第9章 陪審制 

1 映画にみる陪審制

 一二人の怒れる男
 陪審映画の名作中の名作は、何と言ってもアメリカで一九五七年に制作された「一二人の怒れる男」である。一一名の陪審員が「有罪」と挙手する中、ヘンリー・フォンダ扮する陪審員八号は、たった一人、無罪に手をあげた。全員一斉に白い目で彼を見る。ここから、長い長い陪審員の評議ドラマがはじまる。「アラバマ物語」(一九六二年)では、ある小さな町で起きた白人の少女に対する「ニグロ」によるレイプ事件の「デッチあげ」が描かれる。主演のグレゴリー・ペックは、クールで理知的な弁護士を見事に演じているが、この映画にみる陪審員のニグロに対する人種的偏見は、アメリカでは今日まで続いている根の深い大問題である。また、日本ではあまりヒットしなかったものの、自由を求め反乱をおこしたアフリカ黒人奴隷が陪審制の下で裁かれるさまを描いた重いテーマの映画が、スティーブン・スピルバーグ監督の「アミスタッド」(一九九八年)。その弁護人は何と、第六代アメリカ大統領を務め引退したジョン・クインシー・アダムズ。その役者は、「羊たちの沈黙」に続く「ハンニバル」でレクター博士を演じた、あのアンソニー・ホプキンスである。
 元フットボールの黒人スーパースター、O・J・シンプソンは、前妻殺害事件について、一九九五年一〇月、無罪の評決を受けたが、この裁判での一二名の陪審員の構成は、黒人九名、白人二名、ヒスパニック一名であったため、「陪審評決に効いた人種カード」とセンセーショナルに報道された。このシンプソン裁判は、アメリカの人種問題の深刻さとともに、陪審制の功罪を日本に大きく問題提起するきっかけとなった。

 一二人の優しい日本人
 日本映画でも、近時の陪審制復活を求める運動の盛り上がりの中、一九九一年に制作された「一二人の優しい日本人」が、「市民の司法参加を求めて──面白いぞ陪審!」といううたい文句で上映された。その主催は大阪弁護士会等。映画上映と同時に、ゲストを迎えての陪審トークも開催された。この映画はタイトルからもわかるとおり、「一二人の怒れる男」をベースにした日本人による陪審ドラマ。別れた夫をつきとばして通りがかりのトラックに轢過させた元妻の行為は、正当防衛によるもので無罪か。それとも「死んじゃえ!」との言葉を聞いたという証人の証言を信用すれば、殺意をもった殺人罪か。女性三名を含め、理知的な歯科医、途中で「俺は弁護士」とハッタリをかます本業は役者の豊川悦司、そして、離婚歴をもち自分を捨てた妻に対して恨みをもつ男、等々、一二名の陪審員は多彩なキャラクターを披瀝する。素人集団の評議は手に汗を握る展開を見せ、長い評議の中、一二人の陪審員の人間性そのものが浮かびあがる。そしてその評決は無罪──有罪──無罪と二転三転する。最後の決め手は、宅配ピザの大きさ!。その結末は、是非ビデオで見て頂きたい。単なる名作のパロディ版ではなく、「日本人による、日本の裁判制度下での、日本人のための陪審ドラマ」の秀作である。

 グリシャムのリーガルサスペンス
 近時ジョン・グリシャムの小説は、リーガルサスペンスとかリーガルスリラーと呼ばれ、アメリカで出版されるたびにたちまちベストセラーとなる。日本にもグリシャムのファンは多い。「ザ・ファーム/法律事務所」「ペリカン文書」「依頼人」「評決のとき」「原告側弁護人(レインメーカー)」などは特に有名で、これらはすべて映画化され大ヒットした。「評決のとき」(一九九六年)は、一〇歳の娘を二人の白人にレイプされた黒人の父親が犯人を射殺。敢然と心神喪失−無罪を主張する若き白人の弁護士は、白人至上主義の秘密結社KKKから家を焼かれ、助手を拉致されるほどの迫害を受ける。しかし彼は、陪審員に目を閉じさせ、レイプされた悲惨な状況を想像させ、最後に「その少女は白人でした」と、陪審員の人間としての感情に訴える最終弁論を展開し、無罪を獲得する。また若手実力派スター、マット・デイモンが理想に燃え、法律事務所にお金をふりまくことを夢みる若き弁護士を演じた「レインメーカー」(一九九八年)も、スクリーンを駆使して陪審員のハートに訴える「最終弁論」が涙を誘う。このようにアメリカの弁護士は、良くも悪くも、知力の限りを尽くして、陪審制の下で「生きた筋書きのないドラマ」を演じる「スター」である。陪審制なくして、これらの法廷モノ映画の魅力を発揮することはできない。

2 日本にも陪審制があった

 陪審手引
 今、私の手元に『陪審手引』がある。これは、一九三一(昭和六)年に発行されて、陪審員に配布された約一〇〇頁の小冊子の複製版である。もちろん戦前の憲法・刑事訴訟法を前提としたもので、旧仮名つかい。読みにくいことおびただしいが、そこで述べる@陪審裁判の意味、A外国の陪審制度、B我が陪審法の精神、などは、今でもそのまま通用するのではないかと思うほど立派な出来である。とくに「陪審員として、畏くも天皇の御名に於て行はれる、神聖の裁判に列し、こうした重大の義務を果たすことは、丁度國民として兵役に就くのが、大なる名誉であり義務であると同様な次第であります」とまで述べて、国民に陪審制を啓蒙しているのは驚きである。

 童話にみる陪審制
 宮沢賢治の短い童話に『どんぐりと山猫』という作品がある。その書き出しはこうだ。
  おかしなはがきが、ある土曜日の夕がた、一郎のうちにきました。
   かねた一郎さま 九月十九日
   あなたは、ごきげんよろしいほで、けっこです。
   あした、めんどなさいばんしますから、おいでんなさい。
   とびどぐもたないでくなさい。
   山ねこ 拝
                             
こんなのです。字はまるでへたで、墨もがさがさして指につくくらいでした。けれども一郎はうれしくてうれしくてたまりませんでした。はがきをそっと学校のかばんにしまって、うちじゅうとんだりはねたりしました。ね床にもぐってからも、山猫のにやあとした顔や、そのめんどうだという裁判のけしきなどを考えて、おそくまでねむりませんでした。

 このハガキで陪審員として呼び出された一郎は、どんぐりどもが、「丸いのがえらい」「大きいのがえらい」「頭のとがっているのがえらい」と口々に争っている裁判で、裁判長の山猫が「裁判ももう三日目だ。いい加減に仲直りしたらどうだ」と勧めても解決せず、その処理に悩んでいるのを見る。そこで一郎は、「この中で、一番バカで、めちゃくちゃで、まるでなっていないようなのが、いちばんえらいと言いわたしたらどうでしょう」とアドバイスする。そして山猫がその旨を申しわたしたところ、それだけでどんぐりはシーンとしてしまい、裁判は解決してしまう。これほどのひどい裁判を一分半で片づけた一郎は、山猫から「わたしの裁判所の名誉判事になってくれ。これからもハガキがいったらどうか来てくれ」とお礼を言われて退散する。
 こんなストーリーだが、童話の中でも、一般人が裁判所からの出願命令に従い、陪審員としての義務を果たす姿が生き生きと描かれている。

 日本の陪審制の誕生とその特徴
 日本の陪審制は、大正デモクラシーの下、原敬が率いる政友会によって提案され、普通選挙権と並ぶ民主化運動のテーマとなった。そして一九一八(大正七)年の原敬内閣の成立後、急速に陪審制の立法化作業が進められた。一九二一(大正一〇)年、原敬は暗殺されるが、高橋是清内閣加藤友三郎内閣がこれを引き継ぎ、一九二三(大正一二)年三月、陪審法が成立する。そして五年の準備期間中、政府は判・検事の増員をはじめ、陪審法廷・陪審員宿舎の建設、講演会の開催、啓蒙パンフレットの配布、宣伝映画の制作等を精力的に行ない、一九二八(昭和三)年一〇月一日から陪審法が施行された(このため一〇月一日が「法の日」とされた)。
 日本の陪審制は戦前の天皇主権に立つ憲法下のもので、@陪審は有罪・無罪を評決するのではなく、その公判にかけられた犯罪構成事実の有無を評議し、「然り」「然らず」で答申する、A陪審の答申は裁判官を拘束せず、裁判官は答申を採択しない場合は裁判をやり直す(更新)ことができる、等において欧米のそれとは異なり限界をもっていた(もっとも「手引」では、この二点目が日本独特のもので世界に誇り得るものと自負している)。しかし他方、@一定額以上の税金を納めている三〇歳以上の男性に限る等の制限はあるものの、陪審員は任命制ではなく無作為の方式で選出される、A裁判は口頭主義と直接主義が徹底され、集中審理でなされる、B陪審員の評議・評決は完全に裁判官から独立してなされる、など、本来の陪審制の特徴を備えたものであった。

 日本の陪審制の実績と停止
 陪審裁判は、一九二八年の施行から一九四三年の「停止」まで、一五年間に四八四件実施された。ピークは施行二年目で一四三件だったが、以降減少し、停止の二、三年前には一件ずつ、最終年はゼロとなった。殺人と放火事件が多く(計四二九件)、また無罪率は六・三%(殺人)、三一%(放火)と高かった。公判日数は一八〇件が一日、一九二件が二日で、全体の七六%を占め、平均は一・九日であった(後掲『陪審裁判を考える』一四三頁以下)。
 日本の陪審制は、一九四三年「陪審法の停止に関する法律」によって施行を停止された(ただし、戦争終了後に再施行するものとされた)。これは、戦争の激化に伴う全体主義・軍国主義の蔓延の中、自由の擁護・権利の擁護という要請は大きく後退し、弁護士を含む法曹三者自体が陪審裁判の辞退を働きかけたためである。また市町村の戸籍係は、徴兵資料の作成が最大の任務となったため、陪審名簿の整備などは後回しとされたことも陪審制停止の実質的な理由である。このような戦争という「時局」のために、日本の陪審制は「一時停止」されてしまったのである。

 日本の陪審制は戦後なぜ復活しなかったのか
 戦後、新憲法の議論の中、陪審制の復活が真剣に議論された。
 占領軍は、マッカーサー憲法草案において、陪審制を当然のものと考えていた。そして内閣も一九四六(昭和二一)年三月五日、陪審制度の復活を閣議決定するなどの動きを見せ、日本の陪審制は復活するかに見えた。しかし現実には日本の政府・司法当局は「時期尚早」「実施できる状況にない」として陪審制の採用に消極的で、裁判所法の中に「この法律の規定は、刑事について、別に法律で陪審の制度を設けることを妨げない」という条文を設けただけの結果となり、職業裁判官オンリーの制度が時の経過の中で次第に定着していった。その結果、陪審制復活の動きは一貫して底流を流れながらも、陪審法は「眠ったまま」となってしまった。しかし今、政治改革、行政改革に続く司法改革の流れの中、陪審制の復活は現実のテーマとして浮上してきた。

3 陪審制の生い立ちとその意義

 陪審制の生い立ち
 陪審制は現在アメリカにおいて最も支持され、機能しているが、これはイギリスからの独立の過程で、言論や自由を抑圧する権力に対する最後の砦として陪審制がいかに大切かを、アメリカ市民が痛感したためである。アメリカでは、独立後の連邦憲法上で「陪審による裁判を受ける権利」を保障するなど、陪審制は民主主義社会に不可欠な制度となっている。
 陪審制の本家はイギリスである。ここでも一七世紀の市民革命の時代に、国王の圧制から市民階級の権利を守る形で陪審制が確立した。陪審の起源は遠く中世ヨーロッパに求められ、諸説があるが、一般に「フランクの糺問手続」が陪審の起源といわれている。これは、国王がある事実について情報を持つ人に宣誓をさせた上で、その情報を提供させる制度であった。陪審と訳される「jury」が、もともと「宣誓した者」を意味するのはこのためである。
 イギリスでは、ヘンリー二世がこの糺問手続を裁判手続に使用し、犯罪者を裁判にかけるかどうか(つまり起訴するかどうか)を、宣誓のうえ個人的に有する情報を提供する陪審員に判断させた(起訴陪審)。現在のような、公判に提出された証拠にもとづいて評決を出す審理陪審(小陪審)の登場は、一五世紀以降である。
 「フランクの糺問手続」はイギリスに渡って陪審制へと発展したが、ヨーロッパ大陸(フランス、ドイツ、イタリア)では、勢力を一手に握った教会の下で、教会法(カノン法)が独自に発展し、糺問手続による裁判(非公開、書面審理、自白、拷問)が確立していった。しかし、一七八九年のフランス革命を契機とする近代化の流れの中で、自由主義思想が広がり、糺問主義的裁判は次第に否定されていった。フランスでは一時イギリスの陪審制が導入され、ドイツでもプロイセンで陪審制が導入されたが定着せず、現在これらの国では、陪審制ではなく、参審制が採用されている。

 陪審制の意義
 前述のように、陪審制はアメリカにおいて最も定着し、「毎年一二〇万人の人が、数千の仲間の市民を殺人・強姦・強盗その他の犯罪で有罪なのか、聖書に手をかざして公正に裁くと誓う」といわれている(後掲『陪審制の解剖学』二頁)。また陪審制について、@一八世紀のイギリスの偉大な法学者ブラックストーンは、「自由の守護神である」と述べ、Aジェファーソンは、「平和と安全の試金石」と述べ、B一九世紀最大の政治学者といわれるアレクシス・ド・トクヴィルは、「陪審制は民主主義の学校である」と述べ、C二〇世紀の卓越したイギリスの法律家であるデブリンは、「陪審は自由が生きていることを示す灯火である」と述べ、Dフリーマンは、「陪審は民主主義的な自治を代表している。陪審に対する攻撃は権威主義者の略奪的な破壊活動である」、と述べて、その意義を絶賛している。
 これらを整理すれば、陪審制の意義については、第一に司法・裁判制度として、陪審制は真実発見のための最善の方法であること、第二に民主主義的観点から、陪審制は最もその趣旨に沿ったものであること、第三に陪審制の歴史からわかるとおり、陪審制は自由を守る砦であること、の三点に要約される。
 他方、近代の陪審否定論者は、この絶賛に対抗して、「陪審は反民主主義的な不合理かつデタラメな立法者である。彼らの気まぐれかつ秘密裏の決定は法の支配と正反対をなすものである」と主張する(ダービシャー)。また、陪審制の民主主義的意義や自由主義的意義については大きな異論をみないものの、真実発見能力の優位性については、全く逆の価値判断を示す者も多い。さらに、陪審よりも、フランスやドイツで確立した、職業裁判官と素人の参審員が一定の比率で一緒に裁判をする「参審制」の優位を説く学者も多い。

 「司法改革」───陪審制は復活するか

 司法改革審議会の発足
 一九九九年七月、内閣直属の機関として司法制度改革審議会が設置された。これは池田内閣の臨時司法制度調査会以来三七年ぶりのことで、二一世紀の司法のあり方全体を検討し展望するものである。
 現在の裁判の仕組みや運営方法では、カネと時間がかかりすぎるうえ、閉鎖的でわかりにくい。このような世論をうけて、「二割司法」と揶揄される現在の司法制度を、いかに「国民にとって身近で、利用しやすい制度」に変えるか、という大テーマに応えるべく、一三名の委員が選ばれた。委員長は佐藤幸治教授。住宅金融債権管理機構の初代社長となり、「平成の鬼平」の異名をとった大阪弁護士会の中坊公平弁護士も委員に入っている。
 司法改革審議会での検討テーマは、@法曹人口の大幅増員(近時多少の改善はされてきたものの、裁判官・検察官・弁護士の絶対数の不足は、従来から強く指摘されてきた根本的問題)、A法曹一元制の導入(裁判官を官僚として養成するのではなく、原則として弁護士などの法律家としての経験のある者から選任する制度。司法が官僚統制から脱し、国民に基盤をおく、民主化のための制度といわれている)、B裁判の迅速化、C新しい法曹養成制度の創設、D法律扶助制度の拡充、とならんで、陪審制、参審制の導入が大きな柱とされた。

 裁判員制度の発表
 審議期間を二年と限定された司法制度改革審議会は精力的な議論をこなした。中でも陪審制をめぐる議論はマスコミを賑わし(一九九九年一〇月一日 法の日 産経新聞「陪審制の復活は可能」等)、陪審制導入論者と参審制採用論者との議論は火花を散らした。そして二〇〇一年六月の最終報告に先立って、二〇〇一年三月に発表された中間報告では「裁判員制度」の骨格が発表された。
 これは、@選挙人名簿から無作為に選ばれた国民が裁判員となり、裁判官と同じ権限をもつ、A死刑、無期懲役などの重罪の刑事事件を対象とする、B裁判員は事件毎に選ばれる、C裁判官と一緒に有罪・無罪を決め、また量刑も判断する、という内容で、陪審制よりも参審制に近いものといえよう。評決は多数決で行われるため、裁判官と裁判員の数の比率をどうするかなど、今後煮詰めるべき課題も多いが、司法への国民参加がいよいよ現実味を帯びてきたことは確かである。
 「陪審制の復活」というテーマからみれば、この裁判員制度がどこまでその課題を実現するものかという議論はあるものの、戦後五五年間、「司法への国民参加」は夢物語にすぎなかったことを考えれば、裁判員制度の発表それ自体が一大改革であることは間違いない。

5 陪審制復活の論点

 日本人に陪審制は合わないか
 日本は、韓国・イスラエルなどと並んで、主要な民主主義国の中で陪審・参審制を採用していない数少ない国の一つであるが、日本では陪審制についての国民的関心は高く、刑事陪審法の私的法案だけでも一〇編を数え、各種学会での研究は、質量共に高度なレベルである。しかし日本では、陪審制は「自分の意見をはっきり言わず、大勢に流されやすい日本人の国民性には合わない」、という反対意見が根強い。
 たしかに日本人には「白か黒かと割り切ることが苦手」、「権利と義務による一刀両断的解決よりも、義理と人情による調和的解決を望む」等、特に欧米と対比した日本人特有の国民性がある。これに輪をかけるのが、日本のテレビ・新聞・週刊誌等による、過剰かつ刺激的な裁判についての報道である。オウム裁判や和歌山カレー裁判等の例をみても、この報道だけで素人の国民は先入観をもってしまい、陪審制での有罪は決まってしまうのではないかという危惧がある。
 しかし考えてみれば、これらの日本人の国民性は素人の陪審員だけが持つもので、訓練を重ねた職業裁判官はそれを脱却しているのであろうか。その答えは「否」である。このことは、既に数多く指摘されている職業裁判官のおごり、行政追随の判決、官僚的訴訟指揮、などをみれば明らかであろう。また陪審制の復活を求める法曹関係者・市民・学生の手によって再三、実験的に実施されている、陪審法廷の成果・成功をみれば、「日本人には陪審は合わない」とか「日本人には陪審員としての事実認定能力がない」という議論の誤りは明らかである。日本人に陪審制は合わないという議論は、戦後五五年間、日本の裁判制度を牛耳ってきた中央の司法官僚の主導によって形成されてきた誤った議論にすぎない。

 陪審制復活の論点
 陪審制復活の第一の論点は、前述の、@根強い「日本人の国民性論」、A陪審員の事実認定能力論ないし感情・偏見論、3)マスコミ報道影響論、など日本人の国民性や事実認定能力に関するものである。たしかに、これらの主張には部分的にはもっともな面や共鳴できる点もある。しかし、これらはいわば「食わず嫌い」の議論であるとともに、職業裁判官への過剰かつ根拠のない「信頼」と表裏の関係にある議論というべきである。
 陪審制が民主主義の砦であることは歴史的に明らかであり、司法の世界だけは、検察審査会制度(起訴・不起訴の権限を独占している検察官の不起訴決定について、一一名の一般市民が再審査を行うという司法への国民参加の制度で、戦後一九四九年から実施され、定着している)や最高裁判所裁判官の国民審査制度程度しか、国民参加の制度が存在しないことは、まさに民主主義の成熟度の低さを示すものといわなければならない。
 陪審制復活の第二の論点は、@陪審員の評決が裁判官を拘束する陪審制度は、裁判官の独立を侵害するため、憲法三二条や七六条三項に違反するという違憲論、A現行の刑事訴訟法は当事者主義の立場に立っているものの、現実には自白調書の価値が高いため、口頭主義・直接主義を徹底させた陪審制を導入するには、捜査・公判・証拠法・上訴などあらゆる面について現行刑事訴訟法との整合性が必要であるとする議論、など、法技術面に関するものである。
 しかしわが国では、この論点については既に十分な議論が尽くされており、問題点はクリアされているというべきである(本章末尾参考文献参照)。すなわち、戦前の陪審法の復活ではなく、新たに(刑事)陪審法を制定し、それにともない関係法規を修正・整備するという基本的方向が大勢となっている。司法制度改革審議会が新たにうちだした「裁判員制度」にしても、これを実現するための法技術的な対応は、十分可能なのである。
 陪審制復活の第三の論点は、@素人の陪審員への説示や直接主義・口頭主義の法廷での訴訟指揮等、陪審法廷にふさわしい裁判官とはどんなものか、またそのような裁判官は育つのか、A陪審制になった場合、集中審理により当事者の負担が増え、また口頭主義・直接主義の徹底により表現能力・ディベート能力が要求される中、日本の弁護士は時間的にも能力的にもこれに対応できるのか、B陪審法廷や陪審員の評議のための宿舎の確保等、陪審制の実現とその維持には膨大な費用がかかるが、その費用負担は大丈夫か、C陪審を国民の義務とした場合、忙しくかつ拘束されることへの拒否反応が強い現代の日本国民は、この義務を果たすことができるのか、など、現状の裁判制度との比較に立った心配論である。しかし右Bについては、民主主義の実現とその維持のためのコストは必要経費と考えるべきであるうえ、陪審制による国民への教育的効果を考えれば、十分「おつりがくる」と考えてよい。また右@ACについては、確かに不安もあるが、やや乱暴な言い方をすれば、戦前にも現実に陪審制を実施していたという実績や潜在的な日本人の能力に対する信頼等、結局は「やってみるしかない」と割り切らざるを得ない。

 国民の意識変革の不可欠性
 戦前の陪審法は、国民の陪審義務を高らかにうたいながらも、戦争という時局の中、法曹三者を含む日本国民がその義務を事実上果たすことができなかったため停止された。その「反省」を前提とすれば、法曹一元の実現、法曹人口の拡大、司法試験制度にかわるロースクール構想の実現等による現在の法曹養成制度の改正、等の司法制度の改革、とともに、国民一人一人が、司法への国民参加の権利と義務について意識変革をすることが不可欠である。

6 おわりに

 司法改革への期待
 現在提案されている裁判員制度が、今後の日本の陪審制度としてベストかどうかは別として、戦後五五年間、司法から完全に遠ざけられてきた国民が、陪審制というフィルターを通して、裁判制度を国民の手に取り戻すチャンスが今、現実のものになっている。このことを国民一人一人が十二分に自覚すべきである。
 二〇〇一年四月、小泉純一郎氏を首相とする「改革断行内閣」が成立し、「聖域なき構造改革」を進めると公約した。政治改革・行政改革に続く司法改革は構造改革の重要な柱の一つである。従来の、「報告書づくりのため」とか「議論のため」の陪審制ではなく、裁判員制度という形であれ何であれ、陪審制の実現によって現実の司法改革が断行されることを期待したい。最後に、そのためにも国民の学習が不可欠なことを強調しておきたい。


参考文献

・シナリオ作家協会編『九一年鑑代表シナリオ集』「一二人の優しい日本人」(映人社、一九九二年)
・鯰越溢弘編『陪審制度を巡る諸問題』(現代人文社、一九九七年)
・レジナルド・ローズ著・額田やえ子訳『十二人の怒れる男』(劇書房、一九九八年)
・丸田隆編『陪審裁判を考える』(中央公論社、一九九八年)
・セイムアー・ウイッシュマン著・梅沢利彦・新倉修・田中隆治訳『陪審制の解剖学』(一九九八年、現代人文社)
・四宮啓監修『陪審手引〔復刻版〕』(現代人文社、一九九九年)
・陪審制度を復活する会・『陪審制の復活───市民による刑事裁判───』(信山社出版、二〇〇〇年)
・丸田隆編『日本に陪審制度は導入できるのか−その可能性と問題点』(現代人文社、二〇〇〇年)
 
 

『法社会学への誘い』

矢野達雄・楜澤能生編・法律文化社
2002(H14)年5月10日発行・定価2600円


〔坂和章平執筆部分〕
第9章 陪審制(174頁)
1 映画にみる陪審制
2 日本のも陪審制があった
3 陪審制の生い立ちとその意義
4 「司法改革」── 
陪審制は復活するか
5 陪審制復活の論点
6 おわりに