洋11-35

「抱きたいカンケイ」
    

                    2011(平成23)年3月11日鑑賞<GAGA試写室>

監督:アイヴァン・ライトマン
製作総指揮:ナタリー・ポートマン
エマ・フランクリン(医師)/ナタリー・ポートマン
アダム・カーツマン(TV番組のアシスタント)/アシュトン・カッチャー
メツナー医師/ケイリー・エルウィズ
アルヴィン・カーツマン(アダムの父親)/ケヴィン・クライン
ケイティ(エマの妹)/オリヴィア・サールビー
ヴァネッサ(アダムの元彼女)/オフィリア・ラヴィボンド
2011年・アメリカ映画・108分
配給/パラマウント ピクチャーズ ジャパン

<日活ロマンポルノ風の邦題だが、原題は?テーマは?>
 「抱きたいカンケイ」とは何とも意味深。しかも、チラシには「抱きたい、抱かれたい、そんなときだけ。」という刺激的な言葉が・・・。すると天下の大女優ナタリー・ポートマンが日活ロマンポルノに体あたり挑戦?
 邦題からイメージすればそんな妄想が膨れあがるが、原題は「No Strings Attached」。「no strings」は、「ひも付きでない」「条件のついていない」という意味の形容詞で、「a no strings proposal」は付帯条件がない提案となる。また、契約書をつくる時によく使う「with no strings attached」は「付帯条件無しで」という意味。したがって、本作の原題を日本語訳すれば、さしずめ「しがらみのない関係」。

<発想の転換は面白いが・・・>
 友人関係以上の男女関係は、出会い、デートそしてセックスに至るもの。それが常識だが、病院に勤める医師で週80時間も労働しているエマ・フランクリン(ナタリー・ポートマン)には出会いをつくるチャンスも無ければ、デートを楽しむ余裕もない。そこで、エマが15年ぶりに偶然再会したアダム・カーツマン(アシュトン・カッチャー)に提案したのが、愛とか恋とかを抜きにしたセックスフレンドの関係だ。私は世間から非難されるいわゆる「援助交際」にあまり否定的ではないから、従来の発想を転換したそんなエマの提案に大賛成。またアダムを含む男たるもの、ベッピンの女の子から①デートも恋愛感情も一切ナシ②嫉妬や束縛は厳禁③どちらかが恋したら即カンケイ解消と提案をされたら即OKは当たり前?
 そんな発想の転換は面白いが、以降のストーリー展開はやっぱり恋がしたい、愛が欲しいとまずアダムの心が揺れ、続いてエマの心も乱れていくというものだから、こりゃ一体ナニ?せっかく千載一遇のいい男女関係が築けた(?)のだから、それを維持していくべきでは?もっとも、それでは映画にならないことになってしまうかも・・・。

<オヤジもオヤジだが、息子の自立は?>
 エマが「恋愛アレルギー」に陥っているのは、主として仕事優先主義のため(?)。それに対して、現在TV番組のアシスタントという中途半端な立場にあるアダムが恋に対して臆病になっているのは、有名なTVスターだった父親アルヴィン・カーツマン(ケヴィン・クライン)が、何と自分の別れた彼女ヴァネッサ(オフィリア・ラヴィボンド)と付き合いはじめたためだ。そんな事態になれば誰だってショックを受けるだろうが、オヤジはオヤジ、自分は自分としっかり開き直り、自立しなければ・・・。
 そんな精神状態にあるアダムに対する前述のエマの提案はもっけの幸い。そして、自分の意思でそれに乗り、その後は互いの部屋はもとより車のシート、病院のロッカールーム、果ては診察台の上などありとあらゆる場所で奔放なセックスを楽しんだのだから、将来的にもそのプラス面を享受しなければ・・・。

<予定調和がミエミエ?>
 私を含め、世の男性陣なら誰もが羨むエマとのいい関係にありながら、アダムがそれに不安をもったのは、友人から「君は便利な一時しのぎだ」という雑音(?)が入ったため。そんな雑音が入った後、アダムのエマに対する視線にはどんな変化が?
 他方、恋人みたいに一緒に抱きあって眠ってしまったことを後悔し、「最悪中の最悪だ」と言っていたエマも、アダムが他の女と一緒にいると、なぜかそれに嫉妬。こりゃ、互いにおかしいのでは・・・。もっとも、そこらあたりから、予定調和に向けた結末がミエミエに・・・。
                               2011(平成23)年3月28日記