日11-66

「軽蔑」
    

               2011(平成23)年6月5日鑑賞<TOHOシネマズなんば別館>

監督:廣木隆一
原作:中上健次『軽蔑』(角川文庫刊)
二宮一彦(カズ)(チンピラやくざ)/高良健吾
矢木真知子(ポールダンサー)/鈴木杏
山畑万里(高利貸し)/大森南朋
杉田千代子(カフェ「アルマン」のマダム)/緑魔子
二宮一幸(カズの父親)/小林薫
浜口政博(銀行員)/忍成修吾
伊藤(歌舞伎町のヤクザ)/村上淳
二宮貴子(カズの母親)/根岸季衣
二宮伸二(カズの叔父)/田口トモロヲ
西崎健次(ニシ)(カズの友人)/日向寺雅人
横田悟(サトル)(カズの友人)/蕨野友也
林公平(ピー)(カズの友人)/小林ユウキチ
2011年・日本映画・136分
配給/角川映画

<これは絶対!そう思って行ったが・・・>
 私は学生時代にはたくさん小説を読んだが、弁護士になってからはほとんど読んでいない。したがって、芥川賞作家「中上(健次)」の文学もその存在は知っていても、中身は全く不知。しかし、本作の原作が彼の最後の純粋恋愛小説で、鈴木杏がポールダンサー役として熱演(?)すると聞くと・・・。
 純愛のお相手は、高良健吾扮するチンピラやくざのカズ。浜田光夫・吉永小百合 の純愛コンビの映画は中学生時代にたくさん観たが、その中で強く印象に残っているのが『泥だらけの純情』(63年)。これはチンピラやくざと令嬢とのかなわぬ恋を描いた藤原審爾の原作だったが、当時なけなしの小遣いをはたいてその原作本(単行本)を買ったことをよく覚えている。私は既に還暦を過ぎたが、今でも純愛モノは大好き。したがって、本作は絶対!そう思ったが、さて?

<「男と女は五分と五分」!の結末は?>
 本作は新宿歌舞伎町の底辺でひっそりと生きる若者たちの純愛だから、『泥だらけの純情』とは女の側の立場が大違い。映画冒頭、まずはアップを多用した矢木真知子(鈴木杏)の悩ましいポールダンスで観客の目を釘付けにした後、伊藤(村上淳)の指示によるカズの「襲撃」と2人の「高飛び」にみせる疾走感が心地良い。最近はやけに分別くさい若者が増えているが、コトの是非は別として、やはりここにみるように若者は時には暴走しなければ・・・。
 「高飛び」の条件として真知子がカズに求めたのは、「男と女は五分と五分」ということ。その意味はわかったようで、実は難しい。カズはその言葉の意味をしっかり理解できないまま、二つ返事でOKしたのでは?それはともかく、「男と女は五分と五分」が本作のキーワードだから、その約束が果たされているか否かを基準にしてその後の2人の行動の是非を判定したい。
 本作で撮影したカズの故郷は中上健次の故郷である新宮市だが、そこに住むカズの父親・二宮一幸(小林薫)と母親・貴子(根岸季衣)の家を見てビックリ!何とカズは地元の大金持ちの御曹司だったのだ!これには、何も教えられていなかった真知子も戸惑ったはず。カズはチンピラを捨て、叔父の二宮伸二(田口トモロヲ)が営む酒屋で真面目に働き始めたが、さてそれはいつまで続くの?

<菅にイライラなら、カズにもイライラ・・・>
 去る6月2日に開催された民主党の代議士会と、衆議院での内閣不信任案の否決というドタバタ劇は、ホントにヘタな田舎芝居を観ているようでイライラの連続だった。さらに予想したとおり、同日夜に菅総理が「来年1月まで・・・」と発言したことを受けて、鳩山前総理からは「ペテン師」発言まで。
 こんな国会議員や総理大臣を選んだ国民自身がバカだと反省しなければならないが、それと全く同じ意味で、カズのようなバカ息子が風を切って生きているのは親が悪いしそれを見すごした大人全体が悪い。菅にイライラなら、カズにもイライラだ。これでは、わざわざ時間を割いて映画館に来た意味がない。後半は、ずっとそんな「反省」の中で本作を・・・。
 それが増幅されたのは、真知子が歌舞伎町に戻りポールダンサーの仕事に復帰していたのに、カズの説得によって再度二人して故郷へ戻り、結婚式を挙げるというストーリー展開。これは、少しおかしいのでは?楽屋の中でカズは真知子を「説得」したのではなく、単に「わめいた」だけではないの?またこれでは、「男と女は五分と五分」と宣言した真知子のスタンスが大きくずれている、と批判されても仕方ないのでは?

<二つの浮気ストーリーは不要では?>
 二人の若者の純愛劇なら、テーマを絞って2時間弱の構成で。私はそう思うのだが、本作は136分と長く、特に中盤は中弛み気味?そう思う原因の一つは、中盤にカズと真知子それぞれの浮気ストーリーを入れ込んだことにある。
 カズは地元の大金持ちの息子だから、女の子にモテたのは当然。したがって、カズの帰郷がたとえ女連れだったとしても、懐かしさのあまりカズを誘惑し、あわよくば真知子から奪い取ろうと考えた女がいても当然。しかして、一方では真知子と毎晩エッチをしながら、他方でホイホイとそんな誘惑にのってしまう、何ともだらしないカズの姿が描かれる。他方、カズの祖父の愛人だったという杉田千代子(緑魔子)が経営するカフェ「アルマン」にたむろするのはカズの悪ガキ友達が中心だが、そこに一人だけネクタイ・スーツ姿の浜口政博(忍成修吾)が違和感いっぱいで座っている。彼は地元の銀行員だが、それがわかるのは真知子が銀行預金を確認しに行った時。その後、この銀行員がストーカーのように真知子を追っかけ、バスを待つ間ベンチに座っている真知子を口説くシークエンスが登場するが、これは一体ナニ?さらに意外だったのは、真知子がこれに応じていく事。いくらなんでも、これはあり得ないのでは?そして、「破滅的だが、命がけの純愛」を描くについては、こんなくだらない浮気ストーリーは不要なのでは?

<この「甘え」なら、この結末は想定内!>
 本作後半には、何から何まで、カズと対照的な金貸しの山畑万里(大森南朋)が登場する。山畑が納得できないのは、「なぜカズのようなアホバカが、みんなから愛されるのか?」ということ。そこらあたりの男同士の葛藤はじっくり分析してみると面白いはずだ。親父がいくら財産を持っていても、それは親父の金。そんな風にカズは強がっていたが、歌舞伎町での借金は「襲撃」によってうまいことチャラにできたとしても、博打で背負った山畑からの借金は、父親が立替払いを拒否すれば返済不能は明らか。それを手助けしようとするのが、文字どおり裸一貫で稼いだ金を提供しようとする真知子と千代子だが、山畑にとって、それがますます気に入らないのは当然だ。
 そんな中で、カズの友人である西崎健次(日向寺雅人)、横田悟(蕨野友也)、林公平(小林ユウキチ)が見せる「強盗劇」と、それに対する山畑の「報復劇」もわからないではないが、私の目にはこれらの展開はコトの本質からずれているように思えてならない。なぜなら、博打の債務者はカズなのだから、山畑はカズと話をつけるべきは当然。そして、カズに支払い能力がないことは誰よりも山畑自身がわかっているのだから、親の肩代わりを期待するのならそういう手を打てばいいし、本気で真知子の身体で払ってもらうつもりなら、その交渉をしっかりすればいいだけだ。山畑を少し謎めいた存在に描こうとしたのはわかるが、あくまで貸金取り立ての実務は実務として筋を通さなければ、何のための文学かわからなくなってしまう。
 しかして、バカのくせに、また何の実力もないくせに、カッコばかりつけるカズのような男のラストに向けての選択は想定内。しかして、ラストに訪れる山畑の事務所での「対決劇」も、無人の商店街での「再会」も、かつての東映任侠劇に見た健さんやお竜さんのようなカッコ良さは全くない。もっとも、最後に浮かび上がってくるのもカズの「甘え」だから、この結末に何の美しさも感じられなかったのはむしろ当然?
                               2011(平成23)年6月6日記