洋11-17
「サラエボ、希望の街角」 ![]()
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2011(平成23)年2月7日鑑賞<東宝試写室>
監督:ヤスミラ・ジュバニッチ
ルナ(客室乗務員)/ズリンカ・ツヴィテシッチ
アマル(ルナの恋人)/レオン・ルチェフ
ナジャ(イスラム原理主義の女性)/ミリャナ・カラノヴィッチ
バフリヤ(アマルの戦友、イスラム原理主義の教徒)/エルミン・ブラヴォ
ルナの祖母/マリヤ・ケーン
シェイラ(ルナの親友、ジャーナリスト)/ニナ・ヴィオリッチ
2010年・ボスニア・ヘルツェゴビナ、オーストリア、ドイツ、クロアチア合作映画・104分
配給/アルバトロス・フィルム、ツイン
<サラエボ「第2弾」も、考えるべき論点がいっぱい!>
「内向き志向」の延長として安易なテレビドラマそのもののような邦画ばかり観るのではなく、たまには外に目を向けて、サラエボはどこに?ボスニア紛争とは?などと考えてみる必要がある。本作のタイトルを見て「あれ、どこかで聞いたような名前だ」と思う人は、かなりの映画通。そう、本作は07年のベルリン国際映画祭で金熊賞を受賞した『サラエボの花』(06年)(『シネマルーム16』267頁参照)、ヤスミラ・ジュバニッチ監督の第2弾なのだ。
「えらく美しいタイトルの映画だが、誤解してはダメ。サラエボ紛争の中、主人公の身に起きた集団レイプのおぞましさは・・・?そのうえ、妊娠・出産ともなれば、その苦悩は・・・?」と書いた(『シネマルーム16』267頁参照)ように、前作は考えるべき論点がいっぱいだった。しかして、本作も『サラエボ、希望の街角』という邦題にもかかわらず、別に「希望の街角」がみえるわけではなく、考えるべき論点がいっぱい!
<本作のテーマは?>
プレスシートには、「英題『On the Path』はオリジナルタイトル『Na Putu』の直訳です。ボスニア語で何かに向かう途中にいるという意味です。英語でも同じですが何かを選択する過程にあったり、ゴールにたどり着こうとしている精神的な意味での自分探しという意味もあります」と書かれている。すると、邦題はそんな原題とは全く違うイメージ?
本作は愛し合いながらも結局は恋人のアマル(レオン・ルチェフ)と別れていくことになる女性ルナ(ズリンカ・ツヴィテシッチ)が、深刻な悩みを抱えながら懸命に自分の道を探していく姿を描くもの。1995年に終結したボスニア紛争から15年を経た今、サラエボのまちはたしかな復興を遂げている。そんなまちに住み、客室乗務員として働くルナの仕事は安定しているようだが、15年前に刻まれた心の傷は?また、同じアパートで同棲し愛し合う者同士日々セックスに励んでいるにもかかわらず、なぜルナはなかなか妊娠しないの?
サラエボ生まれの女流監督ヤスミラ・ジュバニッチは、前作では集団レイプによって身ごもった母親とそれによって生まれた娘との心の交流を描いたが、本作では親友のバフリヤ(エルミン・ブラヴォ)との偶然の出会いによってイスラム原理主義者に帰依していくアマルと現代的な女性ルナとの「愛と別れ」を女性の視点から鋭くとらえていく。
同棲生活からスンナリ結婚へ。そして、子供を産んで仲良く楽しい生活を。アマルもルナもそう望んでいたはずだが、人生にはさまざまな試練が訪れるもの。まちの復興はなったものの殺された両親、失った家など今なお心の中に大きな傷を持つ主人公ルナは、サラエボのまちで今どんな位置に立ち、これからの人生をどのように生きていくのだろうか。
<イスラム原理主義とは?ルナの信仰心とは?>
約20年前に観た映画『マルコムX 』(92年)には大きな衝撃を受けたが、本作は一方ではアパートで同棲している恋人ルナの人工授精に真正面から協力し取組みながら、他方ではイスラム原理主義に帰依し、のめり込んでいくアマルの姿が興味深い。日本では織田信長による「比叡山焼き討ち」事件やキリシタン禁止令による「天草四郎」事件などがあるが、「宗教戦争」はそれほど深刻なものではなかった。しかしヨーロッパでは、キリスト教徒とイスラム教徒が長い間対決した中世の十字軍遠征やマルティン・ルターを中心とした16世紀の宗教改革など、宗教をめぐる争いは根が深い。
本作冒頭、空港の管制室で仕事をしていたアマルが勤務中に酒を飲んでいたため、6カ月間の停職処分と禁酒セラピーへの出席を義務づけられるという試練を受ける。このことは当然2人の仲にも影響を及ぼすが、この試練は何とか乗りこえられそう。しかし、突然イスラム原理主義に目覚めたアマルの異質性が目立ってくると・・・。それが爆発したのはルナの祖母を中心として親戚一同が集まった断食明けを祝う場。そこで突然アマルが「みんながきちんとイスラム教の教えを守らないからダメなのだ!」と宗教指導者まがいのお説教を始めたからたまらない。
もちろんルナもイスラム教信者だが、どうもルナはリベラルな信者らしい。私たち日本人はそこらの違いがなかなか理解し難いが、女性のヴェールの是非や一夫多妻制の是非のみならず、本作によってもろもろの「アラーの教え」をしっかり勉強したい。
<ヒロインは今、「希望の街角」に?>
ヤスミラ・ジュバニッチ監督は、映画中盤から終盤にかけて価値観の違いが拡大し始めたアマルとルナの姿を、愛と性そして宗教の視点から的確に描いていく。もちろん、ルナだってアマルの突然の変化に拒否反応を示しただけではなく、それを理解しようと努めたことはまちがいない。しかし、日々の生活が激変するとともに、ルナに対しても「正式な結婚をするまではセックスをしない」「肌を露出するドレスはやめろ」とお説教をし始め、ルナとの価値観の相異が目立ってくるようになると・・・。
そんな風に2人のくい違いが目立ってきた状況下、成功確率の低かった人工授精が成功し、ルナの妊娠が明らかになったのは運命の皮肉。アマルは「是非産んでくれ」と頼んだが、さてルナの決断は?アマルとの別れを決意した今の状況を考えると、必ずしもルナが今「希望の街角」に立っているわけではないことは明らかだが、あのひたむきな笑顔と前向きに生きる姿勢さえあれば・・・。
2011(平成23)年2月8日記