日11-47

「八日目の蟬」
    

                    2011(平成23)年5月3日鑑賞<梅田ブルク7>

監督:成島出
秋山恵理菜/井上真央
野々宮希和子(恵理菜の誘拐犯)/永作博美
安藤千草(ルポライター)/小池栄子
秋山恵津子(恵理菜の母親)/森口瑤子
秋山丈博(恵理菜の父親)/田中哲司
薫(4歳までの恵理菜)/渡邉このみ
沢田久美(エステル)/市川実和子
エンゼル(エンジェルホームの代表)/余貴美子
沢田雄三(小豆島でそうめん工場を営む、久美の父親)/平田満
沢田昌江(久美の母親)/風吹ジュン
岸田孝史(恵理菜の不倫相手)/劇団ひとり
滝(小豆島の写真館の主)/田中泯
2011年・日本映画・147分
配給/松竹

<こりゃ必見!そう思っていたが、やっと・・・>
 キレイな女優大好き人間の私にとって、可愛くて演技もできる個性派女優・
永作博美は大の注目株。ところが、私は彼女の代表作たる『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』(07年)を観ていないし、最近の『酔いがさめたら、うちに帰ろう』(10年)や『脇役物語』(10年)も観ていない。また、星4つをつけた『クローズド・ノート』(07年)の永作博美は良かったが(『シネマルーム16』336頁参照)、『人のセックスを笑うな』(07年)は作品の出来が悪く、私の採点は星2つだった(『シネマルーム18』207頁参照)。丸顔の可愛い女優と思っていた彼女も、1970年生まれだから既に41歳。そんな彼女の『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』と並ぶ代表作になるのが、きっと赤ん坊の誘拐犯・野々宮希和子役を演じた本作。そんな予測でこりゃ必見!と思っていたのだが、試写を見逃していたためやっと映画館で鑑賞できることに。
 もともと演技はしっかりしているからどんな役でもできるが、場合によればそれはくだらない映画で便利屋的に使われることにもなる。しかし、本作のようなしっかりしたストーリーとしっかりした脚本の中で希和子のような女性の生きザマや感情を表現することになると、女優・永作博美の価値が大きく花開くことになる。映画は冒頭の裁判シーンから始まる。被告人席に立って冷静に自分の行動を供述する希和子の姿がアップでとらえられるが、自分の信念に従って行動してきただけに希和子が語る言葉には重みがある。もちろんこれは、わが子・恵理菜を誘拐された産みの母親たる秋山恵津子(森口瑤子)には絶対に認められるものではないから、同じくアップでみせる恵津子の表情や反応もすごい。
 『孤高のメス』(10年)ですばらしい演出をみせた(『シネマルーム24』80頁参照)成島出監督による、この冒頭シーンの演出は実にお見事。本作は2時間27分の長尺だが、この冒頭の緊張感から観客の興味は一気に希和子の心理と行動に集まることになる。さあ、希和子はなぜ未成年者略取誘拐罪という恐ろしい犯罪を犯すことになったのだろうか?

<成島出監督は、男ドラマから一転して女たちの物語へ!>
 大鐘稔彦の原作をもとに成島出監督が脳死肝移植に果敢にチャレンジする医師を描いた『孤高のメス』は完全な男のドラマだったが、本作は一転してたくさんの女たちの物語。つまり、冒頭にみる希和子と恵津子の対決の他、井上真央演ずる成人になった薫こと秋山恵理菜や、小池栄子演ずるちょっと気色の悪いルポライター(?)安藤千草、さらに希和子をエンジェルホームに導いた市川実和子演ずるエステルこと沢田久美や余貴美子演ずるエンジェルホームの代表者エンゼルさんなど、個性豊かな多くの女性が登場する。本作のテーマは母親と子供、もっとはっきり言えば、母性とは?というものだ。本作が描くのは、赤ちゃん誘拐事件の犯人捜しでもなければ、希和子の心理を描く法廷ドラマでもない。
 本作のポイントの1つは妻子ある男性・秋山丈博(田中哲司)の子供を身ごもったにもかかわらず堕胎手術によって2度と赤ちゃんを産めない身体になってしまった希和子が、こともあろうに丈博と恵津子の間に産まれた赤ちゃんを誘拐することだが、それだけではストーリーとしては単純。そこで原作者の角田光代がそれ以上に突っ込んでつくり出したストーリーの1つが、4歳にして育ての母親・希和子から生みの母親・恵津子のもとに戻されたにもかかわらず、どうしてもうまく成り立たない娘と母親・恵津子との人間模様。そしてもう1つが、大学生となり親から自立した恵理菜がなぜか希和子と同じように妻子ある男・岸田孝史(劇団ひとり)の子供を身ごもり、その中で自分の生き方を模索していくストーリーだ。
 本作で描かれる丈博と孝史という2人の男はどうしようもなく無責任な浮気男でいかにも軽いが、それに比べると女たちのいかに真剣なことか。成島出監督はよくぞここまで女たちの生理と心理を研究したものだ。成島出監督のそんな努力に拍手!

<映画ならではの演出に納得!こりゃ『砂の器』を彷彿!>
 本作を貫く一本のストーリーは、とっさに(?)赤ん坊を抱いて逃げ去った希和子の4年間にわたる逃避行。エンジェルホームでの安穏な生活(?)がヤバくなった後、希和子は小豆島でそうめん工場を営む沢田雄三(平田満)・沢田昌江(風吹ジュン)夫妻の下で薫とともに幸せな生活を送るのだが、情報化社会が進んだ日本ではそんな母娘が逃げおおすことは困難。最後には「御用!」となるのだが、そこに至るまでの波瀾万丈の逃避行とは?
 角田光代が書いた原作はコトの次第を時系列に沿って描いているらしい。しかし映画はそうではなく、4歳までの薫と希和子の逃避行と大学生になった恵理菜の母親探しの物語が同時進行的に描かれる、まさに映画ならではの演出だ。そこで思い出したのが、私が邦画のベスト1にあげる松本清張原作、野村芳太郎監督の『砂の器』(74年)。そこでは加藤嘉扮する本浦千代吉と春田和秀扮する本浦秀夫(幼少期)の巡礼の旅と、殺人犯を追う丹波哲郎扮する今西栄太郎刑事と森田健作扮する吉村弘刑事、そして今や世界的なピアニストになった加藤剛扮する和賀英良による一世一代のコンサートの様子が同時進行的に描かれたが、本作もまさにそれ。赤ん坊を抱えた希和子の逃避行と同時並行的に描かれるストーリーが大学生になった恵理菜の生きザマだが、その語り女となるのが「あの事件」の取材をさせてくれと近づいてきたルポライターの千草。千草がエンジェルホームで恵理菜と共に過ごしていたことがわかった時点で、「なるほど、だからこの女も少しヘンなのか」と納得できるのだが、そこまで観客の興味をひきつける演技をみせる小池栄子に注目!

<「八日目の蟬」とは?> 
 今年4月から始まったNHKの朝ドラ『おひさま』にみる井上真央は今のところマンガみたいで魅力に乏しいが、果敢なラブシーンへの挑戦(?)を含む本作にみる井上真央の演技も絶品。恵理菜が孝史のようないかにも軽い浮気な嘘つき男といとも簡単にベッドインしてしまう心理は男の私にはイマイチ理解できないが、天下の大女優・永作博美が織りなす一方のストーリーの向こうを張って、井上真央と小池栄子が織りなすストーリーは興味深い。ちなみに蟬は、何年も土の中にいて、地上に出て7日間で死ぬという。でももし、7日で死ななかった蟬がいたら・・・。
 本作のタイトル『八日目の蟬』はそんな重大な問題提起をしたものだが、恵理菜と千草のその解釈をめぐる「哲学論争」も興味深いから、しっかり拝聴したい。

<エンゼルさんと沢田夫妻にも注目!>
 希和子の赤ちゃん誘拐は計画的なものではなく突発的な行動だったから、その事件がテレビニュースで報道された後の希和子の逃避行は大変。髪の毛を短く切ったぐらいでは人目をごまかすことはできないうえ、住むところもなく金もなければ、希和子の逮捕は時間の問題。日本の警察の優秀さを考えればそれは当然だが、そんな希和子を救ったのがエンジェルホームという面白い「現代の駆け込み寺」だ。園子温監督の3時間57分の問題提起作『愛のむきだし』(08年)にはオウム真理教そっくりの(?)カルト教団たる「ゼロ教会」が登場した(『シネマルーム22』276頁参照)が、さて本作にみるエンジェルホームとは?その代表者エンゼルさんはたしかに神がかり的な面もあるが、世俗の言葉ではなく「魂で話しなさい!」という教えには説得力があり、私も同感。そんなエンジェルホームが、離婚に伴う夫との親権争いで敗訴したエステルこと沢田久美の駆け込み寺になったことには十分な必然性がある。また、その沢田久美の声掛けによって、のたれ死に寸前だった希和子が薫とともに救われたのだから、まさにエンジェルホームは現代の駆け込み寺として不可欠の施設だ。千草の説明によると、オウム真理教をはじめとするカルト教団の影響やエンゼルさんの死亡、さらに幹部の一人による横領事件によってエンジェルホームはもろくもつぶれてしまったらしいが、それは大きな社会的損失では?
 映画中盤以降は、若い時から私が大好きだった風吹ジュン扮する沢田昌江が希和子の新たな庇護者として大活躍する。捜査の手が伸びてきたためエンジェルホームを脱出せざるをえなくなった希和子に沢田昌江を紹介したのは、昌江の娘たる久美。希和子は「久美は元気ですよ」というメッセージを伝えるために小豆島の沢田夫妻を訪れたのだが、詳しく娘のことを聞きたいと昌江が願ったため、夫妻が経営する、このそうめん工場において希和子と薫の新たな生活が始まることになる。
 本作では、そんなエンゼルさんと沢田夫妻にも注目!

<八日目の蟬が今見ているものは?>
 弁護士の私としては、沢田夫妻が希和子を新たな従業員として採用するについては税務申告や社会保険の関係で少なくとも住民票の提出を求めるはずだから、希和子と薫の間に母子関係がないことなどすぐにバレてしまうはずだということを指摘しないわけにはいかない。しかし、映画評論家の私としてはそんなくだらないことを言ったのでは、何の人間ドラマも生まれないことになってしまう。本作中盤は、少しゆったりした気分をもって小豆島観光気分で、4歳になるまでの薫と希和子の束の間の幸せ感を共有したい。
 本来7日間で死ぬはずの蟬が8日目を生きたら、それは奇跡。また、8日目を生きた蟬がそこで見るものは他のどの蟬も見たことがないものだから、今小豆島で希和子が薫と共に見ている美しい風景や昌江たちと織りなす楽しい人間関係はまさに8日目の蟬だけが見ることができるもの。それはもちろん最高に幸せなことだが、その蟬が8日目から9日目、9日目から10日目と生き続けることができないことは明らか。さて希和子は?

<どちらが勝ち組?どちらが負け組?>
 映画前半にみる、希和子と恵津子のそれぞれの妊娠をめぐる女同士の言い争いはそりゃものすごい。「勝ち組VS負け組」というわかりやすい二分法でみれば、当然丈博の正妻として戸籍に記載される子供・恵理菜を産んだ恵津子が勝ち組で、不倫相手の子を宿しながら堕胎せざるをえなくなったうえ、これによって二度と子供を産めない身体になってしまった希和子は負け組。それは誰の目にも明らかだが、たとえ未成年者略取誘拐罪を犯し、いつ逮捕されるかとビクビクしながらも希和子が薫と共に過ごした4年間と、恵理菜の喪失感と夫への不信感の中で生きてきた恵津子の4年間を比べれば、どうみても希和子の方が勝ち組?また希和子の逮捕によって、希和子の刑事事件の開始、有罪の確定、刑務所入りは避けられないが、4年ぶりに戻ってきた恵理菜と秋山夫妻との幸せは必ずしも保証されないから、そこではひょっとして希和子も恵津子もともに負け組?そんな重い現実が本作を観ている観客の目にしっかり刻まれるはずだ。

<産む?産まない?ラストの決断に注目!>
 そこで男の私には大いに意外で理解できないのが、孝史とのたった一回のエッチによる恵理菜の妊娠。性行為の自由化、若年化は時代の流れの中やむをえないが、逆にその分、小・中学生からの避妊や母体保護の教育は進んでいるはず。産みの母親と育ての母親、2人の母親をもつ中で4歳からもがき苦しんできた恵理菜が、なぜ孝史のようなくだらない男といとも簡単にエッチし、いとも簡単に妊娠するの?それが男の私には理解できないが、それ以上に神秘的な論点(?)は恵理菜が産む?それとも産まない?と悩むこと。恵理菜自身堕ろす目的で産科を訪れるのだが、そこで恵理菜が迷ったのはなぜ?また、そこで恵理菜がはじめて産みの母親に頼み込んだのは、一体ナニ?男には到底理解できない、そんな「これぞ女の物語」を1987年生まれの井上真央が巧みに演じている。
 今ドキは至極簡単に妊娠しているか否かの検査ができるから、妊娠した身体で千草と共に小豆島を訪れ、希和子との思い出を見つめ直していく中、恵理菜の心境にはいかなる変化が?本作のクライマックスとなるラストシーンは原作とは全く違う、脚本家・奥寺佐渡子のオリジナルらしいが、そこで描かれる恵理菜が出した結論はまさに衝撃的。なるほど、女ってそんな段階でそんな決断をすることができる動物なの?それを知っただけでも本作をみた価値があるうえ、2時間27分のドラマティックな展開と女優たちの熱演をみれば、本作は当然星5つ!
                               2011(平成23)年5月7日記