洋11-8
「悪魔を見た」 ![]()
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2011(平成23)年1月19日鑑賞<角川映画試写室>
監督:キム・ジウン
スヒョン(国家情報院の捜査官)/イ・ビョンホン
ギョンチョル(殺人鬼、塾の送迎バスの運転手)/チェ・ミンシク
ジュヨン(スヒョンの婚約者)/オ・サナ
セヨン(ジュヨンの妹)/キム・ユンソ
チャン(凶悪犯罪課の元班長、ジュヨンの父親)/チョン・グックァン
テジュ(ギョンチョルの友人の殺人鬼)/チェ・ムソン
オ課長(凶悪犯罪課の現役班長)/チョン・ホジン
セジョン(テジュの愛人)/キム・インソ
2010年・韓国映画・144分
配給/ブロードメディア・スタジオ
<韓流クライム・サスぺンスは、今や完全に日本を凌駕!>
長い間、家電業界は日本のソニー、シャープ、パナソニック、日立、東芝等がトップレベルだったはずだが、今や韓国のサムソンやLG電子が完全に凌駕?それと同じように、今や韓流クライム・サスぺンスは、完全に日本のそれを凌駕!近時の韓流クライム・サスぺンスの傑作である『殺人の追憶』(03年)(『シネマルーム4』240頁参照)、『母なる証明』(09年)(『シネマルーム23』131頁参照)、『復讐者に憐れみを』(02年)、『オールド・ボーイ』(03年)(『シネマルーム6』52頁参照)、『チェイサー』(08年)(『シネマルーム22』242頁参照)などを観ているとそう思わざるをえない。そして今、イ・ビョンホンとチェ・ミンシクが極限までの「対決」をみせる本作を観ると、韓流クライム・サスぺンスは今や完全に日本を凌駕したことを確認せざるをえない。
去る1月18日、キネマ旬報ベストテンの第1位に『悪人』(10年)(『シネマルーム25』210頁参照)が選出されたが、本作における「悪魔」としか言いようがない連続殺人鬼のギョンチョル(チェ・ミンシク)や、冷徹な復讐鬼と化した国家情報院捜査官のスヒョン(イ・ビョンホン)に比べれば、妻夫木聡が演じた『悪人』の清水祐一などはかわいいもの?日本人は何事にも曖昧で、場合によればごまかしのテクニックを持っているが、韓国人は何事にもトコトン追求する民族だと再確認。しかし、それって人間の本質を描く芸術である映画を製作するについては、必要不可欠な条件では?
<冒頭から、思わず身体が硬直!>
イ・ビョンホンは甘い顔も厳しい顔も両方絵になる俳優だが、どちらかと言うと甘い顔の方が似合う二枚目。他方、チェ・ミンシクはどちらかと言うと厳しい顔の方が似合う性格俳優で、ホーム・コメディの主役には全く不向きな顔?しかして、キム・ジウン監督は韓国を代表するそんな二大俳優の特徴を踏まえて(?)映画冒頭、スヒョンについては雪の降る夜、人気のない道路で車がパンクしたためレッカー車の到着を待っている婚約者のジュヨン(オ・サナ)と電話で甘い会話を交わすシーンを提供する。他方、そんなジュヨンの車に「パンクを修理してあげようか」と親切そうに近寄ってきた塾の送迎バスの運転手ギョンチョルは、見るからに凶悪そうな顔。そのためスヒョンと電話中のジュヨンがギョンチョルの申し出を丁寧に断ったのは当然だが、その直後にみるギョンチョルの行動とは?
いきなりハンマーでジュヨンの車のフロントガラスをかち割り、そのままジュヨンの頭をめった打ちにするギョンチョルの行動に思わず私の身体は硬直!これにてジュヨンはジ・エンドと思ったが、キム・ジウン監督はさらにその後の「見せ場」を用意しているからそれにも注目!もっとも、人を殺した後の身体の切り刻み作業については、私は既に『ヌードの夜/愛は惜しみなく奪う』(10年)(『シネマルーム25』183頁参照)と『冷たい熱帯魚』(10年)で少し免疫が出来ていたため十分対応できたが、ギョンチョルは一体何のためにこんな行動を?
美しい娘ジュヨンを見てにわかに劣情を催し、その肉体をむさぼろうとの意を固めたというのならまだわからないでもないが、ギョンチョルはこうやって美しい女を何の目的もなく殺し、切り刻むこと自体に快感を?
<モンスター性は、『冷たい熱帯魚』以上?>
「死刑は是か否か」の議論は単なる制度論ではなく、人間とは何か?犯罪とは何か?という哲学的な議論を踏まえる必要がある。民法の過失(注意義務)の理論はすべて通常人を基準として組み立てられているが、過失犯については刑法もそれは同じ。しかし、刑法上の犯罪の多くは故意犯だから、刑法論的には別の人間論が必要だ。しかして、本作におけるギョンチョルのようなモンスターを見ると、一般的な人間論や刑法理論の適用が是か否かとつい考えさせられてしまう。前任者のチャン(チョン・グックァン)を引き継いで、現在凶悪犯罪課の班長職にあるオ課長(チョン・ホジン)が、「こんな奴らばかり見ていると人間をやめたくなるよ」と嘆く気持がよくわかる。本作前半には、独自の調査を進めていく中でスヒョンがギョンチョルの両親やギョンチョルの息子と出会うシーンが登場するが、さあどんな家庭環境からギョンチョルのようなモンスターが生まれたの?
私が思うに『悪人』で妻夫木聡が演じた清水祐一のモンスター性はとてもギョンチョルに及ばないが、園子温監督の最新作『冷たい熱帯魚』ででんでんが演じた村田幸雄は、ほぼギョンチョルに匹敵するモンスター。もっとも、村田幸雄の場合の殺人は仕事の必要性という「合理性」があったし、同じ殺人をするのなら「楽しまなくちゃ」という「合理性」も感じられたから、何十人殺してもそれなりの説得力があった(?)が、ギョンチョルの場合は冒頭にみるジュヨンのバラバラ殺人事件の動機が全く不明。他方、スヒョンの追跡中にも次々と女子高生や看護婦に対して犯行に及ぼうとするギョンチョルの狙いは、性的欲望の処理という明確な動機がわかる。しかし、その目的を達した後、バラバラに切り刻んで捨てようとするのは一体なぜ?村田幸雄の場合は証拠を一切消してしまうという明確な目的が見えていたが、ギョンチョルの場合にはそれが見えないから、そのモンスター性は『冷たい熱帯魚』の村田幸雄以上?
<スヒョンの気持の揺れをイ・ビョンホンはいかに表現?>
本作におけるスヒョンの復讐劇の大前提は、ジュヨンの葬式直後に明らかにされる「君の苦しみを、犯人に倍にして返してやる」というスヒョンの決意。しかし、国家情報院の捜査官というエリートのスヒョンでも、そんな感情を持つの?この決意にしたがって以降スヒョンは自己の行動を決めていくが、その中で見せるスヒョンの気持の揺れが本作のミソだ。プレスシートには「怪物と闘う者は自らが怪物と化さぬよう心せよ。お前が深淵を覗き込む時、深淵もまたお前を覗き込んでいるのだ。」というニーチェの言葉が記されているが、本作のテーマはまさにこれ。
スヒョンの復讐に向けた行動を察したジュヨンの父親チャンやジュヨンの妹セヨン(キム・ユンソ)は「もうこれくらいでいい」と諭すのだが、スヒョンの行動は次々とエスカレート。警察の仕事は犯人の逮捕だが、スヒョンが今やろうとしているのはそれへの協力ではなく、スヒョン独自の理論にもとづく個人的復讐。したがってその行為自体が傷害罪などに該当する違法な行為であることは明らかだ。
国家情報院の捜査官であるスヒョンはどちらかというと知的エリートで格闘技のエリートではないと思うのだが、スヒョンは例外。その格闘技は大晦日の『Dynamite!!』に出場できるくらいのレベルのようだ。したがって、ギョンチョルとの最初の対決でも堂々と真正面から対峙し、ギョンチョルを完全にノックアウト。しかし、ギョンチョルの頭を打ち砕こうとしたスヒョンはなぜかそれを中止して左手を砕くだけにとどめたうえ、マイク付きのGPSチップをギョンチョルに飲み込ませてその場を立ち去った。気がついたギョンチョル自身がなぜこんな状態になっているのかわからないくらいだから、私たちにもこんなスヒョンの行動は不可解。一体スヒョンは何を考えているの?
スヒョンの目的はギョンチョルに対する復讐では?ああそうか、復讐にもひと思いに殺してしまう復讐とネチネチといたぶる復讐があるのか?さあ、ニーチェが警告したように、最終的にはスヒョン自身がモンスターと化していくの?どちらかというと甘い顔の方が似合う二枚目イ・ビョンホンは、そんなスヒョンの気持の揺れをいかに表現?
<3度目の対決は?>
2度にわたってスヒョンによってボロボロにされたギョンチョルは、今や行くあてがない。私はそう思ったが、「類は友を呼ぶ」とはよく言ったもので、ギョンチョルには同じモンスター仲間(?)のテジュ(チェ・ムソン)がいた。そのため、映画中盤はスヒョンとギョンチョルの対決をしばし忘れ、ギョンチョルとテジュとの友情、そしてテジュと一緒に暮らすテジュの愛人セジョン(キム・インソ)とギョンチョルとのただれた関係(?)が描かれていく。
いくら人里離れた山の中とはいえ、テジュとセジョンが住んでいる山荘は巨大なもの。また、そこで飼育している(?)女たちも相当いるようだから、こんなものが警察に摘発されないのは不自然。そんな批判はあるだろうが、この中盤のシークエンスでスヒョンがギョンチョルに対してやろうとしていることがテジュの口から語られるから、それに注目!その言葉は「そいつはお前が殺した女の家族だろう。俺たちと同じように“狩り”をするときの快感を楽しんでるのさ」だが、大声で笑っているばかりの一見バカ者かと思ったテジュは、意外にも人間心理の分析に長けた心理学者?
本来スヒョンの目的はギョンチョルに対する復讐のはずだが、この山荘内でテジュの犠牲になろうとしている女をスヒョンが助けようとしたことから、異変を察したギョンチョルはショットガンを握りしめてスヒョンへの反撃を。いくらスヒョンが格闘技に長けていても、ショットガンにはかなわないのでは?そう心配したが、さてスヒョンはいかなる方法でギョンチョルとの3度目の対決を?
<注目の小道具は、マイク付きGPS!>
今や車にGPS(衛星利用測位システム)による地図がついているのは当たり前の時代になったが、20年前に私の車に乗ったある若い男の子はそれを見て、「まるでジェームズ・ボンドのスパイ映画のようだ」と言われたもの。アメリカでは、05年にフロリダ、ミズーリ、オハイオ、オクラホマ州で、重性犯罪者に対して保釈後もGPS装置を身体に巻きつけて24時間行動を監視するシステムが導入されたが、このシステムはその後韓国やスペインでも導入されているらしい。しかして、本作において注目すべき小道具は、マイク付きGPS!
ボコボコに痛めつけられた後もモンスターぶりを示すギョンチョルだが、その度に目の前にスヒョンが登場してボコボコにされるからたまったものではない。1度目の女子高生の時は左手を砕かれただけだったが、2度目の看護婦の時は右足のアキレス腱を切断されてしまったから大変。あいつは一体何者?なぜあんなに神出鬼没なの?その答えがマイク付きGPSだ。
こっぴどくノックアウトされた時に無理矢理GPSカプセルを飲み込まされたのだから、ギョンチョルにはそんなものが腹の中に収まっていると知らないのは当然。そんな状況下ではスヒョンとギョンチョルの立場は、圧倒的にスヒョンに有利。しかし、ある時ある事情で自分の腹の中にそんなGPSカプセルが入っていることを知れば、ギョンチョルの悪知恵は?私がギョンチョルなら、これを逆活用してスヒョンに罠を仕掛けるところだが、どうもギョンチョルにはそこまでの知恵はなかったからスヒョンにはラッキー。
自分の腹の中に入っていたGPSカプセルを排泄物と一緒に出してしまったことによって対等の立場に立ったギョンチョルは、あらためてスヒョンに対して宣戦布告。ジュヨンから「私は妊娠しているんです。助けてください。」と懇願されたことをスヒョンに告げて挑発した後、ギョンチョルが計画したスヒョンに対する報復とは?やはりこんな大切な小道具は、効果のあるうちに有効活用し、その間にギョンチョルを「処分」しておかなければ・・・。
<ラストに向けてのモンスター対決は?>
山荘内での3度目の対決によってとことん頭をたたき割られたギョンチョルは、これにてジ・エンド。一瞬そう思ったが、本作は2時間24分の長尺だから残りがまだ40分以上ある上、この対決でギョンチョルが死亡しておしまいという単純な映画ではないはずだ。しかして、本作の真の見どころはラストに向けてのスヒョンとギョンチョルのモンスター対決だが、ここまで徹底的にそれを見せられると2人のモンスターぶりにぞっとするとともに、「憎しみの連鎖」「復讐の連鎖」の無意味さを痛感せざるをえない。ギョンチョルはスヒョンにとって最大の苦しみとなる方法は何かを探し出しそれを実行したが、さてスヒョンが考えついたギョンチョルにとっての最大の苦しみとは?
ラストに訪れる本作最大のクライマックスをネタバレすることは厳禁なのでそれはあなた自身の目で確認してもらうしかないが、ここまでくるとまさにニーチェの言葉の正しさに唖然としてしまう。最も、すべてのケリがついた後、イ・ビョンホンの号泣で終わるラストシーンがベストかどうかについて、私には少し異論があるが・・・。
2011(平成23)年1月20日記