洋画04年NO80

「始皇帝暗殺(The First Emperor)」

     @1998(平成10)年11月15日鑑賞
     A2004(平成16)年7月9日鑑賞<シネ・ヌーヴォ・中国映画の全貌2004>

監督:陳凱歌(チェン・カイコー)
趙姫/鞏俐(コン・リー)
荊軻/張豊毅(チャン・フォンイー)
秦王・政(始皇帝)/李雪健(リー・シュエチエン)
燕丹/孫周(スン・チョウ)
樊於期/呂暁禾(リュイ・シャオホ)
(長信侯)/王志文(ワン・チーウェン)
呂不韋/陳凱歌(チェン・カイコー)
母后/顧永菲(クー・ヨンフェイ)
高漸離/趙本山(チャオ・ペンシャン)
秦舞陽/丁海峰(ティン・ハイフォン)
日本ヘラルド映画配給・1998年・日本・中国・フランス・アメリカ合作映画・168分

<陳凱歌監督の第7作目>
『始皇帝暗殺』(98年)は、陳凱歌(チェン・カイコー)監督の@『黄色い大地』(84年)、A『大閲兵』(85年)、B『子供たちの王様』(87年)、C『人生は琴の弦のように』(91年)、D『さらば、わが愛/覇王別姫』(93年)、E『花の影』(96年)に続く第7作目。秦の宮殿、咸陽宮のセットをはじめ、この映画のスケールの大きさは度肝を抜くもの。また、日本、中国、フランス、アメリカ4カ国合作という国際的プロジェクトで取り組まれたのはアジア初とのこと。そして陳凱歌監督が、秦国の宰相でありながら、実は始皇帝の実の父親だった(?)という難しい役柄の呂不韋役で自ら出演しているのもこの映画の見どころのひとつ。
 私があえて陳凱歌監督作品のベスト3を挙げれば、@『黄色い大地』、A『さらば、わが愛/覇王別姫』、B『始皇帝暗殺』だが、その後の監督作品も考えると、どうしても『北京ヴァイオリン』(02年)を推薦したい。これを含めた4作が私の選ぶ陳凱歌監督作品のベスト4だ。なお、この『北京ヴァイオリン』でも、陳凱歌監督はユイ教授というかなり重要な役で出演しているうえ、ここではこの映画の重要なポイントとなるリリ役を陳凱歌夫人が演じるというサービスまで・・・。

<この映画の華は趙姫役の鞏俐>
 
趙姫を演ずる鞏俐(コン・リー)は、この映画でも非常に重要な役柄。1987年の『紅いコーリャン』で衝撃的デビューを果たした鞏俐は、張藝謀監督とのコンビを数作続けた後、『さらば、わが愛/覇王別姫』(93年)ではじめて陳凱歌監督作品に出演し、第2作目の『花の影』(96年)に続く、陳凱歌監督と組んだ第3作目がこの『始皇帝暗殺』。杞然(スティーブン・シン)が監督し、張藝謀が製作総指揮をした大作『項羽と劉邦ーその愛と興亡 完全版』(94年)でも、鞏俐は劉邦の妻、呂雉(リュイチー)の大役で登場していることからもわかるように、1990年代の鞏俐は、どの監督であろうと大作には欠かすことのできない中国を代表する大女優に成長していた。
 鞏俐扮する趙姫は微妙な役。すなわち、趙姫はもともと秦王、政が趙の人質であった幼い時代からお互い惹かれ合っていた仲。しかし政の天下統一の野望にもとづく戦いが続けば、いずれ趙の国は滅びると読んだ趙姫は、女性ながらさまざまな策略を・・・。しかしこの趙姫の策略は功を奏さず、逆に趙の国は秦によって滅亡させられ、幼い多数の子供までが生き埋めにされるという世紀末的な姿を目撃することに・・・。そんな中で、荊軻に助けられた趙姫が下した決断とは・・・?そして、その決断を実行していく中で生まれてくる荊軻と趙姫との真実の愛の行方は・・・?こんな複雑で魅力的な趙姫を、鞏俐は圧倒的な存在感で演じきっている。

<注目人物は荊軻(けいか)>
 始皇帝暗殺の実行犯は荊軻(張豊毅/チャン・フォンイー)で、この映画最大の注目人物。荊軻は燕の太子丹(孫周/スン・チョウ)らの切望により、燕王から遣われた使者として始皇帝のもとへ。荊軻が始皇帝に謁見するために献上するものは、1つは、もとの秦の将軍で燕に亡命し、秦王が懸賞をかけていた樊於期(呂暁禾/リュイ・シャオホ)の首。そしてもう1つは、燕の督亢(とっこう)(河北省州市東南の一帯)という最も肥沃な地帯の地図。地図を献上するということは、その土地の割譲を意味しているわけだから、これは燕のためとはいえ相当の代償。そしてこの地図の中に巻き込んで隠し持つ匕首(あいくち)で、一挙に・・・というのが荊軻のもくろみだったが・・・。

<『始皇帝暗殺』の荊軻と『HERO(英雄)』の荊軻の比較>
 この荊軻は、司馬遷の『史記・刺客列伝』の中で、「壮士 ひとたび去って ふたたび還らず」とうたわれて有名になった人物。張藝謀(チャン・イーモウ)監督がハリウッドに進出してつくった『HERO(英雄)』(03年)は、ちょっと変わった視点から、この荊軻を、趙の国の刺客「無名(ウーミン)」(李連杰/ジェット・リー)に置き変えて、始皇帝暗殺を描いて大ヒットしたが、私はやはり、この『始皇帝暗殺』の荊軻の方が好き。それは、何しろその「重厚感」が全然違ううえ、CG(コンピューター・グラフィックス)やワイヤーロープアクションではない荊軻のアクションシーンがすばらしいから。この荊軻を演ずる張豊毅は、『さらば、わが愛/覇王別姫』(93年)で、張國榮(レスリー・チャン)扮する女形程蝶衣(チョン・ティエイー)の相手役段小樓(トァン・シャオロウ)として京劇の覇王項羽に扮したあの張豊毅。張豊毅はこの映画では、無口でニヒルな暗殺者の役を見事に演じているが、アクションシーンと同時に、趙姫との間に生まれる恋、そして趙姫への愛を貫く男として、実に魅力いっぱいの荊軻像をつくりあげている。

<政と始皇帝の役は李雪健が・・・>
 若き日の秦の王、政そしてはじめて中国を統一した絶対的権力者である秦の始皇帝(BC259〜210年)を演ずるのは李雪健(リー・シュエチエン)。「焚書坑儒」を行い、万里の長城を築き、兵馬俑をつくらせた始皇帝は、悪行の限りを尽くした極悪非道の人物のように描かれる面もある。しかし他方、中央集権国家制をつくりあげて全国を郡県制に分け、法律や文字、貨幣、はかりを統一し、さらに全国の道路網を整備するという一大改革を成し遂げた大政治家としての始皇帝の器の大きさは、規格はずれのものであり、日本で言えばさしずめ織田信長のようなもの。その始皇帝の若き日の姿が、秦の国王の政。
 若き日の政は、下図のように7つの国に分かれて争っていた紀元前3世紀の戦国時代に生きていく中で、天下統一という野望を持ち、日々戦いに明け暮れる毎日を過ごしていた。黄河流域を中心に、割拠していた韓、魏、趙、斉、燕、楚、秦の7国の中でも、秦は最も西方にある辺境の国。政がこの秦の国の王をなったのは13歳の時。しかしその時、秦の国の実権は宰相呂不韋(陳凱歌)が握っていた。そしてこの呂不韋は実は政の実の父親・・・?
 政の母后の愛人であった(長信侯)(王志文/ワン・チーウェン)は反乱を企んだが、政はこれを鎮圧、処刑した。しかしこの母后は、とは別に呂不韋とも・・・?このように、政の出生をめぐる秘密やその父母、愛人をめぐる人間模様は、ドロドロとした悩ましいもの。もっとも、こんな生々しい人間関係の中で苦労して育った政だからこそ、天下統一の野望を持ち続け、後の大独裁政治家になれたのかもしれないが・・・。

     (『始皇帝暗殺』パンフレットより)

<始皇帝と私の広州旅行>
 ちなみに私は、2004年6月10〜13日に広州・深せん・桂林旅行に行ったが、その広州は、秦の始皇帝が将軍として遣わした趙佗が、始皇帝の死後、南越国を建国し、現在の広州をその都としたもの。そして1983年に広州で発見された西漢南越王墓は、南越国の第二代王文帝の石室墓を祭ったもの。秦の始皇帝のお勉強をしていると、こんなところにまで派生してくるから、面白いし奥が深いもの・・・。

<印象的な1人の少女>
 この映画では、暗殺者荊軻の武芸の達者ぶりを示すシーンが再三登場するが、圧巻は、殺しの依頼を受けた荊軻が、刀匠の一家を皆殺しにしてしまう冒頭のシーン。そしてここで涙を誘うのが、最後に残され、何の抵抗もできない盲目の美しい少女までも殺してしまうシーン。もちろん積極的に殺害するわけではないが、その結末には思わず「えー!」と叫びたくなるようなシーン。そして、荊軻自身もこの行動によって、人を殺すことを宿命づけられた暗殺者としての自分の生き方そのものに大きな影響を受けることになる。彼女の登場シーンはここだけだが、この盲目の少女役で強い印象を残した女優が、陳凱歌監督によって見出された周迅(ジョウ・シュン)。その後周迅は、『ふたりの人魚』(00年)、『ハリウッド★ホンコン』(01年)、『小さな中国のお針子』(02年)と立て続けに映画出演して大ブレイクし、今や章子怡(チャン・ツィイー)、趙薇(ビィッキー・チャオ)、徐静蕾(シュー・ジンレイ)と並ぶ中国4大女優(四小名旦)の1人と呼ばれる美女に成長している。

<悲劇の反逆者(長信侯)を演ずるのは?>
 中国には昔、宦官という変(?)な「人種」が存在した。これは男でありながら男でない人、つまり去勢された男のこと。皇帝に仕える後宮の女たちは膨大な数にのぼるが、これらの女性はすべて皇帝に仕えるための存在。したがって、そんな場所に男としての機能を持った人種が存在するとヤバイから、その男性能力を去勢したものだが、何とも残酷な制度。ところがニセ宦官であれば男性としての機能はあるので、女性を妊娠させることができる。そのニセ宦官のは、宰相呂不韋の策謀によって後宮にもぐり込んだもので、何と秦王、政の母后と不義密通を重ね、二児をもうけたうえ、政を倒そうと企んだ。しかしその策謀はあえなく失敗し、は極刑に処せられることに・・・。
 そんなニセ宦官のを演ずるのは、王志文(ワン・チーウェン)。私が1998年にこの『始皇帝暗殺』を観た時にはよくわからなかったものの、今や、大の中国映画通(?)になった私には、この王志文は、あの陳凱歌監督の名作『北京ヴァイオリン』(02年)でチアン先生を演じた俳優であることがすぐにわかった。このように何でも演じられる役者とは本当に偉いものだ。しかもシネ・ヌーヴォでの「中国映画の全貌2004」の開催期間中、私が『始皇帝暗殺』を観た翌日に観た『朱家の悲劇』(94年)でも、朱家の二男チューホイに扮してその主役をつとめているのが、この王志文。『始皇帝暗殺』のパンフレットには、「繊細で傷つきやすいアウトローの青年を演じさせると右に出るものがない」と書かれているが、この解説は実に的を射た適切なものと感心!

<西安旅行と秦の都、咸陽(かんよう)>
 私は2001年8月9〜14日、西安・敦煌旅行に行った。その時の関心は、敦煌についてはもっぱら莫高窟(ばっこうくつ)だったが、西安での関心の第1は、何といっても秦の始皇帝陵と兵馬俑。そして始皇帝にまつわる歴史上の数々の物語。それと同時に勉強したのが、その「地理」だ。
 まず、中国に現存する古代城壁の中で最も保存状態がいいと言われている城壁で囲まれている現在の西安市内は、東西3.8km、南北2.8kmの広さだが、最も栄えた唐の時代における長安の都は、その10倍もの広さがあったとのこと。すなわち、東西9.721km、南北8.651kmということだ。
 次に、長安は長い間中国の都だったが、隋(581〜618年)、唐(618〜907年)の時代の長安城とそれ以前の前漢、後漢、西晋、前趙、前秦、後秦、西魏、北周の時代の長安城とはその場所が異なっているとのこと。すなわち、隋、唐時代の長安城は今の西安市だが、それ以前の長安城はその西北に位置していたわけだ。また、秦の都であった咸陽は、それよりさらに北方の、現在の咸陽市窯店鎮一帯にあったとのこと。これを地図で示せば下図のとおりだ。このように秦を滅ぼし、漢王朝をうちたてた高祖劉邦は、秦の咸陽城と渭水を隔てて向かい合った関中平原に長安城を建造し、これがその後の王朝の推移の中でも、都として使われてきたわけだ。そして大興城と呼ばれた隋の都長安の規模と配置及び施設は、明らかにこの漢の時代の長安城を上回っており、これが唐の都長安の基になった。秦の首都咸陽は、項羽と劉邦との戦いで有名な楚(BC206年)の覇王項羽がここに攻め入り、この映画で描かれるように火をかけ、略奪の限りを尽くしたことによって滅びてしまった。

(『西安ー世界的、歴史的に有名な都城』(西安市人民政府外事弁公室編・1996年・中国旅遊出版社)25頁より)

<趙攻めの圧倒的スペクタクルと涙のシーン>
 城砦攻めの攻防は、観ていると結構、迫力があり面白いシーン。お城の攻防戦は、古代、中世を問わず、また、ヨーロッパ、アジアを問わず、どこでも似たようなやり方。そして、城攻め用の大型石投げ機などの大道具が登場するまでは、もちろん、守る側よりも攻める側の苦労と犠牲が大きいもの。しかし、秦による趙の都邯鄲の城攻めは・・・?
 それは、圧倒的な兵力の違いのため、その勝敗は最初から明らか。哀れを誘うのは、趙の子供たちが捕虜となるのを拒否して、城の上から次々と地上に飛びおりて、命を断っていくシーン。また、始皇帝の残虐非道ぶりを示すのは、蔵の中に隠れていた子供たちを、1人残らず土の中に生き埋めにしてしまうシ−ン。この、大量の捕虜を土の中へ生き埋めにするシーンは、『項羽と劉邦ーその愛と興亡 完全版』においても、秦の捕虜に対する項羽の命令に見られる。中国人(のリーダー)が特に残虐というわけではないだろうから、果たして、この生き埋めのシーンは本当に史実にもとづく行為なのかどうかの検証が必要だろう。

<暗殺の成否は?>
 『HERO(英雄)』でも、この『始皇帝暗殺』でも、始皇帝の暗殺は失敗に終わらなければ、歴史上の事実に反してしまうことになる。もし、この暗殺が成功していれば、「源義経は実は死亡しておらず、中国大陸にわたってチンギス・ハンになった」という、荒唐無稽な伝説が日本で生まれたように、「始皇帝の生まれ変わりがチンギス・ハンになった」という中国の伝説(?)が誕生していたかもしれない・・・。
 それはさておき、始皇帝暗殺「未遂」をテーマとした映画では、その暗殺の実行シーンが最大の見どころとなるのは当然。『HERO(英雄)』では、10歩以内に近づけば、必ず殺すという「十歩一殺」の剣が面白い工夫だったが、この映画では、荊軻による道化じみた芝居で油断させた上での巻物の地図の芯に隠した匕首による必殺の一撃が見もの。しかし、ああ残念!その一撃はかわされてしまった。逃げまどう始皇帝。そして意外なことに、家臣たちは誰もその楯となって荊軻の前に立ちふさがらず、始皇帝と一緒に逃げ回る情けなさ。そこで遂に、始皇帝を追いつめた荊軻は腰の剣を抜いて一撃の下に・・・のはずだったが、実はこの剣は・・・?
 漢の都咸陽にある大殿・四海帰一殿での、この立ち回りシーンは何とも迫力あるもの。そして最後に涙を誘うのは、荊軻の子をお腹に宿した趙姫が、自らの死を恐れず始皇帝と対面し、荊軻の遺骨を持ち帰ることを懇願するシーン。それほど2人の愛は強固なものに育っていたというわけだ・・・。
                                  2004(平成16)年7月15日記