洋05−181

「私の頭の中の消しゴム」
             

                    2005(平成17)年10月30日鑑賞<梅田ピカデリー>

監督・脚本:イ・ジェハン
チェ・チョルス/チョン・ウソン
キム・スジン/ソン・イェジン
ヨンミン/ペク・チョンハク
アンナ・ジョン/イ・ソンジン
キム氏/パク・サンギュ
スジンの母/キム・ヒリョン
ギャガ・コミュニケーションズ配給・2004年・韓国映画・117分

<冒頭シーン3話 その1>
 この映画は前半と後半でガラリとその趣を変えるが、冒頭に3つの面白いシーンが印象的かつ手早く示されていく。まず最初は、主人公のキム・スジン(ソン・イェジン)が、駅の待合室で1人待っているところから。彼女がなぜ、何のためにそこにいるのか、またどのくらいの時間そこにいたのか、誰もそれを説明しないためサッパリわからない。ただ、すぐ近くにいた「タバコの火を貸してくれ」と声をかけた労働者風の男が、その後背もたれを隔てて対となっているベンチに寝ていたから、かなり長い時間彼女がその駅の待合室にいたであろうことが推測できる。そして遂に彼女は、左手に大きな荷物を持って立ち上がったかと思うと、右手に握りしめていた2枚の切符を意を決したかのように丸めてポイ・・・。さてこれは何を意味しているの・・・?

<冒頭シーン3話 その2>
 次はあるコンビニの中。イラついた表情のスジンがコカコーラを1本選び、レジで700ウォンと言われ、財布からお金を出して払おうとしていたが、何かを思い出したようにスジンは急に荷物を持って店の外へ。コーラを持っていくのを忘れたことに気付いたスジンが再び店に戻ると、ちょうどコーラを持って店から出ようとしていた若い男とバッタリ・・・。ここで、てっきり自分のコーラをくすねられたと誤解したスジンは、この男からそれを奪い取り、当てつけるかのようにその目の前でこれを一気に飲み干した。そして、お嬢さまに似合わぬちょっと品の悪いゲップを1つした後、店を後にしてスタスタと・・・。
 ところが乗ったバスの中で、財布も一緒に忘れたことに気付いたスジンが再度コンビニに戻ると、店員は「よほど急いでいたんですね」と言いながら、スジンがレジに忘れていったコーラと財布を・・・。「私は何てことをしてしまったんだろう」と慌てて外を探したが、当然もはやそこには男の姿は見えなかった・・・。さてこれは何の伏線・・・?

<冒頭シーン3話 その3>
 スジンは裕福な家庭のお嬢さまのよう。そして、帰ってきたスジンを迎える母親と妹との会話から、彼女は不倫に疲れ果てた挙げ句、遂に彼と決別したという状況にあることが理解できる。しかし、翌朝の父親を交えての気まずい朝食の様子と、父親が運転する車の中での父娘の会話を聞いていると、父親のやさしさとこの家族みんなの温かさがヒシヒシと伝わってくる。これは一体何を暗示しているの・・・?

<韓国での不倫事情は・・・?>
 スジンの不倫相手は同じ会社の妻子ある上司のヨンミン(ペク・チョンハク)。日本は不倫大国だが、韓国では夫ある女性の不倫は姦通罪があるから命懸け(この点は、人妻の密通をテーマとしたラブストーリー『密愛』(02年)を観れば明らか)だし、儒教思想の強く残る韓国は不倫についてはまだまだ後進国・・・?もっとも最近では、妻子ある男性はかなり自由なのかも・・・?
 どうもヨンミンから振られてしまったらしいスジンは傷心の毎日を送り、職場でも針のむしろとなったのは当然。そんな彼女にとって最高の慰めとなったのは、家族がそして何よりも父親がそんな娘の「失敗」を認め、励ましてくれたこと。私にも娘がいるが、私だったらとてもそんなことは言えないかも・・・?

<やっぱり女は打たれ強く、立ち直りが早い!>
 ある日工事現場の視察に向かった父親の車に同乗したスジンが偶然その現場で見かけた男は・・・。彼こそ、工事現場で自分の意見をはっきり主張し、社長である父から「骨のある奴」と言われたチェ・チョルス(チョン・ウソン)だった。チョルスは荒々しそうでそのうえ無神経そうな現場監督だが、実は建築家志望の勉強家。しかしどこか暗いところがあり、スジンとの交際が始まってからも、家族のことは一切何も説明しないタイプの人間。そんなチョルスだから、その後スジンが頼んだショールームの改装工事の現場でコーラを買うスジンを見つけた時にチョルスがとった行動は・・・?
 この映画は、コーラを小道具としたこのシーンを代表として、印象的なシーンが2度3度とくり返される傾向がある。1度だけならあっさり見逃すものだが、正反対の視点から同じシーンやセリフを数回見せられると、観客はより強く印象に残るもの。
 こんなチョルスと出会ったスジンはもうメロメロ・・・。友人の女の子たちに頼んで、偶然の出会いの場をうまくセットしてもらうなど、女性特有の手練手管もうまく使いながらたちまちチョルスといい仲に・・・。ヨンミンとの不倫に破れ、もう2度と恋などしないと誓っていた昨日までのスジンは今どこに・・・?やっぱり女は打たれ強く、立ち直りが早い動物だと、あらためて実感!

<物語の幅を広げ、純愛のピュアさを深める不倫相手の登場!>
 ストーリー展開を見ていると、スジンが不倫に破れたのはチョルスとの出会いをきわだたせるための背景にすぎないと思っていたが、実はそれは大まちがい。不倫相手のヨンミンにはちゃんとペク・チョンハクという役者が配され、後半にはいくつかの登場シーンが用意されている・・・。
 会社の中では数年毎の転勤があるから、いったん他地へ転勤したヨンミンがまた戻ってきてもおかしくないのは当然。2年後に職場に戻ってきたヨンミンは、今は妻とは別れている状態。他方、スジンはチョルスと結婚し幸せそうな家庭生活を送っていた。そこでヨンミンがスジンに対してとった行動は・・・?それにはさまざまなパターンがあると思うので、それは映画を観てのお楽しみに・・・。
 ただ現在の夫であるチョルスにとってヤバイ(?)のは、「若年性アルツハイマー病」という病気は、現在のこと、身近なことから先に忘れ、昔のことを比較的覚えているという傾向があること。すると、スジンにとって最愛の夫が今側にいるチョルスであっても、スジンの記憶ではチョルスを忘れ、ヨンミンを覚えている・・・?そんなバカな・・・?
 もっとも、これは甘いスイカに少し塩をかければより一層スイカが甘くなるようなもの。すなわち、このヨンミンの登場によって、チョルスとスジンの愛の純度はよりピュアに・・・。

<難しいインフォームドコンセント>
 この映画でスジンが1人で訪れる病院(医院)は、老医師のキム氏(パク・サンギュ)が1人でやっているもの。最初は「物忘れがひどいの・・・」という一言で片づけていても、自宅へ帰る道を忘れたり、ご飯だけの弁当を渡したりしていれば、ちょっとヤバイのでは・・・?そう考えて、家族や夫が病院に連れて行くのがふつうだが、その意味ではスジンの家族やチョルスは少し怠慢、というよりノー天気・・・?
 それはともかく、この病院(医院)でのキム氏によるスジンの診察とインフォームドコンセントの状況、そしてチョルスとキム氏とのインフォームドコンセントの様子は、日本で近年大問題となっている「病気の告知」「インフォームドコンセントのあり方」というテーマから大いに興味深いもの。日本の基準からいえば、この映画のように、スジンしかいない診察室でキム氏がすべてスジンに語ってしまうのはかなり問題ありだ。先に家族(夫や両親・子供)を呼んで、病状とその見通しを説明し、そのうえで本人にどのように説明すべきかを相談するのが当然だ。そうするとその場合、ひょっとして本人には病名を告知しないという選択肢もありうるはず・・・。
 もっともこのインフォームドコンセントのあり方は、この映画のテーマとは関係がないため、どのようなインフォームドコンセントになっているのかは、その点に興味を持つ人それぞれの視点でよく検討してもらいたい。またこの映画を観ていると、お医者さんの説明も大変で、ヘタすると命懸け(?)だということもよくわかる・・・?

<俺の消しゴムは・・・?>
 この映画は韓国最高の美男美女が登場するラブストーリーだが、考えてみれば急性白血病などという「特殊な」病気に比べると、アルツハイマーというのは、大なり小なり誰にでも年とともに訪れてくるものだから、人ごとではないテーマ。私の周りにも、この病気のために苦しんでいる人が現実にいるし、「さて今日は何曜日だったかな?」「今日は昼飯を食べたかな?」「昨日観た映画の主役は誰だったかな?」等々、いつも「あれは何だったっけ、誰だったっけ」と忘れっぽくなっている自分を思うと、俺の頭の中の消しゴムは・・・と考えざるをえないもの。
 この映画では脳の中にできたあるタンパク質が原因と診断されているが、それが医学的にどこまで正確なのかはもちろん私にはわからない。そこでスジンが「例えば手術したら・・・?」と質問するのは当然だし、私だって同じ質問をしたいが、さてその答えは・・・?
 なおこの映画の中では「若年性アルツハイマー病」について「痴呆」という言葉が登場するが、それは2004年の韓国映画だからか・・・?ご存じのとおり、日本では「痴呆症」は差別用語とされ、今では「認知症」と呼ばれているが、当の本人にとっては医学上の呼び名はどうでもいいこと・・・?

<よく練られた構成とセリフに感心!>
 この映画の後半は、重い病気の女性とそれを支える男性との純愛というよくあるパターンだが、その展開が結構面白い(?)うえ、バトルあり、回想あり、そして2人の涙と家族の涙ありという構成が実によくできたものになっている。そして「若年性アルツハイマー病」を克服するためというテーマから、必然的に壁一面にメモ用紙が貼られているシーンが登場するが、そのメモの1つ1つの持つ言葉の意味が重要なものに・・・。さらに、よく練られたセリフに感心!

<親子観をめぐる感動的なセリフも・・・>
 裕福な家庭のお嬢さまのスジンに対して、「お前は自信過剰だ。人生なんてどうなるかわからない」と暗い少年期・青年期を経て成長したチョルスは冷めた人生観を披露していたが、後半はガラリとそれが逆転(?)することに・・・。そして、スジンがチョルスに対して言う「許すことは心の部屋を1つ明け渡すこと」というセリフは、お嬢さまが親の受け売りのように言ったのでは何の説得力も持たないもの。しかし自分の不倫の誤ちを父親から許してもらうという体験をしたスジンであるため、親との暗い過去を今だに引きずっているチョルスに対して投げかけたこのセリフには重みがあり、何とも感動的・・・。いつも独特の宗教観を見せつけてくれるキム・ギドク監督の『受取人不明』(01年)や『サマリア』(04年)ほどそのセリフが重要な統一テーマではないものの、純愛ドラマの中で、こんなセリフ(宗教観)が登場してきたことにビックリ・・・。

<感動的シーン2話 その1>
 『世界の中心で、愛をさけぶ』(04年)は多くの日本人の涙を誘った。そのためには、よく練られた構成・脚本と役者陣の熱演は当然だが、それだけでは不十分で、やはり華となるいくつかの感動的シーンが不可欠。『セカチュー』でのそれは、皆さんの頭の中にそれぞれ残っているはずだが、この映画で私の印象に残った感動的シーンは次の2つ。
 その1つはバッティングセンターでのシーン。コンビニと同じように、この映画ではこのバッティングセンターも重要な舞台で、知り合った2人が愛を育んでいく上で大きな役割を果たしている。スジンがあえて内緒にしていた「アルツハイマー病」の告知をチョルスがキム医師から受けた後、2人の激白シーンが展開される舞台がここだ。ヨン様のような涙を流すだけの演技ではなく(?)、腹の底からスジンを愛し支えていくという気持を前面に押し出したウソン様の熱演につい共感を・・・。

<感動的シーン2話 その2>
 感動的シーンその2は、パンフレットの中でも「印象的なラストシーン」「それがラスト4分間。魂の波動である」と書かれているコンビニでのシーン。その詳細をここで書くわけにはいかないが、「ここは天国ですか?」というスジンの一言は、ひょっとして今年の流行語大賞の候補になるのではないかと思うほど印象深いもの。そしてここで、あなたの目からどっと涙が溢れ出るはず・・・。
 この映画は、私の大好きな女優の1人である永作博美が主演した2001年のテレビドラマ『Pure Soul〜君が僕を忘れても〜』をもとにしたもの。そして、そのドラマの中での彼女の「私の頭の中には消しゴムがあるの」というセリフをそのまま映画のタイトルにしたものだが、そのタイトルがこの最後の決めゼリフによってイキイキと輝いたものに・・・。
 「終わりよければすべてよし」とはよく言われるが、それがピッタリとはまる映画は最近少ないのが実情。そんな中、これは数少ない作品のうちの1つ。エンドロールが流れても決して席を立たず、歌詞付きで流れてくる美しく切ない曲を聴きながら、タップリと余韻に浸ってほしいものだ。
                               2005(平成17)年10月31日記