洋12-7

「風にそよぐ草」
    

                    2012(平成24)年1月20日鑑賞<東宝東和試写室>

監督:アラン・レネ
原作:クリスチャン・ガイイ『風にそよぐ草』(集英社文庫刊)
マルグリット(歯科医)/サビーヌ・アゼマ
ジョルジュ(初老の紳士)/アンドレ・デュソリエ
スザンヌ(ジョルジュの妻)/アンヌ・コンシニ
ジョゼファ(マルグリットの親友、同僚歯科医)/エマニュエル・ドゥヴォス
ベルナール(刑事)/マチュー・アマルリック
ルシアン(ベルナールの同僚刑事)/ミシェル・ヴュイエルモーズ
ナレーション/エドゥアール・ベール
2009年・フランス、イタリア合作映画・104分
配給/東宝東和

<89歳の監督が、「男と女の機微」を描く怪作を!>
 1912年生まれの新藤兼人監督は、99歳にして撮った『一枚のハガキ』(11年)を最後に監督稼業をやめると宣言したが、1922年生まれのフランスの巨匠アラン・レネ監督が89歳にして撮った本作は、「男と女」の機微を描く怪作。フランス映画が描く男と女の機微は明るく楽しいだけのハリウッド映画と異なり、複雑で奥深い。私が高校生の時に観たカトリーヌ・ドヌーヴ主演の『シェルブールの雨傘』(64年)は何とも不思議な雰囲気の恋愛映画だったが、大学に入ってから観たフランス映画『男と女』(66年)もまだまだ男女の機微などわからない私には何とも不思議な映画で、「ダバダバダ・・・」と流れるテーマ音楽だけがずっと印象に残っていた。
 私はアラン・レネ監督のことは全然知らなかったが、彼がクリスチャン・ガイイの原作を映画化した本作は、ショッピングセンターの駐車場で財布を拾った初老の男ジョルジュ(アンドレ・デュソリエ)が、財布の中に入っていた小型飛行機の操縦免許証に貼られたマルグリット(サビーヌ・アゼマ)の写真を見て、あれこれ「夢想」するところから始まる男女間の機微がテーマ。ジョルジュはその財布をベルナール刑事(マチュー・アマルリック)に届出たから、マルグリットからお礼の電話くらいはかかってきても当然だが、「お礼を」に対して「それだけ?」とか、「ほかに何を?」に対して「“会いたい”とか」という会話が始まればそりゃ少しヘン。また、その後連日電話をかけて「いろんな話がしたい。中身のある話を」と留守電に残したり、「昔、飛行機を操縦することが夢だった。」と書いた手紙をポストに投函したりすれば、こりゃ一種のストーカー?さらに、マルグリットの車のタイヤを切り裂いたうえ、「君を引き止め、話がしたかった。パンクをさせたのは私であることを知ってほしい」と書き残したら、こりゃ立派な犯罪行為だ。弁護士の私が見れば当然そうなるし、ベルナール刑事も同僚のルシアン刑事(ミシェル・ヴュイエルモーズ)と共にジョルジュの家を訪れ、これ以上マルグリットと接触しないよう説得したが・・・。

<やはり、女ゴコロは不可解!>
 ジョルジュはマルグリットから自分が変人・奇人扱いされたことにひどく憤慨し刑事にも食ってかかったが、自分からのせっかくのモーション(?)に対して警察に被害届を出すような形で対応したマルグリットに対して以降連絡を断ったのは当然。ここで問題は、なぜジョルジュはマルグリットに対してそんな行動をとったのか?ということだ。庭付きの大きな家に住み、美しい妻スザンヌ(アンヌ・コンシニ)と共に幸せそうに暮らしているジョルジュの姿を見ると、何ひとつ不満はなさそうだからジョルジュのマルグリットに対するモーション(ちょっかい?)は単なる遊びゴコロ?マルグリットが小型飛行機の操縦免許証を持っていることにジョルジュが興味を持ったことは、飛行機が大好きで、空を飛んでいる飛行機を見るとその型式や時速などをピタリと言い当てるジョルジュの姿を見るとよくわかるが、写真を見ただけで一目惚れするなんてことがあるの?
 まあ、ここらあたりは男の私としてはいろいろと想定の範囲内だが、ジョルジュからの連絡がなくなると逆にイライラしているマルグリットの姿を見ていると、こりゃまた一体なぜ?自分が警察に連絡したのは、ジョルジュに対して気の毒だったのでは?と後悔したのかもしれないが、わざわざマルグリットの方からジョルジュの家に電話をかけたのは一体なぜ?ここで注目すべきは、電話口に出た妻のスザンヌとマルグリットとの間で交わされる奇妙な会話だ。妻はなぜか声だけでかかってきた電話の相手が話に聞いていたマルグリットだとわかったようだし、マルグリットの方も留守だと言われた亭主の行き先をシャーシャーと尋ねるから何ともあつかましいもの。しかもマルグリットは、彼が行ったと聞いた映画館に電話をかけて終映時間までまだ30分あると聞くと、すばやく身支度を整えて車に乗り込み、映画館まで直行。マルグリットはジョルジュの名前は聞いていてもその顔すら知らないのに、映画館に行って一体どうするの?そんな不思議な気持ちでスクリーンを観ていたが、映画館前の喫茶店でコーヒーを飲みながらジョルジュを待っていたマルグリットは、十数名の観客が出てくるやはっきりとジョルジュを認識したようだからビックリ。さあ、ここから始まるマルグリットのジョルジュに対するモーション(?)はやはり私には、女ゴコロは不可解!さらに、飛行機の話には興味を示したものの、「奥さんと2人で飛行機に乗りに来てくれ」と招待されたことにジョルジュが急に憤慨し、コーヒー代を置いて1人その場を去っていったのはなぜ?ここまでくると、ジョルジュの男ゴコロも不可解だ。

<原題の『狂った草』は『狂った果実』を彷彿?>
 『風にそよぐ草』という邦題は、原作も本作も同じ。しかし、プレスシートによると原作のタイトルは「L’incident」だが、本作の原題は「Les herbes folles」、つまり「雑草」=「狂った草」らしい。そんな原題を見て思い出したのが、石原裕次郎が北原三枝と共演した『狂った果実』(56年)だ。これは太陽族が大はやりした時の若者たちの無軌道ぶりを赤裸々に描いた問題作だが、本作後半に描かれるマルグリットが矢も楯もたまらず(?)同僚の歯科医ジョゼファ(エマニュエル・ドゥヴォス)の運転する車でジョルジュの家を訪れるシークエンスでは、初老の男ジョルジュの無軌道ぶりが描かれるから、それに注目!
 マルグリットはジョゼファを車に残したまま1人で家のベルを押し、はじめて妻のスザンヌと「ご対面」したが、この時もジョルジュが留守だったから、スザンヌの家の中に招き入れられたマルグリットはスザンヌに対して一体何の話を?そんな興味でスクリーンを観ていると、折りしも家に戻ってきたジョルジュが玄関前に停まっている車の運転席に座っているジョゼファの背中に手を回しながら顔を近づけていったからビックリ。この時点ではジョルジュとジョゼファはお互いの顔を知っているし、ジョゼファはジョルジュとマルグリットとの微妙な距離感もわかっているはず。だのに、ここで展開されるキスシーンは一体何を意味するの?プレスシートでは「遊び心からか、駆け引きからか、彼女に甘い言葉をかけ、接吻をした」とその展開を説明しているが、89歳のアラン・レネ監督が描くジョルジュの無軌道ぶりは、まさに『狂った果実』を彷彿?

<ナレーションの多用も、本作ならオーケー?>
 私はナレーションを多用する映画は基本的に嫌いだが、本作冒頭では、お気に入りの店で丹念に靴選びをしているマルグリットのイキイキと楽しそうな様子を、アラン・レネ監督は部分的に映される映像とかなり詳細なナレーションによって表現している。本作は89歳のアラン・レネ監督の切り口によって男と女の機微を描く映画だが、アラン・レネ監督がスクリーン上の映像によって表現するものと、ナレーションによって説明するものとのバランスが絶妙だ。
 もっとも、弁護士として38年間もいろいろと男女の機微を見てきた私でも、本作がスクリーン上で見せてくれる映像はあっと驚く展開の連続だから、ナレーションを聴いていてもそのシーンの意味や、いわゆる「必然性」を理解するのは難しい。したがって、恋愛小説をロクロク読んでいない人や恋愛経験の乏しい人には、男女の機微の奥深さにトコトンつっこんだ本作はちょっと難しすぎるかもしれない。世界で最も有名な恋愛小説は言うまでもなくシェイクスピアの「ロミオとジュリエット」だが、これは恋に陥るのも単純なら、2人の行き違いの原因も単純。したがって、恋の初心者でもすぐにその内容を理解しその悲劇に酔いしれることができるが、本作のような難解な恋愛映画(?)ではナレーションは不可欠。そう考えると、ナレーションの多用も本作ならオーケー?

<フランス語の「Fin」は、「The end」では?>
 先日「作家として全然刺激にならない。もう、やめます」「ばかみたいな作品ばかり」「いつか若い連中が出てきて足をすくわれる戦慄を期待したが、緊張感を覚える作品がない」と言い捨てて、芥川賞の選考委員を辞めることを表明した石原慎太郎東京都知事は、今や79歳だからもはや怖いものなしで、何でも言いたい放題?他方、今やすっかり時代の風雲児となり、支持率21.4%で首相にしたいランキングで断トツ1位になった橋下徹大阪市長も言いたい放題だが、こちらは少し危険がつきまとっている。そう考えると、89歳になったフランスの巨匠アラン・レネ監督が新作映画をつくるについては石原都知事と同じで、もはや怖いものなど何もなく、やりたい放題?
 マルグリットからの再度の招待によっていそいそと(?)飛行機に乗るために飛行場に向かったジョルジュとスザンヌだったが、老人らしく(?)急に尿意を催して一人トイレに向かったジョルジュが、建物の中で偶然マルグリットに出会うとそこにはとんでもない風景が・・・。さらに、「ある事情」によってズボンの「社会の窓」が開いたままマルグリットが操縦する飛行機の助手席に乗り込んだジョルジュは、マルグリットから勧められるまま操縦桿を握ったが・・・。
 フランス後の「Fin」は英語の「The end」と同じだから、スクリーン上にFinの文字が出れば、それで映画は終わるはず。ところが、何でもありの映画作りを楽しんでいる(?)アラン・レネ監督は、観客に対してそこから更なるクライマックスを用意した。さあ、こんなハチャメチャな恋愛映画からあなたは何を学ぶ?本作にみる男女の機微の奥深さを見ると、アラン・レネ監督のレベルに到達するにはまだまだ数十年かかりそうだ。
                                   2012(平成24)年1月23日記