を爆破したうえ、
これを中国軍の行為によるものであったとして、これを口実に中国の東北地方への軍事行動を開始した事件として有名です。
この「9・18事変陳列館」は、広大な敷地内の巨大な建物内で、日本帝国主義が中国への侵略を開始してから、日本敗北に至るまでの資料を、ろう人形などによってわかりやすく、
展示している記念館です。「百聞は一見に如かず」。とにかくこれを見れば、日本人の歴史からみた「日中戦争」、と中国人の目でみる「中日戦争」の違いを明確に認識せざるを得ません
(どちらが正しいかは別問題として)。

2 「ヌルハチの故宮」
瀋陽でのもう一つの見どころは、「ヌルハチの故宮」。ヌルハチは1625年に中国の後金(後の清王朝)を建国した初代皇帝(治祖)として有名です。そのヌルハチの遷都によって、
瀋陽が後金の都となり、故宮が建設されたのです。その故宮は、中国何千年の歴史を感じさせる、そりゃ立派なものでした。

3 「張学良旧居陳列館」
それからもう一つ。瀋陽には「張学良旧居陳列館」があります。
関東軍の「柳条湖事件」(奉天事件)によって殺された「張作霖」、の息子の「張学良」は、中国東北地方の軍閥のボスとして、激動の時代を生きた人物です。
張学良は、張作霖の後を継いで、中国東北地方の実権を握った軍閥です。父親を日本軍に殺された張学良は、当然、抗日派でしたから、蒋介石の国民党による中国統一を支援して、
日本軍と戦いました。
しかし、蒋介石の共産党嫌いは強く、共産党との内戦を日本軍との戦いよりも優先しました。蒋介石の命令に従って、共産党討伐に従事していた張学良でしたが、日々、日本軍に中国本土が
侵略される中、抗日統一戦線の結成を呼びかける共産党の主張に次第に共鳴し、ついに、1936年、西安事件をおこします。
張学良は、共産軍討伐の督促のために西安に入った蒋介石を、西安の地に軟禁し、共産党との内戦の中止、抗日統一戦線の結成を迫ったのです。
この事件が契機となり、第二次国共合作が成立し、抗日統一戦線の下に、中国は日本軍と戦います。
1945年、日本の敗戦。そして、1949年、中華人民共和国の成立。しかし、これにより、国民党は台湾へ渡り、蒋介石は台湾の総裁となります。張学良は、西安事件の後、
蒋介石に捕らえられ、そして、戦後も台湾で1989年末まで軟禁されます。
しかし、新たに建国された共産国家の中国では、西安事件を起こして、国民党と共産党の抗日統一戦線を実現させた張学良を「愛国将軍」と呼び、高く評価します。
そして、中国の共産党政権は張学良に対して中国への里帰りを呼びかけましたが、張学良は自分の立場が政治的に利用されるのを嫌って、1994年以降、ハワイで過ごします。
張学良は、2000年6月、数え年で100歳を迎えました。
このような資料がいっぱい詰まっている「張学良旧居陳列館」を見る中で、私はあらためて日中戦争の時代の中国史の勉強をすることができました。

大連 半島南の海沿い 老虎灘

瀋陽 9.18事変陳列館

瀋陽 9.18事変陳列館入口

瀋陽 ヌルハチ故宮入口

第2-2)中国(西安・敦煌)旅行記・・・2001(平成13)年8月9日~14日 

西安(シーアン、せいあん)は、本当に、中国何千年の歴史を実感できる素晴らしい都市です。そして敦煌(トゥンホアン、とんこう)はワクワクする歴史とともに、夢やロマンを
感じさせる都市です。
歴史や仏教の勉強も不可欠ですが、自分で見聞しながらのこれらの勉強は非常に楽しいものです。2001(平成13)年の夏は、最高に幸せな、また興奮した夏でした。

〔旅行の動機〕

吉川英治や北方謙三の『三国志』、柴田錬三郎の『英雄生きるべきか死すべきか』、司馬遼太郎の『項羽と劉邦』などの愛読書の面白さとは別に、昔読んだ、井上靖の小説『敦煌』や『蒼き狼』では
中国やモンゴルへのロマンをかきたてられた覚えがあります。

『敦煌』は、見たことのない夢のような都市だったのです。
また、1988(昭和63)年に上映された佐藤浩市、西田敏行、渡瀬恒彦、中川安奈(新人)らが出演した映画『敦煌』もすぐに観に行き、感動しました。
これらが伏線として自分の頭の中にあったところ、2001(平成13)年に知り合った、中国西安からの留学生の友人から、「夏休み西安に帰るので、よかったら西安旅行に来ませんか」
と誘われました。

西安とは、玄宗皇帝と楊貴妃が暮らした、中国が、隋・唐の時代の長安の都です。つまり西安は最も華やかなりし時代の中国の都であり、秦の始皇帝の陵や兵馬俑のある歴史都市です。
そして、西安から更に西北へ飛行機で2時間半飛んだところにある敦煌は、中国の最も西端に位置し、シルクロードの拠点として長い長い歴史の移り変わりを見てきた都市です。
小説の『敦煌』や映画の『敦煌』で描かれた莫高窟の中の一つの窟(16・17窟)に密かに隠されていた膨大な仏教の経典は1000年近く、そこに眠っていたもので、その発見は
20世紀最大の発見といわれ、当然、世界遺産に指定されたものです。
また、鳴沙山をはじめ、一面に広がる砂漠とそこを行くラクダの隊商は、本当に歴史のロマンを感じさせるすばらしい風景で、日本では絶対見ることができないものです。
最初は「行きたいな」と思いつつ、「西安・敦煌のような遠いところまでは大変だ」、また「食事も恐いし、暑いし、電話も通じないし....」と考えていましたが、ガイド本を読み、
いろいろ資料を見ているうちに、「思い切ってこの際、西安まで行こう。また、どうせ行くのなら敦煌まで....」と決断。お盆休みを利用して行くことを決心しました。

西安へは、最近JASで大阪からの直行便がありますが、週2便ずつの出発便と帰国便しかありません。そこで8月9日~8月14日と決定。友人は8月6日に中国に帰り、
8月24日に日本に帰ることになったため、結局私は一人で行き、一人で帰ることになりました。
中国旅行は、昨年の大連(旅順を含む)・瀋陽への旅行に続いて2度目。何とかなるワ!」と覚悟を決めて出発。一眼レフのカメラに36枚撮りフィルム30本をもって、
とにかく何でも見てやろう、の精神で旅立ちました。

1日目

西安(シーアン、せいあん)というまち

関西国際空港から西安へはJASの直行便で約4時間。
西安という名前で呼ばれるようになったのは、明の時代の始めから、とのことです。1997年作の香港・日本合作の超大作で、
数々の賞を受けた映画『宋家の三姉妹』でも描かれている、有名な「西安事件(1936年)」以降、西安という名前が日本でも
有名となりました。

1912年に清王朝が滅び、中華民国の臨時大統領となった「孫文」は一時失脚し、日本に亡命しますが、1919年国民党を結成し、
再び活動を開始します。しかし、1925年、孫文は死亡し、その後国民党の実権を握ったのは、日本留学の経験もあり、
親日派の「蒋介石」です。
一方、中国共産党は、1921年に結成されますが、共産党と国民党は、いったん(1924年)、「第一次国共合作」を成立させたものの、
仲が悪いのです。1931年、「柳条湖事件(奉天事件)」発生。
以降、満州事変が始まり、日本の軍隊が、中国本土に次々と侵入していきますが、蒋介石は日本軍と戦うよりも、共産党との内戦を優先しました。
そこで、自分の父、「張作霖」を柳条湖事件によって、関東軍に殺され、抗日戦に燃える中国東北地方の軍閥のボス「張学良」は、
国民党と共産党の内戦を中止させて、一致団結して抗日戦を戦うよう、蒋介石に要求します。そして、共産軍討伐の督促のために、
西安に来た蒋介石を軟禁して、抗日統一戦を迫ります。
蒋介石は迷いますが、命を賭けて自分を救いにきた妻、美齢(宋家の三女)の説得もあり、ついに、「第二次国共合作」が成り、
抗日統一戦線がつくられるのです。このように、西安事件は、長い間対立していた、国民党と共産党の手を結ばせ、共通の敵である、
日本帝国主義に目を向けさせることになった、中国の歴史上大きな意義をもつ事件なのです。

私流の「近代中国史の講義」、はさておき、西安は実は、隋、唐の時代、「長安」の都といわれていた、最も華やかな都です。
現在の西安旧市街地は、東西3.8km、南北2.8kmの城壁で囲まれていますが、昔の長安の都は、この約10倍の面積の広大な都だった
とのことです。奈良(平城京)や京都(平安京)は、この長安の都をまねて、碁盤の目のようにつくられたのです。
城壁の中、旧市街地の中心は「鐘桜(しょうろう)」。城門を開ける合図として、毎朝鳴らされた鐘がある、西安のシンボルです。
逆に、夕方に鳴らされる鐘の終了と同時に、城門を閉じるシステムのものが「鼓桜」で、西門にあります。
四方にめぐらされた城壁は、約20mの幅のものですが、中国に現存する古代城壁の中で、西安の城壁は最も保存状態が良いといわれています。
夜は、鐘桜や城壁はもとより、旧市街地内の大きな建物はライトアップされますので、鐘桜や城壁から見える旧市街地の景色は
「美しい」の一言です。

西安 陜西(りょうせい)歴史博物館前にて

西安 大雁塔(だいがんとう)前の広場にて

2日目

西安

1、朝食・・・午前8時~9時
朝、7時半に友人がお迎えにきて、ホテル近くに新しくできた、評判のいい「永和豆漿」というレストランへ。
ブランコみたいに綱でつられたベンチで、向かい合わせに座っての食事。野菜モノとメン類とギョーザなどを2人で食べて25元(450円位)。
明るい店でおいしかった。

2、兵馬俑(へいばよう)・・・午前10時~午後1時
旅行2日目の8月10日。安くておいしい朝食を終えて、午前9時から車で行ったのが、兵馬俑です。兵馬俑は、西安市内から北東へ、
車で1時間弱のところにあり、「世界の第8番目の奇跡」といわれ、日本人にも大変有名です。ここは、西安を訪れる日本人の観光客は
必ず訪れるところで、「秦の兵馬俑を観光しなければ、中国へ行ったことがないのと同然である」といわれているほどです。
まずは、広大な1号坑にある約6000体の兵馬俑。これには一目見て、圧倒させられます。現在も発掘中の2号坑は、坑の中は、
1号坑に比べれば、たいしたことはないものの、ガラスケースにきれいに陳列された将軍俑や跪射武士俑などは、絵ハガキでよく見るもので、
その美しさに感嘆させられます。
そして、司令部の坑である3号坑は、小型ですが、秦の時代の軍隊のシステムがよく理解できます。
そして銅車馬館と呼ばれる博物館が1号坑の隣にあります。
この兵馬俑の全体の解説は、あらゆる本でされているため、このページではこれ以上述べません。ただ、日本人向けのガイドにも、上手い人、
下手な人がありますので、ツアー客は、その「当たり」、「外れ」によって、楽しさと理解度が大きく異なることだけ
指摘しておきたいと思います。
私は、中国人の友人と一緒だったため、あちこちの日本人ガイドについて回ってその解説を聞いたり、あるいは中国人ガイドの解説を
さらに通訳してもらったり、という形で、楽しみながら、この広大な兵馬俑を見て回りました。そのためガイドの解説の「聞き比べ」を
たくさんすることができました。

3、始皇帝陵(しこうていりょう)
始皇帝陵とは、要するに、秦の始皇帝のお墓です。兵馬俑から西に1.5kmのところにあります。これは時間の関係で、
兵馬俑の帰り道に車の中から見るだけとなりました。
秦の始皇帝(B.C259~B.C210年)は、13歳で即位してから次々と韓、趙、燕、魏、楚、斎の国を滅ぼして、はじめて中国を統一し、
秦王朝をつくりました。39歳ではじめての統一中国の皇帝(始皇帝)となり、10年後の巡行中に死亡しました。
その始皇帝が即位してまもまくつくり始めたのが、自分の陵墓で、37年間かけて、延べ70万人を動員した、といわれています。
始皇帝陵は、山を背にして、水が流れているところ。そうすれば、山水に囲まれて、霊気が湧き、盛んになる、ということで、
「風水学」からみて理想的な地形になっているとのことです。
兵馬俑は東にある6国との戦いに備え、またこの始皇帝陵を守るために陵の東 に設けられています。

4、華清池(かせいち)・・・午後1時~3時
兵馬俑の帰り途にあるのが華清池です。華清池見学は、8月10日の午後1時~3時頃でした。
ここは、中国の歴代皇帝が愛した「避暑地」兼「温泉地」。今でいう一大リゾート地です。とくに玄宗皇帝と楊貴妃が、毎年10月から春までを
ここで過ごしたことで有名です。楊貴妃は、もともと自分の息子の妻だった女性。あまりに美しく魅力的だった楊貴妃を、どうしても
我がものにしたい玄宗皇帝は、息子夫婦を離婚させて、自分の妻としたのです。そして毎年、華清池で、2人で、この世の春を謳歌しました。
しかし・・・。そういつまでもいいことは続かず、2人の春は「ジ・エンド」となります。
玄宗皇帝が入った風呂は、中で水泳ができるように、そしてまた多くの美女と一緒に入れるようにするため、デッカイもの(湯船)と
なっています。これが「九龍湯(蓮華湯)」です。そして、楊貴妃が入ったのは、シンプルサイズの「芙蓉湯(海棠湯)」です。
今から見れば、湯船自体は大理石でもなく、特別豪華なものではありませんが、当時は、温泉につかってのんびりと・・・というのは、
皇帝しかできない楽しみだったのです。温泉の裏山は五間庁という山で、別のページで解説する「西安事件」の際、蒋介石が張学良に
監禁されたところ。「兵諫亭」と呼ばれているとのことです。
実は、私もこんなお話は知りませんでした。
今も湧いている温泉があり、1元(15円)出すと、中に入って顔や手を洗うことができます。中には、上半身裸となって身体を拭いている
オッチャンもいましたが・・・。
温泉の周りには、九龍湖と呼ばれる、大きな美しい湖があり、そこには楊貴妃の大きな像が立っています。唐の時代は、全体的にふっくらとして、
顔もふくよかな女性が美人とされていましたので、楊貴妃もかなりのポッチャリ型です。
男の人を狂わせるほどの美人だったかどうかは、人それぞれの主観の問題でしょうが・・・。

5、半坡遺跡(はんひいせき)・・・午後3時30分~6時
華清池の帰り途にあるのが、半坡遺跡で、8月10日の午後3時30分から午後6時頃まで見学しました。これは、1953(昭和28)年に
発見された、6000年前の「新石器時代」の遺跡です。西安市内から東へ約5kmのところに、こんな、6000年も以前からの歴史的な遺跡が
現存していることには、本当に驚きました。
この遺跡では、新石器時代の生産用具や生活用具など1万点が発見されたとのことで、これらが広大な博物館の中に展示されています。
これも興味深かったけれど、それ以上に面白かったのは、3000㎡の遺跡ホール。ここには、新石器時代を再現した家屋や集落、
そして昔の道や釣りをする池や広場などがあります。製陶や紡績を女性がしていたので、遺跡ホールの中の至るところで、
実際に陶器をつくっており、これをおみやげとして販売しています。
遺跡ホールでずっと流れていたバックミュージックは、この陶器でつくった「オカリナ」のような楽器で吹いている音楽です。
1つおみやげで買って吹いてみましたが、なかなか鳴りません。しかし、少し意地になって、コツを教えてもらいながら10分位練習すると、
「ドレミファソラシド」位はちょっと吹けるようになりました。
また、この遺跡ホールの中の1つは、古代舞踊の小屋。何かと思って、のぞいてみると、15~16歳くらいの可愛い女の子が舞台衣裳を着て、
音楽に合わせて練習中。一番可愛い女の子に「何をやっているのか?」と聞くと、「お客が2人以上集まれば、原始踊りのショーをやる。
料金は、30元(約450円)」とのこと。「ものは試し・・・」、と早速、注文し、友人と2人でこれを見ました。
原始時代をイメージさせる音楽が鳴って、1回5分位で、4ステージほど、可愛い女の子が5、6人で踊ってくれます。
私たち2人だけの観客は、「ワイングラスを傾けながら」ではなく、「ペットボトルの水をチビチビやりながら」、これを楽しみました。
途中で間違えたり、目で隣の子の動きを追って真似をしながらやっていたりするのもご愛嬌で、まぁ「学芸会」に毛の生えた程度のものでしたが、
私にとっては、何とも楽しい初めての経験でした。

6.イスラム街見学~イスラム寺院 清真寺(せいしんじ) ・・・午後6時~7時30分
西安のガイド本には、イスラム街とイスラム料理のコーナーがよく載っています。「回民飲食街」と言って、西安の市街地の西の部分がこれです。
日本の縁日のようなもので、烤羊肉串(シシケバブ/羊の肉を細かく切って串にさして焼いたもの))、
柿子餅(シジモチ/柿を小麦粉とあんなどで焼いた饅頭)などのイスラム料理がならんでいます。
私が、このイスラム街へ行ったのは、西安旅行の2日目、8月10日の午後6時頃、半坡遺跡からの帰りです。
そのイスラム街にあるイスラム寺院で最も大きいものが、清真寺。
奥が長く、行けども行けどもたどり着かないという感じの大きいお寺です。1000人が入れるという礼拝殿の中には入らせてもらえませんが、
数人がイスラム流の礼拝をしている姿を見ることができました。また、イスラム寺院は門を入ってすぐの所に沐浴場があります。ここでまず、
身体を清めてから礼拝するのです。
昔、映画で観た『マルコムX』でのイスラム教の教えやイスラム文化を思い出しました。
その見物の後、中国の友人3人と一緒に、一軒の店に入りました。そして私も、羊肉串を10本位食べましたが、これはおいしかった!
しかし柿子餅は、固くて味がなくて、全然おいしいものではありません。いわば、携行食・非常食のようなもので、日本のお好み焼きや
韓国のチジミの方がよほどおいしい。しかし、値段はとにかく安く、1人200円もあれば十分です。

7、鐘桜(しょうろう)~城壁見学・・・午後7時30分~9時30分
イスラム料理を少し食べた後、「閉館とならないうちに!」、ということで:ライトアップされた鐘桜に友人と2人でのぼり、鐘をつきました。
そしてさらに城壁をブラブラと散歩して、ライトアップされた西安の旧市街地の美しさを堪能しました。もちろん写真もいっぱい撮りました。

8、待望のギョーザの夕食・・・午後9時30分~10時30分
旧市街地内には、有名なレストランがいっぱい並んでいます。その中の1つ、「徳発長(トォファーチャン)」という、
何10種類のギョーザを出すことで有名な店は、どのガイド本にも載っている超有名な店です。友人の家族の話しでは、
「たいしたことはない」とのことでしたが、「やはり一度は食べておかないと!」と主張して、入りました。
お客さんはほとんど西欧人などの外国人ばかりです。正直なところ味は今ひとつ、値段も割り高だと思いました。
同じガイド本に載っている店でも、旅行最終日の8月14日の朝食べた「五一飯店(ウォイーファンティエン)」という、
中国人もよく利用している店はおいしかった。要するに、地元の人がよく行くレストランの方が、
安くて(1人500円もあれば十分)おいしいということです。

9、ホテルへ~就寝
午後11時すぎ、ホテルに帰り、風呂に入ってベットへ。
明日は崋山(かざん)への登山。朝6時のお迎えです。

西安 華清池(かせいち)にて

西安 楊貴妃のお風呂(海棠湯)

西安 華清池(かせいち)の楊貴妃像前にて

西安 半披(はんひ)博物館にて

西安 清真寺(せいしんじ)にて

西安 鐘楼(しょうろう)のほり鐘を打つ

西安 中心市街地の夜景

西安 徳発長の入口 何10種類もの餃子

3日目

1、崋山(かざん)への登山
「中国に五岳(ござん)あり」といわれています。つまり、古代、帝王たちが天地を祭った有名な山が五つあるのです。その一つが崋山です。
ここは、西安の東方約120kmの地にあり、東峯、南峯、西峯、北峯、中峯という五つの峯からできています。
2160mの南峯が1番高い山です。
西安旅行は3日目。朝5時起床で、中国の友人3人と一緒にこの山に登ることになりました。
6時に車でお迎えが到着し、市内の小さい食堂でおかゆと揚げパンだけの軽い朝食をすませ、昼食用の軽い携行食と、りんご・桃を友人が持ち、
私は一眼レフのカメラと三脚だけを大事に持って出発しました。車で約2時間。ウトウトしていると、突然「うわーすごい!」という隣りの声で
目が覚めました。切り取られたような断崖絶壁だらけの山が目の前に広がっていました。
五岳の中でも、崋山は最も険しい山で、「天下第一剣山」といわれているだけのことがあります。日本では、到底お目にかかれない山の風景です。
まずは、ロープウェイに乗り、北峯の麓まで約15分。すごく急なロープウェイですが、ここまでは、「きれいだなあ!」「すごいなあ!」
と言ってるだけですみました。このロープウェイは、中国の改革開放政策が進み、旅行シーズンには観光客が1日5~6万人も
来るようになったので、数年前に完成したとのこと。友人が数年前に登った時は、狭い狭い一本の険しい道を、下からずっと歩き、
山頂で一泊したとのことでした。
ロープウェイを下りたのが午前10時すぎ。そして北峯の頂上(海抜1614m)までは約40分。すばらしい景色を見ながら、
いっぱい写真を撮りました。
そして、それから・・・。これからが大変です。南峯や東峯まで歩くとのこと。フィットネスで鍛えた足には自信があったので、
「ああ、OKよ!」と簡単に言いましたが、それからは、要所要所で写真を撮る以外は歩きずくめ。それも、せいぜい2人しか通れない
険しい道で、鉄の鎖や手すりがなければ本当に危険な石段ばかり。汗だくになりながら、とにかく一歩一歩、歩くのみです。途中で1回だけ
休憩をとり、スイカを食べましたが、そのおいしかったこと!山の上だから値段はちょっと高かった(それでも200円くらい)けど、
その甘さと水分たっぷりのありがたさは忘れられません。
そして・・・。やっと・・・。午後1時半頃、崋山南峯の頂上2160mに到着しました。さすがに写真に写った顔はすごく疲れているようです。
そして、下山。帰りは、登る時に比べれば楽なもの。途中、約30分ほど持参の携行食を食べて休憩。そして、ロープウェイで下山。
下山したのが大体、午後4時頃です。そして崋山から西安への帰り道に、空海のお寺の青龍寺へ寄ったのです
(だから、青龍寺境内をブラブラ見物していると、6時ギリギリとなり、空海記念館は見れませんでした)。
さらに、その青龍寺見学後、唐華賓館の見物をしてから、西安市内のレストランで夕食をとり、その後、唐楽宮で観劇をしたのです。
毎日毎日いかにハードなスケジュールで動いていたか、十分おわかりいただけると思います。

2、青龍寺(チンルォスー、せいりゅうじ)・・・午後5時~6時
日本で有名な弘法大師、空海。この空海が、中国で教えを受けたお寺で、廃寺、となっていましたが、1984(昭和59)年に、
日本の真言宗徒の力によって再建されたのが青龍寺です。
西安旅行3日目の8月11日、華山への登山が終わり、西安市内への帰り途、このお寺に立ち寄りました。
このお寺は、西安市内から西へ、車で約20分位の住宅街の中にあり、桜のきれいな所だということです。境内には、真新しい空海記念碑が
建っています。境内の池のつくり方や石の配置の仕方などは、日本風です。境内をブラブラ回っていて、隣にある空海記念堂に入ろうとした時は、
既に夕方の6時。記念堂の門が閉まったところでした。門をドンドン叩くと、人が出てきたので、「ちょっとでいいから開けてくれ。
中を見せてくれ。写真を撮るだけでいいから」とお願い(もちろん友人が中国語で)しましたが、けんもほろろに断られました。
そこでやむなく門の外から写真を撮って退散しました。

3、唐華賓館(タンホアピンクァン、とうかひんかん) 
大雁塔のすぐ近くに「唐華賓館」があります。日本人客がよく泊まるホテルです。この、旧市街地からちょっと離れた、
落ち着いたたたづまいのホテルに、私の中国の友人が昔勤めていたのです。そのため、私たちは旅行中、ここには2回、顔を出しました。
1回目は、旅行3日目の今日、青龍寺からの帰りで唐楽宮へ行く前。そして2回目は、敦煌から帰った旅行5日目の8月13日の夕方です。
この1回目の時は、時間が少ししかなかったので、友人が昔のホテルの仲間たちとおしゃべりをしただけ。もっともそのおかげで、
私がここで買ったおみやげは、かなりまけてくれました。

4、夕食~唐楽宮(タンロォクオン、とうがくぐう)
西安旅行で事前に日程に入れていたのが、唐楽宮でのショーの観劇です。
この唐楽宮のショーは、事前の予定では、旅行3日目、8月11日の西安見学の終わった後の晩、と決めていましたが、現実には、
華山への登山と青龍寺見学の後となりました。
ここでは、(A)観劇だけの1時間余のコースと、(B)ディナー付のコースの2通りがあります。外国人は大体(B)コースを選びますが、
私たちは、当然(A)コースを選定。なぜなら、日本のホテルでのディナーショーと同じで、食事付きと言っても、値段が高くて、
あまりおいしいものは期待できないからです。
そこで、食事は、中国の友人おすすめのレストラン「老雪花家」に行き、おいしいものをたらふく食べました。
もっとも時間は1時間足らずしかなかったため、ビールとともに、かなりつめこみましたが・・・。そして、ショー見学となりました。
これは、いわば「中国版宝塚」で、楽団はもちろんナマです。中国の京劇も入りますが、テーマとなるショーは大体、唐代の華やかなりし時代を
懐かしむものが多いようです。
しかし1時間ドラマ、2時間ドラマではなく、短い物語をもったショーが次々と続くものです。
私はもともとストーリー性のある劇の方が好きなので、その意味では物足りなさを感じましたが、華やかさという意味では十分堪能できました。
しかし、総合的には、日本の宝塚大劇場での宝塚歌劇の観劇の方が価値あり、また、スーパー歌舞伎『新・三国志』などの方が断然勝ちだ、
と思います。

西安の東方120㎞にある華山(かざん)

西安 華山(かざん)北峯(海抜1614.7m)にて

西安 華山(かざん)の南峯頂上2160mにて

西安のレストラン老雪花家にて

第2-3)中国(北京)旅行記・・・2003(平成15)年11月1日~4日 

〔旅行の動機〕

1.中国の歴史上の興味
北京旅行の動機の第一は、やはり、北京というまちへの歴史上の興味。中学・高校時代の、中国史に重点を置いた世界史の勉強を基礎として、中国という国に私は昔から興味を持っていた。
また、大きな幸運に恵まれて、1回目は大連へ、そして2回目は西安へ中国の留学生の案内で旅行することができたが、北京は絶対に見ておかなければ・・・と思っていたまち。

2.SARS騒動沈静化
2003年2月に突然起こったSARS騒動は大事件となった。これによって中国へのツアー旅行はほぼ全滅。北京や上海そして香港などへの日本人の観光客はほとんどいなくなった。
しかし2003年6月24日にSARSの終焉宣言が出され、7月24日からはツアー旅行が再開された。失った観光客を呼び戻すため次々と格安ツアーが企画販売され、
「中国3日間39,800円」などという破格のツアーも企画された。考えてみれば、ホテルに一泊するのにも1万円かかるのだから、往復の飛行機代、3日間のホテル代、朝昼晩の食事代、
移動の交通費等をどうやってまかなっているのか不思議なほどの「バカ安」料金だ。

3.映画からみる北京への興味
(1)香港を舞台とした映画ではウィリアム・ホールデンとキャサリン・ヘップバーンが共演した『慕情』(55)が有名だが、中国を舞台とした映画で有名なものは何といってもイタリアと中国の
合作映画『ラストエンペラー』(87)。またもっと昔には、チャールトン・ヘストン主演の『北京の55日』(63)やスティーブ・マックィーン主演の『砲艦サンパブロ』(66)等
さまざまな名作があった。映画好きの私は、これらの映画を通じての中国や北京への興味も強かった。
(2)私は最近、中国映画にハマっている。これは2002年の正月休み中に、「中国映画の全貌2002-3」を観て以来のことで、最近その興味が更にどんどん強くなっている。
その結果、2003年8月に出版した私の映画評論本『社会派熱血弁護士 映画を語る SHOW-HEYシネマルームⅡ』では中国映画特集を組み、『さらば、わが愛/覇王別姫』(93)、
『活きる』(94)、『鬼が来た!(鬼子來了)』(00)、『小さな中国のお針子』(02)を取りあげた。最近観た中国映画ですごかったのは、秦の始皇帝暗殺未遂事件を描いた
『HERO(英雄)』(03)。また『春の惑い(小城之春)』(03)もよかった。北京に行って必ず見ておきたかったのは北京駅。それは『北京ヴァイオリン』(03)の冒頭シーンと
ラストシーンに大感激したことによるものだ。またこの北京旅行に行く直前に鞏俐(コン・リー)主演の『たまゆらの女(ひと)』(03)を観て、
産経新聞大阪府下版の「That´sなにわのエンタメ」に掲載する記事を書いた。この映画は昆明と重慶を結ぶ遠距離恋愛を描いたものだが、その意味を理解するためにも、
北京は絶対見学しておかなければならない大都市なのだ。

〔ツアー旅行の功罪〕

1.私の1回目(大連)、2回目(西安)の中国旅行は中国人の友人(留学生)に案内してもらった1人で行くプライベート旅行。これは気ままではあるが、朝早く起き夜遅くまで
ガイド本とカメラを片手にして動き回るハードな見学旅行であり、勉強のための旅行。それに比べるとツアー旅行は、団体で軽く見てまわるだけのもので、あまり勉強にならないものと思っていた。

2.もっとも、1997年の香港旅行は10名弱のツアーで行ったもの。団体でバスに乗り、ガイドの案内を聞きながら見物してまわる気楽なものだった。あまり勉強にはならないものの、
それなりに楽しい旅行だった。
今回は3泊4日、1人49,800円という格安ツアーだったが(もっとも1人1部屋のオプションによる割増料金あり)、さてその結果は・・・?

3.ツアー旅行の良いところは次のとおり。

①何といっても安いこと
前述のように3泊4日で5、6万円はバカ安。
②移動が楽なこと
特に北京は広大なまち。そのうえ万里の長城等の郊外の見学が不可欠な場合、プライベート旅行では移動のための交通手段が大変。その点、ツアーでの移動は極めて楽!
③食事も用意されているから、何をどの店で食べるかについて自分で悩まずに済むこと
中国旅行のポイントの1つはおいしい食事。しかし自分で調べて予約して注文して、では時間がかかる。その点ツアー旅行は楽。もっとも満足できるかどうかはバクチだが・・・。

4.他方、ツアー旅行の心配なところあるいは欠点は次のとおり。

①提携した土産店へ入る日程が組まれていること
これはツアー旅行だから仕方ないかもしれないが・・・。押しつけ、無理矢理とまではいかないものの、当然ながら商品を必死で売ろうとしてくる。もっとも私は買い物も結構好き。
その値切り交渉も面白い。しかし見学・勉強重視の観点からいうと、時間の無駄になってしまう。
②ガイドの案内内容や人柄の良し悪しによって、旅行そのものが良くなったり、逆に悪くなったりすること
③日程以外の動きが制約されること

5.総評
以上のような問題があるが、今回の旅行ではツアー旅行特有の問題点は全くなく、十二分に満足できるものだった。もっとも我々4人のグループのうち、私と相棒の中国人の2人は
公式日程が終わった後もプライベートで日付が変わる直前まで見学し続けた。中国人が一緒だったからそれが可能だったが、日本人2人だけではそれは難しいだろう。
またその場合、朝6時から夜中12時まで目一杯動き回る体力が必要だ。

1日目

1.出発準備
12:40集合、2:40出発の予定だったので、12:30にカウンター前に集合。ところが北京が霧のため、北京から日本へくる飛行機が
まだ到着しておらず、3時間ほど遅れるとのこと。したがって出発は5:40の予定。何ということだ。それでは今日は北京に着いても
何も見学できないではないか!そのために北京で知り合いの中国人に会うつもりをしていたのに、その時間の予定がたたないことに
なってしまった・・・。そこで仕方なく1:00から2:00頃まで軽く食事。2:00過ぎに搭乗手続をとり、荷物を預け、
後は出発を待つだけとなった。


2.やっと出発
5:20に北京からの飛行機が到着し、やっと機内に乗り込むことができた。6:00過ぎに出発。搭乗時間は約2時間30分。
機内食のサンドイッチ、寿司を食べて、北京時間で8:15に北京空港へ到着。入国手続を終えて、ガイドさんのお迎えを受けて
やっとバスに乗り込んだのが9:00前。バスはホテル近くのレストランに寄り、9:00から9:40までそこで軽食。
軽食といっても炒飯なども出てボリュームは十分。軽食終了後バスに乗り、3日間宿泊する華潤飯店
(CHINA RESOURCES HOTEL)に到着した時には10:00になっていた。


3.自由行動
ホテルのチェックインを済ませ10:30頃部屋に入った後、近くをブラブラするつもりですぐに外に出た。しかし結局はタクシーに乗り、
三里屯へ(写真①)。ここはライブハウスなどがある、面白いところというのがガイド本の案内。たしかに外国人がいっぱい集まって
夜中まで歌や踊りを楽しむ店が集まっているが、予想したほど大きくはなく、ちょっとがっかり・・・。ブラブラと(足早に)ライブハウスの並ぶ
賑やかなまちを約1時間歩き回った後、これで三里屯の見学終了と判断して再びタクシーに乗り、0:30ホテル着。シャワーを浴びて就寝。

ホテルに着くやいなや夜の10時から三里屯へ

2日目

1、スタート準備
6:00 起床、朝食
7:30 フロント集合
7:45 バス出発(合計38名)

2、天安門&天安門広場見学
北京旅行のメインの第1は、何といっても天安門と天安門広場の見学。
1949年10月1日、毛沢東が中華人民共和国の成立を宣言したのが、この天安門の壇上だ。あの毛沢東主席の写真が掲げられた赤い門は誰もが知っているはず。
デッカイ「毛沢東主席」の写真と並んで立てば、私も相当な「権力者」・・・?そこに掲げられているスローガンは「中華人民共和国万歳!」と「世界人民大団結万歳」の2つ。
この天安門の南側の広大な広場が天安門広場。何と40万㎡という大広場で、50万人を収容できる大きさだ。とにかくバカデカイ。
天安門広場の周りには、「人民大会堂」、「毛主席記念堂」、「中国革命博物館・中国歴史博物館」、「人民英雄記念碑」など国家の中枢施設がびっしり。その広大さと権力の象徴を
十分に堪能できる。
ちなみに、1989年6月4日の「天安門事件」はこの広場で起こったもの。民主化を要求して、天安門広場に集まった学生、市民のデモ隊に対し、人民解放軍が発砲し、
大弾圧を加えた血なまぐさい大事件だ。それから既に14年。その天安門広場に立てば、中国は大きく変わったことが実感できる。

3、故宮(紫禁城)見学
(1)故宮 総論
天安門広場の北側にあるのが故宮(紫禁城)で、明の時代の1420年に完成したもの。以来、明、清朝の歴代24人の皇帝の居城となり、宮廷が置かれてきた。
そして、ここで清朝最後の皇帝となったのがラスト・エンペラーの溥儀だ。
インターネットで調べたところによれば、故宮を紫禁城を呼ぶのは次の理由によるとのこと。すなわち、「中国古代の星象学では、紫微垣(北極星)は天の中心であり、天帝の居住するところである。
天人対応の思想によれば、人間の皇帝が居住する皇宮は天上の紫微宮に相当する。そのため皇帝の皇宮を紫禁城と称するのである」。
故宮は、大きくは南側が外朝、北側が内廷に分かれている。外朝は皇帝が公式行事を行う場で、オフィシャルな空間。外朝には、南から順に①午門、②太和殿、③中和殿、④保和殿がある。
これに対して内廷は、皇帝のプライベートルーム。これらを一つ一つ見学して回るだけでも大変な時間がかかる。以下、日本人にも著名な「写真映え」のするものだけ、いくつか説明しよう。
(2)雲竜大石彫
保和殿の裏にあるのが雲竜大石彫。この大石は、長さ16.57メートル、幅3.07メートル、暑さ1.7メートル、重さ250トンの一枚の青石。この一枚の青石に九匹の竜が雲の中を行く姿が
彫刻されている。この一枚の青石をここに運んでくるについては、冬の氷の上を滑らせたとのこと。中国人は昔から偉かった・・・。
(3)九竜壁
これは皇極門の前にある石塀。その石塀に描かれているのは、九匹の竜が変化に富む波濤の中で戯れている様子を描いた、美しいもの。青を基調とした色彩が見事だ。
(4)垂簾聴政
内廷で見学したのは、あの悪名高き西太后(1835~1908年)が同治帝(1856~1875年)と光緒帝(1871~1908年)の二人の幼帝を後ろから操ったとされている養心殿。
ここ養心殿の東側の東暖閣にある玉座(皇帝が座るイス)の後ろには、カーテンを隔ててもう一つの玉座があり、ここに西太后が座って、前に座った幼帝に対して命令を出していたというもの。
これが「垂簾聴政」(簾を垂れて政事を聞く)だ。

4、10:35~12:00 愛新覚羅・壽古の書画見学
故宮全体が広大な博物館となっており、72万㎡、約9000の部屋の中には90万点以上の収蔵品があるとのこと。それらをじっくりと見物すれば大いに勉強になること間違いなし。
しかし残念ながら今回のツアー旅行では、それらを見学する時間はほとんどなかった。休憩を兼ねて案内してくれたのは、清朝最後の皇帝溥儀の子孫である愛新覚羅・壽古の書画実演だ。
愛新覚羅・壽古は、1930年生まれで、「国際書画学会」の学術委員、「中国王羲之藝術研究会」の研究員、「世界藝術家聯合会」の理事、「東方詩、書、画、印函研学会」の理事、
「当代肖形印社」の理事、「中華湖社画会」の篆刻家などの役職にある著名な書道家だ。
ここでは、半分「商売」だろうが、愛新覚羅・壽古は、ツアー客の目の前で書を書き、販売している。調子に乗った私は大枚1万円を払って「和」の字を書いてもらい、一緒に写真をパチリ。
更に万里の長城を描いた水墨画も1枚購入。こちらは値切って3万円だが、本当に値打ちがあるのかな・・・?
<バス移動>

5、12:30~1:30 昼食も豪華な四川料理!
急須(茶壺チャアーフウ)を購入。
今日の昼食は豪華な四川料理。その店も、どのガイド本にも載っている有名な「四川飯店」。周恩来首相(当時)じきじきの提案で設立された伝統ある四川料理店とのことで、
たしかに周恩来の写真がたくさん飾ってあった。また日本の橋本龍太郎首相(当時)の写真もあった。四川料理は辛いのが特徴だが、本当に辛かった。特にマーボー豆腐はそのままでは辛すぎるので、
ご飯にかけて食べるとのこと。これはすごく美味しかった。
びっくりしたのは、この昼食の店でもツアー客に対して強引にお土産販売を勧めてくること。ここでは数々の食器や急須などを販売している。結構高い値段を言ってくるが、それを値切るのが面白い。
相手も値切られるのは計算の上。先程の書画の店で経験を積んだ私は、注ぎ口に龍の模様のついた急須(茶壺チャアーフウ)を購入。しかし日本に持って帰って本当に使うのかな・・・?
<バス移動>

6、2:00~3:00 天壇公園(祈年殿)見学
天安門広場の南東にある北京外城部の崇文区にある283万㎡の広大な公園が天壇公園。明代の永楽帝が五穀豊穣を天に祈るため、1420年に建設したもので、
天壇公園は現存する中国最大の祭祀建築物だ。
この公園のメインは祈年殿という円形の木造建築物。皇帝が毎年、正月ここへ足を運んで、豊作を祈ったとのこと。大理石の上に立つ3層の円形建築物は、高さ38m、直径32.7mという
デッカイもの。内部の4本の柱は四季を表しており、その周りの12本の柱は1年12ヶ月を表している。またこの4本の木造の柱は、1本の原木からつくったとのことだ。
そしてこの祈年殿の中には明・清歴代皇帝の柩がおさめられている。
<バス移動>

7、お土産は中国茶(中国茶の実演販売)
休憩を兼ねて、ツアー客への中国茶の実演販売のため、北京朝陽区の工人体育場内にある「聚來軒茶荘」という中国茶の土産店に立ち寄った。ここでは、私たち38名のツアー客を前に、
チーフとおぼしき女店員が流暢な日本語で、①苦甘露茶、②普(三耳)王茶、③蘭貴人(ウ-ロン茶)、④ジャスミンキング(ジャスミン茶)、⑤(三真)紅(紅茶)という5種類のお茶の説明と
その注ぎ方について熱弁をふるい、1種類ずつそれを飲ませてくれるというサービス(?)だ。1番奥の席に陣どった私は、左と右の両方から回ってきた小さな湯飲みが重複したため、
ちゃかりとすべて2杯ずつ賞味。何とも厚かましくも要領のいいことだ・・・。
説明は聞いてもあまりよく分からないが、その香りと味はたしかにグッド。しかし入れ方は結構、難しそう。いつも思うのだが、いくらおいしいお茶を買っても、またもらっても、
家庭や事務所ではそれをゆっくりと味わう暇がないため、いいお茶の値打ちがないことが多い。しかしこういう場所でお茶を味わうためだけの時間をセットして、おいしく入れてもらえば、
そりゃおいしいのも当然。約30分かけて5種類のお茶を味わった後は、いよいよ販売合戦。ここでも私は値切りに値切って、大筒1本3,000円と言われていたものを、
大筒4本に小筒2本をサ-ビスでつけさせて1万円で購入。これはお土産として喜ばれるはずだが、果たして私自身はおいしく飲ませてもらえるのかな・・・?
<バス移動>

8、4:30~5:30 頤和園見学
(1)頤和園とは
北京市内の西北約15㎞にある頤和園は、1998年に世界文化遺産に登録された皇室庭園で、昆明湖と万寿山がメイン。昆明湖は頤和園の4分の3を占めている。
19世紀末のアヘン戦争の時、英仏連合軍によって蹂躙された頤和園は、1888年西太后が莫大な軍費を流用して大改修を行い、自らの隠居所としたものだ。
この頤和園も、どのガイド本にも詳しく紹介されているので説明は省略
(2)美しい昆明湖
私達のバスが到着し、チケットを買って入園したのは4:30頃。人混みの中をぞろぞろと歩き回りながら写真を撮り、十数個並ぶ窓のところにきた。この窓は一つ一つの形がそれぞれ異なるうえ、
そのそれぞれの窓から昆明湖を眺めると、それぞれ異なる景色が美しいということだ。なるほどこれはいい。そして小型デジカメはこういう時に便利。何枚でもパシャパシャと撮れるから、
一つ一つの窓から、昆明湖を眺めながら、一枚ずつデジカメ撮影だ。
(3)ハグレ事件の勃発
ところが、さあえらいことだ!わがツアーに合流しようと思って急いで前に進んだが、相棒もいないし、顔なじみとなったツアー客も誰一人いない。さあ大変だと思って、
さらに勢いよく走っていったが、知り合いは誰もいない。いくら早く歩いても、あの一行がこんなところまで来ているはずはない。はぐれてしまったと悟らざるをえなかった。
そこで仕方なく、急いで、(と思いつつ、どうせ、はぐれたのだから同じことだと思って、湖の向こう側に見える美しい万寿山を撮影しながら)窓のところに戻ったが、ここにも誰もいない。
そこで仕方なく別のルートがあるに違いないと考えて、別のツアーの流れに紛れこんで歩いていくと、何と、すぐに頤和園の外に出てしまった。この間約20分。
(4)異国の地でただ一人・・・
こんな短いルートだったら既にみんなバスに乗っているかもしれない。しかし本当にこんな短い見学ルートなのか・・・?と思っても所詮そんなことはわからない。
「ただここで待つしかない」と腹を決め、一人立って待っていた。じっと立っていると、側にきて声をかけてくるのは北京特有の「売り子」ばかり。それを振り切って場所を移動しながら、
バスを捜し、顔なじみを捜すものの、誰も発見できない。困ったことにバスの駐車場もわからない。そして、今日の夕食の場所は?一人で行けるか?と考えたが、あいにく肌身離さず持っている
バックの中に予定表も入っていない。5時になるとだんだん暗くなり、門も閉まりはじめた。この時間からここを訪ねるツアー客もないため、旗をもった中国人ガイドもいないし、
観光客も次第に減っていくばかり。たまたまアメリカ人のガイドがいたので、「団体用のバスが駐車しているのはどこか?」と聞くが、適切な回答はなし。
逆に、「ホテルのキーは持っているか?」と聞かれ、それを示すと「それを持っていればホテルに帰れるから大丈夫」というだけのつれない返事。「そんなことは俺でもわかってるわ!」
(5)一転して、地獄から天国へ
時間はどんどん経っていく。「さあホンマにえらいこっちゃ!今晩は夕食にありつけないのかな」と思っていると、旗を持った中国人のガイドを一人発見したのでそこに行き、
「携帯でうちのツアーのガイドに連絡をとってくれ」と言って(身振り手振りで)かけてもらっているところに、神様が現われた。顔見知りのうちのバスの運転手の登場だ。
そして後ろには私の相棒も・・・。そしてやっとバスに乗り込んだが、他の客はいない。私はてっきり、バスは夕食の場所へ客を送った後、私を迎えるために戻ってきてくれたものと思った。
しかしその直後にみんなが次々とバスに乗り込んできた。
話を聞くと、何のことはない。私は湖を左回りに回るツアー客の流れについて行ったが、わがツアーは右回りに回ったとのこと。これではいくら捜しても見つかりっこないわけだ。
ここに至ってやっと私は仲間3人以外には誰にも迷惑をかけていないことがわかりひと安心。バスに乗って夕食に向かうことができたし、たっぷりと食欲を満たすこともできた。
以上、「頤和園ハグレ事件」でした。
<バス移動>

9、6:00~6:45 北京〔火考〕鴨(北京ダック)を堪能
今日の夕食は、北京ダックの老鋪の「天聚徳〔火考〕鴨店」。ここはアヒルの丸焼きを最初に始めた店で、北京ダックの代名詞にもなっている店とのこと。
ツアー客の目の前で北京ダックを割いてくれる。もっとも私たちは、目の前に出てくる料理を次々と食べるのに忙しく、実演をゆっくり見物する暇はなし。
ここでもツアー客への美人の店員による販売攻勢。ここで販売するのは1個の石をくり抜いて作ったと言われる重量のある湯のみとおチョコ。価格も日本円価格で、湯のみ2個で3,000円、
おチョコは2個で1,000円というもの。私は即座に「そんなもの、高い!」と鶴(?)の一声。そして「おチョコを2個つけて、2,000円なら買う!」と言ったが、
相手はそれはダメとのこと。もちろん私はそれも計算のうち。すると「敵」もさるもの。別の客に狙いを定めて、少しずつ値引きをしながら商談成立の様子。
私はそれを、「どこ吹く風」と眺めていると、いよいよ帰る間際になって、「敵」が折れてきた。私の条件で全面降伏だ。「してやったり!」と満足。
しかしこの湯のみも日本へ持って帰って本当に使うのかな・・・?
<バス移動>

10、7:30~8:30 オプションは雑技団公演見物
夕食後のツアーに組み込まれているオプションは、「京劇鑑賞」もしくは、「雑技団鑑賞」のどちらか。時間は7:30~8:30で、どちらも1人3,000円だ。
北京電影学院と北京駅を見学したかった私は迷ったが、8:30までなら時間的に十分と判断し、雑技団鑑賞を選んだ。
京劇は大阪のNHKホールで、『白蛇伝』を観ている。また中国映画の『さらば、わが愛/覇王別姫』(93年)、『活きる』(03年)等で、京劇とはどういうものかということは分かっている。
他方、雑技団はテレビで観たことがあり、そのアクロバット的なもの凄さにびっくりしたことがあり、是非1度、生で実物を観てみたかった。開始時間直前に劇場に入ったが、約7割の入り。
私たちはどんどん前の席に歩いて行き、厚かましくも前から2番目の中央付近の席に陣どり、望遠レンズとストロボを使っての写真撮影。絶好の撮影位置だから、シャッターチャンスを逃すことなく、
出しモノの決め手、決め手でバッチリ。50枚以上の見事な写真が撮れ、大満足の1時間だった。もちろんその演技にも大拍手!

11、8:30~12:00 プライベート自由行動
<自由行動その1>
北京の北方の門=徳勝門見学

雑技団鑑賞は8:30きっかりに終了。一緒に観たツアー客はみんなお迎えのバスに乗ったが、私と相棒はここでバイバイし、別ルートで①北京電影学院と②北京駅の見学に向かうべくタクシーに。
しかし乗り込んだタクシーの運転手と相棒が中国語でしゃべった結果、地理的に先に北京の北方の門である徳勝門の見学がベター。そして北京電影学院はその後で見学し、ラストが北京駅、
そしてホテルへ帰るコースがベストとのこと。
そこで率直に運転手のアドバイスに従って、最初は徳勝門の見学。ここは、現在残っている最も古い北京の北方の門とのこと。しかし既に灯が消えていたためあまりよく分からず、
またうまく写真が撮れなかったのは残念・・・。

<自由行動その2>
北京映画製作所&北京電影学院

(1)北京電影学院は北京のいわば映画学校(大学)。1950年に設立され、1学科の定員は約160名で監督学科、演技学科、撮影学科、美術学科、録音学科等に分かれている。
中国では1949年10月1日の新中国建国後も、さまざまな混乱があり、1966年から1976年の10年間にわたって吹き荒れた毛沢東の指導による「文化大革命」の真っ最中は、
この「北京電影学院」も「閉鎖」という「冬の時代」を余儀なくされた。
2003年8月に日本で公開され大人気となった『HERO(英雄)』の監督は張藝謀(チャン・イーモウ)。そして同じ始皇帝暗殺未遂事件を扱った1998年の『始皇帝暗殺』の監督は
陳凱歌(チェン・カイコー)。私の好きな『北京ヴァイオリン』(03)の監督も陳凱歌だ。また『春の惑い(小城之春)』(02)は田荘荘(ティエン・チュアン・チュアン)監督だ。
第五世代監督と呼ばれる彼らは、文化大革命がおさまり、1978年に再開されたこの北京電影学院を1982年に卒業した第一期生だ。
これらの中国映画と第五世代監督との関わり、さらに北京電影学院のお話は、私の映画評論本『社会派熱血弁護士 映画を語る SHOW-HEYシネマルームⅡ』を参照。
また石子順著『中国映画の明星』(2003年、平凡社)と『中国映画の明星 女優篇』(2003、平凡社)が詳しいし、非常に興味深い。
(2)「中国映画祭’88」には「北京映画MAP」という地図があり、そこには北京の映画に関するあらゆる施設が記載されていた。どうしても北京電影学院を見学したいと思っていた私は、
このMAPをコピーして持参していたため、これをタクシーの運転手に示して北京電影学院に行ってくれるよう指示した。そこで到着したのが北京映画製作所。
私はここがてっきり北京電影学院だと思った。そこには看守がおり、門は半分閉じられていたが、写真撮影はOK!とのこと。そこでお言葉に甘えて数枚の写真をパチリ。
(3)その後またタクシーに乗り込んで、映画MAPを示し、他にも見るところはないかと運転手に質問。すると運転手は角を曲がってすぐのところに案内してくれた。
すると何とそこが本物の、私が目指していた北京電影学院だった。
ここにも看守がおり、門は半分閉じられていたが、写真撮影はOK!中にはいくつかの建物があり、電気もたくさんついている。聞くところによれば、ここには学生の寮もあり、
ここで生活している学生もたくさんいるとのこと。入口で何枚かの写真を撮った後、中に入って写真を撮ってもいいかどうかを看守に確認するとOK!そこで勇んで中に入り、
「教学楼」(校舎)などで写真を撮った。さらに北京電影学院の学生とおぼしき女子学生がいたので、ちゃっかりと一緒に並んで教学楼を前に写真撮影だ。
彼女が大スターに成長したら、この写真の価値も一躍・・・。
(4)このような形で今回の北京旅行の1つのこだわりであった北京電影学院の見学ができて大満足。さて次の目標は?それは、あの陳凱歌(チェン・カイコー)監督の映画
『北京ヴァイオリン』の舞台となった北京駅だ。

<自由行動その3>
北京(西)駅

(1)北京には北京駅、北京北駅、北京南駅、そして北京西駅がある。私は地図上で北京駅は何回も確認していた。そして最近完成したのが北京西駅とのこと。
これは天安門広場から約3km南西に位置しており、天守閣のような建物を上部にいただいた広大で立派なもの。また夜も明々とライトアップされて、美しい。
(2)そして私が、『北京ヴァイオリン』の舞台となった北京駅だと思ってタクシーが行ってくれたのが、実は北京西駅だった。
だから私はこの北京西駅をてっきりあの『北京ヴァイオリン』の舞台となった北京駅だと勘違いしたまま、ここを見て回ったことになる。
『北京ヴァイオリン』の冒頭のストーリーでスクリーンに登場する駅構内のエスカレーター、そしてそのエスカレーターでの、天才少年ヴァイオリンニストのチュンと金持ちのパパに
お金を貢がせる若い女性リリー(陳凱歌の夫人の陳紅(チェン・ホン))との出会いは印象的だった。そして、またラストシーンとなった駅前でチュンが父親を想って
「チャイ・コン(チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲)」を弾く場面は、涙なしでは見られない感動的なものだった。
以下、北京駅と北京西駅とを勘違いしていたことを前提とした上で、私の感動を伝えたい。
(3)まずは、北京西駅の北入口から入り、あの印象に残っているエスカレーターの前で写真撮影。しかしいざそこに立って見ると、何の変哲もない、ただのエスカレーター。
あたり前といえばあたり前だが、多少がっかり・・・。次に構内の売店でビールを買って飲みながら、いったん外へ出て、待っていてくれたタクシーに乗り、今度は反対の南入口の方へ。
ここが大きな広場となっており、あの感動的なラストシーンが撮影されたのがこの広場だ。ライトアップされた建物をバックに写真を撮って、大満足。

<ホテルへご帰還>
以上のとおり自由行動が終わり、タクシーに乗ってホテルへご帰還。ホテル到着はちょうど0:00になっていた。そしてホテルの前で、雑技団鑑賞の終了した8:30からホテル着の0:00まで
お世話になったタクシーの運転手と握手しているところを写真に撮って、バイバイ。本当にお世話になりました。ちなみに約3時間半のタクシー代は、240元(約3,200円)でした。

3日目

1、スタート準備
6:00 起床、朝食
7:30 フロント集合
7:45 バス出発(合計34名、4名キャンセル)

2、8:30~9:30 七宝焼見物
3日目の朝一番の目的地は、七宝焼を製造販売している店の見学。これはもちろん、旅行社のJTBとタイアップしてのツアー客への販売戦略だ。七宝焼は美しい焼き物で、あざやかな色が特徴。
そしてすごく重い。説明を聞き実演を見て驚いたのは、本当に細かい作業を一つ一つ手作業でやっていること。こんな事をやっていたのでは、一枚の絵をつくったり、
1つの壺をつくるのに1ケ月ほどかかるのでは・・・?と思ったら、本当にそれ位かかるらしい。こりゃ大変だ。
広い店内には大きな壺から、小さな飾りモノまでたくさん展示されているが、私が興味をもったのは、ここでも七宝焼の絵。中国特有の馬の絵や、美人画も多いが、私には万里の長城の絵が
目についた。標準的なサイズのもので800元(約11,000円)とのこと。この店は「国営の店だから値段交渉は一切できない」とあらかじめガイドから聞かされていたのでムリかと思いつつ、
交渉してみたがやっぱりダメ。それじゃやめた・・・と思って、店内をグルグル見ていると、万里の長城を描いた更に大判の絵を見つけてしまった。こちらの方が当然豪華だし色づかいもキレイ。
そしてこれは2,000元(28,000円)だ。これは結構気に入ったものの、重いので日本まで持って帰るのは大変。しかし迷ったあげく、結局購入。日本に帰り、事務所に飾ってみると、
結構立派なもので、よい買い物をしたと大満足。
<バス移動>

3、10:00~11:30 明の十三陵見学
(1)十三陵
万里の長城へ行く前に見学するのは、明の十三陵。ここは北京の西北郊外、約50km離れた昌平県天寿山麓にある明代皇帝の陵墓群で、第3代成祖永楽帝はじめ13人の皇帝と23人の皇后などの
お墓が集まっている。世界的に最も有名な皇帝のお墓は西安郊外にある秦の始皇帝陵だが、明代の皇帝も自分のお墓をつくっていたわけだ。しかしなぜ明代の皇帝のお墓だけは
ここ1カ所に集まっているのだろうか?
十三陵のすぐ近くには、果樹園と北京では珍しいゴルフ場もある。十三陵の広さは40k㎡で、その中のあちこちに歴代皇帝のお墓があるわけだ。最も有名でツアー客が見学に訪れるのは
そのうちの定陵。私たちツアー客が見学するのもここだけだ。
(2)定陵の地下宮殿
定陵は明の第13代皇帝、神宗万暦帝の陵墓。十三陵の中で最初に発掘された(1956年)陵で、地下宮殿が有名であり、定陵博物館として一般公開されている。
深さ27m、建築面積1195㎡の石造の地下室で、玄宮とも呼ばれ、前殿、中殿、後殿と、中殿の左右の横殿の5殿からなっている。この定陵地下宮殿は秦の始皇帝の兵馬俑と同じように、
全く偶然に発見されたもの。この中には万暦帝と2人の皇后用の棺があり、また3人の玉座がある。玉座の前の大きなツボは、永久に灯を消さないために、油を入れていたものだが、
油が切れる前に酸素が切れてしまったため、灯は消え油だけ残った、というお話は何となくもの悲しい限り。また、外部から侵入者が入るのを防ぐため、
代理石の扉を内部から封鎖するための手段として「自来石」なるものがある。
さて、その封鎖のテクニックとは?よ~く考えてみよう。
この十三陵は写真撮影禁止であるうえ、内部を見学についてのチェックが厳しく、空港のゲートをくぐるのと同じような手荷物検査がある。
それは、ここが2002年に世界文化遺産に指定されたためだが、ちょっとうっとおしい感じ。
<バス移動>

4、12:00~12:40 万里の長城(八達嶺)前のレストランにて昼食
バスの中でひと眠りして着いたところは八達嶺の前。目の前に突然現れた万里の長城に感激。これからそこに登るわけだが、その前に向かいのお土産屋を兼ねた大きなレストランで、お昼の弁当。
弁当といっても、幕の内弁当のような小ぎれいなものではなく、大きなお盆に結構たくさんの料理が盛られており、お腹いっぱいになるほどのボリューム。
また最初に大皿いっぱいの生野菜が出てきたのにはびっくり。ビールはやめようかなと思ったがやはり1本飲んでしまった。

5、1:00~2:15 万里の長城見学(自由行動)
(1)八達嶺の威容
北京旅行の第2のメインは万里の長城の見学。もっとも、万里の長城といっても、ツアー旅行で訪れる一般的パターンは八達嶺だけ。その内容についてはどのガイド本にも詳しく書かれているので
ここでは省略。幸いなことに今日は上々の天気。晴天の青空の中に浮かび上がる八達嶺の長城は本当に美しく威容を誇っている。
帰国して新聞を読んだところ、11月3日は大阪御堂筋では雨の中で阪神タイガースの優勝パレードが挙行されたとのこと。その同じ日に万里の長城の見学にきた私達に晴天を恵んでくれた神様に
何よりも感謝。
(2)体力には自信あり!
ツアー旅行の欠点は、時間的に制約されること。前後の日程の都合のため、長城見学の自由時間は1:00から2:15までの1時間15分だけ。この間に長城の上まで登り降りしなければならない。
もっともロープウェイもあるが、そんなものに乗る気はさらさらなし。また、私達は写真をたくさん撮らなければならない。さあ大変だが、体力と脚力には自信あり。勇んで登頂開始だ。
なお、八達嶺には男坂と女坂の2つがあるが、人気は女坂。ほとんど全員が女坂に登っている。ガイド本では、女坂の昇り降りには3時間、男坂は1時間30分とある。
もちろん私達ツアー客はみんな女坂に挑戦だが、お年寄り夫婦などはロープウェイを利用。
(3)気温の読みは大間違い!
「北京は寒い」、ましてや「郊外にあり、高地にある万里の長城は風が強くて寒い」と聞かされていた私は、セーターを着て、冬のコートを着て出発。もっとも今日は上天気なので、
さすがにマフラーはやめたが、コートまで着たことをたちまち後悔。階段やスロープを勢いよく10分も歩くとたちまち汗ばんできた。途中写真を撮る時だけ立ち止まり、
後はほとんど駆け足状態で駆け登っていったが、帰り時間に20~30分かかることを考えると最高峯まではとても無理。次峯までであきらめざるをえなかった。帰路は写真撮影も含め、
ほとんど駆け足状態。集合時間の2:15に3分遅れで走り込んだ。晴天と美しい景色と雄大な長城を満喫できたことに大満足!
<バス移動>

6、3:30~4:00 お土産店ー翡翠の店
バスが立ち寄るお土産店は、今度は翡翠を販売している店。
えらく元気のいい店長さんが声を張りあげて、安物から高級品まで品揃えしていることを説明し、「売らんかな!」の姿勢。しかし残念ながら、私は宝石類には全然興味なし。店内をざっと見回り、
お茶を飲んでトイレに行くと、相棒から、「裏にグッチの店があるよ」言われ、そちらの方が面白そうなので、覗きに入った。ここはいわば、グッチその他のブランド品のバッグやサイフ、
時計等の「ニセモノの高級品」売り場。ここで面白半分に値段交渉をした結果、バッグとサイフを購入する羽目になってしまった。

7、4:40~5:50 王府井散策
(1)高級デパートにて
バスは中心部に入り、故宮のすぐ東にある北京随一の繁華街、王府井の散策となった。
ここでの自由時間は4:40から5:50まで。王府井最大のデパートは「新東方市場」だったが、最近は新しく新世紀デパートができている。
まずは、お土産として買ってきてくれと頼まれていた高級品を買うために「新東方市場」に入って、目的達成。
(2)誘惑される屋台の香り
また、ここ王府井には多くの屋台が並び、その前を歩くと美味しそうな匂いがプンプン。食べ物の主なものは、「〔火考〕羊肉串」(羊の串焼き)や「イカ・エビなどの串焼」だが、
その他にもいろいろある。たとえば「ちまき」や「何種類かの果物を固めたもの」(日本の夜店のリンゴ飴のようなもの)、「アイスクリームを揚げたもの」など。そして珍しいのは、
ヘビ、カエル、スズメの串焼きなどだ。実にさまざまなものがあり、どれも1本5元(70円)程度。食べたいのは山々だが、夕食前に食べるわけにはいかず、ここはぐっと我慢。
(3)安物店めぐり
高級デパートはさておき、安物店めぐりが楽しい。解散地点のすぐ角にあった、小さなカバン屋に入り、キャリーバッグを見ると、結構大きくてしっかりしたもので、
一番安いものが80元(約1,000円)。お土産を入れて持って帰るのに最適と判断して、1コ購入。これを転がしてバスに乗り込むとガイドが驚いていた。
1時間余りの散策はあっという間に終わり、いよいよ夕食に向けて出発だ。
<バス移動>

8、6:30~7:30 宮廷料理堪能
北京旅行最後の夕食は何と宮廷料理。しかもそれを味わう店は北海公園内にある有名な「〔イ方〕膳飯荘」。北海公園は故宮のすぐ西北にある公園で、遼、金、元、明、清の歴代の皇帝の
御苑だったところ。公園の半分以上は北海と呼ばれる美しい池だが、残念ながら夜のため、あまりよく見えない。夏はこの池にボートが浮かぶらしい。美しい公園だから、
ライトアップすればアベックの絶好のたまり場所になるのでは・・・と思うが、全体的に暗くて、歩くにも不便なほどだ。
「〔イ方〕膳飯荘」では清朝の宮廷衣装を着た女性たちが迎えてくれ、料理を運んでくれる。前髪には大きな花を飾り、履いている靴は一本歯の高下駄のような布鞋。これはいわば京都の舞妓さんが
履く「ぽっくり」と同じようなものか・・・?厚かましい私は、この美しい女性と二人並んで写真撮影もバッチリだ。この店の宮廷料理は、質、量ともに十分満足できる内容。
ビールも15元(約200円)と安い。もっとも、このコース料理の正規料金そのものは、100~500元(約1,500~7,000円)だから結構高価なもの。
3泊4日、49,800円のツアーで、こんなにおいしい宮廷料理を食べさせてもらって大満足だ。

9、プライベートの自由行動
夕食を終えてツアー客はみんなバスに乗り込んだが、私と相棒はタクシーでまた王府井へ。「新東方市場」の地下に入り、お土産になりそうなソーセージや中国のお菓子類をしこたま買い込んだ。
そしてまたさっきのカバン屋に寄って、もう1つキャリーバッグを買い、さらに高級そうな安モノネクタイも購入。そして安モノの店を2、3軒はしごしたり、写真を撮ったり。
またここで袋に入ったお土産用の北京ダックも購入した(デパートでは38元、店では30元)。
するとそこに寄ってきたのは北京名物の三輪自転車(人力車)、これは王府井周辺の散策にちょうどいい。2人でこれに乗って約30分周辺を走り回った。
途中、CDの海賊版を売っている店に立ち寄り、今人気の「12Girls Band 女子十二楽坊」や「張国栄(レスリー・チャン)の一切随風」等のCDを約15元(250円)で購入。
バカみたいに安い値段にびっくり。
三輪自転車(人力車)で店じまいをしかけている屋台の前を通ると、屋台のオジさんが果物を固めた串をくれたので、食べようと思ったが、腹はいっぱいだし、硬くて甘くて食べられず、
結局捨ててしまった。三輪自転車のドライバー(?)も親切、ガイド付きで50元とは安いものだ。
11:30頃散策終了。タクシーに乗ってホテルへ。今日はホテルでマッサージをして就寝だ。マッサージ代は45分で2500円。日本の約半値といったところか。おやすみなさい・・・。

4日目

1、スタート
5:30 起床、朝食
7:00 フロント集合
7:15 空港へ向けてバス出発

2、さあ、帰国
今日は飛行機に乗って帰るだけ。10:20出発の飛行機だから、7:00フロント集合とのこと。5:30に起きて、朝食を済ませ、荷物の整理と料金の精算だ。
全員を乗せたバスは7:00過ぎにホテルを出発。幸い道路は渋滞しておらず、8:00前に空港に到着。38名分の搭乗手続きや荷物のチェックに結構手間取り、ガイドと別れたのは9:00過ぎ。
免税店を少しブラブラ歩いていよいよ帰りの飛行機に乗り込んだ。
そして、順調に日本時間で12:30に関西国際空港に到着した。さあ、これから事務所に戻らなければならない。仕事が溜まってるぞ・・・。

〔総評〕
3泊4日の北京旅行だが、実質観光できるのは2日目と3日目の2日間だけ。しかしツアーの日程だけでもかなり充実した見学内容になっていたし、食事も十分堪能できる内容だった。
またホテルの部屋も十分だし、朝食のバイキングもオーケー。何とも充実したツアー内容だった。
そのうえ、私たち2人はプライベート行動として、夕食終了後の見学もいっぱいの内容。余分に数時間分の見学を楽しむことができた。これは到着した1日目も同様だから、
結局3日間とも夜の0:00までフルに見学に動いたことになる。
またガイドや同行のツアー客たちにも恵まれ、十二分に満足できるツアー旅行を楽しむことができた。また何よりもありがたかったのは、晴天に恵まれたこと。とくに日本で雨が降った11月3日、
万里の長城が快晴に恵まれたことに感謝。これからもまた何度も行きたいものだ。

再見(ツァイ・ツェン)。謝謝(シェー・シェー)。

第2-4)杭州、紹興、烏鎮旅行記・・・2004(平成16)年3月31日~4月3日

〔旅行の動機〕

1 ツアー旅行の楽しみを実感

 昨年(2003年)11月1~4日の北京へのツアー旅行を契機として、私はツアー旅行の良さを十分体験することができた。その良さの第1は、何しろ値段が安いこと。
そして第2は、移動や食事について時間のロスが少ないことだ。2泊3日、3泊4日の旅行なら、土日祝を含めて簡単に行けるなと思っていたところ、3月末日にANA、JALが共に杭州直行便を
就航させたことに伴う記念ツアーを販売していることを新聞広告で見たため、即決したもの。私にとっては、3月31日(水)~4月3日(土)という平日の旅行は、事務所の仕事の関係で
多少心配もあったが、昨年10月入所した吉岡寛子弁護士がいれば大丈夫、と割り切って出かけて行った。

2 はじめての父娘旅行

 今回の同伴者は、私の長女の坂和奈央子(19歳)。現在、大阪大学法学部1回生で、ちょうど春休み中だから時間的には旅行可能。
昨年は妻と2人で上海へ2泊3日の旅行に出かけたことがあるものの、年頃の娘が父親と2人だけの海外旅行をオーケーと言うかどうか、半信半疑のまま、「行くか?」と聞くと、
「うん、行く」と言ったのでひと安心。たまには(というより、はじめての)、父娘の2人旅行もいいものだと思って楽しみにしながら、ガイド本を買い、
あらかじめ旅行記の枠組みや筋書きも用意しながら、出発日を待った。

3 勉強半分と写真撮影半分の取材旅行

 私の杭州や紹興や烏鎮についてのガイド本等による事前の勉強はかなりのもの。西湖十景から、紹興における魯迅や周恩来の知識まで、一応の情報は頭に入れたつもり。
また娘も写真を撮るのは好きだから、カメラとデジカメによる写真撮影はかなりの量になる見込み。一眼レフのカメラ1台と一眼レフのデジカメ1台、そして小型のデジカメをそれぞれ1台ずつ、
という装備で、SDカードの準備(ボリューム)も万全。もちろん毎日のバッテリーの充電対策も十分だ。事前の父娘の入念な打ち合わせは、まず第1に写真撮影のやり方。そして第2は、
父娘のわがままが出て、旅の途中で父娘ゲンカにならないようにするための注意事項の確認。これで準備は万全のはずだったが・・・?

1日目

1 日本航空 杭州線直行便 就航記念ツアーセレモニー(9:40~10:00)

 私たちの杭州(こうしゅう)3泊4日ツアーは、日本航空 杭州線直行便就航の第1便。10:25出発のため、搭乗ロ前に9:40頃到着すると、ちょうどセレモニーの真っ最中で、
お歴々によるあいさつ中。杭州は中国名では「Hangzhou(ハンジョウ)」と呼ばれているため、日本航空のお偉さんのあいさつは、「多くの人々に関空から杭州へ出かけてもらい、
『商売ハンジョウ』となりたいものです。」とつまらないシャレを交えたもの・・・。そして、このようなセレモニーではお決まりのテープカット。そこでパチパチと何枚か写真を撮り、
しばらく待った後、いよいよ搭乗手続開始。
出発前の退屈しのぎになったセレモニーだが、それ以上に嬉しかったのは、本日限りのプレゼント。直行便就航記念のためにもらうことができた記念品は、JALの旅行タッグと
1000円分の電話のプリペイドカード。もっとも、このプリペイドカードは国際用のためなかなかその使い方がわからず、ちょっとした騒動となったが・・・。
<飛行機搭乗 10:25~1:20(中国時間0:20)>

2 杭州というまち

 杭州市は、上海の東西に位置する浙江省(せっこうしょう)の省都で、美しい西湖で有名。13世紀に杭州を訪れたマルコポーロは、杭州を「世界で最も美しく華やかな街」と絶賛している。
また、「生まれるなら蘇州、住むなら杭州、食べるなら広州、死ぬなら柳州」と言われるほど住みやすいまち。これは水と気候と美しい景色に恵まれているためだ。西湖の東側に中心市街地があり、
南から東へ銭塘江(せんとうこう)が悠々と流れ、杭州湾に注いでいる。しかし、この銭塘江は、陰暦の8月18日に海水が銭塘江を逆流して高波が押し寄せるという現象が名物で、
これを「銭江観潮」という。これを見るために多くの見物客が訪れるが、一歩間違えば危険。また銭塘江には、西湖のまっすぐ南にある六和塔のあるところにかけられた銭塘江大橋のほか、
東に向けて四橋、三橋、ニ橋、一橋がある。そしてニ橋は、2階には鉄道が走り、1階は上海に向かう高速道路となっている。

3 杭州到着、バス乗り込み

(1)予定どおり10:25に出発したがフライトは少し遅れて、日本時間1:20(中国時間で0:20)杭州蕭山国際空港に到着。出国手続を済ませた後、出口で、JTBのガイド(女性)を
見つけて、ツアー総勢26名の集合となった。ガイドさんの名前は張紅英。なかなかの頑張り屋さんで勉強家。そしてよくしゃべるし、しゃべりはさすがにうまいもの。
そして、ガイドが持つ旗を先頭にバスへの乗り込みだが、最初からバスの1番前の座席に座ろうと狙っている私は、さりげなくガイドの後ろについて、話しかけながら全体の様子をうかがっていた。
そしてバスの腹へ積み込むトランクを置くと、タイミングよく1番にバスの中へ乗り込み、思惑どおり、運転席(左ハンドル)うしろの1番前の座席へ。すぐ右隣はガイドの席だ。

(2)このツアーには、写真班として若いカメラマンの女性が1人付いていた。空港からバスへ向かう途中にも、前に立ってパチパチと撮影していたので一瞬サービスかと思ったが、
そんなはずはない。私たちのツアー旅行にずっと同行して写真撮影をし、最後にこれを1人ずつ立派なアルバムにまとめて売り込もうという算段。

 このカメラマンの女性は、事実上、ガイドの助手の役割を果たしてくれるので、私のように、真面目に旗の後ろにゾロゾロと付いて歩かず、ややもすれば少し離れて単独行動
(主に写真撮影だが)をする人間にとっては、はぐれる危険を少しでも防止することができて大助かり。写真を買うか買わないかは、最後の最後に決めればいいわけだから、
カメラマンも旅の途中は当然親切で愛想がいい。

(3)杭州蕭山国際空港は、杭州市内の東方にあり、2004年1月に開港した新しい空港で、それまでは小さな空港しかなかったとのこと。この新空港から市内に入るまでの高速道路の両側には、
美しい田園風景が広がっているが、市内近くになると目立つのは、4階建ての瀟洒なアパート群。中には古いものもあるが、ほぼ90%は真新しいものばかり。
なぜこんな立派なアパート群が続いているのかについて、ガイドの説明によると、「市内から移転した農家が、豊かないい土地をもらったから」ということらしい。彼らはここで野菜や果物を
栽培しているが、それがすべてではなく、今では家を貸したりして不動産収入を得て、かなりリッチな生活をしているらしい。ガイドの説明にも、一瞬、羨望の目がかすかに見えたものだ。

<バス移動(1:00~1:30)>

4 霊隠寺(れいいんじ)見学(1:00~1:30)

 ガイド本によれば、霊隠寺は杭州で1番有名な禅宗のお寺で、西湖から西へ2キロメートルの山中にある。326年にインドの僧慧理が建立した。中国禅宗十大古刹(寺院)の1つ。
確かに広いお寺の中には、石仏がいっぱい。五代から元代にかけて彫られた合計338体の石仏があるとのこと。 その中でも青林洞の西岩壁上の、951年に造られた座像は、
大変貴重で、どのガイド本にも載っているもの。

<バス移動(3:00~3:15)>

5 茶屋 龍井茶試飲(3:15~3:30)

 中国ツアー旅行につきものの、お茶の実演と販売が、ちょうどメイン見物の合間にタイミングよく入っていた。杭州のお茶は龍井茶で有名。私たちが行ったのは「楼寒村」という一面お茶畑の村。
ここでは、茶もみの実演を見せてくれるほか、試飲させながら言葉巧みにお茶の販売攻勢。今はちょうど4月で、新茶を採っているところだが、新茶は高い。私たちが透明のグラスで飲んだお茶も
昨年のものとのこと。値段のランクもいろいろあり、結局私が買ったのは・・・。「○本買えば△をサービス」という中国流のやり方はいつものことだが・・・。
そして、最後のギリギリの値段交渉の成果は・・・?

<バス移動(4:15~4:30)>

6 六和塔(りくわとう)見学(4:30~5:00)

 この頃、私の旅行では珍しい(?)ことに、少しだが雨が降り始めた。しかし見学に大きく支障になるようなものではなかったのは幸い。六和塔は、ガイド本では1番有名な、
銭塘江(せんとうこう)の北岸にある月輪山に立つ塔。呉越王の銭弘俶が、銭塘江の高波を鎮めるために970年に建立したもので、この塔の最上階からは、銭塘江と江南の風景を
眺めることができる、とあった。しかし結局私たちは時間不足のため、塔の上には登らず、周辺を見学し、写真撮影だけで終了。

<バス移動(5:00~5:30)>

7 ホテル「杭州黄龍飯店」へチェックイン(5:30~6:00)

 「杭州黄龍飯店」(ドラゴンホテル)は、1号館から3号館の3棟からなる4つ星ホテルで、名前からわかるとおり香港系のホテル。屋外プールやたっぷりと広い庭園を備えた立派なホテル。
多分杭州で1番立派なのは「香格里拉飯店(シャングリラホテル)」だろうが、ガイド本によると「ショッピングセンターやレストランなどの設備は杭州一で、ビジネスマンがよく利用している」
と書かれている。玄関から中に入ると、その説明に偽りなし。明るくて広く、本当に立派なホテル。私たち父娘が入った部屋は1号館の530号室。もっとも部屋はそれほど広くはなく、
日本のホテルと同じような、ごくふつうのツインルームという感じ。大連で泊まった「香格里拉飯店(シャングリラホテル)」はすごく豪華だったし、北京で泊まった「華潤飯店」の部屋も
もっと広かったから、それと比べるとごく普通の部屋。しかし私たちにはこれで十分だ。

<バス移動(6:00~6:30)>

8 夕食 杭州市主催歓迎パーティー(6:30~8:00)レストラン「紅泥花園大酒店」

(1)1日目の夕食の特徴は何といっても、JAL直行便就航記念のため、「杭州市主催歓迎パーティー」とされていること。大きなホテルの会場で、この日に日本から杭州へ入った
すべてのツアー客が一同に介して立食パーティーでもやるのかなと思っていたらそうではなく、我々26名のツアーだけの夕食会に、わざわざ杭州市長とJTBの中国支店長が出席してあいさつし、
一緒に食事するというスタイルだった。3月31日のJAL10:25発の直行便第1便を利用したJTBツアーの客のみにセットされた特別の夕食というわけだ。 

(2)まず市長(女性)のあいさつ。杭州の歴史を述べ、その良さを語り、直行便の就航によって、より日本の旅行客と親しくなれることを率直に喜んでいることがよくわかる実にうまいスピーチ。
当然とはいいながら、やはりしゃべりはうまいものだと感心。食事中、私の名刺を渡したので、今後、何かの仕事上のお付き合いができるかも・・・。

 それに比べると、JTBの中国支店長の話は合格点スレスレ・・・?。自分がはじめて杭州を訪れた時の体験を踏まえながら、「1日目では杭州の良さはなかなかわからないでしょうが・・・」
から入ってきた。私は「お前はバカか」、「そんなことはないよ」と内心思いながら、自分の体験を押し付けるあいさつはダメと採点。もっとも、支店長も、今日の直行便就航記念パーティーは、
JAL・杭州市その他の協力を得て十分満足できるお値打ちのツアーができたと思う、と自信満々。「十分に満足して下さい」と結んだのは当然だが・・・。

(3)中国ツアーでの夕食は質量共に十分満足できるものが多い。ここでも十分満足。そのうえ、直行便記念ツアーのため、ありがたいことに、この夕食会ではビール・紹興酒はサービスで、
飲み放題。普通はそういうことはなく、ビールなどの酒類は別料金。ビール1本は安いところで10元、高いところで20元というのが相場。そのためケチの私は、
夕食ではビールを1本か2本ほどほどに飲み、後はコンビニで缶ビールを買ってホテルで・・・というパターンが多いのだが、ここでは後のことを気にせず、たっぷりと飲みまくった。

 もっとも、それは、この後の動きが予定されておらず、オプションとして、60分間の足ツボマッサージに娘と一緒に行くだけと決まっていたから、気分的に楽なこともあったのだが・・・。

 それにしてもタダ酒はうまかった。

<バスでホテルへ。オプション組はそのままバスでマッサージへ>

9 オプション(1)ー足ツボマッサージ(8:30~9:30)

(1)今晩のオプションは足ツボマッサージ。薬草を入れた熱いお湯に10分間ほど両足を浸し、その間肩や腕をマッサージしてもらい、後はゆったりとソファーに横たわって足ツボのマッサージ。
男性客には女性が、女性客には男性がつくが、マッサージするのは皆若い人ばかり。入口にはホテルやレストラン並みに5つ星、4つ星、3つ星の顔写真が・・・。

(2)私は1997年に香港旅行した時に1度やったことがあるが、中国本土でははじめての体験。もっとも2001年に敦煌に行った時にやろうとしたことがあるが、
値段交渉がうまくいかなかったため、挫折してしまった。

 日本では、梅田にあるサウナの「新東洋」でやっている足ツボマッサージが、本場中国式と同じもの。もっとも時間は20分で2000円だから、中国に比べると非常に高い。
中国では70分で約70元(1000円)。もっとも今回はガイドの案内料なども含め、ガイドさんには200元を支払ったから、日本の約半額程度か・・・。

 興味半分で同行した娘も、やはり足は疲れていたのか、「疲れがとれて最高!」と絶賛。大いに気に入った様子。1時間ほど女王様になって足ツボをマッサージしてもらうのは極楽の極みだろう。
健康にいいことは間違いなく、サウナやマッサージが大好きな私としては、毎晩寝る前にやってもらいたいと思うほどだ。

10 ホテルへ戻り、就寝

 後はホテルへ戻り、風呂に入って就寝するだけだが、カメラのフィルムの整理と、デジカメの充電がひと仕事。特にデジカメは一眼レフ1台と小型機2台の合計3台の充電だから大変。
そのうえ、今回は3月31日(水)の出発だから、仕事上の連絡に不可欠と考え、携帯電話のワールドウォーカーもレンタルで持参しているため、この充電も・・・。

 もっとも、この仕事は娘の役目。テレビを見る時間もなく、部屋の中でバタバタと作業して、ベッドに入ったのはやっと0時頃。明日は6時に起きて6時半から朝食に行かなければ・・・。

杭州にて、バスへ1番乗り!

一面の龍井茶の茶畑をバックに。

杭州市主催の歓迎パーティーの様子。

杭州市長を真ん中に私と娘の2人。

2日目

1 起床、朝食(6:30~7:30)

(1)6:00に起きるため、娘が携帯電話の目覚ましにセットした時刻は午前6:00だったが、外を見るとまだ真っ暗。おかしいなと思っていると、娘が
「お父さんごめん。携帯電話の時間を1時間ずらすのを忘れていた。」とのこと。だから5時に目覚ましが鳴ったわけだ。

 私はベッドの中でのストレッチ運動などで時間をつぶしたが、娘は今更寝ても仕方ないと思ったのか、充電したデジカメのセットなどで既に臨戦(?)体制。
「疲れたからもう少し寝ておく。朝食はいらない」などと言えば、たちまち父娘ケンカがスタートするところだが、無事起きてくれたため、まずは一安心。

(2)6:30の朝食にも1番乗り。最近はどこへ行ってもバイキング形式。これが何といっても一番便利で楽だが、困るのはいつも食べすぎること。
メインのテーブルに並べられている各種の「おかず」から1品ずつ皿に取ることはもとより、焼きそば、おかゆ、パンから、別コーナーでやっている玉子焼きまで、すべて食べようとするから、
とにかく「お腹いっぱい」に。その他にも、フルーツとコーヒーまであるから大変。お腹いっぱいになって部屋に戻り、出発の準備。今日の午前中は、本来の予定は西湖遊覧だったが、
雨がしとしと降っているため予定を変更し、本日の午前中を紹興見学にあて、西湖は明日の午後の予定に組み替えることになった。

<バス出発 紹興へ(8:30~10:40)>

2 紹興(しょうこう)着 紹興というまち

 紹興は、浙江省の中部、杭州の東約60キロメートルに位置する比較的小さな都市。紹興の歴史は古く、石器時代にはこのあたりで人類が生活していた跡が残されているとのこと。
春秋戦国時代には越の都で、越王勾践が呉との戦いに破れて『臥薪嘗胆』し、復讐をとげたことはよく知られている話。

 また紹興は、文豪魯迅(ろじん)、中華人民共和国総理周恩来(しゅうおんらい)、清代の女性革命家・秋瑾(しゅうきん)の故郷としても有名だ。名産は、日本でも有名な紹興酒。

3 蘭亭(らんてい)見学(10:40~11:30)

 蘭亭は、紹興市の西南約12キロメートル、蘭渚山(らんしょざん)の麓に位置する風光明媚な庭園。きれいな竹林がいっぱいあるが、入り口の駐車場は工事中とのことで、
たまたま雨が降っていたこともあり、地面はドロドロ。

 ここは書家として有名な王義之(おおぎし)が353年(東晋の時代の永和9年)に著名な『蘭亭序』を書いた場所として有名。入ってすぐにある『鵝池』の碑は、『鵝』を王義之が、
『池』を息子の王献之が書いたとのこと。また「曲水の庭」は、水の流れに乗って杯が流れてくるたびに、この詩会に参加した詩人たちが詩をつくらなければならず、それができない時は、
罰として、この杯で紹興酒を飲まなければならないというルールで遊んだ庭。

 何とも風流なことだ。立派な詩ができた方がいいのか、それともできないで酒を飲んだ方がいいのか・・・?罰もオツなものだが・・・?杭州から紹興へ行く約2時間のバスの移動中は、
ずっと雨が降っており、この蘭亭でもほんの少しだけ雨が降っていた。「晴れ男」を自負する私としては珍しいことだ。しかし庭を歩き、蘭亭の中の流觴亭、御碑亭などを見て歩くには、
これくらいのしっとりした天気の方がかえってよかったかも・・・。

<バス移動(11:30~11:45)>

4 魯迅(ろじん)記念館(11:45~12:45)

(1)紹興見学のもう1つのメインは、魯迅記念館。これは①魯迅故居(魯迅の自宅)、②三味書屋(魯迅が学んだ塾)、③陳列館(魯迅の作品の陳列)3つから構成されている。

 魯迅(1881~1936年)は、中国近代文学の創始者として有名で、日本にも留学経験があり、『阿Q正伝』、『狂人日記』などが特に有名。
しかし、まともにこの作品を読んだことがある人は少ないだろう。私も少しかじったが、全然面白くなく途中で投げ出してしまった経験がある。

(2)魯迅は、誕生した1881年から1898年の間、そして1910年から1912年までの間、この紹興に住んだとのこと。魯迅故居の門を入ると、まず中庭(これは採光を兼ねたもの)
があり、最初の部屋は客間。この隣には大きな家系図が掲げられている。魯迅は代々続いてきた周一家(周恩来とは無関係)で、地元ではかなりの有力者だ。魯迅の弟は、今も中国共産党の幹部
とのことだが、何せ魯迅がちょっと変わった人物だったので、あまり出世できていない様子。その自宅は、京都の町家でよくいう「鰻の寝床」風の奥に細長い敷地だが、
その規模はすごくデッカイもの。もちろん床は畳などなく、石畳そのままだから、かなり寒そう。03年8月1日に観た中国映画『春の惑い(小城之春)』の主人公である地主のお屋敷みたいなもの。
魯迅故居の奥にあるのが百草園で、魯迅が幼少の頃従兄弟たちと遊んだ場所とのこと。

(3)ここで面白い話を1つ。百草園に掲げられている掲示板の説明文をガイドさんが読みながら「雨の日は・・・、晴れの日は・・・、○○の草は・・・」などと説明していた時、
「ゴキブリが鳴くのを聴きながら・・・」と説明。私も、ゴキブリが鳴くのかなと不思議に思いながら聞いていると、ツアー客の中に、中国語をかなり勉強している人がおり、
「○○はゴキブリではなくコオロギです。ゴキブリは△△です。」と指摘したため、ツアー1行は大爆笑。いくら昔の人が風流で、庭の草木の中で、さまざまな生き物と一緒に遊び楽しんだとしても、
ゴキブリとは楽しんでいなかったことだろう・・・?

(4)次の三味茶屋は魯迅が12才から17才まで学んだ塾。魯迅が使っていた机が今も存在しており、その机には魯迅が塾に遅刻した時に反省して自分が彫った「早」の文字が刻まれている。

<バス移動(12:45~1:00)>

5 昼食「王朝大飯店」(1:00~2:00)

 紹興での昼食は明るくて広い中華レストラン。ここではビール一杯と紹興酒1杯がサービスとして出され、あとは各自の負担で注文。新鮮な魚が「売り」で料理はおいしくて安い。
食事中には店員による梅干しの販売と紹興酒を温める酒器の販売。例によって、まとめて買うと安くなるため、いろいろと値段交渉の末、梅干し10個と酒器を購入。
この梅干しが事務所の杭州旅行のおみやげとなった。

<バス移動(2:00~2:20)>

6 紹興酒製造工場見学と試飲(2:20~3:00)

(1)紹興といえば、何といっても有名なのが紹興酒。もっとも、昔から日本で中華料理の時に飲んでいる紹興酒は、本場紹興のものではなく、台湾製のものとのこと。
日本ではよく紹興酒を温めたうえで砂糖を入れて飲んでいるが、これは本場の人に言わせると、邪道。そういう飲み方になるのは、紹興の水ではなく、水の悪い台湾製のものだから、とのこと。

 また、紹興酒の原材料はお米だが、その製造方法は「門外不出」で、絶対のマル秘事項としてずっと守られており、そのためホンモノの紹興酒は、この紹興でしかつくることができないとのことだ。これは日本酒づくりも同じで、当然のことだろう。もっとも日本では、日本酒づくりをする杜氏の数が次第に減っているのが気がかりだが・・・。

(2)ムッと酒の匂いのする貯蔵庫の中を見せてもらったが、山のように積みあげられた紹興酒の甕(かめ)には圧倒されるばかり。商品としては、25年モノが1番古くて貴重。
これは○○のため(理由を聞いたが、ちゃんと覚えていない)に、容器も黒くなっている。通常の10年モノの容器はだいぶ白いので、容器の色だけですぐにわかる、とのこと。

(3)貯蔵庫見学の後は、明るくて広い試飲室(?)兼販売室へ。真ん中のテーブルには、5年(80元)、8年(100元)、10年(150元)、20年(500元)、25年(750元)モノの
紹興酒が並べられており、それぞれの味の特徴と値段の説明があるが、試飲させてくれるのは10年モノだけ。まったりとしたちょっと甘い紹興酒特有の味で、おいしくお馴染みのもの。
もっとも何年モノの味比べなど所詮できないと割り切っている私は、お土産のため4本購入したが、さてここでも、その値段交渉は・・・?ツアー客御一行様が順次購入していくのを横目に見ながら、
私は独自交渉をやったうえ、最後の最後にお札を出して・・・?要するに、こういうツアー客相手の値段は、あってないようなものなのだ・・・。

7 ハプニングその1 交通事故に直面(3:00~3:15)

(1)紹興酒の製造工場を出て、杭州へのUターンの道でとんだハプニングが発生した。約10分ほどバスが走り、鉄道の踏み切りの手前で停まったが、そこでバスがプッツリと動かなくなった。
そして周辺では人の声が・・・。

 何事かと思って、運転手の肩ごしに前を見てみると、何と私たちのバスのすぐ前で、タクシーの右後部角に乗用車の左前角が接触事故だ。そこで両運転手が車から降りて口論(激論)中。
乗用車が車をバックさせたところ、確かにタクシーの右後部のバンパーには傷がついていることは間違いない。日本なら、ここで保険会社や警察に連絡し、とりあえず交通の邪魔になるのを防ぐため、
両者の車を道端に寄せるところだが、中国流はそうではない!特にタクシーの運転手は、「現場の車を動かしたら絶対ダメ」と思っているらしく、いくら私たちのバスや後方の車が警笛を鳴らしても、
口論(?)をやめない。

 踏み切りの向こう側にいた警察官(公安)らしき人物もやってきて、話し合いに入っている様子だが、一向にらちがあかない。人だかりが少しずつ増え、車の渋滞もどんどんひどくなり、
警笛の音もしだいに大きくなっていく。バスの運転手も降りていき、何やらわめいているし、ガイドさんもキーキー声でがなりたてているが、一向に進展なし・・・。さてどうなることやら・・・?
と思っていると、そこで私が目撃したのは・・・?

(2)その場で乗用車の運転手が、何枚かのお札を、タクシーの運転手に手渡したのだ。一緒にこのシーンを見ていた娘の観察によると、赤いお札(つまり100元札)が2、3枚と
あとは違う色のお札だったというから、その「目撃」が正しければ、タクシーの運転手はその場で約300元以上の賠償金を勝ち取ったことになる。ガイドの話によると、タクシーの運転手は
すべて個人営業なので、この賠償金は運転手の個人収入となる。もちろん領収書などは何もなし。現場でのキャッシュのやりとりで一切解決だ。それぞれ車に戻った当事者の2人は車をスタートさせ、
面白い体験をさせてもらった私たちも続いて出発となったが、中国流の軽微な物損交通事故処理の現場をナマで見学させてもらったことは、私にとっては、いい話のネタになった。ありがたいことだ。

<バス移動(3:00~4:00)>

8 清河坊歴史街区見学(4:00~5:00)

(1)ここは、杭州における昔の街並み保存区のようなもの。両側には昔からの商店街が建ち並び、道路中央部分には露店がズラリ。その1つ1つの店が、昔の杭州の雰囲気をそのまま受け継ぎ、
残しているという情緒豊かなもの。1時間弱の散策だったが、こういうまちづくりを見ると大いに参考になるし、うれしくなってくる。集合時間に少し余裕があったため、
近くの店に入って見学しつつ、買ったものは、1つは湯呑みセット。このセットは急須と数個の湯呑みがセットになったものだが、これは、ピンからキリまである。
150元のものを90元と書いてあるので、それを「70元にまけろ」と言ったら(正確には電卓に表示したら)、「75元」と表示し直してきたので、手を振って「それならもういらん」
と言う(?)と、すぐに「70元」でオーケーときた。「しまった!これは50元でも十分だった」と反省・・・?

(2)買ったもののもう1つは、おもちゃの刀。これも当然ながらピンキリで、大小もいろいろ。ちょっとしたおみやげ用と思って、中国風の剣の小さいやつが60元となっていたので、
まず刃がついていて切れるものかどうかを確認すると、予想どおり切れないおもちゃ。そこで電卓に「30元」と表示すると、ここでも「35元」と表示し直してきたが、「NO」と手を振ると、
たちまち「30元」でオーケー。

(3)昨年11月の北京旅行の経験を含めて判断すると、大体こういう店では表示額の半分が妥当な値段か・・・?もっとも経験豊かな(?)ツアー客のオジさんの食事時の雑談によると、
上海にある「ドロボウ市場」のガラクタ類の販売では、いきなり10分の1の値段に値切っても、最終的にはオーケーとなり、それでも売主は利益を得ているというから、世間は広いもの。
また中国は奥が深い・・・?

<バス移動(5:00~5:15)>

9 西冷印社(せいれいいんしゃ)見学(5:15~5:45)

 これはガイド本には載っているものの、あまり意識に残っていなかったもの。ガイド本には「金石篆刻の研究施設。敷地内にいくつかの楼閣があり、江南様式の庭園となっている」と
書かれているとおり、夕方この庭園内を歩き、西湖を見下ろすと気分爽快。そして私たちが入ったのは、書画と印鑑などを販売する大きな部屋。昨年11月に行った北京の故宮(紫禁城)にあった
愛新覚羅・壽古による書画の実演販売と同じようなもので、壁には立派(そう)な書画が所狭しと掲げられ、ショーケースには印鑑づくりのための様々な石が並べられている。北京では、
大枚1万円を払って愛新覚羅・壽古に「和」の字を書いてもらい、また万里の長城を描いた水墨画を3万円で購入し、これは現在事務所で、大好評だが、さすがに今回は時間不足もあって
書画の購入は見合わせた。

 ここでも、平成8年に日本の島村文部大臣から○○の認定を受けた○○先生の△△の書画などが多数、絶対にホンマものの書画として販売されていたが、わがツアーでは時間不足もあって
購入者はいなかった。しかし、その場にいた別の日本人ツアー客の話を聞いていると、3、4本包装してもらった筒を抱えているオッサンが、「まけてもらって得したな」と言いつつ帰っていた。
何とアホなヤツ!!!

10 夕食(6:00~6:50)  

 3日目の夕食もおいしくてボリュームたっぷりの杭州料理だったが、時間が少ないため、一気に食べて、次のレビュー観劇へ。そのため、レストランの名前も控えておらず、写真を撮る時間もなし。
よってこの夕食だけは説明を省略。

11 オプションその1ー宋城でのレビュー『宋城千古情』観劇(7:15~8:50)

(1)杭州は南宋時代(1127~1280年)の都で、この時代以降急速に発展し、13世紀末には90万人もの人口を抱える大都市となった。そして杭州を訪れたマルコポーロから、
「世界で最も美しく華やかな街」と絶賛されたほどのまち。しかし、その南宋もチンギス・ハーンの元の国の脅威にさらされ、遂に滅亡することになったが、南宋の都だった華やかなりし時代を
懐かしみ、これを再現したのが宋城。ここは南宋時代の街並みを再現したテーマパークで、定期的に南宋時代の軍隊の行進もあるとのこと。また、この宋城には大きな劇場があり、
杭州市の多くの美男・美女がこの劇団を目指して特訓に励んでいるとのこと。言ってみればこの宋城は、日本の宝塚ファミリーランドと宝塚大劇場そのものだ。

(2)今回の7:30からの出し物は「宋城千古情 」。難しいストーリーがあるものではなく、1話1話ごとに簡単なストーリー性をもたせたレビューだから、言葉はわからなくても
十分にその楽しさを堪能することができる。親切なのは、中央舞台の左右に大きなスクリーンがあり、そこに英語やハングル語で説明文が表示されたり、その場面を彷彿させるさまざまなシーンが
表示されること。また驚いたのは、途中で前の客席が左右に分かれ、その中央部分が舞台となることだ。

 舞台で演じられるレビューは、宝塚歌劇と同じようなもので私の大好きなものだが、それ以上に驚いたのは、中国の「雑技団」と同じような2人の少女による演技。
客席を左右に分けた舞台の中央で2人が演ずる神業的なアクロバット演技にはただただ驚嘆。もっとも、ここで2人がくるくる回っている姿に感心するのはいいものの、
もし万一失敗して手が離れたら・・・と思うと、ゾッとする。これはレビューの演技でも同じで、サーカスや新体操もどきの大アクロバットがある。その演技には感心するものの、
もし万一・・・と思うと、その大惨劇の予想にはゾッとする。もっとも、これは日本人だけの感覚で、中国人はそんなことを全然考えないで楽しんでいるのだろうが・・・

(3)面白いお話その1

 「せっかく観劇するのだからいい席を!」と思って少し早めに入ったつもりだが、既に15分前だったから、当然中央部、前の席から順番に埋まっている。そこでとりあえず、右側前方に
私と娘の2人の席をキープしたが、すぐに私はトイレに立ちつつ、全体の状況を視察。そして少し後ろだが、1人で電話している中国人男性の右の席が2つ、左の席が1つ空いていたので、
「右側の2つの席が空いているのか?」と聞くとオーケーとなったため、すぐに娘を呼び寄せて、この中央の席に入れ替わった。ところがああ、良かったなと思ってそこに座っていると、
隣に座っていたその男性は、何も言わず、また何も残さないままスッと立って出て行ってしまった。はて、彼は戻ってくるのか、来ないのかと思って気にしていると、
私たちと同じように「いい席」を探していたらしい若い男女2人が、「ここ空いているか?」と聞いてきたので、私はハタと困ってしまった。空いていると言って座ってもらった後で
さっき親切にしてくれた中国人男性が席に帰ってくると困るし、そうかといって、空いてないとウソをつくのもイヤらしいしと思って、身振り手振りと英語を交えてその状況を
私は一生懸命に説明しようとした。すると、何とその女性から、「日本人ですか?」と日本語で聞かれた。何だ、この女性は日本人だ、とわかり、その状況を説明すると、
「なら、大丈夫です」と勝手に決めつけて、後ろからシートごしに飛び越えてアベックで着席。そして彼女は私に対し、「ツアーで来たんですか?」「この劇わかりますか?」
「夕方の出しモノの方が面白かったですよ」「いつ帰るんですか?」等々の矢継ぎ早質問。その質問に私が逐一丁寧に答えたのは、何といっても、その彼女が美人でハキハキしていたから。
そして逆に私が「なぜ杭州に住んでいるの?」「隣の彼は中国人?」などなどの質問を投げかけると、彼女はそれぞれに的確な回答。これは面白い女性だ、ぜひお友達になろうと思って、
名刺を交換し、「もし、何かあった時はお互いに・・・」となった。

 人の出会いとは不思議なもので、こういう出会いから何か生まれるかも・・・?もっともその延長としての面白い話がもう1つ。隣に座った彼女の彼は上映中、何度も携帯電話で話していたが、
何と劇の途中で、また2人してシートの背中を飛び越えて席を離れ、今度は前部の中央席の方に移動。ああ、これは、携帯電話で、「いい席はないのか」と友人と連絡をとっていたところ、
「ここが空いたので移ってこい」という話になったのだなと納得。いろいろと面白いことがあるものだ。

(4)面白いお話その2

 座席前部の中央部のベストの席にはバーがあり、一般客は入れない構造になっている。そして1番最初私が劇場に入った時、そこには数人の軍服姿の男性が・・・。そして上演寸前には、
そのベストの席は軍人(公安)関係者でいっぱい。ああ、やっぱりここは中国だったんだと実感・・・。

(5)面白いお話その3

 十分堪能できた1時間が終わり、さあ帰ろうと思っていたら、さっき隣の席にいた、名刺を交換した女性が何と舞台の中に入り、女優さんと一緒に写真撮影をしている。
ああ、やっぱり彼女も特権階級の1人なんだなと思いながら、前の方の通路を通って帰ろうとすると、何のことはない、一般客も舞台の方に行って女優さんたちと一緒に
写真を撮ることができる様子(?)。そこで、私はちゃっかりと、何枚も美人女優の隣に並んでハイポーズ!ツアー客26名の中でも、こんないい目(?)をしたのは多分私だけだろう。
「何でもチャレンジしてみるものだ」と実感。

12 オプションその2ー再び足ツボマッサージ(9:30~10:40)

 宋城での観劇が終わり、いったんバスでホテルへ帰った後、今度は私を含めた3人(1人ははじめて足ツボマッサージを体験する女性客)の希望者だけが、ガイドさんのマイカーに乗せてもらって、
再び足ツボマッサージへ。昨日とは違う店で、料金は1時間60~70元のところだが、ガイドさんも時間外勤務のうえマイカーで客の送り迎えをするのだから、
料金をいくら請求するのかなと注目していたが、料金は明日でいいとのこと。

 昨日とはちょっとスタイルが違っていたが、やり方の基本は同じで、私にとっては天国。これが60元で毎日60分できるのなら、ホントに毎日でも行くところだが・・・。
翌日ガイドさんに払った料金はやっぱり昨日と200元でした。まあ仕方ないか・・・?

<足ツボマッサージからホテルへ(10:45~11:00)>

13 ホテル到着、就寝(11:00~)

 娘は観劇終了後、先にホテルの部屋に戻り、風呂も終わり、デジカメの充電も完了し、いつでも眠れる体制。そこで私も早々に風呂に入り、カメラのフィルムの整理をして、
ほぼ昨日と同じような状況で眠れる体制に。風呂上がりは昨日の夕食の前に購入した1缶3.8元の缶ビールが役立ったが、寝る直前にたくさん飲んだため、途中で再三トイレに行く羽目に・・・。

蘭亭にて。

これが有名な「曲水の庭」。意外と小さいものです・・・。

これも魯迅故居の写真です。

清河坊の歴史街区の雰囲気を味わって下さい。

これが清河坊歴史街区の出口。

90元を70元にまけさせて買った湯呑みセット

売らんかな!とかけられた書画類だが・・・。

テーマパーク「宋城」における「宋城千古情」。

3日目

1 起床、朝食(6:30~7:30)

 昨日と同じ失敗はせず、6:00の目覚ましで起きて、段取りよく、6:30にバイキングの朝食へ。本日天気は快晴。「やはり、俺は晴れ男。旅行の時はいつも最適の天候状況!」
と自己満足・・。

 今朝もお腹いっぱい食べて部屋に戻ったが、本日は多少時間的にも、気分的にも余裕があるため、まずバイキングの部屋の様子を写真撮影。そして朝食後はドラゴンホテルの玄関前や
広い中庭に出て、美しい庭園を写真撮影。

<バス出発、烏鎮(ウーチン)へ(8:30~10:30)>

2 烏鎮到着ー烏鎮というまち

 烏鎮というまちは、私が見た数冊のガイド本には載っていなかった。新聞のツアー旅行の宣伝では、上海ー蘇州ー烏鎮ー杭州というツアーがある程度で、日本ではあまりその名前は売れていない。
烏鎮は浙江省の桐多市にある古いまちで、水郷のまち。

3 烏鎮の景區游覽綫(テーマパーク)見学(10:30~12:00)

(1)烏鎮のまちの見学とは、イコール烏鎮景區游覽綫の見学のこと。到着した烏鎮景區游覽綫には、大きなバスの駐車場がある。入場料を払って会場内へ入ると、いきなり水郷があり、
赤い服と青い服の昔の服装で統一した人たちが、二隻の船に乗り、銅鑼や太鼓の音を高らかに響かせながら、水郷の終点に進んできた。そしてこの場所ではじめて、
ツアー御一行様の団体写真を撮ることに。そこで私も1枚。

(2)その後は、烏鎮の昔の街並みを再現した通りを歩きながら、昔の人たちの営みを見学。 

(3)一番奥まで行くと、帰りは一隻8人乗りの船に乗っての、水郷めぐりによる帰路に。船頭さんに後ろで櫓をこいでもらいながら、ゆったりと水郷を進んでいくのは情緒がある。
そして何よりも快晴に恵まれて、水郷のほとりの柳や木々の緑が美しいのが最高。雨が降る中で、こんなところに来たのでは、大変なだけで、ゆったりと情緒を味わうことなどできなかっただろう。

 烏鎮景區游覽綫の見学は、1時間30分だったが、あっという間の充実した見学だった。

4 昼食「悦来酒店」(0:00~1:00)

(1)今日の昼食は、テーマパークのすぐ前にあるレストランにて、烏鎮の農家料理を味わうことに。烏鎮へ来る途中のバスの中でのガイドさんの話によると、
烏鎮はアヒルの養殖が盛んということで、市内に入るとすぐに、たくさんの養殖アヒルの姿を見ることができた。鳥インフルエンザが猛威をふるった今年だったが、
SARSの教訓に学んだ中国政府は、今回は迅速に適切な対処をしたため、何も心配することはないとの説明だったが・・・。また、今日の昼食は羊の肉とのこと。西安や新京、
ウイグルという中国西部の方では、イスラム教信者は牛や豚を食べることを禁じられているので、もっぱら羊を食べているが、そちらの羊は固いのに対し、烏鎮の羊は柔らかいとのこと。
私は2000年の大連旅行の際、瀋陽で羊の鍋料理(しゃぶしゃぶ)を食べたことがあるが、まっ白の脂身の羊肉をしゃぶしゃぶで食べるのは、さすがに抵抗があった。
また西安で食べた羊の串料理「火考羊肉串(シシケバブ)」は、衛生面をあまり気にしなければ、結構おいしいものだった。さてここ烏鎮では・・・?

(2)一番最初に出されてきた料理が羊料理。どんなものかと思って食べてみると、これが柔らかくて結構おいしいもの。骨のついたところは少し固いが、脂身のところは本当に柔らかくおいしい。
その他の家庭料理も十分堪能できるおいしいものだった。

<バス移動、烏鎮出発、杭州へUターン(1:10~2:10)>

5 シルク製造・直販工場の見学(1:10~3:10)

(1)杭州は、昔は紡績のまちで、至るところにシルクの工場があったが、工業化の波の中、次々とシルク工場はつぶれていったとのこと。そんな中、私たちツアー御一行が案内されたのは、
中国人も買いに来ているというふれ込みのシルクの製造・直販の工場で、特に掛け布団を販売したいらしい。ガイドさんが事前に羽毛布団とシルクの布団との優劣を熱弁。そして工場に入ると、
蚕からサナギになり、糸を吐き出し、これを製品化していく過程を現実にお客に見せたうえで、製品に触らせてくれる。そのうえ、ホンモノとニセモノとの区別をする方法を教えてくれた。

 その第1は、触ってみる感触。だがこれは、誰にでもわかる方法ではない。そこで第2は、その糸を火で燃やしてみること。ニセモノは生き物ではないから臭くはないが、ホンモノは生き物で
タンパク質が含まれているから臭いというわけだ。そこでホントに布団から糸を抜き取って、これにライターで火をつけて臭いを嗅がせてくれた。その臭いを嗅ぐと、たしかにムッと臭い。
その瞬間、「ああなるほど、これがホンモノか」と納得するが、果たして製品として包装されて販売されているヤツがこれと同じ商品かどうかまで疑うとホントはどうかわからない・・・。
しかし工場に入る途中、中国人が何人も包装された布団を手にもって帰っていたから、中国人も買いに来ているというのは嘘ではないのだろう。

(2)布団の価格は結構高い。2kg入りでシングル、ダブルとも各490元(6000円)。これはまずまずだが、布団カバーが、シルク900元(12000円)、
ダブル1000元(13000円)とかなり高い。布団さえあれば、カバーは別に何でもいいとも思うのだが、「どうせ買うのなら一緒に」とつい思ってしまうのが人情。
結局、26名のツアー客のうち、私を含め7、8名が購入。もっとも私は製造・直販店だから値段はまけることができないと言っていたのを、まけさせたから買ったようなものだが・・・。
また、この部屋を一歩出て、次の大きな部屋に入ると中国人向けの布団や布団カバーがたくさん展示されており、ここには結構安い商品もあったから、
やっぱりあの部屋は日本人ツアー用の「秘密の部屋(?)」なのかも・・・?

(3)別の一室では、シルクの美しい服を着た女性たちのファッションショー。何でも興味をもつ私は、これをしばらく見た後、きっと写真撮影禁止だろうと思いつつ、デジカメで一枚撮影。
一瞬フラッシュが光ったため、観客が後ろを振り向いたが、それを後に私はすぐにこの部屋を退散・・・。

(4)一般のシルク商品もたくさんあり、ここでは中国人も日本人も同様のお買い物を楽しんでいた。100%ホンモノのシルク商品ということで、
チャイナ・ドレスやパジャマ等の女性用の服は結構高価。私が目をつけたネクタイは、1本125元で結構珍しい柄だったので、2本購入。やはり見ているとついいろいろと買ってしまうものだが、
それも楽しみの1つだから仕方ないだろう。

6 西湖とは(一般的説明)

(1)西湖遊覧の説明をするためには、西湖全体のイメージをつかんでもらう必要があるため、以下、地図やガイド本を参考にしながら、一般的な西湖の説明をしておきたい。

(2)杭州市の中心市街地の西側にある、東西3.3キロメートル、南北2.8キロメートル、周囲15キロメートルの湖が西湖。
春秋時代に活躍した越王・勾践が、呉王・夫差に送った絶世の美女・西施にちなんで名付けられた。この西湖の名所は西湖十景に代表され、それぞれの景色にも名が付けられている。

 また、西湖の西側に南北に築かれているのが蘇堤で、これは西湖十景のひとつ。北宋の詩人蘇東坡が杭州の知事の頃に20万人の人を使って築かせた堤。
2.8キロメートルあり、6つの橋が架かっている。四季それぞれ趣があり美しく、特に霞がかかった春の早朝は最も美しい。

 また今の春の季節は土、日ともなるとウエディングの記念撮影のために新郎新婦が大挙におしよせ、写真撮影ラッシュになるという。私たちも何十組のカップルを目撃した。

(3)西湖十景とは次の箇所をいう。すなわち、

①断橋残雪、②平湖秋月、③曲院風荷、④蘇堤春暁、⑤花港観魚、⑥南屏晩鍾、⑦雷峰夕照、⑧柳浪聞鶯、⑨三潭印月、⑩双峰挿雲。

 以下ガイド本を引用しながら、それぞれの説明をしておこう。

①断橋残雪(だんきょうざんせつ)

 中国の北の端に架かる橋。中国で有名な話『白蛇伝』の白素貞と許仙はこの橋で知り合う。

②平湖秋月(へいこしゅうすい)

 白堤の西端にある庭園。満月の夜に月が湖面に浮かび、それが西湖の風景のなかに溶け込む光景が非常に有名。

③曲院風荷(きょくいんふうか)

 蓮の清楚な香りが漂うことからこの名が付いた。夏になると蓮の花が咲き、人々の歩みを止めさせる。

④蘇堤春暁(そていしゅんぎょう)

⑤花港観魚(かこうかんぎょ)

 蘇堤の南端近くにある公園。園内には、楼閣・亭・回廊があり、500種の牡丹園と多くの鯉が回遊している紅魚池が有名。

⑥南屏晩鍾(なんへいばんしょう)

 西湖の南にある南屏山の麓の浄慈寺の南側に丘があり、この丘から見る夕日と鐘の音が見事に溶け込むことからこの名が付いた。

⑦雷峰夕照(らいほうゆうしょう)

 雷峰山の頂上に建つ雷峰塔と夕日が重なる光景が素晴らしく、この名が付いた。現在雷峰塔はないが、山からは他とは違う西湖の様子が見られる。

⑧柳浪聞鶯

 西湖の東岸にある公園。かすかに波打つ岸辺に沿って柳が植えられている。また、園内に聞鴬館(ぶんおうかん)という茶館があり、ウグイスの声を聞きながら
杭州名産の龍井茶(ろんじんちゃ)を飲むことができる。

⑨三潭印月(さんたんいんげつ)

 湖底の泥を積み上げて造られた島。島の中にたくさんの池があり、それを九曲橋が結んでいる。島の木々と池が西湖と複雑に組み合わさって独特の景色を創り出している。

⑩双峰挿雲

 西湖の西に双峰と呼ばれる南高峰(256メートル)と北高峰(300メートル)という2つの山を霊院路沿いに架かる洪春橋から眺めた景色を双峰挿雲という。

7 西湖遊覧船(4:00~4:30)

 シルク工場での買い物が終わり、いよいよ杭州見学のメインである西湖遊覧船への乗船。客室は1階と2階に分かれており、100人以上乗れる船だが、今日は私たちのツアー26名のみの
貸し切りとなった。4月2日という春の最高の季節のうえ、美しい夕陽の中を、シャングリラホテル前の西湖の北端からゆっくりと西湖の南まで遊覧船で進んでいくのは最高の贅沢。
「これぞ観光旅行!」と絶賛したくなるほどだ。写真を撮りまくったことは言うまでもない。

8 「蘇堤(そてい)」散策(4:10~5:00)

 遊覧船を降りたのは蘇堤のかなり南の方の地点。ここで船を降り、美しい景色や花々を観察しながら、私たちのツアーは蘇堤を南へ向かって歩き、雷峰搭近くの駐車場でバスに乗った。

<バス移動(5:00~5:15)>

9 「新天地」散策(5:15~6:15)

 次はどこへ行くのかなと思っていると、ガイドさんは「新天地」という、おしゃれなコーヒーショップが並んだ名所に案内するとのこと。もっとも、ここでコーヒーを飲んで休憩したのは
2人の男性客だけで、あとのツアー御一行は、美しい庭園をゆっくりと散策しながら西湖の写真撮影。当然私たち父娘も夕陽が沈む直前の美しい西湖の景色と美しい庭園の様子を
それぞれタップリと写真撮影した。

10 真珠・シルクなどの雑貨店買い物(6:15~6:50)

 バスに乗ると、最後の買い物として今度は真珠の店に。「杭州の淡水真珠は・・・」というガイドさんの説明はあるものの、私は真珠には全く興味がないため、文字どおり「馬の耳に念仏」。
したがってその店には全く興味がなかったが、店内は別に真珠ばかりではなく、シルクを中心としたさまざまな商品が・・・。

 店内をブラブラ歩きながら、買う気もなく品定めをしている中で見つけたのがマフラー。内蒙古製とかシルク100%とかカシミア100%とかいろいろあったが、
ちょっと変わった内蒙古製のマフラーを250元(約3000円)から2000円までまけさせたうえで、娘に「これはどうか?」と聞くと、気に入った、とのこと。
今までの店で「これはどうだ?」と聞いても、「あれもいらん」、「これもいらん」とばかり言っていた娘が、気に入ってくれたことに気を良くした私は即座にこれを購入した。

11 夕食 「湖畔居」(6:50~8:00)

(1)今日の夕食は、高級レストラン「湖畔居」で西湖を眺めながらの飲茶とのこと(写真3-21)。座って一杯のお茶を飲むだけで100元をとるという超高級レストランらしく、
ガイドさんが旅行社にその採用を勧めたとのこと。店内に入ると、大阪のロイヤルホテルのロビーとその中の喫茶店を思わせるような高級なフロアー。1番奥のベストの席からは、
窓ガラス一面に西湖の美しい景色が広がっている。ここでの夕食は最高だろうと期待した。が、しかし・・・?

(2)中国での食事は中華料理と決まっており、また中華料理にはまん中にターンテーブルがあるものと決まっている。しかしここにはそのターンテーブルがない。しかもテーブルはかなり小さい。
そして雰囲気はいいものの、ムード満点の雰囲気とするためか、明かりはかなり暗く、テーブルの上にはローソク2本の明かりだけ。

 そこで最初にでてきたのはグラスに入ったお茶。これは1日目の茶屋で出された龍井茶とまったく同じもの。しかし、これが今年採れた新茶なのかそれとも昨年のものなのかまでは
わかるはずがない。そして私が座った席のすぐ隣には、火鉢が置かれ、その上にはお湯を入れたやかんが。つまりお茶へのつぎ湯というわけだ。

(3)出される料理も変わっていた。最初にピーナッツ、スルメなど4~5種類のおつまみ類が、日本風に小量ずつ。次には小さいお菓子に、小さい小龍包。これらが1品ずつ、
日本の会席料理のように運ばれてくる。そしてメインディッシュは茶碗蒸しのようなもの。その間さらにもう1種類のお茶が。そしてこれが、女性用と男性用に分かれており、
女性用はお肌がツルツルになるという○○茶、男性用は高血圧などに効くという薬煎茶(結構苦かった)。このお茶を飲んでグラスが空になると、ウエイトレス(?)が来て、
熱いお湯をつぎ足してくれるから、お腹の中はジャボジャボ。

(4)丸1日歩き回って観光したものだから、私を含めて数名の人たちは早くビールを飲みたいと思っている。しかし、ビールは今日の夕食のセットメニューには入っていないので、
別料金で注文しなければならない。そして、ここは高級レストランらしく、1本20元と高い。それでもみんな飲みたい人はビールを頼んで飲んでいるから、その上に、
お茶を何杯も何杯も飲めといわれても所詮無理な話。それでも、例によって私は、割り勘負けしないほど十分にお茶を飲んだが、多くの男性客は「お茶はもういいよ」と思っていた様子。
そして何よりも食べ物が不足。もっとも娘などは、この旅行中、朝、昼、晩とずっと腹一杯食べてきたので、「たまにはこの程度でいいよ」とちょうど満足の様子だったが、
私を含めた男性客は少し不満な様子。そのため、今晩は後記のとおり、1人歩きの冒険となった。

12 1人歩きの冒険(8:30~9:40)

(1)夕食が終わり、今日は特別のオプションもなく、バスがホテルに到着したのは8:00過ぎ。さてこれからどうするか?娘は、「疲れているのでゆっくり風呂に入って休む」というので、
「ああそうか」と言ったものの、私は時間がもったいないという思いでいっぱい。タクシーに乗って中心市街地まで出かけていく勇気はないので、地図とガイドさんに聞いた周辺の道を頼りに、
1人でブラブラと散策の冒険に・・・。もっとも最低限やろうとしたことは、コンビニへ行って、ビールを買うこと。

(2)ドラゴンホテルを出て、左手が市内へ向かう大きな道。ここを1人でブラブラ(といってもちゃんと用心をしながら、かなりの早足で)と歩いていくと、
ガイドさんが言っていたコンビニがあったが、それを無視してさらに先へ。すると大きなコンビニがあったため、ここに入り、とりあえず缶ビール1本を買い(2.8元)、おつまみがわりに、
日本のコンビニでも売っている豚まんを1個買い、これを食べ、ビールを飲みながらの早足での1人歩きを続けた。

(3)途中、豪華なレストランを見つけたが、そこに入るつもりはない。さらにドンドン歩いていくと、一軒のガラスばりの明るい庶民的な雰囲気の食堂「四海豆菜」があった。

 店の中を覗き、料理のメニューを見ると、5元、10元程度のメニューばかり。要するにラーメンや焼き飯など一品モノの店。食べている客の料理を覗いてみても、ラーメン類が多いうえ、
お客が次々とタッパーを持ってラーメンを買いに来ている。これを見ると、近所で評判のおいしい店だろうと推測された。さらに厨房では麺の手打ちをしている様子。このような状況判断のうえに、
きっとこの店は安くておいしいだろうと考え、食べてみようと思ったものの、はて、何をどう注文したらいいのかがわからない。何しろ頼りは身振りと手振りだけなのだから。

 そこで私は、先客の食べていた器とメニューの両方を指さして、「このラーメンは、メニューのどれか?」と聞くと、そこは店員もわかるもの。「それはこれだ」と指さしてくれたのは、
○○肉○○麺で7元のもの。そこで7元を払い、椅子に座って待っていると、ほどなく器いっぱいのラーメンが。

 食べてみると麺はシコシコとしてすごくおいしい。また肉を中心としていろいろと入っている具もおいしいもの。しかし、スープはすごく熱いし、これがなかなか冷めない。
スプーンでこのスープをすくってみると、ラー油のような油が浮いているから、やはりかなり大量の油を使っているのだろうと思い、さすがにダシは飲まなかったからまだよかったが。
後日談のとおり、どうもこのラーメンは日本人の私の腹にはちょっとキツかったようだ。

(4)ラーメンを食べ終わると、時刻は既に9:20頃。ビールも飲んだし、お腹もいっぱいになったので、帰り支度のことを考えれば、ホテルへ帰り、風呂に入り、
一杯飲んで寝た方がいいだろうと理性的(?)に考えた私は、一転してスタスタと帰路についた。

13 ホテルへ、就寝(10:00)

 ホテルに着いたのは10時前。風呂に入り、おみやげ類をトランクに詰めて明日の帰国の準備。もちろん私は写真のフィルムの整理、そして娘はデジカメの充電など手慣れた必要作業は本日も万全。
これで酒を飲んでぐっすり眠ろうと思ったが、今日は興奮しているためか、さっき食べたラーメンのためか、それとも本日4月2日の巨人・阪神の開幕戦で、阪神タイガースが巨人に逆転、
圧勝したというNHKテレビのニュースを見たためか、なかなか寝つくことができなかった・・・。

ドラゴンホテル入口 こんなに立派なホテルです。

銅鑼と太鼓をたたきながら水郷を下ってきた青衣装の男たち

烏鎮の古いまち並みがよくわかる。

シルク製造工場で繭をとりわける作業中。

シルク製品のファッションショー

遊覧船の上から美しい景色を堪能。

美しい西湖と、しだれ柳の絶妙なバランスをご覧あれ!

超高級飲茶レストラン。

4日目

1 起床、朝食(6:30~7:20)

 いつもの通り、6:00の起床。そして6:30からのバイキング朝食も、3日目ともなると手慣れたもの。

2 娘を連れてブラブラ散歩(7:20~7:50)

 今朝はちょっとした腹ごなしを兼ねて、昨日歩いた道をイメージしながら、娘に少し外へ歩いてみようと提案。娘もオーケーしたので昨日の道を歩いた。
昨日は夜だったため怖くて脇道へ入れなかったが、今日は明るいので途中から脇道へ入り、中国人の住んでいるアパート群を観察した。一棟4階建てのアパートで、もちろんエレベータはなし。
また日本のような解放ベランダではなく、ベランダはガラスで囲われているのが特徴。ホテルのすぐ近くのアパートだが、もうかなり古く、老朽化している様子。その周辺を歩いていると、
当然ながら洗濯している人や洗濯物を干している人などのナマの生活の姿を見ることができる。こういう庶民の住んでいるアパートやその生活の一端を覗き見ることは、
娘にとっても1つの勉強になるだろうと思いつつ、約30分の散策を終了した。

3 オプションー雷峰塔見学(8:00~9:15)

(1)4日目午前中のオプションは、昨日決めた雷峰塔の見学。これは西湖の南の中央部にある雷峰山にある塔。『地球の歩き方’03~’04 中国』(03年3月改定第17刷)における
杭州のガイドによると、「雷峰塔は現在はなく、その景色は想像するしかない」と書かれている(303頁)。しかし、雷峰塔は立派に存在していた。
もっとも、階段にはエスカレーターがついてあり、ガラス張りのきれいなエレベーターもついていたから、この塔はきっと最近つくられたものだろう。もっとも、雷峰塔の見学時間は
1時間弱しかないので、1つ1つ詳しく説明を聞いている暇はなく、よくわからないが・・・。私と娘の2人はまず最上階へ上り、カメラとデジカメで360度に広がる美しいパノラマ風景を
何枚も記念撮影。そして各階ごとに下り、いろいろと見学しながら、写真撮影。

(2)それだけでもう時間いっぱいかと思い、もうバスに帰らなければと思ったが、その時、ガイトさん以下仲間のツアー客は誰もいない。これは北京の頤和園での「ハグレ事件」の再発か?
と思ったが、バスの位置はわかっているので、別に心配はない。しかし私たち父娘だけ帰りが遅れて迷惑をかけるといけないと思い、売店で絵はがきを買った後、急いで出口へ出て、
バスのところへ戻ろうとしたが、困ったのは出口がなかなかわからず、また出口からバスへの道がすぐにわかりにくかったこと。それでも、もともと方向感覚のしっかりした(?)私のこと。
しっかりと走りながらバスへたどりついたら、何のことはない、まだ誰も帰っていなかった・・・。そこでバスから山の上を見上げると、ちょうどガイドさん以下が旗を先頭に降りてきているところ。
彼らに手を振ると、向うも気がついた様子で手を振り返してきたので一安心。今度は私たちが御一行を迎えに行って合流。無事バスに集合し、ホテルへ戻ることになった。

4 チェックアウト、空港へ出発(10:00)

 部屋をチェックアウトして、ロビーに集合。出発は10:00。定められた時刻に無事全員集合。いよいよホテルを後にし、空港に向けてバスが出発した。今日は4月4日の土曜日。
昼からは杭州市内は、観光客でいっぱいになるだろうが、逆に空港へ行く道はそんなに混んでいないはず。予想通り、バスはスイスイと進み、ガイドさんは「お世話になりました。
またお会いできることを楽しみにしています」とあいさつして、みんなからの拍手を受け、あと数分で空港へ。

 ところがこの時起ったのが、何と私もはじめて体験する、高速道路上でのバスのトラブル。次に項を改めて説明しよう。

5 空港直前2キロメートルで、高速道路上でのハプニング!

(1)運転席後の1番前の席に座り、周りの景色を見ていた私の耳に、突然変なアラーム音が聞こえてきた。「何だこれは!」と思っていると、どうもこのアラーム音は運転席から鳴っている様子。
「アレ!」と思ってみていると、運転手はスピードをゆるめ、バスを追い越し車線から走行車線へ、そして路肩の方へ寄せていき、停止した。ガイドさんから特別のアナウンスはないものの、
後に座っていたツアー客も、バスの調子が悪く、停まったことはわかった様子。運転手もガイドさんも携帯電話であっちこっち電話をかけ、また運転手は再三エンジンキーを回すものの、
ガーっと鳴ってもすぐにプチっと切れてしまうありさま。完全なエンジントラブルで、とにかくこれではバスが動かないこと確実。はて、どうなるのだろうか?

(2)ここでやっと、ガイドさんが説明。「空港はすぐ目の前1~2キロメートルにあるが、バスのトラブルで動かない。しかし空港に電話して迎えのバスが来るから安心して。
時間もタップリあるから何も心配することはない」とのこと。1番前に座っていた私には、運転手やガイドさんの緊急時の対応ぶりがよくわかる。携帯電話で何回コールしても空港の相手が
出てこないので、ガイドさんがイライラしているのもよくわかったが、状況を説明する時には、にこやかに落ち着いているのはさすが!

(3)約30分後に空港からお迎えのバスが到着。さあ、荷物と共にツアー客は高速道路の路肩上での「民族大移動」だ。日本の高速道路の路肩より、中国の高速道路の路肩の方が広いことと、
交通量が少ないため、それほど危険は感じなかったが、これが日本の阪神高速道路上なら大変。路肩は狭いし、交通量がものすごいから、30名近くの人間の大移動や、トランクをバスの腹から
迎えのバスの腹へ移しかえる作業は、危険この上ない作業になるはず。しかし、この杭州蕭山国際空港への高速道路上でのこの作業は、むしろみんな楽しみながらやっていた様子。

 こんな時に発揮されるのが、日本人の「団体性」と「協調性」の良さだ。しかしとにかく、とんだハプニングに出くわしたもの。こんな体験は1度だけでいいと実感。
しかし、約30~40分遅れただけで無事に空港に到着できたことを感謝しよう。

6 搭乗手続、ガイドさんとお別れ

 中国流のツアー旅行の帰国手続は、ガイドさんにパスポートを預け、ガイドさんが荷物預けから座席取りまですべてやるもの(北京旅行の時もそうだった)。しかし今回、JALでは、
座席取りは1人1人パスポートとチケットを持ってやってくれ、とのことだった。ガイドさんはかなり強烈に口論していたが、結局「JAL方式」に従うことになった。そうすると、
あとは自分の仕事がなくなったため、ガイドさんは、ここでみんなと握手してお別れ。本当にお世話になりました。名刺も交換したので、是非次に杭州に行く時にはまた案内してもらいたいものだ。

7 いざ帰国(1:00出発)

 機内へ乗り込むまでの時間待ちは、普通免税店でのショッピングだが、買うものは何もない。しかし、本が置いてあったのでそれを見ていると、中国語のガイド本が数冊。
その中に『中国 古鎮游』という本があった。これは中国の古い街を紹介したガイド本で面白そうだったし、ぶ厚いのに1冊38元と安いので、購入。何かの参考になるだろう。

 1:00出発の帰路の便は満席。1番後ろの席があたったが、機内ではビール、ワインを飲んで機内食を食べて、寝るだけ。と思っていたら、帰りのフライトは2時間ちょっとと短かったため、
ほとんど寝る時間もないまま関空へ到着。

 今回の中国旅行も、坂和流に時間を目いっぱい活用し、お腹いっぱいに食事をとり、写せるだけ写真を写した、楽しく充実した旅行でした。

雷峰塔の入り口にて。

雷峰塔の頂上から見下ろす西湖の絶景!

西湖の姿も多種多様!

第2-5)桂林、深せん、広州旅行記・・・2004(平成16)年6月10日~6月13日

〔旅行の動機〕

1 2004年6月時点の私の(中国に関する)知識では、多分桂林は昆明と並んで中国で1番美しい景勝地だと思っている。特に、中国の20元札のお札の絵として使われている漓江下りにおける
水墨画のような奇峰の連なりは、ガイド本で見るだけでも絶景また絶景のすばらしさ。「いつかは1度!」と思っていたものだ。

2 他方、プライベートな人間関係にもとづく1回目の大連旅行(00年8月)、2回目の西安・敦煌旅行(01年8月)の後は、北京旅行(03年11月)、杭州旅行(04年3月)と
3泊4日のツアー旅行が続いた。そして結局、ツアー旅行の方が安上がりで効率的、そして少しでも余った時間を目いっぱい使ったプラスアルファの観光も可能だとわかったため、
最近の私の目はいつも新聞の旅行案内に・・・。

3 そんな時見つけたのが、近畿日本ツーリスト主催の3泊4日の「山紫水明・漓江下りと桂林・深せん・広州4日間」のツアー。朝1番で出発し、夜遅く帰ってくるハードなスケジュールだが、
その方が私には向いている。そして6月10日出発は59800円という格安さ!そこで即座にこのツアーへの参加を決定したという次第。今回の相棒は、中国からの留学生。日本人同士よりは、
中国人同行の方が何かと便利なことは当然。予定外の桂林でのナイトクルーズや、夜のまちの散策が楽しみだ。

4 桂林の観光地や漓江下りのすばらしさを紹介したガイド本は山ほどある。また深せんは中国民俗文化村だけ、広州は西漢南越王墓だけの見学だが、深せん、広州にもその他数多くの
観光名所がある。これらを事前にガイド本でたっぷりと勉強し、予備知識を吸収したうえでの出発だ。用意したカメラのフィルムは36枚撮りで20本。そして一眼レフデジカメ1台、
小型デジカメ2台というラインナップも杭州旅行と同じ。さあ、写真(デジカメ)を撮りまくらなければ・・・。

1日目

1 関空出発まで(8:30~10:35)

 これまでに行った北京と杭州のツアー旅行は、「JTB旅物語」だったが、今回は、はじめての近畿日本ツーリスト(クラブツーリズム)のツアー。中央カウンターで申し込みを確認して、
チケットを受領した後、搭乗手続、出国手続だが、既に何回も経験しているので、手慣れたもの。予定どおりの出発だ。今回の「山紫水明・漓江下りと桂林・深せん・広州4日間」ツアー参加者は
計19名と、ちょうどいい規模。

2 ガラガラの飛行機で出発(10:35~)

 6月という季節で、木曜日出発、日曜日帰国という設定のツアーだから、それほど混んでいないだろうと思っていたら、案の定、飛行機の中はガラガラ。席に座るやビールを注文し、
機内食を食べる間もビールとワインを飲み放題。ほどよく酔ったところで、中央部の3人掛けシートの肘掛けをはずして、完全に横になってのひと眠り。うまく酔いがさめて、目が覚めたところで、
まもなく広州空港着、すべてが順調だ。

3 広州空港入国手続後、バスへ乗り込み(中国時間13:30)

 予定どおり3時間半程度のフライトで広州空港へ到着。入国手続を終えて外へ出ると、添乗員の旗を目指して一直線。今回の添乗員は、男性のAさん。そして例によって、
バスへは1番の乗り込みとなり、1番前の座席へ。大型バスへ19名の乗り込みだから、ゆったりとしたもの。Aさんは、4日間を通じお世話になるの添乗員だが、
今日と明日の広州・深せんだけを案内するガイドは、康さんという女性。そして、それとは別に、張さんというカメラマンも同行。

4 カメラマン同行による写真撮影について

(1)前回の杭州旅行で私にもはっきりとそのシステムがわかったが、カメラマンがツアー客と一緒にバスに乗り込み、数枚の集合写真の他、個々のお客さんの写真を撮って
これをキャビネ版にしたうえ、地元の景色と一緒にちょっとした1冊のアルバムにまとめ、(気に入ったものだけを)買ってもらうというやり方が、中国のツアー旅行では定着している。

(2)そのシステムはわかるが、その値段は1枚1000円。しかし、これはあまりにも高すぎる。ずっとツアー客に同行しての写真撮影だし、売れないものは捨てるしかないのだから、
販売できる写真に価格が転嫁されるのはやむをえないが、価格を高くすればするほど売れる枚数は少なくなるはず。したがって、たとえば1枚だけなら1000円だが、5枚なら3000円、
10枚なら5000円というように、枚数が増えれば1枚あたりの単価を下げるような商売のやり方にしなければ・・・と思った次第。

(3)ちなみに、今回のツアー旅行でも、3日目の漓江下りでは、売れたのは1枚だけという惨憺たる有り様だった。もちろんこれには、カメラマンの売り込み方の上手、
下手が大きく影響するのは当然。前回の杭州へのツアー旅行では、4日間ずっと一緒のカメラマンの売り込み方がうまかったので、結構な枚数が売れていたはずだが・・・。

5 広州から深せんへ(14:00~16:30)

(1)広州空港に着いたものの、今日は広州は素通りで、バスはそのまま深せんへ。広州から深せんまでは高速道路で約2時間の道のり。深せんは中国のほぼ最南端で、深せん河を隔てて
香港のすぐ北側にあり、海が近い。そのため、高温多湿となり、バナナなど南方の植物が多い。高速道路を走るバスの心地よい揺れの中で、うつらうつらしたくなるのを我慢しながら見渡す
周囲の景色は、当初は工場団地とそれの従業員用と思われる住宅、そして、バナナの畑がいっぱい。また、レイチの木もいっぱい。しかし、深せん市内が近づくにつれてその景色は一変し、
高層ビルが林立するまち並みに・・・。

(2)深せんの経済特区に入るには、中国人であっても「関所」がある。といっても、高速道路の料金所と同じように、単に特区内に入るのを確認するだけのものが一般的。
しかし、ガイドの説明によると、最近は、バスの中に検査官が入ってきて乗客をチェックしたり、場合によれば、乗客に降りてもらって、隣りの建物に入らせたうえで、チェックするケースもある
とのこと。そして、最近はその確率が増えてきているらしい。何となくイヤーな予感がしていたところ、私たちのバスの中に検査官が入り込んできた。そして、ガイドと一言二言・・・。

(3)すると何と、男は60歳以上、女は55歳以上の乗客はいいが、それ以下の乗客はみんなバスを降りてチェックを受けてくれと言われたとのこと。「これも経験!」と思ってバスを降りて、
隣りの建物内へ。入出国の際のパスポート検査のようなものを受けるのかと思ったら、何のことはない、結局、1人1人のチェックはなく、全体の雰囲気だけを見て全員オーケーとのこと。

 ガイドの捨てゼリフ(?)によると、「どうせ、何もしないくせに!」ということだが、こういうチェックがあるというだけで、経済特区内に入り込んで悪いことをしようとする奴のチェックは
できるのだろう。そう思ったものの、実際にそれを体験してみると、いささかびっくり。1国2制度をとっている中国において、深せんから香港へ行く(入出国)するについて、
それなりの手続が必要なことはわかるが、同じ中国内で経済特区に出入りするのに、こんなチェックがあることに驚くとともに、いい経験となった。

6 深せんというまち

(1)中国の改革開放政策は、1978年12月の中国共産党11期3中全会(第11回党大会で選出された中央委員による第3回全体会議)から始まった。
つまり、この3中全会が本格的な鄧小平時代の幕開けとなったわけだ。「改革」政策は農村部から始まったが、他方、「開放」政策は1980年5月に、広東省の深せん、珠海、汕頭、福建省の
厦門(アモイ)の4都市が経済特別区とされたところから始まった。つまり、深せんの経済特区は、鄧小平が、「この土地は香港に近いので、経済特区をやろう」と提案したことによって、
始まったものなのだ。鄧小平の命令によって、3万人の中国人民族解放軍が深せんの基本建設のために派遣され、重機などの設備が不十分な中、「人海戦術」によって、深せんのまちの建設が
進められたということだ。そのため、深せんの人たちは鄧小平を尊敬しており(?)、まちの中心部には大きな鄧小平の肖像が飾られている。
もっともそれが、深せん市民の本心かどうかは?だが・・・。

(2)深せん市は、全体がほぼ東京都と同じ広さで、2000K㎡。その中の経済特区は、ほぼ名古屋市と同じ約680K㎡。そして、経済特区内は何と、全長132Kmの鉄条網で囲われている
とのこと。バスから時々見えるこの鉄条網をみると、あらためてたしかにここだけは特別区という感じがするから不思議なものだ。

(3)ガイドの説明によると、深せんの「せん」という字は、中国語にもない漢字だそうだ。土へんに川という字を組みあわせた字からわかるとおり、これは畑の側の流れ水という意味。
つまりこの土地は、昔は川が流れる畑だけのいなかまちだったということだ。

(4)深せん市は、改革開放政策が始まる今から24年前は、人口3万人の田舎まち。ところが、それが今は、人口700万人となり、経済特区の中だけでも400万人が生活しているとのこと。
もっとも、戸籍を持っている人は、その約3分の1で、約200万人だけとのこと。また、深せん市内の人口の平均年齢は何と28歳。これは、働くために深せんに集まってくる若い人が多いためだ。
つまり、18歳から深せんに来て、25歳ぐらいまで働いてお金を貯めて出て行くパターンが多いということ。だから毎年毎年、新しく18歳の若い人が工場に働きに来るということだ。

(5)また、深せんの基本語は広東語。しかし、深せん市は「移民都市」であるため、多くの言葉が入り混じっているとのこと。そして、一般的に深せんの人々の声はデカい。この話を聞いて私は、
『ギャング・オブ・ニューヨーク』(02年)の映画を思い出し、19世紀の新興国アメリカ、特にニューヨークが移民によって形成されたまちであることとよく似ていると思ったが、
さて、どうだろうか・・・?

(6)私がガイドに質問したのは、深せん市内のマンションはいくら位するのかということ。その答えは、深せん市内では、㎡あたり約10万円。つまり、70㎡のマンションで約700万円
ということだから、大阪市内の値段の約3分の1といったところか。そして、これは香港の約10分の1の値段とのこと。すなわち、面積が極端に狭く超過密都市である香港では、
100㎡のマンションで1億円というのがザラにあるということだ。また、物価も深せんは香港の約2分の1~3分の1ということ。したがって、最近は深せん河だけで隔てられている
香港の人たちが、深せん市内のマンションを購入して、香港と深せんとの間を通勤している人が増えているとのこと。また、香港の人たちがいわゆるセカンドハウスとして深せん市内にもつ
マンションは規模の小さいものが多いが、深せん市内で家族をもって働いている深せんの人たちは、100㎡以上のいわばファミリー用マンションに居住しているとのこと。
どこの観光旅行に行っても、このように都市問題についていろいろと勉強しなくちゃ・・・。

(7)2004年7月23日の日経新聞夕刊で、上記(6)で述べた私の問題意識と共通する記事を見つけたので、是非それを紹介しておきたい。
それは、「大中国 都市変幻 第2部・返還7年の香港」というタイトルで、7月20日から夕刊の一面に連載されてきたものの第4回目。さすがに、日経新聞の香港支局のスタッフが
担当しているだけに、その取材の視点とデータの豊富さは本格的。そして、そこに写る深せん駅前は、私が撮影した写真と共通するもの。

 この記事によれば、深せん市の香港港に接する羅湖地区から、中国と香港の境界を越え、2、3分歩くと香港側の羅湖駅。ここから電車で香港に通勤する人を「深せん在住香港人」と呼ぶとのこと。
したがって、その記事に登場する香港人のウォンさんが語る「香港と深せんは今では一つの街と同じ。不便はあまり感じないよ」という話は、現在の香港人の共通の認識のはず。
こんな中、今、深せんは高層マンションの建設ラッシュで、今年の上半期に深せんで売り出された住宅の45%が羅湖地区の物件とのこと。さらに、そのお客さんの約8割は香港人とのこと。
まさに「香港の中国返還から7年、香港と中国の境界が消えていく」ことを、マンション事情から実感することができるいい記事だ。

7 深せん博物館(16:30~17:05)

(1)バスが最初に向かったのは、深せん博物館。ここは、24年前は人口3万人の鄙びた漁村から、今や人口700万人という大都会に発展した深せんの様子を、模型や写真を駆使して展示した
博物館。そのメインは、大きな模型。これをみると、香港、マカオ、深せん等の位置関係がよくわかる。この模型を見ながら、1997年7月1日の香港返還の直前に香港旅行をした時の印象と
あわせて考えてみると、一層興味深いものに・・・。

 香港と深せんとの物理的な距離は昔も今も当然同じだが、今は入出国手続の簡素化により、どんどんその交流の密度は濃くなり、またスピードは速くなっている。また、ガイドの話によると、
近いうちに深せん河によって隔てられた香港と深せんを結ぶ橋が完成するとのこと。そして、これが完成すれば、中国の物流の70%が深せんに集約されるとのこと。

(2)1国2制度をとっている香港では、私が新聞で勉強している情報によっても、最近、普通選挙の実施をめぐって、中国本土(?)とかなり「やりあっている」。中国本土の全人代常務委員会は
2004年4月、香港の行政長官と立法会選挙について、「民主派」が求めている「直接選挙」を認めない旨の明確な決定を下した。つまり、選挙制度改正についての最終判断権は、
香港の市民にあるのではなく、全人代にあるというわけだ。このため、2007年の香港行政長官の選出については直接選挙を実施せず、また、2008年の立法会選挙についても
直接選挙で選ばれる議席数を拡大しないことになったが、さて今後どうなることやら・・・?

(3)1997年の香港の中国への返還以来、香港では中国本土と深まってきた交流がさらに加速されることは確実だ。しかし、その結果は・・・?ひょっとして、香港が中国本土に
「飲みこまれる」ことになるのでは・・・?こう考えるのは、果たして私だけの杞憂だろうか・・・?

8 深せん錦繍中華中国民俗文化村観光その1(17:05~18:00)

(1)次は深せん観光のメインである、中国民俗文化村の見学。中国民俗文化村は、60万㎡の広さ(東京ディズニーランドの約2倍)があり、大きくは、錦繍中華ミニチャイナと中国民俗村に
分かれている。もともと2つに分かれていたテーマパークを、2003年元旦に合併したものだ。ミニチャイナは、北京、西安など、中国各地の名所を10分の1のミニチュア版で再現し、
これを見て回れば、簡単に中国各地の名所を「見学」できるというもの。

 他方、民俗村は、漢民族を除く55の少数民族にスポットライトをあて、その文化や生活ぶりを紹介するという面白いもの。この2つをゆっくり見て回れば、それだけで丸1日かかるため、
私たちのツアーは長いカートに乗って全体を見て回ることに。これは別料金だが、誰1人、「私はブラブラ歩いて見て回ります」という人はおらず、全員カートに乗り込んで、見学することに。

(2)まずは、ミニチャイナの見学。10分の1といっても、想像以上にデカいもので、万里の長城だけでもかなり巨大なもの。また、西安にある秦の始皇帝兵馬俑や大雁塔敦煌で見た莫高窟、
北京で見た故宮(紫禁城)や万里の長城、そして杭州で見た西湖などの10分の1のミニチュアに大感激。これらの有名な観光地(?)では、カートを下りて見学し、写真撮影をして回るだけでも
結構忙しい。これらの名所を見ていると、その懐かしさに大感激。単純なものだ・・・。

(3)次は少数民族の民俗村見学。ガイド本でみた、チャン族、ミオ族、ヨー族などの生活ぶり(?)をカートに乗ってざっと見学。これをみると、いかに中国が広いかをあらためて考えさせられる。
そして、漢民族VS少数民族という中国がもつ根深い問題点を、あらためて考えさせられるいいきっかけとなった。

(4)中国民俗文化村に入ったのが夕方5時すぎだったから、この見学の所要時間はちょうど1時間。そしてここでいったん、夕食タイムに入ることに。
夕食が終わると再度、中国民俗文化村に入り、今度は野外劇場での少数民族のショーの観賞(ナイトパレード)だ。

9 夕食(18:00~19:00)

 夕食は、中国民俗文化村のすぐ近くにある「海上興海鮮酒楼」という立派なレストラン。ここでの食事はまずまずだったが、気に入らないのは、何とビールが1本40元もしたこと。
北京や杭州では10~15元だったから、40元とはベラボウ。ちなみに、漓江下りの専用船の中は当然高いはずだが、それでも1本20元。中国民俗文化村のすぐ近くのレストランというだけで、
この40元という値段はぼったくりという他ない。近畿日本ツーリストの主催者はこのレストランにきちんと文句を言って、ビールの価格を改めさせなければ・・・。

10 中国民俗文化村見学その2(19:00~20:30)

(1)急いで食事をすませて再度民俗文化村へ。19時30分からは中国民俗文化村の「鳳凰広場」という野外劇場で開催される、少数民族のショーの見学。いい席がとれたとガイドが言っていたが、
そのとおり、私たちツアー客の席は1番前のベストポジション。この野外劇場はチャチなものではなく、つい最近1億円をかけてつくられたと言われている豪華で巨大なもの。とくに、
そのステージは巨大で、日本の普通の劇場に比べると優に5倍はあるだろうという感じ。また、観客席には屋根があるが、観客席とステージを隔てる通路には屋根はなし。
多少の雨ならショーは挙行されるが、大雨や嵐の時は中止せざるをえない。

(2)今日のショーは、『花風舞中』(『竜と鳳凰の踊り』)というちょっとしたストーリーをつけての中国民族5000年の歴史や、少数民族の風習を歌と躍りで表現した1時間余りのものだが、
その豪華さと出演者、とくに女性陣の美しさにびっくり。途中驚いたのは、そのストーリー構成の中で、観客席とステージの間の通路を馬に乗った兵士たちが、次々と疾走していったこと。
野外劇場ならではのホンモノの馬の「出演」で、その迫力にびっくり。もっとも、いいことばかりではなく、その幕が終わった後、急いで掃除をしていたものの、馬のフンの臭さにはびっくり。

11 ホテルへ(21:00)

 以上で今日のツアー旅行の1日目の見学メニューはすべて終了し、バスに乗ってホテルへ。私たちが泊まる深せんの「新都酒店」は、1988年に開業されたもので、深せんの高級ホテルでは
最も歴史の古いホテルとのこと。しかし・・・。ガイドがバスの中で言った無料のペットボトルのサービスがついていない。文句を言っても通じず、保証金が必要と切り返される始末・・・?
もっとも、翌日ガイドの交渉によって、1本ずつ水のペットボトルが配られることになったが・・・。そして後述のとおり、翌日の朝食に大問題が・・・?

12 深せん駅周辺のまち散策(21:30~24:00)

 シャワーをあびた後、私たち2人が出かけていったのは、深せん駅周辺の夜のまち。深せん駅のすぐ前にある最も豪華なホテルがシャングリラホテル(香格里拉大酒店)だが、ガイド本には、
「深せん駅周辺は治安が悪いので用心せよ」と書いてあるし、ガイドも駅周辺の散策はやめた方がいいと言っていた。しかし私たちは、「鬼が出てくるはずはない!」と腹を据えて、缶ビール片手に
ブラブラと。途中、スーパーに入っておみやげのお菓子を買ったり、多くの店の前で売っているレイチを買ったり・・・。写真を撮りつつ、ブラブラと歩いていると、もう既に23時。
翌朝が早いことを考えてホテルの近くまで戻ったが、その裏側を歩いてみると、おいしそうなレストラン(ラーメン屋)があり、翌日の朝食や朝5時の起床を考え、迷いながらも、
結局はその店に入ることに。2人でワンタンメンを半分ずつ食べたが、すごくおいしいもので、入ってよかった!ちなみに、その料金は13元。

 お腹いっぱいとなり、幸せな気持で眠ることができました・・・。

威容を誇る経済特区深せんの模型。

民俗衣裳を着た若い男女と共に。

ミニチャイナー兵馬俑にある跪射武士俑らと共に

ミニチャイナー万里の長城

夕食後再び民俗村へ。

野外大劇場での大規模で華やかな『花風舞中』のショー。

深せんから香港へはひとっ飛び!

13元で食べたおいしいワンタンメンは感動モノ!

2日目

1 5時起床!ひどい弁当!

 今日は国内線で深せんから桂林へ行く予定。8時10分発、9時30分着の予定だから、7時には深せん空港に入る必要があるため、逆算すれば、何と今日は5時起床!

 そこで、ホテル内で朝食をとる時間がないので、朝食は弁当にしてもらい、バスの中でこれを食べることになっていた。6時にフロントに集合し、出発したバスの中で配られた弁当を開けてみると、
これが何と小さい発泡スチロールのパックに入れられた玉子をからませたチャーハンだけ。温かいからまだ食べられるものの、冷めたらとても食べられるしろものではない。ひどいものだ。
昨夜の水のペットボトルのサービスのないことや国際電話をするには先に300元の保証金を積まなければならないなど、今どき、時代遅れもいいところ。「歴史ある高級ホテル」と謳われた
「新都酒店」のサービスや朝食としては、あまりにもお粗末という他ない。もちろんガイドも、この弁当のひどさには文句をつけており、私たちツアー客に謝っていたが、
近畿日本ツーリストとしても、来週からのこのツアー客に対しては直ちに改善しなければ・・・。

2 国内線で深せんから桂林の空港へ(8:10~9:30)

(1)チャーハン弁当の朝食に不満を抱きながら、空港へはバスで約40分。その後、市内から西北へ約32キロのところにある深せん空港へ到着し、時間待ちの間、しばらく売店で、
レイチを含む珍しい果物を見物しながら、チャッカリと売り子さんと記念撮影。乗り込んだ国内線の飛行機の中では、ツアー客はみんなウトウトひと眠り。そして9時30分に着いたのは、
1996年に新しく完成したという広くてきれいな桂林の両江国際空港。

(2)今日の市内観光と明日の漓江下りが今回のツアーのメイン観光だ。この桂林でも、バスへの一番乗りは、もちろん私たち。もっともここでは、広州からずっと一緒の男性添乗員のAさんの他、
新たに桂林の女性ガイドの張さんとカメラマンBさんの3人が一番前の席に座るため、私たちは2番目の席におさまり、市内観光へスタート。

3 桂林というまち

(1)桂林は広東省の西隣の広西チワン族自治区にある都市。広西チワン族自治区の西隣りは雲南省だし、西南はベトナムに接している。桂林はこの広西チワン族自治区の東北部に位置しており、
四方を山で囲まれ、中心部を漓江が流れている中国でも有数の観光地。漓江沿いに広がるカルスト地形の絶景は天下有数のもの。

 紀元前2世紀に秦の始皇帝が桂林郡を設置して以降、桂林は嶺南地方(広東と広西をあわせた地区)の政治・経済・文化の中心地として栄えてきた。

(2)以上は、ガイド本からの知識だが、空港から市内までの約40分のバスの中で、ガイドの説明から勉強した知識は次のとおり。

 ①桂林への旅行客は日本人が一番多いが、日本から桂林への国際線の直行便が福岡だけ週3便あるため、桂林への日本人旅行客の中では、九州の人が多いとのこと。
また2003年のSARS騒動のため、その時期は観光客が途絶え、ガイドも仕事が休みとなったが、今年のゴールデンウィークは、20万人が桂林を訪れ、漓江下りには3万人が訪れたとのこと。

 ②桂林の市の木は金木犀。そして、桂林の「桂」は「かつら」ではなく、金木犀を指すとのこと。桂林は秦の始皇帝がこの地に、桂林郡を設置してから2000年の歴史を持つ土地だが、
始皇帝の時代からこの土地には金木犀の木が多かったので、「金木犀の林」すなわち「桂林」と名付けられたとのこと。そして金木犀の咲く10月が、桂林観光のベストシーズン。
また、この金木犀は、お茶やお酒にも使われているとのことだ。

 ③桂林は暖かいので、お米は二毛作で作られているが、実はあまりおいしくないらしい。そして中国でお米がおいしいのは、やはり北の地方とのこと。

 また桂林の名物料理は、お米から作るビーフン料理とのこと。桂林のビーフンには、太い普通のめんと名古屋のきしめんのような平べったいものの2種類があるとのこと。桂林の人たちの朝食は、
いつもこのビーフンとのこと。そして、今夜の夕食は、この名物ビーフン料理を楽しめるとのことだ。さらに、桂林市内から漓江下りの船着場までには蓮の花がたくさんあり、
レンコンがたくさん採れるとのこと。また、果物は豊富で、ライチ、マンゴー、スイカ、バナナなどが1年中食べることができるとのことだ。

 さらに驚いたのは、山が多い桂林にはヘビが多く、そのためヘビ料理もさかんで、これがおいしいとのこと。そして何と、犬料理も名物で、犬の肉料理の味は抜群とのこと。そのため桂林では、
食べるために飼っている犬はいるものの、外を歩いている(?)犬は一匹もいないとのことだが、ホントにそのとおり、犬の姿は1度も見ることはなかった。

 ④桂林が水墨画のような奇岩で有名なカルスト地形となったのは、この地が昔、海だった時代に石灰岩が多かったためとのこと。とがった形の桂林特有の山があちこちにできたのは、
それなりの理由があるというわけだが、その詳しい根拠は実は私にもよくわからないまま・・・。

 ⑤次に都市問題について。桂林は観光都市。漓江下りの観光だけで市民が飯を食っていると言っても過言ではないほど、観光におんぶに抱っこの観光都市だ。
最近、市内から漓江下りの船着場まで走る高速道路ができたが、これも観光によってガッポリと儲けたお金によるものとのこと。したがって、桂林市内では「都市の景観」には、
とりわけ気をつかっており、市内では日本の京都市並みに建物の高さ制限があり、すべての建物が10階に高さ制限されているとのことだ。そのため桂林市内では、5つ星のホテルでさえ
10階までの高さ。唯一の例外は「香江飯店」で、それが市内で一番高い建物だが、それでも19階建てとのこと。また市内は狭いので、最近は郊外にマンションを買う人が増えているとのこと。
私たちのツアーが宿泊するホテルである桂林航空大酒店は郊外にあり、市内から車で約20分。空港と市内のほぼ真ん中あたりだ。空港から市内へ向かうバスの中で、
郊外にある別荘風のマンションが新しく建てられているのを見たが、これが今、売りに出されている郊外型マンションとのことだ。

(3)以上のように、女性ガイドの張さんは、知識をいっぱい提供してくれた。もっともメモを取りながら、この話を一生懸命聞いているのは私たちだけだったが・・・。

4 畳彩山(じょうさいざん)見学(10:30~11:30)

(1)桂林市の北部、漓江のほとりにそびえる高さ223mの奇峰が畳彩山。岩肌の地層が何重にも折り重なったように見えるところから、畳彩山と呼ばれるようになった、とのこと。

(2)ガイド本からの事前情報はさておき、桂林市内見学の最初は、この畳彩山見学。というよりも畳彩山「登り」。ツアー御一行様には年配の人が多いので、ガイドはさかんに、
この山の階段上りはきつい、しんどいと説明。「どうしても途中でギブアップしたいという人がいれば、必ずそこでストップして休んでいて下さい。下り道で合流して一緒に下りますので」
とまで言って、さかんに予防線を張っていたが、たしかに山の頂上まで登るのはかなりの肉体労働。もっとも、日頃フィットネスクラブで足腰を鍛えている私は、全く平気。
北京旅行で万里の長城の階段や坂を上り下りした時の運動量に比べれば、約4分の1程度か・・・?それでも、頂上まで階段を歩いた約20分間で、汗がどっと吹き出てきたのは当然。

(3)畳彩山の頂上からは、桂林市内の四方に広がる景色が一望できるが、とりわけ北から南に流れる漓江を山の上から見おろす景色は何とも絶景。15分ほど頂上で写真を撮りながら、
この景色を楽しんだ後、下山。そしてちょうどお腹のすいたところで昼食だ。

5 昼食(11:30~13:00)

 今日の昼食は、桂林大酒店というホテルの中にある「東居」という立派なレストラン。吹き抜けのロビーには、大きな池があり、その中にはミニ桂林ともいえる奇岩が・・・。
ここでの昼食も広東料理のコースで、結構おいしいもの。ビールの値段は正確には覚えていないが、15元だったか・・・?

6 七星(しちせい)公園(13:00~14:00)

(1)七星公園は漓江の東に広がる桂林最大の公園。ガイド本によると、4つの峰がそびえる普陀山と3つの峰がそびえる月牙山、合わせて7つの峰を持ち、その並び方が、北斗七星に
似ているところから、七星公園と名付けられた、とのこと。

(2)七星公園の中には、桂林動物園がある。その中のメインは、桂林に一匹だけいるという、パンダのビビーちゃん。といっても、既にかなりの老齢とのことで、動物園内のハウスの中で
じっと寝ている(?)パンダを外からひと目ながめて、写真を撮っただけのこと。なおこの動物園では、本物の虎の上にまたがって乗り、写真を撮るという面白い体験を20元の料金でしたが、
もし、あの時あの虎が途中で暴れ出したら・・・と思うと・・・?

(3)七星公園の最大の見モノは、駱駝山(駱駝岩)。これが七星公園のシンボルで、頭の形や背中のコブの形までホントに駱駝そっくり。見事なものだ。

7 おみやげ屋へ(14:00~14:20)

(1)ここで、ツアー旅行恒例のおみやげ屋へ行くことに。七星公園の近くの「桂林天然竒石館」という、おみやげ屋での売りモノは、その店名からわかるとおり漓江の流れの中で自然に模様が
刻まれたという、岩(石)がメイン。私も、1万円と言われた、春夏秋冬と名付けられた、縦5センチ、横10センチほどの4枚の石を5000円なら買うと言って買ったが、
これは結構キレイなもの。

(2)面白かったのは、20キロにも及ぶ、46万円と提示された縦30センチ、横60センチ、幅7センチ位の模様のついた大きい石。ほとんど冷やかし感覚で、1割の5万円なら買う
と言ったところ、途中から店長のお出ましとなり、真剣な値段交渉に。送料が実費で約2万円かかるとの説明には納得したが、それなら現物3万円プラス送料2万円の計5万円で譲らないまま、
交渉決裂か、という状況に・・・。すると、何と店長は私を店の端っこに連れて行き、ヒソヒソ話で、10万円まで値下げしてきた。弁護士生活30年の私としては、これは7万円出したら、
買えるだろうという感触だったが、私の方からその価格の提示をしなかったため、結局、話はもの別れとなって、次の見学へ・・・。日本に帰ってから考えてみると、
あれを7万円で買っていたら結構、話のネタとなって面白かったかも・・・。

8 今度はお茶の実演へ(14:20~15:00)

 これも、中国旅行恒例のお茶の実演。杭州では、龍井茶についてかなり詳しく説明を聞き、販売攻勢の中、値切りに値切って購入したが、ここ「聚茗苑」というお店では2班に分かれて、
①桂花王茶、②茉莉花茶、③烏龍茶、④一葉茶についての実演と説明だ。しかし北京や杭州での実演販売に比べると、ここは販売努力が不十分。「5個買えば1個おまけ!」という、
いつもの話もあまり積極的でなかったためか、売れ行きはもうひとつだった様子。

9 象鼻山(ぞうびさん)見学(15:15~16:15)

 象鼻山は、漓江と桃花江の合流地点にある小さな山。象が漓江に長い鼻を伸ばして水を飲んでいるように見えるところから、こう呼ばれるようになったもの。また象の鼻と足にあたる岩の間にある、
アーチ状の大きな穴のすぐ脇にある水月洞と呼ばれる小さな穴は、観月の名所としても知られている、とのこと。当たり前だが、どのガイド本にも載っているとおりの実物を目の前に見ると、
その美しさにうっとり。天気も最高だったから、写真写りも上々!

10 ホテルへ入り、ひと休み(16:50~17:50)

 以上で市内観光の3か所が終了。本当はもっといろいろと見学したい名所はあるものの、とりあえずこの3か所を見るだけで目いっぱい。それでもいい天気のもと、たっぷりと桂林市内の
有名なところを見学できて大満足。今日と明日、連泊するホテルは桂林の郊外にある「桂林航空大酒店」。ドアを開けて入ると、正面に大きな象鼻山の絵(?)が掲げられていたが、
これは実は絵ではなく、石細工による立派なもの。ホテルの部屋に入って畳彩山でかいた汗をフロで流し、ナイトクルーズで夜遅くなることも計算して髪も洗い、スッキリしてから夕食へ。
朝、ガイドから聞いた名物のビーフン料理が楽しみだ。

11 夕食(18:00~19:00)

 桂林での1回目の夕食は「西苑叙福楼」にてビーフン料理。と言っても、普通の広東料理に汁ビーフンと焼きビーフンがプラスされたもの。期待して食べたが、正直言って味は
あまりたいしたことなし。ちょっと残念。

12 全員で桂林市内散策(19:30~20:30)

 夕食の後はツアー客全員で、桂林市内の夜の街「正陽街」を散策。周辺に店が立ち並ぶ人がいっぱいの夜の街を約30分かけてブラブラ歩き、解散。

13 2人での桂林市内散策(20:30~21:30)

 桂林には漓江下りとは別に、桂林市内にある2つの川と4つの湖を船に乗ってめぐるナイトクルーズの観光がある。今回のツアー旅行にこれが入っていないのは、料金と時間の両方から
少し無理があるためらしい。しかし私たち2人は、昼間からこれをオプションとしてガイドに注文。そして21時30分から約1時間半のナイトクルーズ予約がとれていたため、
ひき続き市内の夜の街をブラブラ歩きながら、安物の店を散策したり、クルーズの船内で飲む缶ビールを仕入れたり・・・。 

14 ナイトクルーズへ(21:30~23:00)

(1)ガイドに頼んで1人180元で特別注文した、ナイトクルーズの出発は、解放橋の近くの船乗り場から。ここを出発して漓江を北へ進み、左回りで順次①木竜湖(もくりゅうこ)、
②桂湖(けいこ)、③榕湖(ようこ)、④杉湖(きんこ)という4つの湖と桃花江(とうかこう)という江を回り、最後は象鼻山近くの船着場に到着する約1時間半のコースだ。
橋全体が明るくライトアップされ、そりゃ見事なもの。市内にある、ライトアップされた金塔、銀塔、そしてイスラム寺院を、ゆっくりと進む船の中からながめる趣きは格別。

 ツアー客19名のうち、私たち2人以外の17名はこのナイトクルーズを体験していないことになるが、それでは桂林の魅力の半分しか感じとることはできていないのでは・・・?

(2)ナイトクルーズで面白いのは、水位調整のための水門が2か所あり、ここでは船を一時停止して、水位の調整をした後、再度出発する体験をしたこと。
水門による高さ調整は話としては聞いていても、体験したことはなかっただけに、なるほどと納得。しかし本当に人に説明できるほどわかっているのかどうかは・・・? 

15 タクシーでホテルへ、就寝

 ナイトクルーズが終わった後は、その美しさの余韻にひたりながら、タクシーに乗ってホテルへ。今日は12時前に寝て、明日の漓江下りに備えなければ・・・。

男性添乗員のAさんと桂林のガイドの張さん

畳彩山の頂上にて。美しい景色と共に。

ホテルの1階の吹き抜けロビー

動物園の中、虎にまたがった勇気ある坂和弁護士

私と並ぶと、駱駝山(駱駝岩)の大きさのイメージが

これが象鼻山の水月洞

ナイトクルーズで見た、美しくライトアップされた金塔

美しくライトアップされた解放橋

3日目

1 ホテルにて朝食(6:30~7:30)

 ホテルでの朝食はバイキングと相場が決まっているが、今回もそのとおり。内容はまずまず。家ではほんの少ししか食べない朝食も、中国旅行となると、珍しいものをいろいろ食べてみたい
という気持と、料金負けはしないようにという気持で、とにかくお腹いっぱいになるまで食べるから不思議なもの。これで準備万端オーケーだ。

2 漓江(りこう)下りのため船乗り場に向けて出発(8:00~9:00)

(1)8時にバスに乗り込み、竹江にある船乗り場まで、きれいに整備された道路で約30~40分。

(2)漓江下りは桂林観光のハイライト。これは桂林市から陽朔(ようさく)へ南北に流れる漓江を、遊覧船に乗って北から南へ下っていくもの。
「奇岩奇峰の間を流れる漓江に沿って広がる、水墨画のようなカルスト地形の美しさは天下絶品」と、どのガイド本にも書かれている。現地でもらった『漓江游』のパンフレットによると、
桂林市の、①象鼻山から最終の陽朔まで、83キロの流れがあるが、漓江下りは、そのうち②塔山③磨盤山を省略して、④竹江からスタートする。
そして、⑤蝙蝠山⑥望夫石⑦冠岩幽洞⑧楊堤秋色⑨浪石煙雨⑩九馬画山⑪黄布倒影⑫興坪⑬五指山を通り、最後の陽朔までの43キロを、途中下船しなければ、約3時間で下っていくもの。
さあ、楽しみだ。

3 近畿日本ツーリストのチャーター船に乗り込み(19名+2名)(9:00~)

(1)事前にガイド本を読んでも、日本人ツアーはどんな船に乗って行くのかよくわからなかったが、近ツリ御一行様には、冷房が完備された、漓江下りの近ツリ専用船があるとのことでひと安心。
さらに、この専用船は途中、⑦冠岩幽洞で下船して、1時間余りの鍾乳洞の見学があるうえ、昼食も団体客向けのバイキングを準備してくれるとのこと。しかし、船の中だからビールは高く、
1本20元するとのこと。そこでは、早めに缶ビールを仕入れておかなければと思ったが、船つき場では既に缶ビールが10元と高くなっていた・・・。

(2)座席指定となっているため、当初は各自自分の指定席に座ったものの、今日はこの専用船の中は私たち19名のツアー客にプラス2名だけということだったので、広い船内のどこでも
自由に座れるという大幸運。おまけに、バイキング料理を食べる2階の席にも自由に座れるため、私たちはすぐに2階に上り、1番前のベストポジションをキープ。ここを根拠にして、
2階の前後のデッキに出たり、3階のデッキに出たりしながら、漓江下りをたっぷりと楽しむことができた。

(3)ちなみに、漓江下りの船はたくさんあったが、その多くは満員の乗客。だから、その船にはデッキにいっぱいの人が群がり、写真撮影も自由にできないのではないか、という感じ。
それに比べれば、私たちの21名乗り込みの冷房完備、バイキング料理付きの専用船は、天国みたいなもの。なお、ガイド本によると、この漓江下りの料金は昼食、
送迎代を含め400~600元と書かれているから、これを含めたツアー料金総額59800円は安いものだ。

4 乗船から冠岩幽洞まで(9:00~9:40)

 乗船してから、鍾乳洞見学のために一時下船する⑦冠岩幽洞まで、約40分。この間に見える両岸の景色もすばらしいものだが、ハイライトは⑦冠岩幽洞の後から登場してくるとのこと。
したがって、この40分間に写真を撮りまくっていると後悔することが多いというガイドのアドバイスを頭におきながらも、写真撮影に没頭。なお⑥望夫石は、
「若い母親が子供を背負って夫の帰りを待ち望んでいる姿に見えるのでこの名がついた」とのことだが、これは意外とチャチ(?)なもの・・・。しかし、こんなすばらしい天気の中、
こんなにゆったりと漓江下りを体験することができて、ホントに最高と自分で納得だ。

5 冠岩幽洞で下船し、鍾乳洞の見学(9:40~11:30)

(1)ガイド本には、この鍾乳洞は、「岸壁に洞窟があり、その中は鍾乳洞になっている。ここを通り抜けると、桃源郷(「桃花源跡)」に辿り着くという伝説もある。
ちなみに冠岩幽洞の少し下流にある町の名は桃源村」と簡単に書かれているだけ。しかし、1990年代に発見されたこの鍾乳洞は、その後きれいに整備されたとみえて、
私たちが見学した鍾乳洞の中はものすごい規模で、すばらしいもの。

(2)まず、鍾乳洞の中がベラボウに広い。階段を上り下りしながら歩き回り、いろいろな珍しい形をした岩石を紹介してもらい、そのたびに感嘆の声をあげる私たちツアー客!
そして要所、要所はかなり明るくライトアップされているので、写真も十分きれいに撮れる。

(3)さらに驚いたのは、鍾乳洞の中を走る長いトロッコ列車。こんなものに乗って移動するのだから、鍾乳洞の中がいかに広いものであるかがわかる。鍾乳洞の中のハイライトの場所には
写真撮影用に、少数民族の衣裳を着たモデルがたくさんいる。しかし、これは1度写真撮影する毎に5元が必要なので、ほとんどのツアー客は利用していない様子。

(4)本当にビックリしたのは、鍾乳洞の1番地下を流れている川を、10人単位の小船に乗って進んだこと。この幻想的な雰囲気の中、小船に乗って川を進んでいくというイメージは、まるであの、
『オペラ座の怪人』の地下シーンそのもの。ホントにいい体験をさせてもらったと感謝!鍾乳洞の「探検」が終わると暑い日射しの中、桂林冠岩と名づけられた美しい景色の下で写真をパチリ。

6 バイキングを楽しみながら、漓江下りのハイライトへ(11:30~12:30)

(1)冠岩幽洞での鍾乳洞見学が終わって再び涼しい船内に乗り込むと、ほどなくバイキングタイム。私たちツアー客はそれぞれ2階のテーブル席に陣どり、バイキングに舌つづみ。
昨日の畳彩山登りの後の昼食といい、今日の鍾乳洞見学後の昼食といい、ちょうど運動してお腹が空いたところでの昼食は、グッドタイミング。持ち込みの缶ビールを飲み、
おいしいバイキングを食べながら、要所、要所ではデッキに出て写真を撮るという楽しい時間だ。

(2)漓江下りのうち、④竹江⑤蝙蝠山⑥望夫石⑦冠岩幽洞の間が、約40分。そして、それに続く昼食を食べながらの⑧楊堤秋色⑨浪石煙雨⑩九馬画山⑪黄布倒影⑫興坪の間の約1時間が、
漓江下りのハイライト。つまり、この間にある両岸の奇岩奇峰が最も有名というわけだ。中でも、⑩九馬画山は、「前方の山の岸壁に斑紋のような色の濃淡ができてそれが一幅の巨大な馬の壁画
のように見える」ため名付けられたものだし、⑫興坪は、「古い町で景色が素晴らし過ぎてまるで桃花源仙境のようである」と言われているところ。

 そして、中国人民元の20元札の裏面に印刷された水の流れとその両岸の美しい景色は、この漓江下りの⑫興坪の景色を印刷したものだ。印刷されたものと全く同じ写真は撮れなかったものの、
テレビでも見た景色を自分の目で確認できて大感激! 

7 ハイライトの後は昼寝組続出(12:30~14:30)

 食事をしながら美しい景色を楽しんだ後は、私も含めてみんな眠くなってきた様子。⑫興坪の後の景色も美しいものだが、ここから陽朔までの両岸には桂林特有のとがった山が少なく、
一般的な美しさの風景が続いていく。そんな中、あちこちのテーブルでは、ツアー客は、うつらうつらとお昼寝タイムに。そりゃ、鍾乳洞見学では歩き回って、ほどよく疲れたうえ、
食事をしてお酒を飲んでお腹がいっぱいになれば、人間誰でも眠気の欲求に襲われるのは当たり前。至福の昼寝タイム(?)にも大満足!

8 下船は陽朔(ようさく)(14:30)

 下船するのは陽朔。ここ陽朔県は、桂林市にある11の県の中の1つであるうえ、桂林市の直轄下にある人口28万人の小さな県だ。ガイド本によると、
「漢の時代に治安県が設置されたことにまちの歴史が始まり、現在の名前は590年(隋の開皇10年)に陽朔県とされたことに起源をもつ」とのこと。この陽朔は、
「桂林以上に山水画の風景が美しく、奇岩、奇峰が幾重にもまちを取り囲んでいて、そのすばらしさは桂林の比ではない」と書かれている。

9 西街散策(14:40~15:00)

(1)陽朔で下船し、散策したのは「西街」という小さな街並み。道の両側ではいろいろな物を売っており、中国旅行特有の「1000円!1000円!」という売り子も多いが、
それもまた結構面白いもの。私の目についたのは、レストランで食事をしたり、カフェ(?)でくつろいでいる外国人が多いこと。バスに乗ってから聞いたガイドの説明によると、
ここ陽朔には、その美しさに魅かれてやってくるヨーロッパからのツアー客が多く、最近はここに別荘を買うヨーロッパの人もいるほど、有名になっているとのこと。

 この旅行から帰って、あらためてガイド本を読んでみると、ここ陽朔の西街は、地元の人には「洋人街」と呼ばれている有名なまちということだ。

10 帰路、高田郷で写真撮影(15:00~15:20)

 西街を約20分ほど散策しながら通り抜けると、今度は9人乗りのカートに分乗して、私たちを待っているバスの駐車場へ。そして、桂林への約2時間の帰り道に立ち寄るところは
高田郷という美しいまち。ここは県城、興坪郷と並んで、陽朔で最も美しい景色といわれている田舎まちだ。

 バスが到着したのは、川をまたぐ橋を越えたところ。この橋から見下ろす川と西岸の景色は何とも絶景で、ここが記念撮影をする場所に「指定」されているわけだ。橋の上を車が行き交う中で、
写真を撮るのは大変だが、そのすばらしい景色には思わず息をのんだ。これですべてが終了。再度バスに乗り込んだ後は、約2時間、桂林への帰り道。バスに揺られながらの、
睡眠タイムもいいものだ。

11 みやげ店(掛軸屋)へ(17:00~17:35)

(1)さあここで、ツアー恒例のおみやげ屋訪問だが、今回は掛軸屋。私は掛軸には別段興味はないので、買うつもりは全くなく、お茶を飲んだ後、時間つぶしと勉強のためと思って、
1つ1つゆっくりと見て回っていたところ・・・。

(2)店内はかなり広い。そして掛けられている掛軸はかなり多い。しかしその値段を見ると1本2万、3万、4万円から10万円というものが多い。こりゃ高い!かなりふっかけているな
と思いながら見ていると、店員がすり寄ってきて3割引きにするとのこと。そんなことは言われなくてもわかっている!もともとの値段の表示が高すぎることは承知の上だから、実際の売値として
いくら位を想定しているのか、いろいろ考えながら、ここでも「1割なら買う!」というところからスタート。さすがに1割でオーケーとはならないものの、半額は当然というところ。

(3)ぐるぐる回って見ていると、目についたのが少し小ぶりの8000円(600元)という表示の掛軸が20本位並んでいるところ。「高いヤツと比べて、これはなぜ安いのか」と質問すると、「作者が有名ではないからだ」という答え。私にはどうせ作者などわからない。しかし書いてある絵のレベルは、私が見る限りそんなに変わるとは思えないので、
これを2000円位に値切って買えればいいだろうと思い、値段交渉に・・・。

(4)2000円はオーケーしなかったものの、遂に200元(約2600円)ならオーケーというところに到達し、商談成立。そこで、1番ポピュラーと思われる象鼻山を描いた1本の掛軸を購入。
さらに出発するまでブラブラ見ていると、「もう1本どうですか」と言ってきたので、「同じクラスのものを150元にするならもう1本買う。まとめて買えば安くなるのは当然だ」と交渉すると、
みんなが店を出ようとするギリギリの時間になって180元でオーケーとなったので、もう1本、今度は畳彩山を描いた掛軸を購入。こうなると、買い物も知的ゲーム、
駆け引きゲームとして楽しいものだ・・・?

12 今日の夕食はホテル内(18:30~19:30)

 今日の夕食は私たちが宿泊している「桂林航空大酒店」内の2階にあるレストラン。こりゃ楽だが、味はどうかなと心配しつつ、部屋でシャワーをして汗を流し、
髪も洗ってスッキリした状態でレストランへ。びっくりしたのは、ここではビール1本が9元と安いこと。そして食事もおいしく十分満足!

13 少数民族のショーへ(オプション)(20:00~21:10)

(1)次はオプションとして参加する少数民族のショー。これは「漓江刷院(LIJIANG THEATRE)」で行われているもの。事前にガイドさんに「いい座席をとってね」
と頼んでいたことが効いたのか、私たち10数名の席は、何と1番前の真ん中のテーブル席2つ。この一等席で飲み物を飲みながら、少数民族のショーの鑑賞だ。

(2)バスでの移動中、ガイドからの説明で、

 ①中国には漢民族の他、55の少数民族があること。

 ②広西チワン省の人口の4分の1が少数民族だが、中でもチワン族が1番多く約400万人いること。

 ③桂林には13種類の少数民族がいること。

 ④もっとも、少数民族の多くは山間部に住んでいるため、桂林市内に住んでいるのは5%だけであることなどを教えてもらっていた。

 また、⑤チワン族の女性は、髪の毛を8歳の時に1度切るだけで、後は死ぬまで1度も切らず、髪の毛の長さが女性の美しさの象徴とされているとのこと。

 さらに、⑥ミオ族の女性は首が長いのが美人とされているため、首にネックレスをつけて毎年少しずつ首を伸ばしているとのこと。

 そして、⑦少数民族の中では、ミオ族の女性の顔が1番美しいが、ミオ族はいつも頭の上に重い飾りモノをのせているため、身長が低いとのこと。これらの他、結婚やお祝ごとの風習など、
ガイドから聞いた少数民族のさまざまな習慣や生活ぶりの話もいい勉強になるものだった。

(3)こんな予備知識のもとで観た少数民族のショーは美しくて楽しいもの。もっともこれは、1日目の深せんの民俗博物館の野外劇場で観た『竜と鳳凰の踊り』ほど大規模ではなく、
ふつうの劇場でのショー。しかし、何よりも出演する女性陣の美しさにうっとり。写真撮影自由だから、フラッシュを光らせて撮った写真、デジカメも、そのほとんどが美しい女性に集中。
やはりスケベ心はいつでもどこでも変わらないものだ・・・?

 中でもびっくりしたのは、ミオ族の女性数名が登場した、足まである美しい髪を洗う風習をテーマとした踊り。その艶かしいこと・・・。
スケベおやじのあなたも(?)これは是非1度観なければ・・・。

(4)ショーの終了後は、出演者数名が玄関に立ち、観客との記念撮影に協力してくれるという前回の杭州旅行ではじめて体験したサービスが・・・。
並んだ4人の女優さんと何枚か記念写真を撮ったが、少し残念だったのは劇中で1番キレイだった女優さんがここに並んでいなかったこと・・・。まあそれでも十分楽しめたことはまちがいなし。

14 中山路の夜のまちを散策(21:30~23:20)

(1)ツアーのお客さんはショーの観劇後、バスに乗ってホテルへ帰るわけだが、私たち2人はここから別行動。タクシーで桂林市内へ行き、夜のまちの散策だ。私たちが着いたのは中山路という
桂林のメイン道路。ここでは夜の7時20分以降、道路を半分ふさいで屋台がズラッと並んでいる。最初に目についたのはお茶の販売の屋台。昨日の夜の散策で買ったものと同じお茶が
かなり安い値段で売っていた。そこで、さらに値段交渉をして3本100元で購入。

(2)さらにブラブラ歩いていると、タペストリーを販売する屋台があった。1枚30元と言われた少数民族の絵柄のものが珍しいので、「2枚で30元にしろ!」と交渉しながら、
いろいろ見ていき、結局は3枚で50元ということに・・・。日本へのいいおみやげになるだろう・・・。

(3)珍しい体験をしたのは、似顔絵を描く屋台。3人の若い男性アーティスト(?)が座って似顔絵を鉛筆で描いている。その背後には有名な男優、女優そしてフセインやビン・ラディンの似顔絵
などがいっぱい掛けられている。「これは面白そう」と思って、値段を聞くと、似顔絵は10元、Tシャツは30元とのこと。もっとも、描くのに15分ほどかかるというので
ちょっとしんどいなと思いつつ注文すると・・・。

(4)たまたま2人の絵描きの手があいていたので、2人が同時に私の似顔絵を描くとのこと。そして気に入った方を買ってくれたらいいという大サービス。できあがったA、B2つの作品をみると、
明らかにAの方がベターだった、私としてはもともと両方とも買うつもり。また、Aの作品が気に入ったので、それをTシャツにプリントしてもらおうと思ったら、そうではなく、Tシャツには
再度絵筆で描くとのこと。それをするとさらに15分ほどかかるので、しんどいなと思いつつ注文したが、完成品を見ると実によくできている。これはいいおみやげができたと大満足!
2人の若いアーティストと共に記念撮影もバッチリだ。

 こんな風に楽しんでいると時刻は既に23時。ホテルに帰って寝るのが妥当だが、せっかくここまで来ているのだからと、さらに足つぼマッサージに行くことに・・・。

15 足つぼマッサージ(23:30~0:30)

 桂林で足つぼマッサージ店を経営しているのは台湾の人が多いとのこと。私たちが入った店もビルの6階にあるかなり高級な店。超豪華なソファーに座り、足を薬草入りの熱いお湯につけている間、
肩や腕のマッサージをしてくれるのは、短い白いスカートと赤いシャツを着た可愛い女の子。そして一瞬胸元もチラリ・・・。もっともそれは準備作業中の一瞬だけで、足つぼマッサージに入ると、
半分ウトウトしてそれどころではない。「これぞ至福の時!」という60分の足つぼマッサージは68元也!

16 ホテルへ帰りやっと就寝

 足つぼマッサージが終わったのは、日付が変わった0時30分。タクシーでホテルへ帰り、早く寝なければ・・・。明日は朝から広州へ戻るので、5時15分起床だ!

五星紅旗と漓江の風景。

美しく広がる漓江両岸の風景。

冠岩の名物、大規模な鍾乳洞。

漓江下りのハイライトへ。

船の前部デッキにて。

この人がこの劇団の主役スター・・・?

出演の女優と並んでバッチリと記念写真。

3枚50元にまけてもらって買った、タペストリー。

4日目

1 5:15の起床

 楽しかったツアー旅行もいよいよ最終日。今日は6時からバイキングの朝食を食べて6時半にバスに乗り込み、7時から広州行き国内線への搭乗手続だ。そのため、5時半に大きな荷物を
部屋の外に出さなければならず、5時15分にモーニングコールの予定。

 昨日寝たのは、1時過ぎだから、かなりの睡眠不足は当然。しかし頑張って早起きだ!

2 桂林から広州へ(8:00発、9:00着)

 帰りついた広州空港(白雲空港と呼ばれている) は、1日目に入った空港だが、1日目のそれは国際線。しかし今日着いたのは、広州空港の国内線。それはともかく、今日の広州見学のガイドは、
1日目からずっと付き添ってくれている男性のAさんのみ。今日の見学用バスへの乗り込みも、もちろん私たちが1番乗りとなり、ガイド用に1番前の席を空けて2番目の席に陣取った。

3 広州空港の解説

(1)バスの中でのガイドの説明によると、私たちが今日利用した広州空港は、広州市内の西方約6キロのところにあるもの。しかし広州市の西方約30キロのところに建設されていた新空港が
6月末には開港されるとのこと。またそのために建設されていた、新空港に向けたもう1本の高速道路も今年の夏には開通するとのこと。要するに、中国では、あらゆる都市で郊外型の新空港と
それに直結する高速道路が次々と建設されているわけだ。とにかくそのスピードの速さにはびっくり。

(2)1974年の弁護士登録後、直ちに大阪国際空港公害訴訟の弁護団に入って活動した私には、伊丹空港の欠陥ぶり、つまり住宅密集地の上をジェット機が騒音をまき散らしながら
飛んで行く姿に、異様さを覚えたものだが、今日、この広州空港に降り立つ時に窓から見た景色が、これとよく似ていたのでびっくりしたもの。中国では、いくら騒音がひどくても、
これに文句をつけることなど考えることもできないのかもしれないが、今の広州空港では住宅密集地の上を飛行機が飛び回っていることは明らか。その意味からも新空港の建設は妥当だ。
またガイドの説明によると、現空港は住宅密集地の中にあるため、住宅も高いものを建てることができず、一定の高さに制限されているとのこと。ここにもさまざまな都市問題があることがわかる。
いろいろと勉強すれば面白いものだ。

4 西漢南越王墓見学(9:15~10:45)

(1)私の事前のガイド本による勉強によると、西漢南越王の墓についての情報は次のとおり。すなわち、嶺南地方(現在の広東省と広西チワン族自治区一体)は、秦の始皇帝が
紀元前214年に占領して統治をした。秦の崩壊後、秦の将軍であった趙佗が自ら王を名乗り、ここに南越国を建国し、現在の広州を都とした。この西漢南越王墓は、1983年、
偶然、前漢時代の南越国第二代王文帝の石室墓が発見された。この墓は2200年前のもので、中から1000点以上もの埋葬品が出土した、というものだ。

(2)この事前情報によって、私はてっきりこの西漢南越王の墓は、秦の始皇帝陵と同じように小高い山の中にあるものだと勝手にイメージをふくらませていた。
そのため、今日の暑い広州での日差しの中、汗をかきかき歩き回るものだと思い、日傘まで用意していたが、実はそうではなかった。つまり、西漢南越王の遺体が納められているのは、
西漢南越王博物館という立派な建物の中なのだ。

 この西漢南越王博物館は、西漢南越王の墓から出土したさまざまな貴重品を陳列するため、1988年に建設されたもの。もちろん内部は冷房が効いており、
館内を案内するガイドの日本語も達者なものだ。

(3)西漢南越王博物館は、主に①古墳保護区、②出土文物の陳列、③陶磁器枕の陳列という3つの空間に分けられているが、メインは西漢南越王の糸縷玉衣。この赤いシルクの糸と
1191枚の玉片で覆われた糸縷玉衣は撮影禁止のものだったが・・・?今から2000年前の南越王の時代の王さまの生活ぶりが、文帝行璽金印や屏風の力士型銅製台座、
角玉杯等に見事に残されていることがよくわかる。

(4)館内を案内するガイドの説明や資料によって、私にはっきりわかったことは、

 ①初代の南越王となった武王(BC.203~137)は、始皇帝の部下であり、始皇帝の命令でこの南越地方を治めていたが、秦国が滅亡したため、自分が王となって治めることになったこと

 ②南越王は初代が武王、2代目が文王、3代目が明王と続いていたが、1983年に偶然発見されたのは、この2代目文王のお墓であること

 ③南越の首都は桂林ではなく、万遇(まんぐう)というところにあったこと

など。

 何でもきちんと勉強しなければ・・・。

5 最後のおみやげ店へ(11:00~11:30)

 西漢南越王博物館の見学後、ガイドはさかんに恐縮しながら、最後のおみやげ店へと案内。ガイドの説明によると、
「ツアー旅行は、どうしても1日に1回はおみやげ店に立ち寄らなければならない義務がある。買わなくてもいいので、お茶を飲んで休憩して下さい」と正直な告白(?)。

 立ち寄ったのは、国際会議場の中にある大きなおみやげ店だが、既にどこでも見て、見飽きている商品ばかり。そこで私たち2人は、店内を一目ざっと見渡した後、
30分の時間を利用して近くを散策することに。暑い日射しの中、ブラブラ歩いたのは広州市のバスターミナル周辺の三元里。缶ビールを買って飲みながら、CD店の中でCDやDVDを物色したり、
アヒルの丸焼きを見学したりと、結構有意義な時間を過ごして、バスの中へ。

6 昼食(12:00~13:00)

 今日の広州での昼食は、広東飲茶。ガイドも「おいしい」とさかんにアピールしていたから楽しみ。そのレストランは、空港のすぐ近くにある広くてキレイなお店。店内にはパイロット姿の男性も
多い。飲茶として出てくるものは、1コずつ取るものが多いので、これは平等だが、それ以外にも野菜モノやマーボー豆腐、そしてビーフンやスイカ等が大皿で出てくるので、
それは適当に取り分けることになる。ツアー旅行での食事はだいたい1時間以内の忙しいものが多いが、今日の昼食は13時35分に空港に入ればいいので、1時間半とゆっくり。
そこで私たちは、「ゆっくり、ゆっくり」と言い聞かせながら、お腹いっぱいになるまで、広東飲茶を堪能した。その後は、このビルの中をブラブラするだけ。残念だったのは、食後、
2階に足ツボマッサージの店があることがわかったので、これをのぞいてみたが、30分だけのコースがなかったこと。30分だけでもやってもらったら、気持ちがいいのに・・・。

7 いよいよ帰国、搭乗手続(13:30~15:30)

 予定より少し早くバスに乗って空港に入ったが、まだ荷物が到着していないので、空港内でまた20分ほどブラブラ。おみやげ店に入り、前回の杭州旅行で飲んだ龍井茶を見ていると、
例によって店員が販売攻勢。ここではお茶を試飲させてくれるので、その龍井茶を一服。ちゃっかりと、飲むだけ飲んで店を後にし、いよいよ搭乗手続へ。

8 帰りもガラガラの飛行機内(15:30~19:30)

 来る時も飛行機はガラガラだったのだから、帰りもそうだろうと思っていると、案の定ガラガラ。4日間の「空白」を少しでも補うべく、朝日・毎日・読売・産経・日経の5紙の他、
スポーツ新聞を取って、指定の席に座った。このように日本の新聞・雑誌があるのが中国南方航空ではなく、日本航空のいいところ。しかし離陸するや否や、1番後ろの3列席へ移動。
そこで「阪神快勝!」のニュースはもちろん、昨日の日本の動きをじっくりと新聞で確認しながら、次々と缶ビールとワインを。機内食が出ると、更にそのペースは早くなり、2時間もすると、
いい気分となって眠気が襲ってきた。そこですかさず横になり、アイマスクをして1時間ほどぐっすりと睡眠。

9 真っ赤な日の入りと、飛行機からみる四国、淡路島(19:30~20:00)

 ほどなく目が覚めて、窓から下を見渡すと既に日本列島の上空。「果たして、ここはどの地点か」と思いながら、右側の窓から下を眺めていると、左側の窓から下を見ていた相棒が手招き。
その隣に座って左方向を見おろすと、西の空に真っ赤な太陽が沈んでいく美しい景色がバッチリ。2001年の敦煌旅行の際、敦煌の広い荒野の中で沈む夕陽を見て感動したが、
その時以来の美しい景色。さらに左の窓から下を見ていると、本四架橋が見え、淡路島が見えてきたため、自分の位置をはっきりと把握することができた。何回、飛行機に乗っても、大体寝ているか、
窓から下を見ても1か所からだけなので、なかなか自分の位置はわからないものだが、こんなに位置関係がわかったのははじめてのこと。これは、飛行機がガラガラにすいていたことと、
ちょうど日本時間で19時40分到着という時間帯がよかったことによるもの。最後まで幸運に恵まれたいい旅行だった。

10 無事到着(20:00)

 20時頃、無事飛行機は到着。入国手続もスムーズなら、あらかじめ時刻表を調べていた帰りの南海電車への乗り込みもスムーズ。そしてさらに、地下鉄の連絡やエレベーターのタイミングまで
すべてバッチリ。おかげで23時30分には無事、自宅に到着。

 さあ、明日からは仕事の他、写真の整理や旅行記の執筆をやらなきゃ。今回の楽しい桂林旅行に味をしめて、次は今年の秋に重慶・成都方面へ行かなければ・・・。そして、その次は、昆明だ!

西漢南越王墓をおさめた博物館。

発掘された南越王のお墓。

ブラブラ歩きでみた、広州の三元里村。

第2-6)「雲南省大周遊8日間」旅行記・・・2004(平成16)年11月28日~12月5日

〔旅行の動機〕

1 一大決心の7泊8日

(1)2004年12月に出版した『坂和的中国電影大観』で私は、「次回の中国旅行のターゲットとして考えているのは、第1に重慶と成都、そして昆明を訪ねる旅」と書いた(25頁)。
しかし重慶と成都をセットにしたツアーはあるものの、雲南省にある昆明は西双版納(シーサンパンナ)・麗江・大理をめぐるツアーに組み込まれている。
したがって、どちらかの選択を余儀なくされるわけだ。

(2)そこで私は西双版納・昆明・麗江・大理7泊8日の雲南省周遊ツアーを選択し、恐る恐る事務局長にその旨を伝えると、いとも簡単に「お好きなだけどうぞ!」とやさしい(?)返事が
戻ってきた。さすが強力な事務局スタッフ!と信用し、「1週間ぐらい弁護士が事務所にいなくとも事務処理には支障はきたさない」と腹を決め、申込みをすることに。もちろん平日の1週間、
事務所を留守にするわけだから、レンタルのワールドホンは必需品。これも昔は1日1000円もかかったが、今はインターネットで申し込めば1日315円だから8日間で約2500円と安いもの。
電話さえあれば仕事はオーケーと割り切り、私としては一大決心の7泊8日の雲南省への旅に出かけることになった。

2 雲南省は『三国志』の諸葛孔明の世界

(1)雲南省が少数民族の国であることはよく知られている。そして雲南省には25の少数民族が生活しているとのこと。私の大好きな『三国志』では、前半は魏・呉・蜀の三国の争いが中心だが、
後半は劉備玄徳亡き後、ちょっとデキの悪い(?)2世皇帝・劉禅を奉じて、国力の弱い蜀の国を何とか維持し、魏の圧力に対抗していこうとする諸葛孔明の姿が中心に描かれる。

(2)そこで孔明が考えたことは雲南省への勢力拡大であり、「異民族」である「南蛮」の懐柔策だ。孔明と南蛮の王である孟獲との戦いは七度とも孔明が勝利したが、孔明はその度に捕えた孟獲を
放したという。これが有名な「七縱七禽」であり、7度目に放された時ついに孟獲は孔明に心服し、蜀ヘの帰順を誓うことになった。これが蜀の諸葛孔明による雲南省の異民族である「南蛮」懐柔策の
理想的な姿だ。三国志の中では孟獲率いる南蛮軍は異様な姿で象に乗って蜀軍に対抗したと書かれているから、かなりの蛮族だったはず。そんな雲南省に出かけて行ってホントに大丈夫・・・?

3 雲南省は漢方薬の宝庫

 昔から高血圧気味の私は、かつて友人から「これは絶対効く!」とのふれこみで、「田七」粉なる顆粒状の薬を購入したことがある。結構高い値段だったが、まとめて大量に買い込んで
一定期間飲み続けたが、いつの間にか放置してしまった。そして気がつけば既に賞味期限切れとなっていたため、泣く泣く処分した経験がある。この「田七」の出所が雲南省だ。
その他、雲南省に行けばさまざまな漢方薬があるはず。果たしてどんなものがあるのか、興味をもって調べるのも今回の旅行の動機の1つだ。

4 昆明は『たまゆらの女』の舞台 

 私の大好きな中国の美人女優鞏俐(コン・リー)が、珍しくも官能ラブロマンスもの(?)に登場したのが『たまゆらの女』(03年)。これは雲南省の昆明と四川省の重慶を結ぶ片道10時間の
「火車」による長距離恋愛をテーマとしたもの。この映画では「三明」とされているが、これは昆明のことと推測され、白磁器の染付け絵師のコン・リーがここに住み、恋人の詩人が住む重陽
(これも架空の名前で実際は重慶と推測)まで通っていくという設定だ。この詩人が贈った詩は『我的仙湖』というもので、三明にある美しい湖をうたったもの。現実に昆明には昆明湖という
中国で9番目に大きい湖があるが、果たしてこれがその湖なのか?旅行に行く前から興味津々だ。こんな風に映画から自分なりの想像力を膨らませて旅行をすれば、
見聞も一層広がろうというものだ・・・。

5 全く知らなかった西双版納(シーサンパンナ)

 中国のガイド本を見てもなかなかシーサンパンナという頁が見つからなかったが、何回か調べるうちに、西双版納=シーサンパンナであること、そしてまたその中心地が景洪だということが
わかった。雲南省の南西部にあるこの景洪市は、シーサンパンナタイ族自治州にあり、その南西はミャンマー、南東はラオスとの国境に近いところ。事前によくガイド本を見て勉強しなければと痛感。
その他の昆明、麗江、大理についても、その名前は知っていても、具体的にどこにあり、どんな少数民族が生活しており、どんな特徴があるのかはほとんど知らなかっため、
事前勉強はしっかりと・・・。そのためガイド本による知識と情報はバッチリ。これらの位置関係については読者の皆様も多分ご存知ないと思うので、以下の旅行記を理解するために、
雲南省全体の略図を下記に掲げておこう。

〔今回のツアーの特徴〕

1 日程の変更

 私が今までに体験した①北京、②杭州、③桂林の3回の中国ツアー旅行は、こちらが日程を決めて申し込めば、
即オーケーとなっていた。しかし今回は当初11月19日出発で申し込んだが、これは募集人員が
集まらなかったため、一週間後の11月26日出発のものに切りかえざるをえなかった。
なぜそうなったのかはよく考えてみると、これぐらいの長期ツアーの参加者は、時間的余裕のある人が
多いところ、11月23日の祝日を含む11月19日出発ツアーの方が多少値段が高かったためと推測される。
さらに旅行社である「クラブツーリズム」の都合によって、26日出発が28日出発に変更されたが、
これは飛行機の便の関係とのことだからやむをえないもの。もっともそのおかげで、多少私の予定にも
変更せざるをえないものが出てきたが・・・。

2 添乗員の同行

 出発の数日前、クラブツーリズムの浮津さんと名乗る女性から電話があった。それは彼女が添乗員として
同行しますというお知らせと旅行の服装についてのアドバイスだった。すなわち1日目に行く西双版納はかなり
南の方にあるため日中は20度を超す気温だが、麗江最大の観光地である玉龍雪山は標高5596メートルの
高地にあるため、かなり気温が低く防寒服が必要とのことだった。その内容はガイド本から得ていた私の知識と
同じだったものの、あらためて直前に具体的に聞かされると、「いよいよか」という実感が強くなってきた。

3 参加者の数とグループ数は?

 私が気になっていたのは参加者の数とグループ数のこと。浮津さんにそれを聞くと、私たち2人を含めて
総計16名のツアーとのこと。また二人連れがほとんどだが、一人参加者も数名いるとのこと。それによって、
大勢のグループはいないと一安心するとともに、思ったより総人数が少ないことに満足。
これなら十分親睦を深めながらの団体行動が可能だろうと思ったが・・・?

4 ツアーのメンバーたち

 夕方4時出発のため2時に関空に集合し、参加者16名全員が浮津さんの「点呼」を受けた。
そこではじめて参加メンバーの顔ぶれを見ると、予想どおり年配の夫婦連れが主だったが、
一人参加者が6名もいることにビックリ。

1日目

1 自宅から関空出発(16:00)まで

 今回のツアーは関空を夕方の4時に出発だから2時に集合すればいい。平成14年夏に大阪市内のマンションに引っ越し、平成15年10月にそれまでの愛車「セルシオ」を放出した後は、
もっぱら自転車中心主義に移った私は、最近は地下鉄に乗ることも多い。昔は大型トランクを引っ張っての海外旅行ともなれば、タクシー利用が当然という感覚だったが、最近の地下鉄には
エレベーターがかなり整備されているため、電車・地下鉄の乗り継ぎで関空へ行くことが十分可能。前々回の杭州旅行、前回の桂林旅行でそれを既に体験した私は、①自宅マンションから北浜駅まで
徒歩でトランクをゴロゴロと引っ張り、②地下鉄堺筋線で北浜駅から天下茶屋駅まで行き、③南海電車の空港急行で天下茶屋駅から関空まで行った。その所要時間は約1時間30分、
料金は地下鉄230円、南海電車890円と安いもの。俺もケチになったものだと思いつつ、何とも便利な時代になっていることを痛感。こんな私のように、みんなが車の利用を控えれば、
日本はもっともっといい社会になるのでは・・・?

2 関空出発(4:00~)、上海着(経由)(5:05)・入国手続、

                  上海発(6:25~)、昆明空港到着(9:45)

(1)さあいよいよ出発だが、ちょっと納得できないのは、なぜ当初予定の関空から昆明への直行便ではなく、上海経由になったのかということ。聞くところによれば、直行便がなくなった
とのことだがホントかな・・・?もっとも、上海でのトランジット中に入国審査をしてしまうということだし、上海には一度も行ったことがない私にとっては、上海の浦東国際空港を見学できるので
かえってその方がよかったが・・・。浦東国際空港に飛行機が着陸し、空港敷地内をバスで移動している時に思ったことは、バスの中に乗っている時間の長いこと。これはつまり、それだけ空港敷地が
デカイということだ。しかもバスの窓からあちこちを見ていると、工事中のところがたくさんある。これはさらに空港を拡張しているのだろうか?空港建物の中に入ると、シンプルながらも
その大きさにビックリ。10年前に関空を初めて見た時その大きさに驚いたが、さすが上海の浦東国際空港はそれ以上の規模。これでは日本は中国に追い越されていくはずだと実感・・・!

(2)飛行機はMU-752便という中国東方航空と日本航空の共同運行便。上海までの間は軽食が、そして上海からは夕食が出されたが、意外だったのは前々回の杭州旅行や前回の桂林旅行の時は
ビール、ワインは飲み放題だったのに対して、今回は意外にケチ(?)だったこと!乗客の注文をいちいち聞くのはいいのだが、ビールと聞くと、わざわざ缶ビールの蓋を開けてグラスに入れ、
缶ビールと共に客に渡していく。また、ワインと聞くと、フルボトルからグラスにワインを注ぎ、そのグラスを客に渡していく。こんなことをしているから1人1人の対応にやたら時間がかかり、
全員に配るのに長時間かかってしまう。そしてワゴンが通っているときは狭い通路を人が通れないから、トイレに行くにも不便。なぜこんな無駄なサービスをやっているのかと考えると、
それは「持ち出し」を防ぐためらしい。つまり缶ビールや小ワインをそのままポンと渡すと、乗客がこれを飲まないで持っていくことを心配しているわけだ。しかしそんなつまらないことを
心配するよりも、もっと作業効率を上げることに精力を注ぐべきでは・・・?持ち出し防止のためなら、せいぜい缶ビールは蓋を開けて手渡し、ワインは小さいボトルとしてその栓を開けて
手渡せばよいもので、いちいちグラスに注ぐ必要はないはずだ。

(3)昆明の土の色

 中国映画を一躍有名にしたのは陳凱歌(チェン・カイコー)監督の『黄色い大地』(1984年)だが、この『黄色い大地』とは文字通り、中国の山西省や陜西省など黄河流域の「黄色」の土を
表している。これに対して、かつて日本が満州国を建国した中国東北地方の土地は、「黒い土」といわれる豊かな土地。そして、「春城」と呼ばれ年中春の気候を維持している雲南省の高地にある
昆明は花のまちでもあり、その土の色は「赤い」といわれている。今日到着したのは夜の10時だからよくわからないものの、さて明日の朝見る昆明の土の色はどうだろうか?

3 バス乗り込み・夕食(10:30~11:30)

(1)昆明空港に到着した私たちを迎えてくれたのは、現地ガイドの呉(ご)さん。彼は全コースを私たちと同行してくれるというかなりベテランの男性ガイドだから心強い限り。バスの中では
ガイドの自己紹介と明日の予定が説明された後、例によってガイドが両替の準備をしてくれていた。今回は、現在の円高のおかげで1万円=795元とのこと。当面必要なのは1万円か2万円だが、
とりあえず私は6万円を両替。明日はもっと上がっているかな・・・?

(2)ホテルに入る前に夕食ということでレストランに入り、かなり豪華な中華料理のコースを食べたが、日本と中国は時差が1時間あるから今は日本時間では夜の11時。
そんな時間にこんなにお腹いっぱい食べて大丈夫かな?と思いつつ、つい食べてしまった。味は上々・・・。

4 錦江大酒店(旧錦華大酒店)にチェック・イン、宿泊(11:40~)

 約1時間の食事を終えて約10分間バスに乗り、11時40分ホテルに到着(部屋は1011号室)。今日はここで寝るだけで、明日は①7時、起床 ②9時20分、バス出発 
③国内線で昆明から西双版納行きだ。

2日目

1 起床・朝食・出発

(1)7:00 起床  7:30 荷物出し  7:30~8:20 朝食(ホテルでのバイキング) 

(2)8:40~9:20 ホテルの近くをブラブラと散策

(3)9:20 バス出発  9:30 昆明空港着

2 昆明というまち

(1)バスの中での呉さんの説明によると、昆明では1999年に花博が開かれたとのこと。そして昆明は「春城」と呼ばれるように年中春のまちで、平均気温は15度、暑くても27度という
過ごしやすいまちとのこと。さらに台風も地震もない平穏なまちということだ。また雲南省の総面積は39.4万平方キロメートルで、約37万平方キロメートルの日本とほぼ同じだが、
標高は1900メートルと非常に高いとのこと。

(2)また昆明空港にバスがつく直前に言われたことが、この昆明にも新空港ができることになっているため、現空港は国内線だけになるということ。前回の桂林旅行の際でも、広州空港が
近々新空港になるといわれており、今はすでに新空港にかわっている。これと同じように昆明でも2年後に昆明新空港が完成するとのこと。1つの空港をつくるのに20年も30年もかかる日本とは
エライちがい!いかに中国の発展のスピードがすごいものかが、この1つをみてもわかろうというものだ。

3 国内線で昆明から西双版納へ(10:50~11:30)

 10時50分に昆明空港を離陸し、西双版納空港に着いたのは11時30分。そしてここで迎えにきてくれていたのは、西双版納(だけ)の現地ガイドの陳さん。さっそくバスに乗り、
まずは昼食のためレストランへ向かったが、バスの中での陳さんの説明によると西双版納のまちは次のとおりだ。

4 陳さんの説明による西双版納というまちの概要

(1)ここ景洪市はシーサンパンナタイ族自治州にあり、ラオスとミャンマーに国境を接している。自治州の人口は約80万人。タイ族が30万人と約3分の1を占めており、
その次はハニ族の20万人。そして漢民族の他10以上の少数民族が生活をしている。熱帯雨林気候で暖かいので、米は年3回もとれるとのこと。なお景洪市の人口は約7万人とのこと。

(2)旅行前に、「西双版納は夏だよ」と聞かされていたが、それほど暑くはない。しかしたしかに湿気が多い。バスの窓も何となく湿けているような感じ。
ここのビールは瀾滄江(らんそうこう)ビールと呼ばれるそうだが、メコン川の支流である瀾滄江は「南方の象の川」という意味とのこと。メコン川と聞けば、なるほどここはラオスと
ミャンマーとの国境だという実感がわいてくる。私たちが西双版納で観光をするのは、①熱帯植物園、②ハニ族部落、③タイ族部落など。さてどんな少数民族の実態なのか興味津々だ。

5 昼食(12:00~12:50)

 レストランにて食事

6 西双版納(景洪)市内観光

         -その1 シーサンパンナ熱帯植物園(2:30~3:30)

 景洪最大の見どころは、シーサンパンナ熱帯植物園(西双版納熱帯花卉園)。もともとは研究のための施設だったそうだが、この敷地は約300平方キロメートルとベラボウに広く、
ここだけで自然公園のようになっている。したがって、歩いて回ることは到底不可能なので、2台のカートに分乗して園内を回ることに。ところが運悪く、私の旅行にしては珍しいことに、
ここで雨が降ってきた。西双版納は雨が多いと聞いていたので、一応傘は持ってきたが、バスを降りる時、傘はバスの中に残したまま。屋根つきのカートに乗っているので大丈夫と思っていたが、
次第に本降りに・・・。天気予報では今日は「晴れ」と出ていたそうなのに、西双版納の天気予報はあてにならないなと思いつつ、雨にぬれた植物園もオツなものと考えて見学・・・。

≪バス移動 3:30~3:50≫

7 西双版納(景洪)市内観光-その2 ハニ族部落見学(3:50~4:20)

 約1時間の植物園の見学が終わると、バスに乗って今度はハニ族の部落見学へ。ここでもかなりの雨が・・・。家の中に入って説明を聞いたり、その内部を見学するのはいいものの、
外に出て歩く時は足元は滑るし、写真は撮りにくいし、不便なことこのうえなし。「晴れ男」のこのオレがこんなはずでは・・・と思いつつ見学していたが・・・。

≪バス移動 4:20~5:10≫

8 西双版納(景洪)市内観光-その3 タイ族部落見学(5:10~6:15)

 ハニ族の次は、西双版納最大の少数民族であるタイ族の部落の見学。タイ族は最も豊かな民族で大きな家に住んでいる。このタイ族の部落に入って説明を聞く頃にはすっかり雨もあがり、絶好調!
ちなみにタイ族と西双版納のすぐ近くにあるタイ国(タイランド)とは、人種的にはまったく無関係。しかしタイ族はタイ国(タイランド)式の建築様式の影響を強く受けているとのことで、
このタイ族の部落で見た立派な寺院は、タイ国(タイランド)で見た金ピカでとがった屋根の寺院と全く同じイメージ。

9 バス移動中のガイドによる面白いお話

 バス移動中に聞いた、ハニ族とタイ族についての興味深いガイドの説明を少し紹介しよう。

(1)まずはハニ族から

 ハニ族は1980年代までは極端な男尊女卑社会で、その居住する家には階段が二つあり、男が使う階段と女が使う階段とは完全に区別されていたとのこと。ちなみに、ここ熱帯雨林気候の
西双版納の建物はすべて高床式で、生活はすべて2階でやっている。しかし今は完全にこれが逆転(?)し、田んぼの仕事は70%は女性がやっており、男はほとんど働いていないとのこと。

(2)次にタイ族 

 西双版納に住む他の少数民族は文字をもっていないが、タイ族は文字をもっている。またタイ族は盆地に住んでおり、そこではお米がとれるのでタイ族は豊かな生活を享受しているとのこと。
また、タイ族の女性の姓は全員が「玉(ぎょく)」さん。なかでも玉薫(ぎょく かおり)という名前が一番人気とのこと。他方、男の姓は2つで、普通の人は「岩(がん)」さん。
そして王さまの系列の人は「刀(とう)」さんという姓をもっているとのこと。また、タイ族は今でも母系社会であり、通い婚が残っている社会とのこと。この「通い婚」の風習は、
少数民族の踊りでも、わかりやすくかつ面白く紹介されている。(もっとも、その後の私の勉強では、通い婚が残っているのは、タイ族ではなく、ナシ族ではないかと思うのだが、
たしかにこの時ガイドからはこのように聞いたとメモしているので・・・)

 また、仏教には大乗仏教、小乗仏教、チベット仏教(ラマ教)があるが、他の少数民族はすべて自然教であるのに対し、タイ族だけは仏教を信じているとのこと。したがって、
仏教を信じるタイ族は火葬を行なうが、他の少数民族は火葬ではなく、土葬・水葬であり、かつてはメコン川には水葬による死体がプカプカ浮かんでいたとのこと。

10 タイ族の民族舞踊を観賞しながら夕食(7:30~8:10)

 今日の夕食はタイ族の郷土料理とのこと。しかもタイ族の民族舞踊を観賞しながらの夕食だと聞き、大きな期待をもっていた。しかし実際は?まず第1に、この郷土料理は全然おいしくなかった。
第2に、正面の席が空いているのに、私たちの席はかなり斜めに離れた席であるうえ、柱が邪魔するため舞台がロクに見えない。第3に、舞台も何時に始まり、今何をやっているのか
サッパリわからないうえ、いつのまにか電気が消えて終わってしまった。一体こりゃ何だ!ここでの夕食とタイ族の民族舞踊は全然ダメでした。

11 タイ園大酒店にチェック・イン(8:10)

 西双版納での宿泊は、民族風情園の南側に位置する高級ホテルのタイ園大酒店。8時10分頃にその高層階にチェック・インし、あとは自由行動!

12 自由行動で足ツボマッサージへ(8:20~10:00)

 ホテル入口でタクシーをひろい、まずは繁華街へ行こうと思ったが、途中68元と書いてある立派そうな足ツボマッサージの店が目に入ったので、そこでまずマッサージをしてもらうことに。
若い女の子が私たちの足ツボをマッサージしてくれたが、2人とも相棒と話が合うらしく、マッサージをしている間、3人でほとんどずっとしゃべり放し。
この2人の女の子たちは漢民族で年は18歳。半分遊び気分で景洪に来ているらしいが、大丈夫かいナ?60分のはずだが、足をお湯に浸している時間は算入しないようで、
店に入ってから出るまではゆうに90分以上かかっている。その旺盛なサービス精神に謝謝!

13 繁華街へ(10:10~11:30)

(1)足ツボマッサージで気持ちよくなった私たちは再びタクシーをひろい、今度は繁華街へ。屋台がズラリと並び、串に刺した大小さまざまな「焼きモノ」を売っている。
食べてみたい気はするもののすでにお腹はいっぱいだし、「ヘンなもの」を食べても、とちょっと尻ごみ。しかしこの雰囲気の中ではビールを飲まなければやってられないので、
缶ビールを買おうと思ったが、缶ビールはなくビンビールしかない。そこで「ビンは後で返すから」と言ってビンビールをラッパ飲みしながら、料理見物をしつつ、屋台の中をブラブラと・・・。

 帰り道、やはり相棒が「ちょっと食べてみたい」と言うので、それならと思い、①牛肉の串1本、②カエルの串1本(本物のカエルを丸焼きにしたもので、1本に10匹分位ある)、
そして③何やら得体のしれない串1本を注文し、ビールもさらにもう1本。

(2)これをチビリチビリ食べながら周りの雰囲気を楽しんでいると、私たちの側に近づいてきたのは少し小型のギターを抱えた年の頃12、3歳の「流し」の女の子。そういえば、周りには
流しのギター弾き(?)がたくさんおり、あちこちで美声を聴かせていた。この女の子もいっぱしに「お客さんどうですか?」と言っているらしい。値段は5元。そこでモノは試しと1曲注文。
全然知らない歌を歌ってもらってもつまらないので、私がよく知っており、ほぼ90%は歌詞を見なくても中国語で歌えるテレサ・テンの『月亮代表我的心』をリクエスト。するとこの女の子、
あまり自信がなさそうだったが、オーケーとうなづいて弾き語りを始めたが・・・。

 これが何ともいえずヘタクソ。素人もいいところ。ギターの音も時々おかしくなるし、歌もヘタ。そこで、私が大きな声でこの名曲をギターの伴奏に合わせて歌ってやることに・・・。
これではオレのサービス料をこの女の子からもらわなければ・・・と思いつつ。

14 タイ園大酒店にて宿泊(11:30)

 11時30分頃タクシーでホテルへ戻り、就寝。今日はいい夢を見ることができるだろう・・・。

西双版納空港に到着!

タイ族の高床式住居の中で子供たちと

タイ族部落の中にある立派な金ピカの寺院にて

「流し」のギター弾き(?)の少女と

3日目

1 起床・朝食・出発

(1)6:00 起床   6:40~7:10 朝食(ホテルでのバイキング)   

   7:30 荷物出し

(2)8:00 集合 バスにて西双版納の市内観光に出発

2 景洪市内観光(8:00~11:15)

(1)景洪市内観光

 今日の午前中は景洪市内の見どころを観光。その予定は①孔雀公園、②民族風情園、③自由市場見学、そして④おみやげ店とのこと。事前のガイド本での学習によると、景洪には市内、西線、北線、東線、南線の5つのエリアがあり、それぞれに寺院、公園、博物館などたくさんの見どころがあるが、時間の関係で市内の2カ所だけしか観光できないのは少し残念。

(2)曼聴公園(8:05~9:05)

 西双版納ではタイ族が約3分の1を占めるが、そのタイ族の舞踊はクジャクダンス(孔雀舞)としてよく知られている。そのタイ族の名物(?)ともいえるクジャクが1000羽以上飼われている
孔雀公園があるのが曼聴公園。5元を払って洗面器の中にエサを入れ、それを持ってクジャクの群れの中に入っていくと、クジャクが集まり、ものすごい勢いで洗面器の中をつついてくる。
それをちょっと恐がりながら撮影したのが。

 クジャクがたくさんいるので何とか羽根を開かせて一緒に写真をとろうとしたものの、クジャクは人間を恐がって逃げるため結局それはムリ。

(3)民族風情園(9:10~10:10)

 次に見た民族風情園は、いわば西双版納の少数民族のテーマ館で広い敷地の中にはさまざまな見どころが。その入口には、西双版納の解放碑が建てられているが、詳しいことはよく覚えていない。

(4)自由市場見学(10:10~10:40)

 クジャクを中心とする景洪市の特徴を感じとった後は、さまざまな食料品を販売している自由市場の見学。約30分間ブラブラ歩き回っただけだが、肉、魚、野菜、果物等何でもあり、
そりゃものすごい熱気。トリの丸焼きを売っているすぐ隣には、かごの中に入っている生きたトリもたくさん。丸焼きが売れるにつれてこれらのトリが殺されていくのかと思うと何となく・・・。
また、野菜やとうがらしの種類も多く、日本では見たことのないようなものもいっぱい・・・。私はニンニクととうがらしを購入したが、果たして日本で使いこなせるだろうか・・・?そして、
ガイドの呉さんがここで買ったとうもろこしを食べており、「これはすごくおいしいよ」と言われたので、それにつられて買って食べてみたが、これは今まで食べたことのないほどおいしいもので、
ビックリ!

(5)おみやげ店(翡翠の店にて)(10:40~11:15)

 一通りの観光の後は、ツアーにつきもののおみやげ店へ。西双版納の「売り物」の1つは翡翠。中国人は翡翠の腕輪が大好きらしい。もちろんその値段はピンからキリまであるが、その価値は
色と透明度で決まるとのこと。腕輪も600元から1500元程度が標準的な感じだったから、日本人的感覚でいうと1~2万円というところか・・・?一生モノだと考えれば特に高いものでもない。

 ビックリしたのはその手首への入れ方。腕輪そのものは取り外しができないため、親指を手の平の中に丸めたうえ、滑りやすくするために手にせっけんを塗ったりビニール袋を通したりして、
ムリヤリ手首へ入れていくというやり方。もちろん手首の方が親指のつけ根の部分よりも細いから、腕輪が入ってしまうとそれでも余裕があるのだが、
「太ってきて抜けなくなったらどうなるのだろう」といらざる心配も・・・?

3 昼食(11:10~12:10)

 その後、今日はちょっと早い昼食で、金版納酒店というレストランにて。朝、お腹いっぱいレストランのバイキングを食べたはずだが、動き回ったせいか食欲は旺盛。今日も元気だ!

≪バス移動 12:10~12:30≫

4 国内線で西双版納から麗江へ(1:00~2:00)

 景洪市の見学は午前中で終了し、次はメインの麗江へ。西双版納空港から1時の飛行機に乗ると麗江空港へ着くのは2時。

5 空港からホテルへのバス中でのガイドの説明(2:00~3:00)

(1)麗江の空港で出迎えてくれたのは、麗江の現地ガイドの趙(ちょう)さん(写真3-⑦)。以下、空港から市内に向かう約40分間のバスの中での趙さんの話を少し紹介しよう。

(2)ここ雲南省の旅行では、「標高○○メートル」という話が非常に多い。つまりそれが、西双版納や昆明、そして麗江等雲南省のまちの最大の特徴だ。麗江もその市内は標高2400メートルの
高地にある。そしてここは納西族(ナシ族)が多い。麗江古城が1997年に世界文化遺産に指定され世界有数の観光地になったことによって、ナシ族は急速に豊かになってきたとのこと。
ナシ族の特徴は、背中に肩かけをしていること。これは表裏が皮と毛皮でできており、暑い時、寒い時によって使い分けていること。またこれには7つの穴があり、
それは北斗七星を表しているとのこと。またナシ族は女性が働き者で、農耕仕事はもっぱら女性の仕事。男は何をしているのかというと、もっぱら遊びとトンパ文化の勉強をしているらしいとのこと。

(3)ちなみに、麗江散策においては、トンパ文字がキーワードで、おみやげの民芸品やTシャツ等の模様の多くはトンパ文字。また、現在市内にある木造2階建ての古い建物は昔のままだが、
新築ビルは1997年の大地震の後に建て替えられたものとのこと。市内には高層建築はなく、3~4階の低層におさえられている。なお麗江は5~10月が雨期となるため、この時期は
玉龍雪山はほとんど見えないとのこと。ナシ語で「おはよう」は、「アララリ」。これだけ覚えておけば、とりあえずオーケー・・・?

6 格蘭大酒店にチェック・イン、休憩(3:00~3:30)

 麗江で3連泊するのは格蘭大酒店。麗江古城の入口のすぐ近くにあるホテルで観光に便利と聞いていたが、着いてビックリした。まさに世界文化遺産、麗江古城の入り口にある立派な門から道路を
隔てたすぐ真ん前にある。古城の中は厳しく交通を規制している様子で、ツアーバスのように許可を得ている車以外は完全にシャットアウト。そして建物の高さ規制がされているため、このホテルも
5階建てと低層で私たちの部屋も3階にある。三ツ星ホテルながらこれはベストポジションで人気が高いことがよくわかる。

7 麗江古城のまちをツアー御一行で散策(3:30~5:30)

(1)部屋への荷物入れが終わり、3時30分にロビーに集合した後は、ガイドの持つ旗のもとにツアー御一行での麗江の古城(老街)見学へ出発だ。その入り口には、「世界文化遺産 江沢民」と
書かれた立派な門があり、また麗江古城の紹介が石に刻まれている。そして後にわかったことだが、ここだけは夜中でもあかあかとライトアップされていた。

(2)麗江古城の内部は迷路のようになっているので、「はぐれたら二度と会えなくなる・・・」という脅し(?)をよく胸にきざんで、写真を撮ったりおみやげ店を見ながらも、ガイドから
はぐれないように細心の注意を払いながら行進(?)。ガイドの旗はドンドンと小高い山の上に上がっていった。結構長い距離を歩き、さらに急な石段を登っていったから、年配者の人たちには
かなりきつかったはず。

(3)小高い山の上に登ると、そこは麗江の市内が一望できる絶好の位置。そしてその山の上にあるお寺が「萬古楼」。さらに急な石の階段を上り、建物の中に入る。そして5層(?)となっている
建物の階段をさらに最上階まで上ると、そこがここ麗江で1番高いところ(?)。ここから遠く北方に見える、雪を頂いた玉龍雪山と目の前に広がる麗江の老街と新大街のまちなみはまさに絶景。
ちなみにの萬古楼の下に写っている5文字(?)がトンパ文字での「萬古楼」。

(4)3時30分に出発した私たちだったが、ここまで上り、写真を撮ったり自由に見学したりしているうち、もう既に1時間以上経っていたため、団体での古城見学はここで切りあげ、
ホテルへ引きあげることに。途中立ち寄った面白い壁には、一面にトンパ文字が・・・。ホテルに戻ってひと休みした後は、夕食だ。

8 夕食(6:10~7:10)

 今日の夕食は森龍大飯店。ここはホテルから歩いてすぐに行ける古城の老街の中にある2階建てのレストランとのことで、全員そろって古城の中を歩いてレストランへ。
味はたいしたことはなかったが、雰囲気はバッチリ。もっとも、トイレは汚なかった・・・?

≪徒歩でレストランから劇場へ移動 7:10~7:30≫

9 ナシ族の東巴(トンパ)古代民族舞踊観賞(8:00~9:10)

(1)夕食の後は、全員そろってのナシ族の古代舞踊の見学とのことで、再び全員そろってぞろぞろと。劇場といっても入り口は狭く、普通の民家のようなもの。その入り口には「木戸銭」をとる
オッチャンか、客引きのオッチャンのようなイメージのナシ族のおじいさんが迎えてくれていたので、厚かましくここでも一緒に記念撮影。ところが何と、彼がここの劇団のボスで、後に説明する
12人のトンパ先生のうちの1人とのこと。舞台でも味のある芸や何ともいえない笑顔を見せて熱演(?)してくれていたが・・・?

(2)この劇場は、劇場というよりも芝居小屋と呼ぶ方がピッタリ。そして暖房が効いていないので、何しろ寒い。そのうえ日本語の説明がなく、字幕スーパーもついていない。したがって最初から
民族衣装を着てステージのバックに座り、演奏をしている年配者の人たちによる音楽もどんな意味かサッパリわからない。そうこうしているうちに、中国服(?)を着た年配の司会者が出てきて、
あいさつをしては次のショーが始まるわけだが、字幕スーパーがないのでとにかくよくわからない。特別難しいストーリーのあるドラマではなく、単純な民族の踊りや笛を吹くおばさんの個人芸や
トンパ先生によるトンパ文字の書き方を見せていくものだが、やはり解説はあった方がベター。何のことかわからないようなショーをずっと見ているのが、後半は次第に苦痛になってきた。
このナシ族のショーは無料での観賞だったが、あまり値打ちなし!

≪公式行事終了≫

10 自由行動で再び古城散策(9:10~10:30)

(1)ナシ族のショー観賞後は、再び私たちは自由行動にて古城のまちの散策へ。とにかくどの通りにも店がズラリと立ち並び、いろいろなみやげ品を売っているから大変。私はあまり荷物に
ならないようなコースターや手袋などを買ったが、トンパ文字をプリントしたTシャツやトレーナー、そして麗江のまちを彫刻した木製品や染め物、絵画など目につくものばかり。
ついつい、あれもこれも買いたくなってしまう気持を押さえるのに一苦労・・・?

(2)さらに、夕方の団体行動の際はまだ静かだったが、小川沿いのレストランは、夜10時ともなれば多くの客でいっぱい!特に中国人の団体は元気で、あちこちのグループが快気炎をあげている。
これにナシ族の民族衣装を着た店員たちも乗って協力し、はやし立てているからそりゃ賑やかなもの。川を隔てた男女間で、大声で「愛の交換(?)」をやっているところもある。
みんなが心の底から、この麗江古城の雰囲気の中で、飲んで食べて楽しんでいることがよくわかる。京都や奈良では、こんなに夜遅くまで騒ぎながら楽しんでいるところはないだろうと考えると、
ホントにビックリ!私たちもレストランに入り、料理を食べビールを飲みながらその雰囲気を楽しみたかったが、お腹は既に満杯でとてもそれはムリ。雰囲気だけをタップリと味わって、
麗江のまちを十分堪能し、ホテルへ。今日もぐっすりと眠れるだろう。

11 格蘭大酒店にて宿泊(11:00)

 11時すぎにホテルへ戻り、就寝。

曼聴公園入口にて

自由市場の中で売られているトリの丸焼き

麗江空港に到着!

麗江古城の小高い山の上にある「萬古楼」

山の上から撮った麗江古城のまちなみ

ナシ族の民族舞踏場の入口にて、トンパ先生とともに

トンパ先生の迫真の演技

ブラブラ歩きを楽しみながら、お店の美人と

4日目

1 起床・朝食・出発

(1)6:30 起床   7:00~8:00 食事(ホテルでのバイキング)

(2)8:30 バスにて麗江観光へ出発

(3)出発前にホテルの屋上にのぼり、撮影したのが玉龍雪山と古城市街地。

≪バス移動 8:30~8:45≫

2 白沙村のナシ族の民家見学(8:45~9:00)

 玉龍雪山の観光に行く途中、ちょっと立ち寄ったのが白沙村にあるナシ族の民家。牛を飼い、とうもろこしを干して生活している素朴なナシ族の姿を実感。

≪バス移動 9:00~9:40≫

3 玉龍雪山(雲杉坪)観光(9:40~)

(1)玉龍雪山(雲杉坪)観光のため麓の駐車場に到着(9:40)

 今日は麗江郊外観光のメインの1つである玉龍雪山(雲杉坪)の観光。麗江市内から玉龍雪山まではバスで約1時間の距離。バスの中から見える雪を頂いた玉龍雪山を何枚もデジカメで
撮影していたが、バスが着いた麓の大きな駐車場からは、快晴の下に見事な玉龍雪山がそびえていた。したがって、バスの窓ごしの玉龍雪山の撮影はほとんどムダ・・・。

 バスの中でのガイドの説明によると、1997年に世界文化遺産に指定されたこの麗江古城の観光においては玉龍雪山の観光は不可欠で、今では平均1日1万人が訪れるとのこと。
麓から雲杉坪までは2人乗りのリフトで登っていくが、多くの観光客が押し寄せるとこのリフト待ちに数時間かかるとのこと。今日もそれを考えて早めに出発したとのことだが、
すでに長い列ができている。ガイドによると、これでは「約2時間待ち」だろうとのこと。エエー、ホンマかいな・・・?

(2)リフト待ちに1時間以上(9:40~10:50)

 仕方なく列に並んだものの、別に全員そこの並ぶ必要はないので、順次トイレに行ったり、買い物をしたりしながら・・・。私達は駐車場で玉龍雪山をバックに写真を撮ろうと思ったが、
たくさんのバスが邪魔でいい写真が撮れない。そこでどうせ1時間は並ぶんだと考え、思い切って道を下りながらいい撮影場所を探しつつ写真撮影。ホントは駐車場の少し手前にあった
ぼう牛坪風景区がバスの窓から見えていたのでそこまで走って下ろうとしていたのだが、写真撮影に結構時間がかかったため、さすがにそれは中止。バスの窓から見たぼう牛坪風景区は
大きなダムとなっており、その上流には、ぼう牛=「毛の深い牛」=ヤクが放牧されている美しい観光地。そして、駐車場まで戻り、トイレから出てくると何とリフトの乗り場の窓から、
「坂和さん!」と呼ばれ、「もうすぐだよ!」と声をかけられた。私たちが下に降りて写真を撮っている間にリフトに乗る列は順次前に進み、リフトのチケットも切り終わり、もう少しで搭乗
というところまできていたわけだ。慌てて列の中に入った私たちはその後約20分待ってリフトに。待ち時間は有効に使えたものの、滑り込みセーフだったと冷や汗をかきながら痛感。

(3)約10分間のリフトは素晴らしい景色!(10:50~11:00)

 駐車場のある玉龍雪山の麓からリフトで結ばれている雲杉坪は標高3200メートル。富士山(3776メートル)より少し低いくらいだから高山病が心配されるほど。現に小型の酸素ボンベも
売られている。雲杉坪に着いた後は往復約1時間歩くとのことなので、残念ながら1組の夫婦はリタイヤしていたがちょっともったいない。10分間のリフトから見える景色はそりゃ美しいもので
絶景だが、私には高所恐怖症という弱点が・・・。遠くを眺めているときは関係ないものの、谷間が目に入るとついクラクラと・・・。この2人乗りリフトも味があっていいものだが、
これだけ観光客が押し寄せると、これではさばけなくなること必至。数年後は大型のロープウェイになっていることだろう。

(4)商魂のたくましさ!

 リフトを降りる所ではデジカメを構えたお兄さんが待っていた。さて誰を撮っているのだろうと思うと、これはどうも全員を撮影し、直ちにパソコンの画面にこれを写し出して1枚10元で
売っているわけだ。私たちの姿が写っているパソコンの画面を見て、私がそれを自分のデジカメで撮影しようとすると、お兄さんは怒りの表情を顔に浮かべてすぐに画面を消してしまった。
気持はわかるけどそんなに怒らんでも・・・?

(5)中心地までは徒歩(11:00~11:25)

 リフトを降りると一行は標高3200メートルの雲杉坪を歩いて中心地へ向かった。途中、板を敷いたような階段状の山道は雪や氷で濡れているため、すべりやすく、細心の注意が必要。
したがって、途中で写真と撮るため、立ち止まってはまた走るという私たちの行動スタイルはかなり危険なもの。私も2回程あやうく滑りかけたが何とかセーフ。しかし、帰り道、遂に私の相棒に
ハプニングが・・・。もっともそれは本人の名誉のため公表は差し控えておこう。

(6)ナシ族の民族衣装を着て(11:25~11:45)

 中心地に着くと、そこには民族衣装を着たナシ族でいっぱい。おみやげの販売と民族衣装をレンタルしての写真撮影がメインだ。11時45分の集合までわずか20分ほどの間、
玉龍雪山をバックに撮影できるベストポジションまで行き、民族衣装をレンタルして写真撮影。快晴で玉龍雪山はきれいに撮れるのだが、人物を写すには完全に逆光となるため、写真撮影には一苦労。①時間をかけて衣装合わせをしていないこと、②4日間、朝昼晩とお腹いっぱい食べているため、ふっくらしている(豚になっている)こと、③さらには、相棒が撮ったカメラワークがヘタクソ
なこと、のため、私は全然気に入らない写真だが仕方なし・・・。

(7)下りのリフトの景色も絶景!(11:45~12:30)

 中心地から同じ道を歩いて戻り、今度は下りのリフトに。上りのリフトから撮る写真はケーブルが邪魔なっていいものが撮れなかったが、下りのリフトでは外側に座った私の位置から右側に広がる
玉龍雪山の美しい姿を撮り放題。これだけで何十枚も撮影したが、は何とも見事なものでしょう・・・!

≪バス移動 12:40~1:15≫

4 昼食(1:15~2:15)

 今日の郊外観光のメインである玉泉公園観光を控え、市内へ戻り、麗江観光飯店にて昼食。今日は夕食は郷土料理のため、昼食は四川料理。これは豪華でおいしかった。
さあ、これからは市内観光だ。

≪バス移動 2:15~2:20≫

5 玉泉公園見学(2:20~3:45)

(1)得月楼・玉帯拱橋

 ここは麗江中心地から約1㎞北にある美しい公園。この公園内の池にはたくさんの黒い鯉がいるが、ここでは鯉と呼ばずに黒龍と呼ばれている。そのためこの公園は別名「黒龍潭」とも
いわれている。また「珍珠泉」と名づけられたその池の一角は、とくに水が美しく、この水は飲み水に使用されているとのこと。

 玉泉公園見学のメインは第1に弓形をした玉泉という池の中に建設されている得月楼と大理石で造られた玉帯拱橋。

(2)トンパ博物館

 メインの第2は、私達には非常に珍しいトンパ博物館。ここではトンパ文字に関する資料がたくさん展示されているうえ、「トンパ先生」による作品の販売も。

(3)五鳳楼

 メインの第3は、1601年に建設されたという五鳳楼。この五鳳楼は、上部がチベット族、中間がペー族、そして下部がナシ族の建築様式によって建てられているとのこと。
ここには麗江の風景をさまざまな視点から美しく撮影した写真が展示されていたが、どれもこれも見事なもの。さすがプロの写真だと感心!これだけの写真を撮るには、よほど有利な撮影場所と
天候・時刻その他の条件を整えなければとてもムリ。私はこれと同じような芸術写真を目指すつもりは毛頭ないが、やはりこういういいものを見ると自分の目が肥えてくるということがよくわかる。
何事も、勉強、勉強!

6 トンパ文化・トンパ文字・トンパ博士について

 麗江で一番多い少数民族であるナシ族は、ナシ語を話し、またトンパ文字というものがある。これはエジプト文字と同じような象形文字で、すごく面白い(?)もの。また当然ながらトンパ文字の
辞書もあるとのこと。またトンパ先生が12人おり、その中の最年長は85歳で、トンパ博物館でサインしてくれた先生がその最長老とのこと。このようにナシ族のトンパ文化やトンパ文字は、
全体としてかなりレベルが高いものらしい。

7 おみやげ店(3:45~4:20)

 本日の一通りの見学終了後、麗江ショッピングセンターという大きくてきれいなおみやげ店へのご案内。ここにも翡翠や掛け軸、藍染製品などがたくさんの商品が展示されているが、値段が高い。
さかんに話しかけてきて、「これは○○元、△△元に安くするヨ」と言うが、「半額でも高い!」と思ってしまうと買う気がなくなってしまう。こんなきれいな店であまり高い値段設定をしていては、客離れをおこすのでは・・・?

≪バス移動 4:20~4:30≫    

8 格蘭大酒店でひと休み

 朝早くからの玉龍雪山の観光が終わり、ホテルへ戻ってひと休みだが、ここでこのホテルで発生した2つのトラブルを紹介しておこう。

(1)その第1は、なぜか暖房が夜8時から12時の間しかつかなかったということ。そんなにケチっても仕方ないと思うのだが現実は現実。標高2300メートルにあり、平均気温は年間を通じて
6~18度とはいっても、12月の今、朝早くや夜遅くになると0度近くになるため暖房は不可欠なのに・・・。このホテルの鍵はカード式で部屋に入るとカードを差し込めば電源が入るというもの。だから外出のときは、このカードを抜かなければならない。私達のような観光客は外に出ていると8時から12時の間に部屋を暖めておこうと思ってもそれができないことになる。こりゃ困った。
1泊した翌日早速苦情が・・・。しかし「3人寄れば文殊の知恵」とはよくいったもの。ある人からあれはルームキーを入れなくてもテレフォンカードを代わりに差し込めばいいんだとの
アドバイスが。つまり電源を入れるためには何らかのカードを差し込んで接触させればいいというわけだ。なるほどと納得してやってみるとそれでOK。これで1つ利口になったというものだ。

(2)もう1つのトラブルは風呂の浴槽のお湯がなかなか抜けなかったということ。つまり栓の開きが弱いため、少しずつしか流れないということ。これに対してもある人からグッドアイデアが。
それはつまり、栓を手で引き抜いたらいいという乱暴なもの。なるほどとそう言われればそうだとこれも納得し翌日から実行。これでトラブル解決だ。

9 ナシ族東巴古代民族舞踏ショー(オプション参加)(7:30~9:00)

(1)麗江には、有名なナシ族の少数民族のショーをやっている劇場があり、そこが大人気になっているため、前日から予約しておかないといい席が取れないとガイドの呉さんから案内されたのは
麗江一日目の昨日のこと。昨日の古城のまちなみの中にある芝居小屋のような劇場で見たショーは、字幕スーパーもなくあまりたいしたことがなかったため、本格的なものを見なければと思い、
私たちは即座に申込みをした。

 料金は日本円で3000円とちょっと高い(直接チケットを買えばせいぜい100元位と推測)が、まあそれはやむをえない。このオプションへの参加者は6名とのことで、食事終了後、
歩いて劇場へ。

(2)ホテルのすぐ右斜め前、麗江古城の玄関のすぐ左手にも大きな看板が掲げられた劇場が2つあったので、ここかなと思っていたら大違い。ホテルから歩いて約10分弱のところにある、
本当に大きくて立派な大劇場が目的地だった。

 座席は予約してあるとのことで、入ったのはギリギリだったが、ホントはもう少し早く入って劇場の中をブラブラと歩き回り、そこに掲示された各種資料によって、どんなショーなのかを
事前に見ておけばよかったと後悔。

(3)この劇場には、英語と日本語の字幕スーパーがあった。そして舞台も大きく演出も派手で豪華なもの。ガイドが言っていたように、人気のほどもわかろうというもの。観客席はほぼ100%の
入り。中国人の観客は反応も派手で、ハイライトの場面になるとかけ声をかけたり口笛を吹いたり、そりゃ賑やか。

 ストーリー自体は昨日のショーと共通したものもあるようだったが、こちらは出演者も美形が多く、演出も華やかで盛り上がりも大きく、レベルの違いは歴然としたもの。
大いに楽しむことができた。

(4)とりわけ興味深かったのは、ナシ族では結婚相手は両親が認めた人でなければならないのため、恋に落ちた男女が親に認められず引き裂かれ、自殺した後、別の世界で結ばれるという、
中国の「少数民族版ロミオとジュリエット」のようなストーリーのもの。古今東西を問わず、どこにでもこのような悲恋物語は存在するものだと痛感。

(5)さらに、ナシ族特有の「通い婚」の風習をコメディタッチで描いたショーも面白かった。通い婚といえば男にとって都合のいい理想的なスタイルと思われがちだが、実はそうでもない。
なぜならそれは母系社会特有の制度であり、女性が夫となる男の選択権を一手に握っているというのが本質のようだ。つまり、男はなんらの主体性も主導権ももっておらず、単なる「鉄砲の玉?」で、どの男が私にふさわしいかという選択権は、100%女性が握っており、その選択のための手段が一夜のセックスだということ。そう考えると、男なんて母系社会では「屁」みたいなもの・・・?

(6)このショーでは、最後に主な出演者が一列に並び、劇団長(?)らしき女性が一人(一組)ずつ出身民族を紹介していた。そのすべてを覚えているわけではないが、ナシ族、タイ族、ペー族、
ハニ族、チベット族など、有名(?)な少数民族のスターが総出演していた様子。これ以上詳しいことはわからないが、十分満足できたことはたしか。
宝塚大劇場には及ばないものの、それに近いレベルだと実感。

10 自由行動にて古城散策(9:00~11:00)

(1)昆明にはたくさんの薬屋が

 ショーが9時に終了した後は、本来はホテルに帰って寝るだけだが、私たちは例によってさらに欲深く、自由行動にて古城の見学へ。もっとも、この劇場は古城とは全く別の方向にあったので、
この帰り道、繁華街の雰囲気を楽しみながら古城に戻ってくると、大きな薬屋があったのでそこに立ち寄った。

 ここは、それまでの郊外観光で見た、漢方薬の葉っぱや根っこをそのまま売っているような店ではなく、明るくきれいで大きな薬局で、整然と分類された店内には実にさまざまな薬が
販売されていた。私はよくわからないので、相棒がよく飲んでいるという風邪の薬、喉の薬等を買ったが、これが実に安い。そこで思わず、例によって大量買いに・・・。

(2)ちゃっかりと個人の家にも

 薬を購入した後は、再び夜の古城へ。昨日の夜とは違う道をあえて選んで歩いていった。横道に入ると、そこにもいろいろな店がある。さらに個人の家かレストランか一見してわからないような
ところにも入っていき、写真撮影していると、「入れ、入れ!」と手招きしてくれるので、厚かましくも中に入っていった。そこは日本の庵部屋のような感じで、これからパーティーが始まる様子。
そこでちゃっかり写真撮影だけして、「再見!」と挨拶して退散。だって、あまり邪魔すると迷惑だろうから。

(3)おみやげに大量のコースターを

 昨日、4枚10元のコースターをいろいろと値段交渉して、結局11枚10元で購入した店に再度寄ってみた。それは、このおみやげは軽くていいと判断したから。昨日、この店のママさんは、
トランプの勝負に熱中していたため全然商売気を示さず、席を立たないまま私たちと値段交渉をしていたが、二日続けて店に入って話をすると、よく覚えていてくれた様子。

 そして「昨日も来たのだから」と言いながらさらに値段交渉をして、今日もかなり大量のコースターを購入。そのうえ目についたあれもこれも・・・。
この店にとっては、かなりの売り上げになったはずで、お互いに「謝謝!」。

(4)各種彫刻製品もおみやげに最適

 さらに、ここ麗江古城のおみやげとして多いのが、麗江古城の有名な風景をベニヤ板や木版に美しく彫刻したもの。色を塗ったものも美しいが、ベニヤ板に彫刻しただけのものも
シンプルでいいもの。ある店で値段交渉してそれを買おうと思ったが、相棒の目はいつも厳しく、ベニヤ板に少しキズがついていると指摘。そりゃ、そう言われれば確かにそうだ。
そこで、私たちはどうせ明日の晩もここへ来るので、明日までにもう1枚作っておくという話になった。私には、そんな細かいことは・・・と思うし、本当に明日、たくさんある店の中で
この店に来れるのかなと思うのだが、とにかく結論はそうなった。果たして明日の晩は・・・?

(5)レストランの賑やかさは今日も

 昨晩訪れた小川沿いのレストランの賑やかさは今日も全く同じ。あちこちのグループが大声で歌っているし、小川を隔てての「愛の交換?」も相変わらずやっている。
しかし私たちは今日もレストランには入らず、雰囲気だけを楽しみ帰路へ。

11 格蘭大酒店にて宿泊(11:00)

 今日も11時過ぎにホテルの部屋に戻り、就寝。今日もよく遊んだものだ・・・。

ホテルの屋上から玉龍雪山を撮影

雲杉坪の麓のリフト乗場から玉龍雪山をバックに

リフトに乗る前にいい撮影場所を求めて。

左が得月楼、真ん中が五鳳楼、そして右手が玉帯拱橋

最長老のトンパ先生にトンパ文字で坂和章平とサインを!

宝塚大劇場ばりの立派な劇場の入口にて

勢ぞろいのナシ族やペー族などのスターたち。

麗江古城のまちの散策では、こんなコースターをたくさん

5日目

1 起床・朝食・出発

(1)6:30 起床  7:00~7:30 食事(ホテルでのバイキング)

(2)8:30 集合 バスにて虎跳峡観光へ出発。

 今日の午前中は、麗江の郊外観光のもう1つのメインである虎跳峡の観光。時間的には2時間から2時間30分かかるとのことだが、さあ楽しみだ。

≪バス移動8:30~10:30≫

2 トイレ休憩の際、漢方薬を購入(10:10~10:20)

 トイレ休憩に寄ったところでは露天で漢方薬を売っていた。それも葉っぱや根そのままのものが多い。興味をもってそれを見ていると、私でもわかるのは田七(三七)と麗芝。そこで結局
①箱入りの田七(20元)、②根(茎)そのものの麗芝(20元)(これを適当に折ってお湯にひたして飲む)、③小豆ほどの大きさの粒状の喉の薬(15元)を購入。
日本に帰ったらさっそく試してみなければ・・・。

3 虎跳峡観光(10:30~12:40)

(1)虎跳峡とは?

 虎跳峡とは日本人にもそのイメージがよくわかる名前。つまり虎がこの峡谷を飛び越えたというのがその名前の由来だ。揚子江(長江)は、その上流を金沙江と呼ばれている。
虎跳峡は麗江の玉龍雪山と香格裏拉(シャングリラ)の哈巴雪山の間を流れる金沙江沿いに延びる全長15キロメートル、高低差3000メートルの大峡谷だが、この虎跳峡は川の幅が最も狭く
30メートルしかないため川の流れが早く、ゴーッという水の流れの音が絶え間なく聞こえてくる観光の名所だ。

(2)片道30分の道のり

 駐車場でバスを降りて、金沙江に沿って片道約30分の道を歩くと到着するのが上虎跳峡。途中美しい金沙江の流れと遠くに見える玉龍雪山をバックに何枚も写真撮影。

(3)ベストポジションでの撮影場所

 上虎跳峡に着くと、そこだけは階段がつくられており、川の流れのすぐ近くまで降りて行くことができるようになっている。かなり急な階段を下ってみんなが目指すのは、
子供の身長ほどの大きさの石に赤いペンキで虎跳峡と書かれたベストポジションの撮影場所。約20分間の自由行動の中、それぞれ思い思いに移動しながら写真撮影。

(4)帰り道で発見したトラの姿をした石

 バスでの集合時間を12時40分と定めたため、帰り道は自由行動。三々五々、帰り道を歩きながら写真を撮っていると、一人参加で唯一人の若者のA君と出会った。
彼と一緒に写真を撮っていると、彼が「あそこにトラがいるのに気が付きましたか?」と言うので、一体何を言っているだろうと思って振り返ると、上虎跳峡の手前に石で彫った虎の姿が。
あまり大きいものではないため目立たなかったものの、たしかにこれは虎跳峡を意識して後から作ったものだ。しかしそれにしては中途半端。これも数年後には大きなトラに成長していることだろう。今年、岡田監督のもとでリーグ2連覇を逃した阪神タイガースも、この中国雲南省の虎跳峡参りをして、金沙江を飛ぶという強力なトラのエネルギーをもらったら、来年はまた優勝できるかも・・・?

4 途中、長江第一湾にて写真撮影(1:25~2:00)

 虎跳峡観光を終え、麗江中心部へ帰る途中、写真撮影のためだけに立ち寄ったのが長江第一湾(長江第一番)。ここは金沙江の流れを急角度で変えるところ。
そのためV字に湾曲したこの場所は長江第一湾として有名。

≪バスにて麗江市内に戻る 2:10~5:10≫

5 帰り道での束河村見学(3:20~4:40)

(1)ガイドの呉さんの説明で聞き慣れない言葉が出てきて戸惑ったのが、ここ束河村。この地名はクラブツーリズムの「旅のしおり」には書かれているものの、私が事前勉強したガイド本には
一切触れられていない。果たして、この束河村とは一体何なのか?

(2)バスを降りて歩きながらの呉さんの説明によると、ここは古い村の建物を取り壊して次々と新しい建物を建てて、ナシ族を中心としたテーマパーク的なニュータウンを建設しているとのこと。
まず最初に驚いたのが、束河村の入口にある有料トイレ。えらく立派な建物で「お一人様0.5元」と書いてある。自分の財布からお金を払ってまでは入ろうと思わなかったが、
ガイドがまとめて払ってくれたので入ってみると、それまでのトイレとは大きく異なり、「自動洗浄」の立派なもの。こりゃ一体何だ・・・?

(3)呉さんからいろいろと説明を聞きながら歩いていると、ますます驚いた。この村全体が今までの建物をほとんどすべて取り壊し、新しい建物を建てている。そしてその新しい建物は
すべてオシャレなおみやげ店やレストランになっているというわけだ。つまりこの束河村という村は、○○委員会(?)がそれまでこの村にいた農民たちに金を払って一括して土地の使用権の譲渡を
受け、その上に建物を建ててそれを各テナントに賃貸することによって観光客目当ての一大テーマパークにして、利益を上げようとしているわけだ
(中国では土地の所有権は民間にはなく利用権のみだが、建物の所有権は認められている)。そう考えながら歩いていくと、この村には小学校もあるし、中心部にはすでに観光客のための
馬や馬車もたくさん用意されているうえ、すでに営業しているオシャレな民宿のようなホテルもある。

 この束河村に日本人ツアーを案内するようになったのはごく最近とのことだが、あと1~2年も経てば、ここは私が杭州旅行で見た、あたかも水郷のまち烏鎮(ウーチン)のテーマパークのような
立派な観光名所になっているだろう。

(4)都市問題を研究しているため、大きな興味をもってこの束河村を見学し、ここまで状況を理解した私としては、帰り道なお一層気になったのが、あの入口にあった有料トイレ。
これはきちんと写真撮影しておかなければと思って、トイレの前で記念撮影したのが。添乗員の浮津さんの言によると、このトイレの前で記念撮影するのを見たのは私たちがはじめてだとのこと。
そりゃそうだろうが、これはきっと貴重な写真になるはず・・・。

(5)2008年の北京オリンピックに向けて、今北京では「トイレ革命」がおきていることが新聞でも報道されている。また、中国のトイレ事情をテーマとした演劇もヒットしている。
中国古来からの、いわゆる「ニーハオトイレ」はまだまだ田舎に行けば多いらしいが、オリンピックを開催する大都市北京にそんなものが残っていたのでは、中華民族の恥!
今では「テレビ付きのトイレ」までできているとか・・・?「ニュータウンや新たな観光名所はトイレから」というキャッチフレーズが中国にあるのかどうか知らないが、
まさにこの束河村の入口にある有料トイレは、そういう価値観の表れ!こんな風にきちんと分析をしてこの有料トイレを見学すれば、いかに有意義なことか・・・?

≪ホテルの部屋で休憩 5:10~6:00≫ 

6 夕食(6:10~7:10)

(1)今日の夕食は麗江の郷土料理。いつものとおり2つのテーブルに分かれ、各テーブルにはビールが2本ずつサービス。後は欲しい人が勝手にビールを注文(1本10元)するということだが、
一人参加でデジカメを撮りまくっているKさんは、いつも紹興酒を頼み、誰かと2人で半分ずつ飲んでいたところ、今日はその相手がいないとのこと。「それなら私が・・・」と手を挙げて、
この旅ではじめてビール以外のものを飲むことに。また、この夕食は雰囲気が盛り上がり、ナシ族の美しいお嬢さんと記念撮影も。さらにここでは、ずっとお世話になった呉さんと趙さん、
そしてその真ん中に浮津さんを並べて記念撮影も。

(2)今日は5日目。考えてみれば、1日目の晩からずっと朝・昼・晩と中華料理ばかり腹いっぱい食べている。動き回っているからエネルギーは消費しているだろうと思っても、やはり食べる方が
圧倒的に多いから、自分でもハラがポッテリしてきていることや顔がフックラしてきていることがよくわかる。しかし自慢じゃないが、私の胃腸は丈夫だと思っており、
過去の北京、杭州、桂林旅行でも十分中華料理攻勢に耐えてきたし、その味を楽しむことができていた。さらに、アルコールは控えようと思って食事の時のビールは1本だけにしていたから、
調子は決して悪くはなかった!

(3)しかし後から考えると、この日が私の胃腸の限界点だったらしい・・・。しかしこの時はそれに気付かず、紹興酒をボトル半分飲んだものだからちょっと酔いが回ってきたなという程度の
感覚だった。本日の公式行事はこの食事ですべて終了したため、あとは自由行動。そこで麗江最後の夜を楽しもうと、三度目の古城のまちへ勇んで出かけたが・・・。

7 自由行動にて古城のまちを散策(7:30~9:00)

(1)麗江の古城のまちは広い。美しい小川が流れ、その川沿いにはしゃれたレストランが並び大変な賑やかさだが、その道はすでに何回も歩いたもの。その前は前後左右から四方街
(センターの広場)に向かっていくつもの通りがあり、そのすべてにおみやげ店が並んでいる。いくら歩いても歩ききれないし、ちょっと珍しそうだと思って店に入っていくとついつい値段交渉を
して買ってしまう。今日は昨日、一昨日には見ていない「木府」まで行ってみようということになり、四方街から更に遠くの方へ歩き、到着した。ここは日本のガイド本には載っておらず、
中国語のガイド本に載っていたところ。しかし残念ながら8時で閉まったとのことなので、入口で写真だけ撮って退散。

(2)そしてまた、帰りながらブラブラといろいろな店を見ているうちに少しずつ気分が悪くなってきた。そして相棒がペットボトルの水を買うために店に入っている時、
思わず世界文化遺産の麗江のメインストリートに胃腸の中のものをドッと吐き出してしまった。それも2度、3度と・・・。飲み過ぎでゲロを吐くことは滅多にないが、
それでも1年に1回位の経験はある。したがって、大体飲んだ時の自分の身の処し方(?)はわかっているつもり。吐いてしまえば割と楽になり、後は眠れば翌日は何とか治るというのが
私の体質のはず・・・。そこでとりあえず散策を中止し、足つぼマッサージへ行くことに。

8 足ツボマッサージ(9:00~10:00)

 全身マッサージや足ツボマッサージの店は、古城入口のすぐ近くにあり、50元と書いてあったのでいつか時間があるときにしておこうと思っていたもの。そして今日はちょうどいいタイミング。
11月29日に西双版納の景洪で入った店ほど高級な雰囲気ではなかったが、マッサージの腕前は同じようなもの。そこで気持ちよく足ツボマッサージを受け、さて元気になったと思ったが・・・。

9 格蘭大酒店にて宿泊(10:30)

 前々日、前日に引き続き3泊目も格蘭大酒店に宿泊。部屋は3階の同じ部屋。足ツボマッサージを終えて今日は早目に寝ようと思い、10時30分にホテルに戻り就寝したが・・・。
さて、どうもひと眠りしたらしいが、その後やはり寝ていても気分が悪い。そして再び・・・。あぁこれはやはり酒の酔いではなく、中華料理の食べ過ぎによる胃腸ダウンだったんだと、
この時はじめて気付いたものだ。

虎跳峡入口にて 玉龍雪山をバックに

長江一番の雄大で美しい風景にうっとり・・・。

中国の国旗と玉龍雪山のバックの調和の妙を・・・。

束河村の中には観光客用の馬や馬車がたくさん。

これが束河村の入口の立派な門

はじめて紹興酒をKさんとともに。

左が趙さん、右が呉さん、そして真ん中が浮津さん

麗江古城にはこんなおみやげ物もいっぱい!

6日目

1 起床・朝食(抜き)・出発

(1)7:00 起床  食事は抜き  8:00 荷物出し

(2)8:30 集合  8:45 バスにて大理へ出発

(3)麗江での3連泊が終わり、今日は大理へ出発する日。11月29日、30日、12月1日、2日の4日間ずっとホテルでバイキング形式の朝食を腹いっぱい食べてきたが、昨日の胃腸のダウン
のため、さすがに今日は全く食欲なし。レストランに行く気力さえ湧いてこない。下手に食べてバスの中でトラブルになると困るという思いと、とにかく食べないのがベストという自分流の
体調管理の価値判断により、水を一杯飲んだだけで今朝は朝食抜きで行動開始!

2 大理とは

 〔旅行の動機〕で掲げておいた頁の地図からわかるように、麗江から大理へは約200キロメートル、バスで約3時間の距離。そして大理市は大理ペー族自治州の州都。大理市には、
大理古城(旧市街地)と下関(新市街地)というふたつの中心がある。大理のペー族の祭りである三月街は有名で、3月15日~20日に行われる。このお祭りの時期には多くの観光客が訪れ、
ホテルが予約でいっぱいになるとのこと。また、大理全体では、海と蒼山が有名だし、市内には崇聖寺三塔をはじめとするたくさんの観光地がある。これ以上大理について詳しく知りたい人は、
あとはガイド本を参照・・・。

3 バスで麗江から大理へ(8:45~12:40)

(1)いざ出発!

 私たちは8時45分にバスで出発し、次のように途中いくつかの地点で立ち寄りながら大理に向かった。

(2)新華村見学(9:10~9:30)

 最初に立ち寄ったのは新華村(石塞子)というぺー族(白族)の村。ガイド本によると素朴なペー族の村と書いているが、現実は立派なおみやげ店付きの観光名所となっている。
ペー族の民族衣装を着たたくさんの美しい女性が観光客を迎え、大きなショッピングセンターに案内し、あれこれと販売攻勢をかけてくる。大理はその名のとおり、第1に大理石が有名。
そして第2に手作りの銀製品が名物とのこと。ショッピングセンターの中をうろうろしていると、例によってついいろいろな品物を品定めしてしまい、ここでは大理石のつまようじ入れ(36元)と
手でころがす玉2個(30元×2)そして合格祈願と書かれた風鈴(28元)を購入してしまった。

(3)トイレ休憩にて(11:10~11:30)

 新華村の見学の後、バスはひたすら大理に向かったが、途中トイレ休憩があった。するとそこにも田舎風のショッピングセンターのようなものがあり、たくさんの漢方薬を売っていた。
ここではお茶とリンゴのサービスがあったため、おいしいリンゴをかじりながら、これらの漢方薬を興味深く見ているとついつい目につくのが高血圧の薬である田七粉(三七粉)。
小さい箱入りのものもあったが、大きい袋入りの方が格安。そしてガイドの呉さんも、「これは自分も使っている」と言ったため、これを信用し、400元と言われた500g入りの田七粉を
300元に値切って購入した。毎日少しずつ飲んでも1年以上あるほどの量だから、湿らせないように、また賞味期限切れとならないようにせっせと飲まなければ・・・。

(4)海(湖)の写真撮影(12:25~12:30)

 大理の町が近づいてくる中でバスの窓から見えるのは、遠くに連なる蒼山(そうざん)の山並み。これは海に沿って南北に連なる全長42キロメートルの山脈。そして次に見えてきたのが
美しい海という湖。これらはどのガイド本にも解説されているが、海は雲南省で2番目、中国では7番目に大きい湖とのこと。この海の美しい景色を写真撮影するためバスはいったん停まり、
車が行き交う中で写真撮影。

4 大理到着ー昼食(12:40~1:20)

 大理では昼食をするレストランで現地ガイドと合流することになっていた。そこで迎えてくれたのが現地ガイドの陶さん。大理での昼食は家庭料理。これを食べて大理の市内観光に出発
ということだが、ここでも私はほんの少し箸をつけただけ。とにかく今日は胃腸が全く中華料理を受けつけなくなっていた。

5 大理市内観光ーその1 藍染工房見学(1:30~1:45)

 市内観光の第1は、周城にある藍染工房の見学。ここ周城にある池の水は美しく、各家庭は湧き水を飲み水として使用しているとのことだったが、果たして衛生的にどうなのか・・・?
また大理は藍染で有名らしく、手作業で染めている姿を見せて解説しながら、藍染製品の販売攻勢。「ここは高いから、買うのはやめた方がいい」というアドバイス(?)を受けていたものの、
見て回っているとついつい値段交渉の面白さに負けて買ってしまうのが大阪人!大判のテーブルクロスを「120元、安いヨ」と言ってきたから、即座に「高い、60元だ!」と切りかえすと、
すぐに「100元」、「90元」となってくる。60元にこだわってもよかったが、ここらが落ちつきどころかと考えて「80元」と言うと、売り子は上司らしき人物に相談のうえ、
オーケーとの返事。「しまった、やはり60元にこだわればよかった」と思いつつ、どうせ1000円程度だからと思って購入。この、「どうせ日本円で○○円だから」というのが曲者で、
そう考えると中国ではどんな商品も安いと思ってしまい、つい何でも買ってしまうことになるわけだ。

≪バス移動 1:45~2:00≫

6 大理市内観光ーその2 三方一照壁の建物の見学(2:00~2:30)

(1)私たちが次に見学したのは、ペー族の古いまちなみを今日まで伝えている喜洲というペー族の村。ここにはぺー族独自の住居(建築物)が昔の姿のまま残っているとのこと。
その特徴はまず「三方一照壁」。これは、入口の北側に大きな白壁を建て、中庭をはさんだ三方に2階建ての住居を配したペー族独自の建築様式。この白壁は外部からの目隠しになるとともに、
太陽の光を反射させる明かり取りにもなるとのこと。また母屋の両側には副屋を建てており、私たちが見学した建物では、この副屋にペー族の若いお嬢さんたちが並び、さまざまなおみやげ品を
販売していた。

(2)私たちがガイド本のコピーを片手に写真を撮りながら建物の内部を見て回り、おみやげ品の品定めをし、さらにペー族のお嬢さんたちと一緒に写真を撮っていると、突然、この女の子たちが
私の持っているコピーを指さして嬉しそうな声をあげてきた。何だろうと思って聞いてみると、要するに私が持っていた本のコピーの写真にこの建物が載っているとのことだ。
なるほど、そう言われて持っているコピーを見ると、今私が写真撮影をした写真そのもの。なるほどこんなこともあるものか、とあらためて親近感が湧いてくるとともに、
このペー族のお嬢さんたちと一緒に写した写真の笑顔は最高のものになっているはず・・・!

7 大理市内観光ーその3 ショーを見ながらの三道茶の試飲(2:00~3:00)

(1)市内観光の第2は、ぺー族が客人のもてなしに使うという三道茶の試飲。三道茶については、大理について解説しているどのガイド本にも詳しく書かれているのでここでは書かないが、
1杯目は〔火考〕茶、2杯目は甜茶、そして最後の3杯目は回味茶で、三道茶の様式は「一苦、ニ甜、三回味」という言葉に集約されるとのこと。

(2)北京でも杭州でも桂林でも、中国ツアーには必ずお茶の試飲というコースがついている。しかし多分ここだけだろうと思って感心したのは、ここではぺー族の民俗舞踊を観賞しながらの試飲
だということ。11月30日の麗江でのナシ族のショーは字幕スーパーがなかったためサッパリわからず面白くなかったが、ここには100人ほどの観客が入る結構立派な劇場があり、
私たちだけのグループがそこに座ってぺー族の舞踊を観賞しながら、お茶を飲むことができるうえ、ちゃんと字幕スーパーもついている。これをみると、ナシ族よりもぺー族の方が
サービス精神旺盛なのかな、とつい思ってしまったが・・・?

(3)ショーは男女合計20名弱が繰り広げるもので、それほど格式高いものではない。したがって字幕スーパーを見ていれば十分理解でき、楽しいもの。そして、いつものクセ(?)で、
1番美人の女優は、とみていると「いたいた!」結構私好みのかわいい女の子が・・・。

(4)「おまけ」は、ショーの最後に、お客さんに舞台にあがってきて一緒に踊れという催促。言葉は伝わらなくても、身ぶり手ぶりでそれはわかるし、私の相棒は中国人だから言っていることが
すべてわかる。だから、さかんに私の腕をつついて「早く舞台に上がれ、写真を撮るから」と催促してくる。そこで、どうせ観客は私たちのグループだけだからまぁいいかと思って、
思い切って舞台の上へ・・・。輪になってステップをふんでいるところを観客席から見て、そのステップを大体覚えたと思って上がったら、その輪は解けて今度は肩に手をおき、
行進しながらのステップに変わっていた。そこで舞台に上がったためそれに合わせるのは難しかったが、どうせ時間にすれば1分程度のもの。観客席からは相棒のデジカメと
一人参加で写真マニアのKさんのデジカメのフラッシュが。冷や汗をかきながらそのデジカメの画面を見るとまずまずか・・・?

≪バス移動 3:00~3:15≫

8 三塔寺(崇聖寺三塔)見学(3:15~4:10)

 大理のシンボルがこれで、崇聖寺三塔は大理古城の西北に位置する三基の仏塔。もともと崇聖寺という大きな仏教寺院内にあったが、お寺は戦争や地震ですべてなくなり、
今は三基の仏塔が残るのみ。崇聖寺三塔の南側には三塔倒影公園があり、そこには大きな池がある。この池に映った三塔の美しさがここの売り!したがって、これをいかにうまく写真撮影するかが
ポイントだが、私たちは超ラッキー!快晴の空、絶好の時間帯に恵まれて見事な写真をバッチリと!写真家デビューもできそうなほどの美しい写真をとくとごらんあれ!

≪バス移動 4:10~4:20≫

9 大理古城見学(4:20~5:00)

(1)大理市内の観光地の見学終了後は、いよいよ大理古城の見学。大理古城は四方の入口に門があり、四方を高さ約3メートルの城壁で囲まれているが、昔からあるのは南城楼だけで、
これ以外の門や城壁は後からつくられたもの。その南城楼の前では多くの観光客が写真撮影をしているが、ここでは民族衣装を着たペー族の女性たちと一緒に写真を撮るのは有料。
また城壁内の馬車や各ポイントでの民族衣装のペー族の女性との写真もすべて有料・・・。ペー族は意外に商売上手でしっかりものの民族・・・?

(2)ペー族中心の大理古城は、迷路のように入り組んだナシ族の麗江古城とは大きく異なり、南北の復興路や東西の人民路・玉路などのメインストリートによって整然と区画されている。
そしてここにも両側には大小さまざまな店がズラリと並んでいる。ペー族は意外に都市計画のセンスも豊か・・・?

(3)ここでも私たちツアー御一行は、ガイドの旗を先頭に南北のメインストリートを散策。もっとも入口に駐車したバスへの集合時間を5時と定めたため、旗について行ったのはほんの少しだけで、後は自由に古城内のまちを散策。そのため、私たちは帰りはほとんど全力疾走状態にて時刻通りバスに到着。

≪バスにてホテルへ出発 5:00~≫

10 亜星大飯店にチェック・イン(5:10)

 大理古城から約10分で亜星大飯店に入りチェック・イン。ここはロビーが5階まで吹き抜けとなっている高級ホテルで、私たちの部屋は3階。荷物を整理して夕食へ。

11 ホテル内のレストランで夕食(6:30~7:30)

 今日はホテル内の2階にある豪華なレストランで夕食。ここではバンドによる生演奏付き。途中私は女子十二楽坊の曲をリクエストしたが、おじさんバンド(?)のためか(?)弾けないとのこと。なお、ここでは総評に書いたとおり、最長老のKさんが堂々と『北国の春』を・・・。料理は、魚や野菜、キノコなどを鍋でグツグツと煮た滋味溢れる素朴な名物料理である「沙鍋魚」。
しかし昨日の晩からの「胃腸疲れ」のためこれもほとんど食べられず、ほんの少し箸をつけただけで終了。食欲はないものの、身体や足腰はいたって元気。そこで続いて自由行動による
大理古城の見学へ再度出発だ。

≪公式行事終了≫

12 自由行動にての古城見学(7:30~10:30)

(1)バイクツアーとの出会い

 古城見学のため、ホテルからはバスが30分おきに出ているとのこと。タクシーでもいいのだが、バスが停まっていたのでそれに乗ると、麗江のホテルで一緒だったバイクツアーの御一行が
次々と乗り込んできて、たちまちバスはいっぱいに。そのため出発時刻を待たずバスは出発。このバイクツアーは、マレーシア、シンガポール等からの約30名の団体だが、年配の人たちも多い。
バスの中では、座れず立っている人たちもいる満員状態。その中で飛び交う言葉は、同じ中国語でも北京語、広東語等さまざまらしい。相棒がさかんに話をしている中に私も割り込んでいくと、
英語がかなり通じたのでいろいろと話をすることができた。それによると、バイクツアーの愛好者は世界中にたくさんおり、全世界から集まって定期的にこういうツアーをやっているとのこと。
今回の参加者たちも、医者や弁護士そしてビジネスマンなど上流社会(?)の人たちが多いとのこと・・・。古城到着後の2時間近くの散策中にも何回か、このバイクツアーの人たちと出会い、
声をかけあった。こんな旅行中の偶然の出会いはホントに楽しいものだ。

(2)銀製品を購入

 大理は、大理石と銀製品が名物。大理石は重いのでおみやげには不向きだが、銀製品特に銀の装飾品はおみやげに最適。しかしその価値は・・・?私はネックレスや指輪その他の装飾品には
全く興味がないのでわからないが、試しで入った店を見てみると、なんと銀の耳掻きが1本5元で売っており、これはすごくキレイで可愛いので、思わず購入してしまった。そのため、続いて
銀のネックレスを見ることに。これも私の目にもすごくキレイだし、値段も安い。60元~100元で立派なものがある。これならちょうどいいと思い、まずは妻のもの、そして娘のものを購入。
さらに、そのネックレスのペンダントには中国人の大好きな十二支から妻と娘の干支の物を選んだので、今度は息子用と私用としてペンダントだけの十二支の干支の物を。
これにて一家4人の干支を揃えた銀のネックレスとペンダントが完備したことに。これくらい家族のことに気を使えば、来年もきっと「家族安泰」のことだろう!ところがこうやって買っていくと、
それならあれもこれも、となってしまったが・・・。

(3)またまた薬を購入

 大理古城のまちなみは通路が大きく、また大きなお店も多い。銀製品の店は小規模のものが多いが、薬屋はおおむね大型店舗で品ぞろえも豊富。ここでも田七をはじめとする数多くの漢方薬を
売っているうえ、かぜ薬なども豊富。店に入ってみるとどうしても買いたくなり、またまたかぜ薬などをたくさん購入。こんなに買ってどうしようかナ・・・?

(4)「洋街」見学

 日本のガイド本には載ってないが、中国のガイド本には最近できている洋街、すなわちヨーロッパ人向けのオシャレなレストランやバーを中心とする歓楽街(?)のことがよく載っている。
私たちも中国のガイド本と地元の人への聞き込み(?)をもとにその洋街に向かった。そこはそんなに大きくはないものの、結構たくさんのオシャレな店が・・・。

(5)日本食の店を発見!

 この洋街を歩いている時に発見したのが、「日本食」と書いてあるオシャレなレストラン(バー?カフェ?)。店は開放的で中は広く、たくさんのお客が座って、しゃべったり中国将棋を
したりしている。私たちはお腹がいっぱいだったので、「味噌汁だけでもいいか?」と聞くと、オーケーとのことなので、味噌汁1杯だけ注文したが、これは何と5元。そしてすごくおいしかった。
この店の壁には中日友好○○の写真が掛けられており、そこにはさまざまな人の寄せ書きが書き込まれていたので、「ああここはかなり有名な店だったんだ」と再認識。
そこで更に今度は玉子巻き(手巻き)を1本注文。これは10元で、日本風に切って綺麗に盛りつけられた玉子巻きが出てきた。大理古城のこんなオシャレな店で、
15元で味噌汁とお寿司を食べることができたことに大感激!

13 亜星大飯店にて宿泊(11:00)

 待機しているバスが見つからず帰りはタクシーでホテルへ。胃腸ダウンでほとんど食べないで1日歩き回ったため、逆に身体はスッキリ。腹もへこんできたし、顔つきも精悍になってきた・・・?
よしよしこれでオーケー。明日も食事は控え目にして動き回ろう・・・。

バスを降りて海を撮影

藍染工房にて 手作業の女性たちとともに

「三方一照壁」の建物が残る喜州というペー族の村の入口

舞台に上がり、一緒にステップを踏む坂和弁護士

大理古城の中には美しい小川も・・・

これが銀製品のペンダントトップ 十二支の干支のもの

高血圧の薬、三七(田七)粉をたくさん購入

中日友好をテーマに数多くの寄せ書きが・・・。

7日目

1 起床・朝食・出発

(1)5:40 起床   6:30 荷物出し

(2)7:00 食事(ホテルのバイキングだが、今朝もほとんど食欲がなく、1個のサンドイッチとヨーグルト、リンゴのみ)

(3)7:20 バスにて大理空港へ出発

2 国内線にて再び昆明へ(8:00~10:00)

(1)大理市内から大理空港へ、途中、下関のまちを見学しながらバスは進んだが、バスの中ではほとんど居眠りばかり・・・。

(2)8時に大理空港に到着し、搭乗手続。

(3)9時発の予定が約10分遅れ、9時10分に大理空港を出発し、10時に昆明空港に無事到着。西双版納・麗江・大理を回っているときには、昆明のことは完全に忘れてしまっていたが、
昆明空港に着くと、「ああここが最初に着いた空港だ」と再度実感!考えてみれば明日もここから帰国の途につくわけだ。

≪バス移動 ここから石林風景区へ 10:15~11:20≫

3 石林観光(石林風景区)(11:20~12:30)

(1)今日のメインは石林の奇峰の見学。石林風景区は、昆明から南東へ100キロメートルほど行った石林イ族自治県にある一大景勝地。ガイド本の写真で見たあの素晴らしい景色を
早くこの目で見たいものだ。

(2)見学に入る前に、まずは腹ごしらえの昼食。今日は石林名物のアヒルの丸焼き料理とのこと。しかし私は、昨日、今日とずっと食欲がないうえ、今日は朝から何も運動せず、
飛行機とバスで移動しただけだから腹が減っているはずがない。そこで私たちは、ガイドに集合時間を駐車場のバスで12時30分と確認したうえで、食事を完全に放棄して、
すぐに石林の見学に向かうことに・・・。

 石林風景区には大石林、小石林があり、その中には剣峰池、望峰亭、獅子亭などたくさんの見どころがある。呉さんから大体の周遊コースだけを聞き、
あとはガイド本とたくさんのツアー客を率いているガイドの後につけば大丈夫と割り切り、1時間あまりの(?)の冒険の旅に・・・。

(3)そうと決まれば駆け足でスタートだ。まずは石屏巍峨を通って剣峰池へ。とにかく人が多いから広いところはいいが、狭い通路や石の階段を通るのは大変。周囲の状況を見ながら象の岩、
亀の岩などでは人のいないところを見はからって写真を撮り、移動はほとんど駆け足で次々と・・・。剣峰池は予想していたイメージよりもかなり小さく、少しがっかり・・・。

(4)呉さんから聞いた望峰亭へは観光客がみんな登るものだが、結構階段はきつく、かなり大変。これではここだけでみんなダウンするのは当然。この望峰亭の上から見る景色はさすがに絶景!
ここで何枚も写真を撮り、下山(?)。

(5)下山し、スタート地点に戻っていく帰り道も写真を撮りながらだったので結構時間がかかり、スタート地点に戻ったのは12時10分頃。そろそろ早い目にバスに戻ってもいいのだが、
そこは欲の深い(?)私たちのこと。今度は獅子亭まで行ってみようということになり、さらに駆け足で、途中「水牛の池(?)」で写真を撮りながら、遂に獅子亭の上まで登った。
ガイド本にも「石林全体を見渡すなら、石林避暑園賓館の裏にある獅子亭に登ろう。ここから大石林、小石林、石林湖が見渡せる」と書いてあったとおり、ここからの景色も絶景で、
その美しさにビックリしながら写真を何枚も。立派な写真を完成させたが、読者にはなかなかわかりにくいかも・・・。

(6)時刻はすでに12時25分。私たちだけが勝手な行動をとっているのだから、約束の時間に遅れることは絶対にダメ。そう思った私たちは、ほとんど走りながら駐車場のバスへ。
2、3分でたどり着き、滑り込みセーフ。添乗員の浮島さんはバスの外で待ち受けていたが、彼女の話によると、他のお客さんはもう10分前にバスの中に座っているとのこと。
ああ、遅れなくて本当によかったと痛感・・・。

≪バスにて昆明市内へ戻る  1:30~3:00≫

4 昆明市内の雲南民族茶道館にてお茶の試飲(3:00~3:45)

 石林観光の疲れを癒すにはちょうどいいタイミングでのお茶の試飲したのは雲南省でも有名なお店らしい。ここでは雲南省の数あるお茶の中で①紅茶、②普茶(プーアール茶)、
③烏龍茶などの4種類のお茶を試飲。中国ツアー恒例のお茶のサービス(販売攻勢)だが、何回も見ていると飽きてくるし、こういうところで購入するお茶は値段が高く、スーパーで売っている
お茶の方が圧倒的に安いことがよくわかっているので、今回は全然買う気なし。お茶を飲んだ後、ブラブラと店内を見学してここは終了。次は昆明で唯一の見学ともいうべき、
西山森林公園の観光へ出発だ。

5 昆明のまちにおける興味深いまちづくり

 このお茶屋さんに入る手前には、7~8階建ての新興住宅街(マンション)が建設されていた。そして大きな看板には、「新昆明城建設十佳住宅小区」と書かれていた。
呉さんに聞くと、最近建てられているこのようなマンションの値段は1平方メートル単価2400元(約3万円)で、部屋の広さは標準タイプで70~80平方メートルとのことだから、
1室約200万円ということになる。北京や上海でのマンションブームほどではないにせよ、雲南省の昆明でもマンション群が次々と建設されていることに驚くとともに、
一層中国の土地問題、住宅問題、そして都市問題に興味をもって勉強しなければと痛感!

≪バス移動  3:45~4:00≫

6 西山森林公園での龍門石窟の見学(4:10~5:30)

(1)西山森林公園は昆明市の西の郊外約15キロメートルの地点にある森林公園。昆明湖に沿うように華亭山、太華山、羅漢山などの山々が南北40キロメートルにわたって連なっており、
全体が森林公園となっているとのこと。もちろんこれを全部観光することはできず、私たちがリフトに乗って行くのは太華山の龍門石窟だけ。
ここは道教の石窟で、昆明に来てここを訪れない者はいないというほど有名なところ。

(2)龍門は20年以上の歳月をかけて完成させた石窟で、龍門石窟の中で最も美しいところ。2人乗りのリフトを下りた後の山道を歩くのは結構厳しいうえ、道は狭く、
ところどころの観光名所は観光客であふれかえっている状態。したがって、そこで石窟の写真を撮影したり、下に広がる昆明湖の美しい景色を写真撮影するのは結構大変な作業。
石窟を下りてバスが待っているところまではカートで下ったからよかったものの、これを全部歩いていたのでは多くの人がダウンしていたことだろう。

(3)この山の上から見渡す昆明湖の景色は美しいが、これは映画『たまゆらの女』で見た仙湖とはイメージが全然ちがうもの。つまり、仙湖は本当に山の中にある自然なままの湖であるのに対し、
この眼下に広がる昆明湖は美しいものの、その周囲には当然市街地が広がっているから。やはりあの映画での「仙湖」は架空のものだったのだと自分なりに納得・・・。果して真相は・・・?

(4)龍門石窟では、忙しく歩き回ったため、1つ1つの仏像の名前までは全然覚えていない。ガイド本に載ってあるような華亭寺にある大雄宝殿の三尊金身仏像、五百羅漢像、
天王殿の四大天王像、金身弥勒菩薩像などは見ていないと思うのだが・・・?

≪バス移動  5:30~5:40≫

7 太華寺見学(5:40~6:30)

(1)ここ太華寺(だと思うがひょっとしてまちがっているかも・・・)は太華山の山中にある有名な寺院。しかし現在このお寺は全面改装中。お寺の周りを見学した後、その中に入ると、
なぜかそこには数多くの掛け軸や絵が展示されており、それぞれに値段がついている。ああここでも中国ツアーでよく見る、掛け軸や絵画の販売攻勢かと思って見ていると、お茶のサービスがあり、
お寺の事務局長(?)らしき人から、かなりの早口かつ商売ペースでとくとくと、「現在このお寺は改装中。その改装費用を捻出するため、貴重な掛け軸や絵画を格安で販売している」
という詳細な説明が・・・。

(2)さらに珍しいことに、この人の口からは、このお寺のえらいお坊さん直筆の書をサービスするので、一人4~6字の好きな言葉をメモ用紙に書いてくれとのこと。
もちろん、これは高額な商品を販売するための出血大サービスであることは明らかだが、まず無料サービスから始めるというやり方は、中国では珍しいもの。
そしてたしかにこのお寺のえらいお坊さんが、私たちの目の前で16名分について1人1人から注文の四文字(六文字)熟語を筆で書いていたから、その労力は結構大変なもの。
これが無料サービスと考えると、少し気の毒にもなるが。

 私は娘が司法試験の受験勉強中ということもあり。ありきたりの四文字熟語では面白くないので、「試験一発合格」というケッタイな「六文字熟語」を注文し、これを受け取った。
私の娘にも、中国雲南省のえらいお坊さんに直筆で書いてもらったこれを見て、発奮して勉強してもらいたいものだ。 

(3)しかしこれほど露骨に販売攻勢をかけられると、私が人一倍もっている、買おうかなという気持も逆に萎えてしまうもの。私は、三国志で有名な諸葛孔明が書いたとされる「出師の表」の
掛け軸を発見し、3万円と言っているものを1万円なら買えそうというところまで商談を成立させかけていたが、相棒の「やめろ、やめろ」と言う声によって、結局は中止。
特別価値があるものではないにしても、私としては珍しいもので話のネタになるものだから、別に1万円がもったいないわけではない。旅行後になってやはり買っておけばよかったと後悔しているが、
そうなったのはお寺にあるまじきあまりにも強い「売らんかな」の販売姿勢に原因がある。もう少し冷静で知的な(?)販売をしてほしいものだ。

≪バス移動  6:30~7:00≫

8 夕食(7:00~8:00)

 今日は朝早くから午前中は石林を歩き回り、夕方は龍門石窟を歩き回るというかなりのハードスケジュール。そのためツアー御一行はかなりグッタリと疲れた様子。時間も差し迫っているため、
ホテルに寄る余裕もなく、レストランに入って夕食。今日の夕食は雲南名産のきのこや過橋麺(ビーフン)など雲南名物郷土料理とのことだが、相変わらず私の胃腸はこれを受け付けず、
ほとんど食べれない状態。

≪公式行事終了≫

9 錦江大酒店(旧錦華大酒店)に到着(8:10)

 夕食を終えてやっとホテルに。ああ、ここが最初の日に入ったホテルだったと再認識しながら部屋へ。もちろん疲れてはいるもののこのまま眠るわけではない。最後の日となる昆明の夜のまちを
楽しまなければ・・・。

10 自由行動にて昆明の夜のまちを散策(8:10~10:00)

(1)まだ今は8時だから時間はたっぷりある。昆明のまちの中心地がどこにあるかはわからないものの、とりあえずホテルを出て道に沿ってブラブラ歩いていくと、いろいろと面白い店が
いっぱいある。ここで目につくのはお茶を売る店と、昨日大理古城で見た薬屋の2種類。昼間にお茶のサービスを受けた「雲南民族茶道館」はミエミエの日本人ツアー向け価格であったため
買わなかったお茶を、今度は中国人向けの市価で買うべく、あちこちの店に立ち寄って品定め。ここでは約10分の1の値段で買うことができるから、ホントに昼間の値段はバカげたもの。
私たちはさらにケチになり、お茶筒に入ったものは荷物にもなるし割高となるため、これをやめて単なる袋入りのお茶を各種たくさん仕入れることに。こんなやり方を覚えると、
日本人のツアー客向けの店でベラボウなお金を出して買うことはホントにバカバカしくなり、ODA精神(?)を貫かない限りはそれはムリ。また、雲南省特有の漢方薬を売る店も少し見たが、
これはもうすでに十分見て買ってきたものとほぼ同じなのでパス。

(2)昆明の夜のまちの散策ではじめて体験したのが中国の映画館。今回の旅行の直前に私の映画評論本のパート5になる『坂和的中国電影大観』を完成させた私としては、
中国の映画館は是非実際に見聞しておきたいもの。そんな私が最後の日の夜の散策で通りかかったのは、『アイ,ロボット』などを上映していた2、3の映画館。
チケットを買って中には入ることはしなかったが、入口までいろいろと見て回ると、ジュリア・ロバーツなどのハリウッド女優の大きな看板がズラリとあるし、
これから上映予定の映画の宣伝用の看板もいっぱい。ちなみに料金は、封切上映となる人気映画の『アイ,ロボット』で15元、その隣の私の知らない映画で10元。
つまり200円から150円ということだから、これも日本の約10分の1。なお、映画館の前でしきりにカメラのフラッシュを光らせていた私たちの姿を、行き交う中国人たちが
不思議そうに見ていたことを付言しておこう。

(3)さらにメイン通りとクロスする細い道には、その入口に屋台があり、その奥にはズラリとカバンや靴の店が並んでいた。ものは試しと少し通ってみたが、ものの見事にカバン類と
靴製品ばかりを販売している。買う気はないので、もういいかと思ってまたメイン通りを戻っていて気がついたのは、お茶の店や薬の店の他、ここにはカバンの店が多いこと。
なぜかは全くわからないが、当然それなりの理由はあるはずだ。2時間弱のまちの散策も飽きてきたので、さて次は恒例(?)の足ツボマッサージへ・・・。

11 最後の夜も足ツボマッサージ(10:00~11:20)

 ここ昆明のホテル錦江大酒店のすぐ隣や道路を隔てた向いには、足ツボマッサージ30元の看板があり、初日から一度そこに入ってみようと思っていたもの。
しかし今夜、昆明のまちを散策していると、20元という店や28元という店もある。20元の店に入ってみようと思っていたが、つい成り行きで、多分中国人向けのホテルと一緒になっている
28元の足ツボマッサージ店へ。これは大阪で言えば、簡単に安く泊まれるカプセルホテルとサウナが併用されているニュージャパンや大東洋のような感じの店。
しかしそれにしても1時間足ツボマッサージをやってもらって28元=約400円とは実に安い!これが大阪にあれば、毎日でもやってもらいたいものだが・・・。

12 錦江大酒店にて宿泊

 足ツボマッサージを終えて気持ちよくホテルへ。今日1日の疲れを考え、明日の朝早くの起床を考えれば、今日はさぞグッスリ眠れることだろう・・・。

「石林」の奇峰をみて大感激!

これが象の岩だが、果たしてそう見えるかナ・・・?

これが望峰亭。観光客は必ずここに!

これが水牛の池。水牛の形をした岩は数個あるが・・・。

昆明市内の雲南民族茶道館にて4種類のお茶を試飲

これが有名な龍門石窟

太華山の山頂から 昆明湖と市街地を一望!

映画の料金は10元と15元。こりゃ安い!

8日目

1 起床・朝食・出発

(1)5:30 起床

(2)6:00 荷物出し  6:00~6:30 食事

(3)6:30 バスにて昆明空港へ出発

(4)今日はいよいよ7泊8日の旅行の最終日で、朝から日本へ帰るだけの日。添乗員やガイドの努力によって、6時から朝食を食べることができることになったが、
当然ながら(?)食欲はほとんどなく、今朝もヨーグルトを飲み果物を少し食べただけで出発。もっとも、空港で食べようと思い、ヨーグルトを1つ持ち出したが・・・。

2 帰国の途へ

(1)7時に空港に着き、搭乗手続もスムーズに終わり、8時に昆明空港発のMU-751に乗り込むことに。ここで見えたのが美しい日の出。バスに乗り込んでいる2~3分の間に
みるみる間に太陽が昇ってきた。あまりキレイに撮れていないが、その1枚が写真8-①の写真。その後、昆明空港を飛び立った飛行機は、10時50分に上海空港に到着。 

(2)帰りも上海でのトランジット中に出国手続を済ませ、上海空港で乗り継ぎをすれば、あとは12時15分上海空港発MU-751にて一路関空へ。そして3時に関空到着。
荷物を受け取り、ここで流れ解散だ。添乗員の浮津さんや何人かのツアー同行者と別れのあいさつを交わして、今回の中国雲南省の旅行も終了。この後は、早く家に帰ってサウナに入りたい・・・。

[雲南省7泊8日旅行についての坂和的総評]

1 食事について

(1)私の中国旅行の楽しみの1つは、各地でおいしい中華料理を食べること。私は自分の胃腸は丈夫だと信じており、今までの3泊4日の中国旅行ではすべて大丈夫だったし、
そのたびにたらふく豪華な中華料理を楽しんできたから、今回の7泊8日の旅行にも自信をもって臨んだ。ところが現実は、5日目の晩から散々な目にあってしまった。
これも私にとってはいい教訓。あまり自分の胃腸を過信しないようにしなければ・・・。

(2)今回の旅行で用意された食事についての文句は私にはほとんどないが、それでもなおクラブツーリズムに対しては2つの注文をしておきたい。
その第1は、さすがに多くの参加者が後半は食欲を失っていた様子。したがって、やはりフルコースの中華料理のオンパレードではなく、途中で何か変わった食事を用意してほしいということ。
第2は、見学が全くなく移動だけの場合の食事の連続はできるだけ避けてほしいということ。

(3)なお、食事のたびにつけられた、各テーブルへのビール2本のサービスは適度なもので、これは今後も続けてもらいたいものだ。

2 日程、観光地選び、時間割について

(1)今回の雲南省周遊ツアー最大の特徴は、麗江での3連泊。これほど充実した麗江観光はめったにないだろう。その反面、とくに昆明の観光が不十分になったのは、当然とはいえやはり残念。
考えてみれば、昆明はホテルも夜遅く入って朝早く出ていっただけだし、観光したのもほんのわずか。石林見学と昆明の市内観光で1日、西山森林公園観光で1日とればいいと思うのだが、
それはぜいたくというものか・・・?そんなことを言い出せば、「西双版納に行ったのだから、ついでにシャングリラまで」などという話になりそうでコワイ・・・。
7泊8日の日程としてはこれ以上にないものと評価すべきだろう。

(2)観光地選びは難しいところだが、これも十分満足できるもの。ただ、今回多少トラブルになりかけたことも含めて、時間割について1つの指摘しておきたい。
それは、観光地ごとに、「何時集合、それまではオーケー」という形にした方がベターでは、ということ。今回のツアー参加者の最長老で、食事のたびに話題提供者となっており、
大理のホテルでの夕食では、果敢にも舞台に出て、生演奏で『北国の春』を歌ったTさんは、やはり日本人的感覚が強い。したがって中国式(?)の「ツアー客が見物している状況をみながら、
適当に集合していく」というやり方は気に入らない様子で、途中かなり厳しくこれを指摘していた。私もこれに賛成。私たちは、ガイドの動きをみながら可能な限り自分たち独自の行動をと考え、
かなり自由な行動をとっていたが、それができたのはひとえに中国人の相棒がいたから。自分一人の参加ではとてもそうはいかず、ガイドのもつ旗をひたすら注目しながら動く、
真面目なツアー客になっていたはず。そんな目でみると、たとえば「自分勝手に動くオバちゃん(!)」が1人参加者にまじっていると、きっと腹が立つことだろうナと思う。

(3)今回は、添乗員の浮津さんもそういう認識になったようで、ガイドの呉さんに意見交換をした結果、後半は「○○時集合、それまでは自由行動」というパターンが増えてきた。
そのためには、時間厳守とか行方不明にならないこと等のルールを参加者がきちんと守らなければならないが、その方が効率性と自由性をうまく両立できるものと私は思っている。

3 ツアー客16名のパーソナリティについて

 今回のツアー参加者は、ペア参加者5組10名と一人参加者6名の合計16名。4名~6名の団体参加が混じるとそのグループばかりが賑やかという弊害も考えられるが、
この程度はちょうどいい規模。ただ、一人参加者は当然ながら個性の強い人が多い。今回もそうだった。前述の最長老のTさん、デジカメマニアのKさん、中国旅行の経験豊富で夫婦連れに対して、
さかんにアドバイスをしてくれていたAさん、唯一の若者であるBさんと私たちは仲良くツアー旅行を楽しむことができた。しかしあとのCさん、Dさんはちょっと・・・。
とりわけ一人参加でおしゃべり、そして誰にでも、何にでも割り込んで話しかけてくる、「大阪の(?)オバちゃん」は、私にとって大の苦手。さらに・・・。これ以上書くのはやめておこう。
これはあくまで私の主観にすぎないのだから。しかしツアー旅行においては参加者のパーソナリティの果たすウエイトが大きいので、くれぐれも皆様その点にご留意のほどを!

4 添乗員とガイドについて 

 添乗員付きの中国ツアーは、私は今回がはじめて。出発の数日前に気温と服装について電話してきた浮津さんの話ぶりから、「この人は大丈夫だな」と思っていたとおり、浮津さんとは、
実に気持ちよくツアーを楽しむことができた。そしてまた他方では、7泊8日の16名のツアー客とずっと一緒に回る添乗員の仕事上の苦労と人間関係維持の苦労の両方が、実によくわかり
勉強になったものだ。またガイドについても、昆明到着から昆明出発までずっと付き添ってくれた呉さんは、東京近郊に10年近く生活をしていたというベテランガイドで、知識も豊富なうえ
サービス精神も旺盛。彼の話がどれほど私たちの勉強になったことか、大いに感謝している。他方、西双版納、大理、昆明だけの現地ガイドは、時間的にあまりにも短すぎることもあり
十分な接触ができなかったのが残念。しかし、いずれにしても呉さんほどの「一流ガイド」ではないだろう・・・。結論として、大きなウエイトをもつ浮津さんと呉さんという、
いい添乗員とガイドに恵まれたことは、今回の雲南省周遊旅行最大の幸運だったのかもしれない。ここに、私の心をこめて、「謝謝」と述べておきたい。

[麗江余話]

(1)この旅行記の最後に、2004年11月末に「SHOW-HEYシネマルーム5」にあたる『坂和的中国電影大観』を出版した私の、映画に関する麗江余話を一席。

(2)麗江観光中、ガイドの呉さんからは、高倉健が麗江で張藝謀(チャン・イーモウ)監督の映画に出演しており、現在麗江で撮影中との話を聞かされていた。その話によると、
麗江の少数民族(ナシ族)出身の娘が日本に留学するという物語で、高倉健が主役級で出演しているとのことだったが詳しいことは不明。これが上映されたら、私が今観ている麗江の空港や
古城の街並みがきっと登場するだろうと思うと大いに親しみを持つことができ、楽しみに思っていたもの。

(3)そんな中、2004年12月14日の読売新聞の夕刊は女優寺島しのぶを取りあげていたが、その中で、張藝謀監督が高倉健を主役に撮る新作『千里走単騎(原題)』
(『単騎千里を走る(邦題)』)に寺島しのぶが出演すると書いてあった。それによると、この映画は親子愛を描くヒューマンドラマで、寺島しのぶは中井貴一と共に健さんの息子夫婦を
演じるとのこと。張藝謀監督がハリウッドに進出して撮った、「武侠映画」である『HERO』(02年)『LOVERS』(04年)は大ヒットしたものの、私は張藝謀監督にはやはり、
『あの子を探して』(99年)、『初恋のきた道』(00年)、『至福の時』(02年)のような心温まる素朴な映画を撮ってもらいたいと考えていたので、この新作『千里走単騎(原題)』
への期待は高まるばかり。近い将来、私が見た麗江古城のまちなみや麗江でふれ合ったナシ族やペー族たちの少数民族、そしてあの壮大な玉龍雪山などを思い出しながら、
しんみりとこの映画を楽しみたいものだ。                       

                                                 〈 完 〉

第2ー7)台湾旅行記・・・(2005(平成17)年3月13日~3月16日) 

[はじめに]

1 旅行の動機
<全人代と反国家分裂法>

3月13日からの台湾旅行が明日に迫ってきた中、中国では3月5日から第10期全国人民代表大会(全人代)が開催されている。そこでは、①2005年の経済成長率を8%前後とする ②持続的経済発展に向け「調和社会」を建設する等の大方針が次々と示されているが、大変な問題は「反国家分裂法」の制定。これは、台湾独立を許さないという中国の断固たる決意を示すもので、3月14日に成立確実とされている。これに反発する台湾では、行政院(内閣)大陸委員会が「台湾併呑の意図が明白になった」とする批判声明を発表し、台湾の防衛当局は中国側の軍事侵攻を想定した市街戦訓練を実施する計画の発表まで、と大変・・・。さらに、与党・民進党は3月10日、この「反国家分裂法案」に反対するため、3月26日に台北で50万人という大規模な抗議デモを実施すると発表した!

<今のうちに行っておかないと・・・>
 私がこの台湾ツアーを申し込んだのは、昨年の12月15日。去年の中台間の問題は、主として台湾の総統選挙問題と台湾独立派の勢力の伸びという問題だった。しかし、陳水扁総統による新憲法制定問題はあったものの、議会選挙において独立派の伸びがなかったため、今ほどの緊張関係は生んでいなかった。私がその時期に台湾旅行を決断した動機の第1は、2008年開催の北京オリンピックまでは、「中台戦争」はないだろうと思いつつ、ボチボチヤバくなっているので、「今のうちに行っておかなければ・・・」というもの。これは半分冗談だが、半分は本気で心配している。このような事を書くのは不穏当かもしれないが、正直に説明しておきたい。

<第2、第3の動機>
 動機の第2は、長男宏展が昨年10月司法試験に合格したこと。出発直前の今は、既に第59期司法修習生への採用と東京修習が決まり、東京でのアパートの確保も完了したが、申込み当時は、いよいよ長男が家族を離れていく中、平成17年3月中なら家族旅行ができるし、ここをはずせばしばらくは無理だから、この機会に、と考えたこと。これが第2の台湾旅行の動機だ。
 そして第3は、一般的に台湾について私が知っている情報。台湾は近くてすぐに行ける国だし、韓国以上に日本人に馴染みやすい(?)国。そして街も美しいうえ料理がおいしく、観光には絶好の国だということ。そんな台湾旅行がいよいよ明日出発となった。

<司法試験勉強組は除外!>
 そんなワケで、今回の台湾ツアーは私と妻の員子と長男の宏展の3人となった。ホントは長女の奈央子も入れた4人の方が楽しいだろうし、バランスもよいのだが、彼女は今司法試験勉強の真っ最中。今年5月の短答式試験ではまだ3回生だが、昨年4月に法科大学院が発足し、来年からの新司法試験制度の発足に伴って、従来の「一発試験」組の合格者はどんどん減っていく運命にあるから、とにかく早いうちに受からないと・・・。今年は無理だとしても、来年は絶対合格するつもりでということであれば、今年の5月の試験も手を抜くわけにはいかず、台湾旅行などは夢のまた夢という次第・・・。

2 なぜ、このツアーを選択したのか?
<「ゆったり型」か「せかせか型」か?>
 台湾のツアー旅行にもいろいろな種類のパックがあるが、3泊4日という日程を限定した場合、私の分類では「ゆったり型」か「せかせか型」かという分類になる。「ゆったり型」は、台北だけに滞在し、観光と食事をゆっくり楽しもうというものであるのに対し、「せかせか型」は、せっかく台湾に行くのだから台北だけではなく、高尾、台南、台中も見学したいという欲張りなもの。必然的に、「せかせか型」は朝早く出発し、夜遅く帰ってくることになるうえ、台湾国内での移動もハード。その典型は1日目で、飛行機で台北に到着した後、バスで高尾に向かうわけだが、その距離は350Km、時間的には6時間というもの。要するに、いったん南へ移動してしまい、そこからまた順に北へ戻りつつ観光していくというものだ。私にはどちらが向いているか?その答えは決まりきったもの。当然「せかせか型」を選択することに・・・。

3 今回のカメラの準備は?
<カメラは何台?>
 何回かの中国旅行の経験によって、1眼レフカメラとデジカメの準備は次第にプロ並み(?)になってきた。去年11月の雲南省旅行と同様、今回もデジカメ以外に1眼レフカメラを持っていくかどうか大いに迷ったが、これについても欲張りな私の選択は「迷ったら前向きに」ということに・・・。デジカメは、昨年末、ヨドバシカメラで「50万円まとめ買いすれば、割引ポイントが更にアップ」との宣伝に完全にはまった結果、まったく同じ大型デジカメ3台と、これも同じ小型デジカメ2台を持っていくことに・・・。もちろん、メモリーは何千枚分も大丈夫だし、充電用の機器もバッチリ。これだけ用意したのだから、美しい景色をいっぱい撮ってこなければ・・・。

4 「晴れ男」に期待!
<俺は天下の晴れ男!>
 旅行を楽しくさせるのも、うっとうしくさせるのも天候次第だが、この点、私は大丈夫。「俺は晴れ男!」という自信をもっている。ガイド本を読むと、台湾は小雨が多いとのこと。しかしきっと大丈夫。バスでの移動中は小雨も大雨もオッケーだが、見学中は雨はシャットアウトしよう。そんな確信をもって明日出発だ。

5 懸案事項もひと区切り!
<お仕事はスタッフに!>
 今回の3泊4日のツアーは、日曜日出発で水曜日の夜に帰ってくるもの。したがって、月、火、水の3日間は事務所の仕事は基本的に事務局長以下におまかせとなる。もちろん、レンタルで持っていくワールドフォンは活用するが、事務所での処理は信頼するスタッフに心おきなく任せることに・・・。

<仮処分もひと区切り!>
 
それと、もう1つの懸案事項もひと区切り。それは今、日本を騒がせている最もホットな話題であるライブドアVSフジテレビによるニッポン放送の「争奪戦」。私が弁護士としてあらゆるところで断言していたように、東京地裁は昨日の3月11日(金)、ニッポン放送による新株引受権の発行差止めの仮処分決定を下し、ライブドアに軍配を挙げた。今日3月12日(土)の朝刊には、その決定全文も掲載されている。もちろんこれからまだまだ大きく動くことは確実だが、この問題に1つの大きな区切りがついたことは間違いない。そしてまた、私の予想が100%正しかったことが実証されたことが私にとってもすごく嬉しく、私の頭の中もはっきりとひと区切りつくことに・・・。                                               

1日目

1 関空出発における大トラブル(2:30)

<11時出発のはずだったが・・・>
 関空出発は11時の予定。そこで時間厳守の私たちは、10時30分には出発ロビーで待っていたが、突然アナウンスが入り、搭乗機が何らかの機械上のトラブルのため出発時刻が遅れるとのこと。しかも、現在その調整中なので何時に出発できるかわからない、状況がわかりしだい、再度アナウンスするとのこと。海外旅行の場合、多少(30分~1時間)出発が遅れることはよくあるのでその程度は覚悟していたが、何時出発かわからないというのははじめて・・・。しかも、予定では今日は強行軍で、台北に1時15分に着いた後、すぐにバスに乗り一路6時間をかけて高雄まで350㎞の道を走ることになっている。だから予定通りいっても、ホテル到着は7時頃と予定されている。したがって、2時間も3時間も遅れることになれば、ひょっとして今回の予定はすべてパーに・・・?

<ゴールドカードを最大活用!>
 そんなことを考えながら、JCBゴールドカードの特権を利用してラウンジ「六甲」に入り、タダのコーヒーやジュースを飲み、つまみを食べながらアナウンスを待っていたが、「しばらくお待ちください。次の情報が入り次第連絡します」というアナウンスの繰り返し。そして、お詫びの気持を示すためか、希望者には500円のテレホンカードを配布するとのこと・・・。

<1人500円の飲み物券が配布!>
 さらに、1時間をすぎ12時になると、空港内売店でのみ使用できる500円相当の飲み物券が配布された。アルコールとの引き換えはできないとされているうえ、ラウンジ内で既にさんざんコーヒーやジュースを飲んでいる私たち3人は、これ以上飲めないからどうしようと考えていると、人間とはみんな欲深いもの・・・?ツアー客たちはみんな突然売店に並び、1本150円のペットボトルを買い始めたので、私たちもこれに習って・・・。そうすると1本150円のペットボトルが3人分では合計10本。その結果何のためかはわからないが、とにかく「使わなければソン」とばかり、私たちは水やお茶そしてジュースのペットボトル10本を手荷物にすることに・・・。

<さらに弁当まで配布!>
 12時を大幅に過ぎたら弁当ぐらい配布されるのでは?と思っていると、私の予想どおり12時を過ぎると、今度は「筑前わっぱめし」のせいろ弁当と缶入りのお茶が配布されることに。そしてアナウンスでは、最悪3時30分頃搭乗案内ができるとのこと。搭乗券にチェックを入れてもらって弁当を1つずつもらい、これを食べた後、この分ではひょっとして今回の旅行は中止・・・?などと考えながら、時間潰しのためにまたラウンジに入って新聞を読んだり、売店で品定めをしたりすることに。

<何とかOK!>
 ところがその予想に反して、突然「2時15分頃搭乗手続を開始します」とのアナウンスが・・・。お客さんたちはあっちこっちに散らばって時間潰しをしているから、案内員もその連絡のために走り回って大変。また私たち家族もバラバラになっていたため、集合にチト手間取ることに・・・。しかし何はともあれ、やっと2時20分頃搭乗開始となり機内へ・・・。ああ良かったと一安心!


2 関空でのある出会い

<世間は狭いもの!>
 11時前に出発ロビーのソファーでふんぞり返って座っていると、赤い制服を着た案内員の若い女性がしきりに私の顔を見ているので何だろう思っていると、何とその彼女がニコニコしながら近づいてきて、「坂和先生、久しぶりですね!」ときた。ところが、失礼ながら私は彼女の顔を思い出せない。しかし、「〇〇ですよ、忘れましたか?」と言われて、「ああ、あの時の・・・」と思い出した。詳しく説明しても別段差し支えないのだが、ここにあまりプライベートなことを書くのは適切でないので、私と彼女との関係(?)は省略。もちろん、今回は家族旅行であり、私の側にいるのが妻と長男だと紹介したから、決して変な関係でないことだけは念のため・・・。


3 台北中正国際空港着(3:45)、入国手続(3:45~4:30)

 台北中正国際空港に到着したのは、日本と1時間の時差がある、台湾時間の3時45分(日本時間の4時45分)。その後入国手続だが、台湾の入国手続は意外と厳格で、1人1人にかける時間が長かった。したがって、途中トイレに寄った私のせいで、私たちが入国手続を完了したのは、ほとんどラスト近くに・・・。やっと手続を終えて出迎えのガイドさんと一緒にバスに乗り込んだのは、既に4時半となっていた。


4 台北から台中に向けてバス出発(4:30~6:30)

<今回はどんなガイド?>
 海外旅行の楽しみの1つは、どんなガイドさんと巡り合うかということ。別の言い方をすれば、ガイドの良し悪しによってその旅行が楽しくもつまらなくもなってしまうもの。今まで何回かの海外旅行ではすべてガイドには恵まれてきたが、私はどちらかというとやはり、おっちゃんガイドよりは若い女性ガイドの方が好き。もっとも、ガイドは日本語能力はもちろんそのもっている知識や説明能力が問われるから、飾りモノの外見だけではつとまらないのは当然。さて今回は?
 到着ロビーで迎えてくれたガイドは、私の期待に反して年配の小柄なおっちゃん!ああ残念、と思いながらバスに乗り込んだ私たちだったが・・・。

<まずは異例の寒さの説明から・・・>
 「私の名前は呉天賜です」と自己紹介した彼の説明は、まずは、日本でも台湾でも3月中旬というのにこれだけ寒くなったことは珍しく、何十年ぶりだということ。そして次に、約3時間も到着が遅れたことによる影響についてひとくさり。すわなち、予定では到着後6時間をかけてまっすぐ高雄まで行くことになっていたが、それではホテル到着が10時すぎになってしまうので、高雄のレストランで夕食と予定していたのを、台中のレストランで食事するように変更したとのこと。そして、高速道路の込み具合によるものの、とにかく六合二路の夜市だけを見学してホテルに入るとのこと。そりゃ仕方ないか・・・?

<ガイドの話はネタがいっぱい!>
 今回の台湾旅行はまず、台北から(南の)高雄まで行き、そこから台南、台中、台北と戻ってくるというのが基本コース。したがって、バスによる移動時間が非常に多いから、余計に、車中でのガイドの案内の上手下手は旅行の成否の大きな要素となる。バスに乗り込んだ後の呉さんの解説は、
①両替に関すること(1万円=2870元)、
②2005年10月10日の建国記念日の日に台北=高雄間に台湾の新幹線が開通予定とされていること、
③台湾の高速道路の特徴、
④台湾ではバイクが多く、2人乗り3人乗りはザラとなっていること、
⑤日本で1番高い山は富士山とされているが、台湾が日本の領土だった頃のそれは?
などかなり内容の濃いもの。そして、彼の話は次第に熱を帯び、
⑥台湾は中国と一緒になるべきではなく、日本と一緒になるべきだ、
という、アッと驚く大胆な意見を披瀝した。
 このように彼の話は非常に興味深いものが多かったので、その詳しい内容は適宜紹介しよう。

<呉さんは俺と同じ歳!>
 この呉さんのお父さんは昔日本海軍の軍人だったとのこと。そして呉さんが生まれたのは、1949年3月16日とのこと。これは何と私と全く同じ年の生まれだ。ツアー客19名のうち、4人組を除いては、すべてリタイヤ組(?)のペアと思われる70歳前後の人たちであり、56歳という働き盛り(?)の男は私だけ。呉さんが同じ年の生まれと聞いて、私は彼の解説に非常に興味をもったが・・・。


5 興味深い呉さんの解説あれこれ

<興味深い呉さんの解説その1 高速道路は片側4車線だが?>
 台北から台中、台南、高雄への高速道路は片側4車線という立派なもの。日本でいえば、さしずめ東名高速道路、名神高速道路という国家の根幹をなす高速道路だ。また全面積3万5000平方キロメートルという大きさは、九州の7分の6、日本の11分の1とのこと。そしていわば、台北(人口270万)=東京、高雄(人口175万)=大阪、台南(人口70万)=京都、台中=名古屋というイメージがピッタリ。こんな台湾を南北に結ぶ根幹的な高速道路は、「南北問題」を抱えてきた韓国と同じく、「中台問題」を抱えてきた台湾においては、「いざ鎌倉!」という時には軍事目的として使用する必要性が高い施設。したがってこの高速道路は、「いざ戦争!」となれば、飛行機の滑走路として使用できるように設計されている。そのための大切なポイントは中央分離帯。えらくチャチな分離帯だナと思っていたが、実はこれはあえて簡素なものにしているもの。つまり、高速道路の両側を滑走路として使用する場合は、この中央分離帯を簡単に撤去することができるようにつくっているわけだ。このようにこの高速道路上には、臨時の飛行場として使用できる部分が計4カ所あり、これがいざという時には3,500メートルの滑走路に化けるわけだ。なお、軍事目的に使用する必要がない部分の分離帯については、植林がされて立派な分離帯となっている。高速道路1つを走っても、ちゃんと見学し説明を聞けば勉強になることばかり・・・。ちなみに台湾の高速道路の全長は3,734キロメートル。そして38キロメートルごとに集金所があり、これは1カ所あたり50元。したがって台北から高雄までの高速道路料金はわずか1,750円!

<興味深い呉さんの解説その2 台湾の歴史のお勉強!>
 呉さんのお父さんは日本の海軍軍人で、昨年85歳で亡くなったとのこと。そして呉さんは1949年3月16日生まれだから、戦後(日中戦争後)生まれ。孫文による中華民国の建国は1911年10月10日の辛亥革命に続く1912年1月のことだから、それを引き継いでいる台湾においては、今年2005年は建国94年にあたる年。日本では今年2005年は戦後60年の節目の年となるため、さまざまな問題提起がされているし、都市問題を中心に大学の講義を行っている私のこの数年の問題意識は戦後○○年というもの。そういう問題意識をもっている私にとって、呉さんの解説は面白いものだった。今、中国では第10期全人代が開催されており、明日の3月14日には「反国家分裂法」が成立する見込みとされている。しかし呉さんの意見は、「台湾は今まで中国のお世話になったことは1度もない。だから台湾が中国と一緒になる意味など全くない。台湾は日本のお世話になることによって暮らしが豊かになったから、日本に対しては感謝と尊敬の気持をもっている。したがって台湾は日本と一緒になればいい」という大胆なもの。1894~95年の日清戦争において清が日本に敗れた結果、下関条約によって台湾は日本に割譲され、日本の直接統治下におかれることになった。そして日本の直接統治は1895(明治28)年から1945(昭和20)年8月15日の日本敗戦まで50年間続いた。日中戦争終了後台湾は中国に返還されたが、中国本国内での国民党と共産党の内戦に敗れた蒋介石率いる国民党政府は台湾に逃れ、台北に総統府を設置した。これが1949年12月7日。これに対して、中華人民共和国の成立は1949年10月1日。ここから今日まで56年間にわたる長い「中台問題」が続いているわけだ。

<興味深い呉さんの解説その3 「ニイタカヤマノボレ」の由来は?>
 「ニイタカヤマノボレ」とは、1941年12月8日の真珠湾攻撃の開始を意味する暗号として有名な言葉だが、今の若い人たちはこんな「物語」はほとんど知らないはず。しかし、「今どきの変な奴」である私の息子(?)はこういうことに詳しく、興味津々・・・。ガイドの呉さんは、「今日本で1番高い山は?」と聞かれれば、誰でも「富士山」と答えるが、「台湾が日本の統治下にあった時代での日本の1番高い山は?」と聞かれると、その答えは、「台湾の新高山」が正解。すなわち、当時は新高山(今、台湾での呼び名は玉山)が最も高い山で、その標高は3,952メートル。そして2番目に高い山も台湾にある。それは雪山で、その標高は3,808メートル。日本の富士山は残念ながら(?)3番目で、その標高は3,776メートル。まさか台湾に観光旅行に来てこんな歴史上のお勉強をさせてもらえるとは思っていなかっただけに、ガイドの呉さんの解説に謝謝!

<興味深い呉さんの解説その4 台湾の人口構成>
 台湾には先住民族が住んでいたが、今やその人口はわずか45万人で総人口の2%ほど。台湾の現在の総人口は約2200万人だが、その人口構成の第1は今から約340年前に福建省から入ってきたグループで、これが台湾人と呼ばれ、全人口の約60%を占めている。第2は約320年前に広東省から入ってきた客家人と呼ばれるグループで、約15%。第3は戦後蒋介石とともに大陸から逃れてきたグループで、これは外省人と呼ばれている。その当時の台湾の人口は約600万人だったが、国民党の軍隊60万人が一挙に入ってきたとのことだ。


6 台中のレストランに到着(6:30)

<レストラン「中華美食」にて食事>
 臨時に呉さんがセットした台中のレストラン「中華美食」に入ったのは6時半。ちょうど夕食時だから店内は満席で、私たちは急遽セットされたテーブルで、時間を気にしながらガツガツとかき込むことに。今日の夕食は、ブタのスープ、イカの甘辛炒め、魚のあんかけ、野菜サラダ、台湾風厚揚げ、ブタ肉の炒めものetc。魚のあんかけはおいしかったが、その他の料理はすべてもうひとつ・・・?明日以降の料理に期待しよう!ちなみに台湾のレストランではビールは1本100~120元(350~420円)とのことで、中国(10~15元(約130~200円))よりだいぶ高い!


7 台中から高雄への移動は2時間半(7:00~9:30)

 ビールを飲み夕食を食べた後は、案内も中断し、ツアー客はひと眠り・・・。のはずで、私も眠ろうとしたのだが、ある1組のおしゃべりな2人組の年配客が・・・?


8 高雄到着(9:30)、夜市の見学(9:30~10:00)

<六合二路の夜市見学>
 もともと今日の予定は、高雄のホテルに到着し、夕食をすませた後有名な六合二路の夜市見学に出ることになっていたが、予定を変更して先にその夜市見学へ(写真1-1~4)。ここでは、台湾の屋台の風景として写真やテレビで見慣れている姿が、まさに私たちの目の前に広がっていた。グロテスクな食材もたくさんあったが、全体的にはいかにもおいしそう。しかし既にお腹はいっぱい。呉さんが買ってくれた揚げものを1人1~2個食べたが、これも結構おいしいもの。お腹をすかせてブラブラ見学しながらいろいろと食べ歩けば楽しいだろうと思いつつ、約30分の見学で終了。

ーバス移動(10:00~10:15)ー


9 中信大飯店着<11名>(10:15)

<なぜ別々のホテルへ>
 今回のツアー客は合計19名。奇数になったのは私たちが3人のため。11名のうち8名は圓山大飯店に、そして私たちを含めた11名は中信大飯店に。なぜ1つのホテルにしないのだろうと思っていたが、その理由は2泊目になってやっと私にもわかった。要するにこれは、1ランク上のホテルをオプションで注文したかどうかによる区別なのだ。つまり、私たちはケチったツアーにしたから、中信ホテルになっており、グレードアップすれば圓山大飯店になるというわけだ。

<中信大飯店は愛河のほとり>
 私たちが宿泊するのは中信大飯店の1108号室となったが、このホテルは愛河のほとりにある。そしてちょうど中信大飯店の前は愛河河浜公園となっている(写真1-5)。これはそれほど大きくないが非常に美しい公園で、高雄の若者に最も人気の高いデートスポットになっているとのこと。そのため、いつしか名づけられたのが愛河であり、「高雄といえば愛河」と言われるほど台湾人に親しまれているとのことだ。圓山大飯店は静かなところにあるものの、周辺に散策できるところはないとのことだから、グレードアップしないこの中信大飯店の方がかえってツアー客にはいいのでは・・・?これは決して負け惜しみではないヨ・・・。


10 高雄市内の夜の散策(10:30~11:00)

<夜の散策は?>
 中信ホテルの周りにはマクドナルドやセブン・イレブンの店がある(写真1-6、7)。呉さんの話によると、セブン・イレブンでビールを買えば台湾ビール(350ミリリットルの缶ビール)が32元とのこと。そこで、私たちは荷物をおいた後、散歩がてら外に出てブラブラと・・・。ビールを買いに出かけたのは他のツアー客も同じだったようで、何人かは店で顔を合わせて挨拶することに・・・。時刻は既に11時近くになっているため開いている店は少なく、私たち3人はセブン・イレブンでビールを買った後、写真を撮ったり公園の中を少しブラブラと歩いただけで夜の散策を終了してホテルへ戻ることに。しかし、ファミリーマートを「全家便利商店」と漢字表記するのは何ともうまいものだと感心!


11 フロに入って就寝(12:00)

 ホテルの部屋に戻ると、息子にはデジカメや携帯電話の充電作業の仕事が・・・。順次風呂に入り、翌日の準備をして就寝。私は眠ることはできたものの、寝る前に缶ビールを2個も飲んだため、夜中トイレに数回行くことに・・・。

1-1 六合二路の夜市の屋台での食材はこんなもの・・・

1-2 その種類と値段もこんなもの・・・

1-3 果物もいっぱいあるヨ!

1-4 串焼きの料理もいろいろと・・・

1-5 愛河公園と中信ホテルをバックに

1-6 中信ホテル近くにあったマクドナルド(麥當勞

1-7 ファミリーマート(全家便利商店)にてビールを購入・・・

2日目

第1 高雄市

1 起床・朝食・出発

(1)6:00起床 6:30~朝食(バイキング)

 中信大飯店での朝食はバイキング。洋・中折衷の料理を朝早くからタップリと食べた。その内容は、パン、ハム、ベーコン、サラダ、卵といったヨーロピアンスタイルの他、野菜や果物は中華風。そのうえスープにはなぜか味噌汁もあり、中華そばやお粥などもあった(写真2-1)。
 荷物をバスに乗せた後、ホテルの外へ出て、美しい愛河を写真撮影(写真2-2)。

(2)7:30中信大飯店出発

<興味深い呉さんの解説その5>
 中信大飯店から圓山大飯店へ向かうバスの中での呉さんの興味深いお話は次のとおり。
①ワタの木が高雄の市花。ワタの木には花が咲いており、美しいもの。しかし他方、ワタの実が飛散して料理店に被害が出ることもある。
②バイクの運転手はヘルメットをかぶる義務があり、違反した場合の罰金は500元。
③台湾は中国と合併するくらいなら日本と合併した方が良い。中国は日清戦争の時点まで台湾を全然管理していなかった。台湾は日本の領土と考えるべき。多くの年配の人は日本語を話しているほど親日的だ。
④台湾は60パーセントが仏教であり、道教もその中に入っている。

(3)8:00圓山大飯店へ<8名>合流

 圓山大飯店へ寄り8名が合流。そしてこの圓山大飯店で写真撮影。世界10大ホテルの1つに数えられる圓山大飯店は台北にもあるもので、ここ高雄の圓山大飯店は5階建てのこじんまりとしたもの。しかしその姿も堂々とした美しいもの(写真2-3)。もっともその内装設備のほどは知らないが・・・?


2 高雄市内観光その1ー澄清湖見学(8:10~8:20)

<澄清湖は西湖そっくり>
 ここはもともと灌漑用の小さな湖を蒋介石が飲料水・工業用水用に整備した人造湖。そして私が読んだガイド本には書いてなかったが、この澄清湖は蒋介石が中国杭州の西湖にそっくりに似せて造った湖(写真2-4)。もっともその大きさは西湖の8分の1だが、それでも湖に沿って一周する道は全長7キロメートルで徒歩約2時間とガイド本に書いてあった(呉さんの説明では4時間だが・・・?)
 昨年4月、杭州の西湖を訪れたときは、その大きさと美しさに息をのんだが、ここ澄清湖はこじんまりとした印象。そんな印象を持ったのは、現在この湖は底が浅くなってきたため底を深くする工事中とのことで、大規模な工事がされていたためかも・・・。また、ここ澄清湖には蒋介石の別荘があり(写真2-5)、今でもなお、蒋介石生存中につくられていた、イザという場合の脱出路として秘密の地下通路があるとのこと。もちろん呉さんをはじめ、その地下通路を通ったことのある観光客など誰もいないだろうが・・・?また蒋介石の別荘はあちこちにあり、台湾の観光地にはほとんどあるとのこと。さすが台湾の初代総統!
 また入口付近には水族館もあるが、1999年9月21日の集集(チーチー)地震で水が全部流れてしまったので改装中とのこと。

<中興塔は写真だけ>
 蒋介石の別荘の近くにあるのは中興塔。これは清代の宮廷様式で建てられた高さ47メートルの七重の塔だが、中に入っての見学はなく、澄清湖と一緒に写真撮影だけ(写真2-6)。


3 バス移動(8:20~8:50)

<興味深い呉さんの解説その6>
 ここでも博識の呉さんは、台湾の漢字についての知識をひとくさり。まず日本語と北京語との大きな違いは汽車と火車。日本の汽車のことを中国で「火車」と書くのは蒸気機関車は石炭を燃やして走るから。他方、乗用車のことを中国で「汽車」と書くのは汽油(ガソリン)で動く車だから。なるほど、なるほど。ちなみに中国語の「愛人」は配偶者のことで、日本語とは大違い!
 次に中国では、今略字が大はやりだが、台湾ではそれはダメ。学校の試験で略字を書くと×にされるとのこと。さらに中国でも台湾でも、次々と入ってくる外来語をどのような漢字で表現するかが大問題。次々とユニークな当て字が生まれている。ちなみに中国ではマクドナルドは「麥當勞」、ケンタッキーフライドチキンは「肯徳基」。面白いのは、台湾でカラオケをどう書くかというと「[上/下]拉OK」と書く。こりゃ説明を聞かなければわかるはずがない・・・。

<興味深い呉さんの解説その7 セブン・イレブン物語・・・?>
 台湾は日本と非常によく似ており、まちの雰囲気はホントに日本と同じような感じ!まちの中にはマクドナルドやモスバーガーもあれば、コンビニもたくさんある。台湾でのコンビニの代表はセブン・イレブン。呉さんの解説によると、セブン・イレブンはもともとアメリカの企業だったが、あまり業績があがらず、ある時日本の企業がこれを買い取った。そしてその際、セブン・イレブンの表示(ロゴマーク)を、大文字のELEVENから最後のNだけ小文字のnに変えた。これは大文字のNは、最後の画が天を向いているので、いいことが全部天に逃げていく。これに対して小文字のnは、下で止まっているため、いいことが逃げていかないという、最後の画の向きについてのちょっとしたこじつけによるもの。するとこの「狙い」がピタリと的中し(?)、以降セブン・イレブンは着々と業績を伸ばしてきたとのこと。ホンマかいな?この解説のすべてが正しいのかどうかは、よく調べてみなければ・・・?
 というわけで、ホントにインターネットでこれを調べてみると、呉さんの解説は1つの説にすぎないことがわかった。すなわち他にも①朝7時から夜11時までの営業形態が一目でわかるように、「7」と「11」を表す「SEVEN-ELEVEN」でアメリカで商標登録しようとしたが、適切でないと却下されてしまった。しかし、どうしても諦めきれないアメリカのセブン・イレブンの担当者が最後の「N」を「n」にして認可された、②1973年、アメリカのサウスランド社(今のセブンーイレブン,INC)とヨークセブン(今のセブンーイレブン・ジャパン)がライセンス契約を結んで日本に持ち込まれ、現在も使用されているが、ロゴマークを製作した担当者がもういないので、なぜ小文字の「n」にしたのかわからない、③単なるデザイン上の必要のため、等の各説がある。そしてインターネット上のオチ(?)では、「おお!セブンーイレブンの謎を解くつもりが、よりいっそう謎が深まったではないか!だけれど、少しばかり謎めいている方が、世の中面白い。映画「タイタニック」のラストシーンで、年老いた女性が言うように。「女って、海のように秘密を持っているの」と。(バーバラ・アスカ)」と書いてあった。ジャン!ジャン!


4 高雄市内観光その2ー蓮池潭と龍虎塔見学(8:50~9:25)

 2番目の観光地は、蓮池潭と龍虎塔。この蓮池潭という湖は、日本統治時代に造られた湖で、高雄市民の水源の1つだったが、現在は飲み水としては使われていないとのこと。ここには龍虎塔と呼ばれる七重の塔がある(写真2-7)。まず、つづら折りの橋があり、その橋の下部には三国志などの絵巻物が色鮮やかに描かれている(写真2-8)。これをゆっくりと歩いていくと、龍虎塔への入口がある。ここでは、左の龍の口(写真2-9)から入り、塔の見学を終えた後、右の虎の口(写真2-10)から出てくると良いことがあると言われているため、ツアー客はちゃんとその教えにしたがって行進(?)。
 今は、新しいお寺に建て替えるべくお金を集めているとのことで、龍虎塔を写した1枚の写真をもらうのとひきかえに(?)1人10元ずつお賽銭の中へ。龍の口から中に入ると、通路の左右には親孝行の絵、英雄豪傑の絵、さらには地獄の絵などがいっぱい(写真2-11)。龍虎塔の上には登らず、美しい景色を写真撮影してバスの中へ。

ーバス移動(9:25~9:40)ー


5 高雄市内観光その3 三鳳宮見学(9:40~10:00)

 ここ三鳳宮は、一輪車を発明し、9歳で亡くなった子供を祀ったお寺(写真2-12)。そのためここは交通安全の神さまということになった。ここでの呉さんの解説は、龍の足の指の本数。それによると5本は皇帝。4本はお寺、3本は平民とのことで、ここはお寺だから4本とされているとのこと。そして平民が4本、5本を使うと首が飛ぶらしい。ホンマかいな?
 またここでは、六角に折った紙を香の上で3回まわして霊を入れると交通安全のお守りになるとのこと。ここでもらったそのお守り(写真2-13)は、帰国後、数日間は私の財布の中に入っていたが、もともと信心のない私の財布からはいつしか消えていた・・・。

ーバス移動ー


6 高雄市内観光その4 寿山公園(10:00~10:35)

 高雄市内最後の見学地は、もと高雄神社と呼ばれていた寿山公園。ここは入口の門に大きく忠烈祠と刻まれ(写真2-14)、また「大東亜戦争完遂祈願」と刻まれた大きな石碑が建てられている(写真2-15)ことからわかるとおり、あの「大東亜戦争」での死者の霊を祀っている神社。この寿山公園の周りに住んでいる人は、年配者が多く、ここを訪れる日本人も多いとのこと。そしてこの公園の中には野外カラオケがたくさんあるが、そこで歌われるカラオケ曲も演歌が多いとのこと。私たちもここを散歩している年配の日本人に出会ったが、この人は気候がいい今の時期の3カ月ほどはいつも台湾に住んでいるとのこと。神社の中に入ると、四方に写真とその解説が展示されており、これによって中華民国の建国や日中戦争の勃発の契機となった蘆溝橋事件などの様子、そして蒋介石総統誕生等の近代の歴史がわかるように工夫されている(写真2-16)。こういう歴史の流れを今の日本人の若者は一体どの程度理解しているのだろうかと思うと、思わずゾッとする思いが・・・。

ーバス移動ー(10:35~10:45)ー


7 高雄市内民芸品の店(高雄百貨公司)へ(10:45~11:25)

 以上で高雄市内の観光はすべて終了し、ツアー旅行恒例(?)の民芸品の店へ。バスの中で呉さんが宣伝したのは、高雄はサンゴ、特に赤サンゴの産地ということ。また翡翠についての説明もひとくさり。安いのは500円ぐらいからあるが、高いのは10万円~20万円もするとのこと。しかし、翡翠の本場(?)は、何といっても昨年11月28日~12月5日に私が旅行した中国の雲南省にある西双版納(シーサンパンナ)。そこでは、中国人民元で600元~1500元(1~2万円程度)で結構立派なものが売られていたから、それに比べるとここ台湾は高いというイメージなので買う気にならず。蓮の実、干マンゴ、メンマ、干パインなどを試食しながら店内をざっと一回りしただけで終了。そして店内に飽きて外に出ると、そこには愛河茶舗という新鮮なジュースを販売している店があったので、試しにタピオカミルクティーを注文。500ccの生絞り新鮮ジュースが1杯30元(100円強)なり。これはおいしかったヨ・・・。


8 バスで台南へ出発(11:25~12:40)

<台南というまちは?>
 いよいよこれで高雄を後にして、次は長駆、台南へ。高雄から台南へはバスで1時間余りの距離だ。車中での呉さんの説明によると、台南市は人口70万人で、台北、高雄、台中に続く4番目に大きい市だが、台湾でもっとも古い街であり、「台湾発祥の地」とされている。それはなぜかというと、台湾は今から約350年前に鄭成功に連れられて中国の福建省から渡ってきた人たちによってつくられたため。そんな話を聞きながら半分ウトウトしていると、バスはいよいよ台南市内へ。

 高雄は新しく近代的な都市であるのに対し、台南は古いまち。したがって建物も古くその高さも低く、道路も広くない。日本でいえば、奈良や京都に相当するまちだ。もっとも、古い一戸建ての建物は最近建替えが進んでおり、建替えると高層の近代的な建物に変わっているとのこと。                                              

2-1 中信大飯店の朝食のバイキング

2-2 美しい愛河を写真撮影

2-3 高雄の圓山大飯店の全景

2-4 西湖そっくりの美しい澄清湖

2-5 蒋介石の別荘はこんなもの・・・?

2-6 七重の塔の中興塔をバックに

2-7 龍虎塔と呼ばれる七重の塔をバックに、つづら折りの橋上にて

2-8 つづら折りの橋に描かれた色鮮やかな絵巻物

2-9 左の入口にある巨大な龍

2-10 右の出口にある巨大な虎

2-11 入口通路の左右に描かれたいっぱいの絵

2-12 三鳳宮の全景

2-13 香の上で3回まわした交通安全のお守りを右手に

2-14 忠烈祠入口の門にて

2-15 「大東亜戦争完遂祈願」と刻まれた大きな石碑

2-16 神社の中に掲げられている、近代中国史を語る数々の写真

第2 台南市

1 台南市内観光その1 延平郡王祠見学(12:40~1:00)

<君は鄭成功を知っているか?>
 台南の第1の見学地である、ここ延平郡王祠は鄭成功とその一族を祀って1662年に建てられたもの(写真2-17)。ガイド本によると、これは日本統治時代に改修されたが、1963年に建て直され、以前の様式に復元されており、建築様式は台湾では少ない福州式の廟建築とのこと。
 ところで、君は鄭成功を知っているか(写真2-18)?また『国姓爺合戦』を知っているか?呉さんの解説は史実(?)に基づいた詳細なもの。すなわち
①鄭成功は今から約380年前に、日本の平戸で生まれた人物で、父親は漢民族の鄭芝竜だが、母親は日本人の田川松。
②鄭成功は成長して明の将軍になったが、明は清王朝に滅ぼされたため、鄭成功は台湾に逃亡した。
③当時台南にはオランダ人が住んでいたが、鄭成功はこのオランダ人を破って台湾を中国に取り戻し台南に移り住んだ。
④その結果、オランダ人は台北に移り住んだ。
⑤鄭成功はその2年後、38歳のときにコレラで死亡した。
⑥鄭成功の子供の鄭経がその後を継ぎ、その後オランダ人を完全に追放した。
 そして、これは基本的には私がもっている知識の範囲内の内容。

<映画『国姓爺合戦』を勉強しよう!>
 私がなぜ鄭成功や『国姓爺合戦』を知ったかというと、それは映画『国姓爺合戦』(01年)を観たから。そしてその映画評論を書くためにかなり勉強したから。「抗清復明」のスローガンを掲げて清と戦い、そして「台湾解放」のスローガンを掲げてオランダと戦って台湾を解放した鄭成功の英雄的な生涯は、実にドラマティックで面白く興味深いもの。日本で近松門左衛門が『国姓爺合戦』を書いたのは彼が63歳の時。そしてそれが大阪竹本座で初演されたのは1715年のこと。これらの詳細については、『坂和的中国電影大観 SHOW-HEYシネマルーム5』155頁を是非参照してもらいたい。読んだらホントに面白いよ!

-バス移動(1:00~1:10)-


2 昼食 台南大飯店(1:10~1:45)

 今日の昼食は「台南大飯店」の中にあるレストランでの飲茶料理。焼売や春巻きなどの包み物各種は1人1個ずつだが、メンとスープ(タマゴ入り)、海老とハムのチャーハン、ホウレンソウの炒めもの(ニンニク入り)などもタップリあり、今日も満腹、満腹!

-バス移動(1:45~1:50)ー


3 台南市内観光その2 赤嵌樓見学(1:50~2:25)

<赤嵌樓とは?>

 これも映画『国姓爺合戦』に登場していたもので、1653年当時台南を占拠していたオランダ人が、民衆が蜂起することを恐れて築いた要塞(写真2-19、20)。そしてこれは台南で最古の歴史的建造物となっている(写真2-21、22)。オランダ人は髪の毛が紅いから紅毛人と呼ばれており、この要塞も紅毛城(プロビデンシア城)と呼ばれるオランダ式要塞だったとのことだが、今は、赤レンガでつくられた要塞の一部が残っているだけ。17世紀の建造物を見て、当時の鄭成功VSオランダの戦いに思いを馳せるのも楽しいものだ。                                              

2-17 鄭成功を祀る延平郡王祠の入口

2-18 鄭成功と坂和弁護士

2-19 剣をもって闘う鄭成功の石像

2-20 赤嵌樓入口にて

2-21 17世紀当時の歴史的建造物である赤嵌樓

2-22 17世紀当時の歴史的建造物である赤嵌樓

第3 台中郊外

1 バスにて日月潭へ(2:30~5:20)

<台南から台中郊外の日月潭へ>
 台南での2カ所の見学を終わり、今度は台中郊外の景勝地にある日月潭の見学へ。台南から日月潭まではバスで高速道路を走って3時間30分。2時30分に台南を出発だから、途中トイレ休憩を含めて6時頃の到着予定。しかし、時間が遅れたり霧やモヤが出ていたら肝心の日月潭湖の美しい景色が見れないかも・・・?そんな不安を抱えながらバスの中に・・・。


2 呉さんの興味深い解説あれこれ

<興味深い呉さんの解説その8>
 まずは、高速道路を順調に走っている時の呉さんのお話。台湾の高速道路は「快速公路」と呼ばれ、1本目の高速道路が完成してから28年が経つ。この高速道路の制限速度は時速110キロメートル。そして2本目の高速道路が使用されてからまだ1年目だが、この制限速度は時速120キロメートルとのこと。台中が亜熱帯地域であるのに対し、台南は熱帯地域にある。したがって高速道路の周辺はパイナップル畑、キャベツ畑などの農村地帯となっており、スイカ、ネギ、アスパラなど砂地に適した作物がとれる。また米は三毛作、サトウキビの栽培は時期を含めて許可制となっており、年間を通じて平均出荷量を確保されている。台湾のサトウキビは緑色で硬くて直接食べられず、沖縄産などとは別だとのこと。また台湾はウナギの養殖池が多く、日本のウナギの80%は台湾産とのことだ。

<興味深い呉さんの解説その9>
 途中ドライブスルーでトイレ休憩をした後、いつの間にかバスは高速道路を降り、日月潭へ向かう急な坂道を曲がりながら進んでいた。日月潭に近づいたところでの呉さんの解説は、300年前に植えた台湾最大のお茶の木があるとのことで、これを見物。その左右には、後に解説する檳榔(ビンロウ)の木が。ここの檳榔(ビンロウ)が最もおいしいとのことだ。


3 途中檳榔(ビンロウ)売りのお嬢さんを・・・

<檳榔(ビンロウ)とは?檳榔(ビンロウ)売りとは? >
 バスが出発した途端、呉さんが、「皆さんコーヒー好きですか?」と質問してきた。当然みんなが「イエス」と答えると、「檳榔(ビンロウ)売りの店で缶コーヒーを買ってプレゼントします」とのこと。檳榔(ビンロウ)とは、ビンロウの木になる実のことで、これには覚醒作用があり、ニコチンやカフェインと同じようなドラッグだが、違法性はないもの。そして檳榔(ビンロウ)売りとは、その檳榔(ビンロウ)の実あるいはタバコや缶コーヒーそして缶ジュース等を売っている小さな店のこと。

<檳榔(ビンロウ)小姐の登場!>
 呉さんの説明によると、最近車のドライバーをターゲットとして、派手なネオンのイルミネーションで店を目立つようにし、ほとんど下着姿同然の若い女性に、缶コーヒー等を販売させる店が増えてきたとのこと。昔は老人たちが店の番をしていたところ、ある店がそういうやり方で缶コーヒー等を売るとそこにドライバー達が殺到した(?)ため、「われもわれも・・・」となったらしい。そして、缶コーヒー等を売る若い女の子の服装も、その競争の中で次第に薄く過激になり、今やシースルーやランジェリー姿は当然のようになったとのこと。そして、これを「檳榔(ビンロウ)小姐」と呼ぶことも、帰国後インターネットを調べてはじめてわかったこと。たかが缶コーヒー等を売るだけのことだが、ドライバーの男たちに「目の保養」をさせるサービスによって、他と差別化して売上げを伸ばそうという戦略だが、さすが漢民族は商売上手・・・?もっともこの手の「商売」は、規制のゆるい台南では黙認されているものの、規制のきつい台北では御法度とのこと・・・?百戦錬磨のガイドである呉さんは、立ち寄った檳榔(ビンロウ)の店では、わざわざ女の子に缶コーヒーを入れた袋をバスの中まで届けさせたので、バスの一番前に座っていた私は、このほとんど下着姿の若い女の子の姿をパチリパチリと・・・?(写真2-23、24)


4 台中郊外の日月潭湖畔・文武廟観光

(1)日月潭湖見学(5:20~5:25)

<美しい日月潭湖>
 普段の心がけが良いせい(?)か、バスは予定より早く5時10分頃日月潭湖に到着した。この日月潭湖は、周囲36キロメートルの人口の湖で、湖内には遊覧船もあり、丸1日観光できる台中最大の景勝地。
 この日月潭はもともと小さい湖だったが、1915年から1945年の日本統治時代に日本人技師ハタコウスケ氏の設計によって大きくされ、台湾最大の湖になったとのこと。この湖は渇水対策のための水源とされたものだが、後には水力発電所も造られた。そしてこれは揚水型で台湾で最も古い水力発電所とのこと。ここでも呉さんの日本びいきぶりが(?)が存分に発揮されていた。またこの付近は後記の1999年9月21日の集集(チーチー)地震の時に最も被害が大きかった地区で、山頂が15メートルも移動したとのこと。
 時間的余裕のない私たちは、日月潭湖の周りをバスで周りながら これを見学しただけ。しかし霧もモヤも出ず、この時間帯で全体をしっかりと見学することができたことは実にラッキー。そして次の見学地である文武廟へ。

(2)文武廟見学(5:25~6:00)

 ここ文武廟は孔子を祀っているところ(写真2-25)。入り口には左右に巨大な獅子があり、武聖殿には岳飛と関羽が、大成殿には孔子が祀られている(写真2-26)。そして武聖殿の前には玉を追う九龍が彫られた巨大な石盤がある(写真2-27)。
 呉さんの説明によると、孔子の銅像は世界に2つだけあり、1つがここ、そしてもう1つが北京にあるとのこと。その巨大な規模にビックリ。孔子は今から2550年前、紀元前550年頃の人物で、「先生の先生」として中国で最も尊敬されている人物。したがって、孔子の誕生日である9月28日は先生のお休みとなっているとのこと。他方、関羽は三国志で有名だが、各地に関帝廟があり、そこに関羽が祀られている。それはなぜか?意外にも関羽は算盤を発明した人物であり、商売の神サマとして祀られているとのこと・・・?さらに孔子の隣には孟子が祀られており、「孟母三遷」のお話や「賢い72人」のお話もあったが、細かい話はもう忘れてしまった・・・?

ーバス移動(6:00~6:20)ー


5 牡丹荘藝品にて買い物と夕食(6:20~7:25)

<観音サマは男か女か?>
 バスの中での呉さんの面白い解説の1つに、「観音サマは男か女か」という話があった。これは「龍の足の指は何本か?」というのと同じ類の話で、冗談半分ながら深い学識に裏付けられたもの。観音サマもたくさんいるが、結論から言うと観音サマは「男」ということだ・・・?
 他方、台南は黒タンの名所で、これは値打ちがある。そして、台北、台中で買うよりもここで買うのが一番安い。大きなものは日本まで運んでくれるというのが呉さんの話。私はその手の民芸品にはほとんど興味がないので聞き流していたが・・・。
 こんな話を聞いているうち、バスの中でオーディオマニアの息子が、「観音サマはヴィジュアルとオーディオだから、東京に行くについて、小さな観音サマを持って行ってもいいナ」という話になった。

<夕食の店は民芸品販売の店!>
 時間も6時をすぎ、辺りが暗くなってきたところで文武廟の見学を終了。これから夕食だが今日の夕食は台湾家庭料理。そしてこの夕食の店は同時に民芸品販売の店。そこで、前記のような会話をしていた私たちは、夕食の前に民芸品店に入ると「観音サマはありますか」と質問。すると店の人たちは当然いろいろな商品を見せてくれた。その結果、黒タンの観音像15000円を購入することになったうえ、さらに黒タンの鶴セット4500円、そして台付きの布袋様12万円も購入することに・・・(写真2-28)。

<今日の夕食はおいしい台湾料理>
 ここで食べたのは台湾家庭料理。最初に出てきたのは何とおにぎりで、これにはビックリ。続いてキャベツの辛子ソース和え、豆腐のあんかけ、里芋の春巻き、イカ団子、タクアン、シナチク、味噌汁、焼きビーフン、海老の皮つき揚げ、酢豚、野菜炒め等多数。春巻の皮はサクサクと揚げたお菓子風の甘いもので、巻くというよりはさむという感じ。そして味噌汁には豆腐、ネギの他何と油揚げが入っていた。これらはすべて日本人の口に合うもの。すごくおいしくて、大感激!


6 バス移動─日月潭湖から台中市へ(7:30~8:40)

<やっぱり俺は晴れ男!>
 ①5時10分から日月潭湖と文武廟を見学し、②豪華なお土産を購入し、③6時20分からビールを飲みながらおいしい台湾家庭料理を食べた私たちは、今日の日程をすべて終了した。そして7時30分、いよいよこれから台中市内へ。台湾では人口が120万人を超えると直轄市になるが、今の台中市の人口は93万人。直轄市は現在台北市と高雄市だけ。そこで台中市は直轄市にするため、面積を増加してもらうべく政府に申請中とのことだ。市内へはここからバスで1時間40分とのこと。バスに乗り込むとすぐに、バスのフロントガラスが少しずつ濡れてきた。そう思っているうちに次第に雨足が強くなり、台中へのバスの中はかなりの雨。「バス移動中の大雨、小雨はオーケー」と予測したとおりの展開に思わずニンマリ・・・。やっぱり俺は晴れ男!

<興味深い呉さんの解説その10 台湾バナナのお話>
 車中で半分ウトウトしながら聞いたここでの呉さんのお話は、台湾バナナの話。これは、台湾家庭料理の店でおみやげに台湾バナナを1本ずつもらったことがきっかけだが、その解説は、バナナには次の4種類があるという詳細なもの。息子のメモを手がかりにそれを再現すると次のとおりだ。すなわち、
①熱帯区(台南)バナナ 大きくて長い。輸出向け。青いのをとって船に載せる。
②台中などでとれるバナナ 実が小さい。とって1週間ですぐ食べられる。
③モンキーバナナ 台湾のは太くて大きい。④赤皮バナナ 色はりんごっぽい。「リンゴバナナ」という。改良品種。

 台湾ではバナナは10カ月くらいで実がなり、年中収穫可能とのこと。ホントに何でもきちんとメモしておけば勉強になるお話だ。                                             

2-23 檳榔(ビンロウ)売りの小さなお店

2-24 「檳榔(ビンロウ)小姐」はこんなシースルー姿!

2-25 日月潭にある巨大な文武廟をバックに

2-26 北京とここにしかない孔子の銅像

2-27 玉を追う九龍が彫られた巨大な石盤

2-28 黒タン製品を中心とした「牡丹荘藝品」内の商品

第4 台中市

1 全国大飯店着(8:40)<8名下車>

 今日は8名の「上級クラス」のツアー客を先に全国大飯店で下車。ここは特に写真を撮るほどの有名なホテルではないので、下車後即出発。


2 中信大飯店着(9:05)<11名>

 私たちは今日も中信大飯店。1309号室と聞いたから13階かと思ったら、そうではなく単なる3階。今日は、妻はバスの中、特に日月潭への山道をカーブしながら登っていったためか、車酔いをして疲れたため周辺散策を断念し、先に風呂に入って寝ることに。しかし私と息子は元気いっぱい。首からカメラをぶら下げた変なオヤジと変な息子がそろって台中の夜のまちの中へ・・・。


3 ホテル周辺散策(10:30~11:30)

<夜のまちの散策は楽しみがいっぱい!>
 今日は昨日の夜よりも時間がタップリあるうえ、まち中のホテルだから、どこまででも歩いていける。もっとも、明かりがついているのは屋台が多いため、どんなものを売っているのかのぞき込みながらブラブラと。その中で完全な日本料理の店も発見(写真2-29)。さらに若い女性がイスに座って何やら怪しげなモノ(?)を売っている姿を発見。周辺を回りながら何を売っているのか聞こうとしたが、タイミングをつかめないまま・・・。しかしその女性の写真だけはしっかりと(写真2-30)。さらにマクドナルドの店では坂和弁護士もついはしゃいで、ハイポーズ(写真2-31)。息子が興味を示すのはビデオやDVDのショップ。最近公開された映画のDVDをそこで発見すると、何となくうれしくなるから不思議なもの・・・(写真2-32)。

<中央分離帯で立ち往生>
 夜のまち散策中の傑作は、写真2-33。台湾は中国と同じく車優先社会(?)で、信号のあるところはいいものの、信号のないところでは自己責任(?)で道路を横断すべきものとされている・・・?夜のまちを散策中、大きな道路を横切るについて、私たちは次の横断歩道まで行くのは面倒とばかり道路を横切ったものの、信号が変わり反対車線から車が次々と進んできたため、私たち父子は狭い中央分離帯のコンクリートの上で立ち往生。しかし、そこでじっと待っているのもしゃくにさわるので、その狭い中央分離帯の上で撮ったのがこの写真。交通違反もいいところだが、これはちょっと傑作・・・?

<おみやげは素肉乾>
 お茶や素肉乾を売っている明るいみやげ店があったので、その中に入っていろいろ物色していると、おばさんが声をかけてきた。身振り手振りでいろいろとやりとりをして、結局ここで購入したのが素肉乾。例によって(?)私は、2つ買えば〇〇円に、3つ買えば○○円にならないかと値段交渉(?)したが、結局無理。そこで仕方なく、商売上手かつ頑固な(?)おばさんと一緒にハイポーズ(写真)。

<1杯15元のスープを2人で>
 約1時間ほどブラブラ歩いた私たちが、帰り道のホテル近くの小さな店でメニューをみていると、「どうぞ、どうぞ」と勧誘された。お腹いっぱいだと説明(?)しながらもスープくらいだったらと思い、2人で15元の豆腐湯を1杯だけ注文して中のテーブルへ(写真2-35)。ここは家族で経営している小さな店のようで、中には小学生くらいの可愛い女の子の姉妹が遊んでいた。私たちがスープの写真を撮っているのを珍しそうに見ていたので、その女の子の1人を一緒に写真に撮るともう1人も・・・。その写真が写真2-36。


4 フロに入って就寝(12:00)

 今日もよく移動し、よく見学し、よくメモし、よく食べたものだと、自分で自分を誉めてやりながら就寝。きっと今日もグッスリ眠れることだろう・・・。

2-29 台中市内の夜の散策で発見した日本料理の店

2-30 夜の散策で発見した、怪しげなモノを売る怪しげな女性

2-31 夜の散策ではしゃぐ坂和弁護士

2-32 ビデオショップにて

2-33 中央分離帯で立ち往生する坂和弁護士

2-34 値切り負けたお店のおばちゃんとハイポーズ!

2-35 1杯15元(約50円)の豆腐湯を

2-36 お店の可愛い女の子と仲良く並んで、ハイポーズ!

3日目

第1 台中

1 起床・朝食・出発

(1)6:30起床 6:50~朝食(バイキング)

 今日の朝食は1日目と同じ中信大飯店(チェーン店)でのバイキング。ハム、スクランブルエッグ、ハッシュポテト、サラダ、等の普通の品に加えて、チンゲンサイのいためもの、骨つきブタ肉のいためもの、ブタとジャガイモのスープ、2種類の包(パオ)、おかゆ、などがいっぱい。また、野菜や果物には名称不詳(?)の不思議な味のするものも数種。そして、なぜかBGMには『川の流れのように』や『贈る言葉』など日本人向け音楽が・・・。
 今日は昨日よりも30分余裕がある日程。私と息子は2日目の朝と同じくタップリと朝食をとり、スタートの準備は万端。もっとも妻は昨日車酔いをしたことの反省の上に、朝食をあまり食べなかったが・・・。

(2)8:00 中信大飯店出発<11名>

(3)8:25 全国大飯店到着<8名合流>

ーバス移動(8:25~8:35)ー

<反国家分裂法制定の波紋は・・・?>
 今日ホテルでもらった台湾の新聞によれば、昨日14日、中国の全人代で反国家分裂法が全会一致で採択されたことが報じられている。これは事前に確実視されていたとおりの結果だが、「やはり!」という感じ。3月26日に予定されている50万人規模のデモは100万人にふくれあがるだろうとも。この報道を受けて呉さんのガイドも、台湾は中国とはほとんど関係ないと朝から力説!「反国家分裂法に反対。中台戦争があれば第3次世界大戦」「中台合併で最も影響を受けるのは日本。なぜなら、台湾海峡を通ることができなくなるから」とかなり過激!はじめて台湾旅行に来た時にちょうどこんなタイムリー(?)な話題に出会えたことは幸運・・・?でも3月26日のデモの当日を旅行日としていたら、一体どんなことになるのだろうか・・・?


2 台中市内観光 宝覚寺見学(8:35~9:05)

<台湾は日本と同じ温泉国そして地震国!>
 台湾には温泉がたくさんある。ということは地震もあるということだ。ところがツアー客の1人は、「台湾にも地震があるの?」とノーテンキな質問を。これに対して呉さんは、ちょっとムキになって(?)「ありますヨ!阪神大震災以上の地震が台湾にもあったんです」と解説(?)した。
 そう1999年9月21日に台湾を襲った大地震はマグニチュード7.6の巨大なもので、台湾の中部に大きな被害を発生させた集集(チーチー)地震と呼ばれるもの。自己チュー(?)の多くの日本人はこの集集地震を知らないが、私は金城武と梁詠琪(ジジ・リョン)が主演した台湾の純愛映画『ターンレフト ターンライト』(03年)を観たから、この地震のことはよく勉強して知っている。

<宝覚寺は大きな被害>
 ここ宝覚寺(写真3-1)は集集地震によって大きな被害を受けたとのことで、今でもその生々しい被害が至るところに残っていた(写真3-2)。昨日見学した日月潭の文武廟では、柱にひびが入ったりしたものの、孔子を祀った文武廟の被害はほとんどなかったとのこと。そして呉さんの解説によれば、これは神サマ(?)のおかげとのことだが、現実主義者の私としてはこれだけは同意できない・・・?

<宝覚寺の名物(?)は巨大な布袋さま>
 宝覚寺の名物は満面の笑みを浮かべた巨大な布袋さま(写真3-3)。ガイド本には「そのお腹の中は民俗資料館になっており、おヘソの部分からは台中市内が望める」とい書いてあったが、残念ながらその見学はなし。

<霊安故郷の見学>
 ここ宝覚寺には、1990年に建立された英魂観音亭がある(写真3-4)。これは、台湾の前総統である李登輝さんの提唱によってつくられた旧日本軍人の遺骨安置所であり(写真3-5)、ここにはたくさんの日本軍人の英霊がまつられている(写真3-6)。石碑にその由来が詳しく書かれており、寄付をした人々の名前も刻まれている(写真3-7)。ここでは、元日本海軍兵曹長という年配の日本人がおり、彼は自発的にパンフレットを配り、日本人ツアーに対してこの観音亭の説明をしていた。私たちツアー客は、この英魂観音亭の継続を願って、1人10元ずつお賽銭箱へ・・・。


3 バス移動(台中から台北へ)(9:05~11:30)

<次々と過激発言が・・・?>
 このバスの中でも呉さんの政治問題についての過激発言が次々と・・・。それは、「中国と台湾では、中国の都市部はともかく農村部では差がある。したがって、中台が合併すると台湾が経済的に苦しくなる」「中国は共産主義国なので台湾には合わない」「人口比、面積比からいって長期戦争になれば台湾が負ける。戦争はしない方がよい。もし戦争すれば、米、日とも出てくる。台湾としては、上海、北京、三峡を攻撃する。短期間(1カ月程度)なら屈しない」という過激なもの。さらに呉さんは陳水扁総統支持派であり、3月26日には自分もデモに参加したいとのことだ。また、蒋介石は香港→イギリス→アメリカに、毛沢東はソ連に、周恩来はドイツに、それぞれ留学したことが、この3人のその後の政治的方向性を決めることになったという呉さんの解説だったが、これ半分はホント、半分は推測・・・?

ートイレ休憩(10:25~10:35)ー

ーバス出発 台北着(10:35~11:30)ー

3-1 宝覚寺入口にて

3-2 1999年9月21日の集集(チーチー)地震による被害のつめ跡が至るところに

3-3 宝覚寺名物(?)の巨大な布袋さまをバックに

3-4 1990年に建立された英魂観音亭

3-5 ここには日中戦争や太平洋戦争で戦死した旧日本軍人の英霊が・・・

3-6 英霊の石碑の前にはお花が・・・

3-7 李登輝氏の呼びかけに応じて寄付をした人たち

第2 台北

1 台北市内に到着(11:30)

 台北市は人口270万人で台湾No1の大都市。ちなみに台北県全体では300万人。台北市の1つ手前が三重市だが、三重市には中小の工場があり、もっとも治安が悪いところとのこと。その三重市のとなりは板橋市。このように台湾では日本統治時代につけられた名前がそのまま使われているものが多い。


2 台北市内見学1-孔子廟(11:30~12:00)

 台北市に到着した後、午前中の台北市内の見学は、孔子廟のみ。ここには孔子の銅像などはないものの、孔子をはじめ顔子、曾子、孟子の4賢人も祀られている。また、赤色を基調に建てられた落ちついた雰囲気の立派な建物で、とりわけ屋根の装飾は見事なもの(写真3-8)。この孔子廟の見学は簡単に終わり、続いてお昼の楽しみのジンギスカン料理へ。

ーバス移動(12:00~12:10)ー


3 「蒙古鍋」にて昼食(12:10~1:10)

 この店でのジンギスカン料理は、各自が牛、トリ、豚、羊の4種類の肉と各種の野菜を大皿にとり、これにしょうゆ、酒、ニンニク等の調味料をかけたものを従業員に渡し、従業員が専用の巨大な鉄板の上でこれを焼いてお皿に戻してくれるというやり方(写真3-9)。もう1つは日本のしゃぶしゃぶと同じで、テーブルの上にコンロがあり、その上にお湯の入った鍋がのっているので、ここに各自が自由に肉や野菜を入れてしゃぶしゃぶとして食べるもの。その他にもバイキング方式でのおかずがたくさんあるため、目移りして大変。今日もまた、昼間からたらふく食いすぎてしまった。

ーバス移動(1:15~1:35)ー


4 台北市内見学2-国立故宮博物院(1:40~3:40)

<台湾の故宮博物院への期待!>
 故宮博物院は、事前のガイド本の勉強によって、すごい展示がされていると思ったし、呉さんの「世界4大博物館の1つ」という解説を聞いても、どんなにすごいものかと期待に胸を膨らませて見学に赴いた(写真3-10、11)。しかし結果は・・・?残念ながら大きく期待外れ!ここ故宮博物院に収められているのは、中国の明朝と清朝の宮殿であった紫禁城に収められていた中国皇帝の膨大なコレクションのうち、蒋介石の国民党政府によって中国本土からここ台湾へ移送されたもの。台湾へ移送されたのは約4分の1の品物だが、それでもその物は70万点。そしてそれらは選りすぐりの品物ばかりといわれているため、大いに期待したのだが・・・。

<期待外れの故宮博物院>
 期待外れの第1は、その規模(の小ささ)。もちろん小さくはないのだが、やはり北京の故宮博物院や西安の陜西歴史博物館と比べればその規模の大きさは全然違うもの。
 期待外れの第2は、展示品の小ささ。展示されている品々は貴重なもので、その美しさや細工には目を見張るものがあるが、基本的にすべて「小物」ばかり(写真3-12)。有名な「毛公鼎」という青銅器の鼎や「青花花卉 空花薫」、「鈞窯 丁香紫尊」という壺、あるいは歴代皇帝の印鑑(玉璽)等、それぞれの解説を聞きながら見学すれば、それなりに素晴らしいものだが、私は基本的にこういう昔の骨董品や美術品にはあまり興味がない。だから、そういう作品がズラリと陳列台の中に並べられていても、フンフンと見て回ればそれで終わり。

<なぜ、小物が多い?>
 それにしても、なぜこの故宮博物院の陳列台には小物が多いのか?それは考えてみれば当たり前のこと。すなわち、日中戦争の終結当時、南京に集約されていた収蔵品を蒋介石の国民政府が南京から台湾に運び込むについては、小さくて価値のあるものを優先して運び込んだからだ。したがって、値打ちがあっても大きいものは運び込めないまま、今は北京の故宮博物院(紫禁城)に残っているというわけだ。ガイド本によると、「4分の1とはいえ選りすぐりの文物ばかりで、北京よりも評価が高い」と書いてあるが、さてその真偽のほどは・・・?だって、『なんでも鑑定団』のように、すべての収蔵品を現実に鑑定して、その価格をトータルしたうえでこれを比較した人など誰もいるはずがないのだから。

ーバス移動(3:40~4:00)ー


5 台北市内見学3ー衛兵交代見学(4:00~4:20)

<衛兵交代は一見の価値あり!>
 台北市の北部、圓山方面にあるここ忠烈祠は、故宮博物院の南西に位置している。圓山大飯店はすぐ近くだ。ガイド本によると、この忠烈祠は、抗日戦線や国民党政府のために命を落とした軍人などの英霊を祀るため、1969年に創建されたという巨大な建物(写真3-13)。そして本殿の両脇にある殿閣内には、英霊の写真や国民党の主要な戦いの模型などがあるとのことだが、時間の関係上私たちがここで見学するのは、有名な衛兵の交代の儀式のみ。正門前の衛兵と本殿前の衛兵は1時間に1度交代の儀式が行われる。まず驚いたのが、正門の前に立っている2人の兵士。ピクリとも動かないのはもちろん、目の瞬きさえしない(写真3-14)。写真撮影は自由だが、兵士の身体や銃に触れることはもちろん厳禁。思わず、面白いことをしゃべって笑わせようかといういたずら心が湧いてくるが、それも慎んだ方がよい。指揮官(?)を先頭に4名の兵士が正門から本殿までの石畳の上を行進し(写真3-15)、2名が本殿で交代。そして正門に戻り、ここでまた2名が交代(写真3-16)。この間約20分だが、そりゃ見事なもの。1度見学する価値あり!

<思わず思い出した『大閲兵』>
 衛兵の行進とその交代の儀式を見学して思い出したのが、映画『大閲兵』(85年)。これは1984年に『黄色い大地』で衝撃的なデビューを飾った陳凱歌監督の第2作目の映画。タイトルからわかるとおり、これは1984年10月1日の「国慶節」の日に行われる、中華人民共和国の建国35周年を祝う、天安門広場での閲兵式に参加する空輸部隊の若者たちの姿を描くもの(『坂和的中国電影大観 SHOW-HEYシネマルーム5』69頁参照)。閲兵を受けるのは96歩、時間にしてわずか1分足らずの行進だが、そのための集団訓練は苛酷を極めるもの。しかしここに参加することは、体力、知力の優れていることが条件だから、当然エリートになることが保証されるもの。しかし、ホントにその苛酷な訓練に耐え、見事に「大閲兵」できるのかどうかがこの映画の見どころ。
 台湾の、ここ忠烈祠の衛兵は、陸軍から選抜されたエリート。身長は175~195センチメートルと限定されているうえ、体力はもちろん、頭も良くなければこんな仕事(?)は到底ムリ。そのうえ多分、容姿端麗という絞りもあるのでは・・・?


6 バス移動(4:20~4:30)
 バス移動中、508メートル、101階建の、現時点で世界で1番高いビルである、「台北101」(台北国際会館センター)を市内から見学。都市問題を研究している私としては、是非このビルまで行き、その上まで登ってみたかったのだが、ツアー旅行ではそれはムリ。次回プライベートで行った時には、必ず見学したいもの。もっともその時は、世界で1番高いビルは、2001年の9.11テロによって崩壊したアメリカのワールド・トレード・センタービル(WTC)跡地に2009年竣工予定とされている「フリーダム・タワー」にとって変わられているかも・・・?


7 民芸品店で買い物(4:30~5:20)

<呉さんのお勧めは水晶だが>
 今日も見学が終わると、ツアー旅行の義務となっている(?)民芸品店へ。私たちはほとんど買い物には興味はないが、ここでの呉さんのお勧めは水晶。そしてその力点のおきどころは水晶パワーにあった。つまり水晶は肩こりや腰痛に効くということだ。しかし私は水晶パワーの話は既に十分知っているうえ、それにまつわる商品は既に何点も購入しているため、何も買いたいものなし。ブラブラと店内を見て回るだけでここはおしまい。


8 免税店にて買い物(5:25~6:10)

<ブランド品はさらに興味なし!>
 民芸品店の次は免税店。これもツアー旅行の義務。まあ見て回ればそれなりの情報収集ができるからムダではないものの、あまり興味なし。ブランド品が何でも半額で買えるというのなら目の色を変えてもいいが、概ね日本と同じか少し安い程度だから余計に興味なし。かつて韓国旅行をした時は、ロッテの免税店は日本よりかなり安いと聞いていろいろと買ったものだが。もともとブランド品にはあまり興味のない私たち(?)は、ブラブラと時間つぶしだけ。

ーバス移動(6:10~6:15)ー


9 夕食(6:15~7:30)

<夕食前にまちをブラブラ>
 今日の夕食は台湾の石鍋料理。ということで楽しみに店に入ったが、前の客がまだ残っているため、20分ほどお茶を飲みながら待ってくれとのこと。こりゃ、呉さんの段取りミス!お茶は既にたっぷりと飲んでいるため、私たちは「それじゃ、ちょっと外へ」と呉さんに伝えて周辺をブラブラと・・・。といってもそんなに時間があるわけではないから、コンビニに入り、缶ビールを買って飲みながら、さらに紹興酒や薬酒を物色。結局これを飲みながら夕食の席に着いたから、今日は1本100円のビールを注文せず、コンビニからの持ち込みビールですませることに。何ともセコイ話だが、これがまた楽しいもの・・・?
 ここでの石鍋料理は10名と9名に分かれた2つのテーブルにそれぞれ置かれた、1つの大きな石鍋に具をいっぱい入れたもの。具は魚ダンゴ、ギョーザ、ブタ肉、タコ、トウモロコシ、ハクサイ、モヤシ、コンニャクなど。またこれとは別に肉マンジュウや北京ダックも。大鍋が煮えた頃をみはからって従業員が各自の取り皿に取り分けると、ちょうど大鍋の中は空っぽ。その後、この鍋にラーメンときざんだ野菜を入れてまたこれを1人ずつに取り分け、最後にはごはんを入れておじやに。途中、担当者が替わり、さっき入れていた醤油をもう1回入れているので、「あれっ!」と思って注意しかけたが、残念ながら言葉が通じず。その結果・・・。味はまずまずだったが、ラーメンの麺がゆですぎでのびてしまっていた・・・。こりゃ大失敗だ!


10 圓山大飯店へ<8名下車>

 台北の圓山大飯店は世界で10本の指に入るという超豪華ホテル。夕食後8名のツアー客がまずここに下車したが、私たち残りの11名のツアー客もしばしここで写真撮影の時間。圓山大飯店の外からの姿はそりゃ立派なものだし、中に入ると1階のロビーも超豪華(写真3-17)。さらに外に出て、明々とライトアップされた美しい庭や、小高い山の上から見おろせる台北のまちを写真撮影。台北101も見えたが、霧がかかっていたためきれいに写真撮影することができなかったのは残念(写真3-18)。「なぜ多少の割増料金をケチって、このホテルを申込まなかったのか!」と思ったが、呉さんの説明によると、圓山大飯店はたしかに豪華だが、もう50年も経っているから内装はもうひとつ・・・?さらに、ここからちょっとまちの散策というわけにはいかないから、もうひとつとのこと。それを聞いて、なぜか私たちの選択に納得・・・・

ーバス移動(8:10~8:30)ー


11 六福客棧(六福ホテル)着(8:30)

<六福客棧で十分OK>
 呉さんのそんな説明を聞きながら、私たちが今日泊まる六福客棧へ着いたのは8時30分。台北には中信大飯店がないとのことでここ六福客棧になったが、ホテルの中でゆったりとした時間を過ごすのではなく、シャワーをして眠るだけの私たちの旅行スタイルでは、ベッドさえあれば十分。負け惜しみではなく、圓山大飯店でなくてもこの六福客桟で十分OKだ。このホテルには何と1階にセブン・イレブンがあり、ビールなどの必需品(?)はここで買えるという便利なもの。しかもまちのど真ん中にあるから、夜のまちの散策にも便利。私たちは荷物を置くとすぐに足ツボマッサージを目指して夜のまちへ・・・。


12 足ツボマッサージ(9:15~10:00)

<足ツボマッサージの心地良さ!>
 中国旅行で足ツボマッサージの心地よさと値段の安さを数回体験した私は、台湾でも是非それを体験したいと思っていた。そしてまた、日頃お世話になっている妻(?)や、4月から司法修習生として東京に行くことになっているかわいい息子(?)にも1度体験させてやりたいと思っていた。そこで、3日目の今日は少し時間的余裕があるから是非に、と思った私は、ホテルを出て街を散策しながら、実質的には足ツボマッサージの店を探すことに・・・(写真3-19)。

<店を探してブラブラと・・・>
 ホテルを出てすぐ近くに、きれいな看板を掲げた足ツボマッサージの店があったので、とりあえずそこに入って値段を聞くと、45分600元、つまり2000円強ということ。中国では、人民元で安いところで30元、普通は50~60元だから、400円~800円位。したがって、中国と比べると台湾はずいぶん高い。もっとも、呉さんの案内で今日1人だけ足ツボマッサージへ行ったお客さんについては、呉さんはその値段を700元と言っていたから、それに比べると少し安いが・・・。そこで私たちは、「また後で来るかも・・・」と言い残して、街の散策を兼ねて3人でブラブラと街中を歩き回った。

 足ツボマッサージの店を探して、表通りのみならず、裏通り(?)のネオンも探したが、私の予想に反して意外にもその店がない。時間も既に9時を回ってきたので、「それでは元の店で」と納得してその店に戻り、家族3人そろって足ツボマッサージを受けることに。

<サービスは明らかに中国の方が上・・・?>

 中国式足ツボマッサージは、男性客には女性が、女性客には男性が付く。しかもそれをするのはほとんど若い男女ばかり。客は靴下を脱いでリクライニングの付いた豪華なソファーに座るだけ。すると、私の場合、若い可愛い(?)女の子が薬草入りの熱いお湯が入った桶を持ってきてくれて、ここにしばらくの間足を浸して待つ。その途中、お湯が冷えてきた頃を見計らって女の子が熱いお湯を足してくれる。もうそれだけで極楽気分・・・(写真3-20)。その間、約10分~15分。そして足がほどよくふやけてきた(?)頃を見計らって、いよいよ1本ずつ足ツボのマッサージを。その時間はたっぷりと1時間。そして終了後は靴下まで履かせてくれる。丸1日歩き回っているため、ちょっと湿っけて汚れた靴下は誰でも履きたくないもの・・・。だから、中国のある店では、安物ながらも新品の靴下を履かせてくれる店もあったから、足ツボマッサージのサービスは明らかに台湾よりも中国の方が上・・・?

<台湾式は?>

 足ツボマッサージは、まず薬草入りの熱いお湯に足を浸すところからスタートするが、台湾式は、いくつか並んでいる蛇口の前に客が並んで、そこに置かれている桶に各自勝手に足を浸せというスタイル。そして今回はここでもトラブル発生!お湯が出る蛇口があるので、桶に足を浸しながら、お湯がぬるくなれば高温のお湯を足せばいいのだが、今回はなぜか高温のお湯を出してもすぐ冷たくなってしまう。そこで「小娘(シャオメイ)!」と、カタコトの中国語で女の子を呼ぶと、女の子が来てボイラー室を点検していたが、結局ダメ。そうこうしているうちに約10分が過ぎ、1人ずつソファーに座って足ツボマッサージをしてもらうことに・・・。ところがその途中、プロパンガス(?)のボンベを運び込んでいたから、何のことはない。ちょうど私たちがお湯に足を浸している時にボンベのガスが切れたということだ。
 足ツボマッサージのやり方自体は、中国でも台湾でも、そして1997年6月に行った香港でも同じ。そしてまた、大阪の新東洋というサウナにある中国式足ツボマッサージでも同じ。そりゃ、気持ちのいいものだ。ただ、ここでは時間的に片足15分ずつだから、少し物足りないと思う気持はあったものの、長くやればいいというものでもない。とにかくこりゃ極楽!極楽!それまで履いていたのと同じ靴下を履くのはイヤだったが、とにかく終わった後の足の軽さは何とも言えないもの。妻も息子も大満足!大阪に、中国式の1時間1000円の足ツボマッサージがあれば、毎日やるのだが・・・(写真3-21)。


13 六福客棧へ戻りフロに入り就寝(11:30)

 心地よい気持でホテルの部屋に戻り、順次風呂に入って今日は早い目に就寝。明日はいよいよツアー最後の日で中正紀念堂の見学だけだが大いに楽しみだ。息子は例によってデジカメの充電などの作業を経て就寝。ご苦労サマ!

3-8 屋根の装飾の見事な台北市内にある孔子廟

3-9 「蒙古鍋」における巨大なジンギスカン用の鉄板

3-10 国立故宮博物院入口の表示は意外にチャチ・・・?

3-11 故宮博物院の全景

3-12 貴重だが小物が多い(?)故宮博物院内の展示物

3-13 忠烈祠前の巨大な門

3-14 忠烈祠を守る衛兵と並んだ坂和弁護士

3-15 映画『大閲兵』を思い出す衛兵の行進

3-16 衛兵交代の儀式はこんな感じ

3-17 世界十大ホテルの台北圓山大飯店1階の超豪華なロビー

3-18 夜景にちょっとだけ見える世界で1番高いビル、「台北101」

3-19 台北の夜のまちの散策はやはり屋台中心・・・?

3-20 足ツボマッサージの前に足をお湯に浸してご満悦の坂和弁護士

3-21 足ツボマッサージの効用書きがコレ!

4日目

1 起床・出発

(1)7:00起床 8:00六福客棧出発

 今日は7時起床。考えてみれば、1日ごとに30分ずつ出発がゆっくりしていることになる。今日の朝食はホテル内ではないためすぐに出発して、グレードアップ客(?)が宿泊している圓山大飯店へ。昨日までのバスは私たちをホテルに届けた後、一路高雄まで戻ったとのことで、今日は違うバスだが、これが1列3席の超豪華なもの。今日はバスに乗ってのたいした見学はないことを見越して(?)、私は1番前の席を他のお客さんに譲り、ひっそりと(?)後部の座席に・・・。

(2)8:25圓山大飯店着<8名合流> 

 昨日は夜が遅く暗かったためうまく写真撮影できなかったが、今日は快晴の天気の下、美しい圓山大飯店をバックにして記念写真(写真4-1、2)。さらに山から見下ろす美しい風景をバックに、次々と記念撮影を(写真4-3)。

─バス移動(8:25~8:40)─


2 「永和清粥大王」にて朝食(8:40~9:10)

<今日の朝食はお粥>

 今日の朝食は、台北市内の庶民的なレストランで台湾人におなじみのお粥。といっても、私にはどんなものかわからず、エラく粗末なものかナと心配していたが、その心配は全くの杞憂だった。そのやり方は、一人ずつバイキング方式でトレーの皿におかずを入れていき、最後にドンブリのお粥を受け取るというもの(写真4-4)。私はてっきりこれらのおかずはお粥にかける具だと思っていたので少し遠慮気味に取っていたが、実はこれはおかずとして食べるもの。目玉焼きや豆腐などを含めて30種類以上のおかずがあったから、こりゃもう1度取りにいってもいいナと思ったものの、そこは少し追加品を取るだけでグッと我慢・・・?19名が順番に1人ずつトレーに食材を取っていくのだから、結構時間がかかるのは当然。店の外で写真を撮っていた控えめな(?)私たちの順番は結局ラストとなったから、食べ終わるのもラスト。したがって早く食べ終わった人たちは、その間外に出てブラブラとまちを散策。そのため私たちの食事終了後も約10分の散策時間をもらったため、私たちはさらに足を伸ばして写真撮影。


3 バス移動(9:10~9:30)

 車窓から見学

 (1)台湾大学医学部東門

 (2)国民党総本部

 (3)音楽ホール


4 台北市内観光─中正紀念堂(9:30~10:30)

<何とも巨大な中正紀念堂>
 台北駅南部にあるここ中正紀念堂は、蒋介石(中正公)死亡後の1980年に完成した巨大な蒋介石の紀念堂。その入口は、大忠至正門だが(写真4-5)、まずその巨大さにびっくり。そしてその中に入ると、25万㎡という広大な中正公園の奥にそびえたつのが、大理石の白と屋根瓦の青の色が印象的な巨大な紀念堂(写真4-6)。今日ツアー4日目の朝は快適な気温の上に天気は快晴。こんな美しい空の下でこんな美しい建築物を見学することができる幸せを満喫しながら、まずはその紀念堂の中へ。

<巨大な蒋介石の像と三民主義>
 中正紀念堂の奥の正面には、椅子に腰かけて柔和な表情をした巨大な蒋介石のブロンズ像がある(写真4-7)。ガイド本によると、この高さは6.3mとのこと。ガイド本には書いていないが、この像の真上には孫文が提唱し蒋介石が受け継いだ「三民主義」の思想が刻まれている。
それを1つずつ具体的に言えば
①倫理(民族主義)(写真4-8)
②民主(民権主義)(写真4-9)
③科学(科学的民生主義)(写真4-10)
というもの。
 英雄は誰でも自分の像をつくりたくなるものだろうし、台湾の人たちが中国の毛沢東の像に負けてはならないと思う気持(?)もよくわかる。そんな気持ちのもとにつくられたのがこの中正紀念堂だが、そこに掲げられている孫文の「三民主義」の思想をみると、「なぜ国民党が共産党に敗北したのか?」と不思議に思えてしまう。つまり本来的には毛沢東がロシアから導入した共産主義(マルクス・レーニン主義)よりも、孫文や蒋介石が主張した「三民主義」の方が思想的にはベターだったはず。ところが中国で「三民主義」よりも共産主義が勝利したのは、私が思うに広大な中国の国内では貧しく無知な農民が多かったからかも・・・?つまり彼らには「三民主義」を理解するという知的作業はその時期には到底無理で、とにかく日々の食料を与えてくれる共産党の方が身近だったということだろう。

<興味深い蒋介石の一生>
 この紀念堂の1階には、展示室があり、蒋介石が乗ったとされる防弾ガラス付きの車(写真4-11)や、蒋介石と国民党の活躍ぶりを示す絵画が多数展示されている(写真4-12)。これらを丹念に読んでいけば、中国近代史において孫文に続いて蒋介石が果たした役割がよくわかる。この蒋介石という中国の英雄が、日中戦争終了後、国共内戦で毛沢東に敗れて台湾に逃げ込んだのは、いかにも残念だったことだろう。この蒋介石の一生は興味深いもので、是非それに焦点を当てた映画をつくってもらいたいものだ。

<『宋家の三姉妹』を勉強しよう!>
 私が『宋家の三姉妹』(99年)をはじめて観たのは2000(平成12)年3月29日。今から5年前のことだが、ホントにこの映画は、日本人が近代中国史とその歴史に日本がいかにかかわってきたのかを学習するについて最良の教科書。すべての小学校、中学校、高校で、必ずこの映画鑑賞の授業を設け、すべての小学生、中学生、高校生からその感想文を提出させるべきだと私は考えている。「コトなかれ主義」でこり固まった「でもしか先生」が大多数を占めている(であろう)現在の小中高の授業では、この「宋家の三姉妹」をはじめ、数々のすぐれた映画を鑑賞することによって教育できることが無限にあると私は信じている。
 それはともかく、この『宋家の三姉妹』を観れば、蒋介石の人物像がよくわかるうえ、国共対立と国共合策を軸とした中国国内での動きが1936年12月12日に発生した西安事件をはじめとしてよく理解できるはず。もっとも、1945年8月15日の日本敗戦後の国共内戦を描いた映画が少ないのは私としては非常に残念だが・・・。日本敗戦後の1950年6月25日に突如発生した朝鮮戦争は、韓国映画『ブラザーフッド』(04年)によって見事に描かれているのだから、中国でも是非「国共内戦」を描いた映画をつくってもらいたいものだ。

<ここでも衛兵交代の儀式が>
 ここでも蒋介石のブロンズ像の前で10時からは衛兵交代の儀式が・・・。指揮官(?)に従って行進してきた2人の衛兵(写真4-13)が、大きく左右に分かれた所定の位置について、交代の儀式を完了するまで約10分(写真4-14)。忠烈祠は陸軍の衛兵だったが、ここ紀念堂は海軍の衛兵とのこと。なぜそうなっているのかはわからないが、これは単なるバランス上のことだけ・・・?

<巨大な龍はペットボトルから>
 中正紀念堂の中にある龍は遠くからみるとすごく立派なものだったが、近くでよく見ると何と色とりどりの無数のペットボトルでつくられているもの。そりゃそうだろう。公園のど真ん中にあるのだから、これが金銀やめのう、翡翠等でつくられていたら、必ずあっちこっちを削り取られているはず・・・。ハデな形のうえ、黄色と赤というハデな色をした龍の口の前で、坂和弁護士もハイ、ポーズ(写真4-15)!

<花嫁姿のコマーシャル撮影風景に遭遇!>
 中正紀念堂を出たところでたまたま出会ったのが、真っ白のウェディングドレスを着た花嫁風(?)の女性と大きな撮影道具を抱えたスタッフ一同そして1匹の犬(写真4-16)。何だろうと思ってよく観察すると、これはコマーシャルの撮影のためだったよう。犬が人間サマの言うことをなかなか聞かないため(?)、苦労している様子がありありと伝わり、思わず苦笑い・・・。


5 車窓から見学(10:30~10:50)

 (1)オペラハウス

 (2)師範大学院

 (3)死刑刑場

 (4)法務省

 (5)最高裁判所

 (6)総統府


6 免税店(10:50~11:40)

<店に入らずまちの散策へ>
 台湾旅行ラストの日も中正紀念堂の見学が終わるとまた免税店へ。しかし昨日も書いたように、免税店に全然興味のない私たちは、そこでの時間が50分間と聞くや、店内での買い物をやめて店の外へ。ホントはバスの車窓からみた総統府や最高裁判所まで歩いていって、自分の目でこれらを見学し、写真をとりたかったのだが、残念ながら今自分たちが入っている免税店がどこにあるのかが地図上で明確にならなかったため、それは断念。カンを頼りに、往復50分間、台北のまちの中を歩き回ることに。免税店を出てすぐに目についたのが榮星公園という大きな公園(写真4-17)。この公園の周辺を歩き回って11時40分に合流した後は最後の行事(?)の昼食だ。

ーバス移動(11:40~11:50)ー


7 金玉満堂にて昼食(11:50~12:40)

<昼食は台湾ラーメン他>
 今日の昼食はかんたんな台湾ラーメンとのこと。呉さんはその店の名前を何とも露骨な表現でメッセージしていたが、金とはお金、玉とは宝石とのこと(写真4-18)。そしてラーメンだけではちょっとさびしいので、特別にヤキメシをプラスしてくれたとのこと。両方ともおいしい味で、お腹いっぱい食べたが、まだ残っているほどの量。こりゃ十分満足。


8 バスで空港へ(12:40~1:30)

<呉さん、さようなら>
 いよいよあとは空港に向かい、日本に帰るのみ。出国手続は順調に進み、呉さんともついにバイバイ。私はこの旅行中彼と名刺交換をしたうえ、途中でいろいろと濃密な(?)話をしたから、私の映画本を送る約束も。日本に帰ればさっそくこれを送らなければ・・・。またこの台湾旅行記が完成すればこれも送らなければ・・・。


9 出国手続きなど(1:30~3:50)

<免税店で酒とタバコそして掘り出しもの(?)を>
 出国手続を完了すれば、あとは機内への案内をまつばかり。呉さんおすすめの紹興酒をおみやげとして3本×3=9本購入したうえ、タバコが安かったためこれもおみやげとして購入。あとは時間つぶしに本屋に入って本をみたり、免税店でいろいろな商品をみていたが・・・。そこで目についたのが、旅行カバンと書類カバンを兼ねたようなキャリーつきのカバン。これがちょうど私が求めていた商品にピッタリだったので、気に入ったうえ、意外に安かったので何とその場で3コも購入!


10 台北出発(台湾時間3:50 日本時間4:50) 関空着(日本時間7:15)

<機内でもひと働き!>
 行きの飛行機は座席をグループ毎にとってくれていたが、帰りの飛行機の座席はバラバラ。そこで私がガイドにかわって(?)いったん席についた後の座席替えの指揮をすることに・・・。もっとも、後方の席がいくつか空いていたため、行きと同じく、私自身は1番うしろの真ん中の席に1人座り、ビールとワインをたらふく飲んで、気がついたらもう関空。あっという間のフライトにビックリ!

4-1 台北圓山大飯店をバックに、その前の巨大な階段にて

4-2 世界十大ホテルである台北圓山大飯店の全貌

4-3 小高い丘の上にある台北圓山大飯店から市内をバックに

4-4 永和清粥大王でのバイキング方式の朝粥はこんなもの・・・

4-5 中正紀念堂の入口にある巨大な門

4-6 白の大理石と青の屋根瓦が印象的な巨大な中正紀念堂

4-7 蒋介石のブロンズ像をバックに

4-8 三民主義の1つ、倫理(民族主義)

4-9 三民主義の1つ、民主(民権主義)

4-10 三民主義の1つ、科学(科学的民生主義)

4-11 蒋介石が乗っていた防弾ガラス付き乗用車。そのナンバーは縁起よく888

4-12 蒋介石の活躍を描いた絵画の1枚

4-13 中正紀念堂での荘厳な衛兵交代

4-15 中正紀念堂の衛兵は海軍さん

4-16 ペットボトルでつくられた色鮮やかで巨大な龍の頭の前にて

4-17 花嫁衣装の女性と犬によるコマーシャル風景をパチリ

4-18 免税店を見限って(?)ブラブラと榮星公園へ

4-19 台湾旅行最後の昼食は金玉満堂のラーメン

第2-8)中国(曲阜・泰山・洛南・青島「中国5日間」)旅行記・・・(2005(平成17)年10月20日~10月24日

[はじめに]

<曲阜・泰山・済南・青島旅行決定までのいきさつ>
 今年4月の反日デモ以降、中国ツアーは半減し、特にかき入れ時の夏休みは大きな打撃を受けていた。それは9月以降も基本的に同じ。とりわけ、今回の曲阜・泰山・済南・青島旅行はあまりポピュラーなコースではないため、参加者が10名以上集まるかどうか危ぶまれたもの。もっとも2名様出発保証というコースもあるが、それは料金が高い。10月20日出発と決め、もし10名揃わなければ、2名様出発保証のコースに切り換えようと考えていたが、9月中旬には10名の客が確保できたとの連絡が入った。そして最終的には、今回の参加者は13名とのこと。ちょうどいい規模と安心。

<人民元切り上げの影響は?>
 昨年11月28日~12月5日の雲南省(西双版納・昆明・麗江・大理)旅行の際の、人民元と円のレートは1元≒13円、1万円=798元くらいだったが、今年7月にやっと実施された約2%の人民元切り上げにより、今のレートは1元≒15円、1万円=690元くらい。私は前回の旅行の際に10万円以上両替していたので、かなり得をしたことになる。今回も大きな買い物の予定はないが、一応この全財産の人民元を持つとともに、別に円とカードを持っていったが・・・。

                                               以上

                                 2005(平成17)年10月29日

1日目

1 関空(10:20発)から青島空港(12:00着)へ

     ANA(NH157便)

<今回は順調>
 出発の2時間前に集合し、搭乗手続を済ませてトランクを預け、出国手続を済ませた後は、定刻通り機内へ。前回の台湾旅行(3月13日~16日)では、飛行機のトラブルのため3時間以上出発が遅れたが、今回は何の問題もなく順調。また、天気も上々だが、それはいつものこと・・・。<BR>


2 青島到着(12:00)

<バスへ乗り込み>
 12時に無事青島の青島流亭国際空港に到着、入国手続を済ませてゲートを出ると、迎えてくれたのは美人で感じの良さそうな現地ガイドだったので、今回もラッキーと大安心。点呼(?)終了後、ツアー参加者総勢13名が次々とバスに乗り込んだが、29人乗りのバスだから座席はゆったり。2列目の座席の左右に1人ずつ座り、これから済南までの約4時間を万全の体制で・・・。出発は12時40分。


3 青島から済南へ(バス 約4時間、400km)(12:40~4:30)

<ガイドの紹介と山東省の紹介>
 今回のガイドは唐合梅さん。美人でかわいいうえ、日本語はすごく流暢で話し方もチャーミング(写真1-1)。そしてかなりの博識と見たが、その見立てが正しかったことは日を経るにしたがって明らかに・・・。このガイドによる山東省の紹介が約30~40分続いた後、私を含めてみんな次第にうとうとと・・・。そんな状況下、途中のトイレ休憩を含めて、一気に済南市まで高速道路を走ることに。この済青高速道路は長さ398kmで1990年に開通したとのこと。そして山東省の高速道路は、さらに済南から泰安・曲阜まで立派に整備されている。

<途中の都市は「イ坊市」と「シ博市」>
 青島から済南までは約400kmだが、その途中にある大きな都市は「イ坊市」と「シ博市」。シ博市は4日目の帰り道に寄ることになっているが、イ坊市は行く途中に高速道路のトイレ休憩でサービスエリアに寄るだけ。山東省は中国一の野菜の産地とのことで、高速道路沿いには野菜畑がいっぱい。そのためこのサービスエリアでは、生でかじって食べるという大根も販売していた。そこで試みにスティック状に切った生の大根を食べてみたが、これが意外と美味・・・(写真1-2)。


4 済南の黄河見学(4:30~5:25)

<黄河公園とは・・・?>
 済南市で高速道路を下りて、今日ただひとつの観光として決まっている黄河の見学へ。ここ済南では、黄河はかなりの天井川になっているため高い堤防が築かれているが、近年その一部が黄河公園にされたとのこと。またバスの中では、ガイドからの提案により、オプションとして遊覧船に乗ることが決まり、1人60元を支払った。ところが到着の直前、バスの前面ガラスには少し雨が・・・。俺の旅行で雨が降るはずはない、と確信していたのに・・・。しかし、少し降ったものの、案の定(?)すぐに雨は上がり、黄河公園は傘なしで見学できることに・・・。

<黄河の水は?>
 黄河は中華文明の発祥地。黄河文明は世界四大文明の1つだが、この黄河は文字どおり黄色い泥の河。その長さ5464kmは長江に次ぐ長さだが、とにかく泥が多く、エジプトのナイル河に比べると38倍の泥を含んでいるとのこと。
 そのイメージは陳凱歌(チェン・カイコー)監督の『黄色い大地』(84年)(『シネマルーム5』63頁参照)で明らか。黄色く濁った水が濁流のように流れているというイメージそのままの黄河が、私の目の前に広がっていた(写真1-3)。
 もっとも新聞報道によれば、最近の中国は渇水化が進み、黄河の上流では干上がっているところもあるとのことだった。そこで、それを質問すると、今年はよく雨が降ったので比較的水が豊かとのこと。

<黄河遊覧船とは?>
 写真を撮りながら「遊覧船」の到着を待っていると、やってきたのは小さなホーバークラフト。これが遊覧船というわけだ(写真1-4)。しかし、降りてきた客に代わってこれに乗り込むのは、私たちの前に集合していた団体客。これではいつまで待つのかなと考えていると、ガイドからは、この団体の遊覧が終わってから私たちが乗り込むまでに30分以上かかるが、すでに日が暮れかかっているので、今日は中止し、再度4日目の帰り道にここに寄るようにした方がいいとの提案が・・・。もちろん私たちに異論があるはずはないため、その方針に決定し、これから夕食に向かうことになった。そして結果的にこの選択が正しかったことは、4日目に証明されることに・・・。


5 済南市内のホテル(中豪大酒店)へチェックイン(5:25~6:05)

 遊覧船乗りの中止を決めてバスが出発したのは5時25分だったが、済南市内はちょうど混む時間帯だったため、中豪大酒店へ着いたのは6時5分。チェックインを済ませて顔だけ洗い、これから山東地方名物料理の夕食へ。


6 夕食(山東地方名物料理)(6:40~8:10)

 今日の夕食は、ホテル内4階にあるレストランで山東地方の名物料理を味わうことになっている。これは野菜を中心とした田舎料理だが、その味は私たちの味覚にピッタリ!(写真1-5)


7 広場見学(8:10~10:00)

 ホテルで地図を貰い、今日の済南市の夜の見学のメインは広場と決定。この広場の中央には青い色をしたガラス製のような、そして奇妙な形をした大きなシンボルタワーが建っている。これは済南最大の名所であるシャク突泉の吹きあがる泉をイメージしたものとのこと(写真1-6)。済南市は泉のまち、すなわち泉城(せんじょう)と言われている。そういわれればたしかにそのように見えるが、何とも奇妙な形・・・。
 広場までは歩いて15~20分だが、時間がもったいないので、行きはタクシーで。タクシー代は基本料金が7元。ちなみに西安では5元だったが、最近6元に値上げされたとのこと。また北京では10元、上海では12元とのこと。広場をブラブラ散策して写真を撮った後、大きな建物の中には孔子・孟子・諸葛亮などの銅像が12体ほど建っているうえ、この建物はきれいにライトアップされているため、これらの諸先生方(?)と並んで次々と写真を・・・(写真1-7~9)。


8 スーパーで買い物

 この広場の1階にはすごく大きなスーパーがあって賑わっていたため、そこに入ることに。そして、結果的にこのスーパーで、お土産にするお茶や各種海鮮おつまみ類そして自分用の男性洗顔用品などを多数買い込むことに。もちろん、これからの帰り道とホテルに帰って部屋で飲む缶ビールも忘れずに・・・。


9 解放楼は?

 済南は1928年の「済南事変」が有名。これは日本軍と中国軍との全面衝突だが、それ以前にも中国国民党軍と中国共産党軍が入り乱れて多くの戦いの舞台となっている。そのため、1949年の新中国建国後、ここに「解放楼」が建てられたとのこと。しかしこういう建物は見学客が少ないためか、全然ライトアップもされていない状態。そのため写真もきれいに撮れなかったのは残念。これを見学しながら、スーパーの買い物袋を手に持って徒歩でホテルへ。その途中のお目当ては、中国旅行恒例の足ツボマッサージ。


10 足ツボマッサージ(10:50~11:40)

 帰り道にある小さな店に寄ったところ、今日は女の子が休みなので15分ほど待ってくれと言うため、足をお湯につけて待っていたが、結局女の子が来れなくなったとのこと。そこでやむなくホテルに帰ると、ホテルの中にもちゃんと足ツボマッサージの施設があったためそこでやることに。料金は60元と適正だった。そのうえかわいい女の子に似合わず(?)指の力が強かったため、思わず顔をしかめることに。もっともこれはあくまでいい気持によるものなので、痛いけど気持ちがいいからそのままで、と伝えながらずっと眠ることなく足ツボと格闘・・・(写真1-10)。


11 ホテルで就寝(12:30)

 ホテルで風呂に入り、就寝したのは12時30分。

1-1 美人でチャーミング、そのうえ歴史に詳しい博識のガイド、唐合梅さん

1-2 イ坊名物のスティック状の生の大根を食べる坂和弁護士

1-3 あこがれの黄河の泥を手に微笑む坂和弁護士

1-4 黄河と泥とホバークラフト、そして坂和弁護士

1-5 これが山東地方の、野菜を中心とした名物料理

1-6 済南は泉のまち泉城(せんじょう)。その象徴がコレ!吹きあげる泉のイメージが理解できる・・・?

1-7 孔子様と坂和様・・・。

1-8 12体の銅像のうちこれは誰・・・?

1-9 この武将は威継光(1528~1587年)。さて、どちらが強そう・・・?

1-10 足ツボマッサージで愉悦のひとときの坂和弁護士

2日目

第1 済南市

1 中豪大酒店ホテル 起床 朝食(洋中バイキング)

(1)6:00起床 6:30~朝食
(2)7:30集合、出発


2 済南市とは

 済南市は黄河の下流域、山東半島の付け根に位置する山東省の省都。したがって山東省の政治経済の中心地だが、まちのあちこちに泉が湧いているため「泉の城」と称されている。今日の済南市内観光のメインは、①大明湖、②シャク突泉(ホウ突泉)、③山東省博物館の3つだ。


3 大明湖見学(8:00~9:35)

<大明湖とは>
 大明湖は済南市の北部にある湖で、その面積は杭州の西湖には及ばないものの46万5000㎡と広大なもの。そして大明湖を中心としたエリア一帯が公園になっている。そしてここ大明湖では、美しい湖とともに明と清の時代の伝統建築物が見どころ・・・。

<大明湖の周辺を散策>
 今日は雨は降っていないものの曇っているうえ、気温が低くかなり肌寒い状態。そんな中、大きな大明湖の周りを、まずは北極閣を目指しながら散策(写真2-1)。

<北極閣の見学>
 元代に建てられた北極閣の中には、玄武像が祭られている。中国では東西南北の四方を守るのは青龍、白虎、朱雀、玄武の4人(?)。しかし玄武の玄は唐の時代の玄宗皇帝の名前と重なるため、これを使うことを避けて真武と呼んだとのこと。このガイドさんの博識ぶりにとにかく感心!(写真2-2)

<フェリーに乗って歴下島へ>
 大明湖の中央に浮かんでいる小さな島が歴下島(写真2-3)。この島の中には歴下亭がある。中国の有名な政治家たちは大明湖を訪れると、必ず歴下島に渡り、この歴下亭でお茶を飲み、歓談したとのこと(写真2-4)。またここには、杜甫が書道家の李ユウと出会った時につくった詩が李ユウの字によって刻まれている。
 今日は風が強いため歴下島までのフェリーは欠航と言われていたらしいが、ガイドさんが無理やり頼み込み、歴下島への上陸が実現した。といっても、このフェリーは約5分乗るだけの簡単なものだが・・・。

<バス移動(9:35~9:40)>

2-1 大明湖の美しい風景をバックに

2-2 「真武」についての解説を勉強中!

2-3 大明湖の中央に浮かぶ小さな歴下島へ渡るフェリーにて

2-4 歴下島の中にある歴下亭は、著名人たちの談笑の場・・・

4 シャク突泉(ホウ突泉)公園見学(9:40~10:40)

<シャク突泉公園とは>
 シャク突泉公園とは、シャク突泉を筆頭とする数々の泉や中国の女流詩人李清照の記念堂などを含めた公園(写真2-5)。

<シャク突泉とは>
 シャク突泉とは済南72名泉の筆頭に挙げられる泉で、別名を天下第一泉とも。ガイド本によると「毎秒1600リットルの水が湧き出していて、勢いがよいときは水面から50cmも盛り上がる」とのこと。これって本当かなと思いつつ、いざその前に立つと、本当に池(?)の中心部から勢いよく泉が吹きあがっている姿を見てビックリ!(写真2-6、7)
 ちょっとした舞台をはさんで左側には「シャク突泉」と刻まれた石が(写真2-8)、そして右側には「天下第一」と刻まれた石があり、観光客は我先にとここで記念写真を・・・。

<コイやイルカが泳ぐ泉も>
 シャク突泉とは、泉が勢いよく吹きあげる様子をふつふつ→ぐつぐつ→ほつとつと形容したところから名づけられたとのこと。そして何といっても天下第一のシャク突泉が有名だがそれ以外にも黒龍泉や漱玉泉が有名で、コイやイルカも泳いでいるのでそこにも要注目!(写真2-9、10)大明湖はだだっ広い湖だったが、ここは一つ一つの泉にそれぞれの風情があり、「大明湖よりこちらのほうが楽しい」との声があちこちから・・・。

<李清照の記念堂>
 日本ではほとんど知られていないが、中国で有名な女流詩人が李清照。この李清照の記念堂が漱玉泉の隣に建てられており、その中には彼女の人生が蝋人形によってわかりやすく物語られている(写真2-11、12)。それは、彼女がかつてこのシャク突泉の近くで生活していたためであり、この記念堂は宋代の建築様式で造られているとのことだ。

<バス移動(10:40~11:00)>


2-5 シャク突泉のある、済南72名泉公園の入口にて

2-6 これが有名なシャク突泉!そりゃ、美しいヨ!

2-7 泉の吹き上がる形容は
ふつふつ→ぐつぐつ→ほつとつ・・・?

2-8 シャク突泉の石碑

2-9 シャク突泉以外にも、魚が躍る泉も!

2-10 これは何と、イルカだよ!

2-11 これが女流詩人、李清照の似顔絵!

2-12 蝋人形によって物語られる李清照の一生は興味深いもの。周りの3人もみんな有名な詩人とのこと

5 山東省博物館見学(11:00~11:40)

 千仏山のすぐ北側にあるのが山東省博物館(写真2-13)。ここは省立の博物館で、ここの名物(?)は何といっても7000万年前の龍山文化を代表する山東恐龍の化石。入ってすぐにある大きな部屋の中に飾られているその巨大な姿にはビックリだが、残念ながらこれは写真撮影禁止。この山東省博物館には、新石器時代の生活用品から明代の大型船まで山東省におけるさまざまな資料がぎっしりと。陜西省の西安にある陜西歴史博物館には及ばないものの、十分な見ごたえで大満足!

<バス移動(11:40~11:45)>


6 おみやげ店・お茶休憩(11:45~12:00)

 午前中の見学が終わったところで、ツアー恒例のおみやげ店へ。ここでは時間が短かったためか販売攻勢は少なく、お茶を飲んで早々と退散。

<バス移動(12:00~12:05)>


7 舜耕山荘で昼食(12:05~1:05)

 今日の昼食は、舜耕山荘という名前からわかるとおり、中国伝説の夏王朝の始祖である禹(う)以前の三皇五帝時代の有名な賢帝舜(しゅん)を記念してつくられた公園内にあるレストラン。この舜の前帝が堯(ぎょう)だ。この禹、堯、舜のお話を書くと長くなるので、それは各自でお勉強を・・・。なお、この山東田舎家庭料理がきわめて美味だったことだけ報告しておこう。


8 済南から曲阜(きょくふ)へバス移動(1:05~3:10 約2時間、150km)

 済南から曲阜へは南に向かって高速道路を一直線。途中、トイレ休憩を含めて、約2時間というところか。昼食時のビールの助けもあり、バスの中では心地よい眠りを。


2-13 7000万年前の山東恐龍の化石が入っている、巨大な山東省博物館の前にて

第2 曲阜

1 曲阜とは、孔子とは

<曲阜とは>
 曲阜は山東省の南西、平野部の東端に位置する小都市で、孔子ゆかりの地。孔子の末裔約70万人のうち、約10万人が暮らすとパンフレットに書かれていた。しかしガイドさんの説明では、曲阜は人口55万人でそのうち約10万人が孔姓を名乗っているとのこと。まあ、こんな数字にはあまりこだわらなくてもいいと思うが・・・。そして曲阜は、「儒教の開祖、孔子の故郷」として内外に知られている。また、「三孔」と呼ばれる孔廟・孔府・孔林は、1994年に世界文化遺産に登録。

<孔子とは?>
 孔子の人物像は誰でも断片的に知っているが、パンフレットからの受け売りによる基本的知識は次のようなもの。すなわち、孔子は紀元前551年、曲阜から30kmほど南東に離れた昌平郷の農村、陬邑に生まれた。彼は魯国の始祖周公を尊崇し、古来の思想を集大成し『詩経』『書経』を編纂、「礼」「楽」を制定、『易経』を注釈、『春秋』を著した。孔子の思想の基本は、他者への慈愛の心「仁」と、道徳・儀礼・伝統・躾・規範などの社会的なきまりである「礼」に重点をおくもの・・・。これ以上は各自でお勉強を。


2 曲阜の現地ガイドは修文さん

 曲阜の現地ガイドは、男性の修文さん。きちんとネクタイを締めてスーツを着た紳士だが、今日、明日の見学ではどんな案内をしてくれるだろうか・・・。私は彼の案内中、彼がしている龍の模様をした(と私の目には見えた)ネクタイが気に入り、どこかで買おうと思ったのだが・・・。


3 ホテル(闕里賓舎)へチェックイン(3:20)

 曲阜に着くと、まずホテルへチェックインして荷物を運びこんだ。今日の見学や食事はすべて徒歩。この闕里賓舎は曲阜で1番高級なホテルだが、3つ星のレベル(写真2-14)。そして驚いたのは、このホテルは何と2階建て。曲阜の都市計画による高さ規制があるのかどうかまでは聞かなかったが、そのうちきちんと調べてみなければ・・・。


4 孔子廟見学(3:40~4:30)

<孔子廟とは>
 孔子廟は至聖廟ともいい、孔子が死亡したBC478年の翌年に魯国の哀公が孔子を祀るために建てたもの。至聖とは孔子の称号で、もっとも高い聖人という意味だ。
 もともとは小さいものだったが、明と清の時代にさまざまな門や建物の増築がくり返され、南北1km、総面積2万㎡という広さとなったとのこと。

<数々の有名な門は>
 孔子廟までの道にはさまざまなおみやげ店があり、それを楽しみつつ目的地へと歩いた(写真2-15)。孔子廟のまず最初は櫺星門。これに続く聖時門は明代の建築で、孔子廟の二の門。そして弘道門、大中門、同文門などが次々と続き(写真2-16)、第七門の大成門は孔子を祀る式典の際にのみ開かれた門で、皇帝だけがここから先に入ることを許されたとのこと。この孔子廟の大成殿は宋代の1018年に創建されたもので、北京故宮の太和殿、泰山の天コウ殿とともに中国三大宮殿建築のひとつとされている(写真2-17)。
 その他、この孔子廟には有名な門や建物がいっぱいあるが、それらはどのガイド本でも詳しく書かれているので、ここでは省略。ただし、孔子の4人の高弟(四配)が、曽参、孟子、顔回、子思の4人だということは最低限の知識として必要。しかしそれ以上に11人の高弟などは、よほど興味を持って勉強しなければ知らない知識のはず・・・。
 またここでガイドさんの修文さんの説明ではじめて知ったのは、「ひいき」という亀によく似た生き物で縁起がいいとされているらしい。私はよく大阪の贔屓屋という居酒屋を利用しているが、その「ひいき」とはこの架空の生き物のことなのだ・・・(写真2-18)。


5 孔子府見学(4:30~5:30)

<孔子府とは>
 孔子府とは孔子廟の東に隣接し、孔子の直系子孫たちの邸宅兼執務室で、衍聖公府(えんせいこうふ)ともよばれている(写真2-19)。その中は、東、中、西の3路に分かれており、東は東学、西は西学と呼ばれ、いろいろと使い分けがされているらしい。しかし、これもどのガイド本にも詳しく解説されているので、興味のある人はそれを勉強してもらうことにし、ここでは一切省略。ただ、本当にこれらを理解するためには、丸1日かけてこの孔子府を回ることが絶対必要だろう。

<興味深い龍の9匹の息子たち>
 龍は現実に存在する動物ではなく架空のものだが、中国では聖なるものであり、あらゆるところに龍が祀られている。そこであなたへの質問だが、龍には9匹の息子がいるということをご存知だろうか?私はそんな話を全く知らなかったが、これは中国人なら誰でも知っているお話。すなわち、龍生九子(龍生九子不成龍)と呼ばれる龍の息子たちは、インターネット情報によれば、①贔屓(ひいき)、②チ吻(ちふん)、③蒲牢(ほろう)、④ヘイカン(へいかん)、⑤饕餮(とうてつ)、⑥蚣蝮(こうふく)、⑦睚眦(がいし)、⑧サン猊(さんげい)、⑨椒圖(しょうず)というものだ。もっともこれは1つの説であって、別の説もあるから日本人の私たちにはよけいややこしく、わかりにくい。それはともかく、この龍の第一子が亀に似た形状をした贔屓(ひいき)で、これは前述したとおり。そして(写真2-20)は、ガイドの説明によれば龍の7番目の息子のドン。この写真だけでは十分わからないかもしれないが、口を大きくあけ、形状は龍とよく似たもの。しかしその最大の特徴はお尻の穴がしまっていること。つまり、大きな口をあけて何でも取り込むものの、ケチだから(?)決して何も外には出さないという貪欲な性格のため、ドンと呼ばれているらしい・・・?たしかに、私はそのように聞いていたつもりだが、日本に帰ってインターネットで調べてみても、なかなかそういう解説にはめぐりあえない。誰か真相を知っている人がいれば教えてほしいものだ・・・。写真の私は、両手で×印をして、決してドンのようにならないように誓っているが・・・。


6 ホテル(闕里賓舎)へ戻り休憩(5:30~6:00)

 以上で今日の見学はすべて終了。部屋に戻ってひと休みした後、6時にフロントに集合し、歩いて夕食に。


7 夕食(6:00~8:00)

<孔府料理は何とも豪華!>
 曲阜の料理として有名なのは孔府料理。これはもともと孔子一族の料理だったそうだが、清の皇帝を招待する料理として発展し、有名な「満漢全席」の1部にも取り入れられたとのこと。そして、「満漢全席」になると196種類の料理が。今日私たちが食べる孔府料理でも、何と40種類以上の料理が出るとのこと。中心の福の字を形どっているのは、チョコレートではなく「サンザイ」というあっさりした味のくだものだったが、全体の豪華さにビックリ(写真2-21)。それにしても、孔子一族は毎日こんな豪華な食事をしていたの・・・?

<孔府家酒も>
 重いけれど、やはり「孔府家酒」を飲んでみなければと思って、スーパーでこれを2本購入した。これはアルコール度が40度前後の白酒。さて、日本に帰ってホントに飲めるかナ・・・。

<結婚式の花婿・花嫁と遭遇>
 ホテルを出る時に偶然出会ったのが、これから結婚披露宴をこのホテルでやろうとしている花婿と花嫁。ツアー客が一斉にカメラを向けて写真撮影したが、女好きの最長老(?)のN氏は、ちゃっかりこの花嫁と並んで記念撮影を。その上、花婿が横に並ぼうとすると、「君はいらないよ」と言って、追っ払っていたから相当な度胸。というよりやはり年の功・・・?食事中、爆弾が落ちたような音が何回もしていたので、花火かなと思っているとそうではなく、この2人の結婚披露宴での爆竹だったよう・・・。私たちがホテルに帰った時にも、まだ車がいっぱいだったから、中国式の結婚披露宴はまだ延々と続いていたのだろう・・・。


8 夜のショーは寒さのため中止

 曲阜では、観光するポイントは全員同じだが、多少違うのは夜の屋外劇場でのショーをみることができるかどうか。これは4月から10月までやっているものだが、屋内ではなく屋外劇場なので、薄着で歌い踊る役者さんたちはあまり冷え込むととても演技ができないので、中止になるとのこと。そういえば、昨日も今日もかなり寒い。こりゃヤバイのでは・・・と思っていると、食事が終わったところで、寒さのため今日のショーは中止になったとのこと。ショーの大好きな私としては実に残念!


9 曲阜の夜のまちを散策(8:00~9:30)

<防寒コートの購入>
 昨日も結構寒かったが、今日も夜になるとその冷え込みはかなり厳しいものがある。明日のメインである泰山の山の上は、寒くなれば零度近くになることも予想され、風が強ければその寒さは一層厳しいはず。どうせセーターは必要だから、現地で1枚買おうと思っていたが、この寒さをみるとセーターではとても足りないと考え、防寒用のコートというイメージでいくつかの店を物色。そんな中、毛皮のフード付きのジャケット(コート)を147元(約2000円)で購入。これで、明日の寒さ対策は万全・・・。さらに安物売りのお店では手袋までも・・・(写真2-22)。

<犬の肉は?>
 曲阜のまちは狭く、9時を過ぎると物販店は順次店を閉めていく感じ。もっとも、屋台はまだたくさん出ているが、お腹はいっぱいだからそれは無用。ただ、犬の肉を販売している店があったのでよくその姿を見ると、まさに犬の頭そのもの。これは珍しいと思い、写真にパチリと撮った(写真2-23)が、犬の神サマのタタリがないようにしなければ・・・。


10 足ツボマッサージ(9:30~10:50)
最後の仕上げは足ツボマッサージ。 ホテル近くの小さな店に入ったが、足ツボは60元、全身マッサージは100元とのこと。 私は足ツボマッサージだけで十分なのでそれを選んだが、どうもこの店の若い女の子の仕事のやり方は雑。 2人でしゃべりながらやっているし、もっと力を入れて強く揉んでくれと言っても、それに応ずるのは一瞬だけで、あとは明らかに手を抜いている感じ。 昨日はウンウン唸りながら、「痛いけど気持ちがいい」と言っていたのに比べると、雲泥の差がある。 ここで思い出したのが、昨年の12月雲南省の麗江でやった、盲人ばかりのマッサージ。 そこの技術は最高だった。 やはり、盲人のマッサージ師はプロ根性に徹しているけれど、こんな小さな店で働いているかわいいお嬢さんは、いろいろ気が多いため、サボるのもうまいということか・・・? <BR>


11 ホテル(闕里賓舎)で就寝(12:30)

せっかくの足ツボマッサージで十分満足できなかったことに不満を抱きつつ、風呂に入り、就寝。 ひょっとして、今夜の夢には孔子サマが現れるかも・・・?

2-14 曲阜のホテルは何と2階建て!

2-15 孔子廟に入る手前の売店で、剣をもってはしゃぐ坂和弁護士

2-16 孔子廟の四の門にあたるのが、この大中門

2-17 北京故宮の大和殿、泰山の天コウ殿と並ぶ中国三大宮殿建築の1つがこの孔子廟の大成殿

2-18 これが縁起がいいとされている生き物で、亀とよく似た「ひいき」

2-19 孔子廟の別名が聖府。 ここは、孔子とその直径子孫たちの邸宅兼執務室

2-20 後ろの絵が龍の7番目の息子(? )の貪欲な(? )ドン。 このようにならないよう坂和弁護士は×印をしているが・・・

2-21 孔府料理の豪華さにビックリ!

2-22 寒さにそなえ、夜の散策でフード付きコートを買ったうえ、さらに手袋まで

2-23 これが中国で有名な犬の肉だよ・・・。

3日目

第1曲阜

1 ホテル(闕里賓舎) 起床 朝食(中華料理)

(1)6:30起床  7:00~食事
(2)8:00集合、バス出発<BR>


2 周公廟見学(8:10~8:35)

周の公廟とは、周の武王の弟である周公旦(こうたん)のお墓(写真3-1)。 ここは曲阜の市街地の北東端にあり、かなり広大なもの。 周公旦は周の文王の後を継いだ武王が周王朝の基礎を築くのに大いに貢献した人物で、武王の甥の成王を補佐して国内の政治体制を整えたとのこと。 また、孔子が生まれた魯の国は、この周公旦が曲阜に封じられたことに始まるとのこと。

<バス移動(8:35~8:40)>


3 孔子林見学(8:40~9:45)

<孔子林とは? >

孔子林は孔子府から約2km北にある、孔子とその後裔や一族が眠る200haもの広大な墓地。 中国で最古かつ最大の氏族墓地で、世界文化遺産に指定されている(写真3-2)。
この孔子林についてはどのガイド本でも詳しく解説されているので、ここではこれ以上書かないが、とにかくBC6世紀の孔子様から70数代も子孫が続き、曲阜の人口55万人のうち約10万人が孔姓を名乗っているというのだから、その一族繁栄の能力(生殖能力)には、ただただビックリ!

<75代目は孔祥涛>
至聖林というメインの門をくぐると、そこには孔子林メインの孔子様のお墓がある。 私たちがここで目にしたのは地べたに座って紙に絵を描いている1人の若者。 ガイドさんの説明によると、何と彼が孔子の75代目の子孫で孔祥涛とのこと。 彼が描いている絵は1枚1000円で販売しているので私も2枚買って彼とともに写真撮影を(写真3-3)。 もっともその絵を額に入れるにはさらにプラス5000円必要と言われたため、それは注文せず! 彼はテレビでも取り上げられているとのことだし、名刺もちゃんともらったのでインチキではないと思うのだが、私の読んでいるガイド本(『地球の歩き方』)には、「前堂楼は、第76代目の子孫で衍聖公の孔令貽の妻子が住んでいた場所。後聖楼は、第77代目の孫で衍聖公の孔徳成の住宅であった」と書かれてあるから、何となくつじつまが合わない感じも・・・? もちろん旅行中、この点については何も突っこまなかったが、誰かこの旅行記を読んで何か教えてもらえることがあれば、是非お願いしたいものだ。

<10月23日付朝日新聞は? >
日本に帰った直後にたまっていた新聞を整理していたところ、10月23日付朝日新聞朝刊には、「孔子の家系図長さ世界一」「82代 2500年余り」という見出しの記事が目に入った。 北京の山根祐作記者の報告によれば、儒学の祖・孔子の家系図が「世界一長い家系図」として、ギネスブックに認定されたというわけだ。 そしてそこには「紀元前6世紀に生まれたとされる孔子の子孫は、現在まで82代にわたる」と書かれているうえ、孔子家系図研究センターによるさまざまなデータが発表されていた。 この記事が本当だとしたら、75代の孔子の子孫と言っていた孔祥涛君は一体・・・?

<バス移動(9:45~9:50)>


4 おみやげ店での休憩、お茶(9:50~10:20)

以上で曲阜での、①孔子廟、②孔子府、③周公廟、④孔子林の見学をすべて終え、これから泰安へ向かうわけだが、その前におみやげ店での休憩とお茶。 こういう店は高いとわかっているので、私たちは入口で孔子様と女子店員と並んで写真を撮っただけ(写真3-4)。 お茶を飲みトイレを済ませ、休憩用に使うだけで何も買わない私たちは、お店にとってはあまり望ましい客でないことは確実・・・? さらに店の中では、厚かましくも孔子様の胸像と並んでハイポーズ(写真3-5)。


5 曲阜から泰安へ(バス 約1時間、70km)(10:20~11:15)

曲阜から泰安へは、2日目に済南から曲阜へ南に下ってきた高速道路を北に向かって戻ることになるが、泰安はちょうどその中間地点。 その所要時間は約1時間。

3-1 周王朝の文王一武王のお勉強。 そして、武王の弟である周公旦のお墓が周公廟

3-2 巨大な孔子林とは、孔子一族の氏族の墓地!

3-3 坂和弁護士の隣が孔子の75代目の子孫の孔祥涛クンで18歳!

3-4 おみやげ店にあった孔子様、そして女性店員とともにハイ・ポーズ!

3-5 孔子様の胸像に対してちょっと馴れ馴れしすぎるかも・・・?

2位 泰安市、泰山市

1 泰山とは

ガイド本によると、泰山は山東省中部を東西に走る泰山山脈の主峰で、曲阜の北隣、泰安市の北部にそびえている山。 古くから神聖な山として崇拝され、歴代皇帝や文人墨客が訪れた地であり、山麓から山域にかけて数多くの名勝旧跡があるとのこと。
そして1987年、中国で最初に世界自然文化遺産の登録を受けたとのこと。


2 バス乗り換えと現地ガイド(11:15)

<バスの乗り換え>
泰山のある地点まではバスで山道を進むわけだが、そのためには20人乗りの専用バスに乗り換えなければならないとのこと。 なるほどと納得し、カメラなど必要最小限の物だけを持ってそのバスに乗り換え。

<冬のジャケットは要or不要? >
ここで悩んだのが、今日も寒いと思ってわざわざ昨日の夜、曲阜のお店で買ったフード付きの厚めのジャケットを着るべきか否かということ。 たしかに昨日は非常に寒かったが、今日は朝から快晴。 そのうえ、山登りをするのだから汗をかくのではという心配も。 しかし、せっかく買ったのだからと思い、その冬用ジャケットを着て行ったが、結果的にこれは大失敗。 結局、山登りの途中で脱いで持ち歩くことに・・・。 これは2003年11月に北京で万里の長城を登った時と全く同じ失敗・・・。

<泰山のガイドは>
また、曲阜と同じように泰安には泰安専用の現地ガイドがつくことになっており、今回は女性の張さん。 バスを乗り換えた後あいさつを交わし、その後の泰廟と泰山のガイドをしてくれたが、全体通しのガイドの唐さんに比べると、まるで月とスッポン・・・。


3 岱廟(たいびょう)見学(11:20~12:20)

<岱廟とは>
岱廟は、北京の故宮、曲阜の孔子廟と並ぶ、中国三大廟のひとつ(写真3-6)。 そして約1000年前の北宋時代に拡張された敷地と建物が現在の岱廟の基になっており、9.6k㎡という広大なもの。 この岱廟は、秦代に天の神を祀る場所として創建されたもので、秦の始皇帝が最初に封禅の儀式を行ったため、その後の歴代皇帝の多くがここを訪れ、封禅の儀式を行っている。 それは、ここで封禅の儀式を済ませるまでは皇帝とは見なされなかったためだ。 岱廟の入口は正陽門で、そこから南北の中軸線上に配天門、仁安門と続き、メインは天コウ殿で、これは宋代(1009年)の建設とのこと。 これらの門や宮殿の解説はどのガイド本でもされているので、それを勉強していただくことにし、ここでは一切省略。

<気分はまるで皇帝サマ> 天コウ殿の手前には、「漢柏」(5つの樹木)や「第一山」と刻まれた刻石などがある(写真3-7、8)。 そして、どの建物かわからないが、中に入ったところでは、皇帝の衣装を着て冠をかぶり、皇帝の座(? )に座って、写真撮影するサービス(商売? )も。 貸衣装で写真撮影するサービスはいろいろな観光地でやっているが、宮殿の中で皇帝の座に座って写真撮影する商売は珍しい。 値段が10元だと聞いた私は、尻込みするツアー客の中で率先してまず1番に手を挙げて、この衣装を身につけることに・・・。 黄色い衣装を着て赤い冠をかぶり、皇帝の座に座れば、気分はまるで皇帝サマ(写真3-9)。 私のカメラはもちろん、みんなの注目を浴びた私の皇帝姿には次々とシャッターが・・・。 これで気分が楽になったためか、同じツアー仲間のN氏らも私に続いて次々と。 ガイドの唐さんが扮した皇帝サマと並んだN氏の写真もバッチリと決まったものに・・・。


4 昼食(レストラン云海飯店)(山東地方家庭料理)(12:30~1:30)

今日の昼食は、山東地方の家庭料理。 岱廟は、南から北への一方通行の見学で、迎えに来てくれていたバスに乗り込んだ一行は、泰安市内にある云海飯店というレストランへ。 今日の昼食はまずまずか・・・。


5 泰安市内から泰山へバス移動(1:30~2:20)

食事終了後、20人乗りの専用バスに乗り込みいよいよ泰山へ。 当然ながら、バスは曲がりくねった山道を進んで行ったが、約40分の所要時間でロープウェイの登り口に到着。


6 泰山見学その1 ロープウェイ(2:30~2:45)

<泰山とは? >
「中国に五岳あり」と言われている。 この五岳とは、湖南省の衡山(南岳)、河南省の嵩山(中岳)、陝西省の華山(西岳)、山西省の恒山(北岳)、そしてこの山東省の泰山(東岳)だ。 泰山は最も東方にあり、秦の始皇帝がこの泰山を訪れて封禅の儀式を行ったため、五岳の中でも最も重要な山とされている。 中国では、歴代72人の皇帝が封禅の儀式を行ったとのことだ。

<徒歩での登山と御来光が理想だが>
標高1532mの泰山は、7412段の石段と全長9kmの道のりを自分の足で登るのが理想。 時間的には6~7時間かかるらしいが、中国人はそれを楽しみにしているとのこと。 ガイドの唐さんも学生時代にその経験を・・・。
さらに望ましいのは、頂上近くの天街にあるホテルで一泊して、早朝に玉皇頂を訪れ、ここで東から昇る御来光を拝むこと。 泰山を訪れた信仰篤い中国人は、泰山の頂上から日の出を拝むために泰山登山をしたいと願っているということだ。 今日のような秋の快晴の日は、それに絶好! しかし、ツアー旅行ではそうもいかず、まずはバスでロープウェイ乗り場を目指した。 泰山登山には中路と西路があり、中路が昔からの参道で一般的。 そしてロープウェイも中路と西路があるが、私たちは1番距離の長い西路のロープウェイで一路南天門まで。

<思い出した華山登山>
私が2001年8月9日~14日西安・敦煌旅行をした時、半日かけて登ったのが華山。 華山も北峯のふもとまではロープウェイがあり、北峯の頂上(1614m)までは徒歩で約40分だったが、そこから東峯や南峯まで歩くのが大変だった。 華山南峯の頂上は2160m。 そこを目指して汗をふきふき、自分の足で一段一段石段を登ったため、頂上に達した時の感激はひとしおだったことを今でもよく覚えている。

<ロープウェイで南天門へ>
ロープウェイ乗り場に来て思い出したのは、昨年11月28日~12月5日の雲南省麗江での玉龍雪山の観光。 何とこのロープウェイ乗り場では2時間以上待たされたが、その日も快晴だった。 やっとロープウェイに乗り込み、それを降りてからの雪山での観光は、今でもはっきりと記憶に残っている。 しかし幸いなことに、今日はほとんど待ち時間なくロープウェイに乗り込むことができ、約15分で南天門に到着だ。

<南天門での写真撮影>
 ロープウェイを降りて、南天門まで歩いて行き下を見下ろすと、そこには長い長い石段があり、下からこれを一段一段歩いて来る人たちが。本来は、私たちもそうしなければならないのだが、それをロープウェイという文明の利器でごまかしたうえ、やっと到着したという雰囲気で写真撮影を・・・(写真3-10)。
 ここで驚いたのが西安の華山でも見た風景で、肩にかけた天秤で荷物を運んでくる1人のおじさん。何とも微妙なバランスを保ちながら、重い荷物を両端にくくりつけた天秤を肩に、一歩一歩階段を歩いてくる姿は感動モノ!(写真3-11)
 こんな父親の姿を見れば、その息子もきっといい人物に育つに違いないと考えながら、私が思い出したのは、『山の郵便配達』(99年)という中国映画。興味のある人は是非これについての私の映画評論を読んでもらいたいものだ(『シネマルーム5』216頁参照)。


7 泰山見学その2 700段の登山(2:50~4:20)

<約700段の石段に挑戦>
 泰山登山の出発は2時50分で、集合時間は南天門賓館前で4時20分。したがって、1時間半での登下山ということになる。南天門から石段を少し登っていくとすぐ天街がある。ここには、一泊して御来光を拝む人たちのためのホテルやレストランがたくさん並んでおり、天街坊という大きな牌坊がある。南天門から頂上の玉皇頂までは約700段の石段で、その途中には碧霞祠や青帝宮などたくさんの見どころがある(写真3-12、13)。この石段をすべて登るのは老齢の人にはかなりきついはずだが、わがツアー客は全員徒歩で登下山したとのこと。日頃、フィットネスで足腰を鍛えている私は元気なもので、石段は2段ずつ登り、下山はほとんど駆け足状態。もっともそうせざるをえないのは、要所要所でのカメラとデジカメの写真撮影がたくさんあるからで、その状況も万里の長城の上り下りと全く同じ・・・(写真3-14)。
 泰山登山における一般的な見どころは、どのガイド本にも詳しく書かれているのでここでは省略。ただ、絶好の快晴の下で、少し汗をかきながら登下山できたことをここであらためて感謝しておこう。美しい風景が写真に撮れるかどうかは、技術もさることながら天候のウエイトがほとんどなのだから・・・(写真3-15)。

<山頂にて>
 泰山の山頂は海抜1545mの玉皇頂。ここには玉皇殿があり玉皇大帝が祀られているが、あまり詳しいことはわからないまま、急いでお参りをすませて写真撮影を(写真3-16、17)。そしてまた下山の途中でもたくさんの写真を(写真3-18)。


8 ロープウェイで下山(4:50~5:05)

 4時20分に無事全員集合した後、ガイドの勧めにしたがって、多くのツアー客は南天門賓館でのコーヒーとしゃれこんだ(?)が、私たちはその間もあちこちで写真撮影。ひと休みした後は、ロープウェイにのって下山。中国五岳のうち、西安の華山と山東省の泰山の2つに登った日本人はそれほど多くはないはず。これで、私の自慢の種がまた1つ増えたというものだ・・・。

<登山口から泰安市内へバス移動(5:05~5:30)>


9 おみやげ店(真珠)(5:30~6:00)

<今日の実演は>
 今日1日の見学が終わると、恒例のおみやげ店へ。今日のおみやげ店は真珠を売る店。お茶を飲みながら実演して見せてくれるのは、貝から真珠を取り出していく過程。1つの貝の中に真珠が何個入っているかをツアー客に予想させたうえで、貝を開いていき、1個、2個、3個と数えていく。そして1番近かった人にこれを差し上げるという趣向だが、真珠だけもらっても仕方ないので、結局当選した人はお金を払って何らかの加工をしてもらうことに・・・。なるほど、これはうまい商売だと感心。

<値切れる幅は?>
 中国では何でも値切らなければダメだが、その値切りの幅はお店やモノによってさまざま。私が昔ビックリしたのは、定価(?)が印刷されているはずの本や絵ハガキでも、まず半額に値切れること。真珠など全く興味もなく買う気もない私は、ブラブラしながら1番高いネックレスを見ていると、それは100万円もするとのこと。今日はすべて30%OFFと言っているが、それでも70万円。そりゃ高い、「10万円なら買うわ」と冗談で言っていると、何回かまとわりついてきた挙げ句、40万円にすると言ってきた。なるほど、それくらいまでは当然値切れるということか・・・?

<バス移動(6:00~6:20)>


10 ホテル(山東泰山華僑大厦)着(6:20)

 今日のホテルは、入口に大きな金の布袋様の像が置かれている華僑ホテル。何事にもチャレンジ精神旺盛な私はその前でハイポーズ(写真3-19)。


11 夕食(山東料理)(7:10~8:00)

 今日の夕食は、ホテルの中のレストラン。泰安料理はトーフが名物ということだが、中国特有の臭さがあるトーフは私は大の苦手。そして、案の定ここはそれだった・・・。


12 レストランからスーパー、薬屋へ(8:10~8:50)

 夕食が8時に終わると恒例の夜の散策。今日の第一歩はスーパーから、とタクシーに乗ってスーパーに行ったものの、ここは1日目の済南市の広場にあった大きなスーパーと違って、ひっそりとした感じで何も面白いものを売っていなかった。そこで隣りの薬屋に寄って、私の大好きな中国製の顆粒状の風邪薬や目薬などを購入(写真3-20)。そして、「スーパー路線」を急遽「夜市路線」に切り換え、ホテルのすぐ近く流れている川沿いでやっているという夜市に行くことに。


13 川沿いの夜市へ(8:50~10:00)

 薬屋で購入した品物をいったんホテルに持ち帰って、気分新たに出かけた川沿いの夜市は、安いものなら何でもあり、という雰囲気の夜市。まず、目についたのは、済南でも曲阜でもよく見かけた、孔子像や泰山の石碑の数々。道の上いっぱいに並べていた物の中から、比較的大型の石碑の値段を聞くと、80元と言っていたので、30元に値切るとあっさりオーケー。前日に泰山のお土産店で買った20元の石と並べて撮影したのが(写真3-21)だ。最初に重いものを買ってしまい、一瞬しまったと思ったが、まあいいかと思い直してそれを手にブラブラと。この夜市で買ったのは、暖かそうなベスト1枚と韓国式のアカスリタオルそして靴の底敷きなど、安物の数々。安物めぐり、宝探しの買い物は楽しいけれど、そんな中で、貴重品がドッサリ入ったバックを盗まれたりしたら大変と、ひときわ気を使いながら、約1時間の夜市散策が終了した。


14 足ツボマッサージ(10:15~11:10)

 その後は恒例の足ツボマッサージだが、ホテルのすぐ隣りにあった店に入ると、何と1人200元とのこと。ふつうは50元、60元だから、そりゃべらぼうで、日本人向けの値段だと思い交渉したが、店側は応じないので、結局ここはあきらめることに。そして、ちょうどホテルの前に止まっていたタクシーの運転手に聞くと、60元くらいでいい店があると言うので、急遽このタクシーに乗り込むことに。5、6分走ったところで着いたのは、足ツボマッサージだけではなく、サウナや宿泊施設もある、ちょうど大阪でいえばニュージャパンのような大きなお店。ホントはゆっくりサウナに入りたいところだが、そんな時間はとてもとれないので、足ツボマッサージだけを。足をお湯につけると60分で68元、それなしだと45分で48元だったので、手っとり早く済ませる45分コースを選択。昨日の足ツボマッサージには少しがっかりしたが、今日はしっかりした揉み方で大満足。
 終了後、半分寝ボケた状態でタクシーに乗ってホテルへ帰ったが、部屋に着いた途端、夜市で買った商品をお店に預けたまま忘れてきたことに気づいた。それを取りに戻ったから、結局タクシーで2往復したため40元がプラスになってしまったが、そういうハプニングも旅行の面白さの1つ・・・。


15 ホテル(山東泰山華僑大厦)で就寝(12:00)

 部屋に入ると心地よい疲れの中、風呂に入って今日はバタンキューとご就寝・・・。

3-6 これが北京の故宮、曲阜の孔子廟と並ぶ中国三大廟のひとつである泰安の岱廟

3-7 岱廟内にある「漢柏」の石碑の前にて

3-8 岱廟内にある「第一山」の石碑の前にて

3-9 皇帝サマになり、ご満悦の坂和弁護士!

3-10 ロープウェイの投着点である南天門にて

3-11 荷物を括り付けた天秤を肩に石段を一段一段歩く姿は
感動的!

3-12 碧霞祠の前にて

3-13 青帝宮の前にて

3-14 この石段の様子は、まるで万里の長城と同じ・・・?

3-15 頂上近くの美しい風景をバックに

3-16 泰山の頂上の玉皇頂は海抜1545m!

3-17 泰山の頂上の玉皇頂には玉皇大帝が・・・

3-18 泰山のあちこちには、さまざまの有名な文字が・・・

3-19 泰山の4つ星ホテル、華僑大厦フロントの布袋様の前でハイ・ポーズ!

3-20 夜の散策の際、薬屋で仕入れたお気に入りの風邪薬!

3-21 おみやげ店や夜市で買った泰山の石碑がコレ!

4日目

第1 泰安、済南、シ博市

1 ホテル(山東泰山華僑大厦) 起床 朝食(中華料理)

(1)6:30起床  7:00~朝食

(2)8:00集合、バス出発


2 泰安から済南へバス移動(1時間強、約80km)(8:20~9:30)

 泰安から済南へはもと来た高速道路を逆戻りで所要時間は1時間強。


3 黄河見学(9:30~10:20) 

<ホーバークラフトは?>
 バスの中でうとうととしたかと思うと着いたのが、1日目に来た黄河公園。あの日は夕方で薄暗く、天気もどんよりとしていたが、今日は快晴。ところが今日は、目の前に広がる黄河の水の流れが急で、小さいホーバークラフトでこの流れに逆らって進むのは少し危険があるため、無理をしない限度で客を乗せるとのこと(写真4-1)。ホーバークラフトの定員は18名なので、ガイドさんを含めてほぼ満席状態で乗り込んだが、ドライバーは上流に向かって進んでいくのにかなり苦労している様子。3、4回チャレンジの後、無事成功したがまあ、黄河遊覧というほどのクルーズとはいえず、少し物足りない感じも・・・。しかし、黄河の流れの速さにはあらためてビックリ・・・。ここでビックリしたのは、突如乗務員の男性が大声で歌いはじめたこと。テンポと威勢のいい曲を2曲大きな声で歌ったが、これは中国人には有名な『黄河の歌』とのこと(写真4-2)。これはひょっとして、今日の黄河遊覧が少し物足りなかったため、特別サービスなのかも・・・?

<記念の集合写真を>
 4日目ともなり、既に十分和気あいあいとなっている私たちツアーの一行だったから、ここで私は、ホーバークラフトと黄河の流れをバックに集合写真を撮ろうと提案。最初に私のカメラで撮った後は、私もグループの中に入り、ガイドの唐さんがみんなのカメラを預かって次々とシャッターを。こんなに意気投合し統制のとれたツアーははじめて・・・。


4 済南からシ博へバス移動(10:30~12:00)

 済南からシ博へはもと来た高速道路を東にバックするもので、距離にして約100km、時間的には約1時間半というところ。


5 昼食(斉都大酒店)(12:00~1:05)

 今日の昼食は麺料理。といってもラーメンと焼き飯だけが出てくるわけではなく、メイン料理をラーメンにしているだけ。そしてそのお店も斉都大酒店というだけあって、立派なレストラン。ラーメンはそれほどおいしいとは思わなかったが、それ以外に次々と出てくる野菜や肉類などの料理は非常においしいもので、ここでも昼食に大満足!

<バス移動(1:05~1:25)>


6 斉国歴史博物館見学(1:30~2:20)

<楽しみにしていた斉国博物館>
 私が中国の歴史として最も好きなのは『三国志』と『項羽と劉邦』だが、それ以外にも中国3000年の歴史の中には、面白い物語がたくさんある。この斉国歴史博物館には春秋・戦国時代のワクワクする物語がいっぱい。済南市に到着した1日目は夕方になっていたため見学できなかったが、帰り道に訪れたここ斉国歴史博物館の見学は大いに楽しみだ(写真4-3)。

<太公望のお話>
 斉(「さい」でも「せい」でも両方とも正しいとのこと)の国は、前日見学した魯の国の隣りの国。春秋・戦国時代の桓公の時代にその都であった臨シ(現在はシ博)は、政治経済の中心として大いに栄えたとのこと。斉の国で有名な人物はまずは太公望。彼は周の国の武王に用いられて商を滅ぼし、最初の斉の国の王になったが、日本で有名なのは魚を釣る太公望のお話で、これはBC11世紀頃のこと。隠遁生活を送っていた姜子牙(太公望)は毎日のように黄河に釣り糸を垂れて、賢明な君主にその才能を認められる日を待っていたところ、これを見い出したのが周の文王。この太公望こと姜子牙の補佐を受けた文王の子である周の武王は商を倒し、周の国をおこしたというわけだ(写真4-4、5)。

<管仲と「鮑叔の交わり」>
 また太公望と並んで有名な人物が、「管鮑の交わり」ということわざで有名な管仲。彼は、春秋時代のBC7世紀、周の桓公の宰相として仕え、この桓公を覇者に押し上げる功績を果たし、BC645年に死亡した人物(写真4-6)。この管仲の若い時の親友が鮑叔で、この2人の友情はどんなことがあっても変わらなかったため、後に「管鮑の交わり」と呼ばれたわけだ。これは私たち団塊の世代はみんな知っている話だが、「○肉○食」を「焼肉定食」と読むような今どきの若いヤツはきっと知らないはず・・・。

<管仲と小白の物語とは?>
 桓公は昔は小白と名乗っていた。そして管仲は斉の国で公子糾に仕え、その親友の鮑叔は小白(後の桓公)に仕えていた。しかしそれらの国々の勢力争いは当然ややこしいことに・・・。そこで、管仲はある日小白を待ち伏せしてこれを暗殺しようとし、計画どおり管仲が藪の中から射た矢は、小白の腹に命中。それが写真(写真4-7)だ。ところが実際にはこの矢はベルトのバックルに当たっていたため小白は無事だったから、その後管仲は散々な目に・・・。
 しかし、ここで偉かったのが鮑叔。桓公に仕えていた鮑叔が、敵方となっていた管仲を許すように進言したことによって、管仲は一躍桓公の宰相になることに。そして、ある争いの中で、桓公が怒って領地を返さないと主張した時、管仲は「たとえ脅迫の結果であろうとも一度約束した事を破って諸侯の間での信望を失ってはいけない」と説いて領地を返還させたため、以降、桓公の約束は諸侯から信頼されることになり、結果的に桓公が覇者への道を歩むことになったわけだ。そんな和睦の話し合いを描いたのが(写真4-8)。もっとも管仲の死後、桓公はダメになり、斉の覇権は晋の文公に移ってしまうことになってしまったが・・・。
 以上、歴史上の重要な事実のお勉強。この博物館の中には、こんな斉の国における歴史上のお話がいっぱいで、見学していると古代への夢は膨らむばかり・・・。

<斉国長城のお話>
 さらに、そんな斉の国が周囲の国々とりわけ魯の国の脅威から国を守るために築いたのが斉国長城(写真4-9)。これは博物館の外に少しその形を残している。その規模は万里の長城に及ばないものの、その建設年代は万里の長城よりも300年以上も古いとのこと。この長城で斉と魯が北と南に分かれていることは、デジカメで撮った博物館の地図を見ればよくわかるはず(写真4-10)。

<バス移動(2:20~2:40>

4-1 1日目と異なり、快晴の下でホバークラフトと黄河をバックに

4-2 「黄河の歌」を力強く熱唱する、ホバークラフトの
乗務員さん

4-3 済南市にある斉国歴史博物館の前にて

4-4 太公望の銅像だが、その名前にまつわる有名な話もしっかり勉強しよう!

4-5 管仲を用いた桓公は大いに力を伸ばしたらしい。
ただしこれはハイル・ヒットラー!ではないヨ・・・。

4-6 これは「管鮑の交わり」で有名な管仲だが、それ以外にも有名な歴史上の物語がたくさん・・・。

7 殉馬坑見学(2:40~3:20)

<殉馬坑とは?>
 バス移動中のツアー参加者からの提案で実現したのが、殉馬坑の見学。ここは済南から青島へ向かう東向き高速道路沿いにあるため、途中で降りてちょっと寄れば見学可能というわけだ。日本のガイド本にはあまり紹介されていないがここで有名なのは殉馬坑。日本では西安の兵馬俑が有名で、ここ山東省のシ博市にある殉馬坑はあまり知られていないが、ここに埋葬されている馬の数は600頭とのこと。

<古車博物館の中は?>
 高速道路を下りてすぐに着いたところが古車博物館。真っ赤な屋根のハデな博物館だが、日曜日というのに観光客は誰もいない状態。今の中国の若者たちには、春秋・戦国時代の馬車や殉馬坑のお話などあまり興味がないということか・・・?この博物館の中は、非常に広く中国での人が馬を使った車、すなわち馬車の歴史がさまざまな展示物とともに紹介されている。そこには、『三国志』で読んだ諸葛孔明が発明したといわれる「牛車」やさまざまな形をした戦車、そして兵馬俑で有名な秦の始皇帝時代の馬車の模型なども・・・。こんなすばらしい博物館を見学することができたことに大感激。しかし600頭にものぼる馬の死骸を見るとやはりショック・・・。


8 し博市から青島へ(約2時間半、約300km)

 し博市から青島へは東に向かって高速道路をまっすぐに戻っていくだけ。その時間は途中のトイレ休憩を含めて約2時間半。バスの中ではうまく眠って旅行中の睡眠不足を少しでも解消しておこう。

4-7 馬車の後ろで死んだふりをしているのが、管仲が矢で射たと誤解した小白(後の桓公)。ここからさまざまなドラマが・・・

4-8 春秋・戦国時代は戦争だけではなく和睦も。ここに登場するのは、管仲と鮑叔そして小白(後の桓公)ら重要人物ばかり

4-9 万里の長城よりも300年以上古いのが斉国長城。
さてその敵は・・・?

4-10 斉の国と魯の国と分かつのがこの斉国長城!

4-11 シ博市にある、私たちには珍しい古車博物館だが、観光客はゼロ・・・

4-12 まっ赤な屋根のハデな博物館だが、その内容はかなり充実!

4-13 象に引かせた車は一見優雅そうだが・・・?

4-14 中国には昔からこんなコワーイ、車を使った武器(槍)が・・・。しっかりと用心しなければ・・・

4-15 これが兵馬俑にもあった秦の始皇帝の馬車・・・

4-16 走る姿で殉馬坑に埋葬された馬の数は約600頭

第2 青島

1 青島着、夕食(レストラン燕亭)(6:30~8:00)

 今日の夕食は青島名物の海鮮しゃぶしゃぶ。大きな個室のテーブルの上に一人一人おかれている火鍋は日本のしゃぶしゃぶ屋でも最近よく見かける1人鍋のようなもの。この火鍋と取り皿は1人ずつセットされているが(写真4-17)、さまざまな野菜、肉(牛肉と羊肉)、海老、豆腐、春雨などは中央の回るテーブル上のお皿の上にどっさりと。
 このテーブルを回転させながら各自が好きな食材を自分の火鍋の中にとり、自由に食べるという非常に合理的な方式だ。そして、そのお味は最高!(写真4-18)
 もっとも海鮮しゃぶしゃぶというのだから、海老の他にさまざまな種類の魚が出てくるのかなと思ったが、魚はなく、数種類の貝類だけ。したがって、海鮮しゃぶしゃぶというよりはむしろ肉しゃぶと言ったほうが実態にあっているかも。最後にほうれん草入りのラーメンを入れてこれを食べ、ダシを飲むのが決められたコ-ス。

<愛想のいいウエイトレス>
 この食事を運んできたウエイトレスの女の子がニコニコと愛想がいいため、N氏が彼女を非常に気に入り、食事の途中や帰り際には、再三写真撮影も・・・。

<ハンコ販売も>
 食事が終わった頃、やってきたのはハンコ販売のお姉さん。中国のツアー旅行ではいつもの風景だが、今回は四角い水晶と丸いメノウ(?)の2本セットで、1本印鑑をつくれば残りの1本はサービス、そして印鑑を彫る料金は1000円とのこと。別に印鑑が必要なわけではないが、お付き合いだと思って丸い方を注文。3人組のTさん夫婦は親戚の人たちに、と何本も注文していたが、翌日も帰りの飛行機の中でもこの印鑑の出来に大満足の様子。これだけ喜んでもらえれば、販売攻勢も価値があるというものだ。


2 ホテル(貴都大酒店)チェックイン(8:20)

 今日のホテルは青島のメイン道路である香港中路に面した4つ星の貴都大酒店。山東省の済南・曲阜・泰安はそれぞれ古い歴史を誇るまちだが、青島はわずか100年余りの歴史をもつだけで、昔は小さな漁村にすぎなかったまち。それが今では中心部は高層ビルが林立する大都会に。ところがそんな大都会のど真ん中にあるこの貴都大酒店から海岸までは歩いて約10~15分程度。夏は涼しく冬は暖かく、そのうえ美しい景色に恵まれたこの青島というまちが中国人の人気を集めているのもよくわかるというものだ。


3 買い物(8:20~9:30)

 T氏の情報によれば、青島にはドイツ人が経営している大きなスーパーがあり、そこで買い物をすれば面白いとのこと。そこでそのスーパーに行ってみると、たしかにいろいろと面白いものがあった。そこで目にとまったのが、私が旅行の時、いつも持参しているナショナル製の名刺型のひげそり。それと全く同じものがあったので、値段を聞いてみると何と48元(約750円)とのこと。もちろんナショナル製ではなく、それを真似た「海賊版」だがこれを購入。さて、その使い心地と品質の程度をこれから試してみなければ・・・。
 今や宇宙への有人飛行を実現し、自動車生産の技術も身につけようとしている中国だから、ひげそり程度の簡単な製品であればナショナルの技術を真似ることなど朝飯前。ナショナルブランドはつかないものの、これとほとんど同等の性能だとしたら日本製品が中国製品に駆逐されるのは当たり前・・・。


4 カラオケ(9:30~11:30)

 今日は特別に相棒と別れて、T氏とN氏とともに青島市内のカラオケ店に行くことに(写真4-19)。T氏は仕事上何回も青島に来ているため、青島の夜のまちもよく知っており、私もそのお誘いを受けたというわけだ。異国の地、中国の青島でこのような夜のまちに出かけ、カラオケを歌うことになったのには、2つの伏線があった。
 その第1は、今回のツアー客13名の意思疎通がよく、4日目ともなれば食事時やバスの中でも大いに会話が弾んでいたこと。そして第2は今日の朝のバスの中で、ガイドさんが1曲中国の歌を披露した後、まずN氏に1曲歌を歌わせ(?)、その後1人ずつ歌やスピーチを強要(?)したこと。とっさのことだったが、私はテレサ・テンの『月亮代表我的心』を中国語で歌い、さすがよく遊んでいる弁護士先生と感心してもらったこと。特にT氏とN氏は大阪のミナミを根城によくスナックで歌っているとのことだったため、その方面での理解度が早く(?)、中国ではじめて美人ホステスに囲まれてのカラオケが実現したというわけだ。
 こうなれば、カラオケ大好き人間の私のこと。主役のT氏に多少の遠慮はしながらも、次々と持ち歌を披露。中国語で歌える曲は『月亮代表我的心』しかないが、美人ホステスから韓国語の歌を歌ってくれとの要望もあり、羅勲児(ナフナ)の『サラン』をこのホステスと一緒に韓国語で。日本の歌は中国一有名な『昴』にはじまり、あゆ、松田聖子、Kinki Kidsから冠二郎の『望楼の果て』まであらゆるジャンルを次々と・・・。こんな状態ともなれば日本では当然午前サマとなるのだが、異国の地ではそうもいかず、11時30分には切り上げてホテルへ。タクシーは基本料金が10元(150円)だし、豪遊した3人の飲み代はHOW MUCH・・・?


5 ホテル(貴都大酒店)で就寝(12:30)

 今日は中国初の飲み屋(クラブ)でのカラオケ騒ぎに少し興奮しながらホテルに戻ることになった。いつものように風呂に入り、ゆっくりと眠らなければ・・・。

4-17 青島名物の海鮮しゃぶしゃぶはこのような1人鍋!

4-18 牛肉・羊肉・海老・貝、そして各種のたっぷりの野菜。こりゃ、満足、満足!


4-18 ここは北新地でも銀座でもない、まぎれもなく青島市内のナイトクラブ。さて坂和弁護士が入った店は・・・?
そして歌った数々の歌は・・・?

5日目

1 ホテル(貴都大酒店)にて起床(6:00) 五四広場散策(6:40~7:20)

<五四広場散策>
 ホテル(貴都大酒店)から青島の海岸までは歩いて10~15分程度。今日の朝食は6時から食べることができるが、8時にフロント集合・出発とされていたため、早朝、この海岸にある五四広場(海浜公園)まで散歩するにはかなり早起きしなければ・・・。前日、11時半まで美女の囲まれてカラオケに興じていた身には早起きはかなりきつかったが、それでも6時に起きて五四公園へ。ここには広場中央にまっ赤に塗られた面白い形の建物があり、公園周辺では中国恒例の早朝から太極拳をやっている人たちも・・・(写真5-1)。時間がないため、行きも帰りもほとんど駆け足状態でこの五四広場を散策(?)してホテルに戻り、朝食を簡単にすませた後、時間どおりフロントに集合してバスの中に。


2 フロント集合、出発(8:00)

<ちょっとしたハプニングが>
 こんなに急いで時間どおりにバスに乗り込んだのに、バスは一向に動く気配がないうえ、S夫婦がバスに乗り込んでこない。昨日はN氏がちょっとした手違いでバスに乗り遅れて恐縮していたが、今日は何事かと思っていると、S氏の奥さんがバスタブ内ですべって頭を打ったため、その事故処理に少し手間どっているとのこと。事故発生の証明書の発行やその保険金請求の手続などにいろいろな書類が必要なことは当然だが、20分ほど遅れてバスに乗り込んできたSさん夫婦の話によると、昨日の夜はかなり大変だったらしい。後頭部に少し出血していたというから、くれぐれも後遺症が出ないようにと祈るばかり。もっとも、これ以降の彼女の行動を見ていると、大丈夫だろうと確信しているが・・・。


3 青島とは

 青島は山東省の東部、山東半島南部の膠州湾に面した町で、中国有数の貿易港。1897年に中国進出の機会をうかがっていたドイツが強行占領し、1898年にはドイツの租界となった。ところが1914年に第1次世界大戦が勃発すると、敗戦したドイツにかわって戦勝国の日本が占領し1945年まで日本が青島を支配することに。したがって大連と同じように日本人街もある。
 青島の都市としての基礎を築いたのはドイツであるため、市街にはいまもドイツ風の町並みが残っており、これが大きな魅力となっている。


4 小魚山公園見学(8:30~9:15)

 小魚山公園は、南に湾内にある第一海水浴場を見下ろし、北にドイツ人街や青島の中心市街地を見下ろす絶好の展望台がある公園(写真5-2)。ただ、朝は海岸方面がかなり濃い霧で霞んでいたことと、逆光のためにきれいな写真が撮れなかったのが少し残念(写真5-3)。この展望台は写真撮影のベストポジション。したがって専門の写真屋がおり、団体写真を撮って販売していたため、私たちのツアーもそれに乗ってここで1枚の集合写真を撮ることに。この展望台から撮った数枚のきれいな写真にこの1枚の集合写真を合わせてセットし、1セット1000円は、まずまずの値段か・・・?

<バス移動(9:15~9:20)>


5 天主教堂見学(9:20~9:40)

 この天主教堂は、ロマネスク様式を下敷きにした教会堂で、1934年に完成したとのこと。鉄製の格子の門を入ると、すぐ前には大きな聖母マリア様の像が立っている(写真5-4)。ガイドさんの説明によると、教会と天主教は
 ①カトリック教会は質素だが、天主教は豪華
 ②カトリック教はイエスキリストだが、天主教は聖母マリア
等で異なるとのこと。しかし、私が日本に帰って調べたところによると、日本ではカトリックとプロテスタントはキリスト教の中の2つの派だと考えているのに対して、中国では基督教(プロテスタント)と天主教(カトリック)は全く違う宗教だと考えているとのことだ。そして、上記のガイドさんの説明は、基本的に正しいものらしい。
 もっとも、今さらこのようなことを一から勉強する気はないが、ここでもこのガイドさんの博識ぶりに感心。教会の中に入ると、内部はすごく広く、前方にある祭壇も立派なもの(写真5-5)。そして左右に壁画が描かれていたが、そこではじめて教えてもらって知ったのは、歌手のテレサ・テンは天主教の信者であり、テンは洗礼名とのこと。知らなかったナア・・・?(写真5-6)
 そしてもう1つ、私が興味深く見たのは、中央部にたくさん並んでいる椅子の両側に数カ所おかれている懺悔室。この中に入って神父様に己の罪を懺悔するわけだが、カーテンを少しめくって中をのぞいてみると、その中は電話ボックスほどの広さ(狭さ)。この中に入って懺悔したいことは山ほどあるが、今日は鍵もかかっているし、神父様もいないのでまたの機会に・・・?(写真5-7)

<バス移動(9:40~9:50)>


6 青島ビール工場見学(9:50~10:35)

<青島ビールとは>
 青島ビールがいかに有名かは、私が2000年8月に大連旅行をした時にはじめてわかったこと。翌2001年8月の西安旅行でも、飲んだビールは青島ビールばかり。そして昼食時、夕食時に有料で注文する青島ビールは10元(150円)というのが標準料金だから、日本に比べると格段に安い。
 青島ビールは日本のビールに比べるとアルコール度が少し低く、あっさりしているため飲みやすいという印象が強い。そんな青島ビールの発祥の地がこの青島であり、2003年には、1903年の開業から100周年を迎えたため、入口にはその記念碑が建っている(写真5-8)。

<ビール工場見学は> 
この青島ビール工場の見学は、ツアー客の要望によりオプションで入ったもので、朝の出発を予定より少し早めることによって実現した(写真5-9)。もっとも大阪の吹田にあるアサヒビールの工場や大山崎にあるサントリーの工場を見学したことのある人からみれば、この青島ビール工場は比較的小さく、それほどのインパクトはなかった様子。たしかに、ここは青島ビール発祥の地であり、ドイツ人がドイツから必要な道具一式を運んで営業を開始し、その後日本人がこれを引き継ぎ、そして1949年の新中国建国後は中国人が経営して世界に羽ばたいているという歴史に意義があるということだろう。また当然ながら、ビール製造過程の説明がされているが、私を含めてみんなそれにはあまり興味がない様子。ただ青島ビールにはお米が原材料として使われていることを知ったのは1つの収穫・・・。

<試飲とおつまみは?>
 ガイドさんの説明では原酒段階のものを1杯、そして完成品はフリーに試飲できるということだったが、急いで回っていることもあり、試飲を十分楽しめなかったのは残念。またビール工場見学にやってきてビールを飲むには小さなグラスは似合わず、やはり豪快にジョッキでといきたいものだが、ここはホントに小さなグラス。これでは味気ないことおびただしいというもの(写真5-10)。
 そのうえ、おつまみも小さな袋詰め1コだけで、あとは有料だというから私を含めてツアー客からはここは意外とケチだなという声が・・・。わざわざ見学に来てくれた客に対して自由に飲み食いさせ、「ああ、ここはいい所だ」と口コミで広げてもらう方がよほど宣伝効果があると思うのだが・・・。ここらの感覚が中国人と日本人は違うのだろうか・・・?


7 八大館景区(洋館区)を車窓から見学(10:35~10:55)

 青島市の黄海沿いの海岸線には第一から第六までの海水浴場があるが、小魚山公園の東そして第二海水浴場の近くにあるのが八大館景区(洋館区)。ここはガイド本による事前勉強でもかなりの注目点だったし、本当はゆっくりと歩いて回りたいところ。しかし残念ながら時間の関係で今回は車窓見学だけに・・・。
 バスの進行方向に向かって右側に美しい海岸線が見え、それを左に曲がると八大館景区(洋館区)内にあるさまざまな美しい建物(別荘)が並んでいる。バスの中からは写真を撮りにくいため、私は5分だけでも降りて写真を撮りたいと申し出たが、時間に追われているため、その余裕がなかったのは残念(写真5-11)。
 もっともこの後、つまらない免税店に入って時間をつぶすことになったのだから、それをやめれば時間はあったのだが、免税店にツアー客を連れていくのもガイドさんの公式の仕事だからやむなし・・・。そんなわけで日本式建築物の元帥楼もちゃんと見学することができなかったのは残念。今度は2泊3日ぐらいでゆっくりと青島だけの見学に訪れたいものだ。


8 免税店(10:55~11:45)

 八大館景区(洋館区)の見学を車窓からだけにして時間をケチった後、訪れたのがツアー旅行恒例の免税店。お茶を飲みながら恒例の、5コ買えば1コサービス、2コサービスというお茶の販売。そしてお店の中ではシルク製品や工芸品などさまざま商品を販売しており、「○○はいかがですか?」「△△はいかがですか?」とさかんに(しつこく)声をかけてくる。この手の店で買うものは全然ないが、他にすることがないので店内をブラブラ見学していると、ある面白い商品に出会い、さまざま値段交渉をしたが、その内容をここで紹介するのはちょっとヤバイので差し控えておこう・・・。もちろん買わなかったが、結構面白い交渉だった・・・。


9 青島流亭空港へバス移動(11:45~12:10)

 免税店での買い物(?)が終わると、あとは一路空港へ向かうだけ。北京や上海では空港まで何分、何時間かかるのか全く読めないが、青島は小さな都市なので、空港への高速道路を走る時間は約15分みればまちがいないとのこと。
 日本でも大阪市内と伊丹空港は阪神高速が空いていれば15分だが、混んでいると1時間以上かかることもあるため、いつも苦労していることを考えると、そりゃ天国!空港の姿が見えてくる中、5日間お世話になったガイドさんからのお礼と別れの言葉に全員から大きな拍手が!本当にお世話になりました。


10 青島流亭空港(14:00発)から関空へ(17:15着)

     NH158便<BR>

 青島流亭空港での出国手続はしごく簡単。そして、飛行機に乗り座席に座れば、あとは機内食を食べながら、ビールとワインをたらふく飲むだけ。そろそろトイレの使用禁止のアナウンスが流れる頃と思う直前にトイレに行って戻ると、すぐに関空の上に真っ赤な夕日が。これだけ晴天に恵まれ続けたことを感謝しながら、無事関空の土の上に降り立つことができた。謝謝!

5-1 青島の五四広場(海浜公園)にあるシンボルタワー

5-2 小魚山公園の頂上にある展望台をバックに

5-3 小魚山公園の展望台から青島市街地をバックに

5-4 天主教堂入口のマリア像の前に立つ坂和弁護士

5-5 天主教会の内部は超豪華!

5-6 聖母マリア様に坂和弁護士は何を祈ったのだろうか?

5-7 ここは懺悔室だが、坂和弁護士には不要(ブーヤオ)・・・?

5-8 2003年は、1903年の青島ビール開業から100周年!

5-9 青島ビール博物館は意外とチャチ・・・?

5-10 右手に持つのが小さなグラス。左手は見学者のグラスに注ぐためのピッチャー。
こんなにケチらなくてもいいのでは・・・?

5-11 青島の海岸沿いに並ぶ美しい景色と建物だが、残念ながら車窓からの撮影のみ・・・

[まとめ]

1 山東省あれこれ

<「山東クルーズ」とは?>
 ガイドさんは、今回の曲阜・泰山・済南・青島旅行をまとめて「山東クルーズ」と呼んでいた。大陸上の旅行なのに「クルーズ」とは何となく違和感のある呼び名だが、それは高速道路を東から西へ(青島から済南)、そして北から南へ(済南から泰安・曲阜)と大きく走るために名付けられたダイナミックな呼び方。1990年に開通した済青高速道路(青島と済南)398kmをはじめとして、山東市は高速道路の整備が順調に進み、今回の目的地である青島・済南・泰安・曲阜はこの高速道路ですべて結ばれている。4泊5日の「山東クルーズ」でのバスの総走行距離は1430kmだが、これは東京~大阪(約550km)を往復する以上の距離になる。

<一山、一川、一聖人>
 今回の「山東クルーズ」で何回も聞いたのは、「一山(さん)、一川(せん)、一聖人」という言葉。これはもちろん、泰山と黄河と孔子を表す言葉で、この3つが山東省にはすべてあるということだ。

<こんな言い伝えも・・・>
 もう1つ、今回の「山東クルーズ」で何回も聞いたのは、次の言い伝え。何とも印象深い言葉なので、ここで紹介しておこう。それは
 「万里の長城を登らなければ一人前の男になれない。黄河を見ていなければ落ち着かない。泰山の山頂まで至らなければ英雄ではない」
 というものだ。

<五岳そして三大廟と三大宮殿>
 今回の山東クルーズでの収穫の第1は、中国五岳の1つ泰山に登ったため、西安の華山に続いて2つ目の岳を制覇できたこと。
 第2の収穫は、北京の故宮と並ぶ、中国三大廟である、曲阜の孔子廟と泰安の岱廟を見学できたこと。
 そして第3の収穫は、北京故宮の太和殿と並ぶ、中国三大宮殿建築である、泰山の天コウ殿と孔子廟の大成殿を見学できたこと。
 これだけ見学すれば、オレもかなりの中国通・・・?

<山東省は高齢者に優しいまち>
 2日目に孔子廟に入る際、「パスポートを出して下さい」と言われてビックリ・・・。いくら孔子サマが偉いといっても、観光客にいちいちパスポートのチェックはないだろう思っていると、そのとおりで、それは誤った情報だった。そのココロは、70歳以上の人は入場料(見学料)が無料なので、年齢確認のため旅行社がパスポートを見せてほしいということだった。つまり、パスポートを見せて入場料が安くなれば、旅行社が多少なりとも得をするというわけだ。
 それはともかく、高齢者の福祉が充実している日本では、70歳以上無料というサービスはどこにでもあるが、中国では珍しい・・・?さらに、曲阜と泰安では70歳以上の観光客にはちょっとしたおみやげまで。多くの人がこの恩恵に浴することができた私たちのツアー客は大喜び。やはり何事も心くばりが大切だとあらためて痛感!この程度の出費によって、日中友好に役立てばお安いものだ・・・。


2 さまざまな歴史と歴史上の人物との出会い

<春秋・戦国時代そして魯の国と斉の国>
 私は中国の歴史大好き人間で、昔からたくさんの歴史に関する本を読んでいた。しかし、日々の弁護士業務に追われていると、次第にその記憶は薄れていくもの。そんな中、春秋・戦国時代の中国の地図を見たり、魯の国と斉の国の攻防やそのために築かれた斉国長城の姿などを見ていると、どんどんと興味が深まっていった。きちんと理解するためには体系的な勉強が必要だが、今回短い時間の中で見たさまざまなホンモノの姿は、大いにその勉強の役に立つはず・・・。

<孔子>
 曲阜は孔子の生まれ故郷としてよく知られているが、その詳しい人物像は断片的にしか覚えていないもの。しかしその現地に行き、孔子のたとえば「友あり遠方より来たる、また楽しからずや」と刻まれた石や筆などを見ていると、あらためて学者、思想家、教育者として後世に大きな影響を及ぼした孔子という人物に対する興味が沸いてくるというもの。おみやげに買った「日めくり」には、31日分にわたって孔子の有名な言葉が書かれているので、トイレの中に飾って毎日勉強しなければ・・・。

<太公望と管仲>
 4日目の斉国歴史博物館で勉強したのが、太公望と管仲のお話。中学時代、トイレに置いてあった中国の故事ことわざ全集のような本で、毎日断片的に読んである程度は知っていた話だが、それを本場で確認できたことに感激!

<女流詩人李清照>
 今回の山東クルーズではじめて知ったのが、10~11世紀に生きた女流詩人の李清照。シャク突泉を見ながら、こんな魅力的な人物像に触れることができ、新しく勉強できたことに感激!

<龍山文化と山東恐龍>
 これは人物ではないが、済南の山東省博物館で龍山文化と呼ばれる7000万年前の山東恐龍と出会えた(?)ことも大きな収穫。中国の歴史の奥深さをあらためて実感させられることに。


3 今回のガイドと13名は最高!

<13名は縁起が悪い・・・?>
 ツアー参加者が13名というのはある意味縁起の悪い数字だが、そんな心配は全く無用で、これまでで最高の和気あいあいとしたツアー旅行となった。このように大成功した理由はいくつかあるが、まずはガイドの唐合梅さんの心くばりと博識さ。
 今回はじめて経験したのは次の2つ。すなわち、①1日目の夕食時に一言ずつ自己紹介をさせたこと、②13名が十分親しくなっていると感じたガイドさんが、4日目の朝、バスの中で自分が歌を歌った後、N氏を先頭に、1人ずつ歌や感想を披露させたこと。
 もっともこれは諸刃の剣で、嫌がる人にはとてもイヤなことだが、今回の13名には実にピッタリはまった交流方法だった。そして年配者が多く、歴史に興味を持っている人が多いツアー客を心から感心させたのが、ガイドさんの博識ぶり。その知識が並大抵なものではないことは、日を追うにつれて明らかに。
 他方、今回のツアーの大成功については、参加者側の要因もたくさんあるのでそれを思いつくままに記しておきたい・・・。

<求心力ある長老の存在>
 今回のツアーの中心人物は、83歳ながら肌ツヤがよく、ビデオカメラ片手にいつも精力的に動いているN氏。N氏が撮影したビデオはDVDにダビングして送ってくれるというから、今ドキの複雑な技術へのチャレンジ心も立派なものだ。さらに、各地、各店で女性に対して見せるN氏のエネルギーにも敬服。曲阜では、花婿を押し退けてチャッカリ花嫁と2人ポーズをとるなど、まだまだ精力絶倫・・・?

<肝っ玉母さんのおしゃべりの魅力>
 R氏が中華料理店の名物ママであることはすぐに理解できたが、この「肝っ玉母さん」が食事時の会話を盛り上げるリーダー。その話のネタは、料理から家族そして歴史やハンコの話までさまざまだが、いつもおしゃべりの中心には彼女の魅力が・・・。

<中国語を話せる人が多いツアー>
 満州生まれのN氏を筆頭に、中華料理店を営むT氏、R氏らの3人家族そして青島で商売をしているT氏などはそれぞれかなり中国語がしゃべれる人たち。そのため、今回の旅行ではあらゆる場所で日中チャンポンの会話が弾むことに・・・。

<個性ある人たちのバランスの妙>
 13名はそれぞれに個性的だったが、その個性のバランスがうまくとれていたことが、今回のツアー成功の要因。個性の強さがモロにぶつかり合ったら大変だが、今回はそのハーモニーが絶妙・・・。

<旅行を楽しむ気持の総和>
 そして何よりも大きい成功の要因は、13名それぞれがこの山東クルーズを心から楽しむ気持を持っており、その総和が大きなエネルギーとして結集したということだ。私はたくさんの写真を撮るために、とにかく人よりも早く動かなければならず、ややもすればグループから少し離れることになるのだが、そんな私流の旅行を楽しむ気持をみんなが理解してくれたのは、大変ありがたいことだった。写真撮影に熱中するのは私だけでなく、M氏もそうだったが、お互いの助け合いも十分。このようにみんながバラバラに動いているようでありながら、旅行を楽しもうという気持はみんな一体だったため、その総和としてこのツアーが大成功したことはまちがいない!

                                             以上

                               2005(平成17)年10月29日記

第2-9)中国(上海・杭州・烏鎮・無錫・鎮江・揚州・蘇州・周庄旅行中国5日間」)旅行記・・・(2006(平成18)年3月16日~3月20日

[はじめに]

<上海・杭州・烏鎮・無錫・鎮江・揚州・蘇州・周庄旅行の決定>

(1)前回2005年10月20日~10月24日の山東省クルーズ(曲阜・泰山・済南・青島)終了後、「次回はどこに?」と考えた時、思い浮かんだのは厦門(アモイ)へのツアー。
2月の寒い頃でも厦門なら暖かいし、空いているだろうと思って申し込みをしたが、残念ながら参加人数がそろわず不成立となってしまった。

(2)そんな中、突然目につきはじめたのが杭州ー上海を結ぶ4泊5日のツアー。これにも上海中心にじっくりと観光する「のんびりコース」や、今回のように
上海・杭州・烏鎮・無錫・鎮江・揚州・蘇州・周庄と忙しく各地を駆けめぐる「欲ばりコース」がある。料金も、3月中旬までの出発では39800円という価格設定が多く、
3月末からは49800円、59800円などいろいろ。そこで検討の結果、3月16日~3月20日の「欲ばりコース」を選択し、価格は39800円。

<人気は上々、参加者の数は?>
このコースは連日新聞で宣伝されていたため、人気上々だろうと推測していると、案の定、結果的に参加者は57名という多数。こりゃ大変そうだと最初から思ったが・・・。


                                               以上

                                 2006(平成18)年4月7日

1日目

1 関空(10:35発)から杭州舟山空港(12:25着)へ

     ANA(NH951便)

(1)台湾を含む中国旅行9回目、ツアーによる中国旅行7回目ともなると、出国手続などは手慣れたもの。しかし今回は、ツアー参加者が57名と多いうえ、平日の木曜日にもかかわらず
出国ゲートはズラリと100人以上の列。パスポートを用意して並んでいる私の前に、「10時の飛行機なので先に行かせて下さい」と頼んでくる人まで・・・。

(2)飛行機の座席を1番後ろに定めた私たちは、機内食の配布が1番だと思っていたら、逆にビリ。それでも最初にビールを1本もらい、後はワインもタップリと飲み、
トイレにも2、3回行きながら、機内でひと眠りするとたちまち杭州へ到着。

2 杭州到着、入国手続、バス乗り込み(12:30~1:30)

飛行機から降りるのはビリになったが、トランクを引き取り、入国手続を済ませ、空港の外に出ると、そこには私たちのツアーを出迎えるガイドが、A班とB班に分かれて待ち受けていた。
私たちはB班27名に属することになり、バスの中に。

大型バスとはいえ27名も乗れば、ほぼ満席状態。そんな中、まずはガイドの自己紹介。我々B班のガイドは袁さんで、50歳前後のベテラン男性ガイド。そしてカメラマンは朱さん、
ドライバーは馬さんということになった。

バス移動(空港から西湖へ)(1:30~2:00)

3 杭州観光その1ー西湖遊覧(2:00~3:20)

(1)杭州観光の第1は西湖遊覧だが、ここは2004年6月の杭州旅行の際、じっくりと観光したところ。そして空港から西湖に向かう高速道路の窓から見える景色も、見覚えのある
懐かしいものだった。もっとも、前回はガイドの張紅英さんがかなり詳しく説明してくれたため、窓からの景色とその説明をよく覚えていたが、
今回の袁さんはそういう点の説明が少ないのが残念・・・。

(2)「中国一美しい湖」といわれる西湖観光は、まずは蘇堤を少し歩き、遊覧船に乗ることに・・・。前回は「西湖十景」をすべて頭の中でイメージしながら遊覧船に乗り、
シャングリラホテル前の西湖の北端から西湖の南まで進んだが、今回は時間の関係もあり、約30分程度の遊覧で終わったのも少し残念・・・。そして下船後は、また美しい景色を見ながら
バスの中へ。

バス移動(3:20~3:40)

4 杭州観光その2ー霊穏寺見学(3:40~4:40)

 前回は六和塔と霊穏寺を2つ見学したが、今回は霊穏寺のみの観光。西湖から西へ2kmの山中にある、杭州で1番有名な禅宗のお寺である霊穏寺を、約1時間かけて散策。
寺院内にいっぱい並んでいる合計338体の石仏を見学しながら、写真もいっぱい・・・。

バス移動(夕食のレストランへ)(4:40~4:50)

5 夕食(4:50~6:00)

(1)食事内容は?

 私が「中国旅行大好き人間」になったのは、中国の歴史をはじめとして大いに勉強できることが第1だが、食事が私の口に合うことも大きな要因。ホテルでのバイキング形式による朝食は
野菜を中心にタップリと食べることができるし、昼食・夕食は各地のレストランで名物料理をタップリと味わうのが何よりの楽しみ。ところが、楽しみにしていた今日の夕食は、かなりお粗末・・・。そのうえ量も不十分・・・。ツアー旅行であっても、中国ツアーの食事は食べきれず、料理が残るのがふつうだが、今回は1つのテーブルに10名も詰め込んでいることもあり、
質・量ともにもうひとつ・・・。

(2)ビール1本20元は?

 山東省クルーズでは、食事ごとに飲み物が各自のグラスに1杯だけサービスされ、追加は各自の費用で、というパターンが多かったが、その場合もビールは大ビン1本10元だった。
私が経験したこれまでの中国ツアーでも、ほとんどが1本10元で、例外的に高級レストランやホテルの中で15元というケースがあったが、20元というのはあまり記憶がない。ところが今回は、
最初から20元と言われて高いと思ったが、何とツアー全体を通じてすべて20元。別に目くじらを立てるほどのことではないが、こんなところで高い料金をとって旅行社の評判を落とすこと
を考えると、ビール1本20元という設定はよくないのでは・・・?

(3)ちょっと甘かった養命酒の値段交渉

 食事終了間際になって、なぜか養命酒のサービスが・・・。これは何かあるぞと思っていると、案の定、養命酒の販売攻勢が開始された。日本の養命酒は甘くて、まろやかで飲みやすくされている。それに比べると、ここで飲んだ養命酒はアルコール度数が28%と高いうえにおいも結構きつく、薬膳酒という感じが強いもの。販売は1本1500円、2本3000円のところを、
2本2500円ということだったので、調子に乗って「2本で2000円」と交渉したところ、即座にオーケーとなってしまった。「しまった、これはちょっと甘かった」と思いつつ、
言ってしまった以上仕方なく2000円を払うと、別のテーブルでも「1本1000円、安いよ、安いよ」と販売攻勢。何人かの客が購入していたが、どうも私が高値の相場を形成してしまったようだと反省・・・。

バス移動(ホテルへ)(6:00~6:30)

6 皇冠大酒店ホテルチェックイン(6:50)

バス移動(ホテルから宋城へ 約20分)(7:00~7:20)

7 オプションのショー観賞(7:30~8:30)

 今回のオプションは、宋城でのレビュー観賞で、料金は1人3500円。実はこれも前回の杭州旅行で観賞し、その劇場の大きさやレビューの豪華さに感激したもの。
どんな出し物かを聞くこともなく即座に申し込みをしたが、今回も前回と同じ「宋城千古情」。言葉はわからなくとも、字幕の説明もあるし、そのストーリーも単純なものだから、
概要は十分理解できるものだ。それにしても、杭州の宋城で2度も同じレビューを観た日本人観光客は少ないのでは・・・?

バス移動(宋城からホテルへ)(9:00~9:20)

8 買い物と足ツボマッサージ(10:00~11:00)

(1)レビュー観賞が終わりバスがホテルに着くと、次はいよいよ中国旅行の夜の楽しみである足ツボマッサージへ。ラッキーなことに、ホテルのすぐ近くに足ツボマッサージの店があったので、
そこに入ることにしたが、その前に隣の小さな薬局に寄って、カゼ薬や目薬などを購入(ちなみに飲むタイプのカゼ薬は1箱13元、目薬は1個9元)。

(2)今回のツアーのオプションとして設定されているのは、①1日目の宋城でのレビュー観賞1人3500円、②2日目の足ツボマッサージ1人3000円、
③4日目の上海雑技団のショー観賞1人3000円の3つ。足ツボマッサージ3000円はチト高いが、2004年3月に娘と2人で来た杭州ツアーでも200元(3000円弱)だったから、
まあやむをえない料金設定・・・。

 現実には私が今日行った足ツボマッサージは、60分で1人48元(約750円)。大型のサウナではなく、ふつうの足ツボマッサージ店のやり方は、まず薬草の入った熱いお湯に
足を約10分浸した後、クリームを塗りながらマッサージしてくれるもの。これで700円、800円なら、日本でも毎日やってもらいたいと思うほど快適。片方の足が終わるとそちらの足だけが
急に軽くなったように思えるくらいだから、両足のマッサージを終えた60分後の爽快感は何とも言えないもの。

9 就寝(12:00)

2日目

1 ホテル(杭州、皇冠大酒店) 起床 朝食

(1)6:00起床  6:40~朝食

(2)7:30バス出発

(3)トラブル発生!

 順次バスに乗り込み、いざ出発という段階になって、突然袁さんがバスに現れ、「Tさん、お金を持ってフロントに来て下さい」とアピール。どうもホテルから、部屋に置かれていた有料の品物を
使ったのに料金を支払っていないと指摘されたらしい。そこでTさん夫婦は怪訝そうな顔をしながらバスを降りていったが、約10分ほどして袁さんと一緒に戻ってくるなり、
「部屋番号をまちがえられた」と憤慨しきり。つまり、13○○号の部屋を15○○号の部屋にまちがえられて、「料金未精算」のレッテルを貼られたらしい・・・。

 フロントで料金未精算と指摘されたTさんは、「そんなはずはない」「それでは部屋に行こう」という話を袁さんを通じてやっているうちに、部屋番号をまちがえていたことが判明したとのことだ。そこでTさんが憤慨するのは、ガイドの袁さんがホテル側の言い分をTさんに伝えるだけで、Tさんの説明(弁明)をホテル側に十分に伝えようとしなかったこと。バスに戻ってきた袁さんは、
「これこれしかじかのまちがいでした。私もホテル側に怒りました」と説明していたが、どうもその説明自体がTさんの怒りのポイントとズレている感じ・・・。Tさんは料金未精算と指摘され、
お金を持ってフロントに行き、弁明することを余儀なくされたうえ、その間みんなをバスに待たせた結果となったことについて気にしているのだが、袁さんはそういうTさんの気持を
全然理解できていない様子。

 Tさんはその後、2日目、3日目もバスの中でさかんにその不満を奥さんに語っていたので、その声が私にもよく聞こえてきていた。そりゃTさんの怒りはごもっとも・・・。
そしてこれが4日目の上海での大ゲンカの引き金になることに・・・。

バス移動(杭州から烏鎮へ、約1時間30分、7:30~9:00)

2 烏鎮観光(9:00~10:00)

その1ー船による水郷めぐり

(1)私は烏鎮見学は2度目だが、今回はまず8人乗りの船に乗っての水郷めぐりから。烏鎮観光はいっぱいになるから早い目に出発し、9時には入場したのだが、B班27名が分乗する船は
4隻分必要であるにもかかわらず、船が1隻足りないとのこと。2隻は先に出発し、私たちが乗った3隻目は、4隻目の船が来るのを待つことに・・・。まあ、その間ゆっくり写真を撮れたから、
結果的にはそれでよかったが・・・。

(2)船でゆっくりと進んでいくと、運河で洗濯をしているおじいさん、おばあさんがチラホラ見え、生活臭がただよってくるが、実際にこんな生活をするとなると大変。袁さんの話によると、
電気・水道はあるものの、水洗トイレもない状態だから、この烏鎮のテーマパーク内に現実に住んでいるのは老人ばかりで、若者はすべて外に出て行くとのこと。
しかしお金のことに関する説明が得意な袁さんによると、入場料の5%が何もしないでもこのテーマパーク内に居住しているだけで支払われるとのこと。烏鎮の観光人気は上々だから、
写真に写っているおじいさん、おばあさんたちは意外にリッチ・・・?

その2ーテーマパーク内散策

(1)船を降りた後はテーマパーク内の古いまちなみの散策だが、時間不足のためか散策というよりかけ足に近い状態・・・。それでも前回見学した藍染工房では、
たくさんかけられた染物とともにハイポーズ・・・。

(2)さらに機織工房では、おばあちゃんが繭から糸をとり、機を織っているナマの姿を見学。ちなみに袁さんも昔、これをやったことがあるとして、飛び入りで実演し、自慢していたが・・・。

(3)そんなかけ足状態の烏鎮見学だったが、それでもちょうど1時間はかかったため、私たちのツアーが帰ろうとした10時頃には、これから見学に入ろうとする団体客がいっぱい。
早めに来たため、混雑しないで見学できたことを感謝しつつ、バスの駐車場で最後の写真を・・・。

 バス移動(烏鎮から蘇州へ、10:00~11:45)

 (無錫へ行く途中に蘇州で食事)

3 なぜ蘇州で昼食を・・・?

(1)前回は烏鎮のテーマパークのすぐ前にあるレストランでおいしい烏鎮の農家料理を味わったのだが、今回は無錫へ行く途中、蘇州に寄り、蘇州で昼食を食べるとのこと。
しかし蘇州の留園と寒山寺の見学は4日目に予定されているのだから、昼食を食べるためだけに蘇州に立ち寄るというのも変な話だナと思いつつ、バスの中に。
このように、今回のツアーで私が納得できないことが多いのは、正確な全体の位置関係が理解できないことと、袁さんがそれを適切に説明してくれないこと。

(2)烏鎮から次の見学地である無錫へバスでまっすぐ走ればどれくらいの時間がかかるのかわからないが、結果的に私たちのバスが①烏鎮から蘇州で1時間45分、
②蘇州から無錫で1時間40分かかっていることに比べれば、多分もっと短いのでは・・・。したがって、後でよく考えてみると、蘇州での昼食をセットしたのは、
後述のシルク工場見学とショッピングにツアー客を導くため・・・?

4 レストランで昼食(11:45~12:20)

 ここは10人掛けのテーブルが100卓ほどある大きなレストラン。料理が出され食事が始まると、二胡の演奏に合わせて『蘇州夜曲』を歌う美しい女性の声が・・・。
これは何だと思ってそちらのテーブルを見ると、男女2人のペアが客のリクエストに応じて歌っていた。いわば中国流の「流し」の登場だ。私たちのテーブルには女性1人だけが
中国式の琵琶を抱えて注文を取りに来た(?)。リクエストオーケーの曲が10曲ほどあるので、その中から好きな曲を選択してくれとのこと。
1曲30元はチト高いと思ったが、記念に『夜来香』を注文。歌う彼女と並んで、ハイポーズ・・・。

5 蘇州のシルク工場見学(12:20~1:00)

 シルク布団工場見学は2004年3月の杭州ツアーでも1度経験したが、今回もほぼそれと同じようなものだった。シルクと化繊(ポリエステル)との違いを客に実感してもらうため、
前回はライターの火で燃やし、シルクはポリエステルと比べて燃えにくいという様子をアピールしていたが、今回は両者のスカーフを手で触らせて、どちらがホンモノで、どちらがニセモノかを
客に答えてもらうというやり方。そりゃ俺にだって、触って比べてみれば、その違いははっきりわかるサ・・・。もっとも繭から糸をとる作業は、何度説明されてもよくわからないが・・・。

6 ショッピング(1:00~1:40)

 掛け布団はシングルもセミダブルもシルクの量は同じで、伸ばし方が違うだけ。550元、500元、450元と値段が異なるのは、シルクの量の多さによるもの。
お薦めは500元のものということだったのでこれを購入。前回の杭州ツアーの際に購入し、私も妻も快適に使用しているのだが、この際息子や娘その他にもと考えて数枚購入。

 シルク工場の見学が終わると、次はシルク商品のショッピングセンターへ案内され、「さあ買って下さい」とばかりの販売攻勢。別に買うつもりはないのだが、じっと座っていても仕方ないので、
シルクのパジャマなどを見て回っていると、ついつい買ってしまうことに。ここでのお買い物は、龍の模様のネクタイ70元、半袖シャツ360元、マフラー120元、130元也・・・。

バス移動(蘇州から無錫へ、1時間40分、1:40~3:20)

7 無錫というまちは?

(1)北京、上海などはすべての日本人がよく知っている中国の都市の名前だが、西安や成都そして重慶や延安になると知らない人が多いはず。しかし韓国の釜山、中国の蘇州、そして無錫のまちが
日本人にポピュラーなのは、何といっても大ヒットした歌のおかげ。すなわち『釜山港へ帰れ』『蘇州夜曲』と同じように、尾形大作が歌って大ヒットした『無錫旅情』のおかげで、
一躍「無錫」の地名が日本でも有名に。この歌のヒットがなければ、多分無錫程度の小さな都市が日本人に認知されることはなかったはず・・・。

(2)次に無錫というまちが面白いのは、錫という字。これは「スズ」という貴重な鉱物を表す漢字だが、その漢字のとおり、このまちは3000年以上昔からスズの生産地として知られていたまち。ところが豊富にあったスズも、漢の時代(有名な項羽と劉邦が前漢を打ち立てたのがBC206年、そして以降前漢ー後漢と続き、後漢が滅んだのが220年)には掘り尽くされてしまった。
そこでこのまちは以降無錫と呼ばれるようになった、というウソみたいな話がガイド本にも書かれていたし、袁さんの説明も全く同じ。
したがってこの無錫という名の由来は、冗談や笑い話ではなく、ホントの話・・・。

8 無錫観光その1ー錫景公園見学(3:20~4:00)

(1)錫景(しゃっけい)公園は無錫の市街地のすぐ西にある錫山と恵山という2つの山で構成される公園。入口の古華山門を入ると、寄暢園がある。ガイド本によれば、これは明の正徳年間に
秦金という人物がつくった名園で、池、橋、回廊が見事に調和している。そして康煕帝と乾隆帝はそれぞれ6度南巡しているが、そのたびに寄暢園に立ち寄ったとのこと。

(2)寄暢園から恵山寺へ進むと、御碑亭に出る。中に建っているのは乾隆帝の筆跡になる記念碑。その後ろのイチョウの木は、樹齢が600年にもなるとのこと。

(3)錫景公園の最大の見どころは「天下第二泉」。これは唐代の茶神と呼ばれた陸羽がほめ称えた名泉で、鎮江市にある「天下第一泉」に次ぐ、「天下第二泉」の称号をおし頂いている。
ちなみに泉のすぐ上に彫り込まれた「天下第二泉」の文字は、元代の書家・趙孟頫の書とのこと。

9 おみやげ店へー急須と人形(4:00~4:40) 

(1)錫景公園見学が終わるとおみやげ店へ案内され、お茶を飲みながら急須の販売攻勢を受けることに(写真2-⑰)。それまで私は全く知らなかったが、無錫のおみやげの名物は、
急須と恵山泥人形の2つとのこと。無錫の急須は、素材となる土がいいことと高温による焼き方がいいため(その具体的内容はきちんとメモしておらず、あまりよく覚えていない)、
お茶を一週間入れていても臭くならないとのこと。ホントかなあ・・・?

 さらに指で弾いてみると「ピーン」と非常に澄んだいい音がするとのことなので、こちらは試してみるとたしかにそのとおり・・・。だがA級、B級、C級とある商品をいくら眺めても、
私にはどの商品ならいくらが妥当なのかが全くわからなかったことと、持って帰るのが重いため、散々迷った挙げ句、結局は買わずじまいに・・・。帰国後は少し残念で、
やはり購入しておけばよかったと後悔しきり・・・。

(2)他方、無錫名物の恵山泥人形は、恵山の山麓からとれる良質の粘土を使った無錫ならではの人形で、色彩泥人形とも呼ばれているとのこと。400年もの歴史を誇る
伝統工芸品として有名なもので、ガイド本にもちゃんと紹介されている。たしかにたくさん並んでいる人形を見るとキレイだが、どうも私はこの手の人形には全く興味なし・・・。

バス移動(おみやげ店から夕食のレストランへ)(4:40~5:00)

10 レストラン夕食(無錫リブ、無錫料理)(5:00~6:00)

 今回の旅行ガイドでは、2日目の無錫での夕食は、無錫の名物料理である無錫リブと書かれていたが、どうも私はそれをイメージすることができなかった。そして今日の夕食に出された料理には
たしかにそれが含まれていたが、それはブタの角煮のようなもので、脂身がタップリ。したがって、私には全然おいしいと感じなかったが・・・。

11 レストランから郊外のホテルまでバス移動(6:00~7:00)

(1)オプション組とお別れ

 今回のガイドの袁さんは、なかなかこちらが聞きたいと思う情報を提供してくれない。夕食が終わりホテルへ向かったが、袁さんの説明によると、その途中で足ツボマッサージのオプションを
希望した人たちをバスから降ろして残った人をホテルへ送り、再度、足ツボマッサージの店にバスで迎えに戻るとのこと。そこで足ツボマッサージのオプションに参加しない私たちが知りたいことは、ホテルは夕食をしたレストランや市内中心部から近いのかどうかということ。つまり近いのなら先にホテルに入り、チェックインを済ませてから、また市内へくり出すことでいいのだが、
郊外にあるホテルだとそれがやりにくいので、場合によれば足ツボマッサージの店の前で降ろしてもらうという選択も・・・。

(2)約40分のロス

 そこで「ホテルは中心部に近いのかどうか」と質問したのだが、その答えは「ちょっと郊外」というだけで、実はサッパリわからない答え。そのため決断できないままバスに乗ったのだが、
オプション組を降ろした後、バスは高速道路状の道をひた走りに走り、それを下りてからもなかなか到着せず、その間既に30分以上。しかも途中で道をまちがえたらしく、
結局40分以上かかってやっとホテルに到着。「それならそうと早く言ってくれれば・・・」と恨めしく思ったが、後の祭・・・。

12 ホテルチェックイン(無錫、錫州花園酒店)(7:00)

13 スーパーで買い物(8:00~9:30)

 ホテルのフロントで聞くと、無錫には大きなショッピングセンターがあるとのこと。そこで、まずはタクシーでそこへ行き、買い物をしてから足ツボマッサージに行くことに決定。
ホテルの外へ出ると少し雨模様だったため、フロントで傘を1本借りてタクシーの中へ。到着したショッピングセンター(タクシー代13元)は、ドイツ系の会社が経営する「METRO」
という名前の巨大な店。大型の電化製品から日用雑貨、食料品まで、ワンフロアだけの店舗にズラリと商品が並んでいる。買い物用カートも、日本のスーパーで見慣れているものの
3倍はある巨大なもの。こんな巨大なスーパーが日本に次々と進出してくれば、日本のスーパー業界が押されていくのは当然と実感。スーパーに来た第1の目的は、お土産用のお菓子類などを
購入することだったが、それがどんどん膨れ上がり、掛け布団のカバーなどの大物も含めて、有料のポリ袋3個分にも膨れ上がってしまった。ちなみに、無錫の名物料理である無錫リブも
1パック購入したが、さて自宅で食べる時のその味は・・・?この重たい荷物を持って、また降ってきた雨の中、タクシーを拾って足ツボマッサージへ(タクシー代8元)。

14 足ツボマッサージ(10:00~11:00)

(1)タクシーが着いたのは、道路沿いにある大きな建物のサウナ。大きな買い物袋3個をフロントに預けて案内されたのは、ソファー兼ベッドがズラリと並んでいる薄暗い休憩室。
最初そこでやろうとしたが、個室の方がいいというので個室に移ってやってもらったが、これが大正解。後でわかったことだが、ここにはいろいろなコースがあり、結局私は
①足ツボマッサージ30分、②足の爪切り10分、③ひざ下マッサージ30分のコースをしたことに。これだけやって70分で60元はホントに安いもの。しかもマッサージをしてくれた女性が
美人だったからなお一層グッド・・・。

(2)気持ちよく足ツボマッサージを終えたものの、雨が少し降っている中、重い荷物を持ってタクシーを拾うのは大変だと思っていると、近づいてきたのは3輪バイクのタクシー。
メーターがついている一般のタクシーではないので少し心配だったが、料金交渉をした結果無錫花園酒店ホテルまで6元とのこと。音がかなりやかましいうえ2人しか乗れないが、
移動するだけならこれで上等。はじめての3輪バイクタクシー乗車の体験となった。

15 就寝(12:00)

3日目

1 ホテル(無錫、錫州花園酒店) 起床 朝食

(1)6:00起床  6:30~朝食

(2)7:30集合、7:40バス出発

バス移動(ホテルから太湖へ)(7:40~8:10)

2 無錫観光その2ー太湖遊覧(8:20~9:00)

(1)『無錫旅情』の歌詞に歌われている太湖は、無錫の南西部にあり、中国五大湖の1つに数えられ、中国で4番目に大きい淡水湖。その総面積は約2200k㎡で、琵琶湖の3.3倍の広さ
とのこと。

(3)琵琶湖の3.3倍もの広さの太湖をどうやって見学するのかというと、3本マストの大きな帆船(?)に乗っての約30分の湖の遊覧がメイン。といっても、帆を張って走るわけではないから、海賊船ばりの舵輪が面白い写真スポット。部屋の中で概要の説明を聞いた後、甲板に出て強い日射しを浴びながらみんなで順次写真撮影をしていると、たちまち帰路につく時間に。
私たちを乗せた船が桟橋に着いた9時頃には、既にそこはこれから出発する観光客でいっぱい。袁さんが早い目に出発しなければダメだと言っていたことをあらためて再確認・・・。

3 観光できなかった無錫の「三国城」と「唐城」

(1)無錫観光は昨日の錫景公園と今日の太湖遊覧の2カ所で終了だが、太湖遊覧で購入した地図と事前に勉強したガイド本によれば、太湖の周辺には「三国城」と「唐城」がある。
ガイド本によれば、三国城は中国で大ヒットしたテレビドラマ『三国演義』のロケ用に作られたセットで、ドラマ収録の後に一般公開されるようになったもの。そして唐城は三国城同様、
北京中央テレビがドラマのロケ用に作ったセットで、映画『ラストエンペラー』のロケにも使われたと書かれており、私的には是非見学したい施設(テーマパーク)だ。

(2)2001年8月の敦煌旅行で見学した映画『敦煌』のセットとして建てられた敦煌古城は観光ツアーには組まれていないものだが、私たちは2時間以上かけてじっくりと見学したこの施設に
大いに感激したもの。

 三国城は35万㎡もの広大な敷地に三国時代の建物が再現されたもの、そして唐城は15万㎡もの敷地に唐代の建物がびっしり建てられ、長安のまちなみを再現した「唐街」を歩けば、
遣唐使の気分になれると解説されているが、このような本を読むだけでも興奮してくる。次回はツアー旅行ではなく、プライベートで丸1日かけて太湖周辺を見学したいものだ。

バス移動(太湖からショッピングへ)(9:00~9:10)

4 真珠店での買い物(9:10~10:10)

(1)太湖遊覧が終わると、無錫は淡水真珠の名産地であるだけに、真珠のショッピングへ。これも2004年3月の杭州ツアーで体験したが、私にとって真珠店は全く興味のない、
無意味なショッピング。まずは日本語の達者な案内人が真珠貝をナイフで切り取るパフォーマンスを見せ、「この貝の中に真珠が何個入っているかを当てて下さい」という質問によって
客の興味を引くことからスタート。しかし私はこの「戦術」も既に体験済み。前回は、「当たった人にその貝をすべて差し上げます。そのかわり是非台をつくって購入して下さい」
というやり方だったが、さて今回は・・・?

(2)ところが、今回は私の弁護士としての交渉術が大いに役立つことに・・・。その第1は真珠クリームの販売において。販売員が最高級の真珠クリームを少しずつ客の手に乗せ、
その良さを実感させた後、さて販売。この最高級品は6個1万円だが1個サービス、そして普及品は10個1万円だが1個サービスというのが、向こうの売り方。これに対して、
昨日の養命酒購入ではちょっと甘かったと反省している私が、購入希望の「おばさま方」の応援を得て、まとめ買いの交渉窓口になることに。そこで私は半額が基本とばかりに、
普及品について20個で1万円と注文したうえ、さらにバックからの応援も加わって、2個をサービスして1万円だと交渉し、遂にオーケーを勝ち取った。私が1万円札を渡して、
おばさま代表のA子さんが22個を受け取り、適宜分けていくとのこと。

(3)ああ、いい仕事ができた(?)、面白かったと思っていると、今度は「先生、値段交渉して」と別のおばさまからの依頼が・・・。腕を引かれながら売り場に行くと、
「このネックレスが気に入り、買いたい」とのこと。店員の説明を聞くと、1万2千円を1万1千円に負けてくれるとのこと。そこで、もっと負けてもらえないかという交渉の「依頼」だ。
そこで私は「そりゃ高いわ。8000円いや6000円でいい」と主張。そして話しながら状況把握につとめていると、もう1人の奥さんも同じものを買うつもりのようだったので、
「2個買うのだから、1個6000円でオーケー」と私の方から一方的に宣言して、私の財布から6000円を取り出してカウンターの上へ。店員は2、3回は渋り、8000円に固執していたが、「それなら、もういらんわ」と言いながら立ち去る雰囲気をみせると、「わかった」と店員は降参・・・。
これによって、買い物の値段交渉は先生に頼むに限るという「信頼」を勝ち取ることに・・・。

バス移動(無錫から鎮江へ、1時間30分、10:10~12:20)

5 鎮江の金山寺前レストラン(荷香村酒楼)で昼食(12:20~1:00)

(1)蘇州の寒山寺は、『蘇州夜曲』の歌詞で歌われているため日本人にもよく知られているが、鎮江の金山寺は日本人にはなじみの薄いもので、私も全然知らなかったもの。
無錫での太湖見学を終え、バスの中でウトウトした後、到着したのが金山寺のすぐ前、というより入口にあるレストラン。ここで困ったことを1つ紹介しよう
。約1時間半のバス移動を終えたツアー客がまず目指すのはトイレ。昼食のレストランに入れば、最近の中国のトイレ事情は大きく改善されているから、
それなりにキレイな設備が完備されているはずだが、ここだけは別だった!

(2)昼食会場は2階だったが、まず1階のトイレに入ろうとすると鍵がかかっていて開かないので、2階にもあるだろうと思って2階に上ると、2階にはトイレはないとのこと。
そこで仕方なく1階に下りると、そこには既に女性陣が10人以上並んでいるうえ、男の方も5、6人並んでいる状態。そして男トイレは、小便用2つと大便用1つがあったが、
大便用も何の仕切りもなく丸見えのものだし、小便用も使用するのがはばかられるような汚さ。しかしまあ男は仕方ないかということで、生理上の処理は完了したが、女性陣は大変。
「こんなんかなわんなア」と言いながら済ませる人もいれば、「しばらく我慢するワ」という人も・・・。

 日本人ツアー客を観光に誘致しようとすれば、観光地の価値はともかく、まずはトイレを完備しなければ・・・。ちなみに2008年の北京オリンピックを控え、
中国共産党は北京の公衆トイレの設置と美化キャンペーンを大展開しているが、そりゃ他の何ゴトよりも優先して実施すべき当然の政策だ。

(3)さらにここでの昼食は最悪!料理の内容が悪いのは多少我慢するとしても、まずはお茶を飲むための湯飲みがなくプラスチックコップのみであるうえ、これが薄くて頼りないから、
熱いお茶を入れるととても手に持って飲めたものではない。そこで湯飲みを注文すると持ってきたのが紙コップだが、これがまたひどいにおいのするかなり古くさいもの。
私はそれを使ってビール1本を飲んだが、多くのツアー客からは次々と苦情の声が・・・。この金山寺見学での昼食は改善しなければ、多くの日本人が2度と来たくないと思うのは当然・・・。

6 鎮江観光その1ー金山寺見学(1:00~1:45)

(1)金山寺は東晋の時代(317~420年)に創建されたとのこと。山門を入るとまずあるのが大雄宝殿。殿内に安置された大仏像とすき間なく装飾が施された壁に特徴があるとのこと。
大雄宝殿の裏から左へ行くと、七峰亭と白龍洞がある。大雄宝殿の裏の階段を上がると蔵経楼がある。

(2)金山寺を後にして花と芝生の道を進むと塔影湖がある。対岸には東晋時代に創建された芙蓉楼があり、その後ろに「天下第一泉」がある。
この泉は唐代に茶の専門家として名を馳せた陸羽と劉伯芻により天下で第一の水として認められたとのこと。

 なお以上の説明は、私のメモと写真とガイド本をつき合わせながら書いたもので、ここでも袁さんの説明不足を痛感。

(3)金山寺見学終了後のトイレ事情もひとくさり紹介しておこう。昼食時のトイレを我慢していた女性陣や、昼食時にビールを飲んだ私を含む男性陣も、これからまたバスに乗って次の観光地に
向かう前に済ませておきたいのがトイレ。集団によるバスツアー旅行では、食事以上にトイレが生命線であることは明らか・・・?そこでトイレに入ろうとしたのだが、この金山寺内にあるトイレは
何と有料トイレ。有料といっても、いくらかと言えば1人3角だったが、そもそも1角や5角のコインを持っている人など誰もおらず、10元紙幣しか持っていない人が多いのは当然。
しかもコトは急を要するから、金を払う前にまずはトイレに入りたいというのが多くの人の心境。私も財布の中には、何千元の他、何枚かのコインや1元紙幣も入っているはずだが、
バックから財布を出してこれを支払う前にトイレしたいのが生理的状況・・・。そこで現れた救世主(?)がツアー仲間で、「私が払っておきますからお先にどうぞ」と言ってくれた。
1元を出せば3人分オーケーとなるわけだ。B班27名のうちトイレに入る人のトイレ代くらい、ガイドの袁さんが代表して支払ってくれてもいいのでは・・・?

 もっとも、金山寺見学前のトイレ騒動と見学後のトイレ騒動がツアー仲間たちのいい話のネタとなったことはたしかで、これで「お互い、臭い仲になれましたね」という会話があちこちで・・・。

バス移動(1:45~2:00)

7 鎮江観光その2ー北固山・甘露寺見学(2:00~2:35)

(1)北固山は高さ53mの小山で、山全体が公園となっているとのこと。ここは劉備玄徳と孫権が曹操を倒す計画を練ったという『三国志』の舞台になった場所として有名で、
入場するとすぐ右に試験石が置かれている。三国時代、劉備と孫権が剣でそれぞれこの石を切り、どちらが天下を取れるのか占ったという。

(2)頂上までは石の階段を歩いて約10分ほどなので、足の悪い人はどうしようかと迷ったようだが、結局1人を除いて全員歩くことに。階段の途中にある鉄塔は、
1078年に唐代の石塔の型をとって建てられたとのこと。その後ろの碑は、阿倍仲麻呂の詩碑。その横に「天下第一江山」の石刻があり、ここを左に曲がるとすぐ甘露寺がある。
甘露寺は、呉の孫皓(在位264~265年)が創建した仏教寺院とのこと。

(3)唐代に創建された多景楼は、眺めがすばらしいことで知られているとのことだったが、今日は少し霞んでいたこともあって、それほどでも・・・。

バス移動(鎮江から揚州へ、約1時間、2:40~3:30)

<揚州は鑑真と江沢民の生まれ故郷>

 揚州も日本人にはなじみの薄い地名だが、ここは鑑真と江沢民の生まれ故郷として中国では有名。揚州は空港も鉄道の駅もない小さなまちだが、それでも人口は約1000万人。
南に長江が流れ、南北に京杭運河が走っている美しい水郷のまちだ。

8 揚州観光その1ー大明寺見学(3:30~4:20)

(1)大明寺は、揚州市の北側に位置する仏教寺院で、鑑真(688~763年)ゆかりの寺として有名なもの。また現在の建築物は、清の同治年間に再建されたものとのこと。

(2)鑑真記念堂は、1973年に建てられた比較的新しい建物で、堂内の『唐鑑真大和尚紀念碑』の文字は郭沫若(かくまつじゃく)が書いたとのこと。また日本に渡ろうとして何度も失敗し、
やっと6度目に成功した鑑真が乗っていた船の模型がある。

(3)鑑真の資料室にはたくさんの資料が展示されており、ここで少し勉強した後、9層の美しい高層寺院をバックにハイポーズ・・・。

バス移動(4:20~4:30)

9 揚州観光その2ー痩西湖見学(4:30~5:10)

(1)痩西湖とは細い西湖という意味で、杭州の西湖に似ており、形が細いことから付いたとのこと。そして痩西湖は、北方の力強さと南方の秀麗さの2つの美を備えていて、
四季折々のすばらしい景色を見せてくれるとのこと。

(3)しかし、私たちが渡った狭い痩西湖にかかっている橋の名前は蓮花橋。この橋の真ん中には金色に輝く5つほどの屋根があるので、ひょっとしてこれが五亭橋かと思ったが、
ここにもやはり蓮花橋の名前が・・・?

(4)今回のツアー旅行には珍しく、ここで約25分間の自由散策の時間をとってくれたので、ツアー客は思い思いに美しい湖の周りを散策。ゆっくり時間をとることができた私たちは
美しい写真を数枚撮ることに成功し、さらに白塔の写真も・・・。

10 レストランで夕食(5:10~6:20)

 今回のツアー旅行は概ね夕食の時間が早い。しかも2日目、4日目はオプションが組まれているが、今日はオプションもなしとのこと。それならもう少し昼間の観光時間を延ばして、
夕食は7時からにすればいいのに、とつい思ってしまったが・・・。

バス移動(レストランからホテルへ)(6:20~6:40)

11 ホテル(揚州、西園大酒店)チェックイン(6:40)

 昨日の過ちをくり返さないため、今日のホテルは市内のすごく便利なところに位置していることを地図で確認済み。部屋に荷物を置いた後、すぐに出かけようと計画していたが・・・。

12 夜のまち散策ツアー(文昌閣見学、コンビニで買い物)(7:00~8:50)

(1)ホテルでのチェックインは6時40分だったから、その最中に、既にかなり仲良くなっていた人たちから私たちに要請されたのは、
「今日はオプションが何もないので、揚州の夜のまちの散策を案内してほしい」ということ。私たち2人は既にそのつもりで、部屋割りが終わればすぐに外出する準備を整えていたが、
本気でそのように要請されると「男意気に感ず!」とばかり、それに応えなければと思うのは当然。といっても頼りは私ではなく、同行している留学生の方なのだが、その橋渡しをするのは
あくまで私の役目。そこで揚州の夜のまちの散策希望の方は?と挙手を求めると、7、8名の人たちがそれに応じたため、フロントでの集合時刻を7時と定めて、次の行動の準備を・・・。

(2)準備するのは地図とカメラだが、それ以上に必要だと感じたのは引率用の旗。つまりガイドの袁さんが常に持ち歩いている「クラブツーリズム」と書かれたわが「ツアー旗」だ。
袁さんに状況を説明してそのツアー旗の一時借用契約が成立するとその後は、私たちが責任を持って、10名による揚州の「夜のまち散策私的ツアー」を楽しくかつ安全に
遂行しなければならないことに・・・。その義務感とかなりの緊張感を持って、いざ出発・・・。

(3)ホテルを出るとすぐ前は運河で、その運河にはイルミネーションがいっぱい。これだけカネをかけたら美しい水郷のまちの演出は十分だ。揚州は気候が温暖なためか
ノンビリした人が多いらしく、晩になれば運河の美しさを楽しみながら(夏になれば、運河の上を船が行き交うとのこと)、ゆっくりとお茶を楽しむという習慣があり、そのためお茶を飲む店が多い。私がツアー旗を掲げながら歩いた通りにも、そんな店がズラリと並んでいた。

(4)運河にかかる橋を渡ると、そこからは揚州1番の繁華街だったが、これが車道片側3車線の他、自転車道と広い歩道がある立派なもの。歩いている途中、小さなスーパーマーケットがあったので
そこに入り、おみやげ用のお菓子や酒類などを紹介すると、みんな「これは安い、これはいい」と大人気で、次々と購入。おみやげ店で買わなくても、こんなスーパーにいくらでも売っている
ということを皆さんに十分納得してもらうことに・・・。

 もっとも、ここで350ccの缶ビールを5元で購入し、男性陣の多くが飲みながらの散策となったため、ほどなくしてトイレ休憩が必要となり、立派なデパートの中へ。
するとここでもいろいろと安いものを売っていたため、トイレが終わるとおばちゃんたちはたちまち買い物ツアーに早変わり・・・。

(5)そんな楽しい経験をしながらメインストリートを歩き、明々とライトアップされている文昌閣をバックに写真撮影したり、江沢民自筆の石碑の前で写真を撮ったりと
楽しい時間を過ごしているうちに、皆さん方はボチボチ帰路にということに・・・。私たちはまだ水ぎょうざを食べるとか、足ツボマッサージに行く予定だったが、
8名の皆さんから「ここからはホテルまでまっすぐ歩いて帰ることができる」と言われたため、ここでお別れ。皆さん、揚州のメインストリートのプライベート散策はいかがでしたか・・・?

13 夜のまち散策の続きと水ぎょうざ(8:50~9:30)

(1)8名と別れた後、水ぎょうざのおいしそうな店があったのでそこに入り、2種類を注文。それぞれ6個入りで5元と4.5元だから、とにかく安いし、味はベリーグッド・・・。
ちなみにマクドナルドのハンバーガーは「10元から」だから、相対的にバカ高・・・?

(2)帰路ビックリしたのは、こちらサイドは一部車道を削って歩行者用に通路状の公園を設けていること。御堂筋の半分を自転車道と歩道にし、
そこに淀屋橋から本町まで立派な公園が設けられていると考えればいいわけだが、そりゃすごいこと。都市計画を勉強している私としては、「恐れ入りました」と脱帽する他なし・・・。

14 足ツボマッサージ(9:30~10:25)

 やっと念願の足ツボマッサージの店に入ったところ、何とそこは閉店していたため、他にないかと尋ねると教えてくれた。そこで再びフラフラとメインストリートを散策しながら、
教えられた道を曲がると、そこは一帯工事中だったが、足ツボマッサージの店がズラリ。今日入った店もいろいろメニューがあったが、あまり時間がないため、私は足ツボマッサージ30分、
ひざ下マッサージ25分のコースを選択し、これで50元。すっきりして運河の上の橋を渡ると、一斉にまち全体のライトアップが消されることに。時ちょうど10時30分。
ちょうどいい時間まで散策したことになったと大満足でホテルの中へ・・・。

15 就寝時の大トラブル・・・(12:00~1:00)

(1)今回のツアーはいろいろとハプニングが多いのが特徴で、ツアー終了後に聞いたところでは、2日目朝の料金未精算事件の他、部屋の鍵が開かず、結局別の部屋に移ったなどのトラブルも
発生していたらしい。しかして、実は私にも大ハプニングが・・・。

 それは1724号でシャワーを終え、眠ろうとしていたところ、ポトポトと変な音がし始めたこと。最初は廊下で誰かが何かの音を出しているのだろうと思っていたが、風呂場を覗くと、
何と天井から水がポトポトと滴り落ちており、トイレの便座は既に水でいっぱい。こりゃ、上の部屋が風呂の水を止めるのを忘れていることが原因に違いないため大ゴトだと、
さっそくフロントに連絡し、係員が駆けつけてきたが・・・。

(2)係員は何やら無線機でどなり合いながら対策をとっており、その結果(?)ほどなく水の落下は止まったが、「今日は満室なので部屋替えは勘弁してくれ。この部屋で我慢してくれ」とのこと。こちらも今更部屋を替わるのは面倒なのでオーケーしたが、何とそんな話をしているうちに、再度大きな音が始まり、前以上のスピードで天井から水がポトポトと・・・。
既に天井板の一部ははげて、その破片が落ちてくるという状況に・・・。

(3)これではかなわんと思っていると、「申し訳ありません。部屋を替わって下さい」とのこと。さっきは満室だと言っていたのにと思い、
部屋替えするのであればきっとスイートルームだと思っていると案の定・・・。こんなハプニングのおかげではじめてスイートルームに泊まることになったのだが・・・。

4日目

1 ホテル(揚州、西園大酒店) 起床 朝食

(1)6:00起床  6:30~朝食

(2)7:35バス出発

バス移動(揚州から蘇州へ)(約3時間、7:35~10:30)

 9:05 トイレ休憩

2 蘇州観光その1ー留園見学(10:40~11:40)

(1)中国の四大名園と蘇州の四大名園

 中国の四大名園は、①北京の頤和園、②承徳の避暑山荘、③拙政園、④留園の4つ。また蘇州の四大名園は、①獅子林、②拙政園、③滄浪亭、④留園の4つ。
したがって留園は、この両者にランクインされている名園。留園が造営されたのは明代だが、清代に改築されたため、清代の様式になっているとのこと。

(2)留園は誰の別荘?

 また留園は皇帝や国王がつくったものではなく、高級官僚個人の別荘とのことだが、その詳しい説明は聞いていないのでよくわからない。そう言われて思うのは、
やはり北京の頤和園と比べると規模が全然違うということか・・・?

 なおガイド本によれば、拙政園を造営したのも同じく明代の高級官僚だった王献臣で、俗説では皇帝からのほうびと地方の官吏からの賄賂によって造ったので、
拙政園と呼ばれたともいわれるとのこと。多分留園も同じようなものなのだろう。

(3)思わず思い出した「頤和園事件」

 2003年11月の北京ツアーで見学した頤和園と同じように、留園でも花窓と呼ばれる透かし窓を通して美しい庭園が見えるように、楼閣や回廊を巧みに配している。
またこの花窓の形がすべて異なるため、どこから見てもさまざまに移り変わる景色を見ることができるというのが最大の特徴。この花窓を通して庭を見学しながら写真を撮っていると、
北京で1人ツアーからはぐれてしまった「事件」を思い出してしまう。今回も人がいっぱいいる狭い建物の中をぐるぐる回っていると、よほど用心しなければ、はぐれてしまいそうに・・・。

(4)蘇州特産の石は?

 この留園の庭にたくさん置かれている奇妙な形をしたさまざま飾り石は、蘇州特産のものらしい。軽石のような感じだが、そうではないとのこと。しかし私にはそれ以上の説明はムリ・・・。

(5)足裏健康法・・・

 明代の高級官僚も健康には留意していたとみえ、庭の一部に敷きつめているのは、いわば足裏を刺激して健康を維持するための石。どこかの庭園にも、このもっと立派なものがあったなと思いつつ、とりあえず写真だけ・・・。

バス移動(11:40~11:50)

3 蘇州観光その2ー寒山寺見学(11:50~12:40)

(1)運河、橋

 蘇州も水郷のまち。したがって、バスを停めた駐車場から寒山寺までしばらく歩いていくことになるが、その途中には美しい運河や橋が・・・。

(2)なぜ寒山寺・・・?

 寒山寺は、唐代の詩人張継が詠った「楓橋夜泊」で有名な、6世紀初頭に創建された臨済宗のお寺で、唐代の高僧・「寒山」にちなんで寒山寺と呼ばれるようになったとのこと。

 詩に登場する鐘は、日本へ布教の旅に出た無二の親友「拾得」(じっとく)の身を案じてつくられたもので、今あるものは、清代に復元されたものとのこと。

 まずはツアー客が集合写真を撮る寒山寺の入口でハイポーズ・・・。

(3)拾得とは?

 写真4-⑬の金像は遠くから見ると、まるでマイクを持ってカラオケを楽しんでいるような姿。左側が寒山さんで、右側が拾得さんとのこと。私は拾得さんの名前は今回はじめて知ったが、
もっと勉強しなければ・・・。

(4)普明寳塔

 寒山寺には見学すべきものが多いが、とりあえず普明寳塔の写真を・・・。

(5)有名な詩

 この写真の詩が張継が詠った「楓橋夜泊」の詩。念のために、その詩を以下記しておこう。

 月落ち烏啼いて霜天に満つ

 江楓漁火愁眠に対す

 姑蘇城外寒山寺

 夜半の鐘声客船に到る

(6)有名な鐘

 有名な寒山寺の鐘は、1回(5元)つくと、10年長生きすると言われているが、実際についている人はなぜかいなかった・・・?大晦日には、この寒山寺での除夜の鐘を聴くために
多くの日本人が観光に訪れるらしい。袁さんの話によると、寒山寺の住職は時計を全く見ないまま、住職が鐘をつき、108回の鐘をつき終わるとちょうど元旦の0時を迎えることになるとのこと。
これぞ神ワザ・・・?

バス移動(レストランへ)(12:40~12:55)

4 レストランで昼食(1:00~1:40)

バス移動(蘇州から周庄へ、約1時間、1:40~2:35)

5 水郷のまち周庄見学(2:40~3:25)

(1)烏鎮は聞いたことがあっても、周庄という名前は私は1度も聞いたことがなかったもの。ここは直轄地である上海市と江蘇省の境にある900年の歴史を誇る水郷のまちで、
まちの一部が有料のテーマパークとされているもの。まち全体は烏鎮より大きいが、水郷観光のエリアは烏鎮より少し小さい感じ。周庄は地主の別荘地として明・清の時代に発展したが、
それは気候が温暖な水郷地帯であったため。

(2)運河には小型の美しいアーチ状の石橋が架けられており、中でも富安橋と雙橋は美古橋としてよく知られており、そこが写真撮影の名所とのこと。かけ足状態で移動しているため、
どれが、何という橋なのかじっくり味わうこともできないまま、とにかく美しいところで次々と写真撮影を・・・。

(3)京劇芝居

 定められたコースからは見えなかったが、少し脇道にそれるとちょっとした舞台があり、そこで京劇のようなものを上演していたため、1分ほどそれを覗いて写真だけを。

バス移動(周庄から上海へ、約1時間30分、3:30~5:00)

<離団届けの提出・・・>

(1)上海の見学は今日の夕食後しか日程がないから、2日目の夜のように、郊外のホテルに入ってしまうと再度市内の中心部へ出かけてくるのに大きなロスが生じることになる。そこでバスの中で
私が袁さんに確認したのは、①ホテル、②上海雑技団のショー、③夕食、④外灘(バンド)、の位置関係。今夜宿泊する上海逸和龍柏飯店ホテルは国内線専用の旧虹橋空港の近くだから上海の西端に
位置している。これに対して外灘(バンド)は当然東端。そしてショーをやる劇場は市内の繁華街にあり、夕食は外灘(バンド)の近くにある有名な庭園である豫園の近くとのこと。

(2)そこで、上海雑技団のショー見学をしない私たちは、夕食後2人だけで別行動をとるので、バスの中のトランクをホテルのフロントに預けて、部屋のチェックインをしておいてもらえないかと
袁さんに申し出たところ、それは「離団届け」を出してくれればオーケーとのこと。私もはじめての経験だったが、「離団届け」とは離団後の行動の責任をすべて自分でとるのが前提だが、
それにも①○時から○時まで団体から離れる、②何時以降帰国まですべて団体から離れるという2つのパターンがあるとのこと。それを聞いて私はなるほどそういう便利な制度があるのかと感心。
こんな制度があるのなら、参加する時からここまでは参加し、ここからは離団して自由行動をとるということも認めてくれるのかも・・・?もっとも、ツアー参加の段階から
そんな注文をつけることができるのかどうかは、もっと詳しく確認しなければわからないが・・・。

(3)そこで私たちは夕食終了後、11時まで離団し別行動をとること、そしてその間の責任は自分たちがとることの書類にサインをし、いざ離団の準備を・・・。

6 お茶の試飲(5:00~5:40)

(1)本日4日目のオプションは、7時30分から始まる上海雑技団のショー観賞。私は2003年11月の北京ツアーの時に既にこれを観ているし、上海のまちの見学は今日の夕食後しか
時間がないので、雑技団のショー見学はノーサンキュー。それでも午前中のバス移動の中の袁さんの勧誘よろしきもあって、27名中15名がオプション参加を表明していた。
しかしバスが上海市内へ入ったのは、既に5時になろうとする時間。これではオプション参加者の外灘(バンド)の見学は一体どうなるのだろうかと心配するとともに、
7時30分からのショー見学のために外灘(バンド)見学は短時間で終わってしまうのではと不安になっていた。そんな状況下で袁さんから上海へのバス移動中にアナウンスされたのは、
上海市内に到着すればまずお茶を飲みに行くとのこと。6時から夕食なのにその直前にお茶はないだろう、そんなものはやめにして上海のまちの見学をさせてくれと思い、
「外灘(バンド)の見学はちゃんとできるのか?」と質問すると、「大丈夫です」との答え。しかし、さて・・・?

(2)バスの中から高層ビルが林立する上海のまちなみを見学し、降りたところからは、徒歩でお茶の店へ行くとのこと。バスを降りてゾロゾロと袁さんの後について歩いていくのだが、
その場所は豫園の近くにあるらしい。既にお互い仲良くなっているツアー参加者からは、「お茶なんかいらないのに・・・」「どこまで歩いていくの・・・」という不満の声が・・・。
これに対して袁さんは、早く客をお茶の店に案内しなければと焦っていることがミエミエで、有名な観光名所である豫園の門の前を通っても何の説明もなく、先を急いで歩くだけ。
私たちを含む何人かは豫園の前で写真を撮ったりしていたが、こんな袁さんの案内に私の不満も爆発寸前に・・・。

(3)お茶の実演はウーロン茶、ジャスミン茶、龍井(ロンジン)茶など4種類。説明してくれるお嬢さんもかわいいし、お茶もおいしいのだが、時間を気にしながらのお茶は全然楽しくないもの。
したがって、その後のお茶の販売についても全然買う気にならず、1時間弱のお茶の時間が終わり、また歩いてバスまで・・・。ところがここで、駐車場の門が既に閉まっていたらしく、
何と袁さんは塀を乗り越えていき、私たちも同じように塀を乗り越えるようにと指示。私はいいが、年配のおじさん、おばさんたちも1人ずつ塀を乗り越える羽目に。そりゃないだろう・・・。

7 バス移動(夕食のレストランへ)(5:50~6:00)

<トラブル発生>

 バスに乗り、夕食のレストランへ向かったが、バスの中で私は、①オプション不参加者の夕食後の外灘(バンド)見学はどうなるのか、②7時30分からのオプション参加者の外灘(バンド)見学
はどうなるのかを質問したが、袁さんは「大丈夫」と言うばかり。お茶を飲んでいる時のみんなの不平・不満は、①時間がないのだからお茶なんか行かないで、上海のまちを見学したい、
②7時30分からの雑技団はあくまでオプションだから、そのオプションに参加するため外灘(バンド)見学ができないのなら、オプション参加はやめてもいい、というもの。
そういう大勢の声を前提として、私も少し大きな声で、7時30分からのオプションを優先させるのはおかしいと真正面から苦情を述べたが・・・。

8 レストランで夕食(上海料理)(6:05~6:50)

 今回のツアーの昼食、夕食は全体的にあまりいいものではなかったが、さすがに上海のレストランの夕食はおいしいもの。袁さんに対する不満がいっぱい溜まっていたが、
夕食は和気あいあいの雰囲気で大満足。

バス移動(レストランから雑技団会場へ)(7:00~7:20)

<大トラブル発生!>

(1)おいしい夕食をかき込むようにして食べた後、再びバスに乗ったのが6時50分。私たちはここで別れて2人で別行動をとってもいいのだが、雑技団のショー不参加者は
これから外灘(バンド)見学に行くということなので、そこまではみんなと一緒にと思ってバスに乗った・・・。

(2)この時私が聞いていたのは雑技団ショー参加者と非参加者を2台のバスに分けて、1台は雑技団ショーへ、1台は外灘(バンド)見学へ行くということだったが、実際はそうではなかった。
私たちB班の車はB班全員を乗せてそのまま雑技団ショーの会場近くに行き、7時20分にそこで停車し、雑技団ショー見学者は降りてショー見学へ、そして当然袁さんはその引率のために
バスを出て行った。あれ、これではショーの座席の案内が終わるまで私たちはバスの中で無駄な時間を10分、15分と過ごすだけだと気がついたが。さらに雑技団ショー参加者をバスで会場まで
送り届け、またバスで外灘に行くまでの時間約30分を無駄にしただけだと気づいたが、もう後の祭・・・。袁さんがバスに戻ってきたら文句を言おうと思っていたら、
それより先にT氏が大爆発・・・。

(3)袁さんが息せき切って帰ってきたのは7時35分。その袁さんの顔を見るなり大声で怒鳴りつけたのはT氏。その論旨は、①何にも説明しないまま我々をバスの中に放り出すとは何ゴトか
ということと、②2日目のホテルでの料金未精算問題で一言も謝らないのは何ゴトかということの2点。言い方は激しいが、その主張している内容はごく当然のことばかり。
特に①については、まず私が文句を言おうと思っていたことだった。ここまで怒鳴られれば袁さんも反論することができず、とにかくバスを出発させることに・・・。

バス移動(雑技団会場から外灘見学へ)(7:35~7:45)

 約5分間の大トラブル終了後、バスが外灘(バンド)に着いたのは7時40分。バスを降りて写真撮影の後、袁さんは現地まで私たちを案内し、何時まで見学しますかという質問。
黄浦江から吹いてくる風がかなり強く、少し寒くなってきたこともあり、参加者は15分くらいでということになったため、8時5分まで一緒に行動して写真撮影などを・・・。

9 外灘、上海夜景見学(7:45~8:05)

(1)写真が美しいうえ、コンパクトな説明がうまくされている小学館の『週刊 中国悠遊紀行』全50冊は、私にとってすごく重要な情報源。そのNO4が上海だが、その18頁には
「個性豊かな繁華街 名街」の紹介があったため、私はそのコピーを持参していた。

(2)上海の租界が始まったのは、阿片戦争に破れた清国が1843年に南京条約を締結させられ、上海など5港の開港を迫られたためだ。イギリスによる上海租界が始まったのは1845年だが、
続いて1848年にはアメリカが、1849年にはフランスが租界を設けることに。そして1863年には英米租界が合併して共同租界となり、一部には通称「日本租界」も設けられた。
ちなみに、長州藩の勤王の志士である高杉晋作が上海を訪れたのは1862年で、ペリーが日本へ来航した9年後のことだ。

(3)このため大きく蛇行する黄浦江を挟んだ東側の新開発地域である浦東(プートン)地区には、高さ463mの東方明珠電視塔をはじめとして上海国際会議場、金茂大廈などの超近代的な
高層ビルが立ち並んでいる。

 他方、西側には、上海摩天楼と呼ばれたイギリス領事館、匯豊銀行、東方匯理銀行などのおなじみの高層ビルが立ち並んでいる。これぞ上海の夜景として世界中に知れ渡っている
実にすばらしい景色が目の前いっぱいに広がっていた。

10 12名と別れて自由行動(8:05~10:15)

(1)南京東路を散策

 外灘の見学を終えた後、その反対側にある市役所などを見学し、その後は南京東路の歩行街をブラブラと歩きながら、その巨大さを満喫。この歩行街はもともと車の通る道路を1999年に
歩行街に改めたとのこと。大阪の道頓堀通りを約5倍ほどに広げ、その中を小型の電気バスが走っているという雰囲気で、河南中路駅から人民公園駅まで1駅をブラブラと歩いて約15分
というところ。外灘見学で風の冷たさを感じた私は、途中たくさんの店でバーゲンセールをやっていたため、1軒の店に立ち寄り、59元(約1200円)でちょっとカッコいい防寒コートを購入。
なお、人民公園駅の公園はどんな大きさなのかと思って進んでいくと、これは意外に小さいものだったのでビックリ。それとは逆に、新しくできたデパートの巨大さは、
とても日本では想像もできないほどのもの。

(2)地下鉄 人民公園駅にて次の方針決定

 人民公園駅までたどり着いたところで、これからどこへ行こうかと迷ったが、一度上海の地下鉄に乗ってみたいと考えて、人民公園駅で地下鉄乗り場へ。地下鉄料金は3元。売店でビールを買い、
地下鉄1号線に乗って南へ1駅黄陂南路駅へ。切符は日本と違ってすごく立派なものだったが、出口で回収されるのは日本と同じ。また夜の9時過ぎだが、階段を上り下りする乗客の足の速さも
大阪と同じ・・・。私がここへ向かったのは、2001年にオープンした上海新天地の中にある中国共産党の「一大会址」を見てみようと思ったため。

(3)共産党趾の見学

 黄陂南路駅に到着すると「一大会址」は2号出口と書いてあった。しかし、そこを出たものの、それらしきものは全く見えず、「一大会址」にたどり着くまでにかなりの苦労を。
だって私の相棒の中国人留学生自身が、1921年に中国共産党の第1回党大会が開かれた会場がここにあるということ自体を知らないのだから、それもやむをえないもの。
ところどころに立っている「公安」に聞きながら、約10分歩いてやっとたどり着いたのが一大会址。ここは2006年2月27日から3月24日まで工事中のため立入禁止となっていたのは残念。
しかしあと数日すればその工事が完了し、中国共産党の第1回大会の記念の資料が大々的に公開されるのでは・・・?

(4)足ツボマッサージは中止

 共産党趾の近くには立派なレストランがたくさんあり、足ツボマッサージの店もあったので入ろうとしたが、料金は200元。日本の感覚で考えれば高いわけではないが、
50元、60元で慣れた感覚ではべらぼうに高いため、ホテルにもあるだろうと考えて中止。

11 タクシーでホテルへ(上海逸和龍柏飯店)(10:15~10:30)

(1)ホテルへの帰路はタクシーだが、高速道路を走って約15分。日本なら1万円近くかかりそうだが、中国では基本料金が10元だから、かなりアップしても結果的には43元(約650円)と
バカ安・・・。

(2)このホテルには立派なフィットネス施設があることが、タクシーの窓からわかった。そこで足ツボマッサージを楽しみに、このホテルで足ツボマッサージの値段を聞くと、
何とここは280元とのこと。それを聞いてえらくケチになっている私はもういいワと中止。やはり上海の物価は異常であることをこんなところで実感!

(3)「離団届け」を提出したため、袁さんにトランクをフロントに預けておいてくれるよう頼んでいたところ、そのトランクは無事に保管されていた。ところが、同時に依頼していたバスの中に
手荷物として持ち込んでいたリュックがない。「こりゃまた何かの手違いだ、すぐに連絡しなければ・・・」と思っていると、ちょうどいいタイミングで袁さんと出会うことに。
彼の説明は「・・・」だったが・・・。

12 就寝(11:30)

5日目

1 ホテル(上海逸和龍柏飯店) 起床 朝食

(1)6:00起床  6:30~朝食

(2)7:50バス出発

 今朝は8時までにバスに乗り込めばいいので、朝は少し時間的に余裕がある。そこでチェックアウトを済まし、トランクをバスへ運んだ後、ホテル内の美しい庭園を散歩しつつ、写真を撮ろうと
思って庭園への入口のドアを開けようとすると、何とこれが閉まっている。そこでフロントの係員に「開けてくれ」と頼むと、鍵を持っている者に連絡するので、「しばらくお待ち下さい」とのこと。
しかし今回の中国ツアーでは、袁さんの対応をはじめ中国式のやり方に対する不平不満が溜まっていたため、「しばらくとは1、2分か、5分か、それとも15分か」と
つい考えてしまうことに・・・。そしてその間玄関を出て写真を撮ったり、玄関入口に飾っている埴輪の像をバックに写真を撮ったりして、また庭園への入口に戻ってきたが、フロントの係員からは
うんともすんとも返事がないまま。そうこうしているうちに出発の時間となり、とうとう庭園散策はできないことに・・・。できないのならできないでいいのだが、「しばらくお待ち下さい」と
ワケのわからないことを言うだけで、その後のフォローを全くしない中国式のサービスに、今回は正直かなりムカついた次第・・・。

バス移動(7:50~8:30)

2 博物院、ショッピング(8:30~9:30)

(1)上海西端の上海逸和龍柏飯店ホテルから、東端から南へ下る浦東国際空港まで、朝のラッシュ時間帯にバスを走らせるのだから、2時間程見込んでいるのかなと思っていると、そうではなく、
袁さんの説明によると、これから宝石、骨董品のショッピングとのこと。「またショッピングか」といい加減うんざりしながらバスを降りると、そこはメノウやヒスイ、水晶などでつくられた
高級骨董品の展示と販売で、1個100万円近くするものも展示している上海錦兆藝術博物院。私はもともと骨董品には興味がないが、説明を聞きながら見ていると、それなりに面白いもの。

(2)ところが、ここでまた大きな商売を・・・。1つの大きな棚の中に展示してある商品9点を全部まとめて80万円ときた。さらに、その隣の棚に入っている商品は、棚代3万円とともに
日本へ責任を持って送り届けて83万円とのこと。骨董品の好きな人なら結構値打ちがあるのだろうが、私には残念ながら全然興味のないものばかり。こんな売り方は、どこかのツアーでもあったな
と思いつつ、上海の最後の見学がこれではこのツアーはダメだと痛感・・・。

バス移動(上海浦東空港へ)(9:30~10:30)

<カメラマンの写真販売>

(1)最後のバス移動の中で販売するのは、随行していた女性カメラマンの朱さんが撮影していた写真。何回もツアー旅行をしていると毎度おなじみの風景だが、これは集合写真を含め、
旅行中にカメラマンが撮影した写真をグループごとにセットし、その中から欲しいと思うものだけを1枚1000円で購入するもの。物価が日本の5分の1から10分の1の中国で、
写真1枚1000円というのは異常な高値だが、それは、不要なものをすべて破棄してしまうことを前提としているため。

(2)私たちは集合写真を含めて2枚を購入し、8枚ほどは捨てることになったが、以前から私はこの方式は不合理だと考えている。私なりに合理的だと考える方法は、1枚なら1000円だが、
3枚買ってくれれば単価を800円、5枚買ってくれれば単価を600円、8枚買ってくれれば単価を500円、10枚買ってくれれば単価を400円などと設定すること
(もっと細かく分けてもオーケー)。そうすれば、多少は写真の写りが悪くても、記念に買っておこうという気になるはずだが、何枚買っても1枚1000円では、
ベストの写真を1、2枚だけとなってしまうのが当然では・・・?

(3)なお、ここでも袁さんの人間性がチラリと・・・。それはオプションやショッピングでは成績をあげるとガイドの収入に跳ね返るため、一生懸命売り込みをするのだが、カメラマンの朱さんの
写真販売については、自分の収入に直結しないためか、1度簡単な説明をしただけの冷たいもの。さらにその販売が終了した後、袁さんが持ち出してきたのは寒山寺での集合写真。
これはカメラマンの販売ではなく、旅行社が販売するものらしいが、集合写真1枚をアルバム風にセットしたもので、結構値打ちのあるもの。したがって、追加として出されてきても多くの人が
これを購入していたが、これも商売上手・・・。もっともカメラマンの写真と一緒に販売しなかった分だけ、袁さんとしては、カメラマンに気を遣っていたということかも・・・?

3 上海空港(12:30発)から関空(15:25着)へ

    ANA(NH156便)

 出国手続は順調に進み、広い広い上海浦東空港の中で、30分ほど売店見学をしながら時間つぶしをして機内へ。なおここで、40元余っているので何を買おうかと迷っていた仲間がいたため、
太っ腹な私(?)は600円で両替をしてあげたが、ひょっとして、これって銀行法違反・・・?

4 関空到着(15:25)

  例によって機内ではタップリとビールとワインを飲んで眠ろうとしたが、「行き」よりも「帰り」の方が乗っている時間が短いため、ホントにアッという間に関空へ到着。
即座に旅行気分からビジネスモデルに頭を切り替え、これから事務所に戻り9時くらいまで、いっぱい溜まっている書類の処理をしなければ・・・。

 2日目の夜だけ少し雨に降られたものの、例によってそれ以外はすべていい天候に恵まれたツアー旅行でした。

[総評]

第1 今回のガイドは最悪・・・?

1 最初の印象は?

 私はこれまでのツアー旅行のガイドに不満を持ったことは1度もない。逆にホントにいいガイドにめぐり会って幸せだったと思う人がほとんどだった。唯一の例外は、2001年8月の敦煌の
莫高窟見学の際の女性ガイド。彼女はまるで中国共産党の幹部のように(?)偉そうで、機械がそのまましゃべっているようなガイドだったので腹が立ったが、幸か不幸か途中でこのガイドと
はぐれてしまった。そこで仕方なく、別の男性ガイドにくっついて行くと、これがすごく良かったため、かえってラッキーだった。

 今回のガイドの袁さんは、話はうまいし、知識・経験も豊富なベテランガイドだと最初は思ったのだが、次第にその化けの皮がはがれることになり、さまざまなトラブルが・・・。

2 本来のガイドの役割である観光案内、歴史案内が不十分・・・

 ガイドの役割の基本は、観光客に対してきちんと観光案内、歴史案内をすること。ところが、袁さんは後述の「呉越同舟」と「四大美人」の話、そしておカネの話や教育論になると延々と
しゃべるのだが、肝心の観光案内や歴史案内はきわめて不十分。こちらが聞きたいと思っている各都市の特徴や歴史、特産物、おいしいものなどをほとんど話してくれない。そのうえ彼の話を
ずっと聞いていると、同じ話のくり返しが何度も・・・。

 私は中国旅行ではいつもメモ帳を持って、ガイドの説明でこれはメモしておかなければと思うことは必死でメモをとっているのだが、今回は「呉越同舟」と「四大美人」の話以外は
あまりメモできていない。それは決して私がサボっているためではなく、袁さんが私が聞きたいと思う観光ガイドをしてくれなかったから・・・。

3 自慢話の多さに辟易・・・

 袁さんはベテランガイドだから、日本も何回か訪れたらしい。しかし、その話を聞いていると、政府や地方の要人の通訳として東京や京都を訪れ、高級料亭での接待も再三体験したらしい・・・。
別にそれはそれでいいのだが、何回もその話を聞いていると、どうもそれが自慢話に聞こえてくる。それは、中国人特有の日本語の使い方である、「ねえ、そうでしょう!」という
1回ごとの念押しの強さにもあるが、やはりにじみ出る人柄のせい・・・?

 したがって、袁さんと大ゲンカしたTさんの言い分は、「お前は日本に何回も来たと自慢しているが、日本人の心が何もわかってない!」ということ。考えてみれば、これは現在の
靖国参拝問題をめぐる日中のケンカとよく似たもの。そして、やはりここまでこじれると、その関係を修復していくのは難しいもの。現に最終日の朝バスの中で、袁さんは会社にも連絡をとった
として、「お詫びの気持として」と言いながら、あるおみやげを渡そうとしたが、Tさんは断固としてその受け取りを拒否・・・。結局、「日中対立」は解消できないままに・・・。

4 ショッピング優先、オプション優先は本末転倒・・・

(1)今回は多くの観光地をめぐるツアーであるうえ料金が39800円と格安だから、ツアー恒例(?)のショッピングがたくさん組み込まれることは仕方ないもの。お茶の試飲などは息抜き、
休憩になるから、適度に配置してもらっている限り、別に不満はない。しかし、今回はあまりにもそれが多すぎる感じ・・・。

(2)特に2日目、わざわざ蘇州まで行って昼食を食べたのは、結局シルク工場とシルク製品のショッピングのためとしか考えられないやり方・・・?また4日目の夕方5時頃、上海に着いた途端に、6時からの夕食が予定されているにもかかわらず何の観光もせず、とにかくお茶の試飲に案内するというのは実にナンセンス・・・。

(3)さらに今回、袁さんのガイドで目立つのは、オプション勧誘のしつこさと、おみやげの車内販売のしつこさ。とりわけトラブルになったのが、4日目の上海での7時30分からの雑技団観賞の
オプション。つまり、このオプションを優先させているため上海のまちの見学がおろそかになっていることは明らかなのだ。

 ちなみに、オプション参加者はA班に比べてB班の方が圧倒的に多かったようだが、これはひとえに袁さんの営業努力の結果・・・。しかし、あまりにも営業目的が強く出てくると
いい加減うんざり。こりゃ本末転倒では・・・?

第2 今回のツアーで目についたことー改善の提案

1 行動予定を明確に・・・

 今回のツアーは観光場所が多く、移動時間が長いため、何時にどこに着き、その後どう移動するのか、それが私にとっては重大な関心事。もちろん多少の時間のズレがあるのは仕方ないが、
①ツアー全体の大まかな予定、②今日1日の動きの予定、そして③明日の予定、をいつも確認しておきたいもの。さらに、①今バスに乗っているのは、どこからどこへ向かっているのか、
②何時頃に到着するのか、③到着したらどんな時間配分で、どこを観光するのか、④その見どころは何なのか、ということも、いつもガイドから説明してもらいたいもの。これまでのツアーにおいて、この手の不満を持ったことは1度もない私だったが、今回はこれがなかなか説明されないため、いつも不満状態。行動予定をその都度明確にすることは、ガイドに徹底してもらいたいものだ。

2 地図の提示、配布などコースの明示に工夫を

(1)大阪・京都・神戸の観光地めぐりなら、その位置関係や距離関係はすべて頭に入っている。また、前回の2005年10月20日~10月24日の山東省クルーズにおいては、
青島・済南・泰安・曲阜の位置関係、距離関係はわかりやすいため、自分の現在の位置をいつも客観的に確認することができた。ところが今回は、杭州と上海の位置関係、距離関係はわかるし、
杭州ー烏鎮とか、上海ー蘇州の位置関係はある程度わかるものの、無錫・鎮江・揚州・周庄になると、それが全然わからない。また杭州は浙江省だが、その他の都市は江蘇省に属しているため、
余計わかりにくいことに・・・。

(2)そこで私が是非お願いしたいことは、ツアー客向けにできれば正確な地図を配布してもらうこと。それができないのなら略図でもいいので、全体の位置関係を明確に示した地図を作成して、
配布してもらいたい。観光予定地を文章だけではなく地図で示すことは、中国のまちを理解するうえで不可欠のことだし、それをネタにしてガイドさんが観光案内をしてくれることが、
バスの中の時間の過ごし方としてベストだと思うのだが・・・。

第3 今回学んだ2つの知識

1 「呉越同舟」と「臥薪嘗胆」

(1)前回(05年10月20日~24日)の山東省クルーズでは、孔子の故郷、曲阜を訪れたが、孔子は春秋時代(BC770~403年)に魯の国に生まれ、BC5世紀に活躍した人物。
戦国時代(BC403~221年)の「戦国七雄」(韓・魏・趙・斉・燕・楚・秦)の時代に対して、それに先立つ春秋時代は「春秋五覇」(斉・晋・楚・呉・越・宋)の時代と言われている。
『中国の歴史』全12巻の第2巻にあたる『都市国家から中華へー殷周 春秋戦国』(2005年・講談社)によれば、「呉と越は長江下流域に本拠をおく大国である。より詳細にいえば、
呉は江蘇を本拠とし、越は浙江を本拠とする。いずれも北進して中原諸国を威嚇し、楚と同じく王を称した」と書かれている(241頁参照)。そして春秋時代の末期には、「呉」と「越」の2国が
強くなり、盟主を競い合う時期に入ることになった。今回旅行した蘇州はこの「春秋五覇」のうち「呉」の国があったところ(江蘇省)であり、浙江省の杭州は「越」の国があったところ。

(2)「呉越同舟」という有名な言葉は、呉の国の人と越の国の人が1つの船に乗り合わせるという意味。これは、呉の国と越の国が他の国の脅威にさらされていた時期に、運命を共有し、
お互い仲良くしようとした時に生まれた言葉。

(3)これに対して「臥薪嘗胆」は、もっと恐ろしい権力闘争から生まれた言葉。BC494年、越の国の国王、勾践は、呉の国の2代目の国王、夫差に敗れて、捕虜になり牢屋に入れられて
しまった。勾践は、それを恥として復讐を誓い、「臥薪嘗胆」を掲げて力を蓄えて、BC473年に再び呉国と戦い、呉国を滅ぼした。したがって「臥薪嘗胆」とは、越の国王、勾践の辛抱強さを
表現した言葉。ちなみにこれについても、前記『都市国家から中華へー殷周 春秋戦国』(256・257頁)を参照してもらいたい。

 なお「臥薪嘗胆」は、日清戦争(1894~95年)で勝利したにもかかわらず、ロシア、ドイツ、フランスによる三国干渉の圧力を受けたため、日本が日露戦争に備えて国力を蓄えた時の
合い言葉としても有名な言葉。

2 中国の四大美人

(1)世界の三大美人は、楊貴妃、クレオパトラ、小野小町だが、中国の四大美人は、楊貴妃、西施、王昭君、貂蝉。王昭君は前漢時代に匈奴に嫁がされた美女で、貂蝉は三国時代に後漢の実権を
握る薫卓と呂布の仲を割いた16歳の美女。そして西施が、今回の杭州・蘇州旅行で注目すべき美女。

(2)すなわち、西施は、春秋時代に越王、勾践の復讐の手段に利用された傾国の美女だ。BC494年に越王、勾践が呉王、夫差に敗れたことは前述のとおりだが、負けた勾践は、
表向きは夫差に臣従しながら、裏では夫差を骨抜きにする計略で、美女西施を夫差に献上した。その計略がまんまと当たって、夫差は西施の色香に溺れて国政をおろそかにしたため、
20年後勾践の反撃にあって敗れ、自殺することに。まさに「傾国の美女」とはよく言ったもの・・・。

(3)ちなみにこの西施については、「呉越抗争に翻弄された美才」と題して、『週刊 中国悠遊紀行』NO10の29頁に詳しく紹介されている。それによると、西施の出身地は、
「紹興から東南へ50kmばかりのところに諸曁(しょき)がある。古代には苧羅(ちょら)と呼ばれた。ここが注目を浴びるのは、呉越の攻防戦に翻弄された絶世の美女、
西施の出身地とされているからだ」とされているので、これも是非参照してもらいたいものだ。

                                               以上

                                 2006(平成18)年4月7日


第2-10)中国(北京)旅行記・・・(2007(平成19)年10月7日~10月11日)

[はじめに]

<今回の北京旅行の目的は?>

 今回の北京旅行の目的は、北京電影学院で学生たちに特別講義をすること。事前の古澤さんとの打合せでは、私の講義は10月9日の予定とされていたが、直前になって中国では10月1~7日まで国慶節のためお休みなので、北京電影学院側と十分な連絡がとれず、とりあえず10月9日の午前10時に北京電影学院正門前で待ち合わせることに。私としては事前に配布用の中国語のレジメ
(A4で3枚)を用意したばかりか、話すネタとして膨大な資料を準備し、かつ映画のパンフレットなども大量に持参するつもりだから、北京電影学院の見学だけで終わったのではあまりにも
もったいない。しかし、そこは日本流にあるいは坂和流に事前にゴリゴリと予定を煮詰めるわけにもいかず、あくまで中国流そして古澤流に委ねることに・・・。

<北京の4泊5日ツアーを選択したのは?>

 北京電影学院での特別講義は1日だけ。したがって、3泊4日ないし4泊5日の同一ホテル宿泊の北京ツアーで行き、1日だけ自由行動をとればそれが最も便利で安上がり。そう判断した私は、
10月7日~11日までの4泊5日のツアー旅行とすることに決定した。

 今回のツアー参加者は総勢で10名とのこと。北京旅行のベストシーズンであるにもかかわらずこれぐらいの参加者しかいないのは、やはり中国の食品不安などの悪影響が出ているため・・・?

                                               以上

                                 2007(平成19)年10月26日記

1日目

1 関西国際空港(14:00発CA928便)から

                    北京首都国際空港(17:00着)へ

 今年の日本は異常な暑さが続き、10月になってもまだまだ暑い。それに対して、北京は今だいたい摂氏8~18度くらいだから、ちょうどいい気温。しかし、公害(大気汚染)が深刻化する
中国では、北京の空も曇っており、青空は少ないと聞いていたが、さて・・・?

 例によって、飛行機の中ではタップリとビールとワインを飲み、まだ酔いが十分醒めない中、北京首都国際空港に着き、入国手続を終えた後、男性ガイドの厳安(げんあん)さんと合流。
小型バスに乗ってそのまま四川料理のレストランへ。

 途中、約40分の移動中、ガイドさんの案内どおり、北京オリンピックに向けてマンション建設が進む北京のまちをタップリと車窓見学しつつ写真撮影を。新築マンションの建設ラッシュの他、
中古マンションの化粧直しも盛んとのこと。大阪市内でも超高層マンションの建設ラッシュが続いているが、とてもその比ではないことを目の当たりにして、あらためてビックリ。

2 東安門の夜市を散策

 バスを降り、レストランへの道を散策しながら、夜市を見学。夜市では例によってたくさんの食べ物が売られているが、衛生上問題ありという情報が広がっているため誰も手を出す人はいない。
またガイドさんの説明でも、ハッキリと夜市の食べ物は食べない方がいいとクギをさしていたほど。

3 夕食(6:00~7:00)

 私は日本の中華料理は大好きだし、中国での料理もよほど脂っぽいものやよほど辛いもの以外はだいたい好き。刺激が強く脂分の多い肉系をたくさん食べるとダメだが、野菜類であれば
炒めものでも大丈夫だし、おいしい。四川料理は辛さが売りだが、日本のツアー客向けの四川料理はそれほどでもない。また、何回か中国旅行をしてわかったことは、やはり地元の人と一緒に行く
おいしい料理とツアー客向けの料理は全然違うということ。もっとも、そうだからと言ってツアー客向けの料理が食べられないということではなく、私は結構満足して食べている。

 今回驚いたのは、ビール(大ビン)1本がそれまで10元という感覚だったのに、15元、20元に値上がりしていたこと。タクシーの初乗り10元は数年間ずっと変わっていないのに、
ビールが一挙に1.5倍、2倍に値上げされているのは日本人ツアーだけ・・・?

4 ホテル(華潤飯店)チェックイン(7:30)

 ツアーの食事は1時間以内が原則。慌ただしく四川料理を食べ終えた私たちは、そのままバスに乗ってホテルへ。ガイドの説明によると、駐車の関係で夜の繁華街への車の乗り入れは
難しくなっているらしい。したがって、私たちの食事中、バスは一カ所に駐車することはできず、いろいろなところで停車をくり返していたようだ。

5 秀水街での買い物(8:00~9:00)

 ホテルでのチェックインが済むと7時30分だったので、北京の偽物市場と言われている秀水街へ買い物に行くことに。ホテルからタクシーで約10分、そして料金は20元だから安いもの。
昔は露店がズラリと並んでいたらしいが、今は大きな近代的なビルに一変。その中にはたくさんの店があり、どの店も商品でいっぱい。

 本日のお買い物は、おみやげ用に婦人用高級マフラー4本450元、ネックレス3個100元、そして私用に偽のブルガリの時計90元。秀水街は午後10時に閉店となったので、
その後足ツボマッサージをしようかどうか迷ったが、今日は早めに切り上げて帰ることに。

6 就寝(11:00)

2日目

1 起床(6:30)、朝食(7:00~7:30)ホテルでバイキング

2 本日の予定と3日間の予定を決定

 今日(10月8日)は、ツアーの予定では万里の長城と明の十三陵の見学だったが、既にこれは見学しているためそれをキャンセルして、琉璃廠(リュリーチャン)や前門(チェンメン)、
大柵欄(ダーヂャーラン)と什刹海(シェンチャーハイ)公園をメインとして見学することに。そして、3日目(10月9日)は1日北京電影学院での講義にあて、さらに4日目(10月10日)は
チベット仏教寺院の雍和宮の見学と孔廟(首都博物館)や宋慶齢故宮などの「博物館」を見学する予定とすることに。

 幸いなことに今日は、北京でこんなきれいな青空を見るのはめったにないのではないかと思うようなすばらしい快晴。そして、寒くもなく暑くもない最適の気温。明日以降も晴天が続くとのことで、「晴れ男」に生まれたことを感謝しつつ、勇んで地図とカメラを手に見学の途に・・・。

3 ホテル出発(7:45)、前門駅着(8:30)

 四恵東駅→(1号線)→建国門駅で乗り換え→(2号線)→前門駅

 ホテルから地下鉄の四惠東駅までは徒歩3分。そこから目的地の天安門の少し南にある前門駅までは地下鉄の駅で8つ、時間的に約30分で到着するはず。北京の早朝の道路は慢性的に渋滞
しているうえ、今日10月8日(月)は1週間の長期休暇明けだから混んでいるはず(日本では祝日の振替休日だが、中国では関係なし)。また、1度は地下鉄に乗ってみなければと思っていたため、今日は地下鉄に乗ることに。ちなみに、地下鉄の料金は1律2元。車から地下鉄への切り替えを促すため、北京オリンピックまでは3元から2元に値下げしたとのことだから、メチャ安。
天安門を中心として東西に走る1号線は、大阪の御堂筋のようなメイン路線だが、中国で最初にできた路線だけに老朽化が顕著。そのうえ、1人2元ずつお金を出して切符を買うシステムだから、
ロスが多いことおびだたしい。

 東京並みの通勤地獄を体験しながら、やっと前門駅に着き、地上に上がると、なぜかそこには警察官がいっぱい。これは一体ナニ、と思ったら、10月15日から始まる中国共産党の
第17回全国代表大会に向けた警備態勢の強化のため。といっても、カバンの中身を少し見せればそれでオーケー。いよいよ見学のスタートだ。

4 天安門の南側前門駅周辺を散策

 まず最初に北に天安門を臨みながら、目の前に見える毛首席紀念堂と正陽門などの周りを歩きながらパチリ、パチリと写真撮影。また、地図上で最高人民法院、中国歴史博物館、人民大会堂、
人民英雄紀念碑を確認しながら、今自分が立っている位置をしっかり確認するとともに、10月15日の共産党全国代表大会に思いを・・・。

5 前門大街と大柵欄街を散策(8:30~11:00)

(1)前門大街を南下、まずは珍しい品を

 ここまでは、天安門を見学しながら少し足を伸ばせば北京ツアーとしてお馴染みのコースだが、そこからさらに少し南すなわち前門大街になると、かなり北京馴れした人でないと
なかなか歩けないところ・・・?旧外城の最も北部にあたる、かつての繁華街である前門大街と大柵欄は、「北京の浅草」ともいえる庶民的な下町の雰囲気溢れる地域らしい。
もっとも、前門大街も再開発中らしく、解体されている店も多い。1、2年先に一体どんなまちに生まれ変わるのか、楽しみと不安がいっぱい。

 それでも、前門大街を歩き始めるとホントに昔の北京(清代の北京?)を歩いているような感じだったが、そう認識したのが、最初に立ち寄ったおみやげ店。ここには、昔の写真や絵を印刷した
珍しいポスターを売る店があり、私は中国の王朝の歴史をまとめた図や昔の故宮の絵などの値段交渉し、6枚まとめて200元で購入。

(2)大柵欄街散策(10:30)

 大柵欄街には、昔から有名な薬屋やお茶屋そして靴屋があるとのこと。そこで、前門大街の南下を中止して、大柵欄街を西方面に進むことに。

 ①薬屋(北京同仁堂)

 ある事情によって、この薬屋で大量の胃薬(漢方薬)を購入。ここで私がはじめて見た風景は、薬屋の中に男女ペアの医師らしき人(?)が客の脈をとったり問診をしながら、
どんな薬がベストかのアドバイス(指示)をしていること。そんな指示を受けて購入した箱入りの漢方薬はスーパーの袋の中いっぱいに。まさかこれを手に提げて、今日1日観光するのかと思って
ゾッとしたが、たまたま散策中に見つけた鞄屋でサムソナイト製の(?)カバン型キャリーバッグを見つけたため、これも大激論の値段交渉の末、130元で購入し、
薬類をその中に入れて歩くことに。

②お茶屋(張一元茶屋)

 ジャスミン茶と緑茶を購入

「張一元」というお茶屋は、北京で有名な老舗の店とのこと。両側のカウンターには10人くらいの売り子がおり、好きなお茶を好きな量だけ計量して販売してくれる。中国のおみやげとしては
お茶が一番多いが、おみやげ店で買うよりはよほど新鮮かつ安いようだ。ちなみに、私はジャスミン茶(100g、60元)と緑茶(100g、90元)を購入(計337元)。

③靴屋

「内聯昇鞋店」という靴屋も北京で有名な店で、ここで販売する靴はすべて手づくり。ちなみに、毛沢東も周恩来も自分の靴はすべてこの店でつくったとのこと。

私は、靴の中敷(18元)と、今司法試験の受験勉強をしている娘のために上履き(35元)を購入

(3)さらに、大柵欄街を西に歩いていると「中国電影誕生地(大視桜電影院)」を発見。ここで、中国電影の父、任  泰と一緒に写真撮影。

6 タクシーで西単(シータン)の中国銀行本店へ(両替)

                       (11:00~11:30)

 今回は両替のために銀行に行く必要があったため、若者たちで賑わう西単(シータン)にある中国銀行本店へ。タクシーを下りると、まずはその外観のデカさにビックリしたが、
入ってみてなお一層驚いた。何十メートルという高さの吹き抜けのロビーはバカ広く、超一流ホテルのロビーをはるかに超える豪華さ。ちなみに、写真を撮っているとダメ、ダメと制されたが、
それは何のため。それはきっと、銀行強盗に入るために写真が活用されるのを防止するため・・・?だって、理由はそれしか考えられないもの・・・。

 奥に入っていくと、太陽光を浴びた大きく明るいフロアの中で業務を取り扱っていたが、順番待ちでもらった札が28番。こりゃ1時間近くかかるのではないか、本店はデカすぎるから
混んでいるのだろう、それなら王府井の中国銀行へ行った方がベターではないか、ということになり、再度タクシーに乗って王府井の中国銀行へ。

7 タクシーで西単から王府井(ワンフーチン)の中国銀行へ

                           (11:30~12:00)

 タクシーを下りるところをまちがえたためか、約10分歩いて、でっかいビル「東方新天地」の1階にある中国銀行の中に入ったが、ここも20人ほどの順番待ち。

8 昼食(12:30~1:30)

 それではその間に昼食を、と考えて行ったのが、「東方新天地」の中にある四川料理の店「東方広場分店」。ここで食べたのは高湯娃娃菜、少蟢魚湯圓、小湯色などで合計154元だったが、
この店の味は昨日のツアー客向けの四川料理とは大違い・・・。

9 王府井見学(1:30~1:50)

(1)おいしい昼食を終えて銀行に戻ると、とっくに待ちの順番は過ぎており、再度待たなければならないとのこと。そこで、私は30分以内という約束で1人王府井の繁華街の散策へ。

 2004年11月の北京ツアーの時には、夜ここを歩いたことを思い出しながら、ブラブラと歩いたが、驚くのはとにかく道路が広く、ビルがデカイこと。さすが北京最大の繁華街
と言ってしまえばそれまでだが、これと比べた大阪のまちの貧相さが否応なくくっきりと・・・。

(2)まだ両替は終わっていないだろうと思いつつ銀行に戻ると、すべて完了したとのこと。さて、その方法は・・・?

 それは、日本では到底考えられないもので、ヤミの両替商のおばちゃんによる両替。つまり中国では、日々変わる元の相場をにらみながら、両替商(銀行業?)の許可のないまま、
ヤミで両替を商売にしているおばちゃんがいるらしい。しかも、そのおばちゃんが堂々と銀行の中をめぐり歩きながら、両替を求めるお客さんを探しているわけだ。ちなみに、
このおばちゃんに両替してもらった方が銀行の窓口での両替より交換の率がいいのは当然。そうでなければ誰もこのおばちゃんに両替は頼まない。おばちゃんは日々変化する元のレートを
計算しながら、安い時にたくさん両替して、その差額を稼いでいるわけだ。こんなところで、こんなすごい中国経済の(?)実態を見たのは、ホントに大きな収穫。ちなみに、この日の両替は
銀行だと1万円が610元のところ、おばちゃんだと630元だったから、結構価値のあるもの・・・。

10 タクシーで鼓楼・鐘楼へ(2:10)

(1)鼓楼見学(2:15~2:40)

 銀行めぐりに手間取り、時間が大きく食い込んでしまったが、いよいよこれから鼓楼・鐘楼へ行くことに。ガイド本にも「胡同(フートン)巡り」として特集されている、前海、後海、西海周辺、
さらに鼓楼・鐘楼から恭王府付近に残っている北京の古き良き時代を思い出させる街並みめぐりの始まりだ。都市問題をライフワークとして研究している私としても、やはり書物からの知識
だけではなく、ホンモノを自分の目でしっかりと見て実況見分しておかなければ・・・。

(2)胡同とは?四合院とは?

 ネット情報によれば、「胡同」とは主に中国の首都北京市の旧城内を中心に点在する細い路地のこと。また、伝統的家屋建築である四合院が多くこの胡同に面し、古き良き面影をしのばせる
とのこと。その正確な内容については1人1人調べてもらいたいが、いくつかの四合院を見学して、私なりに理解できたことを整理すれば次のとおり。

 第1に、四合院は中庭をもった、東西南北に配置された4つの建物からなっていること。第2に、四合院の入口(大門)は南側にあるが、それが中央部ではなく必ず南東角(八卦でいう巽の方角)
にあること。第3は、大門を入ると影壁(第二門)があり、その北側がメインの中庭(院子)で、その南側が結婚前の女性がここまで出ることができるサブの中庭であること
(つまり、結婚前の女性は第二門を出ることは許されるが、大門の外に自由に出ることはできないということ)。

 第4に、東西南北に配置されている建物は、

 ①北側がメインで、その中央には居間兼応接間となる「正房」が、そしてその左右に家長の寝室となる「耳房」があり、

 ②東西には家長を除いた家族の寝室、書斎、食堂となる「廂房」があり、そして、

 ③南側に、使用人の部屋となる「倒座」がある。

つまり、家長の部屋を中心とするメインの部屋は、南の庭に面したベストポジションに配置されているというわけだ。また、地方によって、財力によってその規模はさまざまだが、
近代的建築ではなく昔風の四合院を好む中国の大金持ちたちは、今でも巨大な四合院を購入したり、建てたりしているとのこと。これは日本でも、一部の大金持ちが純日本式の和風建築に
こだわるのと同じようなもの・・・。

(3)鼓楼の前でタクシーを下り、20元の見学料を払って鼓楼の入口に立つと、そこでビックリ。そこには何十メートルもある急勾配の階段があったから。これを上らないことには、周辺を
見下ろすことができる鼓楼の上に立つことができないわけだ。日頃1週間に1回の20km走で足腰を鍛えている私には、この程度の階段は屁でもないが、普通の人はこれを上るのは大変だろう。
しかし、これを上り、太鼓の音を聞きながら四方を見渡せば、その周辺は美しい昔の街並みと再開発の姿がくっきりと・・・。もちろん、目の前には同じ高さの鐘楼の姿も。

11 胡同(フートン)東側めぐり(2:45~3:45)(人力車)

(1)鼓楼を下りた後、私はまずその西側にある前海、後海周辺の宋慶齢故居に行こうと思ったのだが、結果的には胡同めぐりの人力車に乗ることに。声をかけてきた人力車のおじさんの話によると、料金は約1時間の胡同めぐりで1人180元とのこと。しかし、そりゃ高すぎると値段交渉の結果、2人で100元ということに・・・。

(2)人力車の上で私はさかんに地図を調べたが、胡同の中は迷路のようになっているので、自分が一体どの位置にいるのか、どこを回っているのか、その時にはサッパリわからなかった。
これが胡同の東側めぐりだったことがわかったのは、2度目の人力車に乗った時、回っている途中、ここには有名な茅盾故居があると教えてもらい、写真を。

(3)また、有名な四合院の1つとして楊昌済故居の前での写真を。さらに、観光客に開放している四合院があり、そこでは中に入って説明を聞きながら写真撮影。

12 胡同(フートン)西側めぐり(4:00~5:00)(人力車)、

             什刹海(シェンチャーハイ)公園めぐり(5:00~6:00)

(1)人力車を下りると既に時間は4時。夜になると前海・後海の周りは一面バーの灯りがつき、若者や外国人たちでいっぱいになるらしい。そこでまずは、そんな開店前のお店で写真を1枚。

(2)続いて、夕方の美しい前海の前で写真を撮っていると、新たな人力車のおじさんからまた誘いの声が。「もう乗ったよ」と答えていると、
「それは東側めぐりで、それとは別に西側めぐりがある」とのこと。西側めぐりは前海・後海の周辺で、四合院や恭王府や梅蘭芳紀念館などをめぐるとのこと。既に4時になっているし、
歩いて回るのは時間的にしんどいと考えたため、これに同意。東側と同じく2人で100元という条件で、再び人力車による西側めぐり観光に。

(3)最初は、超有名な焼肉屋「焼肉季」の前にて写真撮影を。

(4)続いて「福福」、「雲起」で写真撮影。

(5)望海楼で写真撮影

(6)観光客に開放された四合院を見学

 ベッドの中で

 書斎のデスクの前で

 庭で

 応接間で

 ここらあたりで既に1時間を超えたが、6時にすぐ近くの有名なレストランで友人が食事をごちそうしてくれることになったため、6時にそのレストランの前まで人力車で行ってもらうことにして、時間を6時まで延長。したがって、西側めぐりの人力車料金は2時間で200元に。

(7)千竿五号前にて写真撮影

(8)恭王府前にて写真撮影

(9)北京師範大学前にて写真撮影

(10)梅蘭芳紀念館(四合院)前にて写真撮影

13 夕食(九門小吃)(6:00~9:00)

 今日の夕食は、いろいろな料理を自分で選び、好きなものを好きなだけ食べるという珍しい方式の「九門小吃」というレストラン。中国で律師試験(司法試験)を受験している2人の友人と
合流して、楽しく話し合いながら食事を。

14 徒歩にて、夜の什刹海(シェンチャーハイ)公園を散策(9:00~10:00)

 途中、何回もトイレに行きながらビールをたんまりと飲み、約3時間をかけた楽しい夕食を終えた後は、タクシーに乗るため、前海の入口のところまで約1時間かけてブラブラと散策。
右手には美しい後海・前海の夜景が、また左手には賑やかなバーの赤い灯、青い灯がいっぱい・・・。2004年11月に雲南省の麗江の夜のまちを散策した時に味わった楽しさとはまた異なる、
何ともいえない不思議な雰囲気をタップリと楽しみながらゆっくり散策を。やはり、こうして歩いていると、ああ、ここがさっき人力車に乗って通った道だとか、ここが写真を撮った場所だ
ということが再確認できるもの。途中、小さい花売りの少女から花を買ってやったりしながら、やっと帰路につくべくタクシーに。

15 タクシーでホテル(華潤飯店)へ(10:00~10:30)

 約1時間の散策によって多少お腹はほぐれたものの、ビールの酔いも回り、気分は最高。タクシーの中でウトウトしつつ、約20分でホテルの前に。
ちなみに、前海からホテルまでの料金は35元だから、日本に比べるとメチャ安。しかも、この時間になるとさすがに道路は空いているからかなりの高速で飛ばすので、北京市街地の西北にある
前海・後海から東端の朝陽区にある華潤飯店までは約20分。

16 就寝(11:30)

地下鉄前門駅前にて

毛首席紀念堂前にて

正陽門前にて

中国の古いポスターを売るおみやげ店にて

お茶屋「張一元茶屋」前にて

毛沢東、周恩来がつくったという靴屋にて

西単(シータン)にある巨大な中国銀行本店前にて

王府井のメインストリート

鼓楼の上から 再開発中のまちを撮影

夕方の美しい前海の風景を写真家坂和章平が・・・

律師試験の受験生と

什刹海公園内 前海・後海の美しい夜景をバックに

3日目

1 起床(6:30)、朝食(7:00~7:30)ホテルのバイキング

2 タクシーでホテル(華潤飯店)から北京電影学院へ(8:30~9:10)

 今日はいよいよ、今回の北京旅行最大の目的である北京電影学院での特別講義の日(になるはず・・・)。大きな旅行カバンの中に入れて持ってきた『SHOW-HEYシネマルーム』1~14
各1冊と『シネマルーム5』すなわち『坂和的中国電影大観』5冊をはじめ、坂和用の資料や中国映画のパンフレットなどを、昨日購入したばかりのキャリーバッグと日本から手荷物として持参した
キャリー製のリュックに入れてホテルを出発。

 もちろん、この他にカメラなどの必需品があるため、昨日のようなすし詰め状態の地下鉄で行くことは到底ムリ。そのうえ、地下鉄1号線には、乗り換えのために歩くについて、エスカレーターや
エレベーターがほとんどないから、重い荷物を持って歩くのはとてもムリ・・・。それに対して、北京のタクシー代はメチャ安だから、日本では到底考えられないホテルから北京電影学院前まで
タクシーに乗っていくという選択は容易。ただ、交通渋滞で時間がどれくらいかかるのか不安なため、かなりの余裕をもってホテルを8時半に出発した。途中、道路の結節点では
かなり混んでいたものの、それを過ぎるとわりと車は流れており、正味約40分で9時10分頃北京電影学院正門前に到着。料金は55元(約880円)。

3 北京電影学院正門前で古澤先生と待ち合わせ(10:00)

 2003年11月の北京ツアーの際に訪れ、女子学生と並んで正門前で写真を撮った、懐かしい北京電影学院にやっと到着した。古澤先生と約束していた10時までの時間待ちのため、
「喫茶室はどこにあるか?」と聞いて入ると、そこは上空からの明かりをとり入れたすごく大きな喫茶室。ここでトイレに行ったり、資料を広げたりした後、再度正面玄関で写真を撮っていると、
すぐ横に古澤先生が現れた。

 2007年5月27日に大阪の天三(天神橋3丁目)にある「甚六」という店でおいしいお好焼きを食べながら語り合った時以来の再会だ。喫茶室へ戻り、いくつかの情報交換をした後、
とにかく美術学部の王鴻海(ワン・ホンハイ)教授の部屋に行こうということになり、私はかなりの緊張感をもちながら、古澤先生と一緒に9階の王教授の部屋に。

4 王鴻海(ワン・ホンハイ)教授の部屋で劉旭光教授を含めて打合せ

                           (10:30~12:00)

(1)王教授の部屋に入ると、古澤先生と懐かしそうに再会を祝していたが、その後すぐ劉旭光教授も姿を現し、王教授と同じように古澤先生との再会を祝し、その後具体的に私との打合せに入った。ここで驚いたのは、劉教授は日本語が達者なこと。聞くところによれば、先生は神奈川県に数年間住んでいたとのこと・・・。

 まず、私が中国語版のA43枚のレジメを約5分間で説明したところ、王教授からビックリするような質問を受けた。それは「文化大革命をどう考えていますか?」というシビアなもの。
それに対して、私は「基本的に文化大革命は問題ありと考えている。そして、それが中国映画に大きな影響を与えていることはまちがいない」と答えたところ、それに対して王教授からは
さまざまな指摘が。

 それをここでいちいち紹介することは避けるが、このような質疑をはじめとして、王教授と劉教授そして私と古澤先生の間の、通訳を介した話は、次第に熱を帯びることに。そこで時計を見ると、
既に正午前。あらかじめ食事の予定をしてくれていたらしく、「それでは食事に行きましょう」となり、私たちは9階から1階に下り、食堂に行くことに。

(2)校舎を出て外を歩いていると、そこで出会ったのが、何と北京電影学院の学長である張会軍(シャン・ホンジー)教授とのこと。そこで私も名刺交換をし、一緒に記念撮影を。
多少ミーハー的かもしれないが、私はもともとミーハー族と自認しているから、これもよしとしておこう・・・?

5 昼食(12:00~1:30)

 「留学生餐庁」の1階は大衆食堂風だが、2階は個室。案内されたとおりの部屋に入ると、そこには大きな丸テーブルを前に既に4人の先生方が座っていた。その前に通訳を含めた私たち5人が
座ると、まずは王教授が私たちを歓迎するために持参してきた日本酒の醸造酒で乾杯をした後、豪華で楽しくかつ有意義な昼食会が始まった。そこに出席してくれていたのは、馬(マー)教授、
李教授ら4名の先生方。

 当初の話題は自己紹介や北京電影学院での活動状況などのお固いものが中心だったが、何度か乾杯を重ねていくうちに、お酒談義や失敗談義さらに悪者談義(?)になってきた。
そして、それとともに昼食の場は次第に大きな笑い声に包まれた和気あいあいとした雰囲気に。こんな雰囲気の食事は私も大好き。しかも、ほとんど飲めない古澤先生のお酒を
代わりに飲んであげたりしているうちに、私も大声で笑いながら打ち解けていくことに・・・。

6 王鴻海教授の部屋で打合せ(1:30~2:00)

 1時間半をかけた長く楽しい昼食会が終わり、再び、王教授の部屋に戻ると、午前中に段取りの指示を受けていたらしい事務担当の人から報告があり、私の特別講義は明日10月10日の2~4時
に決まったとのこと。昼食を食べながらも、どこか心の片隅にひょっとして今回の北京ツアーでの特別講義はお流れかも、と心配していたが、この決定を聞いてひとまず安堵。
明日は雍和園を中心とした観光をする予定だったが、それはいつでもできること。講義が明日の2~4時と決まった以上、それに向けて全力を傾けなければ・・・。そのうえ、今日はこれから
北京電影学院全体を見学させてもらえるらしい。こんな機会を与えてもらった古澤先生と王、劉両教授に謝謝!講義用の資料などはキャリーバッグの中に入れたまま王教授の部屋に
置いてもらうこととし、これからまずはアニメ学科の見学へ。

7 アニメ学科案内(2:00~4:00)

 日本のアニメ技術の優秀さは世界的によく知られているが、最近は中国でもアニメに力を入れてきたとのこと。そこで今日は、新しくつくられた(?)アニメ学科の入っている棟をタップリと
見学させてもらうことに。これについては、最近3D(立体画像)の研究に興味をもっている古澤先生がかなり興味があるらしく、いろいろと突っ込んだ質問を。私は専門的なことは全くわからない
ものの、各部屋で勉強している学生や先生たちの熱心さをひしひしと感じることができた。この案内は、私が張藝謀(チャン・イーモウ)監督によく似ていると表現した馬教授の案内によるもの。
本当にありがとうございました。

8 撮影学部案内(4:00~5:00)

 次は、俳優棟を見学。入口には世界的な賞を受賞した先輩俳優たちの名前がズラリと並び圧巻。私がすぐに気づいたのは王志文(ワン・チーウェン)や趙薇(ヴィッキー・チャオ)の名前。
また、各期ごとの集合写真や各期ごとの舞台風景などの写真が並べられており、そこにはすぐにわかる徐静蕾(シュー・ジンレイ)や周迅(ジョウ・シュン)の顔なども。

 具体的にどんな授業をしているのかの見学はできなかったが、雰囲気を味わうことは十分に。また、学院の中をあちこち歩いていると、たくさんの学生たちと出会う中、美男・美女、
そしてスタイル抜群の学生が多いように思えたが、それは将来のスターの卵がたくさん集まっているのだから、当たり前のこと・・・?

9 古澤先生の案内でオープンスタジオ見学(5:30~6:00)

(1)以上で学院内の見学をすべて終え、今日1日いろいろとお世話していただいたことを感謝して、お別れすることに。学院を出た後、古澤先生の案内によってすぐ近くにある、
清の時代の建物がたくさんあるオープンスタジオの見学に行ったが、ここは現在は使用されていないようで、ほとんど放置状態・・・?しかも、少しずつ暗くなってきたため、約30分の見学で終了。

(2)なお、帰国後ガイド本を見たところ、学院のすぐ近くに北京電影游城という「映画村」があり、ここには、いろいろな施設があるそうだ。つまり、①電影大観園(『紅楼夢』の屋内セット)、
②影視拍撮外景地(映画村)、③激光槍戦場(軍事娯楽施設)、④影視奥秘館(ホラー劇)など。次回は、是非ここにも行ってみなければ・・・。

(3)ここで、明日午前11時に再び喫茶室で待ち合わせる約束をして古澤先生と別れたが、古澤先生は明日は12時から天津へ行く予定になっているため、私の講義を聴くことはできない
とのことで少し残念。まあ、講義は録音するし、ビデオ撮影もするから、後日講義録を送って読んでもらうことにしよう。

10 西単(シータン)の本屋へ

 ここでまた1つヤボ用が・・・。それは、友人のために法律専門書を扱っている西単の本屋まで買いに行かなければならないこと。そこで、すぐにタクシーに乗ったが、これが大失敗。
夕方の大渋滞で、西単まで何分かかるかわからないとのこと。車の中から、電話で7時半に秀水街での買い物を約束していたので急がなければならないのだが、これでは本屋に寄って本を買い、
地下鉄で秀水街に向かってもかなり遅れそう。

 そこで、思い切ってタクシーの行き先を近くの地下鉄の駅に変更してもらい、地下鉄で西単へ行き、目的の本屋へ。ここでも本を選ぶのに時間がかかったので、急いでまた地下鉄に乗って秀水街へ。遅刻すること約30分で、8時にやっと秀水街に到着。

11 秀水街で買い物(8:00~9:00)

(1)秀水街での買い物は、閉店時間の9時までちょうど1時間。さあ、どんな値切り交渉で、何を買ったのか、その実況中継をすればかなり面白いが、ここではそのホンの一部だけを。

(2)まず、購入した品物とその金額は次のとおり。

 ①袋もの(カバン)6個220元、②キャリー式リュック2個200元、③袋もの(小)15個150元、④ベルト1本50元など。

(3)各店の売り子たちの商品販売意欲は相当なもので、腕を引っ張って店の中に引き入れようとするほど。そして、こちらが少しでも興味を示すと、たちまち「これいいヨ」と薦め、
「いくら?」と聞くと「○○元」と即座に答える。私の経験では、この言い値の半額ではまだ高く、半値の半値くらいがホントの相場・・・?もちろん、品物によってその違いはあるが・・・。

 キャリーバッグは既に昨日購入していたので、それ以上購入しても手荷物として持って帰れないうえ、キャリー式のリュックを2つ購入したからもう限界。ところが、1つ目についた立派な
書類カバンタイプのキャリーバッグがあったので見ていると、たちまち店員に囲まれ、値段は「1980元」とのこと。「そりゃ高いワ」と言って電卓に「200元」と表示すると、1200元、
800元、500元と次第に値下げしてきた。私はこれ以上買う気はなかったので、「もういらない」と言ってその店を離れようとしたが、腕を握って放してくれないまま電卓を示し、
遂に200元まで値下げ。本気で買う気なら、こちらの言い値になったのだから買うべきところだが、所詮持って帰れないからと断り、やっとその店を離れることができた。
しかし、これほど簡単に10分の1の値段になるとは・・・?

(4)まとめ買いをすれば安くなるのは当然だが、それ以上に大切な買い物のコツは、こちらの言い値まで近づきながら最後の折り合いがつかない場合、「それじゃ、いらないヨ」と言って
店を離れる勇気を持つこと。これはポーズだけではダメで、本当にそういう気持を持つことが大切。そうすれば、90%以上の確率で店員が追いかけてくるはず・・・。
もっとも、10%はホントに交渉が決裂し、せっかく欲しかったあの品物が買えない危険も・・・。まあしかし、異国での買い物は楽しみだと割り切り、固執しないことが一番・・・。

12 夕食(9:00~10:00)

(1)買い物が終わると夕食だが、道路を隔てたすぐ前に、豆腐料理店の大きな看板が目に入ったためそこに入ると、そこは韓国料理店。

 1つは刺激の少ない韓国風の温かいメンを注文したが、それにはキムチやナムルそして韓国風お好み焼などがついて30元。もう1つは、韓国風のうなぎどんぶりを注文すると、
豆腐チゲがついて48元。ビール1本15元を含めて合計93元(約1500円)。

 こんな安くておいしい韓国料理に舌つづみを打ちながら、足ツボマッサージの店が近くにないかと店員に尋ねると、何とそのビルの地下にあるとのこと。
こりゃ、今日はついてるナと思ったが・・・?

(2)ゆっくり食事をした後、地下に下りていくと、今混んでいて1人だけしかできないとのこと。そこでいろいろ交渉したところ、20元プラスになるが11時ならホテルまで出張してくれる
とのこと。「それならちょうどいいいワ」とその約束をして、タクシーに乗りホテルに戻ったが、何とその約束は無惨な結末に・・・。まあ、その詳細はここでは伏せておこう・・・。

13 ホテル(華潤飯店)着(10:15)

 足ツボマッサージをしないまま就寝

王教授の部屋にて 王教授と古澤先生と一緒に

北京電影学院の学長、張会軍教授と一緒に

学長の他、古澤先生、王教授、劉教授たちと記念撮影を

北京電影学院の教授たちと昼食風景

馬教授と古澤先生と一緒に

周迅(ジョウ・シュン)らの写真

オープンスタジオ内にて

韓国料理店「北昌豆腐」前にて

4日目

1 起床(4:30)、勉強(4:30~6:30)

 重要な考え事があると、私の頭は夜眠っている時もいろいろと活動しているのではと思うことがよくある。それは、夜中にふと目が覚めて、今考えていたこと(?)をメモしたりすることが
よくあるから・・・。昨夜は結局足ツボマッサージをしないまま眠ったのだが、眠っている間も今回の講義のことを考えていたらしく、パッと目が覚めると午前4時半。
そこで、今考えていることを整理し、今日の講義内容のメモをつくろうと決意した。

 講義時間は2時間だが、通訳が入るので実質1時間。学生たちに配布する中国語のA43枚のレジメを順を追って説明するだけでも2時間はすぐに過ぎてしまうから、よほどポイントを
絞る必要がある。また、学生たちに興味深く聴いてもらうためには、やはり論点の提示と問題提起を中心にやる必要がある。そう考えた私は、私用に準備していた資料をいったん白紙に戻し、
3枚のレジメのポイントを抜き出し、それをつなぎ合わせることによって、今日の講義をやろうと考え、そのメモをつくっていった。日本でもそれなりの準備をしていたが、
講義時間も確定していないうえ、ひょっとして今回の講義はお流れになるのではないかという心配もあったため、今ひとつ最後のツメができていなかったのはまちがいないところ。

 そんな私の心の中の負い目を、この早朝2時間の勉強によって吹っ飛ばすことができたのは幸いだった。この手の作業は、日常の弁護士業務や講義・講演活動の際いつもやっていることなので、
お手のもの。そして、約2時間かけて講義メモをつくったことにより、今日の講義内容のイメージはバッチリと固まり、自信満々状態に。

2 朝食(7:00~7:45)

 ちょうど講義メモが完成し、イメージが確立できた時点で夜が明け、お腹も空いてきたので、軽く朝食を食べて、今日もタクシーで出発することに。

3 タクシーで北京電影学院へ(8:50~9:30)、表紙用写真撮影

 今日は11時に北京電影学院内の喫茶室で古澤先生と待ち合わせ。車の渋滞時間を外して遅い目に出かけてもいいのいだが、頭の中は今日の講義をいかに立派にやり遂げるかでいっぱい。
したがって、早く北京電影学院に着き、何度でも予習しておきたいため、8時50分にタクシーに乗ることに。タクシーの中で目を閉じて少しウトウトしていると、9時半に到着。
聞くところによると、渋滞している幹線道路を避けて裏道を通ったりしたらしい。そのため、所要時間は45分で、料金は62元。

4 北京電影学院前で『坂和的中国電影大観』パート2の表紙写真の撮影

 早速喫茶室に入ると、まずはその入口においてある機材をバックに写真撮影。次にテーブルに着いて荷物を置き、資料を広げた時に思いついたのは、今回の講義を中心とした
『坂和的中国電影大観』パート2を出版するには、北京電影学院の看板の前で写真を撮るのが一番いいのではないかということ。最近私は、表紙の写真撮りにも馴れ、その撮影のテクニックや
コツもわかってきた。そこで、北京電影学院の正門前にある看板の前に何度も位置や構図を変えながら立ち、表紙用の写真撮影を。

 帰国後プリントアウトしてみると、これがキレイに撮れており、これなら十分表紙の写真として使用可能。日本語での『シネマルーム』特集としてのみならず、中国語での出版にも
いよいよ本格的に乗り出さなければ・・・。

5 喫茶店で通訳と打合せ(10:00~11:00)

(1)講義・講演はこれまで何度もやってきたし、しゃべるのは得意な方だと自負しているが、通訳を介して講義するのは今回がはじめての体験。特に今回の講義で難しいのは、次の2点。
すなわち、①映画のタイトルが原題と邦題で全く異なるため、邦題を言っても通訳には全然理解できないこと。それなら、私が原題を言えればいいのだが、残念ながらごく一部を除いて
私にはその能力はなし。②監督や俳優の名前についても、漢字はわかっていても私が中国語での発音ができないため、誰のことを言いたいのかが通訳に伝わらないこと。

 そのため、私は事前に作品については原題と邦題を併記し、公開日、監督名、出演者名などを一覧表にするとともに、監督と俳優の名前についても、中国流の呼び方と日本流の呼び方を
一覧表にしておいたのだが、それをすべて私と通訳との間で一致させるのは大変な作業。

(2)そこで、10~11時まで1時間をかけて、通訳との間で十分な打合せをすることに。それは、早朝に私が書いたメモにしたがって、私のしゃべる内容を説明し、そこで通訳しづらい点を
つき合わせる作業。その中で感じた第3の難しい点は、例えば「団塊世代」「土地バブル」「日活ロマンポルノ」などという一定の概念が確立している日本語を、
どのように中国語に翻訳したらいいのか全くわからないこと。そこで、そのような通訳しづらい言葉は極力避けて、できるだけシンプルな講義をやろうと決意することができた。
この1時間の通訳との打合せが、本番に向けて大きく役に立ったことはまちがいなし。

6 古澤先生と打合せ(11:00)

 午前11時きっかりに古澤先生が喫茶室に現れたため、まず今日の講義の準備状況を説明した。続いて、レジメの配布準備や教室などを聞いたが、それは古澤先生もわかっておらず、
これから確認していくとのこと。ただ、掲示板に今日の特別講義を案内するポスターを貼ってくれたから、20~30名はきっと参加するだろうとのこと。

 もっとも、そう言われても私は心配。だって、昨日やっと講義の日時が決まり、掲示板にポスターを貼ったくらいで、ホントに20~30名の学生が集まるのだろうか、と不安になるのは当然。
ひょっとして2、3人しか来なければイヤだなと思いつつ、美術学部棟の王鴻海教授の部屋に行こうとすると、そこで私たちが目にしたのは、何と1人の女子学生との話が終わり、
立ちあがろうとしていた田壮壮(ティエン・チュアンチュアン)監督だった・・・。

7 田壮壮監督と記念写真撮影

 もちろん、古澤先生も田壮壮監督と面識があるわけではないから、そう簡単に古澤先生を通して紹介してもらうというわけにはいかない。しかし、そこは何事も積極的な古澤先生。
つかつかと監督の元に歩み寄り、自分は現在学院内でこんな立場の人間であること、そして今日は弁護士坂和章平の特別講義のためにここに来ていることを要領よく説明した。

 私は9月25日に田壮壮監督の『呉清源 極みの棋譜』(06年)を観て、その評論を書いているし、『坂和的中国電影大観』(『シネマルーム5』)でも、田壮壮監督の『青い凧』(93年)
については彼の経歴などにも触れながらかなり詳しく評論している。そこで、『呉清源 極みの棋譜』のことを話しながら握手をし、古澤先生と共に記念撮影を申し出ると、快く承諾してくれた。
そこで、2ショットでの写真撮影を。こりゃ