洋11-34
「キラー・インサイド・ミー」 ![]()
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2011(平成23)年3月10日鑑賞<東映試写室>
監督:マイケル・ウィンターボトム
原作:ジム・トンプスン『おれの中の殺し屋』
ルー・フォード(保安官助手)/ケイシー・アフレック
ジョイス・レイクランド(娼婦)/ジェシカ・アルバ
エイミー・スタントン(幼なじみの女性教師)/ケイト・ハドソン
チェスター・コンウェイ(建築会社社長)/ネッド・ビーティ
ボブ・メイプルズ(保安官)/トム・バウアー
ハワード・ヘンドリックス(腕利き検事)/サイモン・ベイカー
ビリー・ボーイ・ウォーカー(弁護士)/ビル・プルマン
流れ者の男/ブレント・ブリスコー
ジョニー・パパス(地元の若者)/リアム・エイケン
エルマー・コンウェイ(ルーの元同級生、チェスターの息子)/ジェイ・R.ファーガソン
2010年・アメリカ、スウェーデン、イギリス、カナダ映画・109分
配給/日活
<1950年代のアメリカとは?>
日本の敗戦は1945年。朝鮮戦争特需は1950年から1952年まで。そしてサンフランシスコ講和条約の締結が1951年、日米安保条約の締結が1960年だ。私が愛媛県松山市で生まれたのは1949年だから、当然日本のそんな時代のそんな動きについての認識は全くない。私が幼稚園から小学生時代を過ごした1950年代の日本は当然貧しかったから、牛乳、オムレツ、カレーライスはもちろんビーフステーキなどという食べ物には全く縁がなかった。また、後に「三種の神器」と言われた冷蔵庫も洗濯機もテレビもなかったし、マイカーなどは雲の上の存在だった。
ところが、本作に描かれる1950年代の西テキサスの田舎町セントラルシティでは、保安官助手のルー・フォード(ケイシー・アフレック)をはじめ多くの人は一軒家に住み、マイカーを運転しているから、その違いにビックリ。1950年代の古き良きアメリカを描いたハリウッド映画として私の印象に残っているのは、ジュリアン・ムーア主演の『エデンより彼方に』(02年)(『シネマルーム3』165頁参照)だが、同じ1950年代のアメリカを描いてもジム・トンプスンの手にかかると全く違うらしい。さて、そんな作家ジム・トンプスンとは?
<ジム・トンプスンのノワール小説とは?>
1906年オクラホマ州生まれの作家ジム・トンプスンは、「呪われた異端のノワール作家」として有名らしい。アメリカの作家スティーヴン・キングの原作は『グリーンマイル』(99年)(『シネマルーム1』34頁参照)をはじめ、近時でも『シークレット・ウインドウ』(04年)(『シネマルーム6』48頁参照)や『ミスト』(07年)(『シネマルーム19』435頁参照)などがたくさん映画化されているから、日本でもかなり有名。そのスティーヴン・キングがジム・トンプスンの『おれの中の殺し屋』について、「間違いなくアメリカ文学の傑作であり、『白鯨』や『ハックルベリー・フィンの冒険』と肩を並べる作品である」と評しているらしいから、その面白さは折り紙つき?
ちなみにアメリカでは映画化されたジム・トンプスンの原作はたくさんあるが、日本で公開された映画はスティーヴ・マックィーンが主演した『ゲッタウェイ』(72年)だけらしいから、日本人が彼を知らないのは仕方ない。しかして、そんな異端の作家の原作を映画化した本作が描く、1950年代のノアール性に注目!
<信頼厚い若者だが、このしゃべり方は?>
いくらアメリカが広いといっても本作は1950年代の田舎町の物語だから、かつての日本と同じように町のコミュニティがあり、町の人たちはその多くが互いに顔見知りだったらしい。しかも、アメリカには独特のレディファーストの文化があるから、男たちは常に紳士と呼ばれる立ち居振る舞いを意識していたらしい。したがって、物腰が柔らかくすれ違う人々にあいさつを欠かさない29歳の若者ルーは、近所の評判も上々。町で唯一の医師だった父の屋敷を相続した彼は今、エイミー・スタントン(ケイト・ハドソン)という幼なじみの女性教師と気ままな逢瀬を重ねながら、保安官助手としておだやかな日々を送っていた。
ルーが上司である年老いた保安官ボブ(トム・バウアー)から厚い信頼を得ていることは、町の売春宿に対する市民からの苦情処理をボブから任されるシーンに如実にあらわれている。ボブが言うように、この程度の仕事(取り締まり)はチョロイもの(?)だが、この時点で私が気になったのは、ルーのえらくのどの内にこもった(?)しゃべり方。アナウンサーほどではないが弁護士として常に明瞭なしゃべり方を心がけている私としては、基本的にこのようなしゃべり方は嫌い。もちろん言いたいことが伝わらないわけではないが、こういうしゃべり方をする奴は一般的に腹黒い・・・?
<好対照な2人のミューズが、実は2人とも・・・?>
ジェシカ・アルバはチャキチャキのピチピチ女優、ケイト・ハドソンは少し大人っぽい熟女風。本作に登場する2人のミューズについての私の印象はそうだったが、プレスシートを調べてみると2人の年齢差は2歳だけだったので、私のそんな印象は完全に誤解だったことが判明。そんな2人だが、ジェシカ・アルバは冒頭からいきなりルーと激しいバトル(?)をくり広げる売春婦ジョイス・レイクランドとして、ケイト・ハドソンはルーといい仲になっている上品な(?)女性教師エイミー・スタントンとして好対照な役割を演じている。
本作の邦題は原作のまま『キラー・インサイド・ミー』とされたが、小説の邦題は『おれの中の殺し屋』。他方、プレスシートにある滝本誠氏(評論家)の「原作者ジム・トンプスンについて」によると、アメリカと同時に上海で上映されていた本作の中国タイトルは「心中的殺手」とのこと。中国語の勉強を2年間続けてきた私にはこの程度の中国語はペラペラだが、なるほどなるほど、面白い中国語訳をするものだ。それはともかく、ルーの心中にあった(隠されていた)「キラー(射手)」の面が急浮上してきたのは、悪態をつく売春婦のジョイスをうつ伏せにさせてお尻を丸出しにし、ベルトでその尻を何度も何度も叩いた直後。この時ルーが心の中でかつての『セーラー服と機関銃』(81年)の薬師丸ひろ子のこの名セリフと同じように「カイカーン!」と叫んだかどうかは知らないが、この激しい力の激突がそのまま性の激突になり、2人ともめくるめく快感に至ったのだから、人間の内なるものの存在とは不思議なものだ。
他方、結婚し2人でこの町を抜け出そうとルーから提案されたエイミーは有頂天になってこれをOKし、着飾ってルーの家を訪れるが、そこでエイミーを待ち受けていた運命とは?本作はジョイスとの出会いによって「キラー・インサイド・ミー」の面に気づいたルーが、「人間は破壊的な生き物であるというトンプスンの小説の観点」に沿って引き起こす犯罪を描くもの。すると、好対照だった2人のミューズは、2人とも・・・?
<「完全犯罪」の第1幕は?>
1950年代のアメリカに石油成金がいたことは、古くはジェームズ・ディーン主演の『ジャイアンツ』(56年)を、最近ではダニエル・デイ=ルイスがアカデミー賞主演男優賞を受賞した『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』(07年)(『シネマルーム19』300頁参照)を観ればよくわかる。他方、近時中国で輩出しているのが不動産成金だが、本作における地元の有力者チェスター・コンウェイ(ネッド・ビーティ)はまさにそれ。ルーは保安官のボブからも、このチェスターからも信頼されていたが、それは彼らがルーの「キラー・インサイド・ミー」の面を見抜けなかったためだ。そして、チェスターの息子、エルマー・コンウェイ(ジェイ・R.ファーガソン)が自分にぞっこん状態であることに目をつけたジョイスが、エルマーから金をむしりとることをルーに持ちかけたことから、本作は禁断のノワール小説の色を深めていく。ちなみに、ジョイスは色仕掛けで金持ちのボンボンから金をせしめることだけが目的だったが、エルマーと元同級生だったルーにはある過去の因縁がありその復讐も兼ねることになったから、ルーの内なる「キラー・インサイド・ミー」は更に増幅!その結果、実現した「完全犯罪」の第1幕とは?
<完全犯罪の第2幕は?第3幕は?>
完全犯罪ってこんなに簡単に実現できるの?思わず私はそう思ってしまったが、今日ほど科学捜査が発達していない1950年代のアメリカではそれも仕方なし?もっとも、世の中には何かと疑い深い人間がいるもの。本作におけるその代表は、腕利き検事のハワード・ヘンドリックス(サイモン・ベイカー)だ。客観的な証拠は何もないものの、彼の頭の中では犯人はルーだという確信を持っているようで、その質問は辛辣そのもの。また、息子を殺された父親のチェスターもルーに対して疑いの目を向けていることは、その思わせぶりな言動から明らかだ。しかし、さすが民主主義国アメリカではそんな主観的な疑惑だけでルーを逮捕できないのは当然。逆に地元の若者ジョニー・パパス(リアム・エイケン)が容疑者として逮捕されたから、これにてルーもひと安心?
ところが、頭のいい(?)ルーが念には念を入れてと第2の完全犯罪をたくらみ、ジョニーを首吊り自殺に見せかけて殺害したところ、その目撃者がいたらしいから大変。その目撃者とは、以前ルーが掌にタバコの火を押しつけて火傷させた流れ者の男(ブレント・ブリスコー)だ。こちらもさっさと犯罪を通告すればいいのに、口封じ代を要求するというあくどい行動をとったため、さらにルーによる完全犯罪の第3幕が幕を明けることに・・・。
<検事も鋭いが、この弁護士も超一流?>
ジョン・グリシャム原作の法廷サスペンスは、めちゃ面白い。そこに登場する弁護士は、『評決のとき』(96年)でマシュー・マコノヒーが扮した若手弁護士や『レインメーカー』(97年)でマット・デイモンが扮した若手弁護士など「正義の味方」が多いが、自由であるが故に逆に何でもありの国アメリカでは悪徳弁護士も多い。しかして、ハワード検事の執拗な追及によって逮捕された上、なぜか今は何の取調べも受けないまま精神病院の病棟に収容されているルーを求めて大声で叫びながら面会にやって来た弁護士ビリー・ボーイ・ウォーカー(ビル・プルマン)は正義の味方?それとも悪徳弁護士?
ウォーカー弁護士がいかなる手段と手続によってルーを釈放(保釈?)させたのかは弁護士の私ですらよくわからないが、車の中でルーからコトの全貌を聞き出すウォーカーの質問術は超一流。もちろん弁護士だって商売だから、これによってルーから事件を受任することになれば多額の報酬を期待できるかも?そう思いながら見ていたが、ルーの考えはウォーカー弁護士や私の期待(?)に反するものだった。こりゃ何とも意外!そんなストーリー展開は本作の本筋からみれば脇道だが、弁護士の私としては本作にそんな面白さがあることを是非紹介しておきたい。
<このラストは圧巻!ここまでの冷徹さにあ然!>
ノワール小説は途中の展開を楽しむことがメインだから、どんなラストになるのかは読みにくい。ルーがウォーカー弁護士を信頼したことは明らかだが、それにもかかわらずルーが弁護士を依頼しなかったのはなぜ?弁護士費用をケチったためでないことは明らかだが、それを読み解くことが本作のラストシーンにつながっていくから、皆さんは是非その点についてのルーの心理分析をしっかりと。もっとも、本作は1950年代のアメリカにおけるノワール小説だから、犯罪捜査のあり方や検事と弁護士の役割など今の私の感覚ではわからないものも多い。ルーはなぜ今弁護士と別れて一人で自宅にいることができるの?そんなラストの設定についても、それは同じだ。
しかし、とにかく今ルーは一人、親から相続した広い屋敷の中に。この家でルーは結婚するはずだったエイミーを殴り殺し、それを見て外に飛び出していったあの流れ者の男も予定どおり保安官によって射殺させることになったのだが、今ルーが屋敷の中にバラまいているのは一体何?こりゃひょっとして石油?石油が足らなくなると、たくさん保管していた高級ウイスキーまで追加してばらまいていたから、これはきっと・・・。そんな中、ハワード検事がルーの目の前に連れてきた女とは?そこで展開される問答とは?そして、その後訪れるあっと驚くラストとは?
西田敏行が主演した『火天の城』(09年)における安土城の炎上シーンはすごかった(『シネマルーム23』196頁参照)が、本作のラストの炎上シーンもすごい。しかして、私はルーのここまでの冷徹さにあ然。なるほど、彼の「キラー・インサイド・ミー」はこんなにもすごかったわけだ。
2011(平成23)年3月14日記