日08-314

「余命
      

                 2008(平成20)年12月10日鑑賞<東映試写室>

監督・脚本:生野慈朗
原作:谷村志穂『余命』(新潮文庫刊)
百田滴(しずく)(38歳の外科医)/松雪泰子
百田良介(滴の夫)/椎名桔平
保井きり子(滴の同僚の外科医)/奥貫薫
宮里光(滴の従姉妹)/市川実和子
女医(産婦人科)/かとうかず子
百田瞬太(滴と良介の子、中学生)/林遣都
吉野秀実(滴の友人)/宮崎美子
吉野晃三(秀実の夫)/二階堂智
諸井康平(滴の病院の教授)/橋爪功
2008年・日本映画・131分
配給/S・D・P

<原作は?>
 この映画の原作は、谷村志穂の『余命』。彼女が2003年に島清恋愛文学賞を受賞した『海猫』はベストセラーとなり、伊東美咲、佐藤浩市、仲村トオルらの共演で映画化されたが、その映画の採点は星3つ。そして、随所に不満もあった(『シネマルーム6』78頁参照)。
 そんな彼女の『余命』は、結婚10年を迎えた38歳の女性外科医百田滴(松雪泰子)をヒロインとし、待望の妊娠に喜び同時に乳ガンの再発に悩みながら、ある決断を下す姿を描くもの。

<38歳の女性外科医の決断とは?>
 ユニークなのは、滴の夫良介(椎名桔平)は、元医者だったのにそれを捨てて主夫をやりつつフリーカメラマンとして生きているという設定にしたこと。外科医として第一線でバリバリ働いている滴には相当の収入があるはずだから、いわばヒモのような存在の「金食い虫」でも同居することが可能だが、妊娠と乳ガンの再発という非常事態となった今、滴がある決断を下すについて良介の影響力と存在価値は?
 そんなところに切り込みながら滴の決断を見守りたいが、さてその決断とは?

<これぞ松雪泰子の決定版!>
 12月9日に観た『ノン子36歳(家事手伝い)』は1970年生まれの女優坂井真紀の決定版だったが、『余命』は1972年生まれの女優松雪泰子の決定版!松雪泰子は『フラガール』(06年)で日本アカデミー賞優秀主演女優賞を受賞したことによって大ブレイクしたが、『余命』における彼女の演技は絶品。
 『ノン子36歳(家事手伝い)』は、38歳の坂井真紀が36歳のノン子に扮して2歳サバを読んだが、これはすばらしい怪演だった。『余命』では、36歳の松雪泰子が38歳の女医滴に扮して、2歳逆にサバを読んでいるが、10年ぶりに待望の妊娠をした女性としての喜びと、右胸の乳ガンが再発した女性としての苦しみを、全編にわたって好演。

<独りよがり?それとも・・・?>
 「婦唱夫随」(?)の夫婦生活を10年も続けていると、あらゆる面で妻がリーダーシップをとるようになることが、この夫婦をみているとよくわかる。滴の働きぶりが、諸井康平教授(橋爪功)や同僚の女医保井きり子(奥貫薫)の信頼を得ていることは明らかだが、そのための滴の毎日の努力は相当なもの。したがって、そのしわ寄せが内助の功を果たすべき良介にくるから、良介の支え役ぶりにも注目。
 しかし、私の目にはどうもこの夫婦は互いに遠慮しあっているようで、本音と本音のぶつかり合いが不足しているように思えてしまう。華々しい夫婦ゲンカはないものの、滴が良介に対して、いい加減まともな収入のある仕事をしてほしいと願っていることは明らかだ。
 妊娠の喜びも束の間、今右胸に表れたアザによって乳ガンの再発を知った滴がとるべき道は➀子供をあきらめ、治療に専念する、➁ガンの進行を早めることになっても子供を産む、の2つ。いうまでもなく子供は夫婦に対する神様からの授かりものだから、こんな苦渋の決断を下すについては徹底的な夫婦間の話し合いが必要。私はそう思うのだが、なぜか滴は良介との相談はおろか、乳ガン再発の報告すらしないという選択を。それは一体なぜ?それは、あまりにも独りよがり?それとも・・・?

<ある決断の中、夫婦のほころびが次第に・・・>
 もっとも、滴がある決断を下すについて、いろいろと迷ったのは当然。そこで、まず滴が選択したのは、20年ぶりに故郷奄美へ帰ること。故郷で、一人静かに考えてみようと思ったわけだ。したがって、そこに良介が一緒に行くと言い出したのは、滴にとって迷惑なだけ。つまり、苦渋の決断を下すについて、良介はうっとうしいだけの存在・・・?
 滴を温かく迎えてくれたのは従姉妹の宮里光(市川実和子)たちだったが、故郷の青い空、青い海そして美しい夕日の中、滴はついに子供を産む決心をすることに。ここらあたりの松雪泰子の演技の説得力に注目だ。
 もっとも、私にとっては東京に戻っての諸井教授への辞表の提出は意外。良介が言うように「産休をとればいいじゃない」と私も思うのだが、滴は「そんな問題じゃないの!」と断固自分の決断を決行。ここらあたりでは、既に夫婦関係にかなり大きな溝が・・・?それを決定的にしたのが、子供が産まれたら一層主夫業に専念し、子育て役に徹すればいいと安易に考えている良介への不安と不満。つまり、3カ月の長期キャンプで安定した収入を得られるカメラマンの仕事をいったん口にしながら、結局は断ってしまった良介に対して、きついひとことを放ってしまったわけだ。そこまでいわれれば、良介だって仕事を引き受けざるをえないはず。
 表面上は何事もないようにキャンプに出発した良介からは以降手紙も電話もこなくなってしまったが、それは仕事に没頭してるため?それとも・・・?

<原作に忠実に?それとも・・・?>
 この映画を監督・脚本したのは『手紙』(06年)で殺人事件の加害者家族に焦点をあてた、かなり難しい東野圭吾の原作を映画化した生野慈朗監督。生野慈朗監督は、原作では殺人犯の弟の夢が歌手だったのに、映画ではお笑い芸人に大きく変更した(『シネマルーム12』207頁参照)。
 プレスシートによると、そんな彼が谷村志穂の原作については、ほぼストーリーに忠実に描く方針をとったようだ。この映画が2時間を超える長さとなったのはそのせい(?)だが、時系列に沿って粛々とストーリーを積み重ねていくという手法は下手をすると観客にあきられる可能性がある。この映画でも滴の決断、良介との長期の別れ、乳ガンが進行する中での厳しい出産、と続くと、きっとその後は良介との和解という流れが予想されるはず。しかして、生野慈朗監督演出による、そのシナリオのつくり方は?

<映画的演出の冴えはラストに>
 映画が便利なのは、いくらでも自由に時間や場所を飛ばすことができること。滴が無事男の子を出産することができたのは、産婦人科の女医(かとうかず子)の尽力や吉野秀実(宮崎美子)、吉野晃三(二階堂智)夫婦たちの協力のおかげ。
 しかして、戻ってきた良介との和解が成立し、子供の名前を瞬太と決めたとたん、次のシーンは奄美大島の海に一人立つ若者の姿から。さてこの若者は誰?
 彼こそ、今は中学3年生に成長し、高校合格の通知を心待ちにしている瞬太(林遣都)。つまり、時代は一気に十数年経ったわけだ。小説は文章をつなぎ合わせなければ状況を理解させることができないが、映画はこんなワンシーンだけですべての状況を観客に理解させることができる。当然、今瞬太がしゃべっているのは奄美の方言。そして、その父親良介は滴との和解の席で約束していたように、今は医者としてこの島でホドホドに(?)頑張っているようだ。きっと瞬太はこの後医大を目指して進学するはず。母親が失った時間を、息子が見事に取り戻しているわけだ。
 生野慈朗監督の演出の冴えは、そんなラストのシークエンスに。
                               2008(平成20)年12月11日記