阪急螢ケ池駅の周辺住民約100名は、不合理なS字ルートの大阪モノレール建設に伴う「立退き」に対し、敢然と立ち向かいました。
手段は「行政訴訟」。その闘いの指針を示すのは、坂和章平を弁護団長とする6名の若手弁護団。その裁判闘争は何と13年に及びました。
今も大阪モノレールは毎日走行していますが、大阪モノレールを運営する第三セクターは、私たちが予測したとおり、今や大赤字。
本当にこれでいいのでしょうか。「行政訴訟」という「限られた手段」で対抗した私たちの闘いを見る中で、「都市交通機関のあり方」を考えて頂ければ幸いです。
「阿倍野を大阪駅前の二の舞にするな!」。これが大阪市施行の阿倍野再開発に反対する地元住民たちの「叫び」でした。
「民」主導による再開発を!-そうでなければ、阿倍野のまちの活性化はありえない。そう信じた住民は、昭和59年5月の大阪駅前第二ビルでの「商人デモ」を契機として発足した
「大阪駅前問題研究会」で知り合いとなった坂和章平弁護士に訴訟提起を依頼しました。
そして、昭和59年9月、大阪市を被告とする「事業計画決定取消訴訟」の幕が切って落とされたのです。行政訴訟の厚い壁との闘いです。そして、一審判決は敗訴したものの、昭和63年6月24日の
控訴審判決は、「第二種市街地再開発事業の事業計画決定には争訟成熟性が認められ、行政処分性がある」という画期的な判決を下しました。
敗訴に驚いた大阪市は直ちに上告しましたが、平成4年11月26日には、最高裁が、「公告された再開発事業計画の決定は、施行地区内の土地の所有者等の法的地位に直接的な影響を及ぼし、
行政処分に当たる」と、控訴審判決を支持する判決を下しました。
この最高裁判決をきっかけに、大阪市と住民との協議が進みました。そして、平成5年5月20日には、最高裁判決で住民の主張が一部認められたことや、大阪市からの働きかけに応じて再開発に
むけての住民組織が発足し、住民の意思を十分に反映させるための話し合いが進み始めたことなどから、大阪市と住民との間で本件取消訴訟その他の阿倍野A1地区に関する一連の訴訟や審査請求を
取り下げる旨の「確認書」を締結しました。これを受けて住民が同月31日に本件訴訟を取下げ、10年にもわたる長い闘いが終わったのです。
組合施行による土地区画整理事業は、全国いたるところで行なわれています。組合設立が認可されれば、公共的な事業というお墨付きを得られるため、多額の補助金がつくシステムなのです。
このことは、逆に言えば、組合の設立を認可するためには、「土地所有者と借地権者の3分の2以上の同意」などの厳格な要件をクリアすることが必要なことを意味しています。
しかし、門真のケースでは・・・。何と、親子、夫婦間で借地契約を「デッチ上げ」て、借地権者の数を水増しして、この同意要件を満たしていたのです。
反対派住民は、坂和章平弁護士に相談。そして「十分な証拠があり、勝訴の見込みあり」、と判断した坂和章平は、6名の若手弁護団の団長として、敢然と訴訟を提起し、一審(大阪地裁)で、
完全勝訴の判決を勝ちとりました。そして控訴審で、勝訴を前提とした和解で事件を終了させたのです。
全国的にみても、極めてめずらしいケースです。参考にしていただければ幸いです。
津山再開発は昭和61(1986)年に事業がスタートし、平成10(1998)年には、同年に施行された中心市街地活性化法に基づく中心市街地活性化事業のモデルケースとして全国から注目を
集めていました。しかし、その事業規模が「身の丈」に余るものであったことや、関連組織が多く権利関係が複雑で事業が長期化したため、土地バブル崩壊の影響をもろに受けて、
再開発組合は破綻状態に陥りました。
その破綻状態を打破し、再開発組合の赤字を解消して速やかに組合を解散させるために岡山県から提案されたのが、①賦課金、②補助金、③債権放棄の3点を内容とする解散スキームです。
しかし、そこにそれまで再開発をリードしてきた再開発組合の副理事長であった林氏を中心とする数名の反対派が出現し、組合員に賦課金を賦課することを決議した総会決議の無効確認請求訴訟や、賦課金の滞納処分の取消訴訟が提起されました。そこで林氏の方針に反対する再開発組合の役員たちや市の担当者から相談を聞いていた坂和章平弁護士が、解散スキームを実施して再開発組合を
解散させるべく、再開発組合の代理人としてこの裁判を受任することとなりました。ここに、多くの理事を中心とする賛成派と、それまで津山再開発のリーダーシップを取ってきた林氏を中心とする
反対派との間で、熾烈な法廷闘争が繰り広げられることになったのです。
総会決議の無効確認請求訴訟は、再開発組合の解散のために都市再開発法39条が定める賦課金を課すことができるかどうかという点について、全国で初めて司法の判断が下された事例
となりました。そのほかにも、再開発組合の破産申立の可否、組合理事の解任、賦課金の滞納処分としての公売や預金差押えなどの法的手続が次々と取られ、これらについても全国初の
貴重な先例となっています。参考にしていただければ幸いです。
2016(平成28)年8月26日、徳島市の新町西地区第一種市街地再開発事業について、再開発組合を原告、徳島市を被告として、「権利変換計画の不認可処分の取消し」と
「権利変換計画の認可の義務付け」を求める行政訴訟を徳島地裁に提起した。
新町西地区の再開発は、2012(平成24)年11月15日付で告示された徳島市の都市計画決定及び平成26年8月25日付の再開発組合設立認可により進められてきたもので、もともと
「徳島市の音楽ホールを整備する」という原秀樹・前市長の政策に基づくものだ。しかし、徳島市は、本件再開発事業の最後の土壇場となって、今年6月23日付で権利変換計画を不認可とした。
これは、3月の選挙で再開発の「白紙撤回」を公約に掲げた遠藤彰良新市長が誕生し、その「公約」を実行するためだ。しかし、新しい音楽ホール建設を主な目的とした実質的な市の再開発事業に
協力してきた地権者にとって、新市長による何の代替案もないままの方針転換は無茶苦茶だ。
権利変換計画は市長が認可することになっているが、その前段階である組合設立及び事業計画では、認可権者である市長の判断は「覊束」つまり法律上の要件を満たしてさえいれば
認可しなければならないものであると明文で定められている(都市再開発法17条)ところ、権利変換計画には同様の明文規定はない。しかし、いわば「再開発事業を実施するかどうか」の判断である組合設立・事業計画の認可すら「覊束」であるのに対し、事業計画に基づいて建てられる建物の床を「誰がどう取得するか」を決めるものに過ぎない権利変換計画の認可の段階で、
認可権者たる市長にそこまで広範な政策判断ができる裁量の余地がないことは法的に明らかだから、勝算は充分だと考えている。
提訴当日の様子は新聞・テレビで報道されたが、権利変換計画の不認可に関する日本初の裁判の今後の展開に注目!画期的判決の獲得を目指したい。