洋11-88

「未来を生きる君たちへ」
    

                2011(平成23)年9月11日鑑賞<シネ・リーブル梅田>

監督:スサンネ・ビア
アントン(医師)/ミカエル・パーシュブラント
マリアン(アントンの妻、医師)/トリーネ・ディアホルム
クラウス(クリスチャンの父)/ウルリッヒ・トムセン
エリアス(アントンの長男)/マークス・リーゴード
クリスチャン(クラウスの息子、転校生)/ヴィリアム・ユンク・ニールセン
ラース(デンマークの街の荒くれ男)/キム・ボドニア
モーテン(エリアスの弟)/トーケ・ラース・ビャーケ
ソフス(学校のガキ大将)/シモン・モーゴード・ホルム
2010年・デンマーク、スウェーデン映画・118分
配給/ロングライド

<あれから10年、あれから半年の日に!>
 本作を観たのは2011年9月11日。2001年に起きた9・11世界同時多発テロからちょうど10年、そして今年の3・11東日本大震災からちょうど半年の日だ。そんな日に、邦題は『未来を生きる君たちへ』というえらく前向きだが、原題は『HÆVNEN(復讐、報復)』というかなり物騒な(?)本作を観たのも、なにかの縁。
 スサンネ・ビア監督は、『ある愛の風景』(04年)(『シネマルーム16』70頁参照)、『アフター・ウェディング』(06年)(『シネマルーム16』63頁参照)、『悲しみが乾くまで』(08年)(『シネマルーム19』245頁参照)の3本で私がずっと注目しているスウェーデンの女性監督だが、最新の本作で彼女は第83回アカデミー賞最優秀外国語映画賞とゴールデングローブ賞を受賞。世界の彼女への注目度はますます高まっている。さて、アフリカとデンマークを舞台とし、大人と子供、問題を抱えた二つの家族、そしてアフリカのキャンプを悩ます“モンスター”とデンマークの町に巣くう荒くれ男たちの人間像を描く中での、スサンネ・ビア監督の問題提起とは?
 あれから10年、あれから半年の節目をしっかり確認しながら、本作の重大な問題提起をしっかり受け止めたい。

<子供のケンカの深刻さは大人以上!>
 日本人にとってデンマークやスウェーデンはなじみが薄いから、映画冒頭に見るアフリカのキャンプで働いている医師のアントン(ミカエル・パーシュブラント)がデンマークに家を持つスウェーデン人だということはストーリーがある程度進まないと理解できない。アントンの息子エリアス(マークス・リーゴード)は弟のモーテン(トーケ・ラース・ビャーケ)と共に女医の母親マリアン(トリーネ・ディアホルム)と暮らしているが、夫の浮気が原因で別居しているマリアンは、今なおアントンを許していないらしい。父親が大好きなエリアスはアフリカからアントンが戻ってくると大喜びだが、学校ではガキ大将のソフス(シモン・モーゴード・ホルム)から歯の矯正を受けている顔を“ネズミ顔”とののしられイジメられているから大変。通学用の自転車の空気が抜かれることは日常茶飯事らしい。
 父親のクラウス(ウルリッヒ・トムセン)がロンドンから引っ越してきたためそんなデンマークの学校に転校してきたのが、小さいくせにやけに意志力の強そうな顔つきをした少年クリスチャン(ヴィリアム・ユンク・ニールセン)。クリスチャンが父親と共にデンマークの祖母の家に住むことになったのは、母親がガンで亡くなったためだが、その闘病生活は壮絶だったらしい。もちろん、母親の死亡に父親のクラウスは何の責任もないが、幼いクリスチャンは率直にその死を受け入れられなかったようで、クリスチャンの態度を見ていると、父親の愛を拒否し自分ひとりの世界で生きているようだ。そんなクリスチャンが登校初日に目撃したのが、ソフスによるエリアスへのイジメ。イジメに耐え、じっと我慢しているエリアスを見て、クリスチャンは「やられたらやり返さなきゃダメだ!」とアドバイス。そして、その後もくり返されるエリアスへのイジメを見るに耐えかねたクリスチャンは、ある日ついにナイフをもってソフスに対して・・・。
 たかが子供のケンカ、というなかれ!子供のケンカは、大人以上に深刻なのだ。

<アフリカのキャンプでの大人の争いは?>
 9・11世界同時多発テロは、ある意味でイスラム教とキリスト教の対立という根深い構造を持つが、今アフリカのキャンプ地を恐怖に陥れているのは、生まれてくる子供が男か女かという興味本位のバクチのために、平気でかつ楽しみながら妊婦の腹を切り裂くという悪党“ビッグマン”の存在。アントンは医師として黙々とその被害者の治療に当たっていたが、ある日兵と銃に守られながらキャンプ地にやってきたビッグマンから、足の治療を要求されると・・・?近代的な教育を受けた医師としては何よりも患者の治療に専念すべきが当然だから、私たちはアントンの取った行動が理解できるが、現地スタッフたちは?
 さらに、やっと退院(?)というその日にビッグマンの口から出たあまりの言葉に、アントンは医師としての価値観よりも人間としての価値観が優先したが・・・?重症患者と医師との対決では医師のほうが強いのは当然だが、そのケガが治ればその力関係は?何のトラブルもない状態で治療だけに専念することができれば医師とすれば楽かもしれないが、臓器移植やクローン人間などの新しい分野を扱ったり、貧困に飢え、暴力が渦巻くアフリカのキャンプ地で医療を続けようとすれば、さまざまな問題に直面するのは当然。そんな時に最も大切なことは決断のあり方だが、さてアフリカでの大人の争いについて、アントンはいかなる決断を?

<デンマークでの大人のケンカは?>
 本作のストーリー前半にクリスチャンがエリアスに言う、「やられたらやり返さなくちゃダメだ!」とのメッセージは強烈。9・11世界同時多発テロの後ブッシュ大統領率いるアメリカは、クリスチャンの言葉どおり、直ちにアフガン戦争に突入した。したがって、少なくとも本作前半では、『未来を生きる君たちへ』という邦題よりやはり「復讐」「報復」を意味する原題のほうがピッタリする。そんな状況下、スサンネ・ビア監督はデンマークの町に住む荒くれ男ラース(キム・ボドニア)を登場させて、さらに(バカバカしい)大人同士の争いと、アントンによるその解決策を提示する。アントンが、いきなりラースから「スウェーデン人はスウェーデンに帰れ!」と罵られながら頬を一発殴られたのは、アントンが公園でブランコの取り合いになったエリアスの弟モーテンと近所の子供をとりなしていたところに、その子供の父親ラースが現れたため。それ以上の大人のケンカにならなかったのはアントンが反撃しなかったためだが、殴られたまますごすごと引き返した父親を見たアントンの子供たちは?
 イエス・キリストの教えは、「右の頬を打たれたら左の頬を向けよ」というものだが、キリスト教信者のうち一体何割がその教えを実践できているの?少なくとも9・11世界同時多発テロ後のブッシュ大統領の方針はそうではなく、「目には目を、歯に歯を」だったはずだ。さて、エリアスやクリスチャンの「努力」によってラースの住所を突き止めたアントンが、次に取った行動とは?それはまさに「右の頬を打たれたら左の頬を向けよ」というイエス・キリストの教えに沿った行動で、映画のストーリーとしてはよくできているが、さすがに現実論としてはそんな行動はありえないのでは?理想主義者ではなく超現実主義者を自負している私としては、スサンネ・ビア監督の重要な問題提起ながら、ついそんな疑問を。

<ここまでやるか!こりゃ過剰報復では?>
 クリスチャンとエリアスは同級生だが、優柔不断(?)なエリアスに対して、何ごとも徹底してやるクリスチャンの意志力の強さは際立っている。そんなクリスチャンだから、ガキ大将のソフスに対するナイフによる報復も過剰だったが、今、大人の荒くれ男ラースに対して子供のクリスチャンが思いついた報復も、大量の火薬を使って爆発物を作りこれをラースの車の下で爆発させるというものだから、これまた過剰!今どき、子供でもネット情報を活用すれば、爆発物の製造ができることにビックリだが、クリスチャンはホントにそんな恐ろしい報復をラースに対してするの? そして、今やクリスチャンの唯一無二の親友になったかのようなエリアスは、内心ではそんな報復に賛成していないようだが、結果的にこれに同調するの?
 もちろん、これは親たちには内緒の作業。ソフスへの報復時にクリスチャンが使ったナイフを、ある日、エリアスが部屋の中に隠しているのを発見した母親のマリアンは、エリアスを詰問したが、更なるラースへの報復計画の全貌を解明するまでには至らなかったようだ。また、アフリカにいる父親のアントンもネット回線を通じてエリアスと会話したが、折悪しくその日アントンは“ビッグマン”との対決の日で最悪の精神状態であったため、エリアスと十分な会話はできなかった。さらに、エリアスはクリスチャンとの内緒の遊び場にしていた倉庫の屋上には「二度と行かない」とアントンに対してカラ約束をしていたから、親たちの知らない間に子供たちの恐ろしい計画は着々と進行中。そして、今日日曜日の朝7時はいよいよその決行の日だ。ラースの車の下に仕掛けられた爆発物の導火線に点火すれば10秒後に爆発すること確実だが、万一そこに誰かが通りかかったら・・・?「そんなことはありえない」との想定でクリスチャンは計画を練っていたが、最近は至るところで「想定外」の事態が・・・。

<ラストに向けての「赦し」の是非は?>
 2人の息子エリアスとモーテンそしてクラウスの息子クリスチャンを連れてラースの勤務先に乗り込んでいった(?)アントンは、一体何をラースに対して求めたの?ここらあたりの描き方は、弁護士の私としてはかなり違和感がある。さらに、ここではまさに「右の頬を打たれたら左の頬を向けよ」や「汝の敵を愛せよ」というイエス・キリストの教えを実践しているアントンだが、妻マリアンと別居している理由は自分の不倫らしいから、しょせんアントンも完璧な人間でないことは明らかだ。今いろいろな問題を抱えて悩んでいるアントンは、再び別居中の妻との和解を求めて電話をかけ、ある程度までいい雰囲気になったが、今なおアントンを許すことのできないマリアンの拒絶の前にアントンは・・・?
 他方、自分の思惑が狂ってしまい、親友のエリアスを爆発で死なせてしまったのでは?とおびえるクリスチャンは入院中の病院にエリアスを訪ねたが、母親マリアンの拒絶の前に絶望。今、ひとりで、あの倉庫の屋上に立っていたが、このままでは・・・?また、懸命に妻を愛し、息子を愛していたはずのクラウスも、息子クリスチャンから思いもかけない言葉を浴びせかけられて今や意気消沈。そんな中でクリスチャンの家出に気づいたから、そりゃ大変だ。直ちに警察に連絡を取ったが、もしかしてとんでもない結果になるのでは・・・?
 スサンネ・ビア監督の演出は、ラストに向けそんな不安がいっぱい。予想される最悪の事態は、病院に運ばれたエリアスが死亡し、その責任を感じたクリスチャンも自殺。そんな結果に責任を感じたアントンとマリアンはヨリを戻すことができないばかりか、クリスチャンと同様に絶望し・・・。まあそんなストーリーだろうが、本作でスサンネ・ビア監督が描くラストに向けての「赦し」とは?私は本作のラストに向けたストーリー展開に少し「甘さ」を感じたが、2001年の9・11世界同時多発テロから10年を迎えた今、多少甘くともそんな前向きの結論のほうが望ましいのかもしれない。ちなみに、第68回ベネチア国際映画祭で染谷将太と二階堂ふみがマルチェロ・マストロヤンニ賞(新人俳優賞)を射止めた『ヒミズ』で園子温監督は、『愛のむきだし』(08年)(『シネマルーム22』276頁参照)や『冷たい熱帯魚』(11年)(『シネマルーム26』172頁参照)では悪人たちの人間心理をトコトン描いたにもかかわらず、3・11東日本大震災後、急遽脚本を改稿し、「3・11以降を生きる日本人の姿」を示したらしい。そんなことをあわせて考えれば、今の時代、本作のラストに向けたスサンネ・ビア監督の「赦し」の描き方はこれでOKかも・・・。
                               2011(平成23)年9月12日記