洋11-61

「サンザシの樹の下で(山楂樹之戀)」
    

                    2011(平成23)年5月27日鑑賞<GAGA試写室>

監督:張藝謀(チャン・イーモウ)
静秋(ジンチュウ)(女子高生)/周冬雨(チョウ・ドンユィ)
スン(農村の青年)/竇驍(ショーン・ドウ)
静秋の母/奚美娟(シー・メイチュアン)
村長/李雪健(リー・シュエチェン)
ルオ先生/成泰燊(チェン・タイシェン)
スンの父/孫海英(スン・ハイイン)
2010年・中国映画・114分
配給/ギャガ

<原点回帰した張藝謀監督の最新作は?>
 あなたは同じ張藝謀(チャン・イーモウ)監督でも、『HERO』(02年)と『初恋のきた道』(00年)のどちらが好き?そう聞かれると、若者は別として中年以上のおじさん、おばさんは、きっと『初恋のきた道』と答えるはず。中国映画のすごさをはじめて世界に発信したのがチェン・カイコー監督の『黄色い大地』(84年)とチャン・イーモウ監督の『紅いコーリャン』(87年)なら、今日本人に最も愛されている中国映画は、『初恋のきた道』とフォ・ジェンチイ監督の『山の郵便配達』(99年)だ。
 2008年10月に開催された北京オリンピックの開会式と閉会式の総合プロデューサーを務めたチャン・イーモウ監督は今や世界的な存在だが、そんな彼が何を思ったのか、本作で映画作りの原点に回帰。昔から得意としている新人女優発掘能力を発揮して、高校3年生のズブの素人の周冬雨(チョウ・ドンユィ)を本作のヒロイン静秋(ジンチュウ)役に起用した。中国系アメリカ人エイミーが発表した小説『山楂樹之戀』(07年)は彼女の友人シォンインが書いた手記を基にしており、その登場人物の対話部分は手記の原文に沿っているらしい。そして、このシォンインこそ本作のヒロインであるジンチュウ本人らしい。1951年生まれの世界の大監督チャン・イーモウが今あらためてシンプルな純愛映画に回帰したが、さてその出来は?

<サンザシとは?本作VS『連理の枝』>
 日本人は何よりも桜の樹を愛しているが、サンザシと聞いてそれがどんな樹と答えられる人は少ないのでは?本作のロケ地になったのは湖北省宜昌市で、本作のシンボルとなるサンザシの樹のある遠安県は以降「山楂(サンザシ)県」と改名されるという噂まで流れたらしい。本作の時代は、文化大革命の嵐が吹き荒れる1970年代初頭。「学生は農民から学ぶべきだ」という毛主席の教えのもと、ジンチュウたち都会の高校生たち数名はルオ先生(チェン・タイシェン)に率いられて農村に派遣され、ジンチュウは村長(リー・シュエチェン)の家に寝泊まりすることに。その村には1本のサンザシの樹があったが、このサンザシの樹こそ抗日戦争の兵士の血が染み込み、本来白い花なのにこの樹には赤い花が咲くという革命精神の象徴となるものだった。村に入る前にこの樹を見たジンチュウたちは、あらためて毛主席の教えを確認しそれを実践しようと誓ったようだが・・・。
 この「サンザシの樹」を見て私がすぐに思い出したのが、韓国の「涙の女王」チェ・ジウが主演した『連理の枝』(06年)。連理の枝は、中国の詩人・白楽天が玄宗皇帝と楊貴妃について歌った「長恨歌」の一節にあるもので、永遠の愛を象徴するもの。この映画に使われた連理の枝は「牛島」という離島にあるもので、撮影後済州島観光局に寄贈され、観光名所として保存されることになったらしい(『シネマルーム10』189頁参照)。連理の枝が愛の象徴なら、サンザシの樹は革命精神の象徴。しかし本作をみていると、サンザシの樹に託されたのは革命精神ではなく、やはりヒロインたちの愛?

<地質調査隊の長身の青年は、ちょっと快活すぎ?>
 文化大革命の時代は農民、労働者、軍人が上位で、地主、資本家、知識人は下位の階級だった。したがって、地主の出身だったジンチュウの父親は強制労働に遣られており、母親(シー・メイチュアン)は教師という知識階級だったから再教育が必要とみなされ、いじめられていた。ジンチュウはそんな母親と弟・妹の4人で小さな家に住んでいたが、そこでは封筒作りの内職が不可欠だった。高校を卒業すれば教師の仕事に就きたいと願っているジンチュウは、「私たちはいつも監視されているのだから、決して人から批判されるような行動をとらないように」と母親からきつく言われていた。
 本作が描くそんなジンチュウの初恋のお相手は、地質調査隊員だという長身の男性スン(ショーン・ドウ)。スンは村長の家に住みこみながら地質調査の仕事に従事していたが、最初にジンチュウと出会った時からその性格の快活さが目立つ。ストーリー展開につれてスンもさまざまな苦労をしてきたことがわかるが、スンは決してそれを表に出さず、黙々と国家のための仕事に従事していた。お金には余裕があるらしいスンは陰でジンチュウのために最大限の援助を続けていたし、時々かなり大胆な発言をするスンの姿を見ていると、あの時代にこんな快活な若者がいたの?という違和感が少し湧いてくる。しかし本作はシャオインの手記にもとづくものだから、そんなスンの人物像はきっとホンモノだろう。
 ところが、神サマはいたずらなもの。あんなに快活で元気いっぱいのスンは、何と白血病らしい。そんな噂を聞きつけたジンチュウはビックリしてスンの入院先に駆けつけたが、そこでもスンは笑いながら単なる定期検診だと説明。さて、その説明の信憑性は?

<文化大革命時代の性意識は?>
 日本では「しあわせ3部作」と呼ばれているチャン・イーモウ監督の『あの子を探して』(99年)、『初恋のきた道』(00年)、『至福のとき』(02年)はいずれもすばらしい出来だった(『シネマルーム5』188、194、199頁参照)。しかし本作は、ドキュメンタリー映画のように(?)時期を追って、しかも節目節目には説明文入りで、ジンチュウとスンの、今ドキの若者からはとてもありえないような淡い初恋模様が描かれていく。ジンチュウの親友の女の子は、あの時代なりに異性関係にも長けていたよう(?)だが、ジンチュウはまるでダメ。いくら文化大革命時代の若者たちの性行動が規制されていたとはいえ、男女が手を握りあえば、あるいは1つのベッドで眠ったら即妊娠する、などと信じている女子高生はいなかったのでは?恋人(?)と一発やっただけで妊娠してしまったジンチュウの親友は悲惨だが、本作にみるジンチュウの性意識はあまりに非現実的では?還暦を迎えて原点回帰したチャン・イーモウ監督なればこそ、そこまで純愛を徹底させたのかもしれないが、こりゃいくら何でもやりすぎ。ちょっと、本作をマンガっぽくさせてしまったのでは?

<台湾ならオーケーだが、文革時代の中国では?>
 女子高時代の懸命の革命的行動が認められたジンチュウは、何とか教師の職に就くことができた。しかし1年間は見習い期間だから、ともに反革命分子の両親を持つジンチュウが何かのチョンボをしたり、ヘタな噂が流れたりすれば、ジンチュウの仕事は即アウト。それがわかっているにもかかわらず、やはり若いジンチュウの愛の行動は一直線。そしてまた、地質調査隊の仕事が忙しいはずなのに、本作をみているとスンはいつもジンチュウを見守っているようにみえる。
 台湾映画では『藍色夏恋』(02年)や『台北の朝、僕は恋をする』(10年)のように、風の中を若者たちが疾走していく姿がよく似合うが、文革時代の中国の田舎町では、それはとてもムリ。全体的に暗い雰囲気が続く本作唯一の明るい中盤のハイライトは、連日の厳しい勤労奉仕のため両足をボロボロにしてしまったジンチュウをスンがムリヤリ病院に連れて行き、その帰りに自転車の2人乗りで疾走するシーン。自転車の前に乗っても顔を隠せば大丈夫、というスンの言葉に従って、ジンチュウはスンが脱いだワイシャツで顔を覆っていたが、つい坂道で大声を出しながらはしゃいでいると・・・。その発見者が母親で、とっちめたのも母親だったからまだよかったが、これが党や政府、あるいは職場の関係者だったら・・・。
 これによって今までジンチュウの家をあれこれ援助してくれていたのがスンだったことがバレてしまったが、そこで見せる母親の要求(?)はさすがに苦労を重ねてきただけあってきわめて妥当かつ説得力がある。若い2人にとっても、将来きちんと結婚するためには「しばらくは会わないようにしなさい」という母親の要求は受け入れ可能なものだ。あのはしゃぎ回った結果が、この程度のお目玉ですんだのは若い2人にはラッキー。ところが、以降ホントにスンからの連絡がプッツリ途絶えてしまったからジンチュウは不安に。これはスンがホントに母親との約束を守っているだけ?それとも・・・?

<さすがに、最後の泣かせ所はきっちりと!>
 プレスシートによれば、本作の中国での「興収は2億元(26億円)を超え、文芸映画としては中国で過去十数年中一番のヒットとなった」とのことだが、はっきり言ってその出来はイマイチ。「しあわせ3部作」のような感動や感激はなく、時系列に沿ってなるほど、なるほどというストーリー展開があるだけだ。しかして、初恋モノから難病モノに急転換し、『連理の枝』と同じように観客の涙を誘おうという本作の意図が丸見えになるのはラストシーン。スンが白血病ではないかと心配したジンチュウが母親の許可と休暇の許可を取ってやっとスンの病院を訪れたのに、スンはあくまで検査入院だと主張。しかも、はじめて一緒のベッドで眠った時も、病気の告白はなし。男に逃げられたためやむなく人工妊娠中絶の手術を受けた親友の話によれば、「男なんて、みんな一発やればすぐに姿をくらます」らしい。そこで心配になったジンチュウがスンのあの病院を訪れてみると、案の定スンのベッドはカラッポ。こりゃ、ひょっとして・・・?
 そんなマンガみたいなシークエンスをつくり出したことが、逆に本作のラストを涙のクライマックス・シーンにさせている。今、スンは死の直前でベッドの上に。スンがジンチュウの名前をしきりに呼んでいるという知らせを受けて、ジンチュウはあの時スンと約束した赤い服を着て病院に駆けつけた。スンの父親(スン・ハイイン)たちの声に支えられてジンチュウは思い切り涙を流しながらスンに対して最後の言葉を投げかけたが、さてそれに対するスンの反応は?
 チョウ・ドンユィが第2のチャン・ツィイーになれるかどうかについて、私はそれまでの演技ではムリだろうと感じていたが、この最後の涙のシーンでは少し胸キュンに。さすが、世界のチャン・イーモウ。最後の泣かせ所はきっちりと!
                               2011(平成23)年5月28日記