洋11-59

「海洋天堂」
    

                    2011(平成23)年5月26日鑑賞<東映試写室>

監督:薛暁路(シュエ・シャオルー)
王心誠(ワン・シンチョン)(水族館の技師)/李連杰(ジェット・リー)
王大福(ワン・ターフー)(シンチョンの自閉症の息子)/文章(ウェン・ジャン)
鈴鈴(リンリン)(サーカス団の女ピエロ)/桂綸鎂(グイ・ルンメイ)
柴(チャイ)(向かいの家に住む女性)/朱媛媛(ジュー・ユアンユアン)
水族館館長/董勇(ドン・ヨン)
劉(リュウ)先生(養護施設の先生)/敏求(イェン・ミンチュー)
ターフーの母/高圓圓(カオ・ユアンユアン)
施設の館長/咏梅(ヨン・メイ)
施設職員/瑞(チェン・ルイ)
2010年・中国映画・98分
配給/クレストインターナショナル

<こんなジェット・リーを、はじめて!>
 本作は冒頭、海に浮かぶボートの上に中年男とその息子らしい男が並んで腰かけているシーンからスタートする。天気は晴れ渡り海は穏やか。ホントにのどかで美しい風景だが、なぜか2人の足にはしっかりとロープが巻かれ、そこには重りまで・・・。こりゃひょっとして、飛び込み自殺?そう思った瞬間、「そろそろ行こうか」とのかけ声の中、2人はドボンと海の中へ。
 本作は一切のアクションを封印し、新境地に挑んだジェット・リーの最新作。そんな事前の情報がなければ、このメガネの中年男ワン・シンチョンがジェット・リーだと認識するのは多分ムリ。こんなジェット・リーをはじめて!長年にわたってアクション専門でその地位を築いてきた(?)ジェット・リーのイメージが、本作ではそれほどガラリと変わっている。

<魚に生まれてくれば、幸せだったのに・・・>
 息子ワン・ターフー(ウェン・ジャン)は自閉症で、今21歳。母親(カオ・ユアンユアン)は息子が自閉症であるとわかった時から自分を責めて結局帰らぬ人になってしまったため、ターフーは小さい頃から父親シンチョンの手によって育てられてきた。自閉症の息子と寄り添いながらひっそりと水族館の技師として長年働いてきたシンチョンを水族館館長(ドン・ヨン)は厚く信頼していたから、彼は泳ぎの大好きなターフーに水槽をプールとして使用することを許可。大きな水槽内で魚と共に楽しそうに泳ぐターフーは本当に幸せそうだ。そんなターフーを見て、シンチョンは「ターフーが魚として生まれてくれば幸せだったのに」と語ったが、それは所詮叶わぬ望み・・・。

<この女性は、この父子といかなる接点を?>
 そんな事情もあってターフーは魚以上に泳ぎが達者だったから、「いっそ2人で死んでしまおう」と考えたシンチョンのもくろみは結局頓挫。旅行に行くと称して休暇をもらっていた2人は家に戻ったが、そこに訪れたのは向かいの家に住む女性チャイ(ジュー・ユアンユアン)。チャイは何かとシンチョンたちの世話を焼いてくれていたが、そりゃ一体なぜ?それは後に少しずつ明らかにされるからしっかり自分の目で確認してもらいたい。
 そのチャイは2人がえらく臭いことに気づいたが、いくらシンチョンに好意を持っているとはいえ、さすがにシンチョンとターフーが自殺未遂騒動を起こしたことまでは・・・。

<監督に注目!『北京ヴァイオリン』VS『海洋天堂』>
 チェン・カイコー監督の『北京ヴァイオリン』(02年)は、私の大好きな中国映画(『シネマルーム5』299頁参照)だが、その脚本を監督と共同して書いたのが、本作で監督デビューした北京電影学院卒の才媛シュエ・シャオルー。父と息子の絆を数々の美しいバイオリン曲の中で描いた『北京ヴァイオリン』は、ラストに北京駅(西駅?)の前で演奏されるチャイコフスキーのバイオリン協奏曲が流れる中、あっと驚く出生の秘密が明かされる涙、涙の感動ドラマだった。
 プレスシートにある彼女のインタビューによると、『北京ヴァイオリン』と『海洋天堂』の親子愛の描き方の相違は、前者は父子間のコミュニケーションがあるのに対し、本作はターフーが自閉症のため、シンチョンからの(一方的)働きかけがメインになる点。その意味では本作のストーリー構成の方がはるかに難しかったそうだが、逆にその分ジェット・リーの熱演が私たちの胸にジーンと響いてくる。
 本作は、シュエ・シャオルー監督が14年間にわたって続けてきた自閉症支援施設でのボランティア活動が基になってつくられたが、ターフー役のウェン・ジャンの演技とともに、中国におけるそれらの施設のあり方についてもしっかり勉強したい。

<青島のまちと海の美しさをタップリと>
 映画冒頭に登場する美しい海は、青島の海。そしてシンチョンが働いている水族館は、私が2010年3月13日から18日の大連・威海・青島旅行の際、青島で見学したあの水族館だ。山東省の東端にある人口約760万の都市青島は本当に美しいまちで、天主教会や青島ビールが有名だが、海の美しさは息を飲むほど。小青島、海軍博物館、魯迅公園、青島水族館、海底世界、第一海水浴場などが並ぶ黄海に面した海辺は一大観光地になっている。ちなみに、『シネマルーム25』のウラ表紙の写真は、3月17日の昼間に見学した海軍博物館とその夜海鮮料理専門店でタップリ食べた海鮮料理だ。同日の昼食に食べた小さなお店の水餃子も安くておいしく、最高だった。大阪市港区の天保山にある海遊館も美しいが、さて両者を比べてみると?
 私は旅行の最終日、道教の聖山崂山に登るため前日と同じタクシーで海岸沿いを走ったが、石老人海水浴場のあまりの美しさに車を停め、しばし写真撮影(写真1、2)。遠くに見える岩がおじいさんの顔をした大きな岩で、海を向いて寂しそうに立っていた(写真3)。ドライバーのにわか観光案内によれば、それは「美しい娘を、竜の皇太子に海に連れ去られてしまった哀れな一人の漁師が毎日海辺で娘の帰りを待つあまり、とうとう老人となり、そのまま一つの岩と化してしまった」との言い伝えがあるらしい。本作には、まだ若い母親が幼いターフーの手を引いて海の中に入っていく回想シーンが登場するが、ひょっとしてこの海は、私があの時に観たあの海?
  (写真1)                       (写真2)
  
               (写真3)
               
 
<『ビューティフル』VS『海洋天堂』>
 5月24日に観たハビエル・バンデム主演の『ビューティフル』(10年)が前立腺ガンで「余命2カ月宣告」なら、本作のシンチョンは末期の肝臓ガンで余命数カ月。『ビューティフル』では、社会の底辺で生きる主人公が、2人の子供たちのために、また中国やアフリカからの移民労働者のために何ができるかを考え、残りの日々を必死にかつビューティフルに生きる姿が描かれたが、本作でシンチョンが考えるのは自分がいなくなった後のターフーの生き方だけ。そのためシンチョンはまず昔お世話になった養護施設の先生である劉先生(イェン・ミンチュー)を頼りに適切な施設を探しまくったが、子供用や老人用の施設はあっても、若者用の施設はないらしい。そこで、シンチョンは少しでもターフーが自立できるように日常生活や仕事(のまねごと?)を必死に仕込もうとしたが、さて自閉症のターフーはそれをどのように対応?また、チャイはシンチョンから嫌われているのかと心配していたが、映画中盤以降決してそうでないことがわかるから、ひと安心。しかし、シンチョンのガンの進行は?
 黒澤明監督の『生きる』(52年)も同じような設定だったが、人間は「余命〇カ月宣告」を受けると余計に生きることの意味を考え、死ぬ前になすべきことを考えるものだ。その意味では、日々何の問題意識も目的意識も持たずダラダラと生きている人は、たまにはこんな映画を観て深く人生を考えてみる必要があるのでは?

<淡い恋模様に、この台湾ビューティーはピッタリ!>
 近時時々、認知症の老人や知的障害を持つ若者の「性欲」が問題として指摘されている。小さい時から自閉症を患うターフーだって今は筋骨たくましい(?)青年だから、性欲は人並みにあるはず。それが暴走するとえらいことだが、本作に見るサーカス団のピエロ、リンリンとの淡い恋模様は、さすが感性豊かな女性監督シュエ・シャオルーの監督作品だけに微笑ましく仕上がっている。
 リンリンを演じた台湾ビューティーのグイ・ルンメイは、『藍色夏恋』(02年)で陳柏霖(チェン・ボーリン)の相手役としてズブの素人の女子高生からスカウトされた女優。50歳過ぎのおっさんだった私にも一瞬青春のみずみずしさを思い出させてくれたこの女優を、私はよく記憶していた(『シネマルーム3』82頁参照)。そのグイ・ルンメイが、ターフーとの淡い恋模様の展開でいい味を出している。もっとも、2人が知り合い付き合った(?)のはサーカス団が水族館で公演をしている間だけだから、サーカス団が遠くに去ってしまうと・・・。
 リンリンとターフーを結ぶのは、水族館の中にある1台の公衆電話だけ。「この公衆電話のベルが鳴ったら、こうやって受話器を取るのよ」とターフーはリンリンから教えられていたが、さてその実践は?

<水槽内のこの海亀は、ひょっとして・・・?>
 人間の寿命は百年だが、鶴は千年、亀は万年らしい。しかして、水族館の巨大な水槽内にはたくさんの海亀が泳いでいたから、シンチョンがターフーに教えようとしたのはシンチョンとターフーはこの水槽内を泳ぐ海亀父子と同じだから、「ずっと一緒だよ」ということ。ゆで玉子のつくり方、バスの乗り方と降り方、水族館の掃除のやり方等々、シンチョンがターフーに教えようとしたことはたくさんあった。そして、教えるためには何事も一緒に実践することが一番だから、自分が死んだ後海亀父子になって一緒に水槽内を泳ぐためには実践が大切。そう考えたシンチョンは手製の甲羅を背中に背負って水槽内に入ったが、さすがに末期の肝臓ガン患者に水泳はまずい。何とか水族館館長に救われたから良かったものの、もしあのままだったら・・・。
 映画は観客の想像力や感性に訴える芸術だから、何もホントに人間が海亀に化けてしまう必要はない。何とか海亀になりきろうと努力するシンチョンの姿は多少滑稽だが、シンチョンがお墓の中に入ってしまった後に、水槽内で泳ぐ海亀や大きな海亀と一体になって泳ぐターフーの姿を見ると?『北京ヴァイオリン』のラストでシュエ・シャオルーの脚本は大いに観客を泣かせたが、自ら監督した本作でも彼女の脚本は大いに泣かせてくれる。ここまでターフーが海亀になりきることができれば、シンチョンもひと安心!ラストに向けてのスクリーン上に見るこの映像は、ひょっとしてまさに万年も生き続けているシンチョンとターフー?
                               2011(平成23)年5月28日記