洋画04年NO94

「愛にかける橋(芬〔女尼〕的微笑
/ON THE OTHER SIDE OF THE BRIDGE)」


    2004(平成16)年7月25日鑑賞<シネ・ヌーヴォ・中国映画の全貌2004>

監督:胡〔王攵〕(フー・メイ)
製作・脚本:王浙浜(ワン・チーピン)
ファニー/ニーナ・プロル
マー・ロンユン(馬龍雲)/王志文(ワン・チーウェン)
ファニー(晩年)/ズーズィ・ニコレッテ
ワコー配給・2002年・中国・オーストリア合作映画・118分

<モデルは実在のオーストリア女性> 
 この映画の中国タイトルは、『芬〔女尼〕的微笑』。つまり、「ファニーのほほえみ」というもの。この映画に登場する女主人公のファニー(ニーナ・プロル)とは、中国名で華知萍(ホア・チーピン)、ドイツ名でガートルード・デュ・ワグナーという実在の女性。
 そして、この映画は、1930年代半ば、1人オーストリアから中国の恋人の元に嫁ぎ、以降60年以上にわたって、激動する中国社会の中で生き抜いてきたこの実在のオーストリア女性ワグナーさんの感動的な姿を描いたもの。
 このファニーに焦点をあてた『芬〔女尼〕的微笑』という中国タイトルに対して、英語タイトルの『ON THE OTHER SIDE OF THE BRIDGE』や日本語タイトルの『愛にかける橋』は、もっとダイナミックで国際的なイメージ。さて、あなたはどのタイトルが1番好き・・・?
 この映画が中国各地で公開されたのは2003年2月。しかし、主人公ファニーのモデルとなったワグナーさんは残念なことに、この映画の公開直前にこの世を去ったとのこと。この映画の観客の多くはその事実を知らないが・・・。

<王浙浜(ワン・チーピン)と胡〔王攵〕(フー・メイ)>
 実在のオーストリア女性をモデルとしたこの映画は、2人の女性の力によって実現した。その1人は、製作・脚本をした王浙浜。そのきっかけは、王浙浜が、激動の中国社会の中で生き抜いた一人の外国人女性をドキュメントしたテレビ番組を1998年に観たこと。これにヒントを得た王浙浜は、このオーストリア女性の取材を重ね、3年がかりで脚本を書き上げたというわけだ。
 他方、胡〔王攵〕は、1978年に第1期生として北京電影学院に入学し、1982年に卒業して、八一映画製作所に配属された、陳凱歌、張藝謀、田壮壮監督らと同期の第五世代監督。映画は、『女児楼』(85年)、『戦争を遠く離れて』(87年)と少ないものの、テレビのあらゆる賞を独占して、人気を不動のものとしている女性監督とのこと。後述のように、時代背景の描写については多少不満があるが、ファニーの心理描写はやはり、女性監督ならではのもの。とりわけ、「もう一度生まれてきても、きっと彼と共に同じ人生を歩むわ!」というセリフは、何とも力強く確信に満ちたもので、胡〔王攵〕監督のエールがこめられたものだろう。
 なお、主人公のファニーを演ずるニーナ・プロルは、1974年ウィーン生まれで、『NORDRAND』(99年)で、第56回ベネチア国際映画祭新人賞を受賞した実力派とのこと。

<舞台はオーストリアのウィーン>
 この映画の冒頭の舞台は、オーストリアの首都ウィーン。そして時代は1931年。ファニーが17歳の時だ。ウィーンの警察学校に、中国政府の留学生として約20名の仲間と共に2年間留学し学んでいるのがマー・ロンユン(馬龍雲)(王志文)。ファニーは、この警察学校の教官の娘だが、このファニーとマーが恋に落ちることに・・・。
 もっともこの映画では、もう1組のカップルが登場する。これがファニーの親友のアニー。アニーは、家族の祝福を受けてマーの仲間の1人と結婚し中国に旅立ったが、数年後、子供を抱えて帰国。何と、彼には中国に妻と子がいたことを隠されていたというからとんだ大悲劇・・・。ファニーとマーの恋愛はホントの話だが、このアニーの話も実話かどうかは・・・?
 1931年という時代に、ウィーンの警察学校に中国の青年たちが留学していたというのは大きな驚き。当然彼らの年齢は20歳代だが、マーをはじめとして全員が中国の富裕なエリートの息子と思われ、流暢に英語をしゃべるうえ、イギリス貴族然(?)としたマナーの良さにも大いにびっくり・・・。

<でも、英語はかなり不自然・・・?>
 もっとも、オーストリアのウィーンという舞台の中で、ドイツ語ではなく英語をしゃべるというのは、映画の設定上仕方ないのかもしれないが、かなり不自然。やはり、ドイツ語特有の固い発音(?)が出てこないと、ウィーンという雰囲気が全くしない。
 とりわけ、風雲急を告げてきた情勢を受けて、中国への帰国が早まった中、これを見送るシーンで歌われるのはドイツ国歌の「Deutschandlied(基本法)」。そして、当然これはドイツ語の歌詞だから、こういうシーンでは英語のセリフとの違和感が目立ってしまう。ファニーを演じたニーナ・プロルは、オーストリア生まれだからドイツ語をしゃべれるのは当然。したがって、マーをはじめ中国の俳優たちがドイツ語を勉強して、ドイツ語のセリフでやってほしかったと思うのだが・・・。

<波乱にみちた人生の始まりは?>
 1931年7月、オーストリアの首都ウィーンの警察学校に留学していた中国人青年マーとその教官の娘であった16歳のファニーは恋に落ちた。マーの帰国後、18歳になったファニーのもとに届いたのは、マーからの中国行きの乗船切符。これによって、1934年12月、単身マーの待つ中国へ旅立ったファニーは、マーの故郷浙江省の教会で1935年2月24日マーと結婚式を挙げた。
 ここに、封建色が色濃く残る1930年代の中国社会の中での生活が始まり、60年以上にわたる、波乱にみちたファニーの人生が始まることになった。
 この映画が面白いのは、マーの死亡後も一人中国に住む晩年のファニーを、その親友だったアニーの孫娘が訪れること。したがって、映画の途中からは、そのインタビューの中でさまざまな回想シーンが展開されるという手法が採用されている。

<時代背景は少し説明不足?>
 パンフレットの解説を読むと、この映画の時代背景が解説されているのでよくわかるが、映画そのものからは、実はその時代背景がよくわからない。というよりも、胡〔王攵〕監督はその解説には重きをおかず、ファニーの人生とファニーとマーとの愛を描くことに集中しようとしている感じ。
 したがって、@マーがオーストリアに留学していた年代はいつ?Aなぜ、その帰国が急に早まったの?B上海に着いたファニーを迎えたマーが住んでいるまちはどこ?Cマーたちは日中戦争の影響をどのように受けたの?Dその時代のオーストリアやそこに住むファニーの父母、弟たちはどうなっていたの?、等々の事実関係がボンヤリとしたままで、きちんと描かれていない。
 もっとも、@ファニーが18歳の誕生日の日に中国行きを父親に告げたこと、Aマーが学生部長の要職について働いている警察学校は、国民党政府のものであること、B日本の敗戦が1945年であること、などはストーリーの展開中でわかるが、全体的に時代背景の描写が希薄なのは、私にとってはかなり不満・・・。

<マー役はあの王志文>
 20代の青年時代からのマー役を演ずるのは、『朱家の悲劇』(94年)や『始皇帝暗殺』(98年)、そして最近は、『北京ヴァイオリン』(02年)等に出演している中国の人気俳優の王志文。彼は1966年生まれだから、既に30代後半になっているはずだが、その若々しい姿は全然変わっていない。彼の何よりの魅力はその笑顔。多分、ファニーもその笑顔に魅かれたのだろう・・・?
 この映画は、2003年ベルリン国際映画祭と2002年モントリオール国際映画祭に出品されたが、王志文はこの作品で第8回モスクワ国際映画祭主演男優賞を受賞している。

<マーが住む村は?>
 王志文扮するマーが住むのは、中国の江南地方にある浙江省の中のある村。私が2004年3月31日〜4月3日に旅行した浙江省の杭州は、西湖のある実に美しいまち。浙江省内には、魯迅が生まれたまちとして有名な紹興や水郷のまち烏鎮もあり、それぞれ豊かな水に恵まれた美しいまち。
 この映画の中で、マーが住む村が浙江省内のどこなのかは明らかにされないが、彼が住む村も、美しい自然に恵まれている。その上、マーはもともと富裕な家庭のボンボン(?)。中国の歴史や都市について興味をもつ私としては、もう少しこのマーの住む家庭事情なども描いてほしかった気がするが・・・。
                                 2004(平成16)年7月26日記