洋05−167

「SEVEN SWORDS セブンソード(七剣)」
                            


                    2005(平成17)年10月2日鑑賞<梅田ブルク7>



第1部 坂和流あれこれの視点
<これぞ最強の武侠映画!>
 張藝謀(チャン・イーモウ)監督の大ヒット作『HERO(英雄)』(02年)以来、日本でも武侠映画という言葉が少し理解・定着してきたためか、『LOVERS(十面埋伏)』(04年)も日本で大ヒットとなった。しかして、この『セブンソード』の宣伝文句は、「『HERO』(02)も、『LOVERS』(04)も、この作品の登場を待つための壮大なプロローグに過ぎなかった」というすごいもの・・・。
 現在高視聴率を誇る関西の番組に、やしきたかじん司会の『たかじんのそこまで言って委員会』があるが、まさに「そこまで言っていいんかい!」と思いつつ、私が期待をもって観に行ったのがコレ。そしてその結果は、期待にたがわぬ超娯楽大作。あの宣伝文句は大言壮語ではなかったと実感!まさにこれぞ最強の武侠映画と感激!
 黒沢明監督の『七人の侍』(54年)と着眼点やストーリー構成に共通点があるものの、決してこれは『七人の侍』やそれをハリウッドでリメイクした『荒野の七人』(60年)と同じ発想の映画ではなく、梁羽生(リャン・ユーシェン)の原作『七剣下天山』にもとづいた、中国本土でのホントの(?)、しかし架空の(?)物語!

<『七人の侍』『荒野の七人』との対比の是非は・・・?>
 日本の映画評論家がこの映画を評論すれば、必ずあの黒沢明監督の『七人の侍』、そしてそのハリウッドでのリメイク版である『荒野の七人』と対比して、いかにもわかったような、物知り顔(?)の解説がなされるはず。別にそれを否定するつもりはないが、私はそんなに難しい顔をして対比していたのでは、単純にこの映画を楽しむことができなくなってしまう危険性があるのでは、と思っている。それほどこの映画は、映画の中に没頭して楽しめばいい作品・・・。
 しかし、そこは映画評論家の私・・・?やはり私も、物知り顔をしてちょっと対比してみたいので、それをほんの3点だけ・・・?

<坂和流3つの対比>
 その第1は数字の7は「多すぎず、少なすぎず」また、「散漫にならず、一点に集中せず」という意味で、やはり映画でもラッキーナンバーだということ。先日観た『Mr.&Mrs.スミス』(05年)は、ブラッド・ピットとアンジェリーナ・ジョリーを完全に2分の1ずつのウエイトで出演させていたが、7人の主人公ともなれば、その全員に同じウエイトがおかれるわけではない。当然、7人の性格や役割はさまざまだから、物語のつくり方に応じてその登場頻度に濃淡がつくことになる。それは、『七人の侍』でも『荒野の七人』でも、そしてこの『セブンソード』でも全く同じで、まずは7人それぞれの性格や役割分担をしっかりと見極めることを楽しもう。
 第2は、正義の味方の7人が成り立つためには、必ず「敵役」が必要なところ、この手の映画を面白くさせる最大のポイントは、この敵役のパーソナリティにあるといっても過言ではない。もちろん、「多勢に無勢」が基本的なシチュエーションだが、敵役のリーダーの性格と能力に注目することが、この手の映画を楽しむコツ・・・?
 第3は、スケベおやじ的視点ながら、女優の果たす役割が重要だ。当然、この手の映画は男性中心映画だが、紅一点、紅二点は必ず存在するもの。したがって、その位置づけの巧みさや何よりもその女優の美しさと魅力が注目点!
 その他、いろいろな対比点があるが、とりあえず私の対比はこの3点のみにとどめよう。そしてこの3つの対比点からも、この映画は絶品!実によくできている、とあなたも感服するはずだ。

<映画の理解に不可欠な時代考証!>
 この映画の時代は1660年代。漢民族の王朝であった明王朝は1644年の清国軍による北京占領によって事実上滅び、この時中国本土は、北方から侵入してきた満州民族の清王朝が支配していた。
 清王朝とは、北方で成立していた満州民族の国家である「後金」が1636年に国号を清とあらためたもので、1660年代はその4代目皇帝である康熙帝の時代。彼は賢者として知られており、日本でも有名な皇帝。ちなみに、この1660年代の日本は、徳川4代将軍家綱の治世だ。

<中国の歴史は王朝交代の歴史!>
 秦の始皇帝が中国を統一したのはBC221年だが、それ以前もそれ以降も中国史の大ワクを理解するには、何よりも王朝の交代のサマを押さえるのが1番。それまで支配階級であった明王朝における漢民族に対して、満州民族の清王朝が強制したのが「弁髪」。しかし、これはあまりにも露骨に漢民族のルーツを否定する政策だった。そのため、誇り高き漢民族がこれに憤慨したのは当然で、各地に「反清復明」「滅満興漢」をスローガンとする反政府勢力が立ち上がった・・・。
 という前提が、どこまでが本当なのかは知らないが、これが中国の武侠小説や武侠映画を成立させる根本。すなわち、中国の王朝交代の歴史の節目という激動の時代背景における、ある1コマを前提として成り立つのが武侠小説、武侠映画なのだ。それは、あの有名な『水滸伝』も同じ・・・。

<同じ時代、南方では・・・?>
 この映画の舞台は中国西北部だが、ほぼ同じ時代、中国の南方では、同じく清王朝に抵抗して「抗清復明」のスローガンとともに「台湾解放」のスローガンを掲げて戦う、福建省の長官である鄭芝龍やその息子の鄭成功がいた。したがって、1644年の清国軍の北京占領とそれに伴う「中国支配の宣言」によって事実上明王朝は滅亡していたが、南方の福建省では、なお「抗清復明」のスローガンを掲げて、明王朝のために戦う勢力がいたのだから、この1644年をもって明王朝の滅亡と言えるかどうかは微妙・・・?
 もっとも、元海賊あがりの鄭芝龍は、「これ以上の抵抗はムダ」と判断して、清王朝へ帰順してしまったが、実はそれは清軍によるだまし討ち!父親の裏切りによりこれと決別した息子の鄭成功は、厦門と金門を本拠地として、「臥薪嘗胆」の辛苦をなめながら軍事力をたくわえて、台湾のオランダ軍を攻撃。そしてついに台湾を解放したのが1661年だ。この戦いを描いたのがあの有名な『国姓爺合戦』(01年)(『シネマルーム2』172頁、『シネマルーム5』155頁参照)。
 北方でのエンタメ性豊かな武侠映画の最高峰であるこの映画と南方での歴史大スペクタクル巨編の『国姓爺合戦』の両方を合わせて味わえば、その楽しさやおいしさは2倍ではなく、3倍、4倍になるはず・・・。

<あの時代、高麗人は・・・?>
 日本映画の名作『戦争と人間/3部作』(『シネマルーム2』14頁、『シネマルーム5』173頁参照)には、日本人からも中国人からもバカにされながら祖国のことを思う朝鮮人の除在林、そして彼とともに闘う女闘士ユンボキが登場するが、この『セブンソード』にも魅力的な韓国美女の緑珠(金素妍/キム・ソヨン)が登場する。緑珠は、風火連城(孫紅雷/スン・ホンレイ)によって故郷の村が略奪され奴隷となった女だが、その美しさ故に、風火連城の「囲いモノ」となった女性。漢民族や香港人、そして台湾人たちに負けず、彼女は韓国人らしい美貌を誇っているが、映画の中ではもっとも弱い立場であるため、哀しい運命の下に・・・。
 しかし、七人の剣士の中でNO1の攻撃力を誇る楚昭南(甄子丹/ドニー・イェン)も実は高麗人であったため、この2人の間には何とも切ない恋が・・・。山の頂上で「この東の方向が故郷だ。必ずいつか故郷へ帰ろう」と誓った2人だが、果たしてそんな夢は実現するのだろうか・・・?

<敗北必至の日中協議・・・?>
 「春暁」などの東シナ海のガス田開発を巡る日中のもめゴトは、去る9月20日「天外天」の掘削施設で吹き上がっている炎の映像を発見した瞬間から、明らかに次の次元に到達した。そもそも中国側は、日中の排他的経済水域が重なることから、日本が従前より主張している「日中中間線」そのものを認めていないのだから、議論がかみ合わないのは当然。したがって、日中の「東シナ海ガス田協議」は、平行線のまま、中国側によってさまざまな既成事実が積み重ねられていくであろうことは容易に想像できていたもの。日本側が現在主張している「共同開発」もハナから問題にされず、中川昭一経済産業大臣がいきり立っている(?)が、所詮この交渉は日本の負け・・・?
 もっとも今まで、日本は中国とまともな交渉すらしていなかったことを考えれば、これでもまだましで、大前進かも・・・?

<興味深い産経抄コラム>
 去る10月3日付産経抄(コラム)は、北京でのみやげもの屋との値引き交渉をネタに、この東シナ海ガス田を巡る日中協議の様子を描いている。そしてその結論は、「みやげもの屋での買い物なら損も勉強のうちだが、主権にかかわる交渉では、ニタァと笑われるような妥協は許されないのだから」というもの。ブラックユーモアに近いコラムだが、私も全く同感だ。昔から日本には、「泣く子と地頭には勝てぬ」ということわざがある。いまさらその意味の解説は不要だが、日本人が中国人との交渉において、まず敗北するのは一体なぜ・・・?その正解の1つのヒントが、このことわざにあるのでは・・・?そしてもう1つの私が考えるヒントは、日本人ほど単純に「ものさしは1つだけ」と考える人種はいないということ。中国人との交渉においては、ダブルスタンダード、トリプルスタンダードは当たり前。したがって、1つのものさしで負けたとしても、中国人は「それはともかく・・・」として、別のものさしでの議論を吹っ掛けてくるわけだ。北京のみやげもの屋では、建前上のモノの定価が数種類あるように、中国人との交渉には数種類のものさしを持って臨まなければ、敗北は必至・・・?

<しっかり学べ!この交渉術!>
 この映画でのにっくき敵の風火連城は「禁武令」を発布した清朝政府から、1人○○元という報奨金をもらって、男も女も、老人も子供も容赦なく殺し、これを軍資金として貯めこんでいた。「禁武令」とは文字どおり武術の研究と実践を禁じるもので、その目的は清王朝への反乱分子発生を防止すること。風火連城のこのような仕事が成立するのは、この「禁武令」のおかげだが、その報奨金の額を決めるのは、清王朝の親王さんとの交渉によっている様子・・・?
 そこで興味深いのが、映画の中に再三登場する「1人殺して、いくら」というお金の計算とその交渉のやり方。もちろん、風火連城は徐々に自分の仕事の価値をつり上げようと努力しており、ほぼ思いどおり進んでいたようだが、七剣士の登場によってその計算は大きく狂ってしまった。七剣士討伐のためには、親王から大砲を借りる必要ありと判断した風火連城は、その交渉に赴いたが、それを表のテーマとする2人の交渉は、大砲よりももっと大切な情報を巡る真剣勝負となった。手持ちカード(情報)をどこまで高く売りつけるかを巡るこの2人の虚々実々の交渉は、日本人があっと驚くこと請け合いの興味深いもの。是非これに注目を・・・。そして、その交渉術をしっかりと学ぶことが大切だ。

<刀剣の好きな人は必見!>
 戦国時代が終わり、徳川幕府による太平の世が始まると、日本の刀剣は実用性が薄まり次第に美術品的色彩が強くなっていった。この映画が描く時代である1660年代の日本はまさにそんな時代。しかし中国では・・・?
 韓国映画『武士(MUSA)』(01年)は、14世紀末の明の時代の中国が舞台だが、その評論で書いたように、この時代の刀は「実用本位」のもの(『シネマルーム4』54頁以下参照)。
 黒沢明監督の『七人の侍』でも、戦闘用のための刀は当然消耗品。したがって、何本もの刀を抜き身のまま大地に差しておき、敵をおびき寄せながら順次その刀を使うという、当時としてはざん新なシーンが注目を浴びたもの。ちなみに、2003年度のNHK大河ドラマ『武蔵』の初回に、この『七人の侍』の「パクリではないか」というシーンが登場して物議をかもしたことも、記憶に新しいところ・・・。
 それはともかく、この映画が見せる『七人の侍』にはない魅力は、そのタイトルどおり「七剣」の魅力。ここで詳しい解説はしないが、7人の剣士の持つ剣の種類と効用そしてその思想的背景は、第2部の登場人物のキャラ紹介に記載したとおり。1本1本の剣の持つテーマを十分考え研究しながら、この映画を観てもらいたいものだ。

<東アジアの結集には日本人も!>
 この映画の監督・製作・脚本をしたのは、1950年生まれで1979年に監督デビュー作を発表するなり、香港ニューウェーブの旗手となった徐克(ツィ・ハーク)監督。彼が最も有名なのは『男たちの挽歌』シリーズ、『チャイニーズ・ゴースト・ストーリー』シリーズなどの製作と『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ』シリーズ(1991〜93年、全3作)の監督。残念ながら、私はこれらを断片的にしか観ていない。中国・香港における武侠映画の第一人者がこの徐克監督であり、張藝謀監督が武侠映画を撮ろうと決めたとき、徐克監督に意見を求めたそうだ。
 また、この映画は、中国、香港、台湾、韓国の俳優を結集させた香港映画だが、残念なことに日本人俳優の姿がない。今年12月公開のロブ・マーシャル監督の『SAYURI』には、渡辺謙や役所広司などが、そして来年1月公開の張藝謀監督の『単騎、千里を走る。』には、高倉健が主役に起用されていることに比べると、少し寂しいが、この映画には日本人俳優の登場はちょっとムリ・・・?
 しかし失望してはいけない。この『セブンソード』の出来には、音楽担当の川井憲次の力が大きく寄与している。晦明大師(馬精武/マー・ジンウー)が隠遁生活を送る、神秘の山「天山」の美しさを表現する音楽と、生々しい戦闘場面を鼓舞するような打楽器を中心とした音楽は対称的だが、全編に流れる力強く緊迫感あふれる音楽は出色!やはり、日本人も東アジアの一員として必要な役割を担わなければ・・・。

第2部 坂和流ストーリー紹介とキャラ紹介
<あえてストーリー紹介とキャラ紹介を・・・>
 この映画は2時間33分と長いが、息もつかせぬ迫力が続くため、決して見飽きることがないエンターテインメント巨編。また、基本的には善玉と悪玉というシンプルな構図だが、外国人俳優のオンパレードであるうえ、やはり登場人物のキャラは多彩。そのうえ村人全員の脱走という設定にしたことと、「内通者がいる!」というミステリー模様の筋書きとしたため、ストーリーをきちんと理解するのは結構大変だ。
 そこで以下いくつかの項目に分けて、ストーリー紹介と、登場人物のキャラ紹介をしておきたい。これを書きはじめれば評論が長くなることはわかっているが、書いておかなければ私自身が忘れてしまう危険があるので、あえてここで・・・。

<物語その1 禁武令の発布と傅青主の活躍!>
 映画の冒頭には、まず風火連城(孫紅雷/スン・ホンレイ)の部下である十二門将たちによる残忍な殺戮シーンが登場する。1人殺せばいくらと計算がきちんとできているから、風火連城軍による殺戮ぶりは、まるでゲーム感覚・・・?ここで面白いのは、十二門将の面々である石獣、毛狼たちの、京劇の舞台に登場する役者たちのような奇怪な白塗りと隈取りをした顔。そして彼らが使用する武器。その武器は刀剣ではなく、盾や湾刀、鈎、槌、さらには空飛ぶギロチンも・・・?さすが武侠映画の本場中国ではさまざまな工夫が・・・。そして注目は十二門将の中の紅一点を演ずるチェン・ジァジァ。彼女は北京体育学院の現役女子大生で、これがデビュー作らしいが、その面白い弁髪スタイルと美しい顔に注目。そして同時にその残忍さにも・・・。
 そんな風火連城の横暴ぶりに一矢を報いたのが傅青主(劉家良/ラウ・カーリョン)。彼は明王朝時代に処刑人をつとめており、明王朝時代に高官だった敵役の風火連城とも幼なじみだが、その横暴ぶりについに堪忍袋の緒が切れたというわけだ。もっとも彼がやった抵抗は、死者たちの名札を奪い取ることだけだが、それでも風火連城に抵抗する人間がいることを印象づけるには十分な行動。しかし、その姿を発見された傅青主は、大勢の兵士たちに囲まれ逃げるのが精一杯。もっとも偉いもので、傅青主は兵士たちを殺すことを意識的に避けていた・・・?そんな傅青主が逃げこんだところは・・・?



<物語その3 「天山」への応援要請>
 「天山」はその名のとおり、天山山脈に覆われた「神秘の山」。ここには、隠遁生活を送る刀匠の晦明大師が刀剣を鍛えているとともに、世捨て人のような剣士たちが生活していた。傅青主を案内人として、韓志邦と武元英の2人は苦労の末にやっと天山にたどり着いたが、途中、韓志邦と武元英との間にはちょっとした男女間のまちがいが生じかけたことも・・・?しかし、そこはしっかり者の村娘である武元英の「あんた、誰とまちがってるのよ!」との厳しいお言葉によって、コト無きを・・・。
 それはともかく、傅青主の頼みを受け入れた晦明大師は、4人の弟子を武荘に派遣することに同意したうえ、その弟子たちに対してはそれぞれ晦明大師が精根傾けて鍛えあげた、それぞれ特徴ある剣を・・・。



<物語その5 第1ラウンドの戦い>
 「七人の侍」ならぬ、七剣をもった剣士たちがさっそうと馬で駆ける姿は、実に絵になるシーンだが、その時既に武荘には風火連城の軍隊の総攻撃が開始されていた。村の男たちは、これに立ち向かったものの次々と倒され、教師をしている劉郁芳は子供たちを連れて建物の奥に身を潜めていたが、扉を開けて入ってきたのは十二門将の石獣や毛狼たち。彼女たちの生命は風前の灯だ・・・。
 そこに正義の味方として突如登場したのが辛龍子。その勢いにビックリして弓を射ようとした風火連城軍を後方から襲ったのが穆郎。まずは、香港の人気若手男優2人の活躍によって風火連城の勢いを止めた七剣士は、それぞれに獅子奮迅の働きを。こうして第1ラウンドの戦いは七剣士の勝利となり、風火連城軍の残党はスゴスゴと逃走することに・・・。

<物語その6 第2ラウンドの戦い>
 逃げ戻ってきた敗残兵からの報告を聞いた風火連城が怒り狂ったのは当然。しかしそんな風火連城に対して今入った報告は、城門の外に傅青主たちが来ているとの報告・・・。たしかに城門の外には、傅青主とそれを護衛するかのように2人の剣士が。そこで対面する風火連城に対して傅青主の口から出た言葉は、「お前をやっつけてやる!」という全く思いがけないもの。これには風火連城も苦笑せざるをえなかったが、ここで見せる中国人リーダー同士の丁々発止のやりとりには要注目だ!


<物語その7 内通者のミステリー>
 傅青主たち七剣士がわざわざ風火連城の城まで出向いていって戦ったのは何のため・・・?それは読者1人1人がよく考えていただきたいものだ。七剣士、とりわけそのリーダーである傅青主の目的は、武荘の村人たちの安全を守ることだから、風火連城軍を全滅させることができない以上、遠く安全な場所に村人たちを避難させるしか方法がないことは明らか。そこで始まったのが、村人をあげての大脱走・・・。しかし、これが大変な作業であることは誰の目にも明らか。こう考えれば、傅青主が風火連城の城を襲い、一定の手傷を与えたのは大脱走のための時間稼ぎ・・・?
 そんな中、村人たちの逃避行を護衛している七剣士が発見したのは、これは明らかに追討軍への合図と考えられる目印!これは一体誰の仕業なのか・・・?さらに危なかったのは、休憩中、小川で衣を洗っている緑珠の側にやってきて、やさしく声をかけた劉郁芳が突如苦しみながら倒れたこと。小川をよく見ると、そこには浮いた魚の死体が・・・。小川に毒を入れたのは誰だ・・・?その時、まず最初にみんなが疑ったのは、風火連城の女で、朝鮮語しかしゃべれない一人孤独な緑珠だった。しかし同じ高麗人の楚昭南だけは、この緑珠に理解を・・・。ここから2人の間に芽生えたちょっとした男女間の愛情が、その後どのように展開していくのかも1つの興味の的。それはともかく、内通者がいることがはっきりした今、あたかもエジプトからの追及を逃れてイスラエルの民を導いていったモーゼのように、村人たちを率いている傅青主が下した結論は・・・?




<物語その9 最後の決戦>

 目的地に到着した楚昭南は、果たしてその思惑どおりにコトを運べたのだろうか・・・?洞窟の中に楚昭南がいないという報告を聞き、楚昭南が緑珠とともに洞窟を出ていったと知った傅青主は、もはや一か八かの決戦しかないと判断せざるをえなかった。そこで、7人の剣士、いや楚昭南を欠いた残りの6人の剣士は決死の覚悟の下にそろって風火連城の元へ。そこで見たのは、今にも馬たちによって八つ裂きの刑に処せられようとしている楚昭南の姿と、風火連城の手元にある楚昭南から奪った由龍剣。さて、この期に及んで傅青主は風火連城といかなる交渉をしようというのだろうか・・・?
 楚昭南の釈放を要求する傅青主に対して、まず風火連城が要求したのは、6人の剣士たちが持つそれぞれの剣を差し出すこと・・・。しかし、そんなことをしたら、差し出した後、七剣士全員が殺されることは目に見えているはず・・・。ここで傅青主がとった行動は意外なものだった。そして、その後に発生した最後の決戦の行方は・・・?

<物語その10 内通者は誰だ!>
 楚昭南と緑珠の2人、そして残りの六剣士が風火連城の元へ向かった今、洞窟内に残っているのは・・・?その中にホントに内通者がいるのだろうか・・・?さすがにそこまでネタばらしをすると怒られるので、それは映画を観てのお楽しみに・・・。ただ、この内通者発見のストーリーにおいては、劉精一の娘、劉郁芳が大きな役割を果たすことだけは解説しておこう。

<物語その11 7人の剣士はどこへ?>
 この映画の最後はハッピーエンド。それだけははっきりと言っておこう。もっとも『七人の侍』のように、七剣士の中に犠牲者が出るのかどうか(ちなみに『七人の侍』では4人が死亡)、それも1つの注目点。そしてまた、何事でもそうだが、難しいのは1つのコトを成し遂げた後、次のステップをどうするかということ。一般的には、任務を果たし終えたことによって解散というパターンが多いが、さすがに中国人は欲が深い・・・?この七剣士たちは、次の目標に向かって、何と首都北京へ向かうという選択を!これぞ男!そしてこれぞヒーロー、と言いたいところだが・・・。

<リーダーとなる傅青主のキャラは?>
 黒沢明監督の『七人の侍』では、志村喬扮する勘兵衛が、リーダーとしてすべての戦略・戦術を決定していたが、この『セブンソード』における傅青主はそれほど強力なリーダーではなく、まずは「天山」の晦明大師を紹介し、そこから4人の剣士を調達(?)してきたことが最大の功績。しかしさすがに年の功もあって、その戦略は巧みなもの。そして晦明大師から授けられた莫問剣の使い手に必要な条件である「英知」を備えていることが、ストーリーの展開につれて徐々に明らかになってくるので、彼のその味をじっくりと・・・。

<韓志邦と劉郁芳との恋愛模様>
 高麗人同士であることを契機とする楚昭南と緑珠との恋愛模様は前述のとおり。他方、武荘の村人であった韓志邦と劉郁芳は、もともと恋仲にあったもの。しかし劉郁芳を村に残して、韓志邦が武元英と一緒に天山に赴いたときは、韓志邦によって男女間のまちがいが発生しそうになった。しかし、ここはしっかり者の武元英の姿勢によってコトなきをえたことも前述のとおりだ。韓志邦が七剣士の1人となったため、戦いにあけくれる韓志邦と劉郁芳は離ればなれになることが多くなり、七剣士と風火連城との最後の決戦時には、劉郁芳は村人や子供たちとともに洞窟の中に残ることになった。そのため劉郁芳は、洞窟の中ではじめて明らかとなった内通者と戦わざるをえなくなったが、劉郁芳はもともと残忍なことがキライな性分・・・?しかしそんな劉郁芳だって、イザとなれば・・・?
 この韓志邦と劉郁芳の恋愛模様はなかなか成就しそうにないまま、ラストを迎えていく。そして、最後にこの2人はどうなるかをお楽しみに・・・?



<悪役の風火連城はあの・・・?>
 この映画において、風火連城は徹底した悪役ぶりを発揮している。私は、その俳優名、孫紅雷(スン・ホンレイ)とその顔立ちをどこかで見たことがあると思っていたら、私がよく知っている「あの映画」に出演していた俳優だった。それは、はじめて鞏俐(コン・リー)が悩ましげなベッド・シーンを見せてくれた、あの『たまゆらの女』(03年)(『シネマルーム3』38頁、『シネマルーム5』245頁参照)。主人公の女性がホレて遠距離交際をしている詩人の男に対抗して、その仲に無理やり割り込んできた若い獣医役をしていたのが、この孫紅雷だ。こういう役者の見事な変身ぶりに大きな拍手を送りたい。

<そういえば楚昭南は・・・?>
 そういえば、七剣士の中で最も攻撃的な由龍剣を使用する楚昭南を演じているのも、私がよく知っている俳優。彼は、高麗女の緑珠との恋でも目立つ役だし、1人で風火連城の軍資金の隠し場所に乗り込んでいき捕らわれる点でも目立つ役。このように、この映画における実質的な主役となっている感がある楚昭南を演ずるのは、張藝謀監督の『HERO(英雄)』で、槍の使い手、長空(チャン・コン)を演じた俳優、甄子丹(ドニー・イェン)だ(『シネマルーム3』29頁、『シネマルーム5』134頁参照)。『HERO(英雄)』では、始皇帝暗殺のために秦軍の兵士が見守る前で大激闘の末にわざと無名(ウーミン)に敗北し、その証拠となる槍先を無名が始皇帝に奉じることができるように自己犠牲に徹した武侠だったが、さてこの映画では・・・?
                               2005(平成17)年10月5日記