日04−36

「隠し剣 鬼の爪」                  

                    2004(平成16)年10月30日鑑賞<梅田ピカデリー>

監督:山田洋次
原作:藤沢周平『隠し剣鬼ノ爪』『雪明かり』
片桐宗蔵/永瀬正敏
きえ/松たか子
島田左門/吉岡秀隆
狭間弥市郎/小澤征悦
島田志乃/田畑智子
狭間桂/高島礼子
片桐吟/倍賞千恵子
戸田寛斎/田中泯
大目付・甲田/小林稔侍
家老・堀将監/緒形拳
松竹株式会社配給・2004年・日本映画・131分

<なぜあえて同じような時代劇を・・・?>
 
『たそがれ清兵衛』(02年)は日本アカデミー賞15部門を受賞したうえ、本場アメリカのアカデミー賞の外国語映画賞にノミネートされるという超話題作となり、山田洋次監督の時代劇への初挑戦は大成功に終わった。その山田洋次監督が再び藤沢周平作品とコンビを組んで放ったのが、この『隠し剣 鬼の爪』。
 幕末という時代設定と、山形県鶴岡市をモデルとした架空の小藩、海坂藩が舞台というのは『たそがれ清兵衛』と全く同じなら、1人の下級武士を主人公とし、藩命による謀反人との対決や家族愛と1人の女性との恋愛模様を中心として、その「侍としての生き方」をテーマとしたのも全く同じ。そしてこの映画を観ていると、似ている、似ている!そのストーリー展開やハイライト場面のほとんどは『たそがれ清兵衛』とほとんど同じといってよいほどだ。
 なぜ山田洋次監督は、あの大成功した『たそがれ清兵衛』にあきたらず(?)、同じような時代劇をつくろうとしたのだろうか?パンフレットによれば、彼はそれを「『たそがれ清兵衛』の製作を通してぼくは藤沢周平の時代劇という豊かな鉱脈を掘り当てたような手ごたえを感じていた。このままでは惜しい、もう一度あの世界を」と語っているが・・・。1作目が大成功した場合、2作目がそれを上回る評価を得ることはまれ・・・。そんなことは山田洋次監督自身が1番よくわかっているはず。果たしてこの第2作目の評価は第1作目を上回ることができるのだろうか・・・?そんなわけで、以下いくつかのポイントについて坂和流の比較論を述べてみたい。ただしこれは、あくまで坂和流の独断と偏見にもとづくものであることを強調しておくので、念のため・・・。

<坂和流比較論その1 真田・宮沢VS永瀬・松>
 まずは2人の主人公の比較から。『たそがれ清兵衛』コンビの真田広之(清兵衛)・宮沢りえ(朋江)と、『隠し剣 鬼の爪』の永瀬正敏・松たか子コンビのどちらがよりインパクトがあり、どちらがより魅力的かといえば、『隠し剣 鬼の爪』のお2人には失礼ながら、そりゃ決まっている・・・?
 真田広之のカリスマ的で男性的な魅力と女優開眼著しい宮沢りえとのコンビは、そりゃ現時点でのベストカップルというべきは当然。松たか子も映画、テレビそして舞台と大活躍だが、まだまだ格が違う(失礼)・・・。また永瀬正敏は「個性派俳優」と称せられる実にいい役者だが、やはり存在感や華やかさという面においては、真田広之には遠く及ばない(失礼)・・・。

<坂和流比較論その2 悪役と幼なじみ>
 主人公が最後に藩命によって死闘を演じなければならなくなる相手は、共に改革派ながら「時の利」がなく、謀反人とされてしまった人物。それが、『たそがれ清兵衛』では余吾善右衛門(田中泯)であり、『隠し剣 鬼の爪』では江戸留学組の狭間弥市郎(小澤征悦)だった。
 余吾善右衛門は一刀流の使い手だし、狭間弥市郎は宗蔵とともに戸田寛斎(田中泯)の1、2を争う門下生として共に学んできた仲間という設定だが、主人公と五分五分の実力の持ち主であるところは同じ。勝負はそうでなければ面白くない。
 こんな2人の悪役について、年齢、立場、主義主張、そのイラ立ち、説得への対応、勝負への執念、その他をいろいろと比較してみると面白い。ここではその指摘だけにとどめるので、是非みなさん1人1人で試みてもらいたいものだ。
 また、主人公には幼馴染みの親友がいることも同じで、それが『たそがれ清兵衛』では飯沼倫之丞(吹越満)、『隠し剣 鬼の爪』では島田左門(吉岡秀隆)。飯沼の妹が朋江であるのに対し、宗蔵の妹が島田に嫁いでいるというように、状況設定に多少の違いがあるものの、おおむね似たような(?)もの。ストーリー構成上大切なことは、飯沼も島田も心の底から清兵衛や宗蔵を理解しているホントの善人だということ。こんな親友に恵まれている清兵衛と宗蔵はホントに幸せ者!

<坂和流比較論その3 殺陣の見せ場>
 時代劇の善し悪しを決める大きなポイントは殺陣だが、『隠し剣 鬼の爪』における殺陣の見せ場と『たそがれ清兵衛』における殺陣の見せ場もよく似ている。すなわち、『隠し剣 鬼の爪』での殺陣の見せ場は、師匠の戸田寛斎との予行演習(?)の場面と狭間弥市郎との本番場面の2回。これは『たそがれ清兵衛』における殺陣の見せ場が、朋江の別れた夫との試合(?)と余吾善右衛門との本番の2回であるのと同じ。しかして、その出来のほどは・・・?私は圧倒的に『たそがれ清兵衛』の方に軍配をあげたい。画面の美しさや背景事情はともかく、殺陣そのもののスピードや迫力そして重圧感等において明らかに1作目の方が上だと思うのは、果たして私だけだろうか・・・?

<山田洋次監督の新たな視点は?>
 『たそがれ清兵衛』に続く山田洋次監督の第2弾であるということ(だけ)で、当然この作品は早くから注目を集めていたし、公開直前にもさまざまな取材がなされている。『キネマ旬報』では、3回にわたって『短期集中連載山田組 リレー・インタビュー 「隠し剣 鬼の爪」ヘの道』という異例の企画を組んでいる(2004年9月下旬号・10月上旬号・10月下旬号)が、これは日本映画界あげてこの作品に期待していることの表れだ。もちろん私もそのことにケチをつけるつもりは全くない。しかしどうも私の目には、この2作目にはいくつかの不自然さが目について仕方がない。そこで、読者の皆様からの批判を覚悟のうえで、そのいくつかを指摘したい。なおこれについても、あくまでも私の独断と偏見によるものであることをお忘れなく・・・。

<2作目の不自然さその1 宗蔵の行動について>
 『たそがれ清兵衛』のヒロイン朋江(宮沢りえ)は清兵衛の幼馴染みである飯沼の妹だが、身分が高すぎて不釣り合い。それに対して今回の『隠し剣 鬼の爪』のヒロインである女中のきえ(松たか子)は、同じ身分違いでも、『たそがれ清兵衛』とは逆に、身分が低すぎて不釣り合い。
 また、清兵衛(真田広之)も宗蔵(永瀬正敏)も貧しい下級武士で1人暮らしという設定は同じだが、『たそがれ清兵衛』での清兵衛の行動はごく自然(?)であるのに対し、『隠し剣 鬼の爪』での宗蔵の行動は、「あの時代」においてはかなりイレギュラーなものといわざるをえない。その第1は、いったん嫁いでいったきえが嫁ぎ先で虐げられているのをみて、強引にこれを離縁させ、家に連れ戻すこと。しかも、侍が白昼堂々と娘を背中にかついで歩くという異常な行動で・・・。その第2は、その後、「いつまでも若い女を女中として手元においておくわけにはいかない」という友人の島田左門の忠告を受け入れて、きえを実家に戻す決断をしたのは常識的だったが、「藩命」を果たした後は、禄を返上して侍をやめ、一介の町人となって蝦夷の地へ行くので、きえに対して「俺と結婚して一緒に行ってくれ」とプロポーズ(?)すること。恋愛ストーリーとしては別に悪くはないものの、幕末の時代、しかも海坂藩という片田舎の小藩の中でこんな革命的な(?)ラブストーリーが本当にありうるのだろうか・・・?ちょっと不自然すぎると思うのだが・・・。

<2作目の不自然さその2 ラブストーリーにおける命令の意味について>
 
不自然さの第2は、侍と女中という身分の違いが強調されたうえで、この2人の間に命令という言葉がキーワードとして働いていること。しかも、この身分違いの2人の人生の大きな選択を決定するキーワードが命令であるというのはちょっと不自然。すなわち映画では、まず第1に、きえが実家に戻ることを決心するのは宗蔵の命令に従ったものとされている。そして第2に、ラストシーンできえが蝦夷地についていくことを決心するのも命令に従うもの・・・。もちろん、その「命令」には男女の微妙なかけひきも含まれており(?)、命令にことかりたオーケーの返事という色彩も強い(?)ものの、男女のラブストーリーの展開に、命令という言葉をキーワードとして介在させるのはちょっと不自然では・・・?

<不自然さその3 初登場の人妻のキャラはあまりに・・・?>
 2作目の『隠し剣 鬼の爪』にはじめてのキャラクターとして登場するのが謀反の罪で郷入り(座敷牢)した狭間の妻の桂(高島礼子)。この桂は意外なところで登場する。それは、明日狭間との死闘に臨もうとしている宗蔵の家への突然の出現。こんな状況下において、「夫を逃がしてやってほしい」と懇願にくるのも不自然なら、「お望みだば、私の体差し上げます。いつでも、おっしゃるとき」という発言もあまりに不自然。そのうえ、この申し出を断られた桂は、これから家老の堀(緒形拳)を訪ねるという。そして案の定、藩命を果たしたことの報告に出向いた宗蔵の質問に対する堀の答えは、「色じかけできよっての。とうとううんと言わされたのだ。・・・いい身体をしておったぞ。上玉だった」という何とも意外(?)なもの・・・?
 『たそがれ清兵衛』がもっていたスクリーン上に張りつめた雰囲気に対して、2作目のこのような奇妙な味付けは、その作品の出来に不自然さを加えているだけではないかと思わざるをえない。私は高島礼子という女優やその色っぽい演技は大好きだが、この映画でのこのようなキャラの人妻の登場はちょっと不自然では・・・?                      
                                2004(平成16)年11月1日記