日06−184

「出口のない海」
             

                    2006(平成18)年9月16日鑑賞<梅田ピカデリー>

監督:佐々部清
脚本:山田洋次、冨川元文
原作:横山秀夫 『出口のない海』(講談社刊)
並木浩二(回天搭乗員)/市川海老蔵
北勝也(回天搭乗員)/伊勢谷友介
佐久間安吉(回天搭乗員)/柏原収史
沖田寛之(回天搭乗員)/伊崎充則
鳴海美奈子(並木の恋人)/上野樹里
伊藤伸夫(回天の整備員)/塩谷瞬
馬場大尉(光基地の指揮官)/永島敏行
剣崎大尉(回天の教官)/高橋和也
鹿島(イ36号潜水艦の艦長)/香川照之
戸田(イ36号潜水艦の航海長)/田中実
並木俊信(並木の父)/三浦友和
並木光江(並木の母)/古手川祐子
並木幸代(並木の妹)/尾高杏奈
剛原力(並木の野球部の友人)/平山広行
小畑聡(並木の野球部のマネージャー)/黒田勇樹
柴田(喫茶店「ボレロ」のマスター)/嶋尾康史
松竹配給・2006年・日本映画・121分

<山田洋次監督のカゲがチラホラと・・・?>
 パンフレットによればこの『出口のない海』は、山田洋次監督が自身の監督次回作として構想を練りはじめたが、「若い世代にこそこの題材を撮って欲しい」という想いから、監督ではなく脚本家としてこの作品に関わることを決め、佐々部清を監督として指名したとのこと。また山田洋次監督は自身の監督次回作『武士の一分』(06年)があったため、脚本も冨川元文と共同に・・・。佐々部監督は常々山田監督を尊敬しているうえ、自身が山口県出身で、「回天」は一度はやってみたいテーマであったため監督をやることになったが、このように、最初からこの映画には山田洋次監督の影がチラホラと・・・。

<二兎を追う者は・・・?>
 他方、『キネマ旬報』9月下旬号の特集における佐々部監督のインタビューによると、山田洋次監督の脚本の主眼は回天で、当時の若者たちが回天にどう触れて何を感じたのかをリアルに描くことだった。しかし、佐々部監督がこの映画で撮りたかったのは、「前半は野球選手としての並木の日常、後半は回天に乗り組むまでの彼の兵士としての姿と、一本の映画にまるっきり違う前、後編が収まっている話」だったとのこと。このため2人のイメージは大きく異なり、佐々部監督は、「これでダメなら降りる」という覚悟でいたところ、山田監督が立腹もしたが最後はオーケーしたらしい・・・。
 しかし、こんなエピソードからもわかるとおり、また「二兎を追う者は一兎も得ず」の諺どおり、この映画では野球への夢の話と回天の技術論が中途半端・・・?

<「回天」映画あれこれ>
 私自身がケッタイな弁護士だからかもしれないが、私にはケッタイな友人・知人が多い。その1人がS新聞社に勤務するS氏。私より10歳ほど若いのに、彼は戦争映画マニアで、戦時中の国策戦争映画や戦後すぐにたくさんつくられた戦争映画の多くをDVDで購入している。私が借りて自宅で観たそんな映画は約30本。
 『キネマ旬報』9月下旬号は『出口のない海』を特集しているが、その中にある野村正昭氏の「『出口のない海』と“回天”を描いた映画たち」では、次の4本の回天映画が取りあげられている。すなわち、
@『人間魚雷回天』(55年、新東宝、松林宗恵監督、出演 岡田英次、木村功、宇津井健)、
A『人間魚雷出撃す』(56年、日活、古川卓己監督・脚本、出演 石原裕次郎、葉山良二、長門裕之、津川雅彦)、
B『南太平洋波高し』(62年、東映、渡辺邦男監督・脚本、出演 梅宮辰夫、水木襄、千葉真一、鶴田浩二、高倉健)、
C『人間魚雷 あヽ回天特別攻撃隊』(68年、東映、小沢茂弘監督、出演 鶴田浩二、松方弘樹、伊丹十三、梅宮辰夫)。
 私はこのうち、S氏のDVDで、@『人間魚雷回天』とC『人間魚雷 あヽ回天特別攻撃隊』の2本は既に鑑賞ずみ・・・。したがって、回天についての予備知識はかなりのもの・・・?

<ガラガラの観客が心配・・・>
 私はこの映画を公開初日の土曜日に妻とS新聞社のS氏の3人で鑑賞した。8月15日に向けた公開ではなかったため観客の入りを心配していたが、公開直前の新聞各紙はかなり大きくかつ好意的にこの映画を紹介していたため、ひょっとしてかなりの人気が出るかも、とわずかに期待していた。しかし、残念ながらその予想は見事にはずれ、観客席はガラガラ・・・。ちなみに、10月から東京で弁護士登録する予定の私の長男からも、東京の映画館で公開初日の朝1番に観たとの報告が入ったが、その映画館もガラガラだったとのこと。これでは先が思いやられそう・・・。
 もし、通常の松竹系映画館の公開では観客が呼べないことが明らかになれば、今回限りの非常手段として、松竹とどこかの単館が組んで、「回天特集」をやり、前記4つの古い作品とあわせて一挙上映してみれば・・・。

<市川海老蔵はミスキャスト・・・?海老蔵批判その1>
 歌舞伎界のプリンス市川海老蔵は2003年のNHK大河ドラマ『武蔵 MUSASHI』で1年間強烈な印象をお茶の間に残したが、その姿が映えたのは、やはり舞台における『信長』の役。彼の目の力は、普通の俳優にはない歌舞伎役者独特のものだから、舞台ではよく似合っても、映画では『武蔵』のような特殊な役でなければ似合わないもの・・・?
 前記のインタビューでも佐々部監督は、「海老蔵君は強烈な目力を持っている人で、台本読みのときはそれがモロに出て、どうしようかと思いました。舞台で育った人ですから、台詞回しも強い。そこで、この映画ではずっと弱い人でいて、芝居しないでくれと。台詞は隣にいる人に聞こえる程度で、ぼそっと呟く程度でいいといった」と語っているほど。おまけに、1977年生まれの海老蔵は撮影時28歳。これについて佐々部監督は、パンフレットで、「回天記念館の遺影を拝見すると、当時の方のお顔は、今よりもずっと大人びているので、海老蔵さんの年齢でちょうど良かった」と擁護しているが、やはりオッサンはオッサン。したがって私には、目の力も年齢も、海老蔵演じる回天乗りの並木浩二はあまりに不似合い。映画デビュー第1作が注目されていた海老蔵だったが、これは重大なミスキャストでは・・・?

<育ちの良さと体型は・・・?海老蔵批判その2>
 ちなみに、「海老蔵ミスキャスト論」には、一緒に観た妻もS氏も全く同感だったので、以下あえて目の力と年齢以外のいくつかの点についても海老蔵批判を・・・。
 その1は、もって生まれた育ちの良さと体型。人間、もって生まれた育ちの良さはどうしようもないのかもしれない。それは舞台で『信長』を演じれば最高の資質となるのだが、回天乗りという極限状態の役を演ずるには、マイナス以外の何者でもない・・・。さらに、一足先に海軍を志願した陸上部の北勝也(伊勢谷友介)やこの2人と共に潜水艦イ36号に乗りこんだ回天乗務員の佐久間安吉(柏原収史)と沖田寛之(伊崎充則)、さらに回天整備員の伊藤伸夫(塩谷瞬)らに比べると、1人だけぽっちゃり系(?)で、あの時代の特攻隊員の体型とは大違い・・・?したがって、学生服も特攻服もどことなく違和感が・・・。

<これでエースピッチャー・・・?海老蔵批判その3>
 海老蔵演ずる並木は明治大学のエースピッチャーという設定だから、この映画出演に向けて海老蔵は、ピッチングフォームを固めるべくかなり練習したはず。しかし、パンフレットによると、歌舞伎界のプリンス海老蔵がこの映画のために割ける撮影期間は、2005年10月〜12月の3カ月のみだったらしく、明らかにフォーム固めが不足・・・?したがって、再三スクリーン上に登場するそのピッチング姿が全くサマになっていない。並木のファンだったという整備兵の伊藤とキャッチボールをしている姿を見ると、誰がどう見ても伊藤の方がナイスピッチング・・・。

<サイパン陥落はいつ・・・?時代考証の誤りその1>
 S氏の指摘によると、この映画には重大な時代考証の誤りがあるので、それを指摘しておきたい・・・。
 それは、そこだけちょっと浮いた感じで神宮外苑における学徒出陣の壮行会(ニュース)のシーンが挿入された後、並木と恋人の鳴海美奈子(上野樹里)の2人が仲良く語らいながら道を歩いている時、空襲にあい、市民が防空壕に逃げ込むシーン。
 神宮外苑での学徒出陣の壮行会が行われたのは昭和18年10月21日で、この時点では日本が防衛ラインとしていたサイパンはまだ陥落していない。ちなみに、昭和17年4月に東京は空襲されるが、それはアメリカ空母から発進した艦載機が行ったもので、規模の小さい限定的なものだった。サイパン陥落は昭和19年7月。したがって、航空母艦に頼らず、サイパン基地から自由に日本本土を空襲できるようになったのは、昭和19年11月以降。つまり、昭和18年10月の学徒出陣の壮行会が行われた際には、まだ東京がアメリカの飛行機の空襲にさらされるという状況はなかったわけだ。この点において、この映画は明らかに1年間の時代考証を誤っているはず・・・?

<あんな反抗ができるの・・・?時代考証の誤りその2>
 佐々部清監督による戦後61年目の回天映画は、山田洋次脚本の影響によって(?)回天をどう操縦するのかと悪戦苦闘するシーンが頻繁に登場する。私はそれはそれでいいのだが、軍事マニアである私の息子は、バルブを開くと言いながら手の動きは閉じていたなどと細かいことを言っていたが、その真偽のほどは不明・・・。
 並木ら回天搭乗員に対して山口県光基地での厳しい訓練が始まったのは、自ら二重マルを書いて秘密兵器への搭乗を志願したため。回天の操縦はすごく複雑で難しいため、兵学校出の現役士官よりも大学出の予備士官の方が適任と考えられていた面もあるらしい(?)が、そんな中並木が「俺は文系だから回天の操縦は難しくて・・・」とグチをこぼしているのはいかがなものか・・・?
 それはともかく、初の回天試乗訓練に緊張感いっぱいで臨んだ並木だったが、その成り行きは散々なもの。何とか命だけは助かったものの、そのヨレヨレの試乗訓練ぶりを見れば、教官が怒り狂うのは当然。並木自身も自分のミスを自覚しているはずだから、殴られても当然と思っているはず・・・?ところが、スクリーン上には、教官からビンタを食らった後、腹を立ててその教官に食ってかかろうとする並木の姿が映し出される。私は日本陸軍伝統(?)の不合理なビンタや初年兵いじめは大嫌い。陸軍に比べると少しは自由度が高いと言われている海軍だが、自分のミスで事故死寸前までいきながら、教官から殴られるとそれに腹を立てる特攻隊員はいかがなものか・・・?
 『あヽ回天特別攻撃隊』や『人間魚雷回天』における回天の試乗訓練ぶりと比べて、私が大いなる異和感を持ったのは当然・・・。

<『Uボート』のすばらしさは・・・?>
 私が戦争映画大好き人間のS氏と意気投合したのは、「ウォルフガング・ペーターゼン監督の『Uボート』(81年)はすばらしかった」という話をしたのがきっかけ・・・。私も息子もしたがって妻も、この『Uボート』は自宅のビデオで何回も観ているが、最近『Uボート完全版』がテレビ放映されたため、それもダビングして何回も鑑賞。ところが、最近S氏はドイツのテレビで6回にわたって放映された『Uボート TVシリーズ完全版』を紹介し貸してくれたから、これも近いうちに鑑賞しなければ・・・。
 それはともかく、何回観てもこの『Uボート』が面白いのは、「潜水艦映画に外れなし」と言われる最大の根拠である緊張感にある。潜水艦は小さいからその居住環境は最悪だし、駆逐艦から爆雷で攻められる時は潜ってじっと耐えるだけしかないから、酸素不足の悩みと精神的な重圧感は想像を絶するものがあり、気が狂いそうになるのが当然。

<『Uボート』との緊張感の比較は・・・?>
 回天搭乗員として並木、北、佐久間、沖田の4人が乗っているイ36号は、Uボートに比べれば格段に大型で、行動がしやすく居住環境もいいものだが、それでも駆逐艦による対潜攻撃にあえばそりゃ大変。そのイ36号の艦長、鹿島(香川照之)はいつものとおりいい演技を見せているが、爆雷攻撃を受けるイ36号内部の乗組員たちの緊張感は、『Uボート』のそれに比べれば大きな違いがある。艦長の操艦能力に信頼をおいているといえばそれきりだが、それだけで割り切れるはずはなく、恐怖心でいっぱいになるのが人間では・・・?
 もっとも、映画後半には浮上できないイ36号の酸素不足が深刻になり、ベッドの脇にあるロッカーの扉を開けてその中にこもっていた酸素を吸うというシーンがあり、これにはなるほどと感心。ところがそれは、その後敵駆逐艦のスクリュー音が消え、危険が去ったことを知った乗組員たちが、突然元気にはしゃぎ回るシーンを観て、一気に逆転!こりゃ一体ナニ・・・?人間にとって酸素を吸って呼吸することは生物として不可欠なことだから、駆逐艦による爆雷投下の下で、水中に潜ったまま死を待つのか、それとも浮上して戦って死ぬのかの二者択一を迫られるのは、潜水艦乗りの宿命。そんな緊張感がいっぱいの『Uボート』に比べると、この『出口のない海』のイ36号は危険の中でちょっとだらけすぎ・・・?そして危険が去った後はちょっとはしゃぎすぎ・・・?思わず、一体どこにそんな体力が温存されていたの、と聞きたくなってしまったが・・・。

<「軍神」についてのS氏VS坂和論争は・・・?>
 立派な父並木俊信(三浦友和)と母光江(古手川祐子)、そしてかわいい妹幸代(尾高杏奈)の中で何不自由なく伸び伸びと育った明るい並木に対し、北は貧農の出だから、何かどでかいことをしたかったらしい・・・?彼が陸上部に入って懸命にマラソンの練習をするのは、その道でヒーローになりたかったから。学生が集まる喫茶店「ボレロ」で、「今はスポーツなどやっている場合ではない」と言い放った北が、いち早く回天搭乗員を志願したのは、彼の言葉によれば、回天に乗って戦果をあげることによって「軍神」になるため。ところが、運命の神サマは皮肉な采配を振るうもので、イザ出撃となって乗り込んだ彼の回天は故障のために発進しないという運命に・・・。
 そこで展開されるのが「軍神」論争。すなわち、北が、自分は軍神になるために回天搭乗員になったのだから、並木の回天に乗らせてくれと土下座して頼むというシーンだ。これについて、私は北の気持は理解できると擁護したのだが、S氏の主張は、当時は子供の時から自分の命は国のものという教育がなされていたため、たとえ個人の理由があったとしても、「護国の鬼」となるために黙って死んでいった人たちがたくさんいた中で、北に「軍神」という言葉をそんなに安っぽく使わせるのはナンセンスだということ。「軍神という言葉は映画を観ている若者には理解しがたいものでしょうが、もう少し言葉をデリケートに扱ってほしいと思いました」というS氏の感想を、佐々部清監督はどう受け止めるだろうか・・・?

<女は涙を誘うためのお飾り・・・?>
 黒木和雄監督の遺作となった『紙屋悦子の青春』(06年)が9月2日に公開されたが、これは戦争レクイエム3部作と呼ばれる『TOMORROW/明日』(88年)、『美しい夏キリシマ』(02年)、『父と暮せば』(04年)に続く、黒木戦争(批判)映画の傑作。しかし、ここではこれ見よがしに観客の涙を強要するようなシーンはなく、あくまで淡々とそれぞれの俳優たちがあの時代の若者像を演じているだけ。
 しかし、『出口のない海』に並木の恋人として登場する美奈子は、特攻に志願していく恋人との別れの悲しみを強調するお飾りとしての役割を果たすためだけに登場していることがミエミエ・・・。2時間という時間枠の中で、回天の操縦の難しさも野球に情熱を燃やした並木の想いも伝えなければならないから、恋の部分は多少駆け足にならざるをえなかったのはわかるものの、これでは観客の涙を誘うためのお飾りとされている美奈子が、あまりにもかわいそうでは・・・?
                               2006(平成18)年9月21日記