日11-133
「幕末太陽傳 デジタル修復版」 ![]()
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2011(平成23)年12月31日鑑賞<シネ・リーブル梅田>
監督:川島雄三
居残り佐平次/フランキー堺
こはる(相模屋の女郎)/南田洋子
おそめ(相模屋の女郎)/左幸子
高杉晋作(長州藩士)/石原裕次郎
おひさ(相模屋の女中)/芦川いづみ
伝兵衛(相模屋楼主)/金子信雄
善八(相模屋の番頭)/織田政雄
喜助(相模屋の若衆)/岡田真澄
長兵衛(大工、おひさの父)/植村謙二郎
鬼島又兵衛(長州藩江戸詰見回役)/河野秋武
志道聞多(攘夷の若者)/二谷英明
気病みの新公/西村晃
かね次(相模屋の若衆)/高原駿雄
久坂玄瑞(攘夷の若者)/小林旭
大和弥八郎(攘夷の若者)/武藤章生
金造(相模屋の客、貸本屋)/小沢昭一
徳三郎(伝兵衛の息子)/梅野泰靖
おもよ(相模屋の女郎)/新井麗子
おくま(相模屋のやり手女郎)/菅井きん
お辰(伝兵衛の女房)/山岡久乃
倉造(相模屋の客、仏壇屋)/殿山泰司
杢兵衛大盡(こはるの客)/市村俊幸
1957年・日本映画・110分
配給/日活
<中国語検定も価値大だが、映画検定も!>
私は2009年4月から始めた中国語の勉強の「腕試し」にと、2011年11月27日(日)に実施された日本中国語検定協会主催の第75回中国語検定試験4級と3級を受験し、両方とも見事に合格したが、中国語の勉強は面白くかつ大いに意義がある。他方、私は株式会社キネマ旬報社とキネマ旬報映画総合研究所が共催した2006年6月25日の第1回映画検定で4級に合格し、続く12月3日の第2回映画検定で3級にも合格した。この合格のためには、『映画検定 公式テキストブック』と『映画検定 公式問題集 2級・3級・4級全300問』の勉強が不可欠だが、そんな勉強をすることの意義とは?それは、『映画検定 公式テキストブック』の「発刊のことば」にある「映画はエンターテインメントであると同時に、多くのことを学ぶことが出来る時代の扉でもあります。この110年の間に作られた映画には、あらゆるものが描かれています。そして、映画のことを知れば知るほど、映画は楽しいものになっていきます。そこで映画をもっと楽しむための、腕試しの道場のようなものとして、映画検定を発案しました」ということだ。
私は『幕末太陽傳』の名前は知っていても、リアルタイムではもちろんリバイバルでも観たことがなかったが、映画検定の勉強のおかげで本作のことをじっくり勉強することができた。1957年に公開された本作は、『映画検定 公式テキストブック』の「見るべき映画100本」の日本映画編の24番目に選ばれている他、『オールタイム・ベスト映画遺産200 日本映画篇』のベストテン第4位に選ばれている名作。ちなみにそれは、第1位の『東京物語』(53/小津安二郎監督)、第2位の『七人の侍』(54/黒澤明監督)、第3位の『浮雲』(55/成瀬巳喜男監督)に続く歴代第4位だから立派なものだ。こういうベストテンの選出は選ぶ側の年代や主観によって異なるのは当然だが、興味深いのは、本作は1957年(昭和32年)のキネマ旬報ベスト・テンの断トツ1位だったわけではなく、その年のキネマ旬報ベスト・テンでは第4位だったこと。すなわち、1957年のベスト3は、『米』(今井正監督)、『純愛物語』(今井正監督)、『喜びも悲しみも幾歳月』(木下恵介監督)だ。これを見ると本作は、「その年」の印象に残っただけの作品ではなく、「長く」印象に残った作品だということがわかる。しかして、それはなぜ?
<「鬼籍入り」した懐かしい名前がズラリ!>
本作の川島雄三監督は1963年に45歳で急逝しているから、私がきちんと観た川島作品は皆無。しかし、①主役の居残り佐平次を演じたフランキー堺をはじめとして、②ライバル女郎のこはるとおそめを演じた南田洋子と左幸子や、女中おひさを演じた芦川いづみという3人の女優、③長州藩士・高杉晋作を演じた石原裕次郎、志道聞多を演じた二谷英明、久坂玄瑞を演じた小林旭という主役級の俳優はもちろん、④金子信雄、岡田真澄、西村晃、小沢昭一、殿山泰司、山岡久乃、菅井きんらの名脇役(?)の名前はよく知っている。また、彼らが出演した作品はたくさん観ているから、なじみ深い俳優たちばかりだ。とりわけ、予告編で観た石原裕次郎のチョンマゲ姿と高笑いは印象深かったが、そのシーンは居残り佐平次に対して高杉晋作が品川沖に出た小船の中ですごむもの。ここで佐平次から「手前一人の才覚で世渡りするからにゃア、へへ、首が飛んでも動いてみせまさア!」と立派な啖呵を切られると、さすがの高杉も「こりゃ参った」となり、以降、武士と町人ながら2人は大の親友に・・・。
『幕末太陽傳』とは何とも印象的なタイトルだが、これには1957年に「製作再開3周年記念作品」を作ろうとした「日活」内部でも賛否両論があったらしい。1956年の『太陽の季節』の脇役で石原裕次郎が彗星のごとくデビューしたことによって、一躍「太陽族」の名前が広がったが、いくら戦後の時代から立ち直り、高度経済成長期に舵を切り替えようとした時代とはいえ、障子紙を破ってイチモツを突き出す「太陽族」はいかがなもの?と考えられたのは当然だ。しかし、今日では太陽族は消え去ったばかりか、石原裕次郎をはじめ本作に出演した多くの俳優は鬼籍に入っているから、半世紀という時代の流れは明らかだ。今なお現役の俳優としては小林旭の存在感が際立ってきるが、私自身が還暦を過ぎた今、2012年に100周年を迎える日本最古の映画会社である日活が数多くあるライブラリーの中から、後の100年まで残したい1本として、大変な苦労でデジタル修復してくれたことによって、こんな「太陽族映画」を楽しく鑑賞できたことに感謝!
<「品川宿の今昔」に注目!>
2011年12月21日に観た『ALWAYS三丁目の夕日’64』では東京オリンピックが開催された1964年当時の東京の風景に感動したが、本作冒頭に見る1957年当時の品川の風景にも感動!3000万円近い予算を使って大セットを組んだ相模屋は、映画冒頭に写し出される「さがみホテル」の前身らしい。加藤武のナレーションでは、「ここは北品川カフェー街と呼ばれる特飲街」と紹介されるが、特飲街とは、つまり赤線地帯のことだ。日本で売春防止法が成立したのは1956年5月、施行されたのは翌57年4月1日(但し、刑事処分については1年間の猶予期間が設けられ、58年4月1日から適用)だが、本作はまさに赤線の廃止が「国是」として呼ばれていた(?)時代なのだ。しかし、そんな時代に女郎屋を舞台とした映画を作るとは・・・。
相模屋のある品川宿は、現在の京浜急行・北品川駅周辺らしいが、2003年に新幹線の品川駅ができた駅付近は今や超高層ビルが林立している。しかし、あと数年で明治維新に至る文久2年(1862年)当時は横浜も横浜村と呼ばれていたらしいから、都市問題をライフワークとしている私としては、横浜と合わせて「品川宿の今昔」に注目!
<あなたの知ってる落語ネタは?>
今では、落語ネタを題材とした映画は『やじきた道中 てれすこ』(07年)(『シネマルーム18』144頁参照)、『しゃべれどもしゃべれども』(07年)(『シネマルーム18』140頁参照)などたくさんあるが、松竹映画の「文芸もの」がメインだったあの時代に、落語ネタをふんだんに盛り込んだ本作は異例。また『幕末太陽傳』というタイトルをつけながら、石原裕次郎を脇役(?)として使い、元ジャズドラマーで喜劇映画ばかりに出演していたフランキー堺を主役に抜擢したのも異例だが、本作におけるフランキー堺の演技のキレとスピード感はすごい。それはともかく、そもそも主人公の名前自体が「居残り佐平次」という落語に由来するものだし、本作の舞台として設定された品川でも、「曽根崎心中」の向こうを張って(?)「品川心中」という落語があったらしい。その他、「お見立て」、「文七元結」、「夢金」、「坊主の遊び」など多くの落語ネタが使われているらしいが、私がよく知っているのは「三枚起請」だけだ。
1銭の銭も持ってないのに、品川の遊女屋「相模屋」で仲間と共にドンチャン騒ぎをしたうえ、「居残り」を決め込んだ佐平次は、なかなかの切れ者!あの混乱した幕末の時代に町人(?)にしておくのはもったいない素材だから、彼が相模屋の使用人たちの中でメキメキと頭角を現したのは当然だ。その結果、ライバル女郎のこはるとおそめの両方から言い寄られることになったのは面白いが、彼はこはるが書いた「三枚起請」によるトラブルも見事に解決してみせるから立派なもの。こんな解決法は一流弁護士でも思いつかないもので、まさに実践で鍛え自らリスクを取ることもいとわない町人の知恵だ。そんなこんなの本作にみる落語ネタで、あなたが知ってるものは?
<計算や要領だけでなく、男気も・・・>
本作は登場シーンの95%以上が疾走し続けている佐平次の八面六臂の活躍が見モノだが、前半から中盤にかけては平気で人を騙し実利をかすめとるズル賢い人間のような印象も受ける。本作注目の小道具は、高杉新作が上海で買い求めたという高級な懐中時計。映画冒頭には馬で走る異人を追っかける中で志道聞多が懐から懐中時計を落とし、佐平次がそれを拾うシーンが登場するが、彼はそれをその後いかに有効活用?相模屋でのドンチャン騒ぎは、刑法のイロハを学ぶ学生なら「故意による無銭飲食詐欺の典型例」と理解できるはずだが、これも変な咳が気になる佐平次が相模屋での住み込み=居座りを狙っての計算ずく?「三枚起請」を持ち出すまでもなく、女郎屋はウソと騙しの虚構の世界と相場が決まっているが、それでもそこで見せる佐平次の騙しぶり(働きぶり?)は手際の良さが光っている。激動の2012年を迎えた今こそ、こんな佐平次のようにすべての行動において要領がよく実利を取れる男が必要だが、さて?
それはともかく、そんな佐平次が後半以降は御殿山の英国大使館の「焼き討ち」を狙う高杉との「密約」をめぐって、さらに女中おひさと相模屋のバカ息子徳三郎(梅野泰靖)との駆け落ちをめぐって、意外な男気を見せるからそれにも注目!こはるとおそめからのお誘いには、「この病気には女が1番悪い」、「俺は女を絶っている」と断固拒否しながら、「女郎として店に出されるよりは、アホバカでも徳三郎と結婚して駆け落ちしたほうがマシ」とそれなりに計算高い(?)おひさの頼みに応じて、佐平次が座敷牢からの脱出に協力したのはなぜ?しかも、それまではゴトにも謝礼を要求していた佐平次が、「10両払う。でも今すぐではなく毎年1両ずつ貯めて10年経ったら返す」というおひさに対しては「10年経ったら世の中も変わるぜ」と言いながら気前よくそれをオーケーしたのはなぜ?おひさを演じている清楚な芦川いづみが若くてキレイだからと言ってしまえばそれまでだが、さて・・・?
<ラストでの失速はなぜ?更なる疾走はどこへ?>
御殿山の英国大使館の焼き討ち、そしておひさと徳三郎の駆け落ちに見事な貢献ぶりを見せる佐平次だが、ラストにおけるこはるの客・杢兵衛大盡(市村俊幸)との「絡み」ではなぜか失速気味?ズーズー弁の杢兵衛はこはるへの色欲に狂っているだけの田舎親父だから、こんな客を出し抜くのは朝飯前のはず、では?いよいよ本性を現し、色仕掛けで攻めてきたこはるとおそめの2人をうまく出し抜き、やっと相模屋に「あばよ!」を決め込もうとした佐平次だが、杢兵衛が入口で待っていたからビックリ。これは、「こはるは死んでしまった」と変なウソをついたため、「じゃ、そのお墓に案内しろ」と迫られたことを甘く考えていたためだが、これまでどんな難局も切り抜けてきた佐平次が以降、なぜお寺への案内からお墓の指示まで杢兵衛に付き合わされる羽目に?
そこらあたりが川島演出の謎だが、興味深いのはウソの墓だと気づいた杢兵衛の「地獄サ落ちっどー!」の言葉を尻目に、「俺はまだ生きるんでぇ!」と叫びながら、後ろ姿を見せて次の世界へと全力疾走していく佐平次の姿だ。持病の治療を兼ねて、ちゃっかり相模屋を療養地としていた佐平次だが、「ここらが潮時」と考えたのはさすが。しかし、その行き先は?本作のラストはそれを示さないままエンドマークが出てくるが、実は本作のラストシーンをめぐっては何ともユニークなアイデアで脚本を変更しようとしていた川島監督と日活との間で大激論があり、結局川島監督が折れたらしい。そのアイデアとは、佐平次がスクリーンそのままの服装で昭和32年の北品川カフェー街を疾走し、左幸子や南田洋子は赤線地帯の売娼の姿で、小沢昭一は自転車に乗った貸本屋の姿でそれを見るというものだったらしい。しかし、主演俳優がラストでいきなり時代を超えて今の世界に出現するというあまりにも奇抜なシーンに、当時の日活首脳陣はついてこれなかったらしい。そこらの事情は「ラストシーン考察 昭和32年のヌーヴェルヴァーグ?」(『幕末太陽傳』解説二)に詳しいから、興味のある人はぜひネットでそれを参照してほしい。理屈抜きで本作を楽しむのも良いが、映画検定の2級、1級の受検を考えている人はそんな裏事情まで立ち入って研究すれば本作の良さが更に深くわかるのでは・・・。
2012(平成24)年1月5日記