日10-147

「武士の家計簿」
      

                    2010(平成22)年12月5日鑑賞<梅田ピカデリー>

監督:森田芳光
原作:磯田道史『武士の家計簿「加賀藩御算用者」の幕末維新』(新潮新書刊)
猪山直之(猪山家八代目、加賀藩の御算用者)/堺雅人
お駒(直之の妻)/仲間由紀恵
猪山信之(直之の父)/中村雅俊
お常(直之の母)/松坂慶子
おばばさま/草笛光子
西永与三八(お駒の父)/西村雅彦
猪山成之(直之の息子)/伊藤祐輝
お政(成之の妻)/藤井美菜
猪山直吉(後の成之)/大八木凱斗
2010年・日本映画・129分
配給/アスミック・エース、松竹

<異色な時代劇の企画に拍手!>
 邦画は最近時代劇ブームで、『大奥』(10年)、『十三人の刺客』(10年)、『桜田門外の変』(10年)などが相次いで公開され、今後は『最後の忠臣蔵』(10年)などの公開が予定されている。時代劇の「売り」は当然チャンバラ。『桜田門外の変』もそうだったし、三池崇史監督の『十三人の刺客』はその最たるものだった。しかし、本作は剣術道場での、猪山直之(堺雅人)とお駒(仲間由紀恵)の父親・西永与三八(西村雅彦)との木刀による稽古のシーンがあるだけで、刀を抜いたチャンバラシーンは全くなし。それどころか、猪山家の財産を売り払うシーンでは、猪山家の7代目当主である直之の父親・猪山信之(中村雅俊)が何と「武士の魂」である刀まで売ってしまおうとするからビックリ。そこで父親が「我が家の魂はあれじゃ」と言って指さし示したのは、そろばん。そう、代々御算用者として勤めてきた猪山家の武士の魂は刀ではなく、そろばんなのだ。
 本作に登場する、加賀百万石が抱えている約150人の御算用者が大広間のそれぞれのデスク(?)に向かって働いているシーンは圧巻だが、考えてみれば、どこの藩でも会計係が必要なことは当たり前。したがって、今までそういう視点から描かれた時代劇がなかったのが不思議なくらいだが、そんな映画が今般はじめて誕生したのは、磯田道史原作『武士の家計簿「加賀藩御算用者」の幕末維新』のおかげ。時代劇ブームの中、何とも異色な時代劇の誕生に拍手!

<財政難の中、何ともタイムリーな企画に拍手!>
 現在わが日本国の財政が火の車であることは誰の目にも明らかだが、菅直人政権の経済・財政政策は?国家財政も藩の財政も基本は家計と同じで、放っておけば次々と借金がかさみ、赤字財政になっていく宿命にある。そこで必要なのは本作の主人公・直之のように、借金財政立て直しのためのしっかりした政策の樹立と断固としたその執行だが、菅直人総理のリーダーシップではとてもとても・・・。
 ちなみに、先日やっと尖閣諸島のビデオが国会の予算委員会で秘密会として上映されたが、猪山家の財政立て直し策が描かれる本作こそ、是非予算委員会で堂々と上映してもらいたい。政策ではなく、政局がらみのくだらない議論ばかりやっているより、この1本の映画を上映すれば政治家もわが国の財政赤字にどう切り込んでいくべきかのヒントになるのでは?国家財政が逼迫し、明日にも倒産か?という超財政難という時代状況の中、何ともタイムリーな本作の企画に拍手!

<債務整理や民事再生の原型がここに>
 格式や体面を重んじる武士の社会では、何かとモノ入りだったのは当然。パンフレットによれば、それを「身分費用」と呼ぶらしい。これは「高い身分に見合った体裁を保つための費用のことで、とりわけ負担になったのは親戚や同僚との祝儀交際費用だった」とのことだ。直之の父は「江戸詰め」も兼ねていたため、出張費や江戸での滞在費もバカにならない。そのうえ、御蔵米(おくらまい)騒動によって直之の「そろばんバカぶり」が認められ、左遷が取り消されたばかりか、「御次執筆」へと異例の昇進をしたのはうれしいものの、身分が高くなればなるほど交際費が増えて出費がかさみ、家計が圧迫されるから大変。そんな猪山家の家計をみて、直之が断行した債務整理とは?
 その第1は、家屋敷の中にあるすべての不要品、贅沢品を売却しそのすべてを借金の返済にあてること。第2は、それによってもなお残った借金の6割について年18%の金利を免除してもらったうえ、10年間の分割払いの約束をとりつけたこと。これは現行法の破産方式ではなく民事再生方式だが、債権者との任意の話し合いでこんな民事再生計画が確定できたのは、債権者たちが破産よりこの方が得策と判断したことはもちろんだが、直之の誠実さが認められたため。さらに、直之は質素倹約を藩主の前田斉泰にも要請したから偉いものだ。
 赤字財政にあえぐ日本国や地方自治体は是非本作にみる直之の債務整理や民事再生の原型を参考にして、無駄の削減はもちろん、公務員削減や給料カットなどを大胆に実施してほしいものだ。

<ホントは入払帳(家計簿)だけでは・・・?>
 映画館で購入した本作のパンフレットは凝っており、入払帳の形になっている。そろばんは猪山家の「武士の魂」だが、直之との結婚を決意したお駒には、そろばんの玉を弾くパチパチという音が心地良かったらしい。映画では、冒頭直之の息子の成之(伊藤祐輝)がそろばんで明治政府海軍の要職を務めているシーンが登場するとともに、劇中では直之がつけている「猪山家入払帳」が再三登場する。しかしこれは、成之が子供の頃につけていたいわゆる小遣い帳と同じで、現在の現金出納帳に相当するもの。つまり、現金の出と入りだけを記帳するものだから、いわゆる複式簿記とは全然違う会計学上はきわめて初歩的なものだ。
 ちなみにこのパンフレットには、直之が売り払った猪山家の財産売却目録(天保13年7月17日~8月10日分)があり、その総額は2563.92匁(約1025万円)。これは、複式簿記の考え方によれば、家具、茶道具、衣類、書籍などの「什器備品」という「資産」を売ったことによって、「現金」という「資産」に変わっただけ。つまり、貸借対照表における「資産」の部には何の変動もないことになる。もっとも、これによって増加した「現金」という資産は、「借入金」という「負債」の返済にあてられたから、貸借対照表上は借方(左側)の「現金」という「資産」が約1025万円減少すると同時に、貸方(右側)の「借入金」という「負債」も約1025万円減少したことになる。
 本件は久しぶりに年配者がたくさん鑑賞していたが、就職難の今の時代に本作を観た学生諸君は、本作の素晴らしさとともに入払帳のそんな限界もしっかり勉強しなければ。

<「粗食」が一番!そして、「あっさり死」が一番!>
 核家族化してきたうえ、若者がパソコンとケータイばかりに熱中している近時の日本国では、家族がそろって食事する風景は失われてしまった。それは「わが家」も同様だが、徳川時代末期における猪山家の食事風景は実に微笑ましい。毎朝・毎晩家族がそろってこんな食事をしていれば、親による子殺し、子による親殺しなど発生するはずがないことがよくわかる。もっとも、ここで私が痛感したのは、飽食の時代の現在に比べ、あの時代の食事の貧しさ。猪山家が結構贅沢していた時代でもあの程度だから、借金返済のため貧乏生活に入った後の粗食ぶりは?しかし、飽食がいいのか粗食がいいのかは難しいところで、むしろ、あれくらいの粗食の方が健康上はいいのでは?
 他方、12月6日に観た『私の愛、私のそばに』(09年)によると韓国では安楽死が認められていないため、生ける屍状態のまま高額な入院費を支払い続けなければならないという問題があるらしい。現在日本人の平均寿命は男79.59歳、女86.44歳で女性は世界一だが、元気で生きているのならともかく、生ける屍状態で生き続けて何の意味があるの?高い医療費を払って最高の治療を受け続ければ長生きできることは確かだし、それを否定する気はサラサラないが、本作を観ていると直之の父親にしてもおばばさまにしても、その死に方はあっさりしたものだ。孫の成之を背負ったまま急に胸を押さえ始めた直之の父は、きっと心筋梗塞だろう。今なら救急車がすぐに駆けつけ、バイパス手術などを施せばたちまち寿命はあと10年は延びるはず。しかし、父親の死亡によって7代目当主から8代目当主となった直之への家督承継がスンナリできたところを見ても、あまり延命治療をせずあっさり死が一番!今の世相を見ていると、ついそんなことを考えてしまったが・・・。

<自慢話(?)はチト余分?>
 2010年のNHK大河ドラマ『龍馬伝』は終了したが、これによって今ドキの若者も少しは龍馬が暗殺される前にやっと成し遂げた「大政奉還」の意味がわかったはず。しかして本作の冒頭とラストは、猪山家9代目当主となった成之の語りをメインとして猪山家の自慢話(?)が紹介される。
 本作の誕生は、原作者の磯田道史が東京神田の古書店で入払帳と記された金沢藩士猪山家の36年分の家計簿を発見したのがきっかけだが、百万石にあぐらをかき、激動の幕末から明治維新にかけてほとんど何の働きもしていない加賀藩の一介の御算用者にすぎない成之が長州の大村益次郎に見い出されて、新政府の要職に抜擢されたというのはホント?きっと嘘ではないのだろうが、本作は猪山家の自叙伝ではなく、「そろばん侍」のユニーク性とそろばんに目を向けた財政改革の意義をアピールする作品だから、猪山家の自慢話はチト余分では?
                               2010(平成22)年12月7日記