洋11-44

「愛の勝利を ムッソリーニを愛した女」
    

                    2011(平成23)年4月12日鑑賞<東映試写室>

監督・脚本:マルコ・ベロッキオ
イーダ・ダルセル(ムッソリーニの愛人)/ジョヴァンナ・メッゾジョルノ
ベニート・ムッソリーニ(統帥)/フィリッポ・ティーミ
ベニート・アルビノ(イーダとムッソリーニの息子)/フィリッポ・ティーミ
リッカルド・パイケル/ファウスト・ルッソ・アレシ
ラケーレ・ムッソリーニ(ムッソリーニの妻)/ミケーラ・チェスコン
ピエトロ・フェデーレ/ピエール・ジョルジョ・ベロッキオ
精神医科カッペレッティ/コッラード・インヴェルニッツィ
ジェリオ・べルナルディ/パオロ・ピエロボン
イーダの姉妹アデリーナ/フランチェスカ・ピコッツァ
修道院長/シモーナ・ノビーリ
修道女/ヴァネッサ・スカレラ
少年時代のベニート/ファブリツィオ・コステッラ
2009年・イタリア、フランス合作映画・128分
配給/エスピーオー

<冒頭から、映像の迫力に圧倒!>
 マルコ・ベロッキオ監督が本作冒頭で描く今から約100年前の1907年、イタリア社会党の若き闘士として活動しているベニート・ムッソリーニ(フィリッポ・ティーミ)と美貌の女イーダ・ダルセル(ジョヴァンナ・メッゾジョルノ)との「出会い」は何とも迫力がある。さらに、その映像がすばらしいから、思わず心が踊ってくる。ムッソリーニって若い時こんなにいい男だったの?そんな風に感心するとともに、イタリア人男性は日本人男性と違って100年前からキスがうまかったのだと生々しく実感!第1次世界大戦が始まったのは1914年7月だが、その頃イタリアがどういう状況にあったのか、またムッソリーニがどういう政治的立場でどういう行動をとっていたのかについて私はほとんど知らなかったから、本作はその意味でも勉強になる。
 第1次世界大戦の勃発を受けてムッソリーニがそれまでの戦争反対路線を捨てて参戦論へ変わっていく姿は興味深い。イーダがムッソリーニに一目ぼれしたのは、何といってもそのカリスマ性。社会党の中での孤立を恐れず猛然と幹部連中と「対立」し、過激な演説をぶつ姿がイーダに魅力的に見えたのは当然だろう。1917年10月には、ロシアで十月革命が成立。そんな激動の時代の中、革命闘争とともにムッソリーニとイーダの熱情も燃えあがり、男の子が産まれるまでに。2人が正式に結婚式をあげたのかどうかは知らないが、ムッソリーニとイーダの子供ベニート(ファブリツィオ・コステッラ)が1916年1月にムッソリーニの認知を受けたことはまちがいないらしい。ところがそんな中、突然イーダはムッソリーニにはれっきとした妻と子供がいることを知らされたから大変。こりゃ一体ナニ?

<ポポロ・ディタリアを発刊!ファシスト党を設立!>
 今ドキの若い人たちは「ファシスト」という言葉は知っていても、それはムッソリーニが1921年に結成したファシスト党のことだと知っている人は少ないはず。ムッソリーニがイタリアの首相になったのは1922年だが、ナチス党の総統という言葉がヒトラーに定着しているのと同じように、ムッソリーニは首相というよりも統帥(ドゥーチェ)という言葉がピッタリ。ムッソリーニは統帥になることによって権限を集中し、独裁体制を強めていったわけだ。
 そんな男の将来性を見込んで自分の一切の財産を売り払い、イタリア社会党の機関誌『アヴァンティ!』の編集長の地位を捨てたムッソリーニが新たに日刊紙『ポポロ・ディタリア』を発刊するのを支援したのがイーダ。もちろん、ムッソリーニは「それはダメ」と断ったが、結局「贈与」ではなく「借入れ」という形でそれを承諾することに。ここまで愛の面でもセックスの面でも、そして野望の面でも金銭の面でもピッタリ合致した2人だったが、ムッソリーニは妻子がいることをイーダに隠していたのだから、やはり常識的に考えれば悪いのはムッソリーニの方?ところが独裁者へとひた走りに登りつめていくムッソリーニにとっては、いくら愛する女でもその存在が邪魔になれば・・・。

<私は愛人ではない!私は妻だ!>
 「英雄色を好む」は古今東西の真理。プレスシートによれば、イタリアの独裁者として絶大な権力を握ったムッソリーニはドイツ語に堪能であったほか、英語、フランス語も操り、哲学から芸術にまで通じた教養人であったうえ、女性関係は華やかだったらしい。ヒトラーの愛人としてはエヴァ・ブラウンが有名だが、ムッソリーニの愛人としてはクラレッタ(クララ)・ペタッチが有名。エヴァがヒトラーと共に自殺したようにクラレッタもムッソリーニと共に処刑されたが、ムッソリーニが関係をもった女性は数百人を下らないと言われている。クラレッタがいつ頃からムッソリーニの愛人として頭角をあらわした(?)のかは知らないし、それがムッソリーニの妻ラケーレ・ムッソリーニ(ミケーラ・チェスコン)の公認なのかどうかも知らないが、イーダだってムッソリーニの愛人という立場を甘受すれば、ムッソリーニと十分いい関係を保つことができたのでは?そう思ってしまうのは、やっぱり私が男だから?
 それはともかく、ムッソリーニに妻子がいることを知った後の本作が描くイーダのムッソリーニに対する反発と反抗は生半可ではない。豊臣秀吉の妻・おねと淀君との対立は有名。これは秀吉が織田信長の妹で絶世の美女だったお市の長女・茶々(後の淀君)にホレていたからだが、しつこく私が正妻だと主張するイーダに対してムッソリーニが激怒するとともに、妻のラケーレが激怒したのは当然。私はムッソリーニの愛人ではない!私はムッソリーニの妻だ!というイーダの主張には少し無理があると私は思うのだが・・・。

<ホントに「愛の勝利」と言えるの?>
 プレスシートには「監督が語る『愛の勝利を』」というインタビューがある。またイタリア文学者の堤康徳氏が「歴史の勝者とは誰か?-イーダと女たち」といううんちくのあるコラムを書いている。それはそれで理解できるのだが、本作中盤からラストまでずっと続く「イーダの闘い」を見ていると、これはあまりに無謀な闘いに思えて仕方がない。法的に訴えて、ムッソリーニの二重結婚を主張立証できるのなら話は別だが、ちゃんとした正妻ラケーレがいる以上、いくらイーダが「私はムッソリーニの妻だ!」と主張しても・・・。
 後半に描かれる精神病院での様子は、映像は相変わらず美しいものの私にはあまりにも無意味な闘いに思えて仕方ないから、あまりイーダに同調することができない。プレスシートのストーリーの冒頭には「“統帥、私を愛しなさい”」という大きな文字が踊っているし、本作の邦題もメインが「愛の勝利を」だが、これでホントに愛の勝利と言えるの?

<映画100年の歴史を実感!>
 冒頭に書いたように、ニュース映画の映像を駆使したり、コントラストを際立たせた本作の映像美は圧倒的だが、それ以上に私が興味を持ったのは本作に登場する数々の無声映画のシーン。日本では「目玉の松ちゃん」こと尾上松之助に代表される無声映画の時代には「弁士」がいたが、イタリアでは無声映画を上映するについてピアノの弾き語りで効果音をつけていることを知ってビックリ。また、負傷したムッソリーニが入院している大きな病院内では、天井の巨大なスクリーンに映像が映されることにビックリするとともに、メル・ギブソン監督の『パッション』(04年)(『シネマルーム4』261頁参照)と同じようなキリストの受難シーンを生々しく描いた映像が1916年の映画『キリスト』であると知ってビックリ。さらに、イーダの目が釘付けとなり、またたく間に涙でいっぱいになった無声映画が、チャップリン主演の『キッド』(21年)。何とも効果的なピアノ演奏の中で迎える父子再会のラストシーンで、イーダが我を忘れて拍手したのは当然だろう。
 私はキネマ旬報主催の「映画検定」で4級と3級に合格したが、その時は教科書のみの暗記勉強だった。しかし、1910~20年代のイタリアではこんな風に数々の無声映画の名作が上映されていたことを知り、あらためて映画100年の歴史を実感!

<やはりカエルの子はカエル?>
 あれ、ムッソリーニってこんなにカッコ良かったの?と思った前半から一変し、ムッソリーニが権力を握った後半からはニュース映像などでよく知っているあのずんぐりむっくり型のムッソリーニが登場する。ヒトラーの演説もすごいが、ムッソリーニの演説もすごい。それを実感するのは、当時教育映画連盟(通称ルーチェ)が製作していたというニュース映画とドキュメンタリー映画だが、面白いのは、ムッソリーニが認知したイーダの息子ベニート・アルビノ(フィリッポ・ティーミ)が成長すると、父親ゆずりの演説の才能を発揮すること。とは言ってもこちらはムッソリーニの演説をサル真似しているだけだが、その迫力は友人たちが圧倒されるほどすごい。まさにカエルの子はカエルということ?
 それはともかく、強制的に精神病院に入れられたまま1937年12月に脳溢血のために死亡したイーダも気の毒だが、同じく精神病院で1942年8月に26歳の若さで亡くなったベニートも気の毒。翌年の1943年7月にはムッソリーニが失脚し、9月にはイタリアは無条件降伏したのだから、ベニートがもう少し生きていれば、ひょっとして新たな人生が始まっていたのかも。しかして私の重ねての疑問は、なぜイーダは愛人の地位に甘んじることなく正妻だという無謀な闘いを続けたの?ということ。歴史上こんな女性が存在したことに、私はビックリ!
                               2011(平成23)年4月14日記