日11-54

「大鹿村騒動記」
    

                    2011(平成23)年5月17日鑑賞<東映試写室>

監督:阪本順治
風祭善(鹿肉料理屋「ディア・イーター」の店主)/原田芳雄
風祭貴子(駆け落ちした善の妻)/大楠道代
能村治(貴子と駆け落ちした、善の親友)/岸部一徳
/松たか子
/佐藤浩市
2011年・日本映画・93分
配給/東映

<映画は企画が勝負!大鹿村歌舞伎とは?>
 平成の市町村合併を進めてきた日本では、1999年4月1日には3229あった市町村が2011年4月1日には1724と約半分に併合されている。去る3月11日に発生した東日本大震災からの復興基本方針を進める復興基本法案についての国会審議は、やっと5月19日から開始する。こんな体たらくでは、岩手・宮城・福島の被災三県下にある多くの市町村は復興はおろか従前どおりの復旧もできず、消滅してしまう市町村が出現するのでは?
 しかし、長野県下伊那郡には人口1200人弱の大鹿村がある。そして私も本作を観てはじめて知ったことだが、この村には過去300年以上も続いている大鹿村歌舞伎という村歌舞伎があるらしい。大鹿村を訪れてその伝統美に魅了された名優・原田芳雄が阪本順治監督に本作の企画を持ち上げたところ、阪本順治監督自身の脚本によって本作が完成!やっぱり映画は企画が勝負!しかして、大鹿村歌舞伎とは?

<今さら「返す」と言われても・・・>
 モノを買ったら代金を支払わなければダメ。お金を借りたら借りたカネは返さなければダメ。そんなことはあえて法律論を持ち出さなくても当たり前だが、人の嫁さんを連れて駆け落ちしておきながら、18年も経った今2人でノコノコと大鹿村に戻ってきて、「善ちゃん、どうしようもなくて・・・・・・返す」、とは一体どういうこと?
 「いつかは原田の主演作を」という阪本監督の願いによって本作に主演した原田芳雄は鹿肉料理屋「ディア・イーター」の店主、風祭善だが、その妻(だった)風祭貴子(大楠道代)を連れて、今ノコノコと「返す」と言いに戻ってきたのは、善の親友だった能村治(岸部一徳)。映画冒頭に見る、バスから降りる治と貴子の姿はサングラスを差し引いてもどこかヘンだが、治の説明によると、記憶障害になってしまった貴子は今や治のことを善ちゃんと呼ぶらしい。そこでこれではどうにもならないと考えた治は、貴子を善に返そうと決心して大鹿村に戻ってきたわけだ。しかし、今さら駆け落ちした妻を男から「返す」と言われても・・・。

<名優たちの演技に、安心感と快感が!>
 原田芳雄の演技力は折り紙つきだが、元ザ・タイガースの岸辺一徳も今や演技派俳優としての地歩を十分に固めている。したがって、本作の見どころの1つはこの演技派2人の掛け合い。他方、認知症を患ったことによって過去をすべて忘れているだけの女を演ずるのなら簡単だが、それではドラマにならない。そこで、貴子役を演ずる大楠道代は、台風の襲来によって駆け落ちした過去を思い出したり、記憶障害にもかかわらず大鹿村歌舞伎のセリフをすべて覚えていたりと、複雑な役柄を見事に演じている。その他、本作は93分のシンプルな映画ながら、佐藤浩一、松たか子、石橋蓮司、でんでん、さらに大御所、三國連太郎などの個性派、演技派が結集し、それぞれの役柄をきっちりと固めている。そんな名優たちの演技に、安心感と快感が!

<こんなドラマから、真の人間観察を!>
 人口1200人弱の村だって、大鹿村歌舞伎さえあれば立派に生きていける!本作ラストに展開される全員参加型、全員役割分担型のいかにも村歌舞伎らしい大鹿村歌舞伎の美しい上演風景を見れば、それを感じ取ることができる。もちろん私は歌舞伎鑑賞は素人だから村民の演技が上手いのか下手なのか正確に判定できないが、これぞ村おこし、これぞ村民の心を1つにした行事、ということは理解できる。現実の村のあり方についてはリニアモーターカーの誘致をめぐって村民の意見が対立し、ややもすれば石橋蓮司が見せるように、大鹿村歌舞伎の役柄の重要性とこんがらがってしまうワケのわからない人間模様も混在するが、それでも最後には大鹿村歌舞伎を絶やしてはならないという方向で村民が一致するから不思議なものだ。
 もちろん大鹿村は辺鄙な村だから、5月16日に観た深田晃司監督の『歓待』(10年)のような悪知恵に満ちたヘンな闖入者はいないので、登場人物たちの人間模様の観察は意外と楽。それは善と治の殴り合いのシーンを見ても、久しぶりに戻ってきた治に対して村役場が滞納税を取り立てるシーンを見ても明らかだ。さらに、自分探しのために「ディア・イーター」にやってきた性同一性障害に悩む若者を善がスンナリ受け入れたり、白菜の収穫に前向きに臨む中国人研修生の姿を見ても、その単純さが面白い。複雑に入り組んだ人間模様を映画のストーリーから探るのも人間観察の道だが、本作のような大鹿村における純粋(単純?)な人間模様からの人間観察も大いに勉強になるはずだ。ラストに展開される野外劇場での大鹿村歌舞伎の上演をスクリーン上の観客たちと共に楽しみながら、大鹿村の騒動記を本作でタップリと楽しみたい。
                               2011(平成23)年5月18日記