洋11-58

「ビューティフル」
    

                    2011(平成23)年5月24日鑑賞<GAGA試写室>

監督・脚本:アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ
ウスバル(霊媒師)/ハビエル・バルデム
マランブラ(ウスバルの妻)/マリセル・アルバレス
アナ(ウスバルの娘)/ハナ・ボウチャイブ
マテオ(ウスバルの息子)/ギレルモ・エストレラ
ティト(ウスバルの兄)/エドゥアルド・フェルナンデス
イヘ(アフリカ・セネガルからの就労者、女性)/ディアリァトゥ・ダフ
エクウェメ/チェイク・ナディアイエ
ハイ(中国人雇い主)/チェン・ツァイシェン
リウェイ(ハイの親友)/ルオ・チン
2010年・スペイン、メキシコ合作映画・148分
配給/ファントム・フィルム

<前2作に続く傑作は、1人の男を徹底的に!>
 数々の賞を受賞した『21グラム』(03年)や『バベル』(06年)は日本人もよく知っているが、その監督が本作を監督・共同脚本・原案・製作した、1963年にメキシコに生まれたアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督であることはあまり知られていない。『21グラム』は「心臓移植」をテーマに3人の名優たちによる3組の男女の人間模様を描いたもの(『シネマルーム4』257頁参照)で、『バベル』はモロッコ・アメリカ・メキシコ・日本で展開される4つの物語を描いたもの(『シネマルーム14』340頁参照)。いずれも大傑作だが、登場人物が多く124分、143分の長尺で、難解なストーリー展開のため若干疲れる映画だった。
 多くの受賞が期待される本作も148分と長尺だが、アレハンドロ監督は本作では一転して1人の男の生きザマに焦点を当て、まさに『ビューティフル』というタイトルにふさわしい掘り下げにチャレンジ。

<舞台は?主人公は?タイトルは?>
 本作の舞台はスペインのバルセロナ。バルセロナといえばウディ・アレン監督の『それでも恋するバルセロナ』(08年)(『シネマルーム22』78頁参照)などに見る華やかなイメージが強いが、東京と同じように大都会には表もあればウラもあるもの。『ノーカントリー』(07年)(『シネマルーム18』21頁参照)であっと驚く悪人ぶり(?)を見せたスペイン人の演技派ハビエル・バルデム扮する主人公ウスバルが、今生きているのはそのウラ社会。彼は中国やアフリカからの移民や不法滞在者への仕事の斡旋、ドラッグ売買など犯罪スレスレの仕事の中で生きていた。しかも、薬物依存のためロクに子育てもできない妻マランブラ(マリセル・アルバレス)とは既に離婚し、小学生の長女アナ(ハナ・ボウチャイブ)と長男マテオ(ギレルモ・エストレラ)の世話をしながら暮らしていた。
 スペインには「フランコ独裁政権」という「暗闇の時代」があったが、ウスバルとその兄ティト(エドゥアルド・フェルナンデス)が小さい頃に父親はその圧制から逃れるため海外に逃亡し、その後母親とも死に別れたから、ウスバルには父親の記憶がなかった。そんなこともあってかウスバルは2人の子供にはやさしそうな父親だが、生きるために彼が稼いでいるカネは決してクリーンなものではなく、どちらかというと犯罪まみれ?そんな社会の下層に住み、いつ刑事被告人になってもおかしくないウスバルのような男の一体どこがビューティフル?

<スペインの移民、不法滞在問題は?>
 移民、不法滞在問題をテーマとした映画はケン・ローチ監督の『この自由な世界で』(07年)(『シネマルーム21』247頁参照)などたくさんある。このようにヨーロッパの国々は軒並み移民、不法滞在問題を抱えているが、さてスペインでは?本作でアレハンドロ監督は、第1にアフリカからの、第2に中国からの移民、不法滞在問題に焦点を当てた。
 移民局や警察は不法滞在を取り締まるとともに不法滞在者による犯罪を取り締まっているが、そこは「魚心あれば水心あり」の世界。当局の目を盗んで、不法滞在者を安い労働力として工場に提供したり、お目こぼししてもらうために警察官にワイロを提供したりするのが、ウスバルの仕事だ。そんな仕事の上の重要なパートナーになっているのが、中国人労働者を手配する総元締めの男ハイ(チェン・ツァイシェン)。彼らは表は表の世界、ウラはウラの世界と割り切って日々粛々と「業務」に励んでいたが、ある日ウスバルが劣悪な環境下で居住している中国人労働者たちに、「せめてもの暖を」との思いから提供した安物の暖房器具から大変な事態に!
 それをヤミからヤミに葬ろうとしたため問題を更に大きくさせたのが、ハイの親友リウェイ(ルオ・チン)。ちなみに、本件は2時間28分の長尺となったが、その原因の1つはこのハイとリウェイの何とも言えない同性愛の様子を描いたため。シンプルでわかりやすいストーリーにしぼるのなら、ひょっとしてここらあたりは省略してもよかったかも・・・。

<「霊媒師」なら、自分の「死」をいかに?>
 クリント・イーストウッド監督の『ヒア アフター』(10年)は津波のシーンが刺激的すぎるとして、3・11東日本大震災後上映中止とされたが、そこでは死者との対話ができる霊媒師役でマット・デイモンが静かな熱演をしていた。私は弁護士と映画評論家の「2足のわらじ」を履いているが、実はウスバルも社会の下層で違法スレスレの仕事をする傍ら、彷徨える死者の魂と交信することができるという特殊な能力をもつ霊媒師でもあったらしい。もっとも、マット・デイモンもそれで食うのを嫌がって平凡な生活に戻りたがっていたから、きっとウスバルも霊媒師の仕事はあまり好きでないため、毎日あんな仕事を?
 近時は「PET(陽電子断層撮影法)」なるものがあり、これに身体を通せば半日のチェックでガンの検査ができるらしい。私も「いずれ近いうちに」と思いつつまだ1度もやったことがないが、ウスバルがトイレで小便をしていると、そこには血尿が!こりゃやばい、こりゃひょっとして・・・?女性が恐いのが子宮筋腫や乳がんなら、男性が恐いのが前立腺ガン。早期に発見しそれなりの治療をすれば、今ドキ「余命〇カ月」なんてことはないはずだが、スペインはきっと日本ほど医療保険制度が行き渡っていない国だから、ウスバルの前立腺ガンが発見された時の医師の宣告は何と「余命2カ月!」。
 しかし、ウスバルは霊媒師として死者の魂と向き合うことができるのだから、自分の死を向き合うことも可能?いやいや、やはりそんなことはないらしい。「余命〇カ月」と宣告される映画はたくさんあるが、「余命2カ月」と宣告されたウスバルのその後のビューティフルな生き方の模索とは?

<この複雑な妻役を、マリセル・アルバレスが見事に!>
 ハビエル・バルデムがスペインの名花ペネロペ・クルスが惚れて結婚してしまうほどの名優なら、本作で薬物依存のためにウスバルから離婚されながら子供への愛を失わず、しかし他方で子供への虐待と男遊びが併存する(?)複雑な妻役マランブラを演じたマリセル・アルバレスもその演技は特筆モノ。映画出演は本作が初ということだが、彼女はもともとアルゼンチンの舞台女優。そんな彼女が抜擢されたのはそれなりの理由があることが本作の熱演を観ているとよくわかる。
 ウスバルが違法スレスレの仕事を頑張り、子供たちに食事を作り小学校への送り迎えをしている最中に、マリンブラが売春婦まがいの行為をしているとは一体どういうこと?アレハンドロ監督は、2人の子供たちの母親として、また互いに認め合う夫婦として一緒にやっていきたいと願っているのにいくら努力してもそれが叶わず、いつも傷つけ合ってしまうマリンブラの姿をマリセル・アルバレスの熱演の中でリアルに描いていく。マリンブラも根っからのバカではないから当然薬物依存から脱却しようと努力していたし、再び子供たちや夫と共に過ごす生活を夢見ていた。そんな時に余命2カ月と宣告されたウスバルから、再びマリンブラと向き合おうという提案がされたのだからマリンブラは当然大乗り気。それまで味気なかった父親と子供2人の食卓にマリンブラが加わると一気に雰囲気がパッと明るくなったから、これにて家族の絆は復活?久しぶりの家族4人そろっての旅行の企画、長女の誕生日をいかに迎えるかの相談など楽しい話題もテンコ盛りだが、さてその実態は・・・?
 こんな人間心理の深層に迫る描き方は今ドキの邦画ではなかなかできないから、本作にみるそんな夫婦模様をマリセル・アルバレスの演技面からもしっかり鑑賞したい。

<セネガル人の妻イヘは、どんな位置に?>
 表で生きている男でもウラで生きている男でも、インチキな奴はあくまでインチキだし、誠実な奴はあくまで誠実。その点、ウラ社会で生きているもののウスバルは常に他者に対して誠実な男であることは、警察によるアフリカからの不法滞在者に対する一斉検挙への対応ぶりを見ればよくわかる。もしウスバルが弁護士だったら、逮捕者たちの法的権利の擁護者としての仕事があるが、彼らと一緒に逮捕されてしまったウスバルには何か有効な対処法があるわけではない。そんな中、赤ん坊を抱えたままアフリカのセネガルへ強制送還される夫を見送る以外に方法のない妻イヘ(ディアリァトゥ・ダフ)に対して、自分の家を住居として提供するウスバルの誠実さには驚く他ない。もちろん、これは自分が妻の家で同居することになったためでもあり、何らかの見返りを期待してのものではなかったが、ウスバルの病が進み、小学校への送り迎えや食事の世話もできなくなってくると・・・?
 死んでいくウスバルに代わって2人の子供の世話をするべきは本来親権を父親にとられた妻マリンブラのはずだが、やっぱりマリンブラは当てにならないようだ。そんな状況下、ウスバルはすべてをイヘに託す遺言のようなものを残したが・・・。イヘが夫とともにスペインにやってきたのは、夫が強調するように故郷のセネガルでは仕事が見つからないため。したがって、イヘにとってスペインは仕事先を得るための一時的な居場所であり、カネさえ貯まれば一足先に強制送還された夫が住むセネガルに帰りたいのは当然。ウスバルの好意によって何とかスペインでの生活ができているイヘだったが、ウスバルからの遺言を受けると・・・。
 本作においては、そんなセネガル人の妻イヘの位置についてもしっかり確認したい。

<『生きる』と対比!『海洋天堂』と対比!>
 黒澤明監督を尊敬しているアレハンドロ監督が黒澤監督の『生きる』(52年)を観たのは、19歳の時だったらしい。プレスシートによると、本作はその感動の発展ともいうべき作品らしい。両者のテーマは「余命数カ月」と宣告されたことによって、あらためて追求することになる「生きることの意味」だが、本作鑑賞の翌日たる5月26日に観たジェット・リー主演の『海洋天堂』(10年)も全く同じテーマだったので少しその対比を。
 まず、プレスシートにある佐藤忠男氏のコラム「『ビューティフル』の美しさ」は、本作と『生きる』を対比して詳しく論じているので、是非それを参照してもらいたい。余命〇カ月と宣告された男たちの生き方が、年齢や家族構成・収入等々によってさまざまに異なるのは当然だ。『生きる』の主人公は紆余曲折を経て(?)やっと公務員の仕事にうち込むという正しい自覚に到達したが、ウスバルの場合はただひたすら一直線。ただ私の目には、彼の善意は子供たちにも妻にも、セネガル人のイヘにも、そして劣悪な住居に住まわされている中国人労働者たちにも向いているから、その実行はかなりしんどい。そんな視点から見れば、安モノの暖房器具提供によるあの大問題の発生も、余命2カ月と宣告されたウスバルのいらざるおせっかいの結果生じたものかも・・・?
 他方、ジェット・リーが一切のアクションを封印して、21歳の自閉症の息子を残して死んでいく余命〇カ月と宣告された父親役を演じた中国映画『海洋天堂』は、『生きる』や本作ほど複雑ではなく、きわめてシンプルな父親像を描いている。これは陳凱歌(チェン・カイコー)監督の『北京ヴァイオリン』(02年)などの脚本を書いた女性・薛曉路(シュエ・シャオルー)の初監督作品だが、『北京ヴァイオリン』と同じように涙なくしては観られない作品だった。
 男の生き方はいろいろと難しいが、余命〇カ月と宣告されると、それが一層難しくなってくる。さあ、そこでは何をどのように取捨選択し、いかにビューティフルに生きればいいの?ひょっとして、それは私たち誰もが考えなくてはならないテーマなのかも?
                               2011(平成23)年5月27日記