洋11-9

「アンチクライスト」
    

                    2011(平成23)年1月20日鑑賞<松竹試写室>

監督・脚本:ラース・フォン・トリアー
彼(夫)/ウィレム・デフォー
彼女(妻)/シャルロット・ゲンズブール
ニック(息子)/ストルム・アヘシェ・サルストロ
2009年・デンマーク、ドイツ、フランス、スウェーデン、イタリア、ポーランド合作映画・104分
配給/キングレコード、iae

<タイトルからも、こりゃ必見!カンヌが騒然!>
 『アンチクライスト』とは「反キリスト」だから、そんなタイトルだけでも本作は十分挑発的!その監督は『ダンサー・イン・ザ・ダーク』(00年)や『ドッグヴィル』(03年)(『シネマルーム4』135頁参照)を監督脚本したデンマーク生まれのラース・フォン・トリアーだから、きっと刺激的!しかも、チラシには「2009年カンヌ映画祭最大の衝撃!ラース・フォン・トリアー監督最新作。称賛と嫌悪が物議を醸したエロティック・サイコ・スリラー」との見出しがあるうえ、「あまりに過激な描写等で、ジャーナリストと観客の間で賛否両論が巻き起こった」と書かれているから、こりゃ必見!なお、全裸も厭わない演技で妻役を熱演したシャルロット・ゲンズブールは、2009年カンヌ国際映画祭主演女優賞を受賞したとのことだ。
 村上春樹の小説『ノルウェイの森』を映画化した『ノルウェイの森』(10年)は「喪失感」がテーマだったが、それは本作も同じ。本作は「プロローグ」で何とも幻想的な超スローの映像が映し出される。一方は浴室や寝室で激しく愛し合う夫(ウィレム・デフォー)と妻(シャルロット・ゲンズブール)、他方は小さい男の子ニック(ストルム・アヘシェ・サルストロ)がベビーベッドから起き出し、開いていたマンションの窓から下へ転落していく姿だ。セリフや音声は全くなく、バックに流れるのはヘンデルのオペラ「リナルド」の「第2幕アリア:私を泣かせてください」の荘厳な歌曲のみ。なるほど、こりゃのっけから刺激的!09年カンヌ国際映画祭が騒然としたのは当然だろう。

<エデンの園とは?この夫婦はアダムとイブ?>
 日本では近時、パチンコに夢中になっていて子供を放置したとか、ホストクラブ通いのために子供をマンションの中に閉じ込めてしまったとかいう暗澹たる事件が頻発している。そんな「基準」からみれば、夫婦がセックスに励んでいる間、開いていた窓から子供が転落死したとしても「そりゃ、仕方ない」でいいのかもしれない。しかし、本作にみる夫婦とりわけ妻の落ち込み方は、葬儀の最中に気を失ってから1カ月近く意識が戻らず入院を余儀なくされるほどの重症。また、意識が戻っても神経が弱ったままで回復の兆しを見せなかったから、セラピストである夫は無理矢理妻を退院させて自宅療養を開始したが、さてその効用は?
 第1章「悲嘆」では、自宅療養の中で悲しみをセックスで埋めるべく執拗に夫に迫る姿が映し出されるが、こんなことってホントにあるの?また、私は知らなかったが、催眠療法では何を最も恐れているかという潜在的な恐怖を聞き出すことが治療に有益らしい。そこで早速セラピストたる夫が実施したところ、それは「エデンの園」らしい。しかし、それって一体ナニ?「エデンの園」と言えばアダムとイブ。本作における夫と妻は、アダムとイブ?そして夫と妻が出かけていった森の中にあるエデンの園とは?

<これでもか!これでもか!しかし、一体なぜ?>
 本作の問題提起のエッセンスは、第2章、第3章の「これでもか!これでもか!」と迫ってくる妻の行動にある。私には人間の深層心理はよくわからないし、心理療法や催眠療法がどこまで効果的なのかもよく知らない。また何よりもわからないのは、最愛の息子ニックを失ったことによる妻の心の喪失感が、なぜ夫とのセックスの強要に走ったり、なぜ狂暴化していくのかということ。
 第2章「苦痛(カオスが支配する)」ではセックスの強要に困惑する夫の姿が描かれるが、第3章「絶望(殺戮)」では夫に襲いかかってハサミを突き刺すばかりか、気絶している夫の左足にドリルで穴をあけ、砥石をネジでとめてしまうという狂暴さをみせるから、そんな妻の姿にビックリ。なぜ妻はこんな行動を?このままでは危ない、殺されてしまうと恐怖にうちひしがれた夫は重い砥石の付いた足を引きずりながら逃げるが、夫がいなくなったことに気付いた妻は大声で叫びながら森の中を探索。そして、キツネの穴の中に足だけ出して隠れていた夫を見つけるや、引きずり出そうとするが、女の力ではそれが出来ないとわかると次なる手段は?
 数時間後正気をとり戻した妻はほとんど生き埋め状態になっている夫を掘り起こして謝罪するが、こんな仕打ちを受けた後で今さら謝罪されても・・・?

<第4章では更にエスカレート!>
 2010年12月30日に観た『デザートフラワー』(09年)では、アフリカにFGM問題つまり女性性器切除という大問題があることをはじめて知ったが、まさかそれと似たような行為(?)を本作でみようとは・・・。夫をトコトン痛めつけた妻は少し反省しているのか、今は小屋の中で静かに横たわっている夫に対して優しいまなざしを。そして、夫を瀕死の状態に追い込んだことや性行為を強要したことにも反省したのか、第4章「3人の乞食」ではいきなりハサミで自分自身の性器を切除する行為に及んだから、ビックリ。こりゃ痛いだろうなと思って同情するものの、自分の意思でやっているのだから、どうしようもない。しかし、一体妻はなぜこんな異常としかいいようのない行動を?
 他方、夫がある偶然で見つけ出したレンチで足に打ち込まれた砥石をはずそうとする姿を見た時、妻は再び狂暴化。こりゃまた一体なぜ?ハサミで襲いかかる妻と格闘の末に夫は妻を絞殺したが、こんな結果になるのなら一体何のためにアダムとイブはエデンの園にやってきたの?ここまで観る中で本作がカンヌ国際映画祭を騒然とさせた理由は十分わかったが、賛否両論のどちらにつくかと問われると、私は「否」の方。それは、妻の心理やそれにもとづく妻の行動がサッパリ理解できないためだ。ここまでスクリーンを凝視していると既に身体はぐったり疲れていたが、そりゃ当然。

<なぜ鹿とキツネとカラスが?>
 第3章で夫が逃げ込んだのがキツネの穴であることは、プレスシートを読んではじめてわかったもの。また、せっかく穴の中に隠れているのに急にカーカーと鳴き始めたのが生き埋めにされていたカラスであることがわかったのも、プレスシートを読んでから。本作はラース・フォン・トリアー監督の思い入れがいっぱい詰まった(?)きわめて観念的、抽象的な映画だから、スクリーン上に次々と登場してくるシーンの意味や、登場してくる動物たちの意味を理解するのは大変難しい。カーカーと鳴くカラスの登場や、あの穴がキツネの穴であることに一体何の意味が?
 しかしてプレスシートを読むと、第4章のタイトル「3人の乞食」とは、悲嘆を象徴する鹿、苦痛を象徴するキツネ、絶望を象徴するカラスを指すらしいが、スクリーンだけを観ていてそんなことがわかる人はいるの?もっとも、なるほどそういえば、第4章では「蛮行」に及ぼうとする前の寝ている妻の傍には、鹿とキツネとカラスが現れていたが、これって一体ナニ?そして、エピローグ。プロローグで流れたあのアリアが流れる中、エデンを後にして丘に向かって歩き始める夫の姿が登場するが、さて今夫の心境は?また丘の頂上で再び夫が3人の乞食(鹿、キツネ、カラス)を見たのは、一体なぜ?さらに下を見ると、そこには丘を登ってくる数百人の女たちがいたが、なぜか彼女たちは一様に顔がない。こりゃ一体ナニ?
 タイトルどおりの、そしてまたカンヌ国際映画祭を騒然とさせたのは当然という問題提起作であることは認めるものの、なぜ鹿とキツネとカラスが3人の乞食を構成するの?俺にはサッパリわからねえ・・・。本作について、これはこう観るべきだという意見をお持ちの方は是非私に教えて・・・。
                               2011(平成23)年1月21日記