日12-15

「はやぶさ 遥かなる帰還」    


                      2012(平成24)年2月1日鑑賞<東映試写室>

監督:瀧本智行
原作:山根一眞『小惑星探査機 はやぶさの大冒険』(マガジンハウス刊)
山口駿一郎(JAXA・教授(「はやぶさ」プロジェクトマネージャー))/渡辺謙
藤中仁志(JAXA・教授(イオンエンジン担当))/江口洋介
井上真理(朝日新聞社・科学部記者(東出の娘))/夏川結衣
鎌田悦也(JAXA・助教授(カプセル担当))/小澤征悦
松本夏子(JAXA・学生当番)/中村ゆり
森内安夫(NEC(イオンエンジン担当))/吉岡秀隆
大下治夫(JAXA・幹部)/石橋蓮司
丸川靖信(JAXA・教授(広報担当))/藤竜也
東出博(「東出機械」社長)/山﨑努
2012年・日本映画・136分
配給/東映

<記録映画に?それとも男たちのドラマに?>
 地球から遥か彼方にある小惑星「イトカワ」。その地表に到着(タッチダウン)して岩石サンプルを持ち帰るという使命(ミッション)を与えられた小惑星探査機「はやぶさ」。これについては2010年6月13日、その「成功」を告げるニュースが大々的に報道されたから、誰でも知っているが、その知識は断片的なものだろう。他方、日本における宇宙開発のプロジェクトがいかなる状況にあるのか?「はやぶさ」の「成功」の裏にどんなに多くの苦労や失敗の積み重ねがあったのか、等についてほとんどの人は知らないはずだ。
 そんな「はやぶさ」の物語を映画化するについての問題は、記録映画に?それとも人間ドラマに?ということだ。かつて1964年に開催された「東京オリンピック」を映画化したのは、市川崑監督の『東京オリンピック』(65年)だが、あれは記録映画?それとも人間ドラマ?「はやぶさ」の物語を映画化するについては、やはりどんな人間ドラマが展開されていたのかを描かなくっちゃ。小惑星探査機「はやぶさ」プロジェクトマネージャー川口淳一郎を想定した山口駿一郎役で主演し、かつ映画『はやぶさ 遥かなる帰還』でプロジェクトマネージャーを務めた渡辺謙と、瀧本智行監督はそう考えて本作に取り組んだはず。しかして、その出来は?

<技術面はわからんが、「この決めゼリフ」だけは・・・>
 本作では、江口洋介が藤中仁志役で、吉岡秀隆が森内安夫役で、共に「はやぶさ」プロジェクトの根幹となる「はやぶさ」のイオンエンジンを担当するスタッフとして登場する。また、本作では計7年間に渡る「はやぶさ」の全軌跡が描かれ、その中で再三訪れる「はやぶさ」の「危機」が描かれるから、そのたびにコンピューターをフル稼働させつつ私たちにはさっぱりわからない専門用語が飛び交うことになる。それは、カプセル担当の鎌田悦也(小澤征悦)や、「はやぶさ」プロジェクトの立ち上がりに参加していたという町工場のおやじ、東出博(山崎努)も同じだが、彼らがそれぞれの持ち場から「はやぶさ」プロジェクトを支えているわけだ。しかして本作では、再三「はやぶさ」に訪れる危機をいかに切り抜けていくのかに悩み、試行錯誤を重ねていく彼らの人間ドラマが描かれていくが、正直そこで交わされる議論やバックに流れるナレーションの意味はさっぱりわからない。
 俳優とは便利なもので、たとえば吉岡秀隆はつい先日観た『ALWAYS 三丁目の夕日’64』(12年)では売れない小説家茶川竜之介役を熱演していたが、本作では頭をかきむしるのは同じでも、リスクのあまりの大きさに立ちすくむ様子や藤中と激論を闘わせる姿を熱演しているが、きっと彼だってその中身はさっぱりわかっていないはず。しかし、映画とは所詮そんなものだから、それはそれでOK。本作で大切なのは、そんなストーリー展開の中でときどき浮かび上がってくる「決めゼリフ」だ。本作にはそれがたくさんあるから要注目だが、そのベスト1は、「はやぶさ」最大危機の中で山口駿一郎が吐く「全責任は私がとります、やりましょう」というもの。政治も経済も混迷している現在の日本国においては、この決めゼリフはとりわけ大切だ。

<仕事として?それは当然だが、それ以上は?>
 民主党の蓮舫氏らが華々しく展開した「事業仕分け」は一世を風靡したが、今やそれも完全に下火。そんな中で明日の国民生活に直接結びつくはずのない、小惑星探査機「はやぶさ」プロジェクトへの予算配分は?本作は広報担当の丸川靖信(藤龍也)や、幹部の大下治夫(石橋蓮司)の姿を通じてそんな世界が描かれるが、それ以上に人間ドラマとして面白いのが朝日新聞科学部の記者として「はやぶさ」の取材に取り組んでいる井上真理(夏川結衣)の生き様だ。新聞記者だってあくまでサラリーマンだから、自分の希望があっても社命によって配置換えがあるのは仕方ない。
 東出の娘である真理が「はやぶさ」の担当になったのは何かの縁かもしれないが、一定期間経過した後に配置換えになるのはやむをえない。山口や藤中、森内たちは一生、少なくとも定年までは宇宙の仕事をするのが天職だが、真理にとって「はやぶさ」の仕事は一過性のもの。つまり、真理が記者会見に毎回出席して必死に記事を書いてきたのは、仕事として当然のことをやっていたまでだ。しかし、それが何年間も続き、人間関係や「はやぶさ」への愛着が強まった結果、「はやぶさ」プロジェクトの結末を知りたいという押さえきれない気持ちが生まれてくると・・・。「はやぶさ」の地球への帰還が現実問題となった時、藤中が現地オーストラリアへ責任者として赴いたのは公務だが、真理がオーストラリアへ渡ったのはプライベートだから、渡航費用も自己負担。「はやぶさ」プロジェクトの開始から7年後、小さかった真理の息子は今東出の元で職人のような仕事を生き生きやっていた。そんな中、真理のオーストラリアからの電話によって父、娘、孫の間に新たに生まれてくる人間の絆とは?これが生まれたのは、やはり真理が仕事を超えてプライベートでも「はやぶさ」プロジェクトの結末に自費で取り組んだおかげでは・・・。

<あなたは本作からどんなメッセージを?>
 1958年東京タワーの完成と1964年の東京オリンピックの開催が、戦後復興をやっと成し遂げた日本人に大きな夢と希望を与えたことは『ALWAYS 三丁目の夕日』シリーズ(05年/07年/12年)で明らかだが、乏しい国家予算の中で未知の領域に切り込み、長い年月にわたって悪戦苦闘を繰り広げた「はやぶさ」プロジェクトを描く本作からあなたはどんなメッセージを?「はやぶさ」プロジェクト最大の目的は、サンプルリターン。そのためにプロジェクトのリーダーたちに求められた資質は、信念、挑戦、情熱、そして決断だ。昨年12月に大阪市長に就任した橋下徹氏は大阪維新の会と府市統合本部を中心としてこの信念、挑戦、情熱、決断を次々と見せつけている。また、満州事変から太平洋戦争へと突き進んだあの当時のリーダーたちも、それなりの信念、挑戦、情熱、決断を見せていたことはまちがいない。
 「はやぶさ」プロジェクトはたまたま(と言うと怒られるが、あえて)(部分的に)成功したから称賛をもって語られるが、1つの成功には99の失敗が付きもので、現に本作でも失敗のストーリーがネチネチと(?)語られている。山口による本作最高の決めゼリフ「全責任は私がとります、やりましょう」にしても、もし失敗していれば一体どんな責任をとるの?単に地位を辞任しただけでは責任をとったことにならないし、腹を切っても無意味なことは明らかだ。そんなこんなを考えると、「はやぶさ」プロジェクトの成功を手放しで喜べるのはよほどノー天気な人間だけだ。むしろ、この成功はイオンエンジンが予想以上に強固だったことなど、たまたまのラッキーが積み重なっただけの例外的な成功と受取り、次のプロジェクトの失敗可能性を少しでも小さくすることに活かさなければダメなのでは・・・。
 日清・日露の戦争で勝利した日本国は、その成功例におぼれ、1939年のノモンハンの戦いの失敗をひた隠しにしたが、そのことがその後の誤った方針決定につながったことはれっきとした歴史上の事実。本作が描く、「はやぶさ」プロジェクトの「成功」を、日清・日露戦争の勝利と同じ成功例と酔いしれてはならない。盲目のピアニスト辻井伸行が紡ぎ出す壮大で華麗な音楽に酔いしれるのはOKだが、私は本作からそんなメッセージを受け止めたい。さて、あなたは・・・?
                                   2012(平成24)年2月13日記