フィットネス

第1 南海サウスタワーホテル

〔1990(平成2)年3月「フィットネス・ソサエティ21クラブ」入会〕

〔2009(平成21)年3月「フィットネス・ソサエティ21クラブ」退会〕


1 入会の動機(1990年)

 入会の動機は、第1に、毎年1~2㎏体重が増えて、大学時代の60㎏弱から70㎏になろうとしており、運動の必要性を再三指摘されたこと、第2に、車を運転するようになったため、
歩くこと自体がしんどくなり、ゴルフに行っても、「しんどい、しんどい」、というようになったこと。そして第3に、顧問先の社長から自分の体験談として、医者になった娘から
「このままいったらお父さん死ぬよ。仕事と自分の命とどちらを選ぶの!」と迫られて、娘の監督下、ランニングを始め、以降、運動が楽しくなった、という話をしんみりとかつ実感をもって
聞かされ、私ももっともだと感心した、ことです。

 ちょうどその社長の体験談を聞いた時、サウスタワーホテルのフィットネスクラブの募集が新聞記事にのりました。当時は、バブル華やかなりし時期です。入会金120万円、保証金120万円、
年会費24万円、となっていました。ゴルフ会員権の値段と比べれば1ケタ違いますが「たかがプールやフィットネスの設備で240万は高いな」と思いましたが、逆に「金額が高いから、
払った以上使わないともったいない、という根性で通うのだ」という言葉が、私には妙に説得力がありました。そして順番を争うように申し込みをして、フィットネスクラブオープンと同時に、
最低1週間に1回、そして1回に10~20分程度運動をすることを目標にしました。

2 フィットネス通いが定着(1990年~2012年)

 サウナは昔から好きでしたから、フィットネスにいくこと自体はイヤではありません。しかし「仕事が忙しい」「依頼者や友人との付き合いが忙しい」「食事会・飲み会が先に入っている」
「ゴルフの予定が入っている」など、フィットネスクラブに通えないための弁解・口実はいくらでもあります。しかし私はケチでした。240万円も先に払い、かつ何もしなくても月2万円の会費を
払っているわけです。「使わなければ損だ、行かなければ損だ!」・・・その根性で何とか週1回は通いました。

 そしてフィットネスにいくと、一応ウェアに着替え、10分だけでも自転車こぎをやってみようと思い、やり始めました。また、夜空の星のきらめきを見ながら、ゆっくりと泳ぐプールも
結構オツなものでした。そのうえ、フィットネスクラブに通っていると、可愛いインストラクターと仲良しになります。あのフィットネスを勧めてくれた社長も言ってました。
「オッサンはアホやから、インストラクターの可愛い女の子から「○○さん最近サボッてますね!ダメですね。来週は必ず1回来て下さいね」と言われて睨まれると、「ハイわかりました」
と言って来週の飲み会を断ってフィットネスクラブに行くことになる」と。

 それは本当に本当でした。インストラクターの女の子から「坂和さん、最近まじめですね。この調子でいけば・・・・」とおだてられると、つい「そうやな」と思ってしまう、
単純な中年の男心でした。血液型がA型で、根がまじめな性格の私に、フィットネスクラブは向いていたのだと思います。10分の自転車こぎが20分に、30分に。さらにステップやランニングを
するようになり、また時間がどんどん延びました。そして体重もピタッと上昇がとまりました。そして歩くのが全然苦にならなくなりました。

 私のフィットネス通いは確実に週2、3回となり、その分、必然的に飲み会が減りました。こうなると、「お金がもったいないから、行かないと損」という「スケベ根性」ではなく、
2、3日フィットネスに行って運動して汗を流さないと気持ちが悪くてどうにもできないという状態になってきたのです。こうなればもうしめたもの。フィットネスクラブ通いは私の日常生活の中の
1つの核として確実に定着してしまいました。そしてえらいもので、このフィットネス通いに伴って「不整脈」はほとんどなくなってしまいました。そして、私の年間運動量は、全会員の中でも
確実にベストテンに入るようになりました。

3 5㎞「ラブラン」との出会いと10㎞マラソン(1994年~1999年)

 そして1994(平成6)年2月、神戸ポートアイランドで毎年開催されていたバレンタインラブランの男女ペア5㎞への参加をインストラクターの女性から勧められました。
「マラソンなんてとても自分にはムリ」と思っていましたが、よく考えてみればジムでは5㎞は何回も走っています。「別にタイムを競うわけではないし、
1日、雰囲気を楽しむことができたらいいな」と考え、彼女に「本当に一緒に走ってくれるな。俺をおいて先に行かないな!」と念押しのうえ、出場することを決意しました。

 それからは5㎞をマシンの上で何回も走って自信をつけて本番にのぞみ、彼女も一緒に、22分45秒というタイムで5㎞を完走しました。もっとも、あまりにも頑張りすぎて、
帰りの駅の階段ではまともに歩くことができず、大変でした。しかし、これに自信をつけた私は、翌年から10㎞マラソンに出ることとし、以降、何回も走りました。

 しかしこのマラソンも、1999(平成11)年を境に出場していません。それは、これ以上タイムにこだわって走っていると、かえってヤバイと思ったこと、つまり、自分の性格からして、
そのうち「ハーフマラソンをやりたい」、「フルマラソンを走りたい」と言い出すにちがいないと、自分でも分かっていたためです。多分その目標を決めて準備すれば完走は可能だし、
恥ずかしくないタイムで走ると思います。しかし当然、その反動が心配です。オーバーワークはもちろん、ヒザを痛めたり、その他の故障が出たりする可能性が大きいのです。それを考え、
50歳をこえた時に、タイムにこだわることはやめようと思いました。

 むしろフィットネスクラブのジムの中で、じっくりと毎週10㎞走っている方が、自分の健康にはいい筈だと思うようになったのです。

4 ゴルフへの効用

 ゴルフの項で書いたとおり、フィットネス通いのおかげで、ゴルフがしんどくなくなり、ゴルフが楽しくなりました。ゴルフに行っても、カートなんかには絶対乗りません。
フェアウェイや山道を走っていきます。連チャンも平気です。こんな状況が続き、1998(平成10)年1月4日には、たまたまホールインワンも経験しました。
しかし、1999(平成11)年頃から少しゴルフは減りました。これは、世の中の景気が悪くなって、依頼者の人達からの誘いが減ったこともありますが、それ以上に、ゴルフにいくと、
1日遊んで、それで終わってしまう、のに対し、日曜日は、朝からフィットネスクラブに行って運動をし、夕方、映画を観れば、1日をもっと有効に使えるということがわかり、
そういうライフスタイルに移行したためです。

5 日曜日の過ごし方(2000年頃~2009年頃)

 私が映画を観るのは、①平日の7時頃からと②土曜日の夕方と③日曜日、フィットネスでの運動が終わった後、という3つのパターンです。

 ①は、せいぜい1週間に1回ですが、日曜日はゴルフや特別の行事がなければいつでも可能です。そのため、2000(平成12)年頃からは、日曜日のゴルフのないときは、
必ずフィットネス通いです。それも朝9時頃にクラブに入り、テレビを見ない時間帯で5㎞-10㎞を時速9~10㎞で走ります(10㎞で65分位のペース)。10時からは必ず
「サンデーモーニング」(6CH)と「NHK杯テレビ将棋トーナメント」(12CH)のチャンネルを、両方回して見ながら、80~90分のステップ(これで1000kcal消費)。
そしてこれもテレビを見ながら、約30~40分の自転車こぎです。その合間にTシャツ、ジャージを3~4回着替え、また各種のマシーンを使って腹筋力、背筋などの強化、そしてストレッチ。
運動時間の合計は4時間位となります。これにより体重減は約3㎏(もちろん途中、水は10杯~20杯飲みます)。そしてサウナに入り、ガウンを着て、横になって、ボーっとテレビを見ながら
一休み(あるいは昼寝)をして、そして映画館へ。 

 このように朝から夕方まで時間を過ごした後、家に帰って食事をしてから、マッサージ屋にTELしてマンションに来てもらい、うとうとしながらマッサージをして就寝。こういうコースが
定着しました。

 何と健康的な生活でしょう。そう思いませんか。

6 南海サウスタワーホテルを退会(2009年)。大阪全日空ホテル1本に。

第2 堂島ホテル

〔1994(平成6)年4月 「堂島ヘルス倶楽部」入会〕

〔1998(平成10)年12月 破産により閉館〕


1 入会の動機 

 堂島ホテルのフィットネス入会は、事務所の近くだし、車はいくらでも駐車できるし、北新地に近いので飲みに行くのも便利だ、ということでした。もちろん運動と水泳をやるつもりは
十分にありました。この時期には既に運動の楽しさが十分わかっていたので、お金は全く高いとは思わず、案内をみて即入会を決断しました。既にバブルがはじけていたため、
入会募集は苦労したらしく、入会者は多くありませんでした。従って、メンバーとしては、立派な施設を、わずかの人間で使えるわけですから、天国のようなもの。しかもストレッチは約30分、
マンツーマンでついて、足を押したり曲げたり、身体をひっぱったり曲げたり、マッサージしたり、してくれます。車を入れて、運動してから、北新地の飲み屋へ、というパターンもふえました。

2 堂島ホテルの破産

 しかし、残念ながら、堂島ホテルは1998(平成10)年12月事実上倒産して、フィットネスクラブも閉鎖されてしまいました。従って、入会金150万円、保証金約150万円は
パーになってしまいましたが、約4年間は十分利用できたので仕方なし、とあきらめています。

第3 大阪全日空ホテル(シェラトン)

〔2000(平成12)年2月 会員制フィットネス「サンテロワ」入会〕


1 入会の動機

 堂島ホテルが倒産して、フィットネスクラブも閉鎖となったため、北新地に飲みに行く時、サウナだけでも入ってから、ということができなくなりました。そのため、一時期、
エグザスの施設なども見学しましたが、ホテルのフィットネスと比べると、とにかく人数が多くてイヤでした。

 そこで、ふと思いついて、全日空ホテルのフィットネスに申し込みをしてみると、O.Kとのことでした。ここは運動の施設はなく、プールと小さいサウナだけですが、それはそれとして、
うまく利用すればいい、と考えて、2000(平成12)年2月入会しました。ここのサウナは、場所柄、メンバーさんが飲みに行く前に入っているようです。
また、北新地の飲み屋の女の子と待ち合わせをしている人が多いようです。

2 両ホテルの利用状況(2000年頃~2009年頃)

 私も食事会・飲み会の前には、ほぼ必ず30分~40分の時間でサウナに入ってスッキリしてから出かけています。そうしないと気持ちが悪くて仕方がないのです。
従って、プールは時々しか利用していません。南海サウスタワーホテルのフィットネスと全日空のプール・サウナをうまく使い分けながら利用していました。

3 サウスタワーホテルを退会、全日空ホテルだけの利用状況(2009年~2012年)

 2002年に自宅を四天王寺から事務所に隣接する朝日プラザ西天満に移転し、2003年には車を手放したため、日曜日毎にサウスタワーホテルのフィットネスに行くには地下鉄を利用
していました。しかし週4回の利用であれば、高額の年会費を支払って会員を維持する必要はなく、ビジターで行けば十分だと考えました。さらに2009年には全日空ホテルに小さいながらも
フィットネスの設備ができたため、これを活用すれば十分という結論になりました。そこで2009年以降は日曜日毎に自転車で通い、
20kmを約2時間半かけて時速8kmで走って(歩いて)います。

4 休会(2015年2月)

 2014年4月に自宅を朝日プラザ西天満から都島に引っ越し、2015年2月に事務所から都島の自宅までの途中にある帝国ホテルのフィットネスに入会したことを機に、
2015年2月に「休会届」を提出し、全日空ホテルのフィットネスは「休会」しました。

5 再開(2018年6月)

 私たち夫婦が都島に引越した後、朝日プラザ西天満に住んでいた息子の宏展夫婦が天神橋に自宅を新築することが決まり(竣工は2019年5月)、宏展夫婦が新居に引っ越した後は、
私たち夫婦が都島から再び朝日プラザ西天満に引っ越すことになるため、2018年6月からは全日空ホテルのフィットネスの利用を再開し、帝国ホテルのフィットネスと併用することにしました。
月に1、2回程度の利用ですが、バランスよく活用しています。

第4 コナミスポーツクラブ北浜(エグザス)

〔2009(平成21)年5月 エグザス支店平日夜会員(20:30~23:00) 入会〕

〔2015(平成27)年3月 エグザス支店平日夜会員(20:30~23:00) 退会〕


1 入会の動機

 2009年5月からは、北浜駅のすぐ上にコナミスポーツクラブ北浜(エグザス)がオープンしました。何よりも嬉しかったのは第1に、ここは自宅や事務所から自転車で5分のところにあること、第2に、平日の夜11時までやっていることでした。夜11時までやっていれば、サウナだけなら夜10時に入れば十分です。それなら、サウナが大好きな私は毎日でも行きたいので、
すぐにエグザス支店平日夜会員(20:30~23:00)に入会しました(会費は月額6300円)。これなら夜7時からの会食の後でも、10時に終わればサウナに入ることができるので、
ありがたいものです。また、夜8時30分に入ればゆっくり1時間程度の運動もできるので、月に1、2回は平日の夜もテレビを見ながら運動するよう心がけています。
同時に妻も入会した(妻は昼間にも行くためフル会員)ため、自宅ではほとんど風呂を沸かさないという生活が定着しました。

2 退会(2015年3月) 

 2014年4月の都島への転居と、2015年2月に帝国ホテルのフィットンネスに入会したため、コナミスポーツクラブ北浜(エグザス)は2015年3月末に退会しました。

第5 帝国ホテル

〔2015(平成27)年2月 個人会員入会〕


1 入会の動機

 2014年4月に自宅を朝日プラザ西天満から都島に引っ越したことを機に、自宅近辺や通勤途中にあるフィットネスクラブを数か所検討しましたが、丸万寿司の藤尾正治さんの紹介で、
ちょうど事務所から都島の自宅までの中間地点にある帝国ホテルのフィットネスの入会を決め、2015年2月に妻の員子と共に入会しました。

2 利用の定着 

 自宅と事務所の中間地点という立地から、私は帰り道にはほぼ毎日帝国ホテルのフィットネス(主にサウナ)を利用することになりました。

3 大腸がん、胃がん手術後の利用

 都島に引っ越した1年後の2015年7月の健康診断で突如大腸がん(直腸がん)が発見されたため、2015年9月には大腸がんの手術を受けた。さらに、2016年11月には胃がんの手術を
受けたため、その間はフィットネスの利用は中断を余儀なくされました。

4 現在の利用状況

 2018年頃から少しずつサウナ通いを再開しました。そして、2019年夏頃からは、体調も良くなったため、毎日フィットネス(サウナ)に通っています。また、自宅が都島の時は、
帰宅途中に通うパターンでしたが、朝日プラザ西天満に引っ越した後、、2020年に入ってからは、日中に事務所から帝国ホテルフィットネスに通ってサウナに入り、また事務所へ戻って
仕事をするというパターンになっています。

第6 5km・10km・1/4マラソンの記録
前述のように、私は、1994年(平成6)年、はじめて5㎞マラソンに出場して以来、何回か5㎞、10㎞、1/4マラソンを走りました。以下、その時期と記録を掲載しておきます。

1 1994(平成6)年2月13日  (45歳)

    神戸ポートアイランドにて

    「ユニセフカップ ’94神戸バレンタイン・ラブラン」

    男女ペア5km──────タイム  22分45秒

2 1994(平成6)年11月27日  (45歳)

    尼崎記念公園陸上競技場

    ~兵庫県立西武庫公園にて

    「ユニセフカップ ’94尼崎シティ国際ハーフマラソン」

    男女ペア10km──────タイム  49分20秒

3 1995(平成7)年2月12日  (46歳)

    神戸ポートアイランドにて

    「ユニセフカップ ’95神戸バレンタイン・ラブラン」

     →阪神・淡路大震災のため中止

4 1996(平成8)年2月11日  (47歳)

    神戸ポートアイランドにて

    「ユニセフカップ ’96神戸バレンタイン・ラブラン」

    男子10km────────タイム  46分50秒

                   (第445位/約1,500名)

5 1997(平成9)年2月9日  (48歳)

    神戸ポートアイランドにて

    「ユニセフカップ ’97神戸バレンタイン・ラブラン」

    男子10km────────タイム  46分00秒

                   (約200位/約1,500名)

6 1998(平成10)年2月8日 (49歳)

    神戸ポートアイランドにて

    「ユニセフカップ ’98神戸バレンタイン・ラブラン」

    男子10km────────タイム  49分00秒

7 1998(平成10)年4月19日 (49歳)

    芦屋市・シーサイドタウン

    南芦屋浜特設コースにて

    男子1/4(10.5km)───タイム  56分05秒

8 1999(平成11)年2月14日 (50歳)

    神戸ポートアイランドにて

    「ユニセフカップ ’99神戸バレンタイン・ラブラン」

    男子10km────────タイム  46分45秒