日04−28

「笑の大学」                               

             2004(平成16)年10月8日鑑賞<東宝試写室>

原作・脚本:三谷幸喜
監督:星護
向坂睦男(警視庁保安課)検閲官/役所広司
椿一(劇団「笑の大学」座付作家)/稲垣吾郎
東宝配給・2004年・日本映画・121分

<三谷幸喜の最高傑作の映画化は?>
 
この『笑の大学』は、2004年のNHK大河ドラマ『新選組!』の原作者である三谷幸喜のたくさんある原作・脚本の中でも最高傑作と言われているもの。1996年10月に、西村雅彦と近藤芳正によって初演された舞台は絶賛され、1996年度読売演劇大賞最優秀作品賞を受賞している。「舞台版」の完成度の高さゆえに、「映像化不可能」と言われていたこの『笑の大学』を映画化するについては、パンフレットを読むと相当な苦労があった様子・・・。

<二人の密室芝居>
 この映画の登場人物は、警視庁の検閲官の向坂睦男(さきさかむつお)(役所広司)と劇団「笑の大学」の座付作家、椿一(つばきはじめ)(稲垣吾郎)の二人だけ(と言ってもよいだろう)。そして、その舞台も、そのほとんどは警視庁保安課の取調室内(と言ってよいほど)。つまり、取調室という空間の中での二人の俳優のやりとりが、この作品の生命なのだ。 
 このように、テーマが凝縮されているから、演劇には適しているが、逆にそれは、基本的に映画化には向かない素材。しかしそんな映像化困難な二人の密室芝居という素材を、役所広司と稲垣吾郎の二人が見事にこなし、最高傑作といえる日本映画を完成させている。

<思い出す、『父と暮せば』>
 ここで思い出すのが、『父と暮せば』(04年)。これは、黒木和雄監督の「戦争レクイエム三部作」の完結編で、広島への原爆投下の中、一人生き残った娘、福吉美津江(宮沢りえ)と幽霊となって出てくるその父親、福吉竹造(原田芳雄)との、広島弁を真正面に押し出した二人芝居。そして、「日本映画の良心ここにあり!」と、私が絶賛した映画。井上ひさしの戯曲原作を映画化したこの『父と暮せば』も、舞台のほとんどは美津江の家の中だけ、そして登場人物も美津江と竹造の二人だけと言ってよいほどの密室での二人芝居。
 また考えてみれば、私の大好きなハリウッド女優、ニコ−ル・キッドマンの話題作、『ドッグヴィル』(03年)も、床にチョ−クで線を引いただけのセットで構成された小さな村を舞台に展開される不思議な物語だったが、これも完全な芝居風映画だった。一流の監督や役者の手にかかれば、芝居と映画の境界線を越えて、すばらしい感動作が生まれるものだと、大いに感心!

<対照的な二人!>
 検閲官の向坂睦男は、満州で反日運動の取締りという「重要な」仕事をしていた人物だが、なぜか警視庁に戻り、保安課で検閲の仕事をすることになった。芝居心など全くなく、浅草の大衆芸能など1度も観たことのないオレがなぜ・・・?と思いながらも懸命にその職務をこなそうと努力する向坂。向坂の検閲の基準は、それなりにはっきりしている(?)が、その本心は、取調べの途中で露呈されたように、「この難局の今、何がお笑いか!」というもの。つまり思想的(?)には、すべての笑いを否定し、すべての大衆芸能を認める必要なしと考えている、きわめて偏った非人間的なもの・・・?こんな向坂は、自ら「1度も笑ったことなどない!」と断言するほど「笑いを憎んだ」人間・・・?
 このように向坂は、最初から職務に忠実な警察官僚というキャラがモロ見えだが、これに対して椿の劇作家としての能力や芝居観、そして人生観は、映画の中からは最初は全く見えず、ただただ検閲官の許可をもらうためにペコペコしているだけの「軟弱なヤツ」に見える・・・。そんな椿は「笑いを愛した」人間。こんな、「笑いを憎んだ」人間と「笑いを愛した」人間という対照的な二人だが・・・。

<それにしてもイヤな時代>
 この映画の時代と舞台は、昭和15(1940)年の浅草。日本は1931年9月18日の柳条湖事件(満州事変)をきっかけに中国に進出し、1937年7月の蘆溝橋事件によって、いよいよ全面的な日中戦争に突入し、以降ドロ沼化の様相を呈していった。そして、日独伊三国同盟が締結されたのが、1940年9月。また、1925年に制定された治安維持法が改悪されたのが1941年3月。1940年というのはそういう時代であり、1941年12月8日の日米開戦に向けて、一直線に突き進もうとしていた時代だった。

<それにしてもイヤな検閲>
 椿は舞台背景の絵を描く仕事から芝居の世界に入った、根っからの芝居小屋人間だが、今や「笑の大学」の座付作家となり、いわば、笑いを売る、売れっ子ライターとなっている。椿は観客の笑いを誘うツボを心得て芝居の台本を書いているが、それがそのご時世では相当な苦労。役者からの注文はもちろん、芝居の中には、座長の青空貫太(小松政夫)の十八番『猿股失敬』や『座布団回し』を入れることが不可欠。そのうえ、昨今は何といっても警視庁保安課の検閲をパスしなければならない。検閲で不許可=上演禁止とされたのでは、すべての努力が水の泡となってしまう。そんな時代の中、劇作家としての椿の生き方は・・・?
 上記の治安維持法の制定・改悪によって、日本共産党はもちろんのこと、自由主義的思想でさえ弾圧されるとともに、この映画の検閲官向坂のように、「お国の非常時において、笑いとは何ごとか!」と考える「官憲」が権力を握り、検閲という制度によって表現の自由を制限し、庶民の笑いさえも奪っていった時代が1940年という時代だ。本当にイヤな時代、そしてイヤな検閲だ。

<取調室における二人の奇妙な「対決」!>
 検閲官の向坂は、さすがに職務に忠実で真面目。たくさんの台本1冊1冊をきちんと読んで、まずは不適切な箇所に付箋をはっていく。付箋が多いほど修正が必要ということだから、あまりにもそれが多くなると修正不可能となって、結局台本そのものがボツになってしまう。他方、付箋の多い少ないにかかわらず、検閲官の目から見て、所詮ダメなものは「不許可」のゴム印をポンと押してしまう。その最終的な判断を下すについて必要なのが、検閲官による劇作家の取調べ(事情聴取ではなく取調べ)。これを見ていると面白い・・・?
 検閲官だって人間だから、修正すべき点を指摘された劇作家が、ペコペコ頭を下げて修正をオーケーすれば、それを前提として許可を出すものの、劇作家が修正要求に反発して文句を言ったり、喰ってかかってきたりすると、議論(取調べ?)もそこそこに、たちまち「不許可印」をポンと押しておしまい。いくら憤慨しても後のまつり。その劇は上演できないことになってしまうわけだ。そういう「前例」に比べると、この椿一作による『ロミオとジュリエット』をもじった『ジュリオとロミエット』の台本は・・・?

<台本への注文の中身は?>
 椿一作の台本に対して、向坂がつけた注文は、第1に登場人物が外国人であることがけしからんということ、第2にジュリオとロミエットが人前で公然とチュ−することがけしからんということ、そして第3に○○○・・・、第4に△△△・・・。
 とにかくその要求は、無理難題ばかり。しかも1度にすべての要求を言えばいいのに、言うのは1日に1つだけ。したがって、何とかその要求を1晩かかってクリア−しても、また翌日は・・・?そして最後には何と、「笑いのない喜劇を書け」という無茶苦茶な要求!これでは開演日が迫ってくる中、芝居の練習をすることもできず、芝居を上演することは事実上不可能に・・・。こりゃ、「嫌がらせ」以外の何ものでもない・・・!
 
<検閲がいつしか共同作業に・・・?>

 1日目の要求を受け入れた椿は、主人公を何と貫一とお宮に移しかえた。そして2日目の要求を受け入れた椿は2人が接吻するかしないかのところでうち止めることにした。そして3日目、4日目、5日目と「取調べ」が佳境に入るにつれ、抱き合う貫一とお宮の前をどろぼうを追いかけて警察官が通りかかり、どろぼうはどちらへ逃げていったかと問いかけるシ−ンの修正場面となっていく。そして、ここでは、何と検閲官と劇作家が、二人してセリフを語り、貫一とお宮に扮して一人で抱き合う劇作家に対して、検閲官は警察官に扮して取調室の中を走り回る熱演に・・・。これは、向坂があくまで職務に忠実に、椿の台本を「○○ではダメ、△△に修正せよ」と要求していく中で、次々と新しいアイデアが生まれてきたためだ。

<笑いを誘う二人の熱演!>
 無理難題だと承知しつつ、最終的に上演不許可にもちこもうとしている向坂は、毎回修正してくる椿の能力に驚いたが、椿の方も、1度も笑ったことのない向坂が、自分にはない視点から次々と問題提起してくる面白さに感心、感激。警視庁保安課の取調室内での二人の対決は、いつのまにか二人の共同作業によるよりよい台本修正の場に変わっていった。この二人の熱演にはほとほと感心。映画を観ながら大声でゲラゲラと笑うことの少ない私も、この映画ではさすがに他の観客と共に、腹の底から笑ってしまうことが何度も・・・。それにしても取調室の中を、警察官になりきって(?)どろぼうを追いかけて走り回る役所広司の演技は絶品!

<やっとオーケーが出たのに・・・?>
 数日間にわたる二人の共同作業(?)の結果、修正に修正を重ね、やっと大悲劇『ジュリオとロミエット』変じて『貫一とお宮』の台本が「完成」した。ところがそこから始まったのが、お互いの人間的な信頼を基礎としての「話し合い」。というより椿の劇作家としての人生観の披露だ。
 椿が話しはじめると、向坂は途中でそれをさえぎり、「話すのをやめろ」と言ったが、椿はかまわず自分の思いを縷々、向坂に対して披露した。その結果・・・?

<「不能条件」を提示された椿は?>
 やはり、向坂と椿との「立場の相違」は厳然と存在するもの。お互いの気持がわかり合えば通じ合えるというような甘いものではなかったということだ。そこで最終的に向坂が椿に対してつきつけた要求は、法律の世界でいう「不能条件」の提示。これはたとえば、「太陽が西から昇ったら、君に1億円を与えよう」というようなもので、絶対に不可能なことを条件とするもの。したがって、1億円をもらうことができないことは、最初からわかっているというわけだ。向坂が示した不能条件とは、「笑いのない喜劇を書け」という二律背反する絶対に不可能な要求。しかし、椿はこの理不尽な「不能条件」の提示に対しても、「わかりました。一晩考えて明日もってきます」と答えて帰っていった。そして、翌日もってきた台本は・・・?

<面白く、そして泣けてくる最後の取調べ・・・>
 一晩中、一睡もせずに修正してきた台本は、全く新しく書き下ろしたといってもよいほどのもの。そして最高に笑えるもの・・・?それを読んだ向坂は、「これは面白すぎる!一体これは何だ!こんな面白い台本を書いてもってくるとは何事か!」と、わかったようなわからないような「文句」を椿に対して浴びせていった。実は、椿の台本をずっと一人で読んでいた向坂は、それが面白くてたまらず、今まで笑ったことがないと豪語していたにもかかわらず、ずっと一人でクスクスと笑っていたのだった。ここまではまさに笑いのウズ。しかし・・・。
 ここで、椿が示した1枚の召集令状、すなわち「赤紙」によって状況は一変し、急にしんみりとした場面に・・・。

<涙を誘うラストのすばらしさ>
 1枚の赤紙。その意味は、誰の目にも明らかだった。椿は2日後には召集地に集合しなければならないため、自分が書いた台本による芝居の上演が不可能なことは明らか。そしてまた、戦地に向かった場合、いつかその芝居を観ることができるという希望もまずない・・・?ここに至って懸命に椿を勇気づける向坂。それまでの検閲の中で向坂が見せていたスタンスとは明らかに異なる向坂の心情が次々と披露される。
 この時代、兵隊に召集されていく人間が言うべき言葉は決まっている。それはつまり、「お国のために立派に死んでいきます」ということだ。ところが、心底そのように信じ込んでいるはずの向坂の口から、背中を見せて長い長い廊下を歩いて去っていく椿に対してかけられた言葉は、「死ぬなよ!必ず生きて帰ってこい!」というもの。ここで、それまでは腹を抱えて笑っていた私を含む多くの観客からは、思わず大粒の涙が・・・。いやー、本当に映画って、いいものですね!
                               2004(平成16)年10月9日記