洋06−138

「夜よ、こんにちは」
             

                   2006(平成18)年7月23日宣伝用ビデオ鑑賞
                      <7月1日から第七藝術劇場他で上映>

監督・脚本:マルコ・ベロッキオ
キアラ(誘拐犯の一味、女性革命家)/マヤ・サンサ
マリアーノ(誘拐犯の一味、リーダー)/ルイジ・ロ・カーショ
アルド・モロ(元イタリア首相、キリスト教民主党党首)/ロベルト・ヘルリツカ
エルネスト(誘拐犯の一味)/ピエル・ジョルジョ・ベロッキオ
エンゾ(図書館で働くキアラの同僚)/パオロ・ブリグリア
プリモ(誘拐犯の一味)/ジョヴァンニ・カルカーニョ
ビターズ・エンド配給・2003年・イタリア映画・105分

<マルコ・ベロッキオ監督とは・・・?>
 私は、イタリアのベルナルド・ベルトルッチ監督は『ラスト・エンペラー』(87年)の監督として知っていたが、1939年生まれのマルコ・ベロッキオ監督が、このベルトルッチ監督と並ぶイタリア映画界最後の巨匠であることは、寡聞にして全く知らなかった。もっとも、パンフレットの中に並べられている20本弱の彼の作品群を見ても、そのタイトルを知っているのは、有名なレイモン・ラディゲの小説を元に映画化した『肉体の悪魔』(86年)だけで、残念ながら1本も観たことがない。私のような日本人はいくら映画ファンといっても、やはりヨーロッパ映画には疎いことをあらためて実感・・・。

<日本人はヨーロッパの政治も勉強不足・・・>
 私は1967年の大学入学直後から、学生運動にのめり込んでいったから、マルクス・レーニン主義の基礎的な文献は読んでいるし、少しはヨーロッパの政治についても勉強していたつもり。しかし1974年の弁護士登録以降、公害訴訟を中心とした弁護士業務に明け暮れていたし、その後も、高度経済成長、公害、都市問題、土地バブル、バブル崩壊等という日本の目の前の現象や、自民党を中心とした政治権力とそれを革新しようとする政治権力との対決という構図にはそれなりに目を向けていたものの、ヨーロッパ政治の動向まではなかなか勉強することができなかった。もっとも学生時代の延長として、世界の共産党の活動にはそれなりの興味をもっていたため、ヨーロッパの中でイタリア共産党が政権に参加するというニュースは聞いたことがあったし、フランスでも共産党がそれなりの勢力を持っていることはよく知っていた。また、ヨーロッパ特有の社会民主主義政党がどのように位置づけられるのかということについても、それなりの勉強をしていたつもり。しかし、キリスト教民主党党首であったアルド・モロ(ロベルト・ヘルリツカ)が、1978年にイタリア共産党を政権に参加させるという「歴史的合意」を結び、与党5党連合の連立内閣が承認される日であった3月16日に「赤い旅団」によって誘拐されたことは、残念ながら知らなかった。
 これは、スティーヴン・スピルバーグ監督の『ミュンヘン』(05年)に描かれていた、1972年のミュンヘンオリンピックにおいてイスラエル選手団の殺害事件が起こったことも、ごくあいまいにしか知らなかったのと同じ。いかに自分がヨーロッパの政治情勢に疎いかを、あらためて実感させられたもの・・・。

<「赤い旅団」とは?>
 イタリアの「赤い旅団」とは、1970年に誕生した極左武装集団とのこと。日本人は農耕民族であるうえ、「和をもって尊しとなす」という独自の価値観を持つとともに、政治面においては昔から「よらしむべからず、知らしむべからず」の原則(?)が貫かれていた。したがって、近代国家としての明治政府が成立しても、民主主義とは程遠いものであり、1945年の敗戦以降はじめて(アメリカ流)民主主義が入ってきたにすぎないから、もともと民主主義を実践していくという訓練を受けていない民族。
 しかし、ヨーロッパはそうではない。1789年の「自由・平等・博愛」を掲げたフランス革命の時から、これらの価値は闘争によって勝ち取るものであり、民主主義は血で築くものだという感覚を持ち、数世代にわたってそのDNAが継承されている民族で構成されている地域・・・。たまたまマルクスはドイツで生まれたが、まさに「共産党宣言」が言っているとおり、「共産主義という妖怪がヨーロッパを徘徊している」わけだ。このように、ヨーロッパ全土が、程度の差はあってもマルクス主義の影響を大きく受けていたため、ブルジョワジーVSプロレタリアート、右翼VS左翼、ファシズムVSパルチザン等々、その政治的対立軸がたくさんあるし、その対決も激しいもの。それに比べれば、日本では「60年安保」「70年安保」において「政治の季節」が少しはあったものの、それは長続きせず、高度経済成長、昭和元禄、土地バブルと経済面ばかりに目がいったため、全世界から「エコノミックアニマル」と呼ばれるようになったわけだ。イタリアにおける「赤い旅団」に相当する組織が、日本では北朝鮮への亡命のために「よど号ハイジャック事件」を起こした「連合赤軍」だろうが、それがごく一部のハネあがりであったことは明らか。また「浅間山荘事件」に象徴されるように、日本では極左武装集団は全く国民の支持を受けることができなかったことも明らか。しかし、イタリアでは・・・?
 「赤い旅団」によるモロ誘拐と55日間の監禁後におけるその殺害、そして誘拐犯、殺害実行犯たちの逮捕と終身刑の宣告は歴史的事実だが、今(2003年)このモロ党首誘拐事件が、あえて映画化されたのは、一体なぜ・・・?

<主人公は革命の女性闘士だが・・・?>
 1830年のフランスのパリ7月革命における有名なドラクロワの絵に描かれた「民衆を導く自由の女神」、そして15世紀の百年戦争におけるジャンヌ・ダルク、さらに19世紀の共産主義革命闘争におけるローザ・ルクセンブルグなどのように、いつの時代でも女性の活躍は目立ち、歴史に残るもの・・・。パンフレットにあるマルコ・ベロッキオ監督のインタビューによれば、「赤い旅団」によるモロ誘拐の実行犯の中に現実にはアンナ・ラウラ・ブラゲッティという女性がおり、マルコ・ベロッキオがこの映画を監督するについては、このアンナと電話で話をし、「彼女が書いたものが最も重要な参照項を提供してくれた」と書かれている。
 その女性を映画上にイメージし主人公としたのが、23歳の若き革命女性闘士キアラ(マヤ・サンサ)。彼女はレジスタンスとして活動していた両親がファシストの手によって殺されたことを契機として革命家を目指して「赤い旅団」に入り、モロ誘拐事件に参加するわけだが、55日間モロをアパートに監禁したうえ、「赤い旅団」が死刑を宣告したことに対してどのように対応していくのだろうか・・・?それが、この映画の、そしてマルコ・ベロッキオ監督が描く大きなテーマ。

<冒頭はアパート選びから・・・>
 この映画のすばらしさの1つは、『夜よ、こんにちは』というタイトルがピッタリの「暗さ」をメインとした映像の美しさだが、やはりストーリー展開における緊張感において、そのすばらしさは突出している。冒頭は、新婚夫婦のアパート選びからだが、何の予備知識も持たないままこの映画を観た人には、この映画は恋愛ドラマで、ここに新婚夫婦が入ってきた後、どんな展開になるのかナと思っても不思議ではないもの・・・?
 このアパート選びの中、エルネスト(ピエル・ジョルジョ・ベロッキオ)とキアラの若い夫婦(?)はほとんどしゃべらず、不動産屋のおっさんだけが1人ペラペラと営業言葉をしゃべりまくるのが印象的・・・。アパート選びの次は、不意の来訪者に気を遣いながら、「赤い旅団」のリーダーであるマリアーノ(ルイジ・ロ・カーショ)とプリモ(ジョヴァンニ・カルカーニョ)が本棚をセットして「隠し部屋」をつくるシーンが描かれるが、さてそれは何のため・・・?そりゃ、誘拐してくる予定のモロ党首を監禁するためであることは明らかだが・・・。

<大切な小道具がテレビ>
 テレビが今日大切な情報伝達のための道具であることは明らかだが、アホバカバラエティー番組全盛の今ドキの日本のテレビ番組を観ていると、それはむしろ人間を幼稚化させていくための道具に思えてくる。しかし、このモロ誘拐事件を起こした1978年当時のイタリアはそうではなく、テレビは大切な情報源。マルコ・ベロッキオ監督はドキュメント映画をつくったのではなく、この映画は客観的な流れや結果を大前提としながら、モロ誘拐事件についての自分自身の大胆な解釈を提供したものだから、監督は主人公のキアラをいろいろと悩ませたり、行動させたりと大忙し・・・?その内容はここでは書けないが、そのキアラを通した一種の「ヤラセ」には一面すごく説得力があるものの、客観的事実に照らせば「そんなバカな・・・」と思う面も・・・。そういう自由な発想と自由な解釈をしたうえで、スリリングな緊張感を持って観客の目をスクリーンに注目させるこの映画は、まさに傑作!
 他方、その自由があまり行き過ぎないようにチェックするのが、モロ誘拐事件を報じる当時そのままのテレビのニュース報道。アパートの中の誘拐犯たちの唯一の情報源はテレビだから、そこで伝えられるニュースの価値が大きいのは当然。図書館に勤務して、外からの情報集めをするキアラは別として、55日間もこの密閉されたアパートの中にこもっているマリアーノ、プリモ、エルネストにとって、それはなおさらのこと。そして、それだけの価値を認めてもらえれば、この部屋の中にある1台のテレビも本望というもの・・・。

<モロのパーソナリティと彼が描く政治の理想像は・・・?>
 この映画では、監禁されたアルド・モロの敬虔なキリスト教徒として、また家族思いの一家の長としてのパーソナリティ、そしてキリスト教民主党の党首として彼が描く政治の理想像をかなり詳しく見ることができるから、是非それに注目してもらいたい。ややもすればアクの強い政治家、例えばヒトラーやスターリン、日本では田中角栄などがリーダーとしてふさわしいと勘違いされがち(小泉純一郎がこの中に入るかどうかは微妙なところ・・・)。そういう視点から見ればこのアルド・モロは全く異質で、悪く言えばそこらにいる普通のオッチャンのイメージ。政治家としての活動にしても、相手の話をじっくりと聞いたうえで率直に自分の考え方を説明し、調和点・妥協点を見い出していこうという、どちらかというと日本人的感覚の政治家のよう。そんな「調整型」(?)の政治家だからこそ、いくらイタリア共産党が現実主義路線をとっているとはいえ、共産党を含めた5党連立内閣の成立を実現できたのだろう。また、彼が妻や孫に書く手紙、そしてローマ法王に書く手紙を読み聞かされても、その内容は飾り気がなく実に率直で好感の持てるもの。こんな映画を観なければ、イタリアのキリスト教民主党党首のパーソナリティや彼が描く政治の理想像を見ることなど到底不可能だから、ホントにいい勉強になるはず・・・。

<勤務先の図書館でのキアラとエンゾは?>
 キアラは「赤い旅団」のメンバーであることをカムフラージュするためもあって、昼間は図書館に勤め、普通のOLを装っている。そんな彼女と机を並べて働いている同僚がエンゾ(パオロ・ブリグリア)だが、これがちょっと変わった青年で、あまり真面目に仕事をせず、キアラに対して話しかけてばかり。そして、何と彼が『夜よ、こんにちは』というシナリオを書いていたというから驚き。さらに、現実にモロ誘拐事件が発生する中、彼は「誘拐犯の中に女性がいる」という自分のシナリオをキアラに語って聞かせることも・・・。
 しかし、所詮「赤い旅団」の犯行に賛成することができない彼とキアラは平行線。と思っていたのだが、なぜかキアラの叔母さんからの食事の呼びかけに、キアラはエンゾとともに出席。この雰囲気からすると、ひょっとして2人の間に淡い恋が芽生えるのかと思っていると、何とある日図書館に警察官が乱入してきた。ビックリするキアラだったが、そのターゲットは実はエンゾ。なぜエンゾがモロ誘拐の犯人と疑われたのかはわからないが、『夜よ、こんにちは』のシナリオを書いているくらいだから、ある意味で疑われても当然・・・。それはともかく、このエンゾという青年を登場させることによって、マルコ・ベロッキオ監督のモロ誘拐事件の解釈は一層複雑に・・・。

<興味深いマリアーノVSモロの議論、そして有罪判決の内容・・・>
 モロの価値観や考え方がきわめてノーマルなのに対し、モロを監禁した誘拐犯のリーダーであるマリアーノとモロとの議論を聞いていると、マリアーノの思想の「単純さ」が浮びあがってくる。もっとも、それは社会主義・共産主義の崩壊と資本主義の優位が明らかになった今だから言えることで、1978年当時は、その優劣はある程度見えていても、まだまだ結論は出ていなかったもの・・・。
 革命家キアラが夢の中で見るレーニンの姿は、パンフレットによれば「ヴェルトフの『レーニンの三つの歌』の葬儀の場面」らしいが、この当時は理想と考えられていたスターリン政治が、実は恐怖政治であり、その崩壊が必然であったこと、そしてそれはユートピアの終わりを示すものであったことは1978年当時はまだわかっていなかったもの。したがって、当時23歳のキアラがこのユートピアを信じていたことはうなずけるし、リーダーのマリアーノがさかんに「プロレタリアートは・・・」等の言い古された教条的な革命言葉を駆使して、モロに議論を挑んでいるのももっともなこと。ちなみに、これとおなじようなことを、私もその10年前の1968年当時は盛んに議論していたもの・・・。
 そしてハイライトは、マリアーノがモロに宣告する死刑判決の内容。マリアーノはいかにも得意気にモロを起立させたうえ、その判決を読み上げて言い渡すのだが、1974年以降32年間弁護士活動をやっている今の私の目から見れば、その判決文のデタラメさがありありと・・・。

<よくぞこんな映画を上映!>
 2003年のイタリア映画を今回大阪で上映したのは、十三にある第七藝術劇場。この「ナナゲイ」の経営者である松村厚氏と私は、最近でこそ月に1、2度は試写室で顔を合わせるような仲になったが、もともと私にとって、この十三の映画館は遠い存在だったし、映画評論を書くようにならなければ松村氏と知り合うこともなかったはず・・・。
 この『夜よ、こんにちは』は試写室の日程が私の出張の予定と重複していたため、どうしても試写室で観れなかったので、宣伝用ビデオを借りていたところ、今朝(7月23日(日))の朝4時頃に目が覚めて眠れないため、これを観ようと思いついた。そして、日曜日恒例の、午前10時から3時頃までのフィットネスクラブでの20km走とサウナ休憩を終えて事務所に戻り、この評論を一気に書き終えたもの。通常ならば、土・日は試写室ではなく、劇場で観るべき映画がいっぱいあるのだが、現在公開中の観るべき映画はすでに試写室でほとんど鑑賞済みであるうえ、観ていないのはアニメの『ブレイブストーリー』や『サイレントヒル』『神の左手 悪魔の右手』などのホラー映画ばかり。そんな状況をうまく活かして、この『夜よ、こんにちは』の宣伝用ビデオを日曜日の早朝に観ることができたのはラッキー。今、日曜日の夕方は少し酔っぱらいながらこの原稿を書いているが、夜自宅に戻れば、もう1本残っている宣伝用ビデオの『グッドナイト&グッドラック』(05年)を観ることにしよう・・・。
                               2006(平成18)年7月24日記