洋11-36
「ジュリエットからの手紙」 ![]()
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2011(平成23)年3月17日鑑賞<GAGA試写室>
監督:ゲイリー・ウィニック
ソフィ(ニューヨーカー誌の調査員)/アマンダ・セイフライド
クレア(英国に住む女性)/ヴァネッサ・レッドグレイヴ
ヴィクター(ソフィの婚約者)/ガエル・ガルシア・ベルナル
ロレンツォ(クレアの恋人)/フランコ・ネロ
チャーリー(クレアの孫)/クリストファー・イーガン
2010年・アメリカ映画・105分
配給/ショウゲート
<ジュリエット・レターとは?ジュリエットの秘書とは?>
ロミオとジュリエットの舞台は、イタリアのヴェローナ。このヴェローナ市街は2000年に世界遺産に認定された観光地で、年間60万人が訪れるそうだ。ハート型をした街にはロミオの家やジュリエットの家があり、ジュリエットの墓もあるらしい。また、ジュリエットがロミオと愛を交わしたあの有名なバルコニーも残っているうえ、小さな中庭にはジュリエット像もあるというから1度は訪れてみたいものだ。それはそれでわかるが、ジュリエット・レターとは?またジュリエットの秘書とは?
まず、ジュリエット・レターとは、今なおジュリエット宛に世界中から年間5000通も届く恋の悩みを綴った手紙のこと。いくらロミオとジュリエットの物語が有名でも、ジュリエットは「あの時」自ら短剣を刺して死んだはずだから、そんなジュリエット宛になぜ手紙が届くの?もし、あなたがそんな質問をすれば、あなたはきっとヤボ男と非難されるはず。だって、ジュリエット・レターに対しては、ちゃんとその1通ずつに返事を書く「ジュリエットの秘書」と呼ばれる女性たちもいるのだから。
そんなロマンティックなお話を基に、本作はかなり老齢になったジュリエットことクレア(ヴァネッサ・レッドグレイヴ)が50年前のロミオことロレンツォ(フランコ・ネロ)を捜す旅を描く感動作。日本は今、東日本大震災という現実の前に最大級の国難の真っ只中にあるが、前向きの夢を失わないためにも是非本作を。
<やはり、書くことが好きでなくっちゃ・・・>
ニューヨーカー誌の事実調査員として働いている女性ソフィ(アマンダ・セイフライド)の夢は、記者になって自分の記事を書くこと。そんなソフィだからこそ、恋人のヴィクター(ガエル・ガルシア・ベルナル)とのプレ・ハネムーンでイタリアのヴェローナを訪れ多くのジュリエットの手紙にふれた時、自分がジュリエットの秘書ではないにもかかわらず、クレアというイギリスに住む女性のジュリエット・レターに対して返事を書きたいと申し出たのだろう。クレアは50年前に絵の勉強のためにイタリアを訪れ、そこで出会ったロレンツォという男性と恋に落ち永遠の愛を誓ったが、両親の反対を怖れたクレアはロレンツォを残して帰国してしまい、以降2人は全く別の人生を生きたらしい。
そんな話は世の中にゴマンとあるが、「ヴェローナのジュリエット様」宛に今クレアが書いたジュリエット・レターは、明日ロンドンに帰るあの時の気持を短い中赤裸々に綴った名文。そんなクレアのジュリエット・レターに対してジュリエットの秘書たる(?)ソフィが書いた返事は本作のラストで朗読されるが、そりゃすばらしい文章。そのエッセンスは、「もし」と「あの時」を合わせた言葉の重さを指摘し、少しの勇気の大切さを真心から訴えるもの。こんな文章を書けるのならソフィは明日からでも記者になれるはず、と私は信じるのだが・・・。
<日本なら、『ナイトスクープ』に頼めば簡単?>
私はちゃんと観たことはないが、日本には『探偵!ナイトスクープ』という視聴者参加型の人気長寿TV番組があり、現在は西田敏行が局長を務めている。「人探し」は『ナイトスクープ』の得意技らしいから、もしクレアが50年前の恋人ロレンツォに会いたいと心から熱望したのなら、『ナイトスクープ』に依頼すればきっと一発OK!但しこれは日本での話だから、イタリアまで行っての人探しは到底無理?
クレアが本気で50年前の恋人ロレンツォをイタリアのヴェローナまで探しに行こうという気持になったのは、もちろんソフィの後押しがあったから。だから、逆にソフィがそんなクレアの決断に感銘を受けたのは当然。しかして、イギリスからはるばるイタリアにやってきたクレアとアメリカからはるばるイタリアにやって来たソフィがヴェローナで合流し、渋々(?)クレアに付き添ってきたクレアの孫チャーリー(クリストファー・イーガン)と共にロレンツォを捜す旅に出かけることに。しかし3人とも『ナイトスクープ』のような人探しのノウハウを持っているわけではないから、手がかりはロレンツォという名前だけ。ヴェローナに住むロレンツォという名前の男性は何十人もいるらしいが、本気でそれを一人一人訪ねていくの?また、その期限はいつまで?さらに、同行することになったソフィはクレアからその旅を取材し、記事にすることの許可をもらったが、全く結末が見えない旅を取材して本当にモノになるの?
<実は2つのラブストーリー!>
イタリア男は昔から女好き、と相場が決まっている(?)が、ロレンツォ捜しの旅の中で次々と登場するロレンツォを見ていると、それがよくわかる。もっとも、あれは日本人から見れば女好きのふるまいに見えるかもしれないが、イタリア男にしてみれば、当然示すべき女性に対するエチケットであり、やさしさなのかも?70歳を超えて昔の恋人を捜し回ろうとする老ヒロインの意欲にも感心させられるが、それに笑顔で応対し喜んでソフィを迎え入れようとする(?)たくさんのロレンツォさんにも感心。
それはともかく、ロレンツォ捜しの旅を続ける中であなたもきっと、実は本作は2つのラブストーリーなのだということに気づくはずだ。男女の中は「ケンカするほど仲がいい」と昔から言われているが、本件におけるとソフィとチャーリーがまさにそれ。恋に対してロマンティックな夢をもつ女性に対して男は現実的だから、祖母のロレンツォ捜しの決心に全然納得していないうえ、ロレンツォ捜しのくだらない旅に同行させられているチャーリーは不満タラタラ。したがってチャーリーはコトあるごとにソフィと対立し、こんな旅はもうやめようと言い争っていたが、そんな議論をしていく中で互いの本音の価値観に迫ることになったから、ホントは2人は互いに反発半分、興味半分?しかして、クレアのロレンツォ捜しの結末はもちろん、ソフィとチャーリーの女として男としての展開にも興味津々!
<やっぱり映画はつくりもの!でも、それでOK!>
そもそもロレンツォという名前だけを頼りに1人ずつしらみつぶしに訪問し、「あのロレンツォかどうか」を確認。無計画にそんな旅を続けても、「あのロレンツォ」にめぐり会える確率は何パーセント?たしかに旅そのものは楽しいだろうが、何ゴトも結果が大切だからそれなりに結果が出なければクレアの旅は徒労に帰するし、ソフィの紀行文(?)も記事にならないことは明らかだ。
あれも違う、これも違うという経験を次々と重ねていくと、「いや、まだあきらめるのは早い」という気持と「こんなことを続けても無駄ではないか?」という気持が錯綜し、時間の経過とともに後者の気持が強くなってくるのは当然。そのうえ、クレアはともかくニューヨーカー誌の事実調査員たるソフィの仕事には一定の期限があるから、見込みのうすい仕事にいつまでも関わり合うことができないのは当然。したがって、いよいよ今日でソフィのロレンツォ捜しの旅はおしまい。いよいよソフィはクレアやチャーリーとお別れすることに・・・。
そんな段階に至って、やっとあっと驚く設定で「あのロレンツォ」を発見することになるから、やっぱり映画はつくりもの!でも、映画はそれでOKなのだ。もっとも、ワイナリーに立ち寄る途中でクレアがはっとロレンツォと叫び、息を飲んで見つめた青年は一体誰?50年も経った今クレアは70歳を超えているのだから、あのロレンツォだって・・・。しかし今クレアが目の前にみたロレンツォはどうみたって20代の青年。こりゃ一体何?さあホンモノのロレンツォの登場は?
<二重のハッピーエンドも映画ならでは!>
『ロミオとジュリエット』は悲劇的な結末を迎えたことによって、そのラブストーリーが今日まで語り継がれているが、小説と同じく映画はつくりものだから、悲劇的結末にすることも逆に思いっきりハッピーエンドにすることも可能。しかして、本作ではロレンツォ捜しの成就という想定内のハッピーエンドを大きく超える、二重のハッピーエンドに!その詳細は映画を見てのお楽しみだが、ネタバレ覚悟でそのポイントだけ指摘しておきたい。
その1つは夫を失ったクレアと妻を失ったロレンツォとの結婚。そしてもう1つは言うまでもなく、その結婚式に招待されわざわざアメリカからイタリアまで祝福のためにかけつけてきたソフィとチャーリーとのラブストーリーの成就だ。『ロミオとジュリエット』におけるバルコニーのシーンは後の悲劇的結末をより強調させるシークエンスとして効果的に設定されたものだが、さて本作におけるバルコニーのシーンは?
2011(平成23)年3月28日記