日11-118

「聯合艦隊司令長官 山本五十六」
     

                    2011(平成23)年11月30日鑑賞<梅田ブルグ7>

監督:成島出
監修:半藤一利
山本五十六(聯合艦隊司令長官)/役所広司
真藤利一(東京日報記者)/玉木宏
米内光政(海軍大臣)/柄本明
井上成美(海軍省軍務局長)/柳葉敏郎
三宅義勇(聯合艦隊作戦参謀)/吉田栄作
山口多聞(第二航空戦隊司令官)/阿部寛
南雲忠一(第一航空艦隊司令長官、第一航空戦隊司令官)/中原丈雄
黒島亀人(聯合艦隊先任参謀)/椎名桔平
宇垣纏(聯合艦隊参謀長)/中村育二
堀悌吉(元海軍中将)/坂東三津五郎
谷口志津(小料理屋「志津」の女将)/瀬戸朝香
草野嗣郎(東京日報編集長)/益岡徹
山本禮子(五十六の妻)/原田美枝子
神埼芳江(小料理屋「志津」の客、ダンサー)/田中麗奈
秋山裕作(東京日報記者)/袴田吉彦
牧野幸一(零戦パイロット)/五十嵐隼士
有馬慶二(零戦パイロット)/河原健二
佐伯隆(零戦パイロット)/碓井将大
永野修身(軍令部総長)/伊武雅刀
高橋嘉寿子(五十六の姉)/宮本信子
宗像景清(東京日報主幹)/香川照之
2011年・日本映画・140分
配給/東映株式会社

<タイムリーな企画に拍手!若者はどう反応?>
 1941年12月8日と聞けば、戦争体験者はすぐにハワイの真珠湾攻撃と日米開戦に結びつけるはずだし、私たち団塊世代でも多くがそのはずだが、さて今ドキの若者は?今年の9月18日は、1931年9月18日の柳条湖事件から80周年、今年の10月10日は、1911年10月10日の武昌蜂起に始まった辛亥革命から100周年にあたる。そして、今年の12月8日は日米開戦70周年だ。
 真珠湾攻撃を描いた最高傑作は『トラ・トラ・トラ!』(70年)だが、今ドキの若い人はこれも知らないだろうし、聯合艦隊司令長官としてこの真珠湾奇襲攻撃を断行した山本五十六の名前も知らないのでは?そんな時代状況下、「太平洋戦争70年目の真実」とサブタイトルされた『聯合艦隊司令長官 山本五十六』がタイムリーに公開されたことに拍手。「軍人でありながら誰よりも強硬に日米開戦に反対し続けた男がいた」と強調されることには大きな意義がある。さて、聯合艦隊司令長官、山本五十六とは?

<人間 山本五十六を誰の目で?どんな視点で?
 真珠湾攻撃や人間、山本五十六を描いた映画やドラマはたくさんあるが、そんな場合のポイントは、誰の目でどんな視点で描くかということ。しかして、本作は山本五十六と同じ新潟県立長岡中学校(現・長岡高校)を卒業し、山本五十六贔屓を自認し標榜している作家、半藤一利著『聯合艦隊司令長官 山本五十六』(文藝春秋)を原作としたもので、彼はシナリオの段階から本作の製作に参加したらしい。
 「ホリエモン騒動」を契機として「会社は誰のものか?」という大論争が巻き起こったが、その答えが難しいのと同じように、「映画は誰のものか?」の答えは難しい。それは、監督?プロデューサー?それとも出資者?原作者ではないことは確かだろうが、半藤一利氏のように原作者が映画のシナリオづくりに最初から深く関与すれば、本作の半分くらいは半藤一利氏のもの?それはきっと無理だろうが、人間、山本五十六を誰の目で?どんな視点で?と考えると、良くも悪くも半藤一利氏の目と視点が強い。本作の監督は『ミッドナイト イーグル』(07年)(『シネマルーム18』107頁参照)、『孤高のメス』(10年)(『シネマルーム24』80頁参照)、『八日目の蟬』(11年)(『シネマルーム26』195頁参照)の成島出監督だが、こんな映画を鑑賞するについては、まずはそんなポイントをしっかり押さえておく必要がある。

<「大日本帝國戦史」では?『太平洋の試練』では?>
 半藤一利氏の目と視点による山本五十六像は、具体的には東京日報の若手記者である真藤利一(玉木宏)の目を通して語られる。良識派新聞の代表のような顔できれいゴトの記事を書く傾向が強い朝日新聞が「あの戦争」の時いかなる記事を書いていたのかは歴史的に明らかだが、本作に登場する東京日報編集長の草野嗣郎(益岡徹)や主幹の宗像景清(香川照之)の言動を見ていると、朝日新聞もこれに近かったのでは?真藤は山本五十六を直接取材する宗像に付き添ってメモをとるだけの役目だが、山本五十六から言われた「自分の目と耳と心で、広く世界を見渡せ」という言葉が忘れられないようだから、草野や宗像とは全く違うセンスを持っていたらしい。すると、彼が東京日報日曜版に不定期に連載している「大日本帝國戦史」と題した特集記事には、他とは違う何らかの特徴が?
 私が本作の試写を観たのは11月30日だが、その2日後の12月2日の産経新聞朝刊には「よみがえる山本五十六」と題した古森義久氏の「あめりかノート」が掲載された。ワシントン駐在編集特別委員である古森氏は、日米開戦からちょうど70年となる今月8日を迎えるにあたって、50周年となった20年前の1991年のパールハーバー記念日のことを振り返るとともに、2011年11月に出版された日米戦史『太平洋の試練』を読んで、米国側のパールハーバーへの思いがずいぶんと変わったことをそこで分析した。『太平洋の試練』の著書は44歳の歴史研究家イアン・トール氏で、ノートン社刊だが、大手新聞各紙がすでに大きな書評で紹介し、話題の書となっているらしい。詳しくはその記事を読んでもらいたいが、その論旨は①同書の最大の特徴は、戦争の当事者たちの人間像を日米均等な視線で追ったこと、②とくにハイライトを浴びるのは、連合艦隊の山本五十六司令長官であること、③戦史にその人間像をここまで盛り込んだ作品は初めてだろう、というものだ。私にはとても『太平洋の試練』を読む時間的余裕はないが、「人間、山本五十六」をさらにつっこんでみたい人は、是非「大日本帝國戦史」の山本五十六像と、『太平洋の試練』の山本五十六像を対比して欲しいものだ。

<国論とは?民意とは?>
 1931年9月18日の柳条湖事件に始まった満州事変と1937年7月7日の盧溝橋事件によって、中国大陸における日中抗争は全面戦争に突入した。そして、「早期収束」という甘い見通しは見事に覆され、事態は次第に泥沼の様相に。そんな中、ナチス・ヒトラーが求めてきたのが「日独伊三国同盟」。本作は、その早期締結があたかも日本の国論になろうとしていたところから描かれる。それに反対したのが、「良識派三羽ガラス」と呼ばれた、海軍大臣米内光政(柄本明)、海軍次官山本五十六(役所広司)、海軍省軍務局長井上成美(柳葉敏郎)の3人。陸軍の意向や東京日報の意向はもちろん、そんな「国論」に反対するには大きな勇気がいるうえ、危険さえ伴うものだ。
 他方、11月27日に投開票された大阪府知事・大阪市長のダブル選挙では大阪都構想を掲げた松井一郎新知事、橋下徹新市長が圧勝し、これによって大阪府市民の「民意」が示されたが、さてその民意の今後の進展は?良識派三羽ガラスの頑強な抵抗によって、日独伊三国同盟の締結はいったん棚上げとなったが、1939年9月1日にポーランド侵攻を開始したナチス・ヒトラーの勢力が強まる中、ついに1940年9月27日に日独伊三国同盟が締結されたことは歴史上の事実。山本五十六は1939年8月30日以降、聯合艦隊司令長官に就任していたが、日独伊三国同盟から1941年12月8日の真珠湾攻撃に至るまで、彼はどんな心境でどんな作戦準備を?しかして、国論とは?民意とは?

<民主主義の危機は、あの頃と同じ?>
 本作はメインストーリーとは別に、小料理屋「志津」の女将、谷口志津(瀬戸朝香)やそのなじみ客でダンサーの神埼芳江(田中麗奈)を登場させ、「国論」とは別の庶民の率直な気持や生の声を代弁させている。志津は戦争によって景気を良くしてくれと声高に叫ぶ男の常連客や日毎好戦的になっていくマスコミの報道に疑問を感じているようだし、その不安は芳江も同じらしい。そんな芳江が言う「ここ数年の間に総理大臣が何人もコロコロと変わって、ホントにこの国は大丈夫なの?」というセリフは、今の私たちにはズシリと応えるものがある。
 1929年10月24日のニューヨーク株式市場大暴落に始まった世界恐慌が日本の経済に暗い影響を及ぼしたこと、そんな不安からの脱却を日本国民は軍部に求めたこと、そして政党政治が機能麻痺に陥り、次第に力を増してきた軍事官僚がリーダーシップを握って日本を軍国主義一色に染めていったことは歴史的な事実だが、その軍事面を除けば、現在の日本国の政治や経済そして民主主義の危機は70年前のあの頃と同じ?70年前には、中国への進出=満州国の建国や、石油資源確保のための南方への進出という国民受けのする特効薬(?)があったが、今や70年前に「大東亜共栄圏」を唱えた日本に代わって、「太平洋艦隊」の創設まで主張している中国が南方へも東方へも進出しようとしている時代。山本五十六が真藤にお説教したように、今の時代を生きる私たちも、自分の目と耳と心で、広く世界を見渡さなければならないのでは?

<年功序列・派閥人事は、今も昔も・・・>
 日本の近代的官僚制の骨格は明治維新後に次々とつくられた。高級官僚を採用し養成するための試験制度は1894年から1948年まで続いた高等文官試験で、これには行政科、外交科、司法科の3つがあった。他方、高級軍人を養成するための機関としてつくられたのが、陸軍は陸軍士官学校と陸軍大学校、海軍は海軍兵学校と海軍大学校だ。NHKスペシャルドラマ『坂の上の雲』の3年目の放映が12月4日(日)から始まったが、その主人公秋山真之は海軍兵学校の17期生、秋山好古は陸軍士官学校(旧制)3期生、陸軍大学校1期生。そして、「良識派三羽ガラス」と呼ばれ、大艦巨砲主義を批判し航空兵力を重視した米内光政、山本五十六、井上成美の3人は、それぞれ海軍兵学校の28期、32期、37期だ。なお、「兵学校創立以来、未だ見ざる秀才」と謳われ、「神様の傑作のひとつ」とまで称された海軍きっての逸材である堀悌吉(坂東三津五郎)は山本五十六と同じ32期。彼が主張した「戦争そのものは明らかに悪であり、凶である」、「軍備は平和の保障である」という「フリート・イン・ビーイング(=平和軍備論)」は、そのまま山本五十六の持論となった。
 他方、「艦隊派」の代表が、1941年4月から1944年2月まで軍令部総長をつとめた永野修身(伊武雅刀)と、1941年4月に第一航空艦隊司令長官兼第一航空戦隊司令官に就任した南雲忠一(中原丈雄)だが、彼らは、それぞれ28期と36期。政治には権力闘争がつきものだが、海軍大臣以下の海軍中枢部と聯合艦隊を軸とした海軍現場のリーダーたちは、今も昔も年功序列・派閥人事だったことが、本作を観ればよくわかる。そして、そんな姿に私はイライラ・・・。

<勝負には、博打の才や将棋の読みが大切!>
 山本五十六はバクチが大好きかつ強く、戦前のある日「海軍を終えたら長岡の五十(いそ)さでのんびり暮らすか、モナコでバクチうちになるつもりよ」と語っていたらしい。昨今は大王製紙のバカ御曹司である井川意高氏がカジノに100億円以上の資金を注ぎ込んだことが批判され、カジノやバクチの負の面が強調されている。しかし、金をかけたバクチはやらなくとも、人間が何らかの勝負をする場合、バクチは不可欠なものだ。ルーレットや丁半バクチは運に左右される面が強い勝負だが、囲碁や将棋は知恵の勝負。したがって、囲碁や将棋ではレベルが違う人には100回やっても100回勝てないのは当然。そうすると、将棋の大好きな山本五十六が、日米開戦しても日本はアメリカに勝てないと読んだのは正当な読みだ。
 もっとも、負けそうな勝負には奇襲や一点突破が必要。それは、今川義元を破った織田信長の「桶狭間の戦い」を見ればよくわかる。真珠湾攻撃やミッドウェー海戦をどう評価するかは難しいが、大成功といわれている真珠湾攻撃だって、一種のバクチみたいなもの。もちろん、そこには数々の戦略的・戦術的検討が重ねられ、数々のデータの裏付けもされているが、所詮勝負はバクチ。したがって、勝負の世界に生きる人間にはバクチや将棋が好きなことが不可欠な資質だと私は確信している。そういう意味では、法廷での勝負の世界に生きる弁護士には、法的知識を詰め込むよりもバクチや将棋の面白さを教えることの方がよほど大切なことはもちろんだが、高級官僚とりわけ外交官や政治家にもそれが必要なのでは?

<なぜ山口多聞は死亡し、南雲忠一はその後も活躍?>
 『坂の上の雲』では、「日本騎兵の父」と言われた秋山好古役をカッコよく演じている長身の阿部寛が、本作では山本五十六を敬愛する海軍兵学校40期の山口多聞をカッコよく演じている。1940年11月に第二航空戦隊司令官に就任した山口多聞少将は、空母「飛龍」の艦長として真珠湾攻撃でもミッドウェー海戦でも南雲忠一と行動を共にした。しかし、真珠湾攻撃では「第三次攻撃の要ありと認む」との意見具申が退けられたため、真珠湾基地への攻撃が不十分となったうえ、敵空母をたたくこともできなかった。また、ミッドウェー海戦では「ただちに攻撃隊発進の要ありと認む」との意見が退けられた挙句、敵機動部隊(空母)からの攻撃によって、「赤城」「加賀」「飛龍」「蒼龍」という4隻の虎の子空母を一挙に失うことになってしまった。
 すると、その責任は一体誰に?それは当然、第一航空艦隊司令長官兼第一航空戦隊司令官であった南雲忠一中将にあるわけだが、実際にはミッドウェー海戦で「誰かが敗戦の責任を取らなければならない」として、海の底に沈んだのは山口多聞。南雲忠一はミッドウェー海戦敗戦の責任を取らなかったばかりか、以降第三艦隊司令長官、中部太平洋方面艦隊司令長官などを歴任することになった。しかし、それは絶対におかしいのでは?もちろん、本作の描き方を鵜呑みにしてはダメだが、戦後66年を経た今のニッポン国に、国の運営にいくら失敗しても責任をとらないヤツがゴロゴロいる現状を見ると、その悪しき先例はここにも?今の時代を生きる私たちは、そろそろこれらの悪しき先例から学ばなければならないのでは?
                               2011(平成23)年12月6日記