洋08-227
「落下の王国」 ![]()
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2008(平成20)年8月21日鑑賞<角川映画試写室>
監督・脚本:ターセム・シン
ロイ・ウォーカー(スタントマン)/リー・ペイス
アレクサンドリア(5歳の少女)/カティンカ・アンタルー
看護師エヴリン/ジャスティン・ワデル
シンクレア(人気の映画俳優)/ダニエル・カルタジローン
アレクサンドリアの父/エミール・ホスティナ
ルイジ(片足の俳優仲間)/ロビン・スミス
インド人(オレンジ農園の使用人)/ジートゥー・ヴァーマ
ダーウィン(病院職員)/レオ・ビル
霊者(オレンジ農園の使用人)/ジュリアン・ブリーチ
オッタ・ベンガ(氷の配達人)/マーカス・ウェズリー
2006年・アメリカ映画・118分
配給/ムービーアイ・エンタテインメント
<始まりと終わりには、交響曲第7番第2楽章が>
映画の冒頭、大きな橋が登場し、そこで何やら作業(?)している人たちの写真が1枚1枚登場してくる。それと共に字幕が表示されるのだが、この1枚1枚の写真が何を意味するのかサッパリわからない。
しかし、そこに流れる荘厳な音楽が、ベートーベンの交響曲第7番の第2楽章であることは私にはすぐにわかった。なぜなら、ベートーベンの1番から9番まである交響曲のうち第7番の第1楽章と第3楽章は最もハデでカッコいいので、学生時代から私の大好きな曲だから。そしてもう1つの理由は、『敬愛なるベートーヴェン』(06年)で、「野獣」ベートーヴェンの隣の部屋に住む老婦人が、「ベートーヴェンがいないと、静かで至福の時を過ごすことができる」と文句を述べたため、その映画のヒロインであるアンナが「それでは引っ越ししたら・・・」と言うと、「とんでもない。私は誰よりも早くベートーヴェンの音楽を聴くことができるのだから」と答え、その後すぐにベートーヴェンの交響曲第7番の第2楽章のメロディを口ずさんだシーンが強く印象に残っているから(『シネマルーム12』277頁参照)。
第1楽章と第3楽章はド派手なのに対し、第2楽章は当然静か。しかし、ワーグナーが「不滅のアレグレット」と呼んだこの第2楽章は、1つの主題が少しずつ形を変えながら何度も何度も展開されていく、いわゆる変奏曲。これだけじっくり聴かされれば、きっとあなたの耳にも名曲の1つとして残るはずだ。
<原題はマル、邦題はペケ>
この映画の原題は『THE FALL』だが、邦題は『落下の王国』。映画鑑賞後の私の感覚では原題の方がベターで、「王国」という言葉を付け加えた邦題はダメ。これでは、映画のエッセンスを損なうばかり。
この映画は、5歳の少女アレクサンドリア(カティンカ・アンタルー)とアレクサンドリアに即興の物語を語って聞かせるスタントマンのロイ・ウォーカー(リー・ペイス)の2人が主人公。アレクサンドリアもロイもロサンゼルスのとある病院に入院しているのだが、それは2人ともあるところから落ちてケガをしたため。アレクサンドリアは実家のオレンジ収穫を手伝っている時誤って木から落ちて左腕を骨折したためだが、さてロイの方はどこから、なぜ落ちたの・・・?そして、その傷の具合は・・・?
<テーマは『蒲田行進曲』?>
「スタントマン」「落下」と聞いて多くの日本人が思い出すのが、日本映画界に燦然と輝く深作欣二監督の名作『蒲田行進曲』(82年)。新選組の土方歳三に扮した花形俳優の「銀ちゃん」を引き立てるため、「階段落ち」をやるのが大部屋俳優のヤス。土方の斬られ役となる役者は何十メートルもの階段から下に転がり落ちる姿をリアルに演じなければならないから、そんな役を演ずるのは命懸け。さあ、そんなシーンに平田満扮するヤスはどんな決意で・・・?
「スタントマン」はこんなヤスの仕事とは異なり、名の通った俳優の代わりに危険なシーンの撮影に挑む仕事だが、命の危険という意味ではヤスと同じ。今のように撮影技術が進歩し、CG技術まで可能になれば、いかようにも観客の目をごまかすことはできるが、映画初期の時代とりわけ無声映画の時代のスタントマンは大変だったようだ。さて、ロイはどこでどんな危険なスタントを・・・?そして、彼が今病院に入院しているのは、そんな危険な仕事のせい・・・?
<このインド人監督は、早速インプットしなければ>
近時「BRICS」の進出が世界的に注目されているが、その重要な一翼を担うのがインド。インド人が算数(数学)に強いことはIT業界への進出で証明されているし、映画産業の盛んなことも常識。ところが、私が知っているインド人監督は、『シックスセンス』(99年)のM・ナイト・シャラマン監督だけ。『ザ・セル』(0年)で一躍有名となったターセム監督は寡聞にして知らなかった。
プレスシートによると、1961年にインドに生まれたターセムは24歳でアメリカに渡り、ナイキやペプシなど多くのコマーシャル監督として大成功を収めたうえで、2000年に満を持して『ザ・セル』で監督デビューし、熱狂的なファンを生み出したとのこと。しかも、『落下の王国』は「自分のつくりたい映画をつくる」という信念で、無名のキャストを使い、予算はすべて自己資金という形でスタートしたというからすごい。結果的には、実弟のアジット・シン(ターセムと共に会社Googly Filmsを運営している)の賛同を得て映画化が本格的にスタートしたわけだが、構想26年、撮影期間4年、CGを排し、世界24カ国以上、13の世界遺産をロケ撮影したという映像は、「これぞホンモノ!」の美しさと迫力がいっぱい。
商業主義に走る著名監督はたくさんいるが、こんな「オレ流」のすごいインド人監督がいたとは。早速、このインド人監督はインプットしなければ・・・。
<ロイが物語を語って聞かせた目的は?>
この映画の時代は1915年だから、今から100年近く前。スタントマンだったロイが今病院のベッドに横たわっているのは、恋人を主演俳優に奪われ、ヤケクソ気味に橋の上から飛び降りたため・・・?今やそのケガからの復活はありえず、ロイは一生ベッド上での生活を余儀なくされているようだから、生きる希望を失い、自暴自棄になっていたのは当然。
そんな彼のベッドをアレクサンドリアが訪れたのは、たまたまアレクサンドリアが2階から投げた手紙が風に乗って1階のロイのベッドの上に流されてきたため。話し相手がほしかったロイは「アレキサンダー大王にちなんだ名だね。こっちへおいで」と話しかけ、無邪気に彼の話に耳を傾けるアレクサンドリアに対して少しずつ即興でつくった荒唐無稽な物語を話して聞かせたが、さてその目的は・・・?
ちなみに、シェへラザードがシャフリヤール王に対して毎夜『千夜一夜物語』を語って聞かせたのは、妻の不貞を見て女性不信に陥った王が毎夜とっかえひっかえ若い女と一緒に過ごしては殺すという生活を止めさせるため。つまり、そんな自堕落な生活よりも、シェへラザードの物語の方が面白いと感じさせなければならないのだから、いくら荒唐無稽であっても、とにかく興味と関心を引きつけなければダメ。さらに大切なことは、物語が佳境に入ったところで「続きはまた明日」と翌日に期待を持ち越させること。
ロイの場合アレクサンドリアに対して物語を語って聞かせたのは最初から何らかの目的があったとは思えないが、ある時点からはある明確な目的意識を持っていたことは明らか。さて、その目的とは・・・?また、ロイがアレクサンドリアに語って聞かせる物語は、シェへラザードがシャフリヤール王に物語る『千夜一夜物語』並みの面白さをキープできてる・・・?
<ロイとラモンとの共通点は?>
私がこの映画を観てすぐに思い出したのは『海を飛ぶ夢』(04年)。『ノーカントリー』(07年)の「怪演」でアカデミー賞助演男優賞を受賞したハビエル・バルデムを、私は8月18日の『宮廷画家ゴヤは見た』(06年)で観たが、その俳優ハビエル・バルデムを強く印象づけたのは、フランス、スペイン合作の『海を飛ぶ夢』。これは第77回アカデミー賞最優秀外国語映画賞を受賞した名作だが、そのテーマは人間の尊厳死(『シネマルーム7』197頁参照)。
その主人公ラモンは、25歳の時引き潮の海に頭から飛び込み、海底で頭を強打したことによって首から下が不随となり、以降意識は正常人だが、肉体的に手足が動かなくなったという人物。そんなラモンは26年目すなわち51歳の時、尊厳死を求めたがそれが拒否されるや、自力での尊厳死ができないラモンはある行動を・・・?
そんなラモンと共通するのが、今自殺を望んでいるロイ。ロイがアレクサンドリアに聞かせる物語の登場人物が病院関係者ばかりだったのは所詮素人の思いつきストーリーのせいだが、アレクサンドリアの興味を引きつけるにはそれで十分。ロイは自分で歩くことができないが、左腕を骨折しているだけのアレクサンドリアは病院内を自由に歩けるうえ、子供だから監視はほとんどなし。したがって、ストーリーの展開模様によっては、薬の保管室に忍び込みある薬を盗み出してくることくらいは可能。そう考えたロイは、アレクサンドリアを活用してある薬を入手しようとしたが・・・。
これはある意味では、『海を飛ぶ夢』のラモンが、外部の人たちと接触し尊厳死への協力を求めたのと同じ。しかし全く違うのは、ラモンの場合は外部の人たちの自由な意思によって尊厳死応援団(?)が結成されたのに対し、ロイの場合は刑法で言えば「間接正犯」理論のように、アレクサンドリアをいわば道具として利用しようとしたこと。その意味ではロイの行動は言語道断だが、こんなやりとりの中でロイとアレクサンドリアの意識の中にはどんな変化が・・・?それが、ターセム監督が描きたかったこの映画のテーマだ。
2008(平成20)年8月26日記