洋画03年NO11

「活きる                     
     @2003(平成15)年3月1日鑑賞
     A2004(平成16)年7月15日鑑賞<シネ・ヌーヴォ・中国映画の全貌2004>

(張藝謀(チャン・イーモウ)監督/葛優(グォ・ヨウ)/鞏俐(コン・リー))(配給:角川書店、ドラゴン・フィルム)

<中国の映画「活きる」>
  これも前から観たいと思いながらチャンスがなく、「2003 朝日ベストテン映画祭」で観たもの。「活きる」は、2001年12月から2002年11月まで、関西の劇場で公開された外国映画の中で2位に輝いた1994年の作品で、カンヌ映画祭で審査員特別賞と主演男優賞を受賞している。

<監督と二人の主役>
  監督は、1987年に鞏俐(コン・リー)主演の「紅いコーリャン」でデビューし、ベルリン映画祭で金熊賞に輝いた張藝謀(チャン・イーモウ)。彼は、陳凱歌(チェン・カイコー)、田壮壮(ティエン・チュアンチュアン)らと並ぶ、いわゆる中国映画「第5世代」の監督の代表格だ。

  夫を支え、子供を育てながら、強く活きる女主人公・家珍(チァチェン)を演ずるのは、私の大好きな「さらば、わが愛 覇王別姫」(93)、「項羽と劉邦 その愛と興亡」(94)、「始皇帝暗殺」(98)などで圧倒的な存在感をみせる鞏俐(コン・リー)だ。「活きる」は1987年の「紅いコーリャン」でのデビューから7年目の作品だが、1965年生まれの彼女にとってこの作品は30才直前の作品になるはずだ。

  贅沢な家庭に育ち、サイコロバクチにうつつを抜かし、その挙句、家屋敷を取られてしまい、一文無しになりながら、その後、懸命に活きていく主人公・福貴(フークイ)を演ずるのは、この作品で最優秀男優賞を受賞した葛優(グォ・ヨウ)。どこかで観た顔だと思ったら、「さらば、わが愛 覇王別姫」で、当時中国の北東部を支配していた軍閥のボスでありながら、京劇の良き理解者であった袁世凱を演じていた役者だ。その飄々とした演技がこの映画では特に光っている。

<中国1940年代>
  1945年の日本敗戦。そして中国本土では1946年以降、国民党と共産党との内戦が始まった。そして、共産党は国民党の蒋介石を台湾に追いやって勝利し、1949年中華人民共和国が成立した。奇しくもこの1949年は私の生まれた年に当たるから、私の人生も「新中国」の歴史とそのまま重なることになる・・・?

<中国1950年代>
  新国家は建設されたものの戦争時代の「総括」が続く。従来の上流階級や富裕地主は反革命分子というレッテル貼られて糾弾され、処刑された。そして1957年、毛沢東の「大躍進運動」が始まった。鉄を増産するため、各家庭からナベ・カマなどの鉄製品が集められた。「家庭からナベ・カマがなくなったら食事をどうするの?」との質問に対する答えは明快。つまり「共同食堂があるから大丈夫」というものだ。すなわち共産国家中国では、食事はすべて国(党)が提供するから、各家庭毎に作る必要はないというわけだ。

<中国1960年代>
  中国共産党では毛沢東の「神格化」が進められ、1966年からは「文化大革命」が始まった。「造反有理」をスロ−ガンとし、「毛沢東語録」を手に、「紅衛兵」が街中をのし歩いた。「壁新聞」がはられ、従来の知識人達は次々と糾弾され、「自己批判」を余儀なくされた。この映画でも紅衛兵による次のような悲劇が描かれている。
  すなわち、二人の愛する一人娘の鳳霞(フォンシア)が出産するについて、病院に医者がいないのだ。それはなぜか?これについても白衣を着た若い看護学生の答えは明快だ。つまり産婦人科の主任医師は「反動分子」として糾弾されているからだ。こんな理不尽な紅衛兵運動(文化大革命)は、1976年に毛沢東が死亡するまで続き、江青を中心とした「4人組」が逮捕されたことによって、新中国の革命第一期の時代が終わるのだ。

<歴史の激動の中、福貴と家珍は>
  このような新中国の激動の時代の中、福貴と家珍の二人は、娘(鳳霞)と息子(有慶)らと共に懸命に活きて行く。このスト−リ−の中で心に残るいくつかのエピソードやシーンを紹介しよう。

 @中国影絵芝居
  サイコロバクチで家屋敷を失った福貴は、バクチに勝ってこの家屋敷の新たな主となった龍二(ロンアル)に借金を頼むが、断られ、そのかわりに龍二から影絵芝居の道具をもらった。龍二から、「影絵芝居は賎しい仕事だと思われているが、食うには困らない」と聞いた福貴は、以降これを自分の天職として懸命に活きて行く。この中国の影絵芝居をこの映画によって見ることができたのは大きな収獲だ。

 A子供の名前
  バクチから離れられない福貴に愛想を尽かして、いったんは福貴と別れ、実家で長男有慶(ヨウチン)を産んだ家珍は、福貴が真面目に働いていることを聞き及び、福貴の元へ帰ってきた。そこで、「息子の名前は何だ?」と聞く福貴に対して、『不賭』(ブドウ)と答える家珍。観客から思わず笑いがもれる、いいシ−ンだ。

 B国共内戦
  影絵芝居で巡業の旅を続ける福貴は突然国民党の部隊に襲われ、その部隊を手伝わされる羽目に。しかしこの部隊も共産党軍に攻撃され、今度は共産党軍の兵士達に影絵芝居を見せることになった。このように国共内戦の中でも、影絵芝居が福貴の生命を守ってくれたのだ。

 C地主階級の糾弾
  生命からがら共産軍から逃げのびて、家珍の元へ帰ってきた福貴。ここで福貴は、サイコロバクチで福貴から家屋敷を取りあげてリッチな生活を楽しんでいた龍二が、地主階級と認定されたため、公開処刑を受ける姿を見ることになった。もし、福貴がバクチに負けてなくて、地主階級のままだったら・・・。「人間万事賽翁が馬」ということを改めて考えさせる事件だ。

 D共同食堂
  毛沢東が提唱した「大躍進運動」に協力して、ナベ・カマを供してしまった結果、各家庭では食事ができなくなり、「共同食堂」で、多くの人たちが食事をするシーンがある。共産主義国家中国の「共同食堂」とはこういうものだ、ということがよく分かった。何とも奇妙な感じ。

 Eギョウザ
  福貴と家珍の息子有慶が、車の事故で死亡した。この悲しいストーリーの中では、家珍が作るギョウザが一役買っている。なお、その内容は映画を観てのお楽しみに・・・。

 F結婚式
  口の聞けない娘鳳霞の夫となるのは、3代続いた工場の労働者階級の二喜(アルシー)。彼は毛沢東思想の信奉者であり、心酔者だ。毛沢東の写真をバックとして、毛沢東語録を胸に、結婚祝いの写真撮影。そしてそこで歌われる歌は毛沢東の讃歌だ。このような祝福の中で二人は新たな家庭をもったが、家珍は子供が生まれたら、毎年一回子供の写真を撮ることを二喜に約束させた。

 G「走資派」
  ナベ・カマの供出を勧め、毛沢東の写真を飾って結婚式を祝ってくれた福貴と家珍の住む町の町長は毛沢東思想に忠実だったはずだ。しかし、この町長もいつしか「走資派」とされていた。激動の時代の流れとはいえ、何とも理不尽な話だ。しかし、このように現実に描かれた姿を見ると、つい怒りがこみ上げてきてしまう。

 Hお産と紅衛兵
  そして鳳霞のお産。反動分子の産婦人科の医者は病院にいない。そのかわりに白衣を着た看護学生の紅衛兵がお産の手助けだ。赤ちゃんは無事に生まれたが、その後の処置が悪く、結局鳳霞は出血が止まらずに死亡してしまう。毛沢東思想と医学の知識やお産のテクニックと何の関係があるというのか?

 I孫を囲み二人で過ごす老夫婦
  愛する息子と娘を二人とも失いながらも、孫の「マントウ」と共に幸福に暮らす福貴と家珍。息子有慶と娘鳳霞のお墓には、有慶の大好きなギョウザと毎年撮った鳳霞と二喜の息子マントウの写真が飾られていた。

<まとめ>
  どんなに時代が変わろうとも、またどんなに災難が降りかかってこようとも、福貴と家珍の二人は懸命に活きていた。特に涙をボロボロ流すわけではないが、人間の価値や人間の生き方の意味を示してくれる素晴らしい映画だ。
                                2003(平成15)年3月4日記