洋10-117

「約束の葡萄畑 あるワイン醸造家の物語」
    

                    2010(平成22)年9月28日鑑賞<角川映画試写室>

監督・脚本・製作:ニキ・カーロ
原作:エリザベス・ノックス『THE VINTNER′S LUCK』
ソブラン・ジョドー(農夫)/ジェレミー・レニエ
ザス(天使)/ギャスパー・ウリエル
オーロラ・ド・ヴァルデー(男爵夫人)/ヴェラ・ファーミガ
セレスト(ソブランの妻)/ケイシャ・キャッスル=ヒューズ
ヴリー(伯爵)/パトリス・ヴァロタ
レジー(神父)/エリック・ゴードン
2009年・ニュージーランド、フランス合作映画・126分
配給/東北新社

<人生とワインの共通点は?>
 ワインを題材とした映画は、男2人と女1人がカリフォルニアの葡萄酒醸造所(ワイナリー)をめぐる旅を描き、「人生とワインの共通点は?」というおシャレな質問の答えを求めた名作『サイドウェイズ』(『シネマルーム7』212頁参照)など数多い。
 人生とワインが共通するのは、「極上のワインのように、そのピークを迎える日まで日ごとに熟成し、複雑味を増す。それからはゆっくりと坂を下っていくが、ピークを過ぎた味わいも捨てがたいから」だが、本作をみると、それは完成したワインを飲み、楽しむ側の人間の言うセリフであることがよくわかる。つまり、ワインを作ることは人生そのものだから、人生においてさまざまな悲しみや苦しみを体験しないと、その裏返しとしての人生の喜びを作品化したワインも誕生しないということだ。したがって、極上のワインをつくることは、さまざまな人生の試練に打ち勝ってこそ得られる到達点ということになる。さて、本作が描く、ワインづくりに一生を捧げた男の物語とは?

<なぜ英語劇に?>
 ビックリしたのは、本作が英語劇だったこと。フランス・ブルゴーニュ地方の葡萄農夫である主人公ソブラン・ジョドーを演じるジェレミー・レニエはベルギーに生まれた俳優で、フランス語圏作品の出演が主だったため、英語劇の主人公をつとめたのは本作がはじめてらしい。また、本作の原作を書いた女流作家エリザベス・ノックスもニュージーランド人らしい。さらに、本作を監督したニキ・カーロもニュージーランドだから、多分主人公以外はフランス語はしゃべれず、しゃべれるのは英語だけ?フランスのブルゴーニュ地方を舞台とし、邦題どおり「あるワイン醸造家の物語」を描くのになぜフランス語のセリフじゃないの?そんな疑問の答えは、そこらあたりにありそうだ。
 この違和感は、クエンティン・タランティーノ監督の『イングロリアス・バスターズ』(09年)で、ナチスの将校となったブラッド・ピットが「ハイル・ヒットラー!」と叫んでいた姿を観た時の違和感と同じ(『シネマルーム23』17頁参照)。葡萄畑の維持とワインの醸造に命を燃やした青年ソブランの生きざまは強烈なだけに、その物語は全編フランス語で演じてほしかったと思うのは私だけ?

<なるほど、これで「1812年」を暗示・・・>

 本作には、フランス・ブルゴーニュ地方を治める領主ヴリー伯爵(パトリス・ヴァロタ)や、その姪でヴリー伯爵亡き後の後半、ソブランのパトロンとして大きな役割を果たす男爵夫人オーロラ・ド・ヴァルデー(ヴェラ・ファーミガ)が支配階級者として登場し、農夫であるソブランとの身分格差がはっきりと示される。フランス革命によってマリー・アントワネットなどがギロチンの露と消え、王権が打破されたのは1789年だが、本作が描くフランスの時代はいつ?
 それは、ソブランのワインづくりへの情熱がひととおり紹介される導入部の後、痩せた土地を開墾し、葡萄樹を植える資金を得るため、ソブランがナポレオン軍の遠征に参加する姿を見ていると、すぐにわかる。なぜならそれは、歴史、文学そして音楽が大好きな私が、トルストイの小説『戦争と平和』で描かれたナポレオンをめぐる2人の主人公ピエールとアンドレイの論争やチャイコフスキー作曲の序曲『1812年』を知っているからだ。つまり、ナポレオンがロシアに攻め込み、大敗を帰したのが1812年。したがって、ソブランがナポレオン軍の兵士募集に応じてロシア遠征に赴いたのは、その直前ということがわかるわけだ。
 そう考えると、そんな歴史や文学、音楽について勉強不足の日本人には、本作の時代背景はなかなかわからないかも?

<やっぱり「天使」には違和感が・・・>
 西欧人にとっては背中に羽根の生えた「天使」は身近な存在なのかもしれないが、日本人にはその姿はもちろん、その存否自体に違和感がある。本作は世界一のワインづくりに情熱を燃やす若者の生きザマを描く映画だから、そこに天使が介入し、さまざまな「入れ知恵」をするとしたら、たとえ最高のワインづくりに成功したとしても公正性・透明性に問題があり、フェアでなくなるのでは?私はそう思ったが、さて?
 本作に登場する天使ザス(ギャスパー・ウリエル)は、人生や愛についてごく短いアドバイスを与え、かつ完成したワインについて味見をし意見を述べるものの、ソブランに対して全体的な指示を与えないのが特徴だが、それはなぜ?それはラスト近くになって明らかになるが、この天使がなぜソブランの前に現れたのか、そして彼の主張がどこにあるのかがイマイチ私には明確に見えてこない。さらに、少し気味悪い(?)のは、男であるはずのザスが何となく中性的で、ソブランと愛する妻セレスト(ケイシャ・キャッスル=ヒューズ)との間にある確執が発生し始めた後、ソブランとザスの間が何となく妖しげな雰囲気になってくること。こんな描き方は女性監督特有の視点なのかもしれないが、私にはやはりそんな天使ザスの登場に違和感が・・・。

<前半の希望・成功・喜びから、後半は一転して・・・?>
 本作前半は、ソブランとセレストとの結婚、貧しいながらも楽しい家庭、痩せた土地ながら精一杯前向きなワインづくりなどの様子があくまで前向きに描かれる。そして、それがヴリー伯爵に認められるところから、ソブランは異例の大抜擢となり、大成功に至る姿が描かれる。なるほど、これは「努力すれば報われる」という典型だが、それは努力だけ?それとも、ザスの何らかの力が・・・?
 他方、映画後半はオーロラとの関係を邪推したセレストの嫉妬心、突如明らかになったオーロラの乳ガン、そしてソブランが目撃したザスの秘密など、あらゆる点に「ひずみ」が発生し、人間関係にもその影響が・・・。最大の試練は、19世紀のフランスを襲った致命的な病害=フィロキセラの発生だ。これでもか、これでもかと追い打ちをかけて襲ってくる試練の前に、さてソブランのワインづくりの情熱は?そして、今やヴリー伯爵に代って領主となったオーロラの葡萄畑経営意欲は?映画はどちらかというとハッピーエンドが望ましいが、そんな試練が続く中で本作が描くハッピーエンドとは?
 ブルゴーニュ地方の絵画のような美しい風景の中で展開される、天使ザスを含むワインづくりにかけた人間たちの情熱と営みをしっかり観察すれば、今日からワインの味わい方が変わってくるかも・・・。
                               2010(平成22)年10月4日記