[3日目]・・・8月19日
                                     写真3-①~40 
1 寒軒国際大飯店(ハンシェンインターナショナルホテル)で起床(6:0
 0)(写真3-①)、
  朝食(6:30~7:10)
(1)3日目の行動予定は
  ①高雄でショッピングをした後、
  ②高雄から台湾南部の山を西から東に横切って台東へ移動(約180km、3時間30分
   )
  ③台東から台湾の東海岸(太平洋沿い)をバスで走り、花蓮まで移動(約200km、2
   時間30分)
  ④その途中、三仙台と北回帰線の観光
  ⑤夕方、花蓮の美侖大飯店(パークビューホテル)に入る前に、花蓮のアミ族文化村で
   少数民族アミ族の舞踊を鑑賞
  ⑥美侖大飯店で夕食、以上。
(2)バスでの移動時間が合計約6時間というの強行軍だが、トイレ休憩もあるから心配な
 し。基本的にはバスの中は熟睡タイムとして活用。

2 寒軒国際大飯店を出発(7:40)
 バスは①まず私たちのホテルを7:40に出発し、②8:00に國賓大飯店(アンバサダーホテル)に分かれて宿泊している数組の仲間と合流のうえ、出発。途中、バスの中から高雄のシンボルである鰲躍龍翔を撮影(写真3-②)。

3 高雄市内ショッピング(8:00~8:45)
(1)3日目の最初の団体行動は、ショッピング。
(2)多くの人は台湾名物のからすみ(写真3-③)を買っていたが、私は全く興味がないた
 め無視。
(3)但し、友人から台湾土産として芒果干(ドライマンゴー)(写真3-④)と鳳梨酥(パイナ
 ップルケーキ)(写真3-⑤)を買ってきてくれと頼まれていたため、芒果干(100元)と鳳
 梨酥(150元)を購入(250元)。
                ―バス移動(8:45~9:00)―

4 高雄からバスで台東へ移動(約180km、3時間30分)(9:00~12:20)
(1)中国と違い、台湾は国政選挙と地方選挙のある国。そんなことは誰でも知っているが
 、まちの至る所に選挙用と思われる政治家の顔写真の大きな看板が掲げられているの
 を見てビックリ。台湾の公職選挙法がどう定めているのかを含めて、一度きちんと勉強し
 なければ・・・(写真3-⑥、⑦)。
(2)王さんからもらった台湾全土の地図で道路と鉄道路線をよく見ると、西海岸にある高
 雄から東海岸にある台東まで行くのに、ずっと海岸線を走っていくことがよくわかる。アメ
 リカ大陸は「西部開拓史」と言われているとおり、東から西へまっすぐ横断すればいいが
 、南北に高い山がいっぱいある台湾では、そうはいかないわけだ。
(3)バスは途中、山道を登っていたため、てっきり西から東へ山を横切っていくものと思っ
 て眠っていたが、目を覚ますと、右手にきれいな海岸線があらわれてきたのでびっくり。
 そこで、地図を再確認することによってバスの動きを確認することができた。
(4)トイレ休憩(10:05~10:15)の間に、お米のお菓子(130元)と沙淇瑪(70元)を購
 入。また、新鮮なマンゴーを切ってカップに入れたものが100元で売っていたのでそれを
 食べたが、美味しかった。また、昼食用に缶ビール1本を購入(40元)。

―坂和コラム―
 「ホントに良かったガイドさんのお話」 その4
 ―あなたは『最後の一兵』の中村輝夫一等兵を知ってる?

(1)太平洋戦争の終結を知らずにグアム島に潜んでいたのが横井軍曹、ルバング島に
 潜んでいたのが小野田少尉。この2人については日本人はよく知っているが、もう1人
 日本陸軍の南方作戦で高砂義勇隊一等兵としてモロタイ島で戦い、終戦後もそのまま
 島の中に潜んでいた中村輝夫一等兵をあなたは知ってる?ガイドの王さんが八田與一
 に続いて私たちに教えてくれたのが、『最後の一兵』という映画の主人公だという中村輝
 夫だ。
(2)彼は25歳の時に志願して日本兵になった人物だが、台湾生まれの高砂族で、本名
 はスニヨン。日本が敗戦した1945年に台湾の国民政府は戸籍整理を行い、彼は本人
 が知らないまま「李光輝」と名付けられた。そして、約30年間もモロタイ島の密林の奥で
 逃亡生活を送っていた彼が1974年に発見された時、彼は55歳になっていた。そして
 故郷の台湾に戻った時、10年間夫の帰りを待った妻は別の男と再婚していたそうだ。
(3)王さんからのそんな話をじっと聞いていたが、映画ツウの私ですらそんな映画は全く
 知らなかった。また日本に帰ってからネットで調べても、そんな映画は出てこない。私が
 見つけたのは、佐藤愛子『スニヨンの一生』(文春文庫)という本の紹介だ。そこでは王さ
 んの話に出た中村輝夫一等兵のことが詳しく書かれている。王さんの話では、日本に戻
 った彼は天皇陛下に報告したいと願ったそうだが、それは叶えられなかったそうだ。他
 方、同書の説明によると、結局、彼は故郷の台湾で古い友達や訪問客の相手をし、酒
 を飲みタバコを吸って過ごし、結局、1979年に59歳で死亡したとのことだ。ちなみに同
 書によると、グアム島から戻った横井軍曹は政府と民間から2400万円、ルバング島か
 ら戻った小野田少尉は手記その他で3500万円ほどを手にしたが、既に日本人でなくな
 っていた中村輝夫一等兵は日本からの補償はなく、わずか6万8千円を手にしただけら
 しい。
(4)王さんがこんな話をしてくれたのは、彼女の両親から詳しくそんな話を聞いていたう
 え、彼女自身が大の親日家であるためだ。しかし、さて日本人でそんな中村輝夫一等兵
 の話を知っている人はどれくらいいるのだろうか。 

5 台東へ到着し、昼食(郷土料理)(12:20~13:05)
(1)高雄からバスで、途中休憩を入れて3時間20分で台東へ到着。レストラン沙山伝奇
 (Taitung cate Legend)にて昼食(写真3-⑧)。
(2)カウボーイハットのえらくカッコいいおじさんが入口に座っており、昼食後いろいろ話し
 ている中で急にお友達に。そこで、名刺を交換するとともに、2人でハイポーズ(写真3-
 ⑨
)。

 ―坂和コラム―
 「ホントに良かったガイドさんのお話」 その5
 ―アミ族と映画『KANO』(かのう)

(1)私の台湾旅行中、日本の甲子園では、連日夏の全国高等学校野球選手権大会で熱
 戦がくり広げられていた。しかして、あなたは日本統治時代の1931年に、当時の全国
 中等学校優勝野球大会に台湾の嘉義農林学校が出場し、決勝戦まで進んだことを知っ
 てる?
(2)2014年の第9回「大阪アジアン映画祭」で、3月7日に台湾以外で初上映され、「観
 客賞」を受賞した映画が、台湾の馬志翔監督の『KANO』(かのう)。日本からは永瀬正
 敏、大沢たかお、坂井真紀らが出演している。セリフの多くは日本語だが、一部に台湾
 語と原住民語(アミ語)も使われている。
(3)私の出身地である松山では松山商業の最強時代が長かったように、台湾では台北
 商業がいつも代表校に勝ち残っていたらしい。ところが、新任監督として迎えられた松
 山商業出身の近藤兵太郎によるスパルタ式訓練によって、嘉義農林学校の野球部員
 たちには、甲子園出場への夢が!映画は、①守備に長けた日本人、②打撃に長けた
 漢人、③韋駄天の如く足の速い高砂族の選手たちが一致団結し、抜群の結束力を見せ
 て快進撃を続ける姿を描いていく。しかして、台湾の代表として出場した嘉義農林学校(
 かのう)は決勝戦まで進んだが、さて、名門中の名門、中京商業との最終決戦の行方は
 ・・・?
(4)なぜ、ここにこんなことを書いたのかというと、それは日本ハムの選手として活躍して
 いる陽岱鋼(ようたいかん)が、台湾のアミ族出身だということを伝えるためだ。現在の
 日本ハムでは「二刀流」の大谷翔平の活躍に注目が集まっているが、陽岱鋼の活躍ぶ
 りは、優勝した2012年とほとんど変わっていない。攻・守・走が揃った名選手としては、
 2013年に日本ハムからオリックスに移籍した糸井嘉男が有名だが、陽岱鋼もそれに
 勝るとも劣らない三拍子揃った名選手なのだ。

6 台東から三仙台へ、バスで移動(13:05~14:05)
 台東から花蓮までは、美しい台湾の東海岸(写真3-⑩)を真っすぐ北に走っていく。その途中、①三仙台と②北回帰線を見学する予定だ。

7 途中で、三仙台の見学(14:05~14:45)
(1)海の風景が美しい三仙台には、沖合に3つの巨岩がある(写真3-⑪)。35度を超す
 真夏の太陽に照らされながらの観光だから、日傘をさしてもすぐに汗びっしょりだが、とに
 かくその風景は美しい。ここには、八仙人のうち、呂洞賓、李鐵拐、何仙姑の三仙人が
 海を渡るとき、この岩の上で休んだという伝説があるらしいが、私を含む日本人はほとん
 ど知らないだろう。
(2)三仙台をじっくり観光するには、8つの太鼓橋からなる八拱橋(写真3-⑫~⑬)を渡
 らなければならない。島を一周するには約2時間ほどで遊歩できるそうだが、私たちのツ
 アーはそこまでは踏み込まず、海岸から美しい風景を眺め、写真撮影したのみで終了。
(3)なお、売店で懐かしいテレサ・テンのビデオなどのコーナーを発見(写真3-⑭
          ―バスで三仙台から北回帰線まで(14:25~15:25)―

8 途中で、北回帰線の見学(15:25~15:40)
(1)「北回帰線」って一体ナニ?それはよくわからないが、「北回帰線」の位置は、北緯23
 度27分とのこと。夏至と冬至に太陽の真下となる地点を連ねたらしい。したがって、夏至
 (6月22日)と冬至(12月21日)の日にこの線上に立つと、太陽が真上に来た時に自分
 の影が消えてしまうという体験ができるらしい。そして、この北回帰線より北が亜熱帯、南
 が熱帯気候という分岐点になっているそうだ(写真3-⑮、⑯)。
(2)夏の日射しが照りつける中、アミ族のおじさんが民族衣装(?)でマイクを握り、美しい
 歌声を響かせていた。その声に魅かれながら近づき、結局、3人で仲良く一緒にハイポ
 ーズ(写真3-⑰、⑱)。
            ―バスで北回帰線から花蓮まで(15:40~17:00)―

 ―坂和コラム―
 「ホントに良かったガイドさんのお話」 その6
 ―テレサテン伝説とそのビデオ。

(1)日本では歌手・テレサ・テンは有名だし、荒木とよひさ作詞・三木たかし作曲のコンビ
 で大ヒットした「つぐない」(84年)や「時の流れに身をまかせ」(86年)は、カラオケファン
 もよく歌う定番曲だ。島国ニッポン(人)には、彼女が「アジアの歌姫」と呼ばれ、シンガ
 ポール、タイ、マレーシア、香港、さらにはアメリカでも大人気の歌手であるうえ、北京語
 、台湾語、広東語、日本語、英語がペラペラで、山東語、マレー語、フランス語なども話
 せた語学の天才だということはあまり知られていない。したがって、彼女が日本でリリー
 スした曲は260曲ほどだが、中国語でのリリースが1000曲を越えていることもあまり
 知られていない。
  私がもっぱらカラオケで歌うテレサ・テンの曲は、中国語の「月亮代表我的心」。韓国
 のお友達がたくさんいた頃は、「サラン」、「エモ」、「アパート」等の名曲を韓国語で歌っ
 ていたが、中国のお友達が増えてからは、もっぱら「月亮代表我的心」。この曲なら、あ
 る時はバスの中で、2012年8月16日~8月24日の安徽省の合肥旅行では、パーティ
 ーの席で大勢の前で・・・。おっと、自慢話になりかけたが、ここで言いたいのはそうでは
 なく、テレサ・テンという歌手のすばらしさだ。
(2)台湾出身の彼女の名前は、鄈麗君(デン・リージュン)。彼女は1953年に中華民国(
 台湾)で生まれたから、私と4歳しか離れていない。ちなみに、台湾出身の先輩女性歌
 手・欧陽菲菲は1949年生まれ、香港出身のアイドル路線で大成功し、年をとってから
 は日本ユニセフ協会大使として大活躍しているアグネス・チャンはテレサとほぼ同じ19
 55年生まれだ。テレサの両親は、1949年に中国本土での中国共産党との内戦に敗
 れた蒋介石とともに移住してきた約50万の「外省人」たちの中の一組だから、その苦労
 は大きかったはず。
(3)「日本の父さん」と呼ばれるプロデューサー舟木稔は、アイドル歌手として彼女に目を
 つけたが、1974年3月のデビュー曲「今夜かしら明日かしら」は全然ヒットしなかった。
 しかし、演歌歌謡曲路線に転向し、同年7月に発売した2作目の「空港」が大ヒットし、突
 然彼女は日本での人気歌手になった。ちなみに、1974年という年は、私が弁護士登録
 し、弁護士活動を開始したのと同じ年だ。
  ところが、1979年に本来の台湾のパスポートではなくインドネシアのパスポートで来
 日しようとしたため、旅券法違反で国外退去処分を受けることに。それによって、1979
 年~1984年の5年間は日本での活動をやむなく中断したが、1984年の「つぐない」で
 再デビューを果たし、これが大ヒット。さらに、1985年の「愛人」、1986年の「時の流れ
 に身をまかせ」、「スキャンダル」とヒット曲を連発した。
  前記のパスポート偽造事件の内容は明らかではないが、台湾のパスポートよりもイン
 ドネシアのパスポートの方が便利だったというのが真相で、決して偽造ではないと言わ
 れている。また、彼女には大富豪との結婚話が持ち上がったが、男性側の母親から、
 実業家の跡を継ぐ息子には芸能人の嫁はふさわしくないと反対されて、おじゃんになっ
 たらしい。
(4)さらに、テレサ・テンが1989年6月4日に起きた天安門事件に反対の立場をとってい
 たことは有名で、1989年5月27日、中華人民共和国内で起きていた民主化要求デモ
 を支援する目的で行われた、香港ハッピーヴァレー競馬場での中華人民共和国の民主
 化支援コンサートに参加。約30万人の前で、平和を願う「我的家在山的那一邊(私の
 家は山の向こう)」を歌い、亡命した民主化活動家とも交流を持った。そんな態度が中国
 当局に睨まれたためか、彼女は中国本土でのコンサートを熱望していたにもかかわら
 ず、1990年に予定されていた中国本土での初コンサートも中止とされたうえ、結局一
 度も実現できなかった。もっとも、一方で彼女は「中華民国(台湾)の広告塔」とも言われ
 たが、中国でも彼女の人気は高く、天安門事件当時、中国人民の間では「昼は老鄈(
 鄈小平)のいうことを聴き、夜は小鄈(鄈麗君:テレサ・テン)を聴く」、「中華人民共和国
 は二人の鄈に支配されている」というジョークが流行っていたそうだ。
(5)バスの中で流された1時間のビデオは、そんなテレサ・テンの生涯に焦点を当てたN
 HKの特集もの。紅白歌合戦への3回の出演シーンの他、加山雄三との共演シーンも興
 味深かった。私は、中国語勉強の一貫として、2年前には『中国語で歌おう!決定版 
 テレサ・テン編』(株式会社アルク刊)をiPodに入れ、「月亮代表我的心」以外のレパート
 リーを増やそうと懸命になっていたが、今はその努力も中断している。テレサの曲を日
 本語で歌っても全然新鮮味がないが、これを全部中国語で歌えば話は別で、ヤンヤヤ
 ンヤの拍手喝采を受けることはまちがいない。今回の台湾旅行をきっかけに再度それ
 に挑戦し、少なくとも「我只在乎你(時の流れに身をまかせ)」、「偿还(つぐない)」「情人
 的关怀(空港)」の中国語バージョンは、しっかりマスターしたい。
(6)彼女には喘息による健康不安説がつきまとっていたが、1995年1月17日の阪神・
 淡路大震災直後の5月8日に、気管支喘息による発作のため42歳の若さで死亡した。
 その悲しみは全世界に広がり、台北でのお葬式は国葬とされた。そのお墓は台北市の
 北東に位置する台北県金山郷の金宝山にあるそうだから、次の台湾旅行では是非訪
 れてみたい。

9 花蓮へ到着。アミ族文化村で民族舞踊を鑑賞(17:30~18:30)
(1)予定よりも早く夕方5時に花蓮に到着(写真3-⑲、⑳)。アミ族文化村での民族舞踊
 は5:30からの開始なので、まずは最前列の席をみんなで確保した。2013年夏の北海
 道への家族旅行では、阿寒湖の見学後に、アイヌの民族舞踊を鑑賞した。また、鑑賞後
 に立ち寄ったアイヌ木彫りの店で、民族衣装を着せてもらって撮影した写真が、『SHOW
 -HEYシネマルーム32』(14年)の表紙写真を飾った。
(2)ここ、アミ族の民族舞踊の劇場はあの時の阿寒湖のアイヌ舞踊の劇場と同じような円
 形のものだが、阿寒湖の劇場より一回り大きい(写真3-21~23)。中央の舞台には、
 アミ族の木彫りの像が立てられ、マイクが設置されている。そこで、舞踊が始まるまでの
 時間を利用して、この舞台に座ってたくさんの写真撮影をすることに(写真3-24~28
 。
(3)さらに、阿寒湖の時と同じように民族衣装を着て写真撮影をしようと思い立ち、売店で
 聞いたが、民族衣装はないとのこと。しかし、親切な店員さんが商品となっている民族の
 冠と民族のカバンを出して、これを使えと言ってくれたので、遠慮なくそれを使用して写真
 撮影。阿寒湖の木彫りの店の時と同じパターンだが、さすがにここまで親切にしてくれる
 と、こちらから積極的に土産物を購入する意欲が湧き、アミ族手作りのいくつかの民芸
 品を購入(写真3-29~33)。
(4)アミ族民族舞踊の紹介は、中国語だけではなく日本語でもしてくれるので、何をテーマ
 にした踊りかはすぐにわかる。竹竿舞、圈圈舞、結婚礼舞などだ。男は7人のたくましい
 若者だけだが、女は美しい娘さんの他、数人のおばちゃん軍団も(写真3-34、35)。
(5)アミ族の踊りもアイヌの踊りとよく似たテーマだったうえ、途中と最後には観客も参加さ
 せた形での踊りになった。こんな時には遠慮は禁物だということをアイヌの民族舞踊で経
 験している私は、竹竿舞で舞台に降り立ち、一緒に楽しく踊った(写真3-36、37)。
(6)終了後は、団員たちと一緒に写真撮影(写真3-38)。
      ―バスで美侖大飯店(パークビューホテル)へ(18:30~19:00)―

10 美侖大飯店(パークビューホテル)で夕食(広東料理)(19:00~20:00)
(1)アミ族文化村で舞踊を見なかった人たちもレストランで合流し、チェックイン前に夕食。
(2)今日泊まる美侖大飯店は、39,800円という格安ツアーにもかかわらず、何と5つ星
 のホテル。したがって、今回のツアーの食事はすべて美味しかったが、このホテルの広
 東料理は味もボリュームもピカイチだった(写真3-39)。部屋も立派だし、朝食会場と
 なる1階のレストランも広い(写真3-40)。そして、今日はほぼ満室状態だから、明日
 の朝食は早めに食べた方がよいとの王さんの言葉にも納得。
(3)夕食後、各自の部屋にチェックイン。

11 散策(20:40~22:00)
(1)ホテル周辺にはコンビニも何もなし。そこでフロントに聞いて、タクシーを利用して夜の
 まちの散策へ。
(2)他の2人連れと4人連れの仲間も一緒に行きたいとのことだったため、計8人で2台の
 タクシーに分乗し、賑やかなまちへ出かけ、散策。
(3)最初に入ったお土産店では、1個150元の鳳梨酥を10個買うと更に1個サービスとの
 ことだったので、私が10個まとめて買い、それを8人で分配することに。みんな大喜びだ
 った。
(4)その後バラバラに分かれ、約1時間の散策を終えた。22時に合流し、再び8名で2台
 のタクシーに乗ってホテルへ。

12 就寝(23:00)