洋11-127

「善き人」
    

                   2011(平成23)年12月16日鑑賞<角川映画試写室>

監督:ヴィセンテ・アモリン
原作:C.P.テイラー
ジョン・ハルダー(文学教授、モーリスの親友)/ヴィゴ・モーテンセン
モーリス(ユダヤ人精神分析医)/ジェイソン・アイザックス
アン(ジョンの元教え子)/ジョディ・ウィッテカー
ボウラー(ナチス党の検閲委員長)/マーク・ストロング
フレディ(ナチス党親衛隊少佐)/スティーヴン・マッキントッシュ
ジョンの母/ジェマ・ジョーンズ
ヘレン(ジョンの妻)/アナスタシア・ヒル
2008年・イギリス、ドイツ映画・96分
配給/ブロードメディア・スタジオ

<時の権力者に好かれるのも、良し悪し?>
 去る11月9日に観た『デビルズ・ダブル-ある影武者の物語-』(11年)は、サダム・フセインの長男ウダイ・フセインにそっくりだとして気に入られたため、ウダイの「影武者」になることを強要された男の実話をドラマティックに描いた。しかし、普通の市民としての生活を望む人間にとっては、そんな風に「時の権力者」に気に入られるのはありがた迷惑?
 不治の病に侵された妻を夫が安楽死させるというストーリーを描いた小説が、ヒットラー率いるナチス党の検閲委員長であるボウラー(マーク・ストロング)に気に入られたため、同様の「人道的な死」をテーマにした論文を書いてくれという申し出を受けたベルリン大学で教鞭をとる文学教授ジョン・ハルダー(ヴィゴ・モーテンセン)は困惑気味。しかし、介護が必要な母親(ジェマ・ジョーンズ)とエキセントリックな妻ヘレン(アナスタシア・ヒル)、そして2人の子供たちの生活を守るためには、それを断る術などないのは当然?そう考えると、時の権力者に好かれるのも良し悪し?

<ジョンはホントに「善い人」? その「女性観」は?>
 さらに今、彼はボウラーに紹介されたナチス親衛隊少佐のフレディ(スティーヴン・マッキントッシュ)から強引にナチス党への入党を勧められていた。すんなりそれに従えば、長年の親友であるユダヤ人精神分析医のモーリス(ジェイソン・アイザックス)からバカにされることが目に見えているから、ジョンはさらに困惑中。しかし、ナチスによるユダヤ人への迫害が日増しに強まる中、そんな理由で入党を拒否することなど論外だ。しかしてある日、学部長昇進のニュースをモーリスに伝えると同時に、ナチス党に入党したことがモーリスにバレるとモーリスからは軽蔑の目が・・・。
 本作序盤では、決断力に多少の問題はあるものの、『善き人』というタイトルどおりの人格をしっかりと見せつけてくれるジョンだが、さて、後半以降の展開は?さらに、ジョンは家庭内のもめごとに誠実に対応する一方、ちゃっかり元教え子のアン(ジョディ・ウィッテカー)との交際を深めていた。そして、母をブランデンブルグの実家に帰し、妻ヘレンと別居した後は、アンと共に暮らし始めたから、その「女性観」においては、彼はあまり「善き人」と言えないかも・・・。

<生き方の軸は? これくらいの協力は・・・>
 ナチス・ヒットラーの時代に、ドイツ人がユダヤ人との友情をキープしていくことなど不可能であることは明らかだが、スクリーン上でそんな姿をモロに目にするのは悲しいものだ。ナチス・ドイツがポーランドへの侵攻を開始したのは1939年9月1日だが、その約1年前の1938年10月にはジョンの小説を基にした映画が作られていた他、ジョンはナチス親衛隊大尉の肩書きを持つまでに出世していた。しかし、これもジョンにとっては、ありがた迷惑?そんな前半のストーリー展開の中での1つの焦点は、遂に国外脱出を決意したモーリスからの「パリ行きの切符を買ってくれ」との頼みをめぐるジョンの行動だ。
 誰でも危険を冒したくないのは当然だが、アンとの再婚は周りの反対を排除してもきっちり決断しているのに、この切符購入の件で描かれる彼の迷走ぶり(?)は少し情けない。その結果、モーリスから「俺はユダヤ人、お前は親衛隊。それだけだ」と冷たく言い放たれても何の反論もできないジョンの姿を見ていると、ジョンの人生の軸はナニ?ついそう思ってしまったが・・・。

<頑張るにも、やはりタイミングが!>
 ヴィシー政権下のフランスで1942年6月6日に起きたヴェル・ディブ事件は、『黄色い星の子供たち』(10年)(『シネマルーム27』118頁参照)と『サラの鍵』(10年)で急に有名になったが、オランダの隠れ家で2年間生活し続けた「アンネ・フランク」の日記は昔から有名。しかして本作では、パリ駐在のドイツ人書記官がユダヤ人に暗殺されるという事件が発生した後、ベルリンのまちでは反ユダヤ人の暴動が発生。そんな中、ジョンが親衛隊大尉の肩書きを利用してモーリスを救出し、国外脱出させようと努力する姿が描かれる。その姿を見ていると、それまでの中途半端な努力とは違い、明らかに自らリスクを負担してでもモーリスを国外脱出させようとする意欲が見える。
 しかし、今は正式にジョンの妻となった「純正アーリア人種」のアンに協力を求めたのは、いかがなもの?さらに、今これだけ頑張るのなら、なぜもう少し前に頑張らなかったの?つい、そう言いたくなってしまう。やはり頑張るにも、タイミングが大切だ。

<世の中には、知らない方がいいことも・・・>
 『サラの鍵』は、ヴェル・ディブ事件の中で起きたある家族の行方を調べていくうちに、自分の人生と絡めて苦悩する女性ジャーナリストの姿を描いたが、そこでは徹底的に知ることを求めるジャーナリスト魂が必ずしもいい結果を招くばかりでもないということが強く印象に残った。それは、ものすごく重厚な人間ドラマだった『灼熱の魂』(10年)も同様で、奇妙な遺言を残して死亡した母親のルーツをたどる中東への旅が、こんなすごい過去をほじくり出すことになろうとは・・・。
 1942年4月親衛隊の幹部としてユダヤ人強制収容所の情報収集を命じられたジョンは、党の誇る最新鋭の設備を私的に利用して(?)モーリスの消息を調べたが、そもそもこの動きはナニ?ひょっとして、それは罪の意識?それはともかく、最新鋭の設備を使ってデータを集めたのだからきっとモーリスの安否がわかるはず。そう考えたジョンが、視察に訪れた強制収容所でそれを確認すると、現場ではそんなデータは何の役にも立たないことが明らかに。そりゃそうだろう。いくらデータがしっかりしていても、現場では次々とユダヤ人が死んでいくのだから、データなどはクソの役にも立たないわけだ。そう考えると、ジョンが強制収容所の中でたまたまモーリスの姿を発見するという設定は多少違和感を覚えるが、それはラストに向けたさらなるストーリーづくりのためにはやむをえないもの?
 小市民的な生活を望んでいただけのジョンが自分の意思に反してナチス党の幹部に出世したのは大きな時代の流れだから仕方ないが、それならそれを徹底させるのも1つの生き方。しかし「善き人」であるジョンの生き方には、その点で大きなブレがあることは明らかだ。やはり世の中には、知らない方がいいこともあるのかも?
                               2011(平成23)年12月22日記