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金沢旅行記・・・2005(平成17)年10月7日~8日

10月7日(金)午後1時の金沢地裁への出張に合わせ、翌8日土曜日を利用して一泊泊まりで兼六園観光と金沢の近代文学館や美術館めぐりの旅へ。
夕食後はタクシーにて夜の武家屋敷などの観光まで決行。そしてもちろん、おいしいものをお腹いっぱいに・・・。

[1日目]・・・10月7日(金曜日)
大阪(9:42)発→金沢(12:18)着

1 金沢地裁 弁論(1:00~1:30)
2 金沢城・兼六園観光(2:00~5:00) 
3 夕食
4 タクシー観光(7:00~9:00) 

金沢泊



[2日目]・・・10月8日(土曜日)

1 美術館・博物館めぐり(9:00~)
(1) 石川近代文学館見学 
(2) 石川県立美術館見学
(3) 藩老本多蔵品館見学
(4) 石川県立歴史博物館見学
(5) 石川県立伝統産業工芸館見学
2 昼食
3 兼六園観光(1:00~3:00)
4 尾山神社、前田利家公像、お松の方之像

金沢(16:02)発→大阪(18:32)着

尾道・呉旅行記・・・2005(平成17)年11月23日~24日

11月24日(木)午後2時の広島地裁尾道支部への出張に合わせて、23日の祝日を利用し、尾道・呉方面の旅行へ。
その狙いは、第1に映画『男たちの大和/YAMATO』(05年)に登場した戦艦大和の実物大セット(尾道)と大和ミュージアム(呉)の見学。第2に、林芙美子をはじめとする尾道の文学情緒と
尾道映画資料館を味わうこと・・・。さらに『SHOW-HEYシネマルーム』の表紙撮影のため、高級一眼レフのデジカメをフル活用しなければ・・・。

[1日目]・・・11月23日(水曜日)

新大阪(8:46)発→広島(10:20)着
広島(10:29)発→呉(11:00)着

1 大和ミュージアム見学   
呉(13:01)発→広島(13:10)着
広島(13:18)発→美原(14:38)着
美原(14:43)発→尾道(14:55)着
2 戦艦大和ロケセット見学(3:00~5:00)  
3 夕食  
4 おのみち映画資料館見学   
5 尾道市内散策  
6 ホテル(グリーンヒル尾道)泊

[2日目]・・・11月24日(木曜日)

ホテル出発(9:00)

1 古寺めぐり
(1)持光寺 
(2)文学公園 
(3)おのみち文学の館  
(4)林芙美子ブロンズ像  
2 千光寺山麓(長江口)→ロープウェイ→山頂
(1)千光寺公園見学  
(2)文学のこみち  
山頂→ロープウェイ→千光寺山麓  
3 尾道白樺美術館  
4 おのみち映画資料館見学  

尾道(15:55)発→福山(16:14)着
福山(16:35)発→新大阪(17:44)着

金沢旅行記・・・2006(平成18)年2月10日~11日

2月10日(金)午後2時の金沢地裁への出張に合わせ、翌11日の祝日を利用して2度目の金沢見学の旅へ。雪景色の兼六園の美しさはひとしおだが、寒いのはやはり大変・・・。

[1日目]・・・2月10日(金曜日)

大阪(10:42)発→金沢(13:21)着

1 金沢地裁 弁論(2:00~3:00)
2 金沢城見学  
3 夕食
4 兼六園ライトアップ~冬の段~見学  
5 ホテル(キャッスルイン金沢)泊

[2日目]・・・2月11日(土曜日)

1 武家屋敷散策(8:00~)  
2 石川県立歴史博物館見学  
  石川近代文学館見学  
3 尾山神社見学(12:00~)  
  お松の方之像  
  前田利家公像  

金沢(13:54)発→大阪(16:33)着

東京 靖国神社見学記・・・2006(平成18)年3月23日~25日

3月23日(木)3時30分の東京簡裁での調停事件、24日(金)1時の東京地裁での再開発関係事件そしてその日の夕方5~7時に開かれる再開発コーディネーター協会法制検討部会への出席、
さらに翌25日(土)1時半からの都市的土地利用研究会(都土研)公開研究集会への出席と、東京での仕事が連チャン。
その合間となった25日の午前中、桜の美しい靖国神社をはじめて訪問。そして、たっぷり時間をとったつもりの遊就館見学だったが、2時間弱では時間不足・・・。

1日目]・・・3月23日(木曜日)

新大阪(10:43)発→東京(13:43)着
1 弁護士会館で事前打合せ(2:00)
2 東京簡裁 調停(第1回)(3:30~4:30)
3 夕食
4 ホテル(新高輪プリンス)泊

[2日目]・・・3月24日(金曜日)

1 東京地裁 判決、打合せ(1:25~3:00)
2 再開発コーディネーター協会 第5回法制検討部会
     (5:00~7:00)
3 ホテル(新高輪プリンス)泊

[3日目]・・・3月25日(土曜日)

1 靖国神社・遊就館見学(9:00~12:00) 
2 都市的土地利用研究会公開研究集会
     (1:00~5:00) 学士会館203号室
3 稲本先生古稀祝賀会(5:30~) 
      学士会館203号室 

東京(20:06)発→新大阪(23:13)着

広島旅行記・・・2006(平成18)年10月15日~16日

10月16日(月)4時の広島高裁での事件に合わせて、前日15日の日曜日に万博公園で開催されたオービックの運動会をお昼で切り上げて、広島旅行へ。夕方チェックイン後、直ちに原爆ドーム、平和公園などを見学した後宮島(厳島神社)見学を。
その後ヒロデン(市電)の端(宮島口)から端(広島駅)まで約1時間の電車の旅(?)の中で、車窓から広島のまちを丹念に見学し、地図をしっかりと頭の中に。そして翌16日は、
3時間半コースの市内観光バスに乗って、午後4時の法廷出席の直前まで広島の市内をくまなく見学。

[1日目]・・・10月15日(日曜日)

1 オービック秋の運動会(10:00~12:30) 万博公園

新大阪(13:51)発→広島(15:20)着

2 原爆ドーム・平和公園見学  
  原爆ドーム前→(クルーズ)→宮島(約45分間) 
3 厳島神社見学 
4 広電で市内を車窓見学(約1時間)(8:00~9:00)
5 夕食 「ひろしまお好み物語 駅前広場」で広島焼き 
6 ホテルニューヒロデン泊

[2日目]・・・10月16日(月曜日)

1 広島市内観光(9:00~12:30)(定期観光バス利用、3時間半コース)
(1) 縮景園見学  
(2) ひろしま美術館見学  
(3) 原爆ドーム・平和記念公園見学  
(4) 資料館見学(ここでツアーから離脱)
2 資料館見学を継続
3 広島城内見学 
4 広島高裁 弁論(4:00~)

広島(20:33)発→新大阪(21:58)着

東京旅行記・・・2006(平成18)年12月22日~24日

12月22日(金)午前11時の東京高裁での事件終了後、午後は靖国神社見学、そして夕食後は六本木ヒルズ見学と大忙し。さらに、その合間には出版社との出版打合せも。
翌23日は生まれてはじめて、はとバスの東京一日(C)コースを利用して、二重橋、雷門、東京タワーなどの東京見物を。ちなみに、この日は天皇誕生日だったため、皇居は超満員・・・。
そして、同日夕方からは田園調布にあるオービックの野田会長宅でのクリスマスパーティーに出席し、数多くの著名人たちと交流。翌24日は、さまざまな雑務処理をこなし、午後から早い目に帰阪。

[1日目]・・・12月22日(金曜日)

新大阪(6:08)発→東京(9:10)着

1 東京高裁書記官室前で打合せ(10:30)
2 東京高裁 進行協議(11:00~12:00)
3 打合せ(12:00~1:00)
4 靖国神社見学(2:00~5:00) 
5 ぎょうせい 中川と出版打合せ(6:00~6:30)
6 六本木ヒルズ見学(8:00~10:00)
7 ホテル(六本木プリンスホテル)泊

[2日目]・・・12月23日(土曜日)

1 東京見学(はとバス利用・東京一日(C)コース)
     (9:00~5:00)
(1)二重橋 
(2)楠正成像 
(3)雷門 
(4)お台場、フジテレビ見学 
(5)東京タワー(ここでツアーを離脱) 
2 オービック野田会長宅にてクリスマスパーティー
     (6:00~10:00)
3 ホテル(六本木プリンスホテル)泊

[3日目]・・・12月24日(日曜日)

1 雑務処理

東京(13:13)発→新大阪(15:49)着

広島・新山口旅行記・・・2007(平成19)年1月26日~28日

1月26日(金)午後3時の広島高裁の事件に合わせ、翌27日(土)と28日(日)を利用して、山口・津和野・萩をめぐる2泊3日の旅へ。27日は、津和野では森鴎外に、萩では松下村塾の
吉田松陰、武家屋敷の木戸孝允、高杉晋作らとご対面・・・?
そして28日午前中は、湯田温泉で中原中也に、仙崎で金子みすゞにご対面・・・?さらに午後からは、秋吉台と秋芳洞の見学と山口市内の瑠璃光寺・雪舟庭・ザビエル記念館の見学を
タップリと・・・。
歴史と文学そして美しい景色と3拍子そろった旅行に大満足。帰りの新幹線の中での海の幸のおいしいつまみとビールの味は最高・・・。さらに、1月26日の私の58回目の誕生日には、
依頼者から心のこもったプレゼントまでも・・・。

1日目

1 のぞみ19 新大阪(12:51)ー広島(14:20)
2 広島高裁 弁論準備(3:00~4:00)
3 広島平和記念資料館見学(4:00~5:00)

<徒歩で広島平和記念資料館から中国共済事務所まで(5:00~6:30)> 
4 中国共済事務所にてあいさつ(6:30~7:00)
5 夕食(7:00~11:00)
  章平、員子、木内、山崎 4人
6 カラオケ(11:00~3:00)
  章平、木内、山崎 3人
7 ホテルニューヒロデン泊

平和記念資料館内
広島に投下された実寸大の原爆

平和記念資料館内
被爆後の広島市中心部のパノラマ模型

平和記念資料館内
原爆の子の像

平和記念資料館入口にて

2日目

1 ひかり391 広島(9:35)ー新山口(10:12)
<バス移動(新山口から湯田温泉へ)(10:30~11:00)>
2 湯田温泉 11:00着=他のツアー客と合流
<バス移動>
3 津和野観光(12:10~1:50)
(1)カトリック教会
(2)津和野藩校養老館
(3)森鴎外旧宅見学
(4)森鴎外記念館見学
(5)郷土館見学
<バス移動(1:50~3:00)>
4 萩市内観光(3:00~4:20)
(1)松陰神社見学(3:00~3:30)
①吉田松陰歴史館
②松下村塾
<バス移動(5分)>
(2)武家屋敷見学(3:35~4:20)
①円政寺
②木戸孝允旧宅
③菊屋家住宅
④高杉晋作旧宅(入口だけ)
<バス移動> 
5 湯田温泉着(5:30)

ホテルタナカ泊

津和野カトリック教会

津和野町役場津和野庁舎前にて

津和野藩校養老館入口

津和野藩校養老館案内板

鷺舞の像

津和野藩校養老館

森鴎外旧宅案内板

森鴎外旧宅案内板前にて

3日目

起床(5:15)

1 湯田温泉・ホテル近辺の散策(5:30~7:00)
(1)湯田温泉駅
白狐のゆう太のモニュメント
(2)高田公園
(2)高田公園
①足湯
②井上馨像
③中原中也詩碑
④瓢箪池
⑤山頭火句碑
⑥七郷の碑
<朝食(7:00~7:40)>
徒歩
2 足湯
3 中原中也記念館見学(外だけ)(8:00~8:10)
4 松田屋
5 足湯 湯の香通り
6 湯田温泉出発(8:30)
タクシー(2名)で仙崎へ、仙崎で他のバスツアー客と合流
4 仙崎見学(10:00~11:00)
(1)金子みすゞ記念館(10:00~10:40)
(2)みすゞこうぼう
(3)民家にも金子みすゞの詩が・・・
(4)漁港で買い物(10:40~11:20)
<バス移動(11:20~11:30)>
5 秋吉台(カルスト台地)見学(11:40~12:00)
<バス移動(5分)>
6 秋芳洞見学(12:00~1:20)
<バス移動(1:20~2:00)>
7 山口市内観光(2:00~4:10)
(1)瑠璃光寺五重塔、香山公園(2:00~2:30)
<バス移動(5分)>
(2)常榮寺雪舟庭(2:40~3:20)
<バス移動(5分)>
(3)サビエル記念聖堂、亀山公園(3:30~4:10)
<バス移動(20分)>
8 新山口駅着(4:30)
時間待ち
9 ひかり474 新山口(17:36)ー新大阪(19:44)

高田公園

高田公園内 足湯

高田公園内 瓢箪池案内板

足湯

湯の香通り

金子みすゞ記念館内

金子みすゞこうぼう内

秋吉台にて

常榮寺雪舟庭

常榮寺雪舟庭

ザビエル記念聖堂前にて

毛利敬親公之像

東京ディズニーシー旅行記・・・2007(平成19)年3月1日~3日

3月1日(金)2時半の東京簡裁での事件と3日(土)10時からのオービックの監査役会・取締役会への出席は、私にとっての絶対的な義務。そこで、仕事の谷間となった3月2日を利用して、
一度も行ったことのなかった東京ディズニーランド見学を思い立ったが、さてディズニーランドとディズニーシーのどちらがベター・・・?予約はランドだったが、当日の最終確認時点でシーに
切り替えることに。例によって(?)、当日は少し寒いものの快晴だったが、シーへの切り替えは吉だったのか、それとも凶だったのか・・・?

1日目

1 新大阪(10:19)ー東京(13:13)
2 東京簡裁 調停(2:30~)
3 夕食、打合せ(6:00~)
4 ホテル(ヒルトン東京ベイ)泊

マジックランプシアター前にて

ジェンド・オブ・ミシカ

フォーレスト・エクスプロレーション

オーバー・ザ・ウェイブ

2日目

1 ディズニーシー(9:00~17:00) 
(1)22 マーメイドラグーンシアター(マーメードラグーン)(9:30~10:00)

(2)15 マジックランプシアター(アラビアンコースト)(10:20~10:40)

(3)18 海底2万マイル(ミステリアスアイランド)(11:30~12:00)

 <昼食>
(4)7 ミスティックリズム(ロストリバー)(12:30~1:00)
アクロバットショー
(5)13 ディズニーシー・トランジットスチーマーライン(ロストリバーデルタ)
(6)4 ビッグバンドビート (アメリカンウォーターフロント)(1:45~2:15)
ブロードウェイミュージックシアター 
(7)1 レジェンド・オブ・ミシカ(メディテレーニアンハーバー)(2:30~3:00)水上ショー 
(8)3 フォートレス・エクスプロレーション(メディテレーニアンハーバー)
(9)6→10 ディズニーシー・エレクトリックレールウェイ
(アメリカンウォーターフロント→ポートディスカバリー)(3:45~3:50)
トレイン(約5分間)
(10) ポリスワゴン
自動車(護送車)(約5分間)
(11)9 アクアトピア(ポートディスカバリー)(4:00~4:20)
(12)8 ストームライダー(ポートディスカバリー)(4:30~4:50)
(13)6 ミニミニダンスショー(アメリカンウォーターフロント)(5:00~5:20)ドナルドのボートビルダーの変更
(14)5 オーバー・ザ・ウェイブ(アメリカンウォーターフロント)
           (5:30~6:00)
ドッグサイドステージ、ミュージカル 
2 ホテル(ヒルトン東京ベイ)泊

松江旅行記・・・2010(平成22)年2月21日~22日

松江簡裁での調停事件が2010年2月22日(月)午前10時に入っているため、前日の2月21日(日)午前中に松江に飛び、昼から松江中心部の名所を見学することに。
雪による欠航さえ心配していたのに、天気は快晴、そして異常なほど暖かい。この絶好の天気は、私の松江観光のために神サマが用意してくれたもの?

1日目

1 JAC2343 伊丹空港(10:00)ー出雲空港(11:00)

2 松江堀川めぐり(12:00~12:45)
1)観光の第1は堀川めぐり。松江城の外を囲む堀川(内堀、外堀)を、定員13名の小船に乗り込んで約50分かけて巡るものだ。出発地は松江堀川ふれあい広場。ジャスト正午の船に乗り込むと、
船の中にはこたつが置いてあった。子供連れの家族や年配の夫婦などに混じって私も一人こたつの中へ足を伸ばしながらしばし堀川巡りのひとときを
2)船には低い屋根がかけられているが、途中4ヶ所ほど低い橋の下を通らなければならない時は、これがさらに下がるようになっている。その時にはかなり頭を下げなければならないため、
出発前に船頭さんの指示に従って予行演習。たくさんの橋の下を進みながら左右の石垣や周辺の景色を楽しみ、また堀の中に生息する亀、サギ、カモ、カワセミなどを見学しながら、
ゆったりとした時間を
3)すべてのコースが終了し陸に上がると、松江特産しじみ汁のサービスがあった。厚かましくも私はおかわりをお願いしたが、快くそれもオーケー。足湯サービスもあったが、
それは時間の都合で遠慮し、手だけを浸したがそれだけでも快感!
4)船頭さんは四季の彩りを強調していたが、桜の季節はさぞ美しいだろうと想像がつく。また2度3度と訪れたいものだ。

3 松江観光(13:00~16:00)
(1)小泉八雲記念館
松江城とその周辺にはたくさんの観光スポットがあるが、代表的なものとして①松江城、②小泉八雲記念館、③武家屋敷の共通入場券を920円で購入し、最初に小泉八雲記念館へ。
私は小学生時代に『耳なし芳一』の話を聞かされて恐い思いをした経験があるが、ギリシャのレフカダ島に生まれ、アイルランド、フランス、イギリスなどで育った
パトリック・ラフカディオ・ハーンが39歳の時に日本にやってきたのはなぜ?英語の教師をしながら日本人女性小泉セツと結婚し、多くの日本文化に関する作品を残した功績は大したものだ。
ちなみに小泉八雲記念館に陳列されている机は意外に小さいうえ、異様に脚が長いがそれはなぜ?それは彼の視力が極端に悪かったためだが、私はそんな彼が愛用していたというルーペと望遠鏡には
特に興味を持った。本離れが進む昨今、小泉八雲の功績や作品がこういう形で残されていることに拍手。
(2)武家屋敷
堀の内側には武家屋敷があって武士が生活しており、外側には商人が生活していたことは堀川巡りの説明で聞いたが、武家屋敷として残されているのはここ塩見縄手の武家屋敷一つだけ。
座敷で使いの者からの報告を聞き決裁しているらしい当主(の人形)を見ると、彼は数百石の中級藩士だったことがわかる。台所や湯殿などを含めて当時の武士の生活ぶりがはっきりとわかり、
興味深い。
(3)松江城
1)松江市内観光のメインは何といっても松江城。私の出身地松山は伊予15万石の城下町だが、松江城を築城した堀尾吉晴氏は24万石。ちなみに、松江市は今「開府400年記念事業」を
展開しているから、開府は1610年ということになる。つまり、1600年の関ヶ原の合戦での戦功によって堀尾氏が出雲・隠岐の領主としてやってきて、それまでの富田城を廃し松江城を
築城したのが、松江開府というわけだ。
2)今回松江城を見学してわかったのは、松江の藩主は①堀尾吉晴、②京極忠高(26万4千石)、③松平直政(18万6千石)と移り変わったこと。なお、県庁の前に建っている銅像は松平の
初代藩主松平直政だが、彼は徳川家康の孫にあたるらしい。慶長19年の大坂冬の陣玉造門の攻防戦の際、14歳で初陣を飾った彼は真田丸に迫り、敵将真田幸村はその武勇を讃えて軍扇を
投じたとの言い伝えがあるらしいが、さてその真偽は?
3)そんな物語をいくつか聞きながら、4階建ての天守閣をじっくりと見学。それにしても、2階に展示されている鎧兜や刀剣類の多さ、そして資料の多さにビックリ。これは「先の大戦」中、
松江の被害が小さかったことのあらわれ?急な階段を上るのは大変だが、望楼式の最上階から見下ろす松江市内は美しい。松江城は全国に現存する12の天守の一つで、天守閣の平面規模では2番目、
高さでは3番目、古さでは6番目とのことだから、是非大切に守っていきたいものだ。
(4)松江郷土館
ここ松江郷土館には、松江開府400年記念事業の一環として松江の歴史が詳しく展示されていた。県知事や市長などは知らない人物がほとんどだったが、「写真で見る松江の120年」として
展示されている、「写真で見る松江の120年」はわかりやすい。とりわけ、廃藩置県に伴う文書類などは興味深い。

4 島根県立美術館(16:30~17:00)
1)宍道湖の東端に南北にかかる宍道大橋を、松江城のある北側から南側へ渡ると、県立美術館がある。松江城から徒歩で約20分の距離だから、まだまだ元気な私には次の見学場所として最適。
2)今年夏の参議院選挙で民主党は単独過半数を目指して小沢一郎幹事長以下が頑張っているが、保守王国島根で「参議院のドン」青木幹雄の対抗馬として21日に擁立が決まったのが、
地元民放の元アナウンサー、岩田浩岳(34歳)。昨年12月8日にはじめて出雲空港から松江市内へ車で案内してもらった時に驚いたのは、高速道路の立派さとそれを走っている車の少なさ。
まさにこれぞ土建国家ニッポン、利益誘導政治自民党の姿だと実感したが、実はこの立派な美術館もその一環?
3)外観も立派なら広々とした室内もチョー豪華で、1階は特にゆったりしている。2階には有料の展示室があり、300円を払って1~5の展示室を見学したが、その内容はまあまあ?
特に島根県はハコもの行政が突出しているのかもしれないが、この美術館の建設と維持のために、県民は一体どれほどの血税を?

5 美しい夕陽の写真撮影(17:00~17:50)
1)ところで、本日の日没は5時50分頃らしい。なぜそんなことを書くのかというと、県立美術館は「夕日につつまれる湖畔の美術館」「景色そのものがアート」と言われているように
美術館の前にある野外公園や、美術館のさらに南にある白潟公園から見る宍道湖に沈む夕陽がすばらしいらしい。とりわけ、宍道湖の中にあるたった一つの島、嫁ヶ島に沈む夕陽の美しさは絶景で
日本の夕陽百選に選ばれているほど。それは、県立美術館のパンフレットの写真を見れば明らかだ。
2)時刻はちょうど頃合い。ならば私も、持参したパナソニックLUMIXのカメラでその絶景を撮ろうと決心。美術館の見学を終え、ゆっくりと景色を見ながら歩いてくると、そこにはもう数人の
カメラマンが席をとっていた。松江も昨日までは雪が降っていたらしい。冬場でこんな快晴の日は珍しいはずだから、松江の市民カメラマンも腕がうずうずしてきたのだろう。
私もあっちこっちを歩きながら場所決めをしていると、プロ並みのカメラと三脚をもったカメラマンたちがさらに続々と駆けつけてきた。
少しずつ沈んでいく夕陽を見ながら次々と撮った写真は約70枚に及んだが、その中の傑作を2つ載せておこう。はじめて見学にやって来たその日に、こんなすばらしい景色に出会えたことに感謝。

2日目

1 松江簡易裁判所 調停事件(10:00~11:00) 

2 昼食 打合せ(11:30~3:00)

3 竹島資料室(島根県庁2階)見学(15:10~15:40)
1)今日2月22日は何の日か知ってる?それは竹島の日。島根県が「竹島の日を定める条例」を定めたのは2005(平成17)年3月25日だが、さてその意義と条例をめぐるその後の展開は?2)昨日出雲空港まで迎えにきてくれた関係者の話を聞くと、21日の松江市内は右翼の街宣行動で大変らしい。つまり、竹島の日に県に抗議文を手渡すためにやってくる韓国の人たちに対して、
全国から結集した右翼団体が大反対運動を展開しているとのことだ。したがって、昨日の松江城見学の最中も、街宣車がマイクを通して右翼の主張とそれらしき曲がたくさん流されていたが、
今日は事件の打合せが3時に終了したため、関係者と共に県庁2階にある竹島資料室を見学することに。
3)竹島問題は領土問題。つまり、日本の領土が韓国の武力によって実効支配されているという大問題なのだが、ノー天気な日本人はその重要性にほとんど気づいていない。そこで世論を喚起するため
竹島条例が制定されたわけだが、その効果のほどは?資料室に入るとDVDが流されており、パンフレットや歴史的資料がたくさん展示されている。それらを一通り見学した後、再度DVDを
最初から見直すと、約20分間で竹島問題とは何かということを理解することができる。そこで私はDVDを1本譲ってもらい、今後私の友人、知人たちにも広く竹島問題の問題提起をする決意を。
4)ちなみに、竹島条例には右翼も大賛成。そして、自民党も共産党も幅広く賛成したが、民主党は反対したとのことだ。2009年8月30日の政権交代選挙によって政権与党となった民主党は
現在「政治とカネ」問題でアップアップしているが、領土問題はそんな問題よりもっと大切。私としては、政権与党の民主党に竹島問題をどう考え、
どう対処するのかを明確に示してもらいたいと思うのだが・・・。

4 JAC2356 出雲空港(17:25)ー伊丹空港(18:20)

福岡太宰府天満宮・定遠館視察旅行・・・2010(平成22)年3月2日~3日

あなたは日清戦争当時の清国の軍艦「定遠」を知ってる?太宰府天満宮に定遠館があることを知ってる?そして、中国の威海に2004年に5000万元(約70億円)をかけて原寸どおりの
軍艦定遠が造られ、海に浮かんでいること、定遠艦景区に年間60万人が訪れていることを知ってる?私は「ある目的」を持って、定遠館のある福岡の太宰府天満宮を訪ねることに。

[視察旅行の動機]
1.あなたは清国北洋艦隊の旗艦、定遠を知ってる?満載排水量7333トン、全長94.5m、全幅18.4mの大きさ、そして305mmの主砲、150mmの副砲、57mmの速射機関砲を
備えた定遠は、2009年11~12月に放映されたNHKスペシャルドラマ『坂の上の雲』でも、秋山真之らがその威容にビックリするシーンの中で登場した。もっとも、定遠の主砲に洗濯物を
干している姿を見て、東郷平八郎が「艦は立派だが、兵の士気は低い」と見抜いたのはさすが。定遠は日清戦争(1894~95年)の黄海海戦後威海衛で防備に当たっていたが、
1895年2月5日雷撃を受けて擱座。砲台として戦闘を継続したが、陸上からの攻撃を受け損傷。日本軍による捕獲を避けるため自沈することになった。

2.海の底に沈んだ定遠の備品を引き揚げ、太宰府天満宮に定遠館をつくったのは、元福岡藩士の小野隆助。その詳細は『太宰府天満宮の定遠館 遠の朝廷から日清戦争まで』
(浦辺登著・2009年・弦書房)に詳しいが、現在の定遠館には門扉の装甲板や桁として使用しているボートのオールなどが残っているらしい。そんな話を聞いたのは、09年の忘年会の時。
話を切り出したのは、私の『取景中国』をプロデュースしてくれた毛丹青さん。09年11月に毛さんは新華僑新聞の薩蘇さんと一緒に福岡の太宰府天満宮にある定遠記念館を見学したが、
他方威海には定遠艦景区がある。定遠艦景区は、2004年に5000万元(約70億円)をかけて建造された定遠号を中心としたテーマパークで、年間60万人の観光客が訪れる大施設だ。

3.薩さんが太宰府天満宮の定遠記念館のことを威海北洋水師旅遊発展有限公司の社長である姜培旗さん宛ての手紙に書いたところ、姜培旗さんからは是非威海にある定遠艦景区の見学に
来てもらいたい旨の回答が来た。そのため、大連での毛さんとの合同講演会の他、威海の定遠艦景区見学を目的とした大連・威海・青島旅行の日程が急速に現実化してきた。
威海の定遠艦景区の見学をより意義あるものにするためには、私もしっかり福岡の太宰府天満宮を見学しておかなくちゃ。

4.そこで決定したのが、丸1日かけての太宰府天満宮の視察。日帰りでも可能だが、せっかくだから、3月2日、3日と一泊泊まりで行くことに。

[1日目]・・・3月2日(火曜日)
1 のぞみ35 新大阪(16:45)→博多(19:13)

2 夕食 やき鳥一升(20:30~22:00)
ある顧問会社の福岡支店の人から、博多駅の近くでおいしくて安い店をいくつか紹介してもらっていたが、その中でも一番安くておいしいと紹介された「やき鳥一升」で夕食。
ホントに安くておいしかったので、大満足。

3 博多グリーンホテル宿泊、シャワー・就寝
駅から徒歩1分の超便利なビジネスホテル「博多グリーンホテル」で一泊。

[2日目]・・・3月3日(水)
1 起床、朝食
7時30分起床。近くのモスバーガーで朝食。

2 JR博多駅(9:19)→JR二日市駅(9:30着)。タクシーで西鉄太宰府駅へ(10:00着)。
観光案内所でパンフレットなどをもらった後、参道を約10分間歩いて
定遠館(昭和玉手箱)へ

3 定遠館(昭和玉手箱)見学(10:10~11:00)
(1)観光案内所でもらった「門前町ご案内図」を見ると、西鉄太宰府駅から参道を約10分まっすぐ東へ進むと、正面に総合案内所があり、そのすぐ前に「東風吹かばの碑」がある。
その左側に太宰府天満宮の本殿があり、その周辺には菅公歴史館や宝物殿などがある。しかして、定遠館はどこに?
それは、案内図ではNO88「昭和玉手箱/定遠館」と表示されている。総合案内所の前を本殿方向とは逆の右側(南側)に曲がり、約20~30m進むと「昭和玉手箱/定遠館」があった。
(2)定遠館の入口には「定遠館 昭和玉手箱」の看板があり、一歩中に入ると「明治28年2月、日清戦争の威海衛の海戦で、連合艦隊が大破自沈させた清国北洋艦隊旗艦『定遠』を翌年に引揚げ、
その艦材をもって建築されたもの。鉄製の門扉の大小の孔は、砲弾の命中の痕跡である」と書かれた「定遠館」の看板がある。入口には一部破損した鉄の門扉があるが、これが定遠号を覆っていた
装甲板だ。
(3)館内に入ると、庭は駐車場にされていたが、奥には美空ひばりらを描いた懐かしい看板が飾られた木造平屋建ての建物があった。これが昭和玉手箱らしい。今日は水曜日で、月曜日ではないから
閉館日ではないはずだが、誰もいないし、建物は鍵がかかっていて入れない。また、玄関屋根の内側には昔のSPレコードのジャケットが飾られており、そこにはまさに昭和30年代、40年代、
50年代を懐かしく思い出す歌手たちの若かりし日の姿の数々が並べてあった。
(4)昭和玉手箱の周りを巡ると、南側と西側の縁の下には定遠艦のボートのオールが使われていた。また、真正面の建物の屋根の三角形の頂部にも中国風の細かい飾りがあり、右手玄関にも
定遠で使われていたと思われる中国風の木製の装飾品があった。
(5)このように昭和玉手箱の周りで写真を撮っていると、お隣さんが帰ってきたので少し話をうかがうことに。それによると、①土地と建物の管理者は太宰府天満宮で、ある人がこの建物を借りて
昭和玉手箱をやっている、②庭は現在太宰府天満宮が駐車場として貸している、③庭では時々フリーマーケットをやっている、④昭和玉手箱は月曜日が定休日と書いているが、休みの日が多く、
最近はあまり開いていない、とのことだった。

4 太宰府天満宮本殿を見学(11:00~12:30)
(1)以上で定遠館(と昭和玉手箱の外観)の見学を終え、次は太宰府天満宮本殿の見学へ。総合案内所で聞くと、案内してくれる無料ガイドがあるとのことなのでお願いし、しばらく待つと
おばさんがやってきた。ガイドの説明を聞きながら最初に見たのが、有名な「東風(こち)吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」の歌碑。その周りには梅の花があったが、
残念ながら既に梅の見頃は過ぎていた。
(2)「五卿落ちの石碑」と「神牛」
三条実美ら攘夷派5人の公家たちが蛤御門の変によって都を追われ、都落ちしてきたのが、ここ太宰府天満宮の延寿王院。ここには五卿落ちの石碑があった。
次に、ガイドさんの説明を聞きながら見たのが、太宰府天満宮名物の神牛。天神サマと牛とは切っても切れない仲だが、それはナゼ?その第1の理由は、菅原道真公が生まれたのが
845年乙丑の年だったことだが、それ以上に有名な言い伝えがある。それは、自ら「自分の遺骸を牛にのせて人にひかせずに、その牛の行くところにとどめよ」と遺言したところ、その牛は黙々と
東に歩いて安楽寺四堂のほとりで動かなくなったため、そこを御墓所と定めたという言い伝えで、『菅家聖廟略伝』に書かれているらしい。『菅家聖廟略伝』にはこの他にも、天神サマと牛との
関わりについて書かれているらしい。要するに、菅原道真公は牛が大好きだったということだ。
また、自分と牛の同じ部分を互いに撫でさすると病気が全快すると言われ、神牛の頭をさすると知恵が付くという信仰があるらしい。
(3)中世の鳥居
太宰府天満宮の入口には、「中世の鳥居」がある。これは花崗岩でつくられた高さ6.17mの鳥居で、南北朝から室町時代につくられたらしい。
(4)心字池・太鼓橋
鳥居をくぐると、太鼓橋、平橋、太鼓橋という3本の橋がある。これは手前から過去・現在・未来を現し、三世一念の仏教思想を残したものと言われている。太鼓橋は急な勾配で、
反り橋とも呼ばれている。この橋を渡ると心身ともに清められると言われているから、是非私も心を清めなければ。
(5)志賀社
次にガイドから聞いたのが、国の重要文化財となっている志賀社。これは太宰府天満宮の末社として、海の神綿津見三神が奉祀されているらしい。精巧なつくりと変化のある屋根が特徴らしいが、
その価値は正直よくわからなかった。
(6)麒麟と鷽(うそ)の像
楼門の右手前には「鷽(うそ)」と「麒麟」と「牛」の銅像がある。「鷽」は幸運を運ぶ天満宮の守り鳥らしい。そして、この鳥は毎年1月7日に1年中のウソを天神サマの誠心と
取り替えてくれるらしいから、ありがたい。また、キリンビールで有名な麒麟は中国で生まれた架空の動物で、聖人が現れ王道が行われる時に出現すると伝えられているらしい。
(7)楼門、本殿
本殿の入口には、檜皮葺きの二重門である楼門があった。
菅公の御霊代を祀る本殿は、五間社流造り、檜皮葺きで、正面には唐破風状の向拝が付く、荘厳華麗な様式の建物。そして、右には飛梅が、左には皇后梅が配置されている。
(8)菅公歴史館(12:30~12:50)
菅原道真を奉った天満宮はここ福岡の太宰府天満宮だけではなく、北野天満宮など全国にたくさんある。また、大阪天満宮は私の事務所のすぐ近くにあるから、私のお正月の「初詣」はいつもそこ。
大阪天満宮でも菅公の一生をパノラマ風に見せてくれるが、それは簡単なもの。それに比べると、太宰府天満宮の菅公歴史館はさすがに立派で、ここでは菅原道真の一生が絵巻物風に
よくまとめられている。
(9)宝物殿(12:50~13:20)
菅公歴史館の次に行ったのが宝物館。三条実美ら五卿落ちした公家たちを訪ねて、西郷隆盛、坂本龍馬、高杉晋作ら勤皇の志士たちがここを訪れてきたことや、現在NHK大河ドラマ『龍馬伝』が
放映されているため、宝物館の入口には坂本龍馬のパネルが立っていた。そこで私はちゃっかりと坂本龍馬とのツーショットを。
宝物館を見学した後、案内係の女性や太宰府天満宮文化研究員の平岡蓉子さんと定遠館のことをいろいろ話すことができた。それによって、『太宰府百科事典 太宰府天満宮編』を
見せてもらうとともに、太宰府天満宮発行の機関紙『さいふまいり』で定遠館について取り上げた記事をもらうことができたのは、大きな収穫。

5 九州国立博物館見学(13:30~14:30)
太宰府天満宮の本殿の山手には九州国立博物館があるというので、長い坂をエスカレーターで上っていくと、巨大な博物館があった。中国では北京の故宮博物館、西安の陝西歴史博物館など
バカでかい博物館があるのに対し、日本の博物館はチャチ。私はそんなイメージを持っていたが、この九州国立博物館の巨大さにはビックリ。いつ造られたのかは知らないが、
この巨大なハコモノもきっと国の財政悪化の1つの原因になっているはず。そんなことを考えながら、文化交流展示室に展示されていた「海の道、アジアの路」をじっくりと見学。

6 参道を歩いて西鉄太宰府駅へ(14:30~14:40)
博物館見学後は、再び参道を歩いて西鉄太宰府駅へ。

7 西鉄太宰府駅前のラーメン店「暖暮」で昼食(14:40~15:10)
ちょうどお腹がすいてきたので、駅前で見つけたおいしそうなラーメン店「暖暮」でめんたいこご飯とラーメンのセット、そして餃子を注文し、おいしくいただいた。

8 タクシーでJR二日市駅へ、JR二日市駅(15:26)→博多駅(15:41)

9 駅構内散策、おみやげ購入

10 のぞみ48号 博多(16:30)→新大阪(18:58)

映画「ノルウェイの森」ロケ地見学記・・・2011(平成23)年11月12日

村上春樹原作の『ノルウェイの森』(10年)が松山ケンイチ主演で映画化されたが、さてそのロケ地は?それは神河町の大河内高原、峰山高原、砥峰高原で、このロケ地誘致には神河町職員の
涙ぐましい努力があった。そんなロケ地を、神戸国際大学の毛丹青先生が引率する45名の観光学科の学生たちと視察!その美しい風景をタップリと!

[ロケ地見学の動機]

1.2011年11月3~6日の上海旅行で私は、毛丹青先生が授業の一環として神戸国際大学観光学科の学生達を連れて映画『ノルウェイの森』のロケ地である兵庫県神崎郡神河町を訪問することを
告げられるとともに、弁護士兼映画評論家として、村上春樹文学や映画『ノルウェイの森』の見方について学生達に語ってほしいと要請された。
映画『ノルウェイの森』の私の評価は低く星3つだったため「シネマルーム」には掲載しなかったが、私のそんな厳しい意見もしっかり説明しなければ。
そう思うとともにスクリーン上で見た一面のすすき野や雪景色を始めとする自然豊かなロケ地に興味があったため、参加を決意した。

2.この企画の実現には町地域振興課長補佐、山下和久さんの努力が大きかったらしく、当日は二階建てバス1台が阪神魚崎駅近くで、中国人留学生45名と毛丹青先生を含む引率教員4名を
待っていてくれた。見学料金はタダであるうえ、昼食付きというからありがたい話だが、なぜ神河町は毛丹青先生や学生達に対してそこまで親切に?それは、見学を終えた後の山下さんの説明で
はっきりわかったが、やはりロケ地誘致やそのロケ地の観光資源としての活用を含む「町おこし」はこんな意欲的な町職員の活動から始まることを実感した。そこで、当日撮影した写真を中心として
以下、映画『ノルウェイの森』のロケ地見学記を。

[詳細]

1.チラシによれば、大河内高原は兵庫県のほぼ中央、神河町の北西部に位置する標高800~1,000mの高原地帯。年間の平均気温は姫路や神戸、大阪に比べ4~6℃低く、
さわやかな気象条件を備えている。そのエリアは「雪彦峰山県立自然公園」の中にあり、砥峰高原、峰山高原、太田池周辺の3つの地区から成っている。
そして、峰山高原は、暁晴山(1,077m)など1,000m級の山々に囲まれたすり鉢状の広大な高原で、クヌギやナラの林、ササ原など高原らしい景観が広がっている。
また、砥峰高原には、西日本では有数の約90haに及ぶススキの草原が広がっている。夏は緑のじゅうたんを敷き詰めたように広がる大草原となる。

2.そんな神河町の大河内高原、峰山高原、砥峰高原が「ノルウェイの森」のロケ地に決められたのは、撮影隊の世話係を務めた山下和久・町地域振興課長補佐の努力のたまものだが、
それは直接HPで。

3.神河町は中国人観光客を誘致しようと、2011年11月4日から4日間の日程で、観光PR隊を中国の広東省に派遣し、砥峰高原などの自然の美しさでまちの魅力を売り込んだ。
井戸敏三知事を団長とした約150人の派遣団は、町職員2人のほか町観光協会長と町のイメージキャラクターでカメラマン・モデルの本堂亜紀さんらで構成。神河町はまた、新たに中国語の
観光パンフレットとDVDを作成し「ハルキスト(村上さんのファン)」の誘致を目指した。そのDVDは約20分で中国語のほか英・仏・韓国語にも対応し、映画の舞台となった
砥峰・峰山高原などの主要観光地を紹介している。またパンフレットはA4版、10ページで英語・韓国語版もあり、計3000部作成されたとのことだ。

源蔵町振興町会総会旅行(有馬グランドホテル)・・・2012(平成24)年4月21日

今年の源蔵町振興町会の総会は「源蔵町振興町会御一行様」でバスをチャーターして有馬温泉に行くことになったため夫婦2人での参加を決定。定例の総会を済ませた後温泉に入り、みんなで昼食を
食べ、その後温泉街散策することに。天気予報では昼から雨の予報だったが、予想に反して当日は快晴。大阪市内では既に桜は散ってしまったが、有馬の山の上ではまだまだ満開の美しい桜を満喫。
事務所のすぐ近くのどんぐり公園前で集合・解散した有馬温泉行き直行バスは何の渋滞もなかったため所要時間は、行きも帰りも約50分と快適。たまには、こんな気分転換の旅もいいものだ。

1)9:50 西天満3丁目どんぐり公園前集合
  10:00 バス出発
  10:50 有馬グランドホテル到着
2)11:00~11:30 ホテルの庭を散策、写真撮影
3)11:30~12:00 町内会総会
4)12:00~1:15 9Fの大浴場にて入浴
5)1:15~2:30 昼食・懇親会
6)2:40~4:20 温泉街散策
7)4:30 集合 バス出発 → 5:20 帰着

金の湯の前にて

行基の像と並んで

天神泉源の湯煙の中で、忍者の如く?

猿と並んで、同じポーズ!

猿の芸に拍手

フロントに集合

西天満町連合町会 鳥取梨狩りバスツアー・・・2012(平成24)年9月16日

源蔵町振興町会が加入する西天満町連合町会の主催で「鳥取へ行こう!!西天満連合バスツアーのご案内」が届いたため、春の「有馬旅行」に続いて、お気軽な1日バスツアーに夫婦で参加。
鳥取砂丘に「砂の美術館」ができていることをはじめて知ったり、生まれてはじめての梨狩り体験も。3連休だったため大渋滞だったが、バスの中でビールと日本酒をたんまり飲んで
うとうとしている分には関係なし。梨と海産物のお土産の袋は重かったが、食べるのが楽しみ。体重増加を防ぐため、帰宅後は40分ほどステップで運動もしっかりと・・・。

1)8:15 西天満5丁目名古屋銀行大阪支店前集合 
  8:30 バス出発
  12:30 鳥取到着
2)12:30~13:30 砂の美術館見学
3)13:40~14:40 鳥取市内で昼食(満足和膳)
4)15:00~15:40 梨園で梨狩り園内食べ放題
5)16:10~16:40 賀露港でお買物
6)16:50 集合 バス出発 → 21:00 帰着

2006年にできた砂の美術館前にて

左ダーウィン 右ニュートン

2階からロンドン塔を

梨はこうやってもぎ取るのだ!

海産品のおみやげ購入は大好き!

のどぐろ1パック800円 他多数あり!

和歌山高野山旅行記・・・2012(平成24)年11月20日~21日

2012年8月20日~21日の上海・合肥・南京・上海旅行では、
①8月17日に上海ブックフェアで『电影如歌 一个人的银幕笔记』を出版し、サイン会を実施し、②8月18日に『知日』(第5号)の出版記念とし主筆・毛丹青老師と編集長・苏静との対談に
参加した。
『知日』は既に「鉄道」をテーマとして第6号が出版されたが、次回の第7号のテーマは「寺院」。そこで毛丹青老師の手によって11月19日~22日の高野山ミッションが企画され、
中国から苏静と北京晩報の記者・孙小宁さんが来日して、高野山の取材に赴くことに。これを迎える高野山無量光院悉地院の土生川正賢住職は毛丹青老師の25年来の友人で、
中国語ペラペラのすごい人。年齢も毛丹青老師より2歳若いだけでほぼ同年代の稀有な人物だ。さらに今回は、上海ブックフェアでの企画と同じように、毛丹青老師の神戸国際大学の教え子である
李渊博クン、孫晨俊クン、そして関西大学の学生の松本一博クンと女子大生3名も参加し、彼らのツイッターから常にタイムリーな情報発信を。しかして、毛丹青老師との共同企画が次々と続く中で
苏静とも友人となり、学生諸君にとっての父親的存在となった私も、この高野山ミッションに11月20日、21日の2日間だけ参加することに。
さて、高野山は紅葉?それとも雪?それも1つの焦点だったが、2日間とも快晴に恵まれ、高野山奥の院見学でも九度山の見学でも美しい紅葉をタップリと堪能。孙小宁さんによる土生川正賢住職の
中国語での取材に、私も密着。孙小宁の筆はかなり鋭いらしいから、『知日』第7号の出版に期待!

1日目

1 難波集合(9:00)
1)難波発(こうや1号)(9:15)―高野山着(11:11)
2)ロープウェイ(約5分間)
 参加者は、坂和、毛丹青、苏静、孙小宁、ガイド役男性、李渊博、孫晨俊、松本一博、神戸国際大学の女子大生1名、関西大学の女子大生2名。
<マイクロバスで移動>
2 高野山大門見学
3 高野山の中央食堂さんぼうで昼食(11:30~12:30)
<マイクロバスで移動>
4 宿坊 無量光院に挨拶(12:30~1:00)
5 高野山散策(僧侶のガイド付き)(1:00~4:30)
1)根本大塔
2)金堂
3)御影堂
4)三鈷の松と飛行三鈷杵
金堂と御影堂の間に「三鈷の松」という松の木がある。弘法大師、空海が唐へ渡り、明州(現在の寧波)の港から帰国の際、師から贈られた密教法具の一種である「三鈷杵」を東の空に投げたところ、
雲に乗って日本へ飛んでいった。帰国後、その三鈷杵を探し求めていると、高野山の松の木にかかっていることがわかり、高野山の地が真言密教の道場として開かれるようになった、
という言い伝えがある松の木だ。また、松の葉は通常2本だが、この松の木は三鈷杵と同じく3本あったため、「三鈷の松」と呼ばれ、奉られるようになった
5)明神社(御社)
6)金剛峯寺の内部見学
①宗務所
②高野開創三鈷杵
③唐の都長安の遣唐使のふすま絵
④二石の米を炊く二石釜
⑤高野山の草創
⑥高野山開創1200年記念大法会
7)苅萱堂
<マイクロバスで移動>
6 宿坊 無量光院に到着、宿泊
1)4:30 到着
2)5:00~6:00 孙小宁さんが住職の土生川正賢さんを中国語で取材。
3)6:00~8:00 全員そろって夕食
4)8:00~9:00 夕食会場での語らい
5)9:00~11:00 部屋で歓談
6)11:00 就寝

ロープウェイのすれ違い点

大門見学

大門見学

中央食堂さんぼうで精進料理の昼食を

根本大塔

根本大塔

飛行三鈷杵(重要文化財指定)

夕食会場での語らい

2日目

1 おつとめ参加(6:00~)

2 朝食(7:30~)
<マイクロバスで移動>

3 高野山奥之院散策(9:20~11:30)
参道入口一の橋から一番奥の御廟まで約2キロの参道の両側には、何百年も経た老杉が高くそびえ、もとには20万基を超える墓碑が並び大師信仰の厚さをうかがわせる。
1)一の橋
2)司馬遼太郎文学碑、松尾芭蕉句碑、伊予松山松平(久松)家墓所、武田信玄・勝頼墓所、薩摩島津家初代家久二代光久綱久墓所、石田三成墓所
3)奥之院参道
4)御廟橋
5)水掛地蔵
6)御廟
<マイクロバスで移動>

4 そば処幸村庵で昼食

5 真田のみちエリア散策(11:30~1:30)
1)真田庵見学、真田幸村の旗印は六文銭、真田幸村の家紋は結び雁金
2)まちなか休憩所でおいしい柿とお茶を。真田十勇士の絵が入ったペットボトルをプレゼント
3)歴史街道の電柱には真田十勇士の姿が。(猿飛佐助、霧隠才蔵、三好清海入道、三好伊三入道、穴山小助、由利鎌之助、根津甚八、筧十蔵、海野六郎、望月六郎)
4)真田古墳(真田の抜け穴伝説)
5)対面石
6)旧萱野家(大石順教尼の記念館)
<マイクロバスで移動>

6 慈尊院エリア散策(1:30~3:30)
1)紙遊苑(和紙の手漉き体験)
2)丹生官省符神社〔世界遺産〕
3)高野山町石道〔世界遺産〕
4)慈尊院〔世界遺産〕

7 高野山発(16:18)―天下茶屋(17:04)―北浜

宿坊 無量光院の前で集合写真

奥之院入口(一の橋)

石田三成墓所

水掛地蔵

真田昌幸、幸村父子の真田庵見学

真田の旗印、六文銭

紙遊苑(和紙の手漉き体験)

紙遊苑にて和紙の手漉き体験を

北海道・札幌旅行記・・・2013(平成25)年4月24日

1)弁護士はホントはかなりの「不自由業」だが、時々「自由業」だと思えるのは裁判での遠方出張の際、その地を観光したり、おいしいものに出会えた時。もちろん、これは現地で会う依頼者と
真の信頼関係で結ばれていることが前提だが、裁判終了後の会食や一泊した後の現地観光はホントに楽しいものだ。
2)他方、弁護士の仕事は人との縁がすべて。昔の依頼者から電話がかかり、新件の相談を受けるといつもそう痛感し、つくづく弁護士の仕事っていいものだと実感する。
2012年(平成24)年7月18日にそんな思いを強くしたのがかつて大阪で事件を受けていたM氏からの突然の電話だった。話を聞くと、現在M氏は北海道の苫小牧に居住しているが親戚の
相続処理問題でどうしても私に相談したいとのことだった。直ちに来阪の予定を決め翌19日に私の事務所でM氏の相談を聞いた結果、相続事件として受任することになった。
3)私が苫小牧に行くのははじめてだが、7月21日と11月11日の苫小牧での打合せを経て、結局遺産相続をめぐる調停事件とそれに関連する民事訴訟事件が、
札幌の家裁と地裁に係属することになった。しかして、2013(平成25)年4月23日(火)と24日(水)の期日のために息子の宏展弁護士と共に札幌に行きホテルで一泊したが、
24日の午前中は、散策を兼ねてホテル近くの札幌時計台の見学に。

1)4月23、24日は札幌の裁判所へ出張。まずは前日までの寒さがウソのような暖かさに感激。23日の期日の事件処理を順調に終え、夜の会食でおいしいものをたらふく食べた私は、
24日の朝一人で札幌の時計台の見学へ。 
2)ホテルから歩いて10分足らずのところにある「札幌市時計台」は石原裕次郎が歌った名曲『恋の町札幌』で有名だが、ビルの谷間にある「時計台」は、「意外に小さいナ」というのが私の
最初の印象だった。この建物は、1878年に札幌農学校の敷地内の演武場(武芸練習場・屋内体育館)として建てられたもの。そして、1881年に鐘楼に時計が設置され、今日まで至っている

ビルの谷間にある札幌市時計台

札幌市時計台をこんな角度で見上げると・・・。

『時計台の鐘』と高階哲夫

大通公園

3)時計台の時計がどのようなシステムで時を刻んでいるのかという説明を聞いた後、資料室の中を見学して回ると、そこで流れてきた曲が小学生の時の合唱コンクールで歌っていた『時計台の鐘』。
なぜこの曲がここで?そう思っていると、「時計台の鐘が鳴る 大空遠くほのぼのと」で始まるあの美しい曲は、バイオリニストの高階哲夫が札幌での演奏会の直後にふと思いついて
作詞作曲したものであることが判明。ここでも大きな収穫が・・・。
4)時計台見学の後は、さっぽろテレビ塔を見上げながら大通公園を散策。

北海道・小樽旅行記・・・2013(平成25)年7月15日~16日

1)苫小牧に住むM氏の相談を受けての札幌家裁での遺産分割調停事件と札幌地裁での民事訴訟事件は、2013(平成25)年4月23日と24日の期日の次の期日は両者とも連休明けの
7月16日(火)に決定した。そこで私と息子の宏展弁護士は前日の7月15日を小樽観光にあてることに。
2)M氏たちとは同日夜に小樽で合流したうえ、打合せを兼ねた夕食を共にし、同じオーセントホテル小樽に泊まることにしたから、観光は15日の午後1時から6時までだが、小樽の観光としては
これで十分。

1日目

1 伊丹空港(8:45発ANA771便)→新千歳空港(10:35着)

2 新千歳空港→JR札幌駅(10:50~11:40) 
JR新千歳空港駅からJR札幌駅まではJR千歳線の列車に乗って行こうとしたが、あいにくJR千歳線を走行していた特急列車が配電盤からの出火事故のため、JR千歳線は運休中。
そこでバスに乗ろうとしたが、当然ながらバスのチケットを買う人がズラリと並んでいたため、やむなくタクシーで移動することに。時間は約1時間、料金は約12000円。

3 JR札幌駅→JR小樽築港駅(12:00~12:30)
JR札幌駅からは、JR・いしかりライナーを利用。時間待ちの間に駅構内でおいしそうな弁当を発見し、これを購入。ホームで食べてしまうことに。

4 JR小樽築港駅からタクシーで石原裕次郎記念館へ(12:40~1:20)
タクシーで約5分。入館料は1人1500円。胸をワクワクさせながら、ゆっくりと昭和のヒーロー石原裕次郎の記念館を見学。

5 田中酒造亀甲蔵 見学(1:30~1:50)
石原裕次郎記念館からオーセントホテル小樽まではタクシーでも1500円程度と聞いてタクシーに。その途中で、ガイド本にも載っている田中酒造亀甲蔵に立ち寄って見学。当然お目当ての試飲も。

6 オーセントホテル小樽 チェックイン(2:00)
オーセントホテル小樽に到着。チェックインを済ませ、部屋に荷物を置き、小樽運河周辺の散策に出発。

7 小樽運河周辺の散策へ(2:00~5:00)
1)JR小樽駅
まずはJR小樽駅に行き、クーポン券付きのパンフレットをゲット。
2)おたる都通り商店街
3)小樽運河ターミナル
4)旧手宮線跡
5)かま栄かまぼこプラザ
6)白い恋人ソフトクリーム
7)ふうど館
8)北一硝子館、北一硝子クリスタル館
9)北一ヴェネツィア美術館(600円×2人)
10)小樽歴史館、小樽出世前広場(写真1ー36~48)

8 小樽運河クルーズ(1200円×2人)(5:00~6:00)
約40分間のクルーズと書いてあったから、船に乗って小樽運河の街並みを見学するものと思っていたが、それは誤解だった。浅草橋からスタートするこの運河クルーズは中央橋、
月見橋を通って小樽運河から小樽港に出て行き、また小樽運河の龍宮橋、中央橋、浅草橋に戻ってくるものだった。

9 ホテルへ戻り、大浴場でミストサウナに(6:00~7:00)
カンカン照りの中での約4時間にわたる小樽運河の散策を終え、ホテル内の大浴場で気持ちよく汗を流し、しばらく休憩。

10 「千春鮨」にて夕食(7:00~10:00) 
松山千春の古くからの親友が経営している、札幌と小樽で有名な「千春鮨」で食事(オーセントホテル小樽から徒歩約5分)。

11 オーセントホテル小樽に戻って就寝
たらふく食い、たらふく飲んだため、部屋に入ると、この日はシャワーもしないままバタンキュー。

石原裕次郎記念館の入口で石原プロのマイクロバスと共に

記念館入口で、裕次郎と並んで

試飲した全国第1位の本醸造酒をバックに

アーケードに覆われた、おたる都通り商店街の中

旧手宮線跡

北一ヴェネツィア美術館の入口

小樽出世前広場

小樽運河沿いの石造りの倉庫

2日目

1 起床(7:30)
昨日飲みすぎたためか、少し二日酔い状態であまり食欲がないため、朝食を食べないまま、街の散策で汗をかこうと思い、一人で昨日歩いた小樽運河の街並みをもう一度散策。

2 散策(8:00~9:00)
1)寿司屋通り
2)大正硝子館
3)とんぼ玉館
4)小樽歴史景観区域内の建物あれこれ
5)小樽浪漫館
6)オルゴール海鳴楼

3 朝食(9:00~9:40)
朝の散策で気分を回復した後、ホテル3階の和食「入丹」にて朝食。バイキングにせず、上品な和食にしたのが本日は正解。「バターご飯」なる珍しい食べ方もはじめて経験。

4 部屋でシャワー、出発準備(9:40~10:40)

5 フロントに集合、出発(11:00)
車で札幌へ出発。

6 札幌ラーメン「味の時計台」にて昼食(11:40~12:40)
これまで食べたいと思いながら全然その機会がなかった本場の札幌ラーメンをはじめて食べることに。

7 裁判所で、調停(1:30~)と弁論準備(4:00~)
ここで本来の仕事をしっかりと。

8 新千歳空港へ(4:30~5:30)、空港で食事(5:30~7:00)
事件処理終了後、車で空港へ。

9 新千歳空港(19:25発ANA1720便)→関西国際空港(21:35着)

10 関西国際空港(21:35発)―天下茶屋(22:07)―北浜
ラピート利用

寿司屋通り 旭寿司

大正硝子館前にて

小樽運河沿いにある小樽浪漫館

小樽運河沿いにあるオルゴール海鳴楼

北海道・函館・洞爺湖・札幌旅行記・・・2013(平成25)年9月21日~24日

1)札幌の事件が三連休明けの9月24日(火)に決定したため、今度は函館1泊、洞爺湖温泉で1泊、札幌で1泊の北海道旅行を企画。
2)函館の観光には丸一日かかるため、それだけで行くのは大変だが、このように洞爺湖温泉、札幌へと移動しながら北海道旅行を楽しみ、事件にもきちんと出席できれば大満足。

1日目

1 関西国際空港(8:20発ANA1787便)→函館空港(10:00着)
(1)6:13 北浜発。天下茶屋からラピートβ21号に乗り換え、関西空港へ。
(2)マクドナルドにて、コーヒー、朝食。
(3)8:20の飛行機に搭乗。三連休の初日とあって満席状態。予定通り10:00に函館空港に到着。
(4)当初の予定を変更し、空港にもっとも近い函館市電「湯の川」駅までタクシーで行き、そこから市電に乗り、途中で五稜郭の見学を済ませてからホテルに向かうプランにすることに。
1人2000円で市電の1日乗り放題+13枚のポイント・チケット・セットの「マル得はこだてスペシャルチケット」を購入。
(5)函館空港から湯の川駅まで、タクシーで移動。
(6)湯の川駅から市電に乗車。1日乗車券を入手。

2 五稜郭見学
(1)市電「五稜郭公園前」駅で下車。駅前のデパート・マルイの中にある無料コインロッカーに荷物を預け、徒歩で五稜郭方面へ。
(2)五稜郭タワーを見上げながら、まずは五稜郭の中へ。
(3)続いて五稜郭の中心部にある旧函館奉行所の見学へ。これは2010年に復元されたもの。13枚のチケットの4枚を使用。奉行所見学終了11:30。
(4)五稜郭の全体像を見るため、高さ107m、五角形の星の形をした展望台をもつ五稜郭タワーへ。まずは、1階アトリウム(広場)にある大砲や土方歳三の銅像の前で写真撮影。
タワーへの入場料は1人840円と少々高価。しかし、見晴らしは良好、というより、ここの展望台に上らなければ五稜郭が五角形の星の形をしていることすらわからないはずだ。
クーポン特典でポストカードを入手。展望1階は五稜郭の星形の眺望を楽しむための室内に、展望2階は五稜郭歴史回廊という展示スペースになっている。ゆっくり時間をかけて展示スペースを見学、
展望1階からの眺めを満喫。
(5)道立美術館はパスして、函館市北洋資料館へ。ここは北洋漁業(カニ工船)の歴史を展示。実際に漁船の揺れを経験できる「独航船航海体験室」セットが秀逸だった。オホーツク海の荒波に
少し船酔いした気分に・・・。ここを出た時点で12:40。昼ご飯はホテルに入ってからと決めて、市電の五稜郭公園前駅へ戻り、市電に乗車。

3 ラビスタ函館ベイにチェックイン
(1)ホテル近くの「魚市場通」駅で下車。そこから歩いてすぐのホテル「ラビスタ函館」へ入り、チェックインの手続を終え、荷物を預ける。ここでJRの脱線事故により、函館駅から札幌方面への
特急列車が不通になっていることを聞く。そのため明日は、大沼公園駅までバスで代替輸送をしているのでそれに乗り、大沼公園駅から次の目的地である洞爺駅まで函館本線の特急列車に
乗らなければならないと聞かされた。
(2)昼ご飯を食べるため、ホテルに隣接した「美食倶楽部」にあるラーメン「味彩」(あじさい)の前へ行くと、そこは長蛇の列。美食倶楽部には他にジンギスカン、海鮮料理、回転寿司の店が
あったが、どの店も満席。そこで、近くの店の従業員に別のおすすめのラーメン店を聞き、すぐ近くにある「麺倶楽部ASIAN炙」へ行き、14:00の遅めの昼食を。白湯塩ラーメンと
白湯味噌ラーメンを注文。ラーメンは美味しかったが、店員の愛想が悪いのが少し残念・・・。

4 函館高田屋嘉兵衛資料館、坂本龍馬記念館、北島三郎記念館などを見学
(1)ラーメン店の隣にある「函館高田屋嘉兵衛資料館」を見学。入館料300円だが、2部屋の展示はかなり貧弱。ここでガッカリして、次のスポットへ。
(2)「坂本龍馬記念館」の前に着いたが、これも展示がイマイチのように思われたため、ここではパス。市電の線路沿いに歩き、北上。
(3)途中で海沿いへ出る。観光マップにも出ていなかった「赤い靴の少女の像」を発見。さらに海沿いを北へ歩くと、現在NHK大河ドラマ『八重の桜』で活躍中の新島襄の銅像を発見。
(4)ここから通りに戻る途中に、「北島三郎記念館」を発見。しかし、サブちゃんとカラオケを歌うつもりはなかったので、ここは売店を少し見るだけでパス。

5 北方民族資料館、函館市文学館、旧イギリス領事館、ペリー広場、旧函館区公会堂、旧相馬邸、カトリック元町教会、ハリストス正教会、聖ヨハネ教会などを見学
(1)まず、北方民族資料館へ。ここで、北方民族資料館、文学館、旧イギリス領事館、公会堂の4館共通入館券を購入(840円)。アイヌ民族をはじめとする北方民族にもさまざまな種族が
あることを勉強。大きなカヌーの模型をはじめ、服、日用品、漁撈や狩猟の道具、武器など展示品は充実していた。特別展覧会「北の神々と霊魂の世界ー祈る・占う・信じるー」も開催中。
(2)次に、来た方向へ少し通りを戻って、函館市文学館へ。石川啄木をはじめとする函館にゆかりのある文豪たちの直筆原稿などが展示。文学館20周年記念の特別企画「啄木の遺児たち」も
開催中。建物は立派だが、入館者はほとんどいなかった。
(3)「基(もとい)坂」を上り、まずは坂の左手にある開港記念館と呼ばれる旧イギリス領事館へ。領事館といっても、個人の住宅をそのまま利用したような小さなもので、ヨーロッパスタイル。
領事になったつもりで執務机に座り、写真撮影。大きな「函館開港世界大鳥瞰図」の前でも写真撮影。
(4)その坂の向かいに「ペリー広場」があり、ペリーの銅像が建っていた。
(5)四天王像(今井市右衛門、平田文右衛門、渡邉熊四郎、平塚時蔵)の前で写真撮影。さらに坂を上っていくと、函館市の重要文化財である「旧函館区公会堂」がある。
大阪の中之島の公会堂よりは小さいが、立派なホールがあり、見事なもの。衣装の貸し出しサービスが大盛況で、きれいなドレス姿に変身した女性が大勢写真撮影に夢中になっていた。
(6)元町公園からは、海を一望の下に。
(7)坂を下りず、そのまま南方向へ進み、旧相馬邸へ。これは明治41(1908)年に建てられた立派な歴史的建造物だが、600円の入場料を払ってまでゆっくり見る時間はないのでパス。
続いて、カトリック元町教会、ハリストス正教会、聖ヨハネ教会を見学(中には入らず)。

6 函館山の夜景見学   
(1)東本願寺函館別院の裏を通って、ロープウェイ山麓駅へ向かう。この時点で17:00。まだ暗くはなっていないが、早めに山頂へ向かうことに。
(2)ロープウェイ山麓駅で13枚のポイントチケットの残り9枚を使用して切符を購入(往復1160円)。我々が乗ったのは17:10出発の便。このあたりからどんどん人が増え、長蛇の列に。
早めの行動は大正解だった。
(3)ロープウェイの途中で景観を遮る高層マンションに出くわし、ビックリ。なぜ、ここにこんな建物がOKなの?
(4)山頂の展望台ではすでに暗くなるのを待つ人が大勢おり、階段に座り込んでいる人も。 人混みを避けてシアターに入り、17:30から8分間のミニシネマ『歴史と光の街ー函館』を鑑賞。
100人は入れそうなシアターだが、鑑賞者は我々2名だけ。上映終了後にスクリーンが上がると、そこには見事な景色が広がっており、鑑賞料100円の値打ちは十分あった。
(5)缶チューハイを飲みながら夜景を観賞。しかし、暗くなると人がもっと増えてきたため、ここも早めの撤収。下りのロープウェイも混んでいたが、山麓駅へ下りてみると、
来たときよりもっとものすごい行列が。やはり夜になる前に上っておいてよかったと実感。

7 ホテル周辺見学、夕食
(1)ロープウェイ山麓駅から、市電「宝来町」駅まで歩き、「十字街」駅まで1駅だけ市電に乗る。
(2)ホテルのすぐ近くにある金森赤レンガ倉庫を見学(写真1ー60)。その中にあったどれでも1000円の店で24本骨の傘を買おうかどうか悩むが、天気予報は全日程晴れのためパス。
代わりに大きなチャック付きのトートバッグを購入。このカバンはこの旅行中に大活躍することに。
(3)夕食は「美食倶楽部」にある「函館まるかつ水産」の回転寿司で19:30から。おいしい回転寿司をたらふく食べ、20:30にホテルの部屋に戻る。
(4)ホテルの客室は少し狭いが、コーヒーミルまで備えてあり、なかなかお洒落。露天風呂付きの立派な温泉に入り、この日は21:30ごろ就寝。

石碑の隣にある五稜郭の石図

五稜郭タワー内のタワーロボにて

函館開港世界大鳥瞰図

旧函館区公会堂前にて

山頂のシアター内から湾内を

函館山から湾内を

夜景を観賞

函館まるかつ水産で食事(回転寿司)

2日目

1 ホテルで朝食
ホテルにて朝6:30からバイキングの朝食。この会場が狭く、料理を取る場所も少ないため、早く入った我々はすぐに席に着くことができたが、我々が食事を終えて出る頃には
エレベーターホールまで人があふれて、順番待ちの長蛇の列。海鮮丼をはじめとする料理は実に美味しく満足できたが、連休中で満室とはいえ、ちょっとこれはいかがなものか?
と思わせる状況だった。

2 函館朝市、摩周丸、坂本龍馬記念館を見学
(1)8:15~ホテルを出て散策。JR函館駅のすぐ近くにある函館朝市へ。おいしいものがいろいろ目に付いたが、さすがに朝食のバイキングでお腹がいっぱいのため、食べられず。
生きている大きなタラバ蟹に触らせてもらいながら、写真撮影。
(2)JR函館駅に寄り、この日の函館→洞爺と、翌日の洞爺→札幌の切符を購入。
(3)9:40、かつての青函連絡船であった記念館「摩周丸」へ行き、船内を見学摩周丸やその他の船が台風の中でどのように沈没したのかをしっかりお勉強。
(4)ホテルに戻る途中、午後2時からの「まぐろ解体ショー」に使われるまぐろの前で写真撮影。
(5)昼食抜きで、高田屋嘉兵衛の銅像と日露友好記念碑を見学するため、再度歩き始め、高田屋嘉兵衛の銅像へ到着。函館山をバックに写真撮影。日露友好記念碑は探したが、結局見つからず。
(6)やはり気になっていた、坂本龍馬記念館を見学。龍馬が同志を蝦夷地(北海道)開拓のため視察に行かせていたこと、龍馬の子孫が北海道に渡ってきたこと等を勉強。展示品は銃や刀が
中心であまりパッとしなかったが、説明の館員は親切。坂本龍馬は1867年に死亡したが、死亡後に坂本家の養子となった甥の坂本直が龍馬の意思を継いで函館に渡り、
その後も坂本直寛(本家5代目)が明治31年に浦臼に入植し、一族共々北海道の礎となったらしい。そして9代目の坂本家当主・坂本登が顧問となってこの記念館が建立され、
運営されているそうだ。しかして、坂本龍馬に養子がいたことをここではじめて知ったが、そもそも坂本龍馬本人が死亡した後に坂本家に養子を迎えることができたの?そんなことを弁護士として
チラリと質問してみたが、回答は少しあいまいだった。もちろん、それ以上突っ込むことは避けたが、いい勉強になった。約30分見学を終えて外に出ると、龍馬の銅像も。

3 函館駅から洞爺駅へ
(1)赤レンガ倉庫周辺をブラブラしながらホテルに戻り、チェックアウト。14:00の特急「北斗91号」に乗車するため、13:10ホテルを出発。ホテルから駅まではタクシーで移動。
(2)特急は数分遅れて発車。洞爺駅に到着したときも同様に数分延着。事故続き のJR北海道が心配だ。駅からタクシーに乗ってホテルへ。

4 洞爺湖温泉で北海道洞爺湖サミット記念館を見学
(1)洞爺駅には、2008年に洞爺湖で開催された北海道洞爺湖サミットを祝う看板があちこちに。その前で写真撮影。
(2)ホテルに入る前に、16:30、洞爺町役場の2階にある「北海道洞爺湖サミット記念館」に立ち寄り、これを見学。17:00までだったので、急いで見学。
コインロッカーも17:00まで。
(3)サミットの会場では、サミットに出席した先進8ヶ国の首脳が現実に円卓会議を行った丸テーブルに座ったりその首脳たちと並んで(?)記念写真を。
(4)大きな興奮を覚えた各国首脳との記念撮影(?)を終えた後は、サミット記念館入口にある、熊の剥製と並んで写真撮影。
(5)歩いて、ホテル「洞爺湖万世閣ホテルレイクサイドテラス」へ。このホテルも連休中はほぼ満室状態とのこと。夕食は混雑するため時間制となっていた。
我々は19:30~とのことであったため、先に入浴。ここの温泉も気持ちよかった。
(6)食事はバイキング。食事内容は昨日のホテルのバイキングに比べると大したことはなかったが、会場は広くて快適。
(7)8:45~9:05まで、「洞爺湖ロングラン花火大会」を見学。花火は移動しながら打ち上 げられ、洞爺湖に浮かぶ観光船から見物することができるというものだが、
この日はホテルのテラスからの見学。10:00頃部屋に戻り、就寝。

みごとな本タラバ蟹がたくさん!

摩周丸の船長になった気分で

摩周丸の操縦室で

まぐろ解体ショーに使われるまぐろと共に

坂本龍馬記念館の前で

丸テーブルを前に各国の首脳陣と共に

G8のメンバーと共に

アメリカとイギリスのファーストレディと共に

3日目

1 ホテルで朝食
6:00起床、6:30~7:15まで同じ会場でバイキングの朝食。予定していた有珠山ロープウェイは中止。洞爺湖遊覧船乗り場まで散歩。

2 洞爺湖遊覧船
8:30から洞爺湖遊覧船「トム・トーヤの冒険号」に乗船。美しい景色を堪能しながら中島まで。中島で下船し、洞爺森林博物館を見学。また、野生の鹿を身近に見物。中島からの帰りの船は
一回り大きな「エスポワール号」に乗船。下船後、再度北海道洞爺湖サミット記念館を見学した後、ホテル近くの足湯に浸かり、しばし休養。ホテルに戻る。

3 洞爺駅→札幌駅
11:44に出るバスがあると聞き急いでホテルを出発。さらに予定より1本早い12:17発のスーパー北斗7号に切符を変えてもらい、14:10頃札幌に到着。列車は8分から11分の遅れ。

4 札幌駅から10分ほど歩き、北海道大学植物園を見学

5 札幌プリンスホテルタワー チェックイン16:00札幌プリンスホテルタワーホテルに到着。チェックイン、入浴。

6 17:45から仕事の打ち合わせ。

7 札幌プリンスホテルタワーに戻って就寝

美しい洞爺湖をバックに

野生の、えぞ鹿を撮影

巨大な洞爺湖遊覧船「エスポワール号」の前で

北海道大学植物園の中にある歴史的建造物(重要文化財)

4日目

1 ホテルで朝食

2 裁判所で、弁論準備(10:30~)と調停(1:30~)

3 新千歳空港(19:25発ANA1720便)→関西国際空港(21:35着)

北海道の札幌雪まつり見学・・・2015(平成27年)2月10日~12日

札幌家庭裁判所苫小牧支部での事件に合わせて、2月11日(水)に札幌雪まつりとテレビ塔を見学。

1日目

1 伊丹空港(15:45発ANA777便)→新千歳空港(17:30着)

2 依頼者と共に夕食(18:00~21:00)

3 札幌ウォーターマークホテル着、就寝

2日目

1 ホテルで朝食

2 第66回札幌雪まつり見学(9:30~11:30)

3 さっぽろテレビ塔見学(11:30~12:30)

4 札幌駅から苫小牧駅へ移動

5 依頼者と共に夕食(18:00~21:00)

6 グランドホテルニュー王子着、就寝

巨大なサザエさんの雪像

雪だるまを抱いて

フィリピンのマニラ大聖堂の大雪像

さっぽろテレビ塔の前

3日目

1 ホテルで朝食

2 札幌家庭裁判所苫小牧支部で調停期日出席(10:00~14:00)

3 新千歳空港内の松尾ジンギスカンで食事(15:30~17:30)

4 新千歳空港(18:15発ANA780便)→伊丹空港(20:15着)

松尾ジンギスカンで食事

鹿児島特攻戦跡旅行記・・・2015(平成27)年3月7日~9日

1)産経新聞に掲載された、サンケイトラベル企画実施の「鹿児島特攻戦跡を訪れる」を見て、「これはグッド!」とひざを打ち、直ちに申し込んだ。「戦後70年特別企画」として
①海上自衛隊鹿屋基地史料館②知覧特攻平和会館③万世特攻平和祈念館、をはじめとする「12ヵ所の戦跡を訪れます」は最高に魅力的。さらに、同じホテルに連泊し、8:00の飛行機で出発、
19:35の飛行機で帰宅する、2泊3日の旅は充実感でいっぱいだ。

2)昨年大ヒットし、2015年2月に発表された第38回日本アカデミー賞で作品賞、監督賞、主演男優賞等11部門を受賞した映画『永遠の0』(13年)をはじめ、『ホタル』(01年)、
『男たちの大和/YAMATO』(05年)、『俺は、君のためにこそ死ににいく』(07年)等の映画で見たあのシーン、このシーンを思い出すことまちがいなしだ。

3)さらにタイミングよく、テレビでも向井理の主演で、三夜にわたって放映された『永遠の0』は映画以上に原作に忠実につくられていたから、鹿屋基地の姿や無線司令塔の姿、
さらにゼロ戦の勇姿もより具体的にイメージすることができた。したがって、それを自分の目で確認できるのは、この上ない幸せだ。

4)そんな期待をもって臨んだ2泊3日の旅に、夕食がついてなかったのは意外だった。しかし、これが逆に、ホテルに入ってから夜の天文館街の散策や鹿児島中央駅のすぐ近くにある歴史ロード
“維新ふるさとの道”や屋台村の散策に好都合だった。鹿児島ラーメンを食べるもよし、黒豚のしゃぶしゃぶを食べるもよし。選択肢はたくさんあったが、さて私たち夫婦が選んだ夕食は・・・?

1日目

1 伊丹空港出発(8:00、JAL2401便)→鹿児島空港着(9:25)
(1)タクシーで伊丹空港へ(6:40~7:00)
(2)伊丹空港から鹿児島空港へ(8:00~9:25)
(3)鹿児島空港を出て、団体ツアーバスに乗車。参加者33名
―バス移動(10:00~10:10)―
車窓から、西郷隆盛の銅像を見る。高さ10.5m、重さ30t。日本で一番大きい人物銅像とのこと。

2 旧第二国分海軍航空基地跡(霧島市上床(うわとこ)公園)見学(10:10~10:40)
(1)旧第二国分海軍航空基地は、訓練生が訓練を受けていたところ
(2)第二国分基地(十三塚原)特攻資料展示室を見学
(3)零式特攻機(T-34性能諸元、通称メンター)
(4)零戦プロペラ
(5)特攻の碑
―バス移動(10:40~11:50)―

3 鶴丸会館で昼食(11:50~12:45)
(1)鶴丸会館で昼食(和食、会席御膳)
―バス移動(12:45~13:00)―

4 特攻碑公園・特攻神社(旧出水(いずみ)海軍航空基地跡)見学(13:00~14:20)
(1)特攻碑公園見学(13:00~13:50)
・出水海軍航空基地は、昭和18年に開隊された。開隊当時は、甲種予科練などの陸練操縦教育を担当していた。昭和20年4月以降は特攻基地として銀河隊など、約200名の特攻隊員が出撃した。
・特攻隊銀河隊出撃之地
・防空戦闘指揮所(防空壕)
―バス移動(13:50~14:00)―
(2)特攻神社見学(14:00~14:20)
・特攻隊員像『南方のかなた』
・特攻神社は、出水海軍航空隊の守り神として建立された。大東亜戦争の終結により放置されていたが、平成2年、神社の台座が発見されたのを機に再建された。
―バス移動(14:20~16:05)―
途中、畑の中の掩体壕(えんたいごう)を見学。

4 さつま揚げ直売所(16:05~16:35)
(1)高浜蒲鉾(串木野名産)
―バス移動(16:35~17:10)―

5 鹿児島市(ブルーウェーブイン鹿児島泊)着(17:10~17:30)
部屋に荷物を置いて市内へ散策に出る。

6 市内散策(17:30~19:30)
(1)ザビエル公園
・明治時代に建てられたザビエル教会は第2次世界大戦で焼失したが、昭和24年にフランシスコ・ザビエルの渡来400年を記念して、ローマ法皇の寄付で、近代ゴシック建築の教会堂が
再建された。
・平成11年に溝口守一氏によって、ザビエル、薩摩人ヤジロウ、ベルナルドの等身大の像が制作された。
(2)照国神社(鶴丸城跡)
鶴丸城は、屋形の形状が鶴が羽を広げたように見えたことから呼ばれる鹿児島城の別名。照国神社は、薩摩藩第11代藩主島津斉彬を祀る神社。
(3)島津斉彬像
(4)西郷隆盛像
(5)小松帯刀像
―徒歩移動(19:30~20:00)―

7 天文館街歩き(20:00~21:00)
(1)鹿児島ラーメン「我流風」でラーメンを食べる
(2)夜の天文館の飲食街めぐり。薩摩ダイニング前の西郷さんの人形と共に
(3)昭和の懐かしい映画のポスターを売りにした居酒屋の前で

8 鹿児島市(ブルーウェーブイン鹿児島泊)(21:00)
ホテルに戻って就寝。

零式特攻機(T-34性能諸元、通称メンター)

「翼を休めて」

特攻隊銀河隊出撃之地の碑

防空戦闘指揮所の内部

ザビエル公園の入口

「我流風」で食べたラーメン

薩摩ダイニング前の西郷さんの人形

昭和の映画のポスターを売りにしている居酒屋の前で

2日目

1 ホテルで朝食(6:30~7:10)
(1)起床(6:00)
(2)ホテル内レストラン「華山」で朝食バイキング(6:30~7:10)
(3)ホテルを出発(8:10)
―バス移動(8:10~9:00)―

2 万世(ばんせい)特攻平和祈念館(旧陸軍万世飛行場跡)見学(9:00~10:10)
(1)万世特攻平和祈念館見学
・万世特攻平和祈念館は、鳥取県の鳥取砂丘、千葉県の九十九里浜と並ぶ日本三大砂丘の1つである鹿児島県南さつま市吹上浜に建てられている。
・吹上浜は、昭和18年夏から19年末にかけて建設された陸軍最後の特攻基地「万世飛行場」があった場所。万世飛行場はわずか4カ月しか使われなかったが、17歳の少年飛行兵を含め、
200人近い特攻隊員が“祖国のため”を合言葉に、沖縄の空に飛び立った。その跡地に平和への想いを込めて、当時の遺品や関係資料を展示するために平成5年に万世特攻平和祈念館が建てられた。
・祈念館の外観は、当時練習機として使用された複葉型「赤とんぼ」を模し、その大屋根は平和を祈る合掌をシンボル化したユニークな「複葉合掌型」の形をしている。
(2)万世特攻平和祈念館の中を見学。そこには、吹上浜から引き揚げられた海軍零式水上偵察機などが展示されている。
(3)万世特攻平和祈念館の外にある、万世特攻慰霊碑「よろずよに」を見学
―バス移動(10:10~10:40)―

3 ホタル館富屋食堂を見学(10:40~11:10)
(1)「特攻の母」として慕われた鳥浜トメが経営する富屋食堂は軍の指定食堂として特攻隊員たちに使われていた。トメは娘たちとともに、出撃する特攻隊員をあたたかく迎え、送り出していた。
(2)ホタル館富屋食堂と特攻隊員との触れ合いについては、映画『ホタル』(01年)(『シネマルーム2』34頁参照)、『俺は、君のためにこそ死ににいく』(06年)
(『シネマルーム14』134頁参照)等で有名。とりわけ、
①「明日ホタルになって帰って来るよ」と言い残し出撃した宮川三郎軍曹、
②「俺は朝鮮人だよ」と言い、故郷の歌『アリラン』を歌った光山文博少尉、
③「日本は負けるよ」といつも言っていた上原良司少尉
は、有名だ。
(3)鳥浜トメの生涯と特攻隊員とのふれあいの遺品・写真を織り交ぜ、今まで語られなかった真実の特攻隊員を、トメの証言どおり、後世に残すため、当時の場所に資料館「ホタル館」が
復元された。
―バス移動(11:10~11:20)―

4 知覧(ちらん)パラダイスで昼食(11:20~12:00)
(1)知覧パラダイスで昼食(豚しゃぶ)
(2)知覧パラダイスから徒歩で知覧特攻平和会館へ

5 知覧特攻平和会館(旧陸軍知覧飛行場跡)見学(12:00~13:50)
(1)知覧特攻平和会館見学
・知覧特攻平和会館は、南九州市知覧町にある。大東亜戦争(太平洋戦争)末期の沖縄戦で、爆装した飛行機もろとも敵艦に体当たりした陸軍特別攻撃隊員の遺影、遺品、記録等貴重な資料を
収集・保存・展示して当時の実情を後世に正しく伝え、世界恒久の平和に寄与するための施設として、昭和50年に建てられた。展示されている遺影、遺品のほとんどは、
知覧特攻平和会館初代館長である板津忠正(元特攻隊員)氏が集めたもの。
・昭和16年、大刀洗陸軍飛行学校知覧分教所を開校。少年飛行兵、学徒出陣の特別操縦見習士官らが操縦訓練を重ねていた。しかし、戦況が緊迫し、険悪となる中、知覧は遂に昭和20年、
本土最南端の陸軍特攻基地となり、20歳前後の若い隊員たちが満州・日本内地から集結しては、家族・国の将来を思いながら出撃した。
・沖縄戦で特攻戦死した1036名の隊員は、知覧基地を主軸として万世・都城基地から、第8飛行師団は台湾各基地、義烈空挺隊は健軍(熊本)基地から出撃した。
・館内には、若き特攻隊員の英霊コーナーや戦史資料室等に分かれて多くの資料が展示されている。
・また、館内には陸軍三式戦闘機「飛燕(ひえん)」(キ-61Ⅱ 改)、陸軍四式戦闘機「疾風(はやて)」(キ-84甲)、陸軍一式戦闘機「隼(はやぶさ)」(キ43-Ⅲ甲)が
展示されている。
(2)三角兵舎
・特攻平和会館の隣に復元されている三角兵舎は、満州や日本の各地から知覧に集められた特攻隊員が、出撃までの数日間を過ごした場所。空襲を避けるため飛行場から少し離れた松林の中に
造られた。
・三角兵舎は半地下式木造のバラック建てで、屋根には偽装用の幼木をのせていた。
(3)庭にある平和の鐘
(4)初等練習機(T-3)
(5)特攻勇士の像
昭和49年に建立。伊東五百亀(いおき)氏制作。
(6)陸軍一式戦闘機「隼」
2007(平成19)年に公開された映画『俺は、君のためにこそ死ににいく』(製作総指揮・脚本:石原慎太郎)で忠実に復元された陸軍戦闘機。
―バス移動(13:50~14:30)―
途中、車窓から弾薬庫、給水塔を見る

6 火之神(ひのかみ)公園・平和祈念展望台(戦艦大和殉難鎮魂之碑)見学(14:30~15:15)
(1)火之神公園(坊野間県立自然公園)入口(写真2-19)と平和祈念展望台入口
・火之神公園は、枕崎市火之神岬町にある、東シナ海に突き出た岬の先に広がる半島屈指の雄大な景観を誇る公園。 
(2)火之神公園・平和祈念展望台見学   
・昭和20年4月7日、沖縄決戦へと向かう戦艦大和を旗艦とする第二艦隊は、米軍との死闘の末、枕崎市の200km沖合に撃沈した。その際に亡くなった3721名の供養と平和への願いを
込めて、戦艦大和沈没50周年にあたる平成7年に、東シナ海を臨む高台にある火之神公園の一角に平和祈念展望台がつくられた。
(3)平和祈念展望台の殉難鎮魂の碑(戦艦大和殉難鎮魂之碑)
(4)平和を願うシンボルの女神像
(5)さまざまな慰霊碑
―徒歩で『男たちの大和/YAMATO』のロケ地へ―

7 『男たちの大和/YAMATO』(05年)ロケ地見学

(1)仲代達矢と鈴木京香が登場する冒頭シーンのロケ地を見学。
(2)この海の彼方(南西方面)にて、戦艦大和が沈没。
―バス移動(15:15~16:00)―

8 花瀬望比(はなせぼうひ)公園(フィリピン戦没者慰霊碑)見学(16:00~16:35)
(1)花瀬望比公園の入口
(2)花瀬望比公園見学
・花瀬望比公園は、指宿市(いぶすきし)開聞(かいもん)町にある。
・昭和41年8月、比島(フィリピン)の地に散華し眠る英霊を慰めようと「比島戦没者遺骨収集並びに慰霊碑建立期成会」が結成され、遺骨収集を行った。
・昭和43年春、花瀬海岸で47万6千余柱の象徴遺骨として4千余柱の英霊をまつる慰霊碑の除幕式と慰霊祭が行われ、毎年慰霊祭が行われることになった。
・開聞岳の西側の花瀬海岸に比島戦没者慰霊碑が建設され、死生の扉、想比之像、安らぎの鐘、大鐘楼等が整備されたのを契機として、花瀬公園を花瀬望比公園と改称した。
(3)殉国戦士面影の像
日本芸術院会員、鹿児島大学教授の中村晋也先生の作品。この像は、英霊の更なる鎮魂と世界民族の永久の平和を祈念する証として、激戦地フィリピン群島で生命をかけて戦い矢玉尽き、
ついに尊い生命を落とした殉国戦士の面影を象徴したもの。
(4)死生の扉
(5)五重塔
(6)想比之像(従軍兵士の妻子像)
戦時中、従軍兵士の妻子は、夫や父の安全と終戦をひたすら望み、無事の帰還を祈っていた。フィリピン群島に向かって祈るモンペ姿の母子像はその姿を象徴したもの。
(7)大鐘楼(「安らぎ之鐘(望比鎮魂之鐘)」)
高さ2m39cm、直径1m15cm、重さ1,950kgの大きな梵鐘。大鐘楼の鐘韻(しょういん)、松籟(しょうらい)とともに雲烟万里1900kmの彼方、比島の島々に響き渡り、
地下に眠る勇士の霊を慰め、併せて世界平和と万民の平穏功徳を祈る望比鎮魂之鐘(平安之鐘)として建立された。
(8)望比観音像
この像は、人類の平穏功徳を願う真の世界平和の道祖神として、全世界に向けて『平和宣言』を行い、来るべき次世代につづく恒久平和を象徴したもの。
(9)戦士の像、日本軍の機関銃、遺骨と共に収集した鉄兜、遺骨とともに収集した、日本軍の遺留武器。
(10)レイテ島の密林を摸したレイテの森入り口、石燈籠
―バス移動(16:35~18:00)―

9 鹿児島市(ブルーウェーブイン鹿児島泊)着、休憩(18:00~18:30)
(1)ブルーウェーブイン鹿児島着
(2)部屋に荷物を置いて鹿児島中央駅方面へ散策に出る。

10 東郷平八郎誕生地の石碑、大山巌元帥誕生地の石碑等を見学(18:30~19:00)
(1)東郷平八郎誕生地の石碑
(2)大山巌元帥誕生地の石碑
(3)村田新八誕生之地の石碑
(4)西郷隆盛誕生地

11 歴史ロード“維新ふるさとの道”散策(19:00~19:30)
(1)歴史ロード“維新ふるさとの道”入口、ゲート前
(2)維新ふるさとの道を散策
・「時代をにらんだウドメサア」を掲示
・「多くの偉人を輩出した町」を掲示
・「西郷、大久保らが巣立った学び舎」を掲示
・「歴史ロード“維新ふるさとの道”」を掲示

12 鹿児島中央駅見学(19:30~19:40)
(1)ネオンに輝く夜の観覧車
(2)鹿児島中央駅前の若き薩摩の群像
(3)ダイエー鹿児島中央店で夕食(握りずし、幕の内、野菜など)を購入

13 ふるさと鹿児島屋台村見学(19:40~20:00)
ふるさと鹿児島屋台村を見学

14 ホテルへの帰路(20:00~20:10)
(1)高見橋見学
(2)大久保利通銅像見学

14 ホテルに戻って夕食(20:10)
ホテルの部屋に入り、テレビで『花燃ゆ』を見ながら食事。

15 就寝(21:00)

万世特攻平和祈念館の入口

海軍零式水上偵察機をバックに

殉国戦士面影の像

望比観音像をバックに

レイテの森にある石燈籠

歴史ロード“維新ふるさとの道”のゲート前

“維新ふるさとの道”「時代をにらんだウドメサア」を掲示

鹿児島中央駅のすぐ近くにある、ふるさと鹿児島屋台村

3日目

1 ホテルで朝食
(1)6:00起床
(2)6:30「華山」でバイキング
(3)7:30ホテルを出てバス乗り場へ
-バス移動(8:00~8:15)-

2 鹿児島港から桜島港へカーフェリーで移動(8:15~8:35)
(1)住民の足となっている桜島カーフェリー
(2)人気の高い船内のうどん屋
-バス移動(8:35~8:40)-

3 桜島海軍基地跡見学(8:40~8:55)
(1)桜島海軍基地は、アメリカ軍の本土上陸を阻止するために編成された、海軍特攻戦隊の一つである「第五特攻戦隊」の司令部として、大東亜戦争末期に作られた基地。
(2)桜島海軍基地跡見学
・南京錠がかけられており、中を見学することはできず、格子の扉から壕の中をのぞくだけの見学。
・壕の高さ・幅は2~3mほど。内部は手掘りによって作られたトンネルが網の目状に張りめぐらせている。魚雷保管室や動力室がある。
-バス移動(9:00~9:50)-
9:40 鹿屋市役所の平和学習のガイドが乗り込む

4 小塚公園(旧海軍鹿屋航空基地、特別攻撃隊戦没者慰霊塔)見学(9:50~10:10)
(1)特別攻撃隊戦没者慰霊塔は、鹿屋基地から特別攻撃のため沖縄へ飛び立った若者たちの御霊を祀るために昭和33年に建立された。
・小塚公園では毎年4月に慰霊祭が行われている。
(2)特攻隊攻撃隊戦没者慰霊塔
塔の上には南海の空に向かって飛び立とうとしている翼を広げた白鳩がのっており、銘板には旧鹿屋航空基地から出撃した特別攻撃隊戦没者908名の氏名などが刻まれている。
-バス移動(10:10~10:20)-

5 桜花の碑(神雷特別攻撃隊別盃の地)見学(10:20~10:30)
(1)バス移動の途中でバスを降りて見学。
桜花の碑は、人間爆弾「桜花」の神雷部隊として出撃した隊員たちが宿舎としていた旧野里国民学校跡地に昭和20年春に建立された。
(2)山下部落跡地の碑
-バス移動10:30~11:00)-

6 鹿屋市観光物産総合センター食堂で昼食(11:30~12:00)
(1)昼食は海軍カレー。レストランには、近々3夜に分けてTV放映される『永遠の0』の宣伝ポスターが(11:30~12:00)。

7 海上自衛隊鹿屋(かのや)航空基地史料館(旧海軍鹿屋航空基地跡)見学(12:00~13:40)
(1)海上自衛隊鹿屋航空基地史料館の入口(12:00~13:40)
(2)鹿屋市には3つの飛行場が存在し、日本で最も多くの特攻隊が出撃している。鹿屋海軍航空基地からは908名、串良海軍航空基地からは363名の特攻隊員が出撃した。
海上自衛隊鹿屋航空基地史料館は昭和47年に設立され、平成5年に新史料館としてリニューアルした。屋内には、昭和11年の海軍鹿屋航空隊開隊から現在の海上自衛隊鹿屋航空基地に至るまでの
史料が展示されている。また、屋外には世界で唯一現存する「二式大型飛行艇」も展示されている。
・1階入口を飾っているステンドグラス「夕映桜島」の原画は平山郁夫画伯のもの
(3)海上自衛隊鹿屋航空基地史料館には、昭和11年に海軍鹿屋航空隊が開隊して以来、現在の海上自衛隊鹿屋航空基地に至るまでの抱負な資料を展示している。
(4)旧海軍については、海軍精神発露の史実、先の大戦における特別攻撃隊にまつわる遺品や零戦の実機が展示してある。また、自衛隊については、災害派遣や我が国周辺海域における警戒監視、
海外派遣任務等の海上自衛隊の現在の活動などを紹介している。
(5)1階にある自衛隊の紹介では、「現代を生きる若い海鷲たちの躍動」と題して、①海上自衛隊の発展について年表で示し、②海上自衛隊が使用した航空機や装備品の変遷③実際の仕事ぶりや
役割について紹介している。
(6)2階は、「時代を翔けた勇士たちの航跡」と題して、①海軍航空隊の誕生と以後の発展、②神風特別攻撃隊について紹介している。とりわけ目立つのは、航空技術の発展を象徴するものとして、
当時世界でも名機といわれた零戦の誕生した経緯を示し、「零式艦上戦闘機五二型」を復元したものを展示していること。
(7)零式艦上戦闘機五二型丙
(8)ちなみに、映画『永遠の0』(13年)では、特攻を決意した主人公・宮部(岡田准一)が、自分の乗る新型の52型と、予備士官の大石(染谷将太)が乗っていた旧型の21型とを
交換してくれと依頼したシーンが印象的。これによって、エンジン不良で不時着した52型に乗った大石のみが生き残ることができたわけだが、なぜ宮部はそんな交換を大石に申し出たのだろうか?
(『シネマルーム31』132頁参照)

8 海上自衛隊鹿屋(かのや)航空基地史料館の屋外展示を見学(13:40~14:00)
(1)屋外展示には、10機ほどの海上自衛隊で使われなくなった航空機が展示されている。
(2)「二式大型飛行艇12型(HBK2)」
昭和15年に初飛行した当時世界一の高性能を誇った大型飛行艇で、大型飛行艇としては前例のない長大な航続距離と高速性能を誇り、偵察、哨戒、輸送まで多方面に活躍した。
(3)HSS-2A(対潜哨戒機)
昭和38年から平成2年まで使用された。
(4)P-2J型対潜哨戒機
昭和41年から平成5年まで使用された。ホーミング魚雷備えることができる。
(5)US-1(A)(救難飛行艇)
昭和49年から使用されている。
(6)SNJ(練習機)
昭和29年から昭和40年まで使用された。
(7)R4D-6(多用機)
昭和33年から昭和46年まで使用された。

9 地下壕電信司令室跡見学(14:30~14:45)
(1)鹿屋海軍航空基地から飛び立った隊員が突撃前に送る最後の通信を受け取っていた地下壕。ここは中に入っての見学も可能。
(2)内部にはこうもりやゲジゲジがいると言われていたが、現実に2つとも発見。ぶらさがっているこうもりを、フラッシュをたいて、こわごわ撮影。
-バス移動(14:45~14:50)-

10 串良平和公園(旧海軍串良航空基地跡)見学(14:50~15:15)
(1)串良海軍航空基地では、約5000人の飛行予科練習生が訓練を受け、終戦までの半年間に363名の特攻隊員、一般攻撃隊202名の計565名が出撃した。
東西1300m、南北1200mの滑走路跡には、関西に移住した串良出身者により桜が植えられている。
(2)平和公園に並ぶ出撃部隊の慰霊碑
(3)旧海軍串良航空隊出撃戦没者慰霊塔
串良海軍航空基地から特別攻撃隊として飛び立った御霊を祀るために、昭和44年10月に建立された。

11 日本初の黒酢レストラン「黒酢本舗 桷志田(かくいだ)」(16:15~17:00)
(1)黒酢の郷 福山町で作られた黒酢を試飲。おみやげ購入。
(2)200年前から同じ製法で続く、黒酢の製造過程で使われる陶器製のかめ壷が、熟成の段階順に並べられた壷畑を見学。
(3)桷志田の壷畑からは桜島を一望することができる。
-バス移動(17:00~17:30)-
バスの車窓から、西郷公園にある西郷隆盛像を見学

12 鹿児島空港に到着(17:30~18:40)
(1)鹿児島空港おやっとさぁ(おつかれさま)で天然足湯に浸る。
(2)エアポート山形屋ファミリーレストランにて、さつまラーメンを食べる。

13 鹿児島空港(19:35発JAL2414便)→伊丹空港(20:35着)
-タクシーで自宅へ(21:00~21:20)-

人気の高い船内のうどん屋

桜花の碑

『永遠の0』の宣伝ポスター

二式大型飛行艇12型(HBK2)をバックに

R4D-6(多様機)をバックに

地下壕電信司令室跡の内部にいたこうもり

「黒酢本舗 桷志田(かくいだ)」の壷畑

バスの車窓から見た西郷隆盛像

沖縄旅行記・・・2019(平成31)年11月17日~19日

1)中国の江蘇省・無錫から日本に留学してきた徐潮さんと知り合ったのは、2012年8月に上海で開催されたブックフェアに毛丹青氏と共に参加した時。雑誌『知日』の出版で大人気になった
毛丹青氏のブースは黒山の人だかりとなり、サインを求める長い列ができていた。そこに並んでいた1人が彼女だが、ひょんな縁で話し込み日本留学への熱意を感じ取る中、私は即座にその応援を
決意した。翌年4月に来阪し、事務所のすぐ近くにある日中語学専門学院に入学したが、その手続や住居の世話はすべて私の役割だった。そんな環境下での彼女の懸命の努力によって、
次のステップは15年の早稲田大学大学院への入学。更に卒業後の17年10月には沖縄タイムス社に入社し、新聞記者のキャリアを開始させた。

2)沖縄は旅行体験のない近くて遠い地だったが、彼女の就職を契機として是非一度は!ずっとそう考えていた中、10月中に11/17~18での2泊3日の沖縄旅行を決めた。
ところが、何と10/31には沖縄が誇る世界遺産・首里城が一夜にして炎上、消失してしまった。まあそれも1つの運、そして天命。そんな気持ちで、1日目は守礼門と焼け落ちた首里城を見学、
夕方は国際通りを端から端まで歩いた。2日目は南部戦跡巡りで、①旧海軍司令部壕 ②ひめゆりの塔と資料館 ③平和祈念公園を見学。圧巻は④糸数アブチラガマだった。
あえて真っ暗にしているガマ(洞窟)を懐中電灯1つで恐る恐る歩く中、ガイドから当時の生々しい状況説明が。こりゃ人生初の恐怖体験に!帰りは普天間基地まで足を伸ばしてオスプレイを見学。
6時からは女性3人グループ・ネーネーズの熱唱をライブ居酒屋で。3日目は福州園と市立博物館を見学して帰路へ。

1日目

1 伊丹空港出発(11:00、ANA765便)→那覇空港着(14:10)

(1)那覇空港からモノレール(ゆいレール)で県庁前駅へ(約10分)
大阪では既に朝夕にはコートが必要だが、さすがに沖縄ではそれは不要。また、上着も冬用ではなく、合い服で十分。しかし、シャツぐらいは厚手のものを。そう思って服装を決めたが、
那覇空港を降りると、ムッとする感じの湿気と生温かさにビックリ。温度は25度前後あるうえ、湿気がすごい。
ゆいレールは大阪や東京の空港にあるモノレールと全く同じだが、2両編成だからかわいいもの。そして、24時間乗り放題で800円という便利なチケットがあったので、今日の首里城見学を
考えてそれを購入。那覇空港駅から県庁前駅までの所要時間は約10分だ。

(2)県庁前駅から歩いてアルモントホテルへ(約5分)
今回の沖縄旅行を食事付き・観光付きの格安パックにしなかったのは、大腸と胃のガン手術を経た私には食事の回数と量をしっかり管理する必要があるため。そのため航空券とホテルだけの手配に
したが、そうすると、県庁前にあり、徐潮さんが勤務する沖縄タイムス社にも近いアルモントホテル県庁前は便利。県庁前駅から徒歩約5分のアルモントホテル県庁前に向かう途中で、
①黒川紀章が設計した県庁、②琉球新報ビル③那覇市役所、沖縄タイムス社のビルをバックに写真撮影。

2 首里城見学(15:20~)
(1)モノレールで県庁前駅から首里駅へ
ホテルに荷物を置き、軽装に着替えて県庁前駅まで歩き、ゆいレールで県庁前駅から首里駅へ
(2)首里城見学
首里城が10月31日に炎上・焼失してしまったのは残念だが、守礼門は残っている。また、首里城の焼け跡見学はできなくても、近くまで行けば雰囲気は感じられるはず。そう思いながら
首里駅から首里城まで歩いた。そして、途中休業中ながら雰囲気のいいレストランで写真撮影(写真2-1)。予想以上に長い距離を歩き、やっと首里城へ到着。
まずは建礼門を見学。続いてそこからは本来絢爛豪華な首里城の見学だが、今は残骸を見ることもできない状態。しかし、周辺をいろいろ散策し、雰囲気だけはしっかりキャッチ。
(3)出口でタクシーに乗車
首里駅から首里城見学でかなりの距離を歩いたため、帰りはタクシーを拾わなければと思っていると、ちょうど出口に1台のタクシーが「お迎え」のように停まっていたので、それに乗車。
我々が大阪から来ていることを告げると、75歳だという運転手は「自分は三味線の演奏をしており、昔は大阪の羽曳野や富田林にも行っていた」とのこと。そこで私が場ぶるの頃に北新地で
よく歌っていたTHE BOOMの 「島唄」のメロディーを口ずさむと、運転手も一緒に歌い始め、助手席から三味線を取りだしてきたからビックリ。そうなれば首里駅についたら
一緒に歌おうと誘い、料金を支払った後、私が助手席に乗り込み、写真撮影まで。
そんなハプニングを経て首里城の見学を終え、次は国際通りを散策するべく、再びゆいレールに乗って牧志駅へ。

3 国際通り散策
(1)さいおんうふシーサー前で写真撮影
牧志駅を降りると、すぐに撮影スポットとして有名な、さいおんうふシーサー前で写真撮影。ちなみに、シーサーとは古代オリエント地方でライオンをモデルとした架空の動物が中国に獅子として
伝わり、それが訛って琉球に伝わったものだ。
(2)那覇市立壺屋焼物博物館
続いて,那覇市立壺屋焼物博物館を見学。松山では砥部焼が有名で、砥部焼のコーヒーカップ等は私の事務所開きの引き出物として活用した。そんなこともあって、私は焼物(陶磁器)には
少し興味があるから、沖縄の上焼、荒焼等についても興味津津。博物館に展示されているさまざまな焼物を見学した。 
(3)牧志駅から歩いて国際通りを散策
夕食は徐潮さんが6時に「うりずん」で予約しているとのことなので、その場所を聞くと、安里駅スグだった。そこで牧志駅から県庁前駅まで歩き、県庁前駅からゆりレールで安里駅まで行く(戻る)
ことにし、国際通りを東端から西端まで歩くことに。その途中で土産物屋へ。
(4)みやげ店
今日は日曜日なので、国際通りは車両を通行止めで、歩行者天国にしている。そのため、その道幅は上海の上海新天地を歩いているのと同じくらいの広さなのできわめて快適。もっとも、
私の興味は並んでいる店にあるので、道の真ん中ではなく店側を歩くから、道路幅は関係なし(?)。しかし、歩行者天国のため、人通りの多さを十分観察することができたのはラッキーだった。
沖縄のみやげ店ではどこでもシーサーを売っているが、それは買わずに、横道の平和通り商店街にあった、大阪の天神橋筋商店街のお店と同じような小さな店に立ち寄った。そこで小銭入れや櫛などの
小物を見つけ、天神橋筋商店街と同じように値段交渉をした結果、ある商品2点を購入。その商談が無事まとまったことを祝って、“沖縄のおばちゃん”と並んでハイ、ポーズ。

4 「うりずん」で夕食
沖縄料理「うりずん」は地図にも名前が出ていたから、かなり高級な沖縄料理?そう思いながらこじんまりしたのテーブル席に座り、メニューをみるとそれほど高くはない。
しかし、少し遅れて到着した徐潮さんに聞いてみると、やはりここは高級な沖縄料理店で、彼女がここへ来たのは、東京から来てくれた先輩を案内して一緒に来た時以来とのことだ。

5 夕食後路地を散策
11月4日(月)の東京出張では、定宿にしているホテル京阪浅草のすぐ裏の路地にある美味しくて安い焼肉屋「大福園」の味をタップリ楽しんだ。それらを含めて、浅草の路地は面白いが、
沖縄の安里駅の路地もかなり面白いらしい。そう聞くと、そりゃ必見!とばかりに食後の腹ごなしを兼ねて、あちこちに広がっている狭い路地を探索。この路地にも安くて美味しい沖縄料理の店が
いっぱいあるそうだから、次回はそんなお店に。

6 安里駅から県庁前へ、そしてホテルへ
以上で本日の充実した日程はすべて終了。ホテルに入り、12Fの共同温泉で身体を洗って就寝。

アルモントホテル入口で

首里城の入口

歓会門

御嶽石門の碑

タクシーの運転手と『島唄』:を一緒に歌う

土産物屋にて

夕食

夕食

2日目

1 チャーターしたタクシーでホテルを出発
今日は徐潮さんが1日休みを取って、「南部戦跡巡り」の観光にも夕食にもつき合ってくれる。そこで午前9時に、ホテル前で、6時間12,800円でチャーターしたタクシーに乗り込み、出発。
天気予報は午前中曇り、午後から雨だが、“晴れ男”の私だからきっと大丈夫だろう。そう思いつつ、平和祈念公園やがま(洞窟)の見学はできるだけ午前中に。
そして雨でも大丈夫な建物内での見学は午後にするべく大雑把な計画を立て、まずは旧海軍司令部壕へ。

2 旧海軍司令部壕 見学
「ミッドウェイの戦い」における勝利で反転攻勢に転じた米軍は、太平洋上で飛び石作戦(Isrand Hopping)を決定。これは、ラバウルなどの侵攻困難な日本軍基地への上陸を
避けながら、サイパン島など日本本土に近く、日本軍の戦力が弱い拠点を集中的に攻撃し陥落させ、兵力の消耗を防ぐ戦術だ。その結果、日本軍はラバウル島、トラック島、ニューギニア諸島等を
次々と失った末、サイパン島での戦い(1944年6月15日~7月9日)や硫黄島の戦い(1945年2月19日~3月26日)で玉砕した。ちなみに、硫黄島の戦いは、『硫黄島からの手紙』
『父親たちの星条旗』2部作で詳しく描かれていた。
すると、次は台湾や沖縄だが、米軍は台湾を避けて沖縄攻撃を決定した。日本軍は南からの上陸を想定したが、予想に反して米軍は中西部の慶良間諸島に1945年3月26日に上陸し、
4月2日から南と北の二方面に分かれて全面攻撃を開始し、6月23日にすべての戦争は終了した。そんな中、沖縄の海軍司令本部が果たした役割は?
旧海軍司令部壕は1944年に持久戦続行の陣地として設置されたが、沖縄に日本の軍艦そのものがいなくなってしまう中、沖縄の海軍司令本部は結局海軍としての機能を全く発揮できなかった。
したがって、旧海軍司令部壕は大田實司令官が自決するだけの場所になってしまったのは悲しい限りだ。
全長約500mの壕の中は想像以上に立派。『硫黄島からの手紙』『父親たちの星条旗』2部作でみた壕ほどの広さはないが、それでも見学できる約300mの壕を歩いていると、
その当時の生々しさを十分実感できる。今ドキの日本の若者はこういうものをしっかり自分で歩き、その時の状況に想像力を巡らさなければ・・・。

3 ひめゆりの塔 ひめゆり平和祈念資料館 見学
沖縄の南部戦跡巡りのメインは、ひめゆりの塔の見学。「ひめゆり部隊」の悲劇を描いた映画やドラマは多い。学徒隊の生存者22名の証言を基に、1945年4月~6月までの
15~19歳の少女222名の生きザマと死にザマを赤裸々に語ったドキュメンタリー映画『ひめゆり』(07年)(『シネマ15』246頁)も胸を打ったが、
その代表は、今井正監督の『ひめゆりの塔』(53年)(リメイク版82年)だ。そこで、まずはひめゆりの塔の前で合掌し、ひめゆり平和祈念資料館を見学。

4 平和祈念公園
次に向かったのは、沖縄平和祈念公園。この広大な敷地を持った公園には、①平和の礎②沖縄県平和祈念資料館③沖縄平和祈念堂等があるので、順次見学。
(1)平和の礎(国立沖縄戦没者墓苑)
沖縄戦終戦50周年に建立された平和の礎(国立沖縄戦没者墓苑)には、世界の恒久平和を願い、国籍や軍人、民間人の区別なく、沖縄戦等で亡くなった国内外すべての人々の氏名を刻んだ碑がある。
そして、その碑面には都道府県別、国別に名前が刻銘されている。
私が驚いたのは、祈念公園内では都道府県別にそれぞれ敷地(ブース)を取り、都道府県別に沖縄戦での戦没者が祀られていること。平和祈念公園内は車での走行が禁止され、
公園専用のカート(ゴルフ場のカートと同じ)で回るが、その運転手の説明によると、その場所取りは先着順で決めたとのこと。また、戦没者の慰霊祭も都道府県それぞれの都合で
個別に決めているそうだ。そこで私の疑問は、なぜそんな風に都道府県別にやっているの?ということ。だが、その質問に対する運転手の答えは、わかったような分からないような・・・・。
(2)沖縄平和祈念堂
高さ45mの正七面体の塔は、公園の中でもひときわ目立っている。その中には、沖縄県出身の山田真山氏によって造られた、漆製の平和祈念像が安置されている。
ここはカートの上からの写真撮影のみで、見学は省略。
(3)黎明之塔、第32軍司令部壕、建児の塔の見学
平和祈念公園は多くの観光客が訪れるが、その奥にある黎明之塔、第32軍司令部壕、建児の塔を訪れる観光客は少ないとのこと。それは、カートが不便なことと、少し歩かなければならないためだ。
しかし、それならカートの便を増やし、もっと案内人やボランティアを増やせばいいのでは?ちなみに、大阪城公園は今や多くの観光客であふれかえっているが、これは民営化したことの功績と共に、
観光ボランティアを数多く養成したことの効果が大きい。それに比べると、平和祈念公園のカートの運転手は横柄で態度も悪く、説明も紋切り型だ。
その上、カートの台数が少なく時間も不定期だから、予定を立てにくいことこの上ない。そんな不満を持ちつつ、黎明の塔へ。
まず第1に黎明之塔を見学。これは、沖縄県と南西諸島の守備に任じられた、第32軍司令官の牛島満大将と参謀長の長勇中将を祀っている慰霊塔だ。次に、第32軍司令部壕、
すなわち牛島司令官が自決したという壕を見学、第3に建児の塔を見学するつもりだったが、時間不足のため省略。
ここは沖縄島の最南端だから、米軍に追いつめられてもはや逃げる場所を失った島民には、崖から身を投げて自殺した人も多い。崖から今の海を眺めれば美しいが、
74年前のそんな姿を想像すると・・・。
(4)沖縄県平和祈念資料館
運転手さんの話によると、沖縄県平和祈念資料館は広大な建物で、膨大な資料を備えているが、ひめゆり平和祈念資料館資料館に比べると人気がないらしい。
しかし、時間があったので中に入ってみるとその話とは大違いで、内部の充実ぶりにビックリ!2012年8月に南京の侵華日軍南京大虐殺遇難同胞記念館を見学した時は、その規模の大きさと
資料の充実ぶりに驚かされた。沖縄県平和祈念資料館の充実ぶりはそれには到底及ばないものの、かなりのものだから、これはおすすめだ。

5 糸数アブチラガマ 見学
(1)アブとは深い縦の洞穴、チラとは崖、ガマとは洞窟のこと。つまり、沖縄戦ではこのアブチラガマ(自然の洞窟)が多くの民間人の避難場所になったわけだ。そこは同時に、日本軍の作戦陣地や
野戦病院にもなった。したがって、米軍が沖縄島の南端に迫ってくる中、アブチラガマの中で同居することになった軍人と民間人たちの運命は?
(2)真っ暗闇のガマの中に、懐中電灯の明かりだけを頼りに入り、当時のガマの中での生活を体験。それが、「糸数アブチラガマ 平和への願い新たに」の観光目的で、入壕料は大人250円。
ヘルメット必着で、ハイヒールはもちろんダメ。下りでは滑らないよう細心の注意を払いながら、時々は岩に頭をぶつけないようにとの注意も。先行するガイドに従って、
恐る恐る真っ暗なアブチラガマの中に入っていくと・・・。
(3)このガマの中には重症患者を含む多くの病人、けが人がおり、医師も3名いたらしい。また、その中で患者の手当てをする看護婦たちには、水汲みや汚物捨て等々のたくさんの雑用があった。
換気孔はあるそうだが、この狭くて暗いガマの中がいかに悪臭に満ち溢れていたかは容易に想像できる。
(4)そんなアブチラガマにおけるガイドの説明は極めて生々しいものだから、身に迫ってくるのは当然。しかし、「当時はこんな状況でした。もしあなたがそこにいたとしたら、あなたは?」と、
1つ1つの説明のたびに質問してくるので、いい加減ウンザリ。「そんなこと、わかるか!「その時になってみなければ!」「それは性善説か性悪説かが究極的に問われるケースだから、
軽々に答えられない!」。何度かそう自問自答していたが、あまりにしつこいので、つい議論(口論?)に・・・。

6 首里金城町石畳町 散策
(1)チャーターしたタクシーの運転手さんはいかにも沖縄の人らしい雰囲気の親切な人であるうえ、沖縄観光に詳しいから、私たちの要望に応えて適切なアドバイスと案内をしてくれる。
糸数アブチラガマは、徐潮さんも「1度体験したので是非に」とのお薦めだったが、この運転手さんのおすすめが、首里金城町石畳町の散策。首里城は昨日見学したが、
そのすぐ近くにある石畳町は帰り道になるので、運転手さんのお薦めに従って散策することに。
(2)午前中は全く雨にたたられなかったが、アブチラガマ見学終了後、帰り道になると、どっと雨が降り始めた。しかし、これは想定内のこと。2時ごろまで全く雨に降られず、
しっかり目的のものを観光することができたから、俺は「雨男」の河野太郎外務大臣と違って、やっぱり「晴れ男」であることを再確認!もっとも、2時ごろから降り始めた雨も
降ったりやんだりだし、タクシーで移動中の雨はOK。しかして、石畳町散策中は?
(3)運転手も一緒に坂の上から下り始めた時にどっと降り始めたので、一度は引き返そうかとも思ったが、小降りになったので、ゆっくり坂を下まで降りていくことに。すると、運転手さんは
「自分は上に戻り、タクシーで先に坂の下で待っている」とのこと。しかして、雨が止んだ中、私たちが石畳町をゆっくり散策しながら下まで下りていくと、そこでタクシーが待っていた。
この運転手さんの行き届いた配慮に感心!アブチラガマでの観光ガイドの解説のおしつけがましさには辟易したが、今日の運転手さんのサービスは満点だ。

7 嘉数(かかず)高台公園でトーチカと普天間基地を見学
(1)チャーターしたタクシーの予約は、もともと午前9時から午後3時までの6時間で、12800円だったが、6時の夕食を考えると、5時までは十分観光できるので、
5時までの延長を提案すると、あっさりOK。そこで、徐潮さんの提案どおり、県庁前のホテルから少し北の方に足を延ばし、普天間基地を一望できる嘉数高台公園に行くことに。
(2)沖縄本島中部の宜野湾市にある嘉数高台公園は沖縄戦時の激戦地で、今でも日本軍が使用した「トーチカ」があるそうだ。また、そこには世界平和を願う地球儀をイメージした展望台があり、
そこからは普天間基地を離発着する米軍機(オスプレイ)を見学することができるらしい。折りしも雨が強くなり、霧が出てきたため、オスプレイの存在は確認できたものの、
残念ながらその離発着を見ることはできなかった。また、トーチカは中国旅行での旅順203高地の見学で、日露戦争当時のロシア軍のトーチカを見学したが、太平洋戦争中のトーチカははじめて。
ここで、「トーチカ」がロシア語であることをはじめて知ることに。

8 「ライブハウス島唄」でのライブと夕食
(1)昨日の夕食は、沖縄料理に舌鼓を打ちながら、楽しい会話が弾んだ。その中で、徐潮さんから「明日の夕食は、沖縄民謡ライブの居酒屋にしよう」との提案があったので、即座にOK。
するとさらに、「沖縄出身の女性4人グループ、ネーネーズを知ってる?」と質問された。一昔前のSPEEDや、「安室ちゃん」こと安室奈美恵、さらに、石嶺聡子やTHE BOOMは
私もよく知っているが、ネーネーズは全く知らなかった。しかし、徐潮さんの話によると、ネーネーズはかなり有名らしい。そして、国際通りにある「ライブハウス島唄」でそのライブを聴きながら
食事ができるとのこと。そして11月18日(月)の午後6時から予約できるとのことだった。
(2)その予約が取れていたため、嘉数高台公園の見学を終えた後は、一路ホテルへ。すると、ホテルへ到着したのはちょうど午後5時だった。今日の充実した1日観光に感謝して、
運転手さんにチップをプラスして料金を払ってお別れした。そして部屋でシャワーをし、着替えた後、国際通りを歩いて約10分のライブハウス島唄へ。
(3)ネーネーズは1990年に結成された沖縄音楽グループで、「ネーネー」は「お姉さん」の意味。メンバーの入れ替えが数回あったうえ、今は最年長の1人が産休中なので、
20歳前後の若い3人で歌っている。6時過ぎに到着し、ビールを飲みながら一通り料理を楽しんだところで、7時きっかりに3人が登場してきた。ステージは7時、8時、9時の3回があり、
すべて違う曲を歌うそうだから、席料1人2000円を払えば最大3時間楽しむことができる。料理の味は満足できるし、値段もそこそこだから、こりゃ居心地がいい。しかも、3人娘の歌の実力は
かなりのものだったから満足。
(4)ちなみに、あなたは「サー 君は野中のいばらの花か サーユイユイ」で始まる『安里屋ユンタ』を知ってる?この曲は、続いて「暮れて帰れば やれほにひきとめる」とあり、最後は
「マタハーリヌ チンダラカヌシャマヨ」と歌われ、7番まで続くもの。しかして、その昔、この「チンダラカヌシャマヨ」が「死んだら神様よ」と読み替えられたことで一躍有名になったため、
私もよく知っている曲だ。また、この曲は「ゆいレール」の車内でも「安里駅」到着時のメロディとしても使われている。そんな曲を含めて2ステージを楽しみ、午後9時過ぎに退店。

9 国際通りを歩いてホテルへ。風呂、就寝。
以上で充実した2日目の日程をすべて終了。すっかり雨の上がった国際通りをぶらぶら散策しながらホテルへ戻り、12階の温泉に入って、就寝。

旧海軍司令部壕

ひめゆり平和祈念資料館

平和の礎(国立沖縄戦没者墓苑)

沖縄島最南端の風景

沖縄島最南端の風景

ライブハウス島唄での食事

ライブハウス島唄での食事

『安里屋ユンタ』

3日目

7:00起床。シャワー、8:40出発。今日は14:10の飛行機で帰路に就くので、午前中に近場の見学のみを。

1 福州園(9:00~9:45)
福州園は、ホテルから徒歩約10分のところにある。これは、那覇市と国際友好都市関係にある中国福建省の省都・福州市の友好を記念して造られた庭で、池や小川、館など園内には福州の代表的な
風景が再現されている。私が近時ハマっている華流ドラマのいろいろなシーンを思い出しながら、しばし、ゆっくりとした時間を。

2 沖縄タイムズ社1階で資料を受領
2017年10月から沖縄タイムズ社に記者として勤務している徐潮さんは、近時署名入りの記事をたくさん書いている。それを時々送ってもらっているので、私は熱心にそれを読んでいる。
今回は、11月18日付新聞の1面トップに署名入り記事を書いたとのことで、それをもらうため、ホテルのすぐ近くにある沖縄タイムズ社の1階受付へ。そこで預かってもらっていた書類を
受け取り、記念撮影。

3 那覇市歴史博物館(10:00~10:50)
(1)昨日は、徐潮さんとの議論の中で、琉球王国が薩摩によって「琉球処分」される前に、どのように成立し、継続していたのかがわからないままだった。そこで、今日は、
①沖縄県立博物館・美術館②那覇市歴史博物館③対馬丸記念館のどこに行こうかと迷ったが、ちょうどそれを那覇市歴史博物館で展示していたので、那覇市歴史博物館を選択。
福州園から歩いてみると、この那覇市歴史博物館はホテルから徒歩1分の百貨店の上にあった。
(2)常設展示室では書画、工芸品、家譜、家文書等を、そして、特別展示室では国宝・琉球国王尚家関係資料(工芸品、文書・記録類)をゆっくり鑑賞。
また、クレオパトラの王冠には及ばないものの、琉球王国の国王が被っていた王冠もしっかり鑑賞。

福州園

福州園

沖縄タイムズ前

那覇市歴史博物館入口